1977年に国際ロータリー財団より奨学金をいただき、ウィスコンシン大学に留学したときのスポンサーがロバート・ジェイコブ(Dr. Robert Jacob)という医師でした。日本語読みではさしずめヤコブ氏となります。長年ミルウオーキー(Milwaukee)の郊外で開業していました。専門は脚の整形外科。熱心なユダヤ教徒でありました。いつも住まいの側にあるシナゴーグ(Synagogue)で長老(Elder)として活躍されていました。次女がウィスコンシン大学の看護学部を卒業したとき開いたパーティに奥様とご一緒に参加してくださいました。残念なことに数年前に召されました。
キリスト教会には、それぞれに演奏したり歌ったりする音楽とそうでない音楽があります。16世紀の前半に起こった宗教改革(Reformation) をきっかけに、カトリック教会から訣別したルーテル教会には、決して演奏することのない音楽とか曲があります。「アヴェ・マリア」(Ave Maria)という曲がそうです。カトリック教会もマルチン・ルター(Martin Luther)が作曲した賛美歌「神はわが櫓」 (Ein’ feste Burg ist unser Gott) を歌うことはありません。
カトリック教会ではイエスの母、マリアを聖母として崇めています。アヴェ・マリアはマリアへの祈祷を指します。直訳すると受胎告知(annunciation)されたマリアに対して「恵まれた女よ、おめでとう、Ave Maria」と呼びかける言葉です。ルカによる福音書(Gospel of Luke)1章26-38節の記述にあります。ルーテル教会などのプロテスタント教会には、マリアを崇拝する教義がありません。
グレゴリオ聖歌(Gregorian Chant)などのミサ曲にもアヴェ・マリアは登場します。その他、祈祷のための教会音楽や祈祷文を歌詞にしたものなどさまざまな楽曲が存在してきます。16世紀スペインの作曲家トマス・ルイス・デ・ビクトリア(Tomas Luis de Victoria)やジョヴァンニ・パレストリーナ(Giovanni Pierluigi da Palestrina)、19世紀フランスの作曲家グノー(Charles Gounod)、同じく19世紀イタリアのロッシーニ(Gioachino Rossini)など多くの作曲家がアヴェ・マリアの曲を作っています
シューベルト(Franz P. Schubert)の晩年の歌曲「エレンの歌第3番」(Ellens Gesang III) がアヴェ・マリアとして知られています。この曲はもともと宗教曲ではなかったようです。ですが誰かがこの旋律にアヴェ・マリアの歌詞を付けて曲にしたといわれます。このようにラテン語による典礼文を載せて歌うことは現代でもしばしばあります。前述のグノーがバッハの「平均律クラヴィーア(Clavier)曲集 第1巻」の「前奏曲 第1番」の旋律にアヴェ・マリアの歌詞をつけて完成させた声楽曲もそうです。クラヴィーアとはオルガンを含む鍵盤を有する弦楽器のことです。読者の皆さんも必ずどこかでアヴェ・マリア聴いたことがあるはずです。
もう一つのカンタータ(Cantata)をご紹介します。カンタータとは、イタリア語「〜を歌う(cantare)」に由来し、器楽伴奏がついた単声または多声の声楽作品を指します。今回は、カンタータ第147番です。「心と口と行いと生きざまもて(Herz und Mund und Tat und Leben)」と訳されています。140番と並んで人々に親しまれる教会カンタータです。この曲を広く知らしめているのが第6曲の「主よ、人の望みの喜びよ」の名で親しまれているコラール(Choral)で、ドイツ語では”Jesus bleibet meine Freude”という題名となっています。
カンタータ第147番は、新約聖書ルカによる福音書(Gospel of Luke) 1章46〜55節にに依拠しています。礼拝での聖書日課は「マリアのエリザベート訪問の祝日」となっていて、マリアが神を賛美した詩「マニフィカト(Magnificat)」が朗読されます。マニフィカトとは、聖歌の一つである「わたしの魂は主を崇め、わたしの霊は救い主なる神を讃える」という詩のことです。全部で10曲から構成されるカンタータ第147番の一部を紹介することにしましょう。
冒頭の合唱は、”Herz und Mund und Tat und Leben”というトランペットが吹かれる快活な曲で気持ちの良い合唱フーガ(Fuga)です。フーガとは対立法という手法を中心とする楽曲のことです。同じ旋律(主唱)が複数の声部によって順々に現れます。この時、5度下げたり、4度上げて歌います。これを応唱ともいいます。少し遅れて応唱と共に別の旋律が演奏されます。これを対唱と呼びます。次のレシタティーヴォも、オーボエなど弦楽合奏を伴うしみじみした響きで演奏されます。
教会では、全ての日曜日礼拝には拝読される福音書の章句が決められています。三位一体節から数えて第27日曜日の福音書聖句は、マタイによる福音書(Gospel of Matthew)25章1節から13節となっています。この箇所では、花婿の到着を待つ花嫁の譬えを用いて、神の国の到来への備えが唱えられています。それをふまえ、真夜中に物見らの声に先導されたイエスの到着、待ちこがれる魂との喜ばしい婚姻へと至る情景を描いています。
カンタータ140番は「目覚めよと呼ぶ声あり」と呼ばれ、英語では”Wake, Arise,” ドイツ語では”Wachet auf, ruft uns die Stimme”として知られる名高い曲です。カンタータに配置される独唱はレシタティーヴォ(recitative)といわれます。レシタティーヴォは、概して大規模な組曲形式の作品の中に現れる歌唱様式といわれます。叙唱とか朗唱とも呼ばれています。楽器はホルンの他、木管と弦楽器、そしてチェンバロが使われます。カンタータ140番は次の7曲から構成されています。
ヨハネによる福音書1章1節に「始めにことばありき」(In the beginning was the Word) という章句があります。ここでの言葉-Wordは神のことばーロゴス(logos)ということです。この世界の根源として神が存在するという意味とされます。ブリタニカ百科事典には 「ロゴスは世界の根幹となる概念であり、世界を定める理(ことわり)」 とあります。
時代がくだり、14世紀になると古いフランス語でノエル(Noel、または Nael)がChristmasとして使われます。Noelとはもともとは誕生という意味です。18世紀になるとこれが「The First Noel」という讃美歌に登場し世界中で親しまれるようになります。「初めてのクリスマス」という讃美歌です。我が国では「牧人ひつじを」という題名で讃美歌103番、聖歌27番として歌われています。
The first Noel, the angels say To Bethlehem’s shepherds as they lay. At midnight watch, when keeping sheep, The winter wild, the light snow deep. Noel, Noel, Noel, Noel Born is the King of Israel. (American version)
「久しく待ちにし、主よとく来たりて」 “O come, O come, Emmanuel” は、アドベントの時期に広く歌われる讃美歌です。詞・曲とも中世の聖歌だったとされます。旧約聖書のイザヤ書(The Book of Isaiah)第7章14節にある預言から由来しています。
Oh come, Oh come, Emmanuel And ransom captive Israel That mourns in lonely exile here Until the Son of God appear Rejoice! Rejoice! Emmanuel Shall come to thee, O Israel!
1493年に本島のプエルト・リコにクリストファー・コロンブス(Christopher Columbus)が上陸します。1508年にスペインからの総督としてフアン・ポンセ・デ・レオン(Juan Ponce de Leon)らのコンキスタンドール(Conquistador)という征服者がやってきて、植民地化します。それ以来、プエルト・リコと名付けられます。Puertoとは、スペイン語で美しいとか豊かな、Ricoとは港という意味です。
私はグアムを除く他のアメリカ領はもちろん旅したことはありません。ヴァージン諸島の西半分がアメリカの保護領で東半分はイギリス領という複雑さです。一般の観光客が訪れる主要な島はセント・トーマス島(St. Thomas Island)、セント・クロイ島(St. Croix Island)、セント・ジョン島(St. John Island)の3島です。首都はセント・トーマス島にあるシャーロット・アマリー(Charlotte Amalie)となっています。セント・クロイ島には、世界で最大の石油精製所があります。
コロンビア特別区(Washington District of Columbia:DC)は、大西洋東海岸、メリーランド州(Maryland)とヴァージニア州(Virginia)に挟まれたポトマック河畔(Potomac River)に位置する合衆国の首都です。大国の首都としては面積は小さいのですが、国際的に強大な政治的影響力を保持する世界都市であり、また金融センターとしても知られています。172か国の大使館、世界銀行(World Bank)、国際通貨基金 (IMF)、米州機構 (OAS)、米州開発銀行(IDB)、汎アメリカ保健機関 (PAHO) などの本部も置かれています。労働組合、ロビイスト、職業組合など各種団体の本部もあります。
この都市は首都としての機能を果たすべく設計された計画都市です。アメリカ独立戦争を陸軍技師大尉として、司令官ジョージ・ワシントン(George Washington)に仕えたのが、ピエール・シャルル・ランファン(Pierre Charles L’Enfant)です。彼は、独立戦争での貢献が認められ、連邦都市建設計画のコンペに当選し基本計画案を作成します。この街は都市計画に基づく近代最初の首都となります。
首都の中心にあるのがナショナルモール(National Mall)です。横長で芝生に覆われています。リンカーン記念堂(Lincoln Memorial)から連邦議会議事堂(Capitol)までの両側にホワイトハウス(White House)、スミソニアン学術協会(Smithsonian Institution)や連邦政府立など18の美術館や博物館が並びます。例えば自然史博物館(National Museum of Natural History)、航空宇宙博物館(National Air and Space Museum)、国立美術館(National Gallery of Art)、ホロコスト記念博物館(Holocaust Memorial Museum)などです。
1872年に世界初の国立公園となるイエローストーン国立公園(Yellowstone National Park)があります。世界で最も有名な間欠泉であるオールド・フェイスフル・ガイザー(The Old Faithful Geyser)が多くの観光客を呼んでいます。噴出は60~90分間隔で、その高さが30メートルから50メートルに達します。
1869年に合衆国最初の地方議会で婦人参政権が認められ、1870年にララミー(Laramie)では女性が初めて陪審員を務めます。同年メアリー・アトキンソン(Mary Atokinson)が女性初の廷吏となり、さらにサウスパスシティ(South Pass City)ではエスター・モリス(Esther H. Morris)が女性初の治安判事になります。1925年にネリー・ロス(Nellie T. Ross)が初の女性知事に選出されます。それ故、「平等の州」(Equality State)という愛称が付いています。
ルイジアナ州(Louisiana)はメキシコ湾岸(Gulf of Mexico)に面し、東はフロリダ州(Florida)と、西はテキサス州(Texas)、北はアーカンソー州(Arkansas)と、州の大半がミシシッピー川(Mississippi River)に接しています。最大の都市はニューオリンズ(New Orleans)、州都はバトンルージュ(Baton Rouge)です。私はルイジアナに行ったことはありません。
1541年にデ・ソト(Hernando de Soto)というスペインに探検家が入り、1682年にフランス人探検家ラ・サール(Sieur de La Salle)がルイジアナと名付け、時のルイ14世に献上してフランス領と宣言します。下って1803年にフランスから買収してアメリカ領となります。
有名な都市といえばニューオリンズでしょう。フレンチクオータ(French Quarter)というフランス風の古き街として知られています。バルコニーがせり出たフランス風の邸宅が並びます。マディグラ(Mardi Gras)でも知られています。リオのカーニバル( Carnaval do Rio de Janeiro)などと並ぶ世界で最も有名な謝肉祭(カーニバル)です。
ユタ州(Utah)の西半分はグレイトベースン(Great Bason)という大盆地が広がり、北西部は塩砂漠湖(Great Salt Lake)があります。州名はユテインディアン(Ute Tribe)にちなんでいます。州都で最大の都市はソールトレイク・シテイ(Salt Lake City)となっています。州の中央部にワサッチ山脈(Wasatch Range)が南北に延びています。
1847年モルモン教徒が東部での迫害を逃れてユタにやってきました。その教会名は、末日聖徒イエス・キリスト教会(Church of Jesus Christ of Latter-day Saints)と呼ばれます。この教会の創始者はジョセフ・スミス(Joseph Smith)ですが、イリノイ州で近隣の人々との争いが続き、迫害を受けて殺されます。スミスを引き継いだ指導者がブリガム・ヤング(Brigham Young)です。モルモン教徒はソールトレイク・シテイの近くで、開拓のためにワサッチ山脈からの融雪水を使い、灌漑によって穀物栽培などを始めます。