初めに言葉があった その37 主観性と世界の理解 「間主観性とは」

ようやく、「間主観性」(intersubjectivity) とか「間主観 」というところにやってきました。英語の表記のほうは意味が伝わってきやすい用語です。自分と他者、自我と他我、主観と主観の関係性といった響きです。ブリタニカ国際大百科事典には「intersubjectivity」を「共同主観性」「相互主観性」と表記しています。

「間主観性」とは、前稿ででてきたフッサール ( Edmund Husserl) が使った用語のようです。どのようなことかといいますと、主観がそれぞれ単独で働いて外界に向かうのではなく、主観同士が互いに交錯しあいながら働き、「共に」機能し、共通な世界を成り立たせる、ということがらを言い表す用語のようです。間主観性という概念は、こうして、「単独の主観が信用を失い、客観性という概念が疑われる場面で登場する」という意味で使われます。

自我とか主観性が私の内面にある、私だけのものという考えを捨てない限り、「他我をいかに認識ないし経験できるのか」という行き詰まりは解決できない、そう考えてフッッサールは、主観性とか自我は私の内面にあるのではなく、私と他人、人間と人間の中間にあるのではないかと考えて「間主観性」という概念に至ったということです。そのようなわけで「間主観性」は「共同主観性」ともいわれます。

自我とか主観性は人間と人間の間にあるということは、それが人間関係に由来する、関係概念だということです。フッサールは人間と人間の間に間主観性があり、私とか他人の心はその間主観性の枝分かれしたもの、それを分かち持ったものと考えられるようになりました。

このような態度の下では、人間は自らを「世界の中のひとつの存在者」として認識するにとどまり、世界と存在者自体の意味や源泉を問題とすることができない。このような問題を扱うために、フッサールは、世界関心を抑制し、対象に関するすべての判断や思考を留保することを提案します。このような判断や思考を留保することをエポケー (suspension of judgment)と呼び、意識を純粋な理性機能として取り出す方法を提唱します。

周りの世界にあるいろいろな命題を「括弧に入れる」ことを意味するのが「エポケー」というのです。すなわち世界の外的現実についての自信の信念をいったん停止するのです。ただしこれは外界の存在を疑うという意味ではないとフッサールはいいます。

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初めに言葉があった その36 主観性と世界の理解 「科学的とか実証的とか」

主観に関して行動ということを話題としてみます。私たちの行動は、まだ幼い子供は別ですが、外在物や刺激によって直接引き起こされるのではなく、私たち自身がそれをいかに経験し知覚するかによって規定されています。

前回錯視を例にあげて、私たちが世界をどう見るかを考えました。「私にとっての見える世界と他者にとっての見える世界は同じ世界なのか? それとも二つの世界はまったく違う世界なのか?」という疑問を錯視の現象は問いかけています。ですがこの問いに誰もが納得する説明を下すことが困難なことも事実です。

この世界は、私にとってさまざまに絡み合って存在しています。世界のうちのある物事、たとえば一定の色や特定の音が独立しながら存在していることや、色が見えることと音が聞こえるということは、それぞれに「意味」をもっているともいえます。人によって視覚や音感が異なるからです。好みや嫌いという感覚もあります。

従って個人の行動の意味と原因を理解するためには、外的な要因を分析するだけでは不十分なのです。どういうことかといいますと、高齢者の徘徊も子供のいじめもガン患者の死への恐怖も、当事者が大事だと考えている状態、言い換えれば内的な準拠枠とは何だろうかということを理解する態度が必要なのです。年寄りだから徘徊は仕方ないと考えるのではなく、もしかして徘徊を楽しんでいるのではないかと考えてみるのです。自宅を出て電車に乗ってある駅で保護された認知症の人がいます。これは目的的な行動であり、徘徊といえるかどうかです。広辞苑によると徘徊とは「どこともなく歩きまわること」とあります。これは徘徊という行為を一面的にとらえた説明です。

エドムント・フッサール (Edmund Husserl) という哲学者が興味あることを曰っています。「19世紀の後半に近代人の世界観がもっぱら実証的学問によって規定され、その学問に負う繁栄によって眩惑され、他者による知覚や言動によって客観的世界の実在性を確信させ、世界に現実感を与えていることは明らかだ」というのです。徘徊という行為にも他者による知覚や言動によって規定され、本人は登場していないのが気になるのです。フッサールが言いたいことは、この世界があまりに客観的とか実証的といった「科学的態度」に価値を置きすぎているせいか、人間はそれを自明のこととしているということです。

フッサールはまた、日常的に私たちは、自分の存在や世界の存在をなぜ疑ったりはしないのか問いかけます。私たちは自分が「存在する」ことを意識しており、私の周りの世界もそこに存在していることを疑いません。フッサールは、この人間の自然な態度を以下の3点から批判します。

1 認識の対象の意味合いとか存在すること自体を自明としていること
2 客観的な世界の存在を不断から確信し、そうした関心の枠組みを暗黙の前提としていること
3 世界へ関心を向けることによって、意識の本来的機能である我を忘れるということが起こっていること

このフッサールが指摘した人間の態度は、ナチズムに心酔した指導者にも、現代の私たちにももしかして当てはまっているかのようです。

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初めに言葉があった その35 主観性と世界の理解 「錯視は知覚の多様性?」

私は先天赤緑色覚異常です。小学校低学年の時に色覚検査でそれがわかりました。当時は色盲検査と呼んでいたはずです。検査用紙の中に数枚判読できな数字があるのです。教師は驚いていたのを覚えています。これがもとで現在は差別用語である「カタワ」と呼ばれた経験もあります。将来就くことができない職業があるともいわれました。当時としては諍えない事実でした。現在、色覚異常で不便なことといえば、夕方西に向かって運転するとき信号機の色が弁別しづらいことがあります。幸い青色LEDの実用化で信号機が改善されてきています。

私は、色が満ちあふれるこの世界で大多数の人が見える現象が見えないことが多いのです。この見えないという現象は私にとって主観的であり客観的なのです。私には他の色は見えるという意味ある現象であり、私が意味を見いだしている世界ともいえます。検査する人が、私に向かって「この文字や数字が読めないのか?」というのは、検査者本人にとって意味あるものだけを自分の基本的な信念に合致するように認知しているからです。

こうした言動は外界の認知だけではなく、記憶についてもいえることです。私たちが想起する過去は、私たちの信念体系にとって意味あるものだけが選択され、しかも歪曲されています。個人は、往々にして自分が中心であるところの経験の世界に存在し、そうした場面で知覚するままに反応します。ですから色覚を検査する者は、「なぜ見えないのか、お前はおかしい」と呟いてしまうのです。

主観と客観の説明で用いられる目の錯視とか錯覚を取り上げみましょう。英語では「visual illusion」ですが、illusionとはいえ画像は迫真的なリアリティを有しています。錯視画像は数々あります。形をグラデーションや動きで変えると客観的世界の実在性に疑問を確信させ、目の前の世界に現実感を与えてくるのがわかります。物差しで測ってみて同じ長さであっても、私たちの目には長短があることが迫ってきます。見方によっては若い女性の横顔が年老いた女性にも見える錯視画像があります。100人が画像を見て、全員が若い女性というフラッグを上げ、全員が年寄り女性だというフラッグもあげることができるのです。ある壺には二人が向き合うように見えるのもあります。この事実はもはや「illusion」ではなく実在ではないでしょうか。これが「純粋な知覚や意識」といってよいのかもしれません。

錯視は錯覚はどう違うかはわかりませんが、錯視から言えること。それは個人に経験される世界は客観的で絶対的な実在の世界ではなく、各人によってさまざまに知覚される私的な現象的場 (phenomenal field) であるということです。どのように知覚されようと正しいとか誤りではないという世界があるのです。
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初めに言葉があった その34 主観性と世界の理解 「地球は平らか、」

私たちの日常には、不思議なことで満ちています。今暮らす地球のことから話を進めます。文字通り地球は丸いのですから、人が北極に立つとすれば南極では逆立ちしているはずです。ですがこの地球上で暮らしながら逆さまに立っているなんて想像することはまず好事家以外はありません。

地球が球体であることは紀元前にすでに信じられていたようです。宗教界では地球中心説が定着していました。中世期、地球中心説に対して太陽中心説を唱えたコペルニクス (Nicolaus Copernicus) 、地動説を称えたガリレオ (Galileo Galilei) 、天体の運行は楕円であると主張したケプラー(Johannes Kepler) など、地球は丸いと主張します。それまでは地球は平面だと誰もが教えられていました。地球平面説です。

少しくどくなりますが、誰かが「君はこの地球は丸く見えるか?」と、尋ねてみれば、相手は「あたり前じゃないか、ここ地球は丸くなくて何だと言うんだ」と、訝かりながら目の前の地球儀を指さすに違いありません。実際にそんな質問をしないにしても、私も他者も丸い地球が実在していることを自明なものとして把握している面があります。そういわれても、地平線は文字通り平らだという気がします。

逆に相手の人が「地球は丸いなら、地球の裏側では人は逆さまじゃないの?」などと言い始めたなら、あるいはあたかも逆さまに立っているかのような錯覚に陥っていると主張し始めたとしたら、知覚や本質の直観から地球は丸いと確信していたとしても、その確信はたちまち疑わしいものになります。そして球体性という理解は揺らいでしまうのではないでしょうか。このように他者の振る舞いというのは、地球の平面性にリアリティを与えていきます。

地球は丸いが逆さまに立っているなんて誰もが感じられないはずです。このように少し考えてみると、私たちの行動を促したり決定するものは、「客観的な世界」そのものではなく、「客観的な世界」を主観的にどのように認知するかである、という考えに立つということです。
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初めに言葉があった その33 「われは満ち足れり」

一体、誰がこのように宣言ができるのでしょうか。私たち一人ひとりはそれぞれの家族に生まれ、育てられ、教育を受け、生きています。「満ちたれる」とは一体どのような有り様なのでしょうか。自分を振り返るとき、恐らく誰もが反省とか後悔とかが先に立つのではないでしょうか。私たちはなんらかの理想を目指し、それを求めて懸命に努力し歩んでいます。しかし、その理想は高みにそびえ、その何合目かにいます。人知では到底計り知れない境地が先にあることを知らされています。

バッハ (Johann Sebastian Bach) の作品でもよく知られるのがカンタータ (Cantata) です。その第82番(バッハ作品番号ーBWV82)は「われは満ち足れり」(Ich habe genug) (I have now enough) と名付けられています。バッハのカンタータの中でも純粋な器楽伴奏付きのバス独唱の作品の一つとされています。この独唱とか朗唱は「レシタティーヴォ」(Recitativo) と呼ばれ、組曲形式の作品の中に現れる歌唱の一様式となっています。チェンバロやリコーダが伴奏となり、柔らかい雰囲気や感情などを静かに表現していきます。詠唱 (aria) などの旋律的な曲と組み合わせられます。

さて、「われは満ち足れり」です。この舞台は、「ルカによる福音書第2章第25節」(Gospel according to Luke 2: 25) です。エルサレム (Jerusalem) にシメオン (Simeon) という名の人がいました。この人は信仰深い人でイスラエル (Israel) が慰められるのを待ち望んでいました。彼には聖霊が彼に宿っていたとされ、「預言者シメオン (Prophet Simeon)」、「聖シメオン (Holy Simeon)」、「老シメオン (Old Simeon)」といわれていました。

救世主を待望していたシメオンは、イエスの誕生をきいてかけつけ幼子を抱きかかえ「われは満ち足れり」と言ったことがルカによる福音書に記述されています。この場面から、シメオンは「抱神者シメオン」(Simeon the Godbearer) とも呼ばれるようになりました。「自身の行いではなく、恵みによって満たされた」と宣言する言葉です。

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初めに言葉があった その32 Bernard Sanders

サンダース上院議員(Senator Bernard Sanders)はヴァモント(Vermont)という小さな州の出身です。1941年生まれ。大統領候補としては年配です。健康状態はどうなのでしょうか。次の予備選挙はニュー・ハンプシャー州(New Hampshire)で明日2月9日です。ヴァモントはニュー・ハンプシャーの北隣の州ですから当然、サンダース候補が優位といわれます。ニュー・ハンプシャーの南はマサチューセッツ州です。クリントン候補はニュー・ハンプシャー州の予備選挙のあとのマサチューセッツ州での選挙運動に力をいれることになります。

サンダース候補の経歴は興味があります。若い頃から公民権運動にかかわり、非暴力主義に心酔し人種平等にも賛同してきたようです。彼の選挙公約は、主として経済政策、特に収入や富の不平等に関心があります。最低賃金の上昇、公立大学の授業料の無償化、投機的取引への課税、所得が250,000ドル以上の収入者に対する課税、企業に対する家族休暇、育児や病気の休暇の保障などヨーロッパ諸国の休暇制度の導入をうたっています。シリアからの難民の引き受けも支持しています。ウオール街 (Wall Street) など一部の富裕層と政治の癒着を問題視して有権者を取り込もうとしています。若者や中間層を意識した公約です。

なんとなく大衆から受けそうな政策なのですが、合衆国の人々は自分は中間層の上の人間だという自負が高いのです。低所得者を支えているのだという自負も持っています。ですからサンダース候補の主張に賛同はするが投票は別、という気分なのです。経済や政治において国が強くならなければ市民生活に保障はないと考えるのです。アメリカの財政赤字は今も多額です。2014会計年度の財政赤字は最悪期の3分の1に減少したとはいえ、Sanders候補が公約する国民皆保険制度を導入できるほど税収入の増加が見込まれるのか、という悲観的な意見もあります。
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Nasir Bagh refugee camp near Peshawar, Pakistan. 1985.

Nasir Bagh refugee camp near Peshawar, Pakistan. 1985.

A general view shows a street after clashes between Free Syrian Army fighters and forces loyal to Syria's President Bashar Al-Assad, in Salah Edinne district, in the centre of Aleppo August 9, 2012. (Zohra Bensemra/Reuters)

A general view shows a street after clashes between Free Syrian Army fighters and forces loyal to Syria’s President Bashar Al-Assad, in Salah Edinne district, in the centre of Aleppo August 9, 2012. (Zohra Bensemra/Reuters)

初めに言葉があった その30 「Clinton won, but did she?」

アイオワ州での党員集会(Causus)の結果は、激戦であったことを物語ります。とりわけ民主党のクリントン候補(Hillary Clinton)はサンダース候補( Bernard Sanders)にたったの.2%という僅差で勝利したといわれます。New York Timesの見出しに「Clinton won, but did she?」というのがありました。「.2%は誤差ではないか」と勝利?を揶揄するフレーズです。

こうした大統領選挙の運動で興味あることは、2月から7月にかけて順に党員集会が開かれるということです。民主、共和両党とも候補者を1人に絞るのが党員集会で予備選挙とも呼ばれます。緒戦で勝利した候補はその後の党員集会で有利になるはずです。党員集会の最大のヤマ場は「スーパーチューズデー」(Super Tuesday)と呼ばれる3月第1週の火曜日です。今年は11州で党員集会が開かれます。その結果によって、ほぼ候補者が一本化されることが予想されます。

大衆は勝ち馬に乗る傾向があります。この6か月の間、候補者を絞っていくというのが、いわばアメリカの草の根の選挙運動です。両党の全国党大会は8月末から9月の上旬に開かれます。そこで大統領候補者が決まることになっています。

同じ月の同じ日に党員集会をやらないところに特徴があります。この時間のづれは11月の本選挙でも見られます。合衆国の本土には、四つの時間帯があります。東から順に東部時間、中部時間、山岳部時間、太平洋時間です。投票は東部から始まり、一時間遅れて順に続きます。開票も同じです。ですから東海岸で開票結果が出始めても、西海岸ではまだ投票が続くのです。人々は開票結果を見ながらどちらに投票するかということになります。
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初めに言葉があった その29 「Caucus」

アイオワ州での党員集会(Caucus)が始まり、アメリカの大統領選挙が始まりました。党員集会は予備選挙とも呼ばれています。大統領候補を決める代議員を選ぶ集会のことです。大統領を選ぶ道のりは長く厳しいようです。候補者も家族も支持者も大変だろうと察します。まるで二年間のマラソンレースのようです。候補として名乗りをあげますが、途中でほとんどの候補が脱落していきます。

私の家族も大統領選挙運動に関わったことがあります。1988年の選挙では共和党のジョージ・ブッシュ(George H. Bush)と民主党のマイケル・デュカキス(Michael S. Dukakis)が党大会で指名され争いました。この選挙では次女がウィスコンシン大学在学中にデュカキス陣営の運動員として応援しました。今は、合衆国は高校生も選挙運動をやっています。

デュカキスが敗れたのには理由があります。ブッシュは第二次大戦中に海軍に入隊し、魚雷搭載の爆撃機の乗員として参加します。日本軍の対空砲火を浴びて撃墜されますが救助されます。他方、デュカキスは陸軍に入隊し韓国で2年間駐留した経験があります。一般のアメリカ人にとってはこの二人の軍歴を比べて投票したはずです。大統領になるためにはこうした過去の経歴も大事なのです。

現在、名乗りを上げているほとんどの候補者は上下両院の議員とか州知事です。弁護士資格の肩書きも優位になります。さらに出身民族や宗教なども候補者資格の要素となります。通常、アフリカ系とかアイリッシュ系、カトリックの人々はアメリカ社会ではマイノリティ(minority)です。オバマ大統領(Barack Obama)やケネディ大統領(John Kennedy)などはそうですが、当時はマイノリティのハンディを克服するほどのカリスマ的な資質とマイノリティに対する好意的な状況が、国中にあったものと考えられます。

アイオワの次の党員集会は2月9日、東部のニュー・ハンプシャー州(New Hampshire)で予定されています。
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初めに言葉があった その28 「お米の匂いがする、、」

本を読むとき、テレビを観るとき、周りの人と対話するとき、講演を聴くとき、あらゆる日常の営みでなにか心に響くメッセージを感じるときがあります。それを言葉で表してみると、実に尊い思い出となります。

一つの私的なエピソードを紹介します。長男がまだ4歳くらいのときです。当時私は札幌で両親と同居しておりました。あるとき、親戚の結婚式があり、両親は孫 (長男) を連れて静岡に出かけました。美保の松原で景色をみているとき、父親がどうしてクロマツだけが生えているのかとつぶやいたのだそうです。それを聞いていた孫が、「おじいちゃん、クロマツは海に、アカマツは山に生えるんだよ、」 といったのだそうです。

クロマツが耐潮性が強く海岸線付近に多く生育するのに対して、アカマツはどちらかといえば内陸に産します。アカマツ林は、マツタケを育てる林でもあります。アカマツとマツタケは相利共生の関係であり、マツタケが生えるような環境の方が生えない環境のものより寿命が長いともいわれています。そいういえば、八ヶ岳山麓にアカマツの大規模な群落が見られます。八ヶ岳登山の楽しみです。

「北海道にはアカマツしかないのにどうして、孫はクロマツのことを知っていたのかね、、、、」と首を捻っていました。両親はこの孫のエピソードをあちらこちらで吹聴していたきらいがあります。孫は本が大好きでした。片っ端から読み聞かせられたことを記憶していたようです。

「三つ子の魂、百まで」といいますが、父はこのクロマツにまつわる孫の言葉を96歳になるまで思い起こしていたのを覚えております。9年前に他界した父。孫は46歳の父親になって二人の息子を育てています。

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初めに言葉があった その27 「Good Samaritan doctrine」

三年前の暮れ近くに、弟が亡くなりました。訳あって一人暮らしを余儀なくされていて路上で発見され病院に担ぎ込まれました。内臓疾患がもとでそのまま逝ってしまいました。5年間で両親と兄弟の葬儀を執り行いました。なにか夢ではないかと狼狽える「hang-ups」を体験した時でした。

大勢の人々、特に高齢者の方々が一人暮らしをしています。私にも札幌で親戚の者がそうした生活をしています。時々電話で消息を確かめて激励しています。そして私か連れ合いにも確実に一人暮らしの現実がやってきます。

誰もが遅かれ早かれ成熟し、身体と精神の老化の時がやってきます。それに備えることが、「今ここで」生きることの意味といえます。時には二つのことがあるといわれます。それは、毎日の暦をめくるときに、「ああ、もう一年が経ったか」と感じる時間です。もう一つは、「今年は充実した」とか「いろいろな苦しいことが多かった」と感じる時です。「大切な時、決定的な瞬間」といったような質的な時、あるいは人生に奥行き感じさせる時です。

ある人がエルサレム (Jerusalem) からエリコ (Jerico) へ下って行く途中、強盗に襲われます。殴りつけられ倒れたところに金持ちや聖職者が通りますが、皆立ち去ります。そこに、異邦人として人々から避けられていたサマリア人 (Samaritan) がたまたま通り憐れに思い、自分のろばに乗せ宿屋に連れて行って介抱します。立ち去るときに宿屋の主人にお金を渡し介護を依頼します。

サマリア人は、「ああ良いことをした、気持がいいな、」と誇ったでしょうか。「元気になってくれればいいな、、」と案じたでしょうか。どうも後者のような気がするのです。このエピソードは「ルカによる福音書10:29−37」に登場します。

窮地の人を救うために無償で善意の行いをしたならば、たとえ失敗しても結果の責任は問わないことを Good Samaritan doctrine とか Good Samaritan Law(善きサマリア人の原則)といいます。子供の折檻、学校でのいじめを見て見ぬふりをすること、医療において過誤責任を問うこと、業務過失死が問われかねないなど、この善きサマリア人の話しはもっと理解されて然るべきです。

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初めに言葉があった その26 「We all have our hang-ups!」

漫画「Peanuts」のもう一人というか、もう一匹の主人公はビーグル犬のSnoopyです。彼の名前は「snoop」(うろうろ探す)という単語に由来するようです。ですがなかなかどうして、擬人化され哲学者めいた名言を呟いています。Snoopyは人間の言葉を喋りませんが、作者のSchulzを介して自分の思いや感情を言わしめます。

Snoopyは忠実で純真であり、想像力に富む温厚な性格の犬です。時々、白昼夢でブツブツ言いながらまるで大学生になったり、第一次大戦中の英雄的なパイロットのようなペルソナに扮装します。飼い主チャーリー・ブラウンの名前は覚えることができず、「round-headed kid」(丸い頭の男の子)というように呼んでいます。それでも忠誠心と愛着が旺盛な犬として描かれています。

さて、「We all have our hang-ups!」というフレーズです。「hang-ups」がキーワードですが、この意味は、情動的な不安や葛藤のことです。負け試合を終えるとチームメイトがチャーリーの下手くそなプレイを詰るのです。帰り道にチャーリー・ブラウンと一緒に歩きながら彼を慰めます。いじめにはくじけないで戦うのだと。そして「We all have our hang-ups!」(誰にでも心に困ったことはあるもんだよ!)と呟くのです。

Snoopyはさらに言います。
「Are you saying you are down? You may need a sense of humor in your life.」
  気が滅入るだって?きみの生活にはユーモアがたりないのかも…

「Keep looking up.. That’s the secret of life..」
  上を見続けること、それが生きることのコツなんだ 

チャーリー・ブラウンは飼い主としてSnoopyを幸せにしようと懸命なのですが、それができないのがもどかしいのです。ですがSnoopyは言います。
「Don’t worry about it. I was already happy.」
「チャーリーと一緒にいることに勝る幸せなんかはない」。なんとも主人を信じきる思いやりの深い犬です。
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初めに言葉があった その25 「Good Grief,,,,,」

今回の言葉は、人の名前、それも漫画の主人公に発せられるフレーズです。私が英語に夢中になりかけたきっかけは、なんと漫画との出会いです。私を魅了した漫画に「ピーナッツ(Peanuts)」があります。チャーリー・ブラウン(Charlie Brown)が主人公です。1960年代に世界中を風靡するような人気を確立します。作者はチャールズ・シュルツ(Charles M. Schulz)です。2000年に亡くなりました。

この漫画の魅力、それは子ども同士の友情や悩み、動物への親近感、社会問題への子どもの純粋な皮肉や批判が大人も子どもにも共感されることです。漫画の台詞は中学の英語で十分理解できます。私が英語が好きになったのは「風」という詩とともに「ピーナッツ」のお陰だと自信をもっていえます。

漫画の題名です。Peanutsとは、俗には「つまらない者」という意味です。あえて漫画の題名にPeanutsを選んだのは、シュルツの深い意図があったものと思われます。「ピーナッツ」では、できのよい子供は登場しません。皆ダメで困っている、心の悩みを持つ子供たちです。葛藤をどうやって乗り越えるか考えています。「Good grief,,,,,」という台詞がしばしば見られます。「やれやれ、困ったもんだ、あきれるわ、、、」という意味です。にもかかわらず登場人物や犬、毛布との関わりを暖かい目で見つめる視点が一貫したテーマとなっています。

さて、主人公チャーリー・ブラウンです。彼はユニークな仲間で囲まれています。飼い犬の「スヌーピー(Snoopy)」は、周りの大人や子どもをときに冷ややかに観察し、しばしば自分の小屋の屋根でねそべっては思いをはせる哲学者のような存在です。趣味は変装。スヌーピーはチャーリーの無二の友人です。

女の子でお茶目なのがルーシー(Lucy)。チャーリーの尻をたたき、「もっと元気をだしなさい!」と叫んではチャーリーをおどおどさせます。ガミガミ屋だったり、意地悪のところもあるのです。根はいいのですが、、、いつも小さな「安心毛布(security blanket)」を持ち歩いているのがライナス(Linus)。毛布がないと落ち着きません。実は、犬のスヌーピーも安心毛布が好きで、ライナスはこれを奪われることもあって、どたばた劇を演じます。いつも持ち歩くことで、一緒にいる安心感を得ています。お母さんの代わりにいつも一緒にいる存在が毛布です。まるで人格があるかのようです。

次の仲間はシュレーダー(Schroeder)。彼はベートーヴェン(Beethoven)を愛する小さな音楽家です。チャーリーの野球チームではキャッチャーを務めます。ルーシーに好かれてるんですが、当の本人は迷惑気味です。

最後にチャーリーです。彼は子ども達の野球チームでは選手兼監督を務めています。野球チームは負けてばかり。飛球をぽろりとやったり、トンネルをしては仲間を地団駄させます。そんなときだけは「間抜け!」「のろま!」などと野次られます。でも人望だけは凄いのです。面倒見がよく、お人好しなのです。アメリカでは憎めない人のことを「チャーリー・ブラウン」と呼ぶこともある位です。是非手にしていただきたい漫画です。英語も分かりやすく、味わいのある会話が登場します。
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1995 - Charlie Brown appears in a 'Peanuts' cartoon drawn by Charles Schulz in this handout provided Tuesday, Dec. 14, 1999. Schulz, 77, announced Tuesday that his last new daily strip will appear Jan. 3 and his last new Sunday strip will appear Feb. 13. Older strips will run for an indefinite period afterward. The cartoonist has colon cancer, and says he wants to focus on his health. Schulz draws and letters every panel himself. His contract prohibits anyone else from drawing the strip. (AP Photo/United Media)

1995 – Charlie Brown appears in a ‘Peanuts’ cartoon drawn by Charles Schulz in this handout provided Tuesday, Dec. 14, 1999. Schulz, 77, announced Tuesday that his last new daily strip will appear Jan. 3 and his last new Sunday strip will appear Feb. 13. Older strips will run for an indefinite period afterward. The cartoonist has colon cancer, and says he wants to focus on his health. Schulz draws and letters every panel himself. His contract prohibits anyone else from drawing the strip. (AP Photo/United Media)

初めに言葉があった その24 「民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった」

今の日本の政治について、私たちは、「一体どうなっているのか、日本はどうなるのか」という問を投げかけています。このいい知れない政治の不安に怯えたり、呆れたり、諦めたくなるような気分にもなります。かつては積極的に政治に参加していて、挫折や幻滅を味わったことで投票から離脱する人も大勢います。

「民の心は鈍り」とは、政争に明け暮れる為政者のことであり、もうけ主義だけに走る企業家であり、回りの人々や話題に無関心になった大衆のことです。一体なんのために、どのように生きるかについて無頓着になった人々です。

「耳は遠くなり」とは、難聴のことではありません。聞く耳をもたないこと、大事なことを聞こうとしない態度です。なにが大事でなにがそうでないかを聞き分けることが難しくなることです。

「目は閉じてしまった」とは、ものごとを真正面から見ない態度です。大事なものを見分けられないことです。心眼という題の落語があります。目の不自由な男が、夢の中で目が見えることによって自分の妻の優しさを失いかける話です。そして、「やっぱり目は不自由なことのほうがええ、そのほうがよーく見える」と述懐するのです。

政権が変わっても、企業と政治家の癒着が続いています。大臣室での口利きや金銭のやりとりも行われています。いつの時代においても、古典的な賄賂と汚職が横行し、これなしでは商いはうまくいかないようです。「職務を辞するのは国会審議に悪影響を与えないため」というのは、自分の行為は悪くはなかったといったニュアンスが感じられます。虫唾が走る思いです。そういえば、藤沢周平や佐伯泰英の時代小説の主題は政治とカネを中心とした利権争いです。

厭世的な気分になりがちなのが今の政治の有りようかもしれません。それでも私たちは批判的な精神を失ってはなりません。

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初めに言葉があった  その23 「命の水」

50年前には水を店で買うことはありませんでした。その考え方がなかったのです。水はタダ、安全だと思っていました。確かに水道料は払っていました。蛇口から出る水はタダだったというのは実は間違いでした。

江戸時代、水屋という職業がありました。安い料金と重い水を運ぶので大変な商売だったようです。雨や風、雪、関係無しに1日も休む事ができません。大川といわれた隅田川の上流、神田上水と玉川上水からひっぱって桝という取水口で汲み上げた水を売り歩いていた人がたくさんいたようです。

落語の演目に「水屋の富」があります。千両富に当たった水屋が床下にぼろ手ぬぐいに包んでつっておいて水売りにでかけます。ですが泥棒から狙われるのではないかと、水を売っていても家に帰っても心配で寝られなくなります。案の定、富は盗まれてしまいます。「ああ,これで明日から寝られる」というサゲがきます。

水争いは長い歴史があります。江戸時代もそうです。大阪府域の村々の長きにわたる水争いの歴史もあります。山形の庄内平野は日本一の米。ここにも治水と利水を巡る争いや土地改良の歴史があります。「我田引水」は水争いの種となりました。歴史諫早湾の締め切り干拓を解除するかどうかが大きな問題となり、群馬県の吾妻川の八ッ場ダム建設問題があります。水争いが生まれる背景には、水資源の希少化があります。

地中海に流れ込む世界最長のナイル川も水配分の争いが続いています。スーダン、エチオピア、コンゴ、タンザニア、ケニアなどの流域国と最下流のエジプトとの水紛争です。上流の国は、水力発電、灌漑用水、生活用水など、自由な水利用を求めますが下流のエジプトが反対しているのです。

水は万物の源。水によって全てのものが潤います。水を巡る争いは古より今に至るまで延々と続いています。水の枯渇は世界中で取り上げられている大きな問題です。日本ではダムの建設による下流での水不足も心配されています。兵庫県の平野部には沢山の灌漑用の池が点在しています。空から見るとそれを実感できます。田畑が整然と存在するのはこうした調整池のお陰です。先日の寒波の影響で福岡県では未だに断水が続いているところがあると報道されています。漏水による水瓶の枯渇が原因のようです。

水への考え方は、店で水を買うという行為によって大きく変わりました。もっと美味しい水を飲みたいという私たちの嗜好の変化へ移っていきました。お茶や珈琲をより美味しくいただきたいという欲求も高まりました。美味しさへの憧れは止めることができないようです。

「命の水」とは、です。その意味は渇くことのないものということでしょうか。水は一時の渇きを潤します。やがてまた飲まなければなりません。渇くことのないもの、それは知識であったり智恵であったり、なにか目に見えない大事なことのようです。地上のものは、いわばすべて虚ろな、滅びるものです。しかし、「命の水」は豊かに人の心を満たすものです。それを私たちは追い求めています。

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初めに言葉があった その22 「Who has seen the wind?」

中学時代に習った英語に、「Who Has Seen the Wind?」(風)という詩があります。中学2年の教科書の表紙の裏にありました。なぜかこの英文の詩がスラスラと暗記できたのを覚えています。まるで白紙に墨汁がたれるように、脳に染みこんでいきました。英語が好きになった一つのきっかけとなりました。今でもこの詩を諳んじることができます。

作詞者はクリスチナ・ロゼッティ(Christina Rossetti)。1872年頃の作といいますからビクトリア王朝(Victorian Era)時代です。産業革命による経済発展の絶頂期の頃です。なぜこのような時期に控えめな詩の表現を使ったかはわかりません。ただ英国国教会の熱心の信者であったこと、肺を患っていて病と闘っていたことにも創作の理由がありそうです。「Sing-Song: A Nursery Rhyme Book」という童謡も発行しています。

この優しい詩を口ずさむと、詩とはどんな形式で構成されるのかがわかります。修辞がちりばめられているのです。 まずは、冒頭で Who has seen the wind? が反復されます。繰り返すことによってテーマを強調するのです。さらに自然の現象を疑問形で書いて、強い反語的な主張をしています。

次に、「Neither I nor you,  Neith you nor I 」という具合に主語の順序を倒置させて主体を強調します。このフレーズでは語尾にあるはずの終止形の動詞句を省き、体言で止めで文体を強調させています。詩のお終いで使われる through と by です。passing through, passing by という現在形の動詞につながる接続詞の使い方は対句といえます。どちらも余韻を残す終わり方です。

Who has seen the wind?
 Neither I nor you:
  But when the leaves hang trembling,
   The wind is passing through.

Who has seen the wind?
 Neither you nor I:
  But when the trees bow down their heads,
   The wind is passing by.

一体誰が風を見たでしょうか
わたしもあなたも見たことはありません
木の葉が揺さぶられるとき
風は通りすぎていくではありませんか

目に見えない空気や風に季節や自然を感じることの素晴らしさを歌った詩です。風は息吹とか霊などを示唆し、見えざる手によって自然は造られ守られていることを示しています。
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初めに言葉があった その21 北原白秋と小椋佳 その3 エルヴィス・プレスリ

「シクラメンのかおり」は、小椋佳が第一勧業銀行赤坂支店に勤めていた頃の作で、1975年に発売されたとあります。その後浜松支店長となっています。銀行マンでありながら、作詞作曲でも類い希なる感性を発揮していきます。現在、日経の「私の履歴書」で30回にわたって自分の銀行生活や音楽活動を回想しています。

歌詞の冒頭にある「真綿色したシクラメンほど、清しいものはない」は英訳すれば、さしずめ「Nothing is as refreshing as cyclamen」となります。発音は「サイクラメン」です。「、、、ほど、、、なものはない」という表現は、修辞法でいえば反語であります。否定的な代名詞、Nothingが実は肯定的な表現の裏返しの用法で、強い断定を表しています。シクラメンほど清々しく、まぶしく、また寂しい花はない というのです。

話題はかわって、1967年にソングライターであったラシュコウ (Michael Rashkow) は「Mary in the Morning」という曲を作ります。Wikipediaによると、彼は音楽教育を受けた経歴がことがないといわれます。ですが、エルヴィス・プレスリ (Elvis Presley) がこの曲を歌うことによって、一千万枚のレコード発売という記録を生みます。

バラード風のこの「Mary in the Morning」にも「、、、ほど、、、なものはない」がでてきます。「Nothing’s quite as pretty as Mary」(メアリーほど可愛い娘はいない)です。小椋佳はこうした修辞をからプレスリーの曲から引用し、それに白秋の「からたちの花」使われる反復という修辞を下敷きにしたと考えて間違いありません。

「Mary in the Morning」の歌詞 (Lyrics)です。

Nothing’s quite as pretty as Mary in the morning
 When through a sleepy haze I see her lying there
  Soft as the rain that falls on summer flowers
   Warm as the sunlight shining on her golden hair

小椋佳はたくさんの曲を調べ、自分の作風を作り上げていったのです。そうでなければ、傑出した多くの曲を世に送り出すことができなかったはずです。現存する希有のシンガーソングライターといえましょう。
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初めに言葉があった その20 北原白秋と小椋佳 その2 「シクラメンのかおり」

詩の世界でも誠に素人ながら北原白秋と小椋佳の作詞には共通点があると考える一人です。作品を読み比べるとそれが分かってきます。「からたちの花」が発表されたのは1925年、そして「シクラメンのかおり」は1975年に発売され一躍日本中に広がります。二つの詩には50年の歳月のひらきがあります。しかし、驚くべきほどの共通点があるのです。

二つの詩を比べてみましょう。

からたちの花が咲いたよ 白い白い花が咲いたよ
 からたちのとげはいたいよ 靑い靑い針のとげだよ
  からたちも秋はみのるよ まろいまろい金のたまだよ

真綿色したシクラメンほど 清しいものはない、、、、
 薄紅色のシクラメンほど まぶしいものはない、、、、
   薄紫のシクラメンほど 寂しいものはない、、、、、

白秋は、からたちの花、とげ、そして実を描写します。小椋はシクラメンの色が感情に響くことをいいます。自然と人を一体化しようとする言葉です。二人の詩には、抒情的な雰囲気、清澄さ、溌剌さに溢れています。繰り返しの修辞が使われ、読者の心をくすぶってきます。小椋の作詞には白秋の影響が色濃くでていることがわかります。
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初めに言葉があった その19 北原白秋と小椋佳 その1 柳川

かつて働いていた通信制高校の本校が福岡の田川にありました。石炭産業で栄えた所です。卒業式の式辞は北原白秋の「からたちの花」をテーマに、白秋の人となりや詩への感性や作り方、そして人生の生き方について述べました。

式が終わり白秋の生家がある柳川市へ向かいました。柳川は長閑な掘割が縦横に流れることから水の都と呼ばれています。旧藩主立花氏の別邸「御花」、鰻料理などを堪能できる街です。北原家は江戸時代から栄えた商家。海産物の問屋をしていたようです。白秋の生家が今は記念館となっています。

ところで白秋記念館というのは神奈川県の三浦市と小田原市にもあります。三浦三崎には「城ヶ島の雨」の詩碑と白秋記念館があります。小田原時代の白秋は鈴木三重吉とともに児童雑誌「赤い鳥」を創刊します。「童謡」という新しいジャンルを開拓した功績を讃え、その創作活動を記念して造られたのが白秋童謡館です。

白秋といえば「待ちぼうけ」「ペチカ」「あめふり」「赤い鳥小鳥」「砂山」「鐘が鳴ります」「かえろかえろと」など多くの童謡の歌詞をつくりました。やがて与謝野鉄幹や晶子、木下杢太郎、石川啄木らと知己を持ちます。雑誌「明星」や「文庫」で発表した詩は、上田敏などによって高く評価され、歌人としての地位を確立します。

「からたちの花」です。この詩に曲をつけたのが山田耕筰です。

からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。

からたちのとげはいたいよ。
靑い靑い針のとげだよ。

からたちは畑の垣根よ。
いつもいつもとほる道だよ。

からたちも秋はみのるよ。
まろいまろい金のたまだよ。

この曲はやがてシンガーソングライター(作詞作曲家)の小椋佳に多大な影響を与えていきます。
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初めに言葉があった その18 「からし種一粒程でもあれば」

年末から年始にかけて頂戴した喪中の葉書やクリスマスカード、年賀状を見ながら住所を確認し、過ぎし年と2016年を考えています。振り返ると、私はあまり誇りにならないことをやってきたような反省があります。ちょとばかり他の人より学問をする時間が長かったとか、外国語が少しはできるとか、たいしたことのない論文を恥も外聞もなく書いてきたこと、、、。ある人が私に、「もっと優れた研究をするにはどうしたよいでしょうか、教えてください」と懇願してきたとしましょう。実に困ってしまう問いです。「からし種一粒の向上心があれば十分だ、」といってやりたい気持ちになります。

外国では、小さなものが成長して大きな成果を生むことの例として、「からし種」(mastard seed)がよく用いられます。日本の諺には「山椒は小粒でもピリリと辛い」という故事もあります。からし種は極めて小さいですが、味は明確で刺激は強烈です。いくら水を飲んでも口中が焼けるような熱さのときもあります。侮ってはならないのです。

誰しも才能や気質は潜在的に持っています。それをいかに開発していくか、そしてそれを発揮していくかです。「からし種」一粒程でもあれば、それで十分だということは、才能や気質は人に見せたり誇ったりすべきものではないということです。からし種をたくさん撒き散らすように、尊大な態度の人々が大勢います。周りがげんなりしていることに気がつかない人々です。

どんな小さい素質や可能性でも辛抱強く育て、途中で諦めなければ必ず実を結ぶと信じることが大切です。からし種一粒でいいのです。このからし種の喩えはマタイによる福音書17章20節にあります。

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初めに言葉があった その17 「新しい葡萄酒は新しい革袋に」

前回のブログの続きです。最も歴史の古い酒の一つが葡萄酒とかワインといわれています。メソポタミア (Mesopotamia) 地方で最初に造られたのが紀元前6000年頃といわれますから、その古さはとてつもないくらいです。今日、葡萄酒は世界中で造られ広く飲まれています。

時代が経って、中世のヨーロッパではカトリック教会 (Catholic church) の聖職者を養成する僧院や神学校が葡萄の栽培と葡萄酒の醸造を担います。これには理由がありまして、聖書のなかでキリストが葡萄酒を指して自分の血と称したことから、葡萄酒は礼拝の聖餐式において重要な役割を果たします。信者が司祭や牧師から葡萄酒をいただき飲むのです。このとき使うのは赤葡萄酒です。

葡萄の代表的な産地は中国、イタリア、フランス、アメリカ、ニュージーランド、スペイン、チリなどです。今や世界最大の葡萄の生産国は中国。日本でも山梨県が葡萄の産地ですが、世界的にみてその産出量は微々たるものです。旅行するとオリーブ畑と並んで葡萄畑が丘陵に広がります。名だたる高級なものから、市民が普段の食事中に飲むものまで多くの種類が生産されています。一度、イタリアやスペインに短く滞在したとき、なだらかな丘陵に広がる葡萄畑の眺望を楽しむことができました。もちろん葡萄酒をいただきながらです。

「新しい葡萄酒は新しい革袋に」です。「古い葡萄酒」のほうが高価で尊ばれるのではないかと反論されそうです。ですが、変化や改革ということが生き方において要求されるのが現代です。例の「Change」です。今までと同じような考え方や行動基準、生活習慣にしがみつく生き方をしていてよいのか?ということが問われています。新しい革袋とは、それを受けとめる世の中の新しい仕組みや、回りの人々の変化に対する適応性のことを示唆しています。

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