留学を考える その46 オハイオ— Buckeye State

Last Updated on 2015年11月30日 by 成田滋

オハイオ州は別名「バッカイヤ州-Buckeye State」と呼ばれています。Buckeyeとは州の木のことです。針葉樹の一種で、なんとなく形といい大きさといい北海道に多いカシワに似たところがあります。ドングリも秋になると沢山落ちます。州都で最大の都市はコロンバス(Columbus)。他の大きな町はクリーブランド(Cleveland)、デイトン(Dayton)、トレド(Toledo), シンシナティ(Cincinnati)、アクロン(Akron)です。

オハイオは、五大湖の一つエリー湖(Lake Erie)に面して、その岸は500キロに及びます。この地の利を使って製造業や海運業が盛んです。東はペンシルベニア、南はケンタッキー、イリノイ、西はミシガンに接しています。

州都コロンバスにはオハイオ州立大学(Ohaio State University: OSU)があります。この州の学術研究の中心的な大学です。多くの人材を輩出しています。宇宙飛行士のジョン・グレン(John Glenn)、ニール・アームストロング(Neil Armstrong) もオハイオの出身です。中西部には「Big Ten」という大きな大学の連合があります。ウイスコンシンやミシンガン、イリノイ、ミネソタ、ノースウエスタンなどの大学とともにBig Tenの一つとして、オハイオ州立大学は他大学とで研究開発を競っています。スポーツもまた然りです。

デイトン市はライト兄弟が初めて有人動力飛行機を組み立てたところで知られています。そのために、ライセンスプレートには「Birthplace of Aviation」(飛行機発祥の地)とあります。以前このブログでノースカロライナを紹介したとき、世界で初の有人動力飛行に成功したのがノースカロライナと紹介しました。デイトンは、その飛行機をライト兄弟が自分たちの自転車屋で製造したのが我が町であると主張しているのです。造った所と飛ばした所が違うというのが両方の主張のようです。可笑味があります。

オハイオ州の製造業は総生産高で50州のうちの第3位となっています。シンシナティには、世界最大の一般消費財メーカーのプロクター・アンド・ギャンブル(Procter & Gamble) の本社、アクロンにはタイヤ会社のグッドイヤー(Goodyear)の本社があります。

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留学を考える その45 ノースダコタ州—Peace Garden State

Last Updated on 2015年11月28日 by 成田滋

ノースダコタ州(North Dakota)は合衆国中西部の最北部、グレートプレーンズ(Great Plains)にあります。州の北側はカナダ国境であり、サスカチュワン州(Saskatchewan)およびマニトバ州(Manitoba)に接しています。西側はモンタナ州(Montana)に、東側はミネソタ州(Minnesota)との州境にレッド川( Red River)が流れ、南側はサウスダコタ州(South Dakota)と接する州です。州都はビスマーク市(Bismarck)。人口最大の都市はファーゴ市(Fargo)となっています。ノースダコタの名前は、スー族(Sioux)であるダコタ族(Dakota tribe)から由来しています。

最近の10年以上、全国平均よりも低い失業率、雇用数と人口の増大、および低い住宅空き家率など経済的な好調を持続してきた。これには州西部のバッケン・オイルシェール田(Bakken shale gas)の開発が大きく貢献しています。それに関連する技術やサービス産業の成長も好調な州経済に寄与しているようです。ノースダコタ州は、バッケン・オイルシェール田の採掘によって多くの雇用を生み出しています。すでにアラスカの石油の産出を上回り、テキサス州について第二位となっています。

興味ある話題としては、ノースダコタ州は人口比における教会数の多さでは全米一となっていることです。人口の35%がルーテル信者、30%がカトリック信者、メソジスト信者が7%などとなっています。ドイツや北欧からの移民が多いのです。ドイツ系が47%、ノールウエイ系が31%、アイリッシュが8%、スエーデン系が5%という配置になっています。

農業生産高では全米で菜種油(カノーラ油)は92%、カラシ油が62%、ひまわり油は53%、べに花油が18%を占めています。食用油の精製は一大産業となっています。

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留学を考える その44 ノースカロライナ州– First in Flight

Last Updated on 2015年11月27日 by 成田滋

大西洋岸にあるノースカロライナ州(North Carolina)は、周りをバージニア州)Virginia)、テネシー州(Tennessee)、ジョージア州(Georgia)、そしてサウスカロライナ州(South Carolina)に囲まれています。首都はラレイ(Raleigh)、最大の都市はシャーロット(Charlotte)です。チャペルヒル(Chapel Hill)という町には、実に綺麗なノースカロライナ大学(University of North Carolina) のキャンパスがあります。どの町も樫の木(oak)の緑が豊かです。

ノースカロライナ州は科学技術の研究開発が非常に盛んなところです。その中心はResearch Triangleと呼ばれる ラレイ、ダーム(Durham)、チャペルヒルの三つの町です。三つはちょうど三角形のように点在しています。

農業生産品は鶏卵、豚、牛、牛乳の他にタバコ、大豆が主要なものです。他にも織物、化学工業、電子機器、製紙も知られています。意外なことですが、ノースカロライナ州はカリフォルニア州以外で最大の映画制作を行っている州の1つでもあります。

ノースカロライナ州といえばライト兄弟(Wilbur Wright & Orville Wright)です。1903年、世界で初の有人動力飛行に成功したのがノースカロライナです。ライセンスプレートには「First in Flight」と記されています。

スポーツも盛んな地です。特に大学バスケットボールとフットボールは全米でも有数です。大学間での競争が激しいことにもよります。デューク大学(Duke University)、ウェイクフォレスト大学(Wake Forest University)、ノースカロライナ州立大学(North Carolina State University)、ノースカロライナ大学が競っています。

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留学を考える その43 ニューヨーク州—-The Empire State

Last Updated on 2015年11月26日 by 成田滋

ニューヨーク州の紹介です。なにをとりあげても話題の尽きない州です。最大の都市はニューヨーク(New York)ですね。州都はニューヨークから300キロも離れた人口10万人足らずのアルバニー(Albany)。州の西端にはナイアガラ瀑布(Niagara Fall)があるのをご存じですか。

ニューヨーク州は正三角形に近い形をしています。ニューヨーク州の境界には5大湖のうちの2つのエリー湖(Lake Erie)とオンタリオ湖(Lake Ontario)があります。カナダのオンタリオ州とケベック州と国境を接し、コネチカット州、バーモント州、マサチューセッツ州、ニュージャージー州、そしてペンシルベニア州と隣接しています。

誰でもご存じのニューヨークは世界経済、商業、コミュニケーションの中心地です。多くの企業の本社がここにあります。またショービジネスなど娯楽産業の中心でもあります。年間4,700万人の観光客が訪れます。国際連合はじめ公共機関も沢山あります。9・11の影響がいまだに続いてはいますが、急速な回復はニューヨークのバイタリティを感じます。公共交通網も張り巡らされ、地下鉄網の総延長は世界一。多くの交通機関は24時間運行となっています。

ニックネームはBig Apple。その由来は、大恐慌時代に失業者が市内ででリンゴ売りをしていたとか、ジャズマンが使い出したとか、1800年代に街には一番いい「リンゴ」(隠語で売春婦)があったという説などです。

ニューヨークの由緒ある所の紹介です。エリス島(Ellis Island)は忘れることができません。ニューヨーク湾内にあって、19世紀にヨーロッパからの移民が到着したのがこの島です。かつての移民管理局は今は博物館となっています。1800年頃から1954年まで使われていたとあります。その近くには自由の女神(The Statue of Liberty)が建っています。合衆国の独立100周年を記念してフランスより贈呈され、1886年に造られました。ヨーロッパからやってきた人々が船上からこの像を眺めて、新天地への憧れを抱いたところです。自由の象徴ともなっています。

ニューヨーク州のライセンスプレートには「The Empire State」と印字されています。戦後しばらく、世界一高い建物といわれたEmpire State Buildingの影響があるようです。なんでも世界一が好きなアメリカのことです。ニューヨークは確かにそのような風格と内容を備えてはいるようですが、少々厳つい印象もぬぐえません。9.11の後遺症と教訓は長く続くと思われます。

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留学を考える その42  ニューメキシコ州—Land of Enchantment

Last Updated on 2015年11月25日 by 成田滋

この州の最大の都市はアルバカーキー(Alburquerque)です。今では伝説的となりましたが、かってビル・ゲイツ(Bill Gates)がパソコンのOSを開発した町です。もともと大部分がネイティブ・アメリカンの居留地だったところです。部分的にメキシコ領土だった経緯もあります。現在、人口の45%がヒスパニック(Hispanic)。加えて、今でもネイティブ・アメリカンが全米で第三位を占める位多く住んでいます。ですが面積からするとアメリカで最も人口密度が低い州といわれています。
州都は、かってメキシコの総督府が置かれていたサンタ・フェ(Santa Fe)です。観光はサンタ・フェの経済を支えています。温暖な気候や、冬のスキー、夏のハイキングなど野外活動の機会に恵まれています。歴史・芸術・文化の豊かな州都です。ジョージア・オキーフ美術館(Georgia O’Keeffe Museum)はその中心といえましょう。オキーフは特にアメリカ人に人気のある女性画家です。自然の景観や動植物などの自然を題材としています。オキーフはウィスコンシン州の農家に生まれ、マディソンで高校時代をすごしたこともあります。

ダウンタウンの歴史地区、特に総督府に隣接するプラザ(Plaza)にはメキシカンフードの人気レストランが立ち並んでいます。町並みは日干しの土で作られた建築物アドービ(Adobe)です。砂、砂質粘土とわらなどの素材でつくられる建材です。熱を吸収してもゆっくりと放出するので建物の中は涼しく、ニューメキシコのような暑くて乾いた地に適しているといわれています。

ニューメキシコ州のライセンスプレートには「Land of Enchantment」(魅了してやまない地)とあります。今もナバホ(Navajo)、プエブロ(Pueblo)、アッパチ(Apache)インディアンが住む居留地があります。そこで作られる民芸作品、各地にある大小の博物館の展示物、そして大自然が観光客を魅了しています。ネイティブ・アメリカンとメキシコの文化と芸術を最も身近に接することができる州といえましょう。

ニューメキシコは日本にとって忘れることのできない州です。ロスアラモス(Los Alamos) という所があります。砂漠のど真ん中に国防総省が管轄するロスアラモス国立研究所(Los Alamos National Laboratory)があります。ここで造られた原子爆弾Little Boyが博物館に展示されています。複雑な思いのする場所です。

ニューメキシコ州立大学(New Mexico State University)、ニューメキシコ大学(University of New Mexico)、サンタフェ大学(Santa Fe University of Art and Design)が主要な高等教育機関です。

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留学を考える その41 ニュージャージー州—Garden State

Last Updated on 2015年11月24日 by 成田滋

ニュージャージー州(New Jersey)は、ニューヨークのハドソン川(Hudson River)の対岸、そしてデラウエア(Delaware)の北東、西はペンシルバニア(Pennsylvania)に接しています。州都はトレントン(Trenton)となっています。ニューヨークの隣なので、多くの人が電車で通勤しています。フィラデルフィア(Philadelphia)へもそうです。最大都市はニューアーク(New Ark)、アトランティックシティ(Atlantic City)は東海岸随一のカジノシティとして知られています。

イギリスから最初に独立した13州のうちの一つでもあり、その歴史は古いです。ニュージャージーに最初にやってきた人々はオランダ人、そしてスエーデン人です。やがてイギリスからの移民が増加し、1649年に名前がNew Jerseyとなります。そこから長らくイギリスの植民地となります。独立戦争の頃、ニュージャージーは依然としてイギリスの支配下にあります。植民地軍とイギリス軍がこの州をまたいで大きな戦いが繰り広げられます。そのため、州のニックネームはやがて「革命への交差路)」The Crossroads of the Revolutionといわれます。

Wikipediaによれば、ニュージャージー州の一人当たり州総生産は国内第2位、一人当たり年収も国内第3位と裕福な州のようです。軍需品生産の中心であり、海軍艦艇の建造が盛んなのが州の雇用と経済を支えているようです。ニューヨーク大都市圏とフィラデルフィア大都市圏を控えていることも州の発展を支えているといえます。

ニュージャージーが生んだ有名な人物としてトマス・エディソン(Thomas Edison)が挙げられます。生涯で1,093の特許登録をしたといわれます。州のモットーは「自由と繁栄, Liberty and Prosperity」とあります。ライセンスプレートには、自然豊かな地を示すGarden Stateとあります。平等の州 (Equality State)とか、なぜかカウボーイ州 (Cowboy State)というニックネームを持っている州です。

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留学を考える その40 ニューハンプシャー州–Live Free or Die

Last Updated on 2015年11月23日 by 成田滋

ニューハンプシャー州は大西洋側の東海岸にあります。綴りはNew Hampshierです。いわゆるニューイングランド地域の一部で、北部及び北西部でカナダのケベック州(Quebec)、東部はメイン州(Maine)、南部はマサチューセッツ州(Massachusetts)、そして西部はバーモント州(Vermont)と隣しています。

アメリカにはNewが付く州や町がたくさんあります。州ではNew Mexico, New Jersey, ご存じNew York, 街ではNew London, New Berlin, New Heavenというのもあります。イギリスやヨーロッパ各地からの移民が開拓したことを物語ります。ニューハンプシャーの州都はコンコード(Concord)という小さな街です。コロニアルスタイルといわれる町並が絶佳です。植民地時代の木造家屋のデザインを示します。

この州で忘れられないところがポーツマス(Portsmouth)という街です。日露戦争(Russo-Japanese War)が終わり、当時の大統領ルーズベルト(Theodore Roosevelt)の仲介で講和条約(Treaty of Portsmouth)が締結された街、それがポーツマスです。Portsmouth Naval Shipyardという海軍施設が交渉の会場だったとあります。実に小さな港町です。こんなところで条約が結ばれたのか、と頭をかしげたくなるような長閑な所です。

日本の代表は外務大臣の小村寿太郎、ロシアは元大蔵大臣のセルゲイ・ウイッテ(Sergei Witte)です。ポーツマスの博物館に当時の交渉の様子を報道した写真や新聞記事が飾られています。大男のウイッテが小男の小村を威圧するイラストがあります。当時ロシアはヨーロッパの大国、日本はアジアの小国でした。アメリカは太平洋の利権があって日本に同情的な姿勢であったことを伺わせます。

ニューハンプシャーのライセンスプレートには「Live Free or Die」。「自由を与えよ、さらば死を」という意味です。ニューハンプシャーは最初にイギリスの統治を離脱し独立への歩みを踏み出します。独立宣言後、最初の13州の一つともなります。さらに特筆すべきことは合衆国の州として最初に憲法を制定した州となったことです。この歴史を踏まえているせいでしょうか、大統領選挙において最初に予備選挙が実施されるのがこの州でもあります。その後の各州での大統領選挙を予測するうえで重要な選挙となっています。二大政党にとっての重要な試金石です。

大学教育ですが、なんといっても私立のダートマス大学(Dartmouth College)が有名です。アイビーリーグ(Ivy League)のメンバーで、全米の大学の中で13番目に長い歴史を持っています。さらにニューハンプシャー大学(University of New Hampshire)やコミュニティカレッジ・システム(Community College System)もそれぞれ分校を有していますPatrickHoule_summer2012_1  20309-004-A87CB099 Portsmouth

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留学を考える  その39 ネヴァダ州–The Silver State

Last Updated on 2015年11月21日 by 成田滋

ネヴァダ州(Nevada)は、西にカリフォルニア州(California)、北にオレゴン州(Oregon)、東にユタ州(Utah)、南にニューメキシコ州(New Mexico)に囲まれています。州都はカーソンシティ(Carson City)。最大の街はラスベガス(Las Vegas)となっています。

ネヴァダという名前は、”雪がかぶった山々”という意味のシェーラネヴァダ(Sierra Nevada)に由来すると言われます。北部は砂漠地帯、南部や渓谷と山となっています。ラスベガスの北100キロのところに原爆実験場があります。1950年代の冷戦下で、ネヴァダ州での原爆実験が新聞紙上でしばしば報道されました。

ラスベガスのカジノは多くの観光客を惹きつけています。これが大きな産業ともなっています。他の産業としては金の採掘です。世界でも有数の金銀の算出となっています。変わったところでは、合衆国ではロードアイランド(Rhode Island)とともに、なんらかの売春が合法となっています。

多くのネイティブアメリカンが住んでいます。ナバホ(Navajo)、パイウーテ(Paiute), ショショーン(Shoshone)といった部族です。太平洋戦争中「ナバホ暗号部」が設置され、軍事的な指令文はナバホ族出身の兵士によってナバホ語に翻訳して送信され、それを受信して英語に直すという具合でした。いわば暗号文をやりとりしていたことになります。こうしたナバホ語はコードトーカー(Code talker)と呼ばれました。この映画「ウインドトーカーズ(Windtalkers)」は、この暗号をめぐるサイパン島での戦いでした。是非観て欲しい作品です。

気候は砂漠の影響で夏は乾燥して高温、冬は厳しい寒さが襲います。寒暖の差は合衆国で一番といわれています。ライセンスプレートにはThe Silver Stateとあります。

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留学を考える その38 ネブラスカ州—The Good Life

Last Updated on 2015年11月20日 by 成田滋

ネブラスカ州(Nebraska)は合衆国のほぼ真ん中に位置しています。北はサウスダコタ(South Dakota)に、東はアイオワ(Iowa)とミズーリ(Missouri)に、西はワイオミング(Wyoming)とコロラド(Colorado)に、南はカンザス(Kansas)に囲まれています。州都はオマハ(Omaha)。州の大部分は平坦な大平原が広がります。トウモロコシを中心とする穀物地帯です。牛肉や豚肉の生産でも知られています。

ネブラスカに関するエピソードがあります。学校の教師らとでネブラスカへ行ったとき、入国手続きをしたデトロイト空港でのことです。家内の番になりまして審査官との間で次のような会話をしてました。

審査官 「入国の目的は?」
家内 「観光です」
審査官 「これからどこへ行くのか?」
家内 「ネブラスカです」
審査官(けげんな表情で)「ネブラスカのどこで観光するのか?」
家内 「リンカーンです」
審査官「観光でネブラスカへ行く日本人はあんたが初めてだ、、、」

デトロイト経由の乗客の中で、観光でやってくる日本人の99%はニューヨークとかボストンとかフロリダへ行くのです。審査官もけったいな日本人に驚いたのでしょう。「ネブラスカに観光へ」には苦笑してましたね。

ネブラスカの西部にはチムニー・ロック(Chimney Rock)など巨大な岩で知られています。このあたりはでは沢山の恐竜が発掘されています。きわめて保存状態が良く恐竜の骨格がはっきりしています。それを展示しているのがネブラスカ大学リンカーン校(University of Nebraska-Lincoln)です。ここの自然博物館(Natural History Museum)の恐竜の化石は圧巻です。大勢の児童生徒が黄色い車体のスクールバスに乗ってフィールドトリップにやってきます。

リンカーン市にあるネブラスカ大学は同システムの基幹大学で、同州の大学教育をリードしています。UW-Madisonの所属するビッグ・テン・カンファレンス(Big Ten Conference)に一員となっています。

ネブラスカ州はのモットーはThe Good Lifeとあります。「安住の暮らし」といった感じですね。ライセンスプレートには、大平原と煙突のような岩山が描かれていてすてきなデザインです。

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留学を考える その37 モンタナ州—Big Sky

Last Updated on 2015年11月19日 by 成田滋

かつて合衆国上院議員で駐日大使であったマイク・マンスフィールド(Mike Mansfield)氏の出身地がモンタナ州(Montana)です。1977年から1989年までの長期にわたって大使を努めました。この州はカナダのブリティッシュコロンビア州(British Columbia)、アルバータ州(Alberta)及びサスカチュワン州(Saskatchewan)と接しています。州都はヘレナ(Helena)です。

モンタナ州は白人とネイティブアメリカンの土地をめぐって幾多の戦いが繰り広げらたところです。最後の軍事的戦いの場所となった戦跡があります。スー族(Sioux)、シャイアン族(Cheyenne)、アラパホ族(Arapaho)がカスター中佐(George Custer)の率いる「第7騎兵隊」(7th Cavalry Regiment)の奇襲を撃破したことでも知られています。その戦跡は長らく隊長の名をとった「カスター国立記念戦場」(Custer Battlefield National Monument)と呼ばれました。ですがスー族がこの名称の変更を要求した結果、今は「リトルビッグホーン国立記念戦場(Little Bighorn Battlefield National Monument)」として保存されています。沢山の西部劇がネイティブアメリカンと第7騎兵隊の戦いを描いています。

ライセンスプレートには、「Big Sky」と印字されています。さしずめ「蒼穹の空」といったところです。「モンタナの空は他のどこよりも大きく感じる」と地元の人は自慢げに言うのは、このためかもしれません。氷河が残したグレイシャー国立公園(Glacier National Park)及びイエローストーン国立公園(Yellowstone National Park)の一部を含み、大いなる西部にふさわしい大自然に抱えられた州です。西部開拓時代の歴史、ネイティブアメリカンの文化が多くの観光客を惹き付けています。

大学ですがモンタナ大学(University of Montana)、モンタナ州立大学(Montana State University)が知られています。州内にそれぞれ四つのキャンパスを擁しています。クロウ族系(Crow Indian)リトルビッグホーン・カレッジ(Little Big Horn College)、スー族系(Sioux)のフォートペック・カレッジ(Fort Peck Community College)など四つネイティブアメリカンの単科大学もあります。

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留学を考える その36 ミズリー州–Show Me State

Last Updated on 2015年11月18日 by 成田滋

ミズリー州(Missouri)のニックネームは「Show Me State」となっています。これは、「少々のことでは納得しない」という意味です。なにか気概が感じられます。このフレーズががライセンスプレートに印字されています。

ミズーリは、合衆国中西部のミシシッピー川(Mississippi River)沿いの内陸にあります。8つの州にまたがるところでもあります。州都はジェファーソン・シティ(Jefferson City)。同州を代表する都市はなんといってもセントルイス(St.Louis)です。ミシシッピ川に面するこの町は、開拓時代より西部への玄関口として発展し、現在では中西部きっての観光地となっています。

19世紀の初めにアメリカで歌われるようになった民謡に「シェナンドー」”Shenandoah”」があります。カヌーでシェナンドー川を行き来していた貿易商人(Voyageurs)が歌う古い舟歌でしたが、いつしか白人の男性が酋長の娘「シェナンドー」に恋をするラヴソングへとなり、長い間に歌い継がれていきます。フランス語のVoyageursとはTravelerという意味です。似たような曲に「赤い川の谷間」(Red River Valley)という恋歌もあります。

Oh Shenandoah, I long to see you,
Away you rolling river.
Oh Shenandoah, I long to see you,
Away, we’re bound away,
Cross the wide Missouri.

ミズーリの主要産業は、航空宇宙産業、輸送設備、食品加工、化学工業、印刷/出版、電気設備、製造業など多彩です。農業生産品は、牛肉、大豆、豚肉、乳製品、トウモロコシ、ニワトリなどの家禽、及び 鶏卵です。特に豚や牛の生産が盛んです。近年はワイン産業の育成にも州は力を入れています。

ミズーリ州は、大理石の生産で知られています。その他、鉛、石炭、採石が生産されています。ミズーリ川とミシシッピー川がこうした資源を運ぶ大動脈となっています。川には大小多くのバージ(barge)と呼ばれる運搬船が往来しています。

セントルイス市内には「Gateway Arch」アーチがそびえています。頂上からの眺めは、ミシシッピー川をはさんで360度の景色が楽しめます。ここには、Gateway Archが建設される様子の資料が展示されています。あの壮麗なアーチが出来上がる様をつぶさに映像で説明しています。機会があれば是非登ってください。

面白い話題がミズーリにはあります。ミズーリ州は他の州に比べて、タバコやアルコールの規制が緩やかなことです。例えば、未成年の子どもに保護者が酒をのませることも認められています。禁煙運動が盛んな国としては、大変珍しいことです。バドワイザー(Budweiser)を製造するアンハウザー・ブッシュ(Anheuser-Busch)の工場もここにあります。2008年にベルギーの多国籍飲料会社インベブに買収されています。

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留学を考える その35 ミシシッピ州 Birthplace of America’s Music

Last Updated on 2015年11月17日 by 成田滋

ミシシッピ州(Mississippi)はテネシー州(Tennessi)と北部、アラバマ州(Alabama)と東部、ルイジアナ州(Lousiana)およびメキシコ湾と南部、ならびにルイジアナ州およびアーカンソー州(Arkansas)と西部で隣接しています。州都であり最大の都市はジャクソン(Jackson)。ミシシッピ川が流れるミシシッピ州は大半が低地で構成され、最高地点はカンバーランド(Cumberland)山地の丘陵部でたったの246m、最低地点はメキシコ湾岸の海面となっています。

ミシシッピの歴史です。1850年代は綿花が花形でした。ミシシッピデルタ地域は土壌が肥沃で、プランテーション所有者は、綿花の国際市場での高値や安い労働力であった奴隷を使い裕福になりました。プランテーションは数十万人の奴隷労働者に依存し、また白人の間にも富の不均衡が発生し、人種差別が激しくなります。やがて合衆国からの脱退を支持し南北戦争では南軍に編入します。

ミシシッピ川のデルタ地域では、昔からブルースの発展に重要な役割を果たしてきました。そのためでしょうか、州のモットーは「Birthplace of America’s Music」となっています。生まれた歌は黒人奴隷などの苦難に満ちた生活が背景にあります。Wikipediaによると、19世紀末までに農園所有者の3分の2は黒人であり、綿花の価格低下で多くが土地を失ったといわれます。黒人は仕事を求めて大都会へ移住します。ミシシッピ州の多くの音楽家もシカゴに移住し、ジャズを新しい形式で演奏していきます。

ミシシッピ州が生んだ歌手がプレスリー(Elvis Presley)です。1935年にミシシッピ州テュペロ(Tupelo)という小さな町の出身です。彼の代表的な歌といえば、G.I. Blues、Blue Hawaii、Viva LasVegasなどなど数え切れないくらいです。

ミシシッピ大学(University of Mississippi)は州内に4つのキャンパスを有します。大学の愛称は「Ole Miss」。かつての綿花プランテーションの女主人の名前から由来します。ミシシッピ州立大学(Mississippi State University)やジャクソン州立大学(Jackson State University)が知られています。

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留学を考える その34 ミネソタ州—Land of 10,000 Lakes

Last Updated on 2015年11月16日 by 成田滋

カナダと国境を接し、ウィスコンシン州の西隣に位置するのがミネソタ州(Minnesota)です。州都はセントポール(St. Paul)。その隣は最も大きな都市、ミネアポリス(Minneapolis)とです。この二つは隣合わせなので「双子の都市」(Twin Cities)と呼ばれています。州のフレーズは「Star of the North」。

ミネソタ州の人口ですが、白人が88%を占めます。スカンジナビアやドイツからの移民が多いのです。ミネソタの人々の生活水準は合衆国で最も高いといわれています。教育水準も秀でていて、2015年の調査によると、ミネアポリスとセントポールは最も識字能力が高い人々が暮らす街となっています。

ミネソタ州あまりにも寒いところなので、有色人は少ないように思われがちですが、ラオス/タイ/ベトナムから多くの難民を受け入れている州としても知られています。これらの人々はアメリカではHmong(モン族)と呼ばれています。

双子の都市ではプロ野球球団のMinnesota Twinsがあります。フットボールではMinnesota Vikingsが知られています。精密機器などの産業でも有名です。穀物の集散地であります。穀物市場を支配するカーギルや3Mなどの本社もあります。合衆国内で最大規模のショッピングモール「Mall of America」内は、冷暖房が効き年中運動を兼ねた人が歩くところです。

この州のライセンスプレートには「10,000 Lakes」と印字されています。無数の湖で知られています。昔、氷河がミネソタ全体を覆っていたようです。氷河はゆっくり移動しますが、そのとき大地を削っていきます。それが基で湖が出来たというわけです。あまりに沢山の湖があるので、目的地に着くには大分迂回しなければならないということを友人から聞いたことがあります。

高等教育機関ですが、州内には32の州立の大学があります。その中心がミネソタ大学(University of Minnesota-Twin Cities)です。州内に5つのキャンパスを有しています。さらに20のリベラルアーツの私立大学(college)があります。U.S. News & World Reportによると、そのうち6つが全米ランク100校の中に入っています。

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留学を考える その33 ミシガン州–Great Lake State

Last Updated on 2015年11月14日 by 成田滋

ミシガン州(Michigan)のライセンスプレートには「Great Lake State」と印字されています。五大湖の中の四つの湖に囲まれた湖岸線は総延長距離5,000kmを超え、アラスカ州を除けば全米で最長のウオーター・フロントを誇っています。約11,000の湖沼や多くの河川を抱え、北部は広大な森林地帯となっています。

ミシガンは北はカナダと国境を接しミシガン湖(Lake Michigan)スペリオル湖(Lake Superior)・ヒューロン湖(Lake Huron)を抱え、西はウィスコンシン州、南はインディアナ州とオハイオ州に接しています。州都はランシング(Lansing)。最大の都市はご存じデトロイト(Detroit)です。デトロイト国際空港は6本の滑走路を有し、デルタ航空の一大ハブ空港となっています。

ミシガンは自動車工業発祥の州として知られています。その中心はなっといってもデトロイトでしょう。四つの湖に囲まれるという地の利が自動車産業を支えてきました。ゼネラルモーターズ(GM)、フォード(Ford)、クライスラー(Chrysler)のビッグスリーの本社がデトロイトとその近郊にあります。デトロイトは全米自動車労組(United Auto Workers: UAW)の本拠地であり、強固な民主党の地盤となっています。その他の産業も盛んです。例えば穀物のケロッグ(Kellogg)、ダウケミカル(Dow Chemical )、ワールプール(Whirlpool)、アムウェイ(Amway)などもここにあります。

ミシガンの産業の一つが農業です。主要な農産物ですが、とうもろこし、大豆、温室栽培、牛肉、じゃがいも、チェリー、ブルーベリー、リンゴ、いちご、梨などの果物の産地として知られています。林業も漁業も盛んです。

ミシガンは一大レクリエーションの州でもあります。2005年の統計によるとミシガンはカリフォルニア、フロリダに続き全米で第三番目の観光客を集めた州といわれるほど自然に恵まれたところです。レクリエーション客を惹き付ける理由もうなずけます。四つの湖の側はどこも州立公園や観光地といってよいほどです。いくつかを紹介しましょう。

カナダの国境近くにはマキナック島(Mackinac Island)があります。夏はキャンプ、釣り、リゾート、、なんでも楽しめます。この島は車禁止。移動手段は「リムジン馬車」か自転車となっています。コロニアルスタイルの建物が並びます。夏はのんびりと時間が流れるようなところです。

ムーイレイ岬(Pointe Mouillee )はエリー湖(Lake Erie)に突き出す砂州のようなところで、世界最大の干潟プロジェクトによる自然保護地区となっています。ミシガンはどこを走っても州立公園でキャンプを楽しめます。広さと清潔さ、そして安全さは多くのリクリエーション客を呼び寄せています。

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留学を考える その32 マサチューセッツ州—Spirit of America

Last Updated on 2015年11月13日 by 成田滋

マサチューセッツ州は、「Commonwealth of Massachusetts」と呼ばれます。Commonwealthの原義は「共通の善」ないし「公共の福祉」ということです。Common Goodという言葉と同義です。Massachusettsの発音はなんともいえない響きがあります。Stateを使わないところに誇りのようなものを感じさせてくれます。

この州には、長男夫婦と2人の孫が住んでいます。毎年必ず訪れるのが楽しみなところです。州都ボストン(Boston)から車で1時間のところにコロニアルスタイルの家で暮らしています。同じくボストンの東南1時間のところにプリマス(Plymoth)という港町があります。ここにMayflowerII号のレプリカが停泊しています。Mayflowerは1620年頃にヨーロッパからこのあたりに着いたことが記されています。長くてつらい大西洋の航海だったようです。

最初の移民の多くは聖教徒(Pilgrims)といわれています。MayflowerII号から下りた聖教徒が開拓したところが今も大切に保存されています。この居留地はPlimoth Plantation(プリマス開拓地)と呼ばれて州の歴史的な公園となっています。開拓地は高い木の柵が巡らされてインディアンからの襲撃に備えたことを伺わせます。

Plantationに入りますと、そこは1600年代という設定です。タイムスリップするのです。そこで働く人は百姓、鍛冶屋、パン屋さんなどいろいろ。当時の服装、言葉、動作で観光客に対応します。観光客は、働く人々とのちんぷんかんぷんの対話から「ここは1620年頃なのだな、、、」と合点がいきます。働く人々の演技が秀逸なのです。

マサチューセッツ州のライセンスプレートには「Spirit of America」というフレーズが印字されています。これは、建国の精神を意味します。1680年ころから、マサチューセッツはイギリスの植民地となります。1760年代になると、マサチューセッツ憲法として権利の宣言と政府の樹立を叫び、イギリスの支配に反旗を翻します。やがて独立戦争が始まるのです。この自治と独立の精神が「Spirit of America」というものです。

ボストン茶会事件(Boston Tea Party) や古戦場であるレキシントン・コンコードの戦い(Battles of Lexington and Concord)、バンカーヒルの戦い (Battle of Bunker Hill) が始まります。植民地軍の中心となったのが民兵であったミニットマン(Minutemen)です。 ボストン北西に位置するコンコード(Concord)にあった、アメリカ植民地民兵部隊の武器庫の争奪をめぐるイギリス軍と民兵隊の激しい戦闘が行われたのがレキシントンとコンコードのあたりです。規模は小さいながら独立戦争の緒戦として植民地軍はイギリス軍を撃破します。

アメリカの公教育で忘れてはならないのがホーレス・マン(Horace Mann)です。マンがマサチューセッツ州において進めた教育改革によって、普遍的な公共教育の基盤が築かれます。州内には、国内最古の公立小学校や、最古の高校、最古のボーディングスクール、最古のカレッジである1636年設立のハーバード大学(Harvard University)、最古の女子カレッジである1837年設立のマウントホリヨーク大学(Mount Holyoke College)が知られています。

州内には121の高等教育機関があるのですから驚きです。ケンブリッジ(Cambridge)にあるハーバード大学とマサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute of Technology)が世界の大学ランキングでも常に上位 ボストン大学(Boston University)、タフツ大学(Tufts University) 女子大であるスミス大学(Smith College)など多彩です。

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留学を考える その31  メリーランド州—Free State

Last Updated on 2015年11月12日 by 成田滋

メリーランド州(Maryland)は大西洋岸の中央に位置しています。南西には首都ワシントン(Washington D.C.)、ヴァージニア州(Virginia) 、ウエストヴァージニア州(West Virginia)、北にはペンシルヴァニア州(Pennsylvania)、東にはデラウエア州(Delaware)と接しています。州都はアナポリス(Annapolis)、最大の都市はバルチモア(Baltimore)です。メリーランド州には三つのニックネームがあります。それぞれ、「Old Line State」、「Free State」、「Chesapeake Bay State」とあります。

メリーランド州は、独立の際の十三州の一つで、信教の自由を最初に宣言した州としても知られています。十七世紀初頭、イングランドから派遣されていたカルヴァート(George Calvert)という初代のバルチモア総督による宗教的な迫害を受けたカトリック教徒が、その避けどころとして信仰の宣言をしたといわれます。

メリーランド州は各州に比べて地形的に最も小さい州です。ですが人口は700万人と密度では最も高い州です。首都ワシントンに隣接しているからです。住民の世帯あたりの収入は全米で最も高いことでも知られています。多様な経済活動が活発で、バイオテクノロジー分野で先駆的な研究をしています。チェスピーク湾(Chesapeake Bay)は豊かな海産物に恵まれ、カキ、青カニ、バス、ニシン(Menhaden)などが有名です。州の別なニックネームとして「Oyster State」というのもあります。カキの一大生産地だからです。

メリーランドの高等教育機関の雄は私立のジョンスホプキンス大学(Johns Hopkins University)でしょう。大資産家のJohns Hopkinsの寄付によって設立されています。さらにメリーランド大学(University of Maryland)、 モーガン州立大学(Morgan State University) 、セントメリー大学(St. Mary’s College of Maryland)があります。アナポリスには、海軍大学である海軍兵学校(US Naval Academy)も有名です。

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留学を考える  その30 メイン州—-Vacation Land

Last Updated on 2015年11月11日 by 成田滋

合衆国本土の地図をみますと、最東北部に小さな州がメイン(Maine)が位置しています。州都はオーガスタ市(Augusta)。カナダと長く国境線を有し、東と南は大西洋がひろがる州です。西はニューハンプシャー州(New Hampshire)、ヴァモント州(Vermont)、北西はカナダのケベック州(Quebec)、北東は同じくニュー・ブランズウィック州(New Brunswick)に接しています。州の内部には森林が広がり、海岸線は観光地として知られています。メインはニューイングランド(New England)の一部です。Maineという州名は「Mainland」から由来します。

現在メイン州となっている領域には数千年前から先住インディアンが住んでいたといわれます。ヨーロッパ人が接触した時にはアルゴンキン語族(Algonquins)のワバナキ族(Wabanaki)がいました。ヨーロッパ人による最初の開拓地は、1604年にフランス人、シャンペイン(Samuel de Champlain)がサンクロワ島(St. Croix Island)に設立したものでした。

イングランド人による最初の開拓地は、1607年にバージニア会社(Virginia Company)が設立したポパム植民地(Popham Colony)だったが、短命に終わります。地元インディアンとの抗争や過酷な気候や物資の欠乏がその理由です。

アメリカ独立戦争では、アメリカの愛国者とイギリス軍がメインの領土を巡って争いました。フランス系カナダ人(French Canadians)がメインに入植してアングロサクソン(Anglo-Saxons)との文化的な葛藤も経てきたようです。1820年まではメイン地区としてマサチューセッツ州に属していましたが、1820年にマサチューセッツ州から独立します。

メイン州の海産物はなんといってもロブスター(lobster)、そして貝類(clam)。豊富な海産物を背景に観光客には、必ず立ち寄るのが海産物を用意しているレストランとなります。その他、家禽及び卵、乳製品、牛、ブルーベリー、リンゴ、そしてメイプルシロップです。

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留学を考える その29 ルイジアナ —-Sportman’s Paradise

Last Updated on 2015年11月10日 by 成田滋

ルイジアナ州(Louisiana)は歴史や文化に関して実に興味ある州です。 かつてヨーロッパ諸国の植民地であったことを物語る州です。州内の幾つかの都市圏では、多文化、多言語の遺産が残っています。18世紀に領域を支配したフランス人やアカディア(Acadian)と呼ばれたフランス系入植者、さらに1821年まで北米や中南米を支配したヌエバ・エスパーニャ(Nueva Espana)と呼ばれるスペイン人の文化に強く影響されたところです。またネイティブアメリカン(インディアン)や、西アフリカから奴隷として連れてこられたアフリカ系アメリカ人(Aflican American)の文化の影響も見られます。混合文化というのでしょうか。

フランス系アカディア人は、ルイジアナ州南西部、特にアチャファライア盆地(Atchafalaya Basin)など湿地に入植して農産物を生産します。こうした人々はケイジャン(Cajun)と呼ばれるようなり、言語や音楽、料理などにフランスの影響を持ち込み English)と呼ばれるフランス語を基礎とする英語の方言が今も使われます。アクセントに特徴があります。YouTube上にはケイジャン英語の特徴が紹介されていて面白いです。

元フランス領であったルイジアナは1812年にアメリカ合衆国の州になります。アメリカが買収したのです。民法は近代市民社会の法の規範と呼ばれたナポレオン法典(Code Napoleon)が援用されます。「法のもとの平等」、「国家の世俗性」と「信教の自由」などが基礎となっています。

フランス植民地時代の影響は行政区の名称にもあります。通常、州内の区画はカウンティ(county)が使われますが、ルイジアナではパリッシュ(parish)が使われます。Parishとはキリスト教会が用いる「教区」のことです。ルイジアナ州だけがParishを使うのもフランスの影響が大きいということです。そのた、地名をながめてもフランス語だらけのような印象をうけます。州都はベイトンルージュ市(Baton Rouge)、最大の都市はニューオーリンズ市(New Orleans)です。「Louisiana」とは「Land of Louis」。つまりルイ十四世(Louis XIV)の統治下で名付けられたところです。

ルイジアナはミシシッピー川沿いに発達します。ミシシッピ川流域の農産物の輸出港として発展し、のちには工業都市・観光都市としても発展したのがニューオーリンズです。フランス植民地の雰囲気が残るあたりが観光の中心です。フレンチ・クオーター(French Quarter)です。ですが現存する建物はスペイン統治時代のものが多いといわれます。

独立戦争後は、さまざまなアングロアメリカン(Anglo-Americans)と呼ばれる英国系の米国人の入植者が増加し、やがて英語が公用語となっていきます。ですが、今でもルイジアナに住むネイティブアメリカンは合衆国でも最も多いところとなっています。

ルイジアナのライセンスプレートには「Sportman’s Paradise」とあります。温暖な気候のもとで、釣りをはじめとする野外活動が盛んだからでしょう。

高等教育機関です。ベイトンルージュにあるルイジアナ州立大学(Louisiana State University)、ラフィヤット(Lafayette)にあるルイジアナ大学(University of Louisiana) が有名です。

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留学を考える その28  ケンタッキー州—Bluegrass State

Last Updated on 2015年11月9日 by 成田滋

ケンタッキー州(Ketucky)といえば、(Stephen Foster)が作詞作曲した「ケンタッキーの我が家」(My Old Ketucky Home)を想い出します。70代以上の人なら誰もが聞き口ずさんだことのある哀愁味漂う曲です。フォスターは他にもスワニー河(Swanee River)、オールドブラックジョー(Old Black Joe)、夢見る人(Beautiful Dreamer)など150曲余りを作りました。彼は「アメリカの音楽の父」と呼ばれています。

私と家族はかってジョージアからウイスコンシンへ向かう途中、ケンタッキーをとおりました。「ケンタッキーの我が家」のメロディが浮かんだのはいうまでもありません。ですがMy Old Ketucky Homeが公式な州歌であることを知ったのは、ずっと後のことではあります。

ライセンスプレートには「Bluegrass State」とあります。草原を遠くから眺めると青紫色のつぼみが一面広がり、「青い草」に見えたので名付けられたとあります。ブルーグラス・ミュージック(Bluegrass Music)です。スコットランドやアイルランドの音楽を基にしています。アップテンポ(uptempo)の曲が時代と共に多くなり、速弾きなどのインプロヴァイズ(improvise)即興演奏もあります。お隣テネシー州(Tennessee)でもこの音楽は盛んです。

ケンタッキーはイリノイ、インディアナ、オハイオ、ミズリー州に囲まれ、オハイオ川とミシシッピー川で州境をなしています。東側にはアパラチア山脈(Appalachian Mountains)が聳えていて、豊かな自然に恵まれています。この州はなんといっても「ブルーグラスの州」と呼ばれ、肥沃な土壌からの多くの農産物がとれます。州都はフランクフォート(Frankfort)。最大の都市はルイビル(Louisville)となっています。

レキシントン(Lexington)大都市圏はケンタッキー州の文教地域でもあります。フランクフォートには、アフリカン・アメリカンのための高等教育機関として設置されたケンタッキー州立大学(Kentucky State University)がキャンパスを構えています。また、レキシントンにはケンタッキー大学(University of Kentucky)があります。

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留学を考える その27  カンザス州—Great Plains

Last Updated on 2015年11月7日 by 成田滋

カンザス州(Kansas)は地図を見ますと合衆国の「へそ」にあります。北側はネブラスカ州、東側はミズーリ州、南側はオクラホマ州、そして西側はコロラド州となっています。州都はトピカ市 (Topeka)、州最大の町はウィチタ市 (Wichita)です。カンザス・シティ (Kansas City)もミズリー川沿いにある活気のある町です。

州名、Kansasは、ネイティブアメリカンである「Kansa族」に由来します。 「Kansa」とは「風の民」、とか「南風の民」と呼ばれていたようです。かって、ネイティブアメリカンはカンザスでアメリカ・バイソン(bison)やバファローを捕獲して暮らしていたといわれています。部族のほとんどは、西部開拓の影響で西へ北へと追いやられた歴史があります。19世紀初頭に東部の森林地帯から強制移住させられされてカンザスに定住しました。居留地区があちこちにあります。

アメリカの「大平原」(Great Plains)というのは、この州がもっとも当てはまるのではないかと思えるくらいの景色が広がります。平原をさす単語に「prairies」というのもあります。大平原はまさに一大穀倉地帯です。平坦でときになだらかに起伏しているのですが、農業生産品は牛、豚や羊、小麦、トウモロコシ、ひまわり種、大豆、綿、及び塩となっています。ライセンスプレートのデザインはその州を表しますが、カンザス州のは小麦の穂が配置されています。

高等教育機関として、ローレンス市に拠を置くカンザス大学(University of Kansas)、カンザス州立大学(Kansas State University) 、ウィチタ州立大学(Wichita State University)、教員養成カレッジであるエンポリア州立大学(Emporia State University)も人気があります。

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留学を考える その26  アイオワ—America’s Heartland

Last Updated on 2015年11月6日 by 成田滋

アイオワ州(Iowa)のライセンスプレートには、穀物を保存するサイロや納屋が背景に印刷されています。トウモロコシと小麦の生産で有名なアイオワが今回の話題です。北はミネソタ州、東はウィスコンシン州及びイリノイ州、南はミズーリ州(Missouri)、そして西はネブラスカ州(Nebraska)及びサウスダコタ州(South Dakota)に囲まれています。州都で最大の都市はデモイン(Des Moines)です。

アイオワには、東がミシシッピー川(Mississippi)、そして西はミズリー川が流れています。豊かな農産物などがこの川を使って運ばれています。アイオワは結構なだらかな丘陵が折り重なって農作物の生産に適しています。

アメリカの中西部は「コーンベルト」と呼ばれトウモロコシの一大生産地です。アイオワはその中で生産量が全米でトップを誇ります。車でどこまで走っても穀倉地帯が広がります。豊饒の地といえましょう。大豆、豚の生産量も全米第一位となっています。従って、穀物市場の金融や流通、そしてバイオテクノロジー研究開発などでも盛んな州です。

アイオワのあたりは、「アメリカの中心」とか「アメリカの心臓部」(America’s Heartland)とも呼ばれて、恐らく世界一の農業地帯であります。アメリカは工業国ではありますが、なんといっても主役は農業なのです。トウモロコシと小麦の生産高からは、アメリカは農業国と呼ぶにふさわしいといえます。

アメリカの小学校では、アメリカの探検と開拓の歴史を学びます。そこに登場するのは、フランスからきたジャック・マークエット(Jacques Marquette)とルイス・ジョリエ(Louis Jolliet) という探検家です。この二人が中西部を探検したのは1670年代の頃です。マークエットはもともとフランスの宣教師でした。一方ジョリエはカナダ、ケベック生まれのフランス人でした。この二人の探検家は一緒に主にミシシッピー川(Mississippi)とその支流を使いアイオワ、ウィスコンシン、ミシガン、イリノイなどを調べメキシコ湾にも到達します。ジョリエの貢献は、彼の名前を付けた町が沢山あることに現れています。

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留学を考える その25 インディアナ—The Crossroads of America

Last Updated on 2015年11月5日 by 成田滋

インディアナ(Indiana)の州都はインディアナポリス(Indianapolis)。ちょうど鉄道や沢山のインターステイツ(ハイウエイ)が交差するところにあります。また「ユニオン・ステーション」(Union Station)が最初に建てられたところとしても知られています。そのため、ナンバープレートには「The Crossroads of America」と印字されています。合衆国の大きな駅はユニオン・ステーションと命名されているのをご存じでしょうか。

北にミシガン州(Michigan)、東にオハイオ州(Ohio)、東にケンタッキー州(Kentucky)そして南と西にイリノイ州(Illinois)と接しています。北西部はシカゴ市の巨大な都市圏となっていて、産業が盛んです。その中心がゲーリー市(Gary)です。

インディアナはCorn Beltと呼ばれるウモロコシの農場が広がります。トウモロコシは養鶏や養豚の飼料となります。飼料は世界中に輸出されています。アメリカの穀物地帯でもあり、Grain Beltともいわれ、市場を押さえています。その中心がインディアナということです。大豆、鶏卵、メロン、トマト、ブドウ、タバコ、ハッカの生産も盛んです。

州北西部は合衆国内の最大なスチール生産地域となっており、製造業は自動車、電気設備、化学製品、ゴム、石油及び石炭製品、並びに産業機械となっています。研究開発の中心は、インディアナ大学(Indiana University), インディアナ州立大学(Indiana State University)、パディユ大学(Purdue University)、ボール州立大学(Ball State University)、ノートルダム大学(University of Notre Dame)などの大学です。インディアナ大学は1820年に設立された大学システムです。州内に8つのキャンパスを有します。その基幹キャンパスがBloomingtonにあります。
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留学を考える その24 イリノイ州—Land of Lincoln

Last Updated on 2016年2月2日 by 成田滋

シカゴ(Chicago)は誰でも聞いたことのある大都会。日本から直行便で12時間、オヘア国際空港(O’Hare International Airport)に着くとそこはシカゴ、イリノイ州(Illinois)です。

ここの州都はシカゴではなくスプリングフィールド(Springfield)です。エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)が弁護士や上院議員として活躍したことで知られています。アメリカは一番大きな街が州都になるとは限りません。例えばカリフォルニアは州都がサクラメント(Sacramento)です。サンフランシスコやロスアンジェルスは遥かに大きな都市ですが州都ではありません。

さて、リンカーンのことです。アメリカ第16代の大統領です。その功績は人種差別運動の先駆者ともいうべき人とされています。その運動の伏線には、ハリエット・ストウ(Harriet E. Stowe)という小説家が書いた「アンクル・トムの小屋」(Ancle Tom’s Cabin)があります。この作品で、当時の黒人の生活と差別の実態が全米の人々に知れ渡ることになります。差別への関心がやがて、アメリカを二分する南北戦争(Civil War)へと展開していきます。

アメリカ南部は綿花を栽培することが中心。畑には多くのが黒人労働者が使われていました。映画「風と友に去りぬ」(Gone with the Wind)は、南部が舞台でした。メイド役の黒人女性が、一人娘の死で打ちひしがれる農場主レッド・バトラー’Rhett Butler)を慰めるシーンがありました。帰還する兵士アシュレー(Ashley Wilkes)を見て、スカーレット・オハラ(Scarlett O’Hara)がかけ寄ろうとするのを押しとどめるのはこのメイドでした。

南北戦争の最中、共和党員であるリンカーンは二分しかかったアメリカを一つにしようと呼びかけた有名な演説をします。それが1862年9月22日の奴隷解放宣言(Emancipation Proclamation)と1863年11日9日のゲティスバーグ演説(Gettysburg Address)です。イリノイ州のナンバープレートには「Land of Lincoln」と記されています。

高等教育機関では、シカゴ大学(University of Chicago)、ノースウェスタン大学(Northwestern University)、イリノイ大学(University of Illinois, Urbana-Champaign)など名だたる大学があります。州内には公立私立併せて20以上の4年制大学があます。その他多くのリベラルアーツのカレッジや公立のコミュニティ・カレッジがあります。日本の留学生も多いところです。
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tomtud 5539835467_a7d3d8de23_b univ_illinois_urbana University of Illinois, Urbana-Champaign

 

 

留学を考える その23 アイダホ—Famous Potatoes

Last Updated on 2015年11月3日 by 成田滋

復帰前の1970年に沖縄に赴任したとき、那覇市内の公設市場で見たときのジャガイモ、馬鈴薯があまりに大きので驚いたものです。袋にアイダホ(Idaho)が印字されていたのを覚えています。本土復帰の前でしたので、たくさんの食料品がアメリカやヨーロッパから沖縄に入ってきていました。ランチョンミート(luncheon meat)もそうです。数年前に、スパムという商品名がついていると友人から教わりました。

北海道育ちの私はジャガイモをよく食べていましたが、Idahoのは格別大きかったです。アメリカ人は実にジャガイモとステーキの組み合わせが好きです。ジャガイモには肉汁がかけられます。

「Famous Potatoes」というニックネームがつくのがアイダホ州(Idaho)です。北はカナダのブリティッシュコロンビア州(British Columbia)に接し、西はワシントン州(Washington)とオレゴン州(Oregon)に、南はネバダ州(Nevada)とユタ州(Utah)、そして東はモンタナ州(Montana)とワイオミング州(Wyoming)に接しています。州都はボイヅイ(Boise)。大部分が山岳地帯となっていますが農業も盛んな州です。アイダホ州の別な愛称は「宝石の州」。

アメリカのライセンスプレートは、州や郡ごとに独自のデザインで発行されており、非常に色彩豊かです。そして特徴を表現するキャッチフレーズが印字されています。通常2年ごとにプレートのデザインは変わります。追加の手数料を支払えば自分のライセンスプレートを作ることもできます。それ故、一つの州には沢山のプレートがあり、蒐集家を喜ばせてくれます。合衆国の多様性を感じることの一つがライセンスプレート。

高等教育機関ですが、アイダホ大学(University of Idaho)、アイダホ州立大学(Idaho State University)、 ブリガム・ヤング大学アイダホ校(Brigham Young University, Idaho)、ボイヅイ州立大学(Boise State University)などがあります。アイダホ大学は世界で初めてラバのクローンを誕生させたことで知られています。なお、ブリガム・ヤング大学は末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教会)が運営しています。

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留学を考える その22 ハワイ州—Aloha State

Last Updated on 2015年11月2日 by 成田滋

旅行好きな人もそうでもない人も一度は立ち寄るところがハワイ(Hawaii)です。言葉が通じ、食べ物が豊富で美味しく、景色がエキゾチックで、気候が温暖なのですから人気が高いのもうなずけます。誠に手頃な観光地です。ですが文化や歴史の多様さもまたハワイの魅力です。

ハワイ固有の文化はポリネシア系(Polynesian)です。音楽、舞踊、服装、料理などがそうです。1778年にイギリスの探検家、ジェームス・クック(James Cook)によって世界に紹介されます。 州として合衆国に編入されたのは1959年。カメハメハ大王(King Kamehameha the Great)の統治が長く続きました。その間、日本から多くの人々が移民しました。主としてオアフ島(Oahu)やハワイ島(Big Island)でのサトウキビ、パイナップル、珈琲栽培のためです。琉球からの移民が目立ちました。今も琉球の名前を持つ人々が大勢住んでいます。

先住のハワイ人やポリネシア系が約10%なのに比べ、日系人は17%を占めます。政治、経済、社会における活躍は目覚ましいものがあります。日系人の活躍としては、戦時中の志願兵の活躍が特筆されます。ハワイで生まれの若い日系アメリカ人の多くは、祖国に対する忠誠心を示し陸軍の大隊に入ります。この部隊は日系人だけで組織されていたようです。やがてアメリカ本土の日系人部隊と合流し第442連隊戦闘団(he 442nd Regimental Combat Team)となりヨーロッパ戦線にて戦果を上げます。オアフ島の真珠湾に浮かぶ戦艦アリゾナ記念館(USS Arizona Memorial)や戦艦ミズリー号(USS Missouri)などを訪れると太平洋戦争の歴史が身近なものとなります。

ハワイ州は、大小100位の島々から成ります。これらは海底火山によってつくられました。州都ホノルル(Honolulu)のあるオアフ島は最も知られていますが、是非訪ねたいのはハワイ島やカウアイ島(Kauai)、モロカイ島Molokai)などです。ハワイ島には日系移民によって開発された一番大きな町、ヒロ(Hilo)があります。そこに日系移民博物館があります。驚くことに、館内の展示物には代々の天皇の「写真」が飾ってあります。日本に対する深い想いがこめられているのを感じます。近年マウイ島(Maui)が非常に人気あります。アメリカ本土の都市から沢山の直行便があるほどです。登山、ハイキング、水泳、自転車などでのツーリングが楽しめます。私事ながら、2010年の家族との再会はマウイ島でした。

ハワイ島のマウナケア山頂(Mauna Kea)付近は、国立天文台が設置したすばる望遠鏡があります。周りには世界各国の天文台も並んでいます。ここに兵教大の院生とで天文台内部を見学する許可を得て訪ねました。ついでに山頂へも登ったのですが、酸素が薄くて息が苦しかったのを覚えています。一行にいた理科の教師にはたまらない見学ツアーとなったようです。ハワイ島のキラウエア(Kilauea)火山からの熔岩流は今も蒸気を上げています。そして虹が地平線から地平線まで見事なアーチを描きます。

ハワイ大学(University of Hawaii)システムとして3つの四年制大学、7つの二年制短期大学(Community College)を擁しています。基幹大学はホノルルにあるハワイ大学マノア校です。附属研究機関としてハワイ島にあるマウナケア天文台があります。大小の島々からなるハワイでは、インターネットや衛星放送などによる教育が盛んに行われています。いわゆるeラーニング(e-learning)です。

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