クリスマス・アドベント その10 預言者イザヤという名前

1977年に国際ロータリー財団より奨学金をいただき、ウィスコンシン大学に留学したときのスポンサーがロバート・ジェイコブ(Dr. Robert Jacob)という医師でした。日本語読みではさしずめヤコブ氏となります。長年ミルウオーキー(Milwaukee)の郊外で開業していました。専門は脚の整形外科。熱心なユダヤ教徒でありました。いつも住まいの側にあるシナゴーグ(Synagogue)で長老(Elder)として活躍されていました。次女がウィスコンシン大学の看護学部を卒業したとき開いたパーティに奥様とご一緒に参加してくださいました。残念なことに数年前に召されました。

これまでMrs. Jacobからは、ご子息らの成人の儀式、バー・ミツヴァ(Bar Mitzvah)の案内、9月には新年ロシュ・ハシャナ(Rosh Hashana)の祝いを頂戴しています。一度、ジェイコブ氏に連れられてシナゴーグ(synagogue)を見学させていただいたことがあります。シナゴーグとはユダヤ教の会堂のことです。キリスト教の教会の前身といえます。礼拝はもちろん祈りの場であり、結婚や教育の場、さらに文化行事などを行うユダヤ人コミュニティの中心的存在となっています。もともとは聖書の朗読と解説を行う集会所でありました。会堂に入るときは、男子はキッパ(kippa)とかヤマカ(yarmulke)と呼ばれる帽子を頭に載せることになっています。

ユダヤ教徒はタルムード(Talmud)と呼ばれる教典を学び行動するように教えられます。タルムードは生活や信仰の基となっています。家庭では父親の存在が重要とされます。率先して子どもに勉強させタルムードなどを教えます。子どもを立派なユダヤ人に育てたものは、永遠の魂を得ると信じられています。

クリスマス・アドベント その9 Ave Maria

キリスト教会には、それぞれに演奏したり歌ったりする音楽とそうでない音楽があります。16世紀の前半に起こった宗教改革(Reformation) をきっかけに、カトリック教会から訣別したルーテル教会には、決して演奏することのない音楽とか曲があります。「アヴェ・マリア」(Ave Maria)という曲がそうです。カトリック教会もマルチン・ルター(Martin Luther)が作曲した賛美歌「神はわが櫓」 (Ein’ feste Burg ist unser Gott) を歌うことはありません。

カトリック教会ではイエスの母、マリアを聖母として崇めています。アヴェ・マリアはマリアへの祈祷を指します。直訳すると受胎告知(annunciation)されたマリアに対して「恵まれた女よ、おめでとう、Ave Maria」と呼びかける言葉です。ルカによる福音書(Gospel of Luke)1章26-38節の記述にあります。ルーテル教会などのプロテスタント教会には、マリアを崇拝する教義がありません。

グレゴリオ聖歌(Gregorian Chant)などのミサ曲にもアヴェ・マリアは登場します。その他、祈祷のための教会音楽や祈祷文を歌詞にしたものなどさまざまな楽曲が存在してきます。16世紀スペインの作曲家トマス・ルイス・デ・ビクトリア(Tomas Luis de Victoria)やジョヴァンニ・パレストリーナ(Giovanni Pierluigi da Palestrina)、19世紀フランスの作曲家グノー(Charles Gounod)、同じく19世紀イタリアのロッシーニ(Gioachino Rossini)など多くの作曲家がアヴェ・マリアの曲を作っています

シューベルト(Franz P. Schubert)の晩年の歌曲「エレンの歌第3番」(Ellens Gesang III) がアヴェ・マリアとして知られています。この曲はもともと宗教曲ではなかったようです。ですが誰かがこの旋律にアヴェ・マリアの歌詞を付けて曲にしたといわれます。このようにラテン語による典礼文を載せて歌うことは現代でもしばしばあります。前述のグノーがバッハの「平均律クラヴィーア(Clavier)曲集 第1巻」の「前奏曲 第1番」の旋律にアヴェ・マリアの歌詞をつけて完成させた声楽曲もそうです。クラヴィーアとはオルガンを含む鍵盤を有する弦楽器のことです。読者の皆さんも必ずどこかでアヴェ・マリア聴いたことがあるはずです。

クリスマス・アドベント その8 カンタータ第147番

もう一つのカンタータ(Cantata)をご紹介します。カンタータとは、イタリア語「〜を歌う(cantare)」に由来し、器楽伴奏がついた単声または多声の声楽作品を指します。今回は、カンタータ第147番です。「心と口と行いと生きざまもて(Herz und Mund und Tat und Leben)」と訳されています。140番と並んで人々に親しまれる教会カンタータです。この曲を広く知らしめているのが第6曲の「主よ、人の望みの喜びよ」の名で親しまれているコラール(Choral)で、ドイツ語では”Jesus bleibet meine Freude”という題名となっています。

カンタータ第147番は、新約聖書ルカによる福音書(Gospel of Luke) 1章46〜55節にに依拠しています。礼拝での聖書日課は「マリアのエリザベート訪問の祝日」となっていて、マリアが神を賛美した詩「マニフィカト(Magnificat)」が朗読されます。マニフィカトとは、聖歌の一つである「わたしの魂は主を崇め、わたしの霊は救い主なる神を讃える」という詩のことです。全部で10曲から構成されるカンタータ第147番の一部を紹介することにしましょう。

冒頭の合唱は、”Herz und Mund und Tat und Leben”というトランペットが吹かれる快活な曲で気持ちの良い合唱フーガ(Fuga)です。フーガとは対立法という手法を中心とする楽曲のことです。同じ旋律(主唱)が複数の声部によって順々に現れます。この時、5度下げたり、4度上げて歌います。これを応唱ともいいます。少し遅れて応唱と共に別の旋律が演奏されます。これを対唱と呼びます。次のレシタティーヴォも、オーボエなど弦楽合奏を伴うしみじみした響きで演奏されます。

第3曲のアリアは、オーボエ・ダモーレ(oboe d’amore)というオーボエとイングリッシュホルンに似た楽器の伴奏がつきます。少々暗い響きですが雰囲気が醸し出されます。第4曲はバスのレシタティーヴォが続きます。第5曲のアリアでは、独奏ヴァイオリンの美しさが際立ちます。ソプラノの響きも美しい。

そして第6曲がお待たせ「主よ、人の望みの喜びよ」のコラール。英語では「Jesus, Joy of Man’s Desiring」。主旋律と伴奏旋律が互いに入れ替わり、あたかも追いかけごっこをしているようです。どちらも主旋律のように響きます。いつ何度聞いても慰められる名高い曲です。

クリスマス・アドベント その7 カンタータ第140番

教会暦は伝統的に一年は待降節(アドベント)から始まります。そして受難節、復活節、聖霊降臨節、三位一体節などへと続きます。そうした節毎にバッハ(Johann Sebastian Bach)などの作曲家がいろいろな音楽を作っています。

バッハの多くの作品の中にカンタータ(Cantata)第140番があります。この局は「コラール・カンタータ」(BWV140)(Choral Cantata) と呼ばれています。カンタータの基礎となっているのは合唱、コラールです。教会暦によりますと、聖霊降臨の1週間後は三位一体節と呼ばれます。バッハは三位一体節後第27主日の礼拝に合わせてカンタータ140番を作曲したといわれます。

教会では、全ての日曜日礼拝には拝読される福音書の章句が決められています。三位一体節から数えて第27日曜日の福音書聖句は、マタイによる福音書(Gospel of Matthew)25章1節から13節となっています。この箇所では、花婿の到着を待つ花嫁の譬えを用いて、神の国の到来への備えが唱えられています。それをふまえ、真夜中に物見らの声に先導されたイエスの到着、待ちこがれる魂との喜ばしい婚姻へと至る情景を描いています。

カンタータ140番は「目覚めよと呼ぶ声あり」と呼ばれ、英語では”Wake, Arise,” ドイツ語では”Wachet auf, ruft uns die Stimme”として知られる名高い曲です。カンタータに配置される独唱はレシタティーヴォ(recitative)といわれます。レシタティーヴォは、概して大規模な組曲形式の作品の中に現れる歌唱様式といわれます。叙唱とか朗唱とも呼ばれています。楽器はホルンの他、木管と弦楽器、そしてチェンバロが使われます。カンタータ140番は次の7曲から構成されています。

第1曲 コラール  目覚めよと呼ぶ声あり
弦楽器とオーボエが付点リズムでもって演奏され、それに行進曲風の合唱が続きます。晴れやかな喜びに満ちた曲です。
第2曲 レチタティーヴォ 彼は来る、まことに来る
イエスの姿を伝えるテノールの語りかける場面となっています。
第3曲 二重唱  いつ来ますや
わが救いの魂(ソプラノ)とイエス(バス)の間で交わされる愛の二重唱です。
第4曲 コラール  シオンは物見らの歌うの聞けり
テノールの歌うコラールは、ユニゾンの弦が晴れやかな落ち着きのある有名な曲です。物見の呼び声が夜のしじまを破って響く冒頭の合唱曲とシオンの娘の喜びを歌うテノールのこの曲は特に名高いものです。
第5曲 レシタティーヴォ
さらばわがもとへ入れといって花嫁が登場します。
第6曲 二重唱  わが愛するものはわが属となれり
再び魂とイエスとの二重唱となります。
第7曲 コラール  グローリアの頌め歌、汝に上がれ
簡潔ながら力強い4声部によるコラールで終わります.

統計で騙す方法 その十 ウソの統計に対する武装

注目

いろいろな統計を例に挙げてウソに騙されがちな事案を説明してきました。最後にいかにしておびただしいペテンやウソから正しい理解に導くかを考えていきます。

 まずは統計の中味に気をつけることです。今大阪で万国博覧会が開かれています。そして毎日の入場者数を発表しています。「7月1日(火)の入場者数は、一般87,000人、関係者18,000人、合計105,000人。場外への救急搬送件数は3件だった。」多くの一般の人とは、企業が博覧会協会から依頼されて購入した券もらった従業員や家族といわれます。自分から万博に関心があって、出かけた者ではないようです。「折角券を貰ったんだから、行ってみるか、、」といった気分で出かけたのでしょう。関係者の18,000人は、入場券を購入していない人です。何故、関係者の入場数を公表する必要があるかです。入場者数を多く見せるために、都合のよいデータを使いたがるのです。会場では7月1日に、1,000万人超えのセレモニーが行われたとか。関係者を含めての数です。本来ならば、入場券を持つ人の数でセレモニーをするべきところです。

 博覧会協会は6月20日に会見を行い保健所が推奨する精密な「培養法」という方法で検査した結果、ウォータープラザの海水からは「最初からレジオネラ属菌がほぼ検出されなかった」と結論付けました。そして協会は「安全確保を最優先に考え水上ショーを中止した。健康危機管理上、適切な判断だと思う」と語ります。レジオネラ属菌が見つからなかったなら、何故水上ショーを中止するのかです。検査結果を信頼しないかのような発表です。入場者数を増やしたい協会ですが、水上ショーで観戦者がレジオネラ菌の入った水しぶきをうけ肺炎、高熱、咳、呼吸困難などの症状を引き起こす可能性があるので、苦渋の発表なのでしょう。

 消費税減税をうたうのは消費者なのか、それとも一般の小売業者なのかです。恐らく両方でしょう。物が売れやすくなり消費が増加しするのですから、両方とも消費税減税には諸手を挙げるはずです。消費税減税に反対するのは、財務省の官僚であり、彼らからレクを受ける国会議員です。税や財務の仕組みに疎い議員のなんと多いことか、、それをほくそ笑んで手玉にとるのが財務省の官僚なのです。

所得の分布

 不適当な統計を使う例は、算術平均、中央値、最頻値にあることをこれまで説明してきました。多分、最もわかりやすいというか、便利なので平均を使うことでごまかすことができるのです。日本人一世帯の所得を発表するのに平均を使うと、あたかも所得が高いように見えるのです。世帯当たりの収入は、【最頻値<中央値<平均】のように分布することが判明しています。それ故、平均を使うのです。これが狡猾な発表となるゆえんです。

 次に、「誰がそう言っているのか」を見極めることです。例えば、「朝日新聞」と「しんぶん赤旗」の記事を読んだとします。「朝日新聞」のある報道に東大教授のコメントが、「しんぶん赤旗」の記事に私立大学の教授のコメントがあったとします。どちらが「権威ある筋」に思えるでしょうか。「誰がそう言っているのか、、」と質問するとき大学教授とか各種の政府審議委員といわれる「権威ある筋」の肩書きに騙されてはいけないのです。

 過去3年間のうちに、ガンによる死亡率が増えたという報告があります。ただし、その外的な要因は何かということが分からなければ容易に結論をだすことは困難です。人の寿命は延びています。高齢者が多くなるとガンにかかりやすくなるのです。従って、死亡率よりも志望者数を見ることによって、以前よりガンにかかりやすい人が増えたという事実を知らねばなりません。同じことが高齢者のドライバーの事故の発生割合があります。高齢者のドライバーがさらに年をとると、より事故を引き起こす率は上がります。以前より事故を起こりやすい人が多くなったというだけのことです。ことさら大袈裟に発表する性質のものではありません。当たり前の現象を誇張したりねじ曲げてはいけません。

クリスマス・アドベント その6 休憩(Intermission)  ロゴスと言葉

ここらで少し休憩とします。クリスマスについてです。いくら世界中の人々がクリスマスを祝うといっても、聖霊によるマリアへの受胎告知やイエスの誕生に納得できない人々がいるはずです。その後のキリストの受難と昇天、そして復活もそうかもしれません。キリスト教徒でない人々の中には聖書の中味を、「作り話」、「ファンタジ」、「空想」として捉えるために、受胎告知や復活といった奇跡にさしたる抵抗は感じないようです。ですからクリスマスも、わだかまりもなく子どもや家族と楽しむことができるのです。今回はその先のことを考えてまいります。

復活とか蘇りという出来事は、考えてみれば宗教の世界で通用する現象です。キリスト教徒は、そうした「出来事」にかつては困惑したり懐疑したことはあったにせよ、それを「吹っ切って」洗礼を受け信徒になったのです。こうした転機は奇跡としかいいようがありません。

「人知では到底計り知れないこと」 は世の中にはいくらでもあります。高い教育を受け、自然科学に触れ、進化論を知ったにせよ、こうした宗教上の現象は、この世界とは次元の越えた現象といってよいでしょう。そこには吹っ切れたという個人的な体験があったからだろうと察するほかはありません。恐らく当人もこの不思議な導きを言葉では説明できないでしょう。

人の使う言葉には限界があります。愛するものの死に接したとき、哀しみを表現する言葉が浮かびません。どんな慰めの言葉も癒しにならない時があります。人間の言葉とはそいうものです。語いが足りないというほかありません。

ヨハネによる福音書1章1節に「始めにことばありき」(In the beginning was the Word) という章句があります。ここでの言葉-Wordは神のことばーロゴス(logos)ということです。この世界の根源として神が存在するという意味とされます。ブリタニカ百科事典には 「ロゴスは世界の根幹となる概念であり、世界を定める理(ことわり)」 とあります。

クリスマス・アドベント その5 クリスマスのいわれ

クリスマス(Christmas)は、ChristとMassの連語であることを前回述べました。「キリストの誕生を祝うミサ礼拝」ということです。クリスマスの歴史を振り返りますと、比較的新しいことがわかります。そのことに触れてみるのが今回の話題です。

クリスマスは、もともと”Yule time”と呼ばれ、特にゲルマン(Germanic)の”jul”やアングロサクソン(Anglo Saxson)の”geol”からきたのだといわれます。YuleとかYuletide(Yule time)というのは冬至の日を意味します。昔は、冬至がくると人々はその日を祝うのが習慣だったようです。ヨーロッパの人にとっては日がだんだん長くなることを待望して祝ったののです。Encyclopaedia Britannicaによれば、Yuleは非宗教的な祭りだったのが、いつのまにかChristmasに吸収されていったとあります。

北欧のスウェーデン(Sweeden)、デンマーク(Denmark)、ノールウエイ(Norway)でいまもクリスマスを”Yule”と呼んでいます。フィンランド(Finland)は”Joulu”と呼びます。クリスマスを意味する”Yuletide”という英単語のことです。”tide”の語源は期間とか時間という意味です。通常、tideは潮という意味です。Yuletideは12月24日から1月6日までの期間を指します。クリスマスの期間ということです。ですがこのYuleは今は古英語になってしまいました。

ラテン語で誕生は”natalis”です。クリスマスを意味する言葉ですが、このラテン語からクリスマスの言葉が生まれます。イタリア語は”Natale”、スペイン語は”Navidad”、フランス語はノエル(Noel)です。そしてドイツ語は”Weihnachten”です。”Weihは”聖なるかな”、そして”nachten”は”夜”という意味です。”Heilige Nacht”も同じ意味です。今回は、クリスマスとは世俗的な祝いや祭りから生まれたということを読者にお伝えしました。

クリスマス・アドベント その4 The First Noel

クリスマス(Christmas)の季節が今年もやってきました。キリスト教会では待降節(Advent)とか降臨節を迎えています。クリスマスまでの4週間のことです。礼拝堂では日曜日の礼拝毎にローソクが1本ずつ点火されます。所属するルーテル教会を例に挙げながら、クリスマスの内容や意義を記してみます。

Christmasは二つの単語から成ります。Christ(キリスト)とMas(マス)です。後者のMasはもともとはMassであり、礼拝とかミサを表します。従ってChristmasは「キリストの礼拝」となります。古事によるとChristmasは、元々12世紀頃の古い英語ではCristesmassと綴られていたそうでです。

ベブル語(Hebrew)の聖書にはMessiah(メシア、またはメサイア)が登場します。Messiahとは王様とか聖職者を意味します。王様はやがてキリストがMessiah=救世主として崇められるようになるのです。Messiahは特別に油や香料をそそがれたもの(anointed)、それが「救いをもたらす者」というようになります。Christmasは別名、ラテン語(Latin)から派生した誕生(Christ Natalis)ともいわれます。スカンディナビア半島では11世紀頃からChristmasの祝いが始まったとされ、その誕生祝いのことを「Old Norse Jol」と呼んでいました。スカンジナビアの人々(Scandinavian People) という意味だそうです。

時代がくだり、14世紀になると古いフランス語でノエル(Noel、または Nael)がChristmasとして使われます。Noelとはもともとは誕生という意味です。18世紀になるとこれが「The First Noel」という讃美歌に登場し世界中で親しまれるようになります。「初めてのクリスマス」という讃美歌です。我が国では「牧人ひつじを」という題名で讃美歌103番、聖歌27番として歌われています。

The first Noel, the angels say
To Bethlehem’s shepherds as they lay.
At midnight watch, when keeping sheep,
The winter wild, the light snow deep.
Noel, Noel, Noel, Noel
Born is the King of Israel. (American version)

クリスマス・アドベント その3 イマヌエル

今日は、アドベント、別名降臨節に関する記事を聖書から見てみることにします。それは旧約聖書のイザヤ書(The Book of Isaiah)です。預言者イザヤ(Isaiah)の名によって残される旧約聖書中最大の書といわれます。その成立は複数の者によって書き起こされ,内容からみて2部に分けられます。

最初は、1〜39章は前8世紀頃、主に預言者イザヤによって書かれ、主の懲らしめと裁きが中心に描かれています。40章で「慰めよ。慰めよ」という言葉がでてきます。次ぎに40章から66章は、慰めと回復のメッセージといわれています。具体的には、ユダ(Judea)とエルサレム(Jerusalem)に対するメッセージです。ユダが主から離れていくので、懲らしめを受けるのですが、最後には癒され、救われるという展開になっています。

北イスラエル王国(Northeran Israel)は、紀元前7世紀頃中東のオリエントを統一して最初の世界帝国であったアッシリア(Assyria)の攻撃を目前に控えていただけでなく、南ユダ王国(South Judea)も崩壊するのは時間の問題でありました。そうした緊迫した情勢を背景に、イスラエルの民の多くは一国も早く国外へ脱出することを望んでいました。アッシリア帝国による侵略の脅威に曝される中、神のみ告を信じていたのもユダヤ人です。

イザヤは「神が我らとともにおられる」を意味するイマヌエル(Emmanuel)という言葉を使います。イマヌエルとは、驚くべき指導者であり、力ある神の象徴であり、彼によってイスラエルが救われて平和の道を歩むことができると預言するのです。イマヌエルは新約聖書のキリストを示唆しています。イザヤは、「救いは主のもの」、あるいは「ヤハウェ(Yahweh、Jehovah)は救いなり」と教えます。人間が救われるのは、人間からでも行いからでも富からでもなく、主からなのだ、ということを最初から最後に至るまで一貫して教えています。

クリスマス・アドベント その2 樅の木

アドベント・リース(Advent wreath)には樅の木(Tannenbaum)の枝が使われます。しなやかなので丸いリースを作りやすいのです。樅の木は、「Christmas Tree」とも呼ばれます。そしてクリスマスのデコレーションに使われます。有名なのは、ニューヨーク市のロックフェラーセンター(Rockefeller Center)前に立てられるものです。毎年その点火がニュースとなります。高さ20メートルを超え、2007年からはLEDが使われています。今年は明日12月2日に点火式が行われます。

樅の木に戻ります。この常緑樹は強い生命力の象徴とされます。また「知恵の樹」とも呼ばれます。沢山の種類の飾り物がとりつけられます。子どもたちはそれを楽しみにしています。もともとはリンゴとかナッツなどの食べ物が枝にくくられたそうです。そしてロウソクとなり今は豆電球で飾られます。ベツレヘムの星(Bethlehem)やガブリエルの天使(Gabriel)の飾りもつけられます。

樅の木がクリスマスの木として使われるようになったのは15世紀頃といわれています。ドイツのゼレシュタト(Selestat)にある St. George’s Churchがその起源とか。ブリタニカ百科事典(Encyclopedia Britannica)によると, 樅の木は常緑樹(evergreen trees)として、エジプト人(Egypt) や中国人、ヘブル人(Hebrew)などが永遠の命を象徴する木として崇めていました。こうした信仰はヨーロッパの非キリスト教徒(pagan)らにも広まり、やがてスカンジナビア(Scandinavia)や西ヨーロッパに広まり、家々や納屋に立てられた樅の木は魔除けとしても、また鳥の止まり木としても飾られるようになったといわれます。

樅の木の代わりに”Paradise Tree”という常緑樹もクリスマスでは飾られたといわれます。中世のミステリ劇に登場する木です。それによると12月24日はアダムとイブ(Adam & Eva)と命名された日として祝われます。そこに飾られる木には禁断の実とされたリンゴが供えられました。さらに、種なしの薄焼きパン(Unleavened bread)も付けられました。種なしパンには聖餐(Eucharist)とか贖罪、救済(Redemption)の意味があったようです。

クリスマスアドベント その1 クリスマス・リース

この季節になると、ところどころの玄関にリース(wreath)とかクランツ(cranz)と呼ばれる飾り物をつけているのを見かけます。こうした家はクリスチャンの家族なのだろうと察します。


このリースは常緑樹である樅の木の枝を丸めて作ります。祭壇に置くときは、柊(ヒイラギ)の葉があしらわれてそこにろうそくを立てるのです。「柊」は季節にふさわしい漢字であり、緑々しい木です。柊が玄関の側に植えられるのは邪鬼を払うという言い伝えがあります。教会で飾られるリースは特別な意味があります。リースにある先の尖った柊の葉ですが、柊は十字架上で処刑されたキリストの冠の棘を表します。柊は英語で”holly tree”と呼ばれています。

リースは、クリスマス・リース(Christmas wreath)とも呼ばれ11月最終日曜日からキリスト教会で飾られます。今年のアドベントは11月29日から始まりました。燭台となるリースの上には4本のろうそくが立てられます。この日からキリストの誕生を待ち望む期間、待降節といわれるアドベント(Advent)が始まるのです。アドベントはキリストの誕生までの4週間を指します。

アドベント期間の礼拝に出席すると目に飛び込んでくるのが色。例えば、ろうそくの色は悔い改めや望みを表す紫とか青でです。聖職者の祭服や祭壇布、礼拝堂のタペストリーなどにも用いられます。典礼色に倣い、第三週のみピンクやローズカラーのろうそくを用いる場合が多いようです。ルーテル教会やメソジスト教会、聖公会などはそうです。アドベントの礼拝や祈祷での賛美歌は、救世主メシア(Messiah)の到来を待ち望むものが歌われます。

「久しく待ちにし、主よとく来たりて」 “O come, O come, Emmanuel” は、アドベントの時期に広く歌われる讃美歌です。詞・曲とも中世の聖歌だったとされます。旧約聖書のイザヤ書(The Book of Isaiah)第7章14節にある預言から由来しています。

Oh come, Oh come, Emmanuel
And ransom captive Israel
That mourns in lonely exile here
Until the Son of God appear
Rejoice! Rejoice! Emmanuel
Shall come to thee, O Israel!

アメリカの州鳥 その58 アメリカ領プエルト・リコの鳥: シトドフウキンチョウ

アメリカ合衆国の州の鳥の紹介はこれが最後です。プエルト・リコ(Puerto Rico)はカリブ(Calib)海域北東部にあり、西にハイチ(Haichi)とドミニカ(Dominica)共和国があります。住民の大半はスペイン系の白人で、アフリカ黒人の血をひく人々です。他のカリブ海の島々に比べ、奴隷制が発達しなかったので白人が多いのです。文化的にはスペインの植民地時代からの伝統が色濃いのが特色です。

1493年に本島のプエルト・リコにクリストファー・コロンブス(Christopher Columbus)が上陸します。1508年にスペインからの総督としてフアン・ポンセ・デ・レオン(Juan Ponce de Leon)らのコンキスタンドール(Conquistador)という征服者がやってきて、植民地化します。それ以来、プエルト・リコと名付けられます。Puertoとは、スペイン語で美しいとか豊かな、Ricoとは港という意味です。

1898年にアメリカ・スペイン戦争により合衆国領となり1952年にアメリカの自治領となります。1946年に合衆国はプエルト・リコ人を知事に任命し、1948年には初の民選知事が誕生します。現在の政治ですが、現体制を維持し、自治権を拡大しようとする勢力、完全な州制へ移行しようとする勢力、そして独立しようとする勢力からなります。独立派は少数派となっています。

プエルト・リコは農漁業やラム酒、観光、製薬などが主たる収入源で、サトウキビ、コーヒーの栽培が盛んです。高い失業率をかかえ、経済は製造業、金融サービス業、観光業、そして連邦政府からの援助に頼っています。

プエルト・リコの鳥は、シトドフウキンチョウ(Tanagers)です。ガラパゴス諸島を含む南北アメリカの熱帯に生息します。オスは色鮮やかな羽色が多いのですが、メスは地味です。9枚の風切羽を持つのが特徴といわれます。熱帯林の樹冠に住み、食性は多様で、昆虫食、花蜜食などを求める雑食の鳥です。アルバムを見るととても美しい姿の鳥です。

アメリカの州鳥 その57 アメリカ領グアムの鳥: グアムクイナ

グアム(Guam)は太平洋西部、ミクロネシア (Micronesia)のマリアナ諸島(Mariana Islands)の南端に位置しています。面積は日本の淡路島より少し小さい位です。ポルトガル人航海者マゼラン(Ferdinand Magellan)によって1521年に世界一周の途上で発見されます。1565年スペインのコンキスタドール(征服者)であるミゲル・ロペス・デ・レガスピ(Miguel López de Legazpi)がグアム島に到達し、スペイ ン国王がグアム島およびその他のマリアナ諸島の領有権を正式に宣言します。それ以来333年にわたり、スペインの統治時代が続きます。

1898年のアメリカ・スペイン戦争の結果、アメリカ領となります。アメ リカ海軍による統治は農業、保健衛生、教育、土地管理、税制、公共事業などに変革や改善をもたらします。1941年12月の真珠湾攻撃による太平洋戦争勃発を機に、日本軍はグアムを占領します。1950年にアメリカの自治属領(準州)となり、今日に至っています。グアムは太平洋の交通の要所で、軍事的経済的に重要性を持っています。

住民はチャモロ族(Chamorro)です。マリアナ諸島の先住民全般を指す民族です。チャモロ族は生活環境に適した独特の住居やカヌーを造り漁業に従事し、また複雑な織物や手の込んだ陶器の製作に通じています。強固な母系社会を形成し、チャモロ文化の担い手となっていました。フィリピンやメキシコからの移民により混血化し、純粋なチャモロ族はいないといわれます。

グアムの南東岸にあるイナラハン湾(Inarajan Bay)を背にして、伝統的なわらぶき屋根が軒を連ねるのがゲフパゴ•チャモロ(Gef Pago)文化村です。チャモロの手工芸品作りの実演や昔ながらの漁法を見ることができます。今はコロナ禍にあって日本からの観光客は全く途絶えて、グアムの経済を疲弊させています。

グアムの鳥はグアムクイナ(Guam rail)です。写真をみると尾羽は短く、上面の羽衣は褐色や黄褐色をしています。頭頂や眼先、頬の羽衣は赤褐色です。頸部から胸部の羽衣は淡灰色で、やがて淡黄色や黄褐色の帯模様がでてきます。沖縄県北部の国頭村地域だけに生息するヤンバルクイナとそっくりです。飛べない鳥です。ヤンバルとは(山原)と書きます。

アメリカの州鳥 その56 アメリカ領ヴァージン諸島の鳥: マミジロミツドリ

アメリカ50州の鳥の紹介は終わりました。次いでに合衆国の保護領(自治領)に触れていきます。保護領の人々は合衆国の市民権と自治政府、投票権を持っています。合衆国の保護領としてはヴァージン諸島(Virgin Islands)、グアム島(Guam)、プエルトリコ(Puerto Rico)があります。

Virgin Islands

私はグアムを除く他のアメリカ領はもちろん旅したことはありません。ヴァージン諸島の西半分がアメリカの保護領で東半分はイギリス領という複雑さです。一般の観光客が訪れる主要な島はセント・トーマス島(St. Thomas Island)、セント・クロイ島(St. Croix Island)、セント・ジョン島(St. John Island)の3島です。首都はセント・トーマス島にあるシャーロット・アマリー(Charlotte Amalie)となっています。セント・クロイ島には、世界で最大の石油精製所があります。

アメリカの保護領のために、大統領選挙などで投票はできません。人口の主な人種は、昔奴隷として連れて来られた子孫の黒人です。砂糖や野菜の栽培が盛んです。ラム酒も特産となっています。観光業が主たる産業となっています。

ヴァージン諸島の鳥はマミジロミツドリ(Bananaquit)です。マミジロミツドリは体長が約10センチと非常に小さいです。下腹は黄色く、背中は黒いのが目印です。くちばしは細長く曲がっており、花の蜜を吸うのに適しています。舌もその食性に合ったふさ毛のある管状になっています。マミジロミツドリはハチドリのようにホバリングすることは出来ないので、蜜を吸う間は枝などにとまります

アメリカの州鳥 その55 コロンビア特別区の鳥: モリツグミ

コロンビア特別区(Washington District of Columbia:DC)は、大西洋東海岸、メリーランド州(Maryland)とヴァージニア州(Virginia)に挟まれたポトマック河畔(Potomac River)に位置する合衆国の首都です。大国の首都としては面積は小さいのですが、国際的に強大な政治的影響力を保持する世界都市であり、また金融センターとしても知られています。172か国の大使館、世界銀行(World Bank)、国際通貨基金 (IMF)、米州機構 (OAS)、米州開発銀行(IDB)、汎アメリカ保健機関 (PAHO) などの本部も置かれています。労働組合、ロビイスト、職業組合など各種団体の本部もあります。

この都市は首都としての機能を果たすべく設計された計画都市です。アメリカ独立戦争を陸軍技師大尉として、司令官ジョージ・ワシントン(George Washington)に仕えたのが、ピエール・シャルル・ランファン(Pierre Charles L’Enfant)です。彼は、独立戦争での貢献が認められ、連邦都市建設計画のコンペに当選し基本計画案を作成します。この街は都市計画に基づく近代最初の首都となります。

コロンビア特別区は、連邦議会があらゆる権限を有していて、州には属さない合衆国・連邦政府の直轄地となっています。下院に本会議での投票権を持たない市代表(代議員)を選出していますが、上院議員の議席は与えられていない不平等さがあり、これが長年議論されています。特別区の東には多くの黒人が住み、人口の比率では全米一位となっています。他方、北西に位置するジョージタウン(Georgetown)は高級住宅地として知られています。

首都の中心にあるのがナショナルモール(National Mall)です。横長で芝生に覆われています。リンカーン記念堂(Lincoln Memorial)から連邦議会議事堂(Capitol)までの両側にホワイトハウス(White House)、スミソニアン学術協会(Smithsonian Institution)や連邦政府立など18の美術館や博物館が並びます。例えば自然史博物館(National Museum of Natural History)、航空宇宙博物館(National Air and Space Museum)、国立美術館(National Gallery of Art)、ホロコスト記念博物館(Holocaust Memorial Museum)などです。

コロンビア特別区の鳥はモリツグミ(Wood Thrush)です。頭と背は赤褐色、翼と尾は茶褐色、下腹は白色で黒色の大きな斑点があります。嘴は暗褐色で、足は桃色が特徴です。アメリカ東部で繁殖し、アメリカ南部やメキシコ、パナマで越冬します。合衆国の鳥としては地味な色の種類です。しかし、さえずり声は、まるでフルートのような響きを持っています。北アメリカで最も美しく鳴く鳥の一つといわれます。

アメリカの州鳥 その54 ワシントン州の鳥: オウゴンヒワ

ワシントン州(Washington)は太平洋岸に面し、北はカナダと国境を接しています。南はオレゴン州(Oregon)となっています。州都はオリンピア(Olympia)で最大の都市はシアトル(Seattle)となっています。常緑樹で覆われ、エバーグリーン州(Evergreen State)という愛称がついています。東海岸のワシントンDCとは別の州です。

ピュジット湾(Puget Sound)の沿岸には、オリンピアやシアトルを始めタコマ(Tacoma)、エヴェレット(Everett)といった都市があり、航空機、ミサイル、造船、車体製造、金属工業、化学工業、精密機械、水産加工などが盛んです。ボーイング( Boeing)の主力飛行機組立工場はエヴェレットにあります。経済面では、マイクロソフト(Microsoft)、アマゾン(Amazon.com)、スターバックス(Starbucks)などなど世界に名を馳せる企業の本拠地が多いことでも知られています。

リンゴの生産は全米第一位で、花の栽培も盛んです。全米で有数の林業州であり、鮭などの水産業も盛んです。戦前は多くに日本人が移民し、林業や漁業に従事しました。人種差別が激しい戦前で、ワシントン、カリフォルニア、オレゴン州に渡った移民一世の人々の労苦は歴史に残っています。

州鳥はオウゴンヒワ(American Goldfinch)です。繁殖期のオスは体の羽色が鮮やかな黄色になり、繁殖期以外にはその黄色がくすみます。メスもくすんだオリーブ色で、羽色は黒くて白色の縞模様があります。

アメリカの州鳥 その53 ワイオミング州の鳥: ニシマキバドリ

ワイオミング州 (Wyoming)はロッキー山脈(Rocky Mountains)の大陸分水界を含む山地が大半の州です。北はモンタナ州(Montana)、東はノースダコタ州(North Dakota)とサウスダ州(South Dakota)、南はコロラド州(Colorado)、西はアイダホ州(Idaho)に囲まれています。州都で最大の都市はシャイアン(Cheyenne)となっています。

1872年に世界初の国立公園となるイエローストーン国立公園(Yellowstone National Park)があります。世界で最も有名な間欠泉であるオールド・フェイスフル・ガイザー(The Old Faithful Geyser)が多くの観光客を呼んでいます。噴出は60~90分間隔で、その高さが30メートルから50メートルに達します。

山岳地帯では石油や天然ガス、石炭、ウランを産出します。ロッキー山脈から流れ出る河川によって形成された堆積平野の大平原(Great Plains)では、大麦、小麦、エン麦、トウモロコシの栽培が盛んです。

1869年に合衆国最初の地方議会で婦人参政権が認められ、1870年にララミー(Laramie)では女性が初めて陪審員を務めます。同年メアリー・アトキンソン(Mary Atokinson)が女性初の廷吏となり、さらにサウスパスシティ(South Pass City)ではエスター・モリス(Esther H. Morris)が女性初の治安判事になります。1925年にネリー・ロス(Nellie T. Ross)が初の女性知事に選出されます。それ故、「平等の州」(Equality State)という愛称が付いています。

ワイオミングの州鳥はニシマキバドリ(Western Meadowlark)です。全長20センチくらいで、腹と喉にかけては黄色です。胸には黒い帯が入り、背中は黒と薄褐色の縞模様をしています。嘴は長く昆虫やベリー、種子などを食べます。ヒバリ独特の短く甲高い声でさえずります。フルートのような響きです。

アメリカの州鳥 その52 ロードアイランド州の鳥: ロードアイランドレッド

ロードアイランド州(Rhode Island)は全米で最も面積が小さい州です。奈良県よりも小さいのです。最大の都市で州都はプロビデンス(Providence)となっています。ロードアイランド州は丘陵と平地が多く氷河湖が多いです。氷河湖とは、氷河が段々溶けて退くにつれて柔らかい土地が削られた所にできた湖のことです。州南東部にはナランガセット湾(Narragansett Bay)があり、そこに人口や産業が集中しています。貴金属、エレクトロニクスなどの付加価値の高い製造業が盛んです。沖合、沿岸漁業も盛んです。

1636年に、イギリス生まれの神学者で良心と行動の自由を求めたロジャー・ウイリアムズ(Roger Williams)が、マサチューセッツ(Massachusette)植民地から追放され、ロードアイランドにやってきます。ウイリアムズは政教分離原則の著名な学者でありました。アメリカインディアンの公正な扱いを主張し、それがもとで植民地から追い出されるのです。そしてウイリアムズは入植した地をプロビデンス(神の摂理)と名づけるのです。今の州都です。その後、クエーカー教徒がプロビデンスに集まり、オランダから逃げてきたユダヤ人らに救いの手を差し伸べるのです。

州の鳥は、ロードアイランドレッド(Rhode Island Red)です。アメリカ原産のニワトリの品種で卵肉兼用種として飼育されています。羽毛は赤褐色で身体堅強であり、年間200個以上の褐色卵を産みます。日本には明治37年に輸入されて、交配の結果、現在では日本農林規格の在来種として記載されています。

アメリカの州鳥 その51 ルイジアナ州の鳥: カッショクペリカン

ルイジアナ州(Louisiana)はメキシコ湾岸(Gulf of Mexico)に面し、東はフロリダ州(Florida)と、西はテキサス州(Texas)、北はアーカンソー州(Arkansas)と、州の大半がミシシッピー川(Mississippi River)に接しています。最大の都市はニューオリンズ(New Orleans)、州都はバトンルージュ(Baton Rouge)です。私はルイジアナに行ったことはありません。

1541年にデ・ソト(Hernando de Soto)というスペインに探検家が入り、1682年にフランス人探検家ラ・サール(Sieur de La Salle)がルイジアナと名付け、時のルイ14世に献上してフランス領と宣言します。下って1803年にフランスから買収してアメリカ領となります。

有名な都市といえばニューオリンズでしょう。フレンチクオータ(French Quarter)というフランス風の古き街として知られています。バルコニーがせり出たフランス風の邸宅が並びます。マディグラ(Mardi Gras)でも知られています。リオのカーニバル( Carnaval do Rio de Janeiro)などと並ぶ世界で最も有名な謝肉祭(カーニバル)です。

クレオール(Creole)とよばれるフランス系やスペイン系の人々が住んでいます。ルイジアナが買収される以前にルイジアナで生まれた人々とその子孫、また彼らと関わりのある事物のことも指します。クレオールは文化人類学でも使われています。

ルイジアナ州の鳥はカッショクペリカン(Brown Pelican)です。翼を広げると2mになりますが、ペリカンの中でも最も小さい鳥です。体重は3.74kg、雄のほうが大きいです。名前の通り、全身を褐色の羽毛に包まれており、白や薄い灰色が多いペリカンの仲間内でも異例といえます。頭部から頸部の色は白っぽい灰色となっています。魚の群れを見つけると空中から飛び込んで魚をとります。

アメリカの州鳥 その50 ユタ州の鳥: カリフォルニアカモメ

ユタ州(Utah)の西半分はグレイトベースン(Great Bason)という大盆地が広がり、北西部は塩砂漠湖(Great Salt Lake)があります。州名はユテインディアン(Ute Tribe)にちなんでいます。州都で最大の都市はソールトレイク・シテイ(Salt Lake City)となっています。州の中央部にワサッチ山脈(Wasatch Range)が南北に延びています。

1847年モルモン教徒が東部での迫害を逃れてユタにやってきました。その教会名は、末日聖徒イエス・キリスト教会(Church of Jesus Christ of Latter-day Saints)と呼ばれます。この教会の創始者はジョセフ・スミス(Joseph Smith)ですが、イリノイ州で近隣の人々との争いが続き、迫害を受けて殺されます。スミスを引き継いだ指導者がブリガム・ヤング(Brigham Young)です。モルモン教徒はソールトレイク・シテイの近くで、開拓のためにワサッチ山脈からの融雪水を使い、灌漑によって穀物栽培などを始めます。

ヤングの功績はモルモン教会の総本山、テンプル スクエア(Temple Square)礼拝堂を建設したことです。聖歌隊を組織し「モルモン・タバナクル合唱団」(Tabernacle Choir)となります。Tabernacle」とは幕屋とか礼拝堂という意味です。この聖歌隊は世界で最古で最大の聖歌隊の一つです。360名のボランティアの教会員で構成されています。礼拝堂の中には, 聖歌隊の伴奏をする11,623本のパイプを備えたタバナクルオルガン(Tabernacle Organ)があります。

モルモン教徒が迫害を受けた理由は、教会員の中で複婚すなわち一夫多妻制を実行していたことです。1890年にモルモン教会は綱領によって複婚は禁止します。現在のユタ州の人口対するモルモン教徒の構成比は約61%となっています。妊娠中絶や同性愛に反対します。このことから分かるように、ユタ州は圧倒的に共和党の強い州です。テキサス、アイダホに並ぶ保守共和党の牙城であるとされています。

ユタの州鳥はカリフォルニアカモメ(California Gull)です。カナダ中部からアメリカ西部の内陸部で繁殖し、冬期はアメリカ西海岸で越冬します。体長約50cm。羽色はセグロカモメと似ていますが、足が黄色または緑黄色であること、頭部が小さく胴体が長めであることで区別できるといわれます。