心に残る名曲 その五十七 チャイコフスキーと日本人 その三 ロシア革命と講和条約

日露両国はアメリカの第26代大統領のセオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt)の仲介の下で終戦交渉に臨み、1905年9月5日ポーツマス条約(Treaty of Portsmouth)に調印し講和します。講和の結果、ロシア領の南樺太は日本領となり樺太庁が設置されます。ロシアの租借地があった関東州については日本が租借権を得て、関東都督府が設置されることになります。

ロシア帝国はヨーロッパ各地でも領土の覇権を巡る戦いを続けています。日露戦争は極東におけるいわば小さな戦いともいえるものでした。しかし、満州や朝鮮、南樺太の利権を手放し、海軍の弱体化と相まって、帝国の衰退が始まるのです。革命への機運が労働者や農民の中から高まっていきます。

1912年4月、バイカル(Baikal)湖北方のレナ(Rena)金鉱でストライキが起こり、労働者に対して軍隊が発砲し、多数の死者がでます。レナ金鉱事件と呼ばれました。全国に抗議ストが広がり、労働運動は活性化していきます。1914年7月に第一次世界大戦が勃発すると愛国主義が高まり、弾圧も強まって労働運動はいったん収まるのですが、戦争が生活条件の悪化をもたらし始めると労働運動は復活していきます。

復習ですが、ロシア革命とは1917年にロシア帝国で起きた2度の革命のことを指す名称とされます。特に史上初の社会主義国家樹立につながったことに重点を置く場合には、十月革命のことを意味し、広義には1905年のロシア第一革命も含めた長期の諸革命運動を意味するとブリタニカ国際百科事典にあります。