Big History その3 上下両院議会での演説

アメリカ上下両院議会における安倍首相の演説草稿を読んだ。すこぶる感心する内容と文章であった。もちろん専門のスピーチライターが素稿を書いたことがありあり伺える。わかりやすく清々しさを感じた。もし首相自らがこの草稿を書きあげたとすれば、雄弁な宰相の一人として名を残すのが、、そして英文の読み方が中学生みたいで演説が色あせたのが惜しまれる。間の取り方、文章の区切り方が全くなっていない。それはそれで仕方ないとしておこう。

Big Historyが今は話題であるが、この演説には従来の歴史とBig Historyの違いのようなことが表れていて興味深いものがある。何故、この演説草稿が格調高いものであったかにはいくつかの理由がある。その最たるものは、アメリカ人受けする表現が散らばっていることである。

アメリカ人がヤンヤの拍手をおくる第一は、ユーモアとエスプリがきいていることである。演説の冒頭で、議事進行を妨げる長時間演説(filibuster)、フィリバスタという表現を使い、「自分はフィリバスタをするつもりはない」といって場内を笑わせるのである。法案を時間切れにするとき使うのがフィリバスタである。議場内の議員は、まさか長時間の演説にならないだろうと安堵したに違いない。

第二はアメリカ人を心地よくゆさぶる表現を使っていることである。とりわけ議員の琴線に触れる内容が出てくる。それは駐日大使として活躍した元議員の名前を挙げる。マイク・マンスフィールド(Mike Mansfield)、ウォルター・モンデール(Walter Mondale)、トマス・フォーリ(Thomas Foley)、ハワード・ベイカー(Howard Baker)などである。いずれも議会の中枢で活躍した者ばかりである。そして現駐日大使のキャロライン・ケネディ(Caroline Kennedy)の名前を挙げるのも忘れない。

第三はアメリカンヒーロー(American Hero)と呼ばれる者を引用することでアメリカ人の心を揺さぶろうとする。先の大戦の激戦地であった硫黄島で戦ったローレンス・スノーデン(Lawrence Snowden)海兵隊中将を引用する。この中将は議会に招待されて演説をきいていた。彼は日米合同の慰霊式典で平和の尊さを語ったことを安倍首相は引用する。

第四は市井のアメリカ人について引用する。学生時代、首相はカリフォルニア州でいたときある寡婦の家で生活していた。その婦人が亡くした夫のことを「ゲーリー・クーパー(Gary Cooper)よりも男前だった」と語っていたことを紹介する。こうした修辞はアメリカ人に受けるのである。この普通の人とヒーローとの対照は素晴らしい。共鳴し感動する微妙な心情をくすぐるスピーチライターの博識と修辞のセンスを感じる。

View of the Washington DC Capitol building, unique full view of the building and lawn in front of it

View of the Washington DC Capitol building, unique full view of the building and lawn in front of it

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Big History その2 これまでの歴史の認識の方法

このところオーストラリアだけでなくアメリカでもビッグ・ヒストリ(Big History)が注目されている。ビル・ゲイツ(Bill Gates)が高校生用の学習プロジェクトを後押しし、広くインターネット上で歴史を学ぶ機会を提供している。それはそれでよいのだが、、、https://www.bighistoryproject.com/home
TED(Technology Entertainment Design)という様々な分野の人物が講演するサイトでも取り上げられていっそう世間の耳目を集めている。こちらは分かりやすい。
http://www.ted.com/talks/david_christian_big_history?language=ja

Big Historyとはなにか、であるが定義は筆者の能力を越える。だがどうも従来の歴史の考え方やアプローチとは違った角度からとらえる必要がありそうである。Big Historyでは、ビッグバン以来、今日に至る長いスパンの人類の歴史を研究する分野である。科学から人類に至る多くの学際分野を総合し、人類の存在を究明する学問といわれる。宇宙、地球、生命、そして人間を原因と結果に焦点をあてて経験的な証拠に基づいて究明するのである。

Big Historyは高校で教えられ始めている。それも主としてインターネットのWeb上で双方的に学習できる分野となっている。Big Historyを提唱したのは、オーストラリアのマクワリ大学(Macquarie University) のデビッド・クリスチャン教授(David Christian)である。彼が提唱するのは、様々な分野の学者がこれまでにない共同作業によって歴史を作り上げるというものだ。

従来の歴史の手法は、農業や文明の発祥に遡る。記録に残されたものを調べ上げる。そこから共通するテーマやパタンを取り出そうとして人類の歴史は解明される。そこにはかつての王国とか文明が登場する。他方、Big Historyは様々な時間軸を駆使してビッグバン(Big Bang)から現在に至る歴史を解明しようとする。ビッグバンとは、「宇宙には始まりがあって、爆発のように膨張して現在のようになった」とする仮説である。Big Historyの研究手法を理解するには、これまでの歴史の見方を変える必要がありそうだ。

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Big History その1 王仁博士と歴史

筆者は、「歴史研究では、対象とすることは反復が不可能である」という前提に興味を抱いている。反復可能な一般的法則を追求する自然科学とは対極をなしている。しかし、新しい研究では歴史はより複雑で宇宙や生命にいたるものであることが提唱されている。これではなおさら歴史とは、を考えなければならなくなる。

1962年にエドワード・カー(Edward H. Carr)が書いた「歴史とは何か(What is History?)」が注目された。歴史の記述の中には著者による歴史観や経験にもとづいた「主観性」が入り込んでおり、むしろ時代背景などを理解することの重要性を指摘している。また、歴史小説家の陳舜臣は、「歴史は勝者によって書かれることが多く、勝者に有利な記述が行われる傾向にある。敗者の歴史記述や秘匿された文書の方が比較的信頼に足る」と言及している。なかなか興味深い指摘である。

最近、韓国は大邱市から友人が八王子にやってきた。彼は長年大邱教育大学校で歴史を研究して定年退職された。埼玉県日高市にある高麗神社や聖天院などにお連れした。聖天院は高句麗から渡来した高麗王若光の菩提寺である。在日韓民族無縁仏の慰霊塔がある。慰霊塔が建つ広場の周囲には、広開土王、太宗武烈王、王仁博士、申師任堂などの石像が配してある。いずれも韓国人の自尊心を高揚した偉人たちである。

それについてだが、ソウル市内にパゴダ公園を思い起こす。3.1.独立運動の発祥地である。そこに八角亭が建っている。聖天院の慰霊塔のそばには、韓国の建材を使用し同胞によって施工された八角亭が建てられている。友人は、日本の、それも埼玉の田舎にこのような建造物と施設があることにたいそう驚くとともに、日本人の懐の深さを感じると述懐していた。

韓民族無縁仏の慰霊塔の側には王仁博士の石像がたっている。百済から日本に渡来し、千字文と論語を伝えたとされるのが王仁である。王仁の姓である「王」は、姓からみて高句麗に滅ぼされた楽浪郡の漢人の王氏系の学者ではないか、韓国では民族史観によって「王仁は日本に進んだ文化を伝えた」といわれていると友人が説明してくれた。漢字と論語を伝えた王仁のことは、もっとわが国で知られてもよいのではないか。

この友人はアメリカ史を研究する歴史学者である。高麗神社や聖天院を案内しているときに、「Big History」–巨大歴史という概念を語ってくれた。そのことを紹介するのがこれからのブログである。
IMG_0417 聖天院
IMG_0413  高麗神社

どうも気になる その23 教員免許が国家資格になるのか

政権与党というのは、ときに面妖なことを考えるものだ。そこには驕りに似た姿勢が伺える。文教政策にもそのことがあらわれている。「教員制度改革」を検討しているのが教育再生実行本部。ここでは今、学校の教員免許の「国家資格化」を提言する方針を固めたようである。

その提言とは、大学における教員養成課程を履修した後に国家試験を科し、一定の研修期間を経て免許を取得する内容といわれる。なんとなく医師免許の取得過程を思わせる。一体その意図はなにかというと、教員の資質向上を図るのが狙いのようである。教員の資質や力量が不十分だということらしい。大学の教員養成課程は、設置基準を満たすかどうかが国によって審査されて認定される。さらに修了生に国家資格を与えるという仕組みはどう見ても屋上屋を架すようなものだ。

復習だが、現行制度では教員免許は大学で教員養成課程を修了すれば卒業時に大学が所在する都道府県教育委員会から教員免許が与えられる。そして都道府県や政令都市の教育委員会が実施する採用試験に合格すればその自治体の学校で勤務する。採用試験は教職教養や論文試験のほか、面接、集団討論そして模模擬授業が科せられる。教員採用試験に合格し、採用候補者名簿に登載された者から正規職員になる教諭と年度ごとに雇用契約を結ぶ常勤講師から構成される。このように教師になるには結構、茨の道なのである。

教員の資質や力量に問題があるのかということだが、少子化に伴う学校の統廃合も進んでいるなかで、正規教諭の採用数を抑え、その分を常勤や非常勤講師を恒常的に任用することで人員を補う傾向にある。資質の課題はこうした講師が増加することや専門分野を深める修士課程を経ない教員が多いのが問題なのである。

さらに教員採用試験の問題は文科省と都道府県教委などが共同で作る共通化を教育再生実行会議が提言する方針だともいわれる。教員免許を国家資格にするという意図は不可解なことといわなければならない。

提言で注目すべきことは、スクールソーシャルワーカーとスクールカウンセラーを「基幹職員」として学校に常駐させること方針であることだ。多様な授業方法の習得やいじめ、不登校などの課題への対応が求められる中、教員の資質向上と学校のサポート体制を構築するのが狙いである。

教員免許を国家資格とするよりも、ソーシャルワーカとスクールカウンセラを正規職員として常駐させるほうが学校の文化が向上することは間違いない。教員だけの単一集団では発展が期待できない。専門性に溢れる多様な教職員集団ができることは望ましい。中央教育審議会はこうした制度の導入でどのような判断を下すかが注目される。

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どうも気になる その22 旧ユダヤ人街が世界記憶遺産へ

4月19日日曜日の朝刊に「旧ユダヤ人街 上海の歴史紡ぐ」という記事があった。筆者はユダヤ人の歴史や日本との関わりについて関心がある。ユダヤ系の人との個人的なつながりがりによる。

第二次大戦中、上海でユダヤ人が暮らした記録を世界記憶遺産に登録しようとする動きが出ているというのである。迫害で国を追われたユダヤ人にとって上海は一時、数少ない安住の地となり、その後は狭い区域で隔離生活を強いられたといわれる。かつての居住者らへのインタビューや資料収集が進められており、関係者は「遺産登録を実現し、上海の知られざる歴史を世界に伝えたい」と意気込んでいるそうである。是非実現してもらいたいものだ。

旧日本軍が占領した上海は当時国際都市で、パスポートやビザがなくても上陸できる世界唯一の場所だったという。上海の北東部に旧日本人街があった。そこに上海ユダヤ人難民記念館がある。このあたりは上海随一の観光エリア、バンド(The Bund)に近く、煉瓦造りの建物が今も残っているようである。第二次大戦中、ナチスの迫害を逃れて大勢のユダヤ人が上海にたどり着いた。その数、18,000人ともいわれる。リトアニア領事代理であった杉原千畝氏が発行した通過ビザを所持していたユダヤ人もいたようである。

上海には米英の租界地ができていた。日本人租界地もそうである。そこにヘブライ語の新聞が発行され、シナゴーグや学校、いろいろな店が建ち並んだ。旧日本軍が上海を占領した1937年以降、こうした姿が上海にできた。だが、1942年、第二次大戦が始まりナチスのユダヤ人迫害が上海にも迫る。日本は日独伊防共協定を結ぶことによりユダヤ人の自由な活動を制限せざるをえなくなる。

日本本土にもドイツ、ポーランド、チェコスロヴァキア、オーストリア、リトアニアでの迫害から逃れてきたユダヤ人がいた。だが、“無国籍難民の定住と商売の制限に関する声明”によって日本占領下の上海に移住させられる。そこで日本政府は無国籍難民隔離区という上海ゲットー(Shanghai Ghetto)をつくる。そこに全てのユダヤ人が集められた。外出には許可が必要となる。このゲットーには、貧しい100,000人の中国人も定住していたという。

1941年頃までの上海のユダヤ人社会だが、アジア・アフリカ系のユダヤ人であるスファラディム(Sephardim)社会と東欧系ユダヤ人であるアシュケナジム(Ashkenazim)社会があった。この二つのユダヤ社会の二大勢力のことは既述した。スファラディム系のユダヤ人の中にイギリス国籍を取得していた富豪がいた。銀行家・商人であったサッスーン家(Sassoon Family)だった。サッスーン家の家長ビクター・サッスーン (Victor Sassoon)は、上海を中心とした大富豪であった。

もともと東インド会社(East India Company)からアヘンの専売権を持ったサッスーン商会は、中国でアヘンを売り払い、とてつもない利益を上げたといわれる。イギリス政府に代わって徴税や通貨発行を行うなど植民地経営にもあたったというからその威光は絶大であったようである。ロシア革命やポグロムが発生するたびに、ユダヤ人が満州へ流出し、そこから上海へ向かった。ロシア系ユダヤ難民は上海に根をおろし、多くは交易で栄えた。だが第二次大戦により上海のユダヤ人もまた流浪の民、ディアスポラ(diaspora)となる。上海ゲットーは1945年9月に解放され、ほとんどのユダヤ人は上海から去ったといわれる。

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どうも気になる その21 「プラウダ」と「イズベスチヤ」

「国の見解に反するような放送をする自由はない」という質問が国会で取り上げられた。「公共電波を使って国内外に反日自虐番組をし続けたのだ誰か」という国会での発言もある。NHK会長のハイヤー代の支払いを巡り、情報がリークされるようなガバナンスとかコンプライアンスも取り上げられた。「政府が右ということに対して左とはいえない」というこの会長の発言も大いに注目された。

「行き過ぎた表現の自由を問題視し、表現の自由を濫用して虚偽、歪曲、捏造、印象操作など偏向した恣意的な放送をしている」といったことも国会で取り上げられている。「国家のプロパガンダを流す国営放送であることを求める」とは、恐ろしい発言だといわざるをえない。

今、放送法第一条二項にある「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送の自由を確保する」が揺らいでいる。広辞苑には、「不偏不党」とは「いずれの主義や党派にくみしないこと、公正で中立の立場をとること」とある。一体、報道や放送における言論の自由とはなにか、である。それについて小さな思い出がある。

バルセロナ(Barcelona)の中心街からカタルーニャ鉄道(Catalunya)に乗り、モンセラット山(Montserrat)の中腹に向かったときだ。そこの標高720mに壮大な修道院がある。この修道院へ向かう電車内で隣り合わせた夫婦である。身なりは質素である。旦那はむっつりし、終始眠ったふりをして視線が合わなかった。婦人に話しかけるとサンクトペテルブルク(Saint Petersburg)から休暇で来たという。もちろん筆者は一度も訪ねたことのない街だが、ドキュメンタリーなどでこの街の歴史は少しは知っていた。かつてのレニングラード(Leningrad)で、大戦中ナチスドイツにより900日にわたる包囲を受けたところである。

この婦人は経済関連の記者や編集をしているという。「プラウダ紙(Pravda)か?」と尋ねると、プラウダは形や内容を変えてしまったと説明してくれた。そして「プラウダ」とは「真実」という意味であることも教えてくれた。ちなみにイズベスチヤ(Izvestia)という機関誌もあった。こちらはソ連政府の政府見解が発表される公式紙だった。イズベスチヤとは「ニュース」という意味である。

ご婦人は会話で次のような小咄を紹介してくれた。プラウダ紙は無味乾燥な公式発表と標語ばかりで、読みにくい新聞であった。共産党にとって都合の悪い事は極力書かれず、時には事実が歪曲されて、捏造も行われた。多くの国民もそのようなことはわかっていたので、行間を読みながら真実を探ろうとしたそうである。市民の間で次のようなやりとりがあったとか。

「プラウダとイズベスチヤの違いは何か?」
「プラウダにイズベスチヤ(ニュース)はなく、イズベスチヤにプラウダ(真実)はない」

この婦人が紹介してくれた車内での小咄から今のわが国の公共放送のあり方を考えさせてくれるヒントがある。

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どうも気になる その13 「学習環境貧困家庭」とスマートフォン

困窮家庭と教育とスマートフォンの話題である。私事だが昭和36年大学受験を北海道旭川市で迎えた。三人兄弟の真ん中の筆者だが、家が貧乏だったので大学は道内、しかも公立校しかなかった。北大の授業料は年間7,000円、毎月の仕送りは5,000円で祖母の所に下宿した。兄は東京の私立大学に行っていた。国鉄勤めの父は鉄道弘済会から借金していた。

当時は空前の予備校ブーム。どこの予備校も繁昌していた。筆者は浪人もできなかった。幸い予備校で学ばないですんだが。日本育英会から無利息の奨学金を借り、バイトは家庭教師、ビルの床清掃やガラスふきをやった。

世の中には、経済的に困窮する貧困家庭の若者が大勢いる。彼らに学習の機会を備えるには、高校までを義務教育とすることだ。そうすれば大学教育を受ける機会が増える。さらに奨学金制度を充実し低所得者の子弟に安心して学校へ行けるようにすることも大事である。

さて、貧困家庭とスマートフォンの利用である。一日平均男子高生は4.1時間、女子高生は7.0時間と長時間化する傾向にあるとか。若年の不眠症の原因の一つが長時間、画面を見ることだそうだ。光により脳が活性化し、眠りを妨げるといわれる。親の通信料金負担もあるはずだ。スマートフォンをやる中高校生とそれを黙認する親の家庭は「学習環境貧困家庭」として、経済的に困窮する家庭と区別すべきである。

次のような記事を読んだ。「スマートフォンやPCを利用している時は表情筋がほとんど動かず、またばきの回数も半分以下になる。スマートフォンを使いすぎると老け顔のブサイクになる。無意識に眉間に皺がよったり、表情を変えることが少なくなるので筋力も衰える。」電車やバスの中でスマートフォンを「いじる」のを観察しているとすると、前屈みの姿勢になっていることがわかる。自転車に乗っていても乳母車を押していても下向きで器用に操作している。本人達も乳飲み子も歩行者も危ない。貧困家庭には、学習環境貧困家庭の他にこうした「育児環境貧困家庭」も増えているような気がする。

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どうも気になる その12 フリーカメラマンと旅券

フリーカメラマンと自称する人が、外国人記者クラブでの記者会見をしたとか。席上、「旅券返納で仕事を失い、人生そのものが否定された」、「これがあしき前例になり、報道や取材の自由が奪われることを危惧している」と訴えたそうである。

報道陣は殺到していたのに日本のメディアでほとんど扱われなかった点が気になる。なんらかの報道規制などの圧力が官邸などから入ったいるのだろうか。圧力をもろともせず、自由に報道しているのは外国人記者クラブくらいなのかもしれない。

われわれ多くの者は政府から旅券を与えられていると思っている。だが外国人には、渡航や移動の自由や権利を保証するのが旅券だという考えがあるそうだ。その権利を国家が奪うなんてあり得ないと指摘している。英国の記者も政府に迷惑をかけてはいけないという日本人の自制心に首をかしげているようである。

どの戦場にも従軍記者というのが同行した。ベトナム戦争もそうだ。そしてロバート・キャパ(Robert Capa)や沢田教一が命を落とした。かれらは、危険を承知で取材にでかけたのである。外務省が、危険だから取材に入らないようにという勧告をしたとすれば、一体誰が報道するのかという疑問は残る。

今回のフリーカメラマンのシリア行きがどうしてわかったのか。旅券申請のとき、誰が「シリアへ行く」なんて書くだろうか。真面目にそう書いたのだとしたらずいぶんと間抜けな話である。本当にシリアへ行くつもりなら、渡航先を「フランス」とでも書いておけばいいことだ。報道の自由なんぞをわざわざ振り回す必要もない。どうもこのフリーカメラマンの出自が気になるのだが。

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どうも気になる その11 議員資格のこと

議員の資格と公職選挙法にはなにかしっくりしないものがある。最近、また国会議員の私的な行動が話題となり、それが週刊誌やネット上で炎上して所属する政党から除名処分を受けた。比例代表制によって当選した本人は議員を続けるようだ。

比例代表制度は、特定の政党を支持する割合を国会議員の選出に反映させようとする合理的な仕組みである。これまでの中選挙区制度は大政党には有利に働いてきた。少数政党への支持は議員の選出に反映されてこなかった。それを改めたのが小選挙区制であり比例代表制である。

比例代表制はいうまでもないが、候補者名ではなく政党名を選ぶ。各政党は事前に候補者名簿をつくり、所定の得票率にそって上位に記載された者から当選させる。復活当選するのだから、有権者には、「この人は一体誰?、」ということになる。選挙公約も聞いたことがないはずである。

そもそも国会議員は一部の人の利益を代表するのではない。「全国民を代表する」ことが建前となっている。従って当選した者は支持者、支持団体、政党に関係なく国民全体の利益を考えて活動する、というのだ。選良としての誇りや責任の自覚が要求されるのだが、このようなフレーズは死語に近くなっている。

党利党略がまかりとおり、私利私欲に走って大臣を辞任したり、議員辞職を勧告されたりする。このような者は次回の選挙では落選するはずなのだが、不思議なことに往々にして再選される。有権者の責任は大きいといわなければならない。

比例復活議員は、党が作成した名簿に掲載されていたからこそ議員になれたのである。こうした議員が、除名された場合は議員資格を失うという法改正が必要ではないか。それにしても、前経産相や前農相のような政治資金の還流、公金の隠匿など政治資金規正法違反で告発されかねない事例が多すぎやしないか。

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なにか気になる その10  国立大学法人信州大学長の祝辞から

筆者はかつて、『自然に囲まれた緑豊かなキャンパスでの勉学と課外活動、都会の喧騒とは無縁の落ち着いた生活空間』にて10数年働いたことがある。兵庫県の社町というところだった。この『 』でくくったフレーズは、信州大学長が新入生に送った祝辞の枕で述べた一節である。

祝辞だが、やがて学長の話は訓辞調となる。「スマホの電源を切って、本を読もう。友達と話をしよう。そして、自分で考えることを習慣づけよう。知識を総動員し、ものごとを根本から考え、全力で行動することが、独創性豊かな信大生を育てる。」

学長のボルテージは上がる。「スマホ依存症は知性、個性、独創性にとって、毒以外の何者でもない。スマホの見慣れた世界にいると、脳の取り込み情報は低下し、時間が速く過ぎ去ってしまう。”スマホやめるか、それとも信大生辞めるか”」 このような内容の訓辞を学長がするとは新入生や在校生は思いもよらなかっただろう。

それほどスマホは大学生にも悪影響を与えているのだろうかである。スマホ依存症とはなにか。筆者の定義は、「本業以外の時間に一日6時間以上スマホを使う生活習慣病」としておこう。煙草でいえば一日二箱吸う状態である。「スマホを使うので新聞は時代遅れのもの、読まなくてすむ」と考える大学生もいるようだ。

ただ、時代遅れであっても、新聞や本や雑誌をきちんと読む習慣は必要だ。古代エジプトで使用された文字の筆記媒体、パピルス(papyrus)から今にいたるまで紙媒体の情報は綿綿と生きている。文字は手書きしないと記憶できないし書くことができない。これは保証する。

「スマホやめるか、それとも信大生やめるか」は一つの修辞であり決して訓示の趣旨ではない。スマホは日常生活に定着したが、使いようによっては、これほど問題性もはらむ機器もないようだ。その使い方を一度振り返る機会にしたかったのではないか。信州大学長もスマホのユーザーなら説得力があるのだが、、、。

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どうも気になる その9 普天間基地の移設と「県高国低」

普天間基地の移設に伴う新しい基地の建設が辺野古の海で始まった。沖縄県知事と国との移転に関する話し合いがようやく始まった。だが、両者の言い分は、原点が違うので全く合意点はなさそうだ。それはそうだろう。

最近の沖縄県と国の対立には2014年の衆議院議員選挙の結果が大きく影響している。沖縄は四つの小選挙区となっている。自民党はこの選挙で一人の当選者も出すことができなかった。かろうじて比例代表制度によって次点の4名が当選となった。沖縄知事選挙でも辺野古への基地移設に反対した翁長雄志氏が当選した。沖縄県の自民党国会議員団は力を失い、沖縄県との接触は今回のように官邸主導となる構図となった。

今度の官房長官の訪沖をみていると、かつて権力の構図は、現在は「党高政低」は「官高党低」となっているようだ。国会議員の力が低下し、県会議員や知事の力が増幅している。その具体事例が沖縄県である。

今、国会議員要覧を手にしているが、知っている議員は少ない。その理由ははっきりしている。第1回から2回の当選回数の議員が多いことだ。併せて170名となっている。いわゆる「xxxチルドレン」とか「刺客出身」、そして比例代表で選ばれた新人議員が多いからである。

小選挙区制度では、党公認は一人であり、派閥からは一人の人間しかだせない。従って派閥の系列化が弱くなる。そのため族議員が減り、国会議員に依存していた各官庁への陳情力も低下する。沖縄県議会の構成をみると自民公明で18名、その他は29名であるから議会の与党と知事は一緒になって官邸と堂々とやり合うことができる。「県高国低」という構図なのが沖縄である。地方自治のあり方を示している。

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どうも気になる その8 琉球処分から本土復帰へ

辺野古の海は碧く澄んでいる。筆者が家族と一緒に琉球に赴いたのは1970年。本土復帰の2年前である。全員パスポートを持参し予防注射を受けた。琉球での仕事は那覇において幼児教育を始めるためだった。1970年の琉球の教育は、施設設備、教師の養成、親の教育への意識などにおいて本土より5年以上は遅れているといわれていた頃だ。

驚いたのは教育の課題だけでない。基地の規模とそれが沖縄人に与える影響である。どこへ行っても基地があるのである。ドルで物を買いドルで支払う。不思議なところであった。本土復帰がいよいよ目前になると、本土復帰とはなにか、琉球の独立ということが叫ばれ始めた。だが時既に遅し。復帰の準備は「粛々」と進んだ。そして1972年5月15日の復帰の日を迎える。この日は雨であった。式典には佐藤総理大臣がやってきた。初代の沖縄県知事には屋良朝苗氏が就任した。

沖縄は日本政府と長い対立の歴史があった。そもそもの始まりは、1872年の琉球王国から琉球藩設置という経緯である。そして1879年の「琉球処分」により450年間続いた琉球王国は文字どおり消滅する過程、これが「琉球処分」であった。その後、琉球では皇民化・同化政策が推し進められた。戦時中は、沖縄戦の悲劇があった。敗戦後の米国統治下で「銃剣とブルドーザー」による強制的な基地建設が続いた。そして1972年5月の復帰後も基地の重圧に苦しみ続ける。こうした歴史にはその源流として「琉球処分」があると沖縄人は考えている。

ryubu  琉球舞踊と紅型ryukyu 明からの使者

どうも気になる その7 「Hafu」

「Hafu」って一体なに、と思われるだろう。混血の人、ハーフを表記するとこうなるだけである。英語圏では「ハーフ」といっても通じない。和製英語だからだ。正確には、「bi-racial」とか「mixed-racial」という使い方となる。

なんでも、ミスユニバースの日本代表に混血の女性が選ばれたようである。さっそくサイトを見ると、実にはつらつとした女性の写真がでている。この女性に対して、「日本人ではない」とか「純粋な日本人女性の顔をしていない」などというコメントがブログやツイッターに書き込まれているようだ。それに対して内外から批判がでている。こうした批判だが、どうも彼女は日本人の母親とアフリカ系アメリカ人の父親から生まれたことが話題となっているようだ。

そこで私見である。彼女はれっきとした日本人でありミスユニバースの日本代表である。本来皮膚の色、顔つきなどはバッシングの対象とはなりえない。だが、彼女は「純粋な日本人」の容貌をしていないと批判する者がでている。一体こうしたコメントを堂々と公にする日本人だが、「日本人は文化や社会に対して独特のアイデンティを持ち、外国人にはそのことを触れられたくない」とでも考えるのか、、、とんでもない時代錯誤である。

一体、誰が「純粋な日本人」なのか。そんな人はいるのかである。日本人はどこからやってきたのか、という話題を教科書にあったのを覚えている。南方系とか北方系といった論争であった。戦前、日本が朝鮮半島や台湾を併合していた時代には、日本人とは朝鮮人、台湾人など日本国籍を与えられた植民地の民族を含む国籍上の概念であった。旧日本帝国は多民族国家であることが強く意識されていたのだ。現在の日本国民に相当する人々は「内地人」と呼ばれた。今も沖縄では沖縄人を「ウチナンチュ」、本土の人を「ヤマトンチュ」と呼ぶ。アイヌ民族もいる。そういえば、筆者も北海道にいたとき本州のことを親にならって「内地」と呼んでいた。

このように、日本人というのは多種多様な民族から成ることは明らかである。「純粋な日本人」などは存在しない。世界のいかなる国のスタンダードからみても、今回のミスユニバース代表はれっきとした日本人であるのは間違いない。

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どうも気になる その6 「マクロ経済スライド」

新しい用語やフレーズが日々登場する。最近目にするのが 「マクロ経済スライド」である。この用語は決して新しいものではないのだが、、、「マクロ経済スライド」とは、そのときの現役人口の減少や平均余命の伸びに合わせて、年金の給付水準を自動的に調整する仕組みである。2004年に年金法の改正で使われたそうだ。

「マクロ経済スライド」の定義はさておき、次のような例で考えるとわかりやすい。

八王子が大災害に見舞われ、近くの市民センターで炊き出しが始まる。筆者も大勢の被災者の列に並んで、二個のおにぎりをもらおうと待っていた。大きな釜のご飯を割烹着を着たおばさん達がせっせと握っている。やがて、あまりにも列が長くなるのをみた職員がおばさんに「ご飯が足りなくなるのでおむすびを小さくするように」と指示した。

このようにおにぎりを小さくするのが「マクロ経済スライド」というのだそうだ。長くなっていく列に並ぶのが年金受給者、釜のご飯が年金財源というわけだ。ご飯を足せばよいのだが、少子化も手伝って年金制度を支える現役世代が少しずつ減っていて足すすべがない。

これまで年金支給額は、物価の上昇によって調整されてきた。物価が2%上昇すれば、年金も2%上昇するという仕組みであった。これでは財源が底をつく心配があるようだ。年金の財源で株や海外への投資によって財源を増やそうとはしているが、それでも追いつかないといわれる。

そこで自衛手段を考える。齢を重ねると胃袋は小さくなる。胃袋を小さくして、小さなおにぎり二個でも満腹になるように心掛ける。酒の量も減らす。外食はシニア割引の店を選ぶ。理髪も800円のところを選ぶ。そうすれば、2%の物価上昇であっても、1.3%の「マクロ経済スライド」によって年金が毎年0.2%上昇することで満足できるのではないか。政府はシニア割引をあらゆるビジネスで増やすことを業界に提案して欲しい。

国会議員の歳費も「マクロ経済スライド」によって決めて貰いたいものだ。

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どうも気になる その5 緊急防護措置区域と避難計画

原発の話題を考え筆を執るとなんとなく気が重くなる。今回は原発事故発生による避難計画のことである。原発事故には十分な対策が必要とされているそうである。それはそうだ。だが、一体どんな対策が要求されるのか、住民はどう対応したらよいかを考えると頭を抱えてしまう。

国際原子力機関(International Atomic Energy Agency: IAEA)は原子力施設から半径30キロ圏を緊急防護措置計画区域(Urgent Protective Action Planning Zone : UPZ)として規定しているようである。一旦火急の事態になったときは、重点的に防災対策を行うために設定されるのだという。わが国もこのUPZを採用している。そのために多くの帰宅困難者が不自由な生活をしている。

3.11以来、拙宅でも食料や水、電池や携帯ガスコンロなどを備え始めた。屋外には庭の遣り水のためにタンクを四つ設置している。隣近所でもトイレなどに使えることを念頭においている。倉庫が壊れない限り、一週間は電気やガスなしに暮らしたいと思っている。だが放射能の拡散には全く無力である。逃げようにも手段がない。大勢の避難で道は大混乱となるだろう。いっそう、子どものいる家庭は優先して避難対象とし、年寄りは最後まで待機するか、座して死を迎える心構えが必要である。

さて、住民の避難訓練、とりわけ幼稚園や小中高の取り組みである。文科省の発表によると、原発の近くのUPZに立地する公立の小中高校や幼稚園などが19道府県で2,077校あり、事故想定の避難訓練をしているのは34.4%の714校にとどまるということである。

緊急避難では、原発から5キロ圏内では、バスやヘリコプターで30キロ圏外に移動させ、屋内待避するのだという。避難所では保健職員が避難者の放射線量を調べるとある。しかし、このように円滑に住民が退避できるとは到底考えられない。風向き次第では、避難経路も避難先も変えなければならない。

原発事故への学校側の対応を定めた指針はなく、訓練などの取り組みは各学校に委ねられているようである。しかし、見えない敵を相手にして、文科省は原子力規制庁と連携して学校での訓練実施率の向上に取り組むなどとしている。こんな無責任な発表には虫酸が走る。原発そのものの存在が根源的な問題だ。

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どうも気になる その4 教育基本法と道徳教育

教育基本法を読んでいる。ここには素晴らしい条文というか、徳目が並んでいてほれぼれとする。その第二条の一項には次のようにある。

幅広い知識と教養、真理を求める態度、豊かな情操と道徳心、健やかな身体の育成

「教育ニ関スル勅語」にも同じような徳目が示されている。例えば、
勉学に励み職業を身につけよう(修業習学)、知識を養い才能を伸ばそう(知能啓発)、人格の向上につとめよう(徳器成就)といったことである。

教育基本法の第二条の二項以下は次のように規定されている。
二 個人の価値の尊重、創造性を培い、自主及び自律の精神を養い勤労を重んじる
三 正義や責任の自覚、男女平等、社会の形成への参画
四 生命を尊び自然を大切にし、環境の保全に寄与する
五 伝統と文化を尊重し、郷土を愛し他国を尊重し、国際社会での平和と発展に寄与する

「教育ニ関スル勅語」に戻ると、教育基本法のような格調高い文言は少ない。むしろ、家族、夫婦、兄弟、友達などにおける倫理観を強調しているように思える。さらに公共の秩序とか天皇の護持といった面も表れている。具体的には次ような徳目である。

———- 教育ニ関スル勅語 ————–
親に孝養をつくそう(孝行)
兄弟、姉妹は仲良くしよう(友愛)
夫婦はいつも仲むつまじくしよう(夫婦の和)
友だちはお互いに信じあって付き合おう(朋友の信)
自分の言動をつつしもう(謙遜)
広く全ての人に愛の手をさしのべよう(博愛)
広く世の人々や社会のためになる仕事に励もう(公益世務)
法律や規則を守り社会の秩序に従おう(遵法)
事ある時には進んで国と天皇家を守ろう(天皇護持)
——————————————————

「教育ニ関スル勅語」は1890年11月に公布されるのだが、明治天皇が首相と文部大臣にみずから与えた勅語とされている。文中では「爾臣民」(なんじしんみん)と呼びかけ、天皇が国民に語りかける形式をとっている。「斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所」、皇祖皇宗、つまり皇室の祖先が日本の国家と日本国民の道徳を確立したのでありそれを遵守すべき、としたのである。

国体の精華である皇祖皇宗、云々は現代になじまないナショナリズムの思想ではある。天皇も神聖を明確に否定し、国の象徴としての身分となっている。「教育ニ関スル勅語」は、国家と国民の和を重んじる色彩が濃く、個人の価値や創造性とか自律、自然の保護、国際平和と発展への寄与といった側面は強調されていない。

私見であるが、現在の教育基本法の理念に加えて、個人や家族、朋友の間の徳目を強調する「教育ニ関スル勅語」の理念を入れても良いのではないかと考えるがどうであろうか。

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どうも気になる その3 道徳教育

文教政策で気になることがある。特に道徳教育が声高に叫ばれていることである。中央教育審議会は、道徳教育の充実のため道徳を「特別の教科」にするなどという答申をまとめ、早ければ2018年後に全面的に導入される予定のようである。当然、検定教科書の導入も進むだろうが、検定教科書の検定作業は悩ましいはずだ。学術的な通説がない分野を多く含む道徳で、教科調査官が何を根拠に検定意見を示せるのかは難しい。もっと難しいの小中学生の道徳の評価だろうと思うのである。

八王子市内の小中学生に配布されている道徳教材の「私たちの道徳」では、「人とのつながり」や「自他の姓名を尊重して」、「自然の偉大さを知って」、「法やきまりを守って」、「公正、公平な態度で」、「自分の役割を自覚して」などが強調されている。だがこうした分野における人間教育は本来、社会科や理科、国語などの教科で具体的な事例をもとに教えられるべきもののはずだ。

「修身」という科目をご存じだろうか。かつての小学校である国民学校における科目の一つであった。1890年10月30日に教育勅語がだされ、その一か月後に第一回帝国議会が開かれる。教育勅語は1945年まで存在した。1903年に文部省より国定修身教科書が発行される。「修身」では、友情とか努力、親孝行、公益や正直など25項目に及ぶ徳目を過去や現代の偉人や有名人の言葉やエピソードを交えて教えていた。例えば、「親孝行」や「勤勉」には、二宮金次郎のエピソードが登場する。別名二宮尊徳は、報徳思想による農村復興でも知られている。小学校に薪の束を背負い本を読む金次郎の銅像が必ずあった。

修身教育は、明治、大正、昭和と三つの世代を通じて長い間日本人の精神形成の中心的な役割を担ってきた。知識教育で定義や理屈を教授するのではなく、実在した人々の体験を題材として、道徳教育を進めていた。教育勅語が、道徳を国家に対する道徳、人間関係についての道徳、そして個人の道徳の三分野を強調した。国家に対する道徳では国体に関すること、万世一系の国家といったことである。人間関係についての道徳では公益や興産の心得であった。また個人の道徳では学問、知識、理性の尊重、そして勤労勤勉が強調された。

1941年7月に文部省の教学局から「臣民の道」が刊行される。これは国体の尊厳を観念として、国家奉仕を第一とする「臣民の道」を日常生活の実践とする生き方のことである。戦争も傾きかけ、挙国一致と戦争の遂行のために奉仕が国民に求められてきた頃である。もとより個人主義、自由主義、唯物主義を否定する観念でもある。

これから終戦までなお厳しい言論統制が敷かれる。

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どうも気になる その2 「積極的平和主義」

国民の政治意識は投票率に表れるといわれる。低い投票率は政治への無関心ととらえられがちである。しかし、この無関心を規定するものは決して単なる外部的な権力組織だけに向けられるのではない。そうした機構に浸透して、投票の不行使という国民の心的傾向なり行動なりを一定の溝に流し込むような心理的な見えざる力のようなものが問題となる。「どうせ投票したって政治は変わらない」という厭戦的な気分である。

筆者が心配するの政治への無関心というよりは、扇動的なスローガンのようものが先走っていることである。その例を挙げる。集団的自衛権の憲法解釈が論議されていることは存知のはずである。この背景には、ISによるテロ、中国の南沙諸島や尖閣諸島などへの進出といった外的影響の変化、あるいは脅威が叫ばれていることである。これを機に、わが国の防衛力の強化、自衛権の拡大解釈、ひいては憲法第九条の改正という構図になっていると思われる。

今、内閣で使われる「積極的平和主義」とは、我が国の安全及びアジア太平洋地域の平和と安定を実現しつつ、国際社会の平和と安定及び繁栄の確保のための理念だそうである。そして、「我が国を取り巻く安全保障環境が一層厳しさを増している」ことや、「我が国が複雑かつ重大な国家安全保障上の課題に直面している」といった枕詞が必ず付帯している。国民は「そうだ、そうだ、、」と思い込んでこの方針に無言のエールを送る。

国民は確かにこうした近隣での地政学上の変化を報道を通して少しずつは理解している。それと同時に、国民としてのアイデンティを高揚するような雰囲気がうまれているようである。であるから「八紘一宇」とか「八紘為宇」と発言発言する議員はその意味や時代背景をご存じないお目出度い存在なのだが、危機を煽り立てる役割は十分果たしている。

集団自衛権の拡大、あるいは膨張の傾向は絶えずナショナリズムの内的な衝動をはらんでいると考えられる。忘れてはならない事実がある。戦前、国家が「真善美の極致たる日本帝国」という国体の精華を占有した。そこでは、学問も芸術もそうした価値的実体に依存し迎合するより他に存立しえなかったことだ。

国家のための学問や芸術が奨励された。そして、なにが国家のためかという内容の決定は「天皇陛下及び天皇陛下の政府に対し忠勤義務を持つところの官吏が下す」ということになる。学者も研究者も等しく既成事実に屈服したのである。まことにおぞましいことであった。

「積極的平和主義」とはかつての「大東亜共栄圏」の発想の匂いがするのであるが、、、いかがだろうか。

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どうも気になる その1 「八紘一宇」

毎日新聞を読みながら考えることがある。それは政治や経済、その他、教育や文化に関する話題である。新聞記者が書いたものは、どこまで信憑性や公平性があるかは別として、もの申したい話題はたくさんある。それを考えていくことにする。

最近、国会議員が質問の際に、「八紘一宇」とか「八紘為宇」とかの表現を用いて話題となった。あまりに叫喚的な表現なために、真面目に取り上げるに値しないように扱われた。このフレーズを引用した議員は「八紘一宇」の時代に生きた人ではない。従ってその意味するところをどこまで理解していたかは疑問である。だがこの「超国家主義的」と呼ばれるスローガンは戦前戦中は見えざる網によって十重二十重に国民の思想と行動を縛ってきた。

今年の戦後70年談話の内容と表現のことも話題となっている。それはわが国の戦前の帝国主義と植民地支配が近隣諸国に与えた影響をいかにとらえるかに関わっている。近隣の国々は、「未来志向の戦略的互恵関係とは、既存の現実の自体が如何なるものか顧みることから始まる」と考えている。それを今の安倍政権に期待しているようである。どのような談話になるのかは興味津々である。

思うに「八紘一宇」のスローガンを頭からデマゴーグときめてかかるのではなく、その底に潜む論理はなになのかを今一度問う時期に来ている。「八紘一宇」の呪縛からもはや解放されていると考えるべきではない。それが70年談話の意義だと思うのである。

憲法改正の動きも活発になっている。それに先だって閣議は、集団的自衛権を使えるようにするため、憲法解釈の変更を決定した。武器の行使による他国への攻撃を禁じてきた立場を転換し、関連法案成立後は、日本が攻撃されていなくても国民に明白な危険があるときなどは、自衛隊が他国と一緒になって反撃できるようになる。少々大雑把であるが、そんなことで一体どこまで自衛権は拡大されるかが「どうも気になる」のである。

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