心に残る一冊 その62 「町奉行日記」 町奉行日記から

ある藩の江戸邸のことです。望月小平太という下級武士が主人公です。何人もが町奉行に任じられては解任されたあげく、着任前から悪評が高く無頼放埒な行動で知られた小平太に町奉行のおはちが回ってきます。小平太は着任以来一度も役所へ出仕したことがなく、夜になると役宅を抜け出し、飲酒や遊蕩に耽っています。彼は剣術にはたけていました。

壕外という一角がありました。そこは密貿易、売春、賭け事勝手な、町奉行には治外法権だったのです。主君の命令で代々の町奉行が壕外への手をつけ掃除しようとしますが、それがことごとく押しつぶされてしまいます。この壕外の撤去には国許の重職が反対していました。壕外の三人の親分が権益を握り、重職と長年結託してお互いに甘い汁を吸っていたのです。この三人とは難波屋八郎兵衛、大橋の太十、継町の才兵衛です。

重職らが壕外を潰そうとすることへの反対の理由はつぎのような言い分です。
「人家に厠が必要なように、人が集まって生活するとこには、必ず不浄な場所が出来る。それを無くそうとするのは自然に反する。」

町奉行の解任が続くなか、新たに任じられたのが小平太です。そして掃除をする番が回ってくるのです。彼は決して力尽くで壕外を潰そうとはしません。壕外をとりしきる三親分と兄弟分の盃を交わすという奇想天外な軟派政策によって、彼らを壕外から移転するのを承知させるのに成功します。三親分は家財を処理していずれかへ立ち退きます。いかなる理由かは誰にもわかりません。

小平太は役目が終わると奉行を解任されます。書役と呼ばれていた役所の記録係中井勝之助は次のように日誌に記しています。

「望月どのは着任前から悪評の高い人だったが、こんどの解任も着任以来の不行跡を咎められたらしい。それにしても着任から解任されるまで町奉行として一度も出仕されなかったのは、奉行所日記として唯一の記録であるろうと思う。」