心に残る名曲 その二十三 リヒアルト・ワーグナー

ワーグナー(Richard Wagner)はバッハが活躍したライプツイッヒで育ちます。幼少期から音楽に親しみ、兄弟の多くも音楽で身を立てていきます。ワーグナーは、ライプツィヒ大学(Universität Leipzig)で学び、音楽を学んでからはドレスデン(Dresden)の宮廷楽長とし迎えられます。特に一家とも親交があった作曲家ウェーバー(Carl von Weber)から強い影響を受けたといわれます。

「ローエングリン(Lohengrin)」、「トリスタンとイゾルデ(Tristan und Isolde)」といった楽劇(Musikdrama)のほかに、「さまよえるオランダ人(Der fliegende Holländer)」という神罰によって、現世と煉獄の間をさまよい続けているオランダ人の幽霊船が喜望峰で遠望されるという物語の曲もあります。神話や伝説に題材にして求め、人間は女性の愛によって救われるという考え方が以上の作品に貫かれています。

自由を圧迫するドイツ社会への失望し、1849年にドレスデンの革命に参加し、ロシアの革命家のバクーニン(Mikhail Bakunin)と交流するなどで指名手配されます。そしてスイスに亡命します。追放は1862年に解除されバイエルン国王の保護で宮廷楽長となります。

ワーグナーは、いくつかの特徴的な旋律で劇中の人物を表現するという手法をとりいれ、巨大な管弦楽法によって分厚い和音や半音階的進行、無限に流れる旋律などを曲に盛り込みます。これが楽劇という形式です。それまでの歌唱とかアリア偏重のオペラに対して,音楽と劇の進行を密にし融合を図った音楽形式といわれます。その形式を確立したワーグナーは「楽劇王」と呼ばれるようになります。