二文字熟語と取り組む その47 「席亭」

127306260622416231627 aYaUxUcq 231001470今回は、趣向を変えた二文字熟語です。先日、いつもお世話している囲碁クラブの席上で、先輩から、「席亭はいろいろと大変ですね」といわれました。碁会クラブをお世話し、毎週二回、市民センターを予約をし、例会当日は碁盤や碁石、座布団をならべたり、月謝を集めるのが私の役目です。その他、新入会員の棋力を知り、対局相手を世話します。棋力の低い新人は先輩に対局依頼の声をかけにくいからです。

さて、「席亭」のことです。「席亭」とは本来、寄席のことを指しました。寄席の亭主の略で寄席の経営者のこと、席主とも呼ばれています。芸人などの出演者や演目などを選択し、一座を提供し木戸銭を折半するのです。誰を出演させるか、芸はしっかりしているか、客の受けはどうかなど噺家を見極める高い経験知が要ります。

東京や大阪では、落語を主とした寄席に人気があります。噺家が修行し話芸を磨くところが寄席落語です。このように狭義の寄席は落語が中心で東京には四カ所、大阪には一カ所あります。最後の演者は、トリとよばれ、落語では真打といわれる噺家がトリをつとめます。

他方、真打とか名人と呼ばれる噺家は、寄席の他にいろいろな場所で洗練された芸を披露します。例えば国立劇場とか市民会館などでの興行です。テレビ出演も真打ちです。前座見習い、前座、二枚目といった修行中の噺家はまだ大舞台に立つことはありません。

多くの場合、寄席の出し物は席亭と協会とが話し合って決めます。上野の鈴本演芸場は落語協会、新宿末廣亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場は、落語協会と落語芸術協会とが交互に出演者と演目を決めています。組織というものは、内紛があります。どの組織に所属するかによって寄席に出られるかどうかという哀しい現実もあります。ともあれ、落語家は一生が修業といわれます。

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二文字熟語と取り組む その46 「弥栄」

nishin hering kayasibam02-59252広辞苑では「いよいよ栄えること、繁栄を祈って叫ぶ声、ばんざいのこと」とあります。  「弥栄に花を咲かせよ、初春の白梅」

「弥」とは「わたる」、「あまねし」、「とおい」、「いよいよ」といった意味があります。「わたる」は、ある区間までの時間や距離を経過すること、「あまねし」とは広くすみずみまでいきわらるさま、「とおい」とは久しいこと、「いよいよ」とは、遠く伸びていつまでも程度が衰えない意とあります。

北海道の民謡で酒盛り唄、盆踊り唄に「弥栄音頭」があります。鰊漁で本州から出稼ぎにきた漁夫、ヤン衆らが渡島半島あたりに持ち込んで広まった仕事唄のことです。「ヤン」とはアイヌ語で「向こうの陸地」本州を意味するとあります。鰊が大量に獲れた時代は昭和30年くらいまで。春先、稚内の海岸が白子で真っ白になっていたのを思い出します。

富山県高岡市の郷土民謡に「弥栄節」があります。こちらは鋳物師達の息遣いが感じられる盆踊り唄です。「えんやさ、やっさい、、」という囃しが響きます。

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二文字熟語と取り組む その45 「馥郁」

siturai_929-0975_1 fukuikumenu005 a0f18613e1f7f6a717eb8abeaec57bdb漢字を調べるのに、「字訓」や「字源」の他に、「広辞苑」と三省堂の「大辞林」、そして学研の「漢和大字典」を参照します。この五つを調べると語義が解ってなるほどと頷きます。

「馥郁」とは「良い香りが漂うさま」とあります。ふっくらとしたさまです。「馥」は、香りが豊かにこもるさま、ふくようかなにおい、その他よい影響やよい評判にたとえることもあります。会意兼形声で香りと腹で作られました。「ふっくらとした」とは妊婦を指すのかもしれません。「馥気」は良い香り、「福」(ゆたか)と同系です。

「郁」は、(1) 多くの模様がはっきりとくぎれ、目だつさま、(2) まだらであでやかなさま、(3) 盛んなさま、(4) 香気ががくわしいさま、とあります。

「馥郁」とは、このようになんとも香りの放つような語だと感じます。

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二文字熟語と取り組む その44 「重畳」

27015520 big-unit-1053823822 t-f畳は、皮畳、絹畳、むしろ、こもなど敷物の総称です。平安時代には既に今使われているような畳が布団のように使われていたようです。当時これらは大変な高級品で、一部の特権階級に愛用されていたとか。それはそうでしょう。鎌倉時代から室町時代にかけ、書院造りが生まれて、部屋全体に畳を敷きつめるようになりました。庶民に畳が普及したのは江戸時代。畳職人の活躍が江戸の下町を舞台にした小説にしばしば登場します。

畳の材料はイグサ。非常に高い吸湿性を備えています。湿気の多い部屋では水分を吸収し爽やか、乾燥した場合には、蓄えた水分を放出する特徴があるといわれます。昔の畳はゴワゴワしていました。すべてイグサ作りだったからです。今の多くの畳にはベニヤ板のようなものが入っているので踏んでもふわふわしません。

次に畳縁、へりについてです、絹や麻などの布地を藍染め等の食物染にしたものです。 畳縁には、格式を重んじて家紋を入れる「紋縁」というものもあります。これは格式の高い仏間や客間、床の間等で使われてきました。家紋を入れることによって、家のステータスを示しました。紋様は寺社、宮家、武家、商家などで違い、その身分を表す文様や彩りが定められていたようです。

畳の縁を踏まないことが武家や商家の心得とされました。特に家紋の入った畳縁を踏む事は、ご先祖や親の顔を踏むのと同じこととされました。「畳の縁は踏まない」ことが「相手の心を思いやる」ということの表れだったようです。

長い前置きとなりました。「重畳」という語があります。畳が普及し始めた頃の床は、今で言うところのフローリングのような板の間で、人が座るところに敷かれていただけだったそうで、その畳を重ねることができるのは出世を意味し、それで、「この上もなく満足なこと」「大変喜ばしいこと」とされたという説があります。はなはだ好都合なことなど、感動詞的に用いるのが「重畳」です。「重畳、重畳、、、」といった塩梅です。

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二文字熟語と取り組む その43 「糊口」

images bc62d25b Einreise italienischer Saisonarbeiter, Brig 1956#Italian seasonal workers when entering into Switzerland, 1956日常あまり見かけない難語を取り上げています。取り上げる順序は全くランダム。時代小説を読みながら見慣れない語を拾い上げては字典で調べています。時代物の熟語は通常使うことが少ないので、使ってみたくなります。

「糊」は、米や穀物がほとんど入っていないような薄いお粥のこと。澱粉糊などの洗濯糊、防染糊、接着剤などにも使われます。「糊」にはうわべをなすという意味もあります。その場を何とか取り繕うことが「糊塗」です。
「今日まで巧みに世間の耳目を糊塗して居た」

「糊口」は「餬口」ともいいます。口を糊する、粥をすする意があります。くちすぎ、生計(たっき)をたてることです。慣用句として「糊口を凌ぐ」、「糊口の道が絶たれる」といった表現です。身過ぎ世過ぎする、露命をつなぐ、細々と暮らすという按配です。

現代の格差社会において「糊口を凌ぐ」生活をする人々が大勢います。「働けど働けど我が暮らし楽にならざり、じっと手を見る」ワーキングプアのことです。年寄りも若者も将来の不安を抱えています。保育士で結婚しても子供をつくれない人もいます。最近は貧困から生まれた「介護殺人」という事件も報告されています。低所得者への所得分配の不平等が起きている恐ろしい時代です。

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二文字熟語と取り組む その42 「剣呑」

o0450031420160322at26_p 600x398-2015032100137 a241d07c時々、辞書を見るまでは熟語の成り立ちはわからないことに気がつきます。「剣呑」という語もそうです。もともともは「剣難」だと広辞苑にあります。「剣難」がなまって「剣呑」になったというのですからわからないものです。「剣呑」とは当て字なんだそうです。佐伯泰英の時代小説にこの語がしばしば登場します。

「剣呑」は、あやういこと、あやぶむこととあります。刀などで殺されたり、傷つけられたりする災難のこと。語の使い方はいろいろあるようです。次のような例文があります。「化けの皮があらはれんと、しきりに剣呑に思う」。自分の過去がばれないかびくびくし、不安に苛まれるという意味です。

漱石の「道草」にも「兄貴だって金は欲しいだろうが、そんな剣呑な思いまでして借りる必要もあるまいからね」という文章がでてきます。「道草」は漱石の自伝的色彩の濃い作品といわれます。「道草」の主人公、健三という男がどうも漱石らしいのです。留学から帰った健三は大学教師になり、忙しい毎日を送ります。彼の妻お住は、夫を世間渡りの下手な偏屈者とみています。健三は相当な美人好みで、何やかやと女の美醜に見識を持っていることも書かれています。

そんな折、かつて健三夫婦と縁を切ったはずの養父島田が現れ、金を無心します。さらに腹違いの姉や妻の父までが現れます。兄は人生に疲れた小官吏で、金銭等を要求するのです。健三はなんとか工面して区切りをつけますが、その苦労に慨嘆するという話です。それが、「兄貴だって金は欲しいだろうが、そんな剣呑な思いまでして、、、」という台詞です。

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二文字熟語と取り組む その41 「柿落」

toukan14 010 imagesもともと「柿」とは「こけら」といって、材木を削るときにできる細長の木屑のことです。

新築や改築工事の最後に、屋根や足組みなどの「こけら」を払い落としたところから、新築または改築された劇場で行なわれる初めての興行という意味で使われるようになりました。新築落成を祝う最初の幕開けをいいます。

「柿落」が使われるのは、人が大勢集まり興行をする完成した建物のお披露目のとき。通常の民家やマンションの新築では使われません。

「こけら」の漢字「柿」は「柿」とほとんどおなじですが、別字だとあります。「柿」の旁りは鍋蓋に巾、「柿」は旁の縦棒が一本となっています。鍋蓋ではありません。

蛇足ですが、「落柿舎」という遺跡が京都の嵯峨野にあります。元禄の俳人向井去来の住まいだったようです。「柿落」という熟語とは全く関係がありません。m(-_-)m

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二文字熟語と取り組む その40 「豪儀」

d6a8b25e images kaguya_samp豪気とか強気、壮大といった意味の同義語です。「豪儀」には次のような形(なり)があるようです。
1   威勢がよく立派なさま
2   頑固で強情なさま
3   甚だしくよいこと

威勢がよく立派なさまは、例えば巨額の寄付を指して「豪儀だな!」、頑固で強情なさまは、「豪儀な性格だ」、程度のはなはだしいさまは、「この牛肉は豪儀にうめえ!」といった按配で使われます。

「豪」「豕」と音符「高」を合わせた字で、「やまあらしー豪猪」が原義です。その他に、きらびやかという意味もあります。通常、次のような熟語に見られます。
1   すぐれて力強い、勢いが盛ん 「豪快、豪傑、豪族、豪放、豪勇」
2   能力や財力などがぬきん出た人 「文豪、剣豪、酒豪、富豪」
3   並み外れている  「豪語、豪雪、豪奢」

「儀」とは進退動作の上で手本とすべきもの、作法に従って進退すること、かたどること、ことがら、わけ、といった意味を表す漢字です。

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二文字熟語と取り組む その39 「婉然」

images IMG_3398 0女性のしとやかで美しいさま。しなやかなさま たおやかな様の熟語です。にっこりとあでやかに笑うさま。美女の微笑にいい、女性のしなやかさを表すといいます。

「婉」の訓読みですが、「うつくーしい」、「したがーう」とあります。すなわち、
1 あでやか、しなやかで美しい
2  したがう。すなお
3  おだやかで、ものやわらか。遠まわし、婉曲

婉曲とは (1) 従う、飾る、めぐる、うごかす、(2) それとなくおだやかにいう、とあります。藤堂明保氏の編集による「新漢和辞典」によりますと、”「宛」とは女子がつつましく廟中に坐している形、その姿を「婉」という”とあります。

同音語の「嫣然」は、(1)  あでやか (2)すらりとして美しいという意味です。「艶然」は美しい女性が色っぽくにっこりと笑っていることをいいます。「嫣然として一笑すれば、陽城を惑わし下蔡を迷わす」という故事もあります。なお、「陽城」とは僧侶とか座主、「下蔡」とは知事にあたる県令のことです。「嫣然」とした女性に男性はすべからく惑わされる様をいいます。

「婉辞」はものやわらかにいうことです。とにもかくにも「字訓」で女偏の漢字を調べると161字もあります。はやり「女」は漢字の中で人気を独り占めしています。色々と話題に富むからでしょう。それも頷けます。

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二文字熟語と取り組む その38 「籠絡」

img_0 77cbed23 mig他人をうまく丸め込み自分の思うとおりに操ることが「籠絡」です。どうも先日の都知事の辞任という話題がいまだに尾を引くせいか、この熟語が話題になります。知事の権限を乱用して好き勝手に振る舞うことは、周りを籠絡できたからです。

「籠」とは竹でつくられた土を運ぶもっこのことです。訓読みはもちろん、カゴ、こもるという具合です。「絡」とは「ひっかけてつなぐ」という意味です。

「政を得てより士大夫、其の籠絡を受けざる無し」というフレーズがあります。周りの意見や注進に動かされず、自分の考えで政務を行う、という意味です。「士大夫」とは科挙を通った官僚とか地主のことです。

ついでに、駕籠という漢字ですが、「駕」は乗り物、他より上に出る、という意味です。「駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」というフレーズが江戸時代に流布しました。階級や貧富にはいろいろあって、その境遇の差は甚だしいということのたとえです。

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