【風物詩】その六「らんまん」から 

Last Updated on 2023年7月19日 by 成田滋

毎日朝ドラを観ております。私の親しい友人が高知にいて、彼に案内されて県立牧野植物園を訪ねたことがあります。市内の五台山の広大な敷地にある素晴らしい施設です。牧野富太郎は、東京大学理学部植物学教室への出入りを許され、植物分類学の研究に打ち込みます。自ら創刊に携わった「植物学雑誌」に、新種ヤマトグサを発表し、日本人として国内で初めて新種に学名をつけます。やがて「日本の植物分類学の父」と呼ばれます。「らんまん」は牧野の生誕160年を記念して製作されたようです。

「らんまん」の舞台は明治の後期です。小学校を中退し、やがて東京帝国大学理学部の植物学教室に出入りを許されるという筋書きです。天下の帝国大学という序列の厳しい縦社会の組織で、研究に没頭する涙ぐましい姿が描かれます。いかに研究中心の組織とはいえ、帝国大学を頂点とする封建的な組織というのは、上意下達の軍隊組織のように、秩序を乱すことは許されない洗脳されたような社会です。

私もある国立の研究所で小さな縦社会の裏側を経験したものです。いっぱしの研究者として、業者から支援を受けて物品を供与されたり、海外での学会発表に出掛けることもありました。研究では研究費を獲得することが仕事の1つでした。私は上司からみると組織をはみ出す「出る杭」であったようです。そのため「蟄居」を命じられたことがあります。蟄居とは謹慎のことです。

高知県立牧野植物園

その後研究所を去って、兵庫県にある小さな国立大学で職に就きました。「出る杭は抜かれ捨てられる」ような有様でした。ですが兵庫で始めて組織のなかでも自由な空気を吸うことができました。誰の指図もなく、獲得した研究費を好きなように使えるのです。研究費は税金の一部であります。自己管理が要求される社会ですが、自分の研究が社会にどのように貢献したか、を問われるとあまり自信がないのが少々歯痒いです。

【風物詩】その五 「ありがとう、ご苦労さん、ごめんなさい」

Last Updated on 2023年7月18日 by 成田滋

1973年頃那覇市にいたとき、共同住宅の自治会で琉球大学の教官をしていた浅野さんと知り合いました。本土復帰を終えて、私を含め住宅には那覇市内のいろいろな官庁に出向してきた「ヤマトンチュ」がいました。「ヤマトンチュ」とは沖縄方言で、本土からの人といういう意味です。住宅内に琉球の歴史や文化を学ぶなどいくつかのサークルができました。1964年から65年にかけて県内で流行した風疹により聴覚などに障害のある「風疹児」や障害児の勉強グループもできました。

浅野さんの奥さんの旧姓は根間さんといい、琉球大学を卒業後、国費で国立女子大の大学院で障害児教育を研究したということを知りました。私は小さな幼稚園を開設し、そこに知的な障害のある子どもを受け入れることにしました。根間さんの依頼で一人の発達障害の子どもを預かりました。指導の仕方の基礎を学んでいなかったのでお手上げで、暫くして子どもは幼稚園を退園していきました。その頃、「自閉症は増えている」という本を手し、子どもの発達を真剣に学ぶ必要性に駆られました。幸い国際ローターリークラブより奨学金をいただき、ウィスコンシン大学で障害児教育を学ぶ機会が与えられました。それから6年余り経って文科省の特殊教育の研究所に就職しました。

斎場御獄–南城市

最近、浅野さんご夫妻が綴ったブログを発見しました。お二人は現在、本島の東側、知念半島にある南城市にお住まいです。知念半島には。世界遺産の斎場御獄 グスク、神の島といわれる久高島などの史跡に恵まれています。私と同じ年頃のご夫妻のブログの中で興味ある記述がありました。二人はある約束をしたというのです。「ありがとう」「ご苦労さん」「ごめんなさい」という言葉を日常生活で互いに交わそう、というのです。ご主人はこうした言葉は夫婦間で使っていなかったので、最初は大分ためらったとか。今では慣れてスイスイ口からでてくるというのです。示唆に富むエッセイでした。

【風物詩】その四 庭木の剪定

Last Updated on 2025年3月28日 by 成田滋

先日、シルバーセンターの人達がきて、マンションの剪定作業をしてくれました。全体で3日間の作業でした。毎年2回で同じ剪定業者なので、作業員の方々とは顔見知りとなっていました。

一階に住む私の庭にきたので、まず剪定して欲しい木とそうでない木を相談します。柿、オリーブ、金柑、無花果は剪定しないように依頼します。こうした木は、7〜8年前に苗木を買ってきて植えたものです。柿などは収穫が終わる秋には、自分で剪定作業をします。この剪定のコツや仕方はYoutubeで学んでいます。木の種類ごとに作業の仕方が丁寧に説明されるので大変参考になります。

作業員の方々によると、剪定の適当な時期は年に夏と冬のようです。夏におこなうのは弱剪定、冬におこなうのは強剪定というのだそうです。弱剪定では、軽めの剪定をおこない、長く成長しすぎた枝や葉を切ることです。それによって風通しや日当たりをよくします。強剪定のおもな目的は、樹高や樹形の調節と生育の促進のためで、高くなりすぎた枝を落とすとか、不用な枝を取り除くことです。樹木は上部のほうが成長しやすく、下にいくにつれて成長スピードが遅くなります。そのため上部の枝を強目に剪定し、下部の枝を弱目に剪定するのがコツといわれます。

【風物詩】その三 野菜作り

Last Updated on 2023年7月16日 by 成田滋

今年も野菜作りは収穫の最盛期を迎えました。ミニトマトは10本の苗からたわわに実ってとても老夫婦二人では食べきれません。近所にお裾分けをしています。ゴーヤは西側の窓際に植えて、カーテンのような日蔭としています。ゴーヤは細長いものと、丸みのあるものを植えて収穫し始めました。ゴーヤは琉球にいたとき、はじめて食したものです。茗荷もぼつぼつでてきています。茗荷は刻んで素麺のタレにそえ、ピリッとした香りを楽しみます。

今年はキュウリやゴーヤは種から苗を作りそれを植え替えて,見事に大きくなっています。成長が早いので表面がとげのあるうちに収穫します。キュウリの粕漬けは美味しいものです。茄子は生協店で売っているような立派ななりではありません。水やりは毎日欠かさないのですが、なぜか固いのです。

家庭菜園は楽しい

ハウスものの野菜は、温度や水量が管理され、肥料も調節されているので、立派なものができます。それに対して、家庭菜園は自然の成り行きに任せるので、虫もやってきます。ですが薬は決して使いません。見栄えは色も形も大きさもいまいちですが、無農薬だけは自慢できることです。

庭が狭いので8つのプランターを使い、主に葉野菜の種を植えています。この場合は「元肥入り」や「初期肥料配合」と記載されている培養土を使うようにしています。間引きしてから茎を大きくし、ときどき追肥します。茎ブロッコリーも成長が早いです。葉野菜でサラダなどを楽しんでいます。

【風物詩】その二 「Walkability」と「Mobility」

Last Updated on 2023年7月14日 by 成田滋

このところ自転車に乗るときは、ヘルメットを被ります。5年ほど前に購入したものですが、最近の改正道路交通法の施行に関するニュースで、改めて倉庫にあったものを被っています。

乗っている自転車は2台。1台は父親譲りで20年ものの骨董品、もう1台は3段ギアの新車です。ちょっとした買い物のときは骨董品のを、遠出のときは3段のに乗ります。時々近くの自転車店で空気を入れますが、骨董品のは実に頑丈でまだまだ乗れるとのお墨付きをもらっています。最近の自転車は価格は安いのですが、作りがいわば、チャチだそうです。

もっぱら自転車を利用しているので、自動車には滅多に乗りません。駐車場の問題がほとんどないのが自転車です。最近は自転車専用レーンもつくられて、自転車の利用を推進しています。それで思い出すのが、15年前にオランダのアムステルダムに行ったときです。丁度夕食のレストランに行ったのですが、顧客は合羽を着て自転車でやってくるのです。雨の日には自転車は避けるものだ、という先入観があります。オランダのどの街にも自転車道があり、自転車の利用が半端でないことを知りました。自転車道は、自動車道や歩道とそれぞれ物理的に分離しているのです。

アムステルダムの街

「Walkability」とは徒歩か自転車での移動、「Mobility」は自動車を使った移動という意味です。自転車の利用を促進するには、専用レーンや路上に自転車のアイコンを貼る、などの配慮が大事です。「カーボンニュートラル」の実現には、移動は車を控えて、公共交通機関や自転車を使うことが求められています。これは誰しもができる小さな行動です。

【風物詩】その一 コロニアルスタイル

Last Updated on 2023年7月13日 by 成田滋

地も空も焼きつくすような凄まじい酷暑のあとに、一夜の小雨がやってきて、八王子の街も急に秋の気配に包まれたようです。時おり吹きすぎる風がいやに涼しく、萎れたキュウリの葉がピンともとどおりになりました。今朝はもう昨日までの夏の陽ざしではありません。梅雨がまだ明けないというのに、妙におかしな天気です。39度を記録したとか。

隣り近所からは、改築か新築らしいのか、柱を組み合わせる小槌の音が響きます。木材の音は、金属音と違い心地よいものです。夏は涼しく、冬は暖かいのが木造の家です。今住んでいマンションは、日蔭の側でも、壁を手でさわると生暖かいのです。すっかり暖まっているのはコンクリートのせいです。

木造の家のことです。長男夫婦はボストンの郊外で築後80年になろうかという家に住んでいます。二人の息子は大学生となり家にはいません。彼らの家はコロニアル・スタイルという17~18世紀にイギリスの植民地のアメリカで発達した建築や工芸の様式です。建物は正面にポーチがつき、大きな窓やベランダがあるのが特徴です。コロニアルとは植民地という意味です。

ボストン郊外の長男宅

数年前に訪ねたとき、丁度断熱材をいれる工事をやっていました。私は二階の寝室の壁に新しい断熱材をいれるを手伝いました。古い材料をかたづけるのも厄介でした。長男はホームセンターで大工に指示された材料を買ってきます。木材はシロアリ対策のためにすべて防腐剤が施されているとのこと。防腐剤は有害なので、勝手に燃やしたりすることは禁止されているようです。大工は、大事な箇所を受け持ち、その他は長男が自分で受け持つという、いわばDIY (Do It Yourself)を地で行くような工事です。

あとで聞いたことですが、長男は息子たちとでガレージの大きなドアを付け替えたというのです。ドアの開閉は、車内からコントローラーで操作します。こんな工事まで自分たちでやるのは、アメリカはでは決して珍しいことではないようです。