初めに言葉があった  その23 「命の水」

50年前には水を店で買うことはありませんでした。その考え方がなかったのです。水はタダ、安全だと思っていました。確かに水道料は払っていました。蛇口から出る水はタダだったというのは実は間違いでした。

江戸時代、水屋という職業がありました。安い料金と重い水を運ぶので大変な商売だったようです。雨や風、雪、関係無しに1日も休む事ができません。大川といわれた隅田川の上流、神田上水と玉川上水からひっぱって桝という取水口で汲み上げた水を売り歩いていた人がたくさんいたようです。

落語の演目に「水屋の富」があります。千両富に当たった水屋が床下にぼろ手ぬぐいに包んでつっておいて水売りにでかけます。ですが泥棒から狙われるのではないかと、水を売っていても家に帰っても心配で寝られなくなります。案の定、富は盗まれてしまいます。「ああ,これで明日から寝られる」というサゲがきます。

水争いは長い歴史があります。江戸時代もそうです。大阪府域の村々の長きにわたる水争いの歴史もあります。山形の庄内平野は日本一の米。ここにも治水と利水を巡る争いや土地改良の歴史があります。「我田引水」は水争いの種となりました。歴史諫早湾の締め切り干拓を解除するかどうかが大きな問題となり、群馬県の吾妻川の八ッ場ダム建設問題があります。水争いが生まれる背景には、水資源の希少化があります。

地中海に流れ込む世界最長のナイル川も水配分の争いが続いています。スーダン、エチオピア、コンゴ、タンザニア、ケニアなどの流域国と最下流のエジプトとの水紛争です。上流の国は、水力発電、灌漑用水、生活用水など、自由な水利用を求めますが下流のエジプトが反対しているのです。

水は万物の源。水によって全てのものが潤います。水を巡る争いは古より今に至るまで延々と続いています。水の枯渇は世界中で取り上げられている大きな問題です。日本ではダムの建設による下流での水不足も心配されています。兵庫県の平野部には沢山の灌漑用の池が点在しています。空から見るとそれを実感できます。田畑が整然と存在するのはこうした調整池のお陰です。先日の寒波の影響で福岡県では未だに断水が続いているところがあると報道されています。漏水による水瓶の枯渇が原因のようです。

水への考え方は、店で水を買うという行為によって大きく変わりました。もっと美味しい水を飲みたいという私たちの嗜好の変化へ移っていきました。お茶や珈琲をより美味しくいただきたいという欲求も高まりました。美味しさへの憧れは止めることができないようです。

「命の水」とは、です。その意味は渇くことのないものということでしょうか。水は一時の渇きを潤します。やがてまた飲まなければなりません。渇くことのないもの、それは知識であったり智恵であったり、なにか目に見えない大事なことのようです。地上のものは、いわばすべて虚ろな、滅びるものです。しかし、「命の水」は豊かに人の心を満たすものです。それを私たちは追い求めています。


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