留学を考える その36 ミズリー州–Show Me State

ミズリー州(Missouri)のニックネームは「Show Me State」となっています。これは、「少々のことでは納得しない」という意味です。なにか気概が感じられます。このフレーズががライセンスプレートに印字されています。

ミズーリは、合衆国中西部のミシシッピー川(Mississippi River)沿いの内陸にあります。8つの州にまたがるところでもあります。州都はジェファーソン・シティ(Jefferson City)。同州を代表する都市はなんといってもセントルイス(St.Louis)です。ミシシッピ川に面するこの町は、開拓時代より西部への玄関口として発展し、現在では中西部きっての観光地となっています。

19世紀の初めにアメリカで歌われるようになった民謡に「シェナンドー」”Shenandoah”」があります。カヌーでシェナンドー川を行き来していた貿易商人(Voyageurs)が歌う古い舟歌でしたが、いつしか白人の男性が酋長の娘「シェナンドー」に恋をするラヴソングへとなり、長い間に歌い継がれていきます。フランス語のVoyageursとはTravelerという意味です。似たような曲に「赤い川の谷間」(Red River Valley)という恋歌もあります。

Oh Shenandoah, I long to see you,
Away you rolling river.
Oh Shenandoah, I long to see you,
Away, we’re bound away,
Cross the wide Missouri.

ミズーリの主要産業は、航空宇宙産業、輸送設備、食品加工、化学工業、印刷/出版、電気設備、製造業など多彩です。農業生産品は、牛肉、大豆、豚肉、乳製品、トウモロコシ、ニワトリなどの家禽、及び 鶏卵です。特に豚や牛の生産が盛んです。近年はワイン産業の育成にも州は力を入れています。

ミズーリ州は、大理石の生産で知られています。その他、鉛、石炭、採石が生産されています。ミズーリ川とミシシッピー川がこうした資源を運ぶ大動脈となっています。川には大小多くのバージ(barge)と呼ばれる運搬船が往来しています。

セントルイス市内には「Gateway Arch」アーチがそびえています。頂上からの眺めは、ミシシッピー川をはさんで360度の景色が楽しめます。ここには、Gateway Archが建設される様子の資料が展示されています。あの壮麗なアーチが出来上がる様をつぶさに映像で説明しています。機会があれば是非登ってください。

面白い話題がミズーリにはあります。ミズーリ州は他の州に比べて、タバコやアルコールの規制が緩やかなことです。例えば、未成年の子どもに保護者が酒をのませることも認められています。禁煙運動が盛んな国としては、大変珍しいことです。バドワイザー(Budweiser)を製造するアンハウザー・ブッシュ(Anheuser-Busch)の工場もここにあります。2008年にベルギーの多国籍飲料会社インベブに買収されています。

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留学を考える その35 ミシシッピ州 Birthplace of America’s Music

ミシシッピ州(Mississippi)はテネシー州(Tennessi)と北部、アラバマ州(Alabama)と東部、ルイジアナ州(Lousiana)およびメキシコ湾と南部、ならびにルイジアナ州およびアーカンソー州(Arkansas)と西部で隣接しています。州都であり最大の都市はジャクソン(Jackson)。ミシシッピ川が流れるミシシッピ州は大半が低地で構成され、最高地点はカンバーランド(Cumberland)山地の丘陵部でたったの246m、最低地点はメキシコ湾岸の海面となっています。

ミシシッピの歴史です。1850年代は綿花が花形でした。ミシシッピデルタ地域は土壌が肥沃で、プランテーション所有者は、綿花の国際市場での高値や安い労働力であった奴隷を使い裕福になりました。プランテーションは数十万人の奴隷労働者に依存し、また白人の間にも富の不均衡が発生し、人種差別が激しくなります。やがて合衆国からの脱退を支持し南北戦争では南軍に編入します。

ミシシッピ川のデルタ地域では、昔からブルースの発展に重要な役割を果たしてきました。そのためでしょうか、州のモットーは「Birthplace of America’s Music」となっています。生まれた歌は黒人奴隷などの苦難に満ちた生活が背景にあります。Wikipediaによると、19世紀末までに農園所有者の3分の2は黒人であり、綿花の価格低下で多くが土地を失ったといわれます。黒人は仕事を求めて大都会へ移住します。ミシシッピ州の多くの音楽家もシカゴに移住し、ジャズを新しい形式で演奏していきます。

ミシシッピ州が生んだ歌手がプレスリー(Elvis Presley)です。1935年にミシシッピ州テュペロ(Tupelo)という小さな町の出身です。彼の代表的な歌といえば、G.I. Blues、Blue Hawaii、Viva LasVegasなどなど数え切れないくらいです。

ミシシッピ大学(University of Mississippi)は州内に4つのキャンパスを有します。大学の愛称は「Ole Miss」。かつての綿花プランテーションの女主人の名前から由来します。ミシシッピ州立大学(Mississippi State University)やジャクソン州立大学(Jackson State University)が知られています。

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留学を考える その34 ミネソタ州—Land of 10,000 Lakes

カナダと国境を接し、ウィスコンシン州の西隣に位置するのがミネソタ州(Minnesota)です。州都はセントポール(St. Paul)。その隣は最も大きな都市、ミネアポリス(Minneapolis)とです。この二つは隣合わせなので「双子の都市」(Twin Cities)と呼ばれています。州のフレーズは「Star of the North」。

ミネソタ州の人口ですが、白人が88%を占めます。スカンジナビアやドイツからの移民が多いのです。ミネソタの人々の生活水準は合衆国で最も高いといわれています。教育水準も秀でていて、2015年の調査によると、ミネアポリスとセントポールは最も識字能力が高い人々が暮らす街となっています。

ミネソタ州あまりにも寒いところなので、有色人は少ないように思われがちですが、ラオス/タイ/ベトナムから多くの難民を受け入れている州としても知られています。これらの人々はアメリカではHmong(モン族)と呼ばれています。

双子の都市ではプロ野球球団のMinnesota Twinsがあります。フットボールではMinnesota Vikingsが知られています。精密機器などの産業でも有名です。穀物の集散地であります。穀物市場を支配するカーギルや3Mなどの本社もあります。合衆国内で最大規模のショッピングモール「Mall of America」内は、冷暖房が効き年中運動を兼ねた人が歩くところです。

この州のライセンスプレートには「10,000 Lakes」と印字されています。無数の湖で知られています。昔、氷河がミネソタ全体を覆っていたようです。氷河はゆっくり移動しますが、そのとき大地を削っていきます。それが基で湖が出来たというわけです。あまりに沢山の湖があるので、目的地に着くには大分迂回しなければならないということを友人から聞いたことがあります。

高等教育機関ですが、州内には32の州立の大学があります。その中心がミネソタ大学(University of Minnesota-Twin Cities)です。州内に5つのキャンパスを有しています。さらに20のリベラルアーツの私立大学(college)があります。U.S. News & World Reportによると、そのうち6つが全米ランク100校の中に入っています。

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留学を考える その33 ミシガン州–Great Lake State

ミシガン州(Michigan)のライセンスプレートには「Great Lake State」と印字されています。五大湖の中の四つの湖に囲まれた湖岸線は総延長距離5,000kmを超え、アラスカ州を除けば全米で最長のウオーター・フロントを誇っています。約11,000の湖沼や多くの河川を抱え、北部は広大な森林地帯となっています。

ミシガンは北はカナダと国境を接しミシガン湖(Lake Michigan)スペリオル湖(Lake Superior)・ヒューロン湖(Lake Huron)を抱え、西はウィスコンシン州、南はインディアナ州とオハイオ州に接しています。州都はランシング(Lansing)。最大の都市はご存じデトロイト(Detroit)です。デトロイト国際空港は6本の滑走路を有し、デルタ航空の一大ハブ空港となっています。

ミシガンは自動車工業発祥の州として知られています。その中心はなっといってもデトロイトでしょう。四つの湖に囲まれるという地の利が自動車産業を支えてきました。ゼネラルモーターズ(GM)、フォード(Ford)、クライスラー(Chrysler)のビッグスリーの本社がデトロイトとその近郊にあります。デトロイトは全米自動車労組(United Auto Workers: UAW)の本拠地であり、強固な民主党の地盤となっています。その他の産業も盛んです。例えば穀物のケロッグ(Kellogg)、ダウケミカル(Dow Chemical )、ワールプール(Whirlpool)、アムウェイ(Amway)などもここにあります。

ミシガンの産業の一つが農業です。主要な農産物ですが、とうもろこし、大豆、温室栽培、牛肉、じゃがいも、チェリー、ブルーベリー、リンゴ、いちご、梨などの果物の産地として知られています。林業も漁業も盛んです。

ミシガンは一大レクリエーションの州でもあります。2005年の統計によるとミシガンはカリフォルニア、フロリダに続き全米で第三番目の観光客を集めた州といわれるほど自然に恵まれたところです。レクリエーション客を惹き付ける理由もうなずけます。四つの湖の側はどこも州立公園や観光地といってよいほどです。いくつかを紹介しましょう。

カナダの国境近くにはマキナック島(Mackinac Island)があります。夏はキャンプ、釣り、リゾート、、なんでも楽しめます。この島は車禁止。移動手段は「リムジン馬車」か自転車となっています。コロニアルスタイルの建物が並びます。夏はのんびりと時間が流れるようなところです。

ムーイレイ岬(Pointe Mouillee )はエリー湖(Lake Erie)に突き出す砂州のようなところで、世界最大の干潟プロジェクトによる自然保護地区となっています。ミシガンはどこを走っても州立公園でキャンプを楽しめます。広さと清潔さ、そして安全さは多くのリクリエーション客を呼び寄せています。

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留学を考える その32 マサチューセッツ州—Spirit of America

マサチューセッツ州は、「Commonwealth of Massachusetts」と呼ばれます。Commonwealthの原義は「共通の善」ないし「公共の福祉」ということです。Common Goodという言葉と同義です。Massachusettsの発音はなんともいえない響きがあります。Stateを使わないところに誇りのようなものを感じさせてくれます。

この州には、長男夫婦と2人の孫が住んでいます。毎年必ず訪れるのが楽しみなところです。州都ボストン(Boston)から車で1時間のところにコロニアルスタイルの家で暮らしています。同じくボストンの東南1時間のところにプリマス(Plymoth)という港町があります。ここにMayflowerII号のレプリカが停泊しています。Mayflowerは1620年頃にヨーロッパからこのあたりに着いたことが記されています。長くてつらい大西洋の航海だったようです。

最初の移民の多くは聖教徒(Pilgrims)といわれています。MayflowerII号から下りた聖教徒が開拓したところが今も大切に保存されています。この居留地はPlimoth Plantation(プリマス開拓地)と呼ばれて州の歴史的な公園となっています。開拓地は高い木の柵が巡らされてインディアンからの襲撃に備えたことを伺わせます。

Plantationに入りますと、そこは1600年代という設定です。タイムスリップするのです。そこで働く人は百姓、鍛冶屋、パン屋さんなどいろいろ。当時の服装、言葉、動作で観光客に対応します。観光客は、働く人々とのちんぷんかんぷんの対話から「ここは1620年頃なのだな、、、」と合点がいきます。働く人々の演技が秀逸なのです。

マサチューセッツ州のライセンスプレートには「Spirit of America」というフレーズが印字されています。これは、建国の精神を意味します。1680年ころから、マサチューセッツはイギリスの植民地となります。1760年代になると、マサチューセッツ憲法として権利の宣言と政府の樹立を叫び、イギリスの支配に反旗を翻します。やがて独立戦争が始まるのです。この自治と独立の精神が「Spirit of America」というものです。

ボストン茶会事件(Boston Tea Party) や古戦場であるレキシントン・コンコードの戦い(Battles of Lexington and Concord)、バンカーヒルの戦い (Battle of Bunker Hill) が始まります。植民地軍の中心となったのが民兵であったミニットマン(Minutemen)です。 ボストン北西に位置するコンコード(Concord)にあった、アメリカ植民地民兵部隊の武器庫の争奪をめぐるイギリス軍と民兵隊の激しい戦闘が行われたのがレキシントンとコンコードのあたりです。規模は小さいながら独立戦争の緒戦として植民地軍はイギリス軍を撃破します。

アメリカの公教育で忘れてはならないのがホーレス・マン(Horace Mann)です。マンがマサチューセッツ州において進めた教育改革によって、普遍的な公共教育の基盤が築かれます。州内には、国内最古の公立小学校や、最古の高校、最古のボーディングスクール、最古のカレッジである1636年設立のハーバード大学(Harvard University)、最古の女子カレッジである1837年設立のマウントホリヨーク大学(Mount Holyoke College)が知られています。

州内には121の高等教育機関があるのですから驚きです。ケンブリッジ(Cambridge)にあるハーバード大学とマサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute of Technology)が世界の大学ランキングでも常に上位 ボストン大学(Boston University)、タフツ大学(Tufts University) 女子大であるスミス大学(Smith College)など多彩です。

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留学を考える その31  メリーランド州—Free State

メリーランド州(Maryland)は大西洋岸の中央に位置しています。南西には首都ワシントン(Washington D.C.)、ヴァージニア州(Virginia) 、ウエストヴァージニア州(West Virginia)、北にはペンシルヴァニア州(Pennsylvania)、東にはデラウエア州(Delaware)と接しています。州都はアナポリス(Annapolis)、最大の都市はバルチモア(Baltimore)です。メリーランド州には三つのニックネームがあります。それぞれ、「Old Line State」、「Free State」、「Chesapeake Bay State」とあります。

メリーランド州は、独立の際の十三州の一つで、信教の自由を最初に宣言した州としても知られています。十七世紀初頭、イングランドから派遣されていたカルヴァート(George Calvert)という初代のバルチモア総督による宗教的な迫害を受けたカトリック教徒が、その避けどころとして信仰の宣言をしたといわれます。

メリーランド州は各州に比べて地形的に最も小さい州です。ですが人口は700万人と密度では最も高い州です。首都ワシントンに隣接しているからです。住民の世帯あたりの収入は全米で最も高いことでも知られています。多様な経済活動が活発で、バイオテクノロジー分野で先駆的な研究をしています。チェスピーク湾(Chesapeake Bay)は豊かな海産物に恵まれ、カキ、青カニ、バス、ニシン(Menhaden)などが有名です。州の別なニックネームとして「Oyster State」というのもあります。カキの一大生産地だからです。

メリーランドの高等教育機関の雄は私立のジョンスホプキンス大学(Johns Hopkins University)でしょう。大資産家のJohns Hopkinsの寄付によって設立されています。さらにメリーランド大学(University of Maryland)、 モーガン州立大学(Morgan State University) 、セントメリー大学(St. Mary’s College of Maryland)があります。アナポリスには、海軍大学である海軍兵学校(US Naval Academy)も有名です。

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留学を考える  その30 メイン州—-Vacation Land

合衆国本土の地図をみますと、最東北部に小さな州がメイン(Maine)が位置しています。州都はオーガスタ市(Augusta)。カナダと長く国境線を有し、東と南は大西洋がひろがる州です。西はニューハンプシャー州(New Hampshire)、ヴァモント州(Vermont)、北西はカナダのケベック州(Quebec)、北東は同じくニュー・ブランズウィック州(New Brunswick)に接しています。州の内部には森林が広がり、海岸線は観光地として知られています。メインはニューイングランド(New England)の一部です。Maineという州名は「Mainland」から由来します。

現在メイン州となっている領域には数千年前から先住インディアンが住んでいたといわれます。ヨーロッパ人が接触した時にはアルゴンキン語族(Algonquins)のワバナキ族(Wabanaki)がいました。ヨーロッパ人による最初の開拓地は、1604年にフランス人、シャンペイン(Samuel de Champlain)がサンクロワ島(St. Croix Island)に設立したものでした。

イングランド人による最初の開拓地は、1607年にバージニア会社(Virginia Company)が設立したポパム植民地(Popham Colony)だったが、短命に終わります。地元インディアンとの抗争や過酷な気候や物資の欠乏がその理由です。

アメリカ独立戦争では、アメリカの愛国者とイギリス軍がメインの領土を巡って争いました。フランス系カナダ人(French Canadians)がメインに入植してアングロサクソン(Anglo-Saxons)との文化的な葛藤も経てきたようです。1820年まではメイン地区としてマサチューセッツ州に属していましたが、1820年にマサチューセッツ州から独立します。

メイン州の海産物はなんといってもロブスター(lobster)、そして貝類(clam)。豊富な海産物を背景に観光客には、必ず立ち寄るのが海産物を用意しているレストランとなります。その他、家禽及び卵、乳製品、牛、ブルーベリー、リンゴ、そしてメイプルシロップです。

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留学を考える その29 ルイジアナ —-Sportman’s Paradise

ルイジアナ州(Louisiana)は歴史や文化に関して実に興味ある州です。 かつてヨーロッパ諸国の植民地であったことを物語る州です。州内の幾つかの都市圏では、多文化、多言語の遺産が残っています。18世紀に領域を支配したフランス人やアカディア(Acadian)と呼ばれたフランス系入植者、さらに1821年まで北米や中南米を支配したヌエバ・エスパーニャ(Nueva Espana)と呼ばれるスペイン人の文化に強く影響されたところです。またネイティブアメリカン(インディアン)や、西アフリカから奴隷として連れてこられたアフリカ系アメリカ人(Aflican American)の文化の影響も見られます。混合文化というのでしょうか。

フランス系アカディア人は、ルイジアナ州南西部、特にアチャファライア盆地(Atchafalaya Basin)など湿地に入植して農産物を生産します。こうした人々はケイジャン(Cajun)と呼ばれるようなり、言語や音楽、料理などにフランスの影響を持ち込み English)と呼ばれるフランス語を基礎とする英語の方言が今も使われます。アクセントに特徴があります。YouTube上にはケイジャン英語の特徴が紹介されていて面白いです。

元フランス領であったルイジアナは1812年にアメリカ合衆国の州になります。アメリカが買収したのです。民法は近代市民社会の法の規範と呼ばれたナポレオン法典(Code Napoleon)が援用されます。「法のもとの平等」、「国家の世俗性」と「信教の自由」などが基礎となっています。

フランス植民地時代の影響は行政区の名称にもあります。通常、州内の区画はカウンティ(county)が使われますが、ルイジアナではパリッシュ(parish)が使われます。Parishとはキリスト教会が用いる「教区」のことです。ルイジアナ州だけがParishを使うのもフランスの影響が大きいということです。そのた、地名をながめてもフランス語だらけのような印象をうけます。州都はベイトンルージュ市(Baton Rouge)、最大の都市はニューオーリンズ市(New Orleans)です。「Louisiana」とは「Land of Louis」。つまりルイ十四世(Louis XIV)の統治下で名付けられたところです。

ルイジアナはミシシッピー川沿いに発達します。ミシシッピ川流域の農産物の輸出港として発展し、のちには工業都市・観光都市としても発展したのがニューオーリンズです。フランス植民地の雰囲気が残るあたりが観光の中心です。フレンチ・クオーター(French Quarter)です。ですが現存する建物はスペイン統治時代のものが多いといわれます。

独立戦争後は、さまざまなアングロアメリカン(Anglo-Americans)と呼ばれる英国系の米国人の入植者が増加し、やがて英語が公用語となっていきます。ですが、今でもルイジアナに住むネイティブアメリカンは合衆国でも最も多いところとなっています。

ルイジアナのライセンスプレートには「Sportman’s Paradise」とあります。温暖な気候のもとで、釣りをはじめとする野外活動が盛んだからでしょう。

高等教育機関です。ベイトンルージュにあるルイジアナ州立大学(Louisiana State University)、ラフィヤット(Lafayette)にあるルイジアナ大学(University of Louisiana) が有名です。

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留学を考える その28  ケンタッキー州—Bluegrass State

ケンタッキー州(Ketucky)といえば、(Stephen Foster)が作詞作曲した「ケンタッキーの我が家」(My Old Ketucky Home)を想い出します。70代以上の人なら誰もが聞き口ずさんだことのある哀愁味漂う曲です。フォスターは他にもスワニー河(Swanee River)、オールドブラックジョー(Old Black Joe)、夢見る人(Beautiful Dreamer)など150曲余りを作りました。彼は「アメリカの音楽の父」と呼ばれています。

私と家族はかってジョージアからウイスコンシンへ向かう途中、ケンタッキーをとおりました。「ケンタッキーの我が家」のメロディが浮かんだのはいうまでもありません。ですがMy Old Ketucky Homeが公式な州歌であることを知ったのは、ずっと後のことではあります。

ライセンスプレートには「Bluegrass State」とあります。草原を遠くから眺めると青紫色のつぼみが一面広がり、「青い草」に見えたので名付けられたとあります。ブルーグラス・ミュージック(Bluegrass Music)です。スコットランドやアイルランドの音楽を基にしています。アップテンポ(uptempo)の曲が時代と共に多くなり、速弾きなどのインプロヴァイズ(improvise)即興演奏もあります。お隣テネシー州(Tennessee)でもこの音楽は盛んです。

ケンタッキーはイリノイ、インディアナ、オハイオ、ミズリー州に囲まれ、オハイオ川とミシシッピー川で州境をなしています。東側にはアパラチア山脈(Appalachian Mountains)が聳えていて、豊かな自然に恵まれています。この州はなんといっても「ブルーグラスの州」と呼ばれ、肥沃な土壌からの多くの農産物がとれます。州都はフランクフォート(Frankfort)。最大の都市はルイビル(Louisville)となっています。

レキシントン(Lexington)大都市圏はケンタッキー州の文教地域でもあります。フランクフォートには、アフリカン・アメリカンのための高等教育機関として設置されたケンタッキー州立大学(Kentucky State University)がキャンパスを構えています。また、レキシントンにはケンタッキー大学(University of Kentucky)があります。

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留学を考える その27  カンザス州—Great Plains

カンザス州(Kansas)は地図を見ますと合衆国の「へそ」にあります。北側はネブラスカ州、東側はミズーリ州、南側はオクラホマ州、そして西側はコロラド州となっています。州都はトピカ市 (Topeka)、州最大の町はウィチタ市 (Wichita)です。カンザス・シティ (Kansas City)もミズリー川沿いにある活気のある町です。

州名、Kansasは、ネイティブアメリカンである「Kansa族」に由来します。 「Kansa」とは「風の民」、とか「南風の民」と呼ばれていたようです。かって、ネイティブアメリカンはカンザスでアメリカ・バイソン(bison)やバファローを捕獲して暮らしていたといわれています。部族のほとんどは、西部開拓の影響で西へ北へと追いやられた歴史があります。19世紀初頭に東部の森林地帯から強制移住させられされてカンザスに定住しました。居留地区があちこちにあります。

アメリカの「大平原」(Great Plains)というのは、この州がもっとも当てはまるのではないかと思えるくらいの景色が広がります。平原をさす単語に「prairies」というのもあります。大平原はまさに一大穀倉地帯です。平坦でときになだらかに起伏しているのですが、農業生産品は牛、豚や羊、小麦、トウモロコシ、ひまわり種、大豆、綿、及び塩となっています。ライセンスプレートのデザインはその州を表しますが、カンザス州のは小麦の穂が配置されています。

高等教育機関として、ローレンス市に拠を置くカンザス大学(University of Kansas)、カンザス州立大学(Kansas State University) 、ウィチタ州立大学(Wichita State University)、教員養成カレッジであるエンポリア州立大学(Emporia State University)も人気があります。

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留学を考える その26  アイオワ—America’s Heartland

アイオワ州(Iowa)のライセンスプレートには、穀物を保存するサイロや納屋が背景に印刷されています。トウモロコシと小麦の生産で有名なアイオワが今回の話題です。北はミネソタ州、東はウィスコンシン州及びイリノイ州、南はミズーリ州(Missouri)、そして西はネブラスカ州(Nebraska)及びサウスダコタ州(South Dakota)に囲まれています。州都で最大の都市はデモイン(Des Moines)です。

アイオワには、東がミシシッピー川(Mississippi)、そして西はミズリー川が流れています。豊かな農産物などがこの川を使って運ばれています。アイオワは結構なだらかな丘陵が折り重なって農作物の生産に適しています。

アメリカの中西部は「コーンベルト」と呼ばれトウモロコシの一大生産地です。アイオワはその中で生産量が全米でトップを誇ります。車でどこまで走っても穀倉地帯が広がります。豊饒の地といえましょう。大豆、豚の生産量も全米第一位となっています。従って、穀物市場の金融や流通、そしてバイオテクノロジー研究開発などでも盛んな州です。

アイオワのあたりは、「アメリカの中心」とか「アメリカの心臓部」(America’s Heartland)とも呼ばれて、恐らく世界一の農業地帯であります。アメリカは工業国ではありますが、なんといっても主役は農業なのです。トウモロコシと小麦の生産高からは、アメリカは農業国と呼ぶにふさわしいといえます。

アメリカの小学校では、アメリカの探検と開拓の歴史を学びます。そこに登場するのは、フランスからきたジャック・マークエット(Jacques Marquette)とルイス・ジョリエ(Louis Jolliet) という探検家です。この二人が中西部を探検したのは1670年代の頃です。マークエットはもともとフランスの宣教師でした。一方ジョリエはカナダ、ケベック生まれのフランス人でした。この二人の探検家は一緒に主にミシシッピー川(Mississippi)とその支流を使いアイオワ、ウィスコンシン、ミシガン、イリノイなどを調べメキシコ湾にも到達します。ジョリエの貢献は、彼の名前を付けた町が沢山あることに現れています。

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留学を考える その25 インディアナ—The Crossroads of America

インディアナ(Indiana)の州都はインディアナポリス(Indianapolis)。ちょうど鉄道や沢山のインターステイツ(ハイウエイ)が交差するところにあります。また「ユニオン・ステーション」(Union Station)が最初に建てられたところとしても知られています。そのため、ナンバープレートには「The Crossroads of America」と印字されています。合衆国の大きな駅はユニオン・ステーションと命名されているのをご存じでしょうか。

北にミシガン州(Michigan)、東にオハイオ州(Ohio)、東にケンタッキー州(Kentucky)そして南と西にイリノイ州(Illinois)と接しています。北西部はシカゴ市の巨大な都市圏となっていて、産業が盛んです。その中心がゲーリー市(Gary)です。

インディアナはCorn Beltと呼ばれるウモロコシの農場が広がります。トウモロコシは養鶏や養豚の飼料となります。飼料は世界中に輸出されています。アメリカの穀物地帯でもあり、Grain Beltともいわれ、市場を押さえています。その中心がインディアナということです。大豆、鶏卵、メロン、トマト、ブドウ、タバコ、ハッカの生産も盛んです。

州北西部は合衆国内の最大なスチール生産地域となっており、製造業は自動車、電気設備、化学製品、ゴム、石油及び石炭製品、並びに産業機械となっています。研究開発の中心は、インディアナ大学(Indiana University), インディアナ州立大学(Indiana State University)、パディユ大学(Purdue University)、ボール州立大学(Ball State University)、ノートルダム大学(University of Notre Dame)などの大学です。インディアナ大学は1820年に設立された大学システムです。州内に8つのキャンパスを有します。その基幹キャンパスがBloomingtonにあります。
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留学を考える その24 イリノイ州—Land of Lincoln

シカゴ(Chicago)は誰でも聞いたことのある大都会。日本から直行便で12時間、オヘア国際空港(O’Hare International Airport)に着くとそこはシカゴ、イリノイ州(Illinois)です。

ここの州都はシカゴではなくスプリングフィールド(Springfield)です。エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)が弁護士や上院議員として活躍したことで知られています。アメリカは一番大きな街が州都になるとは限りません。例えばカリフォルニアは州都がサクラメント(Sacramento)です。サンフランシスコやロスアンジェルスは遥かに大きな都市ですが州都ではありません。

さて、リンカーンのことです。アメリカ第16代の大統領です。その功績は人種差別運動の先駆者ともいうべき人とされています。その運動の伏線には、ハリエット・ストウ(Harriet E. Stowe)という小説家が書いた「アンクル・トムの小屋」(Ancle Tom’s Cabin)があります。この作品で、当時の黒人の生活と差別の実態が全米の人々に知れ渡ることになります。差別への関心がやがて、アメリカを二分する南北戦争(Civil War)へと展開していきます。

アメリカ南部は綿花を栽培することが中心。畑には多くのが黒人労働者が使われていました。映画「風と友に去りぬ」(Gone with the Wind)は、南部が舞台でした。メイド役の黒人女性が、一人娘の死で打ちひしがれる農場主レッド・バトラー’Rhett Butler)を慰めるシーンがありました。帰還する兵士アシュレー(Ashley Wilkes)を見て、スカーレット・オハラ(Scarlett O’Hara)がかけ寄ろうとするのを押しとどめるのはこのメイドでした。

南北戦争の最中、共和党員であるリンカーンは二分しかかったアメリカを一つにしようと呼びかけた有名な演説をします。それが1862年9月22日の奴隷解放宣言(Emancipation Proclamation)と1863年11日9日のゲティスバーグ演説(Gettysburg Address)です。イリノイ州のナンバープレートには「Land of Lincoln」と記されています。

高等教育機関では、シカゴ大学(University of Chicago)、ノースウェスタン大学(Northwestern University)、イリノイ大学(University of Illinois, Urbana-Champaign)など名だたる大学があります。州内には公立私立併せて20以上の4年制大学があます。その他多くのリベラルアーツのカレッジや公立のコミュニティ・カレッジがあります。日本の留学生も多いところです。
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tomtud 5539835467_a7d3d8de23_b univ_illinois_urbana University of Illinois, Urbana-Champaign

 

 

留学を考える その23 アイダホ—Famous Potatoes

復帰前の1970年に沖縄に赴任したとき、那覇市内の公設市場で見たときのジャガイモ、馬鈴薯があまりに大きので驚いたものです。袋にアイダホ(Idaho)が印字されていたのを覚えています。本土復帰の前でしたので、たくさんの食料品がアメリカやヨーロッパから沖縄に入ってきていました。ランチョンミート(luncheon meat)もそうです。数年前に、スパムという商品名がついていると友人から教わりました。

北海道育ちの私はジャガイモをよく食べていましたが、Idahoのは格別大きかったです。アメリカ人は実にジャガイモとステーキの組み合わせが好きです。ジャガイモには肉汁がかけられます。

「Famous Potatoes」というニックネームがつくのがアイダホ州(Idaho)です。北はカナダのブリティッシュコロンビア州(British Columbia)に接し、西はワシントン州(Washington)とオレゴン州(Oregon)に、南はネバダ州(Nevada)とユタ州(Utah)、そして東はモンタナ州(Montana)とワイオミング州(Wyoming)に接しています。州都はボイヅイ(Boise)。大部分が山岳地帯となっていますが農業も盛んな州です。アイダホ州の別な愛称は「宝石の州」。

アメリカのライセンスプレートは、州や郡ごとに独自のデザインで発行されており、非常に色彩豊かです。そして特徴を表現するキャッチフレーズが印字されています。通常2年ごとにプレートのデザインは変わります。追加の手数料を支払えば自分のライセンスプレートを作ることもできます。それ故、一つの州には沢山のプレートがあり、蒐集家を喜ばせてくれます。合衆国の多様性を感じることの一つがライセンスプレート。

高等教育機関ですが、アイダホ大学(University of Idaho)、アイダホ州立大学(Idaho State University)、 ブリガム・ヤング大学アイダホ校(Brigham Young University, Idaho)、ボイヅイ州立大学(Boise State University)などがあります。アイダホ大学は世界で初めてラバのクローンを誕生させたことで知られています。なお、ブリガム・ヤング大学は末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教会)が運営しています。

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留学を考える その22 ハワイ州—Aloha State

旅行好きな人もそうでもない人も一度は立ち寄るところがハワイ(Hawaii)です。言葉が通じ、食べ物が豊富で美味しく、景色がエキゾチックで、気候が温暖なのですから人気が高いのもうなずけます。誠に手頃な観光地です。ですが文化や歴史の多様さもまたハワイの魅力です。

ハワイ固有の文化はポリネシア系(Polynesian)です。音楽、舞踊、服装、料理などがそうです。1778年にイギリスの探検家、ジェームス・クック(James Cook)によって世界に紹介されます。 州として合衆国に編入されたのは1959年。カメハメハ大王(King Kamehameha the Great)の統治が長く続きました。その間、日本から多くの人々が移民しました。主としてオアフ島(Oahu)やハワイ島(Big Island)でのサトウキビ、パイナップル、珈琲栽培のためです。琉球からの移民が目立ちました。今も琉球の名前を持つ人々が大勢住んでいます。

先住のハワイ人やポリネシア系が約10%なのに比べ、日系人は17%を占めます。政治、経済、社会における活躍は目覚ましいものがあります。日系人の活躍としては、戦時中の志願兵の活躍が特筆されます。ハワイで生まれの若い日系アメリカ人の多くは、祖国に対する忠誠心を示し陸軍の大隊に入ります。この部隊は日系人だけで組織されていたようです。やがてアメリカ本土の日系人部隊と合流し第442連隊戦闘団(he 442nd Regimental Combat Team)となりヨーロッパ戦線にて戦果を上げます。オアフ島の真珠湾に浮かぶ戦艦アリゾナ記念館(USS Arizona Memorial)や戦艦ミズリー号(USS Missouri)などを訪れると太平洋戦争の歴史が身近なものとなります。

ハワイ州は、大小100位の島々から成ります。これらは海底火山によってつくられました。州都ホノルル(Honolulu)のあるオアフ島は最も知られていますが、是非訪ねたいのはハワイ島やカウアイ島(Kauai)、モロカイ島Molokai)などです。ハワイ島には日系移民によって開発された一番大きな町、ヒロ(Hilo)があります。そこに日系移民博物館があります。驚くことに、館内の展示物には代々の天皇の「写真」が飾ってあります。日本に対する深い想いがこめられているのを感じます。近年マウイ島(Maui)が非常に人気あります。アメリカ本土の都市から沢山の直行便があるほどです。登山、ハイキング、水泳、自転車などでのツーリングが楽しめます。私事ながら、2010年の家族との再会はマウイ島でした。

ハワイ島のマウナケア山頂(Mauna Kea)付近は、国立天文台が設置したすばる望遠鏡があります。周りには世界各国の天文台も並んでいます。ここに兵教大の院生とで天文台内部を見学する許可を得て訪ねました。ついでに山頂へも登ったのですが、酸素が薄くて息が苦しかったのを覚えています。一行にいた理科の教師にはたまらない見学ツアーとなったようです。ハワイ島のキラウエア(Kilauea)火山からの熔岩流は今も蒸気を上げています。そして虹が地平線から地平線まで見事なアーチを描きます。

ハワイ大学(University of Hawaii)システムとして3つの四年制大学、7つの二年制短期大学(Community College)を擁しています。基幹大学はホノルルにあるハワイ大学マノア校です。附属研究機関としてハワイ島にあるマウナケア天文台があります。大小の島々からなるハワイでは、インターネットや衛星放送などによる教育が盛んに行われています。いわゆるeラーニング(e-learning)です。

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留学を考える その21 ジョージア州—Peach State

私がアメリカ留学のために国際ロータリー財団主催の英語研修で2か月過ごしたのがジョージア州(Georgia)のステイトボロ(Stateboro)という小さな町です。家族を引き連れての短い滞在でした。各国からの50名くらいの奨学生と一緒に、南部の人々の親切さ(Southern Hospitality)や暖かい気候を満喫しました。そのせいもあってか、私の英語には南部訛りがあるようです(^^)。

南部アトランタ(Atlanta)はジョージア州最大の都市であり州都です。コカコーラやCNN、保険会社アフラック(Aflac)の本社などがあることでも知られています。ここはまた映画の舞台でもあります。「風と共に去りぬ」を書いたマーガレット・ミッチェルの博物館(The Margaret Mitchell House)がダウンタウンにあります。マーチン・ルーサー・キング牧師が説教していたエベネゼル・バプティスト教会(Ebenezer Baptist Church)、そして氏の功績を称えるThe King Center博物館は必ず立ち寄るべきところです。政界ではジミー・カーター大統領(James A. Carter)がでたところです。

大西洋側にサバンナ(Savana)という港町もあります。植民地時代は、サバンナは綿花のヨーロッパへの輸出港でした。今も貯蔵倉庫が建ち並び、多くのレストランなどに改装されています。マスターズ・トーナメントのゴルフ大会が開かれるのがオーガスタ(Augusta)です。メンバーは世界中に約300名、会員になるためには数10年程待たなければならないそうです。

有名な人物を輩出した割には、ライセンスプレートは明るくのどかなものです。プレートには桃がデザインされています。ジョージア州はスイカ、メロンなどの果物が多いのです。特に桃は有名なので「Peach State」桃の州と呼ばれています。

大学ですが、1785年創立の高等教育機関であるジョージア大学(University of Georgia)、ジョージア州立大学(Georgia State University)が知られています。

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留学を考える その20 フロリダ州–Sunshine State

日本人にもフロリダ州(Florida)はよく知られています。子どもや親にとってはわくわくするところです。その第一は、オーランド(Orlando)にあるディズニー・ワールド(Disney World)です。世界一の娯楽施設です。その広さはJR山手線内の約1.5倍というのですから、まさに桁外れのものです。その敷地内には、4つのテーマパークを中心に、ウォーター・パーク、エンターテイメントエリア、マリーナ、ゴルフ場、牧場、キャンプ場などが配置されています。

タイフーン・ラグーン(Tyhoon Lagoon)、マジック・キングダム(Magic Kingdom)、、、どれをとっても娯楽の粋を集めてそのアイディアを競っています。レストランにはミッキーマウスや小熊のプーさんがテーブルを回って写真を一緒に撮ってくれます。子どもたちはもう大喜びです。夢を子ども達に与えるのがこうしたテーマパークの「テーマ」といえましょう。オーランドにはユニバーサルスタジオ(Universal Studio)もあります。ディズニー・ワールドとあわせて毎年6,000万以上の人々がオーランドを訪れるというのです。

その第二はアメリカ航空宇宙局 (National Aeronautics and Space Administration: NASA) のケネディ宇宙センター(ohn F. Kennedy Space Center)があります。数々のロケットやスペースシャトルが打ち上げられてきたところです。軍事用の偵察衛星や通信衛星、気象衛星、そして惑星探査機の打ち上げにセンターが使われています。

フロリダの州都はタラハシ(Tallahassee)。ライセンスプレートには「Sunshine State」とあります。文字通り太陽の降り注ぐ温暖な州です。特に冬は、各地から避寒客がやってきます。冬、極寒の中西部では、「フロリダに行ってくる」というフレーズは周りの人からは羨ましがられるのです。

フロリダはまた豊富な漁猟資源でも知られています。特産のエビや牡蠣(かき)でも有名です。映画「フォレストガンプ(Forrest Gump)」の終盤で、ベトナムの戦友と再会しエビ捕りにでかけるシーンがあります。柑橘類の果実及びジュース生産も盛んな州です。

フロリダ州の大学です。フロリダ州で最古、最大規模の大学がフロリダ大学(University of Florida)です。1853年に神学校として創立されという興味ある歴史を有しています。フロリダ州立大学(Florida State University)も知られています。
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留学を考える その19 デラウェア州—The First State

私の趣味の一つはアメリカの自動車のライセンスプレートを蒐集することです。プレートのデザインやモットーが好きなのです。ですがすべての州を回って探したわけではありません。合衆国の歴史について小学校の時から興味があった私にはどうしても取り上げたい州があります。それがデラウエア州(Delaware)です。

デラウェア州は合衆国の歴史では、13の植民地の中で最初に憲法を批准した州として知られています。それによって、ライセンスプレートには「The First State」と書かれています。独立戦争の頃、英国と戦ったのは13の植民地の人々です。独立戦争は合衆国の明暗を分けたドラマチックな戦いです。

デラウエア州は、ロードアイランド州(Rhode Island)に続き二番目に小さい面積の州です。北はペンシルバニア(Pensilvenia)、東はニュージャージー(New Jersey)、西はメリーランド(Maryland)に隣接しています。州都はドーバー(Dover)です。大西洋に面しているので、古くから移民が植民地として開拓してきたところです。

デラウェアに移住してきたのは、スウェーデン人といわれています。それは1638年頃で、デラウェア湾河口に初めての植民地を築きます。ヨーロッパ諸国とは違ってインディアンから土地を買い上げ、この入植地を「ニュー・スウェーデン(New Sweeden」と名付けて開拓地を広げていきます。やがて、オランダからの入植者とのいざこざがあり、スウェーデン人は数に勝るオランダ人から追い出されていきます。

人口の比率ですが、黒人、アイリッシュ、ドイツ、イングリッシュ、そしてイタリアンの順で占めています。意外と多いのはユダヤ系の人々です。沢山のシナゴーグ(Synagogue)が点在する州でもあります。合衆国におけるユダヤ人の活躍は政治、経済、科学、文化で目覚ましいものがあります。

デラウェア州のサイトを調べますと、主要な農業製品としては鶏卵、大豆、酪農製品、そしてコーンとなっています。小さい州ですが、工業では、化学製品、自動車、食品加工、製紙、ゴムやプラスチック製品などが知られています。一般に他の州よりも生産高の割合は高い水準にあります。

大学ですが、デラウェア大学(University of Delaware)の本校がNewarkにあります。デラウェア大学はDover校、Wilmington校,、Lewes校、Georgetown校からなります。創立は1743年に遡る伝統校です。 現在の上院議員で副大統領であるバイデン(Joe Biden)が学んだ大学です。

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留学を考える その18 コネチカット州—Constitution State

コネチカット(Connecticut)。実にいい響きです。ライセンスプレートには「Constitution State」とあります。最初の憲法の基となった州ということです。合衆国の北東部、北大西洋岸は、前にも紹介したように、ニュー・イングランド(New England)と呼ばれています。ここに小さな州がいくつかあります。その内の一つがコネチカット州です。首都はハートフォード(Hartford)となっています。東にはロードアイランド州(Rhode Island)、北にはマサチューセッツ州(Massachusetts)、西にはニューヨーク州(New York)と隣接しています。

コネチカットは英国の統治時代、13の植民地の一つでした。1639年に植民地としては最初の「基本法規」(Fundamental Orders)というのを制定します。これはやがてコネチカットで最初の憲法となります。この憲法は合衆国の初代憲法に大きな影響を与えます。コネチカットは英国から独立を宣言する最初の13州の一つとなります。

コネチカットへのヨーロッパからの植民はオランダから来たといわれます。ピューリタン(聖教徒)の人々です。やがてアイルランド、イングランド、フランス、ドイツ、ポーランド、イタリア、ポルトガルなどから移民が押し寄せます。その後プエルトリコ(Puerto Rico)などからも人々がやってきます。その中で、ポーランド系やアイリッシュ系の人々が多いのが特徴となっています。

産業ですが、農業はもとより酪農、製造業、漁業も盛んな州です。ロブスターや貝も知られています。ジェット機エンジン、ヘリコプターや航空機の部品、素材産業、原子力潜水艦の建造と関連の軍事産業、精密機械、化学薬品の製造が盛んです。企業ではスポーツ放送のESPN、ボーイングとエアバスのエンジンを開発するゼネラル・エレクトリック(GE)、シコルスキーヘリコプター(Sikorsky Aircraft)本社などがあります。

大学は、1881年創立のコネチカット大学(University of Connecticut)。発足当時は農学の研究と人材養成が主でした。州内にはStamford校、Avery Point Waterbury 校、Torrington校といった分校もあります。

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留学を考える その17 コロラド州—Centennial State

コロラド(Colorado)は山岳地帯の州です。南北にロッキー山脈(Rocky Mountains)が貫き、州全体の平均標高が合衆国で一番高いところです。州の東側は大平原: グレートプレーンズ(Great Plains)が広がります。州都であり最大の都市はデンバー(Denver)です。

デンバーは標高が約1マイル(約1,600メートル)なので、マイル・ハイ・シティー(Mile High City)の愛称で呼ばれています。 デンバー市内には多くの日系人が住んでいます。その数、約1万4千人。 「ロッキー時報」という日本語の新聞が発行されているのもうなずけます。

コロラド州の商業や経済は多様です。金融センターであるデンバーを中心に、科学研究及びハイテク産業が集中しいます。他の産業は食品加工、輸送設備、機械、化学製品、稀少資源の開発そして観光業となっています。

州都デンバーから車で一時間ほど南に下ると、ロッキーでも一段と高く聳える「パイクスピーク(Pikes Peak)」がみえます。その山麓の台地には、アスペン(Aspen)などの綺麗な街並みが広がります。コロラド・スプリングス(Colorado Springs)も全米で知られる町です。ここは都市の規模に比べて物価が安く、アメリカでも最も住みやすい町の一つとなっています。

この住み心地の良さを支えるのは、巨大な国防総省の施設によってもたらされる経済効果です。空軍士官学校や共同防衛組織があります。ロッキーの山中には、北米航空宇宙防衛軍や軍事衛星による監視や弾道ミサイル防衛を担う戦略基地が掘られています。

私は小さいとき、進駐軍の放送から「コロラドの月(Moonlight on the Colorado)」というアメリカ歌曲をしばしば聞いたことがあります。ネット上で歌詞を調べると次のようにあります。今思えばませた曲を聴いていたものです。

「コロラドの月の夜に
想い出は いやます
恋の日の しのばれて
さびしさに 涙す
むすびし 恋も
あだに 君はいずこぞ
コロラドの 月の夜に
なれも 我をば待てる」

という恋歌です。当時はそんなことを知るべくもありませんでした。そして私がデンバーを訪ねたのは学会発表の1987年です。デンバー大学(University of Denver)の看護学科の准教授の案内で市内の学校を見学しました。この准教授を国立特殊教育総合研究所に案内したことがきっかけでした。最も規模の大きい大学はコロラド大学(University of Colorado-Boulder)です。留学生活をおくるには快適な土地といえます。

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