ユダヤ人と私 その37 ヴィクトール・フランクルとユーモア

1946年に出版されたナチス強制収容所での体験記が「夜と霧」(Man’s Search for Meaning)です。著者はヴィクトール・フランクル(Viktor E.Frankl)。アウシュヴィッツ–ビルケナウ(Auschwitz-Birkenau)から奇跡的に生還したユダヤ人の精神科医師です。
この著書の題名は、「Trotzdem Ja zum Leben sagen: Ein Psychologe erlebt das Konzentrationslager」。日本語訳すると『それでも人生に然りと言う: 一人の心理学者、強制収容所を体験する』となります。1956年にみすず書房から霜山徳爾氏によって翻訳されます。本邦で出版された題名は原題とは異なります。「夜と霧」という題名はナチスが出していた特別命令に由来します。夜陰に乗じ霧に紛れて秘密裏に実行され、ユダヤ人が神隠しのように消えて行く歴史的事実を表現する言い回しだ、といわれています。この著作にもユーモアが登場します。

フランクルの思想の基底は実は、収容所体験以前に培われています。それは高校時代に既にフロイト(Sigmund Freud)への手紙に論文を添付して読んで欲しいと依頼したというエピソードがあります。その原稿は2年後に国際精神分析学会誌に掲載されたというのです。それだけでもフランクの碩学さがうかがえるというものです。

フランクルはウィーン大学(Universität Wien)でアドラー(Alfred Adler)、初期現象学派の一人シェーラー(Max Scheler)、ブレンターノ(Franz Brentano)らの思想に触れていたことです。こうした著名な人々との交流の影響を受け、やがてフランクルは独自の理論を構築していきます。24歳のとき抑うつ症状のある若者のために「青少年相談所」を開設し学生や失業者の相談に応じます。

ウィーン大学病院での臨床体験を経て32歳のとき、ウィーン市内に精神科のクリニックを開業します。1941年にナチスから出頭命令がきますが、一年間の執行猶予がでます。そしてユダヤ人病院の精神科に勤務します。その間、それまで積み上げてきた事例とそれを基にして新しい理論をまとめます。それが後年に出版した「死と愛」という本です。これがデビュー作品といわれます。

ユダヤ人と私 その36 口をふさぐことを知らない人間

ユダヤ人は議論やディベートが好きな民族といわれます。一を語るのに十を言う癖があるといわれます。そのために饒舌を戒める諺が多いようです。討論は一種の芸術であるという人もいますが、饒舌には辟易するものです。

・人はしゃべることは生まれてすぐ覚えるが、黙することはなかなか覚えられない。

沈黙も言葉なのです。この言葉を学ぶと多くの語彙を増やすことができるといわれます。耳を傾けることによって学ぶことが多いということです。黙することは、喋ることよりも苦しいことです。黙することを教えられてこなかったからでしょう。

・口をふさぐことを知らない人間は戸が閉まらない家と変わらない。

口についての警句がユダヤ人の格言に多いのが目だちます。関連して思うのは、都議選中の防衛大臣の「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」という放言です。公人意識が完全に不足しています。さらに選挙結果の後、安倍首相は次のように語っていました。

「今後、国政に関しては一時の停滞も許されない。内外に課題は山積している。反省すべき点はしっかりと反省しながら、謙虚に丁寧にしかし、やるべきことはしっかりと前に進めていかなければならない。」

このような殊勝な言葉を並べ、批判をかわそうとする姿勢は情けないことです。反省はいつも口先だけってことを多くの国民は嫌というほど知っています。なぜ敗北したのか、その分析を国民は知りたいのです。心から反省しないから、国政の課題に転嫁するのです。「戸が閉まらない家」というのは、心に隙があり、必ず誰かにかき回されるということです。

黙すること、口をふさぐことは、自分の立場をわきまえる人です。

ユダヤ人と私 その35 ユダヤ人の笑いと知恵の世界

具体的な小咄のことがジョーク(joke)、自虐的で単純な言葉遊びが駄洒落(pun)、人を和ませるような可笑味のことがユーモア(humour)といわれます。こうした笑いを誘う言葉の定義が本題ではありません。ユダヤ人の中で知られている笑いのフレーズから、人間の本質のようなことを考えてみたいのです。

日本語に「諧謔 」があります。ブリタニカ国際大百科事典で調べてみますと、「おもしろさと共感とが混り合った状況を描写すること」とあります。これはユーモアといってよいのだろうと思われます。ユダヤ人が創作したフレーズにもユーモアと才気とか精神といわれるエスプリ(esprit)がたっぷり込められています。

・理想のない教育は、未来のない現在と変わらない。

神が人間をつくり、人間の手に世界を委ねられたときに世界をより良いものにする責任を課せられたと教えられます。ユダヤ教では教えを守るだけでなく、つくりださねばならないといも教えられています。正義が行われる世界をつくるということです。

・エルサレムが滅びたのは教育が悪かったからである。

西暦70年、ローマ軍により市街のほか聖地であるエルサレム神殿も破壊されます。敗退とか滅びとは通常軍事力を指します。このユダヤ人の教えは、力ではなく民の力が不十分であったという反省が込められています。滅びは道徳や倫理の退廃、生活の奢侈や乱れなどもあったようです。すべて民の教育が体を成していなかったという教訓です。

・口よりも耳を高い地位につけよ。

人間は口によって滅びることはありますが、耳によって滅びた者はいません。昨今の国会議員の言動もすべて口による災いと報いです。口は自分を主張します。耳は人々の主張を聞きます。動物に耳や目が二つあり、口は一つであることは敵の攻撃に備え、狩りの時に大事なものはなにかを示唆しています。

ユダヤ人と私  その34 ユダヤ人と笑い

「ヘブル(Hebrew)」の語源を調べると、「ユーラテス川(River Euphrates)の向こうからきた人々」、「一方の側に立つ人」とあります。もともと難民のような者でした。こうした国籍を持たない民族は国家の保護が求められなかったはずです。居住地を求め仕事を得ることは困難を極め、自らの才覚によって生きる術を探さなければなりません。「Hebrew」といわれた人々は、こうして知識と知恵を必要とし学ぶことを尊ぶ民族であることも暗示しています。いろいろな経験をし、いろいろな見方を編みだし生きてきた人々であったはずです。

知識と知恵の源はなんといってもこれはタルムード(Talmud)といえます。タルムードには宗教や法律、哲学や道徳など人生と生活のあらゆる事柄について書かれている、いわばユダヤの知恵の宝庫といわれます。全部で二十巻におよび、12,000ページに及びます。タルムードはラビたちの教えがつまっていて、様々な議論や解説も書かれているといわれます。ラビには権威があるのです。同時に、実は書かれている言葉よりも、その書かれているものをどう考えるかということで、けんけんがくがくと議論することこそがユダヤ人の優秀さの下地になっているともいわれます。

中でもユダヤ人で特徴的な事の一つが、笑い、ユーモア(humour)好きでジョーク好きであることです。明治大学の鈴木健氏によるとユーモアには3つの理論ともいえるものがあります。第一が「優越理論」で余裕を見せる笑いといわれます。他人を笑うのはもちろん、自分自身も笑うという余裕すらあるといわれます。他人を笑うのは易しことです。自分を笑うことによって向上しようとする気概も感じさせてくれるのですから不思議です。社会や制度、政治を笑いによって矯正する働きもあります。

第二は「解消理論」です。これには心的な緊張緩和を促す笑いがあります。ユーモアによって対話を盛り上げたり、その場の緊張と解くことができます。綾小路きみまろの毒舌漫談がそうです。中高年世代の悲哀をユーモラスに語ります。「笑う門には福来る」もそうです。

第三が「不調和理論」は驚きを生みだす笑いとえます。97歳の年寄りと医師との会話です。
医師 「長生きの秘訣はなんですか?」 
 年寄り「死なないことだな。」

 医師 「長生きの秘訣はなんですか?」 
 年寄り「タバコを吸わないこと。」
 医師 「いつタバコを止めたのですか?」
 年寄り「去年だったかな、、」

医師が期待する答えが裏切られ、驚きに中にユーモアを感じるのです。惚けた話で可笑味が伝わります。

ユダヤ人と私  その33 ユダヤ人への誤解と偏見

ユダヤ人が他の民族にはみられない迫害を受けてきたことは既に述べました。そのような過酷な状況に耐えて、なおユダヤ人であることの矜持を保ってきたことは興味ある話題です。

生命の危機や財産の没収、改宗の強制、そして追放などに耐えるためには大きな知恵を必要としたようです。別な見方をするならば、こうした試練に耐えられたユダヤ人が生き残り陶冶されたわけです。まさに知的に優れた者が生き残ったともいえそうです。ユダヤ教が崇高にして絶対であるという信念が、ユダヤ人としての揺るぎない誇りと文化を継承してきたといえます。

しかし、ユダヤ人の独自性、例えば安息日を忠実に守る、安息日には乗りものを使わない、火を使わない、料理も作らない、食事の戒律を守るなど厳しい掟は他の民族からすれば奇異に映ることもあります。ユダヤ人のこうした生き様は、ユダヤ人が世界の他の民族とは異なるものであり、ユダヤの世界対他の世界というように考えていることから生まれまています。ですがこうした考え方は、多民族と対立したり排斥したりするということではありません。

厳しい戒律を実践するユダヤ人は狂信的な集団であるという偏見が長く続きました。これは明らかな間違いです。ユダヤ人は適度を尊ぶ民族だからです。禁欲、清廉、隠遁といった習慣はありません。ラビもまた妻帯することができます。独身は人間を創造し性を与えた神に背く行為であると考えるのです。金銭も同様です。お金が貯まるときは、慈善(charity)を施すことを強調します。

ユダヤ社会には「ツェダカ」(Tzedakah) 」と呼ばれる貧しいものに手を差し伸べる教えがあります。
寄付の習慣があります。収入の10%と定められています。キリスト教会が奨励している「十分の一献金」はユダヤ教から由来します。寄附するときの順序は、遠くの人より近くの人、近くの人よりも肉親、親族、遠くの肉親よりも同居の肉親という順序で寄付をするべきであるとされています。ヘブル語で「Tzedakah」は正義とか平等、公正という意味です。ツェダカは興味ある思想です。

ユダヤ人と私  その32 ユダヤ教とハヌカとマガベウスと感謝祭

どの国にも収穫を感謝し、お祝いをする習慣があります。我が国でも古くから五穀の収穫を祝う風習があります。「新嘗祭」といって宮中祭祀の一つで今も続いています。その年の収穫物はそれからの一年を養う大切な蓄えとなります。勤労感謝の祝日はその年の五穀豊穣と来るべき年の豊作を祈願する日でもあります。

ユダヤ人には、ハヌカ(Hanukah)という祝いの儀式があります。「奉献の祭り」とか「宮清めの祭り」と呼ばれています。この儀式と祭りには次のような背景があります。紀元前165年、ユダ・マガベウス(Judas Maccabeus)という指導者に率いられたユダヤ人がマカバイ戦争(Maccabean Revolt)を指導し、エルサレムの神殿からシリアの支配下にあった異教の祭壇を撤去し神殿を清めて再びヤハウェ神(Yahweh)に神殿の奉納を行ったとされています。神殿の燭台(menorah)に汚されていない油壺が一つだけ見つかったそうです。それを灯して奉納を祝ったことから、ハヌカは別名「光の祭り」といわれています。今年のハヌカは11月27日の日没から12月5日の日没までの8日間です。

ハヌカが広く知られるようになったのには、ヘンデル(George F. Handel)が作曲した聖譚曲、オラトリオ(Oratorio)に「Judas Macabeo」があります。この曲に「見よ、征服の勇者は帰る(See, the Conquring Hero Comes!) 」という管弦楽付きの合唱曲があります。スポーツ大会の表彰式でしばしば演奏されるものです。勇者とはマガベウスのことです。このように宗教的な歴史を取り上げた中世の典礼劇がオラトリオで、バロック(Baroque)音楽を代表する楽曲形式の一つといわれます。

話題をより一般的な祝いに戻しますと感謝祭(Thanksgiving)に触れなければなりません。アメリカこの祭りが始まったのは清教徒たちがプリマス(Plymouth)の地で1621年に始めたともいわれます。この地で干ばつが続きようやく雨が降った1623年が本格的な感謝祭の始まりだという説もあります。同時に、感謝祭ではマサチューセッツ(Massachusetts)のプリマスにあるPlymouth Rockという記念碑の前では、ネイティブ・アメリカンであるワンパンゴ部族(Wampanoag)による感謝祭に対する反対の集会もひらかれます。この日を追悼日(National Day of Mourning)として民族の差別を覚える日としている。アメリカ・インディアン民族遺産日(American Indian Heritage Day)とする人々もいます。

ユダヤ人と私 その31 ユダヤ教の主な儀礼  過越しの祭

奴隷状態にあったユダヤ民族のエジプト脱出を記念するのが「過越しの祭(Passover)」です。旧約聖書の出エジプト記(Book of Exodus)12章に記述されています。それによりますと、エジプトに避難していたイスラエル人は奴隷として虐げられていました。神は、指導者モーセ(Moses)に対して民を約束の地カナン(Cannan)へと導くようにいいます。エジプト君主のファラオ(Pharaoh)がこれを妨害しようとします。そこで神は、エジプトに対して災いを臨ませます。

その災いとは、人間から家畜に至るまで、エジプトの「すべての初子を撃つ」というものでありました。神は、門口に仔羊の血が塗らねていない家にその災いを臨ませることをモーセに伝えます。このように、仔羊の血が門口にあったユダヤ人の家だけは悪霊が過越したという故事にちなむのです。 悪霊が通り過ぎるのを願ったのです。

聖書の命令に従って、ユダヤ教では今日でも過越祭を守り行っています。 このユダヤ暦によれば春分の日の後の最初の満月の日からの一週間はペサハ (Pesach)と呼ばれるユダヤ教の祭りのひとつです。過越しの祭では、マッツァ(Matzah)と呼ばれる酵母なしのパンを食します。酵母を混ぜて膨らむのを待つだけの時間の余裕がなかったのでパンをそのまま食べたといわれます。3月末から4月はじめの1週間、ユダヤの人びとは、エジプトを脱出した時の記憶を忘れないように酵母でふくらませたパンを食べないのです。過越祭のことを除酵祭とも呼ばれています。

ユダヤ人と私  その30 ユダヤ教の主な儀礼 安息日と割礼

ユダヤ人にとって最も大事な儀式は、シャバト(Shabato)と呼ばれる安息日をまもることです。正確には金曜日の日没から安息日が始まります。土曜日はいかなる労働も行わないことを求められます。「安息日を覚えてこれを聖なる日とせよ」という教えです。このフレーズは旧約聖書の出エジプト記(Book of Exodus)20章8節にあります。3世紀頃から安息日を花嫁と呼ぶ習慣もあります。金曜日は日が落ちる頃、ラビは戸外に出て安息日の正装をし「花嫁よ、来たれ」と言ったそうです。なお、「Shabato」は 英語では「Sabbath」で安息という意味です。

シャバトのいわれは創世記(Genesis)にあり、神が6日かけて世界を作った後、7日目に休んだことに由来します。これが現在世界中で使われるカレンダーが週で区切られ、特定の日を休みとする習慣が広がったいわれです。ユダヤ人のコミュニティでは、学校や職場は金曜日は午前中までで、日没後は商店などを閉め公共の交通機関も止まってしまいます。家事をすることもできません。主婦は安息日のため金曜日に週末の食事を用意するので忙しく振る舞うことになります。

もう一つの儀式は、生後8日目の男子に施される割礼(circumcision)です。男性器の包皮を切りとる儀式です。これはヘブル名の命名式も兼ねていて、家族や親戚、友人などを沢山招いた中で盛大に祝います。割礼の記録は、創世記(Book of Genesis)17章9-14節にあり、アブラハム(Abraham)と神の永遠の契約として割礼を行うことが定められています。Wikipediaによりますとキリスト教圏、例えばアメリカでは5割の子供が割礼をするとあります。衛生上の理由などで割礼が行われているようですが、さほど一般的ではないようです。

ユダヤ人と私  その29 ユダヤ教の主な儀礼 バア・ミツヴァ

ユダヤ教にはいくつかの教派があります。ユダヤ教保守派(Conservative Judaism)‎、ユダヤ教正統派‎(Orthodox Judaism)、ユダヤ教改革派(Reform Judaism‎)などです。ユダヤ人とはユダヤ教を信じる人々です。ですから日本人もロシア人もアメリカ人もユダヤ教で信仰告白をすればユダヤ人となります。ユダヤ人とは多民族、他文化、多言語の人々の集まりです。こうした教派に共通な人生の節目に行う主な儀礼について述べることにします。私が私淑し尊敬する外科医師、Dr. Robert Jacobs氏から伺ったことがある儀式です。

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 実は、かつてJacobs氏からご子息の成人の祝いの案内を頂戴したことがあります。ユダヤ教徒には、男子が13歳、女子が12歳になるとそれぞれバア・ミツヴァ(Bar Mitzvah)、バト・ミツヴァ(Bat Mitzvah)という儀式があります。ヘブル語でBarは息子、Batは娘という意味です。男女ともこの儀式によって、ユダヤ法に従う宗教的で社会的な責任があるとみなされます。ちなみにプロテスタントのキリスト教会では堅信礼(confirmation)とか成人祝福式といわれます。日本における元服にあたります。

男子はこの年齢になるまでに、ヘデル(cheyder)という寺子屋のような学校でヘブル語(Hebrew)やモーセ五書といわれるトーラー(Torah)、さらにユダヤ教徒の生活や信仰の基となるタルムード(Talmud)を勉強します。こうしてバア・ミツヴァ儀式で祈祷の朗誦ができるようになるのです。

この儀式を経るとユダヤ社会では大人として認められ、それまで免除されていた断食を初めとするすべての戒律の順守、倫理観に基づいた生活習慣の実践、責任ある行動などが要求されます。コミュニティの一員として儀式や礼拝への参加も正式に認められます。

ユダヤ人と私 その28 ユダヤ教とメンデルスゾーン

前回、ユダヤ人哲学者のモーゼス・メンデルスゾーン(Moses Mendelssohn)に触れました。長い間、ユダヤ人はドイツに背を向け思想的に閉ざしていたとわれます。メンデルスゾーンはユダヤ人にドイツの文化を理解し交流を深めることを推奨し、それと同時にドイツ人に対してユダヤ人の文化も理解してもらおうと努力した人です。ドイツの社会を受け入れ、それにユダヤ人も同化していこうという姿勢でありました。

メンデルスゾーンは、ユダヤ人の思想的な解放の先頭に立ち、ユダヤ人啓蒙のためにドイツ語教育学校を興し、同時にユダヤの伝統文化や遺産の継承を重視します。さらにユダヤ教内部における近代ヨーロッパ文化の影響とそれに対する啓蒙主義運動であるハスカーラー(Haskalah)を提唱します。キリスト教社会に広く流布していたユダヤ教への偏見やユダヤ人への理由なき誹謗や中傷など反ユダヤ主義(Antisemitism)の修正を求めることにも腐心します。ユダヤ教徒にも人間の権利として市民権が与えられるべきことを訴えるとともに、自由思想や科学的知識を普及させたといわれます。

ドイツもスペインもユダヤ人に改宗を迫った歴史があります。 こうして反ユダヤ主義も高まり、社会の抱えている問題をすべてユダヤ人に押し付けてしまう風潮も起こります。その例が、ユダヤは世界を征服しようとしているといったユダヤ陰謀説(Jewish plot)という荒唐無稽な風潮です。

他方でメンデルスゾーンらの同化思想は根本的な問題を生み出します。同化を推し進めることによってユダヤ人のアイデンティティとはなにかという問いが盛んになったのです。ユダヤ教という中核的な教えがあり、そうした要因にがユダヤ人の心の拠りどころとなっています。それがやがて伝統的なユダヤ教や宗教シオニズム運動(Zionism)を促進することになります。

モーゼの律法はユダヤ人たちのアイデンティティを維持する強固な役割を果たしてきました。同時に世俗に照らしてそれは遵守されるべき法ではありますが、徐々に人間の内的精神が自発的に従うべき道徳的基準に過ぎなくもなりました。つまり人間としての権利を獲得し義務を遂行できるためには、「国家と宗教」という市民的秩序、「世俗のことと教会のこと」という社会説という支柱を相互に対置させ均衡がとれるようにすることをメンデルスゾーンは叫ぶのです。

もう1人のユダヤ人哲学者にハーマン・コーエン(Hermann Cohen)がいます。メンデルスゾーンと同様に同化思想を唱道します。パレスチナにユダヤ人国家を建設しようというユダヤ民族運動にも反対します。ユダヤ主義とは本質的に歴史発展または伝統とは無関係であり、霊的で道徳的な使命を帯びているのであって、民族国家の建設を超越した思想であると主張します。偏狭になりがちな民族運動にくぎを刺したのがコーエンです。

ユダヤ人と私 その27 ユダヤの哲学について

ユダヤ人は古代ギリシャ人のような厳密な意味での哲学の概念を持っていたのか、というのが本文のテーマです。相当難しい課題です。

ギリシャ哲学は、百科事典などによりますと非常に大雑把にいって自然や宇宙、万有がいかにして生じ、なにを原理として成り立っているか、人間の道徳と実践という知に対する尊厳を追求します。古代ギリシャの哲学者は人間にとって「徳」とはなんであるかよりも、魂や精神の卓越性を知として追求してきたようです。ロゴス(logos)が世界原理であるとした哲学者はヘラクレイトス(Herakleitos)といわれます。ロゴスとは概念、理論、論理、理由、思想などの意味です。

本題のユダヤ人の哲学観についてです。旧約聖書には、神、人間、自然などについての哲学的関心を示す多くの思想が見いだされます。その目的は諸概念を知的対象として究明するのではなく、むしろそこに啓示されたモーゼの律法を絶対的なものとして受けとめ、それをいかにして具体化するか、という信仰的な実践の問題であったようです。ユダヤ人が哲学に対する関心を示したのは、異質な外来思想と接触し、彼らの伝統的な教えとの矛盾を感じ、それらについて懐疑し始めたからだといわれます。この外来思想とはギリシャ思想であり、近代の啓蒙哲学です。

ギリシャ思想とユダヤ思想との調和という課題をとりあげた最初のユダヤ人哲学者にフィロン(Philon Alexandrinus)がいます。フィロンは紀元前30年頃活躍したようです。豊かなギリシア哲学の知識をユダヤ教思想の解釈に初めて援用したことで知られています。フィロンはロゴスに新しい観念を与えます。それは、この世に実在するのは、可知の世界といわれるイディア(Idea)であり、イディアの創造を行うのは神の精神であるというのです。旧約聖書の神の愛ついては、「我々の心の平和のなかに神を見いだすためには身体や感覚、あるいは語るということからさえ離れて、魂のなかにのみ生きることを学ばねばならない」とします。ロゴスが神の言葉であるという思想は、後にキリスト教において、イエスが天地の創造に先立って存在したというの思想と結びついていきます。

しかし、ユダヤ教の内部でいかにしてモーゼの律法を彼らの現実社会に適用するという課題が論議されます。これをまとめたのがタルムード(Talmud)と呼ばれる口伝です。別名口伝律法といわれ、五世紀頃までに編集されます。しかし、フィロンの思想は伝統的なユダヤ教の人々からは受け入れられませんでした。

近世になり、ユダヤ人はヨーロッパのキリスト教国に居住し、その国々の文化に同化するようになります。ユダヤ思想もまた、近代の啓蒙哲学の影響を受け新たな局面を迎えます。ユダヤ教の特徴を抑えて普遍的な理性原理の上で確立することが提唱されていきます。その代表的なユダヤ人哲学者がモーゼス・メンデルスゾーン(Moses Mendelssohn)とハーマン・コーエン(Hermann Cohen)です。

ユダヤ人と私  その26 アメリカの大学とユダヤ系

アメリカの大学の発展、とくに超一流大学といわれる大学経営の充実にはユダヤ系の資産家が深く関わっています。多くの総合大学にはヒレル・インターナショナル(Hillel International)という団体があります。ユダヤ系の学生や留学生を支援しています。 Hillel とは1世紀頃のパレスチナにおけるユダヤ議会(The Jewish Sanhedrin)の議長であり霊的指導者の名前です。

Hillel Internationalが設立されたのは1923年で、イリノイ大学アーバナ・シャンペン校(University of Illinois, Urbana-Champaign)です。創立したのはバーナイ・ブリス(Bnai Brith)という資産家です。翌年、ウィスコンシン大学のノーマン・ナサク(Norman De Nosaquo)という学生がHillel Internationalに手紙を書き、それがきっかけでUW-Madison内にヒレルの組織ができます。

1937年にリー・レビンジ(Lee Levinge)というユダヤ人の研究者が「The Jewish Student in America」という論文を書き、その中で1,400の大学でユダヤ人が学んでいることを報告しています。1939年になるとHillel Internationalは全米の12大学で財団を組織し、その他18大学に支部組織をつくります。その後、オハイオ州立大学(Ohio State University)、ジョージ・ワシントン大学(George Washington University) などにその組織が広がっていきます。

今や、ほとんどの大学でユダヤ系アメリカ人が学んでいます。一流大学の1/4がユダヤ人で、1/5がアジア系の学生が占めるといわれています。こうした学生は学費の全額を払うので、私立大学では大いに歓迎されています。学費の納入が困難な学生を救うために、州立大学ではアファーマティブ・アクション(Affirmative action)があって黒人やヒスパニックの学生を優先的に受け入れる枠を設けています。

大学教官の採用でもアファーマティブ・アクションが働いています。適度な資質又は研究成果があったとしても、マイノリティ及び女性の組織内での昇進を妨げる見えないが打ち破れない障壁があるといわれてきました。特に女性のキャリアを阻む障壁のメタファー(metaphor)が「ガラスの天井(glass ceiling)」といわれるものです。「ガラスの天井」は男女を問わずマイノリティの地位向上を阻む壁としても用いられるようになりました。ただ大学の研究と教育の質を維持するために、アファーマティブ・アクションに対して疑問視する人々が大勢いるのも事実です。

一流大学の学長や理事にはユダヤ人が多くいます。特に第二次大戦後はそうです。この現象は、ロックフェラー(Rockefeller)、JPモルガン(J.P. Morgan)、ハリマン(Brown Brothers Harriman)、メロン(Andrew Carnegie)、ロスチャイルド(Rothschild)といった資産家がこぞって大学に多額の寄附ををすることに現れます。大学は財団をつくり、大学経営の財源とするのです。このように大学経営には資産家からの寄附が欠かせません。そのために理事会(Board of Regents)は資産家や銀行家などで組織し、学長(president)選びなどで巨大な権限を有するようになりました。現職の教職員は理事にはなれません。アメリカの大学で一番偉いのは学長ではなく理事会なのです。これがアメリカの大学のガバナンスです。

ユダヤ人と私  その25 アメリカのインターネットと金融界とユダヤ系人

ンターネット関連の業界をみると、オラクル(Oracle)の創始者ラリー・エリソン(Larry Ellison) 、フィイスブック(Facebook)の創始者マーク・サッカーバーガー(Mark Zuckerberg)、デル(Dell)のマイケル・デル(Michael Dell)、グーグル(Google)のラリー・ペイジ(Larry Page)など蒼々たる人材がユダヤ系です。恐らくこうした起業家は多くの投資をユダヤ人から受けたのではないでしょうか。例えば投機家であり投資家であるジョージ・ソロス(George Soros)。彼もユダヤ系アメリカ人です。世界最大級の投資銀行であるゴールドマン・サックス(Goldman Sachs)の創始者はマーカス・ゴールドマン(Markas Goldman)。彼もユダヤ系です。

リーマンブラザーズ(Lehman Brothers)の創業者は、ドイツ南部から移住したアシュケナジムユダヤ系移民、ヘンリー(Henry)、エマニュエル(Emmanuel)、マイヤー(Myer)のリーマン兄弟(Lehman Brothers)です。1850年に創立されアメリカで第4位の規模を持つ巨大証券会社でした。2008年9月に破産し、その影響は「リーマンクラッシュ(Lehman Crash)」と呼ばれました。 財閥のロスチャイルド家(Rothschild)もアシュケナジムです。

しかし、ユダヤ系の人々が世界の金融や資本を支配しているというのは言い過ぎです。世界経済のほんの一握りの影響です。なぜかユダヤ人の活躍が話題となりがちですが、それはたまたま彼らの家庭環境や受けてきた教育、所属していたコミュニティの影響が大きいと思われます。金融界どの人物にも共通するのが、超一流の大学で高等教育を受けてきたことです。そして全員上昇志向であるのは頷けます。「成功の半分は忍耐だ」というユダヤ人の格言もあります。

現在のニューヨーク・タイムズ(New York Times)の社主はアーサー・サルツバーガー(Arthur Sulzberger Jr.)でユダヤ系です。この新聞の伝統はリベラルな論調で知られています。多くのユダヤ人はこの新聞を読んでいます。議論好きだからだでしょうか。

ユダヤ人と私  その24 世界経済とユダヤ人

新聞紙上などでアメリカの経済界の人物を見渡しても、ユダヤ系アメリカ人の活躍は抜きんでています。アメリカ中央銀行である連邦準備制度理事会(Federal Reserve System:FRS)の第15代議長はジャネット・イエレン(Janet Yellen)です。史上初の女性議長です。副議長はザンビア出身のスタンレーフィッシアー(Stanley Fischer)。彼は2013年にまでイスラエル中央銀行総裁です。イエレンの前任者のベン・バーナンキ(Ben Bernanke)。さらにバーナンキの前任者は、アラン・グリーンスパン(Alan Greenspan)です。偶然かどうか分かりませんが全員ユダヤ系です。特にグリーンスパンは四代の大統領に仕えた人です。

ユダヤ系の経済学者のことですが、クリントン(William Clinton)政権での財務長官はローレンス・サマーズ(Lawrence Henry Summers)です。かれはハーヴァード大学の学長を歴任した経歴があります。女性は統計的にみて数学と科学の最高レベルでの研究に適していないといった発言などによって学長を辞任し、さらに連邦準備制度理事会(Federal Reserve Board: FRB)議長候補として有力視されましたが辞退します。FRBは七名の理事で構成されますが、一時は五名までがユダヤ系の人であったことがあります。ドナルド・コーン(Donald Kohn)もイエレンとともにFRBの理事でした。

世界銀行 (World Bank: WB)と国際通貨基金(International Monetary Fund: IMF)があります。いずれもワシントンDCに本部があり、共に国際金融秩序の根幹を占めています。二つともアメリカが実質的な拒否権を持っています。世界銀行の出資額の 16%、IMFの出資額の18%がアメリカであるからです。第10代世界銀行総裁だったのがポール・ウォルフォウィッツ(Paul Wolfowitz)です。彼もユダヤ系アメリカン人です。アメリカが金融の中心であるのは世界銀行と国際通貨基金をいわば抑えており、その出資はユダヤ系の金融資本といわれます。

ユダヤ人と私 その23 タルムードとベーグル

なんともとぼけたようなタイトルですが、ユーモアは人間味と笑いとペーソスに溢れ、知的で機知に富んでいるものです。ユダヤ人は交渉や商談商談の最中にジョークを盛んに活用するといわれます。辛辣なジョークもユーモアとともに相手を丸め込む手段となります。ユダヤ人は話術を磨くことで難局を切り抜け、3000年の歴史を歩んできたのでしょう。

ユダヤ人のユーモアの起源は、紀元前10世紀にイスラエルを統治したソロモン王が記したとされる旧約聖書の「箴言(Book of Proverbs)」といわれます。この書には3,000あまりの格言があるといわれます。ユーモアがもたらす効用を熟知するのはこうした書物に辿ることができます。

以下の名句の中に差別用語がでてきますが、原典からの引用なのでそのまま使っています。

●ベーグルを全部食べてしまったら、穴しか残らない。
とぼけたようなジョークです。ベーグル(bagel)は真ん中に穴のあいた歯ごたえのあるパン。大事なものは残しておくべきということでしょうか。「五円玉使ったら穴しか残らない」。

●アイディアに税金はかからない。
なににでも税金がかかる時代です。合法的な税金逃れが提案されています。寄附をするとか、ふるさと納税とか、医療費控除とか、「知らない人は損をして、知ってる人が得をする」のがアイディアということでしょう。

●10回尋ねるほうが迷うよりまし。
あれこれと迷うと良い考えが浮かびません。周りに助言をもらったり提案してもらうことがよいようです。解決方法を探すには尋ね歩くことです。

●返答しないのも立派な返答である。
これは難しい名句です。あまり喋りすぎると矛盾が生じることがあります。言い訳しないで黙り込む。短く要領よく答えるのが大事なようです。

●バカとは決して商売をするな。
商売相手を見極めよ、という警句です。たとえ儲かっても相手によってはうしろめたさが残ることもあります。

●バカに決して腹を立ててはならない。
バカに旗を立てるのがバカ、ということです。笑ってやりすごすこと、無視することです。

●もっともバカなのは、自分を賢いと思い込んでいるバカだ。
皆、「自分を賢い」と密かに思っています。これが「バカ状態」です。バカにつける薬はない、というフレーズもあります。

●学習を怠る人はすべてに欠ける。
なんともいえないいい響きの言葉です。努力とか精進とかを欠かしては成長がないということです。歩きながら、自転車に乗りながらスマホを操作する人は学習を怠っている証左です。

●無知な人には老年は冬だが、学習を重ねた人にはそれは収穫期だ。
励ましになるような、同情をかうような言葉にも響きます。無駄に時をつかい、歳をとってはならないことです。老年は意味ある時代です。

●学べば行動したくなる。
学ぶことは好奇心があるからです。学んで実行したくなるのは、真の学びといえるのではないでしょうか。行動するとまた学びに返ってくるものです。

●口数を少なくして行動せよ。
冗長で話をくどくどとする人は周りから嫌われます。誰も耳を傾けないのです。行動したり実践することが雄弁に語るのです。

●時間ができたら勉強をする、と言っていたのでは、いつまでたっても時間はできない。
勉強する人は時間を惜しんでも勉強します。時間を作る人のことです。暇になったらなにかをしようではなく、今の時を将来のために有益に使うことを示唆しています。

素のベーグルはたまらないですね。暖めてクリームチーズを塗るのが定番の食べ方。厚くハムをはさむのもええです。

ユダヤ人と私 その22 タルムードからの名句

トケイヤー師は、「タルムード(Talmud)」からいろいろな名句や言葉を紹介しています。タルムードユダヤ教徒の生活や信仰の基となっている聖典です。いくつかの本からその一部を紹介することにします。「本日、「いいかげん」日和:そのまんま楽しく生きる一日一話」、「ユダヤ人5000年のユーモア―知的センスと創造力を高める笑いのエッセンス」は笑えて考えさせられます。また烏賀陽正弘著の「ユダヤ人ならこう考える」からも引用します。

一人の古い親友は、新しくできた10人の友人よりも大事だ。
友達の大切さを強調しているのですが、とりわけ親友はなににもまして代え難い存在であることです。友人をつくり親友を探すことを勧める名句です。

豚は食べ過ぎる。苦しんでいる人間は話し過ぎる。
食べ過ぎるとブヨブヨに太り病気になりがちです。話が冗長になるのは苦しんでいるか、困っているために、言葉を探そうとするからなおさら話が長くなるのです。国会の答弁のようです。

ロバは長い耳によって見分けられ、愚か者は長い舌によって見分けられる。
饒舌で長い演説をするもの、国会で長々と答弁する大臣がいます。「そもそも」とか「いずれにせよ」など余計なフレーズで言い訳や説明をすることへの警鐘の言葉です。

貧しい者は僅かな敵しかいないが、金持ちは僅かな友しかいない。
金持ちは孤独になりがちで、貧しい者のほうが生きていくうえで幸いであるということです。何が大事かと言えばそれは友ということでしょう。

人から秘密を聞き出す事は易しいが、その秘密を守る事は難しい。
森友学園や加計学園をめぐる土地の売却や認可の過程にある秘密のことをこの名句は指摘しているかのようです。名句の真骨頂といえるでしょう。公文書管理の難しさを指摘しています。

三つのものは隠す事が出来ない。恋、咳、貧しさ。
恋は誰かに感づかれ、咳は隠しようもなく、貧しさは周りの者から見破られます。自然に振る舞うのがよいようです。隠せば隠すほどぼろがでます。学校設立認可を巡る官庁間の鬩ぎ合いもそうです。

侮辱から逃げろ。しかし名誉を追うな。
周りから蔑まれても落ち込むことなく静かに勇気をもって退く。だが名誉は追っかければ追っかけるほど逃げていく。それは名誉を求めるのは愚かな行為であるというのです。

ユダヤの名句やジョークは知的なものが目だちます。長く苦しい歴史が生んだ智恵といえるでしょう。馬鹿馬鹿しいギャグやコントの比ではありません。

ユダヤ人と私 その21 タルムードの教えから

一般には、旧約聖書を分かり易く解説したものが「タルムード(Talmud)」だと言われています。このことに関してラビであるマーヴィン・トケイヤー師(Marvin Tokayer)は「タルムード的」という言葉を頻繁に使い、しきりに賞賛しています。ユダヤ教の霊的な指導者ですから当然のことといえます。トケイヤー師は在日米空軍の従軍牧師(chaplain)として日本に滞在し、退役後は日本ユダヤ教団に勤務し1976年まで日本に滞在しています。その間日本語で20冊の本を著しています。

「タルムード」は素晴らしい書物といわれていますが、全巻を日本語に翻訳されて出版されていません。書店が日本語に翻訳する許可を求めても、発行元はそれを許可しないといわれています。 どうしてかといいますと、ユダヤ以外の民族、いゆる異邦人にとって不快感を抱くに十分な内容もそこに書かれているからだといわれていますが、真偽は定かではありません。

「タルムード」は「口伝律法」と呼ばれています。文字通り古代から言い伝えられてきた教えです。口伝律法が必要だったのは、現実の状況に適合する規定をつくるために成分律法と直接関係のない広範囲な権威を認めなければならなかったからです。

平凡社の「世界大百科事典」によりますと「タルムード」は三つの内容となっています。第一はミドラッシュ(Midrash)です。これはモーセ五書であるトーラ(Torah)本文分の講解や解釈です。第二はハラハ(Halakhah)と呼ばれ古から受け入れられてきた慣習や権威ある律法学者の判定や裁定のことです。Halakhahの原意は「歩き方」といわれています。第三はハガダ(Haggadah)です。これは説話や民話、伝説など基づく教えのことです。

旧約聖書に書かれていない物語や様々な逸話は、ユダヤ教のあり方、思想、歴史、生活、人物などに及びます。こうした逸話の概念用語は「アガダ(Aggadah)」と呼ばれ、その意味は「語り」といわれます。口伝律法はユダヤ教の口伝えの伝統を示すといえます。

ユダヤ人と私 その21 「学びの宗教」

このシリーズの[その1]でミルウォーキーの近くに住む医師で熱心なユダヤ教徒であるDr. Robert Jacobs一家のことに触れました。国際ロータリークラブの会員で地域貢献活動にも極めて活発な方です。Jacobs氏はユダヤ系といってもアシュケナジム(Ashkenazim)です。ドイツ系ユダヤ人のことです。国際ローターリークラブ奨学生であった私のスポンサーでもありました。

アシュケナジムのユダヤ人は子供の教育を大事にしています。週2回、子供達をシナゴーグ(Synagogue)での教典の勉強会に通わせています。神と人間との関係を定めた「トーラ」(Tola)」、慣習や倫理、専門知識など、より具体的に人間同士の関わりについて定めた「タルムード」(Talmud)を学ばせ、大人への仲間入りを準備させるためです。Jacobs氏は子供にヘブライ語も学ばせていました。近くにユダヤ人学校がないために公立学校で勉強させ、下校後シナゴーグで勉強させていたといいます。

ユダヤ教は、経典を学習する「学び」の宗教であると主張する学者がいます。この学者によればタルムードの解釈をめぐっては、先人たちの考えを決して鵜呑みにしないのだそうです。今の時代に合わせて教えが妥当するのかを検証します。そして様々な新しい視点を取り入れて議論しながら、幅広い知識を身につけるのユダヤ人の学習スタイルだといわれます。

特にアシュケナジムのユダヤ人には、教育は投資であるという徹底した考え方があります。彼らの多くは公教育のレベルが非常に高い地域や名門私立校のある街を選んで暮らします。たとえその街の固定資産税が高くても、自分の子供にとってベストな環境を選ぶといわれます。子供達に高い望を期待するのがユダヤ人です。学力のみならず、道徳的な基盤となる人格形成もユダヤ人の教育機関が担っています。

ユダヤ人が集まった街があちらこちにあります。その代表的がイリノイ州(Illinois)のスコーキー(Skokie)です。1960年代には40%の人口がユダヤ系だったそうです。2009年には、イリノイ・ホロコスト博物館兼教育センター(Illinois Holocaust Museum and Education Center)がスコーキーに造られます。いうまでもなくユダヤ人の浄財によるものです。

ユダヤ人と私 その20 セファルディムとミズラヒム

第一次大戦前のオスマン帝国(Osman Empire)時代のパレスチナにおけるユダヤ教徒の状況は、イスラエルの建国後とは全く異なっていたようです。セファルディムがパレスチナ(Palestina)での実権を握っていたのです。というのはスペインがレコンキスタ(Reconquista)という国土回復運動を完了したとして、1492年のユダヤ人追放令によって、多くのユダヤ人、セファルディムがイベリア半島からオスマン帝国領に避難してきます。オスマン帝国は、ミレット制(millet)といわれる保護と支配を兼ねる特殊な宗教自治体を設け、各宗教や宗派の宗教的な自治を認めてきました。ユダヤ教徒ではその自治を担ってきたのがセファルディム系でした。彼らはオスマン帝国によって庇護されてきたのです。

Petty Officer 2nd Class Bridget Shanahan, a corpsman with Shock Trauma Platoon, 2nd Combat Logistics Battalion, and Lance Cpl. Michael Johnson, a wireman with Communications Platoon, Headquarters and Service Company, 2nd Battalion, 25th Marine Regiment, Regimental Combat Team 5, hand out stuffed animals to a second grade student at Houran Primary School in Rutbah, Iraq, Dec. 2. Not only was this the first time most of the children at Houran had ever interacted with Coalition forces, but it was an education in the integral role that females serve in the U.S. military.

しかし、第一次大戦後はイギリスによるパレスチナの委任統治が始まると情勢は一変します。19世紀末からユダヤ国家建設運動であるシオニズムが台頭するにつれて、国家建設を主導しパレスチナへの移民し入植していきます。その中心がアシュケナジムです。そのため建国後政治や社会、経済や文化といったあらゆる面でセファルディムに代わって権力や影響力を握ることになります。

ナチスの露骨な反ユダヤ主義的な政策のために、パレスチナへの移民の中心となったユダヤ人はドイツやポーランドなど中央ヨーロッパの出身者です。こうした移民の特徴は、資産家というカテゴリに属する人々です。イギリスによる委任統治政策は1,000パレスチナ・ポンド以上の資産を有するユダヤ人に限り、無制限にパレスチナへの入国を許可します。ドイツ系ユダヤ人はパレスチナに膨大な資本と技術をもたらし、経済の再生産を促すことになります。こうしたユダヤ人はアシュケナジムです。ドイツ系ユダヤ人を受け入れることで、パレスチナは経済的に自律的な社会の成長をとげていきます。

もう一派のユダヤ系の人々のことです。1948年のイスラエルの建国後、アシュケナジムに加えてアラブ諸国やイスラム世界からユダヤ人が増加します。こうした人々は伝統的なアラブ世界やイスラム教が多数派の社会のユダヤ人で「ミズラヒム(Mizrachim)」と呼ばれました。「ミズラハ Mizrach」 とはヘブル語で「東」を意味し、文字通り中東やモロッコ(Morocco)から移住してきたユダヤ人です。「ミズラヒム」の人々は、イスラエル建国への反発から生まれたイスラム世界におけるユダヤ人迫害が強くなり、イスラエルに移住を余儀なくされた人々のことです。こうした東方系のユダヤ人は、セファルディムとしてくくられているようです。

以上の考察から、イスラエルという国は、人種のるつぼであり多民族で他文化の国であるということがわかります。

ユダヤ人と私 その19 アシュケナジムとセファルディム

イスラエルの民族や文化の理解のためには、ユダヤ人の内部のエスニックな事情を知っておく必要があります。といいますのは、イスラエル人とは曖昧な総称であり、その解釈は様々で時に誤解が生まれるからです。

ユダヤ人は大きく二つに分類される人種といわれます。その第一がアシュケナジム(Ashkenazim)、第二はセファルディム(Sephardim)です。前者は一般にドイツ系ユダヤ人であり、後者はスペイン系ユダヤ人といわれます。

アシュケナジムは、もともとドイツのライン川(Rhine River)流域や北フランスに定住していたユダヤ人とその子孫です。その後東ヨーロッパやロシアへ移住していきます。ユダヤ系のディアスポラ(diaspora)と呼ばれてもいます。白系ユダヤ人ともいわれます。ドイツ語に似たイディッシュ語(Yiddish)を使っていました。アシュケナジムの語源は、旧約聖書におさめられた創世記(Book of Genesis)10章3節ならびに、ユダヤの歴史書である歴代誌(Books of Chronicles)上1章6節に登場する男性の名前です。

他方、セファルディムは中世にスペイン、ポルトガルが位置するイベリア半島(Iberial Peninsula)に住んでいたユダヤ人の子孫です。ユダヤ系スペイン語である「ラディノ語(Ladino)」を使っていました。セファルディムは有色人種、南欧系及び中東系ユダヤ人を指す語として大雑把に使われています。セファルディムの意味はヘブル語でスペインを意味します。この二つの民族が今日のユダヤ社会の二大勢力となっています。

ユダヤ人は当初は、ヨーロッパとイスラム世界とを結ぶ交易商人だったといわれます。ヨーロッパとイスラム間の直接交易が主流になったこと、ユダヤ人への迫害により長距離の旅が危険になったことから定住商人となり、キリスト教徒が禁止されていた金融業等へと進出していきます。