留学を考える その59 ワシントン州—The Evergreen State

ワシントン州(Washington)は、太平洋西岸北部に位置しています。東隣はアイダホ州(Idaho)、南部はオレゴン州(Oregon)、北はカナダのブリティッシュコロンビア州(British Columbia) となっています。州都はオリンピア(Olympia)。最大の都市はシアトル(Seattle)です。東海岸で合衆国の州都があるWashington, D.C.とは地理的に対極にあります。大きな都市は、 スポケーン(Spokane)、タコマ(Tacoma)などです。兵庫県加東市とオリンピアは姉妹都市となっています。実に不似合いなのです。私は加東市に10年あまり過ごしました。

ワシントン州は豊かな木材資源に恵まれています。モミ(Douglas fir)、松であるponderosaとか白松、トウヒ(spruce)、ヒマラヤ杉(cedar)などを産しています。果物の産地でもあります。リンゴ、梨、ラズベリー、チェリー、ネクタリン、アプリコット、葡萄の他、スペアミントやホップ、アスパラガス、ポテトなども採れます。カリフォルニアと同様にワインの産地でもあります。水産資源も豊かです。鮭やニジマスなどが知られています。

ワシントン州は農業だけでなく、航空機、ミサイル、コンピュータ、造船、通信、金属加工、精密機械、食品加工、食品流通などの産業も盛んです。ボーイング(Boeing)、マイクロソフト(Microsoft)、スターバックス(Starbucks)、コストコ(Costco) 、アマゾン(Amazon)などの本社があります。

戦前、日本から多くの移民が渡ったのがワシントン州です。移民の大半は森林業や水産業の労働者となりました。人種差別も根深く残る頃です。「ヒマラヤ杉に降る雪」(Snow Falling on Cedars)という小説が1995年に作られます。作家はデイヴィッド・グターソン(David Guterson)。1954年の冬、日系アメリカ人漁師カズオは同僚を殺害した第一級殺人容疑で罪に問われます。地元新聞記者は、カズオの容疑を晴らす可能性の高い証拠をつかみます。彼自身は、幼馴染でカズオの妻であるハツエとの過去の恋愛関係に対する感傷を抱いています。さらに日系アメリカ人への厳しい偏見と第二次大戦という強い背景によって、新聞記者は得た証拠をどのように扱うべきかを苦しみます。Snow Falling on Cedarsは1995年のフォークナー(William Faulkner)賞受賞作品です。この小説は1999年に映画化もされます。

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留学を考える その58 ヴァジニア州–“Oh Shenandoah”

ヴァジニア州の大学についての二稿目です。ヴァジニア州にある「シェナンドー国立公園」(Shenandoah National Park)についての思い出です。合衆国の国立や州立公園にはバックカントリーと原生地域のキャンプ場が完備されています。シェナンドー国立公園のキャンプ場は、犬を受け入れています。トレイルを含むほぼ全ての地域に犬を連れてハイキングを楽しむことができます。障害者やお年寄りのアクセシビリティ(accessibility)も完備しているので、車椅子の人も存分にレクリエーションを楽しむことができます。広大な公園全体が原生自然保全地域(National Wilderness Preservation)となっています。

「シェナンドー」という呼び名は私にとって忘れない記憶につながります。北海道大学男声合唱団にいたとき歌った懐かしい曲の一つに「Oh Shenandoah」というアメリカの民謡があります。ほのぼのとした哀愁味がある曲です。独唱でも合唱でもいいのです。この曲の歌詞はいくつかの解釈があります。開拓時代、カナダ人やアメリカ人の毛皮の貿易商がカヌーでミズリー(Missouri)を超えてシェナンドー川にやってきたとあります。彼らはネイティブ・アメリカンの「Shenandoah」という酋長とその娘に出会います。そして是非この娘と再会して結婚したい、という願望を歌ったようです。
この曲の歌詞(Lyrics)をみてみましょう。

Oh Shenandoah,
I long to see you,
Away you rolling river.
Oh Shenandoah,
I long to see you,
Away, I’m bound away
‘Cross the wide Missouri.

Oh Shenandoah,
I love your daughter,
Away, you rolling river.
For her I’d cross,
Your roaming waters,
Away, I’m bound away,
‘Cross the wide Missouri.

シェナンドー川(Shenandoah River)は、ヴァジニア州とウェストヴァジニア州を流れるポトマック川(Potomac River)の支流となっています。

第3代合衆国大統領トマス・ジェファソン(Thomas Jefferson)の出身がヴァジニア州です。Jeffersonの邸宅がモンティチェロ(Monticello)にあります。1979年頃、長男が合衆国の歴史を学んでいたので「モンティチェロに是非いってみたい」というので、D.C.のモール(National Mall)を歩いたあとにこの地を訪ねたことがあります。モンティチェロはかつては奴隷プランテーションでもありました。

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留学を考える その57 ヴァジニア州–Mother of Presidents

ワシントンD.C.からポトマック川(Potomac River)を越えたところに位置するアーリントン郡(Arlington County)、そこからヴァジニア州(Virginia)は南西に広がります。イギリスから最初に独立した13州のうちの一つ。南北戦争では南部連合(Confederacy)に属して合衆国軍(Union)と戦いました。州都はリッチモンド(Richmond)となっています。チェスピーク湾(Chesapeake Bay)は大西洋に面し、あちこちに独立戦争の戦跡が国立公園として保存されています。

ヴァジニア州は正式にはThe Commonwealth of Virginiaと呼ばれます。植民地時代から地域が共通した目標である独立に向けて共に発展する意思を表しています。この州からは、歴代8名の大統領を送り出しています。George Washington, Thomas Jeffersonらです。そのために、「大統領の母なる地」(Mother of Presidents)とも言われるほどです。D.C.の対岸の州内にはアメリカ国防総省(Pentagon)やCIA本部、アーリントン国立墓地(Arlington National Cemetery)もあります。

ウイリアムスバーグ(Williamsburg)は是非訪れたいところです。1690年代には植民地時代の首都でありました。1.5km x 1.5 kmのスペースに、入植当時に建てられた建造物はすっかり復元されて、植民地の面影を感じることができます。

ヴァジニア州フェアファクス郡(Fairfax County)の学校を何度も視察しました。フェアファクスはD.C.の隣で訪問に便利なこともあります。ヴァジニアは「Mother of Presidents」の名にふさわしい風格のある州です。美しい砂浜の海岸線やアパラチア山脈の谷間の街々、植民地時代や南北戦争の歴史で由緒のあるところです。空から見ると街々が森や木で覆われ豊かさを感じさせてくれます。

シェナンドー国立公園(Shenandoah National Park)は森と渓谷、ハイキングやキャンピングで知られています。ヴァジニア州のライセンスプレートはいろいろなデザインがあります。うっそうとした豊かな森や清流の自然や生態系を反映して、デザインには野鳥などを配置しています。次回にシェナンドー国立公園にまつわるエピソードを紹介します。

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留学を考える その56 ヴァモント州—Green Mountain State

ヴァモント(Vermont)州はアメリカ合衆国北東部のニューイングランド(New England)地方の内陸にあります。北はカナダのケベック州(Quebec)に、東はニューハンプシャー州(New Hampshire)、南はマサチューセッツ州(Commonwealth of Massachusetts)、西はニューヨーク州(New York)に隣接しています。州都モントピーリア(Montpelier)は全米で最も小さい州都といわれています。最大の都市はバーリントン(Burlington)なのですが、この町も全州の中での最大の都市を並べてみると最も小さい都市といといわれています。少々可笑し味があります。それだけ小さい州というわけです。バーリントンはカレッジ・タウンと呼ばれるほど大学が集まっています。

ヴァモント州最大の産業は観光です。畜産業も盛んです。観光客の多くはインターステート(IS)で数時間の距離にあるニューヨークやボストンからやってきます。豊かな自然を売りにしてスキー、サイクリング、キャンプ、フィッシングの鱒釣りなどが盛んです。秋はりんご狩りなどに大勢の観光客が訪れます。この州で忘れられないのはメープル・シロップ(Maple syrup)の生産です。全米で最大の生産量を誇っています。サトウカエデの樹液を集めて精製します。シロップの琥珀色は薄いほど高級となります。メープル・シロップは熱いワッフルやパンケーキなどにかけてバターと一緒にいただくと最高ですね。

州の多くは山岳と森林で占められています。気候は内陸性ですから夏は暑く、冬は相当「しばれ」ます。ニューイングランドの紅葉は格別です。州の愛称は「Green Mountain State」でこれがライセンスプレートに書かれています。プレートも緑色でこだわりを感じます。

かって家族と一緒にカナダを旅してからモントピーリアを通りました。小さな議事堂のロタンダ(rotunda)といわれる中央のドーム内は州の博物館となっています。小さなバーモントの歴史は、イギリスからの独立をヴァモントが宣言した1777年以来の州つくりと大自然との共存の歩みといえましょう。

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留学を考える その55 ユタ州–Greatest Snow on Earth

このブログでは、いつの日か機会を見つけて若い人に留学を勧めたいということを主張しています。人生にとってこうした経験は必ずやプラスになることを信じて疑いません。いろいろな人と出会い、文化と接し、異なる角度から物事を考える機会となります。もちろん大学での学びは将来の仕事につながります。

話題は戻ります。ユタ州(Utah)の州都、ソールトレイク・シティ(Salt Lake City)に近づきますと、地上は真っ白。その名の通り塩の大地が広がります。しかし、州の中央部には海抜三千メートルの山脈があり、北海道のような粉雪で深く、世界的に名高いスキーリゾートとなっています。ユタ州の西部は起伏が続いています。ですが大部分が不毛の砂漠となっています。岩だらけの風景の中にひときわ目立つのがモニュメント・バレー(Monument Valley)です。しばしば西部劇の映画などで登場しました。

ユタ州は「末日聖徒イエス・キリスト教会」、俗称モルモン教会(Mormon)の発祥の地といわれます。長老であったブリガム・ヤング(Brigham Young)とその開拓者集団は、1847年7月にイリノイ州から今のソルトレイク・バレー(Salt Valley)に定着して発展していきました。現在でもモルモン教徒が全州人口の約60%を占めているといわれています。敬けんで穏やかなモルモンの人々が育んできた風土の影響で、全米でも治安も良いことで知られています。ユタ州立大学(Utah State University)のあるローガン市(Logan)は小規模都市を含めて全米一位の治安のよい町といわれます。

ソールトレイク・シティでは、モルモン教会の合唱がお勧めです。この合唱団は「Mormon Tabernacle Choir」といいます。神の幕屋教会合唱団と訳しておきます。世界一流オーケストラとの数々の共演や世界各地での演奏会で知られています。リハーサルは毎週木曜日午後8時から開かれ、その後に聴衆からの質問のやり取りがあります。ユタ州立大学を訪ねたついでに、このリハーサルの日時を確認してから練習を聴きに出掛けました。オルガンも素晴らしいものです。練習を公開するのはいいですね

ユタ州のライセンスプレートには、「Greatest Snow on Earth」、「世界で最も素晴らしい雪」と印字されています。塩と雪の白さで観光客が魅了される州といえましょう。州の愛称は「蜜蜂の巣の州ーBeehive State」となっています。

高等教育機関ですが、宇宙工学などの研究で知られるユタ大学(University of Utah)、 農業工学分野で強い研究のユタ州立大学(Utah State University)、合衆国最大の私立大学の一つでモルモン教会立のブリガム・ヤング大学(Brigham Young University)、リベラルアーツ教育のウエストミンスター・カレッジ (Westminster College)などがあります。

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留学を考える その54 テキサス州–The Lone Star State

テキサス州(Texas)はアメリカでは第二の面積を占める南部の大きな州です。1836年にテキサス共和国として一方的にメキシコから独立を宣言しますが、同年メキシコ軍の攻撃により敗れます。入植者がたてこもって抵抗した拠点がサンアントニオ(San Antonio)にあるアラモ砦(The Alamo)。デビー・クロケット(Devy Crocket)、ウイリアム・トラビス( William Travis)など指導者の名前が浮かんできます。映画も作られました。映画といえば「ジャイアンツ–Giants」。ジェームス・ディーン(James Dean)が懐かしい。

現在の州都はオースチン(Austin)ですが、近年特に人気が高い町がリバー・ウォーク(River Walk)のあるサンアントニオです。リバー・ウォークは小さな河の両岸にレストランが並んでいます。散歩、船下りが楽しいところです。今や年間1,000万人以上が訪れる全米有数の観光都市としても知られています。その人気もあって研究者を集める多くの学会もここで開かれています。

ブッシュ大統領(George Bush)親子やジョンソン大統領(Lyndon Johnson)はテキサスの出身です。メキシコ湾や内陸部に油田が多く、エクソンモービル(Exxon Mobil)などの石油会社の本社があります。カウボーイ文化に象徴される放牧業や畜産業でも知られています。アメリカン航空、コンチネンタル航空、AT&Aなど多くの企業の本拠地となっています。カリフォルニア、ニューヨークと並ぶ商業や経済の中心です。

ライセンスプレートには「The Lone Star State」とあります。メキシコからの独立という願いとして、テキサスの州旗に白い星を一つあしらったといわれています。これがLone Starの由来です。 オースチン市内の学校を見学したことがあります。引率の女性教師はピックアップトラックで案内してくれました。別な機会にサンアントニオへは学会発表で行ったのですが、不遜ながら発表を適当に切り上げてアラモ砦を見学し、リバー・ウォークへ向かいました。

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留学を考える その53 テネシー州—Volunteer State

テネシー州(Tennessee)はケンタッキー州(Kentucky)、ミズーリ州(Missouri)、ヴァージニア州(Virginia)など8つの州と接しています。最大の都市はメンフィス(Memphis)。州都はナッシュビル(Nashville)となっています。「チュチュトレイン」のチャタヌガ(Chattanooga)もこの州にあります。アパラチア山脈(Appalachian Mountains)を中心とするグレート・スモーキー山脈国立公園(Great Smoky Mountains)はハイカーが押し寄せるところです。産業では、タバコ、綿花、そして大豆などの農産物が有名です。

中学生時代の社会科の教科書に「テネシー計画」についての記述がありました。1933年にルーズベルト大統領(Franklin Roosebelt)が、ニューディール(New Deal)政策の一環として、テネシー川流域の総合開発を目的とした世界最初の地域開発といわれています。テネシー川流域開発公社(Tennessee Valley Authority: TVA)が主体となり、多くの多目的ダムなどの建設によって、膨大な雇用を創出したプロジェクトです。丁度世界恐慌のときです。中学生ながら、「いつかテネシーへ行ってみたい」という思いを持ったものです。

テネシーはカントリーウェスタン(Country Western)の発祥の地です。すでに紹介したエルヴィス・プレスリーもここの出身。彼が主に音楽活動を行ったのがメンフィス(Menphis)です。70代以上の方にはテネシー・ワルツ(Tennessee Walz)が懐かしでしょう。1950年にパティ・ペイジ(Patti Page)が歌い世界的なミリオンセラーとなります。日本では江利チエミが歌います。カントリーミュージックの影響が強い歌です。

ナッシュビル(Nashville)にも沢山の南部のライブを楽しめるところがあります。その響きはBluegrassと呼ばれるアコースティック音楽のジャンルです。演奏にはギター、マンドリン、フィドル(ヴァイオリン)、ギターなどの楽器が使われます。アパラチア南部に入植したスコッチ・アイリッシュ(Scotch Irish)といわれる北アイルランドやスコットランドから移住した人たちの伝承音楽をベースにしているようです。Bluegrassはアップテンポの曲が多く、楽器には速弾きなどの即興演奏(インプロヴァイズ)もあります。もちろん、ブルース感を表現する弾き方やハーモニーにも特徴があります。ナッシュビルに来たら必ず本場のBluegrassを楽しむべきです。

テネシー州のライセンスプレートには「Volunteer State」とあります。1800代のBattle of New Orleansに人々が駆けつけてきことに由来しています。この戦いでイギリス軍を破り、ルイジアナ(Louisiana)やテネシーが植民地から解放されていきます。

テネシーの高等教育機関です。バンダービルト大学(Vanderbilt University)、テネシー大学(University of Tennessee-Knoxville)、テネシー州立大学(Tennessee State University)などが研究中心の大学です。ベルモント大学(Belmont University)、 長老派教会(Presbyterian Church)が経営するロードカレッジ(Rhodes College)も入学が難しいリベラルアーツの大学です。授業料や生活費が他州に比べて安いのが魅力です。是非テネシーへの留学を考えてください。

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留学を考える その52 サウスダコタ州–Great Faces, Great Places

サウスダコタ州(South Dakota)は、ラコタ(Lakota) とダコタ・スー族(Dakota Sioux )から名付けられたといわれます。州都はピーリー(Pierre)。州で最も大きな都市はスーフォールズ(Sioux Falls)となっています。サウスダコタ州は農業と畜産が主要な産業です。五大品目として牛、トウモロコシ、大豆、小麦、そして豚が知られています。

州の南部にBlack Hillsという丘陵地帯があります。、背丈の低い松で覆われています。スー族の領土であり儀式の聖地として崇められている地域です。そこは国立公園となっています。この丘陵地帯にあるのがマウントラッシュモア(Mount Rushmore)で、多くの観光客がやってきます。山の岩盤に歴代4人の大統領の顔が彫られています。ジョージ・ワシントン(George Washington)、トマス・ジェファソン(Thomas Jefferson)、セオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt)、アブラハム・リンカン(Abraham Lincoln)です。

ローラ・インガルス(Laura Ingalls) はブログのどこかで何度も紹介した記憶があります。この州の代表的な小説家です。開拓地での幼少のときの生活経験が小説の舞台となっています。 彼女はウイスコンシン州で生まれ、幼年期に一家は中西部を頻繁に移動して開拓生活をおくります。やがて学校に通い、小学校の教師となります。その間、「インガルス一家の物語」を書きます。これがNBCで「大草原の小さな家(Little House on the Prairie)」としてテレビ・シリーズ化され一躍日本に紹介されて好評を博しました。サウスダコタ州は映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ(Dance with Wolves)」の舞台ともなりました。

私にとってのサウスダコタ州です。一度ここに住んでいたかっての宣教師とその家族を訪ねました。私が家族と始めてジョージア州に来たとき、この牧師さんから車を譲り受けた思い出もあります。この車でジョージアからウイスコンシンへ行き、そしてサウスダコタを訪ねました。果てしない大平原やトウモロコシ畑を走りました。

この州のライセンスプレートには「Great Faces, Great Places」とあります。Great Facesとは彫られている4人の大統領のことです。この4人の大統領もプレートにプリントされています。趣のある一枚です。

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留学を考える その51 サウスカロライナ州—Smiling Faces Beautifu Places

サウスカロライナ州(South Carolina)は北部でノースカロライナ州、南部と西部でサバンナ川(Savannah River)を境に位置するジョージア州(Georgia)、及び東部で大西洋と接しています。海岸線には多くの沼や入り江があり、またジョージタウン(Georgetown)やチャールストン(Charleston)など自然の良港をひかえています。

サウスカロライナ州の開発の歴史は古くメイフラワー号がニューイングランドに上陸する約100年前の1526年にスペイン人のFrancisco Gordilloが入植を試みたという記録があるようです。1629年にイングランド王チャールズ一世(King Charles I)がカロライナを植民地とします。1729年にはノースカロライナとサウスカロライナが分離します。独立戦争を経て他の州と共に独立し、奴隷制による綿花のプランテーションによって大いに繁栄します。

1860年に奴隷制廃止論者であったリンカーンが大統領になると合衆国から離脱し、1861年には後続して脱退した他の南部諸州と共にアメリカ南部連合(Confederate States of America)を結成し、北軍の駐屯するチャールストンの港に位置するサムター要塞(Fort Sumter)を攻撃して南北戦争の口火が切られます。1865年にシャーマン将軍(William Sherman)率いる北軍の侵攻により、ジョージア州アトランタ(Atlanta)が焼き払われ、「海への進軍」(March to the sea through Georgia)およびサバナよりの北上作戦により南部経済は壊滅して南北戦争の終結が早まります。小説「風と共に去りぬ」(Gone with the Wind)はこの南北戦争が舞台です。

サウスカロライナ州は長い植民地時代を残す歴史があります。例えば、チャールストンは「聖なる市」(The Holy City)ともいわれます。高い尖塔を有する教会が街の景観を形成しています。十三の植民地の中で、カトリック、プロテスタントを問わず信教に対する寛容さを認めていた数少ない都市の一つがチャールストンで、ユダヤ教を認めた最初期の植民地都市ともいわれます。州の愛称は「Smiling Faces Beautifu Places」。いい呼び名です。

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留学を考える その50 ロードアイランド州— The Ocean State

合衆国東北部、ニューイングランド地方にあるのがロードアイランド州(Rhode Island)です。州都および人口最大都市は州北部、ナラガンセット湾(Narragansett Bay)の奥に位置する港湾都市のプロビデンス(Providence)です。プロビデンスは学術都市でもあり、州全土がプロビデンス大都市圏に含まれています。Providenceとは「神の意思」とか「神の摂理」という素晴らしい響きの単語の固有名詞です。

合衆国50州の中で面積が最小の州です。滋賀県と同程度の面積ですが、独立戦争や憲法の起草では重要な役割を果たした州でもあります。独立時の十三州の1つでもありました。州の愛称は「The Ocean State」、正式な名称は「State of Rhode Island and Providence Plantations」という具合で、合衆国で最も長い州名となっています。プロビデンスにコロニーである居住地を開拓したことを象徴しています。州の愛称は、「The Ocean State」とあります。大西洋に広がるナラガンセット湾からの恵みを示すようです。

現在のプロビデンス市の創設者であり、ロードアイランド植民地の共同設立者がロジャー・ウィリアムズ(RogerWilliams)です。彼はイギリス生まれの神学者であり、政教分離原則の著名な提案者として知られています。1636年、イギリス国教会およびアメリカ・インディアンの土地の強奪に対する強烈な批判を行ったためマサチューセッツ湾植民地を追われます。ですが4人の信奉者と共にナラガンセット湾の北部沿岸の土地をナラガンセット族(Narragansett)とピクォート族(Pequot)から土地を求めて、集落を作ります。ここをバプテスト開拓者のための宗教的自由の地と宣言します。「逆境にある私に神の慈悲深い摂理を感じさせる」と言ってプロビデンスを命名したといわれます。

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留学を考える その 49  ペンシルヴァニア州—Keystone State

ペンシルヴァニア州は正式には「Commonwealth of Pennsylvania」と呼ばれます。マサチューセッツ州もCommonwealthを使うことをこのブログで紹介してきました。

合衆国の北東、大西洋岸中部に位置しています。五大湖の近くでもあります。東はニュージャージー(New Jersey)、南東はデラウエア州(Delaware)、南はメリーランド州(Maryland)、南西はウエストバージニア州(West Virginia)、西はオハイオ州(Ohio)、エリー湖(Lake Erie )、北西はカナダのオンタリオ州(Ontario)、そして北はニューヨーク州(New York)というように州に囲まれています。アパラチア山脈が州の中央を斜めに連なっています。

州都はハリスバーグ(Harrisburg)。最も大きい町はフィラデルフィア(Philadelphia)です。次いでピッツバーグ( Pittsburgh)となっています。州のモットーは「Virtue, Liberty, and Independence」です。

1631年の6月にオランダから最初の移民が Delmarvaという岬にコロニーをつくります。それ以降、北欧スエーデン人らも続々と移民してきます。デラウエア川一帯に定住し、いまのペンシルヴァニアを形成していきます。そのせいか、クエーカー教徒(Quaker)が多い州でもあります。Quakerは、キリスト友会(Society of Friends)というキリスト教団体の一般的な呼称です。友会は、17世紀にジョージ・フォックス(George Fox)らによってイングランドで設立されました。Quakerの信仰の伝統的な表明方法は証言といわれます。その中で「平和主義」はQuakerの証言としても最も知られ、暴力は常に誤りであるという信念を貫いています。

ペンシルヴァニア州は1802年に「Keystone State」(礎石となる州)とつけられました。これは独立に立ち上がった13州の一つであり、地理的に13州の中心にあったのがペンシルヴァニアです。ウィリアム・ペン(William Penn)はペンシルベニア州では忘れられない人物です。フィラデルフィア市を建設しペンシルベニア州を整備したとあります。ペンは元軍人であり地方の政治家でした。彼自身もまたクエーカー教徒であり、やがて開拓地のための自由憲章の草稿を書き上げます。フィラデルフィアなどの植民地におけるペンの権限は、英国の施政下にあって窮屈だったようです。ですが施政下の枠組みにあっても、信教の自由、公正な裁判、主権を持つ人民により選ばれた代表、三権分立による統治をうたったことで知られています。こうしたペンが示した民主主義の重視は、アメリカ合衆国憲法に多大な影響を与えます。

もう一つの州の呼び名は「Quaker State」。前述したようにペンシルヴァニア州にはクエーカー教徒が多いことに由来しています。

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留学を考える その48 オレゴン州–Oregon Trail

オレゴン州は(Oregon)太平洋に面し、北はワシントン州(Washington)、南はカリフォルニア州(California)とネバダ州(Nevada)、東はアイダホ州(Idaho)で州境となっています。オレゴン州は西部開拓の歴史が色濃く残っています。合衆国を大西洋から太平洋まで拡げるという目標のために、1800年代には本格的な開拓が進み、幌馬車で東部から多くの入植者がオレゴン・トレイル(Oregon Trail)を経てがやってきました。当時、大陸横断には5–6ヶ月かかったようです。州都はセーラム(Salem)、最も大きい町はポートランド(Portland)です。

ポートランドは札幌市とほぼ同じ緯度にあり、姉妹都市関係を結んでいます。ダウンタウンですが、コロンビア川の支流ウィラメット川 (Willamette River) の川岸は公園となっています。その一角に日本人移民の歴史公園があります。そこに移民の足跡を記すレリーフが立っています。戦前、多くの日本人がオレゴン州に移民した経緯があります。レリーフには、農業と漁業で生計をたてながら子どもを教育する姿、アメリカに同化しようとした努力、大戦中の収容所での苦しい生活、そしてアメリカ人の差別に対する謝罪の言葉などが彫られています。

「オレゴン・トレイル」というコンピュータゲームも作られました。オレゴン州のライセンスプレートはいろいろなデザインがあります。そこにはオレゴン街道- Trail-が印字されています。札幌で育った私にはオレゴン州とポートランドは懐かしい響きがあります。州の愛称は「ビーバーの州」(Beaver State)でもあります。

ウィラメットバレー(Willamette Valley)という肥沃な農地を抱え、周辺の農産物が集まるところでもあります。広大な森林を背景に国内最大級の製材業と林業があります。ヘーゼルナッツ、クランベリー、葡萄の産地でもあります。酪農では牛、羊、酪製品、卵、鶏肉が盛んな地です。

ポートランドとユージンにはそれぞれ一度、会議で招かれて訪れたことがあります。学校もいくつか見学し、子どもが学ぶ姿に接することができました。DVを逃れ母子が保護されていることも知りました。その子どもたちが学ぶ教室もありました。

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留学を考える その47 オクラホマ州—Sooner State

オクラホマ州(Oklahoma)は合衆国の真ん中より少し南に位置する州です。東はミズーリ州(Missouri)とアーカンソー州(Arkansas)に、西はニューメキシコ州(New Mexico)、南はテキサス州(Texas)、北はコロラド州(Colorado)とカンザス州(Kansas)に接しています。州都および最大都市はオクラホマシティ市(Oklahoma City)であり、タルサ市(Tulsa)がそれに続きます。

この州のニックネームは”Sooner State”といいます。和訳すれば「早者勝ちの州 」とでもしておきましょう。号令とともに我先にと土地の権利を求めて幌馬車を駆って先陣争いをしたのだそうです。中には、公式の土地所有の解禁前に、移植してきた白人たちが「ここは俺の土地だ」と勝手に宣言した者が多かったようです。こうした駆け抜けの人は”The Sooner”と呼ばれました。可笑し味があります。

州名はチョクトー族(Choctaw)の言葉でokla(赤い) と humma(人間)を合わせたものであり、「赤い人々」という意味です。もともとチョクトー族は合衆国南東部のミシシッピ川河口域に住んでいた農耕民族であったそうです。Wikipediaによると、オクラホマ州は、全米のインディアン部族のほとんどを強制移住させる目的で作られた州です。そのため、他の州に比べネイティブアメリカンの居留地(Reservation)が際だって多いのが特徴です。オクラホマ州には沢山のネイティブアメリカンの部族が住んでいます。少なくても25の言語があるということは少なくても25の部族がいるということです。

オクラホマ州は天然ガス、石油および農業の生産高が高いのが特徴です。航空機、エネルギー、輸送機器、食品加工、エレクトロニクス、通信の各産業を経済の基盤とし、天然ガス、航空機および食品の重要な生産州です。天然ガスの生産では国内第2位の州となっています。国内でも経済成長率が高く、2007年度の統計によれば一人当たり収入成長率と州総生産の成長率では国内トップクラスとなっています。油田の発見により、石油精製工業、化学工業が発達しています。

オクラホマ州は、保守的な教義を信奉するキリスト教会が多いので、”Bible Belt”と呼ばれています。その意味は、合衆国の南東中心部には多くのプロテスタントの教会、しかも伝統的な教義を大事にする教会が多いということです。いわば保守的な教理を伝統とする教会です。その象徴は、1963年創立のオラル・ロバーツ大学(Oral Roberts University)でしょう。この大学は大衆伝道者だったオラル・ロバーツが創立します。カリスマ的な伝道師であったビリー・グラハム(Billy Graham)と双璧をなした宣教師です。

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留学を考える その46 オハイオ— Buckeye State

オハイオ州は別名「バッカイヤ州-Buckeye State」と呼ばれています。Buckeyeとは州の木のことです。針葉樹の一種で、なんとなく形といい大きさといい北海道に多いカシワに似たところがあります。ドングリも秋になると沢山落ちます。州都で最大の都市はコロンバス(Columbus)。他の大きな町はクリーブランド(Cleveland)、デイトン(Dayton)、トレド(Toledo), シンシナティ(Cincinnati)、アクロン(Akron)です。

オハイオは、五大湖の一つエリー湖(Lake Erie)に面して、その岸は500キロに及びます。この地の利を使って製造業や海運業が盛んです。東はペンシルベニア、南はケンタッキー、イリノイ、西はミシガンに接しています。

州都コロンバスにはオハイオ州立大学(Ohaio State University: OSU)があります。この州の学術研究の中心的な大学です。多くの人材を輩出しています。宇宙飛行士のジョン・グレン(John Glenn)、ニール・アームストロング(Neil Armstrong) もオハイオの出身です。中西部には「Big Ten」という大きな大学の連合があります。ウイスコンシンやミシンガン、イリノイ、ミネソタ、ノースウエスタンなどの大学とともにBig Tenの一つとして、オハイオ州立大学は他大学とで研究開発を競っています。スポーツもまた然りです。

デイトン市はライト兄弟が初めて有人動力飛行機を組み立てたところで知られています。そのために、ライセンスプレートには「Birthplace of Aviation」(飛行機発祥の地)とあります。以前このブログでノースカロライナを紹介したとき、世界で初の有人動力飛行に成功したのがノースカロライナと紹介しました。デイトンは、その飛行機をライト兄弟が自分たちの自転車屋で製造したのが我が町であると主張しているのです。造った所と飛ばした所が違うというのが両方の主張のようです。可笑味があります。

オハイオ州の製造業は総生産高で50州のうちの第3位となっています。シンシナティには、世界最大の一般消費財メーカーのプロクター・アンド・ギャンブル(Procter & Gamble) の本社、アクロンにはタイヤ会社のグッドイヤー(Goodyear)の本社があります。

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留学を考える その45 ノースダコタ州—Peace Garden State

ノースダコタ州(North Dakota)は合衆国中西部の最北部、グレートプレーンズ(Great Plains)にあります。州の北側はカナダ国境であり、サスカチュワン州(Saskatchewan)およびマニトバ州(Manitoba)に接しています。西側はモンタナ州(Montana)に、東側はミネソタ州(Minnesota)との州境にレッド川( Red River)が流れ、南側はサウスダコタ州(South Dakota)と接する州です。州都はビスマーク市(Bismarck)。人口最大の都市はファーゴ市(Fargo)となっています。ノースダコタの名前は、スー族(Sioux)であるダコタ族(Dakota tribe)から由来しています。

最近の10年以上、全国平均よりも低い失業率、雇用数と人口の増大、および低い住宅空き家率など経済的な好調を持続してきた。これには州西部のバッケン・オイルシェール田(Bakken shale gas)の開発が大きく貢献しています。それに関連する技術やサービス産業の成長も好調な州経済に寄与しているようです。ノースダコタ州は、バッケン・オイルシェール田の採掘によって多くの雇用を生み出しています。すでにアラスカの石油の産出を上回り、テキサス州について第二位となっています。

興味ある話題としては、ノースダコタ州は人口比における教会数の多さでは全米一となっていることです。人口の35%がルーテル信者、30%がカトリック信者、メソジスト信者が7%などとなっています。ドイツや北欧からの移民が多いのです。ドイツ系が47%、ノールウエイ系が31%、アイリッシュが8%、スエーデン系が5%という配置になっています。

農業生産高では全米で菜種油(カノーラ油)は92%、カラシ油が62%、ひまわり油は53%、べに花油が18%を占めています。食用油の精製は一大産業となっています。

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留学を考える その44 ノースカロライナ州– First in Flight

大西洋岸にあるノースカロライナ州(North Carolina)は、周りをバージニア州)Virginia)、テネシー州(Tennessee)、ジョージア州(Georgia)、そしてサウスカロライナ州(South Carolina)に囲まれています。首都はラレイ(Raleigh)、最大の都市はシャーロット(Charlotte)です。チャペルヒル(Chapel Hill)という町には、実に綺麗なノースカロライナ大学(University of North Carolina) のキャンパスがあります。どの町も樫の木(oak)の緑が豊かです。

ノースカロライナ州は科学技術の研究開発が非常に盛んなところです。その中心はResearch Triangleと呼ばれる ラレイ、ダーム(Durham)、チャペルヒルの三つの町です。三つはちょうど三角形のように点在しています。

農業生産品は鶏卵、豚、牛、牛乳の他にタバコ、大豆が主要なものです。他にも織物、化学工業、電子機器、製紙も知られています。意外なことですが、ノースカロライナ州はカリフォルニア州以外で最大の映画制作を行っている州の1つでもあります。

ノースカロライナ州といえばライト兄弟(Wilbur Wright & Orville Wright)です。1903年、世界で初の有人動力飛行に成功したのがノースカロライナです。ライセンスプレートには「First in Flight」と記されています。

スポーツも盛んな地です。特に大学バスケットボールとフットボールは全米でも有数です。大学間での競争が激しいことにもよります。デューク大学(Duke University)、ウェイクフォレスト大学(Wake Forest University)、ノースカロライナ州立大学(North Carolina State University)、ノースカロライナ大学が競っています。

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留学を考える その43 ニューヨーク州—-The Empire State

ニューヨーク州の紹介です。なにをとりあげても話題の尽きない州です。最大の都市はニューヨーク(New York)ですね。州都はニューヨークから300キロも離れた人口10万人足らずのアルバニー(Albany)。州の西端にはナイアガラ瀑布(Niagara Fall)があるのをご存じですか。

ニューヨーク州は正三角形に近い形をしています。ニューヨーク州の境界には5大湖のうちの2つのエリー湖(Lake Erie)とオンタリオ湖(Lake Ontario)があります。カナダのオンタリオ州とケベック州と国境を接し、コネチカット州、バーモント州、マサチューセッツ州、ニュージャージー州、そしてペンシルベニア州と隣接しています。

誰でもご存じのニューヨークは世界経済、商業、コミュニケーションの中心地です。多くの企業の本社がここにあります。またショービジネスなど娯楽産業の中心でもあります。年間4,700万人の観光客が訪れます。国際連合はじめ公共機関も沢山あります。9・11の影響がいまだに続いてはいますが、急速な回復はニューヨークのバイタリティを感じます。公共交通網も張り巡らされ、地下鉄網の総延長は世界一。多くの交通機関は24時間運行となっています。

ニックネームはBig Apple。その由来は、大恐慌時代に失業者が市内ででリンゴ売りをしていたとか、ジャズマンが使い出したとか、1800年代に街には一番いい「リンゴ」(隠語で売春婦)があったという説などです。

ニューヨークの由緒ある所の紹介です。エリス島(Ellis Island)は忘れることができません。ニューヨーク湾内にあって、19世紀にヨーロッパからの移民が到着したのがこの島です。かつての移民管理局は今は博物館となっています。1800年頃から1954年まで使われていたとあります。その近くには自由の女神(The Statue of Liberty)が建っています。合衆国の独立100周年を記念してフランスより贈呈され、1886年に造られました。ヨーロッパからやってきた人々が船上からこの像を眺めて、新天地への憧れを抱いたところです。自由の象徴ともなっています。

ニューヨーク州のライセンスプレートには「The Empire State」と印字されています。戦後しばらく、世界一高い建物といわれたEmpire State Buildingの影響があるようです。なんでも世界一が好きなアメリカのことです。ニューヨークは確かにそのような風格と内容を備えてはいるようですが、少々厳つい印象もぬぐえません。9.11の後遺症と教訓は長く続くと思われます。

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留学を考える その42  ニューメキシコ州—Land of Enchantment

この州の最大の都市はアルバカーキー(Alburquerque)です。今では伝説的となりましたが、かってビル・ゲイツ(Bill Gates)がパソコンのOSを開発した町です。もともと大部分がネイティブ・アメリカンの居留地だったところです。部分的にメキシコ領土だった経緯もあります。現在、人口の45%がヒスパニック(Hispanic)。加えて、今でもネイティブ・アメリカンが全米で第三位を占める位多く住んでいます。ですが面積からするとアメリカで最も人口密度が低い州といわれています。
州都は、かってメキシコの総督府が置かれていたサンタ・フェ(Santa Fe)です。観光はサンタ・フェの経済を支えています。温暖な気候や、冬のスキー、夏のハイキングなど野外活動の機会に恵まれています。歴史・芸術・文化の豊かな州都です。ジョージア・オキーフ美術館(Georgia O’Keeffe Museum)はその中心といえましょう。オキーフは特にアメリカ人に人気のある女性画家です。自然の景観や動植物などの自然を題材としています。オキーフはウィスコンシン州の農家に生まれ、マディソンで高校時代をすごしたこともあります。

ダウンタウンの歴史地区、特に総督府に隣接するプラザ(Plaza)にはメキシカンフードの人気レストランが立ち並んでいます。町並みは日干しの土で作られた建築物アドービ(Adobe)です。砂、砂質粘土とわらなどの素材でつくられる建材です。熱を吸収してもゆっくりと放出するので建物の中は涼しく、ニューメキシコのような暑くて乾いた地に適しているといわれています。

ニューメキシコ州のライセンスプレートには「Land of Enchantment」(魅了してやまない地)とあります。今もナバホ(Navajo)、プエブロ(Pueblo)、アッパチ(Apache)インディアンが住む居留地があります。そこで作られる民芸作品、各地にある大小の博物館の展示物、そして大自然が観光客を魅了しています。ネイティブ・アメリカンとメキシコの文化と芸術を最も身近に接することができる州といえましょう。

ニューメキシコは日本にとって忘れることのできない州です。ロスアラモス(Los Alamos) という所があります。砂漠のど真ん中に国防総省が管轄するロスアラモス国立研究所(Los Alamos National Laboratory)があります。ここで造られた原子爆弾Little Boyが博物館に展示されています。複雑な思いのする場所です。

ニューメキシコ州立大学(New Mexico State University)、ニューメキシコ大学(University of New Mexico)、サンタフェ大学(Santa Fe University of Art and Design)が主要な高等教育機関です。

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留学を考える その41 ニュージャージー州—Garden State

ニュージャージー州(New Jersey)は、ニューヨークのハドソン川(Hudson River)の対岸、そしてデラウエア(Delaware)の北東、西はペンシルバニア(Pennsylvania)に接しています。州都はトレントン(Trenton)となっています。ニューヨークの隣なので、多くの人が電車で通勤しています。フィラデルフィア(Philadelphia)へもそうです。最大都市はニューアーク(New Ark)、アトランティックシティ(Atlantic City)は東海岸随一のカジノシティとして知られています。

イギリスから最初に独立した13州のうちの一つでもあり、その歴史は古いです。ニュージャージーに最初にやってきた人々はオランダ人、そしてスエーデン人です。やがてイギリスからの移民が増加し、1649年に名前がNew Jerseyとなります。そこから長らくイギリスの植民地となります。独立戦争の頃、ニュージャージーは依然としてイギリスの支配下にあります。植民地軍とイギリス軍がこの州をまたいで大きな戦いが繰り広げられます。そのため、州のニックネームはやがて「革命への交差路)」The Crossroads of the Revolutionといわれます。

Wikipediaによれば、ニュージャージー州の一人当たり州総生産は国内第2位、一人当たり年収も国内第3位と裕福な州のようです。軍需品生産の中心であり、海軍艦艇の建造が盛んなのが州の雇用と経済を支えているようです。ニューヨーク大都市圏とフィラデルフィア大都市圏を控えていることも州の発展を支えているといえます。

ニュージャージーが生んだ有名な人物としてトマス・エディソン(Thomas Edison)が挙げられます。生涯で1,093の特許登録をしたといわれます。州のモットーは「自由と繁栄, Liberty and Prosperity」とあります。ライセンスプレートには、自然豊かな地を示すGarden Stateとあります。平等の州 (Equality State)とか、なぜかカウボーイ州 (Cowboy State)というニックネームを持っている州です。

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留学を考える その40 ニューハンプシャー州–Live Free or Die

ニューハンプシャー州は大西洋側の東海岸にあります。綴りはNew Hampshierです。いわゆるニューイングランド地域の一部で、北部及び北西部でカナダのケベック州(Quebec)、東部はメイン州(Maine)、南部はマサチューセッツ州(Massachusetts)、そして西部はバーモント州(Vermont)と隣しています。

アメリカにはNewが付く州や町がたくさんあります。州ではNew Mexico, New Jersey, ご存じNew York, 街ではNew London, New Berlin, New Heavenというのもあります。イギリスやヨーロッパ各地からの移民が開拓したことを物語ります。ニューハンプシャーの州都はコンコード(Concord)という小さな街です。コロニアルスタイルといわれる町並が絶佳です。植民地時代の木造家屋のデザインを示します。

この州で忘れられないところがポーツマス(Portsmouth)という街です。日露戦争(Russo-Japanese War)が終わり、当時の大統領ルーズベルト(Theodore Roosevelt)の仲介で講和条約(Treaty of Portsmouth)が締結された街、それがポーツマスです。Portsmouth Naval Shipyardという海軍施設が交渉の会場だったとあります。実に小さな港町です。こんなところで条約が結ばれたのか、と頭をかしげたくなるような長閑な所です。

日本の代表は外務大臣の小村寿太郎、ロシアは元大蔵大臣のセルゲイ・ウイッテ(Sergei Witte)です。ポーツマスの博物館に当時の交渉の様子を報道した写真や新聞記事が飾られています。大男のウイッテが小男の小村を威圧するイラストがあります。当時ロシアはヨーロッパの大国、日本はアジアの小国でした。アメリカは太平洋の利権があって日本に同情的な姿勢であったことを伺わせます。

ニューハンプシャーのライセンスプレートには「Live Free or Die」。「自由を与えよ、さらば死を」という意味です。ニューハンプシャーは最初にイギリスの統治を離脱し独立への歩みを踏み出します。独立宣言後、最初の13州の一つともなります。さらに特筆すべきことは合衆国の州として最初に憲法を制定した州となったことです。この歴史を踏まえているせいでしょうか、大統領選挙において最初に予備選挙が実施されるのがこの州でもあります。その後の各州での大統領選挙を予測するうえで重要な選挙となっています。二大政党にとっての重要な試金石です。

大学教育ですが、なんといっても私立のダートマス大学(Dartmouth College)が有名です。アイビーリーグ(Ivy League)のメンバーで、全米の大学の中で13番目に長い歴史を持っています。さらにニューハンプシャー大学(University of New Hampshire)やコミュニティカレッジ・システム(Community College System)もそれぞれ分校を有していますPatrickHoule_summer2012_1  20309-004-A87CB099 Portsmouth

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留学を考える  その39 ネヴァダ州–The Silver State

ネヴァダ州(Nevada)は、西にカリフォルニア州(California)、北にオレゴン州(Oregon)、東にユタ州(Utah)、南にニューメキシコ州(New Mexico)に囲まれています。州都はカーソンシティ(Carson City)。最大の街はラスベガス(Las Vegas)となっています。

ネヴァダという名前は、”雪がかぶった山々”という意味のシェーラネヴァダ(Sierra Nevada)に由来すると言われます。北部は砂漠地帯、南部や渓谷と山となっています。ラスベガスの北100キロのところに原爆実験場があります。1950年代の冷戦下で、ネヴァダ州での原爆実験が新聞紙上でしばしば報道されました。

ラスベガスのカジノは多くの観光客を惹きつけています。これが大きな産業ともなっています。他の産業としては金の採掘です。世界でも有数の金銀の算出となっています。変わったところでは、合衆国ではロードアイランド(Rhode Island)とともに、なんらかの売春が合法となっています。

多くのネイティブアメリカンが住んでいます。ナバホ(Navajo)、パイウーテ(Paiute), ショショーン(Shoshone)といった部族です。太平洋戦争中「ナバホ暗号部」が設置され、軍事的な指令文はナバホ族出身の兵士によってナバホ語に翻訳して送信され、それを受信して英語に直すという具合でした。いわば暗号文をやりとりしていたことになります。こうしたナバホ語はコードトーカー(Code talker)と呼ばれました。この映画「ウインドトーカーズ(Windtalkers)」は、この暗号をめぐるサイパン島での戦いでした。是非観て欲しい作品です。

気候は砂漠の影響で夏は乾燥して高温、冬は厳しい寒さが襲います。寒暖の差は合衆国で一番といわれています。ライセンスプレートにはThe Silver Stateとあります。

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留学を考える その38 ネブラスカ州—The Good Life

ネブラスカ州(Nebraska)は合衆国のほぼ真ん中に位置しています。北はサウスダコタ(South Dakota)に、東はアイオワ(Iowa)とミズーリ(Missouri)に、西はワイオミング(Wyoming)とコロラド(Colorado)に、南はカンザス(Kansas)に囲まれています。州都はオマハ(Omaha)。州の大部分は平坦な大平原が広がります。トウモロコシを中心とする穀物地帯です。牛肉や豚肉の生産でも知られています。

ネブラスカに関するエピソードがあります。学校の教師らとでネブラスカへ行ったとき、入国手続きをしたデトロイト空港でのことです。家内の番になりまして審査官との間で次のような会話をしてました。

審査官 「入国の目的は?」
家内 「観光です」
審査官 「これからどこへ行くのか?」
家内 「ネブラスカです」
審査官(けげんな表情で)「ネブラスカのどこで観光するのか?」
家内 「リンカーンです」
審査官「観光でネブラスカへ行く日本人はあんたが初めてだ、、、」

デトロイト経由の乗客の中で、観光でやってくる日本人の99%はニューヨークとかボストンとかフロリダへ行くのです。審査官もけったいな日本人に驚いたのでしょう。「ネブラスカに観光へ」には苦笑してましたね。

ネブラスカの西部にはチムニー・ロック(Chimney Rock)など巨大な岩で知られています。このあたりはでは沢山の恐竜が発掘されています。きわめて保存状態が良く恐竜の骨格がはっきりしています。それを展示しているのがネブラスカ大学リンカーン校(University of Nebraska-Lincoln)です。ここの自然博物館(Natural History Museum)の恐竜の化石は圧巻です。大勢の児童生徒が黄色い車体のスクールバスに乗ってフィールドトリップにやってきます。

リンカーン市にあるネブラスカ大学は同システムの基幹大学で、同州の大学教育をリードしています。UW-Madisonの所属するビッグ・テン・カンファレンス(Big Ten Conference)に一員となっています。

ネブラスカ州はのモットーはThe Good Lifeとあります。「安住の暮らし」といった感じですね。ライセンスプレートには、大平原と煙突のような岩山が描かれていてすてきなデザインです。

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留学を考える その37 モンタナ州—Big Sky

かつて合衆国上院議員で駐日大使であったマイク・マンスフィールド(Mike Mansfield)氏の出身地がモンタナ州(Montana)です。1977年から1989年までの長期にわたって大使を努めました。この州はカナダのブリティッシュコロンビア州(British Columbia)、アルバータ州(Alberta)及びサスカチュワン州(Saskatchewan)と接しています。州都はヘレナ(Helena)です。

モンタナ州は白人とネイティブアメリカンの土地をめぐって幾多の戦いが繰り広げらたところです。最後の軍事的戦いの場所となった戦跡があります。スー族(Sioux)、シャイアン族(Cheyenne)、アラパホ族(Arapaho)がカスター中佐(George Custer)の率いる「第7騎兵隊」(7th Cavalry Regiment)の奇襲を撃破したことでも知られています。その戦跡は長らく隊長の名をとった「カスター国立記念戦場」(Custer Battlefield National Monument)と呼ばれました。ですがスー族がこの名称の変更を要求した結果、今は「リトルビッグホーン国立記念戦場(Little Bighorn Battlefield National Monument)」として保存されています。沢山の西部劇がネイティブアメリカンと第7騎兵隊の戦いを描いています。

ライセンスプレートには、「Big Sky」と印字されています。さしずめ「蒼穹の空」といったところです。「モンタナの空は他のどこよりも大きく感じる」と地元の人は自慢げに言うのは、このためかもしれません。氷河が残したグレイシャー国立公園(Glacier National Park)及びイエローストーン国立公園(Yellowstone National Park)の一部を含み、大いなる西部にふさわしい大自然に抱えられた州です。西部開拓時代の歴史、ネイティブアメリカンの文化が多くの観光客を惹き付けています。

大学ですがモンタナ大学(University of Montana)、モンタナ州立大学(Montana State University)が知られています。州内にそれぞれ四つのキャンパスを擁しています。クロウ族系(Crow Indian)リトルビッグホーン・カレッジ(Little Big Horn College)、スー族系(Sioux)のフォートペック・カレッジ(Fort Peck Community College)など四つネイティブアメリカンの単科大学もあります。

By3wtB6IMAAhP9B Mike Mansfieldmap img_01981 リトルビッグホーン国立記念戦場

留学を考える その36 ミズリー州–Show Me State

ミズリー州(Missouri)のニックネームは「Show Me State」となっています。これは、「少々のことでは納得しない」という意味です。なにか気概が感じられます。このフレーズががライセンスプレートに印字されています。

ミズーリは、合衆国中西部のミシシッピー川(Mississippi River)沿いの内陸にあります。8つの州にまたがるところでもあります。州都はジェファーソン・シティ(Jefferson City)。同州を代表する都市はなんといってもセントルイス(St.Louis)です。ミシシッピ川に面するこの町は、開拓時代より西部への玄関口として発展し、現在では中西部きっての観光地となっています。

19世紀の初めにアメリカで歌われるようになった民謡に「シェナンドー」”Shenandoah”」があります。カヌーでシェナンドー川を行き来していた貿易商人(Voyageurs)が歌う古い舟歌でしたが、いつしか白人の男性が酋長の娘「シェナンドー」に恋をするラヴソングへとなり、長い間に歌い継がれていきます。フランス語のVoyageursとはTravelerという意味です。似たような曲に「赤い川の谷間」(Red River Valley)という恋歌もあります。

Oh Shenandoah, I long to see you,
Away you rolling river.
Oh Shenandoah, I long to see you,
Away, we’re bound away,
Cross the wide Missouri.

ミズーリの主要産業は、航空宇宙産業、輸送設備、食品加工、化学工業、印刷/出版、電気設備、製造業など多彩です。農業生産品は、牛肉、大豆、豚肉、乳製品、トウモロコシ、ニワトリなどの家禽、及び 鶏卵です。特に豚や牛の生産が盛んです。近年はワイン産業の育成にも州は力を入れています。

ミズーリ州は、大理石の生産で知られています。その他、鉛、石炭、採石が生産されています。ミズーリ川とミシシッピー川がこうした資源を運ぶ大動脈となっています。川には大小多くのバージ(barge)と呼ばれる運搬船が往来しています。

セントルイス市内には「Gateway Arch」アーチがそびえています。頂上からの眺めは、ミシシッピー川をはさんで360度の景色が楽しめます。ここには、Gateway Archが建設される様子の資料が展示されています。あの壮麗なアーチが出来上がる様をつぶさに映像で説明しています。機会があれば是非登ってください。

面白い話題がミズーリにはあります。ミズーリ州は他の州に比べて、タバコやアルコールの規制が緩やかなことです。例えば、未成年の子どもに保護者が酒をのませることも認められています。禁煙運動が盛んな国としては、大変珍しいことです。バドワイザー(Budweiser)を製造するアンハウザー・ブッシュ(Anheuser-Busch)の工場もここにあります。2008年にベルギーの多国籍飲料会社インベブに買収されています。

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留学を考える その35 ミシシッピ州 Birthplace of America’s Music

ミシシッピ州(Mississippi)はテネシー州(Tennessi)と北部、アラバマ州(Alabama)と東部、ルイジアナ州(Lousiana)およびメキシコ湾と南部、ならびにルイジアナ州およびアーカンソー州(Arkansas)と西部で隣接しています。州都であり最大の都市はジャクソン(Jackson)。ミシシッピ川が流れるミシシッピ州は大半が低地で構成され、最高地点はカンバーランド(Cumberland)山地の丘陵部でたったの246m、最低地点はメキシコ湾岸の海面となっています。

ミシシッピの歴史です。1850年代は綿花が花形でした。ミシシッピデルタ地域は土壌が肥沃で、プランテーション所有者は、綿花の国際市場での高値や安い労働力であった奴隷を使い裕福になりました。プランテーションは数十万人の奴隷労働者に依存し、また白人の間にも富の不均衡が発生し、人種差別が激しくなります。やがて合衆国からの脱退を支持し南北戦争では南軍に編入します。

ミシシッピ川のデルタ地域では、昔からブルースの発展に重要な役割を果たしてきました。そのためでしょうか、州のモットーは「Birthplace of America’s Music」となっています。生まれた歌は黒人奴隷などの苦難に満ちた生活が背景にあります。Wikipediaによると、19世紀末までに農園所有者の3分の2は黒人であり、綿花の価格低下で多くが土地を失ったといわれます。黒人は仕事を求めて大都会へ移住します。ミシシッピ州の多くの音楽家もシカゴに移住し、ジャズを新しい形式で演奏していきます。

ミシシッピ州が生んだ歌手がプレスリー(Elvis Presley)です。1935年にミシシッピ州テュペロ(Tupelo)という小さな町の出身です。彼の代表的な歌といえば、G.I. Blues、Blue Hawaii、Viva LasVegasなどなど数え切れないくらいです。

ミシシッピ大学(University of Mississippi)は州内に4つのキャンパスを有します。大学の愛称は「Ole Miss」。かつての綿花プランテーションの女主人の名前から由来します。ミシシッピ州立大学(Mississippi State University)やジャクソン州立大学(Jackson State University)が知られています。

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留学を考える その34 ミネソタ州—Land of 10,000 Lakes

カナダと国境を接し、ウィスコンシン州の西隣に位置するのがミネソタ州(Minnesota)です。州都はセントポール(St. Paul)。その隣は最も大きな都市、ミネアポリス(Minneapolis)とです。この二つは隣合わせなので「双子の都市」(Twin Cities)と呼ばれています。州のフレーズは「Star of the North」。

ミネソタ州の人口ですが、白人が88%を占めます。スカンジナビアやドイツからの移民が多いのです。ミネソタの人々の生活水準は合衆国で最も高いといわれています。教育水準も秀でていて、2015年の調査によると、ミネアポリスとセントポールは最も識字能力が高い人々が暮らす街となっています。

ミネソタ州あまりにも寒いところなので、有色人は少ないように思われがちですが、ラオス/タイ/ベトナムから多くの難民を受け入れている州としても知られています。これらの人々はアメリカではHmong(モン族)と呼ばれています。

双子の都市ではプロ野球球団のMinnesota Twinsがあります。フットボールではMinnesota Vikingsが知られています。精密機器などの産業でも有名です。穀物の集散地であります。穀物市場を支配するカーギルや3Mなどの本社もあります。合衆国内で最大規模のショッピングモール「Mall of America」内は、冷暖房が効き年中運動を兼ねた人が歩くところです。

この州のライセンスプレートには「10,000 Lakes」と印字されています。無数の湖で知られています。昔、氷河がミネソタ全体を覆っていたようです。氷河はゆっくり移動しますが、そのとき大地を削っていきます。それが基で湖が出来たというわけです。あまりに沢山の湖があるので、目的地に着くには大分迂回しなければならないということを友人から聞いたことがあります。

高等教育機関ですが、州内には32の州立の大学があります。その中心がミネソタ大学(University of Minnesota-Twin Cities)です。州内に5つのキャンパスを有しています。さらに20のリベラルアーツの私立大学(college)があります。U.S. News & World Reportによると、そのうち6つが全米ランク100校の中に入っています。

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留学を考える その33 ミシガン州–Great Lake State

ミシガン州(Michigan)のライセンスプレートには「Great Lake State」と印字されています。五大湖の中の四つの湖に囲まれた湖岸線は総延長距離5,000kmを超え、アラスカ州を除けば全米で最長のウオーター・フロントを誇っています。約11,000の湖沼や多くの河川を抱え、北部は広大な森林地帯となっています。

ミシガンは北はカナダと国境を接しミシガン湖(Lake Michigan)スペリオル湖(Lake Superior)・ヒューロン湖(Lake Huron)を抱え、西はウィスコンシン州、南はインディアナ州とオハイオ州に接しています。州都はランシング(Lansing)。最大の都市はご存じデトロイト(Detroit)です。デトロイト国際空港は6本の滑走路を有し、デルタ航空の一大ハブ空港となっています。

ミシガンは自動車工業発祥の州として知られています。その中心はなっといってもデトロイトでしょう。四つの湖に囲まれるという地の利が自動車産業を支えてきました。ゼネラルモーターズ(GM)、フォード(Ford)、クライスラー(Chrysler)のビッグスリーの本社がデトロイトとその近郊にあります。デトロイトは全米自動車労組(United Auto Workers: UAW)の本拠地であり、強固な民主党の地盤となっています。その他の産業も盛んです。例えば穀物のケロッグ(Kellogg)、ダウケミカル(Dow Chemical )、ワールプール(Whirlpool)、アムウェイ(Amway)などもここにあります。

ミシガンの産業の一つが農業です。主要な農産物ですが、とうもろこし、大豆、温室栽培、牛肉、じゃがいも、チェリー、ブルーベリー、リンゴ、いちご、梨などの果物の産地として知られています。林業も漁業も盛んです。

ミシガンは一大レクリエーションの州でもあります。2005年の統計によるとミシガンはカリフォルニア、フロリダに続き全米で第三番目の観光客を集めた州といわれるほど自然に恵まれたところです。レクリエーション客を惹き付ける理由もうなずけます。四つの湖の側はどこも州立公園や観光地といってよいほどです。いくつかを紹介しましょう。

カナダの国境近くにはマキナック島(Mackinac Island)があります。夏はキャンプ、釣り、リゾート、、なんでも楽しめます。この島は車禁止。移動手段は「リムジン馬車」か自転車となっています。コロニアルスタイルの建物が並びます。夏はのんびりと時間が流れるようなところです。

ムーイレイ岬(Pointe Mouillee )はエリー湖(Lake Erie)に突き出す砂州のようなところで、世界最大の干潟プロジェクトによる自然保護地区となっています。ミシガンはどこを走っても州立公園でキャンプを楽しめます。広さと清潔さ、そして安全さは多くのリクリエーション客を呼び寄せています。

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留学を考える その32 マサチューセッツ州—Spirit of America

マサチューセッツ州は、「Commonwealth of Massachusetts」と呼ばれます。Commonwealthの原義は「共通の善」ないし「公共の福祉」ということです。Common Goodという言葉と同義です。Massachusettsの発音はなんともいえない響きがあります。Stateを使わないところに誇りのようなものを感じさせてくれます。

この州には、長男夫婦と2人の孫が住んでいます。毎年必ず訪れるのが楽しみなところです。州都ボストン(Boston)から車で1時間のところにコロニアルスタイルの家で暮らしています。同じくボストンの東南1時間のところにプリマス(Plymoth)という港町があります。ここにMayflowerII号のレプリカが停泊しています。Mayflowerは1620年頃にヨーロッパからこのあたりに着いたことが記されています。長くてつらい大西洋の航海だったようです。

最初の移民の多くは聖教徒(Pilgrims)といわれています。MayflowerII号から下りた聖教徒が開拓したところが今も大切に保存されています。この居留地はPlimoth Plantation(プリマス開拓地)と呼ばれて州の歴史的な公園となっています。開拓地は高い木の柵が巡らされてインディアンからの襲撃に備えたことを伺わせます。

Plantationに入りますと、そこは1600年代という設定です。タイムスリップするのです。そこで働く人は百姓、鍛冶屋、パン屋さんなどいろいろ。当時の服装、言葉、動作で観光客に対応します。観光客は、働く人々とのちんぷんかんぷんの対話から「ここは1620年頃なのだな、、、」と合点がいきます。働く人々の演技が秀逸なのです。

マサチューセッツ州のライセンスプレートには「Spirit of America」というフレーズが印字されています。これは、建国の精神を意味します。1680年ころから、マサチューセッツはイギリスの植民地となります。1760年代になると、マサチューセッツ憲法として権利の宣言と政府の樹立を叫び、イギリスの支配に反旗を翻します。やがて独立戦争が始まるのです。この自治と独立の精神が「Spirit of America」というものです。

ボストン茶会事件(Boston Tea Party) や古戦場であるレキシントン・コンコードの戦い(Battles of Lexington and Concord)、バンカーヒルの戦い (Battle of Bunker Hill) が始まります。植民地軍の中心となったのが民兵であったミニットマン(Minutemen)です。 ボストン北西に位置するコンコード(Concord)にあった、アメリカ植民地民兵部隊の武器庫の争奪をめぐるイギリス軍と民兵隊の激しい戦闘が行われたのがレキシントンとコンコードのあたりです。規模は小さいながら独立戦争の緒戦として植民地軍はイギリス軍を撃破します。

アメリカの公教育で忘れてはならないのがホーレス・マン(Horace Mann)です。マンがマサチューセッツ州において進めた教育改革によって、普遍的な公共教育の基盤が築かれます。州内には、国内最古の公立小学校や、最古の高校、最古のボーディングスクール、最古のカレッジである1636年設立のハーバード大学(Harvard University)、最古の女子カレッジである1837年設立のマウントホリヨーク大学(Mount Holyoke College)が知られています。

州内には121の高等教育機関があるのですから驚きです。ケンブリッジ(Cambridge)にあるハーバード大学とマサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute of Technology)が世界の大学ランキングでも常に上位 ボストン大学(Boston University)、タフツ大学(Tufts University) 女子大であるスミス大学(Smith College)など多彩です。

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留学を考える その31  メリーランド州—Free State

メリーランド州(Maryland)は大西洋岸の中央に位置しています。南西には首都ワシントン(Washington D.C.)、ヴァージニア州(Virginia) 、ウエストヴァージニア州(West Virginia)、北にはペンシルヴァニア州(Pennsylvania)、東にはデラウエア州(Delaware)と接しています。州都はアナポリス(Annapolis)、最大の都市はバルチモア(Baltimore)です。メリーランド州には三つのニックネームがあります。それぞれ、「Old Line State」、「Free State」、「Chesapeake Bay State」とあります。

メリーランド州は、独立の際の十三州の一つで、信教の自由を最初に宣言した州としても知られています。十七世紀初頭、イングランドから派遣されていたカルヴァート(George Calvert)という初代のバルチモア総督による宗教的な迫害を受けたカトリック教徒が、その避けどころとして信仰の宣言をしたといわれます。

メリーランド州は各州に比べて地形的に最も小さい州です。ですが人口は700万人と密度では最も高い州です。首都ワシントンに隣接しているからです。住民の世帯あたりの収入は全米で最も高いことでも知られています。多様な経済活動が活発で、バイオテクノロジー分野で先駆的な研究をしています。チェスピーク湾(Chesapeake Bay)は豊かな海産物に恵まれ、カキ、青カニ、バス、ニシン(Menhaden)などが有名です。州の別なニックネームとして「Oyster State」というのもあります。カキの一大生産地だからです。

メリーランドの高等教育機関の雄は私立のジョンスホプキンス大学(Johns Hopkins University)でしょう。大資産家のJohns Hopkinsの寄付によって設立されています。さらにメリーランド大学(University of Maryland)、 モーガン州立大学(Morgan State University) 、セントメリー大学(St. Mary’s College of Maryland)があります。アナポリスには、海軍大学である海軍兵学校(US Naval Academy)も有名です。

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留学を考える  その30 メイン州—-Vacation Land

合衆国本土の地図をみますと、最東北部に小さな州がメイン(Maine)が位置しています。州都はオーガスタ市(Augusta)。カナダと長く国境線を有し、東と南は大西洋がひろがる州です。西はニューハンプシャー州(New Hampshire)、ヴァモント州(Vermont)、北西はカナダのケベック州(Quebec)、北東は同じくニュー・ブランズウィック州(New Brunswick)に接しています。州の内部には森林が広がり、海岸線は観光地として知られています。メインはニューイングランド(New England)の一部です。Maineという州名は「Mainland」から由来します。

現在メイン州となっている領域には数千年前から先住インディアンが住んでいたといわれます。ヨーロッパ人が接触した時にはアルゴンキン語族(Algonquins)のワバナキ族(Wabanaki)がいました。ヨーロッパ人による最初の開拓地は、1604年にフランス人、シャンペイン(Samuel de Champlain)がサンクロワ島(St. Croix Island)に設立したものでした。

イングランド人による最初の開拓地は、1607年にバージニア会社(Virginia Company)が設立したポパム植民地(Popham Colony)だったが、短命に終わります。地元インディアンとの抗争や過酷な気候や物資の欠乏がその理由です。

アメリカ独立戦争では、アメリカの愛国者とイギリス軍がメインの領土を巡って争いました。フランス系カナダ人(French Canadians)がメインに入植してアングロサクソン(Anglo-Saxons)との文化的な葛藤も経てきたようです。1820年まではメイン地区としてマサチューセッツ州に属していましたが、1820年にマサチューセッツ州から独立します。

メイン州の海産物はなんといってもロブスター(lobster)、そして貝類(clam)。豊富な海産物を背景に観光客には、必ず立ち寄るのが海産物を用意しているレストランとなります。その他、家禽及び卵、乳製品、牛、ブルーベリー、リンゴ、そしてメイプルシロップです。

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留学を考える その29 ルイジアナ —-Sportman’s Paradise

ルイジアナ州(Louisiana)は歴史や文化に関して実に興味ある州です。 かつてヨーロッパ諸国の植民地であったことを物語る州です。州内の幾つかの都市圏では、多文化、多言語の遺産が残っています。18世紀に領域を支配したフランス人やアカディア(Acadian)と呼ばれたフランス系入植者、さらに1821年まで北米や中南米を支配したヌエバ・エスパーニャ(Nueva Espana)と呼ばれるスペイン人の文化に強く影響されたところです。またネイティブアメリカン(インディアン)や、西アフリカから奴隷として連れてこられたアフリカ系アメリカ人(Aflican American)の文化の影響も見られます。混合文化というのでしょうか。

フランス系アカディア人は、ルイジアナ州南西部、特にアチャファライア盆地(Atchafalaya Basin)など湿地に入植して農産物を生産します。こうした人々はケイジャン(Cajun)と呼ばれるようなり、言語や音楽、料理などにフランスの影響を持ち込み English)と呼ばれるフランス語を基礎とする英語の方言が今も使われます。アクセントに特徴があります。YouTube上にはケイジャン英語の特徴が紹介されていて面白いです。

元フランス領であったルイジアナは1812年にアメリカ合衆国の州になります。アメリカが買収したのです。民法は近代市民社会の法の規範と呼ばれたナポレオン法典(Code Napoleon)が援用されます。「法のもとの平等」、「国家の世俗性」と「信教の自由」などが基礎となっています。

フランス植民地時代の影響は行政区の名称にもあります。通常、州内の区画はカウンティ(county)が使われますが、ルイジアナではパリッシュ(parish)が使われます。Parishとはキリスト教会が用いる「教区」のことです。ルイジアナ州だけがParishを使うのもフランスの影響が大きいということです。そのた、地名をながめてもフランス語だらけのような印象をうけます。州都はベイトンルージュ市(Baton Rouge)、最大の都市はニューオーリンズ市(New Orleans)です。「Louisiana」とは「Land of Louis」。つまりルイ十四世(Louis XIV)の統治下で名付けられたところです。

ルイジアナはミシシッピー川沿いに発達します。ミシシッピ川流域の農産物の輸出港として発展し、のちには工業都市・観光都市としても発展したのがニューオーリンズです。フランス植民地の雰囲気が残るあたりが観光の中心です。フレンチ・クオーター(French Quarter)です。ですが現存する建物はスペイン統治時代のものが多いといわれます。

独立戦争後は、さまざまなアングロアメリカン(Anglo-Americans)と呼ばれる英国系の米国人の入植者が増加し、やがて英語が公用語となっていきます。ですが、今でもルイジアナに住むネイティブアメリカンは合衆国でも最も多いところとなっています。

ルイジアナのライセンスプレートには「Sportman’s Paradise」とあります。温暖な気候のもとで、釣りをはじめとする野外活動が盛んだからでしょう。

高等教育機関です。ベイトンルージュにあるルイジアナ州立大学(Louisiana State University)、ラフィヤット(Lafayette)にあるルイジアナ大学(University of Louisiana) が有名です。

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留学を考える その28  ケンタッキー州—Bluegrass State

ケンタッキー州(Ketucky)といえば、(Stephen Foster)が作詞作曲した「ケンタッキーの我が家」(My Old Ketucky Home)を想い出します。70代以上の人なら誰もが聞き口ずさんだことのある哀愁味漂う曲です。フォスターは他にもスワニー河(Swanee River)、オールドブラックジョー(Old Black Joe)、夢見る人(Beautiful Dreamer)など150曲余りを作りました。彼は「アメリカの音楽の父」と呼ばれています。

私と家族はかってジョージアからウイスコンシンへ向かう途中、ケンタッキーをとおりました。「ケンタッキーの我が家」のメロディが浮かんだのはいうまでもありません。ですがMy Old Ketucky Homeが公式な州歌であることを知ったのは、ずっと後のことではあります。

ライセンスプレートには「Bluegrass State」とあります。草原を遠くから眺めると青紫色のつぼみが一面広がり、「青い草」に見えたので名付けられたとあります。ブルーグラス・ミュージック(Bluegrass Music)です。スコットランドやアイルランドの音楽を基にしています。アップテンポ(uptempo)の曲が時代と共に多くなり、速弾きなどのインプロヴァイズ(improvise)即興演奏もあります。お隣テネシー州(Tennessee)でもこの音楽は盛んです。

ケンタッキーはイリノイ、インディアナ、オハイオ、ミズリー州に囲まれ、オハイオ川とミシシッピー川で州境をなしています。東側にはアパラチア山脈(Appalachian Mountains)が聳えていて、豊かな自然に恵まれています。この州はなんといっても「ブルーグラスの州」と呼ばれ、肥沃な土壌からの多くの農産物がとれます。州都はフランクフォート(Frankfort)。最大の都市はルイビル(Louisville)となっています。

レキシントン(Lexington)大都市圏はケンタッキー州の文教地域でもあります。フランクフォートには、アフリカン・アメリカンのための高等教育機関として設置されたケンタッキー州立大学(Kentucky State University)がキャンパスを構えています。また、レキシントンにはケンタッキー大学(University of Kentucky)があります。

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留学を考える その27  カンザス州—Great Plains

カンザス州(Kansas)は地図を見ますと合衆国の「へそ」にあります。北側はネブラスカ州、東側はミズーリ州、南側はオクラホマ州、そして西側はコロラド州となっています。州都はトピカ市 (Topeka)、州最大の町はウィチタ市 (Wichita)です。カンザス・シティ (Kansas City)もミズリー川沿いにある活気のある町です。

州名、Kansasは、ネイティブアメリカンである「Kansa族」に由来します。 「Kansa」とは「風の民」、とか「南風の民」と呼ばれていたようです。かって、ネイティブアメリカンはカンザスでアメリカ・バイソン(bison)やバファローを捕獲して暮らしていたといわれています。部族のほとんどは、西部開拓の影響で西へ北へと追いやられた歴史があります。19世紀初頭に東部の森林地帯から強制移住させられされてカンザスに定住しました。居留地区があちこちにあります。

アメリカの「大平原」(Great Plains)というのは、この州がもっとも当てはまるのではないかと思えるくらいの景色が広がります。平原をさす単語に「prairies」というのもあります。大平原はまさに一大穀倉地帯です。平坦でときになだらかに起伏しているのですが、農業生産品は牛、豚や羊、小麦、トウモロコシ、ひまわり種、大豆、綿、及び塩となっています。ライセンスプレートのデザインはその州を表しますが、カンザス州のは小麦の穂が配置されています。

高等教育機関として、ローレンス市に拠を置くカンザス大学(University of Kansas)、カンザス州立大学(Kansas State University) 、ウィチタ州立大学(Wichita State University)、教員養成カレッジであるエンポリア州立大学(Emporia State University)も人気があります。

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留学を考える その26  アイオワ—America’s Heartland

アイオワ州(Iowa)のライセンスプレートには、穀物を保存するサイロや納屋が背景に印刷されています。トウモロコシと小麦の生産で有名なアイオワが今回の話題です。北はミネソタ州、東はウィスコンシン州及びイリノイ州、南はミズーリ州(Missouri)、そして西はネブラスカ州(Nebraska)及びサウスダコタ州(South Dakota)に囲まれています。州都で最大の都市はデモイン(Des Moines)です。

アイオワには、東がミシシッピー川(Mississippi)、そして西はミズリー川が流れています。豊かな農産物などがこの川を使って運ばれています。アイオワは結構なだらかな丘陵が折り重なって農作物の生産に適しています。

アメリカの中西部は「コーンベルト」と呼ばれトウモロコシの一大生産地です。アイオワはその中で生産量が全米でトップを誇ります。車でどこまで走っても穀倉地帯が広がります。豊饒の地といえましょう。大豆、豚の生産量も全米第一位となっています。従って、穀物市場の金融や流通、そしてバイオテクノロジー研究開発などでも盛んな州です。

アイオワのあたりは、「アメリカの中心」とか「アメリカの心臓部」(America’s Heartland)とも呼ばれて、恐らく世界一の農業地帯であります。アメリカは工業国ではありますが、なんといっても主役は農業なのです。トウモロコシと小麦の生産高からは、アメリカは農業国と呼ぶにふさわしいといえます。

アメリカの小学校では、アメリカの探検と開拓の歴史を学びます。そこに登場するのは、フランスからきたジャック・マークエット(Jacques Marquette)とルイス・ジョリエ(Louis Jolliet) という探検家です。この二人が中西部を探検したのは1670年代の頃です。マークエットはもともとフランスの宣教師でした。一方ジョリエはカナダ、ケベック生まれのフランス人でした。この二人の探検家は一緒に主にミシシッピー川(Mississippi)とその支流を使いアイオワ、ウィスコンシン、ミシガン、イリノイなどを調べメキシコ湾にも到達します。ジョリエの貢献は、彼の名前を付けた町が沢山あることに現れています。

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留学を考える その25 インディアナ—The Crossroads of America

インディアナ(Indiana)の州都はインディアナポリス(Indianapolis)。ちょうど鉄道や沢山のインターステイツ(ハイウエイ)が交差するところにあります。また「ユニオン・ステーション」(Union Station)が最初に建てられたところとしても知られています。そのため、ナンバープレートには「The Crossroads of America」と印字されています。合衆国の大きな駅はユニオン・ステーションと命名されているのをご存じでしょうか。

北にミシガン州(Michigan)、東にオハイオ州(Ohio)、東にケンタッキー州(Kentucky)そして南と西にイリノイ州(Illinois)と接しています。北西部はシカゴ市の巨大な都市圏となっていて、産業が盛んです。その中心がゲーリー市(Gary)です。

インディアナはCorn Beltと呼ばれるウモロコシの農場が広がります。トウモロコシは養鶏や養豚の飼料となります。飼料は世界中に輸出されています。アメリカの穀物地帯でもあり、Grain Beltともいわれ、市場を押さえています。その中心がインディアナということです。大豆、鶏卵、メロン、トマト、ブドウ、タバコ、ハッカの生産も盛んです。

州北西部は合衆国内の最大なスチール生産地域となっており、製造業は自動車、電気設備、化学製品、ゴム、石油及び石炭製品、並びに産業機械となっています。研究開発の中心は、インディアナ大学(Indiana University), インディアナ州立大学(Indiana State University)、パディユ大学(Purdue University)、ボール州立大学(Ball State University)、ノートルダム大学(University of Notre Dame)などの大学です。インディアナ大学は1820年に設立された大学システムです。州内に8つのキャンパスを有します。その基幹キャンパスがBloomingtonにあります。
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留学を考える その24 イリノイ州—Land of Lincoln

シカゴ(Chicago)は誰でも聞いたことのある大都会。日本から直行便で12時間、オヘア国際空港(O’Hare International Airport)に着くとそこはシカゴ、イリノイ州(Illinois)です。

ここの州都はシカゴではなくスプリングフィールド(Springfield)です。エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)が弁護士や上院議員として活躍したことで知られています。アメリカは一番大きな街が州都になるとは限りません。例えばカリフォルニアは州都がサクラメント(Sacramento)です。サンフランシスコやロスアンジェルスは遥かに大きな都市ですが州都ではありません。

さて、リンカーンのことです。アメリカ第16代の大統領です。その功績は人種差別運動の先駆者ともいうべき人とされています。その運動の伏線には、ハリエット・ストウ(Harriet E. Stowe)という小説家が書いた「アンクル・トムの小屋」(Ancle Tom’s Cabin)があります。この作品で、当時の黒人の生活と差別の実態が全米の人々に知れ渡ることになります。差別への関心がやがて、アメリカを二分する南北戦争(Civil War)へと展開していきます。

アメリカ南部は綿花を栽培することが中心。畑には多くのが黒人労働者が使われていました。映画「風と友に去りぬ」(Gone with the Wind)は、南部が舞台でした。メイド役の黒人女性が、一人娘の死で打ちひしがれる農場主レッド・バトラー’Rhett Butler)を慰めるシーンがありました。帰還する兵士アシュレー(Ashley Wilkes)を見て、スカーレット・オハラ(Scarlett O’Hara)がかけ寄ろうとするのを押しとどめるのはこのメイドでした。

南北戦争の最中、共和党員であるリンカーンは二分しかかったアメリカを一つにしようと呼びかけた有名な演説をします。それが1862年9月22日の奴隷解放宣言(Emancipation Proclamation)と1863年11日9日のゲティスバーグ演説(Gettysburg Address)です。イリノイ州のナンバープレートには「Land of Lincoln」と記されています。

高等教育機関では、シカゴ大学(University of Chicago)、ノースウェスタン大学(Northwestern University)、イリノイ大学(University of Illinois, Urbana-Champaign)など名だたる大学があります。州内には公立私立併せて20以上の4年制大学があます。その他多くのリベラルアーツのカレッジや公立のコミュニティ・カレッジがあります。日本の留学生も多いところです。
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tomtud 5539835467_a7d3d8de23_b univ_illinois_urbana University of Illinois, Urbana-Champaign

 

 

留学を考える その23 アイダホ—Famous Potatoes

復帰前の1970年に沖縄に赴任したとき、那覇市内の公設市場で見たときのジャガイモ、馬鈴薯があまりに大きので驚いたものです。袋にアイダホ(Idaho)が印字されていたのを覚えています。本土復帰の前でしたので、たくさんの食料品がアメリカやヨーロッパから沖縄に入ってきていました。ランチョンミート(luncheon meat)もそうです。数年前に、スパムという商品名がついていると友人から教わりました。

北海道育ちの私はジャガイモをよく食べていましたが、Idahoのは格別大きかったです。アメリカ人は実にジャガイモとステーキの組み合わせが好きです。ジャガイモには肉汁がかけられます。

「Famous Potatoes」というニックネームがつくのがアイダホ州(Idaho)です。北はカナダのブリティッシュコロンビア州(British Columbia)に接し、西はワシントン州(Washington)とオレゴン州(Oregon)に、南はネバダ州(Nevada)とユタ州(Utah)、そして東はモンタナ州(Montana)とワイオミング州(Wyoming)に接しています。州都はボイヅイ(Boise)。大部分が山岳地帯となっていますが農業も盛んな州です。アイダホ州の別な愛称は「宝石の州」。

アメリカのライセンスプレートは、州や郡ごとに独自のデザインで発行されており、非常に色彩豊かです。そして特徴を表現するキャッチフレーズが印字されています。通常2年ごとにプレートのデザインは変わります。追加の手数料を支払えば自分のライセンスプレートを作ることもできます。それ故、一つの州には沢山のプレートがあり、蒐集家を喜ばせてくれます。合衆国の多様性を感じることの一つがライセンスプレート。

高等教育機関ですが、アイダホ大学(University of Idaho)、アイダホ州立大学(Idaho State University)、 ブリガム・ヤング大学アイダホ校(Brigham Young University, Idaho)、ボイヅイ州立大学(Boise State University)などがあります。アイダホ大学は世界で初めてラバのクローンを誕生させたことで知られています。なお、ブリガム・ヤング大学は末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教会)が運営しています。

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留学を考える その22 ハワイ州—Aloha State

旅行好きな人もそうでもない人も一度は立ち寄るところがハワイ(Hawaii)です。言葉が通じ、食べ物が豊富で美味しく、景色がエキゾチックで、気候が温暖なのですから人気が高いのもうなずけます。誠に手頃な観光地です。ですが文化や歴史の多様さもまたハワイの魅力です。

ハワイ固有の文化はポリネシア系(Polynesian)です。音楽、舞踊、服装、料理などがそうです。1778年にイギリスの探検家、ジェームス・クック(James Cook)によって世界に紹介されます。 州として合衆国に編入されたのは1959年。カメハメハ大王(King Kamehameha the Great)の統治が長く続きました。その間、日本から多くの人々が移民しました。主としてオアフ島(Oahu)やハワイ島(Big Island)でのサトウキビ、パイナップル、珈琲栽培のためです。琉球からの移民が目立ちました。今も琉球の名前を持つ人々が大勢住んでいます。

先住のハワイ人やポリネシア系が約10%なのに比べ、日系人は17%を占めます。政治、経済、社会における活躍は目覚ましいものがあります。日系人の活躍としては、戦時中の志願兵の活躍が特筆されます。ハワイで生まれの若い日系アメリカ人の多くは、祖国に対する忠誠心を示し陸軍の大隊に入ります。この部隊は日系人だけで組織されていたようです。やがてアメリカ本土の日系人部隊と合流し第442連隊戦闘団(he 442nd Regimental Combat Team)となりヨーロッパ戦線にて戦果を上げます。オアフ島の真珠湾に浮かぶ戦艦アリゾナ記念館(USS Arizona Memorial)や戦艦ミズリー号(USS Missouri)などを訪れると太平洋戦争の歴史が身近なものとなります。

ハワイ州は、大小100位の島々から成ります。これらは海底火山によってつくられました。州都ホノルル(Honolulu)のあるオアフ島は最も知られていますが、是非訪ねたいのはハワイ島やカウアイ島(Kauai)、モロカイ島Molokai)などです。ハワイ島には日系移民によって開発された一番大きな町、ヒロ(Hilo)があります。そこに日系移民博物館があります。驚くことに、館内の展示物には代々の天皇の「写真」が飾ってあります。日本に対する深い想いがこめられているのを感じます。近年マウイ島(Maui)が非常に人気あります。アメリカ本土の都市から沢山の直行便があるほどです。登山、ハイキング、水泳、自転車などでのツーリングが楽しめます。私事ながら、2010年の家族との再会はマウイ島でした。

ハワイ島のマウナケア山頂(Mauna Kea)付近は、国立天文台が設置したすばる望遠鏡があります。周りには世界各国の天文台も並んでいます。ここに兵教大の院生とで天文台内部を見学する許可を得て訪ねました。ついでに山頂へも登ったのですが、酸素が薄くて息が苦しかったのを覚えています。一行にいた理科の教師にはたまらない見学ツアーとなったようです。ハワイ島のキラウエア(Kilauea)火山からの熔岩流は今も蒸気を上げています。そして虹が地平線から地平線まで見事なアーチを描きます。

ハワイ大学(University of Hawaii)システムとして3つの四年制大学、7つの二年制短期大学(Community College)を擁しています。基幹大学はホノルルにあるハワイ大学マノア校です。附属研究機関としてハワイ島にあるマウナケア天文台があります。大小の島々からなるハワイでは、インターネットや衛星放送などによる教育が盛んに行われています。いわゆるeラーニング(e-learning)です。

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留学を考える その21 ジョージア州—Peach State

私がアメリカ留学のために国際ロータリー財団主催の英語研修で2か月過ごしたのがジョージア州(Georgia)のステイトボロ(Stateboro)という小さな町です。家族を引き連れての短い滞在でした。各国からの50名くらいの奨学生と一緒に、南部の人々の親切さ(Southern Hospitality)や暖かい気候を満喫しました。そのせいもあってか、私の英語には南部訛りがあるようです(^^)。

南部アトランタ(Atlanta)はジョージア州最大の都市であり州都です。コカコーラやCNN、保険会社アフラック(Aflac)の本社などがあることでも知られています。ここはまた映画の舞台でもあります。「風と共に去りぬ」を書いたマーガレット・ミッチェルの博物館(The Margaret Mitchell House)がダウンタウンにあります。マーチン・ルーサー・キング牧師が説教していたエベネゼル・バプティスト教会(Ebenezer Baptist Church)、そして氏の功績を称えるThe King Center博物館は必ず立ち寄るべきところです。政界ではジミー・カーター大統領(James A. Carter)がでたところです。

大西洋側にサバンナ(Savana)という港町もあります。植民地時代は、サバンナは綿花のヨーロッパへの輸出港でした。今も貯蔵倉庫が建ち並び、多くのレストランなどに改装されています。マスターズ・トーナメントのゴルフ大会が開かれるのがオーガスタ(Augusta)です。メンバーは世界中に約300名、会員になるためには数10年程待たなければならないそうです。

有名な人物を輩出した割には、ライセンスプレートは明るくのどかなものです。プレートには桃がデザインされています。ジョージア州はスイカ、メロンなどの果物が多いのです。特に桃は有名なので「Peach State」桃の州と呼ばれています。

大学ですが、1785年創立の高等教育機関であるジョージア大学(University of Georgia)、ジョージア州立大学(Georgia State University)が知られています。

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留学を考える その20 フロリダ州–Sunshine State

日本人にもフロリダ州(Florida)はよく知られています。子どもや親にとってはわくわくするところです。その第一は、オーランド(Orlando)にあるディズニー・ワールド(Disney World)です。世界一の娯楽施設です。その広さはJR山手線内の約1.5倍というのですから、まさに桁外れのものです。その敷地内には、4つのテーマパークを中心に、ウォーター・パーク、エンターテイメントエリア、マリーナ、ゴルフ場、牧場、キャンプ場などが配置されています。

タイフーン・ラグーン(Tyhoon Lagoon)、マジック・キングダム(Magic Kingdom)、、、どれをとっても娯楽の粋を集めてそのアイディアを競っています。レストランにはミッキーマウスや小熊のプーさんがテーブルを回って写真を一緒に撮ってくれます。子どもたちはもう大喜びです。夢を子ども達に与えるのがこうしたテーマパークの「テーマ」といえましょう。オーランドにはユニバーサルスタジオ(Universal Studio)もあります。ディズニー・ワールドとあわせて毎年6,000万以上の人々がオーランドを訪れるというのです。

その第二はアメリカ航空宇宙局 (National Aeronautics and Space Administration: NASA) のケネディ宇宙センター(ohn F. Kennedy Space Center)があります。数々のロケットやスペースシャトルが打ち上げられてきたところです。軍事用の偵察衛星や通信衛星、気象衛星、そして惑星探査機の打ち上げにセンターが使われています。

フロリダの州都はタラハシ(Tallahassee)。ライセンスプレートには「Sunshine State」とあります。文字通り太陽の降り注ぐ温暖な州です。特に冬は、各地から避寒客がやってきます。冬、極寒の中西部では、「フロリダに行ってくる」というフレーズは周りの人からは羨ましがられるのです。

フロリダはまた豊富な漁猟資源でも知られています。特産のエビや牡蠣(かき)でも有名です。映画「フォレストガンプ(Forrest Gump)」の終盤で、ベトナムの戦友と再会しエビ捕りにでかけるシーンがあります。柑橘類の果実及びジュース生産も盛んな州です。

フロリダ州の大学です。フロリダ州で最古、最大規模の大学がフロリダ大学(University of Florida)です。1853年に神学校として創立されという興味ある歴史を有しています。フロリダ州立大学(Florida State University)も知られています。
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