ユダヤ人と私 その8 映画「Hannah Arendt」

映画「Hannah Arendt」を観た方はいるでしょうか。2012年のドイツとフランス合作の伝記ドラマ映画です。この映画のテーマは、ドイツ系ユダヤ人の哲学者であり政治理論家であったハナ・アーレント(Hannah Arendt)の「人間の知性には限界がある」という主張です。どいうことかを2回に分けて説明します。

映画はアーレントがアドルフ・アイヒマン(Adolf Eichmann)の裁判を傍聴するところから始まります。ナチスドイツの親衛隊中佐(SS)としてホロコスト(Holocaust)に関わったアイヒマンは、1960年に逃亡先のブエノスアイレス(Buenos Aires)でイスラエル(Israel)の諜報特務機関であるモサド(Mossad)によって逮捕されます。

この裁判は1961年4月、イスラエルのエルサレム(Jerusalem)で開始されます。アイヒマンは「人道に対する罪」、「ユダヤ人に対する犯罪」、および「違法組織に所属していた犯罪」などの15の犯罪で起訴されるのです。その裁判は世界に報道され国際的な注目を浴びました。多くの証言によってナチスによる残虐行為が語られ、ホロコストの実態がいかに醜いものであったか、ナチスの支配がいかに非人道的であったかを世界中に伝えられることになります。

裁判を通じてアイヒマンはナチスによるユダヤ人迫害について遺憾の意を表しながらも、自らの行為については「命令に従った」と主張します。さらに「戦争では、たった一つしか責任は問われない。命令に従う責任ということだ。もし命令に背けば軍法会議にかけられる。そうした状況で、命令に従う以外には何もできなかった。」と陳述するのです。そして「自分の罪は命令に従順だったことだ」とも弁明します。こうして、かつての親衛隊員に対して怨嗟していた傍聴者や報道機関を戸惑わせたといわれます。

ユダヤ人と私 その6 「栄光への脱出」

映画好きの私は、ユダヤ教やキリスト教関連のフィルムの場面を想い出すことができます。「十戒」もそうです。この映画の舞台は旧約聖書時代です。時代を経て現代の作品となりますと1960年制作の『栄光への脱出』(Exodus) となります。この映画は、シオニズム(Zionism)を信奉するユダヤ人たちのイスラエル建国までの苦闘を描いた物語です。『栄光への脱出』は、アメリカ人歴史小説家、レオン・ユリス(Leon Uris)の作品「Exodus」に基づいています。

監督は、オーストリアーハンガリー(Austrian-Hungary)帝国生れのオットー・プレミンジャ(Otto Preminger)、憂愁に満ちたテーマ音楽を作曲したのはアーネスト・ゴールド(Ernest Gold)。二人ともユダヤ人です。サウンドトラックの演奏はHenry Manciniで知られている映画です。「Exodus」とは「大量脱出」とか「集団逃亡」という意味です。「Exodus」のもともとの出典は、旧約聖書の「出エジプト記」です。

祖国を失っていたユダヤ人がキプロス島(Cyprus)に集まります。しかし、英国による対アラブ諸国への政策によって拘留されます。英国は、アラブ諸国を刺激させないため、そのような措置をとっていたといわれます。アリ・ベン・カナン(Ari Ben Canaan)をリーダーとするユダヤ人地下組織がキプロス島に潜入し、収容されている同胞を貨物船エクソダス号で脱出させる計画を実行します。

1947年11月、国連はパレスチナ分割を可決し、翌年ユダヤ人の国イスラエル共和国が誕生します。しかし、その独立によってユダヤ人とアラブ諸国の争いが本格化することになります。元ナチ将校らに指揮されたアラブ人たちはユダヤ人地区を襲撃し地下運動家らを殺すのです。双方が多くの犠牲者を出すなかで、それを埋葬するアリはやがてユダヤ人とアラブ人が平和に暮らせる努力をすることを誓うのです。

第二次世界大戦以前、多くのユダヤ人はシオニズムを非現実的な運動と見なしていたといわれます。ヨーロッパにいたユダヤ人自由主義者の多くは、ユダヤ人が国民国家に忠誠を誓い、現地の文化に同化した上で完全な平等を享受すべきと説きます。そうしたユダヤ人には、シオニズムがユダヤ人の市民権獲得の上で脅威に映ったようです。ハナ・アーレント(Hannah Arendt)もそうした思想家の一人です。