「幸せとはなにか」を考える その19 いろいろ悔いはあるが、

「My Way」という歌を引き合いに、「幸せとはなにか」を考えてきた。この稿を終わるにあたり、もう一度「My Way」の歌詞をつぶやきながら筆を取る。

「I did it my way」を「人生悔いなし」と訳してみた。だが、極めて浅はかな訳だったと思っている。現に歌詞には、”Regrets, I’ve had a few”とある。筆者もこれまでの、そしてこれからの人生も悔いの連続であることは予想される。「I did it my way」という感慨にも似た表現には「やるべきことはやった。だがそれが義にかなったかどうかはわからない」というように解釈すべきだと思うのである。

人間は多くの場合、独りよがりである。物事を都合のよいように解釈する。「悔いなし」と決め込むのは、少々ごう慢で嘆かわしいことである。「やるべきことはやらせてもらった、だがやっぱりなにかが足りない」のが人生ではあるまいか。

「幸せとはなにか」について、架空の人物や現存した人々を手本にしながら考えてきた。お上さんによって自堕落さから立ち直る亭主、筆を口にくわえて珠玉の文章を書く人、命令に反して困る人々に手を差し伸べた人、戦地に向かう教え子に生きて帰れと諭した教師、人一倍友達想いの選手や監督、パンと葡萄酒を密かに運ぶ純粋な子供、、、誰も精一杯、誠実に生きてきた。それ故、端からみると皆幸せだったかのように写る。しかし、本人らがどう感じたのかはわからない。

「幸せ」とは一人ひとりの内にある価値意識であることだ。他人の物差しではなく、自分の物差しの中にある現象である。そしてその物差しにどこか狂いはないかを問いただしてみるのである。そうであれば、物の見方や考え方の軸が定まり、物事や自分を冷めた目で見つめることができのではないか。このように境地こそが「幸せ」ではないかと思うのである。

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「幸せとはなにか」 その18 杉原千畝氏のことー日本のオスカー・シンドラー

現在、外務省が保管する杉原千畝氏がビザ発給者の名を記したリスト「杉原リスト」には 通過ビザを発行した2,100名以上のユダヤ人の名前があるといわれる。公式記録から大勢の人が抜けているとうことがわかり、杉原氏が実際にビザを発給したユダヤ人は6,000人にものぼるといわれている。戦後、杉原氏がユダヤ人から「日本のオスカー・シンドラー(Oskar Schindler)」といわれた所以である。

話柄を変えるが、「シンドラーのリスト(Schindler’s List)」という映画が1994年にスティーヴン・スピルバーグ(Steven Spielberg)によって作られる。オスカー・シンドラーのユダヤ人救済を描いたものだ。シンドラーはナチス党の党員ではあった。ポーランドのクラカウ(Krakau)の町へやってきて、潰れた工場を買い取って“軍需工場”であるほうろう容器工場の経営を始める。ポーランド占領のドイツ軍から特別の格付けを受けたのである。

シンドラーは、手練手管を使いこの工場では労働者が生産ラインに不可欠だと主張する。このようにして、強制収容所へ移送される危険が迫ったユダヤ人を雇用することができた。有能なユダヤ人会計士アイザック・シュターン(Isaac Stern)に工場の経営を任せ、安価な労働力としてゲットーのユダヤ人を雇い入れるという筋書きである。

さて、杉原千畝氏のその後に関してである。外務省の訓令に反し、受給要件を満たしていない者に対しても独断で通過査証を発給した。そのため戦後、訓令違反ということで外務省を辞めざるをえなくなった。

「私のしたことは外交官としては間違っていたかもしれない。しかし、私には頼ってきた何千もの人を見殺しにすることはできなかった」という述懐が残っている。2000年、当時の外務大臣河野洋平の演説によって、杉原千畝氏の日本政府による公式の名誉回復がなされた。戦後55年も経ってからのことである。

oscar oscar2 Schindler’s Listから

「幸せとはなにか」 その17 杉原千畝氏のことー通過ビザの発給

ナチス・ドイツは、1940年にベルギー(Belgium)、チエッコ(Czech)、デンマーク(Denmark)、フランス(France)、オランダ(Holand)、ルクセンブルグ(Luxembourg)、ノルウェー(Norway)、ポーランド(Porland)、を占領しソ連との戦を始めようとしていた。リトアニア在住のユダヤ人の脱出は日本の通過ビザを取得し、そこから第三国へ出国するという経路であった。

日本の通過ビザを取るには受入国のビザが必要であった。幸いリトアニアにあったオランダ領事館は、カリブ海にあるオランダの植民地キュラソー(Curasao)行きのビザの発給を始める。「キュラソー・ビザ」をとったユダヤ人が日本領事館に押し掛けたのは、1940年7月18日といわれる。日独伊三国間条約が結ばれる直前である。ヨーロッパ各国はナチス・ドイツに占領され、そこを経由することは絶望だったからである。リトアニアにまだ残っていた日本領事館で通過ビザを取ろうとした。日本経由で脱出しようとしたのである。

ユダヤ人が日本へ行くために、ソ連国内通過がどうして可能だったかである。Wikipediaによると当時ソ連は共産党の支配とされていたが、実際には裏の組織である国家保安省、後の国家保安委員会:KGBが支配していたとされる。そして国家保安省の幹部のすべてがユダヤ人だったという事情が働いていた。

領事代理の杉原氏のビザ発行に対する打診に外務省は「ビザ発給拒否」と回答する。杉原氏はソ連領事館に出向き、日本通過ビザでソ連国内通過は可能かを打診し、問題なしとの回答を得る。そして発給を決意する。”I did it my way.”を実行した稀有の外交官であり人道主義者であった。

map_lithuania sugihara 杉原千畝氏

「幸せとはなにか」 その16 杉原千畝氏のこと-ユダヤ人の運命

世界史が好きな筆者にはなぜかバルト三国のことが忘れられない。バルト三国の一つ、エストニア(Estonia)の首都タリン(Tallinn)を訪れたのは1995年である。ヘルシンキ(Helsinki)での学会のついでにフェリーで次女と一緒にフィンランド湾を渡った。

エストニアのソビエト連邦からの独立は1991年であるから独立を回復して4年目であった。あちこちの建物の壁に銃弾の跡が残っていた。ラトビア(Latvia)、リトアニア(Lithuania)と並んでエストニアはバルト三国(Baltic states)の一つである。

地図を見るとこの三国はドイツとロシアに囲まれている。そのため第二次世界大戦でほんろうされた歴史がある。ロシア帝国、プロイセン、ハプスブルク帝国、ポーランド、スエーデンがバルト三国を席巻したことがある。大戦中はナチス・ドイツとソ連にじゅうりんされた。

第二次世界大戦前にリトアニアはスイスと同じように中立国と考えられていた。そのためナチス・ドイツに迫害されていたポーランドのユダヤ人はリトアニアに移住していたのである。ところがソ連がリトアニアを併合することが確実となる。1940年7月、親ソ政権がリトアニアに誕生する見通しとなり、いずれはドイツとソ連の戦いが始まることが予想されるようになる。

そこでユダヤ人らは、リトアニアを出国する自由は奪われてしまうと考えソ連に併合される前にリトアニアを脱出しようとしたのである。その頃、リトアニアの日本領事館で領事代理をしていたのが杉原千畝氏であった。

tallinn-old-town_796197c  Tallinn, EstoniaView-of-Tallinn-Old-Town

「幸せとはなにか」 その15 「キロギ・アパ」

ハングルで”기러기”とは雁、”아빠”はお父さんという意味である。お隣韓国の教育熱は我が国でも知られている。かつての我が国における受験戦争の比ではない。

韓国では、子息に英語での意思疎通能力を身につけさせようと懸命になっている。そのために子どもと妻を海外に送り出し、自国にて一人で働きながら生活する父親が沢山いる。こうした父親のことを「キロギ・アパ」「雁のようなお父さん」と呼ぶそうである。雁は渡り鳥で、父親が海外と国内を行き来することからこのようにいわれる。学歴社会を背景とする過度な教育熱と、孤独になった父親の精神的な負担などが社会的な問題となって久しいようである。

海外で学び仕事の経験を積むことが大事だと韓国人は日本人以上に考えているのは確かだ。現在アメリカの大学には韓国人が日本人の50倍はいるはずである。そして自国より住み心地が良いと感じているに違いない。

キロギ・アパといえば、筆者もその一人である。子どもたちをアメリカで教育し、彼らと別れて日本で長く生活している。子どもたちは教育を受け、仕事に就き、結婚し子育てに忙しい。「学歴社会を背景とする過度な教育熱」に毒されたのではなく、子どもが自分の進路を選んだのである。

米国というところは、長く住めば住むほど永住したくなるような不思議な魅力を持っている。それを海外からやってくる者は一種の幻覚のように感じるのだ。幸せを実現してくれるといった目眩のようなものである。そういう感覚を筆者も体験したことがある。

206E064F4EE1AA162F7E68 7088766.1 「送金」するお父さん

「幸せとはなにか」 その14 星野冨弘氏のうたから

星野冨弘氏のことである。中学校の体育教師をしているとき部活での指導中、頸髄を損傷し手足の自由をなくしてしまう。その後は、筆を口にくわえて草花を描き、言葉を添える詩人となって「愛、深き淵より」など多くの作品を残している。

車椅子の上で描いた絵や詩からは、星野氏の想像の世界が広がっている。それは、手足の自由を失った者ならではの情感に溢れている。草花をじっくり観察し、その特徴を見逃さないでペンや絵筆に乗せている。やさしい言葉が並ぶ。

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喜びが集まったよりも、悲しみが集まった方がしあわせに近いような気がする。
 強いものが集まったよりも、弱いものが集まった方が真実に近いような気がする。
 しあわせが集まったよりも、ふしあわせが集まった方が愛に近いような気がする。

○言葉に深い意味が伝わってくる。これほど言葉と思想が一体となる詩歌はあまり読んでいなかった。「強い」とか「弱い」というのはなにか。

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辛いという字がある
  もう少しで
   幸せになれそうな字である

○「土」を上に付け加えると「幸」になるとは、、。地面に足をつけてもう少し踏ん張ることの大事さを歌っているようだ。

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「人生が二度あれば」とは、
   今の人生を諦めてしまうから
    出てくる言葉です。

○いつも悔いの残る毎日である。もう少しできたのだが、ということを繰り返して生きている。「明日ありと思う心の仇桜、、、、、」

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神様がたった一度だけ
  この腕を動かしてくださるとしたら
   母の肩をたたかせてもらおう。

○眼の不自由な人が、一度だけ母親の顔を見たいといっていた。深い愛を伝えるのに言葉は誠に不十分だが、それ意外に伝える手段がない。それにしても母親の存在はなににも代え難い。今日は1月17日。

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「幸せとはなにか」 その13  二十四の瞳から

作家壺井栄は、香川県小豆島の出身である。この島は瀬戸内海では淡路島に次いで2番目の面積となっている。寒霞渓を始めとする渓谷などの自然が瀬戸内海国立公園に指定されている。大阪城修復の際には小豆島より多くの石が採られ運ばれた。今も石切場の跡が残っている。島独特の手延べそうめんで知られ、またオリーブの生産が盛んである。

さて話柄は「二十四の瞳」である。1952年の壺井の原作をもとにして、木下惠介が監督で1954年に公開された映画である。もちろん小豆島の小学校の分教場が舞台である。担任は新任の大石先生。彼女のクラスは12名。こののどかな島で皆成長する。

やがて戦争の影が小さな島にも忍びより、暗い世相が訪れる。不況、飢饉、満州事変、上海事変と続く戦争に島も家族もほんろうされる。教師も戦時教育を強いられる。12人の生徒たちはそれぞれの運命を歩む。戦地へ赴く教え子や自分の子に「名誉の戦死などない、必ず生きて戻るように」と諭す。戦争に疑問を抱く大石先生は教え子たちの卒業とともに教師を辞める。

戦争が終わる。大石先生も船乗りの夫や息子を戦地で亡くす。かつての教え子の呼びかけで、大石先生と同窓会が開かれる。そこで12名の消息がわかる。席上、皆波乱の人生を余儀なくされたことを知る。戦場で負傷し失明した教え子が、昔12名で撮った写真を指差して「これは誰、こちらは、、、」といって恩師に説明する。

戦争は多くの尊い命を奪った。家族を、恋人を、学徒を、子供を不幸に巻き込んだ。大勢の敵兵や占領下の現地の人々も亡くなった。太平洋戦争では、日本だけで200万人以上の戦闘員、非戦闘員が命を落とした。筆者も叔父が二人シベリアで亡くなった。

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「幸せとは」 その12 マルセリーノと汚れなき悪戯

「汚れなき悪戯」(Miracle of Marcelino)という映画は1955年にスペインで製作された作品である。スペイン語の題名は、「Marcelino Pan y Vino」で「マルセリーノのパンとワイン」となる。

この物語である。フランシスコ会修道院の門前に赤子が捨てられていた。修道士たちは里親を捜すのだが、結局見つからず自分たちで育てることになる。そして赤子をマルセリーノ(Marcelino)と名付ける。

マルセリーノは修道院でいろいろなことを学ぶ。修道院での学校生活である。保育係となったフランシスコ修道士(Father Francisco)は、マルセリーノに屋根裏部屋には決して入らないように言いつける。

好奇心の旺盛なマルセリーノは屋根裏部屋にこっそり忍び込のである。そこで大きな十字架のキリスト像と出会う。そしてキリストにパンを与える毎日が始まる。これが「汚れなき悪戯」として描かれる。やがて、みなしごマルセリーノはキリスト像に「天国の母に会いたい」と嘆願する。

像はマルセリーノが大きな肘掛け椅子をすすめると降りてきて座って少年と話し、また飲み食いするようになる。像は特にパンと葡萄酒を喜んだので、マルセリーノは毎日それらを盗む。それに気づいた修道士らは訝りながらも気付かぬふりをして彼を見張ることにした。

いつものようにパンと葡萄酒を持っていったマルセリーノに対し、像は「良い子だから願いをかなえよう」と申し出る。迷わずマルセリーノは「母に会いたい、そしてそのあとあなたの母にも会いたい」と言うのである。「今すぐにか」という問には「今すぐ」と答える。ドアの割れ目から覗くフランシスコ修道士の前で像は少年を膝に抱き眠らせた。

駆けつけた修道士たちは空の十字架を見、やがて像が十字架に戻るのを見て扉を開いた。マルセリーノは椅子の上で微笑みを浮かべて永遠の眠りに就いていた。
https://www.youtube.com/watch?v=bqKFXlg1h6s

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「幸せとはなにか」 その11 チャーリー・ブラウンの仲間たち

チャールズ・シュルツ(Charles M. Schulz)の漫画に登場するのがピーナッツ(Peanuts)の仲間である。この漫画は、1950年に新聞に掲載されるようになり、やがて全世界で読まれるようになる。子供はもちろん、大人にも読者が広がる。筆者もピーナッツの本で英語を学んだ。特に、会話のなかにでてくる俗語や表現は、後に米国で生活していて役だったものだ。

ピーナッツは別名「Good Ol’ Charlie Brown」とか「Charlie Brown」と呼ばれる。ビーグル犬のスヌーピー(Snoopy)の飼い主がチャーリー・ブラウン(Charlie Brown)。やさしくてまじめで憎めない。友達想いは人一倍深い。チャレンジ精神も旺盛である。特技はビー玉で趣味は野球。彼は選手兼任監督を務める。そのチームは負けてばかりだ。いつも肝心なところでポロリをやって仲間からひどく野次られる。皮肉にも彼がプレイしない試合は勝つ。

チャーリーの仲間だが、スヌーピーは、スポーツ万能で趣味は小説を書くこと。小屋に寝そべって瞑想するのが好きな犬だ。ルーシー(Lucy)は、チャーリーが蹴ろうとする瞬間にボールを引っ込めてしまうちょっとお茶目な女の子。ライナス(Linus)はルーシーの弟で、仲間うちきっての知性派。トレードマークは「安心毛布」である。サリー(Sally)はチャーリーの妹でちゃっかり者だが、ライナスに夢中。シュローダー(Schroder)は、ベートーベンの曲を弾く小さな音楽家。ピアノに寝そべって聴くのがスヌーピの得意なポーズである。

作家、シュルツの眼差しは、子どもと動物にとても暖かい。小さな者、弱い者の側からピーナッツは大人の世界を見つめる。子どものできない、困ったという心の悩み、葛藤をどう乗り越えるかを一貫したテーマとしている。大事な仲間の喜び、哀しみ、不満をスヌーピーと共に味わうチャーリー・ブラウンである。

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「幸せとはなにか」を考える その10 「芝浜」から

古典落語の傑作の一つに「芝浜」がある。名人で三代目桂三木助が演じた屈指の人情噺といわれる。この話は、魚の行商を生業とする酒好きな勝五郎とそのお上さんの物語である。

舞台は今のJR田町駅から浜松町駅のあたり。江戸時代は砂浜が続いていたといわれる。江戸前といわれた魚が水揚げされて雑魚場と呼ばれていた。勝五郎は、この雑魚場に朝早く仕入れに出掛け、暇つぶしをしているうちに大金の入った財布を拾うことからこの落語は展開する。

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ある朝、お上さんにせっつかれて、グズグズしながら魚の買い出しにいく。それまで勝五郎は半月も休んでいたのである。出かけて浜辺で煙草を吸っていると、ひもがついた革の財布が浮いているのをみつける。拾ってみると小判が入っている。

驚いて家に戻り、お上さんに訳を話す。財布と開くと八十二両という大金である。「これでぜい沢ができる、いい着物を買って、温泉でも行こう」とお上さんを誘う。あげくは、仲間を引っ込み「目出度い、目出度い」とドンチャン騒ぎをする。その夜はぐでんぐえんに酔っぱらって眠りこける。

翌朝、お上さんにたたき起こされる。
「さあ、さあ、魚の仕入れに行っておくれ」
「なに言っとるんだ、八十二両あるんじゃないか、」
「なに寝ぼけたことをいってるの、どこにもそんなお金なんかありゃしないよ、なにか夢でも見たんじゃないの?さあ、さあ仕事にいっておくれ」
「確かお前に八十二両預けたじゃないか、、」
「酔っぱらっているからそんなお金の夢をみるのよ」
「おかしいな、確かにお金を拾ったんだが、、、」
「、、、ん、夢か。子供のときからやけにはっきりした夢をみることがあったな、、」
「酒を飲んだのは本当で、財布を拾ったのは夢だったのか、、、ああ情けない。」

こんな会話を交わし、それから勝五郎はプッツリと酒を断ち、元の腕の立つ仲買人となる。それから三年目の暮れのこと。湯屋から戻った勝五郎にお上さんは、打ち明けるのである。

「実は、この財布に見覚えがない?」
「??????」
「これはお前さんが三年前に芝の浜で拾ったという財布なんだけど。」
「あれは夢じゃなかったんか?」
「あたいは、お前さんに嘘をついたの」
「もし、その時この小判を使い込むようなことになれば、お上にいろいろと訊かれ、天下の小判を届けなかった罪で牢屋にでもいれられたろうに」
「あんたが酔っぱらって眠っているとき、大家に相談し奉行所に届けた」
「三年後、落とし主が見つからないのでこの財布はこのとおり帰ってきたんだよ、嘘偽りをいったのは悪かった、どうかあたいを打つなりぶつなりしてしておくれ」
「ああ、そうだったのか、、。お前をぶったりしたら、この腕が曲がってしまう。俺も馬鹿だったなあ、、」
「赦してくれるのかい、、ありがとう」
「静かな大晦日だね、お前さん、三年間酒を一滴も呑まなかったね」
「今夜くらい一杯やったらどう?」
「そうだな、もうらおうか、、ああ、いい匂いだ、口からお出迎えといくか」
「、、、、ん、やっぱり酒はやめておこう。また夢になるといけね!」

自堕落な亭主を更正させる女房。「文句なしに素晴らしいお上さんだ」という立場と、「わざわざ嘘をついて立ち直らせるのなんて、鼻につく女房だ、」という声もある。だがこの人情噺はとてもよくできていると感じる。夫婦愛と人情の機微が噺家から伝わる。それは、庶民のつつましい生活が長屋、酒、夢、女房、行商などに展開されている。皆、その日その日に生きることで精一杯だが、偽りや権威と向き合いながら、懸命にそして誠実に生きる姿が共感を呼ぶ。

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