ウィスコンシンで会った人々 その50 粗忽噺

「粗忽」。なんとも響きがよい。そそっかしい、あわてんぼうということである。広辞苑によると、 軽はずみとか唐突でぶしつけといった意味もある。

江戸時代、しばしば大火が起こり、そこら中に安普請のアパートが造くられた。長屋である。そのせいで宿替えとか引っ越しが日常的であったようである。「粗忽の釘」はそのような江戸の下町が舞台である。

粗忽者の亭主にしっかり者の女房が引っ越ししてくる。亭主はそそっかしいだけあって、運ぶ荷物を後ろの柱と一緒にくくってしまったり、それに気付かず担ごうとしたり、旧宅を出るまでに一騒動が起きる。女房が新宅にきちんと引っ越しても、亭主野郎はやって来ない。道に迷うわ行き先は分からなくなるわ。やっとの事で辿り着いた亭主に、呆れながらも女房は頼む。
「お前さん、ほうきを掛けたいから柱に長めの釘を打っとくれよ」
 「よしゃ、俺は大工だ、任しとけ!」

亭主はいい気になって釘を打ったが、調子に乗ってすっかり釘を打ち込んでしまう。それも柱ではなく壁に。おまけに八寸の瓦ッ釘。これが隣の家の仏壇の横に飛び出て、騒動の始まりとなる。

「転宅」という泥棒噺も粗忽の代表といえようか。大抵、落語の泥棒といえば間抜けなものと決まっている。お妾のお梅ところから旦那が帰宅する。お梅が旦那を見送りに行く。その留守にこそ泥が侵入してきた。この泥棒、旦那が帰りがけにお梅に五十円渡して帰ったのをききつけそれを奪いにやって来たのだ。

泥棒、座敷に上がりこみ、空腹にまかせてお膳の残りを食べ始める。そこにお梅が入ってきて鉢合わせる。慌ててお決まりのセリフですごんで見せるが、お梅は驚かない。それどころか、「自分は元泥棒で、今の旦那とは別れることになっている。よかったら一緒になっておくれでないか」と求婚する。

泥棒すっかり舞い上がってしまい、デレデレになってとうとう夫婦約束をしてしまう。そして形ばかりの三三九度の杯を交換する。「夫婦約束をしたんだから、亭主の物は女房の物」と言われ、メロメロの泥棒はなけなしの二十円をお梅に渡してしまう。泥棒は、今夜は泊まっていくと言い出すが、お梅がとっさに「二階に用心棒がいるから今は駄目。明日のお昼ごろ来るように」といって泥棒を帰してしまう。妾宅は平屋なのを泥棒は知らない。

翌日、ウキウキの泥棒が妾宅にやってくるとそこは空き家になっていた。近所の煙草屋に、お梅はどうしたかときくと、仕返しが怖いので引っ越したという。
「お梅は一体誰か、、」
「誰かといって、お梅は元義太夫の師匠だ」
「義太夫の師匠? 見事に騙られたぁ!」

「騙る」は「語る」を引っかけた落ちとなっている。「騙る」は「騙す」という意味ともなる。なんとも粗忽でおかしみのある泥棒である。

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ウィスコンシンで会った人々 その49 名奉行噺

鹿は春日大社の神使いとされ、誠に手厚く保護されてきた。庶民は鹿にかしずくほどであったという。ちょっと叩いただけでも罰金、もし間違って殺そうものなら、男なら死罪、女子供は石子詰めという刑が待っていた。興福寺の小僧が習字の稽古中に大きな犬が入ってきたと思って文鎮を投げたところ、それは鹿だった。当たり所が悪く死んでしまい石子詰を受けたという話もある。石子詰とは地面に穴を掘り、首から上だけ地上に出るようにして埋める罰である。

奈良の町に豆腐屋を営む老夫婦が住んでいた。ある朝、主である与兵衛が朝早くに表に出てみると、大きな赤犬が「キラズ」といわれた「卯の花」の桶に首を突っ込み食べていた。卯の花とはおからのこと。与兵衛が手近にあった薪を犬にめがけて投げると、命中し赤犬は死んでしまう。ところが、倒れたのは犬ではなく鹿だった。

当時、鹿を担当していたのは代官と興福寺の番僧。この二人が連名で願書を認め、与兵衛はお裁きを受ける身になる。この裁きを担当することになったのは、名奉行との誉れが高い根岸肥前守。お奉行とて、この哀れな老人を処刑したいわけではない。何とか助けようと思い、与兵衛にいろいろとたずねてみるが、嘘をつくことの嫌いな与兵衛はすべての質問に正直に答えてしまう。困った奉行は、部下に鹿の遺骸を持ってくるように命じる。そして鹿の餌料を着服している不届き者がいるとして、逆に代官や番僧らを責める。そして鹿が犬であることを認めさす。

「佐々木政談」はこちらも名奉行で知られた南町奉行、佐々木信濃守。非番なので下々の様子を見ようと、田舎侍に身をやつして市中見回りをする。そこで子供らがお白州ごっこをして遊んでいるのが目に止まる。面白いので見ていると、十二、三の子供が荒縄で縛られ、大勢手習い帰りの子が見物する中、さかしいガキがさっそうと奉行役で登場する。この奉行役の子供の頓智に佐々木信濃守は偉く感心してやがて子供をとり立てるという噺である。

「天狗裁き」の奉行は大分違う。家で寝ていた八五郎が女房に揺り起こされる。「お前さん、どんな夢を見ていたんだい?」八五郎は何も思い出せないので「夢は見ていなかった」と答えるが、女房は隠し事をしているのだと疑う。「夢は見ていない」「見たけど言いたくないんだろう」と押し問答になり、夫婦喧嘩になってしまう。喧嘩の仲裁に入った長屋の差配、町役人も夢の噺を聞きたがる。挙げ句の果てお白洲に訴えられ、奉行までもが夢の話を聞きたいといって八五郎を責め立てる。最後に高尾の山に飛ばされ、そこで天狗にまで夢の話を聞かせろと苛まれる愉快な話である。

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ウィスコンシンで会った人々 その48 与太郎噺

落語にはいろいろな人物が登場する。「八っぁん、熊さん、」などと並ぶ代表的なのが与太郎である。性格は八五郎に似ている。

例外なくぼんやりした人物として描かれる。性格は呑気で楽天的。何をやっても失敗ばかりするため、心配した周囲の人間から助言をされることが多い。こうしたキャラクターから、与太郎の登場する噺は爆笑ものが多く、与太郎噺と分類される場合もある。さらに「愚か者」の代名詞となっているが、決して憎めない存在だ。長屋の者は与太郎をかばうことも決して忘れない。

「孝行糖」という演目では与太郎は親孝行という筋書きになっている。孝行によって殿様から褒美の青ざし五貫文を頂戴する。五貫文とは一両一分で十万円くらいと云われる。長屋の者は、五貫文を元手に与太郎にお菓子の「孝行糖売りの行商を教える。自立させようというのだ。そして与太郎に客寄せの台詞教える。「チャンチキチ スケテンテン♪ 孝行糖、孝行糖〜」。

「錦の袈裟」という演目では与太郎にしっかりものの妻がいる。与太郎に錦の袈裟をふんどしをつけて男衆の集まりに送り出す。そして吉原に乗り込むが、与太郎は女達にすっかりもてる。与太郎を殿様だと勘違いしたからだ。周りの男は与太郎のもて振りにすっかりあてられる。

「牛ほめ」だが、新築の叔父の家を訪問し、父親に教えられた通りにほめ言葉を並べて感心されるが、最後に牛を見せられて失敗する。「大工調べ」では腕っぷしのいい大工として登場し、滞納した店賃のカタとして没収された道具箱を取り返すべく、大工の棟梁の助言で、あこぎな家主を相手に訴訟を起こす。お奉行も味方しようとするのだが、ばか正直なためになかなか決着しない。「つづら泥棒」は与太郎が泥棒を試みる数少ない噺。夜自分の家に泥棒にはいるという大失敗をする。

「佃祭」にも与太郎が登場する。佃島の祭りの帰りに渡し船が転覆して死んだと思われた近所の旦那の家に、ほかの住人たちに連れられて長屋の月番で代表の1人として弔問に訪れる与太郎。だが、悔みと嫌みの区別がついていなかったり、最初の一言が「このたびはどうもありがとうございます」だったりで、厳粛な雰囲気をぶち壊しにする。

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ウィスコンシンで会った人々  その47 世間知らずの殿様

筆者は落語の素人。まったくの後発組である。そのような訳で落語を語るには少々気恥ずかしい気分なのだが、どうしても筆を執りたくなるほど落語の世界は不思議と面白いと感じる一人である。素人の目からみた落語の内側には、人の生き様とかペーソスが充満していて、なんとしてもこうした欄で何かを書きたくなる。

落語の演目にはいろいろなモノが登場する。例を挙げると、名前では八五郎、与太郎、熊五郎、定吉、多助、三太夫、正助、三太夫、お鶴、お菊、などである。動物では犬、猫、狸、鹿、鷺、雀、ウワバミ(大蛇)、馬、魚では鰻、秋刀魚、鯛、白魚、カツオなどである。人に関しては、坊主、花魁、遊女、行商、盲人、間男、盗人、殿様、うつけ、侍、女房、妾、女中、くずや、魚屋、大工、長屋の差配、幇間、按摩、蕎麦屋、ケチ、お人好し、正直者、間抜け、世話好き、粗忽者、ほら吹き、博打好き、大酒飲み、乱暴者、藪医者、などなどきりがない。話題となると、夢、富くじ、大火、火の用心、怪談、幽霊、引っ越し、転失気、道楽、吉原、喧嘩、祭り、敵討ち、天狗、浅草寺、長屋、講中、白洲など多彩である。うつけは空け/虚けとも書く。

おおよそ落語に登場する人物には、名奉行や頓智のある子供などは例外として、真面目で頭の良い者は登場しないことになっている。こうした人物は笑いの対象にはなりにくいようである。江戸時代は士農工商の時。お侍が形の上では幅を利かしていた。町人は小さくなって歩いていた時代だ。そんなこともあってか、大名とか殿様は笑いの対象になっていた。世の中の動きに疎いこともあり、町方は殿様を茶化すのである。

そうしたぽーっとしたうつけ殿様の代表が「目黒の秋刀魚」にでてくる。自分でどうしても蕎麦をを打ちたくて、習ったばかりの蕎麦の作り方を家来に披露する。ところがその蕎麦がとても食せるような代物でない。だが、殿様の打った蕎麦を食べないと打ち首になるという。だから殿様手作りの蕎麦は「手うち蕎麦」というそうだ。

この殿様、目黒への早掛けの際に百姓が庭で焼いていた秋刀魚の味をしめる。ある園遊会があって、殿様は秋刀魚を所望する。ところが出てきた秋刀魚は、ぱさっぱさで香りがしない。おつきの者は、この秋刀魚は房州で獲れた新鮮なものだと説明する。殿様は「やっぱり秋刀魚は目黒に限る」と自慢するのである。武士をおちょくることで庶民は溜飲をさげたにちがいない。

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ウィスコンシンで会った人々 その46 「地噺」と鰍沢

落語は人情噺や滑稽噺のようにほろりとさせたり、笑わせるものだけでない。演者がストーリーを語ることを中心として上演されるものもある。これが「素噺」とか「地噺」と呼ばれる分野である。落語の多くは、登場人物の対話で話が進む。だが地噺は、演者が聴衆に人物の心理を周りの状況を説明しながら筋を進行させる。

筆者が好きなのは、名人古今亭志ん朝の地噺である。その中で、「鰍沢」と「塩原多助一代記」を取り上げる。「鰍沢」という地名は山梨県南巨摩郡にかつて存在したといわる。江戸時代には富士川舟運の拠点であった鰍沢河岸があった。今は富士川町となっている。南巨摩郡には身延町があり、日蓮宗の大本山久遠寺がある。

久遠寺での参詣を済ませたある旅人は、帰りに大雪の中、山道に迷う。たまたま見つけた一軒家で一夜の宿を頼む。応対したのが妙齢の婦人、お熊である。だがアゴの下から喉にかけて突き傷跡がある。体を暖めるためすすめられるまま卵酒を半分ほど飲む。話をするうち、お熊がかつては吉原の遊女であり、現在は猟師の妻であることが分かる。旅人はお熊と会ったことがあることを告げる。

お熊は夫の酒を都合しにと言って雪の中に出る。旅人は酔いと疲れのために道中差しを枕元において眠りに落ちた。そこへお熊の夫が帰ってきて、旅人が残した卵酒を飲み干す。だがたちまち苦しみ出す。帰ってきたお熊は夫に「旅人にしびれ薬入りの酒を飲ませて殺し、金を奪い取る算段だった」と明かす。それを聞いた旅人は、すでに毒が回った体で久遠寺の「毒消しの護符」を雪で飲み込み、吹雪の中へ飛び出し必死に逃げる。途中、体の自由が利くようになる。お熊は鉄砲を持って旅人を追いかける。

旅人は川岸の崖まで追い詰められる。そこへ雪崩が起こり、旅人は突き落とされる。運よく、川の中ではなく、岸につないであった筏に落ちそれが流れ出す。お熊の放った鉄砲の弾が旅人を襲うがそれる。急流を下りながら懸命に「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、、」。旅人は窮地を脱するという噺である。

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ウィスコンシンで会った人々 その45 扇子と「サゲ」

今日まで伝承されている話芸の落語や講談。演者が一人で何役も演じ、語りのほかは身振りや手振りのみで物語を進める独特な形式の芸能である。使うのはといえば、扇子や手拭だけ。舞台には座布団があるだけである。たまに音曲が流れてくるのもあるが、それは例外。ほとんど演者が工夫を凝らして、演目に登場するモノや人を表現する独演である。表情や視線も大事な仕草となる。扇子と手拭を使い、食べる、飲む、寝る、歩く、酔っぱらうなどを座布団に座って演じる。

古典落語のうち、滑稽を中心とし、噺の最後に「落ち」のあるものを「落とし噺」という。これが「落語」の本来の呼称であったが、のちに発展を遂げた「人情噺」や「怪談噺」と明確に区別する必要から「滑稽噺」の呼称が生まれた。今日でも、落語の演目のなかで圧倒的多数を占めるのが滑稽噺である。滑稽噺は「生業にかかわるもの」(日常性)と「道楽にかかわるもの」(非日常性)に大別されるといわれる。「片棒」という演目は冨を築いた旦那が三人の息子の誰に跡を継がせるかという展開で、困ってしまうという噺である。日常性と非日常性が見事に溶け合っている。

人情の機微を描くことを目的としたものを「人情噺」といい、親子や夫婦など人の情愛に主眼が置かれている。人情噺はたいていの場合続きものによる長大な演目である。人情噺にあっては、「落ち」はかならずしも必要ではない。「子別れ」や「文七元結」、「芝浜」などの演目はそうだ。

「落とし噺」や「人情噺」が一般に語り中心で上演されるのが「素噺」である。鳴り物や道具などを使わない。「怪談噺」のような芝居がかったものに音曲を利用するのもある。特に幽霊が出てくるような噺は、途中までが人情噺で、末尾が芝居噺ふうになっている場合が多い。怪談噺は、笑いで「サゲ」をつけるという落語の定型からはずれるのもある。

「サゲ」の特徴だが、聴衆に対し「噺はこれでおしまい」と納得させるしめである。それ故に「サゲ」は演者の創作性が出るところが聴衆にとって興味深い。「千早振る」という百人一首を題材としたパロディ調の演目もそうだ。演者が最も神経を使うところではないかと思うのである。

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ウィスコンシンで会った人々 その44 古典落語と創作落語

筆者が落語を少しは嗜むようになったのは定年後である。それまでは、仕事が特に忙しかったわけでもなかったが、他にマラソンをやったり藤沢周平の本を読んだり、カメラをいじったりして落語を楽しむ余裕がなかった。

iPodを手にしてから、さてなにを入れようかとしたとき、音楽に加えて落語が有料、無料でネット上で沢山あることを知った。それ以来購入したりしてため込んでは歩きながら、山登りをしながら楽しんでいる。

落語の楽しみが少しずつわかり始めた。それは演目もさることながら、噺家によって落語の内容が聞き手に異なって伝わることである。一つの演目をいろいろな噺家で聞くという贅沢さを楽しんでいる。

落語は、「落とし話」といわれるように大抵の場合そのお終いに「サゲ」がある。これを期待して聞き手はどんなサゲなのか、とワクワクしながら待つ。古典落語はレパートリーが決まっているので、演者の語り口の違いを楽しむことになる。さすがに名人と呼ばれる噺家の語りには聞き惚れる。最近は、新作落語とか創作落語も楽しんでいる。新作落語は、古典落語と並んで落語の大事な幹といわれる。

新作落語は年代的には若手の噺家によるものが多い。例外は、上方落語の名人、桂三枝、今の六代目桂文枝である。現在71歳だが、その創作力には驚くほどである。彼は、「新作落語はおおむね、時期が過ぎたらそのネタを「捨て」ざるを得なくなる運命にある」として、「創作落語」と呼んでいる。この発想は頷ける。柳家喬太郎の「ハワイの雪」という人情噺もある。「寿司屋水滸伝」という創作落語にもサゲが待っている。

古典落語は、滑稽噺、人情噺、怪談噺に分類されるようである。創作落語は、その時代を反映した話題をネタとする滑稽噺と人情噺が中心といえようか。どちらも落語の主柱として高度な技芸を要する伝統芸能である。もっと親しみ笑いたいものだ。

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ウィスコンシンで会った人々 その43 「定石」と「手筋」

囲碁は長い歴史がある。それゆえ、研究されてきて最善とされる形となる決まった石の打ち方がある。それが「定石」である。双方が最善を踏んだ手順であるから、部分的には双方が互角になるのである。定石に至る応酬は、相互が定石を知っていて始めて成立する。どちらかが大得するとか大損をするということはないはずである。

しかし、碁盤の他の部分の配石次第で、定石どおりに打っても悪い結果になることがある。周りの状況を見ながら定石どおりに打つのがよいかどうかを判断するのが難しい。囲碁の格言にある。「定石を覚えて二子弱くなり」である。これは、初中級者が定石の手順を丸暗記していたために起こった悪い結果のことを揶揄したものだ。囲碁は部分的と全体の関連のなかで進められる。双方の戦術がいかなるものかによって、部分的な定石で納めるか、あるいは定石を少し離れて少しくらい損をしても、全体的には得をすることを選ぶこともある。

定石の一手一手はそれ自体が「手筋」の応酬である。「手筋」であるが、平凡な発想ではなく、やや意外性を含んだ効果的な手とされる。この種の手を「筋」(すじ)と呼ぶこともある。「手筋」は勉強していないと、対局中はそれが浮かばないものである。丸暗記をしてそれを時に試してみることだ。

「手筋」にはいろいろある。自分の石が生きる手、攻め合いに勝つ手、形を整える手、連絡を図る手、相手の地を削減する手、先手をとる手などある。「手筋」は定石に似たものであるがので、良い形や結果を生むとされる。また「手筋」は業であり技であるので、これを使うことによって形勢が有利になることが多い。

一手一手の意味を考えながら「定石」と「手筋」のレパートリーを増やすことが囲碁上達の基本とされる。囲碁の稽古に早道はない。愚直に稽古を積み重ねることを心掛けたい。

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ウィスコンシンで会った人々 その42 「石の心」

「石の心」ということを強調したプロ棋士がいる。梶原武雄という人だ。この人にはいろいろな話題があるようだが、石の形、石の効率、石の働きをことさら大事にしていたことがわかる。それが「石の心」というフレーズに表れている。

「石に心はあるのか?」という野暮な問いはやめて、一つひとつの石には棋士の思いと考えが込められているという意味に解したい。石を働かせるのも腐らせるのも打ち手の読みや戦術次第である。石に意図を込める、石に役割を与える、といった調子のことだろう。

下手はどかく石を取ることに喜びを感じる。これを「取りたい病」というのだそうだ。だが、上手になると石を捨てることに喜びを感じるのだそうである。囲碁はこのように感情さえ伴うゲーム。深い読みと心が表れるのである。

地を小さく囲うのではなく、大きく広げて相手の「ヤキモチ」を待つ。入ってきた石は例え取れなくとも小さく活かす。そのことによって自然に壁ができて、活きられた分の見返りを手にする。「活きてもらうが、こちらもいただく」という呼吸が「石の心」につながる。どちらかが一方的に大もうけをすることは囲碁にはない。

このようなことを云っても、最後はどちらが地が多いかによって勝敗が決まる。筆者の場合、あまり部分にこだわらず、また地にこだわらず打つのが好きなのだが、地合いで敗れることが多い。もう少し「地に辛く」打つのを心掛けようと考えてはいる。

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ウィスコンシンで会った人々 その41 「厚みに近づくな」

囲碁の格言に「厚みに近づくな」というのがある。どんな戦いでも相手の石の多いところ、つまり強い所に近づくと危うくなる。双方がこの厚みをどう使うかが作戦の分かれ目となる。

自分が厚みを築いたならば、相手の石を自分の厚みに誘い込み、これを攻めに使うのである。厚みを効率的に使うとはこのような作戦をいう。下手は、ヤキモチをやいて厚みを荒らそうとする。壁のような厚みは壊れることがない。荒らそうとすればするほど自分の石が危うくなる。

上手は、自分の強い石に近づくと効率が悪いことを知っているので、強い石に相手を追いこみその周りに地を作る。これが効率が良い。厚みに寄った相手は生きることで四苦八苦する。周りをみると上手の石ばかりとなる。

相手の石を自分の強い石に追い込むためには、反対側である自分の弱い石から動くのが良いとされる。つまり相手の石の背後に回るのである。自分の強い石はほっといていいのである。強い石を強めるのは,屋上屋を架す最悪の状態だ。 石の働きが乏しいとか石の効率が悪いという状態である。。

序盤や中盤では、決して石を取ろうとか地を取ろうという意識は持たない。むしろ相手の弱い石を早く見つけて、攻めて自分の土俵を築くことだけに専念するのがよい。厚みとは自分の土俵のこと。こうしてできた自分の土俵だけで相撲を取るようにする。

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ウィスコンシンで会った人々 その40 スピードと馬力

ワールド・カップのフィーバーも終わり日常の静けさが戻ってきた。虚構新聞にあった「なでしこの勝利」はやはり誤報であった。「なでしこの選手はおしとやかで、清々しく、礼儀正しく、控えめな女性でなく、肉食系の怖い存在だった」というの虚構新聞の調子だった。だが、決勝まで勝ち進んだからには、相当に肉食系であるのもあながち虚構ではないといえそうだ。編集長も少しは溜飲を下げたかもしれない。

外国の選手、特にアメリカやドイツの選手のように「なでしこ」にはもっと背丈と横幅が欲しいという印象である。いくら組織的でチームワークを大事にするといっても個々の力に差があるとチームワークはずたずたに裂かれる。それが決勝戦の前半であった。組織の力は個々の強さ、スピードがあってはじめて活きる。敏捷さがあって縦のドリブルと突破力が欲しい。ネイマール、メッシはこうした技を持ち、相手を引きつけてラストパスを出す。彼らはボールの納め方やコントールが正確だ。ゴールに向かったボールを保持し、ゴールエリア内でドリブルを仕掛ける。相手はうかつに近寄るとPKをとられる。まるで獲物を狙うようである。

一度FCバルセロナの試合を観た。メッシには二人のディフェンダーがついていた。反則をとりフリーキックを成功させた。イニエスタとシャビといった選手も個人技、早さと敏捷さが凄かった。こうした選手とパス回しをするとスペースができて相手は置き去りにされる。

さて、素人ながら「なでしこ」の今後に期待することである。まずは世代交代によるFW、DFに背の高い大柄な選手が欲しい。彼らにスピードがあればもっとよい。ヘッディングが強くルーズボールを味方が拾う展開が欲しいのである。このような場面では相手はミスキックをしがちなのである。そしてオウンゴールを献上する。相手を押し込むにはスピードと縦の突破ができる選手が欲しい。

来年のリオでのオリンピックでは、世代交代によるスピードと馬力のある「新生なでしこ」をみたいものである。

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ウィスコンシンで会った人々 その39 「石の効率」

「石の効率」ということを考える。「二線敗線、四線勝線」という格言がある。十九路盤ではできるだけ中心に向かって石が打たれる。武宮正樹九段はかつて「宇宙流」という戦法を使い囲碁界に革命のような衝撃を与えた。彼は、碁盤の中心を宇宙にみたて、石が中央に向かい地を作ることを提案した。

地を取ろうとすると、どうしても隅や辺に石が向く。時に二線を必要以上にハウこともある。二線では地が1目ずつしか増えないのに相手の厚みがそれ以上に増し良くないのである。それとは対照的に四線をノビていくのは、地が3目ずつ増えていくので効率がよい。これを「石の効率」という。

四線を重視するのは、囲碁の布石の段階である。定石などが形成される。両者互角の情勢である。中盤の戦いが終わると終盤に入る。このとき、二線のハイは極めて大きなヨセとなる。だから格言はどのような場合にも当てはまるとは限らない。序盤は四線、終盤は二線と覚えておけばほぼ間違いない。

さらに、「石の効率」だが、効率が良いというのは石が働いている状態のことである。効率が悪い石とは、ダンゴのように固まった石、駄目
詰まりになったような石、「空き三角」になったような石をいう。「空き三角」の石とは相手には、全く響かない無駄になっている状態のことをさす。上手はこのような効率の悪い石の形に持ち込もうとする。

相手の厚みに近づきがちなのが下手。相手の地が大きく見えるからである。「ヤキモチ」を焼いて、相手の陣地に石を打ち込んで地を荒らそうとする。だが、大抵の場合こうした石の落下傘部隊は召し捕られるか、追い立てられてバンザイとなる。相手の石を自分の厚みに誘い込むというのが上手の戦術でもある。囲碁ではヤキモチをやくのが、最も石の効率が悪くなる実戦心理といえる。

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ウィスコンシンで会った人々 その38 「虚構新聞」から

FaceBook上でおやと思った新聞記事を読んだ。タイトルを見ると「17歳にも選挙権を、 国会前で人間の鎖」、これは嘘ニュースです、、とある。よくながめるとこのサイトは「虚構新聞」とある。すっかりはめられた気分になったが、その発想が面白かった。

「17歳にも選挙権を、、」という記事を読むと「選挙権年齢を20歳以上から18歳以上に引き下げる改正公職選挙法が成立したことを受け、23日、選挙権が与えられなかった17歳にも権利を求めるデモが行われ、17歳の少年少女6千人(主催者発表)が「人間の鎖」を作って国会議事堂を取り囲んだ」とある。なんだか本当のような話題であった。

別の嘘ニュースには次のようなのがある。「民主主義」特許使用料、各国に請求、ギリシャ」事実上の債務不履行に陥ったギリシャ政府は、同国発祥の「民主主義」を国際特許として出願、政体として採用する世界各国に使用料を求めていく方針であることが分かった。年間数兆円規模の特許収入が見込まれることから、財源確保と健全化に道筋をつけたい考えだ。財政難を救うために窮余の一策「民主主義」から特許料をとろうという発想が愉快だ。

筆者が真剣に読んだニュースがある。「安倍内閣、女性省を設置することにした。」というのである。もう少し読むと、「この省はすべて女性だけで8,000人の職員を置く」というのである。どんな業務をするのかは知らないが、「女性が輝く日本へ」という安倍内閣の成長戦略があり、「待機児童の解消」「職場復帰・再就職の支援」「女性役員・管理職の増加」と謳うのであるから、女性省の設置もまんざらでないと思うのである。

笑ったのは、「新国立競技場、CG式で決着、現行計画は破棄」である。東京オリンピック・パラリンピックのメイン会場となる新国立競技場の建設を巡る問題で、文部科学省は現行の建設計画を全面的に見直し、ゴーグル型ディスプレイを用いたバーチャルリアリティー(VR)方式で進めることを決めた。今のデザイン案を維持したまま総工費を抑えるための「苦肉の策」である。この案は実現が可能なような気がするのだが、いかがであろうか。

その他、ユニークなテーマもある。どれも風刺というかエスプリがきいて楽しくなる。
・陸自の高齢化深刻「ノンステップ戦車」開発も
・学費無料、内閣直轄のエリート大学を京都に

このようなサイトを「馬鹿馬鹿しい」といって切り捨てないで、その発想を楽しむのも一興だと思うのである。

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ウィスコンシンで会った人々 その37 「一目置く」と急所

囲碁は相手と交互に打つゲーム。時に相手の良い手には敬意を表し、引き下がるのが良い。それを勘違いして逆襲でもしようならこっぴどく痛めつけられる。だから、「一目置く」のが囲碁の基本である。一歩譲るとか遠慮するのである。囲碁の格言は人間の機微に通じて奥が深い。

囲碁にも将棋にも急所がある。相手にとっての急所は自分の急所であり、重要な着目点となる。急所をはずしては相手に楽をさせるばかりか、形勢を損じる。戦争を考えても急所の大事さは同じ。急所とは自分の弱点である。逆の場合もある。問題はどちらが先に打つかである。幅広く陣地を拡大しようととして、急所を逃しては勝機を逸する。「大場より急場」という格言も同じ意味である。

下手は得てして攻撃を優先しがちである。攻撃とは反撃を食らわないように自陣を備えることから始まる。急所とか要所を押さえておけば安心して攻撃にでることができる。自分の大切な所、相手が攻撃を狙うところが急所である。

囲碁の戦術を戦争と比較してみる。太平洋戦争の戦略上の要諦とは、南方の石油や食料資源を確保することであった。そのためには、ベトナム、フィリッピン、台湾、琉球列島を結ぶ空海圏が急所で、それを守ることであった。しかし、守備範囲が伸び過ぎてこの急所の備えを怠ったために輸送船はことごとく潜水艦の餌食となった。

囲碁ではしばしば捨石を使う。捨石によって陣形を立て直し、先手を取ることが多い。捨石には役割がある。決して無駄になるのではない。

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ウィスコンシンで会った人々 その36 「アタリ、アタリ、はヘボ碁の見本」

八王子市内の小学校での囲碁教室も三週目を迎えた。全くの初心者ばかりなので石の置き方から教えている。数人の母親も参加している。九路盤を使って「石取り」、「陣取り」から始めている。黒板に自作の大盤をおいて、黒く塗った黒と白の丸い磁石を使って説明する。オセロと勘違いしているのもいるが、それはそれでよいと思っている。辛抱強く教えるほかない。

石取りでは、どうしても「アタリ」の石をうって囲もうとする。「アタリ」は取られそうな形の石のことである。囲めば相手の石がとれるが、「アタリ」になった石が逃げれば自分の石が弱くなっている。そして取ろうとした石が取られる。だから石はできるだけ二石か三石にぴんと真っ直ぐに伸びることを教える。だがなかなか言うことをきかない。この状態に似たことを表現する格言に「アタリ、アタリ、はヘボ碁の見本」というのがある。「アタリ」はできるだけ我慢して打たないに良いことが多い。「取ろう取ろうは取られのも」という囲碁の格言をこれから教えていくことにする。

石のぶつかり合いでは、上手は真っすぐ打ち、下手は「コスム」を多用しがちだ。「コスム」とは斜めに打つことである。「コスム」のほうは、後で「空き三角」とか「ダンゴ石」という美しくない形ができやすい。真っすぐには、オシ、ノビ、一間トビなどがある。一間トビでは割り込みという手があるが、概して良い形を維持することができる。安定した石になることだ。

真っ直ぐには、一間トビ、ノビ、オシがある。一間トビではワリ込みによる切断があるものの、一般的には良い形を維持することができる。子供向けの囲碁教室にとって、少しややこしくなったので次回に譲る。

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ウィスコンシンで会った人々 その35 留萌線が廃止か 

1951年、小学校4年の時、美幌から名寄に引越した。父親の勤務が名寄駅になったためだ。名寄には、宗谷本線、名寄本線、深名線があり、当時としては交通の「要所」であった。名寄線は、名寄から遠軽や湧別を結ぶ138キロの路線であった。オホーツク海を眼前にしたのどかな鉄道であった。だが1989年5月に全線が廃止された。もう一つ、名寄と深川を結ぶのが深名線であった。こちらも122キロと結構長かった。途中人造湖の朱鞠内湖がある。山葡萄や蕗、わらびとりに出掛けた所である。父親は深川の駅長もしたことがある。路線は1995年に廃止された。

小学校6年のとき、名寄から稚内に引っ越した。当時走っていた天北線は音威子府駅で宗谷本線から分岐し南稚内駅へ至る149キロの路線である。途中、猿払原野など荒涼とした風景が展開する。そして1989年5月に廃線となった。残ったのは宗谷本線だけである。

ようやく留萌線の話題にたどり着いた。この線がまたまた廃止になるという。留萌線は深川と留萌、増毛を結ぶ67キロの路線である。留萌は日本海に面する漁業の町である。1950年代は鰊漁で非常に栄えた町である。留萌線はまだ残された赤字ローカル線の一つだ。

筆者が小さい頃生活していた美幌、名寄、稚内、深川だが、そこにあった路線がことごとく廃止されるという有様である。鉄道の廃止で街が廃するのは、廃止後の沿線の街の現在をみれば明らかだ。そして凋落という未来を物語る。街の凋落は商業活動が停止することである。モノとヒトとカネの流通がないところに繁栄はない。

40年間鉄道で働き、管理業務をこなし、組合とやりあい、貨車の手配をしで夜遅くまで忙しかった父がこの鉄道の「悲惨な」状況を目の当たりにしたら、なにを感じるだろうか。一方で新幹線の北海道上陸が近く、沿線の自治体は盛り上がる。他方、地元の人の足となっていたローカル線がまた姿を消そうとして、沿線の街が無くなろうとしている。

ウィスコンシンで会った人々 その34 ローカル鉄道とぽっぽや

またまた鉄道路線廃止のニュースに接した。長年育った北海道の話である。筆者は1945年の終戦直前に樺太から美幌に引き揚げてきた。父は抑留後1948年に無事家族に合流することができた。樺太鉄道で働いていたので、美幌の駅で再就職することになった。成田家にとって鉄道生活は「鉄道員(ぽっぽや)」ほど話題性はないが、抑留とか引き揚げという体験には、ぽっぽやの駅長以上の生々しいドラマがあったはずである。

1987年に国鉄の民営化によりJR北海道が誕生した。この新会社が最初に取り組んだ課題は経営基盤を固めるということであった。その方策として最も手っ取り早かったのが、赤字路線の廃止であった。北海道の道北や道東は人口密度が極めて薄い。

美幌は屈斜路湖や阿寒湖を控えた小さな町である。ここに相生線というのがあった。相生線は美幌駅と終点北見相生駅の間で、たったの37キロ。北見相生駅は阿寒湖やオンネトーへの玄関口で、阿寒湖まではバスで25分という近さだった。

戦後、この路線に国鉄が持っていた土地が職員に貸し出された。食料を得るためにトウキビやトウモロコシ、カボチャ、大根、人参などを作った。畑は相生線にある活汲という駅のそばにあった。線路にトロッコを乗せて道具や肥料を乗せ、帰りは収穫物を運んだ。汽車は一日数本しかなかったのでトロッコを使えた。相生線そばの畑は我が家の食糧難を救った地でもある。だが1985年に廃止された。

「鉄道員(ぽっぽや)」の撮影の舞台はどこかはわからない。だがあの吹雪や駅舎や線路のたたづまいは相生線のような気がする。単線の線路脇に立つ腕木式の信号機、転車台、切符の手動販売機など。信号機だが暗くなるとカンテラが灯される。腕木が水平なら汽車は停止、45度斜めに下がれば進行を示す。こうした作業は人手に頼っていた。それだけに信頼度の高い仕組みだったといえる。

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20040307173549 腕木式信号機

ウィスコンシンで会った人々 その33 実験計画の重要性

「教育の営み」ということを我々はしばしば使う。それは、過去の経験とか経験則にそって帰納的推測を信じているからである。どういうことかというと、「どうしてそのような指導法を使うのか」と問われると、「過去にいつも同じようにうまく働いた」とか「同じような結果がでた」と主張して同じ事を繰り返す。だが、将来もうまく働くと期待させるには、どのような根拠が必要なのかを問わなければならない。

我々の日常の行動は、こうした過去の行動の延長がほとんどといってもよい。学校でも大学でも企業でもそうだ。だが新しい試みはそこに何らかの見通しや予測が働き、よりよい結果や成果を期待する。そして検証という課題が待っている。これが面倒なためにどうしても繰り返しという道を選びがちになる。過去の経験と結果に拘泥していては、新し発想は生まれにくい。

ウィスコンシン大学での勉強に戻る。大学院では実験などの検証方法を学んだ。検証といってもいかに信頼しうるデータを収集するか、そのための実験計画はどうあるべきか、いかに誤差を減らすとかばらつかせるか、人の行動変容と意図した実験やカウンセリングではどのような落とし穴があるか、それにはどう対応するかなどのことである。例えば、特に子供の著しい成熟、家庭の状況、例えば両親の療育態度、子供の健康状態、大人であれば経済的な貧富や周りの交友関係があるやなしや、などが行動にいろいろと影響していくる。こうした誤差を生みやすい要因にいかに対応するかなどである。こうした授業は実験計画という科目であった。

ところで最近友人から問い合わせがあった。卒論で「部活をしている学生」と「部活をしていない学生」の間で「寂寥感」は違うかどうかを調べるには、どのような統計手法を使ったらよいかというものであった。この問いには簡単に答えるのは難しい。学生には、部活の他に毎月の経済状態とかアルバイト、健康状態、友人関係、都会か地方とかの出身、指導教官との関係、学業成績、自尊心などといった要因がある。通常、こうした要因は変数と呼ばれ「寂寥感」に影響してくるとも考えられる。今の学生のスマホを使ったSNSの利用は、部活よりも寂寥感とか孤立感を癒す要因となっているかもしれない。

「寂寥感」とか「自己効力感」などを調査するには、上述したような被験者とか調査対象者の環境から生じる属性である変数を考慮しなければならない。そのためには、テーマに関連するような調査項目や設問など精査しておくことが大事なのである。実験計画とか調査計画がしっかりしていれば、あとは統計処理に任せるだけだ。

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ウィスコンシンで会った人々 その32 大学のシーラカンス

統計上の検定にはいろいろと思い出がある。大学にいた頃の話である。そのほとんどは、「どんな検定を使ったらよいですか?」という類である。実はこうした相談は一番困惑する。大学の教員にはさまざまな人がいて、院生や学生に修論や卒論の課題を出したりする。院生のほうから「これこれしかじかの研究をしたい」という申し出もある。筆者は、その研究課題をどうして選んだのか、誰かの役に立つのかを考えさせることにした。こちらが思いもよらない素晴らしい提案をする者もいる。例えば「筋ジストフィー児の自己効力感の向上」といったテーマである。

大学では、他の指導教官が筆者を指定して院生を修論の相談に来させることがあった。そんなときは、まんざらでもないという気分になる。自分の専門分野でない問いを院生が持ち込んできたときは、筆者も知り合いの他の教官に相談するのがよいと助言して送りだす。大学にはいろいろな専門分野の人間がいるので、院生はそうした資源を活用できる特典がある。だが中には、他の教官の指導や助言を避ける者もいる。閥があるからだ。院生の囲い込みのようなことをしていては、院生が不幸である。

大学はさまざまな専門性を持った者の集団である。古い者は辞めていき、新しい血が注がれる。新陳代謝が多いのが大学だ。だが、シーラカンス(coelacanth)のような者もときにはいる。長く勤めれば勤めるほど同じ出身大学の後輩が集まり大学での発言権が高まる。差配のような存在となる。そして名誉教授などという箔が貰える。このとき研究業績などは考慮されない。これが国立大学法人の特徴である。

大学に学閥があるというは、今も昔も変わらない。シーラカンスのようなものだ。これを打破しようと文科省は大学に特徴を持たせようと大学を競わせ、競争的研究費をあてがい、組織の統廃合を進めようとしている。閥に入れなかったからといって少々ひがむのであるが、大学の発展のためには交付金の配分にメリハリをつけ、組織にメスというカツを入れることは悪いことではないと考える一人である。

design_img_f_1406180_s 北海道大学古河記念講堂 北大古河記念講堂

ウィスコンシンで会った人々 その31 「確からしい知識」と人間の行動

ウィスコンシンの大学院へ進んで驚いたことはいろいろある。その第一は実験計画や推測統計の授業内容が濃く、その知識の習得を調べる試験が厳しいということである。もう一つの驚きは、科学的方法という科目を履修しなければならないことであった。

筆者の所属したのは行動障害学科(Department of Behavioral Disabilitis)といった文字通り人間の行動を基本にして、様々な行動の形態や特徴をとらえ、それを変容させたり発展させることを目指して科目が設定されていた。その方法は応用行動分析とか行動療法という手法に現れている。

こうした研究分野は行動科学と呼ばれる。行動科学はなかな手強い学問である。人間の自由、その生と死、人間と環境、天賦の才能、思考や認知、知識と実在、価値と道徳、など哲学的ともされる課題や問いを扱うからである。以前、このブログで帰納推理ということを話題にしたことがある。そして「確からしい知識」とか「確実に起こりうる見込み」といった現象のことに触れた。

行動科学の本来の仕事は、経験から得た知見を仮説としてそれを検定するという演繹的なテストのことだとも述べた。集めた事例を吟味してそれを一般化にいたる合理的な方法を見いだそうとする。そのためには観察や調査、そして実験に耐えられるかどうかの合理的な方法を求めるのである。

帰納推理とは特殊から一般を推論する方法である。観察や実験から科学の法則を導き出す方法ともいえる。この方法の特徴は演繹推理と異なり、絶対確実な推理ではないという点である。何十回、何百回の観察や実験によって確かめられたといっても、あるとき別な方法によって意外な結果が表れるかもしれないのである。

従って、科学の知識とは確実ではない推論を積み重ねて構成されるものだから、確実な知識ではない、「確からしい知識」といわれる。ある事が起こり得る「見込み」である蓋然性ということが、人間界の現象、特に人間の行動上の特徴といえそうである。

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