ウィスコンシンで会った人々 その112 洒落噺 「洒落番頭」

Last Updated on 2015年9月30日 by 成田滋

洒落と駄洒落の違いと訊かれてもすぐに答えは出ないが、洒落は「オシャレ」、駄洒落は「オヤジギャグ」としておくのが相応しいようである。ややこしい定義よりもフィーリングでつかむほうがよさそうだ。

「洒落番頭」という演目を紹介する。さる商家の旦那、女房に「うちの番頭は洒落番頭と言われるほどの洒落の名人だ」と聞かされたので、番頭を呼んで「洒落をやってみせておくれ」言う。番頭が「ではお題をいただきます」と言うので、「庭の石垣の間から蟹が出てきた。あれで洒落を」と旦那は頼む。番頭は即座に「にわかには(急には)洒落られません」という。

洒落のわからない旦那は真面目に受けて「できないなら題を替えよう。孫が大きな鈴を蹴って遊んでいる。あれでどうだ」と言う。番頭、すぐに「鈴蹴っては(続けては)無理です」。旦那は「洒落られません、無理ですって、なにが名人だ!」と本当に怒ってしまう。

番頭は慌てて部屋から退いて、「旦那の前では二度と洒落はやるもんか」と捨て台詞。旦那は女房にその話をすると、女房は「それは洒落になってます」。

旦那 「できません、無理ですって断わるのが洒落かい」
 女房 「洒落になってますよ。番頭は洒落の名人なんですから」
 女房 「番頭がなんか言ったら、うまい、うまいって褒めてあげなさいよ。それを怒ったりしては、人に笑われますよ」
 旦那 「じゃあ、番頭を呼んで謝ろう」

呼ばれた番頭は旦那に謝られて盛んに恐縮する。

旦那 「機嫌を直して、もう一度、洒落をやっておくれ」
 番頭 「いえ、もう洒落はできませんで」
 旦那 「やぁ、番頭。うまい洒落だ」

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ウィスコンシンで会った人々 その111 Intermission ラグビーとスコットランド

Last Updated on 2015年9月29日 by 成田滋

「ラグビー・ワールドカップ2015」で日本代表の初戦の活躍が光った。強豪南アフリカ(South Africa)を破ったことにある。だが、第二戦はインターセプトなどの判断ミスから失トライ重ね、後半失速しスコットランド(Scotland)に敗退した。

スコットランドといえば、ゴルフ発祥の地としても知られ、セント・アンドルーズ(St. Andrews)は聖地と呼ばれる。またカーリング(Curling)もスコットランドが発祥とされるため、国際大会の前にはスコットランドの歌「Flower of Scotland」が演奏される。国民的にはサッカーが最も人気のあるスポーツであるが、ラグビーも非常に強いことが先日の対戦で知らされたところである。
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復習のようであるが、スコットランドは独立国家ではなく、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland: UK)を構成する4つの国の一つである。2014年9月、スコットランドの独立を問う住民投票が実施されたが否決されたのは目新しい。そのような訳で、スポーツなどの国際大会で演奏される「Flower of Scotland」は国歌ではない。

筆者も、誠に細いつながりがスコットランドやイングランド(England)とにある。数少ない友や知人を通して学校を視察したこと、障がい児教育の現場を見せてもらったことも忘れられない。ヨーロッパの歴史を表層的に学んだこと、特に幕末から明治にかけてのスコットランド人(Scots)の日本での活躍、日露戦争前後の日本とイギリスの関わりは記憶に残る知識だ。それとルター(Martin Luther)と宗教改革がスコットランドに与えた影響、改革の意義を説教や勉強会で教えられたことも心の糧となっている。こうしたスコットランドと日本の関係にはついては、このブログ上で24回にわたり綴ってきた。

全世界の産業革命の先駆的な出来事は、蒸気機関の発明である。蒸気機関は工場や機関車に応用された。その発明家ジェームズ・ワット(James Watt)は、グラスゴー大学(University of Glasgow)で機械工学を学び、その後技術者として知られ、産業革命の発展に多大な貢献をした。オックスフォード大学(University of Oxford)やケンブリッジ大学(University of Cambridge)が、主に官僚を養成することを重視したが、グラスゴー大学や実学を強調した。その違いはきわめて鮮明である。

スコットランド人は理論を実践に移し、ものづくりに傾注することの重要性を深く認識していたようだ。多くの技術が実用化され、スコットランドはやがて産業革命の中心地としての地位を確立し、「大英帝国の工場」と呼ばれた時期もあったようである。今も鉄道、鉄鋼、機械、石炭、畜産、綿織、海運、造船などが盛んである。

スコットランド人の気質としては、独創性、独自性が豊かだといわれる。それを起業精神につながると指摘する識者もいる。スコットランドの自然と経済環境の厳しさにも由来するとされる。1701年にイングランド王国に併合されると、スコットランド人の就労の機会は先進地域のイングラントや海外への植民地へと向かっていく。
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多くのスコットランド人が1800年代に北アメリカ大陸に渡っていった。アメリカの鉄鋼王と呼ばれたアンドリュ・カーネギー(Andrew Carnegie)もスコットランド人である。1848年にアメリカに移住した。カーネギーはU.S. スティール会社(U.S. Steel Corporation)などを創設し莫大な資産を残す。それを基金としてカーネギーメロン大学(Carnegie Mellon University)、世界の音楽の殿堂といわれるニューヨークのカーネギーホール(Carnegie Hall)などの建設に使った。偉大な篤志家ともいわれる。道産子の小生には、開拓時代にスコットランド人の実業家や研究者が北海道の農業や酪農、畜産業などの分野で大きな貢献をしたことも忘れられない。エドウィン・ダン(Edwin Dun)はその代表である。

スコッチ・ウイスキーは定義上スコットランド産である。スコットランドには、100以上もの蒸留所があり、世界に愛好家が多い。ニッカウヰスキーの創業者竹鶴政孝もグラスゴー大学で応用化学を学びやがて、北海道の余市においてウイスキー蒸留所を建てる。

1960年代に北海油田が開発されると、漁港アバディーン(Aberdeen)は石油基地として大きな発展をとげた。石油資源の存在はスコットランド独立派の強みとなっている。UK唯一の原子力潜水艦の基地がスコットランドのクライド(Clyde)にある。

スコットランドの公用語は英語とゲール語(Gaelic)である。消滅危険度評価で「危険」水準にあることから、スコットランドでは、2005年からゲール語を公文書で使うことが決められた。なおゲール語ではスコットランドをAlbaと表記する。
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さてラグビーに戻り第三戦だが、一勝一敗の日本はサモアと、二勝のスコットランドは南アフリカとの対戦である。期待しよう。

ウィスコンシンで会った人々 その110 ヤブ医者噺 「薮医者」

Last Updated on 2015年9月28日 by 成田滋

小石川養生所ができたのが1722年。質素倹約を推奨していた八代将軍徳川吉宗、直々の命で建てた医療、福祉施設とされる。困窮者救済が主たる役目だった。もともと幕府の薬草栽培施設だったのが小石川御薬園。低地と湿地のためいろいろな薬草も繁茂していたという。そこに養生所を建てたのである。都心にあって静けさが横溢し緑が滴るところである。小石川は台地や傾斜地となっていて、泉水が豊富に湧き出すなど地形の変化に富んでいる。今も養生所で使われていた井戸が残されている。現在は東京大学小石川植物園となっている。

山本周五郎の「赤ひげ診療譚」は、長崎で修行した医師保本登、その師匠の赤ひげによる不幸な人々の救済物語である。「譚」とは物語という意味。落語などで登場する藪医者は、「藪井竹庵」。藪医者をなぞらえて用いられる。主人や旦那のもとで働く人物の代表は権助で、演目でしばしばでてくる。

はやらない藪医者の藪井竹庵。あまりにも患者が来ないので考えたあげくに、奉公人の権助をサクラに使うことを思いつく。権助に玄関前で患者の使いのふりをさせて「こちらの先生はご名医という評判で……」と大声を張り上げれば、評判が立つだろうという計画だ。正直な田舎者の権助は、間違って患者が来たら可哀そうだとこの計略に乗り気がしない。だが計画の練習が始まる。

「お〜頼み申しますでのう」と玄関先で大声をはりあげる権助に藪医者は「どおれ、いずれから?」と応対する練習である。

権助 「(普通の声で)はい、お頼み申します、お頼み申します」
藪医者 「それじゃぁ、聞こえない、」
権助 「えっ?」
藪医者 「聞こえないよ」
権助 「聞こえねぇことなかんべ」
権助 「おめぇ様、そこに居るでねぇか」
藪医者 「いや、あたしに聞こえても駄目だ、外へ通る人に聞こえなくちゃいけない」
藪医者 「大きな声で、ひとつ、やってみてくれ」

藪医者は権助に、どこからやってきて何をしているかを指南する。

権助 「お頼み申します、お頼み申します」
藪医者 「大きな声で何屋何兵衛だといえ」
権助 「お頼み申します、何屋何兵衛という、、」
藪医者 「そうじゃない。伊勢屋九兵衛という酒屋からまいりましたか、とかなんか言ってみろ」
権助  「繁盛しそうな名だ」

藪医者と権助の練習は続く。

権助 「神田、三河町、越中、源兵衛ちゅう、米屋からめいりました」
藪医者 「なるほど、うまいな、声も大きい」
権助 「どうだ、うまかんべぇ」
藪医者 「はい、神田三河町、越中屋源兵衛という米屋さんですか、」
藪医者 「して、何のご用で?」
権助 「先月のお米の勘定を、もれぇに来た」
藪医者 「冗談、言っちゃぁいけない」

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ウィスコンシンで会った人々 その109 放蕩息子噺 「六尺棒」

Last Updated on 2015年9月26日 by 成田滋

放蕩息子といえども、すごすご家から出て行く者だけでない。したたかさもあり頼もしいところがある。夜遊びとか博打、吉原通いといった江戸庶民の楽しみを描く演目に放蕩息子がでてくる。大抵は二代目の倅の浮かれ姿であり、お決まりのように啖呵をきって出ていく。そして「札付きのワル」として大抵はとどめを刺す。それをにぎにぎしく思う親父の混迷振りが伝わる。

「六尺棒」という演目である。堅気の商人の若旦那、幸太郎は夜遊びが激しい。毎晩のように深夜の帰宅。いつも親父がうるさいので、戸をそっと叩いて番頭や小僧を呼び家に忍び込もうとする。

生憎、親父が起きていて、戸を開けてくれない。挙げ句の果てに、『幸太郎のお友達ですか?よく訪ねてくださいました。「幸太郎は親類協議の上、勘当しました」と幸太郎にそうお伝え願います』などと、一向に家に入れようとしない。

幸太郎は家に入れてもらえそうもないので「この家に火をつけてやる」と穏やかでない。慌てた親父、六尺棒を持ってひっぱたきに飛び出てくる。幸太郎のほうが脚力があるから、どんどん逃げる。親父は捕まえることはできず、とうとう諦めて家に戻る。

戻ると家の戸が閉まっている。幸太郎が先回りをして家の中に入って錠をおろしてしまった。どんどん戸を叩くと、中の幸太郎はさっき親父にやられた通り真似をして『ああ、親父のお友達ですか?よく訪ねてくださいました。「親父は親類縁戚で相談の上、勘当した」と、親父にそうお伝え願います』などとやり返す。

怒った親父 「そんなに俺の真似がしたかったら、六尺棒を持って、追っかけて来い」

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ウィスコンシンで会った人々 その108 丁稚噺 「藪入り」

Last Updated on 2015年9月25日 by 成田滋

江戸時代の藪入りは1月16日と7月16日。女中や丁稚小僧などの奉公人、嫁が実家へ帰ることのできた貴重な休日である。さぞかし皆が待ち焦がれていたと思われる。こうした商家を中心に広まった藪入りの伝統と名残りは、現代の正月や盆の帰省に引き継がれている。

商家に奉公している亀吉が三年ぶりに実家へ帰る藪入りの前日の夜である。息子の帰りを待ちきれない父親は「あいつの好きな熱いご飯と納豆、ウナギを食わしてやりたい。寿司や汁粉、それから天ぷら、刺身、おでん、、、」と女房に用意するように言いつける。「そんなに食べられやしませんよ、」とたしなめられる。夜中、まんじりともせず亀吉の帰りを待っている。

「今日は亀を湯に行かせたら、浅草の観音様に連れて行きたい。ついでに品川で海を見せて、羽田の穴守稲荷様に寄って、川崎の大師様にお詣りし、横浜、江の島、鎌倉。ついでに名古屋のシャチホコを見せて、伊勢の大神宮様にお参りしたい。そこから京大阪を回って、讃岐の金比羅様を一日で、、」女房は呆れてものがいえない。

当日。亀吉は丁重に両親に挨拶をする。身長が伸びた息子を見て両親は涙を流す。湯屋に出かけた息子の荷物を母はがなにげなく見ると、財布に紙幣が入っている。奉公先の給金を貯めたとはいえ、母親は「亀吉が何か悪事に手を染めたのでは」という疑念を抱く。父親は気を落ち着かせて待とうとするが、苛立ちがつのる。

帰ってきた亀吉に対し、父親は「このカネは何だ」と問い質す。亀吉は、「人の財布の中を黙って見るなんていけませんよ」と言い返したので、父親は殴り飛ばしてしまう。母親は父親を制止し、「じゃあ、どうやって手にしたおカネなのか」と泣きながら問いただすと、亀吉は「そのおカネは、店で捕まえたネズミを警察に持って行っていきました。そのネズミの懸賞が当たって、店のご主人に預けていたものです。今日の藪入りのために返してもらってきました」と答える。

両親は安心するとともに、我が子の徳と運をほめる。父親はバツが悪るそうに「これからもご主人を大事にしろ」と亀吉に次のように言う。

「これもご主人への忠(チュウ)のおかげだ」。

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ウィスコンシンで会った人々 その107 泥棒噺 「転宅」

Last Updated on 2015年9月24日 by 成田滋

間抜けな泥棒としっかり者のお妾さんとの噺である。侵入してきた泥棒から手練手管を使って金を巻き上げる。どうも落語の世界では女性は優位、男性は誠に情けない有様だ。

とある妾宅である。旦那が二号のお梅に金を渡し、お梅に送られていく。それを泥棒が聞きつけ妾宅に忍び込む。泥棒、残り物をムシャムシャ食っている。そこにお梅が帰って鉢合わせ。泥棒、お決まりのセリフですごんで見せるが、お梅は驚かない。

お梅は泥棒に身のうちを明かす。「あたしも実は元は同業で、とうに旦那には愛想が尽きている」、「あたしみたいな女でよかったら、一緒になっておくれでないか」言いだしたから、泥棒は仰天。泥棒は舞い上ってとうとう夫婦約束の杯を交わす。

そう決まったら今夜は泊まっていくと図々しく言いだすと「あら、今夜はいけないよ。二階には旦那の友達で柔術をやる用心棒がいるから駄目。明日のお昼ごろ来てね。合図に三味線でも弾くから」。明朝忍んでいく約束をしながら、「亭主のものは女房のもの。このお金は預かっておくよ」と泥棒は稼いだ金をお梅に巻き上げられる。

翌朝。うきうきして泥棒が妾宅にやってくると、あにはからんやもぬけのカラ。慌てて隣の煙草屋のお爺に聞くと、「いや、この家には大変な珍談がありまして、昨夜から笑い続けなんです」、「女は実は、元は旅稼ぎの女義太夫がたり。方々で遊んできた人だから、人間がすれている」、「女の家というのは平屋、二階なんてありませんよ。そろそろ間抜けな男が現れる頃、一緒に笑ってやりまひょう、」、「お後が怖いというので、明け方のうちに急に転宅してしましたよ」

間抜け泥棒 「えっ、引っ越した。義太夫がたりだけに、うまくかたられた(騙された)」

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ウィスコンシンで会った人々 その106 「近日息子」

Last Updated on 2015年9月23日 by 成田滋

この演目にでてくる倅は、放蕩息子までとはいかないが、かなりのぼんくら。放蕩息子といえば、新約聖書のルカによる福音書15章11節に登場する「The Parable of the Lost Son」と決まっている。

親父が倅に「もうちょっと落ち着いて考えろ、、!」と説教している。そして「芝居の初日がいつ開くか見てきてくれ」と頼む。帰ってきた息子が明日だと言う。そこで楽しみにして出かけてみると「近日開演」の札が立っている。

 親父 「馬鹿野郎、近日てえのは近いうちに開けるという意味だ」
 倅 「だっておとっつぁん、今日が一番近い日だから近日だ」

なにしろ普段から、気を利かせるとか、先を読むということをまるで知らない。「おとっつぁんがきせるに煙草を詰めたら煙草盆を持ってくるとか、えへんと言えば痰壺を持ってくるとか、鼻水がでそうになったら紙を持ってくるとか、それくらいのことをしてみろ」、「そのくせ叱るとふくれっ面ですぐどっかへ行っちまいやがって」、とガミガミ言っている。そのうちおやじ、トイレに行きたくなったので、紙を持ってこいと言いつけると、出したのは便箋と封筒。

また小言を言うと、倅はプイといなくなってしまった。しばらくして医者の錆田先生を連れて戻ってきたから、わけを聞くと「お宅の息子さんが『おやじの容態が急に変わったので、あと何分ももつまいから、早く来てくれ』と言うから、取りあえずきてみた」「えっ? あたしは何分ももちませんか?」「いやいや、一応お脈を拝見」というので、診ても倅が言うほど悪くないから、医者は首をかしげる。

それを見ていた息子、急いで葬儀社へ駆けつけ、ついでに坊さんの方へも手をまわす。長屋の連中も、大家が死んだと聞きつけて、「あの馬鹿息子が早桶担いで帰ってきたというから間違いないだろう、そうなると悔やみに行かなくっちゃ」と相談する。説教の薬が効きすぎたようだ。

そこで口のうまい男が口上を宣もう。「このたびは何とも申し上げようがございません。長屋一同も、生前ひとかたならないお世話になりまして、あんないい大家さんが亡くなるなんて、、、」……言いかけてヒョイと見上げると、ホトケが閻魔のような顔で、煙草をふかしながらにらんでいる。

 口のうまい男 「へ、こんちは、さよならっ」
 大家 「いい加減にしろ。おまえさん方まで、ウチの馬鹿野郎と一緒になって!」
 大家 「あたしの悔やみに来るとは、どういう料簡だっ!」
 口のうまい男 「へえ、表に白黒の花輪、葬儀屋がウロついていて」
 口のうまい男 「忌中札まで出てましたもんで」
 大家「え、そこまで手がまわって……馬鹿野郎、表に忌中札まで出しゃがって」
 大家 「へへ、長屋の奴らもあんまし利口じゃねえや」
 大家 「よく見ろい、忌中のそばに近日と書いてあらァ」

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ウィスコンシンで会った人々 その105 舞台噺 「音曲長屋」

Last Updated on 2015年9月22日 by 成田滋

落語の中には、音曲を取り入れたものも多くある。楽屋連中の踊り、歌・物真似が飛び出す歌舞伎仕立ての構成で、これを舞台落語と命名された。演者には相当な芸が要求されたといわれる。噺家の中でも舞台で披露する人がいる。実に可笑しい。

三味線や歌、踊りといった音曲の好きな旦那がまた新しい長屋を建てた。入居者募集には「芸の心得のある者」という厳しい条件をつけ、その手見せ(オーディション)を開いた。

常盤津、踊り、義太夫、落語、手品、物真似、皿回し、長唄、剣術、川柳・狂歌、所作指南など芸の持ち主がやってきては、自分の素人芸を披露した。長屋の主人は、応募者一人ひとりに「ええですな、是非とも入居を」とほめると、「お前さんはこの長屋に入るのは五十年早いな」などと冷やかしながら入居者を決めていった。

最後の男が都都逸を唄うと、その声に長屋の旦那はすっかり惚れぼれしてしまう。都都逸は、三味線と共に歌われる俗曲。主として男女の恋愛を題材とした。これを音曲師が寄席や座敷などで演じる出し物である。

▽この酒を 止めちゃ嫌だよ 酔わせておくれ まさか素面じゃ 言いにくい
これは、五・七・七・七・五の音数律となっている。

▽あついあついと 言われた仲も 三月せぬ間に あきがくる
こちらは七・七・七・五の形式である。

 長屋の旦那  「大変結構、結構。あなたは店賃はいりません。」
 長屋の旦那  「その代り、毎日、あたしの所へきて都都逸を聞かせてくださいな」
 応募者  「いくらなんでも毎日聞いてたら、飽きやぁしませんか?」
 長屋の旦那  「あたしは家主。空家(飽きやぁ)は禁物です」

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ウィスコンシンで会った人々 その104 泥棒噺 「鈴ヶ森」

Last Updated on 2015年9月19日 by 成田滋

新米泥棒を親分が実地教育するという噺である。ドジで間抜けな新米。泥棒といってもねずみ小僧次郎吉や稲葉小僧、石川五右衛門といった暴利を貪る商人や威張っている侍を狙った「義賊」ではなく、新人泥棒の噺である。舞台は大森海岸沿。東海道は鈴ヶ森である。

親分 「出掛けるから、にぎりめしの風呂敷を担げ。お前が食べるんじゃ無いぞ。舅に食べさせるんだ」
新米泥棒 「舅って連れ合いの親ですよね」
親分 「何にも分からないのだな」
親分 「舅とはウルサいだろ。だから犬のことだ!」
新米泥棒 「では猫は小舅ですか」

親分 「ドスを差して行けよ!」
新米泥棒 「何でドスと言うのですか」
親分 「うるさいな。ドッと刺して、スッて抜くからだ」

親分 「表へ出ろ。戸締まりはしてきたか。世の中物騒だからな」、新米泥棒 「大丈夫です。物騒なのが二人出てきましたから」
新米泥棒 「暗いですね」
親分 「俺たちは暗いから仕事になるんだ」
新米泥棒  「恐いから、もっと明るい吉原に行きましょうよ」
親分 「歩くと、もっと暗いとこに行くぞ。鈴ヶ森で追い剥ぎだ」新米泥棒 「鈴ヶ森はよしましょう。しょっ引かれて首を刎ねられそう」

鈴ヶ森にやってくると、親分は旅人にどのような口上をいって金をせびるかを新米泥棒に教える。二人は口上の練習を始める。

親分 「おーい、旅人、おらぁ〜頭の縄張りだ」
親分 「知って通れば命は無い、知らずに通れば命は助けてやる!」
親分 「その代わり身包み脱いで置いて行け!」
親分 「イヤとぬかせば二尺八寸段平物をてめえの腹にお見舞え申す」

口上を新米泥棒が言うと親分が後ろに回って仕事をすることを確認する。

新米泥棒 「親分、その口上はアッシが言うんですか。それは無理です。紙に書いて下さい」
親分 「暗闇で書けるか」
新米泥棒 「アッシも読めませんから、相手に見せて読んでもらいまひょう」

真っ暗な中、鈴ヶ森に着く。新米泥棒がモタモタしている内にカモがやって来た。親分に押されて飛び出して、旅人を呼び止めた。だが新米の口上はさんざんで旅人に馬鹿にされる始末。

旅人 「二尺七寸段平物と言ったが、それを言うのだったら二尺八寸段平物と言え。一寸足りないぞ」
新米泥棒 「一寸先は闇でござんす、」

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ウィスコンシンで会った人々 その103 手討ち噺 「たけのこ」

Last Updated on 2015年9月19日 by 成田滋

春は芽、夏が葉、秋は実、冬は根をいただくのが日本の食文化である。竹冠に旬と書いて「筍」。たけのこである。まさに旬の食材。なんともいえない趣のある漢字である。今春、奈良の友人からいつものように筍が送られてきた。隣近所にお裾分けをし、ご相伴にあずかってもらった。食感といい香りといいたまらない春の食材である。落語にも筍が登場する。

ある武家屋敷である。田中三太夫が殿様にお目通り。三太夫とは家老とか執事という役職である。

三太夫 「実は、お隣の筍にございます」
殿様 「隣の筍ぉ?」
三太夫 「はっ、隣の筍が塀越しにこちらの庭先に顔を出しました」
三太夫 「それを密かに殿に差し上げる所存でございます」
殿様 「たわけっ。何を申すか、その方は。その方なぁ、」
殿様 「武士たる者が、隣のものを黙って食らうとは、何事だ」

殿様は云う。町人なれば誤って事も済むだろうが、武士たる者、事と次第によっては、腹を切らぬければならんと。

殿様  「もそっと、もそっと、前へ出ぇ。かよう盗人同然の者をのぉ、この屋敷において、養うことはまかりならん。もそっと、前へ出ぇ。筍の前にその方の首を落としてつかわす」

三太夫 「ちょちょちょ、ちょ、ちょちょっ、ご勘弁願います。いや、いやいや、旦那様、落ち着いてくださいまし。あたくしが悪うございました」

三太夫 「いやっ、旦那様、しばらく、しばらくっ」
三太夫 「いやっ、まだ、あのぉ、筍は盗った訳ではございませんので」
殿様 「盗っておらんー? では、はよぉ盗ってまいれ。」

三太夫は殿の命令に驚く。殿様は、筍が育ちが早いのですぐ硬くなることを知っている。盗ってはならんというのは表向きの言葉。隣の爺が憎らしいのである。その爺の筍を食らって溜飲を下げようという趣向である。

三太夫はびっくりしていると、殿が許せ、許せ、といいながら爺に断りを入れるように三太夫に申しつける。

三太夫 「はっ、何と申しますか?」

殿様は、けしからん筍は既に当方において手討ちにしたこと。そして遺骸は手厚く腹の内へと葬ったこと。そして筍の形見として皮を持ってきたこと。このとおり可愛いや(皮嫌)、、といいう口上となる。

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ウィスコンシンで会った人々 その102 泥棒噺  「釜泥」

Last Updated on 2015年9月18日 by 成田滋

泥棒といえば義賊といわれた石川五右衛門やネズミ小僧次郎吉、そしてアルセーヌ・ルパンが知られている。実在といわれた五右衛門や次郎吉は浄瑠璃や落語にも登場する。こうした泥棒を扱った作品では、それを書いた作者の想像力と創作意欲をかき立てたようで、古今数多くのフィクションが生み出された。

五右衛門の手下だったという男二人。親分が京の市中を引き回され釜煎りにされ、自分たちも捕まって天ぷらにされるのが心配になった。そこで、親分の供養と将来の備えのために、世の中にある釜という釜をかたぱっしから盗み出し、ぶち壊してしまおうという計画を立てた。さしあたり、大釜を使っているのは豆腐屋。そこを狙おうと相談がまとまる。

やがて豆腐屋ばかりに押し入り、金も取らずに大釜だけを持ち去る盗賊が世間の評判になる。豆腐業界は大騒ぎとなる。何しろ新しい釜を仕入れてもすぐかっさらわれるのだ。

ある小さな豆腐屋。爺さんと婆さんの二人で、ごくささやかに商売をしていた。この店でも釜を盗まれた。爺さんは頭を悩ませ、何か盗難予防の工夫はないかと婆さんと相談した結果、爺さんが釜の中に入り、酒を飲みながら寝ずの晩をすることになった。ところが、いい心持ちになり過ぎてすぐに釜の中で高いびき。

そこに現れたのが例の二人組み。この家では先だっても仕事をしたが、またいい釜が入ったというので、喜んでたちまち戸をひっぱずし、釜を縄で縛って、棒を通してエッコラサ。「ばかに重いな」「きっと豆がいっぺえへえってるんだ」せっせと担ぎ出す。

釜の中の爺さんが目を覚まして「婆さん、寝ちゃあいけないよ」とつぶやく。泥棒達は変な声が聞こえるなと担ぎ続ける。また釜の中から「ほい、泥棒、入っちゃいけねえ」泥棒、さすがに気味悪くなって、早く帰ろうと急ぎ足になる。釜が大揺れになって、爺さんはびっくりし「婆さん、婆さんや、地震か?」

その声に二人は我慢しきれず、釜を下ろして蓋を開けると、人がヌッと顔を出したからたまらない。「ウワァー」と、おっぽり出して泥棒は一目散。一方、爺さん、まだ本当には目が覚めず、相変わらず「婆さん、婆さん、地震だ、起きろ!」

そのうちに釜の中に冷たい風がスーッ。やっと目を開けて上を向くと、空はすっかり晴れて満点の星。「ほい、しまった。今夜は家を盗まれた」というサゲとなる。

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ウィスコンシンで会った人々 その101 ヤブ医者噺 「熊の皮」

Last Updated on 2015年9月17日 by 成田滋

いろいろな医者の中で滑稽いなのが「手遅れ医者」。やって来る患者には、まずは言う。「手遅れですな、、、」。「先生、なんとか助けてください。どうすれば良くなりますか?」。「病気になる前に連れてこなくちゃあかん、、」 たまに重病人がよくなると「手遅れ医者」も名医と呼ばれたとか、、。

横丁のヤブという評判の医者から祝い事があったからと、多賀が緩み加減の甚兵衛の家に赤飯が届けられる。そのお返しに行かなければということで、女房は亭主の甚兵衛に口上を教える。

女房が亭主に指南した口上は次のようなことだ。
「先生はご在宅でございますか、、うけたまわれば、お祝い事がありましたそうで、おめでとう存じます。先日はお寒い中、そしてお門多い中、手前どもまで赤飯をお届けくださりありがとう存じます。女房からくれぐれもよろしくと申しておりました」

そして女房は「おまえさんはおめでたいから、決して最後の口上を忘れるんじゃない。それからあの先生は道具自慢だから、なにか道具の一つも褒めといで」と注意されて送り出される。

おなじみの与太郎に似て頓珍漢な口上を始める。「ありがとう存じます」まではなんとか言えたが、肝心の「女房が、、、、」以下をきれいに忘れてしまった。「はて、まだ何かあったみてえだが……」座敷へ上げてもらっても、まだ首をひねっている。

甚兵衛 「……えー、先生、なにかほめるような道具はないですか」
ヤブ医者 「ナニ、道具が見たいか。
ヤブ医者 「よしよし、……これはどうだ」
甚兵衛 「へえ、こりゃあ、なんです?」
ヤブ医者 「珍品の熊の皮の巾着だ!」

なるほど本物と見えて、黒い皮がびっしりと生えている。触ってみると、丸い穴が二か所開いている。鉄砲玉の痕らしい。甚兵衛、感心して毛をなでまわしている間に、ひょいとその穴に二本の指が入った。

甚兵衛 「あっ、先生、女房がよろしく申しました!」

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ウィスコンシンで会った人々 その100 医者噺 「代脈」

Last Updated on 2015年9月16日 by 成田滋

以前、藪医者の演目の一部を紹介した。http://naritas.jp/wp1/?p=2045
江戸時代の医者は、徒弟制度で世襲制であった。それゆえ極端にいえば誰でも医者になれた。そうした医者を揶揄して、ヤブ医者の他にヘボ医者、雀医者、葛根湯医者、手遅れ医者などたくさんいたようである。教習もなければ資格もなかった。ただ医者になると姓を名乗り小刀を腰に差す事が許されたという。山本周五郎の「赤ひげ診療譚」は、長崎で修行した医師保本登と赤ひげの物語。彼らは不幸な人々の救済にあたった本物の医師だったようである。医師が免許制となったのは明治9年になってからである。

今は八重洲通りである中橋広小路に尾台良玄という医者がいた。彼には銀南という弟子がいた。良玄のお得意に伊勢屋があった。そこの綺麗な娘が向島の寮で療養中だった。そろそろこの銀南を代脈に行かせようと良玄は考えた。代脈とは主治医に代って患者を診察することである。銀南は少々虚けのところがあるので良玄は、初めての代脈の作法を指南する。

良玄 「向こうに着いたら、番頭さんがお世辞にも『これはこれは、ようこそ』と迎えてくれる」
良玄 「そして奥の6畳に案内してくれる。座布団が出るから静かに堂々と座る」
良玄 「次にたばこ盆が出る。さらにお茶とお茶菓子が出る」
銀南 「お菓子は何が出ます?」
良玄 「いつもは羊かんが9切れ出るな」
銀南 「では、片っ端からパク付いて」
良玄 「品が無いな。食べてはいかん。羊かんは食べ飽きている、と言うような顔をする」
良玄  「どうしてもと言う時は一切れだけ食べても良い」
銀南 「残りの8切れは?」
良玄 「お連れさんにといわれたら、紙にくるんで貰って良い」

良玄 「それから奥の病間に通してくれる。丁寧に挨拶して、膝をついて娘さんに近づき”銀南でございます”と挨拶をする」
良玄 「脈を診て、舌を診て、胸から小腹を診る。この時左の腹にあるシコリには絶対触ってはならない」
銀南 「何でですか?」
良玄 「私も何だろうと思って軽く触れたら、びろうな話だが、放屁が出た」
銀南 「ホウキが出たんですか」
良玄 「いや、オナラだ」
銀南 「綺麗なお嬢さんがオナラをするはずがないでしょう」
良玄 「出物、腫れ物はだれにもあるから仕方がない」
良玄 「お嬢さんも真っ赤な顔をした。お前だったら何という?」
銀南 「や〜、綺麗な女のくせしてオナラをした〜」
良玄 「そんな事言ったら、お客様を一軒しくじる」
良玄 「わしはその時、掛け軸を観ていて聞こえない振りをして『この二.三日、耳が良く聞こえん』と頓知を働かせた」
良玄 「するとお嬢さんの顔色が元に戻った。決して左の腹を触るでないぞ」

銀南は師匠の着るものや道具箱を借りて伊勢屋へ出かける。駕籠に初めて乗るので舞い上がっている。頭から乗ろうとして上手く乗れず「キャー」っと声張り上げ、道行く人に笑われる。駕籠に乗っているうちイビキまでかき始めた。

伊勢屋での出迎えはご老母。娘に挨拶をし、脈を取って驚いた。痩せて毛むくじゃらな娘だと思ったら横で寝ていた猫であった。お腹を拝見とばかり、触るとシコリを発見する。そっと触わるようにと言い含められたのだが、銀南グイッと押したからたまらない。特大のオナラが出て銀南はビックリ。

銀南 「ご老母さん、この二.三日陽気の加減で耳が遠くなっています。何か用事があったら、大きな声でおっしゃってください」
老母 「先日、大先生も同じ事言われましたが、若先生もお耳が遠いのですか」
銀南 「えぇ、遠いんです。安心なさい、今のオナラはちっとも聞こえませんでした」

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ウィスコンシンで会った人々 その99 品川宿噺 「居残り佐平次」

Last Updated on 2015年9月15日 by 成田滋

品川は東海道の喉っ首。最初の宿である。四宿といわれた品川、新宿、千住、板橋の中でも一番の賑わい所だった。そのようなわけで庶民や旅人の岡場所ともなる。東海道を目指す旅人が品川でスッカラカンになり、家族や親戚に送ってもらった日本橋にすごすごと戻るという枕もある。

若い連中が遊廓で繰り込むことになったが、みんな金がない。そこで一座の兄貴分の佐平次が「土蔵相模」という有名な見世で乱痴気騒ぎをする。その夜、佐平次は仲間を集めて二円の割り前をもらい、「この金をお袋に届けてほしい、お前たちは朝立ちしてけえれ、、」、と申し伝える。

一同驚いて、「兄貴はどうするんだ」と聞くと、「体の具合がよくないので、医者にも転地療養を勧められている矢先。当分品川で海風を受けて、旨いものを食いのんびりするつもりだと言う。翌朝、土蔵相模の若い衆が勘定を取りに来ると、佐平次はなんだかんだいって煙にまき始める。まとめて払うからと言いくるめ、夕方まで酒を追加注文してのみ通し。蒲団部屋で居残りを決め込む。

夜になり見世が忙しくなると、酒肴の運びから客の取り持ちまで、手際よく手伝い始める。器用で弁が立ち、巧みに客を世辞で丸めていい心持ちにさせる。おまけに幇間顔負けの座敷芸まで披露する。幇間とは男芸者のこと。たちまち、どの部屋からも「居残りを呼べ!」と引っ張りだこになる。こうして佐平次はいつの間にか「居残り佐平次」と呼ばれるようになっていく。

ところが人気の出た居残りに面白くないのが他の若い衆。客は居残りに小遣い銭を渡すので「あんな奴がいたんでは飯の食い上げだ。叩き出せ!」と主人に直談判する。旦那も放ってはおけず、佐平次を呼び勘定は帳消しにするから帰れと言う。

ところが佐平次、「悪事に悪事を重ね、お上に捕まるとドテッ腹に風穴が開くから、もう少しかくまっててくれ」と、とんでもないことを言いだす。旦那は仰天して金三十両に上等の着物までやった上、ようやく厄介払いした。それでもあやつが見世のそばで捕まっては大変と、若い衆に跡をつけさせると、佐平次は鼻唄まじりでご機嫌。それを見た若い衆が問いただすと居直って、「おれは居残り商売の佐平次ッてんだ、よく覚えておけ!」と捨てぜりふ。それを聞いた旦那は地団駄踏む。

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ウィスコンシンで会った人々 その98 侍噺 「粗忽の使者」

Last Updated on 2015年9月13日 by 成田滋

「粗忽」。なんともとぼけたいい響きの言葉である。粗忽者は落語では一番人気の演題といえようか。町人にはこうした者が登場するが、侍の世界での粗忽は大変である。下手すると切腹を言い渡される。だが、酔狂な大名には、こうした粗忽者を可愛がるのもいたようだ。

ある大名の家臣に地武太治部右衛門という虚けの侍がいた。あだ名は「治部ザムライ」。驚異的な粗忽者だが、そこが面白いというので殿様に大層気に入られていた。

ある日、治部ザムライ大切な使者を仰せつかり、殿様の親類の屋敷に赴むこうとする。家を出る時、慌てるあまり犬と馬を間違える。馬に後ろ向きで乗ってしまい、「馬の首を斬って後ろに付けろ」と言ったりして大騒ぎとなる。

使者の間に通され、官房長官のような田中三太夫が使者の口上を問うが、治部ザムライどうしても思い出せない。思い出せないのでここで切腹すると言い出したが、三太夫が止める。幼い頃より父に居敷(尻)をつねられて思い出すのが癖になっているので、三太夫に居敷をつねるように頼む。

早速太夫が試したが、 今まであまりつねられ過ぎてタコになっているので、いっこうに効き目がない。「ご家中にどなたか指先に力のあるご仁はござらぬか」と尋ねても、指先の力は、、、と若い侍はみな腹を抱えて笑うだけ。

これを耳にはさんだのが、屋敷内で普請中の大工の留っこ。そんなに固い尻なら、一つ俺が代わってやろうと釘抜き道具を忍ばせた。三太夫に面会し、指には力があると云う。だが、大工を使ったとあっては大名家の沽券に関わるので、留っこを仮の武士に仕立て、チョンマゲも直し着物を着せる。留っこでは、しめしがつかないといって「中田留五郎」ということにし、治部ザムライの前に連れて行く。

三太夫が留五郎殿と何回呼んでも返事がない。やむなく”留っこ”と言うとすかさず返事が戻ってくる。 あいさつは丁寧に、言葉の頭に「お」、しまいに「たてまつる」と付けるのだと言い含められた留っこ、初めは「えー、おわたくしめが、おあなたさまのおケツさまをおひねりでござりたてまつる」などと言うので、三太夫は誠に当惑する。

早速、居敷をつねろうとして三太夫を次室に追い出す。留っこは治部ザムライと二人になると途端に職人の地がでて、「さあ、早くケツを出せ。なに、汚ねえ尻だナ。硬いな。いいか、どんなことがあっても後ろを向くなよ。さもねえと張り倒すからな」。

エイとばかりに、釘抜き道具で尻をねじり上げる。
治部ザムライ 「うー、キクー、・・・もそっと強く」
留っこ 「どうだこれで」、
治部ザムライ 「ウーン、あぁー、痛たタタ、思い出してござる」

すかさず次の間で控える三太夫が「して、ご口上は?」と質す。
治部ザムライ 「聞かずに参った」。

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ウィスコンシンで会った人々 その97 長屋噺 「粗忽長屋」

Last Updated on 2015年9月12日 by 成田滋

八公、熊公が登場する噺である。八五郎はそそっかしく無精で、熊五郎は能天気で率爾という具合。二人とも長屋の粗忽さではひけをとらない。八五郎の方は信心はまめで、毎朝浅草の観音様にお参りに行く。

観音堂の道端に人だかりができている。聞けば昨晩行き倒れが見つかったとか。八五郎は群衆の股ぐらをかきわけていくと、役人たちが通行人に死体を見せて知り合いを探している。友達も親戚もいないようだ。行き倒れは長屋に住む店子の熊五郎だと判明するが誰も引き取ろうとしない。そこに長屋の大家もいるのだが大のしみったれ。引き取りや葬式費用をだしたがらない。

八五郎は死人の顔を見るなり、「こいつは同じ長屋の熊五郎だ。そういえば今朝こいつは体の具合が悪いと言っていた」と言い出す。役人たちは「この行き倒れは今朝会ったというお前の友達とは別人だ。死んだのは昨晩だから、」と言うが、八五郎は聞く耳を持たず、「本人を呼んでくる。これは当人の熊五郎だ。」と言ってその場を立ち去る。

急いで長屋に戻った八五郎は、熊五郎をつかまえる。
八五郎 「浅草寺の近くでお前が死んでいたよ」
 熊五郎 「人違いだ。俺はこうして生きている」
 八五郎 「お前は粗忽者だから、自分が死んだことにも気が付かないんだ」

熊五郎は自分が本当に死んだのだと納得してしまう。そして自分の死体を引き取るために八五郎に付き添われて浅草観音へ向かう。途中、死骸を引き取るのは気持ちが悪いとか怖いといいだす。

浅草観音に着いた熊五郎は、死体の顔を改めて「これは間違いなく俺だ」と言う。役人は呆れて「この死体がお前のわけがない」と言うが、熊五郎も八五郎も納得しない。二人が「熊五郎の死体」を抱き起こして運び去ろうとするので、役人たちが止めに入り、押し問答になる。

 熊五郎 「どうもおかしくなった。抱かれているのは確かに俺だが、、、
 熊五郎 「抱いている俺は一体誰だろう?」

死人と本人が会話するという奇想天外な発想だが、これが落語の荒唐無稽さである。笑いは非日常性にあると思われる。

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ウィスコンシンで会った人々 その96 代書屋噺

Last Updated on 2015年9月11日 by 成田滋

西東京の福生市には米軍の横田基地がある。基地前の通りには英語の看板がずらりと並ぶ。いろいろな文書の翻訳を生業とする商売が今もある。運転免許申請書を作るのも現代の代書屋というか行政書士である。

江戸時代、読み書きができない者もいたようだ。大工の仲間では、読み書きができる者をおちょくる小咄もある。「てめ前、なにを書いているんか?」「兄いに手紙を書いている」「兄貴は読み書きできるんか?」「いいや、できん」

「代書屋」という演目を紹介する。履歴書の代書を頼みにきた読み書きができない男。代書屋との珍妙なやりとりが始まる。代書屋は丸い黒縁のメガネをかけ狸のような風袋である。

代書屋 「名前は?」
男 「湯川秀樹」
代書屋  ???
代書屋 「ほんとか? 湯川不出来じゃないか」

代書屋 「生まれはどこ?」
男 「産婆さんのところ」

代書屋 「生まれた場所の住所をきいている」
男 「吾妻橋のそば」
代書屋 「墨田区向島一丁目としておこう」

代書屋 「現住所は?」
男  「永田町一丁目一番地かな」
代書屋 「そこは総理大臣官邸、あんたはどうかしている、、」

代書屋 「学歴は?」
男 「尋常小学校」。「尋常小学校に二年いった」
代書屋 「尋常小学校卒業でなく中退と書いておこう、二字訂正 判」

代書屋 「職業は?」
男 「饅頭屋」
代書屋 「饅頭屋を開業す、、としよう」
男 「饅頭屋は半日でやめた」
代書屋 「なんでそれを先に言わない! 一行抹消 判」

そのうち、履歴書が訂正と抹消で真っ黒になるという噺である。

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ウィスコンシンで会った人々 その95 艶噺 「錦の袈裟」

Last Updated on 2015年9月10日 by 成田滋

与太郎噺のひとつに「錦の袈裟」がある。通称、与太は、少々虚け者ということになっている。町内の若者たちが吉原へ遊びに行く相談をした。隣町の若い者のいでたちが凄いということが伝わったきた。それに負けてはならじと、なんとか粋な格好をして出かけようということになった。

そこで「質屋に何枚か質流れの錦の布があり、使っていいと番頭に言われているので、それを褌にして吉原へ乗り込み裸で総踊りをしよう」と決める。ところが、布が一枚足りない。仕方なく、与太には自分で工面させることにする。

与太は家へ帰ると、しっかり女房がいう。「行ってもいいが、うちに錦はないよ。じゃ檀那寺の住職にお願いしておいで。『褌にする』とは言えないから『親類の娘に狐がついて困っております。和尚さんの錦の袈裟をかけると狐が落ちる、と聞いておりますので、お貸し願います』と言って借りてきなさい」

知恵を授けられた与太、寺へやってきてなんとか口上を言って、一番いいのを借りることができる。和尚からは「明日、法事があって掛ける袈裟じゃによって、朝早く返してもらいたい」と念を押される。帰宅して女房に袈裟を褌にして締めてもらうと、前に輪や房がぶら下がり、何とも珍妙な格好になる。

いよいよ、みんなで吉原に繰り込んで、錦の褌一本の総踊りとなる。女達に与太だけが大いにもてる。「普段、殿様は羽目をはずことができないのよ。だからああして踊っているの、」などと女の間で与太はえらい評判となる。

女達 「あの方はボーッとしているようだが、一座の殿様だよ。高貴の方の証拠は輪と房。小用を足すのに輪に引っ掛けて、そして、房で滴を払うのよ」
女達 「他の人は家来ね。じゃ、殿様だけ大事にしましょうね」

翌朝、与太がなかなか起きてこないので連中が起こしに行くと、まだ与太は寝ている。

男達 「与太、、そろそろ起きな、、帰るぞ、、」
与太 「みんなが呼びにきたから帰るよ、、」
女 「いいえ、主は今朝(袈裟)は返しません」
与太 「今朝は返さない……? ああ、お寺をしくじる」

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ウィスコンシンで会った人々 その94 洒落噺 「洒落番頭」

Last Updated on 2015年9月9日 by 成田滋

「洒落番頭」という演目を紹介する。さる商家の旦那、女房に「うちの番頭は洒落番頭と言われるほどの洒落の名人です」と聞かされたので、番頭を呼んで「洒落をやってみせておくれ」と言う。番頭が「ではお題をいただきます」と言うので、「庭の石垣の間から蟹が出てきた。あれで洒落を」と旦那は頼む。番頭は即座に「にわかには(急には)洒落られません」という。

洒落のわからない旦那は真面目に受けて「できないなら、題を替えよう。孫が大きな鈴を蹴って遊んでいる。あれでどうだ」と言う。番頭、すぐに「鈴蹴っては(続けては)無理です」。旦那は「洒落られません、無理ですって、なにが名人だ!」と本当に怒ってしまう。

番頭は慌てて、部屋から退散して、「旦那の前では二度と洒落はやるもんか」と捨て台詞。旦那は女房にその話をすると、女房は「それは洒落になってます」。

旦那 「できません、無理ですって断わるのが洒落かい」
 女房 「洒落になってますよ。番頭は洒落の名人なんですから」
 女房 「番頭がなんか言ったら、うまい、うまいって褒めてあげなさいよ。それを怒ったりしては、人に笑われますよ」
 旦那 「じゃあ、番頭を呼んで謝ろう」

呼ばれた番頭は旦那に謝られて盛んに恐縮する。

旦那 「機嫌を直して、もう一度、洒落をやっておくれ」
 番頭 「いえ、もう洒落はできませんで」
 旦那 「やぁ、番頭。うまい洒落だ」

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ウィスコンシンで会った人々 その93 病気と薬噺 「万病円」

Last Updated on 2015年9月9日 by 成田滋

「万病円」という演目は言葉遊びの噺である。登場するのは威張りくさる田楽侍、そして翻弄されるがなんとかして見返そうとする庶民である。田楽侍とは二本差しして反っくり返っている侍である。

ある一人の侍、傍若無人にも湯屋の湯舟の中で褌を洗い始める。番台に座っていた者が見つけて恐る恐る注意する。ところが侍は平然と言い返した。「男?陰?はつけたまま湯舟に入れるのに、それを包む風呂敷にもあたる褌を洗ってなぜいけないのじゃ」。侍は湯銭も踏み倒して悠然と湯屋を去る。

そのあと、侍は餅屋に立ち寄る。
小僧 「いくら食べても一文です」
侍は餅をたらふく食べて去ろうとする。
小僧 「十個食べたので十文です」
 侍 「いくら食べても一文だといったではないか。」
 小僧 「いくら食べても一個は一文です。」

ここでも屁理屈をこねて餅一個分の銭しか払わない。

次に侍は古着屋に入る。店主が「ない物はない」と言うので、三角の座布団、綿入れの蚊帳、衣の紋付きなどなど、変なものを聞いてからかう。

侍 「さっき、ないものはないと云ったではないか」
ところが、古着屋も負けずに言い返す。
古着屋 「ないものはありません。あるものはあります。」

古着屋にやり込められた侍、この店を早々に切り上げる。今度は紙屋をねらう。ここでは「貧乏ガミ、福のカミはあるか」という冷やかしに対して、店主は散り紙を震わして出して「貧乏ゆすりの紙」「はばかりで拭くの紙」とやり返す。

ふと見ると、この店では薬も取り次ぎをしているようで万病円と記した張り紙がある。「これは万病に効く薬だ」と店主がいうと、侍は「昔から四百四病。万病円などと、病いの数が万もあるはずはない」と責める。紙屋は「百日咳、疝気疝癪、産前産後」などと、数の付く病いを言い立てる。

侍 「それでも病いは万に足らんぞ」
 紙屋 「一つで腸捻転があります」

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ウィスコンシンで会った人々 その92 花魁噺 「お見立て」

Last Updated on 2015年9月7日 by 成田滋

落語には江戸が舞台となるものが多いので、どうしても上野や山谷、浅草、そして吉原が登場する。その一席「お見立て」である。

吉原の喜瀬川花魁の許へ、春日部から彼女をごひいきにする杢兵衛大尽がやってきた。花魁は表では客として大尽をとるが、裏では大嫌い。若い衆の喜助に「花魁は病気だ」と言って断るように伝える。喜助は、「一目でも杢兵衛大尽に会っては、、」と説得するが。花魁はどうしても首を振らない。杢兵衛は「それなら病気見舞いをする」と言う。だが花魁も花魁。「吉原の規則では、病気のときは誰にも会わせないことになっている」と喜助から杢兵衛に伝えさせる。

杢兵衛は、「花魁の兄弟だといえば会うことが許されるはずだ、、」と引き下がらない。花魁は面倒なので喜助に、「杢兵衛大尽がお顔を長らく見せなかったので、恋患いで痩せこけお亡くなりになりました」と言わせる。すると、杢兵衛は「それなら墓参りに行くべえ、案内しろ。墓はどこだ?」と言う。喜助は肥後の熊本をでも言えばいいのに、うっかり山谷と言ってしまう。仕方なく、花魁と相談の結果、杢兵衛を山谷へ連れて行き、適当に寺を見繕って入る。

煙の多い線香と花束をわんさと買い求める。墓石の字のわからなそうなのを選び「これが花魁のお墓です」と偽って、墓石が見えなくなるようにして花や線香を手向ける。だがそれは百年前の誰かの墓。杢兵衛は怒鳴る。喜助は慌てて「間違えました。お隣りでした」と花、線香を移すが、見ると童の墓。「間違えました。じゃぁ、こちらです」と移すと、これが故陸軍上等兵の墓。杢兵衛はとうとう激怒する。

杢兵衛 「喜助!、喜瀬川の墓ァいってえ、どれだ!?」
喜助 「ずらり並んでおります。よろしいのをお見立てください」

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ウィスコンシンで会った人々 その91 恋患い噺 「崇徳院」

Last Updated on 2015年9月6日 by 成田滋

恋患いを治せば長屋が貰えるともちかけられ、娘を探して奔走するという噺である。噺のもとは小倉百人一首。百人一首といえどもネタになるのが落語の荒唐無稽なところである。

若旦那が上野の清水観音堂へ参詣し茶店で休んでいると、歳が十七八位で水のしたたるような娘が店に入って来る。娘を見た若旦那は、娘に一目惚れをしてしまう。娘は茶店を出ようと立ち上がる際、膝にかけていた茶帛紗を落とし、気づかず歩き出してしまう。若旦那が急いで拾い追いかけて届けると、娘は短冊に「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の、」と、歌の上の句だけ書いて若旦那に手渡し去って行く。

若旦那は、歌の下の句「われても末に あはむとぞ思ふ」を思い出して、娘の「今日のところはお別れしますが、いずれのちにお目にかかれますように」と読みとる。だが娘がどこの誰なのかがわからなく再会が叶わない。そのうち食欲と体力を失い重病になる。

近所の医者が見立は、「医者や薬では治らない気の病で、思いごとが叶えばたちどころに治る。だが放っておくと五日もつかどうか、、」となった。親旦那は息子の幼なじみの出入りの職人、熊五郎に事情を話しなんとか助けてくれと相談する。熊五郎は親旦那に「医者に見放されたのなら寺を手配した方がよい」と早とちりして叱られる。熊五郎にが若旦那に会って聞き質すと、消え入りそうな声で「恋患いだ」と言う。

熊五郎はこの話を親旦那に報告する。親旦那は「三日間の期限を与えるから、その娘を何としても捜し出せ。褒美に蔵付きの借家を五軒譲り、借金を帳消しにする」と熊五郎に懇願する。熊五郎は、女房と相談し草鞋を腰に巻いて街中を走り回る。ところが全く分からない。

熊五郎の女房は呆れて、「人の多く集まる湯屋や床屋で ”瀬をはやみー” と叫んで探さんと駄目、」、「娘を探し出せなければ、家には入れないよ!」と言いくるめる。熊五郎は街中の床屋に飛び込んではで ”瀬をはやみー” と叫ぶが、客が一人もいない。ある客から「うちの娘はその歌が好きでよく歌っている。別嬪だし、清水さんにも足しげく通っている」という話を聞く。よく聞いてみるとその子は八歳だという。結局、有力な手がかりが得られないまま日が過ぎる。

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ウィスコンシンで会った人々 その90 素人芝居噺 「蛙茶番」

Last Updated on 2015年9月5日 by 成田滋

江戸っ子らしいはねっかえりの素人役者が出てくる芝居噺を紹介する。これまで犬や鹿が出てくる話はいくつか紹介した。今回の芝居噺には蛙と蛇が登場する。

町内の連中が集まって素人芝居のある日。芝居に付き物の「役揉め」が始まる。ガマ蛙の縫いぐるみを着るのは嫌だと、建具屋の伝法な若旦那、半次がドタキャン。そこで芝居好きの小僧、定吉が代役でガマ蛙の役をする事になって一件落着する。だが役決めで一難去ってまた一難。

今度は、番頭が場内の整理をする舞台番役に半次を指名する。「町内一の芸人」を自負する半次は役者志願だったが、「化け物芝居ならスッピンで出てもらうが、今回は舞台番に回ってもらおう」と釘をさされる。定吉は半次に舞台番になったことを伝えにいく。だが、半次に剣突を食らって定吉はすごすごと戻ってくる。

そこで機転の利く番頭が定吉に入れ知恵をつける。
番頭 「いいか、半公が岡惚れしているみぃ坊が顔をポーっと赤くして次のように言っていたといえ!」

みぃ坊 「素人がいやがる舞台番を引き受ける半ちゃんは利口なんだ。半ちゃんはいなせ 。だから、さぞかしいい舞台番ができるに違いないわ」

みぃ坊 「あたしお芝居なんかどうでもいいけど、半ちゃんの粋な舞台番を見に行こうっ!」

こうして、定吉は舞台番姿を楽しみに芝居を見に、みぃ坊がやってくると持ち上げ、何とか半次を呼び出すのには成功する。しかし、ひじり緬の真っ赤な褌を締め、それを観客に見せて注目を自分に集めようと考えた半次だが、肝心の褌を湯屋の脱衣場に忘れ芝居小屋にやってくる。舞台に姿を現わすがみぃ坊は見つからない。ガマ蛙役の定吉は「青大将が睨んでる」と言って舞台に出ようとしない。そして客席は大パニックになる。

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ウィスコンシンで会った人々 その89 恋患い噺 「幾代餅」

Last Updated on 2015年9月4日 by 成田滋

昔はお大名が街を通るとき、見目麗しい娘を見ると籠を止めて“あの娘を所望する”と声を上げる。すぐに飛んできたお付きの者がその娘の家に行って、「あー、そのほうの娘は、お上のお目にとまった。ご奉公にあげなさい」。綺麗な女の子を側女にするとはなんと贅沢な、自分も大名になってみたかった、というのが落語の枕にしばしば出てくる。

「幾代餅」という演目を紹介する。ある女を見て、好きだと誰にも言えないので、病うのを「恋患い」。この病はどんな名医でも、どんな高価な薬を煎じてても治せないというオチである。米屋に勤める清蔵はいたって真面目な男。ある時「大名道具」と言われる松の位の幾代太夫の看板を一目みて、すっかり魂を奪われたようにふやけてしまう。恋病である。それを周りがなんとかしようとし、最後は二人は一緒になって餅屋を開き、名物「幾代餅」を売出して繁盛するという筋書きである。

次のような噺があるが演目名を忘れた。能天熊が、兄貴分である八公のところへ顔出しすると生憎と留守。お内儀が相手する。兄貴分は裏で建増しの普請の真っ最中。

熊 「たいしたもんだ。この木口の高いときに普請とは。こちらの兄イは働き者だ、、」
お内儀 「いいえ、町内の若い衆さんが寄ってたかってこしらえてくれたようなもの」

これを聞いて、一層感心した熊。家へ帰って女房にこの話をして「お前には言えないだろう」というと「言えるよ。普請してみろ」と逆襲する始末。呆れ果てて湯屋へ出掛けると八公に会う。そこで一計を企てる。「すまねぇが今、家へ行って、かかあに家の中のことを褒めて、『こちらの熊は働き者だ』と言ってくれ。それで、かかあがどういう返事をするか、あとで聞かせてくれ」と頼む。

八公は熊の家へ行って何か褒めようとするが、何もない。気が付くと女房が臨月間近のお腹をしているので、

八公 「この暮らしの大変な時に、やや子をこしらえるなぞ、熊兄イは働き者だ」
熊の女房 「いいえ、子はうちの人の働きじゃない。町内の若い衆が寄ってたかってこしらえてくれたようなもの。」

さすがに貫禄のある女房ではある。

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ウィスコンシンで会った人々 その88 犬噺 「元犬」

Last Updated on 2015年9月3日 by 成田滋

犬が主人公の噺をもう一席お付き合いいただきたい。江戸の台東区には多くの寺社仏閣がある。浅草寺、東本願寺、寛永寺、待乳山聖天本龍院などが知られている。台東区は、江戸幕府の御府内となっていたので、最も人口が密集していた地域であったといわれる。寺社が多かったわけである。

江戸は蔵前の八幡宮の境内。一匹の真っ白な犬がいて、近所の人からは「シロ」と呼ばれて可愛がられていた。当時、毛並みの中で白犬はなかなかいなかった。ある時、参詣人がこの犬を見かける。皆不思議そうに眺めていた。参詣人はシロを見て「綺麗だな、」とか「可愛いな、、」と褒める。そんなことで、シロは人間に生まれ変わりたいと思うようになる。そして、その日からシロは八幡様に百日のお詣りを始める。

100日満願の日、白犬は晴れて人間に生まれ変わることができる。
ところが体を見ると真っ裸、服を探してフラフラ歩きようやく近所の人から服を貰う。周りの人々は忙しそうに働いているのを見て、自分もどこかで奉公口を見つけ働きたいと考える。そこで口入れをしている上総屋の旦那に連れられて、シロを可愛がってくれたご隠居さんのところへ連れていかれる。

ご隠居の家では、人間になったシロは地べたに座ったり、顔を足でなでたり、クンクンなりたりして注意される。台所ではお茶を沸かす
鉄瓶がちんちんなっている。それにつられてチンチンするという案配である。

ご隠居 「どうしてそんな格好をするんか?」
シロ 「自分もそれが得意なんです」

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ウィスコンシンで会った人々 その87 犬噺 「大どこの犬」

Last Updated on 2015年9月2日 by 成田滋

動物が主人公の噺を二席。二匹の犬が主役である。昔は、犬の名前は毛の色や表情などで付けられたものが多かった。例えば、ブチ、アカ、シロ、クロ、ボン太、など。時に小僧の名前をつけたともいう。巻八、コタロウ、豆蔵、茶々丸などである。猫ではないが、犬にも「たま」に「ソラ」というのもある。

江戸は、とある乾物屋の朝。丁稚小僧が表戸を開けようとすると、戸袋の所に箱が置いてあり、中には白と黒とぶちの子犬。大旦那になんとか頼み込んで飼うことになる。特に黒いのを小僧が可愛がり、クロと呼んで兄弟同然にして育てる。

ある時、通りがかりの商人風の男が乾物屋のクロをみる。そして大旦那にこのクロを譲ってくれぬか、と相談する。わけをきくと、大坂は鴻池の主人の一人息子が可愛がっていた黒犬が死んで、息子は悲しみ病気がちだという。それで全国を旅して黒犬を探しているというのである。事情を知った旦那は小僧が懇願するのを振り切ってクロを譲ることにする。クロは鴻池にもらわれていく。

鴻池宅にもらわれたクロには医者が3人付き、広い敷地で豪勢な暮らしを始める。下にも置かず大切にされ、エサがいいせいか、毛並みもつやつやとして、体もずんずん大きくなる。一人息子も元気になる。やがて「鴻池の大将」として近所のボス犬となる。ある時、近辺で見慣れない痩せ細った犬が、街の犬にいじめられ、フラフラと鴻池宅前まで逃げてくる。

シロ 「クーン、ウォーン、ウォーン、
クロ 「ウー、ウー、ウー、ワン!」

ここからは二匹の犬語による架空の対話である。同時通訳すると次のようになる。

シロ 「あなたは兄さんのクロではありませんか、、」
クロ 「てめえは何者だ!」
シロ 「あなたと乾物屋でブチと一緒にいたシロです。クロ兄さんじゃございませんか、」
クロ 「クロはオレだ!」
シロ 「あっ、兄さん、お懐かしゅうございます」
よく見ると、犬は末の弟のシロ。

クロ 「おお、お前はシロか、妹のブチはどうしている?」
シロ 「姉さんのブチは食べ物がなくなり、クロ兄さん、クロ兄さんと呼びながら痩せこけて死んでしまいました」
クロ 「おおそうか、それは可哀想なことをした。シロ、ここではなんでも好きな者が食べられるぞ。虎屋の羊羹、福砂屋のカステラ、神戸のステーキ、、、最近は俺は太り気味でな、、ガンマ-GTPが高い、、」
シロ 「兄さんは、犬の誇りを忘れたのですか、、」
クロ 「、、、、面目ない、、」

クロ 「、、ここは大坂一の大店、なんでもあるんじゃ、、」
シロ 「これはなんですか?」
クロ 「鯉の天ぷらでな、、美味いぞ、さあさあお食べ!」
シロ 「どこで獲れたんですか?」
クロ 「当たり前よ、鴻池からさ」

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ウィスコンシンで会った人々 その86 病院噺 「カラオケ病院」

Last Updated on 2015年9月2日 by 成田滋

医者という職業は、どうも洋の東西を問わずブラックジョークのネタになることが多い。大抵はおちょくる話だ。どうしてかというと、高額所得者といわれ、世間の嫉みの対象になるからだ。それに名医から藪医者までいろいろいて、どうも腕が信用できないという風潮もある。最近はセカンドオピニオンというように、患者が医者を選ぶ時代となっている。

落語でも医者、看護師、病人、病院にまつわる演目を探しては聴いたが、「カラオケ病院」と「医ー家族」という創作落語に落ち着いた。前者の作者は噺家の五代目春風亭柳昇、後者は六代目桂文枝である。二人は、創作落語では東と西の双璧のような存在。時代を風刺する演目を作っている。

「カラオケ病院」という演目である。柳昇師匠の枕では、ご自身の人間ドックの余談がでてくる。”胃カメラを飲むと蛇の気持ちが分かる”。東大病院で胃カメラ検査したとき、看護師が”フィルムを入れるのを忘れた”というのだ。二度の検査に立ち会うという噺である。本当かどうか分からぬが、、

患者が来なくなった病院で院長がスタッフを集めて鳩首協議を始める。ところが欠席者が数名いる。内科の医師は腰痛で悩み、成田の不動山へ行って神頼みしている。外科の医師は学校へ行っているという。何の勉強?ときくと、「この病院はやがてつぶれるので、それに備えて料理屋を始める」。和食屋だそうだ。洋食はいつも肉を切っているから大丈夫だというので、魚や野菜のきざみ方を学んでいるとか。

協議ではいろいろな提案がでる。終身入院はどうか、治らなかったら治療費はただ、手術代をタダにする代わりに麻酔ナシで手術する、バニーガールを雇い待合室でビールを飲ませる、などでたらめな案しか出ない

そこで待合室を改造し、カラオケ室にするという案が承認される。カラオケや笑いで病を治そうというのだ。そしてカラオケルームが晴れて開業する。しかもカラオケには健康保険がきく。大勢の客ー患者が集まる。サゲはこの演目を聴いてのお楽しみ。

次に、桂文枝師匠の「医ー家族」である。医者の跡継ぎというのが話題。ある町医者の病院で、一人息子が父親に相談があると言う。父親は、今日はこれから手術の後に診察、往診、医師会の集まりと忙しいと言って取り合わない。盲腸の手術なのだが、今時町医者で手術してくれる患者はおらず、久し振りの手術で張り切っている。御飯をかきこみながら、妻や看護師に指示を出し、手術帽が見つからないから妻のシャワーキャップをかぶって手術室へと向かう。

そこにどうしても話を聞いてほしい息子が入ってきて、医者になるのは辞めると宣言する。何年もかけて医大に入ったのに何を言うんだと、親子喧嘩が始まる。患者は不安になって、自分の手術はどうなるのかと訴えるが、息子が医者になるのを辞めて役者になりたいという。また喧嘩が再開する。すると看護師が患者の脈がおかしいことに気づき、医者は大慌て。ついには医学書を取り出しながら、どうにか手術を終わらせる。

サゲをここで書くのは少々はばかる。是非読者でお楽しみいただきたい。

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