ナンバープレートを通してのアメリカの州  その五十三 ワシントン州 「ヒマラヤ杉に降る雪」(Snow Falling on Cedars)

この小説の作家はグッターソン(David Guterson)というアメリカ人です。これを今回は紹介します。小説の舞台はワシントン州北西部の小さな湾のジュアン・デ・フカ(Strait of Juan de Fuca)に浮かぶ、人口5千の移民の島サンペデロ島(San Piedro)です。1954年12月、日系アメリカ人漁師のカブオ・ミヤモトは、同僚カール・ハイン(Carl Heine)を殺害したとして第一級殺人容疑で罪に問われます。カールは強い絆で結ばれる人々の中で慕われていた漁師でありました。カールの死体は漁網の中で発見され、彼の腕時計は午後1時47分を指していました。島全体を包む吹雪の中、戦争後の反日感情が広がっている時代です。

Ishmael & Hatsue

裁判を取材するのは、元海兵隊軍人であるイシュマエル・チェンバース(Ishmael Chambers)です。彼は、地元新聞サンペデロレビュー紙(San Piedro Review)の記者です。戦争中は激戦地タラワ島(Tarawa Island)で同胞の死に遭遇しています。幼い頃、イシュマエルは、高校時代にハツエという日系女性と同級で、ヒマラヤ杉の洞で愛を育くみます。青い目のイシュマエルと黒髪の美しいハツエは、密かに情を交わす関係にあったのです。しかし、二人の関係は太平洋戦争の勃発と共に打ち砕かれてしまいます。

検察側は、刑事のモーガン(Art Moran)と検察官のフックス(Alvin Hooks)です。カブオを擁護するのはグッダモドソン(Nels Gudmondsson)という老練弁護士です。何人かの証人の中でカブオが犯人であると主張するのがカールの母親のエッタ(Etta) で、人種差別や偏見の強い人物です。

裁判では、他に検死官(coroner)のワリー(Horace Whaley)やカールにイチゴを売る老人のジャーゲンセン(Ole Jurgensen)らです。裁判ではイチゴ畑が争点ともなります。この畑はもともとカールが持ち主でした。この土地に住んでいたのはミヤモトという一家で、ハイン家の人々にイチゴを売っていました。カブオとカールは幼馴染みでした。カブオの父親は、広いイチゴ畑を購入したいとハイン家に持ちかけます。しかし、エッタは反対しますが、カールは売ることに賛成します。支払いは10年間払いというものでした。最後の支払いが近づいた頃、真珠湾攻撃により大戦が勃発します。島に住んでいた日系人は強制収容所行きとなります。

Snow Falling on Cedars

1944年、カールの父親は心臓麻痺で亡くなります。エッタはジャーゲンセンにいちご畑を売却します。カブオが収容所から解放されて帰ると、エッタが土地を他人に売ったことを知り、酷く怒ります。ジャーゲンセンが脳卒中で倒れると、カブオが土地を買い戻そうとする前に、カールは土地を購入したいと申し出ていたのです。裁判ではこうした土地を巡る家族や住民の間の確執が、カブオに対する殺人の容疑の背景となります

記者のイシュマエルは、カブオの容疑を晴らす可能性の高い証拠をつかみます。しかし、カブオの妻であり彼自身の幼馴染のハツエとの間の過去の恋愛関係に対する感傷の想いが断ち切れないでいます。また、日系アメリカ人への厳しい偏見と大戦という厳しい出来事によって、成就できなかった自分達の関係についてイシュマエル自身は心が整理できないでいます。彼がつかんだカブオが犯人でないという証拠をどのように扱うべきかで悩んでいたのです。

イシュマエルはポイントホワイト (Point White) という灯台付近で、午前1時42分頃、カールが釣りをしていたこと、丁度その頃、付近に大きな貨物船が通りかかったことをつかみます。カールの時計が指していたのは1時47分でした。カールの小舟が貨物船の航跡を受けて沈没したことを知ったのです。カールは小舟のマストに登り、灯を降ろそうとしたとき、貨物船の波で倒れてきたマストに頭を打ち、海に投げ出されたことも判明します。幼馴染のハツエにふられたイシュマエルは、カブオへの容疑が晴れる証拠をつかんでいたのです。

カブオは無罪として釈放されます。カブオと結婚していたハツエは、昔の恋人だったイシュマエルに、無実の証言をしてくれたことに感謝するのです。イシュマエルは、自分の不可解な感情が無神論者であったためだと考えるのです。

ウィスコンシンで会った人々 その2 「ヴァンクーヴァー朝日」

長い飛行機の旅の楽しみに機内での映画を観ることである。葡萄酒を飲みながらしばし退屈な時間を楽しむ。今回は4本を見ることができた。その内の一本が「ヴァンクーヴァー朝日(Vancouver Asahi)」という佳作である。

戦前、北アメリカの西海岸沿いに多くの日本人が移住していった。カナダへの移民は、1877年にブリティッシュ・コロンビア州(British Columbia)に渡ったのが最初といわれる。移民の多くは製材業、農業、漁業に従事した。西海岸は豊かな天然資源に恵まれているところである。だが、苦しい移民生活を強いられたことも事実である。それは移民につきものの人種偏見や差別である。そのことを題材とした小説に「ヒマラヤ杉に降る雪(Snow Falling on Cedars)」というのがある。この小説を書いたのはガターソン(David Guterson)。1995年にフォークナー賞(Faulkner Awards)を受賞している。フォークナー賞はアメリカの小説家、William Faulknerを記念して作られた賞だ。ヘミングウェイ(Ernest Hemingway)と並び称される20世紀アメリカ文学の巨匠といわれる。

「ヴァンクーヴァー朝日」だが、このタイトルは日系カナダ移民の二世を中心とした野球チームのことである。このチームは1914年から1941年までヴァンクーヴァーで活動していた。チームの監督は、ハリー・宮崎である。宮崎はブリティッシュ・コロンビア州の各地から選手を集め、小さい体格の選手に堅い守り、バントやエンドランなどの機動力を植え付ける。こうしたプレイは「Brain Ball」、頭脳的野球と呼ばれた。この戦術を駆使して地元のチームを破っていく。

頭脳的野球の他に、監督の宮崎は選手に対して、ラフプレーを禁じ審判への抗議も一切行わないよう指導した。人種偏見の強かったブリティッシュ・コロンビア内で、日系人と白人との軋轢を考えての対応だったと思われる。こうした真摯な野球に対する姿勢が白人の共感をえて、彼らも朝日を応援するようになっていく。そして朝日は1926年にリーグで優勝を果たし、その後1930年と1933年にもリーグ制覇を打ちたてる。

だが第二次世界大戦が始まると、選手も含めて日系カナダ人は、戦時捕虜収容所や強制収容所などに送られ朝日はチームとしての歴史を閉じる。

Japanese_internment_camp_in_British_Columbia ブリティッシュ・コロンビア州の日系カナダ人強制収容所
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