どうも気になる その8 琉球処分から本土復帰へ

辺野古の海は碧く澄んでいる。筆者が家族と一緒に琉球に赴いたのは1970年。本土復帰の2年前である。全員パスポートを持参し予防注射を受けた。琉球での仕事は那覇において幼児教育を始めるためだった。1970年の琉球の教育は、施設設備、教師の養成、親の教育への意識などにおいて本土より5年以上は遅れているといわれていた頃だ。

驚いたのは教育の課題だけでない。基地の規模とそれが沖縄人に与える影響である。どこへ行っても基地があるのである。ドルで物を買いドルで支払う。不思議なところであった。本土復帰がいよいよ目前になると、本土復帰とはなにか、琉球の独立ということが叫ばれ始めた。だが時既に遅し。復帰の準備は「粛々」と進んだ。そして1972年5月15日の復帰の日を迎える。この日は雨であった。式典には佐藤総理大臣がやってきた。初代の沖縄県知事には屋良朝苗氏が就任した。

沖縄は日本政府と長い対立の歴史があった。そもそもの始まりは、1872年の琉球王国から琉球藩設置という経緯である。そして1879年の「琉球処分」により450年間続いた琉球王国は文字どおり消滅する過程、これが「琉球処分」であった。その後、琉球では皇民化・同化政策が推し進められた。戦時中は、沖縄戦の悲劇があった。敗戦後の米国統治下で「銃剣とブルドーザー」による強制的な基地建設が続いた。そして1972年5月の復帰後も基地の重圧に苦しみ続ける。こうした歴史にはその源流として「琉球処分」があると沖縄人は考えている。

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どうも気になる その7 「Hafu」

「Hafu」って一体なに、と思われるだろう。混血の人、ハーフを表記するとこうなるだけである。英語圏では「ハーフ」といっても通じない。和製英語だからだ。正確には、「bi-racial」とか「mixed-racial」という使い方となる。

なんでも、ミスユニバースの日本代表に混血の女性が選ばれたようである。さっそくサイトを見ると、実にはつらつとした女性の写真がでている。この女性に対して、「日本人ではない」とか「純粋な日本人女性の顔をしていない」などというコメントがブログやツイッターに書き込まれているようだ。それに対して内外から批判がでている。こうした批判だが、どうも彼女は日本人の母親とアフリカ系アメリカ人の父親から生まれたことが話題となっているようだ。

そこで私見である。彼女はれっきとした日本人でありミスユニバースの日本代表である。本来皮膚の色、顔つきなどはバッシングの対象とはなりえない。だが、彼女は「純粋な日本人」の容貌をしていないと批判する者がでている。一体こうしたコメントを堂々と公にする日本人だが、「日本人は文化や社会に対して独特のアイデンティを持ち、外国人にはそのことを触れられたくない」とでも考えるのか、、、とんでもない時代錯誤である。

一体、誰が「純粋な日本人」なのか。そんな人はいるのかである。日本人はどこからやってきたのか、という話題を教科書にあったのを覚えている。南方系とか北方系といった論争であった。戦前、日本が朝鮮半島や台湾を併合していた時代には、日本人とは朝鮮人、台湾人など日本国籍を与えられた植民地の民族を含む国籍上の概念であった。旧日本帝国は多民族国家であることが強く意識されていたのだ。現在の日本国民に相当する人々は「内地人」と呼ばれた。今も沖縄では沖縄人を「ウチナンチュ」、本土の人を「ヤマトンチュ」と呼ぶ。アイヌ民族もいる。そういえば、筆者も北海道にいたとき本州のことを親にならって「内地」と呼んでいた。

このように、日本人というのは多種多様な民族から成ることは明らかである。「純粋な日本人」などは存在しない。世界のいかなる国のスタンダードからみても、今回のミスユニバース代表はれっきとした日本人であるのは間違いない。

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どうも気になる その6 「マクロ経済スライド」

新しい用語やフレーズが日々登場する。最近目にするのが 「マクロ経済スライド」である。この用語は決して新しいものではないのだが、、、「マクロ経済スライド」とは、そのときの現役人口の減少や平均余命の伸びに合わせて、年金の給付水準を自動的に調整する仕組みである。2004年に年金法の改正で使われたそうだ。

「マクロ経済スライド」の定義はさておき、次のような例で考えるとわかりやすい。

八王子が大災害に見舞われ、近くの市民センターで炊き出しが始まる。筆者も大勢の被災者の列に並んで、二個のおにぎりをもらおうと待っていた。大きな釜のご飯を割烹着を着たおばさん達がせっせと握っている。やがて、あまりにも列が長くなるのをみた職員がおばさんに「ご飯が足りなくなるのでおむすびを小さくするように」と指示した。

このようにおにぎりを小さくするのが「マクロ経済スライド」というのだそうだ。長くなっていく列に並ぶのが年金受給者、釜のご飯が年金財源というわけだ。ご飯を足せばよいのだが、少子化も手伝って年金制度を支える現役世代が少しずつ減っていて足すすべがない。

これまで年金支給額は、物価の上昇によって調整されてきた。物価が2%上昇すれば、年金も2%上昇するという仕組みであった。これでは財源が底をつく心配があるようだ。年金の財源で株や海外への投資によって財源を増やそうとはしているが、それでも追いつかないといわれる。

そこで自衛手段を考える。齢を重ねると胃袋は小さくなる。胃袋を小さくして、小さなおにぎり二個でも満腹になるように心掛ける。酒の量も減らす。外食はシニア割引の店を選ぶ。理髪も800円のところを選ぶ。そうすれば、2%の物価上昇であっても、1.3%の「マクロ経済スライド」によって年金が毎年0.2%上昇することで満足できるのではないか。政府はシニア割引をあらゆるビジネスで増やすことを業界に提案して欲しい。

国会議員の歳費も「マクロ経済スライド」によって決めて貰いたいものだ。

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どうも気になる その5 緊急防護措置区域と避難計画

原発の話題を考え筆を執るとなんとなく気が重くなる。今回は原発事故発生による避難計画のことである。原発事故には十分な対策が必要とされているそうである。それはそうだ。だが、一体どんな対策が要求されるのか、住民はどう対応したらよいかを考えると頭を抱えてしまう。

国際原子力機関(International Atomic Energy Agency: IAEA)は原子力施設から半径30キロ圏を緊急防護措置計画区域(Urgent Protective Action Planning Zone : UPZ)として規定しているようである。一旦火急の事態になったときは、重点的に防災対策を行うために設定されるのだという。わが国もこのUPZを採用している。そのために多くの帰宅困難者が不自由な生活をしている。

3.11以来、拙宅でも食料や水、電池や携帯ガスコンロなどを備え始めた。屋外には庭の遣り水のためにタンクを四つ設置している。隣近所でもトイレなどに使えることを念頭においている。倉庫が壊れない限り、一週間は電気やガスなしに暮らしたいと思っている。だが放射能の拡散には全く無力である。逃げようにも手段がない。大勢の避難で道は大混乱となるだろう。いっそう、子どものいる家庭は優先して避難対象とし、年寄りは最後まで待機するか、座して死を迎える心構えが必要である。

さて、住民の避難訓練、とりわけ幼稚園や小中高の取り組みである。文科省の発表によると、原発の近くのUPZに立地する公立の小中高校や幼稚園などが19道府県で2,077校あり、事故想定の避難訓練をしているのは34.4%の714校にとどまるということである。

緊急避難では、原発から5キロ圏内では、バスやヘリコプターで30キロ圏外に移動させ、屋内待避するのだという。避難所では保健職員が避難者の放射線量を調べるとある。しかし、このように円滑に住民が退避できるとは到底考えられない。風向き次第では、避難経路も避難先も変えなければならない。

原発事故への学校側の対応を定めた指針はなく、訓練などの取り組みは各学校に委ねられているようである。しかし、見えない敵を相手にして、文科省は原子力規制庁と連携して学校での訓練実施率の向上に取り組むなどとしている。こんな無責任な発表には虫酸が走る。原発そのものの存在が根源的な問題だ。

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どうも気になる その4 教育基本法と道徳教育

教育基本法を読んでいる。ここには素晴らしい条文というか、徳目が並んでいてほれぼれとする。その第二条の一項には次のようにある。

幅広い知識と教養、真理を求める態度、豊かな情操と道徳心、健やかな身体の育成

「教育ニ関スル勅語」にも同じような徳目が示されている。例えば、
勉学に励み職業を身につけよう(修業習学)、知識を養い才能を伸ばそう(知能啓発)、人格の向上につとめよう(徳器成就)といったことである。

教育基本法の第二条の二項以下は次のように規定されている。
二 個人の価値の尊重、創造性を培い、自主及び自律の精神を養い勤労を重んじる
三 正義や責任の自覚、男女平等、社会の形成への参画
四 生命を尊び自然を大切にし、環境の保全に寄与する
五 伝統と文化を尊重し、郷土を愛し他国を尊重し、国際社会での平和と発展に寄与する

「教育ニ関スル勅語」に戻ると、教育基本法のような格調高い文言は少ない。むしろ、家族、夫婦、兄弟、友達などにおける倫理観を強調しているように思える。さらに公共の秩序とか天皇の護持といった面も表れている。具体的には次ような徳目である。

———- 教育ニ関スル勅語 ————–
親に孝養をつくそう(孝行)
兄弟、姉妹は仲良くしよう(友愛)
夫婦はいつも仲むつまじくしよう(夫婦の和)
友だちはお互いに信じあって付き合おう(朋友の信)
自分の言動をつつしもう(謙遜)
広く全ての人に愛の手をさしのべよう(博愛)
広く世の人々や社会のためになる仕事に励もう(公益世務)
法律や規則を守り社会の秩序に従おう(遵法)
事ある時には進んで国と天皇家を守ろう(天皇護持)
——————————————————

「教育ニ関スル勅語」は1890年11月に公布されるのだが、明治天皇が首相と文部大臣にみずから与えた勅語とされている。文中では「爾臣民」(なんじしんみん)と呼びかけ、天皇が国民に語りかける形式をとっている。「斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所」、皇祖皇宗、つまり皇室の祖先が日本の国家と日本国民の道徳を確立したのでありそれを遵守すべき、としたのである。

国体の精華である皇祖皇宗、云々は現代になじまないナショナリズムの思想ではある。天皇も神聖を明確に否定し、国の象徴としての身分となっている。「教育ニ関スル勅語」は、国家と国民の和を重んじる色彩が濃く、個人の価値や創造性とか自律、自然の保護、国際平和と発展への寄与といった側面は強調されていない。

私見であるが、現在の教育基本法の理念に加えて、個人や家族、朋友の間の徳目を強調する「教育ニ関スル勅語」の理念を入れても良いのではないかと考えるがどうであろうか。

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どうも気になる その3 道徳教育

文教政策で気になることがある。特に道徳教育が声高に叫ばれていることである。中央教育審議会は、道徳教育の充実のため道徳を「特別の教科」にするなどという答申をまとめ、早ければ2018年後に全面的に導入される予定のようである。当然、検定教科書の導入も進むだろうが、検定教科書の検定作業は悩ましいはずだ。学術的な通説がない分野を多く含む道徳で、教科調査官が何を根拠に検定意見を示せるのかは難しい。もっと難しいの小中学生の道徳の評価だろうと思うのである。

八王子市内の小中学生に配布されている道徳教材の「私たちの道徳」では、「人とのつながり」や「自他の姓名を尊重して」、「自然の偉大さを知って」、「法やきまりを守って」、「公正、公平な態度で」、「自分の役割を自覚して」などが強調されている。だがこうした分野における人間教育は本来、社会科や理科、国語などの教科で具体的な事例をもとに教えられるべきもののはずだ。

「修身」という科目をご存じだろうか。かつての小学校である国民学校における科目の一つであった。1890年10月30日に教育勅語がだされ、その一か月後に第一回帝国議会が開かれる。教育勅語は1945年まで存在した。1903年に文部省より国定修身教科書が発行される。「修身」では、友情とか努力、親孝行、公益や正直など25項目に及ぶ徳目を過去や現代の偉人や有名人の言葉やエピソードを交えて教えていた。例えば、「親孝行」や「勤勉」には、二宮金次郎のエピソードが登場する。別名二宮尊徳は、報徳思想による農村復興でも知られている。小学校に薪の束を背負い本を読む金次郎の銅像が必ずあった。

修身教育は、明治、大正、昭和と三つの世代を通じて長い間日本人の精神形成の中心的な役割を担ってきた。知識教育で定義や理屈を教授するのではなく、実在した人々の体験を題材として、道徳教育を進めていた。教育勅語が、道徳を国家に対する道徳、人間関係についての道徳、そして個人の道徳の三分野を強調した。国家に対する道徳では国体に関すること、万世一系の国家といったことである。人間関係についての道徳では公益や興産の心得であった。また個人の道徳では学問、知識、理性の尊重、そして勤労勤勉が強調された。

1941年7月に文部省の教学局から「臣民の道」が刊行される。これは国体の尊厳を観念として、国家奉仕を第一とする「臣民の道」を日常生活の実践とする生き方のことである。戦争も傾きかけ、挙国一致と戦争の遂行のために奉仕が国民に求められてきた頃である。もとより個人主義、自由主義、唯物主義を否定する観念でもある。

これから終戦までなお厳しい言論統制が敷かれる。

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どうも気になる その2 「積極的平和主義」

国民の政治意識は投票率に表れるといわれる。低い投票率は政治への無関心ととらえられがちである。しかし、この無関心を規定するものは決して単なる外部的な権力組織だけに向けられるのではない。そうした機構に浸透して、投票の不行使という国民の心的傾向なり行動なりを一定の溝に流し込むような心理的な見えざる力のようなものが問題となる。「どうせ投票したって政治は変わらない」という厭戦的な気分である。

筆者が心配するの政治への無関心というよりは、扇動的なスローガンのようものが先走っていることである。その例を挙げる。集団的自衛権の憲法解釈が論議されていることは存知のはずである。この背景には、ISによるテロ、中国の南沙諸島や尖閣諸島などへの進出といった外的影響の変化、あるいは脅威が叫ばれていることである。これを機に、わが国の防衛力の強化、自衛権の拡大解釈、ひいては憲法第九条の改正という構図になっていると思われる。

今、内閣で使われる「積極的平和主義」とは、我が国の安全及びアジア太平洋地域の平和と安定を実現しつつ、国際社会の平和と安定及び繁栄の確保のための理念だそうである。そして、「我が国を取り巻く安全保障環境が一層厳しさを増している」ことや、「我が国が複雑かつ重大な国家安全保障上の課題に直面している」といった枕詞が必ず付帯している。国民は「そうだ、そうだ、、」と思い込んでこの方針に無言のエールを送る。

国民は確かにこうした近隣での地政学上の変化を報道を通して少しずつは理解している。それと同時に、国民としてのアイデンティを高揚するような雰囲気がうまれているようである。であるから「八紘一宇」とか「八紘為宇」と発言発言する議員はその意味や時代背景をご存じないお目出度い存在なのだが、危機を煽り立てる役割は十分果たしている。

集団自衛権の拡大、あるいは膨張の傾向は絶えずナショナリズムの内的な衝動をはらんでいると考えられる。忘れてはならない事実がある。戦前、国家が「真善美の極致たる日本帝国」という国体の精華を占有した。そこでは、学問も芸術もそうした価値的実体に依存し迎合するより他に存立しえなかったことだ。

国家のための学問や芸術が奨励された。そして、なにが国家のためかという内容の決定は「天皇陛下及び天皇陛下の政府に対し忠勤義務を持つところの官吏が下す」ということになる。学者も研究者も等しく既成事実に屈服したのである。まことにおぞましいことであった。

「積極的平和主義」とはかつての「大東亜共栄圏」の発想の匂いがするのであるが、、、いかがだろうか。

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どうも気になる その1 「八紘一宇」

毎日新聞を読みながら考えることがある。それは政治や経済、その他、教育や文化に関する話題である。新聞記者が書いたものは、どこまで信憑性や公平性があるかは別として、もの申したい話題はたくさんある。それを考えていくことにする。

最近、国会議員が質問の際に、「八紘一宇」とか「八紘為宇」とかの表現を用いて話題となった。あまりに叫喚的な表現なために、真面目に取り上げるに値しないように扱われた。このフレーズを引用した議員は「八紘一宇」の時代に生きた人ではない。従ってその意味するところをどこまで理解していたかは疑問である。だがこの「超国家主義的」と呼ばれるスローガンは戦前戦中は見えざる網によって十重二十重に国民の思想と行動を縛ってきた。

今年の戦後70年談話の内容と表現のことも話題となっている。それはわが国の戦前の帝国主義と植民地支配が近隣諸国に与えた影響をいかにとらえるかに関わっている。近隣の国々は、「未来志向の戦略的互恵関係とは、既存の現実の自体が如何なるものか顧みることから始まる」と考えている。それを今の安倍政権に期待しているようである。どのような談話になるのかは興味津々である。

思うに「八紘一宇」のスローガンを頭からデマゴーグときめてかかるのではなく、その底に潜む論理はなになのかを今一度問う時期に来ている。「八紘一宇」の呪縛からもはや解放されていると考えるべきではない。それが70年談話の意義だと思うのである。

憲法改正の動きも活発になっている。それに先だって閣議は、集団的自衛権を使えるようにするため、憲法解釈の変更を決定した。武器の行使による他国への攻撃を禁じてきた立場を転換し、関連法案成立後は、日本が攻撃されていなくても国民に明白な危険があるときなどは、自衛隊が他国と一緒になって反撃できるようになる。少々大雑把であるが、そんなことで一体どこまで自衛権は拡大されるかが「どうも気になる」のである。

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日本人とユダヤ人  その33 終わりに

「Le Concert」という映画からこのシリーズを始めた。一見コメディ風だがロシアの政治体制や人種、マフィアなどへの風刺もきき、音楽の素晴らしさを交えながら、人種差別をはじめとする社会問題を掘り下げた味わい深い佳作である。特にユダヤ系ロシア人の気概が体制への批判やユーモアとともに描かれているのに新鮮さを覚えた。

「Le Concert」には、共産主義体制が瓦解し、生きるため、金儲けのために時代をしたたかに生きて行こうとする人を敵味方にする人々の生き様がある。そうした世俗の葛藤の中で、演奏中止に追い込まれたユダヤ人演奏家の怨念と執念が「なりすまし楽団」の結成と公演に込められている。ユダヤ系ロシア人の知恵や生きる力がエスプリ(esprit)、フランス人監督の才気や精神、知性によって描かれるのが見所である。Espritは英語でspirit、ドイツ語でGeistと表記されるが、もとより出典は聖書であり、「霊」とか「魂」という意味に近いと考えられる。この世にあまねく行き渡る預言や崇高な知恵であり神聖な力、質、影響力のこととされる。

「Le Concert」を思い起こして再度考える。われわれは共産主義とか民主主義とかをフレーズで知っていても、その実体はなにかを把握することは容易ではない。定義はもちろんあるが、そこに内在するものは複雑なような気がする。具体的な事例を示されれば、「なんだ、こんなことか」と理解することができる。筆者は叔父のシベリアでの死亡の背景を知ることで全体主義国家のイデオロギーや論理を探し当てたような気がする。「八紘一宇」という言葉を取り上げるのは、物好きに過去を掘り起こす趣味ではない。そのとき生きていた人々の心的傾向や行動を一定の溝の中に引っ張り込む心的な強制力を考えるのである。

「Le Concert」は、言葉で表し得ないような現実の実相を描いていて体制とか権力の鈍しさと、生きることの「崇高な知恵や神聖な力」を伝えてくれた。

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ユダヤ人と日本人 その32 「反ユダヤ主義者がユダヤ人を形成した」

これまで小説や映画、ミュージカル、ドキュメンタリーなどのメディアを通して、反ユダヤ主義(Anti-semitism)がいかに世の中に浸透してきたか、特にロシアやソ連におけるユダヤ人の迫害、ポグロムを中心に調べてきた。同時にこうしたユダヤ人や少数民族に対する偏見や迫害をいかになくすることができるかを考える。

このシリーズの冒頭で、個人的な交誼を続けるユダヤ系アメリカ人医師のことを紹介した。地元のロータリークラブの会員としてクラブの精神を実践しておられる。ロータリークラブは地域社会貢献、職業専門性の発揮と道徳水準の向上、国際理解、親善、平和への貢献などを掲げている。この医師は開発途上の中南米の医療活動をしたり、留学生のお世話などをして活躍している。

この医師は、自ら反ユダヤ主義反対のための活動を組織したりしない。また、宗教活動を止めてアメリカの世俗的な社会に同化しようとするようなこともしない。トーラ(Torah)である「モーセ五書」やタルムード(Talmud)という生活と信仰の教えを重んじる生き方をしている。自分たちユダヤ人が、その性格とか風貌とか職業が反ユダヤ主義を惹き起こしているとは考えない。反ユダヤ主義者がユダヤ人なる者を形成し結束させてきたと考えているに違いない。

「ヴェニスの商人」に登場する守銭奴を強調することやアーリア人種の高邁さや優秀さを喧伝したナチスなどの国家社会主義が、実は「ユダヤ人とはかくかく、しかじか」というイメージを作り上げたのである。翻って、戦前のわが国における近隣の人々に対する偏見の感情も反ユダヤ主義と同じ線上にある。朝鮮人や中国人に対する差別をみても、彼らが大大東亜共栄圏などを形成したのではない。八紘為宇という叫喚的なスローガンは、日本人の一部がでっち上げ反理性的に国民の思想と行動を縛ってきた。

権力への適応ではなく、迫害・離散への適応という形で生き延びてきたのがユダヤ人である。通常土地に同化し、混血してその国の人間になってしまう。しかしユダヤ人たちは、混血はしたものの、自らの信仰と民族としての誇りを忘れずに、ひたすらユダヤ教の教えを守って生活した。彼らの宝と言えば、そのユダヤ教と未来を託す子供たちへの教育以外にはいなかった。

アラブ諸国には石油という財産がある。イスラエルにはそれがない。日本も全く同じ状況にあるといってよい。ユダヤ人が、すぐれた人々を輩出した最大の原因は、常に異邦人として存在し続けてきたこの二千年間の緊張感そのものである。厳しい歴史のなかでユダヤ人は、優秀でなければ生き延びて来れなかったということを知っていたのではないか。

聖書的にいえば、ユダヤ人は“神から選ばれた特別な人間”といえる。しかし、彼ら自身は外に向かってそれを公言することはない。むしろ自分たちに危機が迫るとき団結するのに使うのである。決して彼らは特別の民族でもではない。排他主義とか選民主義とエゴイズムといったステレオタイプなユダヤ人に対する呼び方こそが「反ユダヤ主義」を象徴している。だが、注意しなければならないことは、「反ユダヤ主義」というフレーズを単純なイデオロギーでくくるのは間違いであることである。こうした「主義」の根っ子には人種や宗教、言語や文化の違いという実に悩ましい課題がある。

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ユダヤ人と日本人 その31 ウクライナとユダヤ人

ウクライナ(Ukraine)は、このところとみに世界中から注目されている国である。ロシア政府に後押しされた親ロシア派によるクリミア(Crimea)半島の独立選挙やロシア連邦への編入、東ウクライナ地方の主権回復の動きである。筆者は、このウクライナの内戦状態は、旧ソ連体制による少数民族への迫害など、人種問題がからんでいるのではないかと推測している。ユダヤ人の存在や影響も大きいと察する。ミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」で描かれるテヴィエ家(Tevye)らの住み慣れた村から追放の姿は、今のウクライナにおける内戦状態そのものである。

Wikipediaによれば、主要民族はウクライナ人で、全人口の約8割を占める。ロシア人は約2割を占める。ロシア系が多いのは、ドネツィク州(Donetsk)などウクライナの東部となっている。ブルガリア人(Bulgaria)、ハンガリー人(Hungary)、ルーマニア人(Romania)、ユダヤ人などで構成される多民族国家である。

ウクライナは昔から「ヨーロッパの穀倉地帯」として知られている。19世紀以後産業の中心地帯として大きく発展してきた。天然資源に恵まれ、鉄鉱石や石炭、岩塩など資源立地指向の鉄鋼業を中心として重化学工業も盛んである。1986年4月、爆発による深刻な大気汚染を引き起こしたチェルノブイリ原発(Chernobyl)を抱える国でもある。

ウクライナは東にロシア連邦、西にハンガリーやポーランド、スロバキア(Slovakia)、ルーマニア、モルドバ(Moldova)、北にベラルーシ(Belarusi)、南に黒海を挟みトルコ(Turkey)が位置している。第一次世界大戦前、ウクライナはロシア帝国の支配下に入った。大戦後に独立を宣言するも、ロシア内戦を赤軍が制することにより、ソビエト連邦内の構成国となった。1991年ソ連邦崩壊に伴いウクライナは再度独立して今に至る。

なぜウクライナの西側の人々がロシアを嫌うかであるが、第二次世界大戦中、西側はポーランド領であったが大戦後はソ連に統合された経緯がある。ソ連邦崩壊に伴いウクライナは共和国として独立した。アメリカがウクライナの反ロシア派を支援した背景には、ロシア帝国時代やソ連時代にロシア勢力から弾圧を受けた非常に多くのウクライナ人がアメリカに亡命を余儀なくされたという歴史上のいきさつがある。

2004年、ウクライナの大統領選挙の結果に対しての抗議運動はオレンジ革命といわれる。この選挙ではアメリカのウクライナ系政治団体の資金援助や「開かれた社会の財団」(Open Society Foundations)の支援があった。この財団は、ハンガリー系およびユダヤ系アメリカ人の投機家であり投資家であるジョージ・ソロス(George Soros)が主宰している。E382AFE383AAE3839FE382A2E58D8AE5B3B6-c8f7a  ウクライ

ユダヤ人と日本人 その30 トロフィム・ルイセンコ その2 地に墜ちた学問の権威

ルイセンコの獲得形質の遺伝という学説はネオ・ダーウイニズム(Neo-Darwinism)とも呼ばれる。平たく一つの例でいえば、植物は冬の低温状況に一定期間さらされることによって開花能力が誘導される、といったことである。つまり寒いソ連においても品種改良に時間をかければ多くの植物が育ちうるという立場である。

「獲得形質も遺伝する」というルイセンコの説は、スターリンの主張した「弁証法的唯物論」に適合する学説として賞賛され、1940年までスターリンの支持を得る。そしてソ連の科学界での支配的な立場を占める。ルイセンコの学説に反対する生物学者はポストを奪われ強制収容所に送られたり粛清された。

日本の学界にも1947年に導入されルイセンコの学説を擁護する学者があらわれる。日本農民組合、日本共産党、社会党などもソ連農業を理想と考えミチューリン農法を支持し、政府に対して支援や研究に取り組むことを求めた。例えば春播き麦への注目、温度管理の必要などでこの農法の普及や導入のきっかけとなった。一時、低温処理を利用した農法は、東北や北海道の農業にも少なからず影響したがさしたる効果は上げられなかった。

スターリンの死、スターリン批判によって「社会主義の英雄」といわれたルイセンコは似非科学者と烙印を押されそのの学説は完全に否定される。学問上のポグロム政策(攻撃と迫害)に積極的に荷担し、ソ連の科学の発展に由々しい損失を与えたのがルイセンコであった。

メドヴェージェフ兄弟は著書「知られざるスターリン」で、ルイセンコのスターリンによって庇護された唯物論的で階級的な学説を次のように糾弾する。

犯罪的な地に墜ちた学問の権威、生物工学の発展の遅れがもたらされた。さらに原子物理学や宇宙工学の分野での高価な開発の肥大化がロシアの学問を過度に国庫に依存させることになった。ソ連では学問は技術や経済発展の推進力にならなかった。学問は常に復興を繰り返し、技術と経済発展は基本的にすでに外国で達成されたものの模倣を通して行われてきた。

ルイセンコ学説後、ソ連において自然科学を含めてあらゆる学問は、国家と同様に階級的な性格を持つという旧くなったテーゼが蔓延した。科学の方向を観念論的と唯物論的なものに分かつ考え方がソ連の科学の進展を遅らせたのである。

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ユダヤ人と日本人 その29 トロフィム・ルイセンコ その1 生物学論争

スターリンの「活躍」は共産党政権の権力争いはもちろん、科学や芸術の論争にも介入するという特異さがある。その活動は天才ともいうべき稀有のペルソナを示している。国民を隷従的境遇に押しつけながら、連合国からは超国家主義などと漠然的に呼ばれるが、その実体は定かではない。たが他方、彼がいなかったならソビエトの近代化はなかったといわれる。

メドヴェージェフ兄弟は著書「知られざるスターリン」の中で次ように結論づける。

「学者の弾圧、貴重な学派の壊滅、出世主義者やファナティックな教条主義者の台頭、無学者の抜擢、、、、スターリンが学問上の論争に介入すると、ほとんどがこのような結果で決着した。スターリンの介入によってソ連における広い分野での学問や科学の進歩が遅れた。」

トロフィム・ルイセンコ(Trofim Lysenko)という生物学者は、スターリンによって庇護された学者の一人である。彼は、生物の遺伝子の存在を否定し、個体が得た形質である獲得形質がその子孫に遺伝するという「獲得形質の遺伝」、すなわち後天的な特徴を継承するという立場である。遺伝学の祖はオーストリアのメンデル(Gregor Mendel)といわれる。メンデルは、遺伝形質は遺伝粒子によって受け継がれるということを提唱した。粒子とは遺伝子のことである。メンデルの学説に異を唱えたのがルイセンコであった。

環境因子が形質の変化を引き起こし、その獲得形質が遺伝するというのがルイセンコの立場であった。この学説に伴いソ連における反遺伝学キャンペーンが始める。この学説は、ミチューリン(Ivan Michurin)という育種家が先鞭をつけたといわれる。ミチューリンの名を冠したのでミチューリン主義農法とも呼ばれ、これがソ連農業の中心となっていく。その後わが国にでも一時であるがミチューリン農法が導入されていく。

1945年に遺伝学における論争が始まる。ルイセンコ論争とも呼ばれている。ところがアメリカなどで生物学研究や品種改良が進む。そこからルイセンコやダーウィンの種形成の思想と矛盾する新たな理論が提起される。進化と種の起源の問題を論議すれば、必然的に遺伝のメカニズムにも触れざるを得なくなる。これが遺伝に関わる論争である。ルイセンコの学説を批判する者は、ルイセンコの方向性が現実的に不毛であることに注目したのである。

mendel2  Gregor MendelLysenko_with_Stalin Trofim Lysenko & Joseph Stalin

ユダヤ人と日本人 その28 ローゼンバーグ事件 その2 マッカーシズム

1950年代半ば、アメリカでは激しい反共産主義者運動が起こる。これは「マッカーシズム(McCarthyism)」と呼ばれた。合衆国政府や娯楽、メディア産業における共産党員と共産党員と疑われた者への攻撃的非難行動のことである。この先導者はウィスコンシン州選出の共和党上院議員のジョセフ・マッカーシー(Joseph McCarthy)であった。

以来、国内の様々な組織において共産主義者の摘発が行われた。この行動は後日「魔女狩り」とされ、1954年12月の上院におけるマッカーシーの譴責決議で幕を閉じる。ローゼンバーグ夫妻が関わったとされるソ連への原爆製造に関する資料の漏洩は、アメリカ国内におけるこうした極端な共産主義運動や非米活動の排斥の中で起こったことに注目すべきである。

ローゼンバーグ夫妻への死刑判決に対して、国内外から「冤罪である」とか「法的なリンチである」との声があがる。原子物理学者であるアルバート・アインシュタイン(Albert Einstein)やロバート・オッペンハイマー(Robert Oppenheimer)、哲学者のポール・サルトル(Jean Paul Sartre)や小説家のジャン・コクトー(Jean Cocteau)、さらにはローマ法王ピオ12世(Pople Pius XII)、パブロ・ピカソ(Pablo Piccaso)らが嘆願書に名を連ねる。だが、アメリカ国内では判決に対する批判は少なく、ユダヤ系団体からも特に支援はなかった。

マッカーシズムが吹き荒れるアメリカではローゼンバーグ夫妻の処刑を中止させることは困難であったようである。1950年6月には朝鮮戦争も勃発し、共産主義への脅威を国民は抱いていた。大統領であったアイゼンハワー(Dwight Eisenhower)も国内外からの死刑中止の嘆願を受け付けなかった。アメリカにおける反共産主義思想も反ユダヤ主義思想も極端に教条的な偏りと心情的な不合理性を有していたことでは共通している。ローゼンバーグ事件は冷戦の申し子のようなものだったと思うのである。

日本では、ローゼンバーグ裁判の様子がしばしば報道されていた。残される二人の息子に対する同情や共感も話題となった。1995年に、アメリカによるソ連暗号解読プロジェクト「VENONA」が機密扱いを外され、ソ連の暗号通信の内容が明らかになり、その中で原爆製造に関わる諜報活動が紹介される。ローゼンバーグ夫妻の行動が白か黒かははっきりしないが、部分的に関わっていたことが伺われる。

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ユダヤ人と日本人 その27 ローゼンバーグ事件 その1 マンハッタン計画

いつの時代も諜報活動は活発である。平和時も戦時も同じである。スパイ活動は今もどこかで地道に行われている。諜報活動の成否は、平和の維持や戦争の勝敗を左右することはよく知られている。わが国では戦時中、東京のドイツ大使館で働いていたソ連のスパイであったリチャード・ゾルゲ(Richard Sorge)がいた。いわゆるゾルゲ事件である。

第二次大戦中、アメリカはイギリス、カナダの科学者を巻き込んで原爆製造計画であるマンハッタン計画(Manhattan Project)を密かに進めていた。枢軸側が原爆製造を進めていることを知っていたからである。マンハッタン計画の科学部門のリーダーはロバート・オッペンハイマー(Robert Oppenheimer)であった。そのスタッフには放射性元素の発見で1938年にノーベル賞を受賞したフェルミ(Enrico Fermi)もいた。大戦中、アメリカとソ連は連合国側であったが、この最高機密計画はソ連には知らせていなかった。

1949年8月、ソ連が最初の原爆実験に成功する。アメリカはこのときまでソ連が原爆を造る能力があるとは予想しなかった。やがてこの実験成功にアメリカ人スパイが関与していることをFBI(Federal Bureau of Investigation)はつきとめるのである。フュークス(Klaus Fuchs)というイギリスに亡命していたドイツ人理論物理学者がマンハッタン計画に派遣されていた。アメリカの原子爆弾の製造研究所は、ニューメキシコ州(New Mexico)のロス・アラモス(Los Alamos)にあった。

1950年、FBIはフュークスが原爆製造の鍵となる情報をソ連に渡していたことを知る。フュークスは情報の運び屋としてゴールド(Harry Gold)などの人物を使う。そして同年5月にフュークスとゴールドは逮捕される。そのときグリーングラス(David Greenglass)というスパイの存在が浮かぶのである。グリーングラス自身もロス・アラモスで働いていた。グリーングラスの妹はエセル・ローゼンバーグ(Ethel Rosenberg)、そして夫はジュリアス・ローゼンバーグ(Julius Rosenberg)であった。二人ともユダヤ系のアメリカ人である。
グリーングラスは、原爆製造に関する文書を盗み、それを妻のルツ(Ruth Greenglass)がタイプしてグリーングラスの妹であるエセルに文書を渡したことを自供するのである。これによってローゼンバーグ夫妻がスパイであったと告発されるのである。これがローゼンバーグ事件の始まりだ。同じ頃ソーベル(Morton Sobell)というスパイも逮捕され、裁判でローゼンバーグ夫妻とともにソ連に協力したことを自供する。ソーベルは17年の懲役刑に服する。ローゼンバーグ夫妻は一貫してスパイ活動を否認し続ける。だが1951年3月、二人に死刑判決が言い渡される。

Fukuryumaru  第五福竜丸Einstein Albert Einstein

ユダヤ人と日本人 Intermission 長女の旦那

ユダヤ人と日本人とロシア人を扱ってきた。今回は休憩としたい。

長女Marikoの旦那はロシア系アメリカ人である。姓名はDimitri Kuznetsov。ときどき見聞きする名前だ。ロシアが有する唯一の原子力空母の名前もKuznetsovである。出身はモスクワ(Moscow)で、かつてソ連陸軍で兵役に就いていたことがある。

ペレストロイカ(Perestroika)の後、母親をモスクワに残して長男とともにアメリカに渡ってきたという。そのいきさつはわからない。こちらも訊かないことにしている。彼は今、マディソンのウィスコンシン大学にある生協のようなところで働いている。小生や兄弟が樺太生まれで引き揚げ者であることは彼に話している。叔父が抑留中にクラスノヤルスクで亡くなったことも話してある。

彼に会うときはしばしばスポーツの話題に花が咲く。彼は週二回、マディソンの市民サッカークラブの試合でレフリーをやっている。講習会を受講して審判の資格をとった。アイスホッケーもする。2014年のブラジルで開催されたワールドカップのサッカーは全試合を観たという。そこでサムライジャパンの試合の感想をきいてみた。彼曰く。サムライの選手はプレイに創造性や意外性が不足していたというのだ。いわば右脳を使ってプレイしていなかったようだ。

長女とはアイスホッケーのクラブで知り合った。この5月、長女の家族とマディソンで半年ぶりに再会予定である。12月には一家を八王子に招くことにもなっている。その頃は彼らの息子Sho、私の孫も3歳だから歩き回るだろう。そして大好きな車や始めてみる電車、新幹線に目を丸くするだろう。その興奮を一緒に味わいたいと今から楽みにしている

Sho20150309 Sho20150310 春が来た、春が来た

 

ユダヤ人と日本人 その26 スターリンによる大粛清 その5 医師団陰謀事件

「知られざるスターリン」には、戦前から戦後にかけての極めて赤裸々なソ連の全体主義国家の内部が描きだされている。

話題は少し遡る。共産党指導部に向けられた包括的な「シオニストの陰謀」は1948年の始め、スターリンによって計画された。それは1946年に始まった反コスモポリタンキャンペーン(Anti-cosmopolitan)に続くものとされている。1948年の反セミティズム(Anti-semitism)キャンペーンで逮捕された者は数十人に及ぶが、そのほとんどがソ連の「ユダヤ人反ファシスト委員会」のメンバーであったといわれる。

医師団陰謀事件という悪名高いでっちあげがある。この事件は、クレムリン(Kremlin)病院のユダヤ人医師が次々と逮捕される事件である。「誤った治療法によりソビエト要人の命を縮めることを目的としたテロリスト医師グループが保安局によって摘発された」ということに始まる。ユダヤ主義を掲げるシオニスト(Zionist)の仕業であると捏造されたのである。

事件は1952年のスターリンの主治医であったウィノグラード(Winograd)の逮捕をきっかけに始められている。アメリカ人シオニストの手先として陰謀をはかったという大規模なつるし上げが始まる。ウィノグラードがイギリスの諜報機関の手先であったとか、国際ユダヤ人組織「ジョイント」(American Jewish Joint Distribution Committee)に雇われていた、としてユダヤ人医師が摘発されるのである。「ジョイント」は1914年に設立され、本部はニューヨーク市にあって70か国にわたる活動をしていた。


ユダヤ人と日本人 その25 スターリンによる大粛清 その4 スターリンとイスラエルの関係 

この原稿は「知られざるスターリン」という本に基づいている。作者はジョレス・メドヴェージェフ(Zhores Medvedev)、ロイ・メドヴェージェフ(Roy Medvedev)という兄弟である。本のはしがきによれば、前者は生化学者で歴史家であり、後者は歴史家、政治家である。二人ともソ連時代に民主化運動、反体制運動、人権擁護運動に関わったとある。特にロイ・メドヴェージェフはゴルバチョフ(Mikhail Gorbachev)やエリツィン(Boris Yeltsin)の顧問となった。

この本は五部から成るが、その中でもスターリンの死の謎、陰謀事件、後継者争い、原爆や水爆の開発、原子力収容所、スターリンと科学、スターリンと電撃戦、そしてスターリンとソ連のユダヤ人などが興味深い内容となっている。

ロイ・メドヴェージェフは次のように回想している。「歴史家にとって最も複雑になっていることは、スターリンがユダヤ人に対してとった政策とイスラエルに関してとった政策との間に際だった違いがあるということでである。」 1947年の国連総会で、スターリンが明確に親イスラエルの立場を表明する。それは同総会においてイスラエル国の樹立に賛成したことである。さらにイスラエルに対して戦闘機や大砲などを集中的に供与したのである。この援助がなければ1948年と1949年の二度にわたるアラブとの戦争に勝利しなかっただろうといわれる。

ところが、イスラエル独立後1949年1月の選挙の結果、親米政権がイスラエルに誕生する。イスラエルを衛星国にしようとしたソ連の目論みは完全に外れてしまうのである。スターリンの親イスラエル姿勢がなんであったにせよ、大多数のユダヤ人は、スターリンほど熱烈な反ユダヤ主義はいなく、その残酷さはヒットラーに次ぐと思われているのである。それが「医師団陰謀事件」であり、ユダヤ人反ファシスト委員会の弾圧である。
palestinian-loss-of-land-5f339  イスラエルの領土Egyptian Boy Standing near British Tank 中東戦争