ウィスコンシンで会った人々 その16 「東京圏の高齢者は地方へ移住を」

このようなかけ声は欧米諸国ではきいたことがない。それは何故かを考えている。合衆国の地方とか田舎の規模は日本の比ではない。人口200人という町もあちこちにある。こうした町の行政だが、近辺の町と一緒になって学校を運営し、ゴミを処理し、図書館を運営し、病院を経営している。それでいて独立した自治体なのは不思議だ。

日本は小さな国土なのだが、どうして過疎化とか人口減少が起こるのかである。それは地場産業を振興してこなかったことのツケが回っているからだ。農業や林業、酪農、漁業などに対する政策が貧困だったというしかない。ひたすら輸入に頼り地元で獲れる作物や魚に関心を向けてこなかったのだ。

民間有識者でつくる日本創成会議というのがある。座長は元総務相である増田寛也氏である。この会議が6月1日に「東京圏高齢化危機回避戦略」と題する提言をまとめた。この会議は、東京など1都3県で高齢化が進行し介護施設が2025年に13万人分不足するとの推計結果をまとめた。

この推計に基づく戦略では、施設や人材面で医療や介護の受け入れ機能が整っている全国41地域を高齢者の移住先の候補地として示していることである。大都市に住む高齢者が元気なうちに地方に移住することを促す専用施設がいろいろな県や市にあると指摘している。政府はこうした施設を市町村が整備することを資金、税制面で支援することを今後検討するのだとか。

東京への一極集中をもたらしたのは誰なのか。このような状況に至っては歯止めをかけるのは至難の業である。高齢者が持つ知識や技術を地方での仕事やボランティア活動に役立て、地方活性化に貢献してもらうというのだ。だが、高齢者は地方の活性化に役立ちたいなどとは考えない。快適な終の棲家を探しているのである。果たしてどのくらいの人が地方に移住するだろうか。その地方はどんな魅力があるのかである。

筆者なら次のような地方に住みたい。若い農家がいて新鮮な作物を作り子どもを育ている町や村である。そこにある学校は毎日ボランティアを歓迎する。そして自分もまだ役立つという実感を得ることができる町である。スポーツや文化活動も活発なのがいい。

次に病院や店舗や図書館がバスや車で30分くらいのところにある町だ。病気は避けることができないので、それくらいの距離ならなんとか通える。こうした施設はWiFiなどで繋がっていることも必須の条件だ。メディカルソーシャルワーカーが常駐していればもっとよい。このような投資なら行政はすぐできるだろう。人がいてインターネットがあれば快適な田舎暮らしができる。

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ウィスコンシンで会った人々 その15 ワシントンD.C.詣り

孫達は、この夏は親の支援でワシントンD.C.(Washington District of Columbia)旅行を計画している。上の孫息子Andersは既にD.C.旅行を楽しんだようだ。ウィスコンシンといういわば田舎にいると、D.C.とかニューヨーク(New York)は眩しいような都会である。Andersらはボストン(Boston)の近くに住むので首都詣ではさほどの感激はないかもしれない。ボストンはアメリカ建国の歴史を刻む町ではある。

D.C.の中心にあるナショナル・モール(National Mall)にはスミソニアン博物館(Smithsonian Museums) をはじめ、国立アメリカ歴史博物館(National Museum of American History), 国立自然博物館(National Museum of Natural History), 国立航空宇宙博物館(National Air and Space Museum)、その他リンカーン・メモリアル(Lincoln Memorial)、ワシントン記念塔(Washington Monument), マーチン・ルーサー・キング・メモリアル(Martin Luther King, Jr. Memorial)などなど、とてもとても一週間でも回りきれない。

夏になると多くの子ども達がバスを連ねてD.C.にやってくる。こうした旅行は、学校の主催ではない。教師に負担をかけることはない。旅行会社が企画し、交通、宿、食事、保険などを扱う。孫娘はこの旅行に参加するようだ。ウィスコンシンからD.C.まではバスで片道一泊二日、そしてD.C.に五日間滞在し、費用は一人1,000ドルくらいだそうだ。親に経済的なゆとりがないと子どもを参加させることは困難である。

アメリカに修学旅行という学校行事はない。その功罪はあるだろうが、教師はこうした団体旅行にはそもそも賛成しない。子どもの行動に責任をもちたくないというのが本音だろう。恵まれない家庭も多い。修学旅行はそうした家庭の子どもが参加する貴重な機会とはなる。だがそうした習慣がないのがアメリカ。我が子の教育は家庭に責任がある。学校ではない。「Our culture holds the values of individualism, self-reliance, and cooperation.」というフレーズを思い出している。

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ウィスコンシンで会った人々 その14 日本の教員と「イクボス」

6月2日、滋賀県内の中学校、高校、特別支援学校の校長を集めた研修会が大津市内であったと報道された。研修の話題は「イクボス」。NPO法人代表理事の講演を聞き、出席者全員が「教職員の仕事と家庭の両立を応援しながら自らも仕事と私生活を楽しむ「イクボス」となる」などと書かれた宣言書にサインしたというのだ。笑いを堪えられなかった。

「イクボス」という造語を知ったのは最近のことである。「男性の従業員や部下の育児参加に理解のある経営者や上司のこと」とある。新語や造語には弱い。この造語にあたる英語は知らない。そもそもないはずである。なぜなら、父親も母親も働くのが当たり前。両方が育児をしないと仕事は成り立たない。皆が「イクボス」なのだ。

わが国で「イクボス」が話題になる要因には、女性の職場での地位が不安定なこと、男性の就業時間が長いこと、就業開始や終了時間、職場が均一であることによるものと思われる。

第一の女性の職場での地位だが、昔からその地位は不安定であった。妊娠、出産、子育てに対する配慮が誠に不十分だったこと、それによる男性に比べての昇任や待遇での差別がはっきりしていた。

第二の男性の就業時間である。教員を引き合いにしてみる。2012〜2013年の経済協力開発機構(OECD)の調査では、日本の中学校教員の一週間の仕事時間は53.9時間で、参加34カ国や地域で最も長かったというのである。

第三の就業開始や終了時間、職場が均一ということとである。誰もが同じ就業時間であっては子育ては難しい。例えば保育所に誰が送り迎えするかである。職場についても、自宅やサテライトオフィスでの仕事が可能であれば子育てはかなり改善される。

学校の教員であるが、授業の開始や終了時間はどの学校も同じであるからこれを変えることはできない。だが4時半とか5時半に帰宅できることは可能なはずだ。OECDによる調査で、一週間の仕事時間は53.9時間というのは異常な事態なのである。むしろ労働協約や契約によって下校時間をきちんと守ることが大事だ。公立学校の教員には特例法で時間外手当を支給する必要がない。従って残業は駄目だということである。

そこで提案だが、教職員は5時帰宅を遵守することだ。校長や教頭は「イクボス」になる必要は全くない。むしろ教職員組合との協約を学校内で履行するように気を配ることだ。教職員は、時間外手当がでないのだから残業をする必要がないと決めてかかることだ。

まぜっ返すようだが、どうしても残業をしなければならないときは、管理職に時間外手当を要求すべきなのである。協約や契約を遵守すること、授業以外の校務などで仕事量を減らすこと、不毛な会議を減らすことを実行することが必要だ。

「イクボス」よりも就業規則にうるさい管理職にならなければならない。「イクボス宣言書」に署名したという校長は、なんとアホなのかとさえ思えてくる。労働協約や契約のことを知らないことを露呈している。教員の「働き過ぎ」という実態に一刻も早くメスをいれなければならない。そのためには先進国の教職員の働き方を参考にすべきだ。

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ウィスコンシンで会った人々 その13 マディソンの学校で

マディソン(Madison, Wisconsin)の学校の話題である。孫娘二人は近所の小学校と中学校に通っている。上の娘は自転車通学である。ヘルメットは必携となっている。教室を覗くと多種多様な髪と皮膚の色の生徒がいる。二人の校長はアフリカ系アメリカ人である。マディソン教育委員会は長年、少数民族出身の子どもの教育にも力を入れてきた。こうした子どもが増えたのはヴェトナム戦争以降である。

異なった言語や文化を背負った子どもたちは、英語を習得して同化しようとしている。そこに流れる精神は自由と平等を自覚する善良な市民になろうとすることである。アメリカというところは、長く住めば住むほど永住したくなるような不思議な魅力を持っている。それを海外からやってくる者は一種の幻覚のように感じるのだ。幸せを実現してくれるといった目眩のようなものである。

アメリカという磁石に惹きつけられて人々が集まり多民族国家を形成している。学校だけでなく大学や企業も多くの人種が学び働いている。誰もが永住権(Green Card)を取得しようと努力している。高等教育を受けた優秀な人々は安定した暮らしをしていることが伺える。先日パーティであったカンボジア系アメリカ人もウィスコンシン大学で会計学を学び、大手保険会社に勤めているということだった。

話題は少し変わる。2015年の春、大阪市内の小学校に入学しようとしたダウン症の子どもの両親に対して、教育委員会は門前払いにしようとしたことが報道された。父親はニュージーランド人、母親は日本人。両親は子どもを地域の学校で学ばせようとした。学校がどような支援をしてくれるのかを相談した。だが学校側の対応は冷淡であったようである。

特別な支援はなく受け入れには消極的な態度だったという。そして特別支援学校を紹介したのだ。父親はニュージーランドの学校を引き合いに出し、地元の学校に入れることを強く主張した。「可能な限り障害のない子どもとともに教育を受けられるように配慮する」ということを聞いていたからである。この両親の主張が功を奏したのか、後日校長と教頭が謝罪の申し入れをしてきた。大阪は「障害の有無に関わらず地域の学校で学ぶことが基本である」というフライヤーを作っている。

いわゆる先進国の教育事情が系統的に日本に紹介されて60年以上が経つ。ようやく、子どもが地域の学校へランドセルを背負って通う姿が当たり前のようになってきた。だが筆者が住む八王子市内で、いまだに多くの子どもが特別支援学校のバスに乗って通学している。果たして地域に友達がいるのだろうかとバスを眺めながら考えるのである。

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ウィスコンシンで会った人々 その12  2016年の大統領選挙とウィスコンシン

このところウィスコンシン州はいろいろと話題に上っている。その一つが2016年の大統領選挙の共和党候補者の一人として、現在の知事スコット・ウォーカ(Scott Walker)が噂されるからだ。だが彼は現在、ウィスコンシン州検察当局から2011年のウィスコンシン州上院選挙、および2012年の知事解任選挙の期間に選挙資金集めによる不法調整が行われたとして調べを受けている。

検察官の調査報告は、ウォーカが保守派の複数のグループと資金集めを調整し、その犯罪行為の中心人物であるととしている。犯罪行為の一つは、虚偽のキャンペーン財務報告をしたとされる。この不法資金集めと調整には、ブッシュ政権下で次席補佐官、大統領政策・戦略担当上級顧問を務めたカール・ローブ(Karl Rove)が関与したとされる。彼は「影の大統領」ともいわれたことがある。しかし、どの程度まで関与したのか詳細は不明のようだ。

知事のスコット・ウォーカだが、2011年1月ウィスコンシン州知事として就任する。早々に労働組合の団体交渉権や賃金交渉権を制限するなど、対立勢力に対する強硬な手法で注目されるようになる。反対派から解職請求が行われた結果、2012年にリコールが成立した。その後、再選挙では全米の保守派の富裕層からの支持で再選された。この選挙は「ウィスコンシンでのカネの力対市民の力の戦い」 (Money Power or Citizen Power)といわれ全米の注目を集めた。

2012年における大統領選挙では、ウィスコンシン州選出の下院議員であるポール・ライアン(Paul Ryan)が共和党の副大統領候補としてミット・ロムニー(Mitt Romney)大統領候補から指名された経緯がある。ロムニーはマサチューセッツ(Massachusetts)州知事をつとめ、オバマ政権の医療保険制度導入を批判してきた。これがオバマケアである。

ウィスコンシンは伝統的に民主党と共和党が拮抗する州である。南北戦争の頃のウィスコンシン州は共和党を支持する州だった。もっとも、共和党が生まれたのはウィスコンシン州である。1945年以後は共和党と民主党がしのぎを削っている。2008年の大統領選挙では州民はイリノイ州(Illinois)選出の民主党候補のバラク・オバマ(Barack Obama)を支持した。

また長い大統領選挙運動が始まり、市民の会話にのぼってきた。「暑くて長い夏」がやってくる。

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UNITED STATES - OCTOBER 19:  Sen. John F. Kennedy and his wife, Jackie, wave to crowds as they proceed up lower Broadway in a parade.  (Photo by Frank Hurley/NY Daily News Archive via Getty Images)

UNITED STATES – OCTOBER 19: Sen. John F. Kennedy and his wife, Jackie, wave to crowds as they proceed up lower Broadway in a parade. (Photo by Frank Hurley/NY Daily News Archive via Getty Images)

 

ウィスコンシンで会った人々 その11 自家製造の葡萄酒と麦酒

娘の旦那は連邦政府の研究機関で働いている。材木やチップの研究をしているようだが、詳細な研究内容は聞いたことがない。研究施設はウィスコンシン大学に隣接している。

彼は自宅で赤葡萄酒と麦酒を作っている。それがまた香りといいコクといい素晴らしい出来なのである。特に葡萄酒は自分でラベルを作りそれを瓶に貼り付けている。「Reiner Brewery Co」などと茶目っ気のある会社名としている。Reinerは彼の姓。葡萄酒は隣近所や友達に進呈している。もちろん値段を付けているわけでない。

ウィスコンシンでは自分で飲む分の葡萄酒と麦酒を作ってよいことになっている。自宅での作り方は本やネット上で沢山紹介されている。旦那は、自宅の地下で作業している。いろいろなキットを購入し、注意深く醸造している。特に温度管理は大事だという。そのために、温度センサーも買い自動で温度と湿度を管理している。

麦酒の苦味、香り、泡を出すホップはウィスコンシン州でも沢山獲れる。それもあって、ウィスコンシンでは多くの麦酒が作られ販売されている。葡萄酒だが、主として黒ブドウや赤ブドウを原料とする。その成分が販売されている。葡萄酒渋みの成分であるタンニンを多く含み長期保存が可能である。「Reiner Wine」は実に濃厚な風味のものに仕上がっている。

英語の表現で「Do It Yourself Fan」というのがある。「自分で出来ることは自分でする」という意味だが、自宅の改装工事、電気、水道などの工事、車のメインテナンスも自分でやることが多い。そのために道具も揃えている。長男の家のガレージも道具が揃っていて多くのことを自分でやっている。葡萄酒と麦酒も自分で作り楽しむのは面白い文化である。

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ウィスコンシンで会った人々 その10 国旗掲揚と国歌斉唱と大学

国立大学法人化の大学は、今入学式とか卒業式で国旗掲揚と国歌斉唱を文科省から奨励されている。決して強制ではなく要請という内容と伺う。国からの依頼であるから、無視するわけにもいかないようだ。それにはいろいろと理由がある。

第一は、運営交付金を国から受けていることだ。大学の予算の大半はこの交付金で賄われている。大学がいかに学問の自由とか大学の自治をうたっても、首の根っこを交付金によって抑えられている以上、国の要請を蹴るわけにはいかないのである。

第二は、大学の改革が進んでいることである。学部の統廃合も行われている。こうした動きはすべて大学の自主的な判断でなされているのではなく、国の方針で進められている。こうした方針に沿わない大学はないといってもよい。国立大学の法人化以来、大学改革はどんどん進んでいる。教授会は経営とは切り離され、もはや腑抜けのようなありさまである。学長の権限は一段と強まった。

第三は、第一の事由と重なるのだが、大学の自治とは国から独立した財政があってはじめて成り立つのである。従って大学は、独自のルールによって入学金や授業を決め、民間や個人からの寄付を仰ぎ、産学協同研究を進めて、財源を確保することが必要なのである。だが、大学法人の大学に経営能力があるとは思えない。

しかして、今の大学はグローバルな環境で立ち向かえる一握りの大学を除き、ほとんどは運営交付金に頼らざるをえない。憲法第23条にある「学問の自由は、これを保障する」をいかにかざしても、それは犬の遠吠えなのだ。

文系学部の統廃合が盛んに云われ、危機感が漂っている。教員養成の学部も危ういといわれる。大学運営の危機に輪をかけているのが入学者の減少だ。どの大学も生き残りをかけていて、束になって国とやり合う力はない。自立の精神が欠けている。これが今の大学危機の最大の姿だ。

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ウィスコンシンで会った人々 その9 フリースクールが義務教育の場に

かつて通信制高校で働いたことがある。そこで学ぶ生徒だが、過去にいろいろな苦労をしたか、今も苦労している者であった。中には非行によって高校を退学させられた者、保護観察処分の生徒もいた。また、長年不登校になっている生徒もいた。そしてフリースクールに通う生徒もいた。こうした生徒に共通することは、まだどこかに学びたという動機があることである。高校卒の認定を受けたいというのが通信制高校を選んだのである。

ようやくフリースクールなど、小中学校以外にも義務教育の場としようとする法案が、7月中の国会提出を目指して動き出した。超党派の議員連盟が5月27日、総会を開いて概要を了承し6月中に条文としてまとめることを決めた。今国会で成立させ、施行を2017年4月としようとしている。この法案だが「多様な教育機会確保法」となるようである。

現在は、公的にはフリースクールに通わせても就学義務を果たしたとみなされていない。その一方で1992年には不登校の増加を受け文部省が、フリースクールで勉強した場合も在籍先の校長の判断で出席と扱えるよう通知した。あけすけな言い方だが、学校に来ていなくても出席扱いにして卒業させている。制度と実態は矛盾しているのである。このズレを解消するのが今回の提案といえる。

義務教育の歴史であるが、1886年の小学校令では尋常小学校修了までの4年間を義務教育期間とした。1941年初等教育と前期中等教育を行う国民学校令が定められ8年間の義務教育となった。現在の義務教育はそれ以来続いる。それ故、フリースクールなど学校以外での学習の機会を制度化するという新しい段階に入るといえる。

アメリカやカナダで盛んに行われるホームスクール(home school)は、フリースクールの一形態とも考えられる。ホームスクールでは「個別の指導計画」をつくり、市町村の教育委員会に提出することになっている。また、学びの成果を確認するために、学力テストも受けるように指導される。このようにして、保護者が子供に教育を受けさせる就学義務を果たすことが科せられている。

フリースクールの授業料を賄うために、国からの支援としてバウチャー制も取り入れられるだろうと察する。フリースクールの経営者や保護者には、学校に代わって子供に「多様な教育の機会」を提供する特徴ある学習メニューを用意する責任がかかってくる。

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ウィスコンシンで会った人々 その8 仕事探しと交渉

娘は念願の看護師として本日6月1日より働く。どのようにして職を探したのかを訊いたのだが、面白い話をしてくれた。仕事を探す過程でいろいろと周到に準備してきたこと、交渉術のようなことである。以下は娘が語ってくれたことである。

就職活動にあたっては、まず指導教官に相談して、レジュメ(resume)、レファレンス(references)を作ることから始めた。レジュメはいわば履歴書のようなものである。彼女は、既にウィスコンシン大学で生物学で学士号をとり、ジョージ・ワシントン大学(George Washington University)で公衆衛生学の修士号を取得している。そうした教育歴の他に、教会での活動歴、NPOでのボランティア、また大統領選挙のボランティア活動なども事細かに記入した。

レファレンスは身元保証人とか指導教官などの氏名や役職、連絡先などを記したものである。所属する牧師やボランティアをしている学校の校長などを加えた。雇用しようする者が、本人の能力や資格、リーダーシップなどを確認するために問い合わせるのである。雇う側にとってレファレンスは大事な情報だ。

娘は、指導教官から面接の仕方を学んだ。特に待遇面での交渉に必要な知識である。「看護師の初任給は通常、自給24ドルくらいだが、あなたは28ドルを貰える」と云われた。面接では、最初に24ドルを提示されたという。しかし、自分の教育歴や諸経歴をもとに娘は28ドルを要求した。交渉の末に27ドル50セントで折り合いをつけた。医療保険や有給休暇も双方が了承して決まった。

彼女は働くところは、マディソンの東隣にあるジェファソン・カウンティ(Jefferson County)という人口84,000の小さな自治体である。ウィスコンシン大学ホワイトウォーター校(UW-Whitewater)がある。主に貧しい人々やお年寄りなどの家庭を回り、健康上の相談に乗る。当然、ソーシャルワーカーや理学療法士、医師などと連携して仕事をするという。

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ウィスコンシンで会った人々 その7 卒業パーティ

娘の卒業式とパーティに出掛けてきた。パーティの案内状はもちろんRSVP(request for response)となっていて「お返事をお待ちしています」とある。案内状には小さく「No Gift」とも印字されている。50名の出席予定となった。ところが当日は60名を越える人が集まった。出席と答えた友人が別な友人や家族などを誘ったらしい。途中で急ぎ料理を追加注文することになった。

パーティといっても司会者がいて、いろいろな挨拶があるわけでない。乾杯の音頭もない。立食であり三々五々集まり、食べて飲んで会話して、疲れたら座り、好きなときに帰っていく。服装もまったく自由。結婚式のパーティとは違い、個人のパーティとはそんなものだ。

話の中心は当の娘と家族である。彼女たちを囲んで他愛もないことを会話している。彼女は一通りすべての参会者と会話したらしい。小生も50年振りと20年振りの友人夫妻を招いた。いずれも我が家にとって留学の際に大いにお世話になった方々である。もう一組の友人も参加してくれた。家内の終末を看取ってくれた方である。

パーティには親子連れが目立った。娘は小さい子供たちのためのコーナーをつくり、そこにおもちゃ、折り紙、絵本などを用意していた。皆勝手に遊んでいた。孫娘は折り紙で周りの子供にツルの作り方を教えていた。作ったものはもちろん持ち帰える。

日頃のお付き合いに感謝するのがこうしたパーティである。これも「おもてなし」のアメリカ版といえようか。

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ウィスコンシンで会った人々 その6 病院や学校や図書館を明るく

最近、「ポルトガル、ポルトの訪ね歩き」という番組で子供病院のことが紹介された。そこに病院の廊下や待合室、病室にタイルを貼ってきたという職工が登場した。タイルを組み合わせて動物園、植物園、公園などが描いてきたのだという。この職工は修理にやってきたようだ。

タイル画についてインタビューに答える患者の付き添いらしき人が、こぞって「病院内が明るく楽しい雰囲気となった」という。大人だけでなく、子供の情動をも高揚させるようでだ。むべなるかなと思うのである。真っ白な壁で囲まれ清潔な内部に接すると、「果たしてこの病院では病気は治るだろうか」と自問する患者が多いのではないか。病気は体や心、感情が一体となっている。不安を持たせてはいけない配慮が大事だと思うのである。

わが国の学校のことだ。冬は寒く夏は暑い。廊下には雑巾がづらりと並び、弁当箱の袋などがぶらさがっている。まるで刑務所かどこかのような雰囲気がある。画一的な造りで、子どもをワクワクさせるような設計とはなっていない。トイレも相変わらず和式で薄暗く匂いが漂う。もう少し明るく楽しさを醸し出すような雰囲気を出せないものか。もっとも大分改善はされ明るくはなってきている。

図書館もそうである。時々親子連れがやってくる。背負った乳飲み子が泣きじゃくり館内に響く。母親はいそいそと閲覧室からでて赤ん坊をなだめている。どうして公共の図書館には授乳室や遊戯室がないのか。親子連れには不親切で配慮が足りない。幼い子供を連れた母親や父親は、図書館で育児をしばらく離れてゆっくり、読書をしたいのではないか。若い親と小さな子供の図書館離れは不幸なことだ。図書館は本を借りる場所だけではない。子供を育てるところなのだ。

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ウィスコンシンで会った人々 その5 母親も父親も教育で忙しい

日本でもアメリカでも子供の教育に熱心である。だがその違いは面白い。日本では、子供達は夕方から夜にかけて塾通いするのが多い。アメリカでは夜は子供を学ばせない。都内では「働くママの教育塾過剰」という現象が生まれている。「幼児教室はアフター6」というのが流行りつつあるようだ。

フルタイムで働く母親は午後5時から6時にかけて仕事を終え、その足で保育所や託児所に子供を迎えに行き教室にくる。子供は8時まで学ぶ。その間、夕食の買い物、準備、洗濯や掃除をするので、この時間は貴重だ。送り迎えや食事の支度に関しては、夫の存在は全く影が薄い。

ウィスコンシン(Wisconsin)のマディソン(Madison)では音楽やスポーツをやらせる家庭が目立つ。小生の長男には16歳と14歳の息子がいる。その長男はヴァイオリン、そして陸上競技をやっている。特に中距離で州の大会にでるくらい頑張っている。ヴァイオリンは、ボストン交響楽団の少年オーケストラクラブで弾いている。次男はもっぱらサッカークラブで活躍している。その間、ピアノの個人レッスンを受けている。

土曜日はボストン(Boston)での少年オーケストラの練習がある。長男が送り迎えしている。大学で教えているので朝食作りは長男の仕事となっている。妻は小学校の教師をしているが、5時には帰宅できる。残業などは全くない。

次に娘達である。次女の長女にはピアノとヴァイオリンを、その妹には体操とサッカーをやらせている。特に次女の体操は週2回、1回2時間という長さだ。学習のことは、長男も次女も気にしていない。もっとも、マディソンには教育塾はない。長女の一人っ子はまだ2歳半なのでもっぱら一緒に遊ぶことに専念している。旦那の出勤は朝6時、そして2時に帰宅する。それを待って長女は経営する洋裁店で7時まで働く。息子の朝食と昼食は長女が、夕食は旦那というように役割が決まっている。

次女の家庭に戻る。朝娘二人に朝食を食べさせ弁当を作り学校に送りだす。次女は6月よりフルタイムでの看護婦業であるが、夕方5時には家に帰り夕食を作る。彼女の旦那は朝6時に自転車かバスで職場へ行き、帰宅は3時である。従って二人の娘の音楽や体操の送り迎えを担当する。

妻と夫はこのように出勤時間をずらすことができるので、どちらかが放課後の活動に子供の送り迎えや買い物や食事の準備ができる。マディソンやその他の都市でも早朝出勤は当たり前なので、夫婦が育児を心配なく一緒にできるのである。

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ウィスコンシンで会った人々 その4 大学選び

5月の卒業式も終わり、アメリカの大学構内はしばし静かな時が漂っている。ツタの枝葉が建物をはい、芝生の木々の緑が眩しい。構内をグループで歩いているのは、周辺からやってきた高校生。院生に引率されて9月からの入学に備えて建物やその歴史の説明を受けている。看護学部をでた娘も6月よりフルタイムの仕事が待っている。

アメリカ留学とか大学選びについてはごまんと紹介本がある。体験談に基づく本の中には、自分の子供がいかに猛勉強したか、優秀な成績で卒業したとか、親として相当投資したといった自画自賛のような内容で溢れ、途中で閉じたくなる。留学とは、学位を取得するのが目的の学びのことである。「語学留学」というのは「語学遊学」のこと。短期間の遊学は語学を磨く上で全く効果がない。

アメリカの大学はピンからキリまである。なにもハーヴァード大学(Harvard)やエール大学(Yale)のようなアイヴィーリーグ(Ivy league)だけが優秀なのではない。こうした大学は研究中心の大学で秀でている。学部から行くのはあまり推薦しない。日本の4年制の大学でみっちり勉強してから出掛ける。

4年制大学の学部選びは、懇切丁寧な指導を受けることができるか、という物差しで考えることだ。多くの大規模な州立大学や私立大学では劣等感や疎外感をもつ。なぜなら留学生は大勢の新入生の一人でしかなく、孤立することなる。相談する人がいないとストレスがたまり、勉強が遅れていく。こうした孤立感を避けるには、小規模の大学を選ぶことである。友達もできやすい。学業の合間に文化系の部活をやることによって、より語学を磨くこともできる。

もしアメリカの大学で学士号を取得したら大学院へ行きたくなる。その理由は、アメリカの大学はそういう磁石のような力を持っているからだ。当然大学院での学びに自信がついたからである。もちろん就職のためにも修士号は有利である。給料が当然違う。日本において修士号や博士号は一般にはあまり尊重されないのとは対照的である。

アメリカの生活には相当の資力が必要だ。大学の寮に入るとしても授業を含めて年間4万ドル、500万円位必要となる。奨学金を得ることは至難の業であるからはじめから諦めることだ。大学院では奨学金の途は拓けてくる。大学院を志望する場合は、日本で相当の預貯金を用意してから出掛けるのが賢明である。アメリカへ行けば何とかなる、などという見通しは全くの幻想である。

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ウィスコンシンで会った人々 その3 「お口に合いましたでしょうか」

そう沢山ではないが、いろいろな航空会社を利用して旅をした。思いもよらないことが機内で起こったことが何度もある。生温い珈琲を飲まされたり、服に水をこぼして無頓着のフライト・アテンダントもいた。忘れられないのはこうしたハプニングの後の対応が冷淡だったことだ。

機内のフライト・アテンダントとかキャビンクルーの業務は繰り返しである。マニュアルがあり、その通りにこなすことが要求されるのだから、さして仕事に工夫は必要ない。あとはアテンダントの性格や仕草が少しは反映される。それにひきかえ作家、音楽家、画家などの芸術家はマニュアルのない職業といえる。己の動機や資質、そして表現力が欠かせない。

教師だが、同じ内容のことを毎日、毎週生徒や学生に向かって伝えている。虎の巻がある。幸いに教え方の工夫は教師の資質が加わる。大学では用意した資料は毎年学生が違うのだから、そのまま使える。教師の端くれとして、こんな楽な職業はないと思ったことが何度もある。しかし、大学が法人化され運営交付金なるものが減ってくるにつれ、それまでのような生温い研究や指導に危機感がでてきた。職階による研究費の自動配分が実質無くなった。そのためそれまで眠っていたような教師が、尻を叩かれて科学研究費補助金を申請し始めた。

フライト・アテンダントのことに戻る。国際線の乗客は様々な人種や年代の人で一杯だ。300人も400人も乗る狭い機内に皆は暫しの忍耐を強いられる。乗客は一回のフライトだが、アテンダントにはフライト後は二日の休暇はあっても、また同じ仕事が待っている。時差ボケと体調管理はさぞ大変だろうと察する。

今回の旅行で始めて経験したことがある。それはアテンダントが食事の後、「食事はお口に合いましたでしょうか」と訊いてきたことだ。このなにげない一言は、大きな驚きであった。食事の内容は、もちろん何千円もするようなものではないが航空会社は、相当自信をもって用意していることがこの一言に込められているような気がする。

かつてフライト・アテンダントはスチュワーデス(stewardess)とかスチュワード(steward)と呼ばれていた。 「The steward of God」というフレーズが新約聖書の「テトスへの手紙」などにある。もともと 「steward」とは仕える者、僕、執事、世話役という意味である。アテンダントの口から出た言葉、それはマニュアルにあるとは思えない。今や消えたような 「steward」を考えながら、アテンダントの一言が「おもてなし」なのか、と感じ入ったのである。

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ウィスコンシンで会った人々 その2 「ヴァンクーヴァー朝日」

長い飛行機の旅の楽しみに機内での映画を観ることである。葡萄酒を飲みながらしばし退屈な時間を楽しむ。今回は4本を見ることができた。その内の一本が「ヴァンクーヴァー朝日(Vancouver Asahi)」という佳作である。

戦前、北アメリカの西海岸沿いに多くの日本人が移住していった。カナダへの移民は、1877年にブリティッシュ・コロンビア州(British Columbia)に渡ったのが最初といわれる。移民の多くは製材業、農業、漁業に従事した。西海岸は豊かな天然資源に恵まれているところである。だが、苦しい移民生活を強いられたことも事実である。それは移民につきものの人種偏見や差別である。そのことを題材とした小説に「ヒマラヤ杉に降る雪(Snow Falling on Cedars)」というのがある。この小説を書いたのはガターソン(David Guterson)。1995年にフォークナー賞(Faulkner Awards)を受賞している。フォークナー賞はアメリカの小説家、William Faulknerを記念して作られた賞だ。ヘミングウェイ(Ernest Hemingway)と並び称される20世紀アメリカ文学の巨匠といわれる。

「ヴァンクーヴァー朝日」だが、このタイトルは日系カナダ移民の二世を中心とした野球チームのことである。このチームは1914年から1941年までヴァンクーヴァーで活動していた。チームの監督は、ハリー・宮崎である。宮崎はブリティッシュ・コロンビア州の各地から選手を集め、小さい体格の選手に堅い守り、バントやエンドランなどの機動力を植え付ける。こうしたプレイは「Brain Ball」、頭脳的野球と呼ばれた。この戦術を駆使して地元のチームを破っていく。

頭脳的野球の他に、監督の宮崎は選手に対して、ラフプレーを禁じ審判への抗議も一切行わないよう指導した。人種偏見の強かったブリティッシュ・コロンビア内で、日系人と白人との軋轢を考えての対応だったと思われる。こうした真摯な野球に対する姿勢が白人の共感をえて、彼らも朝日を応援するようになっていく。そして朝日は1926年にリーグで優勝を果たし、その後1930年と1933年にもリーグ制覇を打ちたてる。

だが第二次世界大戦が始まると、選手も含めて日系カナダ人は、戦時捕虜収容所や強制収容所などに送られ朝日はチームとしての歴史を閉じる。

Japanese_internment_camp_in_British_Columbia ブリティッシュ・コロンビア州の日系カナダ人強制収容所
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ウィスコンシンで会った人々 その1 古いミシンのこと

短い旅をウィスコンシンで楽しんできた。いくつかのエピソードを紹介したい。

長女はマディソン(Madison)のダウンタウンで洋装店を母親から継いで経営している。彼女のパートナーは日系米国人で、葛飾は柴又の出身である。店はウィスコンシン大学と州議事堂との中間にあってState Streetという最も人気のある通りに面している。人通りが多くひっきりなしに客がやってきて、洋服の加工や修理を依頼していく。丁度卒業式のシーズンなので華やかなドレスやガウンの修繕で大童である。

店内には誠に時代物のようなミシンが三台ある。どれもBERNINAというスイス製のものだ。その一台は100年前のものだというが、今も立派に現役である。洋服の修繕だが、客は昔の洋服も大事に使うようで持ち込んでくる。「まさかこんなものが、、」というのもあるという。こうした客は、金持ちや立派な職業についている人だというのだ。古い洋服でも愛着が強いのだろうとこのパートナーは語る。貧乏人は安い者を買い、古くなればすぐ捨ててまた新しい安物を購入するのだと。

洋服の修繕業はアメリカでは廃業することはないだろうという。こうした古いが質の良いものを購入する人が多い限り、洋装店は立派に生業をたてられるという。日本では修繕業はなかなか大変だと云われる所以は、安いものを買い換えることが多いせいだろう。

同じことは家具についてもいえる。最近は安い家具を揃えた店があちこちで増えている。高価な家具はなかなか売れないようである。そんなこともあってか、新聞紙上で大手家具店の経営が話題になった。住宅の造りも変わり、クローゼットつきのマンションやアパートが多くなったので、家具の置き場がない。そのため高価な家具は売れないのだそうだ。結局合板の安く小さな家具を購入する。

衣と住の購入の変化が著しいのは、生活様式の変化と消費社会の流れによるものだろう。だが良いものは結局すたれることはない。

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Big History その11 宇宙の進化と論争

宇宙の進化に関しては、いくつかの理由で論争が生まれてくる。進化ということについては、生得的にそれを誹謗する者が現れる。例えばファンダメンタリスト(fundamentalist)と呼ばれる宗教者である。あらゆる現象は神の摂理にある業と考える人々である。ファンダメンタリストとは、保守的な宗教上の指導者のことを指す。宇宙の進化は宇宙と人類の起源を説明するものであるが、人間の情動性をかき立てることになる。進化の理論は、伝統的な生命に関するテーマに挑むものだからである。進化の理論は変化を要求する。多くの人々はそれを嫌悪したり不信感を抱いたりする。だが進化の概念に関する幅広い解釈は歓迎されてきた。

進化とか分化という自然の現象は、一定のきまりに従って起こる因果関係
(cause and effect)で、この因果は自然の出来事同士の間で成り立つ関係と考えられる。超越的なものとの関係ではないとれる。ニュートン(Isaac Newton)の物理学あたりからようやく因果は科学上の法則として学問的な形をとるようになったと考えられる。自然現象がいかに複雑であっても質点の運動として数学的な法則に従って行われるとされる。それゆえ力学的に記述されるという。

因果であるが、天体においてある出来事Aが起これば、続いて必然的に次の出来事Bが起こる。これは天体運動の軌道計算によって知ることが出来るように、数学的な計算によって正確に予測できるとする。この考え方は「決定論的自然観」(deterministic view of nature)と呼ばれる。しかし、こうした決定論に対して反論したのが18世紀、イギリスの哲学者、ヒューム(David Hume)である。ヒュームは、必然的な因果関係というものは元来ありえない。ただ、同じことが何度も起こったとき、人間はそのような起こり方に必然的な因果関係があると思い込む傾向があると主張する。因果というものは、人間の主観や信念の産物なのだという。こうした考え方は、一般に経験論(empiricism)の底流となっている。

だが、時間と空間という絶対的な記述上の枠組みによって、物理的な現象は必ず「ある時」、「ある場所」で起こることが定説となり経験論は廃れていく。

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Big History その10 宇宙の進化

WikipediaからBig Historyについてのサイトの訳を引き続き紹介している。大邱教育大学校の西洋史の研究者、Dr. Bae教授からBig Historyを紹介されて触発されている。「現代の科学哲学」という本も傍らにおきながら、科学とはそもそもどのような学問なのかを考えている。

宇宙の進化(Cosmic evolution)は宇宙に関する科学的研究の分野のことである。Big Historyはまさにそうである。宇宙生物学といった分野も関連する領域である。ある科学者の中には、宇宙の進化はBig Historyよりも広大なものであると云う者もいる。Big Historyは主として科学的歴史的な旅を究明する分野である。それはBig Bang—>天の川—>太陽—>地球、そして人類の起源という道のりである。

宇宙の進化はあらゆる複雑なシステムを取り扱う。宇宙の生成から人類に至る過程だけではない。このシステムは宇宙史とか宇宙の歴史(Universal history)とかと呼ぶべき分野で天体学者や天体物理学者によって研究されてきている。

Big Bangから人類に至るシナリオは、きわめて精緻に組み立てられており、1990年代からはBig Historyと呼ばれるようになった。宇宙の進化は英知を集めた枠組みを有し、多くの変容を壮大な角度から説明されてきた。そして、宇宙の歴史を通して放射線とか天体現象、生命の集合や合体などが説明されてきた。

人類は、いつどこからきたのかという時間に対する崇高な問い(time honored queries)である。この学際的なテーマは、諸科学を統合する試みでもある。自然の歴史という全体性の中で包括的な科学的な説明として、あらゆる現象の起源や進化を140億年前に遡り説明するのである。言い換えれば宇宙の起源から地球の現在に至るまでの時間を説明するのである。

宇宙の進化という考え方のルーツは、2000年以上もの前に遡る。古代ギリシャの哲学者ヘラクレトス(Heraclitus)が「万物は流転し自然界は絶えず変化している」と考えた。だが、宇宙に関する現代の推理は19世紀後半に始まった。Robert Chambers, Herbert Spencer, Lawrence Hendersonなどがその先駆者である。20世紀の半ばになると宇宙の進化というシナリオが研究上のパラダイムとして普及する。そして星雲、星、天体、生命に関する実証的な研究となっているく。こうして物理学、生命科学など文化的進化をいわば綜合する広がりを持つ学問分野となっていくのである。

Harlow Shapleyは、20世紀中盤にこうした学際領域を”Cosmography”と提唱するのだが、広くゆきわたるきっかけは、NASAが20世紀後半に、限定的ではなったが「宇宙生命学プログラム」の一環として取り組み始めたことである。同じ頃、Carl Sagan, Eric Chaisson, Hubert Reeves, Erich Jantsch, Preston Cloud、その他の学者が宇宙の進化を華々しく提唱していく。それは1980年代頃である。

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Big History その9 「革新的な変容」

WikipediaからBig Historyについてのサイトの訳を紹介している。

これまでの歴史学は、賢くなった人間が先の尖った槍をが作り、それを別な人間が複製するというような継承の過程を説明するのだという。しかしBig Historyは、そうした穂先を持つ槍は偶発的な産物であり、自然の進化の過程でそうした道具によって賢い狩猟者が生まれてきたのだと考える。たとえ人類がそうした発明をしなかったとしても、やがていつか発明するはずだと考える。

Big HistoryはBig Bang以来の138億年の間に繰り返し起こったパタンを発見しようとする研究分野である。こうしたパタンの一例だが、「混沌性が創造性を引き起こした」(Chaos catalyzed creativity.)と考えるのもそうである。隕石によって恐竜が絶滅したというようなパタンを発見することである。

Big Historyでは異なる時間軸を使い、人語、生物、宇宙などの成り立ちにまつわる類似性や相違性を「時間軸上のゲーム」(the play of scales)という手法を使って比較することができるとマクワリ大学のクリスチャン教授はいう。クリスチャン教授はこのような「革新的な変容」(radical shift)によって自然や生態学上の論争から環境や自然の変化について、新しい展望をもたらすと主張する。

「革新的な変容」の考え方は、人類の存在がいかに変化したかを説明しようとする。さらに人間という要因とか自然という要因から、例えば自然の過程は40億年以上も前に起こり、その例として星の爆発などによって鉄分が生成され、それによって人間は硬質な金属を作り、狩猟や戦の道具を作り上げることができた。

「革新的な変容」によれば、次のような問いがうまれる。
「我々はどのようにして今日に至ったのか」
「いかにしたら信じることができるかを決めることができるのか」
「地球はいかにできたのか」
「生命とはなにか」

こうした「革新的な変容」の考え方は、科学上の主要な認識の枠組(パラダイム: paradigm)において壮大な旅へと我々を誘うのだという。「革新的な変容」という仮説は、学生が科学上のリテラシーを分かりやすく理解するのを手助けする。

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Big History その8 「壮大な物語」

Big Historyは従来の歴史観や方法が異なり、様々な分野の研究領域にまたがっていることを特徴としている。Big History派の人々は、これまでの歴史を「微視的歴史」(microhistory)と呼んでいる。中には「浅い歴史」(shallow history)と呼ぶ者もいる。歴史学者の2/3は、過去250年の間の歴史に特化した研究をしているというのである。確かに人間誕生からの歴史は、そんな短期間のものではないのである。

しかし、ある歴史学者は云う。Big Historyの原則は、あまりにも巨大な視点を過剰に捉えすぎていると。さらに”Big Historyは「壮大な物語」(grand narrative)を演じ、いわば大きな剣を振り回しているようなものだ”と批判する。他方、Big History派も従来の歴史はあたかもナッツをひいて上等な粉をつくるかのような作業をしていると主張する。なにはともあれ、Big Historyは長い展望に基づく傾向とか過程に主眼を置き、歴史を形成した人物や出来事を究明するような従来の手法による歴史研究ではない。

シカゴ大学(University of Chicago)のチャクラバティ教授(Professor Dipesh Chakrabarty)が云うには、Big Historyは従来の歴史観に比べて政治色が薄いのが特徴だという。何故ならBig Historyは人々過去へ誘う性格があるという。より、証拠とか確証となるものを重視するからであると。従来の歴史研究者が重視する記録や文献、その他化石とか道具、生活用具、絵画、構造物、生態学的な変容や遺伝的な多様性といったことではない。

Big Historyのテーマであるが、クリスチャン教授によれば、これまで現代に至る期間は140億年のことを理解しようとする。Big Historyはこの140億年という「人類の物語」(human story)を科学の進歩に照らして考え、炭素元素や遺伝子の分析などの方法を用いることである。時に、数学のモデルを使い社会構造の仕組みの相互作用を究明しようとする。コネチカット大学(University of Connecticut)のターチン教授(Professor Peter Turchin)は数学モデルによる学際的研究の手法である「クリオダイナミックス」(cliodynamics) を唱道している。クリオダイナミックスは数学モデルによって帝国の隆盛や社会不満、市民戦争、国の滅亡などを究明する。個人の行動と社会や環境という要素の混合を数学モデルによって説明する。

2008年に発行された”Nature誌”でターチン教授は、「我々が健全な社会現象の発展を学ぼうとするなら、歴史をより分析的かつ予測的な科学から学ばなければならない」といっている。難しい提案だが興味をそそる話題である。

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