アメリカ合衆国建国と植民地時代の歴史  その11 ウィリアム・ペンとペンシルベニア州

注目

ペンシルベニア州(Pennsylvania)は、その創設者ウィリアム・ペン(William Penn)のリベラルな政策のおかげもあり、アメリカのすべての植民地の中で最も多様でダイナミックに繁栄することになります。 ペン自身はイングリッシュ・ホイッグ(English Whig)と呼ばれるリベラルでしたが、決して過激な思想の持ち主ではありませんでした。 彼のクエーカー教徒(Society of Friends)としての信仰は、当時の一部のクエーカー教徒の指導者の宗教的過激主義ではなく、信仰における大事な教えである良識と平和主義の自由の尊重など、ホイッグの教義といわれる基本的な信条へ信奉が特徴でした 。ペンは、新世界で提唱した「聖なる実験」(holy experiment)によって、これらの理想を実現しようとしました。

 ペンは、1681年にチャールズ二世(Charles II) からの勅許によってデラウェア川(Delaware River) 沿いの土地を父親の王への忠誠に対する報酬として与えられます。 1682年にペンによって提案された最初の政府の枠組みは、それぞれ植民地の自由な所有者によって選出される評議会と下院議会から成るものでした。評議会は立法について唯一の権限を持つとされました。下院は、評議会によって提出された法案を承認または拒否することができました。

William Penn

 この形態の政府の「寡頭的」性質について多くの反対があり、その後ペンは1682年に第二の政府の枠組みを提案し、1696年には三番目の政府の枠組みを提案します。しかし、どれも植民地の住民を完全に満足させることはできませんでした。1701年に、ようやく議会にすべての立法権を与え、評議会を諮問機能のみを備えた任命機関とする特権憲章(Charter of Privileges)が市民によって承認されました。特権憲章は、他の3つの政府の枠組みと同様に、すべてのプロテスタントに宗教的寛容の原則を保証するとしました。

 ペンシルベニアは開拓当初から繁栄していました。最初の入植者は、肥沃な土地と重要な商業的特権を受け取り、その後の入植者と間では確執がありましたが、ペンシルベニアの経済的な機会は、他のどの植民地よりも大きいものとなります。1683年にドイツ人がデラウェア渓谷に移住し、1720年代から30年代にかけてアイルランド人(Irish)とスコットランド系アイルランド人(Scotch-Irish)が大量に流入し続けると、ペンシルベニア州の人口は増加し多様化していきました。平野部の肥沃な土壌は、寛大な政府の土地政策と相まって、18世紀を通して高いレベルで入植者の生活を支えていきました。

 しかし、土地の開拓という執念に燃えるヨーロッパの入植者の願望は、ペンが構想していた先住民族への施策とは対立するものでした。ヨーロッパ人入植者が求めていた経済的機会は、ペンが設立してきたコロニーの土地をめぐって、すでに占有していた先住民族との間で頻繁な混乱や殺戮という行為に現れました。

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「注釈」 ペンシルベニア州や中西部、カナダのオンタリオ州などにやって来たドイツ系移民がアーミッシュ(Amish)と呼ばれる人々です。彼らはペンシルベニア・ダッチ(Pennsylvania Dutch)とも呼ばれるキリスト教徒の共同体で、移民当時の生活様式を保持し、農耕や牧畜によって自給自足の生活をしていることで知られています。ペンシルベニア州はアーミッシュの人口が全米一となっています。

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ナンバープレートから見えるアメリカの州アーミッシュ・ウィスコンシン州対ヨーダ裁判

アメリカ合衆国のどの州も義務教育年限は12年間となっています。中等教育を子どもに受けさせるのが保護者の義務なのです。ところが、信教や思想の自由によって義務教育は8年でもよいという判決が出たことがあります。ウィスコンシン州のマディソンの近くにあるニューグレラス(New Glarus)という町に住んでいたアーミッシュの住民が、子どもの就学を拒否してウィスコンシン州教育委員会を相手に裁判を起こした有名な事例です。これは「ウィスコンシン州対ヨーダ裁判」(Wisconsin v. Jonas Yode)と呼ばれます。それを紹介します。アメリカ中西部にはペンシルバニア州と同様に多くのアーミッシュの人々が暮らしています。

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1972年5月15日、合衆国最高裁判所(U.S. Supreme Court)は、ウィスコンシン州(Wisconsin)の就学義務教育法(Compulsory School Attendance Law)を、アーミッシュ、主にオールド・オーダー・アーミッシュ(Old Order Amish)やメノナイト(Menonite)教会の会員に適用するのは違憲であるとの歴史的な判決を下します。オールド・オーダー・アーミッシュとは18世紀に主にドイツから渡ってきた移民を祖先とする敬虔なキリスト教徒で、厳格に教義に基づいて世俗に染まらない生活を旨としています。裁判では、裁判官7人全員一致の評決となり、義務教育法の援用は、信教の自由行使(free exercise of religion)という憲法修正第1条(First Amendment)の権利を侵害するものであると裁定したのです。憲法修正第1条とは、1791年12月15日に採択された「権利章典」(Bill of Rights)を構成する10の一つで次のような内容です。

Old Order Amish

「連邦議会は、国教を樹立し、もしくは信教上の自由な行為を禁止する法律を制定してはならない。また、言論もしくは出版の自由、又は人民が平穏に集会し、また苦痛の救済を求めるため政府に請願する権利を侵す法律を制定してはならない」

この裁判には、ジョナス・ヨーダ(Jonas Yoder)、ウォレス・ミラー(Wallace Miller)、アディン・ユッツィ(Adin Yutzy)というアーミッシュの3人の父親が原告となり、自らの信仰に基づき、14歳と15歳の子どもたちが8学年を修了した後、公立または私立高校に入学させることを拒否したのです。

ウィスコンシン州の就学義務教育法は、子どもたちは少なくとも16歳まで学校に通うことを義務付けているのを理由として3人の保護者を訴えます。初審はグリーン・カウンティ(Green County)裁判所で開かれ、裁判所は州法は統治における「合理的かつ合憲的な行使を規定している」と結論付け保護者は同法違反で有罪となり、それぞれ5ドルの罰金を科されます。しかし、ウィスコンシン州最高裁判所は、アーミッシュへの法律の適用は憲法修正第1条の信教の自由行使条項に違反するとの判決を下します。この判決を不服としてウィスコンシン州教育委員会は最高裁に上告したのです。

Amish Families

1972年5月15日、この訴訟は米国最高裁判所で審議されます。このときの長官はリチャード・ニクソン(Richard Nixon)に任命されたウオーレン・バーガー(Warren Burger)です。最高裁判所は9名の判事からなりますが、この裁判ではウィリアム・レンクイスト判事(William Rehnquist) とルイス・パウエル判事(Lewis F. Powell, Jr.)は評決には参加しませんでした。最高裁は、アーミッシュに対する包括的な調査を行い、「彼らの宗教的信念と生活様式は切り離すことができず相互依存しており、何世紀にもわたってその基本は変わっていない」と判断します。そして最高裁はさらに、中等教育は、アーミッシュの子どもたちを彼らの信念に反する態度や価値観にさらし、彼らの宗教的発達とアーミッシュのライフスタイルへの統合を妨げるだろうと結論付けたのです。最高裁は加えて、アーミッシュの子どもに8年生以降の公立または私立高校への入学を強制すれば、「彼らは信仰を捨てて社会全体に同化するか、他のより寛容な地域への移住を強いられる」ことになるだろうとも結論づけたのです。

Amish Classroom

こうして最高裁は、「義務教育制度に対するウィスコンシン州の利益は、アーミッシュの確立された宗教的慣習にも譲歩しなければならないほど切実な懸念となる」というウィスコンシン州の主張を退けます。そしてたとえ1年か2年の中等教育がなくても、子どもたちが社会の負担になることはなく、彼らの健康や安全が損なわれることもないと判断します。

US Supreme Court Judges

最高裁は、アーミッシュの子どもたちが正式な教育を受けなくとも家族と共に働き、勤労という「非公式な職業教育を継続する代替手段 」を好意的に評価したのです。アーミッシュは学校教育に全て委ねるのではなく、家庭や農場での実践を通して、良き市民を育ててきた長い実績があることを評価されたのです。こうした知見に基づき、最高裁は憲法の信教の自由行使条項に基づき、ウィスコンシン州の就学義務教育法は、アーミッシュには適用されないとの画期的な判決を下したのです。

この裁判では、少数意見をウイリアム・ダグラス(William Douglas)という判事が述べています。つまり、憲法修正第1条の言論や表現、結社、宗教の自由、さらに修正第14条にある市民の広範な権利は保障されるべきであること、しかし、コミュニティにおける8年の教育で十分であるという主張は、果たして子どもの幸福を保障するものかは疑問であるという立場です。ウィスコンシン州対ヨーダ裁判の判例は現在も生きています。

ナンバープレートを通してのアメリカの州  その四十七 ペンシルベニア州–Amishとキルト

復習ですが、アーミッシュ(Amish)とはキリスト教徒の一派で、聖書の教えを忠実に実践しようとする人々のことです。政教分離を唱え、政治的な宣誓や戦争を拒否します。良心的兵役拒否という姿勢です。質素で簡素な生活を信条とする人々(plaine people)とも呼ばれています。

今回はアーミッシュの人々によって作られるキルトの話題です。アーミッシュ・キルトは日本でも知られ人気の高い飾り物です。アーミッシュが、無地の布をパッチワークしつくるアーミッシュ・キルト(Amish Quilts)は、 鮮やかな色合いと幾何学模様から生まれるデザイン、細やかなステッチが特徴です。聖書の解釈に従って質素な生活規範を守り続けるグループが製作する深い味わいを感じさせてくれるのがアーミッシュキルトです。謙遜・控えめであることを重視している人々は、決まった色の無地の布を用いた衣服を着用し、この布のみを使用したキルトが、アーミッシュの生き方を表現するものとなっています。

Amish and Quilts

アーミッシュ・キルトは、布地を有効に利用し、余った布や端布をつないで作ったのが始まりと言われています。当時は布の利用に主眼がおかれたため、デザインなどのモチーフなどを込めた制作は行われなかったようです。生活のまわりにある植物の色、農場の土の色、そして空の青などを基調としているので地味ながら深く重厚な雰囲気を感じさせてくれるのがキルトです。

Amish quilts

誕生する子どものために特別につくられる子ども用寝台、キルトも単色の布が用いられて配色やシンメトリー、モチーフに心を配り丹念に縫い合わされ、豊かなキルティングが施されるのも特徴です。キルトは、表地に薄い綿をかませ、重ねた状態で縫ったものです。三枚目の生地で綿を挟む場合も多い。綿の厚みで陰影の表情がうまれます。結婚を控える娘に持たせるために作られるベッドカバーなどはこうしたキルトの代表といわれます。