Intermission:  その四 手書きと「もがり」 と生前退位

08syouwa_07 20101015134213a37 201306100434482dd「もがり」という言葉を生まれて始めて知りました。その漢字と意味がわからず家内にもききましたが、それも無駄でした。そこで「字訓」と「新漢和大字典」 をひらき漢字とその意味とをじっくりと確かめました。「もがり」 のきっかけは、先日の「天皇陛下のお気持ちを表明」 です。まだ 「もがり」の漢字を手書きができないのでひらがなを使うことにします。お気持ちを表明の一部を引用すします。

「天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が1年間続きます。」

さて、字訓と新漢和大字典によると「もがり」 という漢字は「殯」とあります。音読みは、「ひん」、訓読みは 「かりもがり」 とあります。「さしおく、むかえる、おくる」 ともあります。字訓では、「かりもがり」 とは、「本葬以前に屍の風化を待つ礼で、板屋に収めてその風化を待つ」とあります。それが「殯礼」と呼ばれ、古く複葬の形式が行われたというのです。新漢和大字典によれは、「歹」は死体のことで、「賓」 は「おそばにおる」という意だそうです。ですから「殯」 とは、「死人をそばにいる客としてしばらく身辺に安置すること」 とあります。

「殯」 とは、古から続く皇室にまつわる葬儀儀礼であることがわかります。死者の最終的な「死」を確認することが「殯」という儀式であることがわかります。「お気持ち表明」には、「個人」という言葉が使われていますが、市井の一個人とは違います。

天皇とは一体どのような存在なのでしょうか。天皇はもはや現人神ではありません。ですが単なる一個人でもありません。選挙権もありません。天皇の人権とはなんなのでしょうか。あらゆることに時があります。区切りがあるのです。私たちは65歳や70歳で定年退職します。天皇陛下がお亡くなりになられるまで、象徴とはいえ皇位を継承するというのは、惨いことではないでしょうか。「天皇の終焉」というお言葉も大胆な表現です。ご自身、「早く自由にさせてくれ、、」という叫びがにじみ出ているように思えてきます。

私は天皇陛下の五年後、生前退位をされ「私」となったお姿を空想するのです。姓をもらい介護保険料を払うお姿です。晴れて選挙権を得て、デイケアセンターに出掛け囲碁を打ち、仲間と風呂に入り政治のことで雑談するお姿です。図書館で調べものをし、疲れたらスタバに入り珈琲を啜り、牛丼屋に入り庶民の暮らしを感じるのお姿です。

識者は生前退位のいろいろな課題を指摘しています。これから長い時間をかけて有識者会議なるものを組織して話し合うとのこと。結論が出る頃、天皇陛下はどうなっているでしょうか。よれよれになっても象徴であられる痛々しいお姿でしょうか。生前退位の規定をできるだけ早急に設けること、そのことこそが天皇陛下のお心を忖度することではないでしょうか。

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Intermission: Can Handwriting Make You Smarter? その三 パソコンと手書きの違い

University_of_Nebraska_seal 1024px-WashUShielding.svg 804px-Princeton_shield.svgパソコンを使い記録することは、記憶という観点からは短期間ならば有効だといわれます。セントルイス(St. Louis) にあるワシントン大学(Washington University in St. Louis) の研究者らが、2012年に学生80人を対象に実施した実験で講義の直後にテストを実施しました。それによりますとパソコンでノートを取っていた学生の方が手書きの学生よりも講義で話された事実を多く思い出し、点数がやや高かったというのです。ただ、こうした優位性は一過的だったということも指摘しています。

他の複数の研究によると、パソコンを使っていた学生は24時間後には記録した内容を忘れてしまうことが多かったというのです。また、大量のノートを見返しても記憶したことを想起するのに有効ではなかったといわれます。記憶が深層にまで及んでいなかったようです。

対照的に、手書きでノートを取った学生は講義内容を長く記憶でき、1週間後でも講義で示された概要をよく覚えていました。この事実について専門家らは、書くというプロセスがより深く情報を記憶に焼き付けると指摘しています。また、手書きのノートはよく整理されているため、復習にもより大きな効果を発揮するといわれます。

心理学者であるプリンストン大学 (Princeton University) のパム・ミュラー(Pam Muller)とUCLAのダニエル・オッペンハイマー(Daniel Oppenheimer)は、2014年に行った3回の実験で、学生にアルゴリズムからコウモリまで幅広い話題を聞かせ、キーボードか手書きでノートを取ってもらいました。学生にはノートを見て復習する機会を与え、講義直後と1週間後に67人にテストを実施しました。

その結果、この二人の研究者は心理科学の専門誌で、手書きでノートをとった学生が記録した単語数は少なかったものの、書く時に題材をより集中して考えたようで、耳にしたことをより深く吸収したようだと述べています。

半面、パソコンを使う学生は機械的にノートを取り、聞いたことを一語一句そのまま打ち込んでいました。問題はパソコンを使う人には逐語的にノートを取る傾向があることです。ネブラスカ大学リンカン校(University of Nebraska-Lincoln)のケン・キウラ (Ken Kiewra) は「皮肉なことに、速く記録することができるのがノートパソコンを使うことの魅力だが、逆にそのことが学習の効果を減らしている」と述べています。

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Intermission: Can Handwriting Make You Smarter? その二 エジプトの書記とパピルス

hPo5jGgpgss eji00273 1117402_42516194Wall Street Journal の記事を紹介することにします。手書きとパソコンによる記録と記憶の比較についてです。

パソコンやスマホ、電子辞書などのおかげで、今や紙や鉛筆は古くなりつつあるかにみえます。しかし、新しい研究はこうした道具を再認識し、手書きすることが学習に非常に効果があることを示唆しています。特に学校や大学では手書きが見直されています。

プリンストン大学 (Princeton University) やカリフォルニア大学ロサンジェルス校 (University of California-Los Angels: UCLA) の研究者は、手書きをする学生のほうが、キーボードをたたく学生より成績が良いと指摘しています。特に、手書きをする学生はキーボードを使う学生に比べて、学習したことを長く記憶し、新しいアイディアを理解するのにたけているというのです。ネブラスカ大学リンカン校 (University of Nebraska, Lincoln) の教育心理学者も「手書きする者は、自分の考えを上手に表現する」ともいっています。

古代エジプトの書記が、パピルスに葦の筆で文字を書き残して以来、手書きは多大な貢献してきました。古代の人々は見聞したことを確かな記録として後生に残し、歴史を今に伝えてきたのです。

大学での実験研究はこぞって脳画像の検査によって、手書きすることは脳の活性化を促すことが判明したとしています。手書きは非常に顕著な情報処理のことであり、講義や授業で得た情報を深く心に刻むことに役立っているとも結論づけています。

手書きといえば、17世紀に作られた鉛筆に始まり、万年筆が1827年に、ポールペンが1888年に、そしてフェルト筆が1910年に作られるという展開になりました。ですがそうした筆記用具の役割は時代を経ても大きな違いがありません。書いて記録にするという点で共通しています。

今日、ほとんどの学生はノートパソコンを持っているので、大学の教室でカタカタとキーボードが響いています。確かにキーボードのほうが手書きよりも多くのことを記録できます。キーボードでは毎分33文字を入力できるのに対して、手書きでは22文字を筆記することがせいぜいです。

しかしです。

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Intermission: Can Handwriting Make You Smarter? その一 手書きの効能

「居眠り磐音 江戸双紙」に少し休憩させていただくことにします。

1 e0253707_15254411 68b0faf8作家、リービ英雄 (Hideo Levy) 氏の必需品は原稿用紙。それをいつも手元に置いていると語っています。「星条旗の聞こえない部屋」とか「ノベンバー」、「仲間」、「千々にくだけて」といった短編小説を書いています。読んでみるとなにか自叙伝か私小説を書いているかのような印象を受けます。18歳まで日本語を手書きできなかったとも回想しています。

私も手元に置いているものがあります。A4版のノートと葉書、そして便箋です。ノートはもう30冊以上になっています。長年、手書きで一日1,000文字以上を書くように心掛けているのでその「集大成?」のような分量です。数字やローマ字を含めての1,000文字です。特に新しい漢字、書けない漢字は手書きによって覚えるようにしています。ワープロでは読める漢字はすぐ打ち出せますが、手書きできないものがたくさんあります。手書きがでないということは、いまだ覚えることができていないということです。

礼状や手紙は必ず手書きで出すようにしています。その際、書けない漢字はひらかなで書くことにしています。それが情けなく悔しいのです。親父が96歳で他界したとき、彼の所蔵品を整理していると日記が出てきました。たかが十数行ですが、毎日起こったこと、出会った人、会話したことなどが記されていました。私は、それ以来手書きを励行しています。

いつも「躊躇」なく、手書きの困難な例として持ち出すのが、「薔薇」という語です。大抵は「バラ」というように表記されのですが、これではRoseの香りと色の深みが伝わりません。「Roseは薔薇」でなければならないのです。

Wall Street Journal の2016年4月4日に掲載された「Can Handwriting Make You Smarter?」という記事を読みました。「手書きは人を賢くするか?」という題です。これを読みながら、手書きを推奨する者として溜飲が下がる思いをしました。なにか爽快な気分です。

新しい漢字や熟語は読めても、手書きで何度も何度も書かないと覚えることができません。書くという行為によって漢字の形や筆順が記憶に深く刻み込まれるのです。手書きによって漢字のパタン画像が脳に残るのです。電車の中や街を歩きながらスマホでなにやらタッチしているのは日常的な光景です。でもこうした人は、難しい漢字は書けっこありません。タッチやキーボードでは筆順が省かれるので、いざ筆で書くとなると困るのです。

外国語の単語を覚える場合も全く同じことがいえるのです。「Serendipity」という単語があります。”偶然に予想外のものを発見すること” とか、” 知らなかった価値を見つける” という意です。何度も繰り返して学ぶことによって「Serendipity」が書けるようになるのです。

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女性の生き方 居眠り磐音 江戸双紙  その七 おこんの見合い話

soukan-zu_edo oiran benibana_009おこんの父、金兵衛は一人娘のおこんに内緒でしばしば見合い話を進めようと気をもんでいます。そしてお見合い話のことを磐音に漏らすのです。磐音は素知らぬ顔をします。金兵衛は磐音の気の乗らない態度が気にくわなくいらいらします。

父親がお見合いの段取りをおこんに披露します。
 「犬、猫でもあるまいし、勝手なことをしないで!」
とピシャリと断ります。見合話に見向きもしないのです。金兵衛は大慌てし、そしてしょげてしまいます。

お見合い話の顛末をおこんは磐音に語ります。
 おこん 「いいの、私が見合いをしても?」
 磐音 「それはちと困る、、」
 おこん 「ちと困るだけなの?」
 磐音 「大いに困る、、」

磐音の心も穏やかではありません。ですが磐音はだんだんとおこんのに優しさに惹かれていきます。磐音の心も穏やかではありません。ですが磐音はだんだんとおこんのに優しさに惹かれていきます。おこんもまた、磐音と一緒にいると安らげ、時にはキュンとなるのです。ですが二人はお互いに忙しく、まだ将来の契りを交わす機が熟していないのです。

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女性の生き方 居眠り磐音 江戸双紙 その六 お艶と大山詣

20150624000150_233962 oyama_afuri10 624c38a9両替商、今津屋吉右衛門のお内儀がお艶です。あまり体が丈夫でなく子もできません。吉右衛門やおこんは常日頃心配しています。番頭の由蔵には、今津屋の跡継ぎがないことが気掛かりです。

体調が思わしくなり、お艶は大山詣を決意し、夫や磐音、おこんらと出掛けるのです。雨降り山といわれる大山、古くから相模国はもとより関東総鎮護の霊山として崇敬を集めてきた1,250mの山です。そこに阿夫利神社があります。古来より雨乞い信仰の中心地としても広く親しまれてきた神社です。

磐音は、激しい雨をついて厳しい岩場をお艶を背負って不動堂まで登っていきます。お艶は念願の大山詣を果たし、磐音にいうのです。

「坂崎さま、私は生涯坂崎さまの背の温もりを忘れません。」

その帰り、伊勢原宿の子安村でお艶は病状が進み、もはや江戸に戻ることが難しくなります。お艶の死期が近いことを吉右衛門は知ります。堪らずむせび泣くおこんに吉右衛門はいいます。

「おこん、人はだれも死ぬ。それはこの世に生を受けたときからの理です。なんの哀しいことがありましょうか。そう考えながらお艶のかたわらで、ゆったりした時を過ごしてみようかと考えました。」

死と向き合うのは人の尊厳に満ちあふれる姿といえましょう。背けず、真っ直ぐに生と死を受けとめる姿に神々しさすら感じます。

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女性の生き方 居眠り磐音 江戸双紙 その五 おきねの死

22d3b1f2 image0-131 toufu_pic坂崎磐音は幼なじみと一緒に江戸で直心影流佐々木玲圓の道場で修行します。共に藩に戻ると陰謀に巻き込まれ、自身の許嫁である小林奈緒の兄を上意によって討ち取ることになってしまいます。傷心の磐音は藩を去り再び長屋暮らしを始めます。

両国東広小路にある楊弓場を経営するのがおきねです。そこに賭け事を挑む男が現れます。五十両を賭けて店をのっとろうとするのです。そこに今津屋の用心棒などで生計をたてる磐音が、相談にのっておきねを次のように励まします。

「勝負は背負っているものが多い者が負ける。なあに相手も人間、失敗することもあろう。勝ち負けは時の運だ」といって勇気づけます。

磐音は、おきねが矢場荒らしからとられた五十両を取り返します。大晦日、おきねは磐音に「休みがとれたらご馳走しましょう」と約束しますが、殺されてしまいます。やり場のない怒りと悲しみにくれた磐音はその仇をうちます。そして磐音はいいます。

「おきね、馳走になりはぐれたぞ、、」

今津屋の大番頭、由蔵は磐音があちこちからの依頼に助勢して飛び回ることに呆れています。
由蔵 「磐音様は今一つ欲がございませぬな」
磐音 「はあ、困ったものです」
由蔵 「ご当人がさようなことでどうなさる」

ですが由蔵は、おこんにも劣らず磐音の情に厚い人格と金銭感覚の淡泊さにぞっこん惚れ込むのです。

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女性の生き方 居眠り磐音 江戸双紙 その4 長屋の女衆と金兵衛

10875058 11033830 PDVD_027-14a03金兵衛長屋の木戸に長屋の女達が集まってきます。金兵衛の妻、おのぶは二年前に流行り病で亡くなります。おこんが十三歳のときです。長屋の女衆、金兵衛、そしておこんの対話です。

「おのぶさんが亡くなって二年が過ぎたね。」
「一時、金兵衛さんはがっかりしていたけど、最近また元気を取り戻したようじゃないか。」

付け木売りのおたねが言い出した。
「東広小路の楊弓場の年増のを口説いているって話かい。」
「あら、おたねさんも承知かえ。」

そこに嘘っぽい空咳が響いて金兵衛が現れます。
これこれ、年端のいかない娘にまで、あらぬ噂を立てるんじゃないよ。」
「あら、おなっつあん、私も知っているわよ。」
「こらっ!」
「おめえ、あらぬ噂は信じるんじゃないよ。」
「長屋の噂なんぞ、千に一つもほんとうのことはないからな。」
「相手がいるのなら、後添いを貰ってもいいのよ。」
「気が寒いで元気をなくすより、新しいお嫁さんを貰って若返えれば。」
「おこん、なんてこと言うんだ。私はなにも、、、、」
「あーあ、女と小人は養い難しだ。」

「おこんちゃん、大家さんを屁って心にもないことを言うなんて、娘も苦労するね。」
「あら、おいちおばちゃん、私本心よ。」
「本心だって?」
「私、近々奉公にでるの。だから、お父っつぁんを独り残して行くのが一番気がかりなの。誰かお父っつぁんの所へお嫁がきてくれると安心なんだけどな。」
「おこんちゃん、おまえさんはできた娘だよ。」
「鳶が鷹を生むってこのことだね。」

金兵衛は、娘おこんの前で空威張りをしてはその威厳を保とうとします。ですが、おこんは父親の独り暮らしを心配して、嫁さんをもらっては、とづけづけ言うのです。金兵衛はおこんの言葉にぐさりと響きます。同時におこんの成長に目を細め、やがて婿がきて孫ができることを夢見ています。
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女性の生き方 居眠り磐音 江戸双紙 その3 ちゃきちゃきの深川っ子

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Wooden bridge by Katsushika Hokusai, color woodcut, 1830-1833

Wooden bridge by Katsushika Hokusai, color woodcut, 1830-1833

c65fc1383559e536c1d5777c46df471d財政難に陥っている関前藩のために、磐音は江戸に関前藩直轄の物産所を設け海産物を売りにだすという提案をします。それまで仲買人が中心となって海産物を扱い、賄をもらう一部の武士だけが潤っていたのです。廻船貿易の提案が実行されて、舟で運ばれてきた海産物が江戸で人気が高まり経営は軌道に乗っていきます。

深川っ子おこんは両替商の今津屋で奉公しています。おこんが外出して蕎麦屋で休んでいるとそこに金比羅屋の用心棒が現れます。赤銅色に焼けた水夫達がおこんを見つけ、「酌をしやがれっ!」と迫ります。おこんが断ると「女郎屋に叩き売ろうか!」と罵声を発したときのおこんの啖呵です。

「へん、ふざけっちゃいけないってんだ。こっちは深川六間堀で産湯を使ったちゃきちゃきの深川っ子だ。薄汚いお前なんぞの酌をする今津屋のおこん様に考え違いをしやがったか。背に彫った金比羅様がお泣きになっておいでだよ。明後日出直してきやがれ! 馬鹿野郎!」

こんな啖呵を切り、「あら、いやだ。私としたことが怒りに任せて地を出してしまったね」と慌てて顔を赤らめるのです。

本当に気っ風がよくてすかっとします。でも今津屋では礼儀作法にたけ、人の機微を解し、主人や番頭が絶大な信頼を得て奥の努めを果たしています。彼女は、気が利いて周りの女中にも親切で、普段は決して叱ったり大声を上げることはありません。

おこんが深川や両国界隈を歩くと、男衆が振り返りなんとか近い寄りたいと腕をこまねくのです。おこんは、磐音に首ったけなのですから、そこらの男に媚びを売ることはありません。

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女性の生き方 居眠り磐音 江戸双紙 その2 金兵衛の娘

149288_30555main 江戸は深川六間堀の通称「金兵衛長屋」の大家がおこんの父、金兵衛です。坂崎磐音もこの長屋に住んでいます。夏でもどてらを着ていて、娘からも「どてらの金兵衛さん」と呼ばれています。連れ添いのおのぶは既に他界しています。口は少々悪いのですが、生来気がよく、店子からも慕われています。「大家と言えば親も同然、店子と言えば子も同然」というのは落語定番の台詞です。

おこんは今小町と呼ばれる別嬪です。「鳶が鷹を生んだ」という評判になるほどの美人です。今津屋に女中として長年奉公し、若いながら奥向きの一切を任されるほどの信頼を得ています。気っ風がいい深川娘です。

金兵衛は浪人暮らしの磐音をかばっています。早く娘が嫁に行き、孫をみたい、みたいと言っています。おこんが密かに磐音に想いを寄せているのを知らず、あれこれと見合いの工作しては、おこんに叱られ見合い計画はおじゃんになりしょんぼりするのです。娘の磐音への想いを父親はまだ存ぜぬのです。
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女性の生き方 居眠り磐音 江戸双紙 その1 「おこん」

004_convert_20120115101539 old-edo c0096685_15452502個性的な登場人物が多い時代小説に「居眠り磐音 江戸双紙」があります。その物語をとおして、しがない武士や浪人、翻弄される女性 (にょしょう) 、生計 (たっき) で苦労する職人、忙しい商人らがどのように苦悩し、助け合っていくかという視点から見つめるのがこのシリーズです。いわばカウンセリングのような対話や禅問答のような言葉を通して、人々がどのように生きていくかを取り上げます。

豊後関前藩の中老、坂崎正睦の嫡男、磐音が主人公です。江戸勤番中に佐々木玲圓道場にて直心影流を習得します。関前藩に同士と戻るのですが藩内の陰謀に巻き込まれ、かけがえのない仲間たちを一夜にして失います。上意とはいえ、許嫁、小林奈緒の兄を殺めてしまった磐音は、失意のうちに江戸に戻り、浪人として深川六間堀で長屋暮らしを始めるのです。鰻屋でうなぎ割きや両替屋の今津屋で用心棒などをしその日の生計をたてます。

奈緖の家も政争によって廃絶し、父親の病気のために奈緖は自ら遊里に投じ、各地の女郎屋を転々とし、やがて江戸の吉原で白鶴大夫という名の花魁となります。その後、奈緖は山形の紅花問屋、前田屋内蔵助に落籍(ひか)され嫁いでいきます。奈緖らが山形への旅の途中、襲ってくる輩を磐音は密かに成敗して別れを告げます。全くの別世界で生きる奈緖の幸せを祈りながら、磐音は剣術に生きることを決意します。

磐音の剣の腕には師匠の佐々木玲圓も一目を置きます。剣の構えを見て「まるで春先の縁側日向ぼっこをして居眠りをする年寄り猫」と形容します。その仕草が居眠り剣法と呼ばれていきます。礼儀正しく礼節を重んじ、穢れのない人格、人情に厚く金銭に執着しない穏やかな生き方に周りの者が惹き付けられていきます。

今津屋の女衆として奉公するおこんは、ちゃきちゃきの江戸っ子娘。その美貌は「今小町」と呼ばれます。そして、おこんは密かに磐音に懸想するのです。さてその顛末は次回より始まります。

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二文字熟語と取り組む その56  「嚆矢」

ca0d73a117cd0eb2fa252017663469e6 嚆矢 時代小説に登場する二文字熟語で難語を取り上げております。今回は「嚆矢」です。「嚆矢」とは鏑矢(かぶらや)、もう一つ大事なことは物事のはじめという意です。

昔、中国では戦闘開始のとき鏑矢を敵に射たといわれます。矢に鏑をつけその先に雁股をつけたのです。敵方と味方に「これから戦闘を開始するぞ、」という合図で放たれるのが鏑矢。武器ではありません。

鏑矢は、飛ぶとき鏑の孔に風が入ってヒュッと響きを発するのだそうです。「嚆」とは、大声をあげるとか叫ぶという意味もあります。

「嚆矢」は人が発見したり発明する画期的なことの始まりという意です。それも時代を変えるような新しいことです。同義語として「起源」がありますが、こちらは自然発生的な始まりを示す語です。「嚆矢」は人間の創作による始まりということです。

56回にわたって二文字熟語を話題として取り上げてきました。ここらでネタが切れました(;_;。暫くお休みといたします。明日からは別な話題でお届けします。

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二文字熟語と取り組む その55  「細作」

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以前、兵庫教育大学の同窓生に案内してもらい、息子夫婦と孫達とで伊賀流忍者博物館を訪ねたことがあります。博物館は三重県の伊賀市にあります。孫はそこで忍者の服装をして館の内外を歩き回りました。忍者屋敷は茅葺きの農家ですが、あちこちに仕掛けがほどこされています。例えばもの隠し、ドンデン返し、仕掛け戸などです。敷地内では女忍者の「くノ一」が説明してくれます。アメリカでもPokemonと同様に「Ninja」は根強い人気があります。

さて、「細作」(さいさく)とは忍者、忍びの者です。間者、間諜、密偵、探子、スパイなどとも呼ばれています。現在は、情報機関の機関員で諜報員とか工作員といわれます。ジェームス・ボンド(James Bond) もそうです。忍者は我が国の呼び方といわれます。中国は三国時代の呉では「間」といい、戦国春秋の時代には「諜」といい、それ以降は「細作」とか「遊偵」等と呼ばれてきたといわれます。

謀略戦術は古今東西を問わず重要な兵法です。武田信玄や北条早雲、毛利元就、織田信長、徳川家康などがその戦略を用いたといわれます。間諜とか忍者は各地で跳梁していたようです。伊賀、甲賀、雑賀、根来などの間諜集団です。

1582年に起きた「本能寺の変」のあと、堺にいた徳川家康を護衛して伊勢から三河に抜ける伊賀越えを助けたのが伊賀衆や甲賀衆です。彼らはその功績によって幕府に召抱えられるようになります。それが服部正成で、通称「半蔵」と呼ばれました。半蔵の部下であった与力や伊賀同心が江戸城の一角に組屋敷を構えます。今も「半蔵門」が残っています。半蔵門から始まる甲州街道は四谷から新宿、府中、八王子、そして甲府へと続いています。今の麹町一丁目付近です。

間の字に「隔てる」という読み方があります。忍術には役割として敵の君臣らを割くことや、隣国の君主と和合の間を隔てて遮り、援兵のないように工作することもあります。今放送中の「真田丸」にも間諜が活躍しています。情報合戦はドラマの見所の一つです。

二文字熟語と取り組む その54  「昵懇」

005VvsWFjw8eo22xl4shyj30bp0bpt95 54f90f34585d9d888bc7d096597b3207 photo_3私たちは、多くの人々との付き合いで生かされています。その中でも特に親しくしている人がいるはずです。その付き合いの状態を「昵懇」と呼ぶことができます。間柄が親しいこと、心安くしていること、また,そのさまのことです。

「昵」の訓読みとして、大辞林によりますと、なじむ、ちかづく、なれしたしむ などとあります。さらに、ねちねちと近づき親しむ、ともあります。その他、意外な意ですが、いましめる、ただす、ととのえるともあります。

次に、「懇」の訓読みはねんごろ、です。まめましく心をこめるさま、せいいっぱい真心をこめるさまとあります。

このように「昵懇」の仲とは、時に相手を戒めたり、苦言を呈したり、助言することすること、相手もまたそれを真摯に耳を傾け、有り難く受けとめるという関係のようです。
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二文字熟語と取り組む その53  「英邁」

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「英」という字は、はな、はなぶさ、うるわしい、すぐれている、はなざかり、玉に似た石、人の才能などと定義されています。「性情に移してすぐれる」、「立派」というさまです。大漢和辞典によれば、英は「叡」、「穎」の代用文字とあります。叡智、英知どちらでも同じ意味です。

「邁」という語ですが、どこまでも進んでいく、どんどん過ぎ去っていく、勢いあまっていきすぎる、努める、などの意です。広辞苑では「英邁」とは、他の人に比べて才知が非常にすぐれている、心がおおらかなこととあります。「英邁闊達」、「天資英邁」などの四文字熟語も知られているところです。

「闊」とは広くゆとりのあること、堂々と歩くこと、間があいているという意です。そこから度量が広く物事にこだわらないことが「闊達」 久しく会わないことが「久闊」、注意の足りないこが「迂闊」という語が成立します。 「英邁」といわれる人は、「闊」の気心の持ち主のようです。

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二文字熟語と取り組む その52  「下問」

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「下問」(かもん)を広辞苑では次のように定義されています。
1 身分の高い者が目下の者に質問すること。質問する人を敬っていう語
2 他人から向けられた問いのことを自分でへりくだっていう語。

漢和大字典には「敏にして学を好み、下問を恥じず」というフレーズも辞書にあります。「下聞 」は同義語です。自分の知らないことを下々に問うことを恥じてはいけないということです。

「下」ですが「掌を伏せてその下に点を加え下方を指示し、掌の上下によって上下の関係を示す」とあります。

「門」は、二枚のとびらを閉じて、中を隠す姿の象形文字です。「問」はわからない所を知るために出入りする口などの意を示しています。神意を諮り問う意です。「問」は、問いただす、ひとをたずねる、責任や罪を問いただす、相手の様子を尋ねる手紙、評判や名声という意味もあります。後に「問答」や「問遺」、「問責」などの意などで用いられます。

上と下という漢字ですが、「一のひきようによって上になったり下になったり」という台詞が江戸の殿様を描く演目にでてきます。下々の生活を知らない殿様を笑う場面です。そして口の字の上下に一を書くのが「中」。上や下よりも中が一番良い、という噺です。

二文字熟語と取り組む その51  「懸想」

kesoubumi01 i_041 P1070541-d2e39「懸想」とは恋い慕うこと、思いをかけることです。どうも、男女どちらの情も示す語のようです。

「懸」という漢字の意味からです。「字通」によりますと、物がぶら下がる、物事が宙づりになったまま決着つかないさま、かけ離れる、隔たる、遠い、むなしく思うといった意とあります。そこから「懸想」とは、男女の情愛を示す語となったということです。想いが成就するかどうかは、不明であることを予感するような響きです。

「懸想文売り」というのが登場します。正月元旦から15日まで、祇園で法師姿で赤い布衣をつけ、鳥帽子をかぶり白い布で覆面し、懸想文を売り歩いたのが「犬神人」と呼ばれた下級の神官です。

江戸でも同じように正月になると辻占いの一種である「懸想文」が売りにだされました。もと花の枝につけた艶書のことです。男女が良縁を得るようにと、細い畳紙の中に米粒をいれて縁起物としたようです。今は、2月2,3日の節分に見られる行事だそうです。

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二文字熟語と取り組む その51  「挙措」

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「挙措」(きょそ)とは「挙止」ともいい、立ち居振る舞いという意味です。「挙」とはこぞって、ことごとくという意味の語です。多くの中から優れた者を持ち上げることが推挙。任官試験を受けることが「科挙」です。

「措」は手と昔から成ります。「置くなり。手に従ひ昔を声とす」とあり、赦すということのようです。安定するように置くという意味もあります。適切に処理するとか、着手するという意味もあります。

「挙措」は手を上げ下げするという意味から、立ち居振る舞いを意味するといわれます。本来、何気なく行っている動作のことです。

「挙措」の熟語はいろいろあります。例えば、「挙措失当」。これは対処の方法や振る舞いが間違っていることです。「失当」は適切ではないことです。「挙措を失う」とは、取り乱した行いをすること。「挙措進退」は、同じく立ち居振る舞いのこと。「進退」とは文字通り進むことと退くことという意です。「進退伺い」は聞き慣れた語です。

居眠り磐音江戸双紙の「紅花の邨」に次のような描写があります。昔の許嫁の奈緖とその旦那の苦境を聞いて助けに山形にでかけた磐音が、地元の女衆の動作を見ていいます。

「挙措が田舎くさくないのは、山形が紅花の交易で、最上川の船運と酒田港を拠点とした西廻り航路で京と深く結び付いているせいか、、、」

二文字熟語と取り組む その49 「宥恕」

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昨日の夕刊にあった二文字熟語のクイズ問題です。徒、綿、風、出、押に続く漢字は何か、この漢字に続くのは、弁、道、魁 という問題です。熟語を考える時のコツは、難しい漢字を使う熟語を探すことです。

私は日常あまり見かけない「魁」に目をつけました。そうです。「花魁」という語が浮かびました。正解は「花」。「出花」、「徒花」なども難しい語です。実は、「徒花」という語は知りませんでした。「あだばな」は実を結ばず散る花、物事が成就しないという意味だそうです。

さて、弁護士は時になにかの示談書で、「甲は乙を宥恕(ゆうじょ)する」と書く場合があります。許すと同じ意味でして「甲は乙の前記の行為を宥恕する」という使い方をします。少々古風な表記ですが、文面に重みがあります。

「宥」とは、ゆるす、なだめるとあります。見のがしてやること、大目にみて許すことです。寛大な心で罪を許すことでしょう。

宥恕の同義語で「寛恕」があります。相手方の非行を許容する感情の表示語です。心が広くて思いやりのあること、また、そのさま、と辞書にあります。

「寛」とは、空間がひろい。ゆとりがある、やさしい、ゆるやか、心がひろいという意味です。寛大、寛容など多くの熟語があるのは頷けます。過ちなどをとがめだてしないで許すこと、それが「寛恕」であり「宥恕」ということでしょうか。

二文字熟語と取り組む その48 「嗚咽」

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「字通」にも「漢和大字典」にも嗚咽という語がでてきません。懸命に探したのですが、見つけられません。どうも当て字のようです。

広辞苑にありました。「嗚咽」(おえつ)は声すすり泣くこと、むせび泣くこととあります。声が出るのを我慢して泣くさま、悲しみ泣くことです。

字通では「嗚」とは「神の承諾をえること」、「神に祈り、鳥の声などによって占う鳥占いの俗を示す」という説明があります。

「咽」は、のど、むせぶ、というのが訓読みです。呑み込むのが「咽下」。「嗚呼」とは物事に深く感じたり驚いたり、悲しむとき、喜びを発する語、あるいは呼びかけに用いる語のことです。

二文字熟語と取り組む その47 「席亭」

127306260622416231627 aYaUxUcq 231001470今回は、趣向を変えた二文字熟語です。先日、いつもお世話している囲碁クラブの席上で、先輩から、「席亭はいろいろと大変ですね」といわれました。碁会クラブをお世話し、毎週二回、市民センターを予約をし、例会当日は碁盤や碁石、座布団をならべたり、月謝を集めるのが私の役目です。その他、新入会員の棋力を知り、対局相手を世話します。棋力の低い新人は先輩に対局依頼の声をかけにくいからです。

さて、「席亭」のことです。「席亭」とは本来、寄席のことを指しました。寄席の亭主の略で寄席の経営者のこと、席主とも呼ばれています。芸人などの出演者や演目などを選択し、一座を提供し木戸銭を折半するのです。誰を出演させるか、芸はしっかりしているか、客の受けはどうかなど噺家を見極める高い経験知が要ります。

東京や大阪では、落語を主とした寄席に人気があります。噺家が修行し話芸を磨くところが寄席落語です。このように狭義の寄席は落語が中心で東京には四カ所、大阪には一カ所あります。最後の演者は、トリとよばれ、落語では真打といわれる噺家がトリをつとめます。

他方、真打とか名人と呼ばれる噺家は、寄席の他にいろいろな場所で洗練された芸を披露します。例えば国立劇場とか市民会館などでの興行です。テレビ出演も真打ちです。前座見習い、前座、二枚目といった修行中の噺家はまだ大舞台に立つことはありません。

多くの場合、寄席の出し物は席亭と協会とが話し合って決めます。上野の鈴本演芸場は落語協会、新宿末廣亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場は、落語協会と落語芸術協会とが交互に出演者と演目を決めています。組織というものは、内紛があります。どの組織に所属するかによって寄席に出られるかどうかという哀しい現実もあります。ともあれ、落語家は一生が修業といわれます。

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二文字熟語と取り組む その46 「弥栄」

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「いやさか」と読むのは難しですが、、広辞苑では「いよいよ栄えること、繁栄を祈って叫ぶ声、ばんざいのこと」とあります。  「弥栄に花を咲かせよ、初春の白梅」

「弥」とは「わたる」、「あまねし」、「とおい」、「いよいよ」といった意味があります。「わたる」は、ある区間までの時間や距離を経過すること、「あまねし」とは広くすみずみまでいきわらるさま、「とおい」とは久しいこと、「いよいよ」とは、遠く伸びていつまでも程度が衰えない意とあります。

北海道の民謡で酒盛り唄、盆踊り唄に「弥栄音頭」があります。鰊漁で本州から出稼ぎにきた漁夫、ヤン衆らが渡島半島あたりに持ち込んで広まった仕事唄のことです。「ヤン」とはアイヌ語で「向こうの陸地」本州を意味するとあります。鰊が大量に獲れた時代は昭和30年くらいまで。春先、稚内の海岸が白子で真っ白になっていたのを思い出します。

富山県高岡市の郷土民謡に「弥栄節」があります。こちらは鋳物師達の息遣いが感じられる盆踊り唄です。「えんやさ、やっさい、、」という囃しが響きます。

二文字熟語と取り組む その45 「馥郁」

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漢字を調べるのに、「字訓」や「字源」の他に、「広辞苑」と三省堂の「大辞林」、そして学研の「漢和大字典」を参照します。この五つを調べると語義が解ってなるほどと頷きます。

「馥郁」(ふくいく)とは「良い香りが漂うさま」とあります。ふっくらとしたさまです。「馥」は、香りが豊かにこもるさま、ふくようかなにおい、その他よい影響やよい評判にたとえることもあります。会意兼形声で香りと腹で作られました。「ふっくらとした」とは妊婦を指すのかもしれません。「馥気」は良い香り、「福」(ゆたか)と同系です。

「郁」は、(1) 多くの模様がはっきりとくぎれ、目だつさま、(2) まだらであでやかなさま、(3) 盛んなさま、(4) 香気ががくわしいさま、とあります。

「馥郁」とは、このようになんとも香りの放つような語だと感じます。

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二文字熟語と取り組む その44 「重畳」

27015520 big-unit-1053823822 t-f畳は、皮畳、絹畳、むしろ、こもなど敷物の総称です。平安時代には既に今使われているような畳が布団のように使われていたようです。当時これらは大変な高級品で、一部の特権階級に愛用されていたとか。それはそうでしょう。鎌倉時代から室町時代にかけ、書院造りが生まれて、部屋全体に畳を敷きつめるようになりました。庶民に畳が普及したのは江戸時代。畳職人の活躍が江戸の下町を舞台にした小説にしばしば登場します。

畳の材料はイグサ。非常に高い吸湿性を備えています。湿気の多い部屋では水分を吸収し爽やか、乾燥した場合には、蓄えた水分を放出する特徴があるといわれます。昔の畳はゴワゴワしていました。すべてイグサ作りだったからです。今の多くの畳にはベニヤ板のようなものが入っているので踏んでもふわふわしません。

次に畳縁、へりについてです、絹や麻などの布地を藍染め等の食物染にしたものです。 畳縁には、格式を重んじて家紋を入れる「紋縁」というものもあります。これは格式の高い仏間や客間、床の間等で使われてきました。家紋を入れることによって、家のステータスを示しました。紋様は寺社、宮家、武家、商家などで違い、その身分を表す文様や彩りが定められていたようです。

畳の縁を踏まないことが武家や商家の心得とされました。特に家紋の入った畳縁を踏む事は、ご先祖や親の顔を踏むのと同じこととされました。「畳の縁は踏まない」ことが「相手の心を思いやる」ということの表れだったようです。

長い前置きとなりました。「重畳」という語があります。畳が普及し始めた頃の床は、今で言うところのフローリングのような板の間で、人が座るところに敷かれていただけだったそうで、その畳を重ねることができるのは出世を意味し、それで、「この上もなく満足なこと」「大変喜ばしいこと」とされたという説があります。はなはだ好都合なことなど、感動詞的に用いるのが「重畳」です。「重畳、重畳、、、」といった塩梅です。

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二文字熟語と取り組む その43 「糊口」

images bc62d25b Einreise italienischer Saisonarbeiter, Brig 1956#Italian seasonal workers when entering into Switzerland, 1956日常あまり見かけない難語を取り上げています。取り上げる順序は全くランダム。時代小説を読みながら見慣れない語を拾い上げては字典で調べています。時代物の熟語は通常使うことが少ないので、使ってみたくなります。

「糊」は、米や穀物がほとんど入っていないような薄いお粥のこと。澱粉糊などの洗濯糊、防染糊、接着剤などにも使われます。「糊」にはうわべをなすという意味もあります。その場を何とか取り繕うことが「糊塗」です。
「今日まで巧みに世間の耳目を糊塗して居た」

「糊口」は「餬口」ともいいます。口を糊する、粥をすする意があります。くちすぎ、生計(たっき)をたてることです。慣用句として「糊口を凌ぐ」、「糊口の道が絶たれる」といった表現です。身過ぎ世過ぎする、露命をつなぐ、細々と暮らすという按配です。

現代の格差社会において「糊口を凌ぐ」生活をする人々が大勢います。「働けど働けど我が暮らし楽にならざり、じっと手を見る」ワーキングプアのことです。年寄りも若者も将来の不安を抱えています。保育士で結婚しても子供をつくれない人もいます。最近は貧困から生まれた「介護殺人」という事件も報告されています。低所得者への所得分配の不平等が起きている恐ろしい時代です。

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二文字熟語と取り組む その42 「剣呑」

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時々、辞書を見るまでは熟語の成り立ちはわからないことに気がつきます。「剣呑」(けんのん)という語もそうです。もともともは「剣難」だと広辞苑にあります。「剣難」がなまって「剣呑」になったというのですからわからないものです。「剣呑」とは当て字なんだそうです。佐伯泰英の時代小説にこの語がしばしば登場します。

「剣呑」は、あやういこと、あやぶむこととあります。刀などで殺されたり、傷つけられたりする災難のこと。語の使い方はいろいろあるようです。次のような例文があります。「化けの皮があらはれんと、しきりに剣呑に思う」。自分の過去がばれないかびくびくし、不安に苛まれるという意味です。

漱石の「道草」にも「兄貴だって金は欲しいだろうが、そんな剣呑な思いまでして借りる必要もあるまいからね」という文章がでてきます。「道草」は漱石の自伝的色彩の濃い作品といわれます。「道草」の主人公、健三という男がどうも漱石らしいのです。留学から帰った健三は大学教師になり、忙しい毎日を送ります。彼の妻お住は、夫を世間渡りの下手な偏屈者とみています。健三は相当な美人好みで、何やかやと女の美醜に見識を持っていることも書かれています。

そんな折、かつて健三夫婦と縁を切ったはずの養父島田が現れ、金を無心します。さらに腹違いの姉や妻の父までが現れます。兄は人生に疲れた小官吏で、金銭等を要求するのです。健三はなんとか工面して区切りをつけますが、その苦労に慨嘆するという話です。それが、「兄貴だって金は欲しいだろうが、そんな剣呑な思いまでして、、、」という台詞です。

二文字熟語と取り組む その41 「柿落」

toukan14 010 imagesもともと「柿」とは「こけら」といって、材木を削るときにできる細長の木屑のことです。

新築や改築工事の最後に、屋根や足組みなどの「こけら」を払い落としたところから、新築または改築された劇場で行なわれる初めての興行という意味で使われるようになりました。新築落成を祝う最初の幕開けをいいます。

「柿落」が使われるのは、人が大勢集まり興行をする完成した建物のお披露目のとき。通常の民家やマンションの新築では使われません。

「こけら」の漢字「柿」は「柿」とほとんどおなじですが、別字だとあります。「柿」の旁りは鍋蓋に巾、「柿」は旁の縦棒が一本となっています。鍋蓋ではありません。

蛇足ですが、「落柿舎」という遺跡が京都の嵯峨野にあります。元禄の俳人向井去来の住まいだったようです。「柿落」という熟語とは全く関係がありません。m(-_-)m

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二文字熟語と取り組む その40 「豪儀」

d6a8b25e images kaguya_samp豪気とか強気、壮大といった意味の同義語です。「豪儀」には次のような形(なり)があるようです。
1   威勢がよく立派なさま
2   頑固で強情なさま
3   甚だしくよいこと

威勢がよく立派なさまは、例えば巨額の寄付を指して「豪儀だな!」、頑固で強情なさまは、「豪儀な性格だ」、程度のはなはだしいさまは、「この牛肉は豪儀にうめえ!」といった按配で使われます。

「豪」「豕」と音符「高」を合わせた字で、「やまあらしー豪猪」が原義です。その他に、きらびやかという意味もあります。通常、次のような熟語に見られます。
1   すぐれて力強い、勢いが盛ん 「豪快、豪傑、豪族、豪放、豪勇」
2   能力や財力などがぬきん出た人 「文豪、剣豪、酒豪、富豪」
3   並み外れている  「豪語、豪雪、豪奢」

「儀」とは進退動作の上で手本とすべきもの、作法に従って進退すること、かたどること、ことがら、わけ、といった意味を表す漢字です。

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二文字熟語と取り組む その39 「婉然」

images IMG_3398 0女性のしとやかで美しいさま。しなやかなさま たおやかな様の熟語です。にっこりとあでやかに笑うさま。美女の微笑にいい、女性のしなやかさを表すといいます。

「婉」の訓読みですが、「うつくーしい」、「したがーう」とあります。すなわち、
1 あでやか、しなやかで美しい
2  したがう。すなお
3  おだやかで、ものやわらか。遠まわし、婉曲

婉曲とは (1) 従う、飾る、めぐる、うごかす、(2) それとなくおだやかにいう、とあります。藤堂明保氏の編集による「新漢和辞典」によりますと、”「宛」とは女子がつつましく廟中に坐している形、その姿を「婉」という”とあります。

同音語の「嫣然」は、(1)  あでやか (2)すらりとして美しいという意味です。「艶然」は美しい女性が色っぽくにっこりと笑っていることをいいます。「嫣然として一笑すれば、陽城を惑わし下蔡を迷わす」という故事もあります。なお、「陽城」とは僧侶とか座主、「下蔡」とは知事にあたる県令のことです。「嫣然」とした女性に男性はすべからく惑わされる様をいいます。

「婉辞」はものやわらかにいうことです。とにもかくにも「字訓」で女偏の漢字を調べると161字もあります。はやり「女」は漢字の中で人気を独り占めしています。色々と話題に富むからでしょう。それも頷けます。

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二文字熟語と取り組む その38 「籠絡」

img_0 77cbed23 mig他人をうまく丸め込み自分の思うとおりに操ることが「籠絡」です。どうも先日の都知事の辞任という話題がいまだに尾を引くせいか、この熟語が話題になります。知事の権限を乱用して好き勝手に振る舞うことは、周りを籠絡できたからです。

「籠」とは竹でつくられた土を運ぶもっこのことです。訓読みはもちろん、カゴ、こもるという具合です。「絡」とは「ひっかけてつなぐ」という意味です。

「政を得てより士大夫、其の籠絡を受けざる無し」というフレーズがあります。周りの意見や注進に動かされず、自分の考えで政務を行う、という意味です。「士大夫」とは科挙を通った官僚とか地主のことです。

ついでに、駕籠という漢字ですが、「駕」は乗り物、他より上に出る、という意味です。「駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」というフレーズが江戸時代に流布しました。階級や貧富にはいろいろあって、その境遇の差は甚だしいということのたとえです。

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二文字熟語と取り組む その37 「股肱」

2010102820344028f P1160733 20200000013920144736279425187_s「股」はもも、「肱」はひじ。「股肱」で手足の意です。主君の手足となって働く、最も頼りになる家来や部下とか腹心にことです。自分の手足のように信頼している忠義な家来といえば、豊臣秀吉にあっては石田三成、徳川家康においては本多正信、上杉景勝にとっては直江兼続らの重臣といったところでしょう。「股肱の臣」というフレーズがあります。
「我を以て元首の将となし、汝を以て股肱の臣たらしむ」(太平記から)

「肝」という漢字の「月」の部分は、見掛け上同じ形をしています。しかし、「肝」という漢字の「月」の部分は、本来は「肉」という字です。「肉(にく)」が偏(へん)になるときには「月」の形になり、肉月(にくづき)と呼ばれるのです。

「つきへん」を部首とする漢字は「朗」「期」「朧(おぼろ)」など月といった天文的事象や日にちなど暦に関することが多く、「にくづき」を部首とする漢字は股、肱の他に「脚」「肘」「肥」など身体部位やその状態に関係することが多いといえます。

「服」の月ですが、「字源」によればもとは舟の添え板の意味から生まれたようです。そして舟に関係する漢字をつくります。「ふなづき」の由来です。

「にくづき」は二本線がぴったり両側につく、「ふなづき」は点々を書く、「つきへん」は右側が開いている、というのが正確な書き方であるという説もあります。残念ながらワープロで使うフォントではこの違いはでてきません。常用漢字ではこのへんの違いがないのかもしれません。手書きの良さ、素晴らしさはこの微妙な表現にもあるといえましょう。

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二文字熟語と取り組む その36 「忖度」

esyaku koujien ec9e48aefbc64e5f93388bd351cc21a2-300x184広辞苑で「忖度」を調べると「他人の気持ちをおしはかること」とあります。

「忖」は心と音符の寸からなり、指をそっと置いて長さや脈をはかるように、気持ちを思いやること、慮るとあります。「寸」は手の指を四本並べ長さの一本分で「はかる」、「おもう」という意です。昔は手尺や指の幅で長さをはかりました。「心をもっておしはかる」意が「忖」ということになります。
「他人に心あり、予これを忖度す」(詩経)

「度」ですが、仏教において「渡る」と同じ意味で彼岸に渡るの意味に使われるとあります。悟りを得させる、彼岸にわたす、頭をそって仏門に入るという意味でます。僧侶となるための出家の儀式が「得度」です。他の意味として、のり、ものさし、目盛り、おきてなどがあります。そこから、法度とか制度という熟語が生まれます。、

「忄」は心が偏になるときの形。感情、意思に関する部首です。りしんべんの名称は「立心偏」に由来します。心をものさしで測るといった按配です。

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二文字熟語と取り組む その35 「杜撰」

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「杜撰」(ずさん)の出典は、南宋の王楙が著した「野客叢書」。王楙は1100年代の詩人とあります。叢書とは本のシリーズのことです。そこに「杜默 為詩、多不合律」という一節があります。南宋の首都は臨安。地図をみると現在の杭州で上海の南に位置しています。日本は鎌倉時代です。

「杜」は「杜黙」という中国の詩人、「撰」は詩文を作ることを表します。杜黙の作る詩には、作詩の規則である律を外れたものが多かったことから、誤りが多い著作を意味するようになったというのです。

「杜撰」は次のような様です。
1 著作物で典拠が正確でないこと、誤りが多い著作
2 手をぬいたところが多く,いい加減であること

このように「杜撰」は、杜黙の詩は詩の形式に合わないものが多かったという故事から由来します。自分の名前が、このような熟語になろうとは本人も驚いているでしょう。

「杜撰」といえば、やっつけ、粗雑な 、行き当たりばったり、 雑ぱくなといった類似語や表現が浮かびます。 「杜撰」の「杜」は、本物でない、仮の意味という俗語であるという説もあります。

二文字熟語と取り組む その34 「首長」

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先日、テレビのコンメンテータが「首長」という語を「くびちょう」と呼んでいたのに少々驚きました。一般には、都道府県の知事や、市町村、特別区の長を指して使われています。発音はもちろんシュチョウです。シュは「首」の音読み、チョウは「長」の音読みですから、この熟語は、他の熟語と同様に2文字とも音読みで発音されるのです。高校のときまで、二文字熟語は訓読みか音読みであると教わってきたので、私は「くびちょう」に驚いたのです。

ところが「化学」と「科学」を区別するために「化学」を「ばけガク」と呼びます。他にも「私立」と「市立」が紛らわしいので「わたくしリツ」「いちリツ」と読み分けたりします。このような変則的な読み方がされるのは、同音異義語が多いからでしょうか。

「くびちょう」に戻ります。テレビで「しゅちょう」と発音されたとき、「市長」とか「首相」と聞き違えるかもしれません。読み上げテキストの脈絡で、どちらの「首長」かは判断できますが、「くびちょう」の響きはどうも違和感があります。今、「くびちょう」を呼ぶのは定着しつつあるようで、ささやかな抵抗をしたい気分です。

お役所用語か放送用語かは定かではありませんが、市長や知事にとっては、首長は「くびちょう」では落ち着かないのではないでしょうか。「シュチョウ」と読み上げられ、もしかしたら「シュショウ」というように聞かれ、「俺は首相なのか、、」とほくそ笑むかもしれません。首相を「あべくびそう」と発音されるようになれば、官房長官が記者会見でさっそく苦言を呈するでしょう。

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二文字熟語と取り組む その33 「傾城」

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島原

「北方有佳人  絶世独立 一顧傾人城  再顧傾人国」
「北方に佳人有り、絶世は独り立つ、一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の国を傾く」

前漢の歴史を紀伝体で記した書。紀元後80年ころ作られたとあります。中国二十四史の一つです。漢書は一つの王朝に区切って書かれたといわれます。代々の王朝を通して描いたのが通史でその代表が「史記」といわれます。

「漢書」に外戚伝という、名前の通り家族や親族のことを記した文書があります。親に対する「孝」を重んじる儒教社会が中国。君主が人々に対する模範として、率先して母親やその親族に対して礼を尽くすべきことを記しています。そこに「傾城」(けいせい)の故事がでてくるのは興味あることです。

「傾城」とは、絶世の美女です。別名は「傾国」。もう一つは、太夫や天神など上級の遊女のことです。君主がその美しさに夢中になって、城を傾けて(滅ぼして)しまうというのです。色香におぼれて城も国も顧みないほどの美女、たとえば楊貴妃のような女性は、いつの時代にもいたのでしょう。「傾城」は別名、「契情」ともいわれます。音意共にうつした当て字です。

「傾城」にはいろいろなフレーズがあります。「傾城に誠なし」、「傾城に可愛がられて運の尽き」とは男性をおちょくるギャグです。
「傾城の恋はまことの恋ならで 金持って来いが ほんの恋なり」は、花魁や遊女の逞しさをうたっています。

二文字熟語と取り組む その32 「狷介」

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「狷介」(けんかい)をいくつかの辞書を調べると、「心が狭く,自分の考えに固執し,人の考えを素直に聞こうとしない・こと(さま)」、「自分の意思をまげず人と和合しないこと」、「自ら守ること厳しく妥協しない」とあります。「狷介な人物」とか「 狷介孤高」といった四文字熟語もあります。

「許は狷介の士なるも未だ尭の心に達せず」という例文もあります。許とは人の名前です。「尭」とは「さとる」「たかい」「けだかい」という意味です。「狷」 は分を守って不義をしない意、「介」はかたい意とあります。ということは、現在は多く悪い意味で使われるのですが、これとは異なるニュアンスがあります。興味あることです。

今日、心がせまい、気がみじかい、かたいじ、強情っぱり 、意地っぱり、 頑なといったように使われる「狷介」ですが、「自ら守ること厳しく妥協しない」、「指南または規律に抵抗する」という意味があったのですから、時代を経ると意味が変わってくることに少々驚きます。

二文字熟語と取り組む その31 「蹉跌」

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「蹉」の音符は「差」で高低の違いがあり、蹉はものにつまずくことを表します。足と差から会意兼形声となり、ちぐはく、という意味となります。

「跌」は (1) ふみはずす、足をすべらす、(2) たがう、あやまつ、道理からそれる、という二つの意味がああります。 「蹉」も「跌」も同義語という「言葉の仲間」であります。

「蹉跌」(さだ)はつまずく意から物事がうまく進まず、しくじることを表します。挫折。失敗。「計画に蹉跌をきたす失敗し行きづまることです。「蹉跌」には、時を失うとか不幸になるという意味もあります。なかなか難しい語です。

かつて大阪府北河内郡に蹉跎村というところがあったようです。どうしてこの町名がなくなったのかはわかりませんが、「蹉」と「跎」の字訓を調べたのだろうと推察されます。ですが珍しい地名が消えるのは少々寂しい気分になります。先達がどんないきさつで蹉跎村と命名したのかという考証が必要ではなかったでしょうか。ただ、今も枚方市立蹉跎小学校があるのは嬉しいことです。

二文字熟語と取り組む その30 「注進」

img_0 416804_137495110613155001761_600 789「事変を注して上に申し進めること、大事を急いで報告すること」と広辞苑にあります。「注進」は告げ口という含みを持って使われることもあります。発言や報告に対して非難する意味合いでも用いられます。

現在、「注進」の語を使う表現はあまり報道などでは聞かれなくなりました。その理由の一つですが、土地やその状況を調査し、その明細を注記して具申したものが「注進状」と呼ばれていました。それが見られたのは平安時代後期から室町時代にかけてということです。相当古いものですから聞かない訳です。

最近では、自分の意見に反論しない「イエスマン」で周囲を固め、知人などを通して二人の弁護士を特別調査委員に任命し、裸の王様になってしまった首長がいました。自分が裸だと気づかない、周囲にそのことを指摘する人間を置かなかったので「注進」するような調査はできなかったのです。「事件」はすっかり迷宮入りとなりました。大事な税金の行方をうやむやにしていいのでしょうか。ほくそ笑むのは一体誰でしょうか?

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二文字熟語と取り組む その29 「字統」

38053_M denpou_4 429再々度、白川静氏の著作についてです。「字統」という余り聞き慣れない辞書があります。「字源の解明を試みた書」とあります。漢字の構造を通じて字の初形と初義とを明らかにし、字源の字書である「語史的字書」であると著者は述べています。

今回の二字熟語は「伝法」です。「デンボウ」ともいわれます。字統によってその語源を調べてみましたが、なかなか面白いです。まずは「伝法」の意味です。次の四つから成るとしています。
1) 仏法で師から弟子に伝えること
2) 江戸浅草伝法院の下男などが寺の威光を頼んで、無銭で芝居や見世物などを見物する無法な振る舞いをした
3) 悪ずれして乱暴な言行をすること、無頼漢、ならずもの
4) いなせな態度、特に女が勇み肌をまねること

4) の意味から「伝法な口をきく」というフレーズが生まれます。男の言行をいうフレーズではありません。

「伝」という漢字は、「故郷を棄てて四方に仕官を求め、諸国を歴遊すること」とされます。やがて馬車を乗り継いで歩くさまから「駅伝」という語が生まれます。

「法」は犯罪者を海に投げ入れる古代的な刑罰の法を原義とするようです。刑罰の法、法則、法制を示し、法、規範の意となります。

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二文字熟語と取り組む その28 「奢侈」

o0600030012358060995 U7526P1503DT20131105164153 32098837_main_l「奢侈」には二つの様があります。第一は、度を過ぎて贅沢なこと、第二は身分不相応な生活をすることです。「奢侈に流れる」とか「奢侈な生活をする」といった具合です。

「奢」は訓読みでは、「おごる」とか「おごり」となります。「侈」は、もともとは、「居の周囲をめぐらす土堤のことで、他を侵し奢る意象の字」とあります。尊大を装って他を誇る、という意味です。意味を分解しますと、1) おごる、ほこる、他をあなどる、2) 多い、大きい、広い、はる、3) ほしいまま、みだら、度を超える、4) ひらく、はなれる、ほりがない、という意味だそうです。

「奢」に似た語に「傲」があります。「どちらも呪能を争うもので、奢るというのは本来は呪力を争う呪的な性格の語」とされます。必要程度や分限を越えた暮らしをすることが「奢侈」。

ついでですが、「贅沢」という語です。贅沢の「贅」は、お金に代わって使用する宝貝の「貝」に「余分」「有り余る」を意味する「敖」で、余計な財貨が有り余っていることを表した会意文字とされます。 贅沢の「沢」は、たたえた水を表し「つや」や「うるおい」を意味します。

おごっていてぜいたくなことが「驕奢」という語です。いずれも屋上屋を重ねる熟語です。それほど「贅沢三昧」をすることを表現しています。なんでもかんでも経費で落として「奢侈」や「驕奢」を楽しむと「贅肉」がつくのは請け合いです。

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