心に残る名曲 その十一 スカルラッティ

1600年の後半から1700年の前半に活躍した作曲家にスカルラッティ(Alessandro Scarlatti)がいます。宗教曲や器楽曲もありますが、主なものはオペラやカンタータです。Wikipediaによりますとナポリを中心として活躍したことから、「ナポリ派の父(Neapolitan School of Opera)」と呼ばれたようです。ナポリのあたりでは周りにいた音楽家の師であったとあります。

バッハと同じ年代で活躍したスカルラッティは、カンタータを800曲、オラトリオ、ミサ曲、モテット、マドリガル、器楽曲のコンチェルト、シンフォニアなどを作曲しています。イタリアオペラの典型的な序曲といわれるシンフォニアはナポリで作曲したといわれます。

スカルラッティは、メディチ(Ferdinando de’ Medici)とかスエーデンのクリスティーナ女王(Queen Christina)などの庇護を受けて活躍したようです。こうした富豪や貴族は彼の音楽に心酔していたことが伺えます。さらにカトリック教会での礼拝堂楽長などにも就任します。例えば、ローマの聖マリアマジョーレ大聖堂(Basilica di Santa Maria Maggiore)です。アクアヴィヴァ枢機卿(Cardinal Acquaviva)の推薦といわれます。

スカルラッティの音楽様式は、17世紀および18世紀前半に発達した芸術および建築の様式、イタリアのバロック(Baroque)に代表されます。その特徴は、曲が過度に装飾的で誇張され,派手に飾りたてられていることです。この特徴は絵画や建造でも見られます。バッハはこうした同世代の音楽家からも影響を受けていたことは容易に想像できます。

心に残る名曲 その十 ブクステフーデ

バッハの作品は世界中で知られています。「音楽の父」という名声は揺るぎないものですが、彼の作品を支えた背景にはその才能やたゆみない努力、そして影響を受けた作曲家がいたということです。それがドイツのブクステフーデ(Dieterich Buxtehude)とかイタリアのスカルラッティ(Alessandro Scarlatti)といった作曲家と云われます。

ブクステフーデは17世紀の北ドイツおよびバルト海 (Baltic Sea) 沿岸地域を統治していたプロイセン(Prussia)を代表する作曲家でオルガニストといわれます。1668年にバルト海に面する北ドイツの代表都市、リューベック(Leubeck)のマリア教会(St. Mary Church)のオルガン奏者となり,終生この地位についた人物です。同教会で以前から行われていた世俗的性格をもつ音楽会〈アーベントムジーク(Abent Musik)(夕べの音楽)〉を続け,オルガン演奏のほか,合唱やオーケストラも含めた大規模なものに発展させるという貢献をします。

平日に行われていたアーベントムジークをクリスマス前の5回の日曜日に移し、オルガンの隣りに聖歌隊を配置し、合唱とオーケストラ40名ほどが演奏するというものです。1705年に20才のバッハもこの催しでリューベックを訪れたといわれます。なおキリストの降誕を待ち望む週はアドベント(advent)と呼ばれています。

ブクステフーデの作曲活動ですが、オルガン曲はプレリュード(Prelude)、フーガ、オルガンコラールなど90曲が現存するといわれます。カンタータも100曲以上が現存し、これらがバッハのカンタータへと発展していきます。他にも世俗声楽曲であるマドリガル(Madrigal)、ハープシコード(harpsichord)やチェンバロ(Cembalo)などの作品があります。

ブクステフーデ作曲で現存する約120曲の声楽曲は、婚礼用の8曲等を除いてすべてプロテスタント教会のための宗教曲となっています。これらの作品は今日、カンタータと呼ばれることも多いのですが当時、宗教曲に対してカンタータという呼称が用いられることはなく、独立した複数の楽章から構成される声楽曲といってもよさそうです。声楽曲における歌詞の形式は、聖書等の散文詩、ドイツ語コラールなどにに分類することができます。

ブクステフーデのオルガン曲を聴きますと、バッハの作品かと思われるほどです。バッハはこの作曲家より多くのことを学んだことが容易に伺われます。

心に残る名曲 その九  「フーガ ト短調 BWV 578」

バッハ (Johann Sebastian Bach) は音楽総監督(カントルーCantor)、教会音楽家、演奏者、聖歌隊指揮者など多彩な活動した作曲家です。特にライプツィヒ(Leipzig)の聖トーマス教会(St. Thomas Church)のカントルとしての活躍がめざましく、宗教曲、管弦楽器曲、協奏曲、室内楽曲、鍵盤楽器曲に膨大な作品を残しています。

バッハには自分の子供たちのために書いた曲も多いといわれます。たとえば、「アンア・マグダレーナのためのクラヴィア小曲集」「インヴェンション」「シンフォニア」「平均律」を含む「イギリス組曲」、「フランス組曲」、「イタリアン・コンチェルト」、「パルティータ」、「トッカータ」などで、それらの作品でバッハは対位法と云われる複数の旋律をそれぞれの独立性を保ちながら、互いに調和させて重ね合わせる技法を使っています。クラヴィア小曲集で知られる鍵盤楽器曲は今日のピアノの学習に欠かすことのできない重要な作品となっています。

「小フーガ」の愛称で親しまれているのが「フーガ ト短調 BWV 578」です。最初の4小節半のフーガ主題は、最も分かり易く親しみやすい旋律として名高いものです。各地の演奏会でしばしば演奏されています。この作品は4声フーガとして精密に構成されていて、伝統的な対位法を用いています。

対位法という技法は、イタリアの作曲家コレッリ(Arcangelo Corelli)の有名な作曲技法といわれ、模倣し合う2声のそれぞれに8つの音符が現れ、前半4音で一気に駆け上がったあと、後半4音で一息に駆け下りるという手法がみられます。「小フーガ」の愛称が付くのは、「トッカータとフーガニ短調」が余りにも壮麗で広く知られていること、四分弱の曲の長さから、この名が付いたようです。

この曲は、1965年に札幌ユースセンタールーテル教会に設置された北海道で最初のパイプオルガンの献納式のプログラムに入っていました。「トッカータとフーガニ短調」も演奏されました。東京芸術大学の教授であった秋元道雄というオルガニストを招きました。

心に残る名曲 その八 「トッカータとフーガ 二短調 BWV 565」

このオルガン曲、「Toccata and Fugue in D minor」は、あまたの音楽作品で最高傑作、最高峰に位置する一つといえそうです。私の思い入れもあります。1940年にウォルト・ディズニー(Walt Disney)が演出したファンタジア(Fantasia)の冒頭で演奏されて以来、世界中に広まります。演奏を指揮したのはアメリカで活躍したストコフスキー(Leopold Stokowski)です。

曲名にある用語のことです。トッカータ(Toccata)とは「触れる」、「弾く」とか「演奏家の妙技を示す」といった意味です。フーガ(Fugue)のことは既に説明しましたが、主題とその応答が交互に現れる対位法と呼ばれる多声音楽の形式のことです。この曲を聴きますと、異なる主旋律が互いに追い掛け合いをするように連続して演奏されます。バッハの作品にしばしば登場する演奏様式です。オルガンの木管と金管のコンビネーションが絶妙で、多くの演奏者はこの音楽についての理解が異なるようで、それが演奏の仕方に現れています。速い音符や細かな音形の変化などを伴い、即興的な楽曲を指し、技巧的な表現を特徴とするのがトッカータです。バッハが21歳のとき作曲したというのですからこれも驚きです。

ストコフスキーのことです。イギリス生まれですが主にアメリカで指揮者として活躍します。1912年にフィラデルフィア管弦楽団(Philadelphia Orchestra)の常任指揮者に就任し、この管弦楽団を世界一流のアンサンブルに育てたといわれます。ボストン交響楽団(Boston Symphony Orchestra)、シカゴ交響楽団(Chicago Symphony Orchestra)、ニューヨーク・フィルハーモニック(New York Philharmonic)、クリーヴランド管弦楽団(Cleveland Orchestra)と並んでアメリカ五大オーケストラに数えられています。

心に残る名曲 その七  「3つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグ ニ長調」

バロック時代中頃の1680年頃に作曲されたカノン(canon)様式の作品です。カノン様式とは、複数の声部が同じ旋律を異なる時点からそれぞれ演奏されます。輪唱は同じ旋律を追唱しますが、カノンは異なった音程で始まるところが違います。

カノン様式を指す「3つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグ ニ長調」(パッヘルベルのカノン」(Canon in D) )の第1曲。この曲は、パッヘルベル(Johann Pachelbel)のカノンの名で広く親しまれており、パッヘルベルの作品のなかで最も有名で、広く知られている作品といわれています。通奏低音とは、低音の上に即興で和音を補いながら伴奏声部を完成させる技法とされヨーロッパの17,18世紀のバロック時代に広く用いられたようです。

パッヘルベルは17世紀、バロック期のドイツの作曲家であり、南ドイツ・オルガン楽派の最盛期を支えたオルガン奏者で教師でもありました。宗教曲や非宗教曲を問わず多くの楽曲を制作し、コラール前奏曲やフーガの発展に大きく貢献したところから、バロック中期における最も重要な作曲家の一人に数えられました。

パッヘルベルの音楽は技巧的ではなく、北ドイツの代表的なオルガン奏者であるブクステフーデ(Dietrich Buxtehude)のような大胆な和声法も用いず、旋律や調和の明快さを強調し、明快で単純な対位法を好んで用いたようです。他方、ブクステフーデ同様に、教会カンタータやアリアなどの声楽曲において楽器を組み合わせた多様なアンサンブルの実験も行ったといわれます。

通奏低音とは、チェロ又はヴィオラダガンバ、またはその両方、ヴィオローネ、チェンバロ、リュート、ギター、オルガンなどの任意の組み合わせによる即興的な演奏方法といわれます。

心に残る名曲 その六  「プレリュードハ長調 BWV846」

1722年に作られたバッハの「平均律クラヴィア曲集」 第一巻第一曲がこの曲です。クラヴィア(Klavier)作品の代表作といわれるのがこの「プレリュード(prelude)ハ長調BWV846」です。24の調性をハ長調から順に半音ずつ上がり、それぞれの調が「プレリュード」と「フーガ(Fugue)」の2曲になっています

「クラヴィア」とはラテン語のklavis(鍵盤)に由来し、バロック時代ではハープシコードやオルガンを指していたようです。今日ではピアノを意味します。平均律とは「適度に調整された(well-tempered)」という意味で使われています。平均律による調律法はこの曲集によって確立されたといわれます。

「プレリュード」とは前奏曲といわれ、規模の大きい楽曲の前に演奏する楽曲を指します。類似する形態としては序曲(Overture) とか声楽作品中に挿入された合奏曲のシンフォニア(Sinfonia)があります。「フーガ」とは主題とその応答が交互に現れる,対位法による多声音楽の形式のことです。

平均律クラヴィア曲集は、多彩な曲想で書かれたプレリュードとポリフォニーの最高の技法が用いられたフーガなど、様々な点から音楽史上で最も重要な曲集の1つといわれています。この曲はフランスの作曲家、グノー(Charles Gounod)が作曲した「アヴェ・マリア(Ave Maria)」の伴奏に用いたことでも知られています。

Ave Mariaとは「おめでとう,マリア」という意味です。英語訳ですと「Hail Mary, full of grace」「おめでとう、恵に充ちたマリアさん」という感じです。他に、Ave Mariaはグレゴリオ聖歌(Gregorian chant)、ジョスカン・デ・プレ(Jo、squin Des Prez)、シューベルト(Franz Schubert)のAve Mariaなど多士済々といったところです。グレゴリオ聖歌とは9世紀頃から始まった単旋律で無伴奏の宗教音楽です。カトリック教会で用いられています。

心に残る名曲  その五 「バラード第1番ト短調」

今回は、バッハから少し時代を経てポーランド(Poland)の作曲家ショパン(Frederic Francois Chopin)の作品です。「Ballade NO. 1 in G Minor」という曲です。バラードとは譚詩曲とか 叙事歌といわれているようです。幻想曲とか即興曲ともいわれています。この作品では転調の妙技が活かされ、美しい序奏から激情的な盛り上がりをみせ、終曲へと向かいます。なにか劇的な余韻を持った曲です。

2002年に公開された映画「戦場のピアニスト(The Pianist)」にこの曲が登場して、観客を魅了します。実に見応えのある優れた映画です。戦争に翻弄されるポーランド国民やユダヤ人、そして音楽家が描かれます。監督はポランスキー(Roman Polanski)。彼もユダヤ系のポーランド人です。アウシュビッツ(Auschwitz)の生き残りで、「ユダヤ人狩り」から逃れるため転々と逃亡した体験がポランスキーの映画制作に深い影響を与えたようです。

「戦場のピアニスト」を簡単に紹介します。1939年9月1日にナチス、及びナチスと同盟を組むスロバキア(Slovakia)がポーランド領内に侵攻します。このときユダヤ系ポーランド人でピアニストで作曲家でもあったシュピルマン(Władysław Szpilman)は首都ワルシャワ(Wasaw)の放送局で演奏していました。ワルシャワが陥落すると、ユダヤ人はゲットーと呼ばれる居住区に移され、シュピルマン一家も飢えや無差別殺人に脅える日々をおくります。やがて何十万ものユダヤ人が収容所へ移されることになりますが、一人収容所行きを免れたシュピルマンは、決死の思いでゲットーを脱出します。砲弾が飛び交い、街が炎に包まれる中、必死に身を隠します。やがてワルシャワの蜂起も起こります。

ある家でシュピルマンはピアノを発見します。そこに坐り心の中で曲を弾くのです。ある晩、彼は発見した缶詰を開けようとしているところをドイツ人将校ヴィルム・ホーゼンフェルト(Wilm Hosenfeld)に見つかってしまいます。彼の質問に「ピアニストだった」と答えると、ピアノを弾くように命じられます。その時演奏したのがこのバラードです。ドイツの敗北を予想するホーゼンフェルトは、密かにシュピルマンに包みを差し入れます。その中にはライ麦パンと共に缶切りが添えられています。

心に残る名曲 その四 カンタータ147番 BWV147 「心と口と行いと生活で 」

バッハは、オペラを除く当時のほとんどあらゆる音楽領域で作曲活動をし、バロック全体を総合する多様な作品を作ります。彼はドイツの対位法芸術の中で育ったといわれます。対位法とは、ポリフォニー(polyphony)音楽についての理論といわれます。ポリフォニー音楽においては、それぞれの声部が奏でる旋律の独立性を保ちながら、各声部の旋律が流れていくことに特徴があります。

バッハは、すでにドイツの宮殿文化に浸透していたフランスやイタリアの新しい形式を作曲に取り入れます。例えばコレッリ(Arcangelo Corelli)とかヴィヴァルディ(Antonio Vivaldi)からイタリア音楽の豊かな調和のある和声や演奏様式を使います。コレッリの作品は、旋律の美しい流れと伴奏パートの丁寧な扱いが特徴的といわれます。「クリスマス協奏曲」を聴けばわかります。ヴィヴァルディは「四季」をはじめとして500を超える協奏曲を作ったカトリックの司祭です。

プロテスタント教会音楽の発展に大きな役割を果したのもバッハです。 ブリタニカ国際大百科事典によれば、1723年に、聖母マリアが年老いたエリザベトを訪問する場面を主題として作曲したといわれる教会カンタータが「カンタータ147番」といわれます。ルカによる福音書1章39-56節にその記述があります。この曲は全10曲からなっていて、最初の曲は合唱で「心と口と行いと生活で」(Heart, mouth, action and life)というタイトルがついています。終曲のコラールは「主よ、人の望みの喜びよ」(Jesu, Joy of Man’s Desiring)は余りにも有名です。

心に残る名曲 その三 カンタータ第140番「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」

カンタータ第140番BWV645 は「コラール・カンタータ(Choral Cantata)」と呼ばれる形式によっています。コラール(Choral)とは聖歌隊の合唱、あるいは簡単な単旋律によるルター派の賛美歌といわれています。Choralの発音では「Cho」にアクセントがつきます。

「宗教的な記述に基づく声音とオーケストラのための音楽形式」、「重唱から成る声楽曲」などと呼ばれるのが「カンタータ」です。ひとつの賛美歌の歌詞や旋律をもとにして全曲が構成された教会カンタータを「コラール・カンタータ」という場合もあります。

音楽大事典によりますバロック(Baroque)時代のドイツにおけるカンタータは、主に宗教音楽の分野で発展したことです。ドイツにおける教会カンタータは、狭義においては、教会音楽にイタリアの世俗声楽曲であるマドリガル(Madrigal)様式の自由詩に基づく作品といわれます。今日では、プロテスタント教会の礼拝において演奏された複数の独立した楽章からなる声楽曲のことを指し、17世紀に作曲された宗教作品も含めることが一般的とされます。なお、Baroqueとは16世紀末 美術文化の様式のことです。

マドリガルは16世紀から17世紀に栄えたイタリアの世俗声楽曲のことで、歌詞や詩句の部分が同じ旋律が繰返されるのが特徴となっています。16世紀の作曲家ラッソ(Orlando di Lasso)の「マトナの君 」(Matona, mia cara)は読者の方々もどこかで聴いたことがおありのはずです。

さて、本題のカンタータ第140番のことです。このカンタータの基礎となっているコラールは、16世紀のルター派教会牧師ニコライ (Philipp Nicolai)のコラールを第1曲、第4曲、第7曲に用いています。そのコラールの原典は、三位一体節(Trinity) 後第27日曜日の福音書日課であるマタイ伝(Gospel according to Matthew)第25章1〜13節です。この日課は、「天の国は次のようにたとえられる、十人の乙女がそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く、そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった」とあります。こうして到着する花嫁のたとえを用いて、神の国の到来への備えが説かれます。それをふまえ、真夜中に物見らの声を先導として到着したイエスらの待ちこがれる魂との喜ばしい婚姻へと導かれるというのです。17世紀後半にイタリアで作曲されたレシタティーヴォ(Recitativo)とアリア(Aria)からなる独唱と通奏低音のための歌曲でもあります。

心に残る名曲  その二 カンタータとバッハ

私は節操もなくいろいろな音楽を楽しんでいます。専ら合唱をやってきましたが、アルトリコーダも少し吹きます。長男はヴァイオリンを弾き、孫達もビオラやピアノの演奏をしては、YouTubeでその様子を送ってくれています。私は若いときにルーテル教会で洗礼を受けたこともあり、バッハ(Johann Sebastian Bach)の作品はどうも心の波長に合うのです。聖歌隊でも彼の作品をずいぶんと歌いました。その一つが「カンタータ第140番「目をさませと呼ぶ声が聞こえ」BWV140」というのです。

バッハ作品のタイトルの終わりには、かならず「BWV」という略語がついています。「BWV」とは、ドイツ人音楽学者のシュミーダー(Wolfgang Schmieder)が1950年に著したバッハの音楽作品目録のことです。この目録は世界中の音楽学者や音楽家に採用され、国際的な標準となりました。このナンバリングシステムによりますと、カンタータ(Cantata)とかモテット(Motet)類にはBWV1から231が付けられています。

バッハの経歴を音楽大事典で調べるとかなり劇的というか、波瀾万丈なところがあったようです。作曲やオルガン演奏に秀でていたので、周りとの衝突もあったことを伺わせます。次回はカンタータ第140番「目をさませと呼ぶ声が聞こえ.BWV140」のことです。

ついでですが、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)の作品には、ケッヘル(Köchel)という番号がついています。作品には略記号のKがついています。ケッヘル(Ludwig von Köchel)が整理した目録でケッヒェル目録と呼ばれています。「ヴァイオリン協奏曲第二番ニ長調, K 211」といった具合です。