アメリカ合衆国建国の歴史 その75 芸術と出版界

Stephen Foster

アメリカ国内では、ノア・ウェブスター(Noah Webster)の『An American Dictionary of the English Language』(1828年)が、かつてのキングズ・イングリッシュ(King’s English)に取り入れるべき何百もの地方由来の単語を掲載しました。1783年に出版されたウェブスターの青い背表紙の「スペラー」(Speller)、ジェディディア・モース(Jedidiah Morse)の地理の教科書、ウィリアム・マクガフィー (William H. McGuffey)の「エクレクティック・リーダーズ」(Electric Reader)は、19世紀のアメリカの学校で定番のものとなっていきました。

大衆文学では、セバ・スミス(Seba Smith)、ジョセフ・ボールドウィンJoseph G. Baldwin、ジョンソン・フーパー(Johnson J. Hooper)、アルテマス・ワード (Artemus Ward)などの作家が、辺境のほら話(tall tales)や田舎の方言を題材にしたユーモラスな作品を発表しました。成長する都市では、新しい大衆娯楽が生まれ、人種差別をあからさまにした吟遊詩人ショーが行われ、スティーブン・フォスター(Stephen Foster) のバラッドのようなものが作曲されました。P.T.バーナム(P.T. Barnum)の「博物館」やサーカスも中流階級の観客を楽しませ、識字率の向上は、ジェームズ・ベネッ(James G, Bennett)が開拓したニューヨーク・ヘラルド紙(New York Herald)の政治や国際ニュースにスポーツ、犯罪、ゴシップ、トリビアを加えた新しいタイプの大衆ジャーナリズムを支えました。ハーパーズ・ウィークリー』(Harper’s Weekly)、『フランク・レスリーズ・イラストレイテッド・ニュースペーパー』(Frank LeslieHarper’s Illustrated Newspaper)、サラ・ヘイル(Sarah J. Hale)が編集した『ゴーディーズ・レディーズ・ブック』(Godey’s Lady’s Book)などの大衆誌も、女性の願いを汲んで、新興の都市アメリカで大活躍しました。これらは、内外からは低俗と言われながらも、ウォルト・ホイットマン(Walt Whitman)が『草の葉』Leaves of Grass(1855年)で声高に歌った生命力を反映し、民主的文化の隆盛をもたらます。

Walt Whitman

アメリカ合衆国建国の歴史 その52 パリ条約–1783年

北アメリカにおける軍事的な評決は、1782年のイギリス–アメリカ和平予備条約(Anglo-American Peace Treaty) に反映され、それは1783年のパリ条約(Treaty of Paris)に盛り込まれます。ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin)、ジョン・アダムズ(John Adams)、ジョン・ジェイ(John Jay)、ヘンリー・ローレンズ(Henry Laurens)がアメリカ側委員を務めました。この条約により、イギリスは西側のミシシッピ川を含むおおまかな境界線を持つアメリカ合衆国の独立を承認します。イギリスはカナダを保持しましたが、東フロリダと西フロリダはスペインに割譲します。また、アメリカ人のイギリス人に対する私的債務の支払い、アメリカ人のニューファンドランド(Newfoundland)漁業へのアクセス、大陸議会から各州への忠誠者の公正な扱いを支持する勧告などの条項が盛り込まれます。

Treaty of Paris-1783


アメリカ大陸の割譲

イギリスに忠誠を示す多くの人々は新天地に残りますが、約8万人もの保守派のイギリス人はカナダ、イギリス、イギリス領西インド諸島に移住します。その多くはイギリス兵として従軍し、アメリカ各州から追放された者たちでありました。戦時中や戦後、忠誠的なイギリス人はアメリカ各州から危険な敵として厳しく扱われました。彼らは一般に市民権を奪われ、しばしば罰金を科され、財産を没収されることもしばしばありました。その最も危険な者は、通常、死刑を宣告されるほどでした。イギリス政府は、4,000人以上の亡命者に財産の損失を補償し、およそ330万ポンドを支払いました。また、土地や年金の支給、再起を図るための任用も行いました。アメリカに残ったあまり忠誠的でない保守派の人々は、イギリスからの独立を受け入れ、一世代を経た後にはアメリカの愛国者と見分けがつかないほどになりました。

ウクライナの歴史から学ぶ その十六 ロシアによるウクライナ侵略

本稿は、「ウクライナの歴史から学ぶ」の最後の話題です。マイダン革命に対して、ロシアは猛反発し、ウクライナ領のクリミア半島のロシアによる併合と親ロ派武装勢力によるドンバス(Donbass)地方での不安と緊張が高まります。これがクリミア戦争の下敷きとなります。ドンバスは、ウクライナの東南部に位置する地方で石炭の産地です。2014年5月にポロシェンコ(Petro Poroshenko)が大統領に選ばれます。彼は人民の反乱を集結するために武力の行使を正当化します。ポロシェンコはEUへの加盟を模索しながら、国民の50%以上の賛成を獲得します。彼は東ウクライナでの市民の内戦を鎮めようとし、ロシア連邦との修復も計ろうとします。

Wheat Field in Ukraine

ウクライナにおけるオレンジ革命やマイダン運動の余波で、2014年3月初旬からロシアを後ろ盾とする反政府の分離主義グループが、ウクライナのドネツィク州(Donetsk)とルハーンシク州(Luhansk)(ドンバス)で抗議行動を起こします。これらのデモ活動はロシアによるクリミアの併合を受けてのもので、ウクライナ南部と東部におよぶ広域な親露派の同時抗議の一環でありました。これが激化してドネツィク人民共和国(Donetsk People’s Republic)とルハンシク人民共和国(People’s Republic of Lugansk)を自称する分離主義勢力とウクライナ政府側との武力衝突に発展します。これがドンバス戦争(War in Donbass)です。当初の抗議行動は、主にウクライナ新政府に対する国内不満を表明するものでしたが、ロシアが親露派を利用してウクライナに対する組織的な政治活動および軍事行動を開始した事案とされています。

Sunflowers in Ukraine

2019年に実施された大統領選挙では、ヨーロッパとの統合路線を訴える一方でロシアとの対話も重視する姿勢も示したウォロディミル・ゼレンスキー(Volodymyr Zelenskyy)が73%の得票率で対露強硬派として知られた現職大統領のポロシェンコを破り当選します。その後、停戦協定が結ばれては協定違反の武力衝突が繰り返されます。2021年秋にはロシアがウクライナ国境への軍の集結を開始し、ドネツィク人民共和国とルハンシク人民共和国を国家承認したうえで、2022年2月24日にロシアがウクライナへの侵略を開始し現在に至っています。

ナンバープレートを通してのアメリカの州 その十八 コネチカット州 Constitution State

コネチカット(Connecticut)。なんとも良い響きの名前です。ナンバープレートには「Constitution State」とあります。最初の憲法の素案を作った州というところです。合衆国の北東部、北大西洋岸は、どこかで紹介しました、ニュー・イングランド(New England) と呼ばれていますね。ここに小さな州がいくつかあります。その内の一つがコネチカット州です。首都はハートフォード(Hartford)となっています。東にはロードアイランド州(Rhode Island)、北にはマサチューセッツ州(Massachussets)、西にはニューヨーク州(New York)と隣接しています。

Map of Conneticut

コネチカットは英国の統治時代、13の植民地の一つでした。1639年に植民地としては最初の「基本法規」(Fundamental Orders)というのを制定します。これはやがてコネチカットで最初の憲法となります。この憲法は合衆国の初代憲法に大きな影響を与えます。コネチカットは英国から独立を宣言する最初の13州の一つとなります。

ヨーロッパからの植民はオランダから来たといわれます。ピューリタン(聖教徒-Puritan)の人々です。やがてアイルランド、イングランド、フランス、ドイツ、ポーランド、イタリア、ポルトガルなどから移民が押し寄せます。その後プエルトリコなどからも人々がやってきます。その中で、ポーランド系やアイリッシュ系の人々が多いのが特徴となっています。

Harbor of Hartford

産業ですが、農業はもとより酪農、製造業、漁業も盛んな州です。ロブスターや貝も知られています。ジェット機エンジン、ヘリコプターや航空機の部品、素材産業、原子力潜水艦の建造と関連の軍事産業、精密機械、化学薬品の製造が盛んです。企業ではスポーツ放送のESPN、ボーイング(Boeing)とエアバス(Airbus)のエンジンを開発するゼネラル・エレクトリック(GE)、シコルスキーヘリコプター(Sikorsky)の本社などがあります。

囲碁にまつわる言葉 その29 【手談】

囲碁は互いの読み合いの文化です。相手の応手を考え三手や十手先まで読むのです。これはまさに戦そのものです。敵を知ることによって、戦術を考えるのです。どこが弱いか、強いかを探します。真正面から攻めず陽動作戦も採り入れます。どこが主戦場であるかを見極めるのです。

手談の布石

—–【手談】——–
盤上に打たれた石が相手に何かを語りかけているかのように感じるところから、囲碁が「手談」といわれる由縁です。

左下の【手談】は次のような無言の会話です。
・黒1 「下辺に白の模様を作られるのはいやです」
・白2 「いや、模様は作りません。左辺に地を作りますので、三三に入って生きてください」
・黒3 「隅で閉じ込められるのいやです。中央に出ます」
・白4 「分かりました。では下辺に地を作らせて貰います」
・黒5 「では、白2を頂戴します」

囲碁にまつわる言葉 その28 【坐隠】

「坐隠談叢―囲碁全史」という本が新樹社から1955年に発行されます。この本は、10,800円というのですから驚きです。囲碁ファンには堪らないものでしょうが、私には手がでません。金額はともかく、内容が理解できるかどうかです。

—–【坐隠】——–
中国の逸話集に「世説新語」というのがあるそうです。六朝時代の南朝宋時代に編集され、貴族・文人・僧侶などの逸話が集められています。[坐隠]とは、囲碁に夢中になって、盤にのめり込むような姿で座っている様子です。いかにも隠遁者に通じるもので、そうした人々の別称となっています。

囲碁にまつわる言葉 その22 【長考】

碁の大会では時計を使い、大会を円滑に進めようとします。時計のお陰で高段者同士でも一局一時間くらいで終わります。長考するのは次のような状態の時です。
1. 局面で次の一手がわからない時
2. 次の一手でそのあとの展開が全く異なるため迷っている時
3. 有利になりそうになり、読み切ろうとしている時
4. 不利を意識し対応に苦慮している時

1の場合は、良い手を打つのはあまり期待できません。2~4も同様で、着手そのものは平凡なことになりがちです。素晴らしい手は、割合短時間で瞬間的に閃く傾向にあります。棋士は、素晴らしい手を見つけようとして長考するとはいえないようです。

—–【長考】——–
最善手を模索するためにできるだけ多くの選択肢を考慮する様です。「長考に耽る」「長考に沈む」などの姿です。思考型のゲームにおいては、ゲームの目的に適った行為です。トランプや麻雀ではこのようなことはありません。「長考」とは「読み」とも呼ばれ、何手や何十手先の着手を考える行為です。どのような選択肢によって、どのような結果になるかを考える行為です。名人による長考がときに伝説となることがあります。

他方、「長考に耽る」のは、事前に相手の出方を予想できていなかったためともいえる姿ともいえます。「長考」は実際には、迷いに費やす時間のほうが圧倒的に多いのです。この場合は、「長考」は窮余の策に過ぎず、けっして胸を張れる行為ではありません。慣用句に「下手の考え、休むに似たり」と揶揄する言い方もあります。時間を浪費するだけで、なんの効果もないく、相手が考え続けることあざける言い方です。

囲碁にまつわる言葉 その15 【大局観】

碁老連だよりには、「ボケ防止のための囲碁大会」のための八王子全市の町会、団地自治会、及び老人会などに回覧用チラシ約13,000枚を配付して啓発運動を展開したとあります。特に級位者の参加者が非常に少なかったので、その対策を考えていたようです。本来なら、囲碁人口としては一番多いはずなのは級位者の人たちです。しかし、級位者は碁を打つ機会がなかったようです。その理由を、会長の熊沢正一氏は次ぎのように述べています。
1 現在、町会や団地内の囲碁部では参加者が有段者中心となっており、このクラスになると敬遠されるようだ
2 町会や団地内で碁を打っていても、若い人たちはどんどん昇格するが老人は取り残されてしまいがちなので、厭になってやめてしまう者が多い
3 以前は各地で老人同好者が集まり、碁会を開いていたようだが、最近ではゲートボールに走る者が多い
4 勤務先の職場で碁を打っていた人たちは、退職後、教授値では碁の相手がみつからない
5 碁会所では、級位者は相手に選ばれないので、気落ちしてしまい永続しない

以上のような分析は、今の八王子囲碁連盟の現状にもあてはまります。

大局観

—–【大局観】——– 
囲碁、将棋、チェスなどのボードゲームで、的確な形勢判断を行う能力が大局観です。部分的なことに囚われずに全局的な視点から判断するということです。囲碁は他のゲームに比べて大局観で次の一手を決める割合が高いのです。常に全体を見て総合的に判断できる人が囲碁の強い人といわれます。

大局観を育てるためには、5つの要諦があるといわれます。1つは、方針となる理念・信条を確認すること、2つには、方向を示す具体的目標であるビジョンを描くこと、3つには、ビジョン達成の行く手を阻む変化を適確に予見し、精査すること、4つには、目標達成のために必要な戦略を練り上げていくこと、そして5つには、状況によってシナリオからはずれた場合、何らかの対応策を用意すること、といわれます。

大局観を育てるには、「鳥の目」、「魚の目」、「虫の目」といわれる3つの目をも持つことだともいわれます。鳥の目とは、高所から広い範囲を見渡すこと、すなわち「鳥瞰」することです。マクロな視点ともいわれます。次ぎに魚の目というのは、物事の流れや変化といった「動き」を捉える視点のことです。虫の目とは、細部に注目するミクロな視点でみる、ということです。物事の全体を見るという用語に「俯瞰する」とか「俯瞰像」がありあます。大局観と同義です。英語で大局観は「perspective、strategy 、tactics」ということになります。

囲碁にまつわる言葉 その13 【タケフ】

大会開催を案内すると、次のような質問が寄せられます。それに対して碁老連会長だった熊崎正一氏は次のように答えています。

質問1:「碁会所では初段(免状所持)で打っているが、同好会では二段で加入していおります。大会申し込みは初段でよろしいでしょうか」
熊崎会長:会員ですから当然二段で参加して頂きます。初段での参加は認められません。
質問2「現在碁会所では2級でうっているが、会社の囲碁部では日本棋院より初段の免状を頂戴しております。大会ではどちらで参加したらよいでしょうか。」
熊崎会長:どちらでも結構です。ご自分の判断で決めて下さい。
熊崎会長:以上のような照会は、同好会に加入された場合、数多く見られる現象ですが、老人の集まりですから「勝負にこだわらないで、碁を楽しむことに重点をおいてください」と申し上げております。
熊崎会長:碁老連関係の会員は、町の囲碁界より段位が甘いようです。それは、若い人たちと張り合っても所詮無理な話で,老人は老人同士、気楽にやりましょうという環境がそうさせているのでしょう。

—–【タケフ】——–
石を分断する手筋に「出切り」があります。相手の石を連結させない手です。それを防ぐのが【タケフ】です。漢字では「竹節」、中国では双関となります。連結した二子が平行に並んでいる形で、確実な連絡形として用いられます。出切りを防ぐのです。形が竹の節に似ていることから「竹節」となりました。

囲碁にまつわる言葉 その7 【一目置く】

平成3年の碁老連ニュースには、日本棋院が発行していた「囲碁新聞」の「ボケ防止と囲碁」という記事を掲載し始めます。もちろん棋院より記事の転載許可を得ています。東大医学部教授の折茂肇氏と石倉昇七段の共同執筆です。脳の老化の仕組みとか、病的な老化や生理的な老化、といったことが解説されています。囲碁の効用のなかで、「碁を打っているとぼけない」というのが決め台詞のようです。

—–【一目置く】——–

一目置くライオン


「大辞林」によれば、【一目置く】とは、「自分より優れていることを認めて敬意を払う、一歩譲る」とあります。一目置くは囲碁から生まれた言葉で、一目は一個の碁石のことです。囲碁ではハンディとして、弱い方が先に石を一目置いてから対局を始めます。 通常の対局では「弱い方が先に石を置く」のです。なぜかと言いますと、盤上ゲームは基本的に先手の方が有利だからです。そこから、【一目置く】は、相手の実力を認め敬意を払う意味となります。

「一目置く」の強調した言い方には、「一目も二目も置く」という表現があります。注意すべきことというか、意外なことは「一目置く」は自分より目上の人に対しては使わないということです。「一目置く」には「相手を評価する」という意味も含まれているので、基本は目上の人が目下の人に対して使う言葉となります。世間での「一目置く」の使い方は逆のような感じがします。