女性の生き方 居眠り磐音 江戸双紙 その1 「おこん」

Last Updated on 2016年7月30日 by 成田滋

004_convert_20120115101539 old-edo c0096685_15452502個性的な登場人物が多い時代小説に「居眠り磐音 江戸双紙」があります。その物語をとおして、しがない武士や浪人、翻弄される女性 (にょしょう) 、生計 (たっき) で苦労する職人、忙しい商人らがどのように苦悩し、助け合っていくかという視点から見つめるのがこのシリーズです。いわばカウンセリングのような対話や禅問答のような言葉を通して、人々がどのように生きていくかを取り上げます。

豊後関前藩の中老、坂崎正睦の嫡男、磐音が主人公です。江戸勤番中に佐々木玲圓道場にて直心影流を習得します。関前藩に同士と戻るのですが藩内の陰謀に巻き込まれ、かけがえのない仲間たちを一夜にして失います。上意とはいえ、許嫁、小林奈緒の兄を殺めてしまった磐音は、失意のうちに江戸に戻り、浪人として深川六間堀で長屋暮らしを始めるのです。鰻屋でうなぎ割きや両替屋の今津屋で用心棒などをしその日の生計をたてます。

奈緖の家も政争によって廃絶し、父親の病気のために奈緖は自ら遊里に投じ、各地の女郎屋を転々とし、やがて江戸の吉原で白鶴大夫という名の花魁となります。その後、奈緖は山形の紅花問屋、前田屋内蔵助に落籍(ひか)され嫁いでいきます。奈緖らが山形への旅の途中、襲ってくる輩を磐音は密かに成敗して別れを告げます。全くの別世界で生きる奈緖の幸せを祈りながら、磐音は剣術に生きることを決意します。

磐音の剣の腕には師匠の佐々木玲圓も一目を置きます。剣の構えを見て「まるで春先の縁側日向ぼっこをして居眠りをする年寄り猫」と形容します。その仕草が居眠り剣法と呼ばれていきます。礼儀正しく礼節を重んじ、穢れのない人格、人情に厚く金銭に執着しない穏やかな生き方に周りの者が惹き付けられていきます。

今津屋の女衆として奉公するおこんは、ちゃきちゃきの江戸っ子娘。その美貌は「今小町」と呼ばれます。そして、おこんは密かに磐音に懸想するのです。さてその顛末は次回より始まります。

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二文字熟語と取り組む その56  「嚆矢」

Last Updated on 2016年7月29日 by 成田滋

ca0d73a117cd0eb2fa252017663469e6 嚆矢 時代小説に登場する二文字熟語で難語を取り上げております。今回は「嚆矢」です。「嚆矢」とは鏑矢(かぶらや)、もう一つ大事なことは物事のはじめという意です。

昔、中国では戦闘開始のとき鏑矢を敵に射たといわれます。矢に鏑をつけその先に雁股をつけたのです。敵方と味方に「これから戦闘を開始するぞ、」という合図で放たれるのが鏑矢。武器ではありません。

鏑矢は、飛ぶとき鏑の孔に風が入ってヒュッと響きを発するのだそうです。「嚆」とは、大声をあげるとか叫ぶという意味もあります。

「嚆矢」は人が発見したり発明する画期的なことの始まりという意です。それも時代を変えるような新しいことです。同義語として「起源」がありますが、こちらは自然発生的な始まりを示す語です。「嚆矢」は人間の創作による始まりということです。

56回にわたって二文字熟語を話題として取り上げてきました。ここらでネタが切れました(;_;。暫くお休みといたします。明日からは別な話題でお届けします。

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二文字熟語と取り組む その55  「細作」

Last Updated on 2025年1月3日 by 成田滋

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以前、兵庫教育大学の同窓生に案内してもらい、息子夫婦と孫達とで伊賀流忍者博物館を訪ねたことがあります。博物館は三重県の伊賀市にあります。孫はそこで忍者の服装をして館の内外を歩き回りました。忍者屋敷は茅葺きの農家ですが、あちこちに仕掛けがほどこされています。例えばもの隠し、ドンデン返し、仕掛け戸などです。敷地内では女忍者の「くノ一」が説明してくれます。アメリカでもPokemonと同様に「Ninja」は根強い人気があります。

さて、「細作」(さいさく)とは忍者、忍びの者です。間者、間諜、密偵、探子、スパイなどとも呼ばれています。現在は、情報機関の機関員で諜報員とか工作員といわれます。ジェームス・ボンド(James Bond) もそうです。忍者は我が国の呼び方といわれます。中国は三国時代の呉では「間」といい、戦国春秋の時代には「諜」といい、それ以降は「細作」とか「遊偵」等と呼ばれてきたといわれます。

謀略戦術は古今東西を問わず重要な兵法です。武田信玄や北条早雲、毛利元就、織田信長、徳川家康などがその戦略を用いたといわれます。間諜とか忍者は各地で跳梁していたようです。伊賀、甲賀、雑賀、根来などの間諜集団です。

1582年に起きた「本能寺の変」のあと、堺にいた徳川家康を護衛して伊勢から三河に抜ける伊賀越えを助けたのが伊賀衆や甲賀衆です。彼らはその功績によって幕府に召抱えられるようになります。それが服部正成で、通称「半蔵」と呼ばれました。半蔵の部下であった与力や伊賀同心が江戸城の一角に組屋敷を構えます。今も「半蔵門」が残っています。半蔵門から始まる甲州街道は四谷から新宿、府中、八王子、そして甲府へと続いています。今の麹町一丁目付近です。

間の字に「隔てる」という読み方があります。忍術には役割として敵の君臣らを割くことや、隣国の君主と和合の間を隔てて遮り、援兵のないように工作することもあります。今放送中の「真田丸」にも間諜が活躍しています。情報合戦はドラマの見所の一つです。

二文字熟語と取り組む その54  「昵懇」

Last Updated on 2016年7月27日 by 成田滋

005VvsWFjw8eo22xl4shyj30bp0bpt95 54f90f34585d9d888bc7d096597b3207 photo_3私たちは、多くの人々との付き合いで生かされています。その中でも特に親しくしている人がいるはずです。その付き合いの状態を「昵懇」と呼ぶことができます。間柄が親しいこと、心安くしていること、また,そのさまのことです。

「昵」の訓読みとして、大辞林によりますと、なじむ、ちかづく、なれしたしむ などとあります。さらに、ねちねちと近づき親しむ、ともあります。その他、意外な意ですが、いましめる、ただす、ととのえるともあります。

次に、「懇」の訓読みはねんごろ、です。まめましく心をこめるさま、せいいっぱい真心をこめるさまとあります。

このように「昵懇」の仲とは、時に相手を戒めたり、苦言を呈したり、助言することすること、相手もまたそれを真摯に耳を傾け、有り難く受けとめるという関係のようです。
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二文字熟語と取り組む その53  「英邁」

Last Updated on 2016年7月26日 by 成田滋

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「英」という字は、はな、はなぶさ、うるわしい、すぐれている、はなざかり、玉に似た石、人の才能などと定義されています。「性情に移してすぐれる」、「立派」というさまです。大漢和辞典によれば、英は「叡」、「穎」の代用文字とあります。叡智、英知どちらでも同じ意味です。

「邁」という語ですが、どこまでも進んでいく、どんどん過ぎ去っていく、勢いあまっていきすぎる、努める、などの意です。広辞苑では「英邁」とは、他の人に比べて才知が非常にすぐれている、心がおおらかなこととあります。「英邁闊達」、「天資英邁」などの四文字熟語も知られているところです。

「闊」とは広くゆとりのあること、堂々と歩くこと、間があいているという意です。そこから度量が広く物事にこだわらないことが「闊達」 久しく会わないことが「久闊」、注意の足りないこが「迂闊」という語が成立します。 「英邁」といわれる人は、「闊」の気心の持ち主のようです。

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二文字熟語と取り組む その52  「下問」

Last Updated on 2025年1月3日 by 成田滋

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「下問」(かもん)を広辞苑では次のように定義されています。
1 身分の高い者が目下の者に質問すること。質問する人を敬っていう語
2 他人から向けられた問いのことを自分でへりくだっていう語。

漢和大字典には「敏にして学を好み、下問を恥じず」というフレーズも辞書にあります。「下聞 」は同義語です。自分の知らないことを下々に問うことを恥じてはいけないということです。

「下」ですが「掌を伏せてその下に点を加え下方を指示し、掌の上下によって上下の関係を示す」とあります。

「門」は、二枚のとびらを閉じて、中を隠す姿の象形文字です。「問」はわからない所を知るために出入りする口などの意を示しています。神意を諮り問う意です。「問」は、問いただす、ひとをたずねる、責任や罪を問いただす、相手の様子を尋ねる手紙、評判や名声という意味もあります。後に「問答」や「問遺」、「問責」などの意などで用いられます。

上と下という漢字ですが、「一のひきようによって上になったり下になったり」という台詞が江戸の殿様を描く演目にでてきます。下々の生活を知らない殿様を笑う場面です。そして口の字の上下に一を書くのが「中」。上や下よりも中が一番良い、という噺です。

二文字熟語と取り組む その51  「懸想」

Last Updated on 2016年7月23日 by 成田滋

kesoubumi01 i_041 P1070541-d2e39「懸想」とは恋い慕うこと、思いをかけることです。どうも、男女どちらの情も示す語のようです。

「懸」という漢字の意味からです。「字通」によりますと、物がぶら下がる、物事が宙づりになったまま決着つかないさま、かけ離れる、隔たる、遠い、むなしく思うといった意とあります。そこから「懸想」とは、男女の情愛を示す語となったということです。想いが成就するかどうかは、不明であることを予感するような響きです。

「懸想文売り」というのが登場します。正月元旦から15日まで、祇園で法師姿で赤い布衣をつけ、鳥帽子をかぶり白い布で覆面し、懸想文を売り歩いたのが「犬神人」と呼ばれた下級の神官です。

江戸でも同じように正月になると辻占いの一種である「懸想文」が売りにだされました。もと花の枝につけた艶書のことです。男女が良縁を得るようにと、細い畳紙の中に米粒をいれて縁起物としたようです。今は、2月2,3日の節分に見られる行事だそうです。

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二文字熟語と取り組む その51  「挙措」

Last Updated on 2025年1月3日 by 成田滋

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「挙措」(きょそ)とは「挙止」ともいい、立ち居振る舞いという意味です。「挙」とはこぞって、ことごとくという意味の語です。多くの中から優れた者を持ち上げることが推挙。任官試験を受けることが「科挙」です。

「措」は手と昔から成ります。「置くなり。手に従ひ昔を声とす」とあり、赦すということのようです。安定するように置くという意味もあります。適切に処理するとか、着手するという意味もあります。

「挙措」は手を上げ下げするという意味から、立ち居振る舞いを意味するといわれます。本来、何気なく行っている動作のことです。

「挙措」の熟語はいろいろあります。例えば、「挙措失当」。これは対処の方法や振る舞いが間違っていることです。「失当」は適切ではないことです。「挙措を失う」とは、取り乱した行いをすること。「挙措進退」は、同じく立ち居振る舞いのこと。「進退」とは文字通り進むことと退くことという意です。「進退伺い」は聞き慣れた語です。

居眠り磐音江戸双紙の「紅花の邨」に次のような描写があります。昔の許嫁の奈緖とその旦那の苦境を聞いて助けに山形にでかけた磐音が、地元の女衆の動作を見ていいます。

「挙措が田舎くさくないのは、山形が紅花の交易で、最上川の船運と酒田港を拠点とした西廻り航路で京と深く結び付いているせいか、、、」

二文字熟語と取り組む その49 「宥恕」

Last Updated on 2025年1月3日 by 成田滋

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昨日の夕刊にあった二文字熟語のクイズ問題です。徒、綿、風、出、押に続く漢字は何か、この漢字に続くのは、弁、道、魁 という問題です。熟語を考える時のコツは、難しい漢字を使う熟語を探すことです。

私は日常あまり見かけない「魁」に目をつけました。そうです。「花魁」という語が浮かびました。正解は「花」。「出花」、「徒花」なども難しい語です。実は、「徒花」という語は知りませんでした。「あだばな」は実を結ばず散る花、物事が成就しないという意味だそうです。

さて、弁護士は時になにかの示談書で、「甲は乙を宥恕(ゆうじょ)する」と書く場合があります。許すと同じ意味でして「甲は乙の前記の行為を宥恕する」という使い方をします。少々古風な表記ですが、文面に重みがあります。

「宥」とは、ゆるす、なだめるとあります。見のがしてやること、大目にみて許すことです。寛大な心で罪を許すことでしょう。

宥恕の同義語で「寛恕」があります。相手方の非行を許容する感情の表示語です。心が広くて思いやりのあること、また、そのさま、と辞書にあります。

「寛」とは、空間がひろい。ゆとりがある、やさしい、ゆるやか、心がひろいという意味です。寛大、寛容など多くの熟語があるのは頷けます。過ちなどをとがめだてしないで許すこと、それが「寛恕」であり「宥恕」ということでしょうか。

二文字熟語と取り組む その48 「嗚咽」

Last Updated on 2025年1月3日 by 成田滋

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「字通」にも「漢和大字典」にも嗚咽という語がでてきません。懸命に探したのですが、見つけられません。どうも当て字のようです。

広辞苑にありました。「嗚咽」(おえつ)は声すすり泣くこと、むせび泣くこととあります。声が出るのを我慢して泣くさま、悲しみ泣くことです。

字通では「嗚」とは「神の承諾をえること」、「神に祈り、鳥の声などによって占う鳥占いの俗を示す」という説明があります。

「咽」は、のど、むせぶ、というのが訓読みです。呑み込むのが「咽下」。「嗚呼」とは物事に深く感じたり驚いたり、悲しむとき、喜びを発する語、あるいは呼びかけに用いる語のことです。

二文字熟語と取り組む その47 「席亭」

Last Updated on 2016年7月20日 by 成田滋

127306260622416231627 aYaUxUcq 231001470今回は、趣向を変えた二文字熟語です。先日、いつもお世話している囲碁クラブの席上で、先輩から、「席亭はいろいろと大変ですね」といわれました。碁会クラブをお世話し、毎週二回、市民センターを予約をし、例会当日は碁盤や碁石、座布団をならべたり、月謝を集めるのが私の役目です。その他、新入会員の棋力を知り、対局相手を世話します。棋力の低い新人は先輩に対局依頼の声をかけにくいからです。

さて、「席亭」のことです。「席亭」とは本来、寄席のことを指しました。寄席の亭主の略で寄席の経営者のこと、席主とも呼ばれています。芸人などの出演者や演目などを選択し、一座を提供し木戸銭を折半するのです。誰を出演させるか、芸はしっかりしているか、客の受けはどうかなど噺家を見極める高い経験知が要ります。

東京や大阪では、落語を主とした寄席に人気があります。噺家が修行し話芸を磨くところが寄席落語です。このように狭義の寄席は落語が中心で東京には四カ所、大阪には一カ所あります。最後の演者は、トリとよばれ、落語では真打といわれる噺家がトリをつとめます。

他方、真打とか名人と呼ばれる噺家は、寄席の他にいろいろな場所で洗練された芸を披露します。例えば国立劇場とか市民会館などでの興行です。テレビ出演も真打ちです。前座見習い、前座、二枚目といった修行中の噺家はまだ大舞台に立つことはありません。

多くの場合、寄席の出し物は席亭と協会とが話し合って決めます。上野の鈴本演芸場は落語協会、新宿末廣亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場は、落語協会と落語芸術協会とが交互に出演者と演目を決めています。組織というものは、内紛があります。どの組織に所属するかによって寄席に出られるかどうかという哀しい現実もあります。ともあれ、落語家は一生が修業といわれます。

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二文字熟語と取り組む その46 「弥栄」

Last Updated on 2025年1月3日 by 成田滋

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「いやさか」と読むのは難しですが、、広辞苑では「いよいよ栄えること、繁栄を祈って叫ぶ声、ばんざいのこと」とあります。  「弥栄に花を咲かせよ、初春の白梅」

「弥」とは「わたる」、「あまねし」、「とおい」、「いよいよ」といった意味があります。「わたる」は、ある区間までの時間や距離を経過すること、「あまねし」とは広くすみずみまでいきわらるさま、「とおい」とは久しいこと、「いよいよ」とは、遠く伸びていつまでも程度が衰えない意とあります。

北海道の民謡で酒盛り唄、盆踊り唄に「弥栄音頭」があります。鰊漁で本州から出稼ぎにきた漁夫、ヤン衆らが渡島半島あたりに持ち込んで広まった仕事唄のことです。「ヤン」とはアイヌ語で「向こうの陸地」本州を意味するとあります。鰊が大量に獲れた時代は昭和30年くらいまで。春先、稚内の海岸が白子で真っ白になっていたのを思い出します。

富山県高岡市の郷土民謡に「弥栄節」があります。こちらは鋳物師達の息遣いが感じられる盆踊り唄です。「えんやさ、やっさい、、」という囃しが響きます。

二文字熟語と取り組む その45 「馥郁」

Last Updated on 2025年1月3日 by 成田滋

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漢字を調べるのに、「字訓」や「字源」の他に、「広辞苑」と三省堂の「大辞林」、そして学研の「漢和大字典」を参照します。この五つを調べると語義が解ってなるほどと頷きます。

「馥郁」(ふくいく)とは「良い香りが漂うさま」とあります。ふっくらとしたさまです。「馥」は、香りが豊かにこもるさま、ふくようかなにおい、その他よい影響やよい評判にたとえることもあります。会意兼形声で香りと腹で作られました。「ふっくらとした」とは妊婦を指すのかもしれません。「馥気」は良い香り、「福」(ゆたか)と同系です。

「郁」は、(1) 多くの模様がはっきりとくぎれ、目だつさま、(2) まだらであでやかなさま、(3) 盛んなさま、(4) 香気ががくわしいさま、とあります。

「馥郁」とは、このようになんとも香りの放つような語だと感じます。

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二文字熟語と取り組む その44 「重畳」

Last Updated on 2016年7月15日 by 成田滋

27015520 big-unit-1053823822 t-f畳は、皮畳、絹畳、むしろ、こもなど敷物の総称です。平安時代には既に今使われているような畳が布団のように使われていたようです。当時これらは大変な高級品で、一部の特権階級に愛用されていたとか。それはそうでしょう。鎌倉時代から室町時代にかけ、書院造りが生まれて、部屋全体に畳を敷きつめるようになりました。庶民に畳が普及したのは江戸時代。畳職人の活躍が江戸の下町を舞台にした小説にしばしば登場します。

畳の材料はイグサ。非常に高い吸湿性を備えています。湿気の多い部屋では水分を吸収し爽やか、乾燥した場合には、蓄えた水分を放出する特徴があるといわれます。昔の畳はゴワゴワしていました。すべてイグサ作りだったからです。今の多くの畳にはベニヤ板のようなものが入っているので踏んでもふわふわしません。

次に畳縁、へりについてです、絹や麻などの布地を藍染め等の食物染にしたものです。 畳縁には、格式を重んじて家紋を入れる「紋縁」というものもあります。これは格式の高い仏間や客間、床の間等で使われてきました。家紋を入れることによって、家のステータスを示しました。紋様は寺社、宮家、武家、商家などで違い、その身分を表す文様や彩りが定められていたようです。

畳の縁を踏まないことが武家や商家の心得とされました。特に家紋の入った畳縁を踏む事は、ご先祖や親の顔を踏むのと同じこととされました。「畳の縁は踏まない」ことが「相手の心を思いやる」ということの表れだったようです。

長い前置きとなりました。「重畳」という語があります。畳が普及し始めた頃の床は、今で言うところのフローリングのような板の間で、人が座るところに敷かれていただけだったそうで、その畳を重ねることができるのは出世を意味し、それで、「この上もなく満足なこと」「大変喜ばしいこと」とされたという説があります。はなはだ好都合なことなど、感動詞的に用いるのが「重畳」です。「重畳、重畳、、、」といった塩梅です。

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二文字熟語と取り組む その43 「糊口」

Last Updated on 2016年7月19日 by 成田滋

images bc62d25b Einreise italienischer Saisonarbeiter, Brig 1956#Italian seasonal workers when entering into Switzerland, 1956日常あまり見かけない難語を取り上げています。取り上げる順序は全くランダム。時代小説を読みながら見慣れない語を拾い上げては字典で調べています。時代物の熟語は通常使うことが少ないので、使ってみたくなります。

「糊」は、米や穀物がほとんど入っていないような薄いお粥のこと。澱粉糊などの洗濯糊、防染糊、接着剤などにも使われます。「糊」にはうわべをなすという意味もあります。その場を何とか取り繕うことが「糊塗」です。
「今日まで巧みに世間の耳目を糊塗して居た」

「糊口」は「餬口」ともいいます。口を糊する、粥をすする意があります。くちすぎ、生計(たっき)をたてることです。慣用句として「糊口を凌ぐ」、「糊口の道が絶たれる」といった表現です。身過ぎ世過ぎする、露命をつなぐ、細々と暮らすという按配です。

現代の格差社会において「糊口を凌ぐ」生活をする人々が大勢います。「働けど働けど我が暮らし楽にならざり、じっと手を見る」ワーキングプアのことです。年寄りも若者も将来の不安を抱えています。保育士で結婚しても子供をつくれない人もいます。最近は貧困から生まれた「介護殺人」という事件も報告されています。低所得者への所得分配の不平等が起きている恐ろしい時代です。

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二文字熟語と取り組む その42 「剣呑」

Last Updated on 2025年1月3日 by 成田滋

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時々、辞書を見るまでは熟語の成り立ちはわからないことに気がつきます。「剣呑」(けんのん)という語もそうです。もともともは「剣難」だと広辞苑にあります。「剣難」がなまって「剣呑」になったというのですからわからないものです。「剣呑」とは当て字なんだそうです。佐伯泰英の時代小説にこの語がしばしば登場します。

「剣呑」は、あやういこと、あやぶむこととあります。刀などで殺されたり、傷つけられたりする災難のこと。語の使い方はいろいろあるようです。次のような例文があります。「化けの皮があらはれんと、しきりに剣呑に思う」。自分の過去がばれないかびくびくし、不安に苛まれるという意味です。

漱石の「道草」にも「兄貴だって金は欲しいだろうが、そんな剣呑な思いまでして借りる必要もあるまいからね」という文章がでてきます。「道草」は漱石の自伝的色彩の濃い作品といわれます。「道草」の主人公、健三という男がどうも漱石らしいのです。留学から帰った健三は大学教師になり、忙しい毎日を送ります。彼の妻お住は、夫を世間渡りの下手な偏屈者とみています。健三は相当な美人好みで、何やかやと女の美醜に見識を持っていることも書かれています。

そんな折、かつて健三夫婦と縁を切ったはずの養父島田が現れ、金を無心します。さらに腹違いの姉や妻の父までが現れます。兄は人生に疲れた小官吏で、金銭等を要求するのです。健三はなんとか工面して区切りをつけますが、その苦労に慨嘆するという話です。それが、「兄貴だって金は欲しいだろうが、そんな剣呑な思いまでして、、、」という台詞です。

二文字熟語と取り組む その41 「柿落」

Last Updated on 2016年7月12日 by 成田滋

toukan14 010 imagesもともと「柿」とは「こけら」といって、材木を削るときにできる細長の木屑のことです。

新築や改築工事の最後に、屋根や足組みなどの「こけら」を払い落としたところから、新築または改築された劇場で行なわれる初めての興行という意味で使われるようになりました。新築落成を祝う最初の幕開けをいいます。

「柿落」が使われるのは、人が大勢集まり興行をする完成した建物のお披露目のとき。通常の民家やマンションの新築では使われません。

「こけら」の漢字「柿」は「柿」とほとんどおなじですが、別字だとあります。「柿」の旁りは鍋蓋に巾、「柿」は旁の縦棒が一本となっています。鍋蓋ではありません。

蛇足ですが、「落柿舎」という遺跡が京都の嵯峨野にあります。元禄の俳人向井去来の住まいだったようです。「柿落」という熟語とは全く関係がありません。m(-_-)m

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二文字熟語と取り組む その40 「豪儀」

Last Updated on 2016年7月11日 by 成田滋

d6a8b25e images kaguya_samp豪気とか強気、壮大といった意味の同義語です。「豪儀」には次のような形(なり)があるようです。
1   威勢がよく立派なさま
2   頑固で強情なさま
3   甚だしくよいこと

威勢がよく立派なさまは、例えば巨額の寄付を指して「豪儀だな!」、頑固で強情なさまは、「豪儀な性格だ」、程度のはなはだしいさまは、「この牛肉は豪儀にうめえ!」といった按配で使われます。

「豪」「豕」と音符「高」を合わせた字で、「やまあらしー豪猪」が原義です。その他に、きらびやかという意味もあります。通常、次のような熟語に見られます。
1   すぐれて力強い、勢いが盛ん 「豪快、豪傑、豪族、豪放、豪勇」
2   能力や財力などがぬきん出た人 「文豪、剣豪、酒豪、富豪」
3   並み外れている  「豪語、豪雪、豪奢」

「儀」とは進退動作の上で手本とすべきもの、作法に従って進退すること、かたどること、ことがら、わけ、といった意味を表す漢字です。

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二文字熟語と取り組む その39 「婉然」

Last Updated on 2016年7月9日 by 成田滋

images IMG_3398 0女性のしとやかで美しいさま。しなやかなさま たおやかな様の熟語です。にっこりとあでやかに笑うさま。美女の微笑にいい、女性のしなやかさを表すといいます。

「婉」の訓読みですが、「うつくーしい」、「したがーう」とあります。すなわち、
1 あでやか、しなやかで美しい
2  したがう。すなお
3  おだやかで、ものやわらか。遠まわし、婉曲

婉曲とは (1) 従う、飾る、めぐる、うごかす、(2) それとなくおだやかにいう、とあります。藤堂明保氏の編集による「新漢和辞典」によりますと、”「宛」とは女子がつつましく廟中に坐している形、その姿を「婉」という”とあります。

同音語の「嫣然」は、(1)  あでやか (2)すらりとして美しいという意味です。「艶然」は美しい女性が色っぽくにっこりと笑っていることをいいます。「嫣然として一笑すれば、陽城を惑わし下蔡を迷わす」という故事もあります。なお、「陽城」とは僧侶とか座主、「下蔡」とは知事にあたる県令のことです。「嫣然」とした女性に男性はすべからく惑わされる様をいいます。

「婉辞」はものやわらかにいうことです。とにもかくにも「字訓」で女偏の漢字を調べると161字もあります。はやり「女」は漢字の中で人気を独り占めしています。色々と話題に富むからでしょう。それも頷けます。

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二文字熟語と取り組む その38 「籠絡」

Last Updated on 2016年7月8日 by 成田滋

img_0 77cbed23 mig他人をうまく丸め込み自分の思うとおりに操ることが「籠絡」です。どうも先日の都知事の辞任という話題がいまだに尾を引くせいか、この熟語が話題になります。知事の権限を乱用して好き勝手に振る舞うことは、周りを籠絡できたからです。

「籠」とは竹でつくられた土を運ぶもっこのことです。訓読みはもちろん、カゴ、こもるという具合です。「絡」とは「ひっかけてつなぐ」という意味です。

「政を得てより士大夫、其の籠絡を受けざる無し」というフレーズがあります。周りの意見や注進に動かされず、自分の考えで政務を行う、という意味です。「士大夫」とは科挙を通った官僚とか地主のことです。

ついでに、駕籠という漢字ですが、「駕」は乗り物、他より上に出る、という意味です。「駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」というフレーズが江戸時代に流布しました。階級や貧富にはいろいろあって、その境遇の差は甚だしいということのたとえです。

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二文字熟語と取り組む その37 「股肱」

Last Updated on 2016年7月7日 by 成田滋

2010102820344028f P1160733 20200000013920144736279425187_s「股」はもも、「肱」はひじ。「股肱」で手足の意です。主君の手足となって働く、最も頼りになる家来や部下とか腹心にことです。自分の手足のように信頼している忠義な家来といえば、豊臣秀吉にあっては石田三成、徳川家康においては本多正信、上杉景勝にとっては直江兼続らの重臣といったところでしょう。「股肱の臣」というフレーズがあります。
「我を以て元首の将となし、汝を以て股肱の臣たらしむ」(太平記から)

「肝」という漢字の「月」の部分は、見掛け上同じ形をしています。しかし、「肝」という漢字の「月」の部分は、本来は「肉」という字です。「肉(にく)」が偏(へん)になるときには「月」の形になり、肉月(にくづき)と呼ばれるのです。

「つきへん」を部首とする漢字は「朗」「期」「朧(おぼろ)」など月といった天文的事象や日にちなど暦に関することが多く、「にくづき」を部首とする漢字は股、肱の他に「脚」「肘」「肥」など身体部位やその状態に関係することが多いといえます。

「服」の月ですが、「字源」によればもとは舟の添え板の意味から生まれたようです。そして舟に関係する漢字をつくります。「ふなづき」の由来です。

「にくづき」は二本線がぴったり両側につく、「ふなづき」は点々を書く、「つきへん」は右側が開いている、というのが正確な書き方であるという説もあります。残念ながらワープロで使うフォントではこの違いはでてきません。常用漢字ではこのへんの違いがないのかもしれません。手書きの良さ、素晴らしさはこの微妙な表現にもあるといえましょう。

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二文字熟語と取り組む その36 「忖度」

Last Updated on 2016年7月6日 by 成田滋

esyaku koujien ec9e48aefbc64e5f93388bd351cc21a2-300x184広辞苑で「忖度」を調べると「他人の気持ちをおしはかること」とあります。

「忖」は心と音符の寸からなり、指をそっと置いて長さや脈をはかるように、気持ちを思いやること、慮るとあります。「寸」は手の指を四本並べ長さの一本分で「はかる」、「おもう」という意です。昔は手尺や指の幅で長さをはかりました。「心をもっておしはかる」意が「忖」ということになります。
「他人に心あり、予これを忖度す」(詩経)

「度」ですが、仏教において「渡る」と同じ意味で彼岸に渡るの意味に使われるとあります。悟りを得させる、彼岸にわたす、頭をそって仏門に入るという意味でます。僧侶となるための出家の儀式が「得度」です。他の意味として、のり、ものさし、目盛り、おきてなどがあります。そこから、法度とか制度という熟語が生まれます。、

「忄」は心が偏になるときの形。感情、意思に関する部首です。りしんべんの名称は「立心偏」に由来します。心をものさしで測るといった按配です。

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二文字熟語と取り組む その35 「杜撰」

Last Updated on 2025年1月3日 by 成田滋

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「杜撰」(ずさん)の出典は、南宋の王楙が著した「野客叢書」。王楙は1100年代の詩人とあります。叢書とは本のシリーズのことです。そこに「杜默 為詩、多不合律」という一節があります。南宋の首都は臨安。地図をみると現在の杭州で上海の南に位置しています。日本は鎌倉時代です。

「杜」は「杜黙」という中国の詩人、「撰」は詩文を作ることを表します。杜黙の作る詩には、作詩の規則である律を外れたものが多かったことから、誤りが多い著作を意味するようになったというのです。

「杜撰」は次のような様です。
1 著作物で典拠が正確でないこと、誤りが多い著作
2 手をぬいたところが多く,いい加減であること

このように「杜撰」は、杜黙の詩は詩の形式に合わないものが多かったという故事から由来します。自分の名前が、このような熟語になろうとは本人も驚いているでしょう。

「杜撰」といえば、やっつけ、粗雑な 、行き当たりばったり、 雑ぱくなといった類似語や表現が浮かびます。 「杜撰」の「杜」は、本物でない、仮の意味という俗語であるという説もあります。

二文字熟語と取り組む その34 「首長」

Last Updated on 2016年7月4日 by 成田滋

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先日、テレビのコンメンテータが「首長」という語を「くびちょう」と呼んでいたのに少々驚きました。一般には、都道府県の知事や、市町村、特別区の長を指して使われています。発音はもちろんシュチョウです。シュは「首」の音読み、チョウは「長」の音読みですから、この熟語は、他の熟語と同様に2文字とも音読みで発音されるのです。高校のときまで、二文字熟語は訓読みか音読みであると教わってきたので、私は「くびちょう」に驚いたのです。

ところが「化学」と「科学」を区別するために「化学」を「ばけガク」と呼びます。他にも「私立」と「市立」が紛らわしいので「わたくしリツ」「いちリツ」と読み分けたりします。このような変則的な読み方がされるのは、同音異義語が多いからでしょうか。

「くびちょう」に戻ります。テレビで「しゅちょう」と発音されたとき、「市長」とか「首相」と聞き違えるかもしれません。読み上げテキストの脈絡で、どちらの「首長」かは判断できますが、「くびちょう」の響きはどうも違和感があります。今、「くびちょう」を呼ぶのは定着しつつあるようで、ささやかな抵抗をしたい気分です。

お役所用語か放送用語かは定かではありませんが、市長や知事にとっては、首長は「くびちょう」では落ち着かないのではないでしょうか。「シュチョウ」と読み上げられ、もしかしたら「シュショウ」というように聞かれ、「俺は首相なのか、、」とほくそ笑むかもしれません。首相を「あべくびそう」と発音されるようになれば、官房長官が記者会見でさっそく苦言を呈するでしょう。

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二文字熟語と取り組む その33 「傾城」

Last Updated on 2025年1月3日 by 成田滋

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島原

「北方有佳人  絶世独立 一顧傾人城  再顧傾人国」
「北方に佳人有り、絶世は独り立つ、一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の国を傾く」

前漢の歴史を紀伝体で記した書。紀元後80年ころ作られたとあります。中国二十四史の一つです。漢書は一つの王朝に区切って書かれたといわれます。代々の王朝を通して描いたのが通史でその代表が「史記」といわれます。

「漢書」に外戚伝という、名前の通り家族や親族のことを記した文書があります。親に対する「孝」を重んじる儒教社会が中国。君主が人々に対する模範として、率先して母親やその親族に対して礼を尽くすべきことを記しています。そこに「傾城」(けいせい)の故事がでてくるのは興味あることです。

「傾城」とは、絶世の美女です。別名は「傾国」。もう一つは、太夫や天神など上級の遊女のことです。君主がその美しさに夢中になって、城を傾けて(滅ぼして)しまうというのです。色香におぼれて城も国も顧みないほどの美女、たとえば楊貴妃のような女性は、いつの時代にもいたのでしょう。「傾城」は別名、「契情」ともいわれます。音意共にうつした当て字です。

「傾城」にはいろいろなフレーズがあります。「傾城に誠なし」、「傾城に可愛がられて運の尽き」とは男性をおちょくるギャグです。
「傾城の恋はまことの恋ならで 金持って来いが ほんの恋なり」は、花魁や遊女の逞しさをうたっています。

二文字熟語と取り組む その32 「狷介」

Last Updated on 2025年1月3日 by 成田滋

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「狷介」(けんかい)をいくつかの辞書を調べると、「心が狭く,自分の考えに固執し,人の考えを素直に聞こうとしない・こと(さま)」、「自分の意思をまげず人と和合しないこと」、「自ら守ること厳しく妥協しない」とあります。「狷介な人物」とか「 狷介孤高」といった四文字熟語もあります。

「許は狷介の士なるも未だ尭の心に達せず」という例文もあります。許とは人の名前です。「尭」とは「さとる」「たかい」「けだかい」という意味です。「狷」 は分を守って不義をしない意、「介」はかたい意とあります。ということは、現在は多く悪い意味で使われるのですが、これとは異なるニュアンスがあります。興味あることです。

今日、心がせまい、気がみじかい、かたいじ、強情っぱり 、意地っぱり、 頑なといったように使われる「狷介」ですが、「自ら守ること厳しく妥協しない」、「指南または規律に抵抗する」という意味があったのですから、時代を経ると意味が変わってくることに少々驚きます。