囲碁にまつわる言葉 その26 【爛柯】

Last Updated on 2021年10月29日 by 成田滋

「親の死に目に会えない」といって碁を打つ人に反省を促す言葉があります。碁打ちは時の経過を忘れがちで、囲碁愛好者なら誰でも身に覚えがあることです。今は、時計を使って「長考」を止めさせる工夫をしています。アマの3対局は一時間以内で終わらせたいものです。「爛」とは腐る、「柯」とは斧の柄のことです。

—–【爛柯】——–
【爛柯】とは、囲碁に没頭してしまい時間の経過を忘れるという用語です。中国南朝の梁王朝時代に作られた「述異記」というに載っている物語からの話です。「述異記」は、梁王朝の任昉が撰したとされる山川等地理に関する異聞や、珍しい動植物に関する話などを多く集めた小説といわれます。

あるとき、王質という木こりが洞窟の中で、童子たちが集まって、碁を打ちながら歌をうたっているのを見つけます。木こりがその歌に聴き入っていると、子どもたちはナツメの種のようなものをくれます。それを食べた後は、飢えをまったく感じません。しばらくたって、ふと「斧の柯を視みれば、爛尽す(手に持った斧の柄を見てみると、腐ってぼろぼろになっていた)」。びっくりして自分の村に戻ってみると、何十年かが過ぎ去っていて、知り合いはすべて亡くなっていたということです。こうした時間の喪失感というテーマは、浦島太郎でも使われています。

囲碁にまつわる言葉 その25 【方円】

Last Updated on 2021年10月28日 by 成田滋

「水は方円の器に従う」という諺があります。水は容器の形によってどんな形にでもなります。器とは、環境とか周囲の状況のことで、水は人を指し、人は交友や環境次第で善にも悪にも感化されるという喩えです。

—–【方円】——–

百舌鳥耳原中陵(仁徳天皇陵)


[方円]という用語は本来は、古代中国で世界観を示す言葉だったといわれます。我が国でも各地に古墳時代の天皇の墓である「前方後円墳」があり、世界観上での調和を表す形とされてきました。正方形の碁盤と円形の碁石から囲碁の別称にも用いられるようになります。四角い盤上で丸い碁石で戦うゲームを「方円」と洒落たわけです。世界観といえば宇宙流という武宮正樹九段が愛用した布石があります。あまり地にこだわらず厚く打ち、攻めを重視し中央を目指す戦術です。

囲碁にまつわる言葉 その24 【烏鷺】

Last Updated on 2021年10月27日 by 成田滋

平成21年の碁楽連だより209号に、同会員の三浦隆郎氏が「囲碁の別称」という随筆を投稿しています。「囲碁」の別称はいくつかあります。「烏鷺(うろ)」、「手談(しゅだん)」「方円(ほうえん)」「坐隠(ざいん)」といった言葉です。囲碁をして、故事来歴や伝説に由来するものから形(デザイン)をあらわすものを指します。

2012年に白泉社から発行された囲碁漫画「星空のカラス」全8巻に囲碁が大好きな13歳の少女、烏丸和歌が登場します。プロ棋士だった祖父から碁を教わり、年齢も性別も関係なく人とつながれる碁の楽しさを知ります。そんなある日、若手天才棋士の鷺坂総司に出会います。鷺坂の全身を傾ける対局に感銘を受けた和歌は、自分もプロ棋士になることを決意します。2人の主人公の名前は囲碁を意味する「烏鷺」から由来しています。

天才棋士の鷺坂総司

—–【烏鷺】——–
烏鷺(うろ)とは、囲碁の別称で、黒石と白石を烏と鷺に例えたものです。碁の対局は「烏鷺の争い」ともいわれます。「烏鷺」とは、「カラス」と「サギ」のことです。カラスは黒色を象徴し、サギは白色を象徴する鳥なので、「烏鷺」という言葉に用いられています。「烏鷺の争い」は「囲碁で勝負をすること」という意味の諺です。「烏鷺」は、単に「黒色と白色」を表す言葉としても用いられます。

囲碁にまつわる言葉 その23 【武士道】

Last Updated on 2021年10月26日 by 成田滋

碁老連初代会長の熊崎正一氏は、囲碁の位置づけに関して「国の認識を”ゲーム、娯楽”から”伝統的文化”へと修正させよう」と奮闘されます。囲碁は他の娯楽と違って武士道に通じており、その普及は道徳の普及でもあるという主張です。1899年にニューヨークで英文の「Bushido:The Soul of Japan」が出版されます。原題は『武士道』といい、新渡戸稲造が武士道を論じた書物です。西洋の騎士道に対比させ、武士道を西洋の騎士道にも匹敵する高潔な精神と主張しています。

佐賀藩鍋島家の家臣・山本常朝が口述した『葉隠』には、「武士道とは死の教えである」とあります。死の強要ではなく、死の覚悟を不断に持することによって、生死を超えた「自由」の境地に到達する精神というように解釈されています。さらに「奉公の至極の忠節は、主に諫言して国家を治むること」ともあります。主君が誤った方向に進んでいるならば、主君を諫めることが大事だというのです。藩主に仕える者の心構えのことです。これはかなり思い切った主張といえそうです。

新渡戸稲造夫妻

—–【武士道】——–
囲碁は昔から武士の間で嗜まれ、強い人を集めて城で碁を打っていたようです。平時にはたっぷりと時間があったからでしょう。武士は美徳を大事にし、行動の道徳性が尊敬されていました。「敵に塩を送る」という逸話ですが、敵の弱みにつけこまないで、逆にその苦境から救うことも武士道の例といえましょう。

もともと囲碁は、伝統的文化として定着したはずですが、武士道とか道徳という精神性は、戦後の改革によって「娯楽」に追いやられます。そのことは、総務省が発行しているの「日本標準産業分類」をみると理解できます。この分類の大項目に「娯楽業」があり、その下部に「遊技場」という中項目があり、その中に、ビリヤード、マージャンクラブ、パチンコホール、ゲームセンターに交じって「囲碁・将棋所」が配置されています。

囲碁にまつわる言葉 その22 【長考】

Last Updated on 2021年10月25日 by 成田滋

碁の大会では時計を使い、大会を円滑に進めようとします。時計のお陰で高段者同士でも一局一時間くらいで終わります。長考するのは次のような状態の時です。
1. 局面で次の一手がわからない時
2. 次の一手でそのあとの展開が全く異なるため迷っている時
3. 有利になりそうになり、読み切ろうとしている時
4. 不利を意識し対応に苦慮している時

1の場合は、良い手を打つのはあまり期待できません。2~4も同様で、着手そのものは平凡なことになりがちです。素晴らしい手は、割合短時間で瞬間的に閃く傾向にあります。棋士は、素晴らしい手を見つけようとして長考するとはいえないようです。

—–【長考】——–
最善手を模索するためにできるだけ多くの選択肢を考慮する様です。「長考に耽る」「長考に沈む」などの姿です。思考型のゲームにおいては、ゲームの目的に適った行為です。トランプや麻雀ではこのようなことはありません。「長考」とは「読み」とも呼ばれ、何手や何十手先の着手を考える行為です。どのような選択肢によって、どのような結果になるかを考える行為です。名人による長考がときに伝説となることがあります。

他方、「長考に耽る」のは、事前に相手の出方を予想できていなかったためともいえる姿ともいえます。「長考」は実際には、迷いに費やす時間のほうが圧倒的に多いのです。この場合は、「長考」は窮余の策に過ぎず、けっして胸を張れる行為ではありません。慣用句に「下手の考え、休むに似たり」と揶揄する言い方もあります。時間を浪費するだけで、なんの効果もないく、相手が考え続けることあざける言い方です。

囲碁にまつわる言葉 その21 【駄目】

Last Updated on 2021年10月22日 by 成田滋

今回は【駄目】の考証です。その前に【駄】という漢字についてです。広辞苑によりますと、「乗馬にならぬよくない馬」など、「名詞に冠して粗悪の意をあらわす」とあります。子どもの持つ小銭程度で買える菓子が駄菓子、質の低い馬が駄馬、出来の良くない作品は駄作、洒落にならないような表現は駄洒落など、不出来というのが共通点のようです。

—–【駄目】——–

駄目な箇所


「価値がない」の意の「ダメ」は、囲碁用語から転じたものといわれます。漢字では「駄目」囲碁で、多くの場合、カタカナ表記を使います。「ダメ」は石の周囲または相手の地との境界にあって、双方の地に属さない空点で、ここに石を打っても地は増えません。終局後、相手と交互に石を埋めあいます。地になりそうにない実質のない着点を「ダメ場」と呼びます。

「ダメ」はその他に、不可能なこと、何の役にも立たないこと、してはいけないこと、等の意味があります。「駄目を出す」は、注文を出すとか、仕事のやり直しを命じることです。「駄目を押す」は、くどくどと念を押すことです。

囲碁にまつわる言葉 その20 【純碁】

Last Updated on 2021年10月21日 by 成田滋

碁もいろいろな楽しみ方があります。九路盤、十三路盤、そして正式な十九路盤での対局です。そして、純碁という碁の楽しみです。純碁はなんと盤面に置かれた石の数で勝敗を決めます。眼の数ではありません。ただし基本ルールは囲碁と同じです。石が取られないように着手禁止点を2つ残しておく必要があります。離れた所に眼を二つ作ることです。

—–【純碁】——–

純碁の終局図


純碁とは、石埋め碁とも呼ばれ、囲碁の入門用としてプロ棋士の王銘琬が提唱し囲碁のルールを母体としたゲームです。囲碁のゲーム性を保ったままルールを簡明化したものであり、これから囲碁を覚えようとする者がより理解しやすいものとなっています。最初のぶつかり合いが、勝敗を決めます。最終的に、二眼を作ることが肝要です。陣地の境界を自分に有利になるように決めます。

純碁のルール
基本的なルールは通常の囲碁に準じますが、次に挙げるような違いがあります。
石の数を競う
通常の囲碁では、それぞれ地の大きさからアゲハマを引いた目数を比較して勝負を決めますが、純碁では、最終的に盤上に置かれている石の数だけを比べます。盤上の石が置かれていない空所や、アゲハマの数は勝負の判定材料にはなりません。
地の概念がない
終局時、盤上の空所は勝負に直接関係しません。そのため通常の囲碁とは異なり地をいくら囲っていてもそれだけでは点数にはなりません。点数にするためには、通常の囲碁で言う自分の地を埋めていく作業をします。
死活の判定がない
死んでいる相手の石は、終局前に明示的に打ち上げます。終局時に盤上に残っている石は、どのような形であれ点数に数えられます。純碁の勝負の結果は、大抵の場合、通常の囲碁に切り賃のルールをつけた場合の結果とほぼ一致する。

囲碁にまつわる言葉 その19 【碁所】

Last Updated on 2021年10月20日 by 成田滋

現在、八王子に数カ所の碁会所があります。2000年代ごろからはネット碁の普及が進み、碁会所に行かず対局相手を探すことが容易になりました。碁会所にとっては厳しいライバルとなっています。店主は席亭と呼ばれ、来客者の棋力の認定とマッチメイキングが主たる仕事です。2010年ごろには「囲碁ガール」という言葉も生まれ、女性向きの雰囲気の碁会所や、囲碁喫茶・囲碁カフェなどもできてきました。多様な碁会所の在り方が模索されています。2008年には、フリーペーパー「碁的」という囲碁ガールのための無料の雑誌が刊行されます。囲碁のお堅いイメージを避け、「囲碁メン 恋の徹底攻略」「碁クササイズ」といった女性ファッション誌のような内容となっています。

—–【碁所】——–
碁所(ごどころ)のいわれは、1588年に豊臣秀吉が時の第一人者であり名人の呼称を許されていた本因坊算砂に20石20人扶持を支給したことに始まるといわれます。役職となって碁打が召し抱えられるのです。徳川家康が囲碁を愛好したことなどから、江戸幕府でも役職の一つとされて、寺社奉行の管轄下で、その職務は御城碁の管理、全国の囲碁棋士の総轄などといわれました。1668年に幕府により安井算知を碁所に任命したのが始まりといわれます。各藩においても、碁技により禄を受けた者を碁所と呼ぶこともあったようです。

本因坊記念館

碁所の定員は1名で50石20人扶持をもらっていました。囲碁家元である本因坊家、井上家、安井家、林家の四家より選ばれ、就任するためには名人の技量を持っていることでした。各家元はこの碁所の地位をめぐって争碁、政治工作などを展開します。水戸藩主徳川斉昭、老中松平康任、寺社奉行なども巻きこんだ本因坊丈和、井上幻庵因碩による抗争は有名であり、「天保の暗闘」として知られています。

日本の政治家の中にも碁を好んでいる人がいます。民主党代表の小沢一郎とか、亡くなりましたが自民党の与謝野馨が有名です。二人は長年の碁敵で対局はしばしば行われたようで、対局直後に自民党と民主党の大連立構想が持ち上がったといわれます。2011年の菅第二次改造内閣では与謝野は、内閣府特命担当大臣〔経済財政政策、少子化対策、男女共同参画〕に就任します。野党議員と碁を打って対立色をほどき、互いに無理をのみ合うことがよくあったようです。

囲碁にまつわる言葉 その18 【御城碁】

Last Updated on 2021年10月18日 by 成田滋

「ボケ防止のための啓発囲碁大会」は後に「活きいき囲碁大会」に改名されます。ボケ防止大会は4月より毎週のように、寿同好会の持ち回りで開かれます。さぞかし、参加申し込みの受付や対戦組み合わせなどで忙しかったろうと察します。それ以上に大会会場に碁盤や碁石を運ぶ手間も大変だったはずです。八王子市、八王子教育委員会、日本棋院の他に、町会総連合会、住民協議会などの後援を得て大会を開いています。この後援を得る努力にも敬服します。

京都、寂光寺

—–【御城碁】——–
江戸時代に囲碁の家元四家の棋士により、徳川将軍の御前にて行われた対局が「碁城碁」です。寛永3年とありますから1626年頃に始まり、毎年1回、2、3局が打たれ、1864年に中止となるまでの230年余りに渡って続いた御前対局です。御城碁に出仕することは、家元の代表としてであり、当時の棋士にとって最も真剣な対局でありました。また碁によって禄を受けている本因坊家、井上家、安井家、林家の家元四家にとっては、碁の技量を将軍に披露することの意味もあり、寺社奉行の呼び出しによる形式で行われたようです。実際に将軍が必ず観戦したかどうかは分かりませんが、老中などが列席したこともあったようです。

御城碁は数日に及び、対局者は外出を禁じられました。外出によって仲間による対局の検討がなされるのを避けるためです。その後「碁打ちは親の死に目に会えない」という言葉が生まれたといわれます。徳川家康も碁を好み、文禄から慶長にかけて京都や周辺の碁打ちや将棋指しをしばしば招くようになったようです。また時に御所である禁裏に出掛けることもあったという記録があります。

日海–本因坊算砂

本因坊秀策は「碁聖」の名でも知られていますが、「碁聖」と呼ばれる棋士がもう一人います。第四世本因坊道策がその人です。段位制やを整え、優秀な弟子を数多く育てるなど、元禄時代の囲碁の興隆を支えたといわれます。

囲碁にまつわる言葉 その17 【寝浜】

Last Updated on 2021年10月15日 by 成田滋

八王子が輩出したアマチュア棋士の三浦浩氏は、日本アマチュア本因坊決定戦全国大会で最初の優勝を果たします。昭和46年の17回大会でした。この大会の特徴は選手の年齢が大幅に若くなったことで、前回の16回大会では37.5歳、17回大会は30.8歳というそれまでにない若々しい大会だったといわれます。24歳という少壮気鋭の三浦氏が初出場で初優勝という栄冠を獲得します。そして、平成11年の第45回同アマ本因坊決定戦で5度目の優勝を飾ったとき、25歳の対戦相手をして「昔の自分を見るようでした、若さの勢いを感じました」と対局を振り返っています。五強といわれた村上文祥、平田博則、菊池康郎さんらを破っての優勝です。

—–【寝浜】——–
戦国武将が碁を好んだことは知られています。武田信玄は大の囲碁好きだった記録があります。信玄の配下には優れた武将が多かったことで知られています。武田四天王の一人高坂晶信、またの名を弾正も碁に強かったようです。『囲碁百科辞典』の囲碁年表に、「長遠寺に於いて、武田信玄、高坂弾正と対局す」とあります。高坂昌信は、しばしば信玄の相手をしたようです。その棋譜が残っています。

信玄の死により家督を相続したのが武田勝頼です。勝頼は、強硬策を貫き領国拡大方針を継承しますが、1575年の長篠の戦いにおいて織田・徳川連合軍に敗退します。その戦では、騎馬隊という特殊な兵力を持つ武田軍を信長の鉄砲隊という新たな兵力で打ち破ったといわれます。鉄砲隊が騎馬隊に勝ったとする図式をして、勝頼は、「碁に寝浜(ねばま)をして勝ちたるに同じ」と慨嘆したというのです。
 
「寝浜」とは、囲碁で打ち始める前に、相手の石を隠し持って、作り碁の時に出す悪質な行為を指します。信長の鉄砲隊を「寝浜」であると揶揄するのですが、負けは負けです。「甲陽軍鑑」という信玄と勝頼の2代にわたる武士道、治績,合戦,戦術,刑法等が記された書籍があります。高坂弾正昌信の遺記を基に、後の人々が編纂したらしいです。この中に「寝浜」がでてくるようです。

囲碁にまつわる言葉 その16 【真田昌幸】

Last Updated on 2021年10月14日 by 成田滋

平成3年碁老連囲碁大会では、「参加申し込み者は135名に過ぎなかった」とあります。当初は150名から160名を期待していたようです。今の八碁連の大会の参加者数からすればたいした参加者数です。「碁老連顧問会」とか「碁老連研修会」が開かれています。特に、研修会は技術指導員の資質と力量を高めるのが趣旨だったようです。

—–【真田昌幸】——– 

   真田昌幸


戦国武将は好んで囲碁をたしなんでいたことが記録されています。戦に備えて碁を打ち、英気を養い作戦を考えていたに違いありません。真田昌幸のその一人です。NHK大河ドラマ「真田丸」では昌幸の息子、信繁(幸村)が主人公でした。この二人の囲碁対局のシーンがよく登場したのは記憶に新しいところです。

真田昌幸は、「第一級の武将」「理性に富んだ武将」と讃えられることが多く、戦では「勝つ戦略よりも負けない戦略」を信条としたと伝えられています。策略に長けていたともいわれます。昌幸は、元々は武田信玄の側仕えである近習の一人です。昌幸には信繁の他に信之という息子がいました。関ケ原での合戦が近くなると、東軍につくか西軍につくかを選ぶ時、真田の家を絶やさぬため、信之には徳川方、信繁には豊臣方につくようにさせたという逸話があります。犬伏の地で行われたので「犬伏の別れ」といわれています。

囲碁にまつわる言葉 その15 【大局観】

Last Updated on 2021年10月13日 by 成田滋

碁老連だよりには、「ボケ防止のための囲碁大会」のための八王子全市の町会、団地自治会、及び老人会などに回覧用チラシ約13,000枚を配付して啓発運動を展開したとあります。特に級位者の参加者が非常に少なかったので、その対策を考えていたようです。本来なら、囲碁人口としては一番多いはずなのは級位者の人たちです。しかし、級位者は碁を打つ機会がなかったようです。その理由を、会長の熊沢正一氏は次ぎのように述べています。
1 現在、町会や団地内の囲碁部では参加者が有段者中心となっており、このクラスになると敬遠されるようだ
2 町会や団地内で碁を打っていても、若い人たちはどんどん昇格するが老人は取り残されてしまいがちなので、厭になってやめてしまう者が多い
3 以前は各地で老人同好者が集まり、碁会を開いていたようだが、最近ではゲートボールに走る者が多い
4 勤務先の職場で碁を打っていた人たちは、退職後、教授値では碁の相手がみつからない
5 碁会所では、級位者は相手に選ばれないので、気落ちしてしまい永続しない

以上のような分析は、今の八王子囲碁連盟の現状にもあてはまります。

大局観

—–【大局観】——– 
囲碁、将棋、チェスなどのボードゲームで、的確な形勢判断を行う能力が大局観です。部分的なことに囚われずに全局的な視点から判断するということです。囲碁は他のゲームに比べて大局観で次の一手を決める割合が高いのです。常に全体を見て総合的に判断できる人が囲碁の強い人といわれます。

大局観を育てるためには、5つの要諦があるといわれます。1つは、方針となる理念・信条を確認すること、2つには、方向を示す具体的目標であるビジョンを描くこと、3つには、ビジョン達成の行く手を阻む変化を適確に予見し、精査すること、4つには、目標達成のために必要な戦略を練り上げていくこと、そして5つには、状況によってシナリオからはずれた場合、何らかの対応策を用意すること、といわれます。

大局観を育てるには、「鳥の目」、「魚の目」、「虫の目」といわれる3つの目をも持つことだともいわれます。鳥の目とは、高所から広い範囲を見渡すこと、すなわち「鳥瞰」することです。マクロな視点ともいわれます。次ぎに魚の目というのは、物事の流れや変化といった「動き」を捉える視点のことです。虫の目とは、細部に注目するミクロな視点でみる、ということです。物事の全体を見るという用語に「俯瞰する」とか「俯瞰像」がありあます。大局観と同義です。英語で大局観は「perspective、strategy 、tactics」ということになります。

囲碁にまつわる言葉 その14 【檀那】

Last Updated on 2021年10月11日 by 成田滋

八碁連の前身、碁老連のニュースレターでは、なかなか興味のある話題を提供しています。「ボケ防止のための啓発囲碁大会」の開催に関する町内会に配付するチラシには、申し込み段級位について、「通常使用している段級位を原則とする」としていました。「大会用として特別な段級位で申し込みをした場合、異議の申し立てがあったときは失格となりうる」とも記載しています。この措置は、過去の各種大会において段級位を下げて参加するという悪弊を排除し、正常な大会として運営するためとしています。段級位を下げると優勝する可能性が高くなるのです。

それにも関わらず、このような悪習が毎回見られ、参加者間に「またか、という軽侮の念が広がり、大会の雰囲気を味気ないものにした」ようです。「嘘をついてまで勝ちたいのだろうか」と慨嘆しています。極端に段級位を下げて申し込まれた人に対しては事前に「参加拒否」として連絡したようです。

—–【檀那】——– 
「布施」を意味するサンスクリット語(Sanskrit)(梵語)の「dana」から由来したのが、「檀那」又は旦那です。サンスクリット語はインドの公用語の1つで文学、哲学、学術、宗教などの分野で使われています。「dana」とは「執着を捨てて、金品を与えたり、施したりする行為」である財施を意味します。

江戸時代になると賭碁を生業とする者が現れます。賭碁で稼がせてくれる人は「檀那」と呼ばれました。檀那碁という用語があります。これは、ふだんは勝っても、賭碁になると負ける碁のことです。金品を賭けて打つ碁のことです。囲碁で賭けが行われるのも古来から行われていました。江戸時代の賭碁師の中では、享保・文政期に三千両を稼いだと言われる淡路出身の「阿波の米蔵」が知られています。

囲碁にまつわる言葉 その13 【タケフ】

Last Updated on 2021年10月8日 by 成田滋

大会開催を案内すると、次のような質問が寄せられます。それに対して碁老連会長だった熊崎正一氏は次のように答えています。

質問1:「碁会所では初段(免状所持)で打っているが、同好会では二段で加入していおります。大会申し込みは初段でよろしいでしょうか」
熊崎会長:会員ですから当然二段で参加して頂きます。初段での参加は認められません。
質問2「現在碁会所では2級でうっているが、会社の囲碁部では日本棋院より初段の免状を頂戴しております。大会ではどちらで参加したらよいでしょうか。」
熊崎会長:どちらでも結構です。ご自分の判断で決めて下さい。
熊崎会長:以上のような照会は、同好会に加入された場合、数多く見られる現象ですが、老人の集まりですから「勝負にこだわらないで、碁を楽しむことに重点をおいてください」と申し上げております。
熊崎会長:碁老連関係の会員は、町の囲碁界より段位が甘いようです。それは、若い人たちと張り合っても所詮無理な話で,老人は老人同士、気楽にやりましょうという環境がそうさせているのでしょう。

—–【タケフ】——–
石を分断する手筋に「出切り」があります。相手の石を連結させない手です。それを防ぐのが【タケフ】です。漢字では「竹節」、中国では双関となります。連結した二子が平行に並んでいる形で、確実な連絡形として用いられます。出切りを防ぐのです。形が竹の節に似ていることから「竹節」となりました。

囲碁にまつわる言葉 その12 【筋】

Last Updated on 2021年10月7日 by 成田滋

平成3年になると碁老連にはいくつかの試練がやってくるようです。1つ目は、市民センターの対局が20名が限度で、会員数が30名位が限度であるという状況です。そのため会員募集をやめた同好会がでてきたことです。2つ目は2つの同好会でトラブルが生じ、規約が厳しすぎて感情的な行き違いが生じ、全員退会という憂き目にあったようです。

同年4月に開かれた「ボケ防止のための啓発囲碁大会」は大和田寿同好会が主催となります。「丁度地方議員選挙日と重なったためか12名の棄権者を数え、散々な状態だった」という会長の談話が掲載されています。「元八寿同好会主催の大会は5月5日に開かれ、会員の10名が棄権し、会員以外の参加も少なく、予想外の最悪状態となった」という述懐に似たコメントも投稿されています。主催者としては、予想外の結果になるとなんとも言えぬ気分になります。

黒が一間にとんで割り込むのが手筋

—–【筋】——–
「石の働きが能率よくムダがないように打つには、筋(すじ)に石がいかなくてはならない」といわれます。筋とは、急所のことです。形は守りの急所であるのに対して、筋は攻めの急所と言い換えることができます。碁では、味方の石同士が盤上の線を通じて、どのように連携を取っているのかを考えていきます。ということは、相手の石の連携を、どのようにして断つのかという戦術にもつながります。

味方の石同士が盤上の線で連携をとっている状況が筋です。こうしたときの着手点が「手筋」です。手筋をおおまかに分類しますと、連絡の手筋と石を取る手筋があります。「筋が悪い」とは、味方の石同士の連結が不十分な手を打つこと、相手に石の連絡を絶たれそうな着手のことを指します。手筋は英語では「 a clever move」といいます。

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囲碁にまつわる言葉 その11 【呼吸点】

Last Updated on 2021年10月6日 by 成田滋

かつてウィスコンシン大学(University of Wisconsin-Madison)で研究していたとき、メモリアルホール(Memorial Hall)という学生会館の片隅で中国系か韓国系の院生が碁盤を囲んで対局していたのを覚えています。私は貧乏院生でしたので、碁を勉強するゆとりと時間はありませんでした。碁を学ぶ機会を失ったのですが、学位はなんとか貰い帰国して、国立特別支援教育総合研究所に職を見つけることができました。このとき、かつての宣教師でスタンフォード(Stanford)日本人会の会員の紹介で研究職を見つけられたことは幸運でした。

呼吸点の数は石が3つ並んだほうが多い

—–【呼吸点】——–
碁で大事なことは、「石の強弱の見分け方」といわれます。それを示すのが呼吸点がいくつあるかです。呼吸点とは、ある石に隣接した空点のこと、又は逃げ道のことです。逃げ道の少ない石や、眼のない石のことを弱い石と呼びます。反対に呼吸点の多い石や二眼以上ある石は強い石となります。

ただ、呼吸点よりも大事なのが「根拠」とか「眼」です。囲まれた石には逃げ道はありません。呼吸点が塞がれた状態です。周りが強くなるとその中で生きることを考えなければなりません。このような状況では、形勢はただならぬと考えられます。

囲碁にまつわる言葉 その10 【相場】

Last Updated on 2021年10月5日 by 成田滋

現在の八王子囲碁連盟の前身は「碁老連」と「碁楽連」です。平成元年に名称が変わったのです。実は、その前に八王子囲碁連盟は存在していました。昭和45年に元の「八王子囲碁連盟」が結成されたのです。この連盟は、日本棋院八王子支部、同東部支部から成り、その後高尾支部と元八支部が加入します。しかし、会員の高齢化や減少によって運営が困難になり、すでに結成されていた碁楽連と平成19年に合併し、「八王子囲碁連盟」は無くなります。

お互いにいい分かれ

—–【相場】——–
【相場】とは、ある物事についての世間一般の考え方や評価、または世間並みと認められる程度のことです。互いに納得できることです。

精選版 日本国語大辞典には、興味ある説明があります。室町時代の中頃より、売買の仲立ちをする商人である「牙儈(すあい)」が出現するようになり、仲介者が取り決めた価格によって売買が行なわれることが多くなります。「牙儈」とは、物品売買の仲介を業とする者や、その仲介料を指します。牙儈の価格はもともと「すあい」の集合する場、すなわち「すあい場」で成り立っていたところから次第に協定価格そのものを意味するようになります。やがて転化して「あい場」というようになり、それに「相場」の文字をあてたところから「そうば」の語が生じたという説です。

囲碁にまつわる言葉 その9 【結局】

Last Updated on 2021年10月4日 by 成田滋

碁老連の相談役として三浦浩氏が活躍されます。「八王子に生まれ、八王子で育ち、八王子で住んでいた」八王子の囲碁界にとって忘れられない存在です。日本アマチュア本因坊決定戦全国大会での最初の優勝は1971年の17回大会です。この大会の特徴は選手の年齢が大幅に若くなったことで、前回の16回大会では37.5歳、17回大会は30.8歳というそれまでにない若々しい大会だったといわれます。24歳という少壮気鋭の三浦氏が初出場で初優勝という栄冠を獲得します。そして、1999年の第45回同アマ本因坊決定戦で5度目の優勝を飾ったとき、25歳の対戦相手をして「昔の自分を見るようでした、若さの勢いを感じました」と対局を振り返っています。

五強といわれた村上文祥、平田博則、菊池康郎氏らを破っての優勝です。その後、アマ六強といわれるようになります。2014年9月29日、享年68歳でお亡くなりになります。八王子の囲碁界にとって誠に惜しまれる逸材です。この大会後のコメントが振るっています。
 ・三浦浩氏:「相手が石音大きく着手してきたら、それにつられないで、そっと石を置くのも冷静な気合いだ」

—–【結局】——–
碁の対局で一局打ち終わるとか、ひと勝負が終わることが「結局」です。終局ともいいます。「結」は物事のしめくくりのこと。「吉」には「引き締まる」様子を表現しています。「糸」を組み合わせて「糸をしっかりと引き締める→繋ぎ合わせる」ということです。「努力が実をむすぶ」という意味につながります。「局」は勝負や回数という意味で、転じて物事のなりゆきや様子のことです。

囲碁にまつわる言葉 その8 【根拠】

Last Updated on 2021年10月1日 by 成田滋

平成2年9月に開かれたNTT主催の碁老連敬老囲碁大会は、参加者がおよそ100名という盛況ぶりだったようです。その年、世界アマ選手権日本代表となった三浦浩氏による大盤解説が大好評だったとあります。

NTT囲碁全国大会には、碁老連から10名の観戦招待者が参加されます。NTTは、まだまだ羽振りが良かったようです。この頃から、「ボケ防止のための啓発囲碁大会」から日本棋院や八王子市の後援を得ていきます。当時の碁老連と現在の八碁連会員の名簿を比較しています。当時の碁老連会員は今年の八碁連会員の名簿には見当たりません。時の流れを感じます。

—–【根拠】——–
「根拠」という手は盤上最大の手になる事が多いのだそうです。生き死にかかわる手は、根拠となる手のことですから、盤上で最大の手となるのは頷けます。「根拠を持つ」ということは、単に生きることとはまた違います。「生きる」ということと「逃げる」ということを見合いにする状態が「根拠を持つ」ということです。しかし、取られなければ平気と思っていると、後々逃げ回ってしまう羽目になります。

根拠を確保した展開

スポーツならフォーム、歌なら姿勢、芸術ならイメージ力、論文ではデータが根拠にあたるものです。それらの基本があるからこそ柔軟に対応したり、論理を展開することができるのです。根拠のある強い石の例は、二間ビラキや星の形をした姿です。