心に残る一冊 その15 「蝉しぐれ」 その一 川と橋

藤沢周平の「蝉しぐれ」を数回にわたり紹介していきます。彼の作品は時代小説とか歴史小説といわれるようですが、内容や雰囲気からするとどうも新しい時代小説のようです。「蝉しぐれ」という原題ですが、蝉が亡骸を残し、晩秋の降ったりやんだりする小雨から、なんとなく憂うつな雰囲気が漂います。そして街の描写、自然のうつろい、主人公の住まいや身分などが丁寧に描かれます。なにかが起こる前兆を読者に期待させるのです。

藤沢周平の作品の中には、川や橋がよく登場します。江戸期の「橋」を舞台とした小話があります。橋は対岸へと渡るためだけではなく、人生が交差する場として描かれます。歳月が流れた橋の上で男が昔の幼馴染みにいう場面もあります。「綺麗になった。」というのです。

「蝉しぐれ」の冒頭では、次のような自然が描写されます。

いちめんの青い田圃は早朝の日射しをうけて赤らんでいるが、はるか遠くの青黒い村落の森と接するあたりには、まだ夜の名残の霧が残っていた。じっと動かない霧もあさの光をうけてかすかに赤らんで見える。そしてこの早い時刻に、もう田圃を見回っている人間がいた。

舞台は山形の海坂藩です。主人公の牧文四郎、そして小和田逸平、島崎与之助は、十五六歳の若者です。この三人が人間として成長し、また現実の厳しさに直面していきます。やがて、三人はの郡奉行、藩校の教授、御書院目付となっていきます。御書院とは藩主の身を守る防御任務のことです。

文四郎の家の隣に小柳甚兵衛の娘ふくがいます。文四郎の3歳年下です。お福は藩主正室の寧姫に仕えるため、江戸に向かうことになります。その直前に牧家を訪ねて文四郎に思いを伝えようとするのですが、あいにく文四郎は外出していて会うことができません。

「小柳のふくさんがたった今帰ったばかりだけど、、、、そのあたりで出会いませんでしたか」と落ち着かない顔で文四郎の母はいいます。
いや」 文四郎の胸にあかるいものがともります。ふくの名前を聞くのはひさしぶりだったのです。
「それがね、、急に江戸に行くことになったと、挨拶にみえたのですよ。」
「明日、たつのだそうです。江戸屋敷の奥に勤めることになったとかで、、その話はあとにして、、、、」 母は指で外をさすのです。
「ちょっと追いかけてみたらどうですか。まだその辺にいるかも知れませんよ。」
「わかりました」

文四郎はふくが帰りそうな道を探します。そしてあげくは川岸の道まで行きますがふくの姿は見えません。

 

 

心に残る一冊 その14 「小川の辺」

「小一里ほど歩いたとき、突然のように日光が射し、靄はしばらくの間、白く日に輝いたあと、急速に消えていった。行く手にまだ山巓のあたりに雪を残している山が見えた。海坂藩は三方を山に、一方を海に囲まれている。里に近い山は早く雪が消えるが、その陰に空にそばだって北に走る山脈には、六月頃まで斑な残雪が見られる。」

このように藤沢周平の小説には、自然や季節の情景が描かれます。絵を彷彿とさせてくれます。それは日本人の心にある自然です。高いビルやけばけばしい看板、ネオンサイン、騒がしい公園はありません。昭和の年代にあちこちに残っていた風景です。郷愁を思い起こすと詩情が漂うようようです。そして川や橋が登場します。「小川の辺」、「橋ものがたり」という小品もそうです。

脱藩して江戸へ逃亡した義弟を主命によって討手として斬らねばならない武士、戌井朔之助の不条理を描いています。佐久間森衛と共に逃亡した妻の田鶴も討たねばならなくなるという苦悩が描かれています。田鶴は朔之助の実の妹なのです

新蔵は朔之助の家で居候をしながら剣術を磨い若党です。朔之助は家老の助川権之丞の脱藩した義弟を討てとの命令で苦悩し、それを両親に伝えるのです。母親は兄弟同士の斬り合いを頑なに拒みますが、父親は「田鶴が立ち向かってくるなら二人とも斬れ!」と朔之助に言い渡すのです。

朔之助は父親に、必ず生きて連れ戻すと約束します。田鶴もまた新蔵と一緒に剣術に励み、密かに心を寄せ合う仲でありました。家族の会話を聞いていた新蔵は、朔之助に同行したいと申し出て出掛けます。

江戸の郊外で、義弟の隠れ家を探し出します。田鶴が外出したのを見計らって二人は家に近寄り、朔之助は佐久間を討ちます。そととき田鶴が帰ってきて、「討手は兄上でしたか!」「佐久間の妻としてこのまま見過ごすことはできません」と剣を抜いて朔之助に向かってくるのです。「若旦那さま、斬ってはなりませんぞ」と新蔵は叫びます。

朔之助のすさまじい気合いで田鶴の剣は巻き上げられ、川に落ちていきます。「田鶴を引き揚げてやれ」と新蔵に叫びます。新蔵の腕が田鶴の手を引き、胴を巻いて草の上に引き揚げるのを朔之助はみます。新蔵が田鶴に何か話しかける姿は、二人が本物の兄妹のように朔之助には見えます。そして、二人は、このまま国に帰らないほうがいいかも知れないとも思うのです。

「田鶴のことはお前にまかせる」といいながら、朔之助は懐から財布を抜き出して新蔵に渡すのです。「俺は一足先に帰る。お前達は、ゆっくりと後のことを相談しろ。国へ帰るなり、江戸にとどまるなり、どちらでもよいぞ。」

心に残る一冊 その13 「愛蘭土紀行」 (街道をゆくから)

司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズは、日本国内はもとよりアメリカ・オランダ・アイルランド(Irland)・モンゴル・中国・韓国・台湾などを紀行したときのエッセイ集です。「南蛮のみち」はフランスやスペインのバスク人(Basque)を題材としています。

アイルランドの首都はダブリン(Dublin)。アイルランドからは、ケルト文化(Celtic Culture)、アイリッシュダンス(Irish Dance)、セントパトリックデイ(St. Patrick Day)、さらには歌手で作曲家のエンヤ(Enya)が思い浮かびます。政治家や映画にもアイルランド系(アイリッシュ)の人が沢山活躍しています。例えば元ケネディ大統領やレーガン大統領、俳優のジョン・ウェイン(John Wayne)や映画監督のジョン・フォード(John Ford)などです。小説家ではサミュエル・ベケット(Samuel Beckett)、ジェイムズ・ジョイス(James Joyce)、そして詩人で劇作家のウィリアム・イェーツ(William Yeats)などが輩出しています。タータン( tartan)という多色の糸で綾織りにした格子柄の織物も知られています。

アイルランドは、1650年代にクロムウェル(Oliver Cromwell)による過酷な植民地支配を受けます。クロムウェルはイングランドの政治家であり軍人でありました。彼はイングランド共和国(Commonwealth of England)初代の護国卿(Lord Protector)となります。さらにプロテスタントによるカトリック教徒であるアイルランド人への迫害が長く続きます。さらにイングランド人による搾取によっておきたジャガイモ飢饉でアイルランド人が大勢亡くなるのです。こうした植民地支配でイギリスに対して伝統的に敵対した関係が長く続きます。20世紀では特にアイルランドへの帰属を求めて、イギリス領北アイルランドではテロ行為が過激派IRAによって引き起こされたのは記憶に新しいところです。イギリスが光とすればアイルランドは影のような歴史があります。

司馬遼太郎は「愛蘭土紀行」において、アイルランドだけでなくアイルランドと関係のある国、関連する歴史を掘りおこし、アイルランドの人々に流れる精神にスポットをあてます。独自の史観や文化観によって、その地の歴史や地理や人物を克明に描写するのが特徴です。「街道をゆく」という名前から、司馬遼太郎は人や物が交流する「街道」や「海路」にこだわり、日本や世界の歴史を展望しているといえましょう。

心に残る一冊 その12 「チボー家の人々」

「チボー家の人々」(Les Thibault)の舞台は20世紀初頭のフランス。カトリック(Catholic)とプロテスタント(Protestant)両教徒の2家族や新旧両世代の人々、合理主義とロマン主義を信奉する兄弟が登場します。著者はロジェ・マルタン・デュ・ガール(Roger Martin du Gard) 。 翻訳したのは山内義雄氏で、1952年でに白水社から出版されています。

チボー家の父親は、厳格なカトリック教徒で、封建的な規律を子供達に教えようとします。長男のアントワーヌ(Antoine)は、社会奉仕に一生を捧げやがて医者になります。彼は父が考える「社会的な人間」としてまっとうに育っていきます。他方、弟のジャック(Jack)はそこからなんとかして逃れ出たいと願います。そして彼は違う道を選ぶのです。危うくも幸福な青春時代は去り、晴れて入学した高等師範学校を辞退し姿を消してしまいます。兄弟の国防の義務についての対立も鮮明になります。ジャックの友人でプロテスタントの家庭の息子であるダニエル(Daniel)は世の中の流れに無関心な青年です。

父チボーが亡くなり,古いフランスは過ぎ去り、ヨーロッパは大きく変わります。フランスは第一次世界大戦という大きな混乱の中に巻き込まれていくことになります。フランスにも動員令がでます。ジャックは社会の矛盾に苦しみ、やがて革命にのめり込んでいきます。徹底的に戦争に反対するために戦おうと決意します。自分の意思や生き方に共感してくれるジェンニー(Jenny)の存在との板挟みになります。アルザス(Alsace)の戦線では毒ガスが使用される悲惨な戦いが続きます。アントワーヌは毒ガスによって虫の息、ダニエルも戦場で負傷します。召集されたジャックは病に冒され臨終の時を迎えます。ジャックは病の床でいいます。

「おれの死ぬ月だ。希望を失ったということは、飢餓の苦しみよりさらに苦しい。それでいながら、おれの中にはまだ生の鼓動がある。しかも力強い。、、おれは時々物を忘れする。数分間、おれは昔の自分にかえり、他の人々同じような気持ちになり、なにか計画さえたててみる。と、とつぜん氷のようないぶき、。再びおれにはわかるのだ。」

心に残る一冊 その11 Intermission「碁と沖縄とウィスコンシン」 

私は樺太生まれ。1945年の終戦直前北海道の美幌に引き揚げてきました。国鉄にいた父の異動で道内を転々としました。道立旭川西高校から北海道大学へ、そして1965年に卒業し、その後埼玉で生活しながら立教大学で学び、しばらくして沖縄で幼児教育を始めるために1971年にパスポートと予防注射を受けて琉球政府統治の沖縄に行きました。本土復帰の前年のことです。琉球政府文教局の人が沖縄の幼児教育の振興のためにと、設置基準をゆるめて幼稚園を認可してくれました。

沖縄は昔から囲碁が盛んです。江戸の中期、琉球が朝貢のとき同行していた親雲上浜比嘉(ペーチンハマヒガ)が三田にあった島津藩邸にて四世本因坊道策と四子局でうったという記録があるくらいです。1970年代、沖縄の囲碁界には下地玄忠五段という地元紙沖縄タイムスの囲碁欄を40年余りも執筆していたという伝説的な棋士がおられました。現在日本棋院に所属する下地玄昭七段はそのご子息です。沖縄からは時本壱九段、その弟子に新垣武九段、新垣朱武九段、知念かおり四段がいます。残念ながら私は仕事にかまけて、囲碁を楽しむ余裕がありませんでした。これが私と囲碁のつながりでの第一の悔やまれるできごとです。

時代を経て1977年に那覇東ロータリークラブから推薦を受け国際ロータリークラブから奨学資金を頂戴しました。家族を連れてアメリカは中西部にあるウィスコンシン大学へ行くことになりました。大学構内に湖を背景とした堂々たる学生会館(Memorial Union)があります。劇場、宿泊施設、会議場、宴会場、三つのレストラン、アイスクリーム・スタンド、談話室などが完備されています。その一角で中国人か韓国人と見受けられる留学生グループが碁をうっていました。対局したいという気持ちが疼いたのはもちろんです。ですが私は研究とアルバイトで家族を支える不如意な暮らしをする留学生でしたので、この人々に加わることはできませんでした。これが第二の悔やまれることです。

幸い1983年に学位を貰い、それから横須賀にある文科省関連の研究所で10年、その後兵庫県にある小さな教育大学で10年働くことができました。ですがこの二つの職場でも囲碁をする機会はほとんどありませんでした。これが第三の悔やまれることです。「人間万事、塞翁が馬」のように運不運はつきものです

思えば棋力を伸ばす大事な時期を逃したのが、30代から40代にかけての沖縄とウィスコンシンでの生活です。今、毎日数時間は碁の本と碁盤の上を徘徊しているのですが、かつて語学やさまざまな知識をパタンとしてスイスイ獲得できたときのような興奮は体験できません。棋力も学力も小さいときからの絶え間ない学びがないと伸びないのです。「発達や進歩には時がある」ということでしょう。

心に残る一冊 その10 「桃源郷の短期滞在人」 

原題は「Transients in Arcadia」。「Arcadia」とは古代ギリシア語からきた理想郷という意味の単語です。ニューヨークはブロードウエイ(Broadway)。ここに夏の避暑地にあるホテルのリストから落ちこぼれたホテルがあります。ホテルロータス(Hotel Lotus)です。人々からはあまり知られていませんが部屋は落ち着いた色合いで、ホテルは木々に囲まれあたかも山間のリゾートホテルのようです。ニューヨークの暑い夏では知る人ぞ知るホテルなのです。滞在者が少なく、夕食もゆったりと楽しめるのです。

エロイーズ・ビーモント(Heloise D’Arcy Beaumont)という女性がチェックインします。気品ある振る舞いで、ホテルの従業員や他の客からもかなり高い社会的地位にある人だろうと思われていました。マダム・ビーモントと呼ばれていました。

彼女が滞在して3日目、ホテルロータスに練された服装の紳士がやってきます。世界中を旅し、いろいろな国々に精通しているかのようです。滞在期間は4日とあります。名前はハロルド・ファリントン(Harold Farrington)。

ある夜、マダム・ビーモントは夕食の後でハンカチを落としてしまいます。ファリントンそれを拾って彼女に渡すのです。それから会話が始まります。二人の会話は高級避暑地でのバカンスや豪華客船、貴族の生活といった上流階級の休暇中らしいきらびやかな会話を楽しむ二人でした。

しかし、マダムは本名がメイミー・シビター(Mamie Siviter)であると告白するのです。自分は金持ちなんかじゃなこと、必死にお金を貯めただけの貧乏人で、ケーシーマモス(Casey’s Mammoth)という店で働いていること、自分が話したヨーロッパのことは本で読み脚色した外国のことで、貴婦人のふりをしたかったのだ、と伝えるのです。

自分が夜食用に着ているドレスを指して、オダウド&レヴィンスキー(O’Dowd & Levinsky)という店で70ドルを月賦で購入し、10ドルを頭金として払い、毎月1ドルずつ返済しているとも語ります。そして彼女は財布から1ドル札を取り出して、今月の返済にあてることを告白します。明日8時で自分の休暇は終わりだとも語るのです。

 メイミー 「あなたと出会えたことは一生の想い出です。嘘をついてごめんなさい。」
 ファリントン 「驚きました。僕の他にも同じ事を考えた人がいたとはね。実は僕は、レヴィンスキーの月賦の集金係なんです。週給20ドルの給料の中から貯金してやっと実現したんです。」
そう言うとファリントンはメイミーから1ドル札を受け取り領収書をわたすのです。

 ファリントン 「だから、メイミーさん、こんどの土曜日の夜、船に乗ってコニーアイランド(Coney Island)の遊園地にでも行くっていうのはーどうです?」
 メイミー 「ご一緒します。店は土曜日は昼過ぎで終わりですから。」

二人はそれぞれの部屋に戻ろうとします。
 ファリントン 「私の本名はジム・マクマナス(James McManus)といいます。ジムと呼んでください。」
 メイミー 「ありがとう、、、お休みなさい、ジム、」

心に残る一冊 その9 「賢者の贈り物」 

原題は「The Gift of the Magi」といいます。オー・ヘンリーの短編小説の一つです。若く貧しいジム・ヤング(James Young)と妻デラ(Della)は12月24日を迎えます。その年は特別に景気が悪く、給料も減ってしまいました。二人はいつもより厳しいクリスマスを迎えなければなりませんでした。

デラはこのクリスマス・イヴの日に愛する夫のために何かすばらしいプレゼントを買いたいと考えます。手許には、1ドル87セントしかありません。たったの1ドル87セントです。デラの目から涙がこぼれます。

しかし、デラが姿見の前に立ちお化粧を直していたとき、膝の下までとどく美しい髪の毛をみてすばらしいことを思いつきます。そして髪の毛を売る商人の元でバッサリと切ってもらいます。大事な髪の毛で20ドルを得ます。それをもってジムが祖父と父から受け継いでいた金の懐中時計に付ける「プラチナの鎖」を購入するのです。他方、ジムも愛する妻、デラのために何かすばらしいプレゼントをしようと考えていました。でもお金がありません。ジムは大切な懐中時計を質に入れ、デラが欲しがっていた「亀甲の櫛」を求めるのです。

ジムはいつもどおりにアパートに帰って来ました。扉を開いたジムは、デラの顔を見て棒立ちになります。デラのあの美しい髪の毛が無くなっていたからです。でもそれだけではありません。デラはジムの懐中時計もなくなっているのを知ります。二人はそれぞれが計画したことを話すのです。そして「私の髪はすぐ伸びるのよ!」 デラはいいます。

ジムが金時計を売って、デラの髪に飾ろうとした「亀甲の櫛」。デラが自分の髪を売って買った「プラチナの鎖」。どちらも贈りものを与え、贈りものを受けとるのです。

心に残る一冊 その8 「警官と賛美歌」

刑務所生活をしたことのあるオー・ヘンリーの短編小説には警官がしばしば登場します。ヘンリーは警官に対して特別な感情を持っているようです。今回は「警官と賛美歌」 (The cop and the anthem)という小説を紹介します。

主人公はソピー(Soapy)という野外生活者です。冬が近づくとソピーはブラックウエルアイランド刑務所(Blackwell Island Prison)で三ヶ月をおくることを常としています。温かい食事と寝床が用意され警官からどやされることのない快適な住み家なのです。舞台はニューヨークのマディソン・スクエア(Madison Square)のあたりです。

また冬が間近なのでソピーは刑務所生活を待望して、立派なレストランで最上の無銭飲食をしようと考えます。だがウエイターはソピーの穴の空いた靴や破れた服をみて追い返すのです。仕方なく六番街にやってくるとソピーは石を拾って窓ガラスに投げつけます。警官が飛んでくるのですが、二人の男が逃げていきます。警察はそれを追いかけるのです。またもやソピーは刑務所行きが失敗します。

今度は安っぽい食堂に入りたらふく食べて、店主に「金はない」といいます。てっきり警官に連行されるのを期待するソピーですが、二人の店員につかまれてほっぽり出されます。警官はにやにやして眺めています。次ぎに一人の若い女性がウインドウの前に立って中の品をのぞいているのを見つけます。側には背の高い警官が立っています。彼女は話しかけられるのを嫌がって警官を呼ぶだろうとソピーは考えます。
ソピー 「今晩は、Bedelia!, 一緒にあそびにいかないか?」
女 「いいわよ、Mike!」
女 「何か飲ませてくれる?あなたが話かけてくれるのを待っていたのよ。だって警官がこっちを向いているでしょう。」
そういうと女性はソピーの腕に手をまわします。次の角に来ると女は腕をといて立ち去ります。

とぼとぼと古い劇場街にやってきます。ソピーは劇場の前で酔っぱらったふりをして大声でわめき踊り出します。警官がやってきて、周りの人々にいいます。
警官 「あれは学生なんだ、怪我はさせないからやらせておけ、、」

なんど芝居をしても警官に逮捕されないソピーは、とある古い教会堂の前にやってきます。ステンドグラスから柔らかな光が溢れています。そこから賛美歌が響いてきます。ソピーが知っている賛美歌なのです。その音をききながらソピーは、昔の自分、仕事、友達、家族のことを想い浮かべるのです。自分の生き方をしみじみと振り返ります。そこに警官がやってきます。
警官 「なにをしているのか?」
ソピー 「いや、なにも、、、」
警官 「お前が考えていることは、、」

ソピーは警官と言い合いを始めるのです。
警官 「ニューヨークの警官と言い合いするのは無駄なんだ。ついてきなさい。」

翌朝、治安判事はソピーに三ヶ月のブラックウエルアイランド刑務所行きを命じるのです。

心に残る一冊 その7 「二十年後」 

庶民の哀歓や思いやりを描き出した短編の一つが 「二十年後」(After Twenty Years)です。オー・ヘンリーはかつて勤め先のオハイオ銀行で金を横領した疑いで服役した経験があります。ヘンリーは服役前から短編小説を書き始めていたようです。服役中にも多くの作品を密かに新聞社や雑誌社に送り、3作が服役期間中に出版されたといわれます。

刑務所での待遇は良く、獄中で薬剤師として働いていたため、監房ではなく刑務所病院で寝起きし、夜の外出許可まで出されていたようです。模範囚として減刑されやがて釈放されます。その後、本格的に短編小説を世におくっていきます。

ローワー・イースト・サイド(Lower East Side)に一人の巡査がパトロールをしてやってきます。時間はまだ夜10時になっていないのですが、小雨を含んだ冷たい風が通りから人々を追いたてていました。そこに男がやってきて、巡査に声をかけるのです。
 男 「今、友達を待っているんだが、、20年前にここで会おうと約束をしたんだ。」
 男 「おかしなことだろうと思うだろうが、、もしなんなら説明してもいいんだ。」
 男 「昔、ここにレストランがあったんだ。この店が立つ前のことだが。」
 男 「Big Joe’ Brady’sレストラン」という看板の店さ。」
 巡査 「五年前に立ち壊されたんだ。」
 男 「20年前の今夜、ここにあったBig Joe’ Brady’sレストランで友達のJimmy Wellsと夕食をしたんだ。2人ともニューヨーク育ちで兄弟のような仲だったな。やがて仕事を求めて俺はJimmyと別れ西部へ行ったんだ。その時、どんなことがあっても20年後に、ここで会おうと約束したのさ。」
 巡査 「いい話だな。その後、友達から便りがあったのか?」
 男 「しばらく手紙をやりとしたが、その後消息をつかめなくなった。」
 男 「だがJimmyが生きていれば、かならず約束を守るだろうと思って西部からはるばるここにやってきたのさ。」
 男 「10時3分前だな、、」

巡査は警棒をくるくると回しながら、仕事に戻ろうとします。
巡査 「友達は時間通りやってくるのか?」
 男 「30分は待つつもりさ。生きていればJimmyは必ずやってくるよ。」

約束の時間から20分後に長いコートを着た背の高い1人の男が路の反対側から待ち人の方向にやってきます。
 男 「Bobか???」
 背の高い男 「そういうお前はJimmy Wellsか??」
 男 「随分背が高くなったんじゃないか?」

2人は再会を喜び合うのです。そしてBobは背の高い男と腕を組み歩きながら20年間の出来事を語りだします。背の高い男は静かに聞いています。

街角の明るく輝くドラッグストアの前で2人はたちどまり、見つめ合うのです。その時男は叫びます。
 男 「お前はJimmy Wellsじゃないな、、、」
 背の高い男 「Silky Bob、お前は10 分前から逮捕されている。シカゴ警察はうちの管轄にお前が潜りこんだかもしれんと電報がきたいるんだ。だが、署に行く前にここにお前宛の言づてがある。先ほどのWells巡査からのものだ。」

「Bob、俺はお前との約束の時間と場所にいたんだが、お前がタバコをすおうとマッチをすったときに、シカゴ警察が捜している男だとわかったのだ。お前を逮捕するのは忍びなかったので、この男に頼んだ。」

心に残る一冊 その6 「最後の一葉」

高校の時に受験勉強を兼ねて英語で読んだもので、私の青春の忘れられない作品をいくつか紹介します。原名は「The Last Leaf」といいます。実に短い小説です。作者はオー・ヘンリー(O. Henry)。彼の本名はWilliam Porterといいます。

小説の舞台は、ニューヨークのワシントン・スクエア(Washington Square)にある芸術家が集まるアパートです。そこに二人の貧しい画家、ジョンジー(Johnsy)とスー (Sue)が暮らしています。生活は苦しいながら二人は助け合って生きています。ある日ジョンジーは肺炎を患います。医者から「生きる気力を亡くしている。このままでは回復する可能性は極めて少ない」とスーに告げます。人生に諦めかけ、なげやりになっていたジョンジーはベッドのうえで、窓の外の煉瓦の壁に這う枯れかけた蔦の葉を数えます。そしてスーに言い出すようになります。「あの葉がすべて落ちたら、自分も死ぬのだわ。」

老画家のバーマン(Behrman)が彼女たちの階下に住んでいます。酒が好きで、周りの者に「いつか傑作を描いてみせる」と言いふらすのです。そして絵筆を握らず人を小馬鹿にするような生活をしています。やがて老画家は、「葉が落ちたら死ぬ」とジョンジーが思い込んでいることを伝え聞きます。

ある夜、一晩中激しい風雨が吹き荒れ、ジョンジーは蔦の葉が一枚、また一枚と散るのを眺めます。翌朝、壁に這う蔦の葉は一枚になってしまいます。その次の夜にも激しく風雨が吹きつけます。ですが翌朝になっても最後の一枚となった葉が壁にへばりつくのを発見します。ジョンジーは奇跡的に生きる気力を取り戻すのです。

画家のバーマンは肺炎になり亡くなります。最後の一葉こそが、バーマンがいつか描いてみせると豪語していた傑作だったことをジョンジーとスーは知るのです。この一葉は息吹を与え命を奮い立たせる力があったのです。