クリスマス・アドベント その15 ”O come, O come, Emmanuel”

紀元前586年頃、古代イスラエル(Israel)の民にバビロン捕囚(Babylonian Captivity)がやってきます。首都エルサレム(Jerusalem)が、新バビロニア(Babylonian)の王となったネブカドネザル(Nebuchadnezzar)によって占領されたためです。バビロンはメソポタミア(Mesopotamia)地方の古代都市でありました。やがて故国に帰れるというユダヤ人の希望はそれゆえに幻となり、50年に渡ってバビロニアに居住する苦しみを強いられます。そうして「救い主(メサイア)Messiah」待望の信仰が生まれます。

旧約聖書のイザヤ書第7章14節には次のような預言があります。
 ”見よ、おとめがみごもって男の子を産み、その名はインマヌエルと呼ぶ。”
Behold, the virgin shall conceive and bear a son, and shall call his name Immanuel.「 Immanuel」とは「主がともにいる」という意味です。”bear a son” は”give birth to a son”と同じく生まれるという意味です。

この讃美歌は、「久しく待ちにし、主よとく来たりて」として訳されています。元々8世紀のラテン語グレゴリオ聖歌(Gregorian chant)です。曲は7つの詩から成っています。夕礼拝や祈り会のときに交互に歌うしきたりだったようです。その後13世紀になると5つの詩が加えられます。1851年に讃美歌の作詞者であるジョン・ニール(John M. Neale)がラテン語歌詞を英訳、それが日本に入ってきます。

この曲は捕囚の中に光を求める讃美歌であり、救い主を待ち望む歌でもあります。このように原曲が中世のグレゴリオ聖歌であるためか、旋律も和声も静かで厳かな雰囲気を醸し出しています。単旋律でも、編曲されて合唱としても歌われています。

O come, O come, Emmanuel
And ransom captive Israel
That mourns in lonely exile here
Until the Son of God appear
Rejoice! Rejoice! Emmanuel
Shall come to thee, O Israel.

アドベント・クリスマス その14 ”Lo, How a Rose E’er Blooming”

日本語題名は「エッサイの根より」と付けられている賛美歌です。古くからカトリック教会で歌われてきました。詩も曲も15世紀頃からドイツのライン(Rhine)地方に伝わるキャロル(Carol)がもとになっています。もともとは、23節から成るマリアの賛歌で、降臨節の期間に歌われます。

古代イスラエル王国第2代王ダビデ(David)の父がエッサイ(Jesse)といわれます。その出典箇所は旧約聖書(Old Testament)の中の有名な預言書イザヤ書です。その11章1節には、「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ」とあります。ユダ族のダビデの子孫からキリストが生まれることを示唆しているのです。そのことはマタイによる福音書(Gospel of Matthew)の冒頭に「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図」と記述されています。キリストの系図がダビデを通じエッサイに由来することを語るのです。

時代は下り19世紀以降、この曲はプロテスタントの讃美歌に収録されるようになります。2番目の歌詞ではマリヤから幼児イエスが生まれることに置き換えられています。こうしてドイツから英米にも伝わり世界的なアドベントの歌になります。

歌詞の冒頭にある”Lo”は古英語で 「見よ」 といった驚きを表す単語である。”Behold”という単語にあたります。歌詞を翻訳すると「ご覧ください、薔薇はいつも咲いていますよ」となります。
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 エッサイの根より 生いいでたる、
  預言によりて 伝えられし
   薔薇は咲きぬ。
  静かに寒き 冬の夜に。

Lo, how a Rose e’er blooming from tender stem hath sprung!
 Of Jesse’s lineage coming, as men of old have sung.
  It came, a floweret bright, amid the cold of winter,
 When half spent was the night.

Isaiah ‘twas foretold it, the Rose I have in mind;
 Mary we behold it, the Virgin Mother kind.
  To show God’s love aright, she bore to us a Savior,
 When half spent was the night.

アドベント・クリスマス その13 ”O Tannenbaum”

アドベント・リース(Advent wreath)には樅の木の枝が使われることを既に述べてきました。樅の木は冬のさなかでも緑色を保つマツ科。それゆえに、”Christmas Tree”とも呼ばれます。樅の木はドイツ語での響きが最もよい心持ちがします。”Tannenbaum”がそうです。”Tannen”は樅、”Baum” は木というドイツ語です。バウムクーヘン(Baumkuchen)はドイツ語がそのまま使われる菓子です。”木の形をしたケーキ”という意味です。

クリスマス・キャロルの一つで世界中で歌われる曲に”O Tannenbaum” があります。現在の歌詞はライプチッヒ(Leipzig)のオルガン奏者で教師、そして作曲家であったアーネスト・アンシュッツ(Ernest Anschutz) が1824年に歌詞を付けたといわれます。歌詞をみると、この曲は必ずしもクリスマスや飾りがつけられたクリスマスの木のことを歌っているのではないことがわかります。マツ科のこの常緑樹は不偏さとか信仰ということのシンボル、そのことを称えています。

アンシュッツが書き下ろした歌詞は16世紀のシレジア(Silesian)民謡からの哀しい恋の曲が元となっています。シレジアとは今のドイツ、ポーランド(Poland)、チェコ(Czech)、スロバキア(Slovakia)のあたりを指す地域です。メルクワイア・フランク(Melchoir Frank)という人が歌った “Ach Tannenbaum”という曲に依拠しています。

19世紀になると降臨節にはクリスマスの木が飾られるようになります。そしてたくさんのクリスマス・キャロルも作曲され歌われていきます。アンシュッツの歌詞にある “treu” とはしっかりとした、とか信仰にあふれた、という意味です。歌詞の二番目は “treu” が “grun”(緑)となっています。20世紀になってこの歌がクリスマス・キャロルとして歌われるとともに歌詞も変わっていったようでです。樅の木を形容して「凜とした葉は夏の盛りだけでなく、雪の降る冬さえも緑をたたえています」という歌詞です。

O Tannenbaum, o Tannenbaum,
 wie treu sind deine Blatter!
  Du grunst nicht nur
  zur Sommerzeit,
   Nein auch im Winter, wenn es schneit.
    O Tannenbaum, o Tannenbaum,
   wie treu sind deine Blatter!

クリススマス・アドベント その11  Little Drummer Boy

クリスマスキャロルはいろいろに分類されそうです。聖夜のように礼拝堂で厳かに歌われるもの、ポピュラーソングのようなもの、子どもたちだけで歌われるものもあります。今回紹介するのは子どもが歌う曲です。

「誕生」はすべての人にとって喜ばしく嬉しい時です。老いも若きもその時を祝います。数あるクリスマスの歌には、古く伝統的なものから現代的(contempolary)なものまで誕生を主題とする曲がいろいろとあります。今回、紹介するのは一人の少年が太鼓を叩きながら、イエスの誕生の喜びに加わるという曲です。それが「The Little Drummer Boy」というもので、別名は「Carol of the Drum」です。

作曲したのはキャサリン・デーヴィス(Katherine Davis)。作曲家であり教師でした。作られたのは1941年。曲の由来はチェコスロバキア(Czechoslovakia)に伝わる古い民謡です。1950年代、この曲を収録したレコードはアメリカで大ヒットしたそうです。歌詞は次のような内容です。

”さあ行こう。一人の王様が生まれたぞ” と大人が僕に声をかけた。
”大切な贈り物をこの王様のところに届けよう”
”だけど、僕は貧しいので、なにも持っていくものがありません”
”マリアさん、お祝いとしてこの太鼓を叩いていいですか?”

”マリアさんは優しく頷いてくださった。牛や羊はじっと待っていた。”
”僕は一生懸命、赤ちゃんのために太鼓を叩いた。”
タタタッタ、タタタッタ、、、、”
”赤ちゃんは僕と太鼓に微笑んでくれた。”

Come they told me pa ra pa pam pam
a newborn King to see pa ra” pa pam pam
Our finest gifts we bring pa ra pa pam pam
to lay before the King pa ra pa pam pam
Ra pa pam pam ra pa pam pam
So to honor him pa ra pa pam pam when we come
Little baby pa ra pa pam pam
I am a poor boy too pa ra pa pam pam
I have no gift to bring pa ra pa pam pam
that’s fit to give our King pa ra pa pam pam
Ra pa pam pam ra pa pam pam
Shall I play for you pa ra pa pam pam on my drum
Marry nodded pa ra pa pam pam
the ox and lamb kept time pa ra pa pam pam
I played my drum for him pa ra pa pam pam
I played my best for him ra pa pam pam
Then he smiled at me pa ra pa pam pam me and my drum

クリスマス・アドベント その10 預言者イザヤという名前

1977年に国際ロータリー財団より奨学金をいただき、ウィスコンシン大学に留学したときのスポンサーがロバート・ジェイコブ(Dr. Robert Jacob)という医師でした。日本語読みではさしずめヤコブ氏となります。長年ミルウオーキー(Milwaukee)の郊外で開業していました。専門は脚の整形外科。熱心なユダヤ教徒でありました。いつも住まいの側にあるシナゴーグ(Synagogue)で長老(Elder)として活躍されていました。次女がウィスコンシン大学の看護学部を卒業したとき開いたパーティに奥様とご一緒に参加してくださいました。残念なことに数年前に召されました。

これまでMrs. Jacobからは、ご子息らの成人の儀式、バー・ミツヴァ(Bar Mitzvah)の案内、9月には新年ロシュ・ハシャナ(Rosh Hashana)の祝いを頂戴しています。一度、ジェイコブ氏に連れられてシナゴーグ(synagogue)を見学させていただいたことがあります。シナゴーグとはユダヤ教の会堂のことです。キリスト教の教会の前身といえます。礼拝はもちろん祈りの場であり、結婚や教育の場、さらに文化行事などを行うユダヤ人コミュニティの中心的存在となっています。もともとは聖書の朗読と解説を行う集会所でありました。会堂に入るときは、男子はキッパ(kippa)とかヤマカ(yarmulke)と呼ばれる帽子を頭に載せることになっています。

ユダヤ教徒はタルムード(Talmud)と呼ばれる教典を学び行動するように教えられます。タルムードは生活や信仰の基となっています。家庭では父親の存在が重要とされます。率先して子どもに勉強させタルムードなどを教えます。子どもを立派なユダヤ人に育てたものは、永遠の魂を得ると信じられています。

クリスマス・アドベント その8 カンタータ第147番

もう一つのカンタータ(Cantata)をご紹介します。カンタータとは、イタリア語「〜を歌う(cantare)」に由来し、器楽伴奏がついた単声または多声の声楽作品を指します。今回は、カンタータ第147番です。「心と口と行いと生きざまもて(Herz und Mund und Tat und Leben)」と訳されています。140番と並んで人々に親しまれる教会カンタータです。この曲を広く知らしめているのが第6曲の「主よ、人の望みの喜びよ」の名で親しまれているコラール(Choral)で、ドイツ語では”Jesus bleibet meine Freude”という題名となっています。

カンタータ第147番は、新約聖書ルカによる福音書(Gospel of Luke) 1章46〜55節にに依拠しています。礼拝での聖書日課は「マリアのエリザベート訪問の祝日」となっていて、マリアが神を賛美した詩「マニフィカト(Magnificat)」が朗読されます。マニフィカトとは、聖歌の一つである「わたしの魂は主を崇め、わたしの霊は救い主なる神を讃える」という詩のことです。全部で10曲から構成されるカンタータ第147番の一部を紹介することにしましょう。

冒頭の合唱は、”Herz und Mund und Tat und Leben”というトランペットが吹かれる快活な曲で気持ちの良い合唱フーガ(Fuga)です。フーガとは対立法という手法を中心とする楽曲のことです。同じ旋律(主唱)が複数の声部によって順々に現れます。この時、5度下げたり、4度上げて歌います。これを応唱ともいいます。少し遅れて応唱と共に別の旋律が演奏されます。これを対唱と呼びます。次のレシタティーヴォも、オーボエなど弦楽合奏を伴うしみじみした響きで演奏されます。

第3曲のアリアは、オーボエ・ダモーレ(oboe d’amore)というオーボエとイングリッシュホルンに似た楽器の伴奏がつきます。少々暗い響きですが雰囲気が醸し出されます。第4曲はバスのレシタティーヴォが続きます。第5曲のアリアでは、独奏ヴァイオリンの美しさが際立ちます。ソプラノの響きも美しい。

そして第6曲がお待たせ「主よ、人の望みの喜びよ」のコラール。英語では「Jesus, Joy of Man’s Desiring」。主旋律と伴奏旋律が互いに入れ替わり、あたかも追いかけごっこをしているようです。どちらも主旋律のように響きます。いつ何度聞いても慰められる名高い曲です。

クリスマス・アドベント その26 Intermission ネットワークとLearning Management System

学校の管理職は、それぞれの部門がどのように機能しているかを把握すること、適切な指示を出すことだ。教員は部門の目標にそって自分が行っていることを報告することが要求される。いわゆる「ほうれんそう」だが、これもグループウェアで実現できる。管理職には実に便利なツールだ。

2000年代になると大学でもグループウェアが頻繁に使われていく。学生と教員との意思の疎通、スケジュール管理、課題や試験の管理、成績管理などに使われるのである。映像、音声、教材コンテンツが遠隔でも利用されるようになった。

筆者も指導する大学院生、学部生との連絡に、そして授業科目のシラバス、受講生との連絡、授業予定、課題の指示と評価にグループウェアが必要だと考えた。

いくつかの汎用のグループウェアに刺激されて、オープンソースも登場する。こうしたソースは通常、Learning Management System, LMS と呼ばれて、いわゆるe-Learningを後押しすることになった。兵庫教育大学では始めてこれを利用した。アメリカとカナダで開発された大学用のグループウェアを購入して使い始めた。院生らとでそのグループウェアの開発会社が主催した集会にも参加し、大学におけるLMSの事例をつぶさに観察した。

LMSの活用はアメリカの大学や教育委員会、そして現場の学校視察から得た知見が役立った。

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クリスマス・アドベント その25 Intermission ネットワークが学校に

米国での話。中位以上の市には教育情報センターがある。教員の研修や講習会、ネットワークの管理や維持、教材開発、他機関や企業からのサンプル教材や教育情報の調査などが主たる業務のようである。学校での利用にふさわしいとあれば、それをリソースセンター(図書館)を通して学校へ提供する。ネットワークが張られるからできることだ。

1980年代後半になると、どの教室にも端末が置かれる。教師も教育委員会からメールアドレスをもらうようになる。こうして教師は、自分の教室で教育委員会や学校長からの連絡はで直接読むことになる。毎日のメールや連絡事項、スケジュールをいやがおうでも読まなければならない時代がやってきたのである。こうしてネットワークにつながるコンピュータが登場すると学校内の連絡網は一変する。

学校の規模が大きくなると、全員が集まって意思の疎通をはかることが困難になる。組織が部門毎に小単位で動くようになる。部門や個人を結びつけ、それぞれがなにを行っているかを把握する仕掛けがグループウェアだ。

校長からの連絡などは、各自のコンピュータ上に流れてくる。教職員のスケジュールを管理する機能も使われる。誰がどこへいつ出張するのか、どのような会議が予定されているのかがわかる。設備備品の貸し出しなどの予約、会議室の予約状況を管理できる。こうした機能は学校全体のスケジュールに連動することが多い。また、会議に参加するメンバーを指定し、必要な書類を登録しておいて各自がそれを持参する仕組みもできる。議事録を保存し欠席した者が過去の会議記録を参照することができる。参照するか否かはわからないが、、、

文書などもいちいちコピーして配るのではなく、各自が画面で確認したりプリントできるなど、校務の効率化を計ることができるようになる。グループウェアは、皆がきちんと毎日目を通したり、書き込みをすることでその役割と機能が増加する。使うことを怠ると組織にも個人にも被害が及ぶ。「知ななかった」とか「連絡を受けていなかった」という言い訳はできなくなる。

やがて個別の指導計画(IEP)作成や指導に関する情報もネットワークで管理されるようになる。

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クリスマス・アドベント その24 Intermission ITと電子黒板

12月21日の産経の記事には驚く。インターネットをはじめ情報通信技術(IT)の開発や普及が進む中、教育現場でもIT活用が広まっているというのである。国は2020年までに、学校に1人1台のタブレット端末の整備を目指しているそうである。それに呼応するかのように、教科書会社などでもさまざまデジタル教材を開発しているときく。

こんな記事を読むと、まるで1990年代に戻ったかのような錯覚にとらわれる。教師側の習熟不足で“宝の持ち腐れ”になるなどの課題が懸念されている。さらに生徒が自分のタブレットを落としたり紛失しやしないか、他のタブレットにアクセスしてデータを書き換えたりしないか、ゲームに夢中になりすぎやしないかという心配である。

コンピュータが学校に導入された頃の話である。ある業者が「学校というところは実に甘い汁を吸えるところだ」といっていた。どうしてかというと、「一旦学校に納入した機器はメインテナンスフリーだ」というのである。機器は使われないので故障もなく、やがて3、4年で機器の更新がやってきてまたいい思いをする、というのである。その例が教室にある電子黒板である。

会計検査院は今年10月、国の補助金で学校に配備された電子黒板のうち、多くが活用されていないとして、文科省に是正を求める意見を求めたそうである。2009年度の補助金で学校に配備した7,838台の電子黒板の活用状況を調査したところ、半数以上の4,215台は毎月の平均利用率が10%未満であるというのである。そのうち1,732台はDVD教材を流すだけなど、電子黒板特有の機能が生かされていなかった。

活用していない理由を教師に聞いたところ、▽「操作方法が難解」17.4%▽「活用のイメージが持てない」12.7%▽「研修などが不足」12.5%など、教師側の習熟不足にかかわる理由が4割以上を占めたという。これは、教師の研修が盛んに叫ばれた1990年代に聞いた話ではないか。

現在、次の学習指導要領の主役として「アクティブ・ラーニング」が取り沙汰されている。「能動的学習」と訳されているようだ。わざわざこのように呼ばなくても「自主的学習」でいいと思うのだが。文科省では「課題の発見と解決に向けて主体的・協働的に学ぶ学習」ということらしい。「能動的学習」は観察や実験を通じて現象を確認し、「自分の考えを図に整理し、それを教師がタブレットPCで撮影し、いくつかの案を電子黒板に映して共有、学級全体の考えを分類し自分の考えと比較する」というのだ。新しいことといえば「タブレットPCで撮影し」くらい。「総合的な学習の時間」は舞台から去るのだろう。

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クリスマス・アドベント その23 Intermission ITとOSの悩み

医療界から教育界に目を向けて情報通信技術:ITの活用を考える。1987年にハイパーカード(HyperCard)という商用アプリケーションが爆発的に市場にでまわり、それが学校にも浸透し始めた。Machintosh上でカードを用い、カードとカードをつなぐリンクとしてはボタンを用いる。カードの上にはボタンの他にテキストや画像を配置することができた。プログラムを記述するにはHyperTalkと呼ばれる言語を用いる。「デスクトップ」、「メニュー」、「ボタン」、「アイコン」などを使うので、操作性に優れ、直感的な操作が可能となった。こうした環境はGUI(グラフィカルユーザインタフェース)と呼ばれた。

HyperCardでは、プログラムを直接記述しなくても教材を作ることができた。こうして、HyperCardはマルチメディアオーサリングツールといわれた。教師も親も簡単な教材が作れたのでHyperCardは一大文化のようなものを形成した。現在のKeynoteやPowerPointを見ていると、27年前に登場したHyperCard以来、進歩してきたとはさぼど思われない。

次から次へと新しいOSが登場し、そのたびにこれまで作成してきた教材が動作するのかはいつも話題となった。懸念したとおりHyperCardで作った教材はOSの変化ですっかりお蔵入りとなっている。IT時代とはいえ、OSとアプリケーションの互換性、そして機器の性能にはいつも悩ませられる。

初等中等教育は特にITの影響を受けやすい。上手に使えることができれば教育効果も高いはずである。だが、絶えず新しいITを追いかける習性があるのか、あるいは教師のIT活用技術が低いせいか、IT機器や教材は使われずじまいとなる傾向がある。
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