認知心理学の面白さ その四十一 セルフヘルプと構造化された技法

エリス (Albert Ellis) の論理情動行動療法(Rational Emotive Behavioral Therapy: REBT)は、認知の中でも評価的認知に注目すること「理にそぐわない信念」とか思い込みを現実的で柔軟な願望に変えていくことを重視するものです。より健康な考え方に変えるための指針として、その考え方が「論理的か,実証的か,有益か」をチェックするのです。エリスさらにその指針にそって、新しい健康な考え方を再構築し、それが自分に身につき腑に落ちるまで日常生活の中で練習するという過程を強調します。この考えを「認知枠組みの再構成 (cognitive reconstruction) 」と呼びます。

REBTには、セッションを行う上で以下の特徴があります。
1.  セルフヘルプ(self-help)
REBTは健康な思考・感情・行動の主体は自分自身であり、REBTの技法と発想を身に付け、自らが日常生活で絶えず実践しつづけていくことを重視する。クライエントは、自らが己の「カウンセラー」になることを目指す。
2.  構造化された技法
REBTでは問題を具体的に絞り込んで把握していくためのABC理論(A=できごと、B=信念、C=結果[感情・行動])というプロセスが標準ステップとして構造化される。REBTが学習・実践の両面において取り組みやすく、誰が取り組んでもほぼ同一の効果が期待できることを意味する。
3.  日常生活での実践の重視
カウンセリング・セッションや授業以上に、問題を日常生活で自分自身で取り組んでいくことを重視する。

ABC理論により問題を具体化していくこと、各ステップを適切に遂行することを支援する標準ツール例えば、「セルフヘルプ・フォーム(self-help form」があります。これを使うことで初心者でも早い段階から一人で取り組むことができるとエリスは言います。

認知心理学の面白さ その四十 論理情動行動療法の方法

論理情動行動療法(Rational Emotive Behavioral Therapy: REBT)とは、自滅的になって自分を苦しめてしまうような「不健康な感情」を変えていくように自分自身で取り組んでいく技法とされます。それは具体的にはどのような技法かについてです。

REBTは、まず不健康な感情に取り組むことから始めます。例を挙げると、登校しないとか、出勤しないという課題と取り組む前に、それに伴う不健康な感情である不安や怒り、うつといったことを健康な感情である悲しみや笑い、長閑することで生活を前向きに捉えようとします。

“It feels like people are always trying to avoid me.”

REBTでは、不健康な感情は自分の認知がつくり出していることを知ることにつとめます。他者の行動や過去のエピソードといったことが、自分を苦しめる不健康な感情を起こすとは考えないのです。外部のできごとを捉える認知の仕方が不健康な感情を生み出す主因であると考えるのです。

次ぎに、健康な考え方を身につけることだ大事だとされます。REBTは、認知を知覚に基づく事実認知、事実に基づく推論推論的認知、そして事実認知や推論的認知に基づく自分や他者、人生に対する評価という評価的認知の3種類に分類します。

認知の例とは次のような状態です。
—> 事実認知:あなたは眼をそらした。
—> 推論認知:あなたは私を嫌っている。
—> 評価認知:私は嫌われてはならない。

この認知の状態で、特に不健康な感情を生み出す認知は評価的認知にあります。自分や他者、そして人生への「理にそぐわない信念」といわれる「イラショナル・ビリーフ(irrational belief)」に注目します。「理にそぐわない信念」の例としては、「私は/あなたは/人生は、~ねばならない(must)/そうでなければ価値がない/耐えられない/絶対に!」といった強烈な思い込みです。

認知心理学の面白さ その三十九  アルバート・エリスと論理情動行動療法

アメリカの心理学者の一人にアルバート・エリス(Albert Ellis)がいます。伝記を読みますと、幼少期はつらい生活環境だったようです。5歳から7歳にかけて8度の入退院を繰り返したとあります。両親の病院訪問はほとんどなかったそうです。母親が情動的に不安定で家にいなかったこともありました。そのためエリスは兄弟姉妹の面倒をみなければならなかったと回想しています。折りしもアメリカは1929年に始まった大恐慌に見舞われます。エリスは兄弟とともに家族のために働かざるをえなかったようです。こうした複雑な家族で育ったエリスは後年の研究分野として双極性障害(bipolar disorder) といわれる躁状態とうつ状態の病相を繰り返す精神疾患の治療にあたることになります。

エリスは1947年にコロンビア大学 (Columbia University) で臨床心理学の学位を取得します。その後、ニューヨーク市内でアルバート・エリス研究所 (Albert Ellis Institute) を立ち上げます。やがてアメリカにおける認知的行動療法 (cognitive-behavioral therapies)の創始者の一人として活躍します。こうして精神分析学の世界から決別していきます。

エリスが唱えた療法は論理情動行動療法(Rational Emotive Behavioral Therapy: REBT)といわれます。日本人生哲学感情心理学会サイトによりますと、REBTとは「自滅的な行動を伴って自分を苦しめるような「不健康な感情」を「健康な感情」に変えていくように自分自身で取り組んでいく技法」と説明されています。「健康な感情」とは、自己の目的を妨げず、長期的に人生を楽しめる感情であるとします。

認知心理学の面白さ その三十八 スキーマと同化と調節、そして均衡化ージャン・ピエジェ

ピアジェの研究の手法は、三人の我が子の観察をとおして理論を構築していったことに特徴があるといわれます。その手法に対しては、子供は同質な被験者でありもっと違った対象を観察すべきであるという批判も一部にはあります。

ピアジェの認知発達には「スキーマ(schema)」という用語が登場します。「スキーマ」とは身の回りのことを把握するために持っている自分の知識や概念、行動を指します。泣くとミルクがもらえるとか、なにかをやり遂げると褒美がもらえるのだ、というスキーマが形成されます。学習とはスキーマが増えることです。このようなスキーマから、他のことを与えられて行えば褒美がもらえるのだと理解します。これが同化(assimilation)と呼ばれます。しかし、大きくなるとこのスキーマが通用しなくなります。我慢するとか耐えるという行動によって褒美を貰えることを学習します。つまり既存の知識によって、新たなものを得ることを知るのです。このようにスキーマを変化させることをピアジェは調節(accommodation)と呼んでいます。

ピアジェはさらに、子供の発達には均衡化(equilibration)という状態が生まれると主張します。子供の発達はスキーマの修正したり変化させていく過程です。これを繰り返すことによって,主体のもつスキーマをより高次のものに構造化したり、ある認識を次の段階のさらに安定したものに発達させたりします。つまり,同化と調節を繰り返すことによって,これまでなかった新しいスキーマを追加したり,間違っていたスキーマを修正したりすることによって,均衡のとれた発達を遂げていくのだと考えたのです。

最初の稿で、ピアジェは若いとき生物学に高い関心を持っていたことに触れました。均衡化とは、有機体はその環境に適応しようとするものを持っているという前提にたちます。ピアジェは知識の構造の再体制化を図るのは生物学的にはうなずけるとして、生物学の理論を認知発達に持ち込んだのではないでしょうか。

認知心理学の面白さ その三十七 発生的認識論とジャン・ピエジェ

ピアジェの発達理論は、人間の認知の発達についての研究結果です。人間の認識の発生を系統発生 (phylogenesis)と個体発生(ontogenesis)との両面から考察しています。系統発生とは、人間の認識は人間が科学的な知識を積み重ねてきたこと、個体発生とは個人の中でも積み重ねることによって発生してくると考えたのです。これは発生的認識論(genetic epistemology)と呼ばれます。

ピアジェは,人間の思考に関して質的に異なる4つの段階を設定しています。それを簡単に紹介しましょう。
1  感覚-運動期(sensorimotor stage)
この時期は生まれてから2歳くらいまでの発達過程です。生まれつき持った反射によって刺激に対して反応します。自分の身体部位を連続的に繰り返し動かしたり、ものを掴んで投げ、跳ね返ったりすることを繰り返し行います。周りの動きや五感を通して周りを知覚しますが、自己中心的な行動に終始します。

2  前操作期 (preoperational stage)
この時期は2歳から7歳くらいまでの発達過程といわれまです。話し言葉を覚える時期です。遊びは紙で皿をつくったり、箱で家を作ったりしながら、ものごとの象徴や順序を覚えていきます。「ごっこ遊び」がそうです。これは,思考が表象や象徴による心的イメージによって行われる現象です。ですがまだ抽象的な思考が不十分です。たとえば自分の家の犬と隣の犬は、「犬」という共通なものではなく別のものとしてとらえています。認知発達としてはいまだ論理や情報の操作ということは困難です。

3  具体的操作期 (concrete operational stage)
7~10歳頃を指します。この時期には,数の保存や系列化,たてゴリ化など簡単なある性質や共通点をもとに思考ができるようになります。ある性質をもつグループとまた別の性質をもつグループの共通項、つまりどちらのグループにもにも属するものを推理することができることです。論理と保存という概念を理解し、抽象的な思考の基礎ができる時期といえます。

4  抽象的操作期 (formal operational stage)
抽象的操作期とは,11~14歳の時期をいいます。この時期おいては,思考が現実の具体的な出来事の内容や時間的な流れにとらわれることがありません。そして,現実を可能性の中のひとつとして,位置づけて論理的に思考が行われます。内容に依存することなく,純粋に形式のみに従って論理的な思考が可能となるのです。それが、仮説演繹的思考とか組み合わせ思考、計量的な概念といった特徴です。

認知心理学の面白さ その三十六 認知の発達とジャン・ピアジェ

心理学界では右の横綱はフロイド(Sigmund Freud)、左はスキナー(Burrhus Skinner)といえそうですが、認知心理学界の横綱といえばジャン・ピアジェ(Jean Piaget)であることに異論はでないでしょう。フロイドは精神分析学の大家でありますが、ピアジェも精神分析を研究した経緯があります。ともあれ子供の認知発達と発生的認識論を構成主義(constructivism) という枠組みで考えた希有の心理学者です。

Jean Piaget (1896-1980), the Swiss psychologist and philosopher, teaching children in a classroom. Much of his study of theories of human knowledge (epistemology) was based on how children’s minds develop. Piaget showed that children think in different ways to adults. He demonstrated that children’s misconceptions are often entirely logical if their limited knowledge is taken into account. Consequently, he thought that there is often more than one way of knowing something. He believed that children constantly build and test their own theories about the world. Piaget’s work led to the creation of scientific fields such as developmental psychology and cognitive theory.

1896年にスイス(Switzerland)で生まれます。ノイエチャッテル大学 (University of Neuchatel)で中世の歴史を研究する父親の薫陶を受け、生物学など自然科学に関心の高い子供であったようです。15歳のとき、動物学の分野で発表した論文が高い評価を受けたという記録さえ残っています。

ノイエチャッテル大学で学位を得てから、パリ(Paris)へ移りそこで知能検査であるスタンフォードビネー検査 (Stanford–Binet Intelligence Scales) の開発でビネー(Alfred Binet)の下で働きます。スイスのジュネーブ(Geneva)に戻った後は、ルソー研究所(Rousseau Institute)の所長となります。

やがてジュネーブ大学(University of Geneva)やパリのソルボンヌ大学(Sorbonne University )で教えます。1955年にはジュネーブ大学内に国際発生認識センター (International Center for Genetic Epistemology)を創設します。その間、コーネル大学(Cornell University)やカリフォルニア大学バークレイ校(University of California, Berkeley)などでも講義しています。

生涯を終える1980年まで、発生認識センターの所長として研究に従事します。このセンターにおける華々しい活躍と多くの業績を指して周りの人々は「ピアジェの町工場」(Piaget’s factory)と呼んだほどです。我が国の発達心理の発展や教育界に及ぼしたピアジェの貢献は計りしれないものがあります。

認知心理学の面白さ その三十五 人格理論とゴードン・オルポート

古代インドやギリシャで唱えられた人格の原型ともいうべきものに四気質があります。古代ギリシャ(Greek) の医師ヒポクラテス (Hippocrates)は、体液によって「胆汁質」、「多血質」、「粘着質」、「憂うつ質」の気質があるという考えました。ギリシャの医師ガレヌス (Claudius Galenus)も四体液説にそって人体理論を構築したといわれます。「体液の運動が肉体と精神の統一を確保している」 という説です。自分がどの気質に偏っているかによって、自分を知ることができると考えたのです。あながち間違っているとはいえないようです。

 

 

 

 

アメリカの人格研究者にゴードン・オルポート (Gordon Allport) がいます。1898年生まれですから、人格の研究としては草分けのような存在です。若いとき、ウィーンにいたフロイド(Sigmund Freud)を訪問し精神分析の理論から示唆を得たことがあります。

オルポートの研究テーマは人格です。人格とはPersonality の訳ですが、語源はラテン語の「persona」です。ブリタニカ国際大百科事典によると、「persona」の語義からパーソナリティとは,「個体内における,その環境に対する彼独特の適応を規定する心理・生理的系の力動的体制である」という定義が定着しているとあります。「persona」は「仮面をかぶった人格」という訳もあります。「得体の知れない」とか「つかみどころがない」といったいかようにも解釈できそうな人間の側面も表しています。

オルポートは人間の心理において無意識とか社会的要因が果たす役割を否定はしなかったのですが、意識的な動機とか状況といった要因を非常に重視した研究者です。状況というのは過去の出来事に依存するものではないという説です。

オルポートは人格論を展開するとき、精神分析はあまりにも深層すぎること、行動主義はあまりにも表層的な理論であるとして否定します。むしろ個人の特性や個人の脈絡に注視し、人格の理解には過去の脈絡を重視しない立場を堅持します。オルポートにとって人格の原型とされる四気質などの先天的な特性は、人格の構成要件とはならなかったようです。

認知心理学の面白さ その三十四 ヴィゴツキと「発達の最近接領域」

ヴィゴツキが発達心理学者としての名声を確立した学習理論に「最近接発達領域」(Zone of Proximal DevelopmentーZPD)があります。「最近接発達領域」とは、とっつきにくい用語ですが、「最も近接している発達の領域」ということです。これでもなお分かりにくいのですが、子供達の仲間など他者との関係において「あることができる=わかる」という行為の水準、ないしは領域のことです。

どういうことかといいますと、私たちは仲間の助けなしにわかること、やれることと、仲間の助けがなくてはできないことがあることを知っています。子供も勉強しているときに、「これはできる、できそうだ、できない」という感想を持ちます。「できそうだ、できるかもしれない」という領域のことが「最近接発達領域」ということのようです。

このように考えると,子供が「できるかできないか」くらいのレベルの課題 を与えることが、発達にとって重要であると一般化されて考えられるようになりました。つまり、子供を成長させるためにはこの「できるかできないか」という水準の隔たりの部分、すなわち「最近接領域」にアプローチすることが重要であると考えられてきたのです。

「最近接発達領域」理論に基づけば、子供の成長のためには、その「できるかできないか」というレベルの課題を与えることは,子供の好奇心を刺激し,興味や関心を引くためにも有効であると言えると考えられます。「あることがわかってきた」とか、「できるようになった」、ということが発達と呼ばれます。

大人も子供も、教師という他者による教えによって学習が完成すると考えがちです。しかし、私たちはこのような大人と子供の学習に対する固定観念に縛られてはならないといえます。

認知心理学の面白さ その三十三 レフ・ヴィゴツキ

我が国でも非常に知られ、教育界に影響を与えている発達心理学者にレフ・ヴィゴツキ(Lev Vygotsky)がいます。彼は当時のロシア帝国の一部、ベラルーシ(Belarus)でユダヤ系の家族に生まれます。父親は銀行家でした。ベラルーシは、西はポーランド、北はバルト三国に位置し、今はベラルーシ共和国となっています。

1913年にヴィゴツキは国立モスクワ大学 (Moscow State University) に入学します。 当時、モスクワ大学とセントピータースバーグ(St. Petersburg) の大学には3%の入学枠がユダヤ人に割り当てられていました。ヴィゴツキは相当優秀な学業をおさめていたことが伺われます。次回に報告しますが、その後の研究活動は約10年ほどと非常に短いことです。そして37歳という若さで生涯を閉じます。

人間の発達を文化的、対人的、個人的というレベルにかかわるとします。とりわけ重視したのは、文化的レベルと対人的レベルです。それはもともと人間の人格形成にかかわる経験は社会的なものだと考えたからです。

子供達は、蓄積されきた智恵や勝ち、技術的知識を自身の養育者との相互作用を介して吸収し、それらの道具を用いて自分がこの世界でどう振る舞うかが効果的かを学んでいくとします。こうした文化的な道具を子供達が身を以て経験し内面化できるようになるのも、あくまで社会的相互作用を介してであると主張するのです。個人的レベルで営む思考や推論といった能力でさえもが、私たちの内的認知能力を育む発達過程での社会的活動に由来しています。

ヴィゴツキの理論は、学ぶ者と教える者双方のアプローチに影響を与えます。教師は子供達の注意の幅や集中力、学習技能を改善しながら、子どもの能力を伸ばすということに大きな示唆を与えます。そして20世紀後半になり教育界に顕著な影響を与えます。それは子供中心からカリキュラムの重視への方向転換、集団学習のより積極的な活用ということにあります。

1917年10月に始まったロシア革命のあと、ヴィゴツキはソヴィエト連邦の初代指導者となったレーニン(Vladimir Lenin)が率いたボルシェヴィキ(Bolshevik)政権に共鳴していきます。ツアーリ (Tsardom)の圧政に耐えられなかったのでしょう。

認知心理学の面白さ その三十二 記憶と忘却

年齢が進むと、「忘れっぽくなる」とか「度忘れが激しくなる」とよくいわれます。こうした人間の自然な現象を研究した人の一人にダニエル・シャクター(Daniel Schacter)がいます。記憶(memory)と忘却(amnesia)についての心理的、生物学的観点から研究した人です。「Amnesia」とはギリシャ語で、「忘れがちなこと」(forgetfulness)という意味です。

シャクターは2001年に有名な本「The Seven Sins of Memory: How the Mind Forgets and Remembers」を著します。文字通り、「記憶についての七つの罪ーどうして覚えたり忘れたりするのか」という題名です。記憶の七つの罪とは、「度忘れ」(Transience), 「不注意」(Absent-Mindedness), 「阻止」(Blocking), 「誤った帰属」(Misattribution), 「暗示」(Suggestibility), 「しつこさ」(Persistence), 「思い込み」 (Bias)と呼ばれます。シャクターは最初の三つの罪は不作為の罪(random sins)、後の四つは作為の罪(act sins)と呼んでいます。

「度忘れ」は時間とともに生じる記憶の減少、とりわけエピソード記憶で、遠い昔の出来事より最近の出来事のほうがよく思い出されます。「不注意」は再生のための鍵が置き換えられて、割り当てがはずれることです。再生よりも貯蔵した場所を間違ってしまい再生できない状態です。「阻止」は「不注意」の反対で、貯蔵された記憶が検索と再生されないのですが、その理由はしばしば別の記憶がそこに現れるために思い浮かばない状態です。「咽まででかかっている」状態です。

「誤った帰属」という記憶の現象は、情報は正確に再生されるのですが、その情報の源泉が誤って想起される状態です。「暗示」とは誘導尋問に答えてしまうように、確信がない記憶を他から誘導されて再生することです。「しつこさ」とはある出来事を思い出した時点で、当人の意見や感情がその再生に影響を与えてしまうことです。「思い込み」とは記憶があまりにもよく機能するとき、押しつけがましく思い出され、それが正しい情報と対立するような状態のことです。

「思い込み」を修正しにくくするのが高齢化です。別な選択を考えるといった柔軟な考えが困難になるのです。ともあれ、七つの罪とは人間全てにあてはまる特徴です。原罪のようなものといってよいでしょう。そこには救いもあるということです。

認知心理学の面白さ その三十一 「結晶的知能」とレイモンド・キャッテル

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人の知能や技能についての実験や調査を綿密に行ったキャッテル (Raymond Cattell)は、得られたデータを多変量解析(multivariate analysis)など複雑な推測統計の手法を使い結論づける優れた心理学者といわれました。非常に緻密な分析をする秀でた素養の学者です。他方、確かに知能や人格の類型化に貢献はしたのですが、遺伝や優生学の知見を人間の知能に持ち込むといういわばタブーに踏み込んでいきます。その動機はなんだったのかをもっと知りたくなります。

「流動的知能」とともに、過去の経験と学習された事実からなり年齢とともに蓄積されていく判断能力があるとして、キャッテルはこれを「結晶的知能」(crystallized intelligence)と呼びます。問題解決に「流動的知能」が活用されるにつれて、私たちは知識を蓄積し、自分たちを取り巻く世界についてのさまざまな作業仮説を展開してききます。この知識の貯蔵が「結晶的知能」であるとします。

「結晶的知能」は過去の経験と学習された事実からなり年齢とともに蓄積されていく判断能力のことです。問題解決に「流動的知能」が活用されるにつれて、私たちは知識を蓄積し、自分たちを取り巻く世界についてのさまざまな作業仮説を展開してききます。この知識の貯蔵が「結晶的知能」であるとします。キャッテルは文化的活動に「流動的知能」を投入することで得られる一連の判断技能と特徴づけます。学習経験における莫大な差が生じるのは、社会的階層、年齢、国籍、歴史的時代といった要因によるところが大きいとされます。この形式は知能は65歳くらいまで比較的一定しているとされます。

さらに、より高次の「流動的知能」を有しているかどうかが、人格と興味に関わる因子に左右される「結晶的知能」のいっそう迅速で広範な発達を促すことがあると推測します。それが知能や人格の類型化に貢献したのですが、優生学を知能にからめて持ち込むということまでやります。

キャッテルは文化的活動に「流動的知能」を投入することで得られる一連の判断技能と特徴づけます。学習経験における莫大な差が生じるのは、社会的階層、年齢、国籍、歴史的時代といった要因によるところが大きく、この形式は知能は65歳くらいまで比較的一定しているといいます。より高次の「流動的知能」を有しているかどうかが、人格と興味に関わる因子に左右される「結晶的知能」のいっそう迅速で広範な発達を促すことがあるとも推測します。

認知心理学の面白さ その三十 「流動的知能」とレイモンド・キャッテル

キャッテル (Raymond Cattell)ほど、有名でしかも学会で物議をかもした心理学者はいないでしょう。後の研究の素養はロンドン大学(University of London) のキングス・カレッジ(King’s College)での物理学や化学を勉強したことからの知見にあったのだろうと察せられます。科学の方法を学んだことが、アメリカに渡ってからの人格、気質、認知能力、動機や情動の人の知能や技能、異常心理学と治療の研究につながります。統計学の手法である多変量解析や因子分析によって16の人格要因モデルを提唱します。

キャッテルは二つの知能を提唱します。「流動的知能」 (fluid intelligence )と「結晶的知能」(crystallized intelligence)です。「流動的知能」は遺伝的に受け継がれるもので、個人差を説明するものとして役立ちます。そのピークは成人の初期にあり、その後は徐々に下降していきます。その理由は年齢と相関がある脳の変化にあると考えられます。つまり生理学的なものが「流動的知能」というわけです。

「流動的知能」は抽象的な考えや推論する能力であり、あらかじめ練習や教示がなくとも、ものごとの間の関係を見いだす能力であるとします。一連の思考ないし推論能力で、どんな論的ないし内容にも適用可能な状態であるとも考えます。やり方が前もってわかっていない場合に、私たちが用いる知能のあり方に使われるます。問題解決やパタン認識といった過程において自動的に働く作業記憶の能力と密接な関係があるとします。

認知心理学の面白さ その二十九 スタンレー・ミルグラムと服従の研究

1950年代にミルグラム(Stanley Milgram)は既に[その二十二]で紹介したソロモン・アッシュ(Solomon Asch)という心理学者と共に同調性の研究にかかわります。興味深いことをいっています。それは、人々は、自分自身の現実感覚と矛盾するようなことを言ったりやったりする準備ができているのではないかということです。ごく普通の好ましい人でも、ある種の権威が幅をきかせている状況では、自身の道義的な価値に逆らうことができるものかどうかの実験です。それを検証するために物議を醸すような実験にとりかかります。

実験者は科学者という想定です。実験室内に本物そっくりの電気ショック装置をしつらえ、15ボルトずつ増圧可能な目盛りのついたスイッチを用意します。それには「軽いショック」、「とても強いショック」、「危険なショック」などと書かれたさまざなショックの度合いを示すラベルがはられます。

この実験は、普通の人が権威ある人から他人に命令されると、その選択がどの程度服従的なものかを探索することでした。実験者より被験者に対して、電気ショックを与えるように指示されます。被験者はショックレベルを300ボルトまで上げます。その時点で被験者は明らかな苦痛を示します。しかし、指示に従うことという権威者である実験者の言葉によって服従への気持ちが働き、スイッチを少しずつ上げていくのです。

死の収容所における非人間的な政策を指して、「集団規模で実施されてしまったのは、大多数の人間がひたすら命令に従順であったためである」とも主張します。実験にそって、1970年に「ヒットラーに服従するか?」(Would you obey a Hitler?)という論文も書きます。さらに1974年に「権威への服従」(Obedience to Authority)という本も著します。

ミルグラムの実験結果は、権威ある人間や状況から、そうするように圧力をかけられたら、ごく普通の人々が恐ろしい行為に簡単に手を染めてしまうという結論でありました。しかし、こうした実験は仮想とはいえ、人間を苦しめる研究として非難され、ミルグラムはやがて教壇を追われることになります。

認知心理学の面白さ その二十八 スタンレー・ミルグラムとアドルフ・アイヒマン

スタンレー・ミルグラム(Stanley Milgram)は、1933年にニューヨーク(New York)のユダヤ人の家系に生まれます。両親はハンガリー(Hungary)の出身で、ニューヨークに移民してブロンクス(Bronx)でパン屋を経営したようです。ブロンクスは、もともと移民の人々が住み着いた街。アイルランド人(Irish)、イタリア人(Italian)が多い所といわれます。ユダヤ人も多く、1900年代の前半の一時期はユダヤ人区として知られたところでもあります。

  さて、ミルグラムという研究者のことです。彼は1954にニューヨーク市立大学クイーンズ校(CUNY)を卒業します。この大学は通称、Queens Collegeと呼ばれます。その後はハーヴァード大学から心理学の学位を取得します。さらに1959-1960年には、プリンストン大学(Princeton University)でソロモン・アッシュ(Solomon Asch)と一緒に人間の同調性について研究します。

ミルグラムは、ナチスの戦争犯罪人とされたアドルフ・アイヒマン (Adolf Eichmann)の裁判に注目します。アイヒマンは、戦後はアルゼンチンで逃亡生活を送りますが、1960年にイスラエル諜報機関モサド (Mossad)によって逮捕されます。1961年4月から人道に対する罪や戦争犯罪の責任などを問われて裁判にかけられた人物です。20世紀のドイツ人には生得的になにか異なったものがあるという見方がありました。そのせいでしょうか、彼らはホロコスト(Holocaust)のようなおぞましい犯罪に荷担することに向いていたというのです。しかしアイヒマンはいいます。「自分はただ命令に従っただけだ」。

認知心理学の面白さ その二十六 育児における父親の役割

母子関係の重要性を強調するあまり、父親の役割を過小に評価していると批判されてきたのがボウルビです。彼の母親と子供の成長の関係に関する研究は先駆的であったのですが、その後、社会的・文化的に形成された性別、いわゆるジェンダー研究、両性の働き方、夫婦の役割の変化などにより育児における母子像を強調する視点は、旗色が悪いように思われます。

ボウルビへの批判の一端ですが、コネチカット大学(University of Connecticut)のローナー(Ronald Rohner)は著書『Handbook for the Study of Parental Acceptance and Rejection』の中で子どもの性格は父親で決まるとさえ主張しています。さらにオックスフォード大学(University of Oxford) の 「Families, Effective Learning, and Literacy research group (FELL) 」の調査結果によると、成長期に父親とよく交流する子供は非行に走らず学業成績が優秀であったり、人間関係が良好であると結論づけています。

イギリスのニューカッスル大学(Newcastle University)の研究チームは、1958年に生まれた男女11,000名を対象に、「育児における父親の役割」を解明するための追跡調査を実施しますが、結果として成長期に父親と多くの時間を過ごした子供は、父親と過ごした時間が少ない子供に比べて、IQが遥かに高くなるということを報告しています。

ボウルビの研究に対する批判はさまざまですが、親子関係を世界中の人々が真剣に考えるきっかけになったのは間違いありません。それほど大きな影響を発達心理学の世界に与えたといえます。

認知心理学の面白さ その二十五 母子関係とジョン・ボウルビ

幼児期に母親から分離された猿は社会的、情動的に問題を惹き起こすことがあるのを指摘したのがハロー(Harry Harlow)です。育児の主たる機能は母親との身体的接触を確かなものにすることだとも主張します。ボウルビが幼い段階での愛着に進化的なとらえ方をしたのは、精神分析的な解釈に抗ってのことといえます。

ボウルビによりますと、新生児は完全に無力なため、自身の生存を確保するために母親との間に愛着を形成するように遺伝的にプログラムされていること、さらに母親にもまた自分の子供との間につながりをもうけるように遺伝的にプログラムされていると主張します。なんであれ、母と子の分離を招きかねない条件は不安と恐れの感情を誘発し、その結果、本能的な愛着行動が発動すると考えます。

ボウルビの理論で論争を呼んだのは、幼児は常に男性ではなく女性に愛着を示すという仮説です。この女性像は産みの母親ではないかもしれませんが、確かに母親像を表しています。母親像への愛着は、その子供が障害を通じて形作ることになるいかなる愛着とも異なっており、重要だという点です。幼児期における母の愛は、身体的健康にとってビタミンや栄養剤が重要であると同じくらいに心の健康にとって大事だと主張します。

母親像への愛着はどのような子供にも当てはまることではあります。しかし、さまざまな事情で片親に育てられる子供も大勢います。片親の豊かな愛情によって逞しく育つ子供もいます。現代は育児の方法や親の働く環境の多様性から、ボウルビの主張するような家族のあり方からは変わってしまいました。どのような変化が起ころうと、子供には産みの親でも育ての親であろうとも、豊かな愛情を必要としていることは不変といえるでしょう。

認知心理学の面白さ その二十四 愛着行動とジョン・ボウルビ

ジョン・ボウルビ(John Bowlby)は六人兄弟の四番目としてロンドン (London) で生まれます。最初は婆やに育てられ、七歳になり全寮制の学校へ送られます。こうした年少期の経験が後にことのほか幼児や子供の直面する愛着行動に関心を持ったようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ケンブリッジ大学(University of Cambridge)で心理学を学び、その後、非行少年の教育にあたります。医学の学位を取得後、精神分析医となります。1950年代、幼児がどのように愛着 (attachment) を形成するかについての支配的な理論は「打算的な愛情」とか「役得ずくの愛情」(cupboard love)という精神分析の概念に依拠していました。

子供が養ってくれる人に愛着を示すのは彼らが生理的な欲求を満たしてくれるからだと示唆するのです。しかし、コンラッド・ローレンツ(Konrad Lorenz)は人間以外の生き物でも最初に出くわした対象との間に強い絆を作ることを明らかにしています。アヒルとガチョウの観察から得た結論です。これが「刷り込み」(imprinting)です。ハリー・ハロー (Harry Harlow)は、「打算的な愛情」の理論に反論します。猿の子の実験で、猿を二種類の母親代わりの人形で育てます。一つは針金でできたミルク瓶を持つ母親人形で、もうひとつは温かい 布の母親人形です。猿の子は驚かされると布の母親人形にしがみついたというのです。ハローは、身体接触の快適さがなににもまして重要だと結論づけます。

認知心理学の面白さ その二十三 社会的同調性とソロモン・アッシュ

ソロモン・アッシュ(Solomon Asch) は1907年、ロシア帝国の一部、ポーランド(Poland) のワルシャワ(Warsaw)でユダヤ人の一家に生まれます。13歳のときアメリカに亡命し、やがてコロンビア大学(Columbia University) で学位を取得します。

アッシュは、主に人間の有する同調性 (conformity)への衝動に関する研究をした社会心理学者です。個人の意志決定に集団からの圧力がもたらす影響と、どのように、またどの程度まで人々の判断が当人を取り巻く社会的諸力に影響されるかということを研究します。

集団はその成員に強い社会的な効果を及ぼします。例えば日本人であるとかユダヤ人であるという事実は、個人が属する国家の為政者とか政党の方針に影響されます。一定量の同調性は個人の心的な安定や価値観の形成に重要な機能を果たすのも事実です。人々はそれに合わせるべく協調することを強いられるように感じることもあります。さらに人々は自身が多数派に同意していると言い張り、ときに自らそう確信さえしたりします。同調性へ向かうこうした傾向は人の価値、ないし基本的な知覚以上に強力なものともなりえます。

アッシュが行った実験です。一人の被験者が実験室に呼ばれます。そこに他の被験者を装ったな七人の仲間がいます。呼ばれた被験者はそのことを知りません。そして二枚の絵に描かれている線のうちから、見比べて同じ線を選ぶというものです。七人の仲間は示し合わせたように異なる線を選びます。被験者はその線は違うと思うのですが、七人が選んだ線をしぶしぶ選ぶという結果となります。他の被験者にも同じような行動が現れたというのです。その理由は二つあります。第一は、集団の持つ規範のような影響 (normative influence)を受けたこと、第二は、集団のほうがより情報を得ていたという影響(informational influence)を受けたことだと結論づけます。

社会生活になんらかの合意(コンセンサス)が必要であることを認めながら、アッシュは社会生活が一番生産的なものとなるには、個人が他人に左右されない洞察と経験を持ち込む場合である点を重視します。合意は同調への恐れから生じるものとなってはならないと主張します。やがて同調性への傾向は、知的な人々の間でさえ強力なものとなることは、第二次大戦の引き金となったドイツや日本における偏狭な民族主義や極端な国家主義の時代に見られたことです。

認知心理学の面白さ その二十二 人格理論とミッシェル

ウォルター・ミッシェル(Walter Mischel)はオーストリア(Austria) のウイーン(Vienna) 生まれ。8歳のときユダヤ人の両親とともにアメリカに移住します。丁度ナチスドイツが政権の座についた1938年のことです。ニューヨークのブルックリン(Brooklin, NewYork)で育ちます。

ミッシェルの人格理論(personality theory) に入る前に、1960年代の人格理論を振り返ります。それまでの人格論では大抵の場合、人格とは遺伝的に伝えられる一連の個人的行動の特性であると考えられてきました。心理学者はこうした特性の定義を測定に努めてきたといえます。特性こそが個人の行動を理解し、然るべく予測する上で欠くことのできない要であると理解されていたのです。たとえば、キャッテル(Raymond Cattell)は、学習の基礎として機能する一般的知能にあたる要因があるとします。彼は因子分析の結果から人格構造は16のモデルからなるという説を唱えます。

キャッテルは、一連の思考ないし推論能力でどんな論的ないし内容にも適用可能な状態があるとしてこれを「流動的知能」 (fluid intelligence and crystallized intelligence)と呼びました。これは遺伝的に受け継がれるとします。もう一つとして、過去の経験と学習された事実からなり年齢とともに蓄積されていく判断能力があるとして、これを「結晶的知能」(crystallized intelligence)と呼びます。

ミッシェルの関心は、行動決定に際して、状況のような外的な要因が果たす役割でした。それは、人々が身を置いている状況に目を向けることが不可欠であるとするのです。時間を超えて、状況が異なっても一貫して変わらない思考の習慣の分析にとりかかります。そして意志の力をテストするために「マシュマロ実験」(Marshmallow experiment)を行います。

4歳の子供達の前にマシュマロが一つ出され、「今すぐそれを食べることができるが、15分待てば2個食べられる、どちらを選ぶか」と言われます。15分待つことのできる子供いればすぐ食べてしまう子もいます。ミッシェルは実験に加わった子供を思春期になるまで追跡調査し、誘惑に耐えられた子供のほうが、学校での行いもよく、社会的にも能力を発揮し自己評価もできたと報告しています。心理的により順応を示し信頼のおける人間になったとも結論づけます。

認知心理学の面白さ その二十一 社会的学習とバンデューラ

「人は報酬と懲罰という強化をとおしてではなく、他者の観察をとおして学ぶ」という言葉は良く聞かれます。これは社会的学習理論の中核をなす考え方といわれます。学習は心の中のリハーサル(rehearsal)と他者の行動の観察したうえで、模倣することをとおして達成されるという考え方です。こうした主張をする一人にバンデューラ (Albert Badura) がいます。

バンデューラはカナダはアルバータ州(Alberta)の人口400人の街に生まれます。もともとウクライナ(Ukraina) からの移民です。高校卒業後、ユーコン(Yukon)でアラスカハイウエイ(Alaskan Highway)の維持管理の職を得ます。その頃、一緒に働く人々が飲酒やギャンブルに浸るのを目撃し、人間の生き方の示唆を得たといわれます。やがてブリティッシュコロンビア大学(University of British Columbia)を卒業し、1949年にアメリカに移住します。アイオワ大学(University of Iowa) で心理学の修士と博士号を取得し、やがてスタンフォード大学(Stanford University) で教職に就きます。

「他者の観察をとおして学ぶ」というとき、他者の行動は、適切なもしくは受け入れうる行動のモデルとして機能します。バンデューラは、私たちが他者の行動を首尾良くモデル化しうるのに必要な四つの条件を提示します。「注意」、「記憶の保持」、「記憶の再生」、そして「動機付け」です。学習には、学習者がなによりもまず行動に注意を払い、次ぎに自分が見聞きしたことをきちんと覚え、さらにその行動を自分の身体を通じて再生でき、それを行いたいと思う然るべき動機や理由、例えば報酬とか褒め言葉の期待などが必要と考えます。

バンデューラが広く知られるようになったのが、自己肯定感(Self-efficacy)とか自己統制(Self-regulation) の研究です。1997年に「Self-efficacy: The exercise of control」という著作を発表します。人とのコミュニケーションおいて、自分を肯定することと他人を肯定することが、言葉と行動にプラスの指針を与えます。「自分には価値がある」、「自分は素晴らしい存在だ」と実感できるときの興奮です。

認知心理学の面白さ その二十 精神の氷山モデルとフロイド

人間の精神(mind)は「氷山」のようなものであるというのがフロイドの氷山モデル(Iceberg Model)です。水面下の七分の六を沈めながら浮いている氷山状態が精神だというのです。ユニークな喩えです。

 

 

 

 

 
私たちは、自分の考え、感じ、思い出、経験などが人間全体を形作っていると信じています。ですが、フロイドからすれば意識の活動状態、すなわち私たちが日々の経験のなかで、直接に自覚している能動的な精神は、実はといえば心的現実としては活動している心的総体のほんの一部に過ぎないとフロイドはいいます。

意識が存在しているのは表層レベルであって、そこへは容易にかつ直接に近づけます。しかし、意識の下には無意識という強力な次元が存在しており、これは私たちの能動的な認知状態や行動に指令を与える倉庫のようなものだ、というのです。極端に言えば、「意識は実のところ無意識の手の中の操り人形だ」ともいうのです。これが氷山モデルです。

無意識は、私たちの本能的で生物的な衝動の残存する場所であり、衝動は私たちの行動を支配し、自身の基本的欲求を満たしてくれる選択へと導くと考えられます。人間を動機づけるのは衝動だという主張です。衝動は私たちが生き延びられる保証であり、具体的には食物と水、性衝動は種の保存を保証するのだという考えです。

無意識それ自体を露わにしてくれる手段として自由連想が考えられます。そこでは「抑圧」されている信念や思考、感情が表にでてきます。自由連想は後述しますが、もともとはカール・ユング(Carl  Jung) によって発展されたようです。二人は一時期、共同で研究し治療にあたったことがあるといわれます。個人が抑圧されていた状態から解放され、自分に影響を及ぼしている本当の問題を自覚的に捉えるようになるためにどうしたらよいか。フロイドはこの問いに対して、当の抑えられている感情に接近することだと主張します。

認知心理学の面白さ その十九 イド、自我、超自我

ジクムント・フロイド(Sigmund Freud)の続きです。フロイドが生まれたオーストリア・ハンガリー帝国  (Austro-Hungarian Empire)は、多民族国家でありました。そのために民族の自治と独立の動きが激化していました。地位を保持しようとするドイツ人に対して、工業地帯に住むボヘミア人(Bohemia)、今のチェコ人(Czech)、さらに経営者や金融業者、医師、弁護士やジャーナリストなどの専門職についていた多くのユダヤ人も発言力を増していった頃です。

フロイドは、人間の心理には三つの分野があると仮定します。イド(Id)、自我(Ego)、超自我(Super Ego)です。彼は1920年の論文「Beyond the Pleasure Principle」でこのモデルの原形を発表します。やがてモデルは1923年の「The Ego and the Id」という著作で磨きをかけられます。意識や無意識、前意識といったスキーマを発展させた理論です。

Id/Ego/Superego.

フロイドによれば、イドとは完全に無意識の状態で、衝動的であり幼児的な心の状態と考えます。快楽の原理によって働き、即時的な快や褒美を求める働きともいえます。イドの概念はグロデック(George Groddeck)という精神科医からの引用であるとフロイドは述べています。超自我は心的状態における道徳観念を指し、いかなる状況でも常に正義を求めるものと規定します。

自我は、人間の衝動性と道徳性の狭間における大半の人の行動を促す要因であるといわれます。状況が重荷になったり、脅かすことになると人は防衛機能が作用し、拒否、失望、弁解、逃避といった行動をとります。このようなスキーマは通常「氷山モデル」(Iceberg Model)と呼ばれ、意識や無意識との関連で、イド、自我、超自我が生起する状態と呼ばれます。

フロイドはイドと自我の関係を次のような喩えで説明します。騎馬(horse)と軽馬車(chariot) です。騎馬は行動の源泉、(イド)であり、軽馬車(自我)は方向を定めるものだというのです。

認知心理学の面白さ その十八 人間の回復力とボリス・シリュルニク

シリュルニク (Boris Cyrulnik)の両親がユダヤ人強制収容所に送られたこと、自分もその運命にあったことは大きな衝撃だったろうと察せられます。シリュルニクは看護師によって保護され、やがて自分が孤児院で生活したことを振り返ります。精神科医になるために彼を導いたのは、この心的外傷という個人的な経験だったと後で語っています。

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「一人ぼっちの子供に回復力はない。回復力とは相互作用であり、かかわりのことである」とシリュルニクはいいます。トラウマ(psychological trauma)の苦しみを蒙った子供にレッテルを貼って、希望のないような将来へ子供を追いやらせないことの重要性も強調します。トラウマを構成する二つの要素を取り上げます。一つは負った傷であり、もう一つはその傷が再現されることです。子供にとって最もダメージの大きいトラウマの後の経験は、その出来事について大人が下す公然と辱めるような解釈だとも主張します。レッテルによってダメージはいっそう大きくなり、もとの経験以上に酷い結果をもたらすというのです。

人は関係を築くなかで回復力を形成します。やりとりする言葉や高まる感情を通して、出くわすさまざまな他人や状況と「織りあわせ」ていきます。さらにユーモアやポジティブな感情もまた、回復力における鍵だともいいます。困窮のなかにもそれを笑い飛ばす術を見いだして、それを有用で啓発的な経験とみなして、意味づけることができるという主張です。回復力のある人々は、たとえ現在がどれほど苦しくとも、将来、事態がよりよい方向へ転じるかもしれないと考える力を決して忘れないともいいます

認知心理学の面白さ その十七 2011年3月11日とボリス・シリュルニク

またも3月11日がやってきました。悲劇に見舞われてとてつもないダメージを受けた人々がその後、どのように立ち直ってきたかが紹介されています。深い抑うつや失望に沈み込みながらそこから、自分なりの対処の心構えを持ち、耐え抜こうとした被災者の意志が伝わります。心理学では、こうした精神的回復力のことをレジリエンス(resilience)と呼んでいます。「復元力」とか「耐久力」、「自然的治癒力」ともいわれます。

こうした心理的回復力を研究した人にボリス・シリュルニク (Boris Cyrulnik)という心理学者がいます。フランスのボルドー (Bordeaux) でユダヤ人の一家に生まれます。父親はウクライナ人(Ukrainian)、母親はポーランド人でした。1937年ですから第二次大戦勃発の直前です。1940年6月にパリ陥落を前に一時期政府が置かれたのがボルドーです。間もなくドイツ軍に占領され、政府はヴィシー (Vichy) に移ります。そしてフィリップ・ペタン(Philippe Petain)が首相となります。その街の名からヴィシー政権と呼ばれ、ペタンはナチとの宥和をはかり休戦協定を結びます。

ヴィシー政権の統治下、シリュルニク家は急襲され両親はアウシュビッツへと送られます。前もって両親はシリュルニクを里親に預けておいたのですが、里親は謝礼欲しさのために当局に密告し、10歳のシリュルニクは官憲に渡されます。収容所への移送途中、シリュルニクはボルドーのシナゴーグ (synagogue) の宗教的指導者であるラビ(rabbi)の機転でトイレに隠れ脱走に成功します。やがて施設に引き取られ近くの農場で働きます。

戦後はパリ大学の医学部で学び精神分析医となります。そして、恵まれない子供の世話をしながら、人間の回復力とは個人に内在する性質ではなく、相互作用とかかかわりという自然な過程を経て形成されると考えます。精神的回復力については明日述べることにします。

認知心理学の面白さ その十六 精神分析とフロイド

精神分析学(Psycho analysis)では「無意識(the unconsciousness)」ということが重要な概念として取り上げられます。心理学において最も魅力があり、かつ難しいテーマの一つといえそうです。無意識には私たちの現実の経験の一切が含まれているともいわれます。同時にそれは私たちの覚醒状態や統制を規定しているようでもあります。私たちのあらゆる記憶や思想、感情を蓄積する場ともいわれます。

前回、フロイドは詩や哲学に大きな影響を受けたことに触れました。シェークスピア (William Shakespeare) やニーチェ(Friedrich Nietzsche) を指しているようです。フロイドはこうした詩人や哲学者による卓越した人間の心理描写を考察して、彼らが自分より以前に無意識を発見していたといっています。彼は、「自分が発見したのは無意識を研究する方法である」とも述べているくらいです。すこぶる興味深いことです。

さてフロイドは精神の構造を意識、無意識、前意識の三相からなると仮定します。そのきっかけとなったのはヨセフ・ブロイア(Josef Breuer)という内科医との出会いです。ブロイアはウイーン(Vienna)で頭痛や感覚喪失、意識の途絶などに悩む患者を治療していました。彼が用いた方法は「会話による癒し」(talking cure)という、患者が幻想や幻覚を語らせることでした。それによって患者の症状が著しく回復することを知ります。ブロイアーは、患者のトラウマになっている出来事の記憶へ近づくのを容易にするために催眠術を使います。患者の症状は二週間のセッションによって和らいだことを紹介します。

患者の症状は、無意識の状態の中に埋もれている混乱をもたらす記憶の産物であるとフロイドは解釈します。さらに、考えを声にすることでそれらの記憶が意識化されると症状は消失していくと説明します。こうした治療の経緯はフロイドの研究に大きな影響を与え、精神分析学の研究に没入していきます。精神分析学についてはあまたの著作があります。

認知心理学の面白さ その十五 フロイド と「エディプスコンプレックス 」

「真打ち登場!!」といえば落語の世界になりますが、心理学の歴史でさん然と輝くのがジクムント・フロイド(Sigmund Freud)。フロイドこそ心理学研究の真打ちの一人といえるでしょう。彼の研究分野は認知心理学とは呼ばれませんが、精神病理学における理論の精緻化と治療の実践は、後の認知心理学の発展に大きく寄与していきます。

フロイドは1856年にチェコ(Czech)のモラビア(Moravia)地方でユダヤ系の家族に生まれます。当時はオーストリア・ハンガリー帝国  (Austro-Hungarian Empire)時代です。両親はウクライナ(Ukraine)出身だったようです。彼が育てられたユダヤ人両親の複雑な事情、特に母親の再婚や貧しい家族環境などを念頭に入れてペンを進めます。

フロイドは、表彰されるほど優秀な成績によって高校を卒業します。高校卒業の資格はラテン語で「Matura」といいます。Maturaは大学入学資格ともいわれ優秀な生徒に与えられるので、別名「maturity diploma」ともいわれました。「資格として十分過ぎる」といったニュアンスがあります。さらに彼は文学を好み、ドイツ語はもちろんのこと、フランス語、イタリア語、スペイン語、英語、ヘヴル語、ラテン語、さらにはギリシャ語にも堪能となります。そういえば、ヨーロッパの大抵の研究者は自国語の他に数カ国語を理解できます。

シェークスピア(William Shakespeare)の作品を愛し、彼のその後の研究ではシェークスピアの劇に登場する人物の生き様から多くの事を学んだと回想しています。1881年にウイーン大学(University of Vienna)から医学博士号を取得します。そして1902年には同大学の神経医学科の客員教授となります。同時に精神医学のクリニックを開きます。 1938年にフロイドはナチスの支配から逃れイギリスに移住します。

さてフロイドの学術研究の経緯です。大学生の頃、ニーチェ (Friedrich Nietzsche) の哲学に一時心酔しますが長続きせず、結局精神医学の世界に入っていきます。ユダヤ人であったことがフロイドのその後の研究に大きな影を投げかけたといわれます。ユダヤ教の聖書であるトーラ (Torah)の超正統派の思想に悩まされたといわれます。なぜならばフロイドは思想的には自由に発想する人だったようです。前述した両親の複雑な関係に生まれたフロイドは、母親を手に入れようと思い、また父親に対して強い対抗心を抱くという現実の葛藤に苦しんだようです。この意識は、「エディプスコンプレックス」(Oedipus complex) といわれ、状況に対する相反する感情 (アンビバレンス: ambivalence) な心理の抑圧のことを指します。ちなみに、ギリシア神話の登場人物が「エディプス: Oedipus」です。実の父を殺し実の母と親子婚を行ったといわれます。

認知心理学の面白さ その十四 エリク・エリクソンとアイデンティティ

錚々たる学術的な成果を残したユダヤ人の心理学者を取り上げています。なぜかユダヤ人の心理学への関心は高いようです。その理由は差別や迫害、そしてトーラ(Torah)というユダヤ教の教えに由来しているような気がします。「Torah」とは生きる意味とか道という意味です。「Torah」には律法(teaching)、教義(doctrine)、教導(instruction)という意味も込められています。「人とはなんぞや」、「いかに生きるべきか」、「人はどこへゆくのか」を「Torah」は示唆しているようです。今回はエリク・エリクソン (Erik Erikson)です。手元に「主体性:青年と危機」という本があります。私が立教大学時代に求めた一冊です。

「株式会社アイデンティティブランディング」より

エリクソンは帝政ドイツのフランクフルト(Frankfurt)で母方がユダヤ系デンマーク人の子として生まれます。Wikipediaによりますと、エリクソンは北欧系の風貌からユダヤ系社会やユダヤ教の教会で逆差別を受け、またドイツ人コミュニティからはユダヤ人であるという理由で差別を受けたとあります。父親が不明という背景も加えて、エリクソンはこうした複雑な状況のなかで育ち、それが後年の研究の動機になったようです。

エリクソンは友人の紹介で、ジクムント・フロイト(Sigmund Freud)の娘であるアンナ・フロイト (Anna Freud)がウィーンの外国人の子弟を対象に始めた私立の実験学校で教師を勤め、その経緯でアンナの弟子となり薫陶を受けます。やがて彼はウィーン精神分析研究所の分析家の資格を取得します。これはいわば国家資格にあたります。ドイツでナチスが政権の座につくとエリクソンはウィーン(Viena)からコペンハーゲン(Copenhagen)を経てアメリカへと渡り国籍を取得します。

エリクソンが有名な「アイデンティティ」の概念にいき着いた背景には、マサチューセッツ州(Massachusetts)のストックブリッジ(Stockbridge)にあるオースティン・リッグス・センター(Austen Riggs Center) にて同一性に苦しむ境界例のクライアントに出会ったことが契機となったようです。そこでエリクソンは「アイデンティティ」という概念、つまり「自己同一性」とか「主体性」の研究に従事します。自己同一性とは「これこそが本当の自分だ」といった実感のことです。自己がつねに一貫した存在であるという内的な体験のこととされています。

青年期は「自分とは何か」「これからどう生きていくのか」「どんな職業についたらよいのか」「社会の中で自分なりに生きるにはどうしたらよいのか」といった問いを通して、自分自身を形成していく時期です。自我同一性がうまく達成されないと「自分が何者なのか、何をしたいのかわからない」という同一性拡散の危機に陥るとエリクソンは主張します。さらに酷くなると精神病や神経症が発症したりします。1994年にオースティン・リッグス・センターには Erikson Institute for Education and Researchという研究所も開設されます。
(アイデンティティのイラストは「株式会社アイデンティティブランディング」 から引用)

認知心理学の面白さ その十三 「自由からの逃走」とフロム 

私が北海道大学に入学したのは1961年です。丁度、安保闘争が収束し、なんとなく弛緩したような雰囲気がキャンパスにありました。そして先輩から言われたことは「本を読め、」ということでした。早速マルクシズム(Marxism) に傾倒するのもいました。寮生活をすると先輩からの「理論的指導」という洗礼を受けるのです。

私は祖母の家に下宿してましたから、先輩からの「指導」は受けませんでした。ですが、「三太郎の日記」とか「チボー家の人々」、「プロテスタンチズムと資本主義の精神」といった新人学生には登竜門となるような流行の本を買い求めました。「自由からの逃走」(Escape from Freedom) という本もそうです。

この本の著書はエリヒ・フロム(Erich Fromm)というユダヤ系のドイツ人心理学者です。ハイデルベルク大学(Heidelberg University)で社会学や心理学、哲学を学び、カール・ヤスパース(Karl Jaspers)、マックス・ヴェーバー(Max Weber)の弟であるアルフレート・ヴェーバー(Alfred Weber)らの影響を受けます。フロムはナチスが政権を掌握した後、ジュネーヴ(Geneva) に移り、さらにアメリカへ移住します。コロンビア大学(Columbia University)で教えた後、ヴァモント州( Vermont)のベニントン大学(Bennington College)で教鞭をとります。

フロムの代表作「自由からの逃走」ではファシズムの心理学的起源を明らかにし、ナチズムに傾倒していったドイツを考察し、国民はどうして国家社会主義にのめり込んでいったかを分析します。このような状況を生み出すこととなった根源として考えられたのが「自由」です。「自由からの逃避のメカニズム」として破壊性と機械的な画一性も示唆します。どういうことかといいますと、思考や感情や意思や欲求は、個人の自発的なもの由来ではなく社会や他人による影響の大きさにあるとします。例えば、人は人道主義的な倫理を信奉していてもそれが達成できない状況では、権威主義的な理想に助けを求めるというのです。そうした傾向は人間の破壊性や同調性に由来するという主張です。

認知心理学の面白さ その十二 アブラハム・マズローと自己実現

マズロー(Abraham Maslow) は日本でも人気のある社会心理学者の一人です。彼は、20世紀初めにポグロム(pohroma)をのがれてウクライナ(Ukraine)のキエフ(Kiev)からニューヨーク(New York)に移住したユダヤ系ロシア人移民です。ポグロムとは1900年代にロシア国内で起きていたユダヤ人差別と迫害運動のことです。

マズローの理論はしばしば引用されます。それは後述する「欲求の段階説」が人の発達にとって理解しやすいこと、そして「自己実現」という道徳的かつ創造的な生き方を分かりやすく説明しているからです。この発達の考え方はユング (Carl Jung)、さらにピアジェ(Jean Piaget)らと共に唱道した「トランスパーソナル心理学」(Transpersonal Psychology) とか人間性心理学と呼ばれる研究分野です。

マズローは、心が健康でも心に悩みを抱える人にもあてはまるアプローチを提案します。マズローは自由意志を用いて、創造的で幸せな生き方を実現することは、人の誰もが本来持っている能力であるとも主張します。「自己実現」を経過する人には、「至高の体験」(Peak Experience)と呼ばれる経験をしたことがあるということも指摘します。すべてのことに意義が感じ、我と世界が一体であることが感じるという体験です。こうした発見から、自己を超越する能力に特に注目するという分野が生まれます。これが「トランスパーソナル心理学」です。なるほど理論が親しみやすく教育的という印象を受けます。

しかし、「自己実現」をなし遂げる人はわずかです。そんなに簡単ではない生き方です。マズローは天職を見つけ幸せになること、至高体験を得ることなどを恐れる性質が人間にはあることをマズローは発見します。この性質を「ヨナ・コンプレックス」と名付けました。ヨナ(Jonah)とは、旧約聖書ヨナ記(Book of Jonah) の逸話に出てくる人物です。ヨナはニネベ (Nineveh) の街を破壊から救うようにとの神の言葉をうけるのですが、恐ろしくなって逃げるのです。それが原因で魚に飲み込まれるというエピソードです。ついでですが、ニネベはイラク北部にある今話題の街モスル(Mosul)のことです。

認知心理学の面白さ その十一 「認知療法」と「行動変容」

ドナルド・マイケンボウム (Donald Meichenbaum)という研究者が1977 年に著作のタイトルで初めて「認知的行動変容(cognitive behavior modification)」という用語を使います。彼は、自己教示トレーニングを強調し、外部からの強化による行動変容よりも「自分との内的な対話」を通して自己肯定的で問題解決に前向きに取り組めるような自己教示を行っていくことができると主張します。マイケンバウムは、「失敗したことやミスをしたことが事実であっても、その原因は自分の至らなさや足りなさを認めながらも、環境や偶然の要因も関係している」という現実的で問題解決を促進する認知を持つように勧めます。

マイケンバボムの研究は、主として障害のある人々の行動の変容に認知的な自己教示をすることによって、自分の考えを振り返り反省し、新しい行動につなげようとするものでした。彼の主張する認知的行動変容の理論に先立つのが、ベック(Aaron Beck) の「認知療法」であることは、すでにその一で説明しました。要はベックは人々が自身の経験をどう知覚しているかを検討することを重視し、その知覚がどれほど歪んでいるかを人々が認識し、その状況を評価するうえでの合理的な様々な可能性を秘めた考え方を見いだす助けを示すものでした。

「認知療法」は,感情や認知も行動の一部であるという主張のもとに「行動療法」と必然的に接近し、融合されていった経緯があります。それ故、「認知的行動療法」(cognitive behavior therapy: CBT)と呼称されるに至っています。CBTでは、自責的で悲観的な認知を修正していくための「認知的アプローチ」と非適応的で効果の乏しい行動を改善していくための「行動的アプローチ」との二つの技法が組み合わされて行われます。

認知心理学の面白さ その十 認知的行動変容

少し古い話に戻ります。1960年代、アメリカでは一時ティーチングマシン(teaching machine)が学校で流行ったことがあります。それを日本の教育工学会の学者が踊らされておじゃんとなりました。コンピュータ上のドリル学習が紙のワークシートに置き換わっただけでした。行動主義理論とプログラム化された学習教材が結びつき、子供の学習で正答には褒美を与えて学習の効果を上げようとするものです。日本教育工学会というところは新しいものに飛びつくのが大好きです。行動主義心理学者のジョン・ワトソン(John Watson)や行動分析学者バラス・スキナー(Burrhus Skinner)の影響を引きずって学会活動は学校になんの役にもたたず無残な結果に終わりました。

  人間の行動が道具的条件づけと呼ばれるオペラント(operant) と環境との関わりによって形成され維持され、また抑制されるというスキナーの研究は、子供の学習にも大きな影響を及ぼし、応用行動分析の礎石となりました。しかし、複雑な人間の存在を行動とその環境の記述に限定することへの批判が高まるのは当然でした。人間を情報処理機械とみなしてその知的機能をモデル化する研究が始まり、クラーク・ハル(Clark Hull)らが提唱する人間の内的過程の解明が進みます。

人間の心や情感などの仕組みをモデル化して、そこから行動を説明するような発想をしたのがハルです。彼は、目に見える行動ではない人間の内側で起きている心とか感情の働きを分析できると唱えます。これは方法論的行動主義と呼ばれました。こうしてティーチングマシンは完全に廃れ、いかに子供の学習の動機付けを内側から持続させたり高めたりできるかというテーマに関心が移っていきます。

ドリル学習といえばフラッシュカードもその類です。ただ、知識の習得では暗記も必要です。暗記したことをつなぎ合わせて、少しずつ全体を見渡せるかが学習の成果につながります。

認知心理学の面白さ その九 トールマンの目的的行動主義とは

エドワード・トールマン(Edward  Tolman)は、認知心理学の先駆けとなった心理学者といわれます。マサチューセッツ工科大学(MIT)を卒業後、ハーバード大学 (Harvard University)で学位を取得し、カルフォルニア大学 (University of California, Berkeley) の教授になります。その後ドイツに留学しゲシュタルト心理学に触れたことが、その後の理論形成に大きな影響を及ぼしたといわれます。

‘The best way to teach my son is by example, you know: Monkey see, monkey do…’


トールマンはメイズ走行などを使い、ネズミの学習実験に従事し、ネズミの目的的な行動を観察します。そこから行動は常に目標に向かって生じるという説をたてるのです。いわば認知的な学習をするというのです。トールマンによれば、人は環境を認知して行動しているため、人がどのように環境を見ているのか、また行動の目的とそれを導く手立てや媒介するものを知らなければならないと主張します。

こうした仲介となる変数を主張することは、ワトソンの行動主義や媒介過程を徹底的に無視するスキナーの行動主義とも異なります。それ故に「目的的行動主義」(Purposive Behaviorism) とか、ハルも研究していた「新行動主義」(Neobehaviorism) などと呼ばれることもあります。こうした理論は、ゲシュタルト心理学との親和性が強い認知説を反映しているといえます。

彼は、すべての行動は目標に方向づけられているとし、学習は目的に関わる高度に客観的な証拠事実であると述べます。外部の世界にある部分的な信号(sign)を見出すことで、問題解決のヒントとなる「認知地図」を作成するの学習過程であるというのです。部分から全体性(ゲシュタルト)が予測されることで行動が形成し変化すると主張します。ですから行動というのは、刺激(独立変数)と反応(従属変数)の直接的な結合ではなく、その間に媒介変数としての内的過程が介在すると主張します。この学習理論は潜在的学習(Latent Learning) と呼ばれます。

行動主義は心理学に革命をもたらしましたが,ほどなくその極端な主張への反省が生まれます。トールマンの立場はゲシュタルト心理学ともを持つものであり、後の認知心理学の誕生を準備したともいえる心理学者です。

認知心理学の面白さ その八 クラーク・ハルと新行動主義心理学

ハル (Clark Hull)は学習心理学を専門とし、20世紀中葉において最も影響力の大きかった心理学者の1人といえます。その方法は、観察しうる現象を数量的なデータで測ることを重視することです。確かに、数字を示すことは研究が科学的であるかを問われるときには非常に役に立つ便法です。その延長上で心を研究すること、すなわち目に見えない対象をなんらかの方法で測定するならば、見えない心も科学的な研究が可能ではないかというのがハルの主張です。見えないものを数値化するとは大変な作業なのですが、、

ハルの方法は新行動主義 (neo-behaviorism) と呼ばれています。学習の理論を数学的に厳密化すること、また精神分析の諸概念を学習理論に統合することを目指します。先に仮説を立て、実験による検証をする仮説演繹法を導入し、行動や学習の過程を数式で表すという便法です。後にハルは催眠の研究にも業績を残しています。

ハルの貢献は、刺激と反応の間に介在する人間内部の諸要素、有機体(organism) を考慮する新行動主義を提唱します。有機体の内的要因、別称認知要因として有機体の論理的構成概念を新行動主義に持ち込むこむのです。それによって認知心理学の有り様をこの「方法論的行動主義」によって導こうとしたことです。認知過程という目に見えない心の働きを行動のデータに基づいて分析するという方法は、方法論的行動主義がなければ生まれなかったかもしれません。ですが、なぜ同一の刺激や状況において個体は異なる反応を示すのかに答えるのは簡単ではありません。

心理学の研究対象に心とか魂とか意識を持ち込んだハルにも、もしやして矛盾があったのではないか思われるふしもあります。それは客観的に測定することが科学の条件であると考える狭い意味での科学という定義からすれば、彼の方法論的行動主義は、はたして行動主義なのかということです。ハルは、方法論的行動主義は科学の分野に位置づけられることに期待していたと考えられます。

認知心理学の面白さ その七 クラーク・ハルとS-O-R理論とは

認知心理学に関して、一人の心理学者を紹介します。1918年にウィスコンシン大学から学位を授与され、学内でしばらく教鞭を執ったクラーク・ハル(Clark Hull)です。ハルは人間の心や情感などの仕組みをモデル化して、そこから行動を説明するという発想をします。

それはどういうことかといいますと、行動ではないとされてきた心的な現象をデータ化して分析するという方法を考えたのです。心理学における一つの体系的な方法として、目に見える行動ではない人間の内側で起きている心とか感情の働きを分析できると唱えます。これは「方法論的行動主義」と呼ばれ、後の心理学に大きな影響を与える革命的なことといわれます。

行動主義心理学の創始者がジョン・ワトソン(John Watson)とすれば、行動分析学の創始者はバラス・スキナー(Burrhus Skinner)といわれます。この二人に共通することは、一口でいえば「心理学が科学的であるために客観的に観察可能な行動を対象とすべきだ」というテーゼでしょう。これは急進的行動主義(radical behaviourism)と呼ばれます。心理学の目的は、行動の法則を定式化し行動を予測しそれを制御することであるという主張なのです。あまりにも言葉足らずですがそういうことです。

しかし、ハルは「行動の原理」(Principles of Behavior) という著作の中でS-R理論を改良したS-O-R理論(Stimulus-Organism-Response Theory)を提示します。この理論における有機体(Organism)が刺激・反応に影響を与える媒介変数によって、どうして学習効果の個人差や同一刺激に対する反応の個体差が生まれるのか、という疑問に答えることができると提案します。

認知心理学の面白さ その六 マックス・ベルトハイマーとゲシュタルト心理学

マックス・ベルトハイマー (Max Wertheimer)という心理学者のことです。ベルトハイマーはオーストリア-ハンガリーで生まれたユダヤ系の学者です。第一次大戦でドイツ陸軍に大佐として参加します。終戦後はベルリン大学で知覚の研究に従事します。やがてケーラーやコフカ (Kurt Koffka)とともにゲシュタルト心理学の発展に貢献します。

  ナチスのユダヤ人迫害を知るとベルトハイマーは家族とと共にチェコスロバキア (Czechoslovakia) の首都プラハ(Prague)にあったアメリカ領事館よりビザを取得し、 1933年9月にアメリカに亡命することになります。その後、ニューヨークでNew School for Social Researchという大学でゲシュタルト心理学の研究活動に従事します。

ゲシュタルト心理学では、あるまとまりを一つの形態(gestalt) として人々に印象づけ、それによって人々は判断したりします。そのためにときに実際とは違う認識をするのです。錯視はその一例です。ある若い婦人が老婆の横顔になったりします。「人はゲシュタルトごとの認知を自然に優先してしまう」のです。

こうして脳のクセを知っておくと、錯覚や安易な経験則への依存で失敗をすることがなくなります。「これは合理的な判断だろうか?」と冷静に考えるきっかけになります。ゲシュタルト心理学の果実は、商品のディスプレイとか誌面やウェブサイトのレイアウト、コンピューターのヒューマン・インターフェイス(human interface) など、いろいろな形で応用されています。ヒューマン・インターフェイスは見る側にとって自然に認識されるので目に心地よいのです。個別的な感覚刺激によってではなく、全体的な枠組みー形態によって人は物事を感じるのです。

認知心理学の面白さ その五 ウォルフガング・ケーラーとゲシュタルト心理学

ナチスのユダヤ人迫害の刃は、徹底していたといえそうです。ウォルフガング・ケーラー(Wolfgang Kohler)はエストニア(Estonia) のタリン (Tallinn)生まれのドイツ人心理学者です。ケーラーはユダヤ系でないのですが、ナチス(Nazi)の支配を逃れてアメリカに亡命した心理学者の一人です。彼はベルリン大学( Humboldt University of Berlin) にいたとき、ナチスによる同僚ユダヤ人教授の排斥に反対したのです。その経緯です。

1933年1月にアドルフ・ヒットラー(Adolf Hitler)に率いられたナチスドイツが政権に就きます。彼の所属する正式な党名は「National Socialist German Workers’ Party」といわれました。俗称はナチス党です。ナチス党はドイツ国内の大学からユダヤ系の教授陣を排斥しはじめます。その中にはアインシュタイン (Albert Einstein)らもいました。ケーラーは、有名な物理学者、マックス・プランク(Max Planck) らとともに1933年5月にヒトラーにユダヤ系教授の迫害や追放を直接抗議します。しかし事態は改善しません。結局ケーラーは1935年にアメリカに亡命しプランクはベルリンに残ります。戦後、マックス・プランク研究所 (Max Planck Institute)  が組織され21世紀最高の物理学研究となりました。

本題の認知心理学とケーラーとの関係です。ケーラーは、もともとは類人猿研究所でチンパンジーを用いた実験を行っていました。チンパンジーが新しい方法で天井から吊り下がったバナナを取ることを観察し、チンパンジーもまた試行によって「洞察学習」をすることをつきとめます。

私たちはものごとをより単純に認識したがったり、過去の経験と結びつけた認識を優先したりするものなのです。例えば、歩くとき色で統一した服を着たり、店舗の中で女性服のように形の似たものをまとめたりします。男女の服が交じることには違和感を持つのです。似ているものをゲシュタルト(gestalt)とか形態と呼びます。さらに、人が過去に経験した状況と似たものに出会うと、過去のものと同じものと認識したりして、解釈に影響を与えます。ある出来事が短い時間のうちに起こると、より関連づける度合いが大きくなるのです。人々が感じることを整理分類して、人の感覚構造を研究するのがゲシュタルト心理学(Gestalt Psychology) です。

認知心理学の面白さ その四 クルト・レビンとT-groups

認知心理学の面白さ、その二で社会心理学者のフェスティンガー(Leon Festinger) を紹介しました。彼の学術上の成果を引き出したのは指導教官であったクルト・レビン (Kurt Lewin)です。彼もまたユダヤ人の家系です。ポーランドで生まれやがてベルリン大学 (University of Berlin)で学位をとります。

‘I miss the good old days!’

しかし、ナチスの政権掌握によりレビンなどユダヤ人の学者は大学から追放されます。1933年にアメリカに亡命し、その後はスタンフォード大学 (Stanford University) やコーネル大学(Cornell University)、アイオワ大学 (University of Iowa)で研究し始めます。ベルリンに残した家族もアメリカに呼ぼうとしたのですが、母親がユダヤ人収容所で亡くなったことを知ります。

専制型、民主型、放任型といったリーダーシップのスタイルや集団での意思決定の研究を「場の理論」(field approach) 基づいて進めます。我が国で1970年代に盛んにとり入れられたのが集団力学と訳されるグループ・ダイナミックス(group dynamics)の実践で、特にリーダーの養成のアクションリサーチ(action research)として「Training-group」が使われました。企業や団体の指導者訓練で、理論的な考えをまとめた「A Dynamic Theory of Personality」という著作は特に知られています。

レヴィンはゲシュタルト心理学 (Gestalt Psychology)を人間個人だけでなく集団行動にも応用したことで知られています。集団内における個人の行動は、集団のエネルギー場、すなわち集団がどんな性質を有しているのか、どんな成員がいるのかといったことによって影響を受けると考え、これによりグループ・ダイナミックスが生起すると考えのです。ゲシュタルト心理学については、後の心理学者のところで紹介することにします。

認知心理学の面白さ その三 発達心理学とブルーナー

なぜか日本では認知心理学は好感を持たれる印象を受けます。発達心理の分野でもそうです。その理由は、人特に子供の理性とか理解、記憶などに必要とされる知恵や技能は、保護者や教師、同年代の子供とすごした経験に由来するという理論によるのではないかということです。レフ・ヴィゴツキー (Lev Vigotsky)はそうした立場の心理学者です。人間の発達は文化的、対人的、個人的という三つのレベルにあるとし、特に文化的と対人的を重視するのです。ヴィゴツキーは、子どもは非理性的ながら環境に働きかける力を持って生まれてくる、つまり主体的なものとして生まれ、環境に働きかける能力を持ち、しかも、環境から応答を引き出しそれを内面化して次第に成長するという立場をとります。

本題ですがジェローム・ブルーナー (Jerome Bruner)という発達心理学者は、子供は能動的な体験を通して物事を学ぶび、誰かが指導するとは、単に相手になにかを伝えることではなく、参加するように相手を励ますことだと主張します。ブルーナーはポーランドからのユダヤ系の移民の子としてアメリカで育ち、ハーヴァード大学から学位を得ます。彼の著書「Acts of Meaning」、「The Culture of Education」によりますと、その発達は子供がそれまで習得した情報によって構造化される過程、(scaffolding to describe the way children often build on the information they have already mastered)なのだという考え方です。

ブルーナーは、学習には三つの形があるといいます。第一は経験による学習(action-based)、第二は知覚による学習(image-based)、第三は言葉を通じての学習 (language-based)という考え方です。どれも実体験によること、表象を通した題材、そしてシンボルによる言語化といったことです。

認知心理学の面白さ その二 移民の歴史とレオン・フェスティンガー

心理学の専門家を調べると、多くの学者はヨーロッパからアメリカへの移民の背景があることがわかります。第二次大戦を前にして、ヨーロッパの政情や社会情勢が研究を妨げていたことがわかります。特にユダヤ系の人々はそうです。科学と同様に心理学や社会学者が新大陸に渡ります。

Clocktower Building University of Otago Dunedin New Zealand

社会心理学者の一人にレオン・フェスティンガー(Leon Festinger) がいます。両親はロシア系のユダヤ人でフェスティンガーはニューヨークで生まれます。アイオワ大学 (University of Iowa)でクルト・レビン(Kurt Lewin)の指導で学位をとり、「認知的不協和」(cognitive dissonance) という理論を発表します。

「認知的不協和」とは難しそうな用語ですが、かいつまんで解説してみます。私たちは日常のルーティンを繰り返しています。それが破られると居心地の悪さを感じます。習慣的な思考のパタンや信念も同じで、ある自分の強力な見解が、明白な反証に出くわすと心の中で耐え難いほどの一貫性の欠如が生まれます。この居心地の悪さを克服する道は、自分も反証を探し信念を貫くことです。

例を挙げれば、自分が新車を買ったとします。ところが友人が別な会社の車を買います。こちらのほうが燃費が少し良いという状況です。このとき心に一種の動揺が襲います。それを鎮めようと自分の車のほうが良いということの理由を探すのです。自分の車のほうが価格や維持費が安いという反証によって相手の優越に対抗しようとするのです。

認知的不協和は日常の中に様々な形で起こるものです。そうしたときの内的な葛藤は自己の信念や理性によって解決することが大事であることを教えてくれます。

認知心理学の面白さ その一 20世紀の心理学

心理学の歴史は長いのですが、東欧や西欧の人々、特にユダヤ系の人々が心理学の発展を支えてきた経緯が私の興味を引き立ててくれます。このシリーズでは20世紀から遡りながら認知心理学の発展を考えていきます。

20世紀の中葉にかかるとそれまでの心理学界に大きな変化が生まれます。当時の二つの流れであった精神分析的なアプローチと行動主義アプローチが認知心理学の考え方によって脅かされていきます。精神分析の分野では、それに代わるようなモデルは現れませんでした。精神分析の基本的な観念や無意識の研究は、その心理療法にも共通していたといえます。

ROSER 4 (Chip)

しかし、それまでの心理療法に疑問を投げかけたのはアーロン・ベック (Aaron Beck)です。彼はロシア系ユダヤ人の移民の息子でした。精神分析療法は人の無意識を掘り下げ、今生じている疾患を解消しようとします。他方、認知療法は人々が自身の経験をどう知覚しているかを検討することを重視します。ベックの認知療法は、その知覚がどれほど歪んでいるかを人々が認識し、その状況を評価するうえでの最も合理的だ様々な可能性を秘めた考え方を見いだす助けを示します。例えば仕事で地方への転勤話を持ちかけられたとき、「単身赴任はいやだ、家族は反対する。」と否定的な考えを口にしがちです。状況が不安や不幸へと導くとされます。しかし、転勤話をもっと合理的に考える道は、たとえばそれを挑戦の時とか自分の能力を発揮する機会だ、と前向きにとらえるのです。

認知療法は精神科医であるヴィクトール・フランクル(Victor Frankl)などによって発展されます。彼はアウシュビッツ収容所を生き抜き「時代精神の病理学」、「夜と霧」の著作でロゴセラピー (Logotherapy) を提唱します。ロゴセラピーでは、人は実存的に自らの生の意味を追い求めており生活状況の中で「生きる意味」を充実させることが出来るように援助することといわれます。