使った教科書は「Jack and Betty」。なんともクラッシックなタイトルではありませんか。表紙にはジャックとベティがさっそうと歩いています。私の英語の勉強法は、文章をそらで覚えることでした。なぜかスラスラと頭に入るのです。昔の英語の指導というのは、教科書を教師が読みそのあとに子どもが復唱するというものです。復唱をなんどもなんどもやると、文章が脳にすり込まれるのです。その頃本屋で手にした「洋書」を見ながら、鼻をクンクンさせて、異国の香りにも浸りました。
この映画は、日本最北端稚内市の映画館で父親と一緒に観た記念すべき?洋画です。その後何回も観ましたが、そのたびに、稚内のことを思い出します。原題は(The Bridge on The River Kwai)といいます。タイ王国のクワイ川 (KWAI)に架かるクワイ川鉄橋を指します。第二次世界大戦の真っ直中である1943年のタイ(Thailand)とビルマ(Burma)の国境付近にある捕虜収容所が舞台です。監督はデヴィッド・リーン(David Lean)、出演はウィリアム・ホールデン (William Holden) 、アレック・ギネス (Alec Guinness) 、そして早川雪洲です。劇中で演奏される『クワイ河マーチ』(Colonel Bogey March) も世界各国で幅広く演奏され、数ある映画音楽の中でも最も親しまれている作品の1つとなっています。
第二次世界大戦下、当初日本の同盟国であったタイ王国と日本軍の占領下におかれたイギリスの植民地のビルマの国境付近に、日本軍管轄の「第十六捕虜収容所」がありました。所長は斉藤大佐です。この収容所では、日本軍と対峙する連合国軍のアメリカ海軍の中佐であるシアーズ(Commander, Major Shears)を始め、捕虜となったアメリカ軍兵士が連日過酷な労役に従事していました。シアーズは、日本軍兵士に買収を試みるなど幾度となく脱出を図りますが、ことごとく失敗します。ある日ニコルソン大佐(Colonel Nicholson) が率いるイギリス軍捕虜一隊が収容所に移送されてきます。
現エリザベス女王(Queen Elizabeth II)の父である『ジョージ6世』(King George VI) は、子どもの頃から吃音に悩んでいたといいます。国王は、全国民の前でスピーチをしなければなりません。想像を絶するストレスとプレッシャーを受けます。吃音の矯正は難しいことです。この映画【The King’s Speech】は、王の吃音の治療にあたった言語聴覚士との友情物語です。
1925年、大英帝国博覧会 (British Empire Exhibition) の閉会式で、やがて国王となるヨーク公アルバート王子 (Prince Albert, Duke of York) はエリザベス妃(Queen Elizabeth)に見守られ、父王ジョージ5世(King George V)の代理として演説を行います。しかし、吃音のために悲惨なスピーチに終わり、イギリス国民はがっかりするのです。
ハンナ・アーレントはかつてドイツに生まれ育ちます。ナチスが政権を獲得しユダヤ人迫害が起こる中、フランスに亡命しシオニズム (Zionism)の政治思想家ブルーメンフェルト(Kurt Blumenfeld) に導かれ、反ユダヤ主義の資料収集やドイツから他国へ亡命する人の援助活動に従事します。親独のヴィシー政権(Régime de Vichy)によって抑留されますが、間一髪で脱走し米国に亡命します。その後、ニューヨーク大学(New York University) 教授として、夫ハインリッヒ(Heinrich)や友人で作家のメアリー・マッカーシー(Mary McCathy)らと穏やかな日を送っていました。
1960年5月に、ブエノスアイレス(Buenos Aires)で亡命生活をしていたナチス(Nazis) の元高官アイヒマン(Adolf Eichmann)がイスラエル(Israel) の諜報特務庁、モサド(Mossad)によって誘拐され、エルサレム(Jerusalem)で裁判を受けることとなります、ハンナはニューヨーカー誌(The New Yorker)の特派員として、裁判を傍聴することになります。
ユダヤ人として、ナチスの被害者の1人として傍聴した裁判でしたが、アーレントは被告アイヒマンが大量殺人を指揮したとは思えぬ凡庸さに当惑するのです。他方で裁判での証言から、当時のユダヤ人社会の指導者たちが、消極的にではあったのですが、ナチの政策に協力していたことまで明らかになってゆきます。イスラエルから帰国したアーレントは、『イエルサレムのアイヒマン–悪の陳腐さについての報告』(Eichmann in Jerusalem: A Report on the Banality of Evil)を発表します。膨大な裁判資料と向き合いながら、鬼畜のようなナチ高官と思われていたアイヒマンは、自らの役職を忠実に果たしたに過ぎない小役人であると断定します。同時に、ユダヤ人社会でも抵抗をあきらめたことでホロコースト(Holocaust)の被害を拡大したこと、アイヒマンの行為は非難されるべきだが、そもそもアイヒマンを裁く刑法的な根拠は存在しないこと等をニューヨーカーの記事として掲載するのです。この報告は、大論争を巻き起こしアーレントへの批判が向けられます。
ケビンはうるさい家族がいなくなった事を喜び、1人暮らしを満喫します。しかし、段々と寂しくなっていきます。その頃、泥棒コンビ、ハリーとマーヴ(Harry and Marv) はクリスマス休暇で誰もいなくなった家を狙っていました。二人は、事前の情報収集によってマカリスター家にも目をつけていたのです。道中でケビンがいないことに気づいた家族は、家に戻ろうとするも、クリスマス期間中でほとんどの飛行機は満席状態だったので、大人数の移動は困難でした。そこで母ケイト(Kate)は一人別行動を取り、シカゴへ向かう楽団のワゴンに便乗して帰宅を試みます。
そして、シェーンが酒場を出ようとしたとき、「危ない!」というジョーイの声に反応し、シェーンは物陰に潜んでいた手下に気づきます。シェーンはすぐに最後の手下を撃ち殺し、隠れていたジョーイと再会します。ジョーイの前に立ち、いつもの笑顔に戻り、「気にするな」と声をかけ、馬にまたがります。シェーンがここから旅立とうとしていることに気づきます。旅立つ理由を尋ねられ、シェーンは「一度でも人を殺せば、元には戻れない」と答え、こう付け加えました。「強くまっすぐな男になれ」とジョーイの頭をなでると、シェーンは旅立ちます。ジョーイは去り行く後ろ姿に大きな声で言葉をかけ続けます。”Shane, come back! Shane!”
1941年、親ドイツのヴィシー政権(Régime de Vichy)の管理下に置かれたフランス領モロッコ(Morocco) の都市カサブランカ(Casablanca)を舞台とした戦争とロマンスの映画です。ドイツの侵略によるヨーロッパの戦災を逃れた人の多くは、中立国のポルトガル(Portuguese)経由でアメリカへの亡命を図ろうとしていました。
主人公であるアメリカ人のリック(Rick Blaine) は、カサブランカで酒場「カフェ・アメリカン」(Rick’s Cafe American)を経営しています。彼には、パリが陥落する前に理由を告げずに去った恋人イルザ・ラント(Ilsa Lund)がいます。イルザはその酒場にやってきます。イルザはリックとのパリの思い出の曲『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』(As Time Goes By)を弾くようにピアニストに頼みます。そこにリックが現れます。
イルザの夫は、ドイツに併合されたチェコスロバキア人(Czechoslovakia) のドイツ抵抗運動の指導者ヴィクター・ラズロ(Victor Laszlo)です。ラズロは現地のオルグと接触、カサブランカからの脱出のチャンスをうかがっていました。サブランカ警察署長のルノー(Captain Louis Renault)は計算高い男で、流れに逆らうように異郷のカサブランカで生きるリックに共感していました。リックは、かつてスペインのレジスタンスに協力していました。ルノーはリックに対して、ラズロには関わるなと釘を指します。現地司令官であるドイツ空軍のシュトラッサー少佐(Major Strasser)は、ラズロをカサブランカ市内に閉じ込めます。 イルザはリックに会い、夫を助けられるのはリックしかいないと、必死に協力を懇願します。というのは、リックは闇屋からヴィシー政権の発行した通行証を譲り受けていたからです。そしてイルザは通行証を渡そうとしないリックに銃口さえ向けるのです。しかしイルザは引き金を引くことが出来ず、2人はお互いの愛情を確かめ合うのです。
愛を失っても道義を貫こうとしたリックを前にして、実はレジスタンスの支援者であったルノーは、自由フランスの支配地域であるフランス領赤道アフリカのブラザヴィル(Free French in Brazzaville)へ逃げるように勧めて見逃すことにするのです。リックとルノーの二人は戦時下にあって「この狂った世界を終わらせなければならない」と意気投合します。イルザとラズロを載せた飛行機は宵闇の中へ消えていきます。
映画『第三の男』(The Third Man) などでの個性的な演技で名優として知られ、映画監督としても数々の傑作を残したのがオーソン・ウェルズ(Orson Welles)です。ウィスコンシン州ケノーシャ(Kenosha)の出身です。子ども時代の彼は、詩、漫画、演劇に才能を発揮する天才児と呼ばれ、同時に自由奔放な性格で、周りとの人間関係に問題があったようです。今様でいえば発達障害だったのかもしれません。
【Coming to America】は、1988年制作のこれぞというロマンティックコメディ作品です。 アフリカの王国ザムンダ(Zamunda)は、風光明媚な自然と豊富な資源に囲まれた国です。21歳の誕生日を迎えたアキーム王子(Akeem Joffer) は、過保護な両親に育てられます。父親のジョフィ・ジャファ国王(King Jaffe)によって勝手に自分の花嫁を決められてしまうような、未だに何一つ自分で決断させてもらえません。それに不満を持つ王子は、「自分の嫁は自分で見つけたい」と伴侶探しの旅に出たいと願い出ます。国王はアキームの申し出を「結婚する前に女遊びがしたい」と解釈し、息子の希望を快諾しアメリカへ送り出します。
アキームは世話係のセミ(Semmi) を連れニューヨーク(New York) のクイーンズ (Queens)にやってきます。アキームは安アパートの一室に大満足です。なぜならこれがニューヨークだ、と大いに気に入るのです。汚いアパートを借りたアキームは早速花嫁探しで酒場などを歩きますが、なかなかええ女性を見つけられません。
ランボー教授はウィルの非凡な才能に注目し、彼の才能を開花させようとします。ですがウィルはケンカをしては鑑別所入りを繰り返す素行の良くない青年でした。ランボーはウィルを更生させるため様々な心理学者にウィルを診てもらうのですが、皆ウィルにいいようにあしらわれ、サジを投げ出す始末です。ランボーは最後の手段として、学生時代の同級生ジーン・マグワイア(Sean Maguire)にカウンセリングを依頼します。ジーンはバンカーヒル・コミュニティ・カレッジ(Bunker Hill Community College)で教壇に立つ心理学の講師で、ランボーとは不仲でした。ジーンはウィルの更生のため協力することになります。
舞台はネバダ州 (Nevada) のリノ(Reno)です。リノのクラブ歌手であったデロリス(Deloris Van Cartier)は、マフィアのボスで愛人のラロッカ(Vince LaRocca)が殺人を犯す現場を目撃し、命を狙われて追われる身となります。彼女はサンフランシスコ( San Francisco)の下町にあるカトリック教会(St. Katherine’s Roman Catholic Church)の修道院に身を隠すことになります。そこで、新米尼僧シスター・クラレンス(Sister Mary Clarence)として迎えられます。大騒動を巻き起こしながらも聖歌隊のリーダーとして、シスターたちと歌を通じて友情を育んでいきます。
1997年にイタリアで製作された名作を紹介します。【Life Is Beautiful】というイタリア人親子の目からホロコースト(Holocaust)を描いた作品です。舞台は第二次世界大戦前夜の1939年北イタリア。ユダヤ系イタリア人のグイド(Guido)は、叔父を頼りに友人とともに北イタリアの田舎町にやってきます。陽気な性格の彼は、小学校の教師ドーラ(Dora)に一目惚れし、桁外れなアタックの末に駆落ち同然で結婚して、愛息ジョシュア(Jushua) をもうけます。ドーラはユダヤ人ではありません。やがてイタリアに駐留したナチス(Nazis)ドイツによってユダヤ人に対する迫害行為が始まり収容所に送られてしまいます。