音楽の楽しみ その27  合唱曲の数々 「竹田の子守唄」

子守唄のルーツや背景を調べるといろいろなことが分かります。この「竹田の子守唄」もそうです。子守の仕事を歌う「守り子唄」です。なぜこの名前がついたかです。Wikipediaによりますと京都市の伏見区に竹田という地区があります。この曲は、この地区に伝わる守り子歌といわれます。

1964年に作曲家の尾上和彦が竹田地区で収集した民謡を編曲しこの子守唄が生まれます。尾上は芸術座公演「橋のない川」の音楽担当でした。「取材した部落の地名を名付けて舞台で発表したのがこの歌が広まる契機となった」といわれます。それゆえ「被差別部落の子守唄」とも呼ばれたこともあるようです。

なぜこのような呼称がついたのかですが、歌詞に出てくる「在所」という言葉が一つの誤解を生んだ理由といわれます。「在所」という用語は、広辞苑によると、「田舎、在郷、都会を離れた地方」とあり、「部落」とか「被差別部落」などは一言もありません。京都でも大阪においても「在所」は必ずしも被差別部落だけを指すものではないといわれます。

1971年2月にフォークグループの「赤い鳥」はこの曲を3年間でミリオンセラーとします。ですが何か腫れ物にでも触るような守り子唄という噂、被差別部落絡みという噂が流れて、各地の放送局はこの曲を放送しなくなります。いわゆる「放送自粛歌」として長い間封印されます。音楽は時に偏った思想に翻弄されます。

仮に「在所」が被差別部落であったとしても、この素晴らしい歌を積極的に紹介し、部落の人たちの苦しみを訴えかけること、人権を尊重するのがメディアの役割であるべきです。時代と社会とメディアの中で生まれ、なぜか沈んでいったこうした歌を考えると、社会とメディアの不気味な本質を垣間見ることができます。民衆の歌であり搾取されていた人々に生まれた子守唄を「放送自粛歌」にしたとは誠に恥ずべき措置だったといわなければなりません。幸い1990年代に放送禁止の封印は緩和されます。

アメリカの音楽であるジャズやブルースの歴史に奴隷制度という文化があるように、守子唄にも苦難に生きてきた女性の文化があるということでしょう。


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