旅は道連れ世は情け その3 車がスピンしたとき

1979年のウィスコンシンの真冬、零下20度の日が何日もありました。マリブを運転していたときです。路面が凍結している時間帯でした。アメリカの高速道路は、大きく分ければインターステイト(Interstate: IS)とUSハイウエイ(US Highway)の二種類があります。両方とも日本の高速道路にあたります。高速料金はありません。両方ともは四車線で雑草と芝の広い中央分離帯があります。

当時、ISの制限速度は65マイル、USのほうは55マイル位です。USを走っていたとき、突然車がスピンしてブレーキが効かなくなりました。強く踏みすぎたためです。そのときスピンした方向とは逆にハンドルを回した記憶があります。路上で一回転してようやく停まりました。幸い前後に車はありません。心臓が止まるほどの経験です。気持ちを切り替えてゆっくりと車を回転してその場を離れることができました。後続車がいたら大変なことでした。

こうした冬の運転の反省ですが、第一は冬の路上は凍結していることを忘れないことです。交通局のようなところは、夜中に砂と塩化カルシウムの混じった融雪剤を散布します。それでも体感温度が下がって路上が凍結するのです。昼間気温が上がり、夜は零下に下がるので溶けた雪は凍るのです。

第二は制限速度より20%下げて運転することです。スピードの出し過ぎほど怖いものはありません。スノータイヤでも凍結している路上ではどうにもならないのです。

第三は昼間でもライトをつけて走ることです。バッテリーは走行中に充電されるので、節約する必要は全くありません。夜、交差点でライトを消す習慣はアメリにはありません。

第四はブレーキをこまめに踏むことです。これによって滑りを防ぐとともに、ブレーキランプで後方車に自分の位置や車間距離を知らせるのです。

厳冬の時、野外に長く駐車しておくとバッテリーの能力が極端に低下します。”Battery is dead.”と呼ぶ状態です。ですからバッテリー・チャージャー・ケーブルを持参しておくことも大事です。零下が続くときは、夜は車からバッテリー外して翌朝に戻して運転することもありました。

旅は道連れ世は情け その2 「U-Haul」と野宿

1978年8月に語学研修で過ごしたジョージア州(Georgia)からウィスコンシン(Wisconsin)のマディソン(Madison)まで、僅かの家財をU-Haulに積んで家族と移動しました。車はジョージアにいたとき、ルーテル教会の牧師から譲り受けたシボレーはマリブ(Chevrolet Malibu)という連結器のついた六気筒のセダンでした。車体の屋根は押してもびくともしません。「タンク」という愛称で呼ばれていました。この牧師はかつて宣教師として足立区での勤労青少年の伝道にあたっておられました。梅島、西新井、竹の塚、草加あたりが伝道の中心でした。

マディソンへの途中、テネシー州南東部にあるチャタヌガ(Chattanooga)という街を通りました。なぜか「チャタヌガ・チュー・チュー」(Chattanooga Choo Choo)というグレン・ミラー(Glenn Miller)の楽曲を思い出しました。”Choo Choo Train”とは、「汽車ぽっぽ」という意味です。その後ニール・セダカ(Neil Sedaka)も「恋の片道切符」(One Way Ticket)という曲で”Choo Choo Train”を歌っていました。この曲も流行りました。

インディアナ州(Indiana)の小さな街で車の調子が悪くなりました。トレーラーを引っ張るとエンジンに無理がかかります。とくにトランスミッションはそうです。修理屋にきくと部品は明日にしか来ないというのです。仕方なく修理屋に許可を得て工場の隣で野宿することにしました。

修理屋はガソリンスタンドを経営しています。幸い水をもらったり手洗いを使うことができました。夏の盛りでしたので、クーラーボックスからハムと野菜やチーズでサンドイッチを作って一夜を過ごしました。夜パトカーがやってきました。事情を話しましたが不安な一夜を過ごしました。2泊3日の初めての大陸横断のような旅でした。

旅は道連れ世は情け その1 「U-Haul」と「You haul」

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人生は旅に喩えられます。目的があるようでないような、行き先が定かで定かでないようなのが人生です。生きることとは、その目的や行き先を探す旅ということです。これから私の可笑しくも苦しかった旅の話を披露します。暫く旅にお付き合いのほどを。

U-Haul。ユーホールと発音するこの単語は、登録商標でもあります。移動が好きなアメリカ人にはU-Haulは馴染みのものです。引越の際は、貸しトラックか自家用車につける荷物運搬車(トレーラー)に家財道具を積んで目的地に向かいます。このトレーラーの代名詞がU-Haulです。Haulとは「引っ張る」という意味です。ですから、”You haul”をひっかけた造語であります。

U-Haulの大きさは様々です。今もU-Haulをとりつける連結器がついた中型のセダンを見かけます。田舎を走るピックアップトラックには必ずといってよいほどついています。U-Haulの事務所は小さな街にも必ずあります。このトレーラーを借りて自分で引っ越しするのです。そういえば専門の引越業者のようなものはアメリカには珍しいのです。

大型のU-Haulは自分で運転して家財を運びます。運転手が一人ですむという案配です。U-Haulをつけてバックするときは少し経験が必要です。駐車するとき、ハンドルを右に切るとU-Haullは左側に回ります。ハンドルとは逆にU-Haulは回るのです。慣れると面白いように操作できます。引越の途中はもちろんモーテルを利用します。移動や引越にU-Haulは切っても切り離せません。「お前が引っ張っていく」という考えがU-Haulの発展にみられます。これが俗語にある、”Do It Yourself Fan.”(自分でやれることは自分でする)にあたります。

「幸せとは」 その12 マルセリーノと汚れなき悪戯

「汚れなき悪戯」(Miracle of Marcelino)という映画は1955年にスペインで製作された作品である。スペイン語の題名は、「Marcelino Pan y Vino」で「マルセリーノのパンとワイン」となる。

この物語である。フランシスコ会修道院の門前に赤子が捨てられていた。修道士たちは里親を捜すのだが、結局見つからず自分たちで育てることになる。そして赤子をマルセリーノ(Marcelino)と名付ける。

マルセリーノは修道院でいろいろなことを学ぶ。修道院での学校生活である。保育係となったフランシスコ修道士(Father Francisco)は、マルセリーノに屋根裏部屋には決して入らないように言いつける。

好奇心の旺盛なマルセリーノは屋根裏部屋にこっそり忍び込のである。そこで大きな十字架のキリスト像と出会う。そしてキリストにパンを与える毎日が始まる。これが「汚れなき悪戯」として描かれる。やがて、みなしごマルセリーノはキリスト像に「天国の母に会いたい」と嘆願する。

像はマルセリーノが大きな肘掛け椅子をすすめると降りてきて座って少年と話し、また飲み食いするようになる。像は特にパンと葡萄酒を喜んだので、マルセリーノは毎日それらを盗む。それに気づいた修道士らは訝りながらも気付かぬふりをして彼を見張ることにした。

いつものようにパンと葡萄酒を持っていったマルセリーノに対し、像は「良い子だから願いをかなえよう」と申し出る。迷わずマルセリーノは「母に会いたい、そしてそのあとあなたの母にも会いたい」と言うのである。「今すぐにか」という問には「今すぐ」と答える。ドアの割れ目から覗くフランシスコ修道士の前で像は少年を膝に抱き眠らせた。

駆けつけた修道士たちは空の十字架を見、やがて像が十字架に戻るのを見て扉を開いた。マルセリーノは椅子の上で微笑みを浮かべて永遠の眠りに就いていた。
https://www.youtube.com/watch?v=bqKFXlg1h6s

クリスマス・アドベント その26 Intermission ネットワークとLearning Management System

学校の管理職は、それぞれの部門がどのように機能しているかを把握すること、適切な指示を出すことだ。教員は部門の目標にそって自分が行っていることを報告することが要求される。いわゆる「ほうれんそう」だが、これもグループウェアで実現できる。管理職には実に便利なツールだ。

2000年代になると大学でもグループウェアが頻繁に使われていく。学生と教員との意思の疎通、スケジュール管理、課題や試験の管理、成績管理などに使われるのである。映像、音声、教材コンテンツが遠隔でも利用されるようになった。

筆者も指導する大学院生、学部生との連絡に、そして授業科目のシラバス、受講生との連絡、授業予定、課題の指示と評価にグループウェアが必要だと考えた。

いくつかの汎用のグループウェアに刺激されて、オープンソースも登場する。こうしたソースは通常、Learning Management System, LMS と呼ばれて、いわゆるe-Learningを後押しすることになった。兵庫教育大学では始めてこれを利用した。アメリカとカナダで開発された大学用のグループウェアを購入して使い始めた。院生らとでそのグループウェアの開発会社が主催した集会にも参加し、大学におけるLMSの事例をつぶさに観察した。

LMSの活用はアメリカの大学や教育委員会、そして現場の学校視察から得た知見が役立った。

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クリスマス・アドベント その25 Intermission ネットワークが学校に

米国での話。中位以上の市には教育情報センターがある。教員の研修や講習会、ネットワークの管理や維持、教材開発、他機関や企業からのサンプル教材や教育情報の調査などが主たる業務のようである。学校での利用にふさわしいとあれば、それをリソースセンター(図書館)を通して学校へ提供する。ネットワークが張られるからできることだ。

1980年代後半になると、どの教室にも端末が置かれる。教師も教育委員会からメールアドレスをもらうようになる。こうして教師は、自分の教室で教育委員会や学校長からの連絡はで直接読むことになる。毎日のメールや連絡事項、スケジュールをいやがおうでも読まなければならない時代がやってきたのである。こうしてネットワークにつながるコンピュータが登場すると学校内の連絡網は一変する。

学校の規模が大きくなると、全員が集まって意思の疎通をはかることが困難になる。組織が部門毎に小単位で動くようになる。部門や個人を結びつけ、それぞれがなにを行っているかを把握する仕掛けがグループウェアだ。

校長からの連絡などは、各自のコンピュータ上に流れてくる。教職員のスケジュールを管理する機能も使われる。誰がどこへいつ出張するのか、どのような会議が予定されているのかがわかる。設備備品の貸し出しなどの予約、会議室の予約状況を管理できる。こうした機能は学校全体のスケジュールに連動することが多い。また、会議に参加するメンバーを指定し、必要な書類を登録しておいて各自がそれを持参する仕組みもできる。議事録を保存し欠席した者が過去の会議記録を参照することができる。参照するか否かはわからないが、、、

文書などもいちいちコピーして配るのではなく、各自が画面で確認したりプリントできるなど、校務の効率化を計ることができるようになる。グループウェアは、皆がきちんと毎日目を通したり、書き込みをすることでその役割と機能が増加する。使うことを怠ると組織にも個人にも被害が及ぶ。「知ななかった」とか「連絡を受けていなかった」という言い訳はできなくなる。

やがて個別の指導計画(IEP)作成や指導に関する情報もネットワークで管理されるようになる。

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クリスマス・アドベント その24 Intermission ITと電子黒板

12月21日の産経の記事には驚く。インターネットをはじめ情報通信技術(IT)の開発や普及が進む中、教育現場でもIT活用が広まっているというのである。国は2020年までに、学校に1人1台のタブレット端末の整備を目指しているそうである。それに呼応するかのように、教科書会社などでもさまざまデジタル教材を開発しているときく。

こんな記事を読むと、まるで1990年代に戻ったかのような錯覚にとらわれる。教師側の習熟不足で“宝の持ち腐れ”になるなどの課題が懸念されている。さらに生徒が自分のタブレットを落としたり紛失しやしないか、他のタブレットにアクセスしてデータを書き換えたりしないか、ゲームに夢中になりすぎやしないかという心配である。

コンピュータが学校に導入された頃の話である。ある業者が「学校というところは実に甘い汁を吸えるところだ」といっていた。どうしてかというと、「一旦学校に納入した機器はメインテナンスフリーだ」というのである。機器は使われないので故障もなく、やがて3、4年で機器の更新がやってきてまたいい思いをする、というのである。その例が教室にある電子黒板である。

会計検査院は今年10月、国の補助金で学校に配備された電子黒板のうち、多くが活用されていないとして、文科省に是正を求める意見を求めたそうである。2009年度の補助金で学校に配備した7,838台の電子黒板の活用状況を調査したところ、半数以上の4,215台は毎月の平均利用率が10%未満であるというのである。そのうち1,732台はDVD教材を流すだけなど、電子黒板特有の機能が生かされていなかった。

活用していない理由を教師に聞いたところ、▽「操作方法が難解」17.4%▽「活用のイメージが持てない」12.7%▽「研修などが不足」12.5%など、教師側の習熟不足にかかわる理由が4割以上を占めたという。これは、教師の研修が盛んに叫ばれた1990年代に聞いた話ではないか。

現在、次の学習指導要領の主役として「アクティブ・ラーニング」が取り沙汰されている。「能動的学習」と訳されているようだ。わざわざこのように呼ばなくても「自主的学習」でいいと思うのだが。文科省では「課題の発見と解決に向けて主体的・協働的に学ぶ学習」ということらしい。「能動的学習」は観察や実験を通じて現象を確認し、「自分の考えを図に整理し、それを教師がタブレットPCで撮影し、いくつかの案を電子黒板に映して共有、学級全体の考えを分類し自分の考えと比較する」というのだ。新しいことといえば「タブレットPCで撮影し」くらい。「総合的な学習の時間」は舞台から去るのだろう。

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クリスマス・アドベント その23 Intermission ITとOSの悩み

医療界から教育界に目を向けて情報通信技術:ITの活用を考える。1987年にハイパーカード(HyperCard)という商用アプリケーションが爆発的に市場にでまわり、それが学校にも浸透し始めた。Machintosh上でカードを用い、カードとカードをつなぐリンクとしてはボタンを用いる。カードの上にはボタンの他にテキストや画像を配置することができた。プログラムを記述するにはHyperTalkと呼ばれる言語を用いる。「デスクトップ」、「メニュー」、「ボタン」、「アイコン」などを使うので、操作性に優れ、直感的な操作が可能となった。こうした環境はGUI(グラフィカルユーザインタフェース)と呼ばれた。

HyperCardでは、プログラムを直接記述しなくても教材を作ることができた。こうして、HyperCardはマルチメディアオーサリングツールといわれた。教師も親も簡単な教材が作れたのでHyperCardは一大文化のようなものを形成した。現在のKeynoteやPowerPointを見ていると、27年前に登場したHyperCard以来、進歩してきたとはさぼど思われない。

次から次へと新しいOSが登場し、そのたびにこれまで作成してきた教材が動作するのかはいつも話題となった。懸念したとおりHyperCardで作った教材はOSの変化ですっかりお蔵入りとなっている。IT時代とはいえ、OSとアプリケーションの互換性、そして機器の性能にはいつも悩ませられる。

初等中等教育は特にITの影響を受けやすい。上手に使えることができれば教育効果も高いはずである。だが、絶えず新しいITを追いかける習性があるのか、あるいは教師のIT活用技術が低いせいか、IT機器や教材は使われずじまいとなる傾向がある。
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クリスマス・アドベント その22 Intermission ガン研究とガン治療

以前、このブログで書いたことの続きと回想である。四半世紀以上も前、沖縄へ旅していたとき家内の胸部にしこりが見つかった。急ぎマディソンに戻り、ウィスコンシン大学病院へ入院し診断の数日後手術を受けた。

主治医のDr. George Bryan教授から手術の経過を聞くと、胸の周りにある12のリンパ腺に既にガン細胞が広がっていて全て除去したとのことだった。手術の経過を二人できいた。説明によれば最悪のガンの一つで、術後一年内に死亡するのは50%だという。この数字は全米の大学病院や総合病院をつなぐネットワーク上のデータベースによってわかるというのである。ガンの種類、人種、年齢、治療法などを組み合わせることによって、患者の生存率がわかるということだった。

化学療法(chemotherapy)による抗ガン剤にはたくさんの種類があり、それを組み合わせて治療すること、投与後の患者の様態をみながら薬の配合を変えるなどとのことだった。これを多剤併用療法という。こうした多剤併用による治療の効果は、ネットワーク上のデータベースによってわかるのだという。

一つのエピソードだが、Bryan教授は私が苦学生であることを知っていたので、高い入院や治療費のことを心配してくれ、自分が受ける報酬を返上してくださった。幸い私は家族の保険に入っていたので、診断から治療まで保険でカバーされた。一セントも払わなかった。

ガン研究とガン治療もネットワークのデータベースによって後押しされていることを実感した。33年も前のことである。

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クリスマス・アドベント その21 ”Ave Maria”

教会暦では降誕祭ともいわれるクリスマスは1月6日まで続く。ケーキやサンタクロースで浮かれたクリスマスは店じまいとなり、しめ縄飾りに切り替えるのはどうも節操がないような気がする。

筆者はどんな音楽にもこだわりなく楽しめる性分である。残念ながらというか仕方がないというか、どのような教会の所属するかによって、演奏したり歌ったりする音楽とそうでない音楽がある。カトリック教会から訣別したゆえに、ルーテル教会には決して演奏することのない音楽というか曲がある。「アヴェ・マリア」(ラテン語でAve Maria)という曲がそうだ。カトリック教会もマルチン・ルターが作曲した賛美歌「神はわが櫓」を歌うことはない。

これまでアヴェ・マリアはいろいろな作曲家が作ってきた。カトリック教会ではイエスの母、マリアを聖母として崇めている。アヴェ・マリアはマリアへの祈祷を指す。直訳すると受胎告知されたマリアに対して「恵まれた女よ、おめでとう」と呼びかける言葉である。ルカによる福音書(Gospel of Luke)1章26-38節の記述にある。

グレゴリオ聖歌などのミサ曲にも登場する。その他、祈祷のための教会音楽や祈祷文を歌詞にしたものなどさまざまな楽曲が存在する。16世紀スペインの作曲家トマス・ルイス・デ・ビクトリア(Tomas Luis de Victoria)やジョヴァンニ・パレストリーナ(Giovanni Pierluigi da Palestrina)、19世紀フランスの作曲家グノー(Charles Gounod)、同じく19世紀イタリアのロッシーニ(Gioachino Rossini)など多くの作曲家がアヴェ・マリアを残している。
https://www.youtube.com/watch?v=zDGMJsVzWNg

シューベルト(Franz P. Schubert)の晩年の歌曲「エレンの歌第3番」がアヴェ・マリアとして知られている。この曲はもともと宗教曲ではなかった。だが誰かがこの旋律にアヴェ・マリアの歌詞を付けて曲にしたとされる。このようにラテン語による典礼文を載せて歌うことは現代でもしばしばある。前述のグノーがバッハの「平均律クラヴィーア(Clavier)曲集 第1巻」の「前奏曲 第1番」の旋律にアヴェ・マリアをつけて完成させた声楽曲もそうだ。読者も必ずどこかで聴いたことがあるはずである。なおクラヴィーアとはオルガンを含む鍵盤を有する弦楽器のことである。
https://www.youtube.com/watch?v=mz7-6hC4tUs

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クリスマス・アドベント その20 ”The First Noel”

今日は12月25日。降臨節(Advent)の4週間目、礼拝堂では日曜日の礼拝毎にローソクが1本ずつ増え4本目に点火される。

ChristmasのMasはもともとはMassであり、礼拝とかミサを表す。従ってChristmasは「キリストの礼拝」となる。古事によるとChristmasは、元々12世紀頃の古英語ではCristesmassと綴られていたそうである。

ベブル語(Hebrew)の聖書にはMessiah(メシア、またはメサイア)が登場する。Messiahとは王様とか聖職者を意味する。王様はやがてキリストがMessiah=救世主として崇められるようになる。Messiahは特別に油や香料をそそがれたもの(anointed)、それが「救いをもたらす者」となった。

Christmasは別名、ラテン語(Latin)から派生した誕生(Christ Natalis)ともいわれる。スカンディナビア半島では11世紀頃からChristmasの祝いが始まったとされている。その誕生祝いのことを「Old Norse Jol」と呼んでいた。Scandinavian Peopleという意味だそうである。

時代がくだり、14世紀になると古いフランス語でノエル(Noël、英語ではNoel、または Nael)がChristmasとして使われる。Noelとはもともとは誕生という意味である。18世紀になるとこれが「The First Noel」という讃美歌に登場し世界中で親しまれるようになる。

The first Noel, the angels say
To Bethlehem’s shepherds as they lay.
At midnight watch, when keeping sheep,
The winter wild, the light snow deep.
Noel, Noel, Noel, Noel
Born is the King of Israel. (American version)
https://www.youtube.com/watch?v=ANUV9vD1zg8

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クリスマス・アドベント その19 ”Ave Verum Corpus”

”Ave Verum Corpus”は、アヴェ・ベルム・コルプスという題名がつく。モーツアルト(Wolfgangus Amadeus Mozart)から オーストリアの都市バーデン(Baden)教区教会のオルガニストで聖歌隊指揮者であったマートン・シュトル(Marton Schutol)への贈り物といわれる。シュトルはモーツアルトの崇拝者で、彼の曲を聖歌隊ではしばしば歌っていたといわれる。カトリック教会で用いられる聖体賛美歌といわれるが、

この曲はモテット(Mottetto)といわれる楽曲で、中世からルネッサンスにかけて成立したミサ曲以外の世俗的なポリフォニー(polyphony)といわれる多声部の宗教曲である。モテットとカンタータ(Cantata)の違いだが、モテットは短い曲で器楽が独奏する部分がなく、絶えず伴奏として演奏される。他方カンタータは主題にそって長い演奏が続き、独立した器楽の声部が合唱や朗唱に混じって随所に登場する。

”Ave Verum Corpus”とは「めでたし、乙女マリアより生まれ給いしまことの御身体」という意味である。最初はニ長調で始まり、途中でへ長調、そしてニ短調へと変わり、最後はニ長調へと転調される。たった四行のラテン語の歌詞、しかも46小節という短い曲ではあるが、その旋律は信仰が純化されるような味わいの響きを持つ。

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クリスマス・アドベント その18 ”The Twelve Days of Christmas”

この曲のタイトルにある12日間とはクリスマスの12月25日から1月6日までの降誕節のことである。この6日は顕現祭(Epiphany)と呼ばれ、イエス・キリストが神性を人々の前で表したことを記念するキリスト教の祭日を指す。ルーテル教会でも、伝統的にこの日が祝われてきた。すでに取り上げてきたバッハのクリスマス・オラトリオ(Christ Oratorio)の第6部が、この日の讃美の音楽である。

“The Twelve Days of Christmas”は、ヨーロッパに16世紀頃から伝わるクリスマス・キャロルの一つである。1780年にイングランドで作られた詩がもととなり、やがて1909年に民謡であった旋律にイギリスの作曲家フレデリック・オースチン(Frederic Austin)が編曲した。曲の特徴としては、12番までの歌詞が付けられた一種の童謡歌であことだ。一定の韻律をもった2行以上からなる詩の単位(stanza)が歌い上げられ、それと共に1番ごとに累積的な歌詞(cumulative song)となって長くなる。

Cumulative songsはグループで歌うときが多い。韻律によってstanzaは決まっており、歌詞も覚えやすいので子供たちが好んで歌う。

12番のうちの1番、2番、3番だけの歌詞(Lyrics)を紹介しておく。歌詞の最後の部分は、贈り物として捧げる品が増えていくことがわかる。歌詞でいう12日の最初は日は12月25日である。そして1月5日の夜をもって待降節–アドベントクリスマスは終わりとなる。

▼1番 On the first day of Christmas, my true love sent to me
A partridge in a pear tree.

▼2番 On the second day of Christmas my true love sent to me
Two turtle doves and a partridge in a pear tree.

▼3番 On the third day of Christmas, my true love sent to me
Three french hens, two turtle doves and a partridge in a pear tree.

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クリスマス・アドベント その17 Intermission 医療とデータベース

IT時代になって久しいといわれる。近年のスマートフォンやタブレット端末の普及は子供からお年寄りに及ぶ。電車やバスに乗っていても、歩いていても、はては自転車に乗りながらも画面を見ている。歩行者にも本人にも誠に危うく、はた迷惑で虫酸がでる気分である。

会社から家庭へ、そして個人に行き届いたITであるが、いまだにガラパゴスのような状態は教育や福祉、医療の世界に取り残されたように展開している。筆者もITと教育に関してはかつて苦い思いをしたことがある。

最近、医療機関の間で患者のデータがクラウド化されようと動き始めているようである。過去の病歴、アレルギーの有無、検査結果、診断、手術内容、CTやMRI画像、服用する薬剤などがネットワークを介して医師の手元に届くといった動きである。患者が別の病院に行っても、過去のデータによって診断が正確になり検査や薬の重複もなくなる。結果として検査や治療の時間が短縮され、医療費の軽減につながる。厚生省もクラウド化を推奨している。

毎年同じ病院で定期検査を受けるたびに、また別な病院でも問診票に記入させられるのは砂をかむような気分である。「ゆりかごから墓場まで」というフレーズは一人一人の健康や病気の情報が継承され活用されることを指すのではないか。ITとはこのフレーズを実現してくれるものだと思うのである。ITを使った情報の活用によって、現在のような病院や福祉機関ごとの閉じた医療福祉サービスを繋いで欲しいものだ。

クリスマス・アドベント その16 グレゴリオ聖歌(Gregorian Chants)

グレゴリオ聖歌は、主に9世紀から10世紀にかけて、西ヨーロッパから東ヨーロッパで発展し、受け継がれてきた宗教音楽である。ローマ教皇グレゴリウス1世(Gregorius I)が編さんしたことからグレゴリオ聖歌といわれる。

もともと西方教会における単旋律聖歌(plain chants)を軸とする無伴奏の宗教音楽である。聖歌は伝統的には男声に限られ、元来はミサや聖書日課の祈りにおいては、
僧侶など聖職者によって歌われていた。

歴史的には修道会では修道僧や修道女によってグレゴリオ聖歌は唱えられてきた。ローマカトリック教会の公式な聖歌として、典礼(litergy)に基づくミサや会堂(カテドラル)の中で録画されたグレゴリオ聖歌がよく知られている。

聖歌は通常、斉唱(unison)で歌われたが、やがて聖歌に歌詞や音を追加したり即興的にオクターブである8度音程、5度、4度、3度の和声を重ねる技法が使われるようになった。メロディの中心は朗誦音(リサイティング・トーン: reciting tone)と呼ばれる。

通常、ミサでは次の6つの聖歌が歌われる。キリエ(Kyrie)、グロリア(Gloria)、クレド(Credo)、サンクトゥス(Sanctus)、ベネディクトゥス(Benedictus)、およびアニュス・デイ(Agnus Dei)はどのミサでも同じテキストを使用する。

キリエ(憐れみの賛歌)は「キリエ・エレイソン」(主よ、憐れみたまえ)の三唱、「クリステ・エレイソン」(キリストよ、憐れみたまえ)の三唱、再度「キリエ・エレイソン」の三唱からなる。グロリア(栄光の賛歌)は大栄頌を唱えるもので、クレド(信条告白)はニケア信条(Nicene Creed)を唱える。これらの典礼文は長い。そのため聖歌では歌詞の切れ目に対応した構造をもっている。

サンクトゥス(聖なるかな)とアニュス・デイ(神の子羊)は、キリエと同様、典礼文に繰り返しが多く、音楽的にも繰り返し構造をとるものとなっている。
https://www.youtube.com/watch?v=Lljfmr8pHpE

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クリスマス・アドベント その15 ”O come, O come, Emmanuel”

紀元前586年頃、古代イスラエルの民にバビロン(Babylon)幽囚が始やってくる。首都エルサレム(Jerusalem)がネブカドネザル(Nebuchadnezzar)によって占領されたためである。バビロンはメソポタミア(Mesopotamia)地方の古代都市であった。やがて故国に帰れるというユダヤ人の希望は幻となり、50年に渡ってバビロニアに居住する苦しみを強いられた。それゆえに「救い主(メサイア)Messiah」待望の信仰が生まれた。旧約聖書のイザヤ書第7章14節には次のような預言がある。

“見よ、おとめがみごもって男の子を産み、その名はインマヌエルと呼ぶ。”
Behold, the virgin shall conceive and bear a son, and shall call his name Immanuel.
Immanuelとは「主がともにいる」という意味である。”bear a son” は”give birth to a son”ともいえる。

この讃美歌は、「久しく待ちにし主よとく来たりて」として訳されている。元々8世紀のラテン語聖歌である。7つの詩から成っていた。夕礼拝や祈り会のときに交互に歌うしきたりであった。その後13世紀になると5つの詩が加えられた。1851年に讃美歌の作詞者であるジョン・ニール(John M. Neale)がラテン語歌詞を英訳した。

捕囚の中に光を求める讃美歌であり、救い主を待ち望む歌でもある。このように原曲が中世のグレゴリオ聖歌(Gregorian chant)であるためか、旋律も和声も静かで厳かな雰囲気を醸し出している。単旋律でも、編曲されて合唱としても歌われている。
https://www.youtube.com/watch?v=7xtpJ4Q_Q-4

O come, O come, Emmanuel
And ransom captive Israel
That mourns in lonely exile here
Until the Son of God appear
Rejoice! Rejoice! Emmanuel
Shall come to thee, O Israel.

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アドベント・クリスマス その14 ”Lo, How a Rose E’er Blooming”

日本語題名は「エッサイの根より」と付けられている賛美歌である。古くからカトリック教会で歌われた。詩も曲も15世紀頃からドイツのライン(Rhine)地方に伝わるキャロルがもとになっている。もともとは、23節から成るマリア賛歌であった。 待降節の期間に歌われる。

古代イスラエル(Ancient Israel)王国第2代王ダビデ(David)の父がエッサイ(Jesse)とわれる。その出典箇所は有名な預言書イザヤ書である。この11章1節には、「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ」とある。ユダ族のダビデの子孫からキリストが出ることを教えている。そのことはマタイによる福音書(Gospel of Matthew)の冒頭には「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図」が書かれてある。キリストの系図がダビデを通じエッサイに由来することを語っている。

時代は下り19世紀以降、プロテスタントの歌集に収録されるようになった。二番目の歌詞ではマリヤから幼児イエスが生まれることに置き換えられている。ドイツから英米にも伝わり世界的なアドベントの歌になった。

歌詞の冒頭にある”Lo”は古英語で「見よ」といった驚きを表す単語である。”Behold”という単語にあたる。
———————————————-
エッサイの根より 生いいでたる、
預言によりて 伝えられし
薔薇は咲きぬ。
静かに寒き 冬の夜に。

Lo, how a Rose e’er blooming from tender stem hath sprung!
Of Jesse’s lineage coming, as men of old have sung.
It came, a floweret bright, amid the cold of winter,
When half spent was the night.

Isaiah ‘twas foretold it, the Rose I have in mind;
Mary we behold it, the Virgin Mother kind.
To show God’s love aright, she bore to us a Savior,
When half spent was the night.

アドベント・クリスマス その13 ”O Tannenbaum”

アドベントリース(Advent wreath)には樅の木の枝が使われることを既に述べてきた。樅の木は冬のさなかでも緑色を保つマツ科。それ故”Christmas Tree”とも呼ばれる。だが樅の木はドイツ語での響きがもっとよいような心持ちがする。”Tannenbaum”がそうである。

クリスマス・キャロルの一つで世界中で歌われる曲にO Tannenbaumがある。現在の歌詞はライプチッヒ(Leipzig)のオルガン奏者で教師、そして作曲家であったアーネスト・アンシュッツ(Ernest Anschutz)が1824年に付けたといわれる。

この歌詞をみると曲は必ずしも来る済ますや飾りがつけられたクリスマスの木のことを歌っているのではないことがわかる。だがマツ科の常緑樹は不偏さとか信仰ということのシンボルと謂われている。

アンシュッツが書き下ろした歌詞は16世紀のシレジア(Silesian)民謡からの哀しい恋の曲が元となっている。シレジアとは今のドイツ、ポーランド、チェコのあたりを指す地域である。メルクワイア・フランク(Melchoir Frank)という人が歌った”Ach Tannenbaum”という曲に依拠している。ヤヒム・ザーナック(Joachim Zarnack)が1819年に、信仰心に欠けた恋人と信仰に溢れるような常緑樹と対比させた。

19世紀になると待降節にはクリスマスの木が飾られるようになる。そしてクリスマス・キャロルも作曲され歌われていく。アンシュッツの歌詞にある”treu”とは信仰深いという意味である。歌詞の二番目は “treu” が “grun”(緑)となっている。20世紀になってこの歌がクリスマス・キャロルとして歌われるとともに変わっていったようである。

O Tannenbaum, o Tannenbaum,
wie treu sind deine Bl?tter!
Du gr?nst nicht nur
zur Sommerzeit,
Nein auch im Winter, wenn es schneit.
O Tannenbaum, o Tannenbaum,
wie treu sind deine Bl?tter!
https://www.youtube.com/watch?v=IrFqDzPPGE8

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クリスマス・アドベント その12 ”O Holy Night”

作曲者はアドルフ・アダン(Adolphe C. Adam)というフランス人である。1800年の中盤に活躍し多くの曲を作ったといわれる。中でもこの”O Holy Night” (Cantique de Noel–クリスマス賛歌)というクリスマス・キャロルは特に知られている。当時、この曲はラジオで放送され広く人々に口ずさまれるようになったという。アダンはバレー音楽(ballet)であるジゼル(Giselle)をはじめ39ものオペラも作曲した。

“O Holy Night”であるが、作曲は1847年。フランス南部の街、Roquemaureにある教会のオルガンが修復され、その祝いとして教区の司祭が詩人プラシド・カポー(Placide Cappeau)にクリスマスの詩を依頼した。カポーは”Midnight, Christians”という題を付け、それにアダンが旋律をつけたのである。

その後、”O Holy Night”はソプラノやテノールで歌われることが多くなった。それは当時、ユニテリアン教会の牧師であったジョン・ドワイト(John S. Dwight)がカポーの原詩”Cantique de Noel”をもとにして、フランス語と英語でイエスの誕生と救いについて親しみのある歌詞をつけたからだといわれる。

曲は静かな音程で始まり、やがて次第に興奮が高まるような音階となり、最後は極めて高い音階で歌われ誕生劇が”聖なる夜かな”という歌詞と共に最高潮に達する。荘厳な曲でもある。”Divine”とは厳粛な、厳かな、神々しい、という意味で使われる。

この曲は多くの人気歌手によって歌われている。例えばマライア・キャリ(Mariah Carey)、ビング・クロスビ(Bing Crosby)、ホットニ・ヒューストン(Whitney Houston)、マハリア・ジャクソン(Mahalia Jackson)である。

O holy night! The stars are brightly shining,
It is the night of our dear Saviour’s birth.
Long lay the world in sin and error pining,
‘Til He appear’d and the soul felt its worth.
A thrill of hope the weary world rejoices,
For yonder breaks a new and glorious morn.
Fall on your knees! O hear the angel voices!
O night divine, O night when Christ was born;
O night divine, O night, O night Divine.

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クリススマス・アドベント その11  “Little Drummer Boy”

「誕生」はすべての人にとって喜ばしい時。老いも若きもその時を祝う。数あるクリスマスの歌には古く伝統的なものから現代的(contempolary)なものまでいろいろとある。今回、紹介するのは一人の少年が太鼓を叩きながら、イエスの誕生の喜びに加わるという曲である。「The Little Drummer Boy」という。別名は「Carol of the Drum」。

作曲したのはキャサリン・デーヴィス(Katherine Davis)。作曲家であり教師であった。作られたのは1941年。曲の由来はチェコスロバキア(Czechoslovakia)に伝わる古い民謡である。1950年代、この曲を収録したレコードはアメリカで大ヒットしたそうだ。歌詞の内容は次のようなものだ。

”さあ行こう。一人の王様が生まれたぞ”と大人が僕に声をかけた。
”大切な贈り物をこの王様のところに届けよう。”

だが、僕はお金がないので、なにも持っていくものがない。

”マリアさん、お祝いとしてこの太鼓を叩いていいですか。”

マリアさんは優しく頷いてくださった。牛や羊はじっとしていた。
僕は一生懸命、赤ちゃんのために太鼓を叩いた。
タタタッタ、タタタッタ、、、、
赤ちゃんは僕と太鼓に微笑んでくれた。

Little Drummer Boy

Come they told me pa ra pa pam pam
a newborn King to see pa ra” pa pam pam
Our finest gifts we bring pa ra pa pam pam
to lay before the King pa ra pa pam pam
Ra pa pam pam ra pa pam pam
So to honor him pa ra pa pam pam when we come
Little baby pa ra pa pam pam
I am a poor boy too pa ra pa pam pam
I have no gift to bring pa ra pa pam pam
that’s fit to give our King pa ra pa pam pam
Ra pa pam pam ra pa pam pam
Shall I play for you pa ra pa pam pam on my drum
Marry nodded pa ra pa pam pam
the ox and lamb kept time pa ra pa pam pam
I played my drum for him pa ra pa pam pam
I played my best for him ra pa pam pam
Then he smiled at me pa ra pa pam pam me and my drum

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