アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その37 『Garden State』とニュージャージ州

ニュージャージー州(New Jersey)は、ニューヨークとフィラデルフィア(Philadelphia)からほど近い距離にあることは知られています。州の北東はハドソン川(Hudson River)を境としてニューヨーク州に接しています。州都はトレントン(Trenton)で、最大の都市はニューアーク(Newark)です。

ジャージーショア(Jersey Shore)には砂浜と静かな街が連なっていますが、賑やかなアトランティックシティ(Atlantic City)もあります。ニュージャージー州は「庭園の州」(Garden State)という愛称で知られています。世界でもトップレベルで超難関のプリンストン大学(Princeton University)もここにあります。でもちろんアイビーリーグ」(Ivy League) に属しています。ジョージ・ワシントン(George Washington)が率いる独立戦争の本部があったモリスタウン国立歴史公園(Morristown National Historical Park)で建国の歴史を学ぶことができます。ニューヨークからほど近くにあるメドウランズ地区(Meadowlands District)には、265 種類以上の野鳥が生息し,人々の憩いの場所となっています。

Thomas Edison

発明家トマス・エジソン(Thomas Edison)はニュージャージー州で働きながら発明し、産業革命期の重要人物であり、蓄音器、白熱電球[3]、活動写真など1,093の特許を取得します。現在のゼネラル・エレクトリック:GE)の会社を設立した人物です。エジソンは柔軟な思考の持ち主だったようです。「天才は1%のひらめきと99%の努力」(Genius is one percent inspiration, 99 percent perspiration.)とエジソンは語ったといわれますが、1%のひらめきがないと何も生まれないという意味にもとれます。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その36 『Live Free or Die』とニューハンプシャー州

ニューハンプシャー州(New Hampshire)は、アメリカ北東部のニューイングランド地域に位置します。面積としては小さい州ですが、河川峡谷や北東部で最も高いワシントン山(Mt. Washington) など多様な地形により、自然のバラエティに富んだ州です。合衆国独立当時の13州の1つで、州のモットーは「自由に生きる、然らずんば死を」(Live Free or Die)」であり、州の標章や自動車のナンバープレートにも表示されています。史跡もあちこちに残っています。今日も独立と自治の精神が強い州として知られています。


この州は、合衆国大統領の予備選挙が最初に行われる州で、州での投票結果は大統領選の結果を占うものとして大きく報道されます。そのため、大統領選挙のある年やその前年は、報道番組はニューハンプシャー州の話題でもちきりになります。州都のコンコード(Concord)の人口は5万人に満たず、最大都市のマンチェスター(Manchester)でも10万人ほどです。ニューハンプシャー州の経済を支えているのは観光業、そして乳製品、リンゴなどの農業、コンピュータ製品などの電気機器などとさまざまです。森林資源を利用した木材・家具・紙等、皮革、繊維といった産業も盛んです。ニューハンプシャー州はアメリカで唯一、所得税と消費税がない州です。これが観光業が盛んな理由の1つにもなっています。

代表する大学といえば、まず挙げられるのが1769年創立のダートマス大学(Dartmouth College)です。「アイビーリーグ」(Ivy League) に名を連ね、アメリカ屈指の名門大学です。ダートマス大学は、学士課程の教養学部に加え、医学・工学・経済といった分野のみならず、18分野もの文系・理系の大学院課程を有しています。従ってアメリカでは総合大学(university)なのですが、9つあるアメリカ独立戦争以前に創立された「コロニアル・カレッジ」(Colonial College)の1つであるという伝統を守っています。莫大な基金を所有しており全米でも最も裕福な大学の1つといわれます。

ニューハンプシャー州にあるポーツマス (Portsmouth)の隣街に長男の嫁の親が住んでいたので数回訪ねました。ポーツマスは、合衆国大統領セオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt)の仲介により、1905年9月5日にポーツマス条約が調印された港街です。日露講和条約とも称されています。条約締結の交渉資料や写真は、市内の図書館で展示されています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その35 『Silver State』とネヴァダ州

ネヴァダ州(Nevada)はアメリカ本土で最も山がちな州です。アウトドアがお勧めです。レッド・ロック・キャニオン国立保護区(Red Rock Canyon National Conservation Area)などが知られています。州の愛称は「銀の州」(Silver State)となっています。

州名は近くにあるシエラネバダ山脈(Sierra Nevada)から採られています。シエラネバダとは「雪に覆われた山脈」を意味するスペイン語です。最大都市はラスベガス市(Las Vegas)で、世界有数のカジノ街として名高い所です。ラスベガス1820年代後半にソルトレイクシティ(Salt Lake City)からカリフォルニアを目指すモルモン教徒によって発見されました。ネヴァダ砂漠の中にあってこの付近は窪んだ地形となっています。ベガとはスペイン語で「肥沃な土地」を意味する女性名詞で、ベガスはその複数形です。これに女性定冠詞を付けてラスベガスとなっています。

アメリカ最大の山岳湖であるタホ湖(Lake Tahoe)を過ぎると、シエラネバダ山脈のふもとにある州都のカーソンシティ(Carson City)があります。昔地理で学んだのがフーバーダム(Hoover Dam)です。このダムは1936年に造られた多目的ダムで第32代アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルト(Franklin D. Roosevelt)によるニューディール(New Deal)政策の一環失業者対策や景気回復を目論んだ公共事業といわれます。ダム湖はミード湖(Lake Mead)と呼ばれ、アメリカ最大の規模であり、型式は重力式アーチダムで堤高は221.3メートルとなっています。ダムの完成により、広大な乾燥地で灌漑農業を行うことが可能となりました。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その34 『Cornhusker State』とネブラスカ州

ネブラスカ(Nebraska)はいろいろな思い出があります。 ネブラスカ大学の友人を訪ねたときのことです。デトロイト国際空港の入国審査場で審査官が家内におきまりの「どこへ行くのか?」と尋ねます。家内は「ネブラスカへ、、、」審査官「ネブラスカでなにをするのか?」、家内「観光です」、審査官は首を傾げて「ネブラスカへ観光へ行く日本人は初めてだ、、」というのです。どうも審査官はネブラスカは田舎か僻地だと思っていたらしいのです。

州の東側には広大な草原、西側には壮大な崖や峰、東西間には砂丘など、どこへ行っても素晴らしい景色を堪能できます。ロデオ発祥の地であり、開拓者時代のランドマークがあり、西部開拓時代に入植者たちが通った歴史的な脇道が交差する州です。州都はリンカーン(Lincoln)で、最大の都市は州の東端にあるオマハ市(Omaha)です。広大な平原は、トウモロコシ畑が広がっています。州の愛称はコーンハスカー(トウモロコシの皮をむく人)『Cornhusker State』となっています。

Coach Tom Osborn

リンカーンにあるネブラスカ大学(University of Nebraska-Lincoln)にある自然史博物館(University of Nebraska, Morrill Hall) は恐竜の化石や開拓時代の道具、ネブラスカのインディアンの生活などを紹介するところで必見です。この博物館は、主に子ども達が社会見学で学べるような設備を用意しています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その33 『Big Sky Country』とモンタナ州

私はこの州を訪ねたことがありません。モンタナ州(Montana)といえば、マイケル(マイク)・マンスフィールド(Michael Mansfield)というモンタナ州選出の上院議員が忘れられません。1961年から1977年までの16年間は多数党であった民主党の院内総務(Senate Majority Leader)として活躍しました。この16年という任期はアメリカ史上最長です。また知日派としても知られ、1977年から1989年までの長期にわたって駐日大使を務めました。

Mike Mansfield

「モンタナ」という州名はスペイン語で山、あるいは山の国を意味する「Montana」に由来します。州都はヘレナ市(Helena)は、19世紀後半のゴールドラッシュによって人が集まってできた町です。モンタナ州北にグレイシャー国立公園(Glacier National Park)、南にイエローストーン国立公園(Yellowstone National Park)という2 つの国立公園があります。この 2 つの公園の間に無限とも思われる大自然の驚異、すなわち、55の州立公園、15の自然保護区、多数の国有林や州有林が広がっており、モンタナ州は冒険と発見にあふれる驚くべきフロンティアとなっています。州の愛称は、「 蒼空の州」(Big Sky Country)で、自然溢れる州に誠に相応しい名です。

州の人口動態です。全体ではドイツ系の祖先を持つ人々が最も多く、次いでアイルランド系が第2位、イングランド系が第3位になっています。スカンディナヴィア系は北部と東部の平原地帯で農業が主体となっている所に多く居住しています。近隣のノースダコタ州やミネソタ州と同じような状態です。

州内には、ネイティブアメリカン(インディアン)の居留地(Indian Reservation) が7つあります。この居留地には言語による分類で20以上の部族が住んでいるといわれます。合衆国の他州よりもインディアン人口が多く構成比が高くなっています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その32 『Show Me State』とミズーリ州

ミシシッピ川の西、アメリカ中西部にある内陸の州がミズーリ州(Missouri)です。州名の由来は、ミズーリ州はミズーリ川(Missouri River)にちなんで名付けられました。”Missouri” を「ミズラ」と発音することもあります。「ミズーリ」はスー族(Sioux)インディアンの部族名。かつてこの地は、フランス領ルイジアナとして統治されていました。ちなみにこのフランス領ルイジアナは、ミシシッピ川の流域をほとんど含んでおり、北は五大湖、南はメキシコ湾、東はアパラチア山脈から西のロッキー山脈までという広大な領地でした。隣同士、多くの州と接している珍しい州でもあります。

ちなみに州の愛称は「ショウミーステート」(Show Me State)で、「証拠をみせよ」といった意味で、簡単には信じないぞ、といった感じです。ミシシッピ川とミーズリ川が合流する地点にあるのがセントルイス(St. Louis)です、毛皮の交易所として発展してきた街。19世紀には西部への開拓者達の出発地点として賑わってきて、ゲートウエイ・アーチ(Gateway Arch)がその面影を残しています。ここは国立公園となっていて高さ192メートルのモニュメントの一番高い所にのぼることができます。ミズーリ州最大の都市はカンザスシティ(Kansas City)です。伝統的に畜産業が盛んな地域のために、名物料理はカンザスシティ・スタイルのバーベキュー(BBQ)で、100軒以上のバーベキューレストランがひしめくといわれます。BBQはウッドスモークの香りが漂い低温でじっくり焼き上げるのです。

歴史あるルート66(Route 66)は 、マザーロード(Mother Road)と呼ばれる伝説のハイウエイです。ミズーリ州を 480 キロメートル以上に渡り走っていました。大陸を横断するこの道はアメリカ西部の発展を促進した重要な国道であり、映画や小説、音楽などの中に多く登場しました。中でも代表的なのは1960年から1964年にかけてCBS系列で放送された『ルート66』です。日本では1962年から122回にわたった放映され大人気でした。ドラマ中、シボレー・コベット(Chevrolet Corvette)に乗ったイ2人のエール大学(Yale University)に通う若者が冒険を求めてアメリカ中のハイウェイを走っていくというストーリーでした。しかし、州間高速道路(Interstate)の開線で今は通勤道路となっています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その31 『Magnolia State』とミシシッピ州

ミシシッピ州(Mississippi)の成立過程です。16世紀初頭にチカソー族(Chickasaw Tribe)やチョクトー族(Choctaw Tribe)などの先住民が暮らすこの地にヨーロッパ人がやってきました。スペインの探検家でコンキスタドール(Conquistador)、征服者と呼ばれたエルナンデ・ソト(Hernandez Soto)らです。彼らは金を目指しフロリダを出発したのですが、その途中にこの土地を訪れます。ミシシッピの地は、他の州と同様にヌーベルフランス(New France)と呼ばれるフランスの植民地でした。フランスは先住民族たちと友好な関係を築きながら植民地を広げています。

Magnolia

その後1755年に起こるフレンチ・インディアン戦争では、フランスはインディアンと組んで、イギリス相手に戦うことになるのです。結局、1760年にフランスが降伏して戦争は終わり、1763年のパリ条約によってミシシッピ川から東側に位置するこの地はイギリスへと割譲されまます。

現在の州の経済の柱は農業です。主な農産物は綿花や大豆です。綿花栽培は古くから行われていて、綿花で財を成した白人大富豪も多かったようです。この成功の裏には黒人奴隷労働者の存在がありました。今でも、ミシシッピ川の広大なデルタ地帯では綿花の栽培が盛んです。他にもキャットフィッシュ(catfish)の養殖、養鶏なども主要な産業で、ミシシッピ州は養殖や農業州であるといえます。

Map of Mississippi

ミシシッピは歴史的にみても、黒人解放運動の活発な地域でもあります。19世紀後半のジム・クロウ法(Jim Crow laws)および1890年の新憲法の成立によって、ミシシッピ州はディープサウス(Deep South)に典型的な形で、事実上黒人の選挙権を取り上げるのです。ジム・クロウ法とは、「黒人の一般公共施設の利用を禁止、制限した法律」を総称したものです。ジム・クロウは黒人隔離を指す言葉としても使われるようになりました。過剰な投票税を課すなどして、黒人が投票するのを防止しようとしたのもこの法律です。

州都および最大都市はジャクソン市(Jackson)です。州のニックネーム『Magnolia State』(木蓮の州)。木蓮は中国原産の植物ですが、温暖な気候であるアメリカ南部でも親しまれています。日産自動車が2003年、同州のキャントン(Canton) に工場を建設し、トヨタ自動車が2010年にブルー・スプリングス(Blue Springs)で生産を開始したのもミシシッピです。労働力に恵まれていることが建設の条件だったようです。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その30 『Land of 10,000 Lakes』とミネソタ州

私がミネソタ(Minnesota)という地名を知ったのは「ミネソタの卵売り」という流行歌です。1950年代の頃で歌っていたのは暁テル子という歌手です。この曲名の由来を調べましたがよくわかりません。ミネソタに卵売りという職業があるのかも定かではありません。ミネソタは養鶏で盛んであるというのもきいたことがありません。寒いので養鶏には向かないはずです。

Map of Minnesota

もう一つのミネソタのエピソードです。元札幌ルーテル教会の宣教師とご家族をミネアポリスに訪ねたときです。外に立っているとひどく蚊が多いのです。大小無数の湖が点在するために蚊が発生するのです。人々は蚊のことを「州の鳥」(State Bird)といって笑っていました。州の愛称は「一万の湖がある州」(Land of 10,000 Lakes) と呼ばれています。こうした湖は最終氷河が後退した跡に残したものです。もう一つの愛称は「ジリスの州(Gopher State)」という可愛い野生動物にちなんだ呼び名です。

中西部では、イリノイ州シカゴとミシガン州デトロイトに続いて大きい都市が、ミネソタ州のミネアポリス(Minneapolis)になります。ミネアポリスは州都セントポール(Saint Paul)の西に位置する隣りの街です。ミシシッピ河を挟んで発展してきた二つの大都市が隣同士にあり、2つの都市を合わせて双子の街、ツインシティー(Twin Cities)とも呼ばれています。ミネアポリスは次々と再開発が進み、新しい施設などが建ち並ぶ経済の中心です。それに対してセントポールは、ヨーロッパの都市に似て旧市街地区があり、ビクトリア期後期のような数多い建築が保存状態良く、残っています。少し古いですが2015年の調査によると、ミネアポリスとセントポールは最も識字能力が高い人々が暮らす街であるといわれます。

ミネソタ州は古くから農業、鉱業が盛んな州でしたが、近年はハイテク産業の進出などもめざましいようです。ミネアポリス・セントポール国際空港 (MSP) の近くに位置する「モール・オブ・アメリカ」(Mall of America)は、全米最大級のショッピングモールです。4つのデパート、50のレストラン、520の専門店が巨大なモールの中に集合しています。ちょうど中心に、遊園地があるのですから、その大きさが分かります。キッズテーマパーク「レゴランド(Lego Land)も楽しいです。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その29 『Great Lake State』とミシガン州

ミシガン州(Michigan)の成立過程です。17世紀にアルゴンキン語族(Algonquian)などの先住民族が暮らすこの地に、初のヨーロッパ人がやってきます。それはヌーベルフランス(New France) と名付けられたこの新大陸にやってきたフランス人です。もともと毛皮交易を進めながら、この地を開拓していきます。当然フランスの植民地となった地ですが、後のフレンチ・インディアン戦争(French-Indian War)により、イギリスに支配されるようになります。

Map of Michigan

地理ですがミシガン州(Michigan)は、北と東はカナダに、南はインディアナ州(Indiana)とオハイオ州(Ohio)に、西はミシガン湖を挟んでウィスコンシン州に接しています。五大湖で知られ、その湖とは、Huron(ヒューロン湖)、Ontario(オンタリオ湖)、Michigan(ミシガン湖)、Erie(エリー湖)、Superior(スペリオル湖)です。そのため、ミシガン州は「グレート・レイク・ステイト」(Great Lake State)とも呼ばれています。「ミシガン」という名前も、先住民族の言葉で「大きな湖」を意味するのだそうです。「クロアナグマの州」(Wolverine State)とも呼ばれています。別名はクズリです。

デトロイト(Detroit)を中心に発達する自動車産業を抜きにこの州は語れません。ちなみにこのデトロイトを作ったのは、フランス人貴族、アントワーヌ・ド・ラ・モス・キャデラック(Antoine de la Mothe Cadillac)といわれています。あの高級車の名前の由来というわけです。今も多くの大統領専用車となっています。オバマ大統領の「キャデラック・ワン」が有名です。車体前方についている月桂冠で形どったエンブレムのデザインは何度も変更されています。

ミシガン州と言えば、なんといってもフォード(Ford)、GM、クライスラー(Chrysler)のビッグ3の本社があることです。その他化粧品のアムウェイ (Amway)化学工業のダウ・ケミカル (Dow Chemical)、ドミノ・ピザ(Domino Pizza)、食品製造のケロッグ(Kellogg)などの本社もあります。

ミシガン州は農業州でもあります。州内では多くの種類の穀類、果物、野菜が栽培されており、その多様さではカリフォルニア州に次いで第2位となっています。主要作物としては、トウモロコシ、大豆、花卉、小麦、テンサイ、ジャガイモがあります。ミシガン湖の温暖化効果と肥沃な土壌のお陰で、ブルーベリー、サクランボ、リンゴ、ブドウ、モモなどの栽培も盛んです。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その28 『ヘンリー・ソロー』とマサチューセッツ

『Pine Tree State』とメイン州の紹介では、「The Maine Woods」(メイン州の森)という作品を著した随筆家で思想家のヘンリー・ソローに触れました。自然をこよなく愛したいわばナチュラリストです。19世紀中頃、ニューイングランド(New England)で観念論哲学運動が起こります。アメリカの思想家、詩人であるエマソン(Ralph W. Emerson)らが唱道したニューイングランド超絶主義(transcendentalism) という運動です。この教義を故郷のコンコード(Concord)の村において徹底的に実践した作家がソローです。超絶主義とか超越主義とは、「神という超越的存在を個人の中に見る自立した自己の精神」という考え方です。自己の内なる何か絶対的な価値(神性)を直感によって掴み取るというのです。

“どこに住み、何のために生きてきたか”

超絶主義とは「transcendent」という形容詞から由来し、超越するとか乗り越えるという意味で使われます。客観的な経験論よりも主観的な直感を強調し、その中核は人間に内在する善と自然への信頼に置くという考え方です。人知では到底計り知ることができないような経験知といってもよいかもしれません。この主張が、後に自己啓発運動や自己啓発書に大きな影響を与えていきます。

ソローの作品から、彼はニューイングランドの自然環境を通して人間の叡智や可能性を探ることを最大の関心事としていたことが伝わります。ソローは、すべての人々は独自の生活様式を追求し、その生活を詩とし、生きること自体を芸術作品とする自由を持つべきと主張します。世の中の流れに疑問を抱き、自分の感性を磨いて忠実に生きるという精神です。彼の作品から言えることは、ニューイングランドの風景を人間的な連想で豊かにするだけでなく、想像力をもって自然に向き合い、自然を破壊せずに自然を大切にし、それと共に生活するという態度です。

ソローは、メキシコ戦争が起こったとき、マサチューセッツ州が課する人頭税(poll tax)の支払いを拒否し投獄されます。ソローはその顛末を、最も有名と評価されたエッセイ「市民の反抗」(Civil Disobedience)の作品で描きます。この中では、多数決という便宜主義に異議を唱え、個人の良心を擁護して納税を拒否するのです。こうした態度は、マハトマ・ガンジー(Mahatma Gandhi)やキング牧師(Rev. Martin L. King)の非暴力による公民権運動の思想的な先駆けでとなります。

前述のエッセイ「メインの森」や「カナダのヤンキー」(A Yankee in Canada)、「コッド岬」(Cape Cod)のような旅行記は、彼の精神を支えてきたアメリカの原始的自然環境の素晴らしさや大切さを再認識したことの表れといわれます。ニューイングランド一帯やコンコードの自宅周辺にあるウオルデン(Walden)湖畔や山野を歩き回り、「散歩」(Walking)というエッセイも書いています。彼の聖地は山野にあり、歩くことは彼の精神的な運動でありました。そこには精神の自由があり、文明と人間を育んできた「野性の世界」であったようです。ソローが人間と環境との生態学を論じたことが、アメリカ社会やその後の各国における環境保護運動を触発したことは特筆すべきことです。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その27 『プリマス・プランテーション』とマサチューセッツ

大西洋に突き出たコッド岬(Cape Cod)は、長い海岸線を持ち、風光明媚な景色が広がる半島です。この岬の付け根にあり、ボストンの中心地から南東方向に直線距離で約56kmのプリマスに位置する野外歴史博物館がプリマス・プランテーション(Plimoth Plantation)です。1620年にプリマスに入植したピルグリム(Pilgrims)の人々の生活や文化を再現し紹介しています。ここでは、イール川(Eel River)のほとりに住む先住民ワンパノアグ(Wampanoag)の17世紀の頃の生活や歴史と文化について、観光客に現代的な視点から説明してくれます。客の質問にも詳しく答えてくれます。

このプランテーションで特筆すべきことは、スタッフたちは半年間かけて厳しいトレーニングを積み、当時の衣装を身にまとい、当時のように畑を耕し、当時の言語を話すなど、徹底して歴史的背景をしっかりと再現していることです。まるで1600年代の村にやってきたような錯覚をおぼえます。メイフラワー号(Mayflower)は、イギリスからへ、アメリカ移民を運んだ船として知られ、原寸大レプリカがプリマスに係留されています。船内は博物館となっています。

子どもたちが大喜びするボストン子ども博物館(Boston Children’s Museum)では、「何でも手に触れる」ことができます。ショッピングエリアでは、ガラス張りのアーケードをのぞいたり、有名なファニエルホール市場(Faneuil Hall Marketplace)などの青空市場をぶらぶらするのも楽しいです。日本美術の優品も多数所蔵するボストン美術館 (Museum of Fine Arts)や1973年より音楽監督に就任した小澤征爾で有名なボストン交響楽団(Boston Symphony Orchestra)など、芸術や音楽の都としても知られています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その26 『Bay State』とマサチューセッツ州

この州には長男と家族が住んでいるので親しみのある州です。州都で最大の都市はもちろんボストン(Boston)です。アメリカ北東部にあり、ニューイングランド地方の政治、経済、文化、観光の中心です。マサチューセッツ州(Massachusetts)の愛称は「湾の州(Bay State)とか「 旧植民地」(Old Colony)と呼ばれています。長男はハーヴァード大学(Harvard University)でポスドク(postdoc)をやり、今は州第二の都市ウースター(Worcester)のホーリークロス大学(College of Holy Cross)で教鞭をとっています。ハーヴァード大学は1636年創立。世界的に有名な大学で特に大学院教育や研究で知られ、伝統ある名門私立大学8校から成る「アイビーリーグ」(Ivy League)の1校です。

Faneuil Hall Market

ボストン周辺には、独立戦争発端の街レキシントン(Lexington)やアメリカ発祥の地プリマス(Plimouth)、ジョン万次郎ゆかりの地フェアへブン(Fairhaven)、19世紀のアメリカ文学界を代表するラルフ・エマソン(Ralph W. Emerson)、ナサニエル・ホーソン(Nathaniel Hawthorne)やヘンリー・ソロー(Henry David Thoreau)らの思想家や作家たちが暮らしたコンコード(Concord)が有名です。

政治的には民主党が圧倒的な強さを示す地盤で、2004年5月17日にはマサチューセッツ州は国内で初めて同性結婚を法律で認める州になります。マサチューセッツ州政界ではケネディ家が特筆される存在です。ケープコッド(Cape Cod)と呼ばれる半島の避暑地にケネディ家の別荘があります。

世界屈指の大学が集まるのがマサチューセッツ州です。前述のハーヴァード大学、マサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute of Technology: MIT)を双璧として、ボストン大学(Boston University)、マサチューセッツ大学(University of Massachusetts)、タフツ大学(Tufts University)、ウースター工科大学(Worcester Polytechnic Institute)、ウィリアムズ大学(Williams College)、ウェルズリー大学(Wellesley College)、マウント・ホリーヨーク大学(Mount Holyoke College) などそうそうたる大学があります。どの大学も成績とテストでは超難関です。授業料は年間5万ドル前後です。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その25 『Old Line State』とメリーランド州

メリーランド州(Maryland)は、ワシントンD.C.に隣接して中部大西洋岸地域(Mid-Atlantic States)を構成する州です。州都はアナポリス(Annapolis)、最大の都市はボルチモア(Baltimore)です。州名の由来ですが、イギリスのチャールズ2世が王妃ヘンリエッタ・マリア(Henrietta Mari)にちなんで名付けたといわれます。

私は一度兵庫教育大学の院生とで、チェサピーク湾(Chesapeake Bay)に注ぎ込む河口に位置する港町、アナポリスを訪ねたことがあります。アナポリスはかつてアメリカの首都であった町で、植民地時代の多くの建物が残っています。ここはアメリカ海軍兵学校(US Naval Academy)が所在することでも知られています。アメリカ海軍及び海兵隊の士官学校です。人々は海軍兵学校を指して「アナポリス」と呼びます。ちなみに陸軍兵学校は、通称ウエストポイント(West Point)と呼びます。

メリーランド州は、山脈から曲がりくねった大西洋の海岸線まで地形が変化に富んでいることから、「アメリカのミニチュア」(American Miniatures)とよく呼ばれます。 この州は、南北戦争中の主な軍事活動の中心地でした。4 つのシビル・ウォー・トレイル(Civil War Trails)を巡ってその当時の軍人の足取りを辿ることができます。ボルチモアには、プロ野球選手ベーブ・ルース(Babe Ruth)の生家があります。アメリカの文化において最も偉大なスポーツ界の英雄の一人で、史上最も優れた野球選手と称されています。国立水族館(National Aquarium)も有名です。

メリーランド州は、「オールド・ライン・ステート」(Old Line Stateで(Lines) というニックネームもついています。1776年、アメリカの独立は確実なものではありませんでした。ワシントン将軍が率いるメリーランド州軍は、ロングアイランド(Long Island)という戦いで激戦を繰り広げます。13,000人の大陸軍と34,000人のイギリス軍との戦いです。ワシントン将軍は、数で圧倒的に劣り包囲されたため、戦闘開始後すぐに撤退を命じ、大敗北を免れます。その退却を援護したのが、Maryland Linesと呼ばれたメリーランドの歩兵でした。こうしてこの州は「Old Line State」というニックネームがつけられました。このようにメリーランドはアメリカ独立戦争でイギリス支配に対して反旗を翻した13植民地の1つです。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その24 『Pine Tree State』とメイン州

私はメイン州(Maine)を訪れたことはありませんが、メインの海岸付近に住む友人とはSNSでビデオチャットしています。この友人は連邦教育省に長らく勤め、兵庫教育大学に3か月の客員研究員として招いたこともあります。メイン州アメリカ北東部のニューイングランド(New England)にあり、この地方最大の州です。北西はカナダのケベック州(Quebec)ニューブランズウィック州(New Brunswick)に接しています。州都はオーガスタ市(Augusta)です。地図を見ますとこの州は長い海岸線、そして美しい山と海の景色を誇るといわれます。アーカディア国立公園(Acadia National Park)には、大西洋沿岸北部で最も標高が高い場所であるキャデラック山(Cadillac Mountain)があります。この公園には、馬車道が曲がりくねるように通い、表面には砕石が敷かれているのでサイクリングに最適だそうです。

Map of Maine

州最大の都市ポートランド(Portland) の南に位置する小さな街ケープエリザベス(Cape Elizabeth) には、有名なポートランドヘッドライト灯台(Portland Head Light)があります。 この灯台は、メイン州にある 65 の灯台のうち最古のもので、今も現役です。 特に旭日が昇るのをとる写真家にはたまらない場所といわれます。

アメリカの有名な思想家、詩人、随筆家であるヘンリー・ソーロー(Henry Thoreau)もメイン州の自然がたいそう気に入って3度も旅したことが「The Maine Woods」(メイン州の森)という作品に書かれています。彼の多くの著作には、今日の自然と生態系に関する叙述があり、アメリカにおける環境保護運動の先駆者としての評価も確立されています。丸太小屋を建て、自給自足の生活を2年2か月間送りながら書き留めた、代表作『ウォールデン 森の生活』(Walden Life in the Woods)は、そこでの生活記録をまとめたものです。その思想は後の時代の詩人や作家に大きな影響を与えたといわれます。

メイン州「松の木の州」(Pine Tree State)というニックネームがあり、全土の90%近くが森林で、内陸の森林地帯はほとんど人の住まない所となっているようです。メイン州の農業生産品は、家禽及び卵、乳製品、牛、ブルーベリー、リンゴ、並びにメープルシロップとカエデ糖である。特にブルーベリーでは最大の輸出州となっています。ジャガイモの生産でも知られています。入り組んだ岩の多い海岸線が続き、漁業は州経済の主力であり、現在もロブスター漁(lobster)やハマグリなど底引き漁が盛んです。

合衆国内で、最も白人の比率が高い州なので「Most White State」と呼ばれるとか。フランス系アメリカ人の比率は国内で最も高い州がメインです。メイン州にはベイツ大学(Bates College)、ボウディン大学(Bowdoin College)やコルビー大学(Colby College)といった、大学ランキングで上位に位置するリベラルアーツ系の大学が知られています。他の州と同様、ニューイングランド内の私立大学のほうが州立大学よりも認知度が高く優れているというのは特筆されます。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その23 『ケイジャンとクレオール』とルイジアナ

ケイジャン(Cajun)移民の影響を強く受けたルイジアナ州の文化は、他の南部州に比べるとユニークな点が多いといえます。その代表は「クレオール文化」(Creolization)でしょう。人種、言語、料理、音楽などで特徴的な文化です。フランスやスペイン、アフリカおよび先住民文化から色々な要素を取り入れた融合文化とされるクレオール文化は白人クレオールと黒人クレオール両方に属しています。当初クレオールという言葉はフランスまたはスペイン人の子孫で、現地で生まれた白人を指していました。それが後には白人男性が黒人女性と関係を持った結果の子孫も指すようになり、その多くは教育を受けて自由人となりました。

Creole Family

州の南部で一部の住民が話すフランス語はケイジャンフレンチ (Cajun French) 、ケイジャン語です。カナダ東部の沿海州やメイン州で使われたフランス語アカディア方言に由来するものといわれます。その理由は1755年からの7年戦争といわれるフレンチ・インディアン戦争中、アカディアのフランス系住民がイギリスに対する忠誠を拒んで強制追放され、多くのアカディア方言話者がフランス領ルイジアナに移住してきたために残りました。ケイジャン英語はフランス語の影響を受けた英語方言ともいわれます。

クレオール文化で最も有名なのはケイジャン料理でしょう。ケイジャン移民が持ち込んだアカディア・フランス料理を基礎として、インディアンの料理、西アフリカからの黒人奴隷の料理やサン・ドマングからの移民が持ち込んだクレオール料理の流れをくむケイジャン料理はアメリカ有数のものとなっています。ニューオーリンズは、ジャズ発祥の地としてよく知られています。ディキシー・ランド・ジャズ(Dixiland Jazz)やブルース、カントリー、ロックなどのさまざまな音楽の発信地がルイジアナです。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その22 『Pelican State』とルイジアナ州

ルイジアナ(Louisiana)という地名は、フランス王ルイ14世(Louis XIV)に由来します。州都はベイトンルージュ市(Baton Rouge)、最大の都市はニューオーリンズ市(New Orleans)です。私はこの州を訪ねたことはありません。

1803年ルイジアナ買収によって合衆国領となってからこの州は発展します。1849年州都がニューオーリンズからベイトンルージュへ移ります。民法には大陸法の影響が色濃く残っています。例えば州の下の行政区画として、他州で用いられるカウンティ(county、郡)の代わりにパリッシュ(parish)という用語が使われます。parishとはキリスト教会の小教区を意味し、現在は行政小教区 「civil parish」と呼ばれ、フランス植民地時代の影響を受けた結果です。パリッシュがカウンティ相当として使われるのはアメリカではルイジアナ州のみです。

州内いくつかの都市圏では多文化、多言語の遺産が残っており、18世紀に領域を支配したフランスの混合文化に強く影響されています。アカディア(Acadia)やヌエバ・エスパーニャ(Nueva Espana)といった文化です。アカディアとはメイン州東部とカナダのノバスコシア州(Nova Scotia)に相当する地域の古名で、フランス領だった地域です。先住民であるインディアンや、西アフリカから奴隷として連れてこられたアフリカ系アメリカ人の文化の影響も見られます。19世紀初めにアメリカ合衆国の領土となりますが、他州とは相当異なった文化が形成され今日に繋がっています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その21  『Bluegrass State』とケンタッキー州

ケンタッキー州(Commonwealth of Kentucky)の愛称は「ブルーグラスの州」(Bluegrass State)です。ブルーグラスとは、ナガハグサとも呼ばれる牧草です。ブルーグラスは別名ケンタッキー・グラス(Kentucky Grass)とか西洋芝ともよばれ、耐寒性が高いのと根の伸長速度が早いので有名です。その名の通り、ケンタッキーは牧草が生い茂る地であり、競争馬の飼育が盛んです。この名の通り、ケンタッキーは牧草が生い茂る地であり、競争馬の飼育が盛んです。最大都市のルイビル(Louisville)で毎年5月の第1土曜日に行われる ケンタッキーダービー(Kentucky Derby) は有名です。州都はケンタッキー川沿いにあるフランクフォート(Frankfort)で、州の最大都市ルイビルと第2の都市レキシントン(Lexington)の中間に位置しています。 フランクフォートの人口は約28,000人で、人口の少ない州都の全米第5位になっています。

ケンタッキーはバーボン・ウイスキー(Bourbon whiskey)発祥の地、またケンタッキー・フライド・チキン(KFC)の本拠地としても知られています。 州内には450を超えるサラブレッド牧場や、多くのウイスキー蒸留所があります。バーボンという名前はフランスの「ブルボン朝」(Bourbon Dynasty)に由来します。アメリカ独立戦争の際にアメリカを支援したことに感謝し、後に合衆国大統領となるトーマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson)がケンタッキー州の郡のひとつを「バーボン郡」と名づけます。それが同地方で生産されるウイスキーの名前となり、定着したといわれます。バーボン・ウイスキーの主原料は51 %以上のトウモロコシ・ライ麦・小麦・大麦です。これらを麦芽で糖化し、さらに酵母を加えてアルコール発酵させるようです。炭化皮膜処理されたオーク樽を製造に用いることが義務づけられています。ブランドを維持するためです。

「ケンタッキーの我が家」(My Old Kentucky Home)はスティーブン・フォスター(Stephen C. Foster)作詞・作曲の歌曲です。ケンタッキー州の州歌となっています。「主人は冷たい土の中に」(Massa’s in De Cold Ground)、「故郷の人々」(Old Folks at Home)、オールド・ブラック・ジョー」(Old Black Joe)、「夢見る人(Beautiful Dreamer)、「金髪のジェニー」(Jeanie with the Light Brown Hair)、「スワニー川」(Swanee River)など、黒人奴隷の苦しみに共感を示しそれを描き出したのがフォスターです。曲のメロディは親しみやすく、黒人歌、農園歌、ラブソングや郷愁歌などを作曲し「アメリカ音楽の父」と称されています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その20 『Cyclone State 』とカンザス州

開拓者の過去と現在に至る歴史を学べるのがこの州です。「峠の我が家」(Home on the Range) という民謡があります。カンザス州(Kansas)の州歌となっています。のどかな旋律と歌詞です。アメリカの中央部という地理的条件のおかげで、カンザス州はアメリカの開拓で常に重要な役割を果たし、アメリカインディアンの豊かな歴史も育まれてきました。今も残るサンタフェトレイル(Santa Fe Trail)に幌馬車のわだちをたどり、ポニーエクスプレス(Pony Express)が通った道を旅できます。フォートラーンド(Fort Larned)とフォートスコット(Fort Scott)で南北戦争の戦場跡を見学し、部族に関する博物館を見学しましょう。カウンシル・オーク・ツリー(Council Oak Tree)のようなランドマークの木があります。この木は、1825 年にオーセージ族(Osage tribe)インディアンが土地を譲渡した際に契約の場となった史跡です。

Map of Kansas

ブートヒル博物館(Boot Hill Museum)とオールドカウタウン博物館(Old Cowtown Museum)では、西部開拓時代のアウトローや開拓者が歩いた道を実際に歩くことができます。田舎の生活様式が、今も家畜牧場で続けられています。このような牧場では、牛追い、星空を眺めながらのチャックワゴン(chuck wagon)での夕食ができます。チャックワゴンとは炊事用の幌馬車のことで、19世紀の特に西部開拓時代の長距離移動で広く使用されたものです。カンザス州では、本物の家畜牧場に宿泊することができます。質素なものからおしゃれな農場までさまざまな種類があります。

カンザス州にはアメリカインディアンの豊かな歴史が残っており、かつてここに住んでいた部族に捧げる博物館があります。この州には今でも 4 つの部族が暮らしています。キカプー族(Kickapoo)、ポタワトミ族(Potawatomi)、ソーク族(Sauk)、アイオワ族(Iowa)です。

カンザスといえば、カンザス・シティスタイル・バーベキュー(Kansas City Style Barbecue:BBQ)さまざまな種類の木材でじっくりスモークし、厚切りトマトを載せてモラス(Morath)という蜜糖ベースのソースで食べるのです。カンザス・シティは、『World Capital City of BBQ』と呼ばれるほどです。BBQはカンザス・シティ文化のハイライトなのでしょうか。BBQはなぜ有名になったかです。カンザスはアメリカのど真ん中に位置し、19世紀半ば頃からアメリカの物流の拠点となりました。鉄道に加えてミズーリ川(Missouri River)があり、バイヤーや卸売業者はそれを家畜類の輸送手段として使うだけでなく、肉の加工業を栄えさせたのです。

州都はトピカ市(Topeka)であり、州最大の人口を抱える都市はウィチタ(Wichita)となっています。最後にカンザス州のニックネームは「サイクロンの州」(Cyclone State)というのですから、少々穏やかではありません。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その19 『Hawkeye Stateとマディソン郡の橋』とアイオワ州

この州は、中西部ウィスコンシン州の西側に位置します。州都で人口最大の都市はデモイン(Des Moines)で、「アイオワ」(Iowa)という名前は数多く住んでいたインディアン部族の中のアイオワ族から採られています。デモインは大統領選挙においても重要な所となっています。その理由はアイオワ州は1972年以降、全米で最初に党員集会(caucus) が行われる州となっているからです。党員集会では、大統領候補を選出する全国党大会に出席する代議員を選ぶのです。党員集会によって大統領候補者を決めるので、デモインは全米から注目されるのです。

アイオワ州は、元はフランスのヌーベルフランス(Nouvelle-France、英語でNew France)と呼ばれた植民地でした。アメリカがフランスからルイジアナを買収後、この地に開拓者が農業に基づく経済の基礎を作ります。やがて「コーンベルト」(Corn Belt)と呼ばれる穀倉地帯の中心となります。「世界の食糧の首都」と呼ばれるのが州都デモインです。

クリント・イーストウッド(Clint Eastwood)とメリル・ストリープ(Meryl Streep)主演の映画『マディソン郡の橋』(The Bridges of Madison County)は、アイオワ州マディソン郡(Madison County)が舞台となっています。イタリアからやってきて夫や子どもとともにアイオワ州マディソン郡に住んでいる女性フランチェスカ・ジョンソン(Francesca Johnson)が、家族の留守中に、この郡にある屋根付橋の撮影にやってきた写真家ロバート・キンケイド(Robert Kincaid)と出会い恋に落ちるのです。この屋根付橋は、ローズマン・ブリッジ(Roseman Bridge)と名付けられています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その18 『Hoosier State』とインディアナ州

インディアナ州(Indiana)はイリノイ州の東側、オハイオ州の西側に位置しています。19世紀初頭、多くのヨーロッパからの移民が西に向かい、インディアナ州に定住します。インディアナ州に定住した最大の移民グループは、ドイツ人であり、アイルランドやイギリスからの移民も多くやって来ました。1811年にオハイオ川(Ohio River)に蒸気船が、1829年にリッチモンド(Richmond)にナショナルロード(National Road)が開通し、インディアナ州北部・西部への入植が大きく促進されることとなります。州都はインディアナポリス(Indianapolis)です。

インディアナポリスが州都になった後、新政府はインディアナを開拓地から発展し人口が増えます。繁栄する州にするための努力によって、人口動態と経済の著しい変化が始まります。1836年、州の創設者は、道路、運河、鉄道、州負担の公立学校の建設につながるプログラム「インディアナ・マンモス内部改善法」(Indiana Mammoth Internal Improvement Act)を施行します。この計画は州を破綻させ、財政的に大打撃を与え、土地と農産物の価値は4倍以上になります。この危機を受け、再発防止のため、1851年に第二憲法が採択されます。その条項の中には、公的債務の禁止とアフリカ系アメリカ人への参政権の拡大が含まれます。

毎年5月に開催されるアメリカの自動車スポーツイベントが、インディ500 (Indy 500) です。インディ500は、練習走行・予選・決勝レースなどのレースプログラムから成ります。世界の周回レースカテゴリーの中でも最も速いといわれ、最高速度は380km/hに達するとされます。日本人のドライバーもこの大会で過去2回優勝しています。

インディアナ州の人々は「フージャー」(Hoosier) と呼ばれています。この言葉の語源は諸説あるようですが、一説ではアップランドサウス(Upland South)地域で野卑な田舎者を指す蔑称から由来するとわれます。不器用な人、といった意味だそうです。それで州のネックネームは「Hoosier State」と呼ばれます。