「公認心理師法案」に関してーー注意を喚起したい

Last Updated on 2014年9月27日 by 成田滋

現在、心理職の国家資格化に関するいろいろな論議が進んでいます。先月、「公認心理師法案早期実現のお願い」という文書が臨床心理職国家資格推進連絡協議会、医療心理師国家資格制度推進協議会、日本心理学諸学会連合、一般社団法人日本心理臨床学会、一般社団法人日本臨床心理士会の連名でだされました。

今年の6月16日に「公認心理師法案」が国会に提出され、9月29日からの臨時国会の文部科学委員会で審議される運びとなっています。この法案にうたわれる「公認心理師」なるものは、特別支援教育士とか臨床心理士といった資格をお持ちの方々には直接関わる事案です。既存の資格を取得するために、多くの投資をされた皆さんには大事な法案だと考えられます。すべて「公認心理師」によって、こうした資格がどうなるかです。

この法案で皆さんに大事だと思われるのは第二章の試験です。以下のような案となっています。(受験資格)にはこれまでの資格を有する方々へはなんの配慮もされていません。所定の心理学関連の単位を取得していれば受験資格があるとあります。
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第二章 試験
(資格)
第四条 公認心理師試験(以下「試験」という。)に合格した者は、公認心理師となる資格を有する。
(試験)
第五条 試験は、公認心理師として必要な知識及び技能について行う。
(試験の実施)
第六条 試験は、毎年一回以上、文部科学大臣及び厚生労働大臣が行う。
(受験資格)
第七条 試験は、次の各号のいずれかに該当する者でなければ、受けることができない。

一. 学校教育法に基づく大学(短期大学を除く)において心理学その他の公認心理師となるために必要な科目として文部科学省令・厚生労働省令で定めるものを修めて卒業し、かつ、同法に基づく大学院において心理学その他の公認心理師となるために必要な科目として文部科学省令・厚生労働省令で定めるものを修めてその課程を修了した者、その他その者に準ずるものとして文部科学省令・厚生労働省令で定める者
二. 学校教育法に基づく大学において心理学その他の公認心理師となるために必要な科目として文部科学省令・厚生労働省令で定めるものを修めて卒業した者その他その者に準ずるものとして文部科学省令・厚生労働省令で定める者であって、文部科学省令・厚生労働省令で定める施設において文部科学省令・厚生労働省令で定める期間以上第2条第1号から第3号までに掲げる行為の業務に従事したもの
三. 文部科学大臣及び厚生労働大臣が前2号に掲げる者と同等以上の知識及び技能を有すると認定した者
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社団法人日本心理学会が認定する民間資格に「認定心理士」があります。一般財団法人特別支援教育士資格認定協会の「特別支援教育士」もそうです。さらに臨床心理士があります。言うまでもなく日本臨床心理士資格認定協会が認定している資格です。こうした資格がどうなるのか、ということを提起するのが「公認心理師」です。

私なりにこの法案を調べましたが、次のような疑問が浮かんでまいります。まず「公認心理師」とは、いろいろな専門性を有する人々の民間資格をうやむやにする懸念があることです。例えば、臨床心理士の資格です。この資格は信頼性が高く、心理士系の資格の中では就職に有利と言われている資格です。臨床心理士では、認定心理士とは異なり、心理学に関し学んでいる学術のレベルが違い、クライアントに提供できる技能の質が違っています。同じように特別支援教育士も専門性のある資格です。臨床心理士側は、「公認心理師」のレベルが低く双方の資格の価値が下がることを危惧しなければなりません。しかも、現段階でイメージされる公認心理師では、臨床を経験することは困難です。

先に述べましたが、すでに民間資格をとった人は、資格をとるために多額の投資をしています。講習会の旅費、認定料、資格更新の受講料などです。その投資が今やどぶに捨てるような事態になりつつあるのです。また高い受験料や認定料を支払って「公認心理師」を取得しダブルライセンス保有者となったとしても、これまでの資格はなんの役にも立たなくなる可能性もあるのです。

海外の資格の多くで、例えば臨床心理士であるClinical Psychologistになるための要件は、博士号を有すること、そして臨床の経験があるということです。我が国の民間資格はどれも学会に属して受験資格を得るといういわば、系統的な単位を取得し専門性をつけるということを重視しないところに課題があります。いつも民間資格の質が問われるのが我が国の有様です。「公認心理師」が学部卒で取れそうだという点に大きな疑問と不安が湧きます。

「公認心理師」の出現によるメリットとはですが、皮肉にも臨床心理士も公認心理士も特別支援教育士も更新する必要がなくなることです。もしかしたら消滅するのでは、という懸念もあります。たとえ存続するにせよ、更新のための費用は「公認心理師」を含めてとられることを覚悟しなければなりません。そんな資格を持っても一体役に立つのかを自らに問う必要があると考えます。

最後ですが、「公認心理師法案早期実現のお願い」の要望書には次のようにあります。

「今日、国民のこころの問題(うつ病、自殺、虐待等)や発達・健康上の問題(不登校、発達障害、認知障害等)は、複雑化・多様化しており、それらへの対応が急務です。しかしこれらの問題に対して他の専門職と連携しながら心理的にアプローチする国家資格が、わが国にはまだありません。国民が安心して心理的アプローチを利用できるようにするには、国家資格によって裏付けられた一定の資質を備えた専門職が必要です。」

問題としたい点は、最後のフレーズです。国家資格によって裏付けられようとなかろうと、民間団体がこれまで認めてきた者は、一定の資質を備えた専門職であるということです。「国民が安心して心理的アプローチを利用する」には、高度の専門教育を受け、長い臨床実践を経た者が必要なのです。国家資格ではありません。「公認心理師って一体全体なんなのか、その専門性とは一体何か、保護者や子どもその他クライアントのことを念頭に置いているのか、、 認定団体は自己保身的ではないか、、、」を国民は問うことになるでしょう。

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文化を考える その33 「正義が川のように流れ下り」

Last Updated on 2014年9月13日 by 成田滋

“I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character.”

冒頭から英文でお許しいただきたい。出てくる単語はすべて中学の英語で学ぶものばかりである。どうしてもこのパラグラフを引用しないと、今回のブログは体をなさないと考える。ノーベル平和賞の受賞者、マーチン・ルーサー・キング牧師(Martin Luther King, Jr.)の有名な演説の一部である。1963年8月に首都ワシントンDCで繰り広げられた大行進のとき読み上げたものである。

プロテスタントバプテスト派の牧師であるキング博士は、ペンシルベニア州のクローザー神学校(Crozer Theological Seminar)を経て父親と同じくバプテスト派の牧師となる。その後1955年にボストン大学神学部で博士号を取得した。

キング牧師は、解放宣言で明確に打ち出された奴隷の廃止に関して「それは、捕らわれの身にあった彼らの長い夜に終止符を打つ、喜びに満ちた夜明けとして訪れたのだった」と説く。この箇所は、旧約聖書詩篇30章5節(Psalm)から引用したものだ。
■その怒りはただつかのまで、その恵みはいのちのかぎり長いからである。夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る。

次に奴隷解放に至るまでの長い道のりを回想し次のように説く。
「そうだ、決してわれわれは満足していないのだ。そして、正義が川のように流れ下り、公正が力強い急流となって流れ落ちるまで、われわれは決して満足することがない」この部分は、アモス書5章24節(Book of Amos)の次の聖句に由来する。
■公道を水のように、正義をつきない川のように流れさせよ。

さらに「いつの日にか、すべての谷は隆起し、丘や山は低地となる。荒地は平らになり、歪んだ地もまっすぐになる日が来ると。」という部分はイザヤ書40章4節(Book of Isaiah)からそのまま引用している。
■すべての谷は埋め立てられ、すべての山や丘は低くなる。盛り上がった地は平地に、険しい地は平野となる。

イザヤ(Isaiah)は旧約聖書に登場する有名な預言者の一人。イザヤ書40章3節で「荒れ野に主の道を備えよ」と新しい国造りをイザヤは指し示す。「虚飾ではぎとられた荒れ地を耕し、権力者と驕り高ぶっている山と丘を低め、おとしめられてきた者がいる谷を埋め、主のための道を備えよう。」と説く。

文章の冒頭の語句を繰り返す反復も修辞の手段として、演説全体で用いられている。なかでも “I Have a Dream …” という表現は8度出てきており、その表現でキング牧師が描く差別のない一体化したアメリカを聴衆に訴えている。

そして演説の最後は、“Free at last ” で終わる。このフレーズは、黒人霊歌のタイトルである。キング牧師の演説草稿は深い思索と博識に裏打ちされていることを教えてくれる。

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文化を考える  その32 ”I Have a Dream” Speech

Last Updated on 2014年9月12日 by 成田滋

深く人々の心に刻まれる文章、魂を揺さぶられるような演説とはなにかを考えている。

これまでいろいろな作品や演説を読み聴きしてきた。作者の時代を思い起こしながら、作者の意図をくみ取ろうとする作業はまるで至福のときである。思うに文章を書くこと、草稿を練るには、その下地となる基礎知識とか時代背景を知らねばならない、ということを肝に銘じている。

ある話題を取り上げようとする。それに関した知識があれば、話題への切り込み方がちがってくる。時代考証や先行文献などに裏打ちされた文脈や内容であれば読者を引き込むことができる。

演説の草稿は、通常スピーチライター(speech writer: SW)が書く。大統領や総理大臣の演説原稿はSWによるものだ。時に演説者自身の手によって作られるのもある。その代表例が、1963年8月28日に、ワシントンDCのリンカーン記念堂(Lincoln Memorial)で行ったキング牧師(Martin Luther King, Jr.)の演説である。通称、”I have a dream.”と呼ばれる。あまたの演説の中で最高のものと称される有名な内容である。

なぜこれほどの内容の草稿なのか。それはキング博士の牧師として、運動家としての深い信仰や信念に裏打ちされていることに畏敬の念を抱くのである。とりわけ旧約聖書の理解なしに、この草稿は生まれなかったと思えるほどである。

小学生にも分かるような表現やフレーズがある。大人向けの首句反復という修辞もある。独立宣言や黒人霊歌からの引用もある。だが、黒人への偏見と差別という出来事が、旧約聖書に記述される紀元前のエジプトで起こった差別と迫害の出来事をはっきりと思い出させるような引喩が心を打つのである。紀元前から続く人種偏見をキング牧師は聖書の内容から熟知していたことに畏れ入るのである。次稿はそのことに触れる。

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文化を考える その31 街角の風景  今も人種差別が

Last Updated on 2014年9月11日 by 成田滋

先日、ミズリー州の街で黒人青年が警官に射殺される事件が起こった。オバマ大統領も市民に冷静さを呼びかけるほどであった。ことの顛末ははっきりしないが、根強い人種差別の歴史を思い起こす事件である。

人種差別を英語では「Discrimination」とか「Racial Segregation」という。この人間の考え方の源には、生まれつきの遺伝的な要素によって人の特徴や能力は決まっているのだから、別々に生きることが幸せなのだ、という思い込みである。そこから特定の人種に対する特別な信念や行動が生まれると考えられる。それが具体的に現れるのが人種差別とか人種の優越性の観念である。これは「レーシズム」(racism)という。

オックスフォード英語辞典(Oxford English Dictionary)によると、「レーシズムとは信念やイデオロギーのことであり、人種というのはそれぞれ共通の特性や能力を有する、それによって他の人種に対する優越性や劣等性をきめるもの」と記述されている。別の辞典では、「レーシズムとは人種によって固有の文化を形成する要素である」ともある。こうした定義で共通していることは、「遺伝」、「信念」、「特性」、「すみ分け」などが強調されることである。レーシズムによって、皮膚の色とか人種の違いが排他的な態度、優越的な態度と他人を蔑むこと、人権や自由を脅かす行為につながる。

南部アラバマ州では1950年代から「ジム・クロウ法」(Jim Crow)という人種分離法がつくられ、交通機関、駅、トイレ、映画館、学校や図書館などの公共機関、ホテル、レストラン、バーなどで白人と有色人種(the colored)を分離することが正当化された。やがて州都モンガメリー(Montgomery)で1955年に起こったローザ・パークス(Rosa Parks)逮捕事件が公民権運動の口火をきる。

パークスは、白人専用のバスに乗り込んで逮捕される。これをきっかけに、キング牧師(Martin Luther King Jr.)らがバス・ボイコットの運動で立ち上がる。運動は全米に広がり、1956年には合衆国最高裁判所が「バス車内における白人専用及び優先座席を違憲とする判決を出す。1963年8月にキング牧師に率いられたワシントン大行進。1964年7月に公民権法(Civil Rights Act)が制定され、長年続いてきた人種差別撤廃運動は終わりを告げる。

今日、法的には人種差別は完全に違法である。人種、文化、言語、信条などによって差別をすることは教育、就職、表現などにおいて禁止されているが、、、。このような社会が創られるまでは、幾多の困難や障壁があった。黒人奴隷が存在した。リンカーン(Abraham Lincoln)大統領が黒人の解放を訴え、それを機に南北戦争(Civil War)が起こった。そして奴隷解放が宣言された。だが、アメリカ社会にはいまだに目に見えない人種偏見が続いている。バラク・オバマ(Barack Obama)が大統領になったときの異例の報道はそれを物語る。

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文化を考える その30 街角の風景 エリザベス・サンダースホーム

Last Updated on 2014年9月10日 by 成田滋

1955年にスペインで作られた映画「汚れなき悪戯(いたずら)」をご存じの方は60歳後半の人。養子縁組の話題の続きである。

19世紀前半、スペインの小さな寒村が映画の舞台である。ある年の聖マルセリーノ祭(Marcelino)の朝、教会堂の門前に赤子が置かれているのをフランシスコ会の修道士たちが見つける。彼らは赤子の里親を求めて歩き回るが見つからない。そこで修道院で育てることになる。そして名前をマルセリーノと名付ける。

5年後、マルセリーノは賢い少年に成長していく。しかし、母親がいないことや友だちができないことに修道士たちは心配する。修道士は、屋根裏部屋には決して入っていけないとマルセリーノに言いつける。ある日マルセリーノは入ってはいけない屋根裏で大きな十字架のキリスト像を見る。そこでキリストとの対話が始まるのである。そしてパンや飲み物を運ぶという「汚れなき悪戯」が始まる。

19世紀のアメリカでは、移民の増大や南北戦争によって多くのホームレスや孤児を生んだ。各州ではこうした子どもへの対応を考え始める。1917年には、ミネソタ州がはじめて養子縁組を認める法を制定する。二つの大きな戦争、朝鮮動乱、ベトナム戦争などによって多くの国々で孤児が発生した。こうした経緯で、アメリカでこのような恵まれない子どもに家庭を与えるための養子縁組制度、いわば子のための制度が広く社会に浸透していく。

「我が故郷ウイスコンシン 忘れられない人ーその30」で紹介したMr.& Mrs. John Silbernagelの娘、Karenのことだ。彼女は結婚する前にスリランカから養子を引き受けた。独身女性が養子縁組をするなど筆者には思いもよらなかった。その子を実の子として献身的に愛情を注ぐ未婚の母親姿を見て感じ入った。「生みの親よりも育ての親」である。その後彼女は結婚し、実の子どもを授かる。

1948年、岩崎弥太郎の孫、澤田美喜がエリザベス・サンダースホームを設立する。連合国軍兵士と日本人女性の間に強姦や売春、あるいは恋愛で生まれ見捨てられた混血孤児たちのため児童養護施設であった。その後ここで約2,000人の子どもが育てられ、多くは養子としてアメリカに渡った。彼女の夫は初代国連大使を務めた澤田廉三である。
img_0汚れなき悪戯」からsawadamiki2澤田美喜氏images

 

文化を考える その29 街角の風景 養子縁組み

Last Updated on 2014年9月9日 by 成田滋

養子縁組が多いのがアメリカ。私の息子夫婦には2人の男の子がいるのだが、3人目は養子を育てたいといっていた。8年前にサバティカルで阪大にいたとき、日本人の子どもを養子にするための手続きで関係機関を調べていた。だが外国に住んでいて、日本から養子をとるのは極めて困難であることがわかったようだ。だが今も養子を探している。

我が国は、家父長制を基本としていたので、家長の後継者を得るための養子縁組が存在していた。こうした伝統のせいだろうが、今は「子どもと家族の幸せ」という考えで養子をとることは並大抵のことではない。

養子制度は長い伝統があるす。制度を遡ると、 紀元前18世紀、古代バビロニアのハムラビ法典などに由来することが判明している。当時は養子が合法的であり、保護者の責任などが規定されていたことが伺える。Wikipediaによれば婚約、婚姻、離婚、姦通と近親相姦、遺産相続などの規定もあったようだ。ローマ帝国の皇帝というのは、養子縁組での継承というのがやたらと多かったといわれる。ローマ帝国は、一夫一妻制の社会であったため、皇帝が必ずしも継承者となる男子を持っているとは限らなからである。

中世期のヨーロッパにおける養子縁組は容易ではなかったようである。ナポレオン民法典には、養子制度も規定されたが、それは成年の養子のみであり、氏や財産の継承の目的だけに認められた。養子は18歳以上でなければならず、養親は50歳に達していることが必要であった。

だが、貧しさのために教会の門前などに幼児を置き去りにする人々が絶えなかったといわれる。そこでカトリック教会は孤児院を運営し始める。こうした博愛の精神が、やがて養子縁組を社会に定着させるための原動力となっていく。

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ナポレオン民法典
2cd0d2567ffc5558b655727e0b4e13cf Code of Hammurabi
ハンムラビ法典

文化を考える その28 街角の風景 その8 「聴衆に視線を向ける」

Last Updated on 2014年9月8日 by 成田滋

なくて七癖とはよくいったものである。人それぞれに癖があるが、人前では、あまりよろしくない行為はなんとかしたいものだ。先日、図書館で調べものをしているとき、前に座った外国人から「足を振るわせないように」との注意を受けた。振動が伝わって不快な思いをさせたようだ。私は足をブラブラしたり貧乏揺すりをする癖がある。

人前で話をするとき、自分は「あー」、「えー」、「えーと」、「うーんと」などというつなぎがでてくるのを自覚している。文章の末尾に「、、、、と思います」というフレーズも多い。録音を聴きながら「、、、です」と直さなければとなんども言いかせた。だがなかなか改善しない。

以前、トーストマスター(Toastmaster)という団体に属したことがある。トーストマスターとは非営利教育団体で、座を和やかにする話し方、聴衆をひきつける話し方のスキルを高めることを目的とする。世界中にトーストマスターズ・インターナショナルの支部やクラブがある。月刊雑誌を出しているほど活動が活発で、日本にも支部がある。多くは英語圏の人で構成されている。

横須賀にいたとき基地内にある学校で、トーストマスターの例会に出席していた。この例会は英語で進められた。会員は、月に数回定期的に開かれる勉強会に出席することが求められる。会合の進め方だが、司会者からスピーカーや評価者などの役割を与えられる。会員は毎回持ち回りで司会を務める。

例会は時間厳守が求められる。参加者はマニュアルに基づいて準備されたテーマについてのスピーチ、即興スピーチをしなければならない。論評はスピーチの良かったことに対する「褒め」と、建設的な「改善点」の両方を述べることが要求される。私がしばしばこの例会で指摘された改善点である。それは、原稿に視線が向きすぎる、即興で与えられるテーマでしゃべる内容に精通していないこと、流れるようなスピーチの構成となっていないこと、言葉遣いで「ああ、、えーと、」が多いこと、ジェスチャーが不十分で訴える印象が薄い、声の抑揚が平坦であること、などが指摘された。

例会の終わりには、参加者全員による投票で最優秀スピーカー、優秀即興スピーカー、評価者などの賞が与えられる。講師は存在せず、会員同士による話し方のフィードバックによって、話し方を向上するために教育しあうことを活動の柱としている。

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文化を考える その27 街角の風景 その7 終身身分保障制度

Last Updated on 2014年9月6日 by 成田滋

アメリカの大学では、終身身分保障を得れば定年がない。研究費をとれるならば、建前上は死ぬまで働いてもよい。これを終身身分保障制度、英語でテニュア、あるいはテニュアトラック(tenure-track)と呼ぶことは前回記した。

アメリカの大学では、通常博士号を取得すると任期付きの講師、ポスドク研究員、そしてテニュアが期待される助教授のいずれかのポジションを取得することになる。基本的にはテニュアによって「審査期間を首尾良く経過し、正当なる理由があるときは、その地位が保障される」のである。テニュアというのは、優秀な研究者に与えられる身分保障制度のこと。これによって学問の自由が保障されると同時に、経済的に安定した生活も保障される。

どの大学でもテニュアになるための基準がある。テニュアの審査応募資格としてはテニュアのポジションに在籍していて、審査期間の5年間に優れた研究業績があり、しっかりした学生指導の実績があること、学部の教務に精励していること、助教授の肩書きを持っていることなどである。テニュアをとろうとする助教授は、いくつかの学内委員会の審査を通過して、大学の理事会が承認することになる。このように研究活動、教育活動、教務活動の全てにおいて優れていることが要求される。

研究活動においては査読付き学術論文を複数発表していることも要求される。審査付学会報告などを複数持っていないとテニュアの取得は困難である。テニュアをとると海外などでのサバティカルリーブ(Sabbatical leave)という自由な研究活動が与えられる。欧米では広く普及している休暇制度である。休暇の期間は半年か一年である。半年の場合は給与は半額が支給され、一年の場合は無給というのが一般的である。

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文化を考える その26 街角の風景 その6 研究者の招聘

Last Updated on 2014年9月5日 by 成田滋

今、ネブラスカ大学リンカン校(University of Nebraska at Lincoln)にいる友人のD.H.教授のことである。彼との付き合いからアメリカの研究者の異動についていろいろなことを知った。

彼は小さいとき、ネブラスカのど田舎の学校をでた。どこまでもトウモロコシ畑が広がる大平原の真ん中である。学校は複式学級だったそうだ。田舎だから複式は当たり前であった。その後イリノイ大学アーバナシャンパン校(University of Illinois at Urbana-Champaign)の教授になる。

彼がネブラスカ大学から招聘状がきたとき、イリノイ大学に残るかどうかを考えた。このような「一本釣り」されるような研究者は研究業績に優れ、名が知れている。なによりも研究費を獲得する実績がある。

引き抜くほうの大学は研究者の収入などを調べているので、現在の待遇以上の条件を提示する。例えば1.5倍の給料をだすとか、これこれしかじかの研究環境を用意するなどである。招聘状をもらう研究者は、提示された待遇、大学の研究設備、、同僚となるスタッフの研究状況、子どもの教育環境などを調べ、自分の研究にも家族のためにもプラスになるかなどを考慮する。

D.H.教授は、招聘状をもらったときイリノイ大学に残りたかったそうだ。なぜならシカゴやニューヨークなどに近く研究環境として恵まれていたからだ。そこで、学部長に会い「1.5倍の給料でネブラスカ大学からオファーがきているが、もしイリノイ大学が今の給料を上げてくれれば、残りたい、、、、」と交渉したという。

残念ながら学部長は「予算がないので、給料を上げるわけにはいかない」と言ったのでネブラスカ大学へ移ることにしたという。このような交渉ができるのが面白いところだ。また学部長も予算やスタッフの給料を決める権限があるのは興味深い。

長男が、かつてボストン郊外にある今の大学にレジュメ(研究業績一覧)を送ったときである。書類審査を通過し大学での選考委員会に招かれ面接を受けた。この時、旅費は大学が負担してくれたという。首尾良くポジッションを得て6年後にテニュアトラック(Tenure-track)と呼ばれる終身身分保障を得た。テニュアをとるためにあちこちの大学を渡り歩くことも多いのがアメリの大学である。

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文化を考える その25 街角の風景 その5 電信柱

Last Updated on 2014年9月4日 by 成田滋

イタリアの古い街を訪ねたとき感銘したことがある。それは空が広いということだ。オリーブや葡萄畑が広がり、ローマ(Rome)の松が並んでいる。そこを車でのんびりドライブすると、丘の上に造られた城塞都市が見える。オルヴィエート(Orvieto)サンジミニャーノ(San Gimignano)などががその代表的な街である。

オルヴィエートの城門を入るとそこは旧市街。劇場、美術館、聖パトリツィオ(Patrizio)の井戸、ドゥオーモ(Duomo)を持つ聖堂がある。また街の地中を掘り進むだけで遺跡が出てくるという。エトルリア人(Etruria)の墳墓もある。

細く古い石畳を歩くと突然広場がある。人々はのんびりと会話している。お年寄りも観光客も一緒だ。しばらくぼんやりしていると、電信柱がどこにもないことに気がつく。空が広いということは電信柱や電線がないことなのだ。

電線は水道とともに下水道のある地中に埋められているという。このような古い街並みに電信柱は全くそぐわない。洗濯物がひもに吊されて干されている。花の鉢も窓際にある。石造りの街並みは改築がほとんど行われないから電線は地中に埋め込みやすいといわれる。もともと下水道が発達したのがヨーロッパ。避難路としても役割を果たしていたようである。

我が国の観光地からもだんだんと電信柱がなくってきた。例えば滋賀県長浜市の駅前の黒壁のまちづくりにより、電信柱が地中に埋められている。地中化するには時間と費用がかかる。経済性、利便性、安全面などから電信柱がまだま多いのは確かだ。道路計画の当初から地中化する発想が必要だ。美観を台無しにしているのは電信柱である。都市の景観とか美にもっと関心を持ちたいものである。

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文化を考える その24 街角の風景 その4 ガレージセール

Last Updated on 2014年9月3日 by 成田滋

アメリカの風物詩にガレージセール(garage sale)とかヤードセール(yard sale)がある。週末になるとあちこちの家の側にガレージセールの立て看がでる。家庭で使わなくなった品物を安く、あるいは無料で車庫の前に沢山の品を並べ提供するという「催し物」だ。隣近所が一緒になって不用になった品を出し、客を呼び込んでいるのもある。

週末、ガレージセールを訪ね歩くのも楽しい。長い冬が終わったあと、あるいは秋に行われることが多い。クリスマスの贈り物をそのまま並べるのも珍しくない。家具、玩具、自転車、芝刈り機、本、大工道具、靴、家庭内雑貨などさまざまだ。T-シャーツなどの衣料品も多い。中には古いブラジャーもパンティもある。皆洗濯はされているが、、

街には家具や衣料のリサイクルショップが結構ある。どこに行っても物を大事に使おうとする気持ちはある。リユース(resuse)という運動である。大消費社会のアメリカだが、意外とリサイクルやリユースは根強い人気がある。家庭を覗いても、古い家具を大事に使っている。一枚板のものだからだ。材木が盛んにとれる国柄からだろう。

車に相乗りするカープール(carpool)も歴史が長い。通常、近所の人など、他人同士が一台の車に乗ることを指す。交通渋滞の緩和や環境対策などの目的で、相乗りで運転手以外に一定数以上の乗員がいると通行料金が無料になったりする。カープール車の優先レーンもある。これもアメリカの公共精神の現れか。

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文化を考える その23 街角の風景 その3 ゴミ処理

Last Updated on 2014年9月2日 by 成田滋

我が日本人が誇るべきことはたくさんある。その最たるものは、高い公共精神である。少々古くさいが公衆道徳心と言ってもよい。外国へ行ってみればそれがすぐわかる。パリの汚さ、喫煙者の多さには目を背けたくなる。東南アジアからくる観光客は、口を揃えて日本の街は綺麗だという。時に空き缶やゴミ、煙草の吸い殻が不用意に捨てられているのを目にする。だが総じて街は清潔さを保っている。公共施設、会社やレストラン、路上での禁煙が条例で定められたことも素晴らしい。

高い公共精神の象徴は、ゴミの分別廃棄にあるのではないか。このような徹底さは外国には希である。色の違うビンのまで分けられている。これほど細かく分別されている国は知らない。

私の住む八王子もそうだ。家庭から出る資源ゴミのうち、排出頻度が高い約980品目を50音順に掲載している。資源ゴミである空きびん、ペットボトル、空き缶、紙パック、紙製容器包装、プラスチック製容器包装などの回収日が決まっている。「燃やせるごみ」、「燃やせないごみ」、「大型ごみ」は有料。可燃ゴミの中に缶やビンが誤って混じっているときは、その袋は警告紙がついてそのまま玄関脇に放置される。

こんなことばアメリカにはない。アメリカはゴミ処理では大いなる後進国である。集荷日になるとビンや缶を除き、大きなプラスチックのゴミ箱を道路側にだす。それをダンプカーのようなトラックが来て、ゴミ箱を高々と持ち上げ空にしていく。

我が国のゴミ処理の課題は放射能で汚染された「指定廃棄物」にある。汚染水、焼却灰や汚泥や土壌などなど増え続けている。どこで誰が誰が引き受けるかとなると尻込みしたり反対する。公共精神も少々自信がなくなる。

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文化を考える その22 街角の風景 その2 コロニアル様式

Last Updated on 2014年9月1日 by 成田滋

現在放映中のテレビ小説「花子とアン」の冒頭に、広大な平原と澄みきった青空に帽子が飛んでいるさまがでてくる。そして丘に建つコロニアル様式(colonial style)の一軒家が登場する。このシーンを見るたびに、長男の家を思い出す。あまりにそっくりなのだ。「花子とアン」では、いよいよ暗い戦時下に突入だが。

このドラマの原作は「赤毛のアン(Anne of Green Gables」。 カナダはニューブランズウィック州(New Brunswick)のプリンス・エドワード島(Prince Edward Island)にあるキャベンディッシュ(Cavendish)という街が舞台である。地図で調べるとプリンス・エドワード島はセントローレンス湾(Gulf of St. Lawrens)にある。五大湖が大西洋に流れる出口だ。このあたりもニューイングランド(New England)と呼ばれる。「赤毛のアン」は、カナダの小説家、ルーシ・モンゴメリ(Lucy M. Montgomery)によって書かれた。

さて、コロニアル様式の家についてである。名前は17世紀から18世紀にかけてイギリスやオランダ、スペインで発達した建築様式である。その特徴は、切り妻の屋根、建物の正面にポーチがつき大きな窓とベランダがつく。煙突もある。中には暖炉があるからだ。建物は二階建てで白いペンキで覆われる。二階の屋根にはアーチ型の窓がつきでている。外側の柱はギリシャ様式のような飾りがつく。

コロニアル様式の建物は、アメリカ中西部やニューリングランド(New England)に多い。住宅やアパートだけでなく教会、集会所にもみられる。その最も知られる建物は首都ワシントンの郊外、マウント・ヴァーノン(Mount Vernon) にあるワシントン邸宅(George Washington Mansion)であろう。

マウント・ヴァーノンを訪ねたのは長男が7歳の時。彼はアメリカの歴史を勉強していた。彼の希望で第3代大統領を務めたトーマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson)の邸宅のあるヴァージニア州シャーロッツビル(Charlottesville)のモンティチェロ(Monticello)に行った。ヴァージニア大学(University of Virginia)もある。ここの建物はほとんどがコロニアル様式である。全米で最も美しいキャンパスといわれる。

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