ナンバープレート その三十六 マサチューセッツ州–Spirit of America

マサチューセッツ州(Massachusetts)の州都ボストン(Boston) から車で一時間のところにプリマス(Plymouth)という港町があります。ここにMayflowerII号のレプリカが停泊しています。Mayflowerは1620年頃にヨーロッパからこのあたりに着いたことが記されています。長くて困難な大西洋の航海だったようです。オランダ(Holland)のライデン(Leiden)あたりが出航地のようです。

Map of Massachusetts

 最初の移民の多くは聖教徒(Pilgrims)といわれています。船から下りた聖教徒が開拓したところが今も大切に保存されています。この居留地はPlimouth(プリマス開拓地)と呼ばれて州の歴史的な公園となっています。開拓地は高い木の柵が巡らされてインディアンからの襲撃に備えたことを伺わせます。

 Plantationに入りますと、そこは1600年代という設定です。タイムスリップするのです。そこで働く人は百姓、商人、鍛冶屋、パン屋さんなどいろいろ。当時の服装、言葉、動作で観光客に対応します。観光客はそのことを知らされません。こんな会話が交わされます。

  働く人:どこから来ましたか?
  観光客:日本からきました。
  働く人:日本ってなんですか?どこにありますか?
  観光客:アジアです。

  働く人:どうやってここまで来ましたか?
  観光客:飛行機と車できました。
  働く人:飛行機とか車ってなんですか?
  観光客:飛行機も車も知らないんですか、、、、。

 このあたりまで会話が進むと、ちんぷんかんぷんの観光客もようやく「ははあ、、ここは1620年頃の設定なのだな、、、」と合点がいきます。この演出は誠に可笑味があります。

 マサチューセッツ州のナンバープレートには「Spirit of America」というキャッチフレーズが印字されています。これは、建国の精神を意味します。1680年ころから、マサチューセッツはイギリスの植民地となります。1760年代になると、マサチューセッツ憲法として権利の宣言と政府の樹立を叫び、イギリスの支配に反旗を翻します。やがて独立戦争が始まるのです。この自治と独立の精神が「Spirit of America」というものです。

 研究機関としてハヴァード大学(Harvard University)、マサチューセッツ工科大学(MIT)を筆頭として、ボストン大学(Boston University)、マサチューセッツ大学(University of Massachusetts)、タフツ大学(Tufts University)など、いずれも合格率は10%前後という難関大学です。

ナンバープレートを通してのアメリカの州 その三十五 ミシガン州–Great Lake State

ミシガン州(Michigan)のナンバープレートには「Great Lake State」と印字されています。州名は、チペワ(Chippewa)インディアン語で「大きな湖」から由来します。五大湖を指しています。ミシガンは北はカナダと国境を接しスペリオル湖(Lake Superior)・ヒューロン湖(Lake Huron)を抱え、西はウィスコンシン州、南はインディアナ州とオハイオ州に接しています。州都はランシング(Lansing)で最大の都市はご存じデトロイト(Detroit)です。デトロイト国際空港は6本の滑走路を有し、Delta航空の一大ハブ空港となっています。

Map of Michigan

 ミシガンは林業が盛んで、そのために馬車の生産で有名となります。林業に変わって自動車が登場し、1908年にフォード(Henry Ford)が大衆車の大規模生産に乗り出します。その中心はなっといってもデトロイトでしょう。五大湖のうちの4つに囲まれるという地の利が自動車産業を支えてきました。ゼネラルモーターズ(GM)、フォード、(Chrysler(Chrisler))のビッグスリーの本社がデトロイトとその近郊にあります。そういえば、高速道路(US Highway)には自動運転車専用レーンもあります。

 その他の産業も盛んです。アムウェイ(Amway)、穀物のケロッグ(Kellogg)、ダウケミカル(Dow Chemical)、ワールプール(Whirlpool)などもここにあります。研究開発はミシガン大学(University of Michigan)、ミシガン州立大学(Michigan State University)、ウェイン州立大学(Wayne State University)が担っています。

 ミシガンは一大レクリエーションの州でもあるのをご存じでしょうか。2005年の統計によるとミシガンはカリフォルニア、フロリダに続き全米で第三番目の観光客を集めた州といわれるほど自然に恵まれたところです。65,000の湖や沼が広がるというのですから、レクリエーション客を惹き付ける理由もうなずけます。4つの湖の側はどこも州立公園や観光地といってよいほどです。いくつかを紹介しましょう。

 カナダの国境近くにはマキナック島(Mackinac Island)があります。夏はキャンプ、リゾート、、なんでも楽しめます。この島は車禁止。移動手段は「リムジン馬車」か自転車となっています。コロニアルスタイルの建物が並びます。生ガキとキャビア、魚料理の食事もいいです。のんびりと時間が流れるようなところです。

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ナンバープレートを通してのアメリカの州 その三十四 フロリダ州–Sunshine State

日本人にもフロリダ州(Florida) はよく知られています。子どもや親にとってはわくわくするところです。その第一はオーランドにあるディズニー・ワールド(Disney World)です。世界一の娯楽施設です。その広さはJR山手線内の約1.5倍というのですから、まさに桁外れのものです。その敷地内には、4つのテーマパークを中心に、ウォーター・パーク、エンターテイメントエリア、マリーナ、ゴルフ場、牧場、キャンプ場などが配置されています。

Map of Florida

 ディズニー・ワールドには、タイフーン・ラグーン、マジック・キングダム、、、どれをとっても娯楽の粋を集めてそのアイディアを競っています。レストランにはミッキーマウスや小熊のプーさんがテーブルを回って写真を一緒に撮ってくれます。子どもたちはもう大喜びです。夢を子ども達に与えるのがこうしたテーマパークの「テーマ」といえましょう。オーランドにはユニバーサルスタジオ(Universal Studio)もあります。ディズニーワールドとあわせて毎年6,000万以上の人々がオーランドを訪れるというのです。

 第二は、アメリカ航空宇宙局 (NASA) のケネディ宇宙センターがあります。数々のロケットやスペースシャトルが打ち上げられてきたところです。軍事用の偵察衛星や通信衛星、気象衛星、そして惑星探査機の打ち上げにセンターが使われています。

 フロリダ州のナンバープレートには「Sunshine State」とあります。フロリダとは「花が一杯」という意味だそうです。文字通り太陽の降り注ぐ温暖な州です。特に冬は、各地から避寒客がやってきます。極寒の中西部では、「フロリダに行ってくる」というフレーズは周りの人からは羨ましがられるのです。

 フロリダは亜熱帯の柑橘類であるグレープフルーツ、オレンジ、野菜の産地です。ジュース生産も盛んな州です。また豊富な漁猟資源でも知られています。特産のエビや牡蠣(かき)でも有名です。北米最大の湿原地帯がエバグレーズ(Everglades National Park)国立公園です。国立公園として園内のほとんどが保護されています。開発は一切行われず、環境には優しいのですが、道路が不整備で観光には決して優しくないという珍しい国立公園です。

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ナンバープレートを通してのアメリカの州  その三十三 ハワイ州–Aloha State

大抵の日本人なら一度は旅するところがハワイ州(Hawaii)です。言葉が通じ、食べ物が豊富で美味しく、景色がエキゾチックで、気候が温暖なのですから人気が高いのもうなずけます。誠に手頃な観光地です。ですが文化や歴史の多様な姿もまたハワイの魅力です。

 ハワイ固有の文化はポリネシア系(Polynesia)です。ポリネシアとは「多くの島々」の意味だそうです。音楽、舞踊、服装、料理などがそうです。1778年にイギリスの探検家、ジェームス・クック(James Cook)によって世界に紹介されます。州として合衆国に編入されたのは1959年。カメハメハ大王(King Kamehameha the Great)の統治が長く続きました。その間、日本から多くの人々が移民しました。主としてオアフ島(Oahu)やハワイ島(Big Island)でのサトウキビ、パイナップル、珈琲栽培のためです。琉球からの移民が目立ちました。今も琉球の名前を持つ人々が大勢住んでいます。

マウイ島

 先住のハワイ人やポリネシア系が約10%なのに比べ、日系人は17%を占めます。政治、経済、社会における活躍は目覚ましいものがあります。日系人の活躍としては、戦時中の志願兵の活躍が特筆されます。ハワイで生まれの若い日系アメリカ人の多くは、志願兵として祖国に対する忠誠心を示し陸軍の大隊に入ります。この部隊は日系人だけで組織されていたようです。やがてアメリカ本土の日系人部隊と合流し442連隊 (442nd Regimental Combat Team) となりヨーロッパ戦線にて戦果を上げます。オアフ島の真珠湾に浮かぶ戦艦アリゾナ記念館や戦艦ミズリー号などを訪れると太平洋戦争の歴史が身近なものとなります。

 ハワイ州は、大小100位の島々から成ります。これらは海底火山によってつくられました。州都ホノルルのあるオアフ島は最も知られていますが、是非訪ねたいのはハワイ島やカウアイ島(Kauai Island)、モロカイ島(Molokai Island) などです。ハワイ島には日系移民によって開発された一番大きな町、ヒロ(Hilo)があります。そこに日系移民博物館があります。驚くことに、館内の展示物には代々の天皇の「写真」が飾ってあります。驚くなかれ神武天皇の写真もあります。日本に対する深い想いがこめられているのを感じます。

 ハワイ島のマウナケア(Mauna Kea)山頂付近は、国立天文台が設置したすばる望遠鏡があります。周りには世界各国の天文台も並んでいます。ここに兵教大の院生とで天文台内部を見学する許可を得て訪ねました。ついでに山頂へも登ったのですが、酸素が薄くて息が苦しかったのを覚えています。一行にいた理科の教師にはたまらない見学ツアーとなったようです。ハワイ島のキラウエア(Kilauea)火山からの熔岩流は今も蒸気を上げています。そして虹が地平線から地平線まで見事なアーチを描きます。

 ハワイの高校には二つの有名な私立学校があります。カメハメハ・スクール(Kamehameha Schools)とプナホウ・スクール(Punahou School)です。バラク・オバマ大統領が卒業したプナホウは人気が高くなりました。マウイ島にあるハレアカラ火山の標高は3,000メートルを超え、世界一大きな火口を持つことでも有名です。「2001年宇宙の旅」の火星モデルにもなったようで、荒涼、索漠たる光景がひろがります。この世ではない遠い世界のような感じがします。ほとんど頂上近くまで車であがることができます。

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ナンバープレートを通してのアメリカの州 その三十二 ヴァジニア州–Mother of Presidents

ワシントンDC(Washington D.C.)からポトマック川(Potomac RIver)を越えたところに位置するアーリントン郡(Arlington)、そこからヴァジニア州(Virginia)は南西に広がります。イギリスから最初に独立した13州のうちの一つ。南北戦争では南部連合(Confederacy)に属して合衆国軍(Union)と戦いました。州都はリッチモンド(Richmond)となっています。チェスピーク湾は大西洋に面し、あちこちに独立戦争の戦跡が国立公園として保存されています。

ヴァジニア州のエンブレム

 ヴァジニア州は正式にはThe Commonwealth of Virginiaと呼ばれます。植民地時代から地域がそれぞれに共通した目標である独立に向けて共に発展する意思を表しています。この州からは、歴代8名の大統領を送り出しています。George Washington, Thomas Jeffersonらです。そのために、「アメリカ大統領の母なる地」(Mother of Presidents)とも言われるほどです。DCの対岸の州内にはアメリカ国防総省(Pentagon)やCIA本部もあります。アレクサンドリア(Alexandria)という歴史的旧市街も綺麗です。独立戦争以前の街です。全米で最も古いとされるファーマーズマーケットも知られています。

 ウイリアムスバーグ(Williamsburg)は是非訪れたいところです。1690年代には植民地時代の首都でありました。1.5km x 1.5 kmのスペースに入植当時の建物はすっかり復元されて、植民地の面影を感じることができます。その近くに1693年に設立されたWilliam & Mary大学があります。アメリカで最も由緒のある、また優れた学部教育のカレッジとして知られています。

 研究機関の中心はなんといってもヴァジニア大学 (University of Virginia)です。創立は1819年、Thomas Jeffersonによって創建されました。学内のすべての建物がコロニアルスタイルで統一され、全米で最も美しいキャンパスと称されています。

 ヴァジニア州のナンバープレートはいろいろなデザインがあります。うっそうとした豊かな森や清流の自然や生態系を反映してデザインには野鳥などを配置しています。ヴァジニアは「Mother of Presidents」の名にふさわしい風格のある州です。

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ナンバープレートを通してのアメリカの州  その三十一 ネブラスカ州–Cornhusker

ネブラスカ州(Nebraska)は合衆国のほぼ真ん中に位置しています。丁度合衆国のおへそのような所にあります。北はサウスダコタに、東はアイオワ州とミズーリ州に、西はワイオミング州とコロラド州に、南はカンザス州に囲まれています。オマハ(Omaha)で最も人口の多い街です。ミズーリ川(Missouri River)沿岸のオールドマーケット(Old Market)地区と呼ばれ、古き良き時代を感じさせるこの地域は、現在はエンターテインメントやショッピングの人気エリアです。ニックネームは「Cornhusker 」。Cornhuskerとはネブラスカ州人の俗称でトウモロコシの皮をむく人を意味します。

Map of Nebraska

 州都はリンカーン(Lincoln)でネブラスカ大学の本拠地です。ネブラスカ大学(University of Nebraska-Lincoln) は同州の研究や教育をリードする基幹大学です。特に農学部と経営学部が高く評価され、大学スポーツの強豪校としても有名です。特にカレッジフットボールや女子バレーボールでは複数回全米チャンピオンとなっています。

 ネブラスカ州立博物館(Nebraska State Museum)は、大学のメモリアルホールに位置しています。この博物館には、最も人気のあるアトラクションであるマンモスの化石のセットなど、自然史を紹介するコレクションや展示があります。大学附属のシェルドン美術館(Sheldon Museum of Art)があります。大学附属の美術館としては全米最大級で、その規模は12,000点を超える北アメリカ美術のコレクションを有していることです。

ネブラスカ州のエンブレム

 州の大部分は平坦な大平原が広がります。そこは肥沃なプレーリー土(Prairie)に恵まれ、牛肉・豚肉・トウモロコシ・大豆の生産で、国内のトップとなっています。ネブラスカ州はのモットーはThe Good Lifeとあります。「楽しく住むところ」といった感じですね。車のナンバープレートには、大平原と煙突のような岩山が描かれていてすてきなデザインです。

ナンバープレートを通してのアメリカの州  その三十 ニューヨーク州–The Empire State

ニューヨーク州(Newyork)の紹介です。なにを取り上げても話題の尽きない州です。最大の都市はニューヨーク、州都はニューヨークから300キロも離れた人口10万人足らずのアルバニー(Albany)。州の西端にはナイアガラ瀑布(Niagara Falls)があるのをご存じですか。

 ニューヨーク州は正三角形に近い形をしています。ニューヨーク州の境界には五大湖のうちの2つのエリー湖(Lake Erie)とオンタリオ湖(Lake Ontario)があります。カナダのオンタリオ州とケベック州と国境を接し、コネチカット州、バーモント州、マサチューセッツ州、ニュージャージー州、そしてとペンシルベニア州と隣接しています。

ニューヨーク市(Wikipediaより)

 誰でもご存じのニューヨークは世界経済、商業、コミュニケーションの中心地です。多くの企業の本社がここにあります。またショービジネスなど娯楽産業の中心でもあります。年間4,700万人の観光客が訪れます。国際連合はじめ公共機関も沢山あります。9・11の影響がいまだに続いてはいますが、急速な回復はニューヨークのバイタリティを感じます。公共交通網も張り巡らされ、多くの地下鉄は24時間運行となっています。

 ニックネームはBig Apple。その由来は、大恐慌時代に失業者が市内ででリンゴ売りをしていたとか、ジャズマンが使い出したとか、1800年代に街には一番いい「リンゴ」があったという(隠語で売春婦)説などです。

 ニューヨークの由緒のある所の紹介です。エリス島(Ellis Island)は忘れることができません。ニューヨーク湾内にあって、19世紀にヨーロッパからの移民が到着したのがこの島です。かつての移民管理局は今は博物館となっています。1800年頃から1954年まで使われていたとあります。その近くには自由の女神(The Statue of Liberty)が建っています。合衆国の独立100周年を記念してフランスより贈呈され、1886年に造られました。ヨーロッパからやってきた人々が船上からこの像を眺めて、新天地への憧れを抱いたところといわれています。自由の象徴ともなっています。


 ニューヨーク州のナンバープレートには「The Empire State」と印字されています。戦後しばらく、世界一高い建物といわれたEmpire State Buildingの影響があるようです。なんでも世界一が好きなアメリカのことです。ニューヨークは確かにそのような風格と内容を備えてはいるようですが、モットーからは少々いかつい印象もぬぐえません。

ナンバープレートを通してのアメリカの州 その二十九 ニューメキシコ州–Land of Enchantment

ニューメキシコ州(New Mexico)の最大の都市はアルバカーキー(Alburquerque)です。今では伝説的となりましたが、かってマイクロソフト(Microsoft)の創始者、ビル・ゲイツ(Bill Gates)がパソコンのOSを開発した町です。もともと大部分がネイティブ・アメリカンの居留地だったところです。部分的にメキシコ領土だった経緯もあります。現在、人口の45%がヒスパニック(Hispanic)。加えて、今でもネイティブ・アメリカンが全米で第三位を占める位、多く住んでいます。ですが面積からするとアメリカで最も人口密度が低い州といわれています。

Map of New Mexico

 州都は、かってメキシコの総督府が置かれていたサンタ・フェ(Santa Fe)。観光はサンタ・フェの経済を支えています。温暖な気候や、冬のスキー、夏のハイキングなど野外活動の機会に恵まれています。歴史・芸術・文化の豊かな州都です。ジョージア・オキーフ美術館(Georgia O’Keeffe Museum)はその中心といえましょう。オキーフは特にアメリカ人に人気のある女性画家です。自然の景観や動植物などの自然を題材としています。オキーフはウィスコンシン州の農家に生まれ、マディソンで高校時代をすごしたこともあります。

 ダウンタウンの歴史地区、特に総督府に隣接するプラザ(Plaza)にはメキシカンフードの人気レストランが立ち並んでいます。町並みは日干しの土で作られた建築物アドービ(Adobe)です。砂、砂質粘土とわらなどの素材でつくられる建材です。熱を吸収してもゆっくりと放出するので建物の中は涼しく、ニューメキシコのような暑くて乾いた地に適しているといわれています。

Los Alamos (Wikipediaより)

 ニューメキシコは日本にとって忘れることのできない州です。アルバカーキーから車で90分のところにロス・アラモス(Los Alamos )という街があります。砂漠のど真ん中にある巨大な研究都市です。国防総省が武器などを開発しています。マンハッタン計画(Manhattan Project)によって、ここで造られた原子爆弾Little Boyの複製が博物館に展示されています。複雑な思いのする場所です。

一度、学会がアルバカーキであったとき、家族を呼んでロアラモスへ行きました。原子爆弾の模型がありました。サンタフェもエキゾチックな街です。

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ナンバープレートを通してのアメリカの州  その二十八 ニューハンプシャー州–Live Free or Die

ューハンプシャー州は大西洋側の東海岸にあります。綴りはNew Hampshierです。いわゆるニューイングランド地域の一部で、北部及び北西部でカナダのケベック州(Quebec)、東部はメイン州(Maine)、南部はマサチューセッツ州(Massachusetts)、そして西部はバーモント州(Vermont)と隣しています。アメリカにはNewが付く州や町がたくさんあります。州ではNew Mexico, New Jersey, ご存じNew York, New London, New Berlin, New Heaven, という街もあります。イギリスやヨーロッパ各地からの移民が開拓したことを物語ります。

 ニューハンプシャーの州都はコンコード(Concord) という小さな街です。コロニアルスタイル(Colonial style)といわれる植民地時代の木造家屋のデザインを示します。この州で忘れられないところがポーツマス(Portsmouth) という街です。日露戦争が終わり、当時の大統領ルーズベルト(Theodore Roosevelt) の仲介で講和条約が締結された街、それがポーツマスです。実に小さな港町です。こんなところで条約が結ばれたのか、と頭をかしげたくなるようなのんびりとした所です。街全体の建物もコロニアルスタイルです。

 講和会議における日本の代表は外務大臣の小村寿太郎、ロシアは元大蔵大臣のセルゲイ・ウイッテ(Sergei Witte)です。ポーツマスの博物館に当時の交渉の様子を報道した写真や新聞記事が飾られています。大男のウイッテが小男の小村を威圧するイラストがあります。当時ロシアはヨーロッパの大国、日本はアジアの小国でした。アメリカは太平洋の利権があって日本に同情的な姿勢であったことを伺わせます。

日露講和会談

 ニューハンプシャーのナンバープレートには「Live Free or Die」と描かれています。「自由を与えよ、さらば死を」という意味です。ニューハンプシャーは最初にイギリスの統治を離脱し独立への歩みを踏み出します。独立宣言後、最初の13州の一つともなります。

さらに特筆すべきことは合衆国の州として最初に憲法を制定した州となったことです。この歴史を踏まえているせいでしょうか、大統領選挙において最初に予備選挙が実施されるのがこの州でもあります。その後の各州での大統領選挙を予測するうえで重要な選挙となっています。

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ナンバープレートを通してのアメリカの州  その二十七 ノースダコタ州–Peace Garden State

ノースダコタ

ノースダコタ州(North Dakota)は合衆国中西部の最北部、大草原が広がるグレートプレーンズ(Great Plains)にあります。山地はほとんどありません。州の北側はカナダ国境であり、サスカチュワン州(Saskatchewan)およびマニトバ州(Manitoba)に接しています。西側はモンタナ州(Montana)に、東側はミネソタ州(Minnesota)との州境にレッド川( Red River)が流れ、南側はサウスダコタ州(South Dakota)と接する州です。


 ノースダコタの名前は、スー族(Sioux)であるダコタ族(Dakota tribe)から由来しています。「ダコタ」はスー族の言葉で「友人」という意味です。州都はビスマーク市(Bismarck)。人口最大の都市はファーゴ市(Fargo)となっています。ノースダコタにはノールウェイやドイツからの移民が多く、資本と移民を誘致するために、ドイツの宰相ビスマルク(Otto von Bismarck) からビスマークと命名したといわれます。

 17世紀以降、ノースダコタの領有権はフランス、スペイン、イギリスにより争われます。 1803年、ルイジアナ購入によりフランス領からアメリカの領土になったこの地は、1861年にダコタ準州となりました。 このダコタ準州が現在のノースダコタ州です。州の一番の特徴は厳しい気候があげられます。そのため、他の地域よりも移民の流入が遅れたそうです。

 今でも人口密度は低く、州の人口も全米で下から3番目に位置しています。 経済の柱は農業で、中でも小麦は全米トップ、大麦、ライ麦、亜麻、その他、ひまわりの栽培で蜂蜜はトップの生産を誇ります。菜種油(カノーラ油)は92%など食用油の精製は一大産業となっています。1951年に州北西部で石油が発見されたことも州の発展を促しているようです。第 26 代アメリカ大統領セオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt )の出身地でもあります。

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ナンバープレートを通してのアメリカの州  その二十六 ノースカロライナ州–First in Flight

大西洋岸にあるノースカロライナ州(North Carolina) は、周りをヴァージニア州、テネシー州、ジョージア州、そしてサウスカロライナ州に囲まれています。首都はラレイ(Raleigh)、最大の都市はシャーロット(Charlotte)です。

 州名は1691年に当時のイギリス国王チャールズ2世のラテン語であるカルロス(Carlos)に由来するといわれます。都市化の進んだ州ですが、チャペルヒル(Chapel Hill)という町には、実に綺麗なノースカロライナ大学(North Carolina Chapel Hill)のキャンパスがあります。どの町も樫の木の緑が豊かです。

 ノースカロライナ州は科学技術の研究開発が非常に盛んなところです。数十の民間と公営の研究機関が集まり研究学園都市を形成し、その中心はResearch Triangleと呼ばれるラレイ、ダーム(Durham)、チャペルヒルの三つの町です。三つはちょうど三角形のように点在しています。独立革命のための激しい戦いが続き、南北戦争の史跡も多数あります。州西部に住むチェロキー族(Cherokee)は文化の高さで知られ、黒人の多い州の一つでもあります。

 ピードモント台地(Piedmont)にけるタバコ栽培が全米一となっています。農業生産品は鶏卵、豚、牛、牛乳の他にタバコ、大豆が主要なものです。他にも織物、化学工業、電子機器、製紙も知られています。意外なことですが、ノースカロライナ州はカリフォルニア州以外で最大の映画制作を行っている州の1つでもあります。

 スポーツも盛んな地です。特に大学バスケットボールとフットボールは全米でも有数です。大学間での競争が激しいことにもよります。デューク大学(Duke University)、ウェイクフォレスト大学(Wake Forest University)、ノースカロライナ州立大学(North Carolina State University)、ノースカロライナ大学が競っています。

 ノースカロライナ州といえばライト兄弟(Wright Brothers) です。1903年、世界で初の有人動力飛行に成功したのがノースカロライナです。ナンバープレートには「First in Flight」と記されています。

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ナンバープレートを通してのアメリカの州  その二十五 ニュージャージー州–Garden State

ニュージャージー州(New Jersey)は、ニューヨーク市のハドソン川(Hudson River)の対岸、そしてデラウエアの北東、西はペンシルバニアに接しています。州都はトレントン(Trenton)となっています。ニューヨークの隣なので、多くの人が電車で通勤しています。フィラデルフィア(Philadelphia)へもそうです。最大都市はニューアーク(New Ark)、アトランティックシティ(Atlantic City)は東海岸随一のカジノシティとして知られています。

Map of Jew Jersey

 イギリスから最初に独立した13州のうちの一つでもあり、その歴史は古いです。ニュージャージーに最初にやってきた人々はオランダ人、そしてスエーデン人です。やがてイギリスからの移民が増加し、1649年に名前がNew Jerseyとなります。そこから長らくイギリスの植民地となります。独立戦争の頃、ニュージャージーは依然としてイギリスの支配下にあります。植民地軍とイギリス軍がこの州をまたいで大きな戦いが繰り広げられます。そのため、州のニックネームはやがてThe Crossroads of the Revolution(革命への交差路)といわれます。

 ニュージャージーが生んだ有名な人物としてトマス・エディソン(Thomas Edison)が挙げられます。生涯で1,093の特許登録をしたといわれます。ナーンバープレートには、自然豊かな地を示すGarden Stateとあります。平等の州 (Equality State)とか、なぜかカウボーイ州 (Cowboy State)というニックネームを持っている州です。州の南西部は平原が広がり、酪農も盛んです。ロデオ(rodeo)が開かれるからでしょうか。

ナンバープレートを通してのアメリカの州  その二十四 デラウェア州–The First State

ようやく合衆国50州をライセンスプレートから紹介する中間点にやってきました。今回はデラウェア州(Delaware)です。17世紀初頭からスウェーデン(Sweden)やオランダ(Netherland) からの移民が東海岸に入植します。デラウェアですが東はニュージャージー州、北はペンシルバニア州、西はメリーランド州と接しています。州名は、イギリスのバージニア植民地時代、初代の総督であったデ・ラ・ウエア(De La Warr)に由来します。

 合衆国の建国に関わった13植民地のうちで最初に憲法を批准したのがデラウェア州です。1787年のことです。ナーンバープレートには「First State」と誇るように記されています。東海岸のチェサピーク湾(Chesapeake Bay)とデラウェア湾(Delaware Bay)に面し、ロードアイランド州に次いで2番目に面積が小さい州です。州都はドーバー(Dover)となっています。ボストンからフィラデルフィア、ワシントンDCにかけてのアメリカ・メガロポリス(America Megalopolis)を形成しています。

Map of Delaware

 デラウェア州で有名なのは、大財閥企業デュポン・ド・ヌムール社 (DuPont de Nemours)です。フランスの貴族ピエール・デュポン (Pierre S. du Pont) が州最大の都市ウィルミントン(Wilmington)に火薬工場を作り、やがてアメリカ有数の化学企業となります。会社設立を優遇する州法があり、大企業が名目的な本社をこの州に多く登録されています。法人税が安いためなのです。アメリカならではの話題です。36年にわたる上院議員経験後、副大統領、そして大統領になったジョー・バイデン(Joe Biden)はデラウェア州の出身です。

ナンバープレートを通してのアメリカの州  その二十三 テキサス州–The Lone Star State

テキサス(Texas) はアメリカでは第二の面積を占める南部の大きな州です。1836年にテキサス共和国として一方的にメキシコから独立を宣言しますが、同年メキシコ軍の攻撃により敗れます。入植者がたてこもって抵抗した拠点がサンアントニオに(San Antonio) あるアラモ砦(The Alamo)。デビー・クロケット(Davy Crockett)、ウイリアム・トラビス( William Travis)など指導者の名前が浮かんできます。映画”The Alamo”も作られました。

 現在の州都はオースチン(Austin) ですが、近年特に人気が高い町がリバー・ウォーク(River Walk)のあるサンアントニオです。リバー・ウォークは小さな河の両岸にレストランが並んでいます。散歩、船下りにも楽しいところです。今や年間1,000万人以上が訪れる全米有数の観光都市としても知られています。研究者を集める多くの学会もここで開かれています。

 ブッシュ(George Bush)大統領親子はテキサスの出身です。メキシコ湾や内陸部に油田が多く、エクソンモービルなどの石油会社の本社があります。カウボーイ文化に象徴される放牧業や畜産業でも知られています。アメリカン航空、コンチネンタル航空、AT&Aなど多くの企業の本拠地となっています。カリフォルニア、ニューヨークと並ぶ商業や経済の中心です。

 ナンバープレートには「The Lone Star State」とあります。メキシコからの独立という願いとして、テキサスの州旗に白い星を一つあしらったといわれています。これがLone Starの由来です。

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ナンバープレートを通してのアメリカの州  その二十二 ジョージア州–Peach State

南部アトランタ(Atlanta) はジョージア州(Georgia)最大の都市であり州都です。コカコーラやCNN、保険会社アフラックの本社などがあることでも知られています。ここはまた映画の舞台でもあります。「風と共に去りぬ」を書いたマーガレット・ミッチェル(Margaret M. Mitchell)の博物館-The Margaret Mitchell House-がダウンタウンにあります。

 マーチン・ルーサー・キング牧師(Rev. Martin Luther King Jr) が説教していたエベネゼル・バプティスト教会(Ebenezer Baptist Church)、そして氏の功績を称えるThe King Center博物館は必ず立ち寄るべきところです。政治ではジミー・カーター大統領(James A. Carter) がでたところです。

 大西洋側にサバンナ(Savannah) という港町もあります。植民地時代は、サバンナは綿花のヨーロッパへの輸出港でした。今も貯蔵倉庫が建ち並び、多くのレストランなどに改装されています。マスターズ・トーナメント(Masters Tournament)のゴルフ大会が毎年4月上旬に開かれるのがオーガスタ(Augusta) です。メンバーは世界中に約300名、会員になるためには数10年程待たなければならないそうです。

 有名な人物を輩出した割には、ナンバープレートは明るくのどかなものです。プレートには桃がデザインされています。ジョージア州はスイカ、メロンなどの果物が多いのです。特に桃は有名なので「Peach State」、桃の州と呼ばれています。

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ナンバープレートを通してのアメリカの州  その二十一 サウスダコタ州–Great Faces, Great Places

サウスダコタ州(South Dakota)は、ラコタ(Lakota) とダコタ・スー族(Dakota Sioux American Indian)から名付けられたといわれます。スー族の領土であり儀式の聖地として崇められている地域があります。今や多くは国立公園となっています。州都はピーリー(Pierre)で州で最も大きな都市はスーフォールズ(Sioux Falls)となっています。サウスダコタ州は農業と畜産が主要な産業です。五大品目として牛、豚、トウモロコシ、大豆、そして小麦が有名です。

 州の南部にBlack Hillsという丘陵地帯があります。背丈の低い松で覆われています。スー族にとって最も聖なる地域とされています。この丘陵地帯にあるのがマウントラッシュモア(Mount Rushmore)で、多くの観光客がやってきます。山の岩盤に歴代4人の大統領の顔が彫られています。ジョージ・ワシントン(George Washington)、トマス・ジェファソン(Thomas Jefferson)、セオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt)、アブラハム・リンカン(Abraham Lincoln)です。

 ローラ・インガルス(Laura Ingalls) という名前をきいたことがおありでしょうか。この州の代表的な小説家です。開拓地での幼少のときの生活経験が小説の舞台となっています。 彼女はウイスコンシン州で生まれ、幼年期に一家は中西部を頻繁に移動して開拓生活をおくります。やがて学校に通い、小学校の教師となります。その間、「インガルス一家の物語」を書きます。これがNBCで「大草原の小さな家」としてテレビ・シリーズ化され一躍日本に紹介されて好評を博しました。

 私にとってのサウスダコタ州です。一度ここに住んでいたかっての宣教師とその家族を訪ねました。私が家族と始めてジョージア州に来たとき、この牧師さんから車を譲り受けた思い出もあります。この車でジョージアからウイスコンシンへ行き、そしてサウスダコタを訪ねました。果てしない大平原やトウモロコシ畑を一日中走りました。

ナンバープレートを通してのアメリカの州  その二十 サウスカロライナ州–Palmetto State

サウスカロライナ州(South Carolina)は北部でノースカロライナ州、南部と西部でサバンナ川(Savannah River)を境に位置するジョージア州(Georgia)、及び東部で大西洋と接しています。海岸線には多くの沼や入り江があり、またジョージタウン(Georgetown)やチャールストン(Charleston)など自然の良港をひかえています。パルメットヤシ(Palmetto)の州と呼ばれています。

 サウスカロライナ州の開発の歴史は古くメイフラワー号(Mayflower) がニューイングランドに上陸する約100年前の1526年にスペイン人のフランシスコ・コルディロ(Francisco Gordillo) が入植を試みたという記録があるようです。1629年にイングランド王チャールズ一世(King Charles I)がカロライナを植民地とします。1729年にはノースカロライナとサウスカロライナが分離します。独立戦争を経て他の州と共に独立し、奴隷制による綿花のプランテーションによって大いに繁栄します。

 1860年に奴隷制廃止論者であったリンカーンが大統領になると合衆国から離脱し、1861年には後続して脱退した他の南部諸州と共にアメリカ南部連合(Confederate States of America)を結成し、北軍の駐屯するチャールストンの港に位置するサムター要塞(Fort Sumter)を攻撃して南北戦争(Civil War)の口火が切られます。1865年にシャーマン将軍(William Sherman)率いる北軍の侵攻により、ジョージア州アトランタ(Atlanta)が焼き払われ、「海への進軍」(March to the sea through Georgia)およびサバナよりの北上作戦により南部経済は壊滅して南北戦争の終結が早まります。小説「風と共に去りぬ」(Gone with the Wind)はこの南北戦争が舞台です。

 サウスカロライナ州は長い植民地時代を残す歴史があります。例えば、チャールストンは「聖なる市」(The Holy City)ともいわれます。高い尖塔を有する教会が街の景観を形成しています。十三の植民地の中で、カトリック、プロテスタントを問わず信教に対する寛容さを認めていた数少ない都市の一つがチャールストンで、ユダヤ教を認めた最初期の植民地都市ともいわれます。州の愛称は「Smiling Faces Beautiful Places」。いい呼び名です。

ナンバープレートを通してのアメリカの州  その十九 コロラド州–Centennial State

コロラド(Colorado)は山岳地帯の州です。南北4500kmに及ぶ世界的なロッキー山脈(Rocky Mountains)が貫き、州全体の平均標高が合衆国で一番高いところです。州の東側は大平原(グレートプレーンズ)が広がります。州都であり最大の都市は、デンバー(Denver)です。

 デンバーは標高が約1マイル(約1,600メートル)なので、マイル・ハイ・シティー(Mile High City)の愛称で呼ばれています。 デンバー市内には多くの日系人が住んでいます。その数、約14,000人。 「ロッキー時報」という日本語の新聞が発行されているのもうなずけます。

 コロラド州の商業や経済は多様です。金融センターであるデンバーを中心に、科学研究及びハイテク産業が集中しいます。他の産業は食品加工、輸送設備、機械、化学製品、稀少資源の開発そして観光業となっています。

 州都デンバーから車で一時間ほど南に下ると、ロッキーでも一段と高く聳える「パイクスピーク」がみえます。その山麓の台地には、アスペン(Aspen)などの綺麗な街並みが広がります。コロラド・スプリングス(Colorado Springs)も全米で知られる町です。ここは都市の規模に比べて物価が安く、アメリカでも最も住みやすい町の一つとなっています。

 この住み心地の良さを支えるのは、国防総省の巨大な施設によってもたらされる経済効果です。空軍士官学校や共同防衛組織があります。ロッキーの山中には、北米航空宇宙防衛軍や軍事衛星による監視や弾道ミサイル防衛を担う戦略基地が掘られています。

私は小さいとき、「コロラドの月」というアメリカ民謡をしばしば聞いたことがあります。進駐軍の放送から聞こえたきたものです。ネット上で歌詞を調べると次のようにあります。恋の歌ですね。
 「コロラドの月の夜に
  想い出は いやます
   恋の日の しのばれて
    さびしさに 涙す
    むすびし 恋も
     あだに 君はいずこぞ
      コロラドの 月の夜に
       なれも 我をば待てる」
という恋歌です。当時はそんなことを知るべくもありませんでした。そしてデンバーを訪ねたのは学会発表の1987年です。コロラド大学(University of Colorado)の看護学科の准教授の案内で市内の学校を見学しました。

ナンバープレートを通してのアメリカの州 その十八 コネチカット州 Constitution State

コネチカット(Connecticut)。なんとも良い響きの名前です。ナンバープレートには「Constitution State」とあります。最初の憲法の素案を作った州というところです。合衆国の北東部、北大西洋岸は、どこかで紹介しました、ニュー・イングランド(New England) と呼ばれていますね。ここに小さな州がいくつかあります。その内の一つがコネチカット州です。首都はハートフォード(Hartford)となっています。東にはロードアイランド州(Rhode Island)、北にはマサチューセッツ州(Massachusetts)、西にはニューヨーク州(New York)と隣接しています。

 コネチカットは英国の統治時代、13の植民地の一つでした。1639年に植民地としては最初の「基本法規」(Fundamental Orders)というのを制定します。これはやがてコネチカットで最初の憲法となります。この憲法は合衆国の初代憲法に大きな影響を与えます。コネチカットは英国から独立を宣言する最初の13州の一つとなります。

 ヨーロッパからの植民はオランダから来たといわれます。ピューリタン(聖教徒-Puritan)の人々です。やがてアイルランド、イングランド、フランス、ドイツ、ポーランド、イタリア、ポルトガルなどから移民が押し寄せます。その後プエルトリコなどからも人々がやってきます。その中で、ポーランド系やアイリッシュ系の人々が多いのが特徴となっています。

 産業ですが、農業はもとより酪農、製造業、漁業も盛んな州です。ロブスターや貝も知られています。ジェット機エンジン、ヘリコプターや航空機の部品、素材産業、原子力潜水艦の建造と関連の軍事産業、精密機械、化学薬品の製造が盛んです。企業ではスポーツ放送のESPN、ボーイング(Boeing)とエアバス(Airbus)のエンジンを開発するゼネラル・エレクトリック(GE)、シコルスキーヘリコプター(Sikorsky)の本社などがあります。

成田滋のアバター

綜合的な教育支援の広場

ナンバープレートを通してのアメリカの州 その十七 ケンタッキー州– Bluegrass State

ケンタッキー州(Kentucky)といえば、スティーブン・フォスター(Stephen Foster)が作詞作曲した「ケンタッキーの我が家」(My Old Ketucky Home)を想い出します。60代以上の人なら誰もが聞き口ずさんだことのある哀愁味漂う曲です。フォスターは他にもスワニー河(Swanee River)、オールドブラックジョー(Old Black Joe)、夢見る人(Beautiful Dreamer)など150曲余りを作りました。彼は「アメリカの音楽の父」と呼ばれています。

ナンバープレートには「Bluegrass State」とあります。草原を遠くから眺めると青紫色のつぼみが一面広がり、「青い草」に見えたので名付けられたとあります。ブルーグラス・ミュージック(Bluegrass Music)です。スコットランドやアイルランドの音楽を基にしています。アップテンポの曲が時代と共に多くなり、速弾きなどのインプロヴァイズ(即興演奏)もあります。お隣テネシー州でもこの音楽は盛んです。

Map of Kentucky

ケンタッキーはイリノイ、インディアナ、オハイオ、ミズリー州に囲まれ、オハイオ川とミシシッピー川で州境をなしています。東側にはアパラチア山脈が聳えていて、豊かな自然に恵まれています。この州はなんといっても「ブルーグラスの州」と呼ばれ、肥沃な土壌からの多くの農産物がとれます。州都はフランクフォート(Frankfort)。最大の都市はルイビル(Louisville)となっています。

ケンタッキーは馬の生産地でも知られています。ケンタッキー・ダービー(Kentucky Derby)開かれるのこの地です。バーボン・ウイスキー(bourbon whisky)の一大生産地でもあります。その他タバコの生産も盛んです。ケンタッキーには自動車産業も盛んです。フォード、GM、トヨタの工場があります。トヨタはアメリカで最もポピュラーな車「カムリ」をここで組み立てています。