ナンバープレートを通してのアメリカの州  その五十五 ワシントンD.C. コロンビア特別区–Taxation without Representation

プレートには「Taxation without Representation」とあります。このフレーズですが、ワシントンD.C.は他の州とは違って、住民には連邦上院や下院への議員を選ぶ権利がありません。にも関わらず高い住民税を払っています。これまで何度も議会に抗議したり訴訟を起こして、選挙権の獲得運動がありました。しかしいまだに実現していません。そこでD.C.はナンバープレートに抗議のフレーズを入れているのです。「税金払えど選挙権なし」という意味が込められています。他の州には、このような主張を込めたものは見当たりません。興味あるナンバープレートです。

ワシントンD.C.は計画都市です。1791年に都市建設計画のコンペに当選し、基本計画案を作成したのはピエール・シャルル・ランファン(Pierre Charles L’Enfant)というフランス生まれの建築家・技師です。ランファンはバロック様式を基に基本計画を作成しし、環状交差路から放射状に広い街路が伸びて、開かれた空間と景観作りを最大限に重視したといわれます。

Thomas Jefferson Memorial and Cherry Flowers

ヴァジニア州やメリーランド州などと隣接するこの街は世界の政治の中心の一つです。国権の最高機関である大統領府(White House)、連邦議会議事堂(Capitol)、連邦最高裁判所(Supreme Court)や中央官庁などの行政機関が集まるほか、国立公文書館、日本銀行にあたる連邦準備制度理事会(FRB)、世界銀行(WB)や国際通貨基金(IMF)の本部、各国の大使館などが置かれています。

街の中心はナショナル・モール(National Mall)と呼ばれています。モールの中心にはワシントン記念塔があります。モールの両端にはリンカーン記念館と連邦議会議事堂が鎮座しています。スミソニアン協会(Smithsonian Institution) が運営する多くの博物館や美術館がモール内にあります。どれも質・量ともに世界一であります。加えて、多くの国立記念建造物や碑が建てられています。例えば、第二次世界大戦記念碑、朝鮮戦争戦没者慰霊碑、硫黄島記念碑、ベトナム戦争戦没者慰霊碑、アルバート・アインシュタイン記念碑など数えられないほどです。

Map of Mall

スミソニアンの博物館の中でも最も来場者が多いのが国立自然史博物館といわれます。子ども達に人気なのが国立航空宇宙博物館でしょう。いつも家族連れや団体で一杯です。。このほかに国立アメリカ歴史博物館、国立アメリカ・インディアン博物館、国立アフリカ美術館、ハーシュホーン博物館と彫刻の庭、芸術産業館などです。是非訪ねていただきたいのはユダヤ人の虐待とその歴史を遺品や写真などで紹介するホロコスト博物館です。どの館も安い入場料あるいは無料で見学できます。午前と午後に一つずつ見学しても一週間はゆうにかかります。

モールのすぐ南にタイダル・ベイスン(Tidal Basin)という池があります。ここにはかって日本から贈られた桜並木があります。3月末は花見客で一杯となる合衆国で有数の桜の名所となっています。今年の桜のピークは4月1日と予想されています。日本とアメリカの友好の歴史を物語る場所でもあります。

Big History その11 宇宙の進化と論争

宇宙の進化に関しては、いくつかの理由で論争が生まれてくる。進化ということについては、生得的にそれを誹謗する者が現れる。例えばファンダメンタリスト(fundamentalist)と呼ばれる宗教者である。あらゆる現象は神の摂理にある業と考える人々である。ファンダメンタリストとは、保守的な宗教上の指導者のことを指す。宇宙の進化は宇宙と人類の起源を説明するものであるが、人間の情動性をかき立てることになる。進化の理論は、伝統的な生命に関するテーマに挑むものだからである。進化の理論は変化を要求する。多くの人々はそれを嫌悪したり不信感を抱いたりする。だが進化の概念に関する幅広い解釈は歓迎されてきた。

進化とか分化という自然の現象は、一定のきまりに従って起こる因果関係
(cause and effect)で、この因果は自然の出来事同士の間で成り立つ関係と考えられる。超越的なものとの関係ではないとれる。ニュートン(Isaac Newton)の物理学あたりからようやく因果は科学上の法則として学問的な形をとるようになったと考えられる。自然現象がいかに複雑であっても質点の運動として数学的な法則に従って行われるとされる。それゆえ力学的に記述されるという。

因果であるが、天体においてある出来事Aが起これば、続いて必然的に次の出来事Bが起こる。これは天体運動の軌道計算によって知ることが出来るように、数学的な計算によって正確に予測できるとする。この考え方は「決定論的自然観」(deterministic view of nature)と呼ばれる。しかし、こうした決定論に対して反論したのが18世紀、イギリスの哲学者、ヒューム(David Hume)である。ヒュームは、必然的な因果関係というものは元来ありえない。ただ、同じことが何度も起こったとき、人間はそのような起こり方に必然的な因果関係があると思い込む傾向があると主張する。因果というものは、人間の主観や信念の産物なのだという。こうした考え方は、一般に経験論(empiricism)の底流となっている。

だが、時間と空間という絶対的な記述上の枠組みによって、物理的な現象は必ず「ある時」、「ある場所」で起こることが定説となり経験論は廃れていく。

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Big History その10 宇宙の進化

WikipediaからBig Historyについてのサイトの訳を引き続き紹介している。大邱教育大学校の西洋史の研究者、Dr. Bae教授からBig Historyを紹介されて触発されている。「現代の科学哲学」という本も傍らにおきながら、科学とはそもそもどのような学問なのかを考えている。

宇宙の進化(Cosmic evolution)は宇宙に関する科学的研究の分野のことである。Big Historyはまさにそうである。宇宙生物学といった分野も関連する領域である。ある科学者の中には、宇宙の進化はBig Historyよりも広大なものであると云う者もいる。Big Historyは主として科学的歴史的な旅を究明する分野である。それはBig Bang—>天の川—>太陽—>地球、そして人類の起源という道のりである。

宇宙の進化はあらゆる複雑なシステムを取り扱う。宇宙の生成から人類に至る過程だけではない。このシステムは宇宙史とか宇宙の歴史(Universal history)とかと呼ぶべき分野で天体学者や天体物理学者によって研究されてきている。

Big Bangから人類に至るシナリオは、きわめて精緻に組み立てられており、1990年代からはBig Historyと呼ばれるようになった。宇宙の進化は英知を集めた枠組みを有し、多くの変容を壮大な角度から説明されてきた。そして、宇宙の歴史を通して放射線とか天体現象、生命の集合や合体などが説明されてきた。

人類は、いつどこからきたのかという時間に対する崇高な問い(time honored queries)である。この学際的なテーマは、諸科学を統合する試みでもある。自然の歴史という全体性の中で包括的な科学的な説明として、あらゆる現象の起源や進化を140億年前に遡り説明するのである。言い換えれば宇宙の起源から地球の現在に至るまでの時間を説明するのである。

宇宙の進化という考え方のルーツは、2000年以上もの前に遡る。古代ギリシャの哲学者ヘラクレトス(Heraclitus)が「万物は流転し自然界は絶えず変化している」と考えた。だが、宇宙に関する現代の推理は19世紀後半に始まった。Robert Chambers, Herbert Spencer, Lawrence Hendersonなどがその先駆者である。20世紀の半ばになると宇宙の進化というシナリオが研究上のパラダイムとして普及する。そして星雲、星、天体、生命に関する実証的な研究となっているく。こうして物理学、生命科学など文化的進化をいわば綜合する広がりを持つ学問分野となっていくのである。

Harlow Shapleyは、20世紀中盤にこうした学際領域を”Cosmography”と提唱するのだが、広くゆきわたるきっかけは、NASAが20世紀後半に、限定的ではなったが「宇宙生命学プログラム」の一環として取り組み始めたことである。同じ頃、Carl Sagan, Eric Chaisson, Hubert Reeves, Erich Jantsch, Preston Cloud、その他の学者が宇宙の進化を華々しく提唱していく。それは1980年代頃である。

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Big History その9 「革新的な変容」

WikipediaからBig Historyについてのサイトの訳を紹介している。

これまでの歴史学は、賢くなった人間が先の尖った槍をが作り、それを別な人間が複製するというような継承の過程を説明するのだという。しかしBig Historyは、そうした穂先を持つ槍は偶発的な産物であり、自然の進化の過程でそうした道具によって賢い狩猟者が生まれてきたのだと考える。たとえ人類がそうした発明をしなかったとしても、やがていつか発明するはずだと考える。

Big HistoryはBig Bang以来の138億年の間に繰り返し起こったパタンを発見しようとする研究分野である。こうしたパタンの一例だが、「混沌性が創造性を引き起こした」(Chaos catalyzed creativity.)と考えるのもそうである。隕石によって恐竜が絶滅したというようなパタンを発見することである。

Big Historyでは異なる時間軸を使い、人語、生物、宇宙などの成り立ちにまつわる類似性や相違性を「時間軸上のゲーム」(the play of scales)という手法を使って比較することができるとマクワリ大学のクリスチャン教授はいう。クリスチャン教授はこのような「革新的な変容」(radical shift)によって自然や生態学上の論争から環境や自然の変化について、新しい展望をもたらすと主張する。

「革新的な変容」の考え方は、人類の存在がいかに変化したかを説明しようとする。さらに人間という要因とか自然という要因から、例えば自然の過程は40億年以上も前に起こり、その例として星の爆発などによって鉄分が生成され、それによって人間は硬質な金属を作り、狩猟や戦の道具を作り上げることができた。

「革新的な変容」によれば、次のような問いがうまれる。
「我々はどのようにして今日に至ったのか」
「いかにしたら信じることができるかを決めることができるのか」
「地球はいかにできたのか」
「生命とはなにか」

こうした「革新的な変容」の考え方は、科学上の主要な認識の枠組(パラダイム: paradigm)において壮大な旅へと我々を誘うのだという。「革新的な変容」という仮説は、学生が科学上のリテラシーを分かりやすく理解するのを手助けする。

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Big History その8 「壮大な物語」

Big Historyは従来の歴史観や方法が異なり、様々な分野の研究領域にまたがっていることを特徴としている。Big History派の人々は、これまでの歴史を「微視的歴史」(microhistory)と呼んでいる。中には「浅い歴史」(shallow history)と呼ぶ者もいる。歴史学者の2/3は、過去250年の間の歴史に特化した研究をしているというのである。確かに人間誕生からの歴史は、そんな短期間のものではないのである。

しかし、ある歴史学者は云う。Big Historyの原則は、あまりにも巨大な視点を過剰に捉えすぎていると。さらに”Big Historyは「壮大な物語」(grand narrative)を演じ、いわば大きな剣を振り回しているようなものだ”と批判する。他方、Big History派も従来の歴史はあたかもナッツをひいて上等な粉をつくるかのような作業をしていると主張する。なにはともあれ、Big Historyは長い展望に基づく傾向とか過程に主眼を置き、歴史を形成した人物や出来事を究明するような従来の手法による歴史研究ではない。

シカゴ大学(University of Chicago)のチャクラバティ教授(Professor Dipesh Chakrabarty)が云うには、Big Historyは従来の歴史観に比べて政治色が薄いのが特徴だという。何故ならBig Historyは人々過去へ誘う性格があるという。より、証拠とか確証となるものを重視するからであると。従来の歴史研究者が重視する記録や文献、その他化石とか道具、生活用具、絵画、構造物、生態学的な変容や遺伝的な多様性といったことではない。

Big Historyのテーマであるが、クリスチャン教授によれば、これまで現代に至る期間は140億年のことを理解しようとする。Big Historyはこの140億年という「人類の物語」(human story)を科学の進歩に照らして考え、炭素元素や遺伝子の分析などの方法を用いることである。時に、数学のモデルを使い社会構造の仕組みの相互作用を究明しようとする。コネチカット大学(University of Connecticut)のターチン教授(Professor Peter Turchin)は数学モデルによる学際的研究の手法である「クリオダイナミックス」(cliodynamics) を唱道している。クリオダイナミックスは数学モデルによって帝国の隆盛や社会不満、市民戦争、国の滅亡などを究明する。個人の行動と社会や環境という要素の混合を数学モデルによって説明する。

2008年に発行された”Nature誌”でターチン教授は、「我々が健全な社会現象の発展を学ぼうとするなら、歴史をより分析的かつ予測的な科学から学ばなければならない」といっている。難しい提案だが興味をそそる話題である。

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Big History その7 石器時代とは歴史の序章

さてBig Historyに戻る。Wikipediaからの訳であることをお断りしておく。http://en.wikipedia.org/wiki/Big_History (出典)

Big Historyは20世紀の特定の領域で自己完結的な歴史の分野を超えた研究をしようとする意図から生まれた。歴史を総体として捉え、歴史における学際的で共通なテーマを探求しようとする試みである。これまでの歴史は、文字の発明によって始まり人類の歴史ということに特化し、過去の事象を取り扱うのが主流である。

Big Historyの研究者によれば、従来の歴史はたかだか5000年の過去に遡る研究である。従って人類誕生の頃の事柄は捨象されてきた。Big Historyはそうした様相とは異なり、情報化時代の産物であって、書くこと、語ること、印刷することの時代に続くものである。Big Historyは宇宙の生成、星や星座をはじめ生命の誕生をも研究の対象とする。人類が狩猟をしていた数10万年前に遡る。Big Historyは、文明の進化の営みは原因と結果という過程で進んできたと考える。Big Historyは、洞窟における原始的な生活から、文明化した農業を主体とする生活へと急激に変容する姿として捉えるのではない。

初期の人類が背中が曲がり額が扁平で、体中が毛深かったといわれる。彼らは火を使い肉を焼いて食していた。そのため槍を携えていた。住んでいた洞窟に岩を削り絵を描いていた。我々はこうした古代人の生活のことを小学校の教科書で学んだ。

だが、歴史とは洞窟に住んでいた人類の誕生から始まるものではない。石器時代は歴史そのものではない。石器時代とは歴史の序章にしかすぎない。幸せな文明以前に混沌とした時代が存在していたである。やがて馬車につけられた車輪、爆薬、印刷機、、、そしてGoogleなどへと至る。歴史は農業から始まり国が成立し、記録文献が残される。歴史は紀元前4000年前のメソポタミア(Mesopotamina)の豊かな土壌から生まれた。やがて古代の遺産を残しながら、人間の文化が生物界を支配するようになった。

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Big History その6 仮説演繹方法というもの

科学は、もともと帰納推理によると考えられてきたが、現代の科学はこの帰納を生の形で使っているわけでない。理論の信頼度を高めるために、この推理方法をいろいろな仕方で洗練しているといわれる。それが仮説演繹方法である。この方法によれば、まず観察や実験の結果を集約して一つの仮説をつくる。次にこれとは別に演繹的な体系を用意して、もしこの仮説が正しいとすれば、その結果どのようなことが起こるかを推論し、その結果を一つの予想として引き出すのである。

観察や実験による仮説の検証は、人間の行動や予測に応用されるようになる。 科学の方法として仮説の設定、実験観察が可能な命題の演繹、命題の実験と観察による検証、そして仮説の採択や棄却という帰納的推理が重視される。言い換えれば、観察された個々の事例や現象を総括し、それらの事例の規定が必然的にそこから導き出される一般的な主張である、と判断するのである。こうした手続きは行動科学でも主流となっている。

ポパーには、「歴史主義の貧困(The Poverty of Historicism)」という著書がある。簡単に言えば、「物事は一定の法則にしたがって歴史的に発展していく」とする歴史法則主義あるいは社会進化論を批判する。これは唯物弁証論への批判でもありソビエトの共産主義体制への批判でもあった。そして反証可能性を基軸とする科学的方法を提唱する。反証されえない理論は科学的ではないというのである。

ポパー曰く科学の進歩は、ある理論に対する肯定的な事例が蓄積してこれを反証不可能たらしめていくところで起こるのではなく、否定的な事例が反証した或る理論を別の新しい理論がとって代わるところで起こるというのだ。ものごとを鵜呑みにすのではなく、距離を置いて時に疑問視しながら考える(critical)姿勢が求められる。今の日本のさまざまな状況を考えるときは、こうした態度が求められると思われる。ポパーの「反証されえない理論は科学的ではない」という主張は興味深い。

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Big History その5 歴史の方法とKarl Popper

安倍首相の演説草稿には過去の歴史、それも1940年代から現在までの特に日米関係の推移や展望が語られている。それだけに限定された時間軸によって両国間の歴史にしか触れられていない。そこが「歴史認識」への踏み込みが不足していると指摘される所以であろうと考えられる。だが、歴史認識とは相当手強い概念である。

Big Historyに戻る。歴史は人文科学とか社会科学の分野の研究とされる。1950年代にカール・ポパー(Karl Popper)らが、科学哲学の方法論を展開するにつれて科学そのものの考え方が複雑化する。いわるゆる自然科学や社会科学といった分類が曖昧になっていく。さらに人間科学とか行動科学といったように人間の思考や感情、行動が研究の対象となりその方法も複雑になる。

歴史科学が対象とする歴史は、反復が不可能である一回限りで、個別的なもの、特殊なものと関わるという観点から、個性記述的さが特徴とされる。だが、歴史の記述の中には著者による歴史観や経験にもとづいた「主観性」が入り込むという特徴もあることは既に指摘した。それ故に、歴史上の推理は幅広く許されるものと考えられる。

推理には二つの古典的な方法があることが指摘されてきた。演繹推理と帰納推理である。演繹推理であるが、一般的に成り立つことを前提としてそこから特殊なことがらについてもそれが成り立つことを推論する。「全ての動物は死ぬ」と「人間は動物である」という前提から「人間は死ぬ」とい結論づける推論である。この種の推論を行う限り、絶対に誤りに陥ることはない確実な推論である。こうした推論で作りあげられるのが演繹体系といわれる。数学はそうである。歴史は演繹推理に向かない。

次に帰納推理である。これは特殊から一般を推論する方法である。観察や実験から科学の法則を導き出す方法である。この方法の特徴は演繹推理と異なり、絶対確実な推理ではないという点である。何十回、何百回の観察や実験によって確かめられたといっても、あるとき別な方法によって意外な結果が表れるかもしれないのである。従って、科学の知識とは絶対確実ではない推論を積み重ねて構成されるものだから、確実な知識ではない、「確からしい」知識といわれる。ある事が起こり得る「見込み」である蓋然性ということが歴史とか史実の特徴ではないかと思うのである。

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Big History その4 演説の修辞の素晴らしさと演説の貧弱さ

アメリカ上下両院合同議会における安倍首相の演説草稿を筆者なりに分析している。この草稿がアメリカ人に好意的に受け容れられる内容となっているのが面白い。前稿ではスピーチライターのセンスの良さを四つ取り上げた。その続きである。ただし、首相の英語による演説能力はおぞましいほど下手である。英語教育の貧困さが伝わるのだが、続けよう。

第五はアメリカ史の一端を紹介するくだりである。安倍(Abe)とアブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)の並列である。リンカーンの愛称はエイブ(Abe)であった。彼が南北戦争の激戦地、ゲティスバーグ(Gettysburg Address)で人種平等と民主主義の尊さについて演説したことを引用する。

第六は戦争犠牲者とその家族や友人、退役軍人に対して配慮を示していることである。アメリカ人はことさら兵役に就くことの意義を大事にする。真珠湾(Pearl Harbor)、コレヒドール(Corregidor)、バターン(Bataan)、珊瑚海(Coral Sea)、硫黄島などでの激戦で倒れた夢大かったはずの若者に言及し、それを「深い悔い改め(deep repentance)」という表現で伝える。Repentanceとはもともと罪の悔い改めという聖書的な言葉であり、それを知るアメリカ人の心情に触れる言葉である。

第七は暗喩の使い方が演説の内容にふさわしいことである。戦争記念碑の自由の壁に4,000の金色の星が輝いている。一つひとつの星は大戦で散った100名の兵士を意味しているというのだ。多くの若者の家族の痛みや悲しみを伝えるのに戦死者の数をそのまま言わなくても、十分にその犠牲の大きさと意義が伝わる。

第八はアメリカ人の好きな歌や歌手を引用し時代を回顧するくだりである。キャロル・キング(Carole King)の”You’ve Got A Friend”を引き合いに出し、”When you’re are down and troubled, and you need some loving care, and nothing, nothing is going right,,”と続ける。ベトナムでの泥沼の戦いに疲れていた1971年の頃の歌だ。両国はお互いに大事な友人であると強調する。キングは1960-70年代に広く日本でも知られた歌手である。

第九は長文と短文を効果的に混ぜて文章にメリハリをつけていることである。たとえば、学生時代のカリフォルニアでの生活が自己の形成に役だったというくだりを、「This culture intoxicated me.」と表現。また日米の激戦地を振り返えりながら、”歴史は過酷である”「History is harsh.」と回想する。さらにTTP-環太平洋経済連携協定に触れ、農業や医療、エネルギー問題の解決について、”自分はその先頭にたつ「I am the spearhead.」”と決意を表明する。”Spearhead”とは槍の穂先のことだ。

演説草稿の修辞の素晴らしさ、そして演説の仕方の貧相さ。この対照がたまらなく滑稽な演説である。

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Big History その3 上下両院議会での演説

アメリカ上下両院議会における安倍首相の演説草稿を読んだ。すこぶる感心する内容と文章であった。もちろん専門のスピーチライターが素稿を書いたことがありあり伺える。わかりやすく清々しさを感じた。もし首相自らがこの草稿を書きあげたとすれば、雄弁な宰相の一人として名を残すのが、、そして英文の読み方が中学生みたいで演説が色あせたのが惜しまれる。間の取り方、文章の区切り方が全くなっていない。それはそれで仕方ないとしておこう。

Big Historyが今は話題であるが、この演説には従来の歴史とBig Historyの違いのようなことが表れていて興味深いものがある。何故、この演説草稿が格調高いものであったかにはいくつかの理由がある。その最たるものは、アメリカ人受けする表現が散らばっていることである。

アメリカ人がヤンヤの拍手をおくる第一は、ユーモアとエスプリがきいていることである。演説の冒頭で、議事進行を妨げる長時間演説(filibuster)、フィリバスタという表現を使い、「自分はフィリバスタをするつもりはない」といって場内を笑わせるのである。法案を時間切れにするとき使うのがフィリバスタである。議場内の議員は、まさか長時間の演説にならないだろうと安堵したに違いない。

第二はアメリカ人を心地よくゆさぶる表現を使っていることである。とりわけ議員の琴線に触れる内容が出てくる。それは駐日大使として活躍した元議員の名前を挙げる。マイク・マンスフィールド(Mike Mansfield)、ウォルター・モンデール(Walter Mondale)、トマス・フォーリ(Thomas Foley)、ハワード・ベイカー(Howard Baker)などである。いずれも議会の中枢で活躍した者ばかりである。そして現駐日大使のキャロライン・ケネディ(Caroline Kennedy)の名前を挙げるのも忘れない。

第三はアメリカンヒーロー(American Hero)と呼ばれる者を引用することでアメリカ人の心を揺さぶろうとする。先の大戦の激戦地であった硫黄島で戦ったローレンス・スノーデン(Lawrence Snowden)海兵隊中将を引用する。この中将は議会に招待されて演説をきいていた。彼は日米合同の慰霊式典で平和の尊さを語ったことを安倍首相は引用する。

第四は市井のアメリカ人について引用する。学生時代、首相はカリフォルニア州でいたときある寡婦の家で生活していた。その婦人が亡くした夫のことを「ゲーリー・クーパー(Gary Cooper)よりも男前だった」と語っていたことを紹介する。こうした修辞はアメリカ人に受けるのである。この普通の人とヒーローとの対照は素晴らしい。共鳴し感動する微妙な心情をくすぐるスピーチライターの博識と修辞のセンスを感じる。

View of the Washington DC Capitol building, unique full view of the building and lawn in front of it

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