二文字熟語と取り組む その27 「字訓」

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「字訓」という辞典ですが、読み物としても実に興味ある内容で一杯です。白川静氏が生涯をかけて完成した著作の一冊です。「漢字を国語として使用し、その訓義が定着する過程を検証する書」です。「訓義」とは訓として使われる意味のことです。もとより「訓」とは音訓の訓のことです。字訓が国語表記の方法として一般に認められ定着するとき、その字は「常訓」というのだそうです。

こうした訓義が定着すると字音の使用が可能となります。山川、森林、広大、など字音のまま国語化されていきます。訓義によって字の意味を理解すると漢字を国字として理解することが容易になります。字訓の成立が国字の鍵となるというわけです。

次回に紹介する「奢侈」という語です。「奢」は人の正面形で人が他を越える様です。そこから自分の地位や才能が人よりすぐれているとして、他に向かって誇る、高ぶっていることを表すというのです。「ぜいたくをする」という意味もあります。「侈」の訓読みは「おごーる」、「ほしいまま」。詳しくは明日のブログをご覧ください。

二文字熟語と取り組む その26 「悋気」

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「悋気」(りんき)とは通常「やきもち」といわれます。囲碁にも「やきもち」がしばしば登場します。相手の地盤に石を打ち込んで地を減らそうとしますが、逆に損をしたり召し捕られるという手、これが「やきもち」。「悋」の意味は、やきもちを焼くということです。

「悋気」は囲碁のやきもちとは違い、男女の間のやきもち、嫉妬を意味します。落語の定番が悋気です。悋気の演目としては上方落語の「悋気の独楽(こま)」や「悋気の火の玉」、「締め込み」などがあります。いずれも本妻とお妾との間で、うろうろする商家の旦那を可笑しく演じるのです。「悋気の独楽(コマ)」では、丁稚や女中が本妻の指示で旦那の後をつけるのです。「悋気の火の玉」では、本妻と妾が相次いで亡くなり、お化けや火の玉となって現れれ、旦那をおちょくる噺です。「締め込み」は間男を疑う旦那がコソ泥から真実を教えられて夫婦喧嘩が一件落着となる噺です。桂文楽名人の芸は悋気を見事に表現しています。

「悋」の訓読みは、「おしむ、ねたむ、やぶさか」とあります。「吝」とも書きます。物惜しみをすることから「悋嗇」という熟語がうまれます。細かいとかけちけちする事です。政治資金流用疑惑は、「吝嗇」ということに尽きるでしょう。

二文字熟語と取り組む その25 「睥睨」

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この熟語は目偏から成る似た意味の語を並べてあります。「へいげい」と読みます。「睥」はからだを低くかがめてのぞくこと、「睨」も子どものような目つきで下から睨(にらむ)ことを意味します。「邪めに見るなり」ともあるように、斜めに物を見ること、横目で見る、にらむという意で用いられます。古くは城の上の垣根も「睥(膰)睨」と呼ばれていたようです。高い所から敵をうかがい、隙あらばとにらんでいる様子が現在の使われ方に転じたと「字訓」にあります。

以上、要約しますと「睥睨」は二つの意味があります。
1  にらみつけて威圧し勢いを示すことです。 その例は「あたりを-する」といった按配です。
2  横目で,じろりと見ること。また,にらみつけることです。流し目に見ることという意味でもあります。

昔から、示威的態度とか 高圧的姿勢は国と国、人と人との間で使われた戦術です。従わせるために脅しとか睨みといった具合に権威を誇示するのが世の常。今日は1945年6月23日に沖縄戦が終結し、それを記念する慰霊の日です。

二文字熟語と取り組む その24 「贔屓」

37b39fb9 e2978b0fe1734cf34d50f196ff147371 贔屓-3「贔屓」は貝を三つ合わせて、重い荷を背負う形を表します。「贔屓」の読みは本来「ひき」であったとあります。古来、贔屓は「力をおこす」とあり激しく怒って力が入る様をいいます。屓とは、鼻息を荒くすること、鼻息を荒くして力み、力を込めという意味です。中国では碑文の石の下で支える形に彫られた亀を「贔屓」と呼ばれます。その謂われはわかりません。

「贔屓」もう一つの意味は「ひいき」です。声援する意となります。熟語の「依怙贔屓」は、広辞苑によれば「自分の心のひくほうに力を添える、殊に目をかけ力を添えて助けること」とあります。頼りとする者、パトロンのことです。度が過ぎて一方だけに肩入れする意味に転じています。

「判官贔屓」は、「ほうがんびいき」と呼ばれ、「義経がいじめられた」ことがこの熟語の成立の根源となったとされます。弱きを助け強きをくじくという言動に対して喝采をおくる同情や哀惜の心情のことです。この態度は同時に、敢えて冷静に判断して理非を正そうとしない、かなり軽率な同情という形をとることが多いようです。

「贔屓の引き倒し」というフレーズもあります。「贔屓」の「ひき」から「引き倒し」の「引き」と掛けられています。「贔屓」をし過ぎると周りからの反感を買い、かえってその人の迷惑になることです。
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二文字熟語と取り組む その23 「独活」

udo d0013670_21153881 2688北海道から九州に至る日本各地に自生するのがウドです。中国や朝鮮にも広く分布するといわれます。美幌や名寄にいたとき、山菜採りでウドも持ち帰りました。岡山の友人から自生のウドが送られてきます。今はウドを探すのは難しいといっています。

多摩の立川や国分寺、小平付近でウドが生産されています。地下3メートル位に室を堀り、そこで育てる方法です。光を当てずに茎を白く伸ばすのです。関東ローム層や温度、湿度がウドの生育に適してるというのが生産者の談です。それが東京特産の「東京うど」、江戸伝統野菜となっています。

山菜のウドはタラノキと同じウコギ科。英語ではAraliaといいます。どちらも若芽は天ぷらとして料理されます。その他、ぬた、茹でたものを酢味噌で和えるのも美味です。あまり大きくなると食用になりません。高さ1.5メートルにもなりますが、茎が柔らかく弱いので建材にはなりません。「ウドの大木薪にならず、山椒は小粒でぴりぴりと辛い」という言い回しがあります。

ウドを人間に喩え、「図体はでかいが中身が伴わず、役に立たないもの」というのが良く知られています。ウドは古来の用字で「独活」と書きます。「字通」や「字源」には出てきません。

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二文字熟語と取り組む その22 「恬淡」

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今回は「恬淡」という熟語です。欲が無く、物事に執着しないこと、また、そのさまです。無欲であっさりして、名誉や利益などに執着しない状態です。「名利に恬淡な人」という使い方です。

「恬」の訓読みは「やすらか」とか「やすんずる」といいます。 平気でいることとか平然としているさまを意味します。部首のとおり心の状態を表します。「淡」はあわい、うすいという状態です。

「虚静恬淡」という四文字熟語があります。静かで落ち着いていて、欲がなくわだかまりがないことという意味です。「無欲恬淡」も似たような意味で「淡泊で欲がなく、物に執着しないさま」といわれます。同じ読み方で「無欲恬澹」という熟語もあります。「恬然」もよい響きをもっています。

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二文字熟語と取り組む その21 「矜持」

f0200795_15475284 kyouzi-yoko f0186852_834242「矜恃」とも書きます。読み方は「キンジ」か「キョウジ」。「字源」にある「矜恃」の由来の説明はなかなか手強いです。声符は「今」で、意府は「矛」とする漢字です。「矛」は「おおう」という意味から、矛を覆う柄という意味だそうです。侍や兵士を連想させます。

「矜」の訓はあわれむ、つつしむ、ほこるという意味です。「哀矜」といったように人の性情や態度をいう語として使われます。「矜持」はその代表格といえましょう。自分の能力を優れたものとして誇る気持ち、自負、プライドといった意味です。自分に固く自信をも持つさまです。「政治家としての矜持」、「矜持を傷つける」、「矜持を捨てる」といった按配で使われます。

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二文字熟語と取り組む その20 「沽券」

315e8c56f5c2354eb35480f579849507 fig-kajimaya0201-KajimayaHonten o0500033913424925571時代小説を読みますと、商いに関するいろいろな場面が登場します。江戸時代は士農工商の世相とはいえ、大火や災害、飢饉などによって材木や米を扱う新興の大商人が現れます。彼らはやがて豪商といわれるほど大きくなります。呉服と両替商を営んだ三井家や「現金掛け値なし」の店先売りで知られた越後屋、銅の製錬と鉱山開発にたずさわった住友家、酒造、廻船、両替などで繁栄した大坂の鴻池家などです。

徳川綱吉の元禄年間、幕府も諸藩の財政難を示しています。こうした財政難を支えたのが豪商による御用金というか貸し付けでした。これは別名「大名貸し」といわれます。諸藩だけでなく御家人の大半も借金があって、両替屋などに首根っこを押さえられていました。そして吉宗の「享保の改革」が始まります。

鎌倉時代に徳政令が始まったといわれます。債務の免除を命じた法令です。借金とか売掛金を「踏み倒し」することです。返済不能になると100年債にして払うというような取り決めも強制的に決められたようです。利息の支払いは打ち止めにされ、元本の支払いだけとなります。これはまさに「デフォルト」。幕府の苦し紛れの「財政の建て直し策」は緊縮財政を機軸としています。奢侈を戒め服装等に制限を設けたり、金や銀の含有率や形を変える改鋳もします。

土地や家屋などの売り渡しの証文のことを「沽却状」とか「沽券状」といいました。こうした諸権利を売却するとき,売主の発行する証文です。質屋の質札と同じ性質のものです。「沽」の語は、訓読みで売るとか買うという意味です。

「沽券」のもう一つの意味は、人の値うちを表す体面、品位、人品というものです。男らしくあることを前提とした男性の誇りを表現にしたもので、「沽券に関わる」とか「沽券が下がる」という言い回しです。現代は、この使い方が一般的です。「沽券」はなぜか女性には使われません。どなたかその訳を知っている人はおりませんか。

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二文字熟語と取り組む その19 「遁辞」

s821 忍者 t02200293_0240032010725127102新語の粗製濫造が激しい世の中でも、古語や新語、稚語や漢語、慣用語や新造語、新聞語や流行語が目立つ昨今です。特に外来語やその略語が多いようです。

今回の二文字熟語は「遁辞」です。手元の広辞苑によると「責任などを逃れるためにいう言葉、逃げ口上」とあります。その使い方のフレーズに「遁辞を弄する」があります。下々の私たちも、「忙しい」という遁辞をよく使います。時間の使い方が不十分であったり、優先順位などをつけないで過ごすことが「忙しい状態」です。

遁辞の他の例です。「責任を全うしたい」、「全身全霊で励む」などの空虚なフレーズが新聞記事に目立ちます。忍術の一つである「遁術」を使って「遁走」するかのごときです。

これ以上の恥の上塗りをしないで、隠退して「隠遁」生活をする、あるいは、「遁俗」という世俗を逃れて仏門に入る生活のほうがええのではないかと思うのですが、、、

ここまでが昨日まで認めた本日分の駄文です。ようやく首長からの辞職願いが受理されました。

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二文字熟語と取り組む その18 「揶揄」

gatag-00013609 hqdefault 3412最近の東京都政に関する会話では、冗談を言って相手を笑わせ、場を盛り上げることが多いようです。都議会での質疑や記者会見をみていると「お笑い」劇場のようです。つっこみを入れてもボケッとした対応が面白いです。「揶揄」される本人は、怒ったり抵抗することができないのが苦しいところです。「揶」は「邪」から分化した語です。

「揶」も「揄」ももともとは「からかう」という意味の漢字です。このように二重にからかわれるわけですから、「ちとがんばれ!」ともいいたい気分です。このような同じ意味の漢字を並べる熟語は多くあります。「愚弄」とか「静寂」、「喜寿」というように発音の流れや意味を強調するのが目的となります。

「揶揄する」という熟語に似た動詞に「なぶる」があります。おもしろがって人をからかったり苦しめたりすることです。また、もてあそぶように品物を触るという状態を指します。名古屋や京都では「なぶる」をよく使うときいています。「なぶり殺し」といった凄惨な響きの熟語もあります。

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二文字熟語と取り組む その17 「虚仮」

tokyo_map slide_485228_6662636_free 76893083「漢字は国語表記の上からは、国字である。音訓を通じて自在に表現するという方法は、わが国独自のものであり、文化的な成就といってもよい」。これは白川静氏の「字通」の序にある言葉です。「字通」と並んで白川氏が著した「字訓」という辞書は漢字の日本語としての読みをまとめたものです。漢字の意味を調べるとその由来や背景が解って、使うと使うほどのめり込む思いです。

今回は「虚仮」です。うそ、いつわりを指します。仏教からうまれた言葉で、「心の中は正しくないのに外見のみをとりつくろうこと」、内心と外相とが違うことを指します。1) 真実でない、2) 思慮の浅薄なこと、愚かなこと、またはそういう人、とあります。以上は名詞としての使い方です。

次に接頭語のような使い方です。名詞などに付き、見せかけだけで中身のない意を表します。むやみやたらに、あることやそのような状態であることをけなしていうの用いられます。例えば、「虚仮にする」はそうです。「虚仮の行」とは偽りの修業を指し、「虚仮の後思案」は、愚者は必要なときに知恵が出ず、事が過ぎてから考えがでるという按配です。なにか、昨日の都議会の総務委員会の雰囲気です。

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二文字熟語と取り組む その16 「莞爾」

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「字通」は甲骨文から今日の常用漢字まで、漢字を体系化した漢和辞典です。読み物としても時間を忘れるほどのめり込みます。毎回、この辞書を利用してブログを綴っています。

「莞」は、「まるみをおびる」とか「にっこりと」という意味です。「莞」は「いぐさ」とか「むしろ」という意味もあると「字通」にあります。「爾」は、「しかり」「なんじ」などの意味もあります。もともと人の正面形の上半身と胸部に文様をいれた字で、あざやか、華やか、美しいという意味です。

さて、「莞爾」の意味は「にこりとした様子」のこと、悠然とほほえむこととあります。「莞爾たる面もち」「莞爾として死地に赴く」といった使い方です。従って「莞爾として笑う」という表現は、「馬から落ちて落馬した」と同じで、使い方として適当ではありません。
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二文字熟語と取り組む その15 「俯瞰」

a0197899_11175355 tategukou2-01 map1-2何度も自分言い聞かせていることは、「自分で手書きできない漢字は使わない」ということです。難しい熟語や漢字はワープロではすぐに変換してくれるので、あたかも自分は手書きできるかのような気分になるのがいやなのです。意固地な態度です。

時の総理大臣が時々使うのが「俯瞰」という熟語です。「総合的に判断して」 とか「 全体的に見渡して」という代わりにこの熟語を使うと実にかっこええ、と言いたくなります。当人はこの熟語を手書きはできないだろう、とほくそ笑むのです。読者には「鳥瞰図」という熟語はどこかで出会ったことがあるはずです。図を上から見下ろすとか、高い山の頂立って下界を見るようなイメージが浮かびます。

「鳥瞰図」を立体化して横から見ると別な姿もあることを知るはずです。「俯瞰」の「俯」は伏すとか、うつむくという意味の語です。腹ばいになると庶民の姿も違って見えるはずです。「瞰」は、見下ろすという意味の語です。上からと腹ばいになって世相を眺めて判断するさま、それが真の「俯瞰」ということです。

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二文字熟語と取り組む その14 「出自」

src_28292541 images 09d2b29f077251d8eea47d45544cfbde数日前に掲載されたN経紙の熟語作成パズルの問題です。各、独、出、刀の下に付く漢字を入れる問題です。この漢字の下には、伝、首、然、決という自で熟語が作られます。答えは、「自」でした。易しい問題ですが、今回は熟語の「出自」を取り上げます。

「出自」とは、広辞苑によれば、「人の生まれ、出どころ」とあります。少々説明が簡明すぎるので、もっと調べてみました。文化人類学でこの「出自」が使われるとあります。「個人が出生と同時に組み込まれる特定の祖先を共通にする集団を決定する原理」というのです。この説明から、昔の身分社会や封建社会では「生まれ」が重視されることに納得がいきます。今も、貴族とか王族、公爵とか伯爵という世襲制度(Hereditary Peer)が存在するのは、この「出自」によります。

「自」は、いわずもがなですが、「みずから」という意味です。この由来は「人間の鼻」を表すといわれます。鼻と「出自」は無関係のようですが、事物の出どころ、人間でいえば「鼻」がそれにあたるという少々無理くさい解釈はどうでしょうか。人間としての、あるいは人生のある段階での出発点となっている元の所、それが「出自」であり「歴史」です。

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二文字熟語と取り組む その13 説明責任と「公序良俗」

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1981年に最高裁判例がでました。それは、N自動車における女子若年定年制事件に対してです。これは、「男女別定年制を定めた就業規則は、専ら女子であることのみを理由として差別したことに帰着するものであり、性別のみによる不合理な差別を定めたものとして民法90条の規定により無効である」というものです。男女差別は「公序良俗」に反するというものです。

「公序良俗」とは、公の秩序,善良の風俗の略語です。公の秩序とは国家社会の秩序を主眼とし,善良の風俗とは社会の一般的道徳観念を主眼としていわれることといわれます。両者をあえて区別するまでもなく、要はある行為の社会的妥当性のことを「公序良俗」と呼ぶのです。

男女別定年制という法律行為は、公の秩序又は善良の風俗に反するので無効だと最高裁は判断したのです。今ならとっくに違法とされる内容ですが、35年以上も前は男女の差別は酷かったということです。時代と共に公序良俗の観念と実態は変化します。

公の秩序は社会の一般的秩序であり、善良な風俗とは社会の一般的道徳観念を指すと解釈されています。法律や政治的行為というのは社会の一般的な秩序、または社会の一般的な道徳観念に適合していなければなりません。「公序良俗」の原則、特に公序は今回の都知事の公金流用にも照らすべきことです。

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二文字熟語と取り組む その12 公金流用と「信義誠実」

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有斐閣の「六法全書」を暫くぶりに広げました。北大時代に購入した50年以上も前のものです。「六法」とは、日本国憲法、民法、商法、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法といわれます。時が経っても「六法」は不動です。中身は少しは変わっただろうと察します。

さて、「民法典」と呼ばれる民法ですが、第1条第2項にある基本原則の条文が「信義誠実」です。これは信義則ともいわれます。第1条は3項から成ります。すなわち、
1  私権は、公共の福祉に適合しなければならない
2  権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない
3  権利の濫用は、これを許さない
というものです。

信義則は、別称として禁反言(エストッペル: estoppel)の原則、クリーンハンド(clean hands) の原則、そして事情変更の原則ともいわれます。禁反言の原則とは、自分の言動に矛盾した態度をしてはならない、という原則です。クリーンハンドの原則とは、自ら法を尊重し、義務を履行する者だけが、他人に対しても法を尊重することと、義務を履行することを要求ができる、という原則です。そして、事情変更の原則とは、契約を結んだ後に、その契約条件をそのまま当事者に強制することが著しく不公平になる事情が生じた場合には、契約条件の変更ができるという原則です。

信義則ですが、世の中には、できるかぎりの手を尽くしても、どうしても該当する規定が見つからないことがあります。従って他に論拠がない場合には、この「伝家の宝刀」ともいうべき「信義誠実」が登場するのです。

さて、今回の東京都知事の言動です。公的資金の疑惑に関して、弁護士団は「違法ではないが不適切だ」という結論をだしています。民法の1条2項では、私的取引においては、相互に相手方の信頼を裏切らないように行動すべきであるとうたっています。さらに権利濫用の禁止である第1条3項は、外形上権利の行使のようにみえても、権利の社会性に反する場合には、権利の行使は許されない、とうたっています。

果たして今回の都知事による公金の使い方に関する疑惑と弁明は、「いつわりなく、まめやかなこと」「行き届いて懇切なさま、まじめなさま」という「信義誠実」の原則に抵触しないのかということです。「伝家の宝刀」は「違法ではないが不適切だ」ということに抜かれるのが然りと考えられます。

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二文字熟語と取り組む その11 説明責任と「粉骨砕身」

image1 28 t02200391_0480085413650440840このところ二文字や四文字熟語が爛漫と花咲くようにニュースに登場しています。その代表は、「説明責任」(accountability)でしょう。Accountabilityという語が英語になったのは13世紀といわれます。大雑把にいって、「行動や結果、製品、決定、政策などの責任について承認をうける必要のこと」とされます。利害関係者に自分の活動や権限行使、内容、結果等を報告することです。しかし、Accountabilityの考えは、政治や交易においてエジプト(Egypt)、ギリシャ(Greece)やローマ(Rome)、バビロン(Babylon)の時代に存在したことがわかっています。

東京都知事というのは、政策の立案から予算の執行まで相当な権限を有する首長のようです。このような立場の人間が、「政治資金」で「クレヨンしんちゃん」の漫画を買ったとか、「回転寿司」で食べたとか、別荘や美術館に公用車ででかけていたなどが報道されています。何度も高額な海外出張をしていることも庶民の感覚からかけ離れているといわれます

「まだまだあるのでは、、」と多くの人々が思っています。こうした都民の「疑心暗鬼」とは、疑いの深さからあらぬ妄想にとらわれることです。まさに、「いもしない暗闇くらやみの亡霊が目に浮かんで、次々と疑わしく恐ろしくなる様」です。

さてこうした疑心暗鬼にとらわれている民に対して、知事の態度はどうかです。「粉骨砕身、都政の運営に努める」というのですから、これはもう「厚顔無恥」、「鉄面皮」といわれても仕方ないでしょう。言葉や態度などが丁寧すぎて、かえって不遜である「慇懃無礼」という熟語もぴたりとあてはまります。語れば語るほど嫌味でがつきまとい、誠意が感じられなくなります。

「骨を粉にし、身を砕くほど努力する」という言葉はきわめて礼儀正しく丁寧ですが実は尊大で、追求をかわして逃げ延びようとする姿勢が見え見えです。別荘を売る、給料を減額する、美術品や流用金を慈善団体に寄付するなどという言葉は、空疎な響きがあります。
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二文字熟語と取り組む その10 「氵」と漢

yamataikoku1 img9ed1db45zikdzj中学時代の教科書に、福岡県志賀島で「漢委奴国王」という金印の写真がありました。この金印によって中国の王朝と日本の交流があったことが裏付けられたという内容でした。「後漢書東夷伝」の記述では、当時中国の諸王朝は日本列島にあった政治勢力や国を「倭」とか「倭国」と呼び、その王の一人が卑弥呼であるとしています。

「倭」は中国に恭順の意を示すために貢ぎ物や人を送っています。当時の日本は「邪馬台国」だったそうです。まだ、文字が通用していなかった日本のことが、後漢書などで記述されていることで、畿内ヤマトや佐賀平野などの所在地論争というロマンが続くことになります。

今回の記事は、「漢」です。「漢」とは元々は長江の支流である漢水に由来する名称です。漢水は漢河ともいわれます。前漢時代と呼ばれるのは、紀元前206年から紀元後8年のことです。秦が滅び項羽との争いに勝利した劉邦が王となり都を長安におきます。後漢時代は紀元後25年から220年までで、都は洛陽におかれます。この時代に書かれた歴史書が「後漢書東夷伝」です。当時の日本を知ることができる唯一の資料ではないでしょうか。

「漢」の説明を広辞苑で調べると、「あまのがわ、中国の王朝名、前漢、後漢など中国の異称、晋の五胡が中原を乱したとき、漢民族の男子を罵って漢児と称したことから、男子、おとこ」などとあります。こうして、中国本土古来の民族や中国に関することがらから、沢山の熟語が生まれます。「漢民族、漢人、漢土、漢字、漢語、漢文、漢詩、漢学、漢籍、漢訳、漢方、漢風」などです。男子やおとこ、という「漢」からは、 「漢魂、好漢、悪漢、巨漢、怪漢、酔漢、暴漢、」そして「痴漢」という按配です。男は「漢児」とも呼ばれたようです。

「漢」または「水の流れていない川」をあらわす形声文字で「あまのかわ」ともいわれます。音読みは「乾」に通じるようです。
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二文字熟語と取り組む その9 「氵」と滋

p0092 wst1507300007-p2 76315_photo2私は昭和17年11月10日生まれ。父母は「滋」と命名しました。長男は「實」、三男は「守」です。太平洋戦争の最中です。緒戦は連戦連勝だったようですが、昭和17年6月のミッドウェー海戦 (Battle of Midway) があり、戦いの潮目が変わり、戦局はだんだん厳しくなります。父母はそのために「滋」、「守」とつけたと後で話してくれました。

「滋」という時は、水に恵まれて草木が茂り育つとか、潤す、ふえる、栄養になるといった意味です。「氵」と「艹」の両方がつく漢字はそうはありません。熟語として滋味、滋養など恵まれた字といえましょう。「茲」というのがJIS第2水準にあります。音読みは「し」、「じ」、訓読みでは「とし」、「しげる」、「ますます」とあります。

ついでに「慈」という字です。語源的には「友」「親しきもの」を意味する「mitla」という単語から派生したものであり,真実の友情,純粋の親愛の念を意味しているとブリタニカ事典にあります。仏教用語だそうです。いつくしむ、情けをかける、恵み深いという字です。慈愛、慈雨、慈善、慈母、仁慈などの熟語が形成されます。また、母のことは「家慈」というのだそうです。愛をもって苦しみを除くのが慈悲とか大慈です。どの熟語も感動的ですらあります。

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二文字熟語と取り組む その8 「氵」と漢字

1280px-Yangtze_River_in_Yunnan_02 sandstormepic10-1 39f6786fd39d819b4cf6a34597346574-546x410水部という部首は四画の25番目に置かれています。「川」は水の流れる形に象ります。通称は「みず」、「さんずい」、「したみず」と呼ばれています。川はまた仮名の「つ」、「ツ」の字源となります。中国は周の時代、水は平準器にも用いられたとあります。「準    (たひ)らかなる」「準を水につくる」といったようです。また、「水は準なり、川は穿なり」というフレーズも残っています。「穿」とは「とおる」、「つらぬく」というように川を意味しています。以上の説明は、白川静氏の「字通」にあります。ハングルでは水にあたるのは「물 (mul )」。

さんずいの代表格として「江」という語を取り上げます。「エ」は「左右にゆるやかにまがる」という意味です。水陸の交通路は長江、別名揚子江、全長6,300kmという世界三位の河です。成都、武漢、重慶などを流れ東シナ海に注ぎます。

「河」という語の「可」は激しい流水の音を写す語といわれます。その代表は黄河でしょう。「百年河清を待つ」河です。「河」と「川」と較べると天地の違いがあるほど「川」の存在は薄いです。それも揚子江と黄河という大河のせいでしょう。圧倒的な存在感を示すのが長江と黄河です。

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二文字熟語と取り組む その7 「人」と漢字

kokoro 31 12265060「人」という漢字についてです。「人という字は、人と人が支えあっている様を表す、、」ということをよくききました。「休」は「木の側に人が憩っているのだ」という説明もききます。同じようなことを「親」という漢字でもききます。「立つ木を側で見守る、それが親という字だ。」以上の説明は、余りにも俗っぽいというか、作り話のような気がします。そこで白川静氏の「字通」で調べてみましたが、以上のような説明は全くありません。「親」ですが、神事に用いる木を選ぶために切り出した木は「新」というのだそうです。その木で神位を作り拝することを「親」という、と白川氏は主張しています。

「人偏」を調べることにしました。取り上げたい漢字は他、仁、仏、夫です。全くランダムです。「他」の也とは不特定の対象という意味だそうです。也に人がついて人称化されます。次に仏です。仏とは「見ること審かならざるなり」という意味だそうです。仏さまは覚者そのもの。仏の連語から彷彿があります。ほのかにしてさだまらぬさまをいいます。

次に「仁」です。したしむ、めぐむ、いつくしむ、という人の最高の徳です。孟子の言葉では「人に(二)従う」というのが語源だそうです。ついでに「夫」ですが、「大」は人の正面の形で、頭に髪飾りの「一」をつけると男子の正装になり「夫」となります。その読みは「かの」です。夫人は文字通り夫の人です。夫は労務に服し、そこから「大夫」が生まれます。「大夫」は管理者だそうです。ついでに、先生のことを「夫子」という熟語で呼ばれていたと白川氏は書いています。

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二文字熟語と取り組む その6 国字と漢字

201010a3 2010112012505209f jitai-002中国から伝来した漢字ではなく、日本で作られた漢字は国字とか和字、倭字と呼ばれます。漢字の分類法の一つに「会意」があります。2つ以上の漢字を組合せ,両者を合せたものに近い意味と字形をもつ1字の漢字をつくる構成法のことです。「会意」によって作られた漢字を和製漢字とか和字と呼ばれます。この「会意」を意識すると漢字を覚えやすくなります。

「会意」の例ですが「木」であれば林、森、「車」であれば轟といった按配です。その他、凧や凪、凩など、身近なものとしていろいろとあります。「めとる」という漢字は「娶」ですが、「女」を「取」るという具合です。姑という漢字も古いと女が合わさっています。合点がいきます。

漢字の別な会意ですが、神道の神事で神棚や祭壇に供えられる植物が「榊」です。これもなるほどと頷けます。椋、杼、栢、樫、椚、椙、橿など漢字自体が意味を表すものです。

国字はもともとは中国の漢字の字体にならって新たに作られた漢字のこと。その特徴といえば、漢字は通常、音と訓読みがありますが国字には音がないのが通例です。畠、峠、粁、躾、鮨など音のない漢字が多数あります。

次に「国訓」です。漢字が日本語を表記するようになると、次第に漢字には、中国とは異なる意味や用法が現れてきます。それが「国訓」と呼ばれる姿です。「水」を訓で「みず」、「侵」を「おかす」と読ませることです。いわば日本製の字の意味のことです。「愛」とは立ち去るときに後ろ髪がひかれる心情の「いつくしみ」であり、国語では「かなしみ」となります(常用字解 白川静著 )。「杜」という字は「杜甫」という詩人や「杜絶」という熟語がありましたが、日本でモリと呼ばれるようになったのが国訓の例といえます。

二文字熟語と取り組む その5  大きな枡目の漢字

1nen maxresdefault k1-kuruma1放課後こども教室から学ぶことです。漢字の書き方を覚えるのに低学年は練習帳を使います。練習帳には範の漢字がでてきて、その下に10個の枡があります。枡目の大きさは2センチくらいです。やがて部首を意識できるようにするためでしょうか、十字の区切りが薄くでています。

どの子も何度も書いては消しています。中には声を出して書いている子供もいます。まだ熟語としては学んでいません。「青」、「空」を別々に学ぶのです。どうして「青空」を一緒にしないのかと思案してしまいます。「男」、「女」も別々になっています。画数が違うといっても「男女」を一緒に学ぶ方ほうがよいと思うのですが。

放課後こども教室では、隣あわせで友達と一緒に学んでいることに気がつきます。このほうが張り合いがあるのでしょう。一人での学習は自分の進み具合がわかりにくいこともあります。

宿題を終えると、早速外に飛び出して遊びに熱中する子、囲碁をやりたくて寄ってくる子。彼らは、「さあ、バトルだ」といって対戦相手を見つけます。「バトルってなに?」ときくと「闘うこと」と答えます。漫画やゲームの影響が強いようです。囲碁で大事な礼儀やマナーは二の次といった感じです。

小学一年は80文字、小学二年は160文字と取り組みます。身の回りの漢字が多いこともありますが、漢字に取り組む姿をみると読み書きは問題なく通過するはずです。吸収力が早いです。

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二文字熟語と取り組む その4  部首と漢字

info33 img019sk2ks-sコピー漢字は、偏(へん)、旁(つくり)、冠(かんむり)、脚(あし)、構(かまえ)、垂(たれ)などさまざまな「部首」で構成されています。たとえば、偏の一つである「さんずい」の漢字には「江」「洋」「汐」「池」「泳」「河」「港」「漁」「湖」「潮」など、水に関連するものが多いことを念頭におくと、理解がいっそう深まります。ちなみに漢字の「漢」も「さんずい」ですが、水とは関係ないように思われます。ですがこの字はもともと中国の「漢水」という川の名前を表す漢字として作られています。水と深く関わりがあることがわかります。ソウル市内にもハンガン、「漢江」が流れています。

「部首が無い漢字はない」ということを聞いて少々驚きました。どんな漢字にも部首はあるというのです。例えば、「上」とか「目」といった簡単な漢字は部首だけで成り立っています。漢字にはこうした部首が214個あるというのですから驚きです。

漢字を覚えるコツは、漢字辞典や漢和辞典を使ってこうした知識を深めることです。漢字の奥深さは部首にあるといえるかもしれません。部首をとおして漢字を探求的に学習することにしましょう。そして手書きができるようになると漢字が、不思議とパタンとして浮かび上がってきます。二字文字熟語も同じ部首から成るものが多いのに気がつきます。今日は、「部首が無い漢字はない」ということを「指摘」する「挨拶」で始めることにします。

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二文字熟語と取り組む その3  読書と漢字

B000_h27_02 kanji-11 edd006a22759d93681e0d173bb240567これまでなんども言っていることですが、私は毎日文字や数字を1,000字位手書きすることにしています。1,000字というと、このブログの一回分くらいです。ワープロばかり使っていると、新しい表現や熟語を手書きすることができないのです。手書きできない語いはワープロ化しないことにしています。「語彙」はワープロが勝手に画面に出してくれるだけです。私は「語彙」はまだ手書きできません。

ベネッセの「教育情報サイト」をときどき覗くのですが、そこに【漢字を覚えるコツ】とあって、その3には「読書しながら漢字を勉強しよう」というのがあります。私は「小説を読みながら覚える」ことにしています。いつもノートが脇にあって、知らない熟語や表現があると書き留めることにしています。

英単語の学習では、一つひとつ暗記するよりも、覚えたい単語が組み込まれた例文を覚えるほうが忘れにくく、実際に英語を使う場面で活用しやすくなると言われています。これは、文章中の他の単語との関連を一緒に理解できるからです。漢字の学習も同様です。文章の中にある漢字に触れることで、いわば脈絡や状況のなかで漢字を習得できます。誰もが得意な学習の仕方があるでしょうが、読書を通して漢字を学ぶ学習が推奨されます。

知らない漢字が出てきたら、その都度読みや意味を確認したいものです。「わからない漢字はノートに10回書く」などとルールを決めておくのです。読書ですが、漫画は子どもが読みやすいようにひらがなを多用しています。漢字の学習に適している材料かどうかは、わたしには解りません。

昨日の夕刊にあった二文字熟語のクイズは、背、心、濃、条、義、通、電、受が周りにあって、その中に「?」という漢字を入れると熟語ができるかという問題でした。幸い5秒で「?」の漢字がわかりました。ときどきどうしても解らないクイズもあります。

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二文字熟語と取り組む その2  佐伯泰英の時代小説と漢字 

img_0 iwane_edozoshi_03 200905271007120a8東京の街中、特に文京区、中央区、台東区などを歩く楽しみは堪えられません。文京区は、昔家庭教師をしたり社会教育館でアルバイトをしていたので、史跡を通してある程度の歴史や特徴を知ることができました。「文の京 (ふみのみやこ)」の名前の通り住宅の街ともいえそうです。大学の街でもあります。 孔子廟である湯島聖堂もあります。

中央区は、なんといっても日本橋や京橋など下町として栄えたことが特徴です。神田川、日本橋川、竜閑川、そして隅田川など水運によって栄えた下町です。銀座や築地はや東京湾の側です。銀座は名前のように江戸時代に銀貨幣の鋳造所があったのです。築地は埋立地です。佃島など関西とも通じる地名です。

台東区といえば、江戸時代を通じて、最も古い市街地の一つです。その代表格は浅草でしょう。寛永寺や上野公園、谷中の街並みや墓地も散歩にいいです。旧岩崎邸庭園も落ち着くところです。蔵前や浅草橋地区は人形の街。さらに玩具や衣料品、雑貨関係の卸も多数有ります。

江戸時代の文京区、中央区、台東区を知るには、古地図を調べるのもよいのですが、佐伯泰英の時代小説を読むと今の東京と昔の江戸の違いや変遷を知ることができます。その果実として、今まで書けなかった二字熟語の意味や使い方を学ぶことができます。

「巻紙も 痩せる苦界の 紋日前」という川柳にでてくる「紋日」という熟語は、知らなければ絶対に文章にしたり口にでることがありません。「紋日」とは遊郭において衣服を着替えるお祝いのことのようです。通常は客が費用を出してくれたようです。こうした表現を使えるかは、日本語も英語も全く同じで、この熟語を知っているか否かです。

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二文字熟語と取り組む その1 「放課後子ども教室」と漢字

o0800066410379335275 yytr khokago私は経済新聞を30年以上も購読しているのですが、経済や金融に強い関心があるわけではありません。ですが定年退職後は時間ができたせいか、経済は国民の生活に直結していること、景気が良くなったり悪くなったりすること、どうして物価が上がるのか、円安になるのか、企業の業績の上昇や下降はどうして起こるのか、貿易収支の黒・赤字などのからくりはなにかといった身近な話題に興味がうまれます。こうして退職後は、頭の体操の一環として投資や為替の動きに注目するようになりました。

今回の話題は、新聞の経済記事に関することではありません。漢字熟語についてです。新聞の夕刊には「熟語作成パズル」というのがあります。二文字熟語を作る問題です。どんな漢字をあてはめると周りを囲むすべての二字熟語ができるか、という問題です。時に難しい問題がでてきます。そのときは、辞書の助けを借りることにしています。思いもよらない熟語があることもあります。まだまだ知らない漢字、特に手書きできない漢字がたくさんあって好奇心がかき立てられます。例えば「天網恢々疎にして漏らさず」の「天網恢々」といった熟語です。

漢字の学習に関連してですが、毎週、月曜日と水曜日に近くの小学校で囲碁を教えています。この活動は「放課後子ども教室」の一環です。教室に行くと、子供達が一生懸命宿題をしています。囲碁を教える前に、宿題をみることにしています。彼らの多くは漢字や九九を学習します。大きな枡目のノートに教室で習った漢字を書いています。一年生から結構難しい漢字を習うのに驚きます。私は、一年生のときどんな漢字を学んだのかは全く覚えていません。宿題をやったという記憶もないのです。

一年生では80字、二年生では160字、そして六年生では181の漢字を学びます。六年間で1,006文字を覚えるというのです。この1,006文字をいろいろと組あせて無数ともいえる熟語を学ぶのですから襟を正す思いです。

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リベラルアーツ教育 その16 「合理的配慮」の「accommodation」

51RMK3lYG8L._SX347_BO1,204,203,200_ accommodation-clipart-can-stock-photo_csp13195031 img_02先日、「reasonable accommodation」にある「reasonable」とはなにかという話題を取り上げました。http://naritas.jp/wp1/?p=3501 今回はその続きで「accommodation」ということの意味についてです。

スイスの心理学者であり発達心理学者でもあるジャン・ピアジェ (Jean Piaget) は、子供の思考の発達段階を認識論 (Epistemology) からたどり、同化 (assimilation) と調節 (accommodation) という仮説をたてます。どういうことかいいますと、同化とは環境を自分のなかに取り込む働きであり,調節とは自分を環境に合わせて変える働きであるというのです。

 

 

 

 

 

同化は,子供の行為であり、周りの事象を理解し自分の知識へ取り込む働きのこととされます。他方、調節は,子供が環境へ適応するために、子供が学んでいる既存の体系に修正を意味するということです。ここからわかるように「合理的配慮」の「raccommodation」とは子供自身の主体的な環境との関わりを示すことばであることがわかります。つまり、子供が「柔軟な工夫や対応」をする行為といえます。

もっと広く法律や医学、ライフサイエンスなどの分野でも「accommodation」という用語は使われます。例えば、生命保険の領域では、「accommodation」は適応とか利害の調停や和解などとして使われます。 「arrange an accommodation」つまり調停をはかるといった例です。法令では、「収容」とか「便益施設」という意味でも使われます。眼科では遠近調節といった使い方をします。ライフサイエンスでは、順応ということばが使われます。それは「accommodation to urban life」というフレーズに言いあらわされます。

日常生活における「accommodation」の使い方ですが、「It will be an accommodation if you will meet me at the station.」という文章があるとします。これは、「駅まで迎えにきてくれれば有り難い」という意味です。迎える行為が「心地良い対応」とか「便宜をはかってくれること」となります。ニュアンスとしては、迎えにきて貰う側の立場にたつ表現です。

アメリカ障害者法 (Americans with Disabilities Act: ADA) における雇用などに関する「合理的配慮」の概念として、障害のある人々に障害のない人々と同等の対応をすること、あるいは適切な工夫や対応をすることが「reasonable accommodation」であると説明されています。公平と平等という社会的規範のもとで、企業の経済的合理性という妥協も生まれるのは確かです。そのため曖昧で無意識な和解や便宜的な措置がなされる可能性もあります。障害当事者団体が警戒するのが「合理的な措置とか対応」ということなのです。福祉的で恩恵的なイメージが「reasonable accommodations」にもあるということです。

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Delwyn Harnisch 追悼 その二 アメリカ研修から

visit_union USA_ne_UNLlogo 573f94dcce68c.image2007年2月17日〜26日にネブラスカ、カンザス、アリゾナの学校を視察しました。教育委員会から派遣されていた現役の教員7名を引率した視察旅行です。私は毎年、海外の学校を調べるために院生に呼びかけて参加を促してきました。こうした旅行を快適にし充実させるのは、海外の人脈を頼ることでした。人脈は海外の学会で会った研究者、友人の紹介、ロータリークラブ、フルブライト交流事業の研修で知り合った教育関係者などです。

訪問する学校を事前に決めるには、こうした人脈を使い相手に訪問目的などを伝えます。ほとんどの場合受け入れてくれます。こうした人脈は「Old boy connection」というのですが、アメリカもコネが強いところですからこれを使わないといけません。門前払いを避けるためです。予定していた学校の訪問がキャンセルされたとき、飛び込みで学校を訪問したこともあります。訪問の理由を伝えると校長は「どうぞ、どうぞ」といってくれます。

以下は、今から10年前にDelwyn Harnisch教授がお世話してくれたネブラスカやカンザスの学校を訪問したとき、事前に院生に配布した旅行メモです。今から考えると少々くどいかという印象です。

——————————–

1 持ち物の確認
・パスポートは死んでも忘れない。パスポートの期限を確認すること。
・大きなスーツケースを避けて、スポーツバッグなどにする。
・バッグに名札と目印となるリボンなどをつける。
・英文の名刺を持参する。
・ホテルにスリッパや寝間着はないので持参する。
・学校訪問用の上着とネクタイ
・服装は冬姿 仙台-札幌くらいの寒さと考えれば良い。

2 集合時間と場所
・2月17日午後3時、集合場所は関西空港3階出発ロビーのUnitedのチェックイン周辺
・便に遅れそうになったら、必ずUnitedの係員に連絡すること。万一遅れた時は翌日の便でくること。

3 現地での万一の連絡先–以下の受け入れ者、あるいはホテルに電話すること。
リンカン市 Delwyn L Harnischさん 日本滞在2年
住所 1635 S. 84th St. Lincoln,
自宅電話 (402) 488 xxxx

キャンザスシティ市 Jim Wieseさん 日本滞在25年
住所 5021 NW  66th St. Kansas City,
自宅電話 (816) 746 xxxx

4 ホテル名 なにかあったらメッセージを残すこと。
Chase Suite Hotel  リンカン市
200 S 68th Street Pl, Lincoln, NE
(402) 483-4900

Econo Lodge Kansas City Airport キャンザスシティ市
11300 Northwest Prairieview Road, Kansas City
(816) 464-2816

Comfort Suites Tempe, フェニックス市
1625 S. 52nd St., Tempe, AZ
(480) 446-8080

5 旅行予定
2月17日
午後3時 関西空港3階出発ロビー
午後7時頃 オマハ空港着 レンタカー 約1時間でリンカン市へ
午後9時頃 リンカン市内Chase Suite Hotel着

2月18日
午前9時15分 ルーテル教会のバイブルスタディと礼拝
午後1時 市内中華レストランで旧正月ブランチ
午後 ネブラスカ大学恐竜博物館見学

2月19日
午前中 ネブラスカ大学特殊教育講座の教官と協議
午後  未定
夕食 日本食レストラン

2月20日
午前 リンカン市内小学校
午後 リンカン市内中学校
午後4時 キャンザスシティへ出発、約3時間
午後8時 キャンザスシティ Econo Lodge Hotelにチェックイン

2月21日
午前 キャンザスシティ市内小学校
午後 キャンザスシティ市内中学校

2月22日
午前9時 レンタカー返却 10時54分キャンザスシティ発 デンバー経由
午後15時23分 フェニックス着 レンタカーで Comfort Suite Airport Hotelチェックイン

2月23日
午前 テンペ市内小学校
午後 テンペ市内中学校(高校の可能性もある)

2月24日
休養 グランドキャニオン見学

2月25日
フェニックス発 サンフランシスコ経由 山本さんとシスコでお別れ
2月26日 関西空港

6 航空便名
2月17日 KIXSFO UA886 (16:55-09:20)
2月17日 SFODEN UA862 (10:42-14:04)
2月17日 DENOMA UA1240(15:55-18:16)
2月22日 MICDEN UA5325(10:54-11:41)
2月22日 DENPHX UA1455(13:30-15:23)
2月25日 PHXSFO UA1651(07:25-08:29)
2月25日 SFOKIX UA885 (11:24- 2/26 16:20)
2月26日 関空着  (16:20)

7  その他
1 コミュニケーションのマナーです。
・大きな声でゆっくり尋ねたり答えたりします。発音は気にしない。(松田さんを見習うと良い(^^)
・相手の目をみて、動作は少々きざでも堂々と振る舞いましょう。
・答えははっきり、微笑は控えめに。
・質問を絶えず用意しましょう。
・沈黙は無関心とか無能力者と受け取られます。絶えず質問する姿勢を。

2 運転上のマナーです。
・歩行者がどんな場合でも絶対の優先であることを肝に銘じる。
・譲られたときは、決してthank you のクラクションを鳴らしてはいけない。ましてやハザードランプをつけることも全く不用である。そんな習慣やアメリカにない。
・信号のない交差点で横断しようとする人や歩行者を見たら必ず停まる。
・雨の時や午後3時以降は必ずライトをつける。
・夜交差点で一時停止するとき、ライトは決して消してはいけない。
・右折の場合だけ、歩行者がいないときや左から車が来ないときは赤信号でも右折できる。
・万が一事故の時は、警察がくるのを待つ。交通事故や違反のときだけは絶対に自分の非を認めたり、謝ったりしてはいけない。警察と保険会社が処理してくれる。
・制限速度は必ず守る。パトロールカーが多いので注意すること。
・駐車は必ず頭から停める。バックで決して停めないこと。
・レンタカーの契約書に記載された者以外は運転してはならない。
・お年寄りの運転が多いので、ゆっくり後をついて運転すること。追い越しは禁物。
・ハイウエイでは右側を運転する。追い越し車線は左側である。
・万が一パトカーに捕まったら、「アメリカで始めての運転であること」、「スピードメータがマイルでなくキロだと思った」、「アメ車はすごく運転しやすい」、「日本の道路と違って幅広くついスピードがでた」などと英語をたどたどしく操り、うまくとぼけると許される場合がある。この場合は、相当な演技力を要求される。もし、この演技がばれたら大変なことになる。
・バス停にバスがとまって乗客が乗り降りしていたら、決して追い越してはいけない。特に駐車中の黄色のスクールバスは厳重にこの規則を守ること。
・信号が黄色に変わったなら直進してはならない。
・オールストップの交差点(Yieldの標識がある)に信号はない。この交差点に来たら、必ず停止する。そして最初に交差点に入った車から順に発信する。
・最後に、日本でのマナーは通用しないと思って間違いない。周りの運転手のマナーを見ながら運転すること。

以上です。

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Delwyn Harnisch 追悼 その一

57CX3747 57CX3750 57CX3733昨日の朝、メールを開くとネブラスカ大学の友人が亡くなったとありました。彼の名前はDelwyn Harnisch。ドイツ系移民の名前の持ち主です。子供四人にもドイツ系の名前をつけていました。小さいときはネブラスカのど田舎にある複式学級で勉強したようです。その後、努力してイリノイ大学の基幹キャンパスであるアーバナ・シャンパン校(University of Illinois at Urbana Champaign) の教授となります。教育測定評価の専門です。日本には1998年にNECの研究所に招かれてS-P表というテストの結果の評価法を広めます。私が彼を知ったのはこの評価法です。その後、私は研究費に応募して彼を兵庫教育大学の客員研究員として3カ月招くことができました。

やがてDelwyn Harnischはネブラスカ大学リンカーン校 (University of Nebraska at Lincoln) から招聘状を貰います。アメリカの大学では、欲しい研究者の収入などを調べているので、現在の待遇以上の条件を提示します。例えば1.5倍の給料をだすとか、これこれしかじかの研究環境を用意するなどです。招聘状をもらう研究者は、提示された待遇、大学の研究設備、同僚となるスタッフの研究状況、子どもの教育環境などを調べ、自分の研究にも家族のためにもプラスになるかなどを考慮します。

Delwyn Harnischは、招聘状をもらったときイリノイ大学に残りたかったそうです。なぜならシカゴやニューヨークなどに近く研究環境として恵まれていたからです。そこで、学部長に会い「1.5倍の給料でネブラスカ大学からオファーがきているが、もしイリノイ大学が今の給料を上げてくれれば、残りたい、」と交渉したというのです。

ところが学部長は「残念ながら予算がないので、給料を上げるわけにはいかない」と言ったのでネブラスカ大学へ移ることにしたのだそうです。このように、さばさばと交渉できるのがアメリカの大学の面白いところです。また学部長も予算やスタッフの給料を決める権限があるのは興味深いことです。

Delwyn Harnischは地元のルーテル教会の熱心な信徒でもありました。公私にわたっていろいろお世話してもらいました。例えば、教員として派遣されている兵庫教育大学の院生を引率してネブラスカのリンカーン市の学校を視察したり、友人を紹介してもらい一緒に研究することができたこと、日本からの研究者を暖かく引き受けてくれたことなどです。その間いろいろなエピソードもあります。次回はそれを紹介します。

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リベラルアーツ教育  その15 リベラルアーツと技の基本

140124428837240382226 soukan-zu_edo img20090912204543227中世ヨーロッパの学問の科目や16世紀の日本におけるイエズス会のセミナリオで実践された宣教師養成のカリキュラムから、リベラルアーツの源流や発展の足跡を辿ってきました。世界のどの国でも人材の養成には、基礎となる学問をきちんと課していたことがうかがえます。

学問の世界だけでなく、武芸を磨くことでも共通した鍛錬方法があることが解ります。佐伯泰英の時代小説の中で「居眠り磐音ー江戸双紙」を第一巻の「陽炎の辻」から最終巻の「旅立ノ朝」まで読んだのですが、そのなかに剣術と精神の集中の奥深さが随所にでてきます。主人公は坂崎磐音という剣術家です。彼は江戸での修業を終えて豊後関前藩に戻ると罠にはまり、上意によって朋輩をやむなく斬り、関前藩を後にして再度江戸で暮らし始めます。やがて直心影流佐々木道場で佐々木玲圓という師匠のもとで術を磨きます。玲圓が不運の死を遂げると磐音が道場の師範となります。

佐々木道場に槍折れの使い手である小田平助が客分としてやってきます。道場の門番を務めるながら、下半身を鍛えるための槍折れを特技としています。槍折れとは犯罪者を捕縛するための棒を使った捕手術で足腰を鍛えるのです。磐音はこの槍折れを剣術に必要な体力作りの基礎として取り入れるのです。

しかし、道場にやってくる門弟、特に武士は棒折れなどを下士の武芸と蔑み、決して棒術に手をだしません。平助は、棒折れの稽古を弛まず続けると足腰がしっかりしとして、剣術の基となる体の線がぴたりと決まりると手本を示しながら教えをつけるのです。磐音の一人息子、空也も7歳のときから平助に棒折れを学び、13歳でようやく道場入りを認められます。そこから本格的に剣術を学ぶことが許されます。

司祭アレッサンドロ・ヴァリニャーノもまた、セミナリオに入学を認められやってくる若者に規則正しい日課や団体生活をとおして、日本語とラテン語の読み書き、日本の古典の知識、歌唱や器楽演奏を教えるのです。教授陣には禅宗の考え方を規範として教導していきます。宣教活動の基本は日本人の習俗や文化、振る舞い方や態度の理解に始まるという考え方を徹底していきます。ヴァリニャーノの考えが正鵠を射るのは、「将来の専門分野を見定めるための準備とする教育」リベラルアーツをしっかりと身につけていたからといえましょう。

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リベラルアーツ教育  その14 ヴァリニャーノの偉大な貢献

20151007062203 kakured Ganjin_wajyo_portrait司祭アレッサンドロ・ヴァリニャーノ (Alessandro Valignano) の九州や京都、大阪における宣教活動を「日本巡察記」という著作から振り返っています。ポルトガルやイタリアから大西洋を南下し、喜望峰からインド洋を通り、マラッカ海峡から北上して島原半島に上陸するのです。その航海は「波涛千里洋々と、東にうねり西に寄せ日出ずる国へ」の旅だったろうと察します。バルチック艦隊のようですが、いかんせん帆船で風まかせです。時に遭難しそうになり、港に戻るということもあったようです。

そうした困難を克服して、アジアの東端日本にやってくるのですから、宣教師らの心意気が伝わります。もちろん貿易上の利権争いや植民地化などの覇権争いが陰にはあったろうと察しますが、命がけの航海は重大な使命感がなければなし得ない事業であったはずです。

私がこの著作に惹かれるのは、ヴァリニャーノがいかに日本伝道で苦心し、日本人の会衆を導いていったかということです。異境の地での伝道は冒険です。文化も言語も全く異なる世界で、いかに人々を改宗させるか、その戦略を考えるとき、禅宗の教えに宣教の鍵を見いだすという彼の非凡さには驚くほどです。

日本には、古くから海外から渡来した人々によって文化や宗教がもたらされました。たとえば、百済からやってきて千字文と論語を伝えたとされる王仁、奈良時代に日本への渡海を5回にわたり試み、日本における律宗の開祖とされ、やがて唐招提寺を建立する鑑真、1549年に日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエル (Francisco Xavier) など国の制度の確立や民族の精神性や文化の発展に寄与した人々がいました。

ヴァリニャーノの「日本巡察記」は、江戸幕府によってキリスト教徒がやがて禁教や迫害など、辛い時代を迎えることを予見する比類のない資料価値を有する著作であり、安土桃山時代と江戸時代を研究するうえで不可欠な資料であるのは間違いありません。

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リベラルアーツ教育  その13 セミナリオでの日課とラテン語の学習

img_0 15eu102_3143 800px-Pcs34560_IMG_1985安土桃山時代、司祭アレッサンドロ・ヴァリニャーノ (Alessandro Valignano) は、イエズス会によって日本に最高監督者として派遣されます。巡察師という職命を受けたヴァリニャーノは、日本伝道という使命を果たすためには、同僚のイエズス会宣教師の態度や行動が極めて大切であることを理解していきます。そして日本人と親交を結ぶにはどのような心得が必要なのかと腐心するのです。やがて、行動の規範とすべき基は禅宗であることにゆき着きます。

さて、ヨーロッパからの宣教師によって指導される若き日本人はセミナリオやコレジオでどのように学んでいたかです。夏の間は4時半に起床し、祈祷してからミサ聖祭に参加します。その後、座敷の清掃です。6時から7時半までは学科の勉強。年少の者は教師の指示でラテン語の単語を学びます。暗誦したかどうかは、読み聞かせによって確認し、宿題も点検されます。年長者は年少者の学習を点検したりします。

9時から11時までは食事と休養です。11時から2時までは日本語の読み書きをし、すでに習得している者は日本文の書状を認めたりします。2時から3時までは唱歌や楽器の演奏を学び、その後休養です。3時から5時までは生徒は再びラテン語の勉強にはいり、文章を書いたり朗読したりします。5時から7時までに夕食をとり休息します。7時から8時まで再びラテン語を復習し、年少者は日本の古典を学びます。8時には夕べの祈りをし就寝となります。

土曜日の午前中は、その週に学んだラテン語や日本語の読み書きなどの復習にあてられ、その後は自由時間となり散髪、入浴、告白の時間となります。日曜日や祝日は別荘か野外で休養したり自由時間を楽しみます。団体生活は規律に従って行われていたことがわかります。

やがてミナリオを修了した者から、伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティノが選ばれ、ヴァリニャーノらに率いられて1582年にローマ教皇、スペインとポルトガル両王に謁見することになります。彼らは大友宗麟、大村純忠、有馬晴信の名代でありました。これが天正遣欧少年使節です。

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リベラルアーツ教育  その12 「日本巡察記」と日本人の風習と形儀

iiqajtirvN images 20130531094501イエズス会の司祭アレッサンドロ・ヴァリニャーノ (Alessandro Valignano) は、イエズス会が日本に最高監督者として派遣した巡察師です。安土桃山時代のことで、織豊時代ともいわれます。まだ各地に戦国大名が割拠していた時代です。織田信長が存命中は、イエズス会は筑前、筑後、肥前、肥後、豊前、豊後、畿内などで宣教を許されていました。

宣教活動が可能になったのは、大村純忠、松浦隆信、有馬鎮貴族、大友宗麟、小西行長、高山右近らの切支丹大名から厚い庇護を受けていたからです。しかし、同時にヴァリニャーノはこうした大名から、在日イエズス会宣教師の非日本人的態度について注意を受けていました。そのため、同僚の宣教師を教導するために日本の風習や形儀に関する心得書を著す必要を認めていました。

イエズス会員の間では、日本で仏教の僧侶のような習慣や儀礼を守ることが適切であるかどうかが討議されます。日本の風習はヨーロッパのそれと異なり、日本国内では欧風では無礼にあたることが生じて、順調に伝道できないことがわかってきます。そこで巡察師ヴァリニャーノの名によって日本人自身の手で適当な心得書が作製されるべきことが決められます。

ヴァリニャーノは日本の習俗や習慣を深く調べ、日本の宗教から範例を採用するにあたり禅宗を選びます。禅宗こそが日本の社会ともっとも密接な関係があり、参考とするにもっともふさわしいと考えたのです。他にも、大友宗麟がもともと禅宗に帰依していたことも知っていました。織田信長の時代は禅宗は勢いを失っていましたが、なお、日本での仏教の中で有力な宗派と考え、臨済宗をもって日本のおけるイエズス会の秩序を定める際の規範として選びます。

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リベラルアーツ教育  その11 「日本巡察記」と日本人の宗教的素質

A-Valignano worldheritage u01-1ローマイエズス会の司祭アレッサンドロ・ヴァリニャーノ (Alessandro Valignano) 「日本巡察記」の二回目です。この書物はイエズス会が日本に最高監督者として派遣したヴァリニャーノのイエズス会総長にあてた日本伝道に関する報告書です。時代は1580年代です。

ヴァリニャーノは、当時の日本人の宗教に対する素質や宗教的な生活を立派に続けていく素質を疑っていません。日本人が宣教師と必要な素養を三つあげます。第一は天分、第二は堅固な根気強さ、第三は徳操と学問です。ヴァリニャーノはこの三つの素養が日本人に備わっていると断言します。短い滞在ながらその観察眼には驚かされるほどです。

特に取り上げたいのは学問についてです。セミナリオやカレジオではラテン語が重視されます。ローマの公用語であり学問で必須の科目でありました。聖書がラテン語で書かれていたからです。日本人にとって極めて新しい言語で、用語が日本語にないこと、文法が日本語とは異なることなど、習得にがはなはだ困難であったにもかかわらず、日本人は非常に鋭敏かつ懸命で思慮深く、よく学ぶ態度に驚嘆した、とヴァリニャーノは記します。子供でも大人と同様に3、4時間も席から離れず熱心に勉強する姿勢にも心がうたれたようです。

日本語の習得が難しいのと同様にラテン語を日本文字で書いて習得し、楽器を奏でたり歌うことを学び、意味が分からなくても容易に暗誦するとも記しています。ヴァリニャーノは、こうした日本人の天性や根気強さ、学問の高い吸収力などを観察しながら、ラテン語文法が日本語で説明され、将来辞書や参考書が作られれば、ラテン語を短期間で習得するのは間違いないとさえ断言しています。

それと同時に、イエズス会の修道士や教会の奉仕する人々とは通訳を介して話をしなければならず、ポルトガル語を話したり理解できる者がいないことを嘆いていました。そこで、ヨーロッパからの司祭達が日本語を学べるようにすることの必要性を感じます。そうした動機によって日本文典と日本とポルトガル語 (葡萄牙) 辞典を作製します。

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リベラルアーツ教育  その10 「日本巡察記」とヴァリニャーノ

135_201511292200473fd 20090821164253 02_1photo02現在、1579年から三度に渡り来日したイエズス会の司祭アレッサンドロ・ヴァリニャーノ (Alessandro Valignano) 「日本巡察記」を読んでいます。この書物はイエズス会が日本に派遣した最高監督者であったヴァリニャーノが、ローマのイエズス会総長にあてた機密に属する報告書です。

本書は、当時の日本のキリスト教内部の深刻な諸事情や宣教師達の想像を超える苦悩、解決を迫られる日本とヨーロッパの風俗や習慣、文化の違いにいかに順応しなければならなかったという問題、日本人宣教師の養成とその難しさなど、宗教学的にも文化史的にも極めて興味ある日本の切支丹史の内面を描いています。

三度に渡って来日し、巡察師としての職命を帯びるということは、日本が宣教の地として可能性を秘めながらも困難な異教の地であることを知っていたからだと考えられます。巡察師というのは、布教先における宣教師や会衆を指導し、布教事情を調査し報告するために派遣される職名です。ローマと極東の間の通信や連絡は容易なものではなく、報告を作りその回答をローマから得るには数年かかったと思われます。そのために、巡察師の使命は強大な権限が与えられていました。

日本イエズス会布教区の責任者はフランシスコ・カブラル (Francisco Cabral) という司祭でした。日本人の性格について偏見に満ちた見解を持ち、日本文化に対して一貫して否定的であり差別的でありました。やがて日本人信徒と宣教師たちの間に溝ができていきます。カブラルは日本語を不可解な言語として、宣教師たちに習得させようとせず、日本人に対してもラテン語もポルトガル語も習得させようとしなかったとされます。しかし、巡察師ヴァリニャーノは、日本文化の尊重という姿勢をとり、外国人宣教師が日本語と日本人の礼儀作法を学ぶことの重要性を指摘し、カブラルを強く批判して、やがて布教長のカブラルを解任します。

日本のイエズス会は、早くからマカオにあったイエズス会に報告書を送っていたといわれます。ヴァリニャーノ は、大友宗麟、有馬晴信らの切支丹大名や織田信長、豊臣秀吉らに謁見しています。その後、本能寺の変以降、豊臣秀吉の統治下になると日本の教会が不安定な状態に置かれるようになることを察知していきます。それゆえ、重要な文書を国内に留め置くことを避け、マカオで保存する措置をとったことが記録されています。「日本巡察記」はヴァリニャーノが書いた「日本諸事要録」といった報告書の一部であり、将来の布教の方針を決める際の重要な資料となっていきます。

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リベラルアーツ教育  その9 セミナリオから学制へ

a0123372_8283463 DSC_0310 meiji1500年代のヨーロッパは人文主義 (Humanism) と文芸復興 (Renaissance) の時代といわれます。「普遍的な教養や知識によって、それまでの世界観とされた非人間的な抑圧から人間を解放し、人間性の再興をめざした運動」といわれます。セミナリヨやカレジオでの教育内容も古典教育に力が入れられていました。それはラテン語で書かれた古典と日本の古典を学ぶことでした。「日本キリスト教文化事典」 (原書房) によりますと、1579年、日本にやってきたイエズス会の巡察師ヴァリニャーノは、日本独自の風習が障壁となり布教の難しさを痛感したといわれます。

そこでヴァリニャーノは、日本で宣教師を養成するためには、ヨーロッパの文化を押し付けるのではなく、日本独自の文化を尊重しながら布教する方針を示したようです。例えば、日本文学を学ぶことが必須と考え平家物語などをテキストにして古典を学ばせたといわれます。

日野江城下に開設された有馬のセミナリヨでは、ポルトガルからきた宣教師が、ラテン語などの語学、基督教、天文学 (地理学) などルネサンス期の西欧学問が教えられていたといわれます。

ラテン語は当時のカトリック教会の公用語です。ラテン語は学問のための言語であったので、セミナリヨやコレジヨでは必ず教えられました。音楽と体育も科目となりました。音楽はフルート、オルガンなどの器楽、およびグレゴリオ聖歌 (Gregorian Chant) などポリフォニー (polyphony)やモノフォニ(monophony) などの練習がありました。夏は水泳が奨励され、体力を培ったという記録もあります。

セミナリヨやコレジヨで行われていた教育は、宣教師の養成ではありましたが、日本の近代教育の先取りともいえるものではなかったかと思えるほどです。リベラルアーツ教育そのものです。明治以降、日本がとりいれた西欧式の教育システムはセミナリヨから始まった、といえます。それを示すのが明治五年の「学制」の公布です。その学事奨励書には、法律、政治、天文、医療の言葉がでてきます。

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リベラルアーツ教育  その8 「セミナリオとコレジヨ」

2b9869137170bb7e76d084431fd981f4 s2-19-seminario imgedb72b1dzik2zj私は、宗教学や神学について全くの素人です。一介の信徒です。ですがリベラルアーツ教育のルーツを調べていくと神学とか哲学という分野にたどりつきます。特に中世のヨーロッパにおける学問では、どのような人を育てそのために何を学ばせるかが教育機関の使命だったようです。その中心は聖職者の養成にありました。それを担っていたのがセミナリヨ(ポルトガル語: seminario、英語: seminary)とコレジヨ(ポルトガル語: seminario、英語: college) です。

日本にキリスト教がもたらされたのは1549年。イエズス会が派遣したザビエル (Francisco de Xavier) らによって布教が始まったとされます。1579年に同じイエズス会のアレッサンドロ・ヴァリニャーノ (Alessandro Valignano) 神父は、日本における布教の成否は、日本人の司祭や修道士を育成することにかかっていると考えます。こうして作られた教育機関がセミナリヨ(初等教育)とコレジオ(高等教育)です。

イエズス会は滋賀の安土城や南島原の日野江城にセミナリオを造ります。切支丹大名だった4万石の城主、有馬晴信は日野江城のセミナリオの建設を奨励します。コレジヨは大分県臼杵市に最初に造られます。コレジヨは、当時は修道院とか修練院を意味する ノビシャド( ポルトガル語: noviciado )と呼ばれていました。

こうして豊後国である府内に開設されたコレジオでは、一般教養の教育と聖職者育成の専門教育の両方が行われ、キリシタンに改宗した士族や布教を志す者に対して、キリスト教、ラテン語、音楽、数学などの講義が行われます。有馬晴信とともに切支丹大名であった大友宗麟はノビシャドの開設に協力します。コレジオの教育は、日本におけるリベラルアーツ教育の先駆けではないかというの私の考えです。
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リベラルアーツ教育 その7 「合理的配慮」の「reasonable」

o0531041110285641187 url Disability_symbols一般に詩や哲学などの古典、ラテン語 (Lain) やギリシャ語(Greek)などの語学、歴史を学ぶことも教養といわれているようです。誠に雑ぱくな定義でありますが、、こうした分野における知識を蓄積しても日常生活や仕事にはじかに役立つということはありませんが、専門誌や雑誌にでてくる用語を吟味することには、自分の疑問を解くのに大いに参考になります。

この拙いブログでは外来語がでてくるときは、特に英語やドイツ語、ラテン語の綴りを付記することにしています。そのほうが、日本語の意味をより深く知ることの助けになると思うからです。また日本語であっても意味がいろいろと違います。それを外国語、特に英語の場合はラテン語やギリシャ語から由来するものが多数あるので、日本語となっている単語の理解に役立つことが多いのです。同時に日本語訳がはたして確かなのかを考える機会となります。

一体、「合理的配慮」という用語をあてたのは厚生労働省や文部科学省の官僚なのか、あるいは英語学者なのかは分かりません。いずれにせよ、英語のフレーズと日本語訳とを対比しながらその意味を考えていくと、「深く合理的な配慮の意味を伝えない」用語であることに気がつきます。私の疑問が深まるばかりです。

まずは「reasonable」という単語です。辞書を調べると、「reasonable」はラテン語の「ratio」とか「rationabilis」に由来し、その同義語として「mediocris」、「prudent」などとあります。ともあれ「ratio」からrationalという英語が生まれたことが容易に理解できます。「rationabilis」や「justus」からは、適正なという「legitimate」、公平なという「equitable」、細心なという「prudent」という単語もこれにあてはまります。

他方、注意すべきことは、「rationabilis」から、「並の」とか「平凡な」という意味の「mediocris」という派生語もあることです。これは、凡庸なとか平均的なといった「average」、さらにいい加減なとか手頃なといった「tolerable」という単語につながるのです。

このように「合理的ーreasonable」という単語は意味が深いのです。その使い方は日常の事象にあてはめると次の三つにわけられそうです。

1) 〈思考・行動などが〉
適正な,  当然な,  正当な,  筋の通った,  尤も至極な,  妥当な,   応分な,  順当な,  道理をわきまえた,  分別のある
2)  〈物事が〉
無理のない,  手ごろな,  穏当な,  当り前の
3) 〈値段などが〉
いい加減な,  あたぼう,  聞き分けのよい,  話のわかる,  手頃な,  格安な

さて、「reasonable accommodation」を「合理的配慮」としたのは果たして妥当なのかという疑問です。「道理をわきまえ筋の通った」内容か、はたまた「いい加減な聞き分けのよい」内容かどうかです。
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リベラルアーツ教育 その6 「自由七科」

georg-wilhelm-friedrich-hegel-03 curse-magic-graffiti-eyecatch-01-620x377 73ce447c「Liberal Arts」ということの続きです。「専門分野の枠を超えて共通に求められる知識や思考法などの知的な技法の獲得や、人間としての在り方や生き方に関する深い洞察、現実を正しく理解する力」というのが平成14年2月に中央教育審議会が答申した教養ということの定義です。「専門性につなげる、あるいは専門性にとらわれない幅広い教養や知識」といった人が持つ必要がある実践的な知識・学問の基本のこととあります。

定義はさておき、中世の西欧において必須とされたのが「自由七科」(septem artes liberales) というものです。その内訳ですが、主に言語にかかわる3科目の「三学」(trivium)と数学に関わる4科目の「四科」(quadrivium)の2つに分けられます。三学は文法・修辞学・弁証法(論理学)、四科が算術・幾何・天文・音楽と規定されていました。幾何学は図形の学問であり、天文とは円運動についての学問で現在の地理学に近いと考えられます。ラテン語で「tri」とは三、「quad」とは四、「septem」は七を意味します。この接頭語がついた英語は沢山あります。

哲学(Philosophia)ですが、以上の自由七科を統合しその上位に位置すると考えられました。ギリシャ語(Greek)で英知を意味する「sophia」、愛することを意味する「philo」から成ります。一切の思想的前提を立てない理性の学といわれる哲学は、弁証法によって思考を深めることを教えるものとされました。弁証法とはギリシア語でいう対話「dialektike」です。

哲学はさらに神学の予備学とされたというのですから、なんだかこんがらがってきます。神学は「理性によっては演繹不可能な信仰の保持および神の存在を前提とする」というのです。どうも神学が中世の学問の中心であったようです。ここまで思索してくるとヘーゲル(Georg Hegel) の「弁証法的論理学」とか「止揚」ということの内容、そしてなによりも神学の神髄を学ぶ必要を感じます。

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