心に残る名曲 その五十八 チャイコフスキーと日本人 その四 ロシア革命と領土拡大政策

ロシアの歴史です。広大な国土、さえぎるもののない平原、長くゆったりと流れる大河、厳しい気候と国民性は関連しています。音楽もそうだろうと思われます。

1991年に解体したソビエト連邦は地球上の全陸地面積の1/6を占め、アメリカの1.8倍、世界一の広さです。8割はウラル山脈(Ural Mountains)の東側、シベリアと極東です。ウラル山脈によって東西に分かれ、この国が広いユーラシア平原(Eurasian Steppe)にまたがることが異民族との絶えざる戦争を引き起こしてきました。18世紀末にはアリューシャン列島(Aleutian Islands)からアラスカ(Alaska)まで領土を拡大します。

ロシアが世界の大国として登場するのは、18世紀前半のピュートル1世の時代です。北欧の雄、スエーデンを破りロシアは帝国となり、バルト海のほかにサンクト・ペテルブルグ(Sankt Peterburg)を築いて、念願であった海への出口を獲得するのです。

18世紀後半には、エカチェリーナ(Ekaterina)2世の時代に、クリミア(Crimea)半島にあったモンゴル地方政権のクリム・ハン国(Krym Khanstvo)を滅ぼし、さらにポーランドの分割を行い領土を拡大していきます。19世紀初めに、世界最強を誇ったナポレオンの大軍を破りヨーロッパの列強に加わります。

しかし、膨大な軍備への支出にあわせ、国民の中に食糧不足への不満を背景とした「パンをよこせ」という要求やデモが盛んになり、各地でストライキが起こります。1917年2月にはペトログラード(Petrograd)で国際婦人デーにあわせて女性労働者がストライキに入り、デモを行います。他の労働者もこのデモに呼応し、数日のうちにデモとストは全市に広がります。デモ隊の要求も「戦争反対」や「専制打倒」へと拡大していくのです。革命はすぐそこに迫ってきます。
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