アドベント・クリスマス その14 ”Lo, How a Rose E’er Blooming”

日本語題名は「エッサイの根より」と付けられている賛美歌です。古くからカトリック教会で歌われてきました。詩も曲も15世紀頃からドイツのライン(Rhine)地方に伝わるキャロル(Carol)がもとになっています。もともとは、23節から成るマリアの賛歌で、降臨節の期間に歌われます。

古代イスラエル王国第2代王ダビデ(David)の父がエッサイ(Jesse)といわれます。その出典箇所は旧約聖書(Old Testament)の中の有名な預言書イザヤ書です。その11章1節には、「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ」とあります。ユダ族のダビデの子孫からキリストが生まれることを示唆しているのです。そのことはマタイによる福音書(Gospel of Matthew)の冒頭に「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図」と記述されています。キリストの系図がダビデを通じエッサイに由来することを語るのです。

時代は下り19世紀以降、この曲はプロテスタントの讃美歌に収録されるようになります。2番目の歌詞ではマリヤから幼児イエスが生まれることに置き換えられています。こうしてドイツから英米にも伝わり世界的なアドベントの歌になります。

歌詞の冒頭にある”Lo”は古英語で 「見よ」 といった驚きを表す単語である。”Behold”という単語にあたります。歌詞を翻訳すると「ご覧ください、薔薇はいつも咲いていますよ」となります。
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 エッサイの根より 生いいでたる、
  預言によりて 伝えられし
   薔薇は咲きぬ。
  静かに寒き 冬の夜に。

Lo, how a Rose e’er blooming from tender stem hath sprung!
 Of Jesse’s lineage coming, as men of old have sung.
  It came, a floweret bright, amid the cold of winter,
 When half spent was the night.

Isaiah ‘twas foretold it, the Rose I have in mind;
 Mary we behold it, the Virgin Mother kind.
  To show God’s love aright, she bore to us a Savior,
 When half spent was the night.

心に残る名曲 その十八 バッハと三つの時代

バッハが特に影響を受けた作曲家の一人がブクステフーデ(Dieterich Buxtehude)であることを既に述べました。ブリタニカ国際大事典によりますと、1705年に北ドイツにあるルーベック(Leubeck)を訪ね、ブクステフーデの壮麗な演奏と作品に触れたことが彼の音楽的成長に大きな役割を及ぼしたとあります。「トッカータとフーガ 二短調 BWV 565」はその代表です。1708年にワイマール(Weimar)公の宮廷に礼拝堂オルガニスト、兼オーケストラのヴァイオリニストとして迎えられます。「トッカータ、アダージョとフーガBWV564」やコラール前奏曲、「オルガン小曲集BWV599-644」などから、ワイマール時代がバッハの「オルガン曲の時代」と呼ばれる所以です。

しかし、ワイマール公爵家の内紛や楽長の死後、その後任に選ばれなかったことの理由からバッハはワイマールを辞します。そしてハインリッヒ・ケーテン公(Heinrich von Anhalt-Köthen)に招かれます。そこでは世俗的な器楽の作曲と演奏が主な職務となります。有名な「無伴奏チェロ組曲BWV1007」、「ブランデンブルグ協奏曲BWV1046-51」などを完成させます。さらに「平均律クラビーア曲集BWV846-69」「インヴェンション BWV772-80」など多くのクラヴィア曲を作ります。ケーテンでの六年間はバッハにとって「世俗器楽曲の時代」と呼ばれました。

さらに1723年からライプツイッヒ(Leipzig)に移り、聖トーマス教会(St. Thomas)と聖ニコライ(St. Nicholas)教会の音楽監督(カントル)として作曲にも注ぎます。そして「ヨハネ受難曲 BWV145」、「マタイ受難曲 BWV244」、「クリスマスオラトリオ BWV248」、「ロ短調ミサ曲 BWV232」といった「四大教会音楽」を残す活躍を示します。そうした作曲活動からライプツイッヒ時代は「教会声楽曲の時代」と呼ばれるくらいです。