聖書の中の女性の生き方 その八 女性の按手

Anglicancanada.rel ordinationhands ORD38T按手 (Ordination) はキリスト教会で行われる儀式の一つです。教役者・教職者を任命するとき、司教や監督などが牧者としての権能や必要な賜物を志願者へ授与しその継承を神に誓うことです。もちろん他の宗教も同様な儀式を執り行い、新しい霊的な指導者の出発を祝います。

多くのキリスト教会はいまだに女性の教職を認めていません。この伝統は長らく議論されてきました。その根拠は聖書のいくつかの箇所にある言葉によります。例えば、パウロの手紙は言います。「すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神である。」 (エペソ人への手紙5章21節) さらに「妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい」。キリスト教徒は、皆が互いに従わなくてはなりませんが、男性は女性のかしらとされています。女性は特に男性に従わなければならない、といった言葉です。

なにか男女の序列を聖書は主張しているようですが、そうではありません。かしらの頂点には神があり、人間はその下で秩序を形成しているというのです。戸籍にある筆頭者と考えればよいでしょう。あるいは世帯主ともいってよいでしょう。この両者には違いがありますが、、、教会の大事な役割や仕事を女性に任せることはできないという考えは聖書にはありません。

性別に関係なく「全ての人が生ける石となって祭司とする」と教えられています(ペテロの手紙第一2章5節)。既述してきましたが、旧約聖書や新約聖書の他の箇所でも女性が教会の中で活躍しており、教職者への召命は全ての人に臨む可能性があるということから、女性も教職者として召されると考えるべきであるという考えが浸透していきました。

1853年にイングランド(England) において女性が初めて按手礼を受け、遅れること1933年には日本基督教会が女性の牧師を誕生させます。スウェーデンルーテル教会(Swedish Lutheran Church)は、1958年に女性牧師を按手します。1989年にはマサーチューセッツ(Massachusetts)の聖公会(Anglican Church) が最初の女性主教として按手されます。イングランド国教会(Church of England) では、1994年に女性司祭の叙任が認められ、その後数百人の女性司祭が誕生しています。イングランド国教会は聖公会のことです。

旧約聖書時代では、女性は祭司になれませんでしたが、キリストを信じる者は男女を問わず万人祭司 (Priesthood of all believers)とされます。女性も洗礼を受けることができるようになりました。男尊女卑を撤廃したのは、長い神学論争がありましたが、最後は聖書の教えである神と人間との秩序が、女性に自由と平等をもたらしたといえます。

聖書の中の女性の生き方 その六 女性の執事「フィベ」

Deaconess-Ministry--element60 3382718003_1623cf6c00 deacon-and-deaconess-clipart-1新約聖書の中に、次のような神と人との順序に関する記述があります。「すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神である」(第一コリント人への手紙11章3節)。この手紙はパウロ(St. Paul) がコリント(Corinthian) の人々に送ったものです。

コリントは、紀元前5世紀頃にはギリシアの三大都市国家といわれました。アテネ(Athens)やスパルタ(Sparta) と並ぶ古い港湾都市です。今回は、コリント地方のケンクレヤ(Cenchrea)にあった教会の働き人で、女性の執事 (deaconess)  であったフィベ (Phoebe)を取り上げます。ケンクレヤはギリシャのコリントの南東にある町です。

「女のかしらは男であり」というフレーズは、いろいろな議論や誤解を生んできました。旧約や新約聖書の時代には、こうした男女の関係が存在して秩序が保たれていたように思われます。後年、男女平等とかウーマンリブにも影響を与えました。神とキリストに上下関係がないのと同じように、男と女の上下関係を決定するものではなく、役割を示唆した言葉ということを示唆しています。

教会には司祭とか牧師といった聖職者あるいは教職者がいます。神学教育を受けて按手(ordained)された人です。按手とは、教職者の権能や役割を志願者へ授与し、教職者として任命する儀式のことです。聖書の講解、結婚式や葬儀などの式典を担う人です。こうした人は、聖書の神と人の順序の記述にあるように、男性に限られてきました。

教会は教職者だけでなく、それを補佐する者、教会教育や音楽、書記を担当する者などから構成されます。この教職者を補佐する者は「執事」(deacon) と呼ばれています。女性もまた執事(deaconess) として奉仕します。「執事」という言葉は「しもべ」(servant) 、「仕えるもの」を意味するギリシャ語の「diakonos」から由来しています。

ローマ人への手紙やピリピ人への手紙には、パウロが教会で働く女性にあいさつの言葉を送っています。特に、ケンクレアの女性執事、フィベを歓迎するようにということをローマのキリスト教徒に頼んでいます。パウロにとって助けになったとさえ書いてあります(ローマ書16章1節)。

パウロはいいます。「どうぞ、聖徒にふさわしいしかたで、主にあってこの人を歓迎し、あなたがたの助けを必要とすることは、どんなことでも助けてあげてください。この人は多くの人を助け、また私自身をも助けてくれた人です。」

聖書の中の女性の生き方 その五 マリアの賛歌

pontius_pilate Pontius-Pilate 0カトリックであれプロテスタントであれ、最も見られる名前はマリア(Maria)とかメアリー(Mary)でしょう。Mariaという名前はラテン語から由来するといわれます。ギリシャ語ではMariam、ヘヴル語ではMiryamというように使われます。いずれもMariaの類似語です。イングランドでは12世紀以来、Maryの名が最も使われ、その最盛期は16世紀といわれます。

男性の名前でもMariaは大きな影響を与えます。例えば、Marioとか Marionという名前はMariaから由来します。ともあれ、今も最も命名される女性の名前がマリア、Mariaです。ついでに男性といえばヨハネ、Johnといえるでしょう。

Mariaの由来であるMariamとかMaraという言葉です。その意味は苦悩とか苦い水(bitter water)、つまり荒野の旅の果てにたどり着いた死海の苦い水、「Marah」ということだそうです。辛いこととは困難、悲しみ、試練といったことです。マリアもまたその後、幾多の試練に直面します。処女にして懐妊するという出来事、周りの人の目、そしてイエスを生むという重圧に耐えていきます。

イエスがベツレヘム(Bethlehem)で生まれたのはジュリアス・シーザー(Julius Caesar) の養子であった初代ローマ皇帝のアウグストゥス(Augustus)の治世でした。ユダヤの国はローマ帝国の属州であり、エルサレム(Jerusalem) の周辺はローマの総督であったポンティウス・ピラト(Pontius Pilatus)によって統治されていました。ガリラヤ (Galilee)地方は傀儡の王が治めていました。ローマ帝国の支配に対する苛立ちが広まり、民は圧政から解放されることを待ち望んでいたのです。ガリラヤはマリアが天使ガブリエル(Gabriel)から受胎告知を受けたところといわれます。

ルカによる福音書1章46節から50節は「マリヤの賛歌」ーマニフィカート」と呼ばれる有名な聖句で、「マニフィカート」はラテン語でMagnificatと記されます。マリヤの賛歌の冒頭にでてくる“My soul magnifies the Lord.“にある「magnifies」、讃える、崇める、誉むという言葉からきています。マリヤの賛歌は「マリアのカンティクム」 (Canticle of Mary) ともいわれます。Canticleとは賛美歌とか聖歌という意味です。

聖書の中の女性の生き方 その四 「マルタ」

2fec502f6b548aac5cbbe1fb2404174e img_mouseover3 Martha_and_Mary_by_He_Qi_China新約聖書のルカによる福音書に登場する女性にマルタ (Martha) がいます。イエスと弟子たちが、ベタニア (Bethany)という村にマルタとマリアという姉妹の家を訪ねます。この姉妹にはラザロ(Lazarus)という兄がいます。重い皮膚病を患っていました。ベタニアはエルサレム(Jerusalem)の東2キロ余り、オリーブ山(Mt. Olive) の南東斜面に位置しています。

Marthaとはラテン語では「婦人」とか「女主」といった意味です。マルタとマリアの性格は違います。マリアはいわゆる内向きなのに対してマルタは積極的な性格の持ち主です。

あるときイエスがベタニアを訪れます。マルタとマリアはイエスの来訪を喜びます。マルタは、イエスと弟子達のために甲斐甲斐しく世話をします。ですが、妹のマリアはイエスの足許に座り、イエスの話しに熱心に聞き入っいました。姉のマルタは心穏やかではありません。マリアが手伝ってくれないからです。

マルタはだんだんと苛立ってきます。そして、ついにイエスにその不満をぶつけてしまうのです。

「主よ、わたしの妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」(ルカ10:40)

マルタは、イエスはマリアの怠惰を諫めてくれると期待したようです。ところが、イエスはマリアではなく、マルタに向かって次のように言われます。

「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(ルカ10:41-42)

兄のラザロが亡くなったとき、マルタはイエスに言います。
「主よ、あなたがここにおいででしたら、兄は亡くならなかったでしょう。」(ヨハネ11:20-21)

聖書の中の女性の生き方 その三 「マグダラのマリア」

top10_conspiracy_jesus images MM Full Relief hi res新約聖書(New Testament) の中には、話題となる女性もいます。その一人がマリア(Maria)です。ガリラヤ湖(Sea of Galilee)沿いの町マグダラの出身であるために「マグダラのマリア」(Mary of Magdala) と呼ばれたといわれます。

マグダラのマリアについて四つの福音書が記述することは、七つの悪霊をイエス (Jesus) に追い出していただき、磔にされたイエスを遠くから見守り、その埋葬を見届けたとあります。そして、復活したイエスに最初に立ち会ったのがマリアです。「すがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから触れないように」 と言われたのです。マグダラのマリアは、イエスの死と復活を見届ける証人であるとされます。

しかしながら、マグダラのマリアには別な解釈もあります。ヨハネによる福音書(Gospel of John) 第8章3節以下に次のような記述があります。マグダラのマリアらしき女性ではないかという説です。

「イエスを試すために、律法学者たちやファリサイ派(Pharisees)の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来た。律法では石打ちの死刑に値する。イエスは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」と言った。これを聞いて誰も女に石を投げることができず、引き下がった。また、イエスも女の罪を許した。」

ルカによる福音書(Gospel of Luke) 第7章37節にもマグダラのマリアらしき女性が登場します。

「この町に一人の罪深い女がいた。イエスが律法を重視するファリサイ派 の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持ってきて、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。」

この女性がどのような罪を犯したのかはわかりません。ですが性的不品行と説明されてきたようです。しかし、彼女は罪から悔悛したことが使徒ヨハネやルカの記述から伺えます。マグダラのマリアはカトリック教会、東方正教会 (Eastern Orthodox Church)、聖公会 (Anglican Church)、ルーテル教会などでは悔い改めた女性として聖なる扱いをされています。

聖書の中の女性の生き方 その二 「サラ」

Foster_Bible_Pictures_0032-1 tumblr_inline_nvkf8xY6EP1ryni46_400 080624_sarasoju_torinin2004_edited創世記(Book of Genesis)に登場する一人の女性がサラ(Sarah)です。元の名はサライ (Sarai)です。ヘヴル語(Hebrew) で Sarahとは位の高い女性を指し、「プリンセス」とか「高貴な女性」と呼ばれていました。ユダヤ人の間ではSarahは「我等の母サラ」と呼ばれています。

彼女がアブラハム(Abraham)と結婚したのは、まだカルデア地方(Chaldea)のウル(Ur)に住んでいた頃です。カルデアとはメソポタミア (Mesopotamia)南東部に広がる沼沢地域の歴史的な呼称のことです。アブラハムの父であるテラ(Terah)の一族の移住に伴い、故国を離れてカナン(Cannan)の地へと向かいそこで定住していきます。しかし、カナンに大飢饉が起こり、サラとアブラハムはエジプト(Egypt) へ移住します。

創世記 23章1-20節には、サラは90歳で約束の子イサク(Isaac) を生んだとあります。神は、それに10年を加えて、サラは100歳まで生きたと言うのです。加えられた10年は、幼子イサクが立派な少年に育っていく期間で、母親の愛を必要とする大切な10年でありました。

やがて、妻サラが息を引き取ったとき、アブラハムはサラのために二つのことをしたといいます。一つは、サラのために悲しみ泣いたこと、もう一つはマクペラ(Machpelah)の洞窟に墓を買い、そこにサラを丁重に葬ったことです。「我等の母サラ」に対する別れの仕草です。

聖書の中の女性の生き方 その一 「ルツ」

title-Henry-Koster-The-Story-of-Ruth-Elana-Eden-DVD-PDVD_001 1876Rooke_Thomas_Matthews_The_Story_Of_Ruth2 images話題を変えて、しばらく大昔の聖書時代に生きた女性をとりあげていきます。誠に女性には苦悩や苦労の多い時代です。女性の地位が危うかった時代でもあります。

旧約聖書にある『ルツ記』(Book of Ruth) は全4章という短い物語です。ルツ(Ruth) はモアブ(Moab)人女性です。モアブは、古代イスラエル(Israel) の東に隣接した地域で今のヨルダン(Jordan)といわれます。

飢饉があって、ベツレヘム (Bethlehem) からモアブ人の地に両親、および弟とともに移住していました。やがてマアフロン (Mahlon) と結婚し、義母のナオミ(Naomi) と暮らします。ですが子供ができぬうちにマアフロンは亡くなります。ナオミの夫と息子も他界します。息子の嫁はオルパ (Orpah) といいました。ナオミはベツレヘムに戻ることを決心します。

ナオミはルツとオルパに対して「自分の故郷に帰って再婚し、幸せをつかんで欲しい」といいます。オルパは別れて故郷へ向かいます。だが、ルツは「あなたを見捨ててあなたに背を向けて帰れなどと、そんなひどいことを強いないでください。わたしは、あなたの行かれる所へ行き、お泊まりになる所に止まります。あなたの民はわたし民、あなたの神はわたしの神、あなたが死ぬところはわたしも死ぬところ、そこに埋葬してください」(ルツ記1章8節~17節) といってナオミから離れようとしませんでした。

やがてルツはボアズ (Boaz) と結ばれます。ボアズはナオミの夫の兄弟でした。 旧約聖書の時代では、家族同士が結婚する風習がありました。これを「レビラト婚」 (Levirate marriage) と呼ばれていました。死んだ夫の代わりに、その夫の兄弟が結婚する習慣で、兄弟が寡婦の権利や義務を受け継ぐしきたりです。戦の多い社会では、当然のことながら寡婦が発生しやすかったのです。ルツもその一人でした。

ルツはやがてオベト (Obed) を産みます。オベトの子はエッサイ (Jesse) です。エッサイはイスラエル史上最大の繁栄をもたらし、その子孫は、後世理想の王とたたえられたダビデ (David) へとつながっていきます。

女性の生き方 居眠り磐音 江戸双紙  その十五 会話にみる人間の生き様

1a07eca re02 d0093936_20573365面白い本に出会うのは誠に眼福の思いがします。「居眠り磐音 江戸双紙」もその一冊です。一冊といっても50巻に及ぶ大作の時代小説です。なんといってもこの小説の魅力は、登場人物の対話にあります。励まし、癒し、笑い、喜び、労り、切なさ、同情、風刺、省察、呆れ、叱責、苦悩、怒り、憎悪、、、父と子の絆、夫婦の愛情、師匠と師弟の信頼、ありとあらゆる感情や挙措が描かれます。そこにしみじみとした余韻が残るのです。是非、お読みいただきたい一作です。

時は江戸も幕末に近い頃。田沼意次が権勢を振るっていた時代です。関前藩の下士、坂崎磐音は藩内の権力争いに巻き込まれ、上意によってかけがえのない友を失い、その一人を殺めることになります。許嫁であった奈緖の兄がその友でした。もはや藩にとどまることができず、江戸に出て長屋に住み鰻割きで生計をたてます。

やがて両替商の今津屋吉右衛門やその大番頭の由蔵から、用心棒として厚い信頼を得ます。佐々木玲圓道場の尚武館で修行し、その人格と剣術の技によって跡継ぎとなります。「居眠り剣法」として名を轟かすようになります。そして今小町と呼ばれた美貌のおこんと結ばれます。

意次らの陰謀により次の将軍となるはずの徳川家基が毒殺されます。家基の護衛の任にあたっていた玲圓はその責任をとって自裁し、玲圓を輔弼していた磐音も深い自責の念に駆られます。道場の尚武館は取り潰されます。

磐音とおこんは江戸を逃れ意次らの刺客に追われながらも、高野山の懐の中で忍びの一派である雑賀衆に助けられなんとか生き延びます。その間に息子の空也が生まれます。塗炭の苦しみを経て江戸に戻り、尚武館を再興するのです。

ざっとですがストーリーを要約してみました。磐音の波瀾万丈ともいえる生き様が描かれているのですが、彼の周りの人物との対話がこの小説の白眉ともいえる部分なのです。皆貧乏でその日その日暮らしをしています。ですがそこに暖かい人情による助け合いがあります。毎日が不安だらけなのですが、懸命に生きようとする知恵と気概があります。

幕藩体制の綱紀が緩み、士農工商というたがは外れてきて、幕府の政治を風刺したり揶揄する余裕が庶民にも生まれます。読売という瓦版、タブロイド紙によって情報が庶民に伝わり、政治にも影響を及ぼすことになります。為政者はメディアを敵に回すことができなくなります。国内だけでなく、密かに海外との交易も盛んになり、情報が大量に出回ります。新しい時代の夜明けが近づきます。

剣の道に生きる磐音もこうした時代の変わり目を感じていきます。ですが、頑なに伝統の剣術を通して道を究めようと、息子の空也や弟子達にその奥義の深さを教えていこうとするのです。

女性の生き方 居眠り磐音 江戸双紙  その十四 利次郎と辰平

bushi-04 b0287744_220377 tumblr_nuzqz7vygb1t12pz6o1_500尚武館道場には坂崎磐音の二人の筆頭弟子がいます。磐音が手塩にかけた重富利次郎と松平辰平です。長らく尚武館に住み込み、多くの門下生を指導し、紀伊藩の剣術指南でもある磐音を補佐しています。

磐音は二人が所帯を持ち、暮らしが立つように仕官するのを気にかけています。稽古の後、磐音がなにかを言い出したい思いの二人に問います。

磐音 「どうした、なにか言いたいことがあるのではないか。」
利次郎 「数日前のことです。おこん様より辰平とそれがしに五両ずつ紀伊藩の手伝い料を頂戴いたしました。」
磐音 「ほう、それはよかった。そなたたちの暮らしが立つほどの手当が出せればよいのだが、、」

磐音はおこのんのやりくりの苦労を思った。

利次郎 「辰平もそれがしも思いがけないことで、初めはお断りしました。ですが、おこん様がどうしても亭主どのの気持ちを受け取ってくだされと申され、二人して有り難く頂戴しました。」
磐音 「亭主の気持ちな。相手はこちらの気持ちまで読みおるからのう。」
利次郎 「若先生はご存じないことでしたか、、、」
磐音 「ふっふっふふ、亭主はのう、女房どのの掌で踊らされているくらいが丁度良い。円満ということかのう。」

女性の生き方 居眠り磐音 江戸双紙  その十三 お咲

19map01 pcbe-62674 672福岡藩の「下士」、猪俣平八郎がいます。「下士」とは、江戸時代の武士階級で正規の身分を持った者とはいえ、武士の下層に属し、一応は武士ながら畑仕事に従事するほど、生活が困窮していました。「郷士」とも呼ばれていました。

平八郎の幼なじみにお咲がいます。やがて二人は駆け落ちしようと誓い合います。磐音をそれを手助けしようとします。

お咲 「坂崎様、私のわがままでご迷惑をおかけします。」
磐音 「お咲どの、恋を貫くとはおよそそのようなものであろう。苦労は二人になったときから始まるもじゃ。」
お咲 「猪俣さまと連れ添うのは無謀と申されますか。」
磐音 「そうじゃない。好きな相手と添う以上、苦労は致し方ないものだと言うだけじゃ。」

磐音は、自分と昔の許嫁、奈緖とのもの悲しい過去をお咲にきかせます。そして最後に言います。

磐音 「お咲どの、自ら選んだ道じゃ、苦労もあろうが、共白髪まで添い遂げられよ。祈っており申す。」