音楽の楽しみ その24  合唱曲の数々 「Oh Happy Day」

オー・ハッピー・デイ (Oh Happy Day) は、著名なゴスペルソングの一つ。ホーキンス (Edwin Hawkins) が1967年に作詞・編曲したものです。もともともは18世紀の賛美歌 (Hymnal)が元となっています。

この曲も高校を舞台とした青春映画「Sister Act 2」で、大変な人気となります。デロリスを演じるのは、もちろんウーピー・ゴールドバーグ(Whoopi Goldberg) 。則にのった演技で魅了します。ジェームス・コバーン (James  Coburn)も学校閉鎖を決める理事長として扮しています。しぶい演技をする懐かしい俳優です。

映画「Sister Act 2」です。社会奉仕先の高校で音楽担当として赴任したデロリスが、聖歌隊の活動を通して子供達を正しい道へ導いていきます。パフォーマンス付きのコーラスなどの場面が随所に登場するのも前作と同じです。

「Oh Happy Day」のメインヴォーカルを務めるのは、Ryan Toby 。ソロでオクターブの声を披露して聴衆を熱狂させます。彼はやがてソウルシンガー、作曲家として活躍します。この曲も大ヒットしますが、決して一過性に終わることなくゴスペルとして定着します。単純明快な歌詞と歌いやすい台詞が魅力です。

「Sister Act 2」の後半には、音楽コンクールがあります。デロリスが指揮する曲は、「Joyful, Joyful」。ベートーヴェン (Ludwig van Beethoven) の交響曲第9番第4楽章が主題となる曲です。この歌がゴスペルソングとして広まるとはベートーヴェンも意外だったでしょう。

Joyful, joyful, we adore thee,
  God of glory, Lord of love
   Hearts unfold like flowers before thee,


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音楽の楽しみ その23  合唱曲の数々 「Nobody knows the trouble I’ve seen」

Nobody knows the trouble that I’ve seen
 Nobody knows my sorrow
  Nobody knows the trouble that I’ve seen
   Glory Hallelujiah

この曲は、奴隷制度の時代の霊歌です。「誰も私の苦しみを知らない。でも主イエスはしっかりと分かっていてくださる。それゆえ心を強く持って苦しみや悲しみにも耐えていける、そしていつか主イエスの元へ旅立つことができる」という救いと希望のメッセージが込められる黒人霊歌です。

最初にこの曲が世の中に伝わったのが1867年といわれますから、まだ新しいといえます。広く歌われるようになったのは、歌手のマリアン・アンダーソン (Marian Anderson) やサム・クーク (Samuel Cooke)、トランペット奏者のルイ・アームストロング (Louis Armstrong)やハリー・ジェイムス (Harry James) などによって演奏されたことです。 特にアンダーソンのアルトの気高く清澄な旋律はしみじみと心に染み込むようです。1925年にアンダーソンが最初にこの曲をレコーディングして世の中に広まります。黒人のゴスペルグループである「Deep River Boys」が1958年にノールウェイのオスロ(Oslo)で録音されたという記録もあります。

この霊歌には「Glory hallelujah! 主に栄光あれ」という歌詞が何度も登場します。同じフレーズがアメリカ歌曲である「リパブリック賛歌 The Battle Hymn of the Republic」にも使われています。南北戦争 (Civil War) における北軍の行軍曲です。作詞したのは著名な奴隷制度廃止運動家として知られるジュリア・ハウ(Julia Ward Howe)という女性です。彼女はユニテリアン派教会 (American Unitarian Association) に所属し、その夫はなんとパーキンス盲学校 (Perkins School for the Blind) の初代校長サミュエル・ハウ (Samuel Howe)です。


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音楽の楽しみ その22  合唱曲の数々 「Swing Low, Sweet Chariot」

Swing low, sweet chariot,
Comin’ for to carry me home;
Swing low, sweet chariot,
Comin’ for to carry me home.

邦題は、冗長なカタカナとなりますが、「スウィング・ロー、スウィート・チャリオット」とあります。黒人奴隷が、「ヨルダン河の向こうの故郷へと馬車で静かに運んでおくれ」という祈りの歌です。この黒人霊歌も北大合唱団のレパートリーでもありました。

もともとチャリオット (Chariot) とは、兵士を乗せる戦闘馬車を指します。ヒッタイト (Hittites)、アッシリア (Assyria)、古代エジプト (Egypt)、古代ローマ時代の戦争で使われました。チャリオットに乗って預言者エリヤ (Prophet Elijah) 天国へ昇る描写が旧約聖書 (Old Testament) にあります。そこには以下のように記述されています。

一台の火の戦車と火の馬とが現われ、このふたりの間を分け隔てエリヤは、たつまきに乗って天へ上って行った。 (列王記下2章11節)

「Swing Low, Sweet Chariot」という曲は、Wikipediaによるとアフリカ系アメリカ人グループである「フィスク・ジュブリー・シンガーズ(Fisk Jubilee Singers)」によってアメリカ各地に広められたとあります。このグループは、テネシー州 (Tennessee) のナッシュビル  (Nashville) にあるフィスク大学 (Fisk University) という黒人系の大学のアカペラ (a cappella) 合唱団で1871年に創設されます。団名にある「jubilee」とは喜び、歓喜という単語です。


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音楽の楽しみ その21  合唱曲の数々 「Black Spirituals」

合唱曲を紹介していますが、話題が前後してしまいます。既にBlack Musicを少しだけ取り上げております。どうかお許しを。

合唱曲には、霊歌(Spirituals)と呼ばれるジャンルがあります。霊歌は讃美歌より広い意味で使われています。その名称の由来は、新約聖書、エペソ人への手紙 (Ephesians 5:19) に「詩と賛美と霊の歌とによって主に感謝して、、、、」という聖句にあります。ここでは白人や黒人の区別ありません。一般に礼拝用讃美歌は「spiritual song」と呼ばれるようになりました。

今日「spiritual song」の代表が黒人霊歌(ニグロ・スピリチュアル: Negro Spirituals)といわれます。アフリカ大陸から強制的に連行され、奴隷となった黒人たちの生活の中で育まれ口頭で伝えられる歌であるという説のほか、白人の間の宗教歌が黒人に影響を与えて発生したのがNegro Spiritualsだ、という説もあります。今日、「ニグロ」という単語は蔑視的であるとして単独では使われません。そのため、黒人霊歌は「Black Spirituals」と呼ばれるようになりました。

奴隷の中にキリスト教が広まります。その人々の中に生きていた独特の音楽のリズムや旋律と賛美歌が融合したものが黒人霊歌と考えられています。プランテーション讃美歌 (plantation hymnals)とか奴隷の歌 (slave songs)、ゴスペル(Gospel) と呼ばれてきました。ちなみにGospelとは「キリストとその使徒たちの説いた教え」とか「救いと神の王国に関するよき便り」という意味です。

奴隷としての黒人は、新大陸で過酷な労働に生きます。その中で生まれた黒人霊歌は慰めや救いを求める証しとされます。北大男声合唱団で歌った曲の一部を紹介します。こうした曲の主題は旧約聖書の物語からとったものが多いことがわかります。

「スウィング・ロー、スウィート・チャリオット」(Swing Low, Sweet Chariot)
「深き河」(Deep River)
「行け、モーセ」(Go Down Moses)
「アメイジング・グレイス」(Amazing Grace)
「聖者の行進」(When the Saints Go Marching In)
「漕げよマイケル」(Michael Row the Boat Ashore)
「ジェリコの戦い」(Joshua Fit The Battle Of Jericho)
「ロック マイ ソウル」 (Rock My Soul)
「誰も知らない私の悩み」(Nobody Knows the Trouble I’ve Seen)
「クンバヤ  マイ ロード」 (Kumbaya My Lord)

「クンバヤ  マイ ロード」と「深き河」は前回と前々回に紹介しました。次回は「Swing Low, Sweet Chariot」を紹介することにします。


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音楽の楽しみ その20  合唱曲の数々 「深き河」

Black Musicの「深き河」の歌詞を見ますと、黒人の厳しかった現実と救いへの憧れが描かれています。

 Deep river, my home is over Jordan
  Deep river, Lord,
   I want to cross over into campground

歌詞にある「My home」とは、旧約聖書の出エジプト記3章8節 (Exodus 3:8)にある「乳と蜜の流れる地」、豊かなカナン (Canaan) の地を指します。地中海とガリラヤ湖 (Sea of Galilee) 、ヨルダン川(River Jordan)、死海(Dead Sea) に挟まれた地域一帯の古代の地名で、かつて住み慣れた彼らの故郷アフリカをも示唆しています。Campgroundは、ヨルダン川の西岸、現在のWest Bank のことです。

イスラエルの民族指導者モーゼ (Moses)に率いられた民がエジプトから逃れ、ヨルダン川にたどりつくのは40年目。洗礼者ヨハネ(John the Baptist)はこの川のほとりの荒野で「悔い改め」を人びとに伝え洗礼を授けていたことがヨハネによる福音書1章26節(Gospel according to John 1:26 )にあります。

「深き河」はヨルダン川だけではないようです。ノースカロライナ州 (North Carolina)には、「深き河」と同じ名前の「Deep River」があります。この川は、北部州と南部州の境界を縦断するように流れています。「南北戦争当時、奴隷解放を推進していたクエーカー教徒(Quaker) の組織が存在し、彼らによって「深き河」が作曲されたのではないかという説もあります。

ノースカロライナ州は、奴隷制の維持に賛成する南部諸州の一つとして北軍と戦ったのですが、既に自由な身分を保証されたアフリカ系アメリカ人も数多く存在していました。ですが、その暮らしは差別と搾取のために過酷であったようです。

このDeep Riverは、モーゼがヨルダン川を渡りカナンの地に落ち着いたように、自由と隷属、生と死の境として象徴的に解釈されてきたという川です。

ca. 1920s-1930s --- Contralto Opera singer Marian Anderson, (1902-1993). Marian Anderson was born in Philadelphia, PA, and was the first African-American singer to sing at the New York Metropolitan Opera. Undated photograph. --- Image by © Bettmann/CORBIS

ca. 1920s-1930s — Contralto Opera singer Marian Anderson, (1902-1993). Marian Anderson was born in Philadelphia, PA, and was the first African-American singer to sing at the New York Metropolitan Opera. Undated photograph. — Image by © Bettmann/CORBIS

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音楽の楽しみ その19  合唱曲の数々 「クンバヤ マイ ロード」 (Kumbaya My Lord)」

ボースカウトや子供たちの夏のキャンプでは、焚き火を囲んでよく歌われるのが「クンバヤ  マイ ロード」です。もともとはBlack Spirituals の一つで、黒人奴隷が主イエスに救いを求める心情を歌っています。

「Kumbaya My Lord」の由来ですが、アフリカ系アメリカ人なまりの英語で「Come by here My Lord」 (主よ、私の側にきてください)ということからきています。

1927年にロバート・ゴードン (Robert Gordon) というカリフォルニア大学バークレ校 ( University of California at Berkeley) の英語学者がアメリカの民謡を編集しアーカイブ (archive) を作成します。それが「Folk-Songs of America: The Robert Winslow Gordon Collection, 1922」です。アーカイブの中に加えられたのが「Kumbaya My Lord」です。「Kumbaya My Lord」の歌詞ですが、奴隷達の絶望や悲嘆さに神の助けや恩寵を願う内容となっています。ゴードンはこの曲がH. Wylieという女性によって歌われていたのを記録します。それ以来、この霊歌は急速に広がっていきます。

時代が変遷して、1962年頃には、ジョーン・バエズ (Joan Baez) がこの歌を歌い、公民権運動やヴェトナム反戦運動に大きな影響を与えていきます。


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音楽の楽しみ その17  合唱曲の数々 「Shenandoah」

「シェナンド (Shenandoah)」は19世紀の初めにアメリカで歌われるようになったといわれる民謡です。タイトルの「シェナンド」の語源は、原住民のインディアンであるイロクオイ族 (Iroquois) の酋長 ”Sherando”の名とする説や、大草原を意味する言葉”Skahentowane”に由来するものなど諸説があります。元来はインディアンの間で語られていたシェナンド河 (Shenandoah River) 創造の伝説にある「星々の美しい娘」という意味を持つ言葉だといわれています。

「シェナンド」で歌われる「シェナンド河」は、アメリカのヴァジニア州 (Commonwealth of Virginia) とウェストヴァジニア州(West Virginia) を流れる川で、この川はポトマック川 (Potomac River) の支流であり、ヴァジニア州とメリーランド州 (Maryland)との州境近くでポトマック川に繋がっています。また歌詞に出てくる「ミズーリ川(Missouri River)」はアメリカの中部を流れる川で、ミシシッピ川 (Mississippi River) の最も大きな支流です。

「シェナンド」という合唱曲は多くの合唱団や歌手によって歌われています。たとえば、ロバートショウ合唱団 (Robert Shaw Chorale)やロジェワグナー合唱団 (Roger Wagner Chorale) は有名です。Robert Shawによってロバートショウ合唱団は1948年に結成され、力強くも艶やかな音色の男声合唱で世界中で演奏した合唱団です。ジュリアード音楽院 (Juilliard School) やニューヨークにある他の音楽大学 (conservatories) の卒業生で構成されました。

ロジェワグナー合唱団は、Roger Wagnerによってつくられ、カリフォルニアを中心に活動し、その後世界的な混声合唱団となりました。Wagnerは教会音楽や32年間もカリフォルニア大学ロサンゼルス校 (University of California, Los Angeles: UCLA)において大学教育にも携わり、UCLAの名誉教授の称号を得ています。

この二つの合唱団は1980年代に解散しますが、フォスター (Stephen Foster)の全曲を歌うなど、合唱音楽を世界に広める大きな貢献をします。

Oh Shenandoah, I long to hear you,
Way-hay, you rolling river
Oh Shenandoah, I long to hear you,
Away, we’re bound to go
cross the wide Missouri

Images for travel story on Harper's Ferry, West Virginia by Sydney Trent. Harper's Ferry. WV from Maryland, Heights.

Images for travel story on Harper’s Ferry, West Virginia by Sydney Trent. Harper’s Ferry. WV from Maryland, Heights.

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音楽の楽しみ その16  合唱曲の数々 グレゴリオ聖歌

グレゴリオ聖歌 (Gregorian chant ) を取り上げます。もともとグレゴリオ聖歌は西方教会の単旋律聖歌(プレインチャント-plainchant)の中心に位置する聖歌で、ローマカトリック教会で使われる単旋律 (monophonic)、無伴奏の宗教音楽を指します。ミサ (Mass)や聖務日課の祈りの中で男性の聖職者によって歌われていました。グレゴリオ聖歌が男声合唱によって歌われることが多いのはそのためです。

教会の長い歴史では男声および少年合唱によって、また修道会では修道僧や修道女によってグレゴリオ聖歌は歌われてきました。スペインはカタルーニャ州 (Catalunya) のバルセロナ (Barcelona)近郊にあるモンセラート山 (Montserrat) に行ったことがあります。その山の中腹にネディクト会(Benedict) のサンタ・マリア・モンセラート修道院 (Santa Maria Monasterio de Montserrat)があります。そこにも少年聖歌隊 (Escolanía de Montserrat)がありました。

女子修道院(コンヴェント: convent)では、修業生活の一環として、ミサ及び聖務日課で歌うことが認められていました。聖歌隊に加わることは聖職者にのみ許される公的儀式とされていたため、一般の女性は聖歌隊で歌うことは認められていませんでした。しかし、教会の礼拝や音楽への女性の参加が一般的になるにつれ、今日ではグレゴリオ聖歌は女性を加えた混声合唱団によって演奏されることも多くなりました。それでもギリシャ正教会 (Church of Greece) 、あるいは東方正教会では今も男声が正教会聖歌の基本となっています。

現在では、世界の各地で聖歌やクラシックなどの曲を男声合唱団が歌っています。イギリスのキングズシンガーズ (King’s Singers)、アメリカのシャンティクリア (Chanticleer) などの男声合唱団はグレゴリオ聖歌から民謡、ゴスペル、ポピュラー音楽まで幅広く手がけ、カウンターテナー(countertenor) の響きも加えて癒しのブームにも支えられて高い評価を受けています。


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The Monks of Norcia, a group of Benedictine monks in Norcia, Italy. The group's new Gregorian chant CD debuted at No. 1 on Billboard’s classical music chart last week (June 10, 2015). Photo by Christopher McLallen, courtesy of the Monks of Norcia

The Monks of Norcia, a group of Benedictine monks in Norcia, Italy. The group’s new Gregorian chant CD debuted at No. 1 on Billboard’s classical music chart last week (June 10, 2015). Photo by Christopher McLallen, courtesy of the Monks of Norcia

音楽の楽しみ その15  合唱曲の数々 「埴生の宿」

ここ数年、衛星放送などで名画劇場のような番組をとおして映画を楽しんでいます。そういえば「日曜洋画劇場」の淀川長治、「金曜ロードショー」の水野晴郎らの映画解説が懐かしいです。独特の言い回しで映画をかみくだき視聴者に映画の楽しみかたを伝えていました。そうしたキャラクターがいなくなりました。

映画には必ず音楽が登場します。既に取り上げた「戦場にかける橋」の「クワイ川マーチ」、永遠の名作といわれる「サウンドオブミュージック (Sound of Music)」の「すべての山に登れ (Climb Every Mountain)」、「渚にて (On the Beach)」の「ウォルシング・マチルダ (Waltzing Matilda)」、「ビルマの竪琴」で歌われる「埴生の宿」や「仰げば尊し」などはジーンときます。

音楽は人間と社会にどのような役割を果たしてきたかは、第二次世界大戦を扱った映画から考えてきました。今回は竹山道雄原作の「ビルマの竪琴」を取り上げます。「ビルマの竪琴」が映画化されたのは1956年。監督は市川崑、出演者は安井昌二(水島上等兵)、三國連太郎(井上隊長)、西村晃 浜村純などでした。第二作は同じく市川崑の監督で1985年に制作されます。中井貴一(水島上等兵)石坂浩二(井上隊長)、川谷拓三、小林稔侍らが出演しました。両作品にも北林谷栄が物売りの老婆役で出演しビルマの民衆の逞しさを演じていました。

井上小隊長はかつては音楽専攻で、小隊では隊員に合唱を教えます。やがて合唱が隊の規律と憩いをもたらします。水島上等兵は竪琴で伴奏するのです。戦いの前夜、「埴生の宿」を合唱すると敵陣のイギリスの部隊からも合唱が流れるという場面、僧侶となった水島上等兵が戦友とで捕虜収容所のわきで再会し「埴生の宿」と「仰げば尊し」を竪琴を弾いて別れを告げる場面があります。

「埴生の宿」は、もとはイングランド民謡で原題はHome! Sweet Home! です。

埴生の宿も  我が宿  玉の装ひ  羨まじ
       長閑也や 春の空  花はあるじ  鳥は友
      おお  我が宿よ  たのしとも  たのもしや

土間に筵を敷いて寝るような貧しい小屋 (広辞苑)、それが埴生の宿です。そんな家でも家族が結ばれて暮らしたことを思い、家族を心配し、国に帰りたい気持ちを表現していました。音楽は時に人の生きることの願望や憧れを最も強く伝えてくれる手段です。


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