音楽の楽しみ その41 合唱曲の数々 Intermission  堀内敬三と「音楽の泉」

img_0-1 img_0 a121949年9月に始まった番組「音楽の泉」がまだ続いています。終戦間もないことです。これはラジオ番組です。NHKでは最長寿番組だそうです。ピアノのテーマ曲が番組の始めと終わりに流れてきます。

この懐かしい曲はシューベルト (Franz Schubert) の「楽興の時 第3番 ヘ短調 (Moments Musicaux NO 3 F Moll 」。F Mollとはヘ短調のことです。通常、クラシックの音楽番組は基本的にFMで放送されますが、今は数少ない中波からも流れてきます。この放送はもう無くなったと思いこんでいましたが、、、まだまだ健在なのです。

「音楽の泉」の初代の解説者は堀内敬三、二代目が村田武雄という音楽評論家でした。現在の解説者は立教大学名誉教授の皆川達夫氏です。「旧制高校時代に召集されながらも、古典文学を読み美術作品に触れたこと、戦後まもなくアメリカやヨーロッパに留学した経験が音楽知識の泉の根源となった」と述懐されています。

「楽興の時 第3番」は、なにかシューベルトが即興で作ったかのような、軽やかな曲です。左手の単調な伴奏に右手の主題が心地よく響きます。とても「ヘ短調」とは感じられません。今もラジオ第一で毎週日曜日午前8時5分から楽しめます。

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音楽の楽しみ その40  合唱曲の数々  Don Cossack Choir

20 IMG_4908 hqdefaultロシア革命の背景は非常に劇的なものです。ロマノフ朝 (Romanov) の絶対専制の統治は封建的な社会体制の維持を意味しますが、ロシアにも波及する産業革命により工業労働者が増加し、社会主義勢力の影響が浸透していきます。強大な権威と支配、農奴制度などによって民衆の貧困と社会不安が広がります。さらに厳しい気候が農業生産の難しさに拍車をかけます。

ロシア帝国にドン・コサック軍 (Don Cossack)がありました。この軍隊の名称は、根拠地を流れるドン川 (Don River) に由来するといわれます。日露戦争当時に、北満にてコサック軍との衝突があったことは、「坂の上の雲」でも描かれています。ロシア帝国の支配に、たががはずれてくると内戦状態になります。やがてドン・コサック軍はロシア帝国に対し敵対行動をとっていきます。ですが皇帝ピョートル (Pyotr I Alekseevich)の軍に敗れた後、ドン・コサック軍の副官、セルゲイ・ジャーロフ (Serge Jaroff) や軍の一部はオスマン帝国 (Ottoman Empire) などへ逃亡します。オスマン帝国は現在のトルコです。

今はイスタンブール(Istanbul)であるコンスタンチノープル (Constantinopolis)に近い捕虜収容所にジャーロフや難民は落ち着きます。そこで結成したのが男声合唱であるドン・コサック合唱団(Don Cossack Choir)といわれます。やがてトルコの西北にあるブルガリア(Bulgaria)の首都ソフィア(Sofia) において演奏活動を始めます。その最初の演奏会場となったのは、ブルガリア正教会の主教会であるアレキサンダー・ネフスキー大聖堂 (Alexander Nevsky Cathedral) でした。ネフスキーはロシアの英雄的な軍人だったのですが、ロシア正教会から列聖され聖人となります。

その後、ドン・コサック合唱団は数奇ともいえる演奏活動を始めます。1923年7月にオーストリア (Austria) のウィーン (Vienna)にあるホーフブルク宮殿 (Hofburg Palace) にてヨーロッパにデビューします。第二次大戦が近づくと、合唱団はアメリカへと演奏の拠点を移します。こうした経過は、活動を支援するプロモーターや音楽関係者の支援があったからといわれます。

アメリカで人気を得たのは、ロシア正教の聖歌、レクイエム (requiem)、民謡、軍歌、オペラ曲などをアカペラで歌いコサックの衣装をまとったコサックダンスを舞台で披露するエンターテイナーでもあったからでしょう。DVDでドン・コサック合唱団の演奏を聴きますと、テナーの素晴らしさとローベースの深みと力強い響きが圧倒的に伝わります。セルゲイ・ジャーロフの60年余りの指揮も特筆されることです。

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音楽の楽しみ その39 合唱曲の数々 Roger Wagner Chorale

rogerwagner Wagner-Roger-04 originalアメリカを代表する合唱団にロジェワグナー合唱団 (Roger Wagner Chorale) があります。この合唱団は、ロバートショウ合唱団 (Robert Shaw Chorale) と同様に活動を終えたのですが、幅広いレパートリーや世界中で演奏活動や録音活動したことで知られています。

フランスはパリ (Paris) で生まれたロジェ・ワグナーは、教会のオルガニストである父から薫陶を受けます。1929年にアメリカに移民します。12歳でロジェ・ワグナーはロスアンジェルス (Los Angels: LA)の西ハリウッドにあるカトリックのセント・アンブローズ教会 (St. Ambrose Church) のオルガニストとなるほど音楽の才能を発揮し始めます。

1937年にはハリウッド (Hollywood) でMGMコーラスに入部し音楽活動を本格的に開始します。その後、セント・ヨセフ教会 (St. Joseph’s Church)の音楽ディレクターになります。この教会で、子供の聖歌隊を組織しその実力は広くカリフォルニアに知られることになります。1945年には、ロスアンジェルスユース合唱団 (Los Angels Concert Youth Chorus) を結成します。1947年には、この合唱団でマドリガルを歌っていた団員を組織してロジェワグナー合唱団を作るのです。ちなみに、マドリガルとは中世イタリアで生まれた五声部無伴奏の合唱、あるいは世俗声楽曲のことです。

ロジェワグナー合唱団はラジオやテレビ出演、演奏会、映画のサウンドトラックなどで多彩な活動をしてアメリカ屈指の合唱団の地位を確立します。やがてロジェワグナー合唱団から多くの歌手がうまれます。例えば、マニー・ニクソン (Marni Nixon)です。”My Fair Lady”、 “West Side Story”、さらに”The King and I” (王様と私)などのミュージカルで歌います。コントラルト (contralto) のマリアン・ホーン (Marilyn Horne)もそうです。

ワグナーは、音楽教育にも貢献します。1951年から1966年まではロサンゼルスのメリーマウント・カレッジ (Marymount College)の音楽学部長となり、1959年から1981年まではカリフォルニア大学ロスアンジェルス校 (UCLA)で教鞭を執りました。1963年以来、十数回にわたって来日し、各地で公演旅行をしています。

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音楽の楽しみ その38 合唱曲の数々 Robert Shaw Chorale

Shaw-Robert-100 MI0001685821 4624124719_1ccc62bcec_b私は、男声合唱やア・カペラのグループの曲をCDやネットでしばしば楽しみます。男声合唱といえば1960年代はロバートショウ合唱団 (Robert Shaw Chorale) やロジェワグナー (Roger Wagner Chorale) 合唱団の演奏をよく聴いたものです。最近はこの二つの合唱団の曲が流れてこないのが寂しいです。男声合唱は少し時代遅れなのでしょうか。

カリフォルニア出身のロバート・ショウは学生時代に男声合唱団 (Glee Club) を組織し放送活動を始めたというのですから、合唱への思い入れが伝わるというものです。1949年、彼が33歳のときにロバートショウ合唱団を設立します。この合唱団は精力的に国内外の演奏旅行に出掛けたり録音活動を始めます。曲に応じて女声も加わり、30名から60名の団員を擁しました。団員はニューヨークのジュリアード音楽院 (The Juilliard School) や市内の音楽学校の修了生で構成されました。

合唱団は、アルツール・トスカニーニ (Arturo Toscanini)指揮のNBC交響楽団 (NBC Symphony Orchestra) などとの共演で全米屈指の合唱団の地位を確立します。バッハ (Johann Sebastian Bach) 、黒人霊歌や民謡、ブロードウェイ劇場音楽など幅広いレパートリーを持っていました。

ロバート・ショウは編曲家としても有名で、宗教曲から「シーシャンティ (sea shanty)」 など多彩なジャンルの曲を合唱曲に仕上げて歌います。「シーシャンティ」とは船乗り労働歌のことです。「クリスマス賛歌とキャロル )Christams Hymns & Carols) 」というレコードは大ヒットし、アメリカ録音協会から金賞を受賞し、米国の週刊音楽業界誌である「ビルボード (Billboard Magazine)」でも高くランクされました。 1958年に発表された45分の「霊歌(Spirituals)」という録音は実に心に残るものです。

ロバートショウ合唱団の特徴といえば、均整化された響き、声楽部門の調和、表現の繊細さ、躍動する旋律などで聴衆を魅了しました。最高の男声合唱団でしたが、1965年に活動を終えます。

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音楽の楽しみ その36 合唱曲の数々 The King’s Singers

六名の絶妙の和音と旋律、そしてリズム、清冽なカウンターテナーの響きで知られるア・カペラ(a cappella) グループに「キングズ・シンガーズ (King’s Singers)」がいます。1968年にケンブリッジ大学 (University of Cambridge)のキングズ・カレッジ (King’s College) の学生により結成されます。国内はもちろん、ヨーロッパや南北アメリカ、オーストラリア、日本などで公演を行なうほか、公開レッスンなどのワークショップを主宰して合唱団の育成にも努めています。レコーディングも精力的に行い、多くのCDを制作しています。

そのレパートリーは宗教曲、モテット (mottetto) 、マドリガル (madrigal)、民謡、ポップス、ジャズなど幅広く、現代作品にも意欲的に手がけています。例えば武満徹の「芝生」や男声六重唱の「手作り諺」、イタリアの作曲家ベリオ (Luciano Berio)の「Sequenza」などです。

「ア・カペラ」とは、平易化された教会音楽の様式のことといわれます。教会音楽に限らず無伴奏で合唱や重唱でも歌われ、歌詞が会衆に伝わるような楽曲のことです。「モテット」は、声楽曲のジャンルのひとつ。一般的に中世末期からルネサンス音楽にかけて発達した、ミサ曲以外のポリフォニーによる宗教曲を指します。ルネサンス時代にミサや通常の式文以外の宗教曲全体を指すようになります。ドイツのプロテスタント教会では、コラールを利用したモテットが作られるようになります。「マドリガル」は、中世イタリアで生まれた5声部の無伴奏による合唱曲、あるいは世俗声楽曲のことです。

キングズ・シンガーズの活動は多彩です。自ら基金を作り「Carol for Christmas」という作曲コンペも主催し、若い作曲家の作品をキングズ・カレッジ教会堂 (King’s College Chapel ) で演奏できるように支援しています。ア・カペラグループとしては草分け的な存在です。今も世界で最も優れたア・カペラ合唱団の一つといえましょう。

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音楽の楽しみ その35  合唱曲の数々 「Waltzing Matilda」

主要七カ国 (G7) の外務大臣が始めて広島平和記念公園を訪れました。とりわけアメリカのケリー国務長官 (John Kerry) が原爆資料館を視察した後の言葉が話題となっています。それは5月の首脳会談にやってくるオバマ大統領(Barack Obama) に広島訪問を促すというコメントです。

広島と長崎を「甚大な壊滅と非人間的な苦難という結末」と訴えた今回の広島宣言は、国際協調主義の重要性を訴えるオバマ 大統領に広島訪問を決意させるかです。大統領個人の感情と大統領という職責や立場、原爆投下をなおも正当化するアメリカの多数派の世論や大統領選挙を考慮すれば、大統領の広島訪問はたやすくはなさそうです。

広島宣言では「非人道的 (inhuman)」という言葉を使わないで「非人間的 (non human)」としたところがみそです。“Inhuman”とは “cruel”, “brutal”という残虐性を意味する単語です。国際法上の人道の罪に相当することを恐れる核保有国が「非人道的」として非難されることを避けるために、”non human”を使ったと報道されています。それに対して”non human”は「人間以外の」とか「人間ではない」という意味です。このような修辞に核保有国のエゴイズムのようなものを感じます。

1959年制作の映画「渚にて (On the Beach)」を想い出します。この作品は戦争の悲劇を描く作品です。それも核戦争です。1964年、第三次世界大戦が勃発したという想定です。この映画にも合唱曲が登場します。

映画の荒筋です。地球上は核兵器の放射能に汚染されてしまいます。北半球はすでに死の灰で人々は絶えます。南半球オーストラリアにも死の灰が迫ってきます。メルボルン (Melbourne) に1隻のアメリカの原子力潜水艦が入港します。艦長タワーズ(Dwight Towers)はメルボルンで迫り来る死を覚悟します。ですが放射能ですっかり汚染されたサンディエゴ (San Diego)の町からモールス信号を受信しそれを調べに向かいます。恋人モイラ・ダビッドソン(Moira Davidson)が渚にて出航を見送るのです。この情景が映画のタイトルとなっています。

この映画で艦長を演じるのはグレゴリー・ペック (Gregory Peck)。その恋人はエヴァ・ガードナー (Ava Gardner)でした。製作者で監督のスタンリー・クレイマー (Stanley Kramer) は、「手錠のままの脱獄 (The Defiant Ones)」とか「ニュールンベルグ裁判 (Nuremberg Military Tribunals)」などで知られています。いわゆる社会派の映画の監督です。映画では核戦争のシーンなどは一切ありません。

音楽にはオーストラリアを象徴する歌「ワルチング・マチルダ」が全編に使用されています。映画の最後では、大群集が大合唱する感動的なシーンがあります。この曲はワルツ特有の三拍子ではありません。オーストラリアの音楽といえば「ワルチング・マチルダ (Waltzing Matilda)」。世界的に広く知られています。この曲を国歌にしようとした運動もあったようです。蛇足ですが、マチルダとは女性の名前ではありません。

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音楽の楽しみ その34  合唱曲の数々  「菩提樹と野薔薇」

高校時代に歌った曲の一つに「菩提樹 (Lindenbaum)」があります。野薔薇 (Heidenroeslein) と並んで教科書にもでてきました。シューベルト (Franz Schubert) が作った歌曲集「冬の旅 (Winterreise)」の第五番目が「菩提樹」です。

「菩提樹」というと、音楽よりは映画を想い浮かべるかたも多いかもしれません。同名の映画が1956年に作られました。西ドイツ映画です。この映画の主題は、トラップ・ファミリー合唱団 (Trapp Family Singers) の物語です。前編はトラップ一家がアメリカに亡命するまでの苦悩、続編は亡命後の苦労や成功が描かれています。二つの映画の原名は、ドイツ語でそれぞれ「Die Trapp-Familie」、「Die Trapp-Familie in Amerika」となっています。マリアを演じていたのは、ルース・ロイヴェリク (Ruth Leuwerik) という見事な女優さんで、名バリトン歌手、ディートリッヒ・フィシャディスカウ (Dietrich Fischer-Dieskau)と結婚したこともあります。

「なんだ、、サウンド・オブ・ミュージック (Sound of Music) と同じではないか、、、」という反応が聞こえそうです。そのとおりなのですが、「菩提樹」という映画はサウンド・オブ・ミュージックの前身となった作品なのです。サウンド・オブ・ミュージックはその後ブロードウェイでも東京でもミュージカルでも取り上げられた作品です。

「菩提樹」は、トラップ一家が戦前のナチスの統治下にあったオーストリア(Austria) 時代からアメリカへ渡ったあとの生活を描いています。「サウンド・オブ・ミュージック」は、トラップ一家がナチス党政権下オーストリア での生活、そしてスイス (Swiss) に亡命するまでの苦労を描いています。

二つの映画のテーマは、音楽を通した家族の生き方とその絆の強さです。音楽は、「日常の会話では表現しえないような思考や情動の表現を可能にする」といわれています。「菩提樹」と「サウンド・オブ・ミュージック」はまさにこのことを示す作品です。

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音楽の楽しみ その33  合唱曲の数々 「ティファニーで朝食を」 

今回は軽音楽の話題です。一般に映画音楽にはメインテーマがあって、それを軸としていろいろにアレンジされて画面に流れてきます。登場する背景、人物、感情などによって監督と作曲家が相談してどのような音楽を流すかが決められるようです。音楽に関心のある者の一人として、素人ながら映画の中で統一感のある情景を盛り上げるための選曲という作業は難しいことだろうと察します。

「ティファニーで朝食を」という1961年制作の映画は、女優オードリー・ヘップバーン (Audrey Hepburn) のために作られたようなものです。これは私のまことにうがった意見なのですが、、、、共演していた男優のジョージ・ペパード (George Peppard) というのは、「つま」のような存在でした。こうした助演者の演技がヘップバーンの演技を引き立てていたという見方もできますが。

原題は「Breakfast at Tiffany’s」といいます。この主題歌が「ムーン・リバー(Moon River)」です。わけがわからない題名ですが、そんな野暮なことは問わないことにしましょう。自由で気ままに振る舞い、奔放な生き方を追求するホリー・ゴライトリー (Holly Golightly) と彼女を取り巻く男たちを描いた映画です。ホリーは「ティファニーで朝食を食べるご身分」なのです。

ムーン・リバーを作曲したのはヘンリー・マンシーニ (Henri Mancini)。名前からするとイタリア系ですね。ピッツバーグの貧しい工員の家庭で育ったようです。ジュリアード音楽院で作曲を学びます。グレン・ミラー (Alton Glenn Miller)楽団のピアニストにもなります。

ムーン・リバーはオースケトラと合唱が交互に演奏され、ヘップバーンの魅力をいっそう引き立てるようです。マンシーニが作った主題曲には「シャレード (Charade)」、「ピンク・パンサー (Pink Panther)」、「ひまわり(Girasoli )」、「ハタリ (Hatari!)」、そして「刑事コロンボ(Columbo)」もあります。アンディ・ウイリアムズ (Andy Williams) が歌うムーン・リバーもしびれるほどです。

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Luciano Pavarotti and Henry Mancini rehearse for the recording of "Mamma" photo: Decca/© Mike Evans

Luciano Pavarotti and Henry Mancini rehearse for the recording of “Mamma”
photo: Decca/© Mike Evans

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音楽の楽しみ その32  合唱曲の数々 「ヴォルガの舟歌」とシャリアピン

この民謡が生まれるロシアの状況です。ロマノフ朝 (Romanov)のピョートルI世 (Pyotr I ) は、ツァーリ (Tsar) という「祖国の父」とか「大帝」という称号を与えられています。この帝政ロシアは、農業改革の失敗とか相次ぐ敗戦で国民は貧窮し、農民らは人頭税の財源として、世襲的に土地に束縛されていきます。しかし、労働力が兵役に徴集され、農業生産が低下して国全体が食糧難に見舞われます。

王朝の圧政に抗いヴォルガ川 (Volga)を越え、あるいはまたウラル山脈 (Ural Mountains)、さらにはシベリア(Siberia)までおよぶ農民の「大量逃亡」が各地で起こります。そのような状況で、ドン川 (Donu)のコサック (Cossack) の首領といわれたステンカ・ラージン (Stenka Razin) は農民を組織した反政府の武装蜂起を公然と開始していきます。

時代は経て、1917年の「二月革命」と「十月革命」によって退位を余儀なくされ、やがて処刑されたニコライII世 (Nicholai Romanov)が最後のツァーリとなります。

「ヴォルガの舟歌」は、本来は農民たちの歌です。「綱を引け」とか「川岸に沿って歩こう」、「白樺を倒そう、うっそうと茂ったやつを」といった言葉が出てきます。当時、ヴォルガ川沿岸では、物資や人の輸送を担う川船の接岸を補助するための舟曳き人夫たちが多数働いており、その多くは貧農小作人でした。こうした下層民たちが働きながら唄う労働歌がこの歌です。ヴォルガ川を仕事と生活を支える「母なる河」として称えていたようです。

「ヴォルガの舟歌」は20世紀前半期の偉大なバス歌手 (Bass)でありオペラ歌手のフョードル・シャリアピン (Fyodor Chaliapin) が愛唱しました。その声域は力強く堂々としています。バス歌手の登竜門として歌われたのが「ヴォルガの舟歌」ともいわれます。その後、赤軍合唱団である「アレクサンドロフ・アンサンブル」が行進曲風の力強い編曲として、広く演奏されるようになります。

「ヴォルガの舟歌」
えーこら! えーこら!
   もひとつ えーこら!
    えーこら! えーこら!
     もひとつ えーこら!

  それ曳け 舟を
   それ巻け 綱を
    アィダダアィダ  アィダダアィダ
     樺の木に 巻いた!

既に述べた「ステンカ・ラージン」という民謡にも「久遠にとどろくヴォルガの流れ、生みの母なるヴォルガよ!」という歌詞があります。ロシア人にとって河は特別な想いがあるようです。
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音楽の楽しみ その31  合唱曲の数々 「国民音楽派」

なぜか我が国でもロシア民謡はしばしば歌われます。ロシア民謡とは、もともとロシアの民俗や伝承に基づく叙情歌を指すとされます。これが日本人の感覚の琴線に触れるのかもしれません。北大大合唱団もロシア民謡を何度も歌ってきました。

フォークロア (Folklore) は、風習や伝承などを対象とした人々の日常生活文化の歴史をとらえる学問領域です。特定の国や地域や民族における、民俗音楽 (Folk music)もそれに含まれます。フォークロアとしてのロシア民謡を中心的に担ってきたのは農民といわれますが、やがて職人など農民以外の社会層によっても歌われてきたのがロシア民謡といわれます。

「ロシアを知る辞典 (平凡社) 」によると、ロマノフ王朝時代は、近代化を促進し西洋の古典音楽をロシアに定着させることを目指したとあります。やがて「国民音楽派」と呼ばれる人々は、音楽芸術の民衆化を図ろうとします。その創作の源泉は、ロシア民衆のなかに音楽の原点を求めることでした。彼らの作品の題材をロシアの歴史、民衆生活、叙事詩、民話、信仰、農耕儀式などに求め、民族的過去を美化したり、農奴的な現実を批判していきます。そうした人々の中心が作曲家のグリンカ (Mikhail Glinka)です。

グリンカは西洋音楽の手法に異国情緒を取り入れる作曲手法などによって、五人組といわれるバラキレフ (Mily Balakirev) 、キュイ(Cqsar Cui) 、リムスキー・コルサコフ (Nikolai Rimsky-Korsakov) 、ムソルグスキー (Modest Mussorgsky) 、ボロディン( Alexander Borodin) らの作曲家に大きな影響を与えます。

現在、ロシア民謡として知られている曲は、近代になってからグリンカの流れをくむ国民音楽派の作曲家たちが取材して採譜し編曲しています。それを演奏者を含む音楽家たちが、メロディーや歌詞に手を加えてアレンジしています。既に取り上げた「カチューシャ」「カリンカ」、そして次回で取り上げる代表的なロシア民謡の一つ「ヴォルガの舟歌」もそうです。

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Alexander Borodin

音楽の楽しみ その30  合唱曲の数々 「カリンカ」

旧ソ連、いまのロシア連邦には有名な合唱団があります。ロシア赤軍合唱団 (Red Army Choir) です。旧赤軍・旧ソビエト連邦軍の軍人で構成される合唱団の総称とされます。正式には、「アレクサンドロフ・アンサンブル」 (Alexandrov Russian Army Twice red-bannered Academic Song and Dance Ensemble) と呼ばれるようです。旧ソビエト連邦の作曲家で陸軍軍人であったアレクサンドル・アレクサンドロフ (Alexander Alexandrov) が創設した合唱団です。

アンサンブルですが、合奏や重奏、合唱、重唱の呼び名です。「アレクサンドロフ・アンサンブル」は大勢の合唱に加え、バラライカ (Balalaika) やバヤン (Bayan) などの伝統民族楽器を取り入れたオーケストラと踊り子で編成されます。大祖国戦争と呼ばれる独ソ戦から、戦後のソ連軍、現在のロシア連邦軍時代と伝統を受け継ぎ存続しています。赤軍合唱団の中でも圧倒的な声量とハーモニーで世界的な名声を博している合唱団が「アレクサンドロフ・アンサンブル」です。

定番であるロシア民謡、革命歌、軍歌、その他オペラの楽曲なども得意としており、ソリストや団員の多くは音楽アカデミーなどで教育を受けた声楽家出身者といわれます。独唱や合唱だけでなく、コサック・ダンスやタップ・ダンスといった演舞も見物です。サーベルを持つコサック騎兵や兵士や水兵に扮したダンサー達は聴衆を楽しませるエンターテイナーです。

カリンカ (Kalinka) とは、落葉低木で主に山地や丘陵地の明るい林や草原に生える木です。筆者は北海道でこの花と実を見ていましたが、「ガマズミ」という名前までは知りませんでした。若く美しい娘をガマズミにたとえ、どうか自分を好きになってくれ、という恋歌です。「カリンカ」は、アップテンポな4拍子のロシアの伝統曲。テノールの独唱とそれに続く合唱が響きます。

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音楽の楽しみ その29 合唱曲の数々 「カチューシャ」

長女の旦那はロシア系アメリカ人。1990年代後半にモスクワからアメリカに移住したようです。モスクワ時代はソビィエト陸軍で兵役に就き、大陸間弾道弾の発射基地にいたことがあります。1976年9月に起こったMiG-25 (ミグ25) の函館空港着陸、ベレンコ中尉亡命事件も良く覚えているといっています。

時々会ってパーティをしたりして酔ってくると一緒に歌うのが「カチューシャ (Katyusha)」や「カリンカ (Kalinka)」です。この2曲も北大合唱団で歌いました。実はこの歌は、私の父親も酔うと良く歌っていました。1945年9月に樺太で2年間の抑留生活をおくります。そのとき、兵隊と一緒にウオッカを飲んでは歌ったのがこの曲だったようです。父は、ロシア語で簡単な会話ができたようで、兵隊は彼を「ケンゾー」と呼んでいたとか。発音しやすかったのでしょう。その当時、日本人はロシアの兵隊を「ロスケ」とか「露助」と呼んでいました。

「カチューシャ」とはエカテリーナ(Ekaterina)の愛称形だそうです。エカチェリーナとも表記されるエカテリーナという名前は、ロマノフ朝 (Romanov) 第2代の皇帝ロシアエカチェリーナ1世が有名です。ピョートル1世の后だったですが、夫の死後女帝になります。ロマノフ朝第8代ロシア皇帝エカチェリーナ2世もまた政治的にも私的生活においても話題の多かった女性といわれます。彼ら二人がカチューシャと呼ばれたかどうかは定かではありません。

さて、「カチューシャ」という曲は、娘が川岸で恋人を思慕する姿を描いた1938年頃の歌曲とされます。当初の歌詞は2番までしかなく、カチューシャの恋人が兵士として徴用されていることを示唆する内容となります。1938年10月にナチスがチェコスロバキア (Cesko-Slovensko)からズデーテン (Sudeten) 地方を割譲したり、日本軍による広東が占領され、ナチスのユダヤ人迫害が始まった年です。こうして不穏な世界情勢を反映して、国境の警備に当たる兵士が故郷の恋人を想うという設定で3番と4番の歌詞が書き足されたようです。

やがて1941年6月に独ソ戦といわれる大祖国戦争が始まります。それとともに戦場の兵士に広く愛されて歌われるようになり、代表的な戦時流行歌となったといわれます。戦後になっていわゆるロシア民謡を代表する一曲として、我が国でも「ともしび」などとともに、うたごえ運動で盛んにうたわれた曲です。

リンゴの花ほころび
 川面に霞たち
  君無き里にも
   春は忍びよりぬ

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音楽の楽しみ その28  合唱曲の数々 「ねんねこ しゃっしゃりませ」 中国地方の子守唄

子守唄はララバイ (Lullaby) といいます。子供をあやしたり寝かしつける時の歌です。ゆったりとしたテンポで長調の響きです。そのため揺籃歌ともいわれます。この響きは西洋音楽の特徴です。シューベルト (Franz  Schubert)、ブラームス (Johannes Brahms)、ショパン(Frederic Chopin) などの子守唄を聴くとそう思います。

他方、日本の子守唄はララバイ とはほど遠いほど寂しく悲しさが漂います。かつて貧しい農家の娘は7歳から8歳になると奉公に出され、主人の家で赤ん坊の世話をします。おんぶして子守をしたり寝かしつけるのです。

Wikipediaによれば、中国地方の子守唄「ねんねこ しゃっしゃりませ」は、岡山県の井原市高屋町が発祥の地とされます。この付近に伝わる古い子守歌を採譜し紹介して、1928年頃に広がり始めたということです。

ねんねこ しゃっしゃりませ
  寝た子の かわいさ
   起きて 泣く子の
    ねんころろ つらにくさ
     ねんころろん ねんころろ

  ねんねこしゃっしゃりませ
   今日は二十五日さ
    明日はこの子の ねんころろ 宮詣り
     ねんころろん ねんころろん

  宮へ詣ったとき
   なんというて拝むさ
    一生この子の ねんころろ まめなよに
     ねんころろん ねんころろん

「しゃっしゃりませ」は「なさいますように」というように解釈されます。早く寝付いてちょうだい、といった感じでしょうか。奉公する娘が赤ん坊に「つらにくさ」というこみ上げてくる憎らしさを表現しています。「宮へ詣ったとき、なんというて拝むさ」という歌詞には、詣でをしてもなんの役に立つのか、という皮肉るような心情をうたう箇所もあります。

日本の伝統的な子守歌は、「ララバイ」 とは発生の背景や思想が全然違うのです。

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音楽の楽しみ その27  合唱曲の数々 「竹田の子守唄」

子守唄のルーツや背景を調べるといろいろなことが分かります。この「竹田の子守唄」もそうです。子守の仕事を歌う「守り子唄」です。なぜこの名前がついたかです。Wikipediaによりますと京都市の伏見区に竹田という地区があります。この曲は、この地区に伝わる守り子歌といわれます。

1964年に作曲家の尾上和彦が竹田地区で収集した民謡を編曲しこの子守唄が生まれます。尾上は芸術座公演「橋のない川」の音楽担当でした。「取材した部落の地名を名付けて舞台で発表したのがこの歌が広まる契機となった」といわれます。それゆえ「被差別部落の子守唄」とも呼ばれたこともあるようです。

なぜこのような呼称がついたのかですが、歌詞に出てくる「在所」という言葉が一つの誤解を生んだ理由といわれます。「在所」という用語は、広辞苑によると、「田舎、在郷、都会を離れた地方」とあり、「部落」とか「被差別部落」などは一言もありません。京都でも大阪においても「在所」は必ずしも被差別部落だけを指すものではないといわれます。

1971年2月にフォークグループの「赤い鳥」はこの曲を3年間でミリオンセラーとします。ですが何か腫れ物にでも触るような守り子唄という噂、被差別部落絡みという噂が流れて、各地の放送局はこの曲を放送しなくなります。いわゆる「放送自粛歌」として長い間封印されます。音楽は時に偏った思想に翻弄されます。

仮に「在所」が被差別部落であったとしても、この素晴らしい歌を積極的に紹介し、部落の人たちの苦しみを訴えかけること、人権を尊重するのがメディアの役割であるべきです。時代と社会とメディアの中で生まれ、なぜか沈んでいったこうした歌を考えると、社会とメディアの不気味な本質を垣間見ることができます。民衆の歌であり搾取されていた人々に生まれた子守唄を「放送自粛歌」にしたとは誠に恥ずべき措置だったといわなければなりません。幸い1990年代に放送禁止の封印は緩和されます。

アメリカの音楽であるジャズやブルースの歴史に奴隷制度という文化があるように、守子唄にも苦難に生きてきた女性の文化があるということでしょう。

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音楽の楽しみ その26 合唱曲の数々 「五木の子守唄」

北大合唱団の大事なレパートリーに子守唄がありました。古今東西を問わず、各地に子守唄があります。世界的に有名な子守歌もよいのですが、熊本県は球磨郡五木村に伝わる「五木の子守唄」はしみじみとした哀愁のある曲です。一体どのような人々が歌詞を考え、旋律をつけたのかと感服したい程です。

Wikipediaによりますと、子守唄には二種類あって、第一は赤ん坊を寝かしつけるための子守唄、第二は子守り娘たちが仕事の辛さを歌った子守唄です。後者は「守り子唄」といって子守をする少女が、「自分の不幸な境遇などを歌詞に織り込んで子供に唄って聴かせ、自らを慰めるために歌った歌」とあります。「五木の子守唄」は守り子唄の代表のようなものです。

五木村の総面積の96%を山林が占めます。村人の多くは地主の下で林業に従事したり、借り受けた僅かばかりの土地で農業を営んだようです。家が貧しいために子供たちは口減らしのために、近隣の人吉や八代の豊かな商家や農家に奉公に出されました。

おどま盆ぎり 盆ぎり
   盆から先ゃ おらんど
    盆が早よ来りゃ 早よもどる

「おどま」は「私たちは」、 「盆ぎり」は「お盆まで」、「おらんど」は「いないよ」という方言です。「私は、盆までの約束で、この家で奉公をしています。盆が来れば、家に戻れます。早く盆よ、来てくれ」と家へ帰れる日を待つ気持ちを歌います。

おどま かんじん かんじん
   あん人達ゃ よか衆
    よかしゃ よか帯 よか着物

「かんじん」とは、小作人という意味で、ここでは「物乞い」という意味で用いられています。「よか衆」とは地主などの旦那衆を指します。「私は乞食のようなものだ。(それにくらべて)あの人たちはで、良い帯を締めて立派な着物を着ている」という歌です。

生活を見つめることによって、はじけるような心情を吐露しています。きっと苦労していたから、こうした名作が生まれたと信じたいです。作詞者はなんという素晴らしい感受性の持ち主ではないでしょうか。

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音楽の楽しみ その24  合唱曲の数々 「Oh Happy Day」

オー・ハッピー・デイ (Oh Happy Day) は、著名なゴスペルソングの一つ。ホーキンス (Edwin Hawkins) が1967年に作詞・編曲したものです。もともともは18世紀の賛美歌 (Hymnal)が元となっています。

この曲も高校を舞台とした青春映画「Sister Act 2」で、大変な人気となります。デロリスを演じるのは、もちろんウーピー・ゴールドバーグ(Whoopi Goldberg) 。則にのった演技で魅了します。ジェームス・コバーン (James  Coburn)も学校閉鎖を決める理事長として扮しています。しぶい演技をする懐かしい俳優です。

映画「Sister Act 2」です。社会奉仕先の高校で音楽担当として赴任したデロリスが、聖歌隊の活動を通して子供達を正しい道へ導いていきます。パフォーマンス付きのコーラスなどの場面が随所に登場するのも前作と同じです。

「Oh Happy Day」のメインヴォーカルを務めるのは、Ryan Toby 。ソロでオクターブの声を披露して聴衆を熱狂させます。彼はやがてソウルシンガー、作曲家として活躍します。この曲も大ヒットしますが、決して一過性に終わることなくゴスペルとして定着します。単純明快な歌詞と歌いやすい台詞が魅力です。

「Sister Act 2」の後半には、音楽コンクールがあります。デロリスが指揮する曲は、「Joyful, Joyful」。ベートーヴェン (Ludwig van Beethoven) の交響曲第9番第4楽章が主題となる曲です。この歌がゴスペルソングとして広まるとはベートーヴェンも意外だったでしょう。

Joyful, joyful, we adore thee,
  God of glory, Lord of love
   Hearts unfold like flowers before thee,

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音楽の楽しみ その23  合唱曲の数々 「Nobody knows the trouble I’ve seen」

Nobody knows the trouble that I’ve seen
 Nobody knows my sorrow
  Nobody knows the trouble that I’ve seen
   Glory Hallelujiah

この曲は、奴隷制度の時代の霊歌です。「誰も私の苦しみを知らない。でも主イエスはしっかりと分かっていてくださる。それゆえ心を強く持って苦しみや悲しみにも耐えていける、そしていつか主イエスの元へ旅立つことができる」という救いと希望のメッセージが込められる黒人霊歌です。

最初にこの曲が世の中に伝わったのが1867年といわれますから、まだ新しいといえます。広く歌われるようになったのは、歌手のマリアン・アンダーソン (Marian Anderson) やサム・クーク (Samuel Cooke)、トランペット奏者のルイ・アームストロング (Louis Armstrong)やハリー・ジェイムス (Harry James) などによって演奏されたことです。 特にアンダーソンのアルトの気高く清澄な旋律はしみじみと心に染み込むようです。1925年にアンダーソンが最初にこの曲をレコーディングして世の中に広まります。黒人のゴスペルグループである「Deep River Boys」が1958年にノールウェイのオスロ(Oslo)で録音されたという記録もあります。

この霊歌には「Glory hallelujah! 主に栄光あれ」という歌詞が何度も登場します。同じフレーズがアメリカ歌曲である「リパブリック賛歌 The Battle Hymn of the Republic」にも使われています。南北戦争 (Civil War) における北軍の行軍曲です。作詞したのは著名な奴隷制度廃止運動家として知られるジュリア・ハウ(Julia Ward Howe)という女性です。彼女はユニテリアン派教会 (American Unitarian Association) に所属し、その夫はなんとパーキンス盲学校 (Perkins School for the Blind) の初代校長サミュエル・ハウ (Samuel Howe)です。
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nobody knows the trouble i ve seen

nobody nobodys

音楽の楽しみ その22  合唱曲の数々 「Swing Low, Sweet Chariot」

Swing low, sweet chariot,
Comin’ for to carry me home;
Swing low, sweet chariot,
Comin’ for to carry me home.

邦題は、冗長なカタカナとなりますが、「スウィング・ロー、スウィート・チャリオット」とあります。黒人奴隷が、「ヨルダン河の向こうの故郷へと馬車で静かに運んでおくれ」という祈りの歌です。この黒人霊歌も北大合唱団のレパートリーでもありました。

もともとチャリオット (Chariot) とは、兵士を乗せる戦闘馬車を指します。ヒッタイト (Hittites)、アッシリア (Assyria)、古代エジプト (Egypt)、古代ローマ時代の戦争で使われました。チャリオットに乗って預言者エリヤ (Prophet Elijah) 天国へ昇る描写が旧約聖書 (Old Testament) にあります。そこには以下のように記述されています。

一台の火の戦車と火の馬とが現われ、このふたりの間を分け隔てエリヤは、たつまきに乗って天へ上って行った。 (列王記下2章11節)

「Swing Low, Sweet Chariot」という曲は、Wikipediaによるとアフリカ系アメリカ人グループである「フィスク・ジュブリー・シンガーズ(Fisk Jubilee Singers)」によってアメリカ各地に広められたとあります。このグループは、テネシー州 (Tennessee) のナッシュビル  (Nashville) にあるフィスク大学 (Fisk University) という黒人系の大学のアカペラ (a cappella) 合唱団で1871年に創設されます。団名にある「jubilee」とは喜び、歓喜という単語です。

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音楽の楽しみ その21  合唱曲の数々 「Black Spirituals」

合唱曲を紹介していますが、話題が前後してしまいます。既にBlack Musicを少しだけ取り上げております。どうかお許しを。

合唱曲には、霊歌(Spirituals)と呼ばれるジャンルがあります。霊歌は讃美歌より広い意味で使われています。その名称の由来は、新約聖書、エペソ人への手紙 (Ephesians 5:19) に「詩と賛美と霊の歌とによって主に感謝して、、、、」という聖句にあります。ここでは白人や黒人の区別ありません。一般に礼拝用讃美歌は「spiritual song」と呼ばれるようになりました。

今日「spiritual song」の代表が黒人霊歌(ニグロ・スピリチュアル: Negro Spirituals)といわれます。アフリカ大陸から強制的に連行され、奴隷となった黒人たちの生活の中で育まれ口頭で伝えられる歌であるという説のほか、白人の間の宗教歌が黒人に影響を与えて発生したのがNegro Spiritualsだ、という説もあります。今日、「ニグロ」という単語は蔑視的であるとして単独では使われません。そのため、黒人霊歌は「Black Spirituals」と呼ばれるようになりました。

奴隷の中にキリスト教が広まります。その人々の中に生きていた独特の音楽のリズムや旋律と賛美歌が融合したものが黒人霊歌と考えられています。プランテーション讃美歌 (plantation hymnals)とか奴隷の歌 (slave songs)、ゴスペル(Gospel) と呼ばれてきました。ちなみにGospelとは「キリストとその使徒たちの説いた教え」とか「救いと神の王国に関するよき便り」という意味です。

奴隷としての黒人は、新大陸で過酷な労働に生きます。その中で生まれた黒人霊歌は慰めや救いを求める証しとされます。北大男声合唱団で歌った曲の一部を紹介します。こうした曲の主題は旧約聖書の物語からとったものが多いことがわかります。

「スウィング・ロー、スウィート・チャリオット」(Swing Low, Sweet Chariot)
「深き河」(Deep River)
「行け、モーセ」(Go Down Moses)
「アメイジング・グレイス」(Amazing Grace)
「聖者の行進」(When the Saints Go Marching In)
「漕げよマイケル」(Michael Row the Boat Ashore)
「ジェリコの戦い」(Joshua Fit The Battle Of Jericho)
「ロック マイ ソウル」 (Rock My Soul)
「誰も知らない私の悩み」(Nobody Knows the Trouble I’ve Seen)
「クンバヤ  マイ ロード」 (Kumbaya My Lord)

「クンバヤ  マイ ロード」と「深き河」は前回と前々回に紹介しました。次回は「Swing Low, Sweet Chariot」を紹介することにします。

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