心に残る一冊 その79  「羅刹」

山本周五郎の作品を紹介しています。今回は「羅刹」という作品です。主人公の宇三郎は近江井関と呼ばれる面作りの師、かずさのすけ親信の門下生です。親信は京の三位侍従藤原糺公から「羅刹」の仮面の注文を受けます。「羅刹」とは仏教でいう守護神のことです。七夕会の催しでその面をつけて糺公は舞うのだというのです。

親信は三人の弟子を呼び、最も選れた傑れた仮面を作った者を井関の跡目とし、娘の留伊を娶らせるという条件で、羅刹の面のくらべ打ちを命じるのです。宇三郎はどうしても納得のいく面を彫ることができません。宇三郎を慕っていた留伊は、くじけそうになっている宇三郎に「あなたのほかに良人はありません」といって宇三郎を励ますのです。あるとき「羅刹」らしき面相を馬上の織田信長に見るのです。そして信長の姿を求めて京へやってきます。

本能寺の奥殿にまで身を挺して忍び入った宇三郎は織田信長の面貌に羅刹の相を見ます。そして信長最期の面を心に烙きつけのです。それを彫り上げて糺公に渡します。その面をつけてて舞う糺公を見た宇三郎は、踊り終えた糺公に平伏して云います。
「愚かにも百世にみる作と自負しておりました。然し、さきほど舞台に登る面を見ましたとき、私は増上慢の眼が覚めました。」
「これは名作どころか悪作の中の悪作、面作り師として愧死しなければならぬ邪徳の作でございます」

仮面は悪霊を退散させる羅刹の善性の面であるどころか、残忍で酷薄な形相であることを宇三郎は告白するのです。そしてその面を膝で打ち割ってしまします。それを聞いていた糺公と師匠の親信も宇三郎の言葉に深く感じ入るという物語です。