初めに言葉があった その9  「失独失能」

中国では現在、高齢化、少子化、失能化(生活能力の喪失)、空巣化(老人だけの世帯)という4つの現象が並行して進行しているといわれます。夫婦が子供から独立して生活するのが困難な状態にあるというのが、「失独失能」の意味のようです。

失能化・半失能化した高齢者は2014年時点で4,000万人に達し、高齢者全体の19%に達し、また空巣世帯は高齢者の50%に達しているといわれます。大中都市に限れば70%に達しているとの報告もあります。このように地域ごとの失能化状況の違いも大きく、政府の対応を難しくしているといわれます。

時間が経つにつれて、「一人っ子」政策の負の影響が大きく現れているのが中国で発表されている論文や新聞紙で報じられています。高齢者の中で、特に一人っ子の両親は、子供が結婚して独立したとき、自分たちを世話してくれるだろうという期待を持てなくなっています。子供が複数いたときは、家族に両親とか障害のあるものがいたとしても子供が交代で世話をする習慣がありました。

政府は、こうした急速に進む高齢化社会の需要に対して、公共の介護福祉施設を増設すると同時に、これまでと違う新しい方法で対応する政策を打ち出しています。例えば、コミュニティ力を活かした家庭介護と社会介護の連携、「居家養老」と呼ばれる在宅養老・介護環境の整備などです。

特に、コミュニティ内に高齢者サービス拠点を置いて、高齢者が買物、清掃、付き添い、看護、緊急救護などといった各種サービスを利用しやすいようにするという考えです。また、生涯学習とか娯楽やスポーツ、レクリエーションなどといった高齢者のニーズに応えたコミュニティ内のサービスも振興しようとしています。

コミュニティと家庭の力を活用する養老・介護体系を支えるため、より多くの企業にこの分野に参入促そうと税制上の優遇措置を考えたり、補助金を出すなどにも力を入れています。こうした政策に呼応して、シルバービジネスに関心をもつ企業や経営者が増えてきています。私が指導した中国からの留学生も福祉資格取得養成施設の立ち上げを北京市内で準備しているとの便りが届いています。

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初めに言葉があった その8 「未富先老」

最近、中国でしばしば使われる四文字熟語に「未富先老」とか「失独失能」があります。こうした熟語に接すると高校時代に取り組んだ漢文の学習を思い出します。

新年早々、中国経済の減速と株価の下落が報道されています。「サーキットブレーカー」の発動などが取りざたされています。政府が株価を操作するかのごとき政策は市場経済といえるのか、とさえ思われます。

中国の経済現象とともに懸念されるのが「高齢化社会」の進行です。60歳以上の人口が総人口の13.3%を占め、前回の調査より3ポイント上昇したと報じられています。上海は中国で最も早く高齢化社会に突入したとも報道されています。60歳以上の人口は2012年に25%、2020年には37%に達する見込みだというのです。そして最大の課題は急増する高齢者の介護問題というのです。これには「一人っ子」政策のツケが回ってきているともいわれます。親を介護する者が少なくなったのです。

ブリタニカ国際大百科事典によりますと、世界保健機構(WHO)や国連から出された報告書に高齢化の定義があります。それによりますと65歳以上の老年人口の比率が総人口の 7%をこえた社会を「高齢化社会」(aging society)、14%をこえると「化」が抜けて「高齢社会」(aged society)というのだそうです。日本では 1970年に 7%をこえ,その後 1995年には 14.5%に達しています。

高齢社会は今日、明日の現象ではありません。総務省は2015年12月の推計人口において、65歳以上の総人口に占める割合が27%、75歳以上が13%を超えたと発表しています。日本の総人口は2006年をピークに減少に転じています。団塊の世代が2015年にすべて65歳以上になるので、この間の高齢者人口の急増を「2015年問題」と呼ぶこともあります。「2015年問題」とは、少子化に伴う若年労働者の減少と、それにカバーする定年年齢の65歳以上への引き上げ、部分就労といったことです。

「未富先老」という熟語の意味を考えてみましょう。文字通り「豊かになる前に高齢化する」ことです。この熟語は中国固有の現象を表すとされます。急激な経済成長によって、一部の階層の人々は豊かになったようですが、大多数の人民は豊かさに取り残され、高齢化後の生活に不安を抱えているというのです。老後の生活に必要な蓄えが不十分であるとか、介護施設を問わず介護スタッフなど高齢者の受け皿が足りないといった不安です。

中国人のGDPは一人あたり約4,000ドルで、日本やイギリス、ドイツ、フランス、スウェーデンなどの発展国が高齢化社会となったとき、人口一人あたりのGDPはすでに1万~3万ドルに達していたといわれます。これが「未富先老」という言葉が生まれた理由です。経済規模が世界2位になった今の中国にはこうした側面もあります。

我が国では「未富先老」という現象はあるのかという問いですが、高度経済成長を契機に、三種の神器とか所得倍増、マイホームなどの社会現象が起こりました。1990年代初頭のバブル景気の崩壊以後も経済成長は安定した成長を続けているといわれます。終の棲家を得てささやかながらの年金暮らしや介護医療保険制度などによって、「未富先老」という実態はあまり顕在化しなかったようです。このあたりの事情はより詳しく調べる必要は感じますが。

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初めに言葉があった その7 「あなたがたは地の塩である」

昔も今も人々は塩と非常に深い関係を持って生活しています。ドキュメンタリービデオで観たのですが、チベットやブータンに住む人々は、大事な塩を背中にしょってヒマラヤ越えをしています。地殻変動は海水をヒマラヤの大地に閉じ込めたようです。中国では前漢時代より塩の専売が行われ、2000年にわたる皇帝支配の財政基盤となったといわれます。日本でも1997年にようやく塩の専売制が廃止になったというのですから、塩の重要性がわかろうというものです。

古代ローマ時代には兵士への給料として、塩を買うための銀貨が手渡されたいわれます。ラテン語で塩とは 「sal」、塩(salt)の原型です。そこからサラリー(salary)がうまれました。 「sal」に由来する単語として、塩漬けされたサラミ(salami)、塩の効いたサラダ(salad)、健康的な(salutary)などがあります。サラリーマン(salaryman)とはローマ時代の兵士のなごりということです。

わたしたちが生きていく中で塩のない食べ物はありません。醤油と味噌はその代表ですね。味のない漬物なんて考えられません。戦国時代、上杉謙信が、敵将武田信玄の領国の甲斐が塩の不足に苦しんでいるのを知り、塩を送らせたという故事があります。敵の弱みにつけこまず、逆にその苦境に手を差し伸べる美談です。

味を調整をすることを「手塩に掛ける」といいます。「手塩」とは、もともとは食膳に置いて不浄を払うために小皿に盛った少量の塩のことです。そして、手塩で料理の味加減を自分の好みで調えるようになりました。やがてこのフレーズは、「自分で気を配って大切に世話をすること」に使われるようになりました。

自分自身を生かし、同時に他者を生かすことができるとき、わたしたちは初めて地の塩となります。多くの日本人が上杉謙信に好感を持つのは塩の大切さを彼が知っていたからです。少々違和感があるかもしれませんが、私たちもまた、塩だということです。わたしたちは、知らず知らず、それぞれの小さな役割を果たしています。お互いに、どこかで誰かの「地の塩」となっていることを思い起こしたいのです。「地の塩」とは人の模範や鏡としての喩えです。(マタイ福音書5章13節)

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初めに言葉があった その6  「沈黙の春」

自然には均衡があるといわれます。私たちは、かつてはそんなことを気にしないで生きてきました。「自然は蘇えり復元する力をもっているから、開発の影響なんてちっぽけなことだ、、、」とうそぶくこともありました。人は世界中で勝手な驕りを繰り返してきました。そのツケがまわっています。

我が国にも生息していた珍しい動物が絶滅しました。オオカミもコヨーテもいたといわれます。今の田舎では、イノシシや鹿が里におりてきて木の実や野菜を食べつくしています。畑の周りに電線を張り巡らしてもそれを飛び越える、人の脅し声を流してもそれに慣れて怖がらないのです。動物は人の知恵を出し抜く力を編み出しています。野生動物の連鎖が消えたことによって、特定の動物が繁殖しているのです。

病原菌については、薬品に対する抵抗性の問題がでてきました。ある種の病原体に効く農薬をつくりそれを散布するとします。病原体はほとんど死滅しますが、不思議なことに一部のものが生き残り、ふたたび増殖するのです。そして次世代へ遺伝していきます。

「沈黙の春」(Silent Spring)の作者、レイチェル・カーソン(Rachel Carson)は警鐘を鳴らします。彼女は合衆国連邦漁業局で海洋生物学者として勤務します。アメリカでは、化学物質がつぎつぎと開発され実用化されていましたが、その危険性についてはあまりにも知られることなく、大量に生産され使用されるという状況にありました。なかでもDDTなどの殺虫剤が空中散布されるなど乱暴な実態がありました。

「日本のコメ作りは世界農業のなかで最も多くの人手を要し、最も土地あたりに生産高をあげてきた。つまり本来の自然の姿からいえば、最もはなはだしいバランスの破壊を前提にしている。」このことを彼女が指摘したのは1964年のことです。かつて住んでいた兵庫県でも田圃では殺虫剤がまかれていました。

「沈黙の春」の出版を契機に、一方で化学物製造会社は猛烈に反論し、他方で科学者が彼女の立場を擁護し大きな論争へと発展します。当時のケネディ大統領は、大統領特別委員会の設置を命じます。この委員会から出された結論は、「沈黙の春」とカーソンの立場を支持するものでした。その後アメリカでのDDTの使用は政府の管理下におかれ、やがて使用が全面的に禁止されます。

自然の生態系には「食物連鎖」と「生物濃縮」という「自然の摂理」がはたらいています。彼女は、この「食物連鎖」と「生物濃縮」が失われると環境汚染がジワジワと進むと警告します。

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初めに言葉があった その5 「野のユリはいかにして育つか」

小寒。図書館へ通う途中、散歩の道すがら、人様の庭の木や花をながめるのが楽しみです。四季折々の変化をみせてくれます。世話をする人々の心が伝わります。ラベンダーの小さな青、ツバキの華麗な赤、冬ばらや梅の一輪、パンジーやビオラ、スズランのようなアセビ、雪中花の水仙、ボケのふくらみ、。四季を通じて花を愛でることのできる幸いを感じます。寒風にさらされながらも、短い日光を浴びて精一杯咲いています。これから大寒を迎えます。

冬の花は夏とは違い、より綺麗にみえるようです。空気が乾き澄んでいるからもしれません。寒さの中の花に「よく咲いているね」、と声をかけたくなります。元気さを与えてくれます。年令のせいでしょうか花を見る目が違ってきているようです。

かつて「野のユリ」(Lilies of the Field)という映画がありました。流浪の黒人青年がアリゾナの砂漠の中で東欧からきた修道女たちと出会い、不思議な手に導かれて、小さな会堂を建てて立ち去っていく、というシナリオでした。野のユリとはなにか。この素朴な青年なのか、信仰に生きる修道女なのか、会堂に十字架や祭壇を寄付する貧しい人々なのか、、ユリは清浄と純粋さと上品さの象徴とされます。

ルカによる福音書12:27(Gospel according to Luke)からの引用です。
「野のユリはいかにして育つかを思え、労せず、紡がざるなり。されど、我汝らに告ぐ、栄華を極めたるソロモンだにその装いこの花の一つにも及ばざりき。」
Consider the lilies, how they grow: they toil not, they spin not; and yet I say unto you that Solomon in all his glory was not arrayed like one of these. King James Version (KJV)

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初めに言葉があった その4 「この子らを世の光に」

滋賀県湖南市に近江学園という知的障害児等の療育や訓練、そして医療を行う複合的な施設があります。この施設が始まったのは1946年といますから、戦後のドサクサで大量の孤児が路上に溢れていたころです。その子供達を収容することから始まった活動です。この運動に関わったのは糸賀一雄、池田太郎、田村一二という人々です。当時としては先駆的な出来事です。

この三人の精神は、「この子らを世の光に」というフレーズに表れています。「この子らに世の光を」をいうのが当初のモットーだったようです。彼らは「を」と「に」の使い分けによって意味は全く違うこと、「に」を使うとこの子どもたちは憐れみを受ける対象となることに気がついていきます。「を」を使うと子どもは回りの人々に、広く社会に向かって自分の生命という光を放つ素晴らしい人格ということになる、と主張したのです。光輝く存在であるということを「この子らを世の光にする」ということばに込め、それを宣言したのです。

「この子らを世の光に」というフレーズには、実は下地があります。それはマタイによる福音書(The Gospel according to St. Matthew)5:13-16に「あなたがたは地の塩であり、世の光である」という聖句です。ここでの「世」とは「地」とか「闇」ということです。ほっておけば汚染され腐敗するのが「世」であり、「地」や「闇」は光を必要としているというのです。World English Bibleという聖書を見ますと、「あなたがたは地の塩であり、世の光である」を”Ye are the salt of the earth.”Ye are the light of the world.”とあります。「塩」と「光」に定冠詞 ”the” が使われているのは、特別なもの、かけがいのないものであることを示唆しています。

糸賀一雄はその著書のなかで次のように語ります。
「この子らはどんな重い障害をもっていても、だれと取り替えることもできない個性的な自己実現をしているものである。人間と生まれて、その人なりに人間となっていくのである。その自己実現こそが創造であり生産である。私たちの願いは、重症な障害をもったこの子たちも立派な生産者であるということを、認め合える社会をつくろうということである。『この子らに世の光を』あててやろうという哀れみの政策を求めているのではなく、この子らが自ら輝く素材そのものであるから、いよいよ磨きをかけて輝かそうというのである。『この子らを世の光に』である。(「糸賀一雄著作集3」より引用)

「を」と「に」という一字から生まれる文章の意味は、天と地ほどの違いがあります。「この子らは、、、」でも同じ意味となります。

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初めに言葉があった その3 「飾り気ない仕草、優しい言葉」

二週間あまりの「里帰り」を終えて長女と家族がマディソンへ戻りました。孫と毎日戯れたことを思いおこしながら、ビリビリに破られた障子の張り替えも済ませました。

長女から無事戻ったというメールが届きました。その中に本シリーズの話題に関連するフレーズがありました。短い滞在中に観察し感じた彼女の文章です。それは日本人の態度と言葉です。「機内でも空港でも駅でもバスでも店でも人々の態度と言葉はアメリカと違う」というのです。

家の近くにある、今はあまり見かけなくなってきた小さな八百屋の前を通ったとき、焼き芋の匂いが漂ってきました。長女は懐かしそうに、食べたいというので一包みを求めました。応対したのは七十過ぎの店主です。孫の頭をなでながら、芋を新聞紙に包んで孫に手渡しました。孫は「Hot!、」と大声を上げました。孫と長女と見比べてその店主は「あんたに似ていないな、、」と話しかけてきました。

翌日、散歩がてらまたその店に焼き芋を買いに行きました。店主の奥さんも出てきて「これは私が作った煮豆だよ、」と勧めてくれました。白と黒の煮豆と焼き芋を買って帰りました。長女はこの老夫婦とのやりとりと会話にいたく感じ入ったようでした。飾り気ない仕草、優しい言葉が印象に残ったようです。

帰りの便は日本のJ社だったようです。フライトアテンダントの接待やサービスがアメリカのとは全然違っていたとも書いてありました。「おもてなし」という言葉は英語では「Hospitality」といわれますが、英語圏では家に訪ねてきたお客様に対して使う言葉なのです。しかし、日本では接客のサービス全般に「おもてなし」が使われます。長女はそのことに気がついたようです。

前回、神学者のアウグスティヌス(Augustinus)が、時間の三様態を「記憶、知覚、期待」と云ったことを述べました。長女の八百屋での体験は、「記憶、知覚、期待」という彼女なりの時間意識ではなかったかと思われるのです。普段何気なく過ごしている日常に思いがけない体験と回想があるのだな、と思った次第です。

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初めに言葉があった その2 「すべてのわざには時がある」

このブログの中心的なテーマの一つが「時」「とき」ということです。この話題をいろいろな角度から考えながら、どう味付けし咀嚼したらよいかと考えるのですが、なかなか手強く難しいです。「時」という概念は古代宗教や古代ギリシャ神話、そして現代の哲学者や科学者が取り組んできました。私たちも「今日という一日を大切にして生きる」というとき、そこには時間があり、それを意識しています。古代ギリシャ人も私たちも同じことを考えながら生きてきました。

広辞苑によりますと時間とは、「空間と共に人間の認識の基礎を成すもの」とあります。「あらゆる出来事の継起する形式で不可逆的な方向を持ち、前後に無限に続き、一切がそのうちに在ると考えられ、空間と共に世界の基本的枠組みを形作る」ともあります。Wikipediaにも「出来事や変化を認識するための基礎的な概念が時間である」という記述があります。

宗教的な立場からの時間の概念です。永遠から生じ、永遠に期するとされ、厳正の時間は有限の仮象である、とあります。神学者のアウグスティヌス(Aurelius Augustinus)は、時間の三様態である「過去、現在、未来」から、時間というのは被造物世界に固有のものであるし、人間の時間意識を「記憶、知覚、期待」と仮定します。「天の下の出来事にはすべて定められた時がある」ということで一応ここでは納めることにします。

私たち人間が経験する具体的な現実、特に意識に直接与えられる事実をとらえているのが時間ということです。普通、人々は時間を時計の文字盤の目盛りによって測ったり、ある感覚が他の感覚の何倍も強いとか弱いとかで示します。悲しみの時は長く、喜びの時は短く感じられるように、わたしたちにとっては具体的な時間とは、かなり主観的な側面があり、さらに等質的とか量的なものではなく、重ねたり比較することもおよそ不可能であることがわかります。

以下、列記した時に関する現象とは、現在といういろいろな出来事の瞬間であることがわかります。たとえば「入学する時」の記憶にある瞬間と「卒業する時」の瞬間が比較されるので、そこに時の意味が回想されます。そうしますと、私たちは、瞬間瞬間をより高みを求めようとし、より深く生きることがよりよく時間を過ごすことになるのではないかと考えるのです。

旧約聖書の伝道の書(Ecclesiastes)3:1-8を引用して本稿を終えます。

「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。生きるる時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり、石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、捜すに時があり、失うに時があり、保つに時があり、捨てるに時があり、裂くに時があり、縫うに時があり、黙るに時があり、語るに時があり、愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある」

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初めに言葉があった その1 ロゴス(Logos)

年頭にあたり、「初めに言があった」というフレーズを考えています。英語のアルファベット(alphabet)はギリシャ語から生まれています。ギリシャ語の最初はアルファ(α-alpa)、そしてベータ(β-beta)と続き、最後がオメガ(omega-Ω)です。聖書のヨハネの黙示録1:7(Revelation)に「今いまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。わたしはアルファであり、オメガである。」という有名な聖句があります。

冒頭に引用したのはヨハネによる福音書1:1にでてきます。「初めに言(ロゴス)があった。言は神とともにあり、言は神であった。」(口語訳聖書)という記述です。この箇所は、キリストについて述べたものと講解され、三位一体(Trinity)という教義の成立に関わっています。三位一体説によれば、「ロゴス」とは「父」の言である「子」、つまりイエスを顕すとされます。ロゴスとはキリストの別称なのです。

他方で、思考や理論の論理という「ロゴスの学」、すなわち論理学があります。ギリシャの哲学者アリストテレス(Aristotle)によって綜合された古代のロゴスの学といわれます。ラテン語ではロゴスは「logica」と呼ばれます。論理学は、思考のつながりや推理の仕方、論証の仕方の形式とか法則を極めようとする学問です。弁証法などの理論につながる学問です。論理学は中世においては神学の基礎科目の一つとされ、神学校では幾何学などともに教えられたという記録があります。

アリストテレスは高校の教科書にもでてきます。彼は、人間の本性は「知を愛する」ことだと主張しました。この有りようをギリシャ語ではフィロソフィア(Philosophia)と呼ばれています。フィロ(philo)は「愛する」、ソフィア(sophia)は「知」を意味します。やがて日本ではこの言葉が「哲学」(philosophy)と訳されました。物理学(physics)という言葉も哲学から派生しています。

私たちが使っている英語の単語には、古代ギリシャ語を語源とするものが沢山あります。Logicに関する単語ですが、Psychologyなどに見られる「logy」は英語の大事な接尾辞の一つとなっています。この接尾辞に出会うと、単語の意味が類推できます。「〜学」、「〜説」、「〜論」、「〜話」、「〜科学」などを意味するからです。たとえば 論理(logic)はもとより、 科学技術(technology)、イデオロギー(ideology)、生理学(physiology)、生物学(biology)、腫瘍学(oncology)、そして蛇足ながら類義語の無用な反復(tautology)など枚挙にいとまがありません。ついでながらギリシャ語の「cracy」を接尾辞とする単語には民主主義(democracy)、貴族体制(aristocracy)などもあります。

普段、「論理的に話したり書いたりする」ということをよく言います。三段論法、帰納法と演繹法、仮説検証など私たちが意識しないでも、問題解決の方法として取り入れています。説明や文脈を明確にし結論に導くことです。論理と思弁を重んじることにより、「語られる力ある言葉」にする知的作業といえます。このように論理学は、人間の思考や表現などあらゆる分野において重要な役割を果たしています。

新しい一年も、ロゴスの持つ力を頂戴しながら本欄で書き綴っていきたいです。

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「I Have a Dream」からの感動を

今年最後のブログの記事となります。とりとめもなく書き綴ったものが多い中で少々感慨にふけると時もあります。それは考えることと書くことの葛藤です。話題はそろそろ尽きているのですが、図書館への道すがらの一時の思考、新聞記事の話題などからふと書きたくなることが浮かぶのです。それに関連した経験を混じえて考えると文章がなぜか沸いてくるのです。

話題は変わります。教会での礼拝に参加し説教を聴いた人々もおられるでしょう。説教を作り上げるのに牧師や神父は、テーマに沿った聖書の箇所を何度も読み、その意味を考え、ときに他の講解を調べ15分〜20分の説教に仕上げます。そこには大事な修辞という技法が埋め込まれます。説教は毎週の仕事とはいえ、いかに会衆に訴えかけるかで全神経を注ぐのではないかと察します。それ故に、会衆を前にして語りかける時は、なににも代え難い誇らしげな瞬間だろうとも察するのです。

ギリシアやローマ時代から修辞学(Rhetoric)という学問領域がありました。それほど文章やスピーチなどに豊かな表現を加えるのが難しくも大事であるか人々は知っていたのです。修辞学は一連の技法のことを極める分野です。反語、比喩、引喩、倒置、体言止め、パラレリズム(対句)、首句反復、畳句、時間、押韻などさまざまです。

修辞の傑作という高い評価を広く受けているマーチン・ルーサー・キング牧師(Dr. Martin Luther King Jr.)の公民権運動における演説、「I Have a Dream」があります。この演説草稿はバプテスト教会の説教の形式に沿って作られています。それは、聖書の部分を引用し、それを講解しながら、現代的な問題の解決に示唆を与えようとすることに現れていることです。聖書への深い理解と洞察、そして人間社会の困難さや苦悩へのがあってはじめて会衆の琴線に触れる演説や説教ができるのだろうと推察できます。

演説の中での聖句の引用は、演説を際立てます。キング牧師は、例えば旧約聖書、詩篇30章5節(Psalm 30:5)を引喩しながら、奴隷の廃止に関して訴えます。

まことに怒りはつかの間。いのちは恩寵のうちにある。
  夕暮れには涙が宿っていても、朝明けには喜びの叫びがある。

このように虐げられていた者を鼓舞するのです。演説では引用が続きます。

      我々は満足しない、公義の水のように、
    正義をいつもの水の流れる川のように流れさせるまでは。

これはアモス書5章24節(Amos 5:24)からの引喩です。こうした引喩によって人種差別からの解放を強烈に訴えるのです。

キング牧師の演説はさらに続きます。師は次のようイザヤ書40章3-5節を引用します。

     呼びかける声がある。
     主のために、荒れ野に道を備え、我々の神のために、荒れ地に広い道を通せ。
       あらゆる谷間が高く持ち上げられ、あらゆる丘や山々は平らかにされる。
       荒地は平原となり、くねくねした所は真っ直ぐにされる。
       主の栄光が顕され、人々はそれを仰ぎ見る。

このように演説の中に旧約聖書の引喩が多い理由は、長きにわたる捕囚の民、イスラエル人が解放され独立を宣言する過程が黒人の奴隷解放や公民権の回復と重なるからです。こうした過去と現在、イスラエルの民と黒人の対比によって、運動が正当であり正義にかなうのだと訴えるのです。

「I Have a Dream」とは、なんとわかりやすく味わい深いタイトルと文章なのでしょうか。

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留学を考える その71—アメリカの酪農の中心と留学

大自然といえば、「Big Sky Country」“蒼穹の空”とも呼ばれるのがモンタナ州です。「Peace Garden State」はノースダコタ州、コロラド川が何億年もかけて削った谷「Grand Canyon」はアリゾナ州です。海のような五大湖を控えるので「Great Lakes」呼ばれるのがミシガン州です。「Green Mountain State」はヴァモント州。「Garden State」はニュージャージー州。「Ocean State」といえばロードアイランド州となります。いずれも大西洋岸にある小さな州です。「Sunshine State」”太陽が一杯”というのがフロリダ州です。

果物や農産物にまつわるキャッチフレーズを見てみましょう。その代表は「Peach State」といわれるジョージア州です。ここにはスイカやメロンも有名です。ルイジアナ州は「Sugar State 」” 砂糖の州”です。少々地味ですが、「Famouse Potatoes」のアイダホ州です。ここのジャガイモは大きいので知られています。

観光や産業にあたるキャッチフレーズもあります。ミズリー州のナンバープレートのモットーは「Show Me State」です。さしずめ、「証拠を見るまで信じない」といった感じです。この州は東海岸からみれば田舎の州。人が馬鹿にする傾向があったことに対する反論のような印象があります。メーン州は「Vacation Land」、そして「Aloha State」はもうお分かりですね。「Heart of Dixie」と呼ばれるのがアラバマ州です。「Dixie」とは南という意味です。ジャズの本場というわけです。

私の第二の故郷であるウイスコンシン州のは「アメリカの酪農の中心」というものです。北海道のような緯度にありまして、酪農に適したところです。土地があまり肥沃ではないのです。田舎道を運転していると糞尿の匂いが伝わります。「ウイスコンシンの香水」だと揶揄されています。最後は、アラスカ州です。「The Last Frontire」、最後の開拓地というフレーズで知られています。わざわざ「Prison Made」と印字されていたのがカリフォルニア州のものでした。

アメリカのライセンスプレートは、州や郡ごとに独自のデザインで発行されており、非常に色彩豊かです。各州の特徴を表現するキャッチフレーズのほかに、追加の手数料を支払えば自分のカラフルなナンバープレートを作ることもできます。通常2年ごとにナンバープレートのデザインは変わります。ですから一つの州には沢山のプレートがあり、蒐集家を喜ばせます。この国の多様性を感じる機会がここにもあります。

「留学を考える」シリーズは今回で終わりです。

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留学を考える その70—ライセンスプレートと留学

ライセンスプレートの特徴を取り上げて合衆国の大学を概観してきました。ライセンスプレートから各州の歴史や文化を伝ってきます。そして大学の成り立ちも伺い知ることができます。

我が家の小さな倉庫にライセンスプレートが80枚位あります。すべてアメリカ留学中に集めたものです。どうしてライセンスプレートに興味をもったかといいますと、そのデザインにあります。州の形をしたもの、州の特産物や自然のイラストを入れたもの、州の歴史やスポーツ、イベントを思い起こさせるものなどがあります。州の名前は必ず入るのですが、ナンバーは3から7文字程度のアルファベットと数字で構成されます。その中でも私の最も好きなのが州のキャッチフレーズやモットーが付いていることです。

ライセンスプレートにあるキャッチフレーズは、歴史、人、自然、特産物、観光などに分けることができます。まずは歴史からまいりましょう。アメリカで最初に定められた州はデラウエア州で「First State」。合衆国憲法が起草されたことを記念する州はコネチカット州で「Constitution State」と呼ばれています。面白いのは、「Live Free or Die.」 “自由を、さらば死を“とうたうのがニューハンプシャー州です。マサチューセッツ州は「Spirit of America」というキャッチフレーズです。これは、独立の精神を意味するようです。「Empire State」という少々いかついのはニューヨーク州です。

次に、人にまつわるキャッチフレーズをみてみましょう。イリノイ州はエイブラハム・リンカーン大統領が生まれた地です。「Land of Lincoln」と呼ばれています。ノースカロライナ州は、ライト兄弟が最初に飛行機に乗ったところです。それで「First in Flight」というフレーズで知られています。インディアナ州 は「Hoosier State」”不器用な人の州”というのは滑稽です。オクラホマ州 は「Boomer State」、”一時的な人気者の州”というものです。オクラホマ州は「Sooner State」、”抜け駆け者の州”といって、我先に土地を所有しようとした人のことをいいいます。開拓時代を思わせます。”トウモロコシの皮を剥く人の州 ”「Cornhusker State」というのはネブラスカ州、トウモロコシ畑が続く大平原の州です。
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留学を考える その69—Pennsylvania Avenue

ワシントンD.C.には、建設以来大量の黒人が住むようになりました。今も全米の都市でも最もその割合が高い街となっています。そのようなわけで、ワシントンD.C.はアフリカ文化の普及や公民権運動の中心となりりました。市内の東側を流れるアナコスティア川(Anacostia River)付近には黒人をはじめとする低所得者が多く住んでいます。

第二次大戦後、白人はこの地区から大挙して郊外へと移住します。高速道路ができて通勤が便利になったこともその一因です。白人が居住し始めた地区は、コロンビア特別区とジョージタウン(George Town)に囲まれたあたりです。この辺りは、合衆国でも最も裕福な人々が住むところとなっています。

ランファンの都市計画によって造られた現在のペンシルヴァニア通り(Pennsylvania Avenue)は、幅が122mで大統領府と議事堂を1.9 kmで結んでいます。そのためアメリカのメインストリート(America’s Main Street)と呼ばれるようになりました。この通りで大統領就任式のパレードが行われます。ペンシルヴァニア通りは、メリーランド州(Maryland)のプリンスジョージ郡(Prince George’s County)まで続き、その長さは56.5 kmとなっています。

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591_1051925147 Pierre L’EnfantL'Enfant_plan  District of Columbia

留学を考える その68—Pierre L’Enfant

ワシントンD.C.の三回目です。合衆国の首都は、1776年の英国からの独立後、第一回と第二回の連邦議会の始まりとともにペンシルヴァニア州(Pennsylvania)のフィラデルフィア(Philadelphia)に置かれました。フィラデルフィアでは、独立戦争時、議事堂で大陸会議が開かれ独立宣言が起草されます。現在独立記念館となっている建物でです。ですがこの街の首都は10年あまりで移ることになります。

1783年6月、独立戦争で闘ったかつての兵士が大挙して議会ホールに集まり、兵役に対する報酬を要求して決起します。それを押さえようとして連邦議会は、ペンシルヴァニア州知事のディキンソン(John Dickinson)に対して軍を出動させて鎮圧するように要請します。しかしディキンソンは兵士らの要求を正当と考え議会の要請を拒否します。その結果、ニュージャージ州のプリンストンに首都が移ることになります。

大統領のワシントンは、ランファン(Pierre L’Enfant)という都市計画家を新しい連邦首都の意匠を担うように指名します。ランファンは後にコロンビア特別区(District of Columbia)となる10平方マイルの連邦地域の計画立案と土地開発を監督します。そして1791年にランファンはポトマック川の北岸から東岸にかけて長方形の区画を首都として設計します。それが現在の首都ワシントンD.C.の基礎となります。

コロンビア特別区のあたりは、もともとアルゴンクイン族(Algonquian)というネイティブアメリカンが住んでいたところです。彼らはナコッチタンク(Nacotchtank)という名前で呼ばれていました。1812年に米英戦争というのが起こります。英国及びその植民地であるカナダ及びイギリスと同盟を結んだアルゴンクイン族ら諸部族とアメリカ合衆国との間の植民地戦争のことです。米英戦争終盤の1814年8月、イギリス軍がアメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.を攻撃し、市内を占領しホワイトハウスや議会議事堂など多くの政府関係の建造物に放火します。これが「ワシントン焼き討ち」(Burning of Washington)と呼ばれる事件です。

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2006-07 Tuition and Fees: $37,820 2007-08 Tuition and Fees: $39,210

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留学を考える その67 ワシントンD.C. –Holocaust Memorial Museum

スミソニアンの博物館の中でも最も来場者が多いのが国立自然史博物館(National Museum of Natural History)といわれます。子ども達に人気なのが国立航空宇宙博物館(National Air and Space Museum)でしょう。いつも家族連れや団体で一杯です。このほかに国立アメリカ歴史博物館(National Museum of American History)、国立アメリカ・インディアン博物館(National Museum of the American Indian)、国立アフリカ美術館(National Museum of African Art)、ハーシュホーン博物館と彫刻の庭(Hirshhorn Museum and Sculpture Garden)、芸術産業館(Arts and Industries Building)などです。

是非訪ねていただきたいのはユダヤ人の虐待とその歴史を遺品や写真などで紹介するホロコースト記念博物館(Holocaust Memorial Museum)です。イスラエルの歴史やユダヤ人の離散や迫害の歴史を辿ることができます。どの館も安い入場料あるいは無料で見学できます。モールを午前と午後に一つずつ見学してもゆうに一週間はかかります。

モールのすぐ南にタイダル・ベイスン(Tidal Basin)という池があります。ここにはかつて日本から贈られた約1,700本の桜の並木があります。1912年3月、尾崎行雄が東京市長在任中に高峰譲吉などと協力してソメイヨシノ2,000本を贈り、ポトマック河畔に植樹されます。しかし、虫害によって焼却されますが、後に3,100本の桜が新たに植樹されました。その返礼としてアメリカよりハナミズキ(Cornus florida)が贈られます。3月末は花見客で一杯となる合衆国で有数の桜の名所となっています。日本とアメリカの友好の歴史を物語る場所でもあります。尾崎行雄は後に憲政の神様といわれます。
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留学を考える その66 ワシントンD.C. –Taxation without Representation

アメリカ合衆国のいろいろな話題や特徴を通して、各州の大学を紹介をしています。今回は合衆国の首都ワシントンD.C. (District of Columbia)です。ワシントンD.Cは州ではありません。特別区というか準州のような扱いです。

ワシントンD.C. を紹介するには多くのページを必要とします。なにから始めたらよいか迷うほどです。まずはワシントンD.C.のライセンスプレートからいきましょう。プレートには「Taxation without Representation」とあります。このフレーズですが、D.C.は他の州とは違って、上院や下院への議員を選ぶ権利が住民にはないのです。にも関わらず高い住民税を払っています。これまで何度も議会に抗議したり訴訟を起こして、選挙権の獲得運動がありました。しかしいまだに実現していません。そこでD.C.はナンバープレートに抗議のフレーズを入れているのです。「税金払えど選挙権なし」という意味が込められています。他の州には、このような主張を込めたものは見当たりません。大抵は、産物とか自然を誇るフレーズです。その点でD.C.のは興味あるナンバープレートです。

ヴァジニア州(Virginia)やメリーランド州(Maryland)などと隣接するこの街は、世界の政治や経済の中心です。国権の最高機関である大統領府(White House)、連邦議会議事堂(Capitol)、議会図書館(Library of Congress)、連邦最高裁判所(Supreme Court)や中央官庁などの行政機関が集まるほか、国立公文書館、日本銀行にあたる連邦準備制度(Federal Reserve System:FRB)、世界銀行(World Bank)や国際通貨基金(IMF)の本部、各国大使館などが置かれています。

街の中心はナショナル・モール(National Mall)と呼ばれています。モールの中心にはワシントン記念塔(Washington Monument)があります。モールの両端にはリンカーン記念館(Lincoln Memorial)と連邦議会議事堂が鎮座しています。スミソニアン協会(Smithsonian Institution)が運営する多くの博物館や美術館がモール内にあります。どれをとっても質・量ともに世界でもトップクラスであります。加えて、多くの国立記念建造物や碑が建てられています。例えば、第二次世界大戦記念碑、朝鮮戦争戦没者慰霊碑、硫黄島記念碑、ベトナム戦争戦没者慰霊碑、アルバート・アインシュタイン記念碑など数えられないほどです。

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留学を考える その65 ワイオミング州–Equal Rights

ワイオミング州(Wyoming)は北にモンタナ州(Montana)、東にサウスダコタ州(South Dakota)とネブラスカ州(Nebraska)、南にコロラド州(Colorado)、西にユタ州(Utah)とアイダホ州(Idaho)と境をなしています。州都はシャイアン市(Cheyenne)です。人口は56万人。全米50州の中で最も少ないのですが、面積は二番目の大きいという特徴もあります。

Wyomingとはインディアンの言葉で「大平原」を意味するそうです。州の東側3分の1はグレートプレイン(Great Plains)、西側3分の2はロッキー山脈(Rocky Mountains)、といったように東部の山岳地帯と丘陵の牧草地帯が広がります。ライセンスプレートには、馬に乗るカウボーイがイメージされています。

州の主要な産業は鉱業と農業。鉱業ではウラニウム、天然ガス、メタンガス、農業では小麦や大麦、馬草、サトウキビが主たるものです。イエローストーン国立公園(Yellowstone National Park)がこの州の北西部に広がります。年間600万人が訪れます。全米最古の国立公園で、シンボルになっている間欠泉(geyser)や温泉の見所で有名です。バッファロー(buffalo)、グリズリー(grizzly)、ムース(moose)、狼(wolf)などが生息し大切に保護されています。「Equal Rights」とか「Cowboy State」というの州のモットーとなっています。少々地味な印象ではあります。

ララミー市(Laramie)にあるのがワイオミング大学(University Of Wyoming)。農業、エネルギー、地質学などの研究が強いといわれています。当然ながら水資源とかの環境、天然資源の研究も盛んです。その他、キャスパーカレッジCasper College)、セントラル・ワイオミングカレッジ (Central Wyoming College)、イースタン・ワイオミングカレッジ (Eastern Wyoming College)などのリベラルアーツ教育も充実しています。

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留学を考える その64 ウィスコンシン州—American Robin

今ウィスコンシンはすっかり冬に突入しています。動物は冬眠しています。前回紹介したアナグマ(badger)も狸も深い穴の中で暖かくして眠っているでしょう。

多くの鳥も南のフロリダやメキシコ湾あたりに渡りました。ウィスコンシン州の鳥はロビン(American Robin)となっています。コネチカット州(Connecticut)とミシガン州(Michigan)もロビンを州鳥に指定しています。日本ではコマツグミと呼ばれていますが、American Robinの雄は色彩に富んでいます。雌は少々地味な色です。

この鳥は、厳しい冬に終わりを告げる二月末から三月にかけて戻ってきます。人々の待ち焦がれていた春がロビンで運ばれてくるかのようです。それでロビンは「春を告げる鳥」、「春の使者」(spring heralder)といわれるほど愛されています。鳴き声も綺麗なのです。頭と羽を除き、お腹は赤く実に姿勢が良いのです。

北米大陸に渡ってきた人々によってRobinという名前がつけられました。ヨーロッパにいた胸の赤い鳥(red-breast)に極めて似ていたからだといわれます。ロビンは北米大陸に広く生息しています。渡り鳥なのですが、大陸の南部と北部を行き来する渡り鳥です。夏はカナダにも飛来していきます。

ウィスコンシンが州鳥とした経緯です。1926年から1927年にかけて小学生が投票で決めたという記録が残っています。 子供に州鳥を決めさせるという発想がいいですね。

餌ですが、芝をつっついて虫やミミズを引っ張りだすのが観察されます。庭のどこでも見かけられるので「backyard bird」ともいわれるほどです。ロビンに似た鳥にフィンチ(finch)がいます。こちらは色とりどりで華やかな姿をしています。カーディナル(cardinal)もトサカがぴんと立って体全体が赤く実に綺麗な鳥です。ウィスコンシンでもなじみ深い鳥ですが、私は日本ではこの三羽をまだ見たことがありません。

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留学を考える その63 ウィスコンシン州—Badger State

どの州にも愛称があります。ウィスコンシン州には、アナグマであるバジャー(Badger)という少々平たい顔の動物が州のマスコット(mascot)となっています。それで「Badger State」と呼ばれるのです。アナグマの顔には白の縦縞の模様が入っています。昼間はめったに見られません。狸やスカンクが住宅地域に住み着くのは珍しくありませんが、アナグマは人里の近くには生息しません。

アナグマの分布です。北米大陸、アイルランド、英国やスカンディナビアの国にいます。絶滅危機の動物リストに入っていませんが、ウィスコンシン州の法律では狩猟は禁止されています。州自然局が動植物を管理しています。自然保護はどの州も厳しいのが合衆国に共通することです。

アナグマの棲み家の穴はセット(sett)といわれます。雄は”boar”、雌は”sow”、子供は”cub”と呼ばれます。アナグマは普段は柔和な性格ですが、追い詰められると闘うモードに入ります。大人の体重は18キロ前後で、長いしっぽを持っています。足は短く、穴掘りに適しています。昆虫、鳥、蛙、果実や根を食料としています。他の熊と同様に雑食動物です。

アナグマは”ウィスコンシン大学のマスコットにもなっていて、バッキーバジャー(Bucky Badger)の名で親しまれています。あらゆるスポーツ大会で登場し会場と観客を沸かせます。その他、子供のイベント、学校訪問などで活躍します。Bucky Badgerの誕生日は1940年10月2日として、ワシントンD.C.にあるアメリカ議会図書館(Library of Congress)に登録されています。なぜこの日なのかはもう少し調べる必要があります。著作権はもちろん設定されています。”Bucky”は雄なので、一時、 雌のマスコット名前として”Betty”とか”Becky”という名前が候補として挙がりました。ですが未だに実現していません。マスコットの誕生日や名前の登録とか、アメリカ人は可笑しいことを考えるものです。

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留学を考える その62 ウィスコンシン州–America’s Dairy Land

ウィスコンシン州の気候は内陸のために寒暖がはっきりして、夏は30度以上になることもしばしばです。冬の寒さといえば筆舌に尽くしがたいような日が何日も続きます。雪はそんなに深くは積もりません。風で吹き飛ばされます。
ライセンスプレートには「アメリカの酪農の地」(America’s Dairy Land)と記されています。そして納屋とサイロが描かれています。乳製品で有名な州です。2010年度の第45回スーパーボウル(Super Bowl)を制したグリーンベイパッカーズ(Greenbay Packers)の本拠はウイスコンシン。そのときファンがかぶったのがチーズヘッド(cheese head)というチーズをかたどった帽子でした。

沢山の種類のチーズが楽しめます。ワイン、麦酒に欠かせないおつまみです。酪農の地ですから、ステーキもまた格別です。分厚いフィレミヨン(filet mignon)はいいです。肉をグリルで「焼いて」ステーキソースをかけるのが一般的な食べ方です。どの家庭にも野外で肉を焼くグリルがあります。

ウィスコンシンは北欧やドイツの移民が多い州です。そのためソーセージ類もまた沢山の種類がつくられています。スパイスをきかせた肉がたっぷりな巨大なソーセージ(brats)は、「アメリカの酪農の地」の名に恥じないものです。ポーランドかドイツからの移民が持ち込んだのでしょう。スポーツといえばアイスホッケーが盛んで、どの高校にもホッケー部があります。氷上の格闘技です。

ウィスコンシンは私の研究の基礎をつくり、3人の子どもに教育を授けた忘れられない州です。今も娘二人がマディソンで子どもと生活しています。私と長男の嫁を含めると全部で学士から博士まで10の学位を頂戴しています。大分投資もしましたがそのリターンは計り知れません。

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