アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その24 『Pine Tree State』とメイン州

私はメイン州(Maine)を訪れたことはありませんが、メインの海岸付近に住む友人とはSNSでビデオチャットしています。この友人は連邦教育省に長らく勤め、兵庫教育大学に3か月の客員研究員として招いたこともあります。メイン州アメリカ北東部のニューイングランド(New England)にあり、この地方最大の州です。北西はカナダのケベック州(Quebec)ニューブランズウィック州(New Brunswick)に接しています。州都はオーガスタ市(Augusta)です。地図を見ますとこの州は長い海岸線、そして美しい山と海の景色を誇るといわれます。アーカディア国立公園(Acadia National Park)には、大西洋沿岸北部で最も標高が高い場所であるキャデラック山(Cadillac Mountain)があります。この公園には、馬車道が曲がりくねるように通い、表面には砕石が敷かれているのでサイクリングに最適だそうです。

Map of Maine

州最大の都市ポートランド(Portland) の南に位置する小さな街ケープエリザベス(Cape Elizabeth) には、有名なポートランドヘッドライト灯台(Portland Head Light)があります。 この灯台は、メイン州にある 65 の灯台のうち最古のもので、今も現役です。 特に旭日が昇るのをとる写真家にはたまらない場所といわれます。

アメリカの有名な思想家、詩人、随筆家であるヘンリー・ソーロー(Henry Thoreau)もメイン州の自然がたいそう気に入って3度も旅したことが「The Maine Woods」(メイン州の森)という作品に書かれています。彼の多くの著作には、今日の自然と生態系に関する叙述があり、アメリカにおける環境保護運動の先駆者としての評価も確立されています。丸太小屋を建て、自給自足の生活を2年2か月間送りながら書き留めた、代表作『ウォールデン 森の生活』(Walden Life in the Woods)は、そこでの生活記録をまとめたものです。その思想は後の時代の詩人や作家に大きな影響を与えたといわれます。

メイン州「松の木の州」(Pine Tree State)というニックネームがあり、全土の90%近くが森林で、内陸の森林地帯はほとんど人の住まない所となっているようです。メイン州の農業生産品は、家禽及び卵、乳製品、牛、ブルーベリー、リンゴ、並びにメープルシロップとカエデ糖である。特にブルーベリーでは最大の輸出州となっています。ジャガイモの生産でも知られています。入り組んだ岩の多い海岸線が続き、漁業は州経済の主力であり、現在もロブスター漁(lobster)やハマグリなど底引き漁が盛んです。

合衆国内で、最も白人の比率が高い州なので「Most White State」と呼ばれるとか。フランス系アメリカ人の比率は国内で最も高い州がメインです。メイン州にはベイツ大学(Bates College)、ボウディン大学(Bowdoin College)やコルビー大学(Colby College)といった、大学ランキングで上位に位置するリベラルアーツ系の大学が知られています。他の州と同様、ニューイングランド内の私立大学のほうが州立大学よりも認知度が高く優れているというのは特筆されます。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その23 『ケイジャンとクレオール』とルイジアナ

ケイジャン(Cajun)移民の影響を強く受けたルイジアナ州の文化は、他の南部州に比べるとユニークな点が多いといえます。その代表は「クレオール文化」(Creolization)でしょう。人種、言語、料理、音楽などで特徴的な文化です。フランスやスペイン、アフリカおよび先住民文化から色々な要素を取り入れた融合文化とされるクレオール文化は白人クレオールと黒人クレオール両方に属しています。当初クレオールという言葉はフランスまたはスペイン人の子孫で、現地で生まれた白人を指していました。それが後には白人男性が黒人女性と関係を持った結果の子孫も指すようになり、その多くは教育を受けて自由人となりました。

Creole Family

州の南部で一部の住民が話すフランス語はケイジャンフレンチ (Cajun French) 、ケイジャン語です。カナダ東部の沿海州やメイン州で使われたフランス語アカディア方言に由来するものといわれます。その理由は1755年からの7年戦争といわれるフレンチ・インディアン戦争中、アカディアのフランス系住民がイギリスに対する忠誠を拒んで強制追放され、多くのアカディア方言話者がフランス領ルイジアナに移住してきたために残りました。ケイジャン英語はフランス語の影響を受けた英語方言ともいわれます。

クレオール文化で最も有名なのはケイジャン料理でしょう。ケイジャン移民が持ち込んだアカディア・フランス料理を基礎として、インディアンの料理、西アフリカからの黒人奴隷の料理やサン・ドマングからの移民が持ち込んだクレオール料理の流れをくむケイジャン料理はアメリカ有数のものとなっています。ニューオーリンズは、ジャズ発祥の地としてよく知られています。ディキシー・ランド・ジャズ(Dixiland Jazz)やブルース、カントリー、ロックなどのさまざまな音楽の発信地がルイジアナです。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その22 『Pelican State』とルイジアナ州

ルイジアナ(Louisiana)という地名は、フランス王ルイ14世(Louis XIV)に由来します。州都はベイトンルージュ市(Baton Rouge)、最大の都市はニューオーリンズ市(New Orleans)です。私はこの州を訪ねたことはありません。

1803年ルイジアナ買収によって合衆国領となってからこの州は発展します。1849年州都がニューオーリンズからベイトンルージュへ移ります。民法には大陸法の影響が色濃く残っています。例えば州の下の行政区画として、他州で用いられるカウンティ(county、郡)の代わりにパリッシュ(parish)という用語が使われます。parishとはキリスト教会の小教区を意味し、現在は行政小教区 「civil parish」と呼ばれ、フランス植民地時代の影響を受けた結果です。パリッシュがカウンティ相当として使われるのはアメリカではルイジアナ州のみです。

州内いくつかの都市圏では多文化、多言語の遺産が残っており、18世紀に領域を支配したフランスの混合文化に強く影響されています。アカディア(Acadia)やヌエバ・エスパーニャ(Nueva Espana)といった文化です。アカディアとはメイン州東部とカナダのノバスコシア州(Nova Scotia)に相当する地域の古名で、フランス領だった地域です。先住民であるインディアンや、西アフリカから奴隷として連れてこられたアフリカ系アメリカ人の文化の影響も見られます。19世紀初めにアメリカ合衆国の領土となりますが、他州とは相当異なった文化が形成され今日に繋がっています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その21  『Bluegrass State』とケンタッキー州

ケンタッキー州(Commonwealth of Kentucky)の愛称は「ブルーグラスの州」(Bluegrass State)です。ブルーグラスとは、ナガハグサとも呼ばれる牧草です。ブルーグラスは別名ケンタッキー・グラス(Kentucky Grass)とか西洋芝ともよばれ、耐寒性が高いのと根の伸長速度が早いので有名です。その名の通り、ケンタッキーは牧草が生い茂る地であり、競争馬の飼育が盛んです。この名の通り、ケンタッキーは牧草が生い茂る地であり、競争馬の飼育が盛んです。最大都市のルイビル(Louisville)で毎年5月の第1土曜日に行われる ケンタッキーダービー(Kentucky Derby) は有名です。州都はケンタッキー川沿いにあるフランクフォート(Frankfort)で、州の最大都市ルイビルと第2の都市レキシントン(Lexington)の中間に位置しています。 フランクフォートの人口は約28,000人で、人口の少ない州都の全米第5位になっています。

ケンタッキーはバーボン・ウイスキー(Bourbon whiskey)発祥の地、またケンタッキー・フライド・チキン(KFC)の本拠地としても知られています。 州内には450を超えるサラブレッド牧場や、多くのウイスキー蒸留所があります。バーボンという名前はフランスの「ブルボン朝」(Bourbon Dynasty)に由来します。アメリカ独立戦争の際にアメリカを支援したことに感謝し、後に合衆国大統領となるトーマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson)がケンタッキー州の郡のひとつを「バーボン郡」と名づけます。それが同地方で生産されるウイスキーの名前となり、定着したといわれます。バーボン・ウイスキーの主原料は51 %以上のトウモロコシ・ライ麦・小麦・大麦です。これらを麦芽で糖化し、さらに酵母を加えてアルコール発酵させるようです。炭化皮膜処理されたオーク樽を製造に用いることが義務づけられています。ブランドを維持するためです。

「ケンタッキーの我が家」(My Old Kentucky Home)はスティーブン・フォスター(Stephen C. Foster)作詞・作曲の歌曲です。ケンタッキー州の州歌となっています。「主人は冷たい土の中に」(Massa’s in De Cold Ground)、「故郷の人々」(Old Folks at Home)、オールド・ブラック・ジョー」(Old Black Joe)、「夢見る人(Beautiful Dreamer)、「金髪のジェニー」(Jeanie with the Light Brown Hair)、「スワニー川」(Swanee River)など、黒人奴隷の苦しみに共感を示しそれを描き出したのがフォスターです。曲のメロディは親しみやすく、黒人歌、農園歌、ラブソングや郷愁歌などを作曲し「アメリカ音楽の父」と称されています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その20 『Cyclone State 』とカンザス州

開拓者の過去と現在に至る歴史を学べるのがこの州です。「峠の我が家」(Home on the Range) という民謡があります。カンザス州(Kansas)の州歌となっています。のどかな旋律と歌詞です。アメリカの中央部という地理的条件のおかげで、カンザス州はアメリカの開拓で常に重要な役割を果たし、アメリカインディアンの豊かな歴史も育まれてきました。今も残るサンタフェトレイル(Santa Fe Trail)に幌馬車のわだちをたどり、ポニーエクスプレス(Pony Express)が通った道を旅できます。フォートラーンド(Fort Larned)とフォートスコット(Fort Scott)で南北戦争の戦場跡を見学し、部族に関する博物館を見学しましょう。カウンシル・オーク・ツリー(Council Oak Tree)のようなランドマークの木があります。この木は、1825 年にオーセージ族(Osage tribe)インディアンが土地を譲渡した際に契約の場となった史跡です。

Map of Kansas

ブートヒル博物館(Boot Hill Museum)とオールドカウタウン博物館(Old Cowtown Museum)では、西部開拓時代のアウトローや開拓者が歩いた道を実際に歩くことができます。田舎の生活様式が、今も家畜牧場で続けられています。このような牧場では、牛追い、星空を眺めながらのチャックワゴン(chuck wagon)での夕食ができます。チャックワゴンとは炊事用の幌馬車のことで、19世紀の特に西部開拓時代の長距離移動で広く使用されたものです。カンザス州では、本物の家畜牧場に宿泊することができます。質素なものからおしゃれな農場までさまざまな種類があります。

カンザス州にはアメリカインディアンの豊かな歴史が残っており、かつてここに住んでいた部族に捧げる博物館があります。この州には今でも 4 つの部族が暮らしています。キカプー族(Kickapoo)、ポタワトミ族(Potawatomi)、ソーク族(Sauk)、アイオワ族(Iowa)です。

カンザスといえば、カンザス・シティスタイル・バーベキュー(Kansas City Style Barbecue:BBQ)さまざまな種類の木材でじっくりスモークし、厚切りトマトを載せてモラス(Morath)という蜜糖ベースのソースで食べるのです。カンザス・シティは、『World Capital City of BBQ』と呼ばれるほどです。BBQはカンザス・シティ文化のハイライトなのでしょうか。BBQはなぜ有名になったかです。カンザスはアメリカのど真ん中に位置し、19世紀半ば頃からアメリカの物流の拠点となりました。鉄道に加えてミズーリ川(Missouri River)があり、バイヤーや卸売業者はそれを家畜類の輸送手段として使うだけでなく、肉の加工業を栄えさせたのです。

州都はトピカ市(Topeka)であり、州最大の人口を抱える都市はウィチタ(Wichita)となっています。最後にカンザス州のニックネームは「サイクロンの州」(Cyclone State)というのですから、少々穏やかではありません。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その19 『Hawkeye Stateとマディソン郡の橋』とアイオワ州

この州は、中西部ウィスコンシン州の西側に位置します。州都で人口最大の都市はデモイン(Des Moines)で、「アイオワ」(Iowa)という名前は数多く住んでいたインディアン部族の中のアイオワ族から採られています。デモインは大統領選挙においても重要な所となっています。その理由はアイオワ州は1972年以降、全米で最初に党員集会(caucus) が行われる州となっているからです。党員集会では、大統領候補を選出する全国党大会に出席する代議員を選ぶのです。党員集会によって大統領候補者を決めるので、デモインは全米から注目されるのです。

アイオワ州は、元はフランスのヌーベルフランス(Nouvelle-France、英語でNew France)と呼ばれた植民地でした。アメリカがフランスからルイジアナを買収後、この地に開拓者が農業に基づく経済の基礎を作ります。やがて「コーンベルト」(Corn Belt)と呼ばれる穀倉地帯の中心となります。「世界の食糧の首都」と呼ばれるのが州都デモインです。

クリント・イーストウッド(Clint Eastwood)とメリル・ストリープ(Meryl Streep)主演の映画『マディソン郡の橋』(The Bridges of Madison County)は、アイオワ州マディソン郡(Madison County)が舞台となっています。イタリアからやってきて夫や子どもとともにアイオワ州マディソン郡に住んでいる女性フランチェスカ・ジョンソン(Francesca Johnson)が、家族の留守中に、この郡にある屋根付橋の撮影にやってきた写真家ロバート・キンケイド(Robert Kincaid)と出会い恋に落ちるのです。この屋根付橋は、ローズマン・ブリッジ(Roseman Bridge)と名付けられています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その18 『Hoosier State』とインディアナ州

インディアナ州(Indiana)はイリノイ州の東側、オハイオ州の西側に位置しています。19世紀初頭、多くのヨーロッパからの移民が西に向かい、インディアナ州に定住します。インディアナ州に定住した最大の移民グループは、ドイツ人であり、アイルランドやイギリスからの移民も多くやって来ました。1811年にオハイオ川(Ohio River)に蒸気船が、1829年にリッチモンド(Richmond)にナショナルロード(National Road)が開通し、インディアナ州北部・西部への入植が大きく促進されることとなります。州都はインディアナポリス(Indianapolis)です。

インディアナポリスが州都になった後、新政府はインディアナを開拓地から発展し人口が増えます。繁栄する州にするための努力によって、人口動態と経済の著しい変化が始まります。1836年、州の創設者は、道路、運河、鉄道、州負担の公立学校の建設につながるプログラム「インディアナ・マンモス内部改善法」(Indiana Mammoth Internal Improvement Act)を施行します。この計画は州を破綻させ、財政的に大打撃を与え、土地と農産物の価値は4倍以上になります。この危機を受け、再発防止のため、1851年に第二憲法が採択されます。その条項の中には、公的債務の禁止とアフリカ系アメリカ人への参政権の拡大が含まれます。

毎年5月に開催されるアメリカの自動車スポーツイベントが、インディ500 (Indy 500) です。インディ500は、練習走行・予選・決勝レースなどのレースプログラムから成ります。世界の周回レースカテゴリーの中でも最も速いといわれ、最高速度は380km/hに達するとされます。日本人のドライバーもこの大会で過去2回優勝しています。

インディアナ州の人々は「フージャー」(Hoosier) と呼ばれています。この言葉の語源は諸説あるようですが、一説ではアップランドサウス(Upland South)地域で野卑な田舎者を指す蔑称から由来するとわれます。不器用な人、といった意味だそうです。それで州のネックネームは「Hoosier State」と呼ばれます。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その16 『Land of Lincoln』とイリノイ州

イリノイ大学(University of Illinois)があるのは、アーバナ・シャンペイン(Urbana-Champaign)という大学街で、友人のデルウイン・ハーニッシュ氏(Delwyn Harnisch)が同大学心理教育学部の教授をしていました。彼のエピソードです。ネブラスカ大学(University of Nebraska)から招聘を受けたとき、心理教育学部長に、ネブラスカ大学から示された給与額を伝えます。もし、心理教育学部が同額に近い給与を出せばイリノイ大学に残るといいます。学部長はそれは無理であるという回答だったのでネブラスカ大学へ移ることにした、という話です。このように給料の交渉ができるのがアメリカの大学の面白いところです。有名教授ならではのエピソードです。ハーニッシュ教授を兵庫教育大学に半年間客員教授として招いたことがあります。温泉や露天風呂が好きな人でした。

肝心のイリノイ州の紹介です。歴史は現代になり1900年になると、イリノイ州北部の都市では産業が盛んとなり、中部や南部では石炭の採掘が増えます。それと同時に東欧や南欧からの移民が集まるようになります。南部からの大移動により、シカゴ(Chicago)を中心にアフリカ系アメリカ人のコミュニティが形成され、有名なジャズやブルースの文化も栄えます。今やシカゴは文化、経済、人口の中心地となり、今日では世界の主要な商業都市の一つとなりました。

イリノイ州からは3人の歴代大統領を輩出します。エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)、ユリシーズ・グラント(Ulysses S. Grant)、バラク・オバマ(Barack Obama)です。さらにロナルド・レーガン(Ronald Reagan)は同州で生まれ育った大統領です。現在、イリノイ州はリンカーンを称え、州の公式スローガン「Land of Lincoln」を掲げており、1954年からナンバープレートに表示されています。州都スプリングフィールド(Springfield)にはリンカーン大統領図書館・博物館があり、シカゴには近いうちにバラク・オバマ大統領センターが建てられる予定でです。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その15 『Gem State』とアイダホ州

私はアイダホ州(Idaho)を訪ねたことはありません。ですが琉球の那覇にいたとき公設市場で、アイダホポテト(Idaho potato)と名前がついたトウモロコシ袋を見ました。このトウモロコシは実に大きく、北海道で食べていたのよりも大きいのに驚きました。後にこのポテトは、マクドナルドなど提供されるフライドポテトになることを知りました。

アイダホ州の地理ですが、北はカナダのブリティッシュ・コロンビア州(British Columbia)、東はアメリカのモンタナ州(Montana)とワイオミング州(Wyoming)、南はユタ州(Utah)とネヴァダ州(Nevada)、西はオレゴン州(Oregon)とワシントン州(Washington)に接しています、ワイオミング州との州境はイエローストーン国立公園(Yellow Stone National Park)の一部を含んでいます。

人口の10分の9以上がヨーロッパ系で、ほとんどの人はイギリス、ドイツ、アイルランド、フランス、イタリア、ポーランドに祖先を持つ人々です。ヒスパニック系(Hispanic)は人口のほぼ10分の1を占めています。また、ネイティブアメリカン、アジア人、アフリカ系アメリカ人の割合もわずかながら存在します。アイダホ人の半数近くが教会員であり、その約3分の1がモルモン教徒(Mormon)でです。モルモン教本部がソルトレークシティ(Saltlake City)に近いことから、ユタ州の宗教的な結びつきは強く、州南東部のいくつかの都市では、人口の9割以上がモルモン教徒(Mormons)といわれます。

アイダホ州は、スネークリバー平野(Snake River plain)の灌漑地域を中心に、アメリカでも有数の豊かな農地となっています。前述しましたが、農作物のなかでもジャガイモはアイダホ州の代名詞となっており、アメリカのジャガイモ生産量の約3分の1を占めているほどです。小麦、レンズ豆、大麦、オート麦、甜菜、エンドウ豆の種も重要な農産物収入源となっています。草原地帯だけでなく、山岳地帯の台地にも肉牛や羊の大群が放牧されています。州面積の5分の2近くが森林であり、毎年大量の木材が商業用材地から切り出されています。主にダグラスファー(douglas fir)、ポンデローサ・パイン(ponderosa pine)、ウエスタン・ホワイト・パイン(western white pine)が商業用材として家屋の建設に使われています。どうもこの州は松の木が知られているようです

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その14 『ジェームス・クック』とハワイ

もともとハワイの原住民は、漁業と農業に非常に長けていました。18世紀後半になると、彼らの共同体は酋長と司祭によって定められた厳格な法

Captain James Cook

体系を持つ複雑なものへと発展していきます。彼らは、古代ギリシャのオリンポス山(Mount Olympus)の神々に似た性格と力を持つ神々を崇拝し恐れていたのです。

外国人がハワイに来るようになったのは、1778年にイギリスのキャプテン、ジェームス・クック(Capt. James Cook)がハワイを訪れてからです。その後40年間、ヨーロッパとアメリカの探検家、冒険家、捕獲者、捕鯨船が新鮮な物資を求めてハワイ諸島に立ち寄りました。これらの接触は島の人々に大きな影響を与えることになります。たとえば、東洋と西洋から病気が持ち込まれ、それまで病気とは無縁だった島民に免疫のない病気が入ってきます。コレラ、はしか、性病、結核などの病気は、一時島民の人口を大きく減少させます。

Immersion School

ハワイの公用語は英語とハワイ語の2つです。ハワイ語は、1990年代前半には、ごく一部のハワイ先住民にしか話されず、ほぼ消滅していました。しかし、ハワイ語イマージョンスクール(immersion schools)の設立により、ハワイ語を話す新しい世代が生まれ、現在では幼稚園から大学院までハワイ語での教育が行われています。また、ハワイ語は地名や通りの名前、歌の中にも残っています。また、ハワイに住む人の多くは、ハワイアン・クレオール英語(Hawaiian Creole English)と呼ばれるものを話すことができます。一般的にピジン(pidgin)と呼ばれるハワイアン・クレオール英語は、ハワイのプランテーションキャンプ(plantation camps)という多言語環境の中で作り出された英語の方言です。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その13 『Aloha State』とハワイ州

ハワイ州(Hawaii)のニックネームは、 アロハの州(Aloha State)とかパイナップルの州(Pineapple State)と呼ばれています。ハワイは、マーク・トウェイン(Mark Twain)によって「どの海にも停泊している最も美しい島々の艦隊」と評されました。ハワイという名前は、ポリネシア人(Polynesians)の祖先が住んでいたライアテア(Raiatea)の旧名、ハワイキ(Hawaiki)に由来すると考えられています。人々のハワイへの移住は、4世紀から7世紀にかけてマルケサス諸島(Marquesas Islands)から北西に移動したポリネシア人によって行われます。その後、9世紀から10世紀にかけてタヒチ(Tahiti)から移住してきた第2次移民が続いたと人類学者は考えています。1970年代に始まったハワイでのカヌーや伝統的な航海術の復活は、そのことを示唆しています。しかし、ハワイとポリネシアの人々の間には、言語や文化において類似性があるのですが、ハワイ文化が独自の特徴を持つに至ったのは興味あることです。

ハワイは経済的に活発で、農業や製造業が盛んです。海洋学、地球物理学、天文学、衛星通信、生物医学の研究開発など、国内および国際的に重要な活動を行っています。「太平洋の十字路」(Crossroads of the Pacific)とも呼ばれるハワイ州は、アメリカのグローバルな防衛システムにとって戦略的に重要であり、太平洋盆地の交通の要所としての役割を担っています。また、文化の中心地であり観光のメッカでもあります。

ポリネシア群島

ハワイ州の面積は、西のクレ島(Kure Island)から東のハワイ島(Hawaii Island)まで2,400kmの三日月状に伸びる8つの島と124の小島を形成する火山列島の頂部で構成されています。それぞれの火山は、太平洋プレートの通過時に、太平洋中央部の地下にある地球の上部マントルが上昇し、地殻を溶かす領域を通過し、噴出したマグマが地殻に質量を加えてできたものといわれます。

火山活動は、マウナロア(Mauna Loa)、キラウェア(Kilauea)海山の活火山を除いて休止状態になっています。マウナロアとキラウェアは、最大の島ビッグアイランド(Big Island)と呼ばれるハワイ島の最東端にあり、壮大な噴火と溶岩流が時々起こっています。ハワイで最も高い山は、ハワイ島のマウナ・ケア(Mauna Kea)とマウナロアで、それぞれ海抜4,205メートル、4,169メートルに達しています。マウナ・ケア山頂付近は天候が安定し、空気が澄んでいることもあり、世界11ヶ国の研究機関が合計13基の天文台を設置しています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その12 『Peach State』とジョージア州 

ジョージア(Georgia)は想い出の多い州です。私と家族が建国200年(Bicentennial)の翌年、1977年6月に始めてアメリカに渡ったとき、3か月ではありましたが暮らしたところです。ステイトボロ(Stateboro)という小さな街です。国際ローターリー財団(Rotary International Foundation)から奨学金を得て、英語の研修でこの街にあるGeorgia Southern Collegeで学びました。財団はこの小さなリベラルアーツの大学を50名の奨学生の研修場所として指定したのです。当時の大統領はジョージア出身の民主党員であったジミー・カーター(James “Jimmy” Carter)でした。まだ建国200年の余波が感じられた頃です。州のニックネームは「Peach State」、ジョージアは桃の産地です。

Map of Georgia

南部アトランタ(Atlanta) はジョージア州(Georgia)最大の都市であり州都です。コカコーラやCNN、保険会社アフラック(Aflac)の本社などがあることでも知られています。ここはまた映画の舞台でもあります。「風と共に去りぬ」(Gone with the Wind)を書いたマーガレット・ミッチェル(Margaret M. Mitchell)の博物館-The Margaret Mitchell House-がダウンタウンにあります。

Gone with the Wind

アトランタではマーチン・ルーサー・キング牧師(Rev. Martin Luther King Jr) が牧会していたエベネゼル・バプティスト教会(Ebenezer Baptist Church)、そして師の功績を称えるThe King Center博物館は必ず立ち寄るべきところです。アメリカ史において最も選れた人物の一人で、その偉業を讃え1月第3月曜日をキング牧師記念日(King Day)として国民の祝日となっています。

ジョージアのもう一つのニックネームは「The Goober State」です。Gooberとはなんのことはない「ピーナツ(peanut)」の古めかしい言葉です。ピーナツはジョージア州の公式な農産物となっています。州内中部と南部に広がった農場でピーナッツ、トウモロコシ、大豆を生産している。ピカン(pecan)では世界一の生産量を誇ります。住んでいたアパートの前に大きなピカンの木があって、実がたわわになっていました。

ステイトボロから東に車で2時間のところにサバンナ市(Savannah)があります。昔は綿花の輸出港であり、奴隷貿易の拠点でありました。歴史的な町並みや建築物が再建され、観光都市としても栄えています。ステイトボロから北西に向かうとオーガスタ(Augusta)があります。マスターズ・トーナメント(Masters Tournament)が開催される街でもあります。毎年4月2週目の日曜日が最終日です。ジャック・ニクラス(Jack Nicklaus)は最多優勝の6回、US Openで4回優勝し、「帝王(the great)」の名に相応しい活躍をしました。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その11 『Sunshine State』とフロリダ州

フロリダ州(Florida)のナンバープレートには『Sunshine State』とあります。フロリダとは「燦々と太陽が一杯」となります。文字通り温暖な州です。特に冬は、各地から避寒客がやってきます。極寒の中西部では、「フロリダに行ってくる」というフレーズは周りの人からは羨ましがられるのです。ディズニー・ワールド(Disney World)には、タイフーン・ラグーン(Typhoon Lagoon)、マジック・キングダム(Magic Kingdom),アニマルキングダム(Animal Kingdom),エプコットセンター(Epcot Center)など、どれをとっても娯楽の粋を集めては多くの観光客を集める世界一の娯楽施設です。その広さはJR山手線内の約1.5倍というのですから、まさに桁外れです。2023年3月で設立50周年を迎え、記念催しがあるようです。

Map of Florida

フロリダは亜熱帯の柑橘類であるグレープフルーツ、オレンジ、野菜の産地です。ジュース生産も盛んな州です。フロリダがオレンジの州(Orange State)とも呼ばれる由縁です。また豊富な漁猟資源でも知られています。特産のエビやカキでも有名です。北米最大の湿原地帯がエバグレーズ(Everglades National Park)国立公園です。国立公園として園内のほとんどが保護されています。開発は一切行われず、環境には優しいのですが、道路が不整備で観光には決して優しくないという珍しい国立公園です。

フロリダ州といえばケープカナベラル・ケネディ宇宙センター(Cape Canaveral Kennedy Space Center)も忘れることができません。現在、月に人を送るアルテミス計画(Artemis)が進んでいます。2022年12月11日に無人のアルテミスI試験機が月の周回軌道を終えて戻ってきました。アルテミスIIは2024年に始めて女性や有色のアメリカ人を乗せて月面着陸を目指します。アルテミスとは、ギリシャ神話の最高神ゼウス(Zeus)とタイタン(Titan)神族レト(Leto)の娘の名で貞潔や狩猟、月の女神とも呼ばれています。

フロリダの州都はタラハシー(Tallahassee)。「古い町」を意味するマスコギ語族(Muskogean)の言葉に由来しています。フロリダ州立大学(Florida State University)が位置しています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その10 『First State』とデラウェア州

合衆国大西洋岸中部に位置するデラウェア(Delaware)は、アメリカで二番目に面積が小さい州です。南北に細長く千葉県と同じ位の面積で州都はドーバー(Dover)です。建国に関わった13植民地のうちで最初に批准した州であることから「First State」としても知られています。Delawareとは、イギリスのヴァジニア植民地時代、初代の総督であったデ・ラ・ウエア(De La Warr)に由来します。同地に先住していたインディアンの「デラウェア族」から由来したという説もあります。

デラウェア州地図

1900年代初頭から独自の会社法と裁判制度により、法人の設立に最適な州として知られ、アメリカ上場企業の50%、フォーチュン(Fortune)500企業の64%、会社数で100万社に及ぶ企業が設立準拠地ないし本社を置くという特異な州です。かといって、デラウェア州はタックスヘイブン(tax haven)ではありません。デラウェア州の会社法の中核をなすデラウェア州一般会社法(Delaware General Corporation Law)投資家を保護するための重要な義務をいくつか定めているほかは、企業の経営に柔軟性をもたせるような内容といわれます。出資者の最善の利益のために行使されるように、出資者を重要な点に関して手厚く保護していることによって、デラウェア州を企業の設立地とするに値するようにしています。

デラウェア州で有名なのは、大財閥企業デュポン・ド・ヌムール社 (DuPont de Nemours)です。フランスの貴族ピエール・デュポン (Pierre S. du Pont) が州最大の都市ウィルミントン(Wilmington)に火薬工場を作り、やがてアメリカ有数の化学企業となります。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その9 『Constitution State』とコネティカット州

州都ハートフォード(Hartford)での特別支援教育の学会で訪ねたことのある州です。合衆国北東部にあるニューイングランド地方では最南の州がコネティカット州(Connecticut)です。Connecticutとはモヒガン族(Mohegan) の言葉で、「長い川が流れる土地」という意味です。イギリスから最初に独立した13州のうちの一つで歴史のある州です。そこで愛称が「Constitution State」、又の愛称は「ナツメグの州」(Nutmeg State)となっています。1787年の合衆国憲法制定会議において、コネチカットが重要な役割を果たしたということから付けられたようです。コネティカット州の北隣りがマサチューセッツ州です。

最初に入植したヨーロッパ人はオランダ人貿易商で海洋探検家のエイドリアン・ブロック(Adriaen Block)です。1614年に探検した後、コネチカット川(Connecticut River)を遡り、現在のハートフォード、ダッチポイント(Hartford Dutch Point)に砦を築きます、「希望の家」(オランダ語: Huis van Hoop)と呼んだといわれます。その後、マサチューセッツ湾植民地住民で清教徒であったジョン・ウィンスロップ(John Winthrop) が、1635年にコネチカット川河口のオールドセイブルック(Old Saybrook) に新植民地を設立する許可を得ます。これが後にコネチカット州をつくり上げることになる3植民地の始まりとなります。ウィンスロップはその後、マサチューセッツ湾植民地知事となります。

 19世紀になって、繊維工場の立地によって工業化が進みます。ジェットエンジン、ヘリコプター、原子力潜水艦、ベアリングなどの工業生産が盛んです。伝統的な産業は金融業であり、ハートフォードには保険会社が集中し、フェアフィールド郡のヘッジファンド(hedge fund)も有名です。ヘッジファンドとは、金融派生商品など複数の金融商品に分散化させて、高い運用収益を得ようとする代替投資の一つです。「お金持ちだけが買える投資信託のようなもの」とも揶揄されています。ゼネラル・エレクトリック(GE)やゼロックス(Xerox)などの本社があります。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その8 『Mountain State』とコロラド州

学会があって一度コロラド(Colorad)州都のデンヴァー(Denver)を訪ねたことがあります。アメリカの独立宣言発布100年目に州として昇格したので、百年記念の州(Centennial State)と呼ばれています。Coloradとはスペイン語で『赤らんだ』という意味でもともとはコロラド川(Colorado River)を指していたといわれます。州の南北にはロッキー山脈(Rocky Mountains) が貫いており、州全体の平均標高が全米で一番高いところです。 「山の州」(Mountain State)という愛称も使われます。デンヴァーは標高1,600Mのところにあるので、「マイルハイシティ」(Mile High City)という愛称がついています。

コロラド州には石油、天然ガス、ウラン、石炭を産出し、モリブデン(molybdenum)の世界一の鉱山があります。モリブデンは潤滑油、エンジンオイルの添加物、電子基板、癌の診断に用いられる物質です。西側斜面の南西部で著名なのはグランド・メサ(Grand Mesa)です。メサ・ヴェルデ国立公園 (Mesa Verde National Park) は、コロラド州南西部に位置するプエブロ・インディアンの(Pueblo indian)のアナサジ族(Anasazi tribe)の残した断崖をくりぬいた一連の集落遺跡群で、世界遺産となっています。

レッド・ロックス・パーク野外劇場(Red Rocks Park & Amphitheater)は、古代の岩石と夕焼けを背景にした野外舞台で、デンヴァーの中心部から南西に 30 分程の場所にあります。この野外劇は多くのレジェンドが演奏したところです。沢山のハイキングトレイルがあり、家族で散策を楽しむこともできる観光地です。

コロラド州西部に位置する街、グレンウッド・スプリングス(Glenwood Springs)の一帯は、地熱と温泉で知られています。この地には遊牧部族であるユート族(Ute)が頻繁に行き交い、狩猟を行っていました。このあたりはユート族の言語で「大いなる薬」を意味する「Yampah」と呼ばれていました。ヨーロッパ人の入植後も、グレンウッド・スプリングスはその初期から温泉町として発展してきたようです。山に挟まれた狭い谷間という地理的条件によって、歩行者や自転車にとって天然の環境のようで、スポーツの後は温泉浴というわけです。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その7 『日系アメリカ人の歴史』とカリフォルニア

州都サクラメント(Sacramento)はサンフランシスコから北東に車で1時間半ほどのところにあります。途中、葡萄とワインの生産地ナパバレー(Napa Valley)とソノマカウンティ(Sonoma County)を通ります。1848年に金が発見され、世界中から人々が押し寄せました。その中心になったのがこの街で、いまでも旧市街に「ゴールドラッシュ・サクラメント」(Goldrush Sacramento)という当時の町並みを残している一角があります。メキシコとの国境にあるサンディエゴ(San Diego)は気候に恵まれたカリフォルニアの中でも更に温暖で、1年のうちほとんどの日が晴天。治安の良さもあって「アメリカ人が住みたい街」の上位に挙げられる人気の都市です。南欧風の街並みが美しく、これも人気の一つです。

日米開戦・太平洋戦争の勃発によって、西海岸付近に住んでいた約12万人の日系アメリカ人は敵性外国人とされ土地や財産を没収され、7州10か所の強制収容所に収容されます。これら大戦前の移民の出身地は、圧倒的に山陽地方の山口県・広島県・岡山県、および九州地方北部です。その理由として、かつては「山陽道は旅人の往来が多く、他所への移住に抵抗感が少ない地域であるから」といわれました。「この地方は中世以来、近代日本の軍事、旧日本海軍、現在の海上自衛隊の活動が顕著で、鎖国が解かれてから、再び出国ラッシュとなったから」と云う説もあるほどです。このためか、以前は「アメリカ日系人の標準語は広島弁である」とまで言われました。

米陸軍第442連隊戦闘団

戦後、日系人は戦時中にヨーロッパ戦線で活躍した日系アメリカ人部隊であった陸軍第442連隊戦闘団・第100歩兵大隊の存在や、日系アメリカ人議員の努力で、その地位と名誉を回復していきます。1988年には強制収容所での不当な扱いに対して補償法案を通過させ、生存者への金銭的補償を勝ちとります。それに尽力したのがダニエル・イノウエ(Danial Inoue)、ノーマン・ミネタ(Norman Mineta)といった政治家です。一般に、日系人は経済的には平均より恵まれているといわれますが、グラス・シーリング「見えない天井」という人種差別問題が残されています。

作家石川好の「ストロベリー・ロード」という作品は、高校卒業と同時に、先行渡米していた実兄を頼り兄の勤めていたカリフォルニアのイチゴ農園で働きながらカレッジで学んだ4年間の在米体験記です。同じく「ストロベリー・ボーイ」はカリフォルニアのイチゴ農場が舞台で、壊れた奇妙な日本語をあやつる愛すべき日系人、メキシコからの密入国者、得体の知れない東南アジア人が登場し、アメリカは夢と希望とそして幻滅の代名詞であるといったことが書かれています。カリフォルニアでは、今もサクラメント近郊等にかなりの割合で日系農場主が存在しています。

ストロベリー・ロード

日系人社会はおよそ1世と生まれた2世、そして戦後から1980年代までの戦後移民に大別することができます。1世は、資源に乏しく貧しい日本で生活苦にあった貧困層がやむを得ず移住せざるを得なかったような経済難民です。苦労して現在の地位を築き上げてきた功労者となりました。他の移民集団と同様にリトル・トーキョー(Little Tokyo) に代表されるエスニック・タウン(Ethnic town)を形成する傾向があります。2世以降は父祖の地としての日本に興味はあるものの、それ以上の感情は持たず、思考や行動はアメリカ人的といわれます。ただ2世は1世の親と生地という2つの文化に自己を引き裂かれるというアイデンティティ・クライシス(Identity Crisis)を経験するといわれます。日系アメリカ人文学のテーマとして描かれることが多いようです。上述した作家石川好はその典型といえるでしょう。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その6『Granite State』とカリフォルニア州 

合衆国の州のうちでは最大の人口を誇るのがカリフォルニア州(California)です。愛称は「花崗岩の州」(Granite State)、又は「黄金の州」(Goldden State)、州都はサクラメント(Sacramento)です。日本に近い州なので私はこれまで何度も行きました。この州はなにかと一番、あるいは世界的に有名なものが多いところです。例えば大統領選の選挙人数でカリフォルニアは最多の55人です。ロサンゼルスはハリウッドを抱えるなど、エンターテイメント産業の世界的中心地です。ベイエリア(Bay Area)にはシリコンバレー(Silicon Valley)が含まれ、全米で最も経済的に進んだ地域の一つとなっています。

1846年にアメリカ-メキシコ戦争が起こります。この戦いに勝利したアメリカは、メキシコの領土であったカリフォルニアを手に入れます。アジアやメキシコに近いため、最も移民が多い州です。移民はそれぞれの居住区に固まる傾向が強く、「民族のサラダボウル」という形容がぴたりです。チャイナタウン(Chinatown)、コリアンタウン(Koreantown)、リトルトーキョー(Littletokyo)、リトルサイゴン(Littlesaigon)、リトルインディア(Littleindia)などが有名です。なかでも隣接したメキシコからの移民が多く、その中心はなんといってもサンディエゴ(San Diego)でしょう。

カリフォルニア州が1つの国家であるとすると、GDPではイタリアに匹敵します。合衆国のGDPの13 %を占めていて、このGDP額は世界の国と比較しても9位となっています。日本人に最も馴染みのあるのがサンフランシスコ(San Francisco)。サンフランシスコといえば、1937年に完工したのがゴールデン・ゲート・ブリッジ(Golden Gate Bridge)です。オレンジ色に塗られ歩行者や自転車も通ることができるので、湾を見下ろすパノラマのような景色が観光客に人気があります。私もここを一度往復で走ったことがあります。

世界一高い木が、オレゴン州(Oregon)との境に位置するレッドウッド国立公園(Red Wool National Park)にあります。「ハイペリオン」(Hyperion)と名付けられたセコイアメスギ(metasequoia)の木は高さ115.61メートル、直径4.6メートルです。樹齢は実に600~800年といわれます。「ハイペリオン」とはギリシャ神話に登場する巨人の名です。この木に近づくことが正式に禁止され、違反すると約65万円の罰金が科されるという代物です。デスバレー(Death Valley)という地帯は、1913年7月に世界最高の気温56.7°Cを記録したといわれます。文字通り「死の谷」と呼ばれ、州中部にあるモハーヴェ砂(Mojave Desert)の北に位置しています。

3年前にヨセミテ国立公園(Yosemite National Park)で家族13人が集まって夏の休暇を楽しみました。この国立公園はサンフランシスコから車で約3時間半のところに位置しています。そそり立つ白い花崗岩の絶壁のセンチネルドーム(Centinel Dorm)、ハーフドーム(Half Dorm)はそれぞれ渓谷の底から約1,160メートル、1,470メートルの高さの壮大な岩山です。そこを流れ落ちる多くの巨大な滝、谷や木々の間を流れる澄んだ大小の川、樹齢2000年、80mを超える巨大なセコイアジャイアントセコイア(Giant Sequoia)の巨木の林など、生物学的な多様性が世界的に知られています。

世界一といえば、大学の質もカリフォルニアはその代表です。スタンフォード大学(Stanford University)、カリフォルニア大学バークレー校(University of California, Berkley)、カリフォルニア工科大学(California Institute of Technology)などです。どれも超難関の大学です。特に大学院教育や研究がすぐれ、多くのノーベル賞学者を輩出しています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その5『Bear State』とアーカンソー州

私はアーカンソー(Arkansas)を旅したことがありません。州名は、クアポー族 (Quapaw) の「下流の人々の土地」を意味する「アカカズ(akakaze)に由来するとあります。州の北はミズーリ州(Missouri)に接し、東はテネシー州(Tennessee)とミシシッピ州(Mississippi)に、西はオクラホマ州(Oklahoma)とテキサス州(Texas)に、南はルイジアナ州(Louisiana)に接しています。昔は熊が沢山生息していたことから、『クマの州』(Bear State)と愛称がついたようです。又の愛称は「チャンスの地」(Land of Opportunity)です。

州の人口構成ですが、約80%が白人、約16%が黒人、約7%がヒスパニック、約1%がアジア人となっています。南部にありながら、歴史的にこの地域にはヨーロッパからの白人の入植者が移住したため、今でも白人が多い構成の要因になっているといわれます。もともとはルイジアナを支配していたフランスから購入したのがアーカンソーです。やがて白人の農園経営者がミシシッピ沖積平原に沿ったアーカンソー・デルタ(Arkansas Delta)に入って綿花を栽培していきます。そのためアフリカ人奴隷が最も多い地域となったところです。デルタというのは、ミシッシピー川の低地帯のことで、米作も大規模に行われているといわれます。

州都はリトルロック(Little Rock)で、人種差別撤廃を求めた事件で知られています。リトルロック・ナイン(Little Rock Nine)と呼ばれたアフリカ系アメリカ人生徒を保護するために、連邦政府が1957年9月25日に1,000名の空挺師団を派遣し、9人の生徒を高校に入学するのを護衛するように命じた事件です。合衆国裁判所が人種統合を行うよう命令を出すきかけとなった事件でもあります。そして、1959年秋までにリトルロック市の高校は完全に人種差別を撤廃することになります。これがアメリカ全土での大きな公民権運動を促すリトルロック高校事件です。

アーカンソーはブルース、ジャズ、フォーク音楽発祥の地でもあります。ヘレナ(Helenaにあるデルタ・カルチュラル・センター(Delta Cultural Center)では、地域の歴史が詳しく紹介されています。この地域は、ジョニー・キャッシュやシスター・ロゼッタ・サープなど、全米に知られているミュージシャンの故郷といわれます。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その4 『Grand Canyon State』とアリゾナ州

一度、兵庫教育大学の院生を引率してアリゾナ(Arizona)の州都フェニックス市(Phoenix)にある学校を視察したことがあります。このあたりはアメリカで夏は最も暑い地帯といわれます。そのせいか、フェニックスの愛称は「太陽の谷」(Valley of the Sun)と呼ばれるほどです。フェニックス近辺には有名なグランド・キャニオン国立公園(Grand Canyon National Park)があります。砂漠の中心にありながらも全米有数の工業都市でもあります。州の愛称はグランドキャニオンの州(Grand Canyon State)とかアパッチの州(Apache State)といわれます。

訪ねた場所は、高校と連携する職業訓練施設でした。そこは,麻薬や銃を保持して逮捕された高校生が学んでいました。学校の粋な計らいで、教官の立ち会いで、保護観察にありながら自宅からこの施設に通う生徒と会話することができました。一人の黒人生徒は、将来は大工になりたいというのです。フェニックスには成人の教育および職業訓練を提供している10校のコミュニティーカレッジと2つの技術訓練センターがあるとのことです。

アリゾナ州立大学で学位をとり、ハワイ大学マノア本校(University of Hawaii at Manoa)で教授をしている友人から、州立大学の先生を紹介してもらい、教員養成プログラムに接することができました。この友人は、「フェニックスに行ったら是非、セドーナ(Sedona)を訪ねるように」とも言われました。土曜日に2台の車で出掛けることにしました。2時間半のドライブで、周り一面赤い岩、切り立つ峡谷、松の緑を見ながら”レッドロック・カントリー”(Red Rock Country)と呼ばれる岩山に囲まれた緑多い美しい街に着きました。セドーナは地球の磁力が集中していて強いエネルギーを持つポイント「ボルテックス」(Vortex)があると言われ、癒しを求めて多くの旅行者が訪れます。