ナンバープレートを通してのアメリカの州 その四十九 ネバダ州–The Silver State

ネバダ州(Nevada)は、西にカリフォルニア州、北にオレゴン州、東にユタ州、南にニューメキシコ州に囲まれています。州都はカーソンシティ(Carson City)。最大の街はラスベガス(Las Vegas)となっています。

 ネバダという名前は、雪をかぶった山々という意味の「Sierra Nevada」から由来すると言われます。北部は砂漠地帯、南部や渓谷と山となっています。ラスベガスの北104キロのところに原爆実験場があります。戦後はしばしば新聞紙上でこの地での原爆実験の記事が写真入りで載りました。

Map of Nevata

 1776年、ネバダにスペインの探検家がやってきます。独立宣言が発表された年です。以来、この地はスペインの領土となり、その後スペインの植民地支配から独立したメキシコの領土になります。1846年にアメリカとメキシコの戦(Mexican War)が起こります。 その結果、メキシコは、ニューメキシコ,ユタ,ネバダ,アリゾナ,カリフォルニアの領土を1,500万ドルでアメリカに割譲します。

ネバダ州のエンブレム

 ネバダ州の一部のカウンティ(county) では、合衆国では唯一、売春が合法となっています。ラスベガスのカジノは多くの観光客を惹きつけています。これが大きな産業ともなっています。他の産業としては金や銀の採掘です。世界でも有数の金の算出となっています。

デスバレー国立公園(Death Valley National Park) の砂丘は公園の中で最も有名で、見やすい観光スポットです。デスバレーの中央に位置しています。この砂丘区は三種類の砂丘を含みます。新月形、線形、星形です。砂丘は古代の湖床で、海抜マイナス80メートルとなっていす。

ナンバープレートを通してのアメリカの州  その四十八 テネシー州–Volunteer State

テネシー州(Tennessee) は州境でケンタッキー州、ミズーリ州、ヴァージニア州など8つの州と接しています。最大の都市はメンフィス(Memphis)ですが、州都はナッシュビル(Nashville )となっています。「チュチュトレイン」(Choo Choo Train)のチャタヌガ(Chattanooga)もこの州にあります。アパラチア山脈(Appalachian Mountains)を中心とするグレート・スモーキー山脈国立公園(Great Smoky Mountains National Park) はハイカーが押し寄せるところです。産業では、タバコ、綿花、そして大豆などの農産物が有名です。

Map of Tennessee

 ニューディール期(New Deal)のTVA(テネシー川流域開発公社)によって、多数の巨大なダムが建設されます。テネシー州はもともと遅れた農業州で南部なまりと密造酒に代表されるヒルビリー(hillbilly)地域といわれていました。ヒルビリーとは泥臭さとか田舎者といった意味です。TVAのお陰で農業の近代化や工業化が進みます。

 テネシーはカントリー・ウエスタン(Country music)の発祥の地です。エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley)もここの出身。彼が主に音楽活動を行ったのがメンフィスです。70代以上の方にはテネシー・ワルツ(Tennessee Waltz)が懐かしでしょう。ナッシュビルにも沢山の南部のライブを楽しめるところがあります。その響きはBluegrassと呼ばれるアコースティック音楽のジャンルです。演奏にはギター、マンドリン、フィドル(ヴァイオリン)、ギターなどの楽器が使われます。アパラチア南部に入植したスコッチ・アイリッシュ(Scotch Irish) といわれる北アイルランドやスコットランドから移住した人たちの伝承音楽をベースにしているようです。

テネシー州のエンブレム

 Bluegrassはアップテンポの曲が多く、楽器には速弾きなどの即興演奏(インプロヴァイズ)もあります。もちろん、ブルース感を表現する弾き方やハーモニーにも特徴があります。ナッシュビルへ行く機会がありましたら必ず本場のBluegrassを楽しむべきです。

 テネシー州のナンバープレートには「Volunteer State」とあります。1800代のBattle of New Orleansに人々が駆けつけて応援したことに由来しています。この戦いでイギリス軍を破り、ルイジアナやテネシーがイギリスの植民地支配から解放されていきます。

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ナンバープレートを通してのアメリカの州  その四十七 ペンシルベニア州–Amishとキルト

復習ですが、アーミッシュ(Amish)とはキリスト教徒の一派で、聖書の教えを忠実に実践しようとする人々のことです。政教分離を唱え、政治的な宣誓や戦争を拒否します。良心的兵役拒否という姿勢です。質素で簡素な生活を信条とする人々(plaine people)とも呼ばれています。

 今回はアーミッシュの人々によって作られるキルトの話題です。アーミッシュ・キルトは日本でも知られ人気の高い飾り物です。アーミッシュが、無地の布をパッチワークしつくるアーミッシュ・キルト(Amish Quilts)は、 鮮やかな色合いと幾何学模様から生まれるデザイン、細やかなステッチが特徴です。聖書の解釈に従って質素な生活規範を守り続けるグループが製作する深い味わいを感じさせてくれるのがアーミッシュキルトです。謙遜・控えめであることを重視している人々は、決まった色の無地の布を用いた衣服を着用し、この布のみを使用したキルトが、アーミッシュの生き方を表現するものとなっています。

 アーミッシュ・キルトは、布地を有効に利用し、余った布や端布をつないで作ったのが始まりと言われています。当時は布の利用に主眼がおかれたため、デザインなどのモチーフなどを込めた制作は行われなかったようです。生活のまわりにある植物の色、農場の土の色、そして空の青などを基調としているので地味ながら深く重厚な雰囲気を感じさせてくれるのがキルトです。

Amish quilts

 誕生する子どものために特別につくられる子ども用寝台、キルトも単色の布が用いられて配色やシンメトリー、モチーフに心を配り丹念に縫い合わされ、豊かなキルティングが施されるのも特徴です。キルトは、表地に薄い綿をかませ、重ねた状態で縫ったものです。三枚目の生地で綿を挟む場合も多い。綿の厚みで陰影の表情がうまれます。結婚を控える娘に持たせるために作られるベッドカバーなどはこうしたキルトの代表といわれます。

ナンバープレートを通してのアメリカの州  その四十六 ペンシルベニア州–Amishと子どもの教育

本稿はアーミッシュの子ども達の教育についてです。子どもはコミュニティの中にある一部屋の教室で8年間学びます。これはワンルーム・スクール・ハウス(One room school house)と呼ばれています。二部屋の教室もあります。学ぶのは聖書の読み書き、英語、ドイツ語、算数、歌唱などに限られています。教師は未婚の女性がなります。教員免許は持っていません。学びで大切なことは、両親らから教えられる農作業、家畜の世話などの実地体験です。子どもは大学に入ることはありません。高等教育は、アーミッシュの人々の考え方や生き方を乱す世俗のものであると考えるからです。

Amish School

 教育年限が8年間であることについて、ウィスコンシン州に住んでいたジョナス・ヨーダ(Jonas Yoder)ら3名のアーミッシュがマディソンの近くにあるニューグレラス(New Glarus)高等学校への子どもの就学を拒否してウィスコンシン州教育委員会を相手に裁判を起こした有名な事例があります。これはWisconsin v. Jonas Yoder裁判と呼ばれます。初審はグリーン・カウンティ(Green County)裁判所で開かれ、原告の敗訴となり5ドルの罰金が科せられます。二審の州最高裁では、一転してヨーダー側の勝訴となります。それを不服としてウィスコンシン州教育委員会は、連邦最高裁判所に上告します。保護者には子どもに高等教育を受けさせる義務があるという主張です。

 それに対して、ヨーダら保護者が、高等学校における就学義務について「アーミッシュの子ども達を信仰に反する態度・目的や価値といった点で世俗の影響にさらし、アーミッシュの子どもの宗教的発達と、アーミッシュの信仰による共同体での生き方の統合を、発達の決定的段階である青年期に本質的に阻害され、親および子どもの両方にとって高等学校教育がアーミッシュの基本的な教義と慣習に反する」と訴えたのです。アメリカでは、小学校が5年、中学校が3年、高校が4年の12年間が義務教育で無償となっています。ただし、アーミッシュは、子ども達の読み書きや算術などの基本的な技術を学ぶために公立学校に通うことに反対したのでありませんでした。

 アーミッシュ共同体外での高等学校段階での就学義務によって、子ども達を「人間の成長にとって極めて重要な意味をもつ青年期に、物理的、情緒的にからアーミッシュの共同体から連れ去ってしまう」という理由です。ウィスコンシン州はアーミッシュによる義務教育法の適用免除要求を拒否しますが、連邦最高裁判所は、1972年5月15日に州がアーミッシュの家族と子どもの宗教的権利を侵害したと判決を下します。最高裁のバーガー(Warren Burger)首席判事は、法廷意見においてアーミッシュはその共同体における生活のために、十分に適切な教育を子ども達に与えていると主張します。さらに、学校では人間に必要なものの半分しか得ることができない、アーミッシュは学校教育に全て委ねるのではなく、家庭や農場での実践を通して、良き市民を育ててきた長い実績があることを評価されたのです。この判事は共同体では低い犯罪率や社会保障給付の辞退を論拠として、アーミッシュは稀なほど子どもの教育に成功しているとも述べるのです。

 この最高裁判決において、少数の反対意見をダグラスという判事(William Douglas)が述べています。憲法の修正第1条の言論や表現、結社、宗教の自由、さらに修正第14条にある市民の広範な権利は保障されるべきであること、しかし、コミュニティにおける8年の教育で十分であるという主張は、果たして子どもの幸福を保障するものかは疑問であるとします。保護者の訴えは子どもの訴えではないという主張です。子どもの意見を聞くべきであるというのです。

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ナンバープレートを通してのアメリカの州  その四十五 ペンシルベニア州–Amishとバギー

アーミッシュの移動手段は、歩くことかバギー(buggy)と呼ばれる軽馬車を使うことです。馬車は黒か黄色に塗られて、買い物、荷物運び、礼拝などの集まりなどに使われます。自動車といった発明品は使わないという主義です。近代的な農機具を制限することで、土地所有の欲望を抑え、次世代のための労働の場を確保しています。結果として良い土壌と品質の高い作物を収穫しています。

 アーミッシュの人々にも近代化や科学技術の影響が伝わっています。彼らの伝統的な生業といえば、農業や酪農が中心でしたが、現在はスキルを獲得し、工場やレストランなどを経営したり、製造業や商業施設で働く人々が多いことです。重油を使って農耕機械を動かし、木工作業を行い、ガスを使ってビニールハウスを暖めたりしています。電気を購入することはしないようです。

 アーミッシュ女性の手作りによるキルト(quilts)は有名で多くの観光客に喜ばれる品です。自分たちの衣服などに使う無地の布地、空の青、聞きの植物の緑、大地の茶や黒といった傾向の色を好んだことで、全体に深みを感じさせるパタンが伝統的です。キルトを販売し収入を得ることもアーミッシュ生活の変化を示すようです。女性にとって洗濯は重労働です。乾燥機は用いず、旧式な洗濯機をジーゼルエンジンやガスで動かします。アーミッシュのグループによっては手動の装置しか使いません。脱水はローラーに挟んで絞るのです。

ナンバープレートを通してのアメリカの州  その四十四 ペンシルベニア州–Amishの文化と生活

アーミッシュには、(Ordnung)という戒律のような信仰告白があり、生き方の指針として次の教えを大切にしています。それは洗礼、人類愛、絶対平和、近代文明への非協調、聖書に従順といったことです。謙虚さ、家族、共同体、世俗社会からの独立などを大切にし、原則として人生の快楽を求めることは禁止されています。こうした教義からアーミッシュが、質素でつつましい人々(plain and simple people)と呼ばれる所以です。聖書の講釈においては厳格主義を貫きます。自由な解釈を許さないという立場です。ここで私どもが誤解していけないことは、アーミッシュはカルト集団とか禁欲的な集団ではないということです。良き農業者となることを喜びとする穏やかな人々です。

 教会生活のことです。教会堂という建物を持たず、隔週の日曜日に持ち回りでそれぞれの家庭で礼拝が執り行われます。大きな会衆が集まるときは、納屋を使うこともあります。このことからハウス・アーミッシュとも呼ばれます。歌われる聖歌は、16世紀のヨーロッパで迫害を受けていた再洗礼派によって作られたものです。無伴奏でユニゾン(単声)で歌います。礼拝を主宰する家では、いろいろな準備をし、礼拝後の昼食を振る舞います。その仕事は女性が受け持ちます。

 アーミッシュ生活や文化の特徴は、服装などに表れます。質素な生地を使い自分たちで裁縫した服を着ます。男性や少年は、つばの広い黒い帽子をかぶり、吊り紐のついた黒いズボン、黒い靴下と黒い靴をはきます。女性や少女は、ボネット(bonnets)と呼ばれる白い帽子をかぶり、長いドレスと袖なしのマント(capes)、黒い靴下に黒い靴をはきます。ボタンは使わずフックを用いた自家製の服です。男性は、結婚すると顎髭を伸ばします。口髭は禁止されません。女性は髪を刈らずに後頭部で束ね、イアリングなどの飾りを身につけることは許されません。アーミッシュは、結婚すると生涯添い遂げます。離婚という概念がありません。

 隣人が総出で手伝う納屋の棟上げ(barn raising)がアーミッシュの伝統です。近隣から大勢のアーミッシュが集まって、納屋や家を建てるのです。女性達は、手伝う男達の食事づくりに専念します。アーミッシュの人々は写真を撮られるのを避けます。人々の姿は後姿か横顔が分かる位の写りとなっています。家の中でも家族や祖先の写真を飾ることはしません。

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ナンバープレートを通してのアメリカの州  その四十三 ペンシルベニア州–その1 Amishとは

ペンシルベニア州といえば、キリスト教との一派であるアーミッシュ(Amish)と呼ばれる人々の文化と生活で知られる州です。これから3回に渡ってアーミッシュの文化や生き方の特徴を考えていきます。

 アーミッシュとは、キリスト教の再洗礼派(アナバプテスト–Anabaptist)と呼ばれる人々です。成人してから自らの意志で洗礼を受けることを特徴とする一派です。こうしたキリスト教徒はメノナイト(Mennonite)とも呼ばれています。政教分離を唱え、政治的な宣誓や戦争を拒否します。良心的兵役拒否という姿勢です。

アーミッシュとバギー(Wikipediaより)

 ヨーロッパの再洗礼派の教徒は、カトリック教会はルーテル教会などのプロテスタント教会から、異端とか熱狂主義者と呼ばれ非難され、反宗教改革的な存在として迫害を受けます。再洗礼派が次第に教会本来の純粋さを失ってゆくとともに、17世紀後半にスイス人のヤコブ・アマン(Jakob Ammann)がメノナイトを離れアーミッシュと称していきます。アマンは当時の正統的なキリスト教会やその教えに対して異議を唱え、迫害を受けます。彼とその信奉者は、フランス北部のアルザス(Alsace) やドイツ、オランダなどで布教活動を始めます。教会から異端視され迫害を受けていきます。

 迫害が止まないために、18世紀の前半に信徒達はアメリカ大陸に移住を開始します。最初に植民地として選んだのが東部ペンシルバニア州です。その後オハイオ州、インディアナ州、イリノイ州、ウィスコンシン州、ネブラスカ州などの中西部に移動し入植します。アーミッシュは、ドイツ系移民で、ペンシルベニア・ダッチ(Pennsylvania Dutch)とも呼ばれています。ダッチ(Dutch)は、オランダ語のことではなく、ドイツ語の”Deutsch”に由来し、古くはドイツ人のことを指しました。

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ナーンバープレート その四十二 ペンシルベニア州–Keystone State

ペンシルベニア州(Pennsylvania)の名前の由来から始めます。この地にイギリスからやってきた商人でクエーカー教徒(Quaker)であったWilliam Pennという人がいました。やがて貿易などで成功したPennにイギリスは領地を分け与えます。そして植民地とします。ペンシルベニアには豊かな森が広がります。ラテン語で森を意味する「Sylvania」にPennをつけたというわけです。

Map of Pennsylvania


 その後、ペンシルベニアは開拓されて植民地化されていきますが、Pennらはその地の自治を求めて自由憲章の草稿を書き、イギリスからの独立を目指していきます。信教の自由、公正な裁判、主権を持つ人民により選ばれた代表、三権分立などの精神を訴えます。こうした考えは、後にアメリカ合衆国憲法の基本になる考えとなります。

 ペンシルベニア州は北東部の州と南部の州、大西洋岸と中西部を結ぶ地点にあることから、キーストーン・ステート(Keystone State)「礎石の州」とも呼ばれます。エリーやオンタリオ湖に面し、北はカナダとニューヨーク州に接し、東はニュージャージーにつながっています。形は横長の州です。

 州都はハリスバーグ(Harrisburg)。州の西には重要な河港を持つピッツバーグ市(Pittsburgh)、東には自由の鐘や独立記念館で有名なフィラデルフィア市(Philadelphia)があります。フィラデルフィアは独立後、1790年から1800年まで連邦政府の首都となります。南北戦争の激戦地でリンカーン大統領(Abraham Lincoln)の演説で有名はゲティスバーグ(Gettysburg)など史跡が多い州でもあります。ピッツバーグ一帯や東部のベツレヘム(Bethlehem)一帯には多くの製鉄都市があり、鉄鋼、機械、化学、繊維、食品などの製造業が発達しています。製鉄を支えるのはアパラチア(Appalachia)炭田で、全米の無煙炭の大部分を産出しています。

 教育研究の中心は、カーネギーメロン大学(Carnegie Mellon University)、ペンシルベニア州立大学(Pennsylvania State University)、アイビーリーグ(Ivy League) の一つペンシルベニア大学などです。ペンシルベニア大学は1765年にアメリカで最初の医学部を設置します。今も医学や公衆衛生の分野でアメリカの開拓者的存在として知られています。日本でも人気のあるフィラデルフィア管弦楽団(Philadelphia Orchestra) はこの州にあります。

ナンバープレートを通してのアメリカの州  その四十一 ヴァモント州–Green Mountain State

ヴァモント州(Vermont)はアメリカ合衆国北東部のニューイングランド(New England)地方の内陸にあります。北はカナダのケベック州に、東はニューハンプシャー州、南はマサチューセッツ州、西はニューヨーク州に隣接しています。州都モントピーリア(Montpelier)は全米で最も小さい州都といわれています。最大の都市はバーリントン(Burlington)なのですが、この町も全州の中での最大の都市に比べて最も小さい都市といといわれています。少々おかしみがあります。それだけ小さい州というわけです。

ヴァモント州のエンブレム

 ヴァモント州最大の産業は観光です。畜産業も盛んです。観光客の多くはインターステート(高速道路)で数時間の距離にあるニューヨークやボストンからやってきます。豊かな自然を売りにしてスキー、サイクリング、キャンプ、フィッシングの鱒釣りなどが盛んです。秋はりんご狩りなどに大勢の観光客が訪れます。この州で忘れられないのはメープル・シロップの生産です。全米で最大の生産量を誇っています。サトウカエデの樹液を集めて精製します。シロップの琥珀色は薄いほど高級となります。メープル・シロップは熱いパンケーキなどにかけてバターと一緒にいただくと最高ですね。

 州の多くは山岳と森林で占められています。気候は内陸性ですから夏は暑く、冬は相当「しばれ」ます。ニューイングランドの紅葉は格別です。州の愛称は「Green Mountain State」でこれがナンバープレートに書かれています。プレートも緑色で、こだわりを感じます。

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ナンバープレートを通してのアメリカの州  その四十 メリーランド州–Old Line State

メリーランド州(Maryland)のナンバープレートです。州のニックネームであるOld Line State(憲法を署名した由緒ある州)とかFree State(自由を求める州)などが記されています。Old Line Stateとは合衆国最初の憲法を7番目に署名した州という意味です。州名の発音が心地良い響きもっています。

 メリーランド州の歴史ですが、1649年に清教徒がプロビデンス(Providence)の名前で植民地を作ります。州の議事堂は木造で、合衆国最古の議事堂といわれます。メリーランド州はワシントンDCのすぐ北隣りにあり、ペンシルバニア州(Pennsylvania) やデラウエア州(Delaware)とも境をなしている大西洋岸の州です。

 州都はアナポリス(Annapolis)、最も大きな町はバルチモア(Baltimore)です。州都アナポリスには海軍士官学校(海軍大学)(Naval Academy) があります。海の側にあるほれぼれするほど綺麗なキャンパスと街並です。ニューヨーク州のウェストポイント(Westpoint) にある陸軍士官学校(陸軍大学)と並び、合衆国の幹部将兵を育てるこの海軍士官学校は、1845年以来の歴史を有しています。1976年からは女性の入学も認められています。

 メリーランド州の人々の一人当たりの平均収入は2007年から連続全米一となっています。これは、ワシントンD.C.に通う人々が多いこと、ハイテクの産業が多いことなどが理由となっています。350余りのバイオテクの企業が多いのも特徴です。そしてメリーランド大学(University of Maryland)が科学者や研究者などの専門家を輩出する中心となっています。農業が盛んなのがアメリカのどの州にも共通する特徴です。メリーランド州もそうです。キュウリ、スイカ、スイートコーン、トマト、マスクメロン、カボチャ、梨などが採れます。

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ナンバープレートを通してのアメリカの州  その三十九 メイン州–Vacation Land

合衆国本土の最東北部に位置する小さな州がメイン(Maine)です。州都はオーガスタ市(Augusta)。メイン州の海産物はなんといってもロブスター(lobster)そして貝類(clam)。その他、家禽及び卵、乳製品、牛、ブルーベリー、リンゴ、そしてメイプルシロップ(maple syrup)です。他にも産業生産で高いのは高は材木及び製紙です。サトウカエデの樹液を煮詰めて濃縮したシロップは香りがよいです。合衆国の海軍基地を控え造船も盛んな地です。北、東、西側はカナダと長く国境線を有し、南は大西洋がひろがる州です。州の内部には森林が広がり、海岸線は観光地として知られています。メインはニューイングランド(New England)の一部です。

Map of Maine

 現在メイン州となっている領域には数千年前から先住インディアンが住んでいました。ヨーロッパ人が接触した時にはアルゴンキン語(Algonquin language)族の数部族がいました。ヨーロッパ人による最初の開拓地は、1604年にフランス人、ピエール・ヂュビア・シール・モン(Pierre Dugua, Sieur de Mons)がサンクロア島(Saint Croix Island) に開拓地をつくります。その後1607年にイングランド人によってポパム植民地(Popham Colony)がつくられますが、わずか1年後に放棄されます。やがて1620年代に海岸線に多くの開拓地が設立されますが、過酷な気候や物資の欠乏、地元インディアンとの抗争により植民地化はうまく進みませんでした。

メイン州のエンブレム

 アメリカ独立戦争や米英戦争のとき、アメリカの愛国者とイギリス軍がメインの領土を巡って争います。1820年まではメイン地区としてマサチューセッツ州に属していましたが、1820年の住民投票でマサチューセッツ州からの分離を決めメイン州として独立します。

 メイン州は死刑廃止を掲げています。2009年に合衆国で最初に同姓結婚が合法化されます。全土の90%が森林で、「松の木の州」とも呼ばれています。ナーンバープレートには「Vacation Land」とあります。観光の州をうたっています。多くの州立公園があり、キャンピングなどアウトドアでも盛んなところです。豊富な海産物を背景に観光客には、必ず立ち寄るのが海産物を用意しているレストランです。

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ナンバープレートを通してのアメリカの州  その三十八 ミネソタ州–10,000 Lakes

カナダと国境を接し、ウィスコンシン州の西隣に位置するのがミネソタ州(Minnesota) です。州都はセントポール(St. Paul)。その隣は最も大きな都市、ミネアポリス(Minneapolis)とです。この二つは隣合わせなので「双子の都市」(Twin Cities)と呼ばれています。

 ミネソタ州の人口ですが、白人が88%を占めます。先祖は北欧やヨーロッパの移民のようです。ミネソタの風土や気候が似ていたからでしょう。あまりにも寒いところなので、有色人は少ないように思われがちですが、ラオス/タイ/ベトナムから多くの難民を受け入れている州としても知られています。これらの人々はアメリカではMon(モン族)と呼ばれています。

ミネソタ州のエンブレム

 双子の都市ではプロ野球球団のMinnesota Twinsがあります。フットボールではMinnesota Vikingsが知られています。精密機器などの産業でも有名です。小麦や大麦など穀物の集散地であります。穀物市場を席巻するカーギル(Cargill)や3Mなどの本社もあります。カーギルは人口衛星を使い全世界の穀物の成育や生産状況、消費の情報を基に経営戦略を練り、穀物メジャーとも呼ばれています。

 この州のナンバープレートには「10,000 Lakes」と印字されています。無数の湖で知られています。昔、氷河がミネソタ全体を覆っていたようです。氷河はゆっくり移動しますが、そのとき大地を削っていきます。それが基で湖が出来たというわけです。あまりに沢山の湖があるので、目的地に着くには大分迂回しなければならないということを友人から聞いたことがあります。湖が多いので蚊の大群に見舞われます。ミネソタ州の鳥(state bird)は蚊だ、というジョークもあります。

 ミネソタ州といえば、ポール・バニヤン(Paul Bunyan)という巨人です。アメリカ合衆国やカナダの民話に出てくる伝説上の怪物です、西部開拓時代の怪力無双のきこりで、ベイブという大きな雄牛や愉快な仲間数人を連れて、アメリカ全土の木を伐って歩き、五大湖やミシシッピ川をつくったという民話があります。開拓民が苦しい生活から生み出した話です。

ナンバープレートを通してのアメリカの州  その三十七 ミズーリ州 –Show Me State

ミズーリ州(Missouri)のニックネームは「Show Me State」となっています。これは、「俺は疑い深いのだ、証拠を見せてくれ」という意味です。少々のことでは納得しない、という気概が感じられます。このフレーズががナンバープレートに書かれてあります。

 ミズーリ州は、合衆国中西部のミシシッピー川(Mississippi River)沿いの内陸にあります。8つの州にまたがるところでもあります。州都はジェファーソン・シティ(Jefferson City)。同州を代表する都市はなんといってもセントルイス(St. Louis)です。ミシシッピ川に面するこの町は、開拓時代より西部への玄関口として発展し、現在では中西部きっての観光地となっています。もともとの開拓には、フランスから移民としてやってきて、カナダでフランス植民地をつくった人々がミズーリにやってきたとあります。そのせいか、フランスの苗字が目立ちます。

Map of Missouri

 ミズーリの主要産業は、航空宇宙産業、輸送設備、食品加工、化学工業、印刷/出版、電気設備、製造業など多彩です。農業生産品は、牛肉、大豆、豚肉、乳製品、干し草、トウモロコシ、ニワトリなどの家禽、及び 鶏卵です。特に豚や牛の生産が盛んです。近年はワイン産業の育成にも州は力を入れています。ミズーリは、大理石の生産で知られています。その他、鉛、石炭、採石が生産されています。ミズーリ川(Missouri River)とミシシッピー川がこうした資源を運ぶ大動脈となっています。川には大小多くのバージ(barge)と呼ばれる運搬船が往来しています。

 セントルイス市内には「Gateway Arch」アーチがそびえています。頂上からの眺めは、ミシシッピー川をはさんで360度の景色が楽しめます。ここには、Gateway Archが建設される様子の資料が展示されています。あの壮麗なアーチが出来上がる様をつぶさに映像で説明しています。私も存分に景色を楽しみました。

 面白い話題がミズーリにはあります。それはアルコールやタバコの生産にまつわることです。ミズーリ州は他の州に比べて、アルコールやタバコの規制が緩やかなことです。例えば、未成年の子どもに保護者が酒をのませることも認められたり、21歳以上であれば道ばたでプラスチックのカップなどで酒を飲むことができるなどです。禁煙運動が盛んな国としては、大変珍しいことです。そういえば、バドワイザーを製造するアンハウザー・ブッシュ(Anheuser-Busch)の本社もここにあります。

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ナンバープレート その三十六 マサチューセッツ州–Spirit of America

マサチューセッツ州(Massachusetts)の州都ボストン(Boston) から車で一時間のところにプリマス(Plymouth)という港町があります。ここにMayflowerII号のレプリカが停泊しています。Mayflowerは1620年頃にヨーロッパからこのあたりに着いたことが記されています。長くて困難な大西洋の航海だったようです。オランダ(Holland)のライデン(Leiden)あたりが出航地のようです。

Map of Massachusetts

 最初の移民の多くは聖教徒(Pilgrims)といわれています。船から下りた聖教徒が開拓したところが今も大切に保存されています。この居留地はPlimouth(プリマス開拓地)と呼ばれて州の歴史的な公園となっています。開拓地は高い木の柵が巡らされてインディアンからの襲撃に備えたことを伺わせます。

 Plantationに入りますと、そこは1600年代という設定です。タイムスリップするのです。そこで働く人は百姓、商人、鍛冶屋、パン屋さんなどいろいろ。当時の服装、言葉、動作で観光客に対応します。観光客はそのことを知らされません。こんな会話が交わされます。

  働く人:どこから来ましたか?
  観光客:日本からきました。
  働く人:日本ってなんですか?どこにありますか?
  観光客:アジアです。

  働く人:どうやってここまで来ましたか?
  観光客:飛行機と車できました。
  働く人:飛行機とか車ってなんですか?
  観光客:飛行機も車も知らないんですか、、、、。

 このあたりまで会話が進むと、ちんぷんかんぷんの観光客もようやく「ははあ、、ここは1620年頃の設定なのだな、、、」と合点がいきます。この演出は誠に可笑味があります。

 マサチューセッツ州のナンバープレートには「Spirit of America」というキャッチフレーズが印字されています。これは、建国の精神を意味します。1680年ころから、マサチューセッツはイギリスの植民地となります。1760年代になると、マサチューセッツ憲法として権利の宣言と政府の樹立を叫び、イギリスの支配に反旗を翻します。やがて独立戦争が始まるのです。この自治と独立の精神が「Spirit of America」というものです。

 研究機関としてハヴァード大学(Harvard University)、マサチューセッツ工科大学(MIT)を筆頭として、ボストン大学(Boston University)、マサチューセッツ大学(University of Massachusetts)、タフツ大学(Tufts University)など、いずれも合格率は10%前後という難関大学です。

ナンバープレートを通してのアメリカの州 その三十五 ミシガン州–Great Lake State

ミシガン州(Michigan)のナンバープレートには「Great Lake State」と印字されています。州名は、チペワ(Chippewa)インディアン語で「大きな湖」から由来します。五大湖を指しています。ミシガンは北はカナダと国境を接しスペリオル湖(Lake Superior)・ヒューロン湖(Lake Huron)を抱え、西はウィスコンシン州、南はインディアナ州とオハイオ州に接しています。州都はランシング(Lansing)で最大の都市はご存じデトロイト(Detroit)です。デトロイト国際空港は6本の滑走路を有し、Delta航空の一大ハブ空港となっています。

Map of Michigan

 ミシガンは林業が盛んで、そのために馬車の生産で有名となります。林業に変わって自動車が登場し、1908年にフォード(Henry Ford)が大衆車の大規模生産に乗り出します。その中心はなっといってもデトロイトでしょう。五大湖のうちの4つに囲まれるという地の利が自動車産業を支えてきました。ゼネラルモーターズ(GM)、フォード、(Chrysler(Chrisler))のビッグスリーの本社がデトロイトとその近郊にあります。そういえば、高速道路(US Highway)には自動運転車専用レーンもあります。

 その他の産業も盛んです。アムウェイ(Amway)、穀物のケロッグ(Kellogg)、ダウケミカル(Dow Chemical)、ワールプール(Whirlpool)などもここにあります。研究開発はミシガン大学(University of Michigan)、ミシガン州立大学(Michigan State University)、ウェイン州立大学(Wayne State University)が担っています。

 ミシガンは一大レクリエーションの州でもあるのをご存じでしょうか。2005年の統計によるとミシガンはカリフォルニア、フロリダに続き全米で第三番目の観光客を集めた州といわれるほど自然に恵まれたところです。65,000の湖や沼が広がるというのですから、レクリエーション客を惹き付ける理由もうなずけます。4つの湖の側はどこも州立公園や観光地といってよいほどです。いくつかを紹介しましょう。

 カナダの国境近くにはマキナック島(Mackinac Island)があります。夏はキャンプ、リゾート、、なんでも楽しめます。この島は車禁止。移動手段は「リムジン馬車」か自転車となっています。コロニアルスタイルの建物が並びます。生ガキとキャビア、魚料理の食事もいいです。のんびりと時間が流れるようなところです。

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ナンバープレートを通してのアメリカの州 その三十四 フロリダ州–Sunshine State

日本人にもフロリダ州(Florida) はよく知られています。子どもや親にとってはわくわくするところです。その第一はオーランドにあるディズニー・ワールド(Disney World)です。世界一の娯楽施設です。その広さはJR山手線内の約1.5倍というのですから、まさに桁外れのものです。その敷地内には、4つのテーマパークを中心に、ウォーター・パーク、エンターテイメントエリア、マリーナ、ゴルフ場、牧場、キャンプ場などが配置されています。

Map of Florida

 ディズニー・ワールドには、タイフーン・ラグーン、マジック・キングダム、、、どれをとっても娯楽の粋を集めてそのアイディアを競っています。レストランにはミッキーマウスや小熊のプーさんがテーブルを回って写真を一緒に撮ってくれます。子どもたちはもう大喜びです。夢を子ども達に与えるのがこうしたテーマパークの「テーマ」といえましょう。オーランドにはユニバーサルスタジオ(Universal Studio)もあります。ディズニーワールドとあわせて毎年6,000万以上の人々がオーランドを訪れるというのです。

 第二は、アメリカ航空宇宙局 (NASA) のケネディ宇宙センターがあります。数々のロケットやスペースシャトルが打ち上げられてきたところです。軍事用の偵察衛星や通信衛星、気象衛星、そして惑星探査機の打ち上げにセンターが使われています。

 フロリダ州のナンバープレートには「Sunshine State」とあります。フロリダとは「花が一杯」という意味だそうです。文字通り太陽の降り注ぐ温暖な州です。特に冬は、各地から避寒客がやってきます。極寒の中西部では、「フロリダに行ってくる」というフレーズは周りの人からは羨ましがられるのです。

 フロリダは亜熱帯の柑橘類であるグレープフルーツ、オレンジ、野菜の産地です。ジュース生産も盛んな州です。また豊富な漁猟資源でも知られています。特産のエビや牡蠣(かき)でも有名です。北米最大の湿原地帯がエバグレーズ(Everglades National Park)国立公園です。国立公園として園内のほとんどが保護されています。開発は一切行われず、環境には優しいのですが、道路が不整備で観光には決して優しくないという珍しい国立公園です。

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ナンバープレートを通してのアメリカの州  その三十三 ハワイ州–Aloha State

大抵の日本人なら一度は旅するところがハワイ州(Hawaii)です。言葉が通じ、食べ物が豊富で美味しく、景色がエキゾチックで、気候が温暖なのですから人気が高いのもうなずけます。誠に手頃な観光地です。ですが文化や歴史の多様な姿もまたハワイの魅力です。

 ハワイ固有の文化はポリネシア系(Polynesia)です。ポリネシアとは「多くの島々」の意味だそうです。音楽、舞踊、服装、料理などがそうです。1778年にイギリスの探検家、ジェームス・クック(James Cook)によって世界に紹介されます。州として合衆国に編入されたのは1959年。カメハメハ大王(King Kamehameha the Great)の統治が長く続きました。その間、日本から多くの人々が移民しました。主としてオアフ島(Oahu)やハワイ島(Big Island)でのサトウキビ、パイナップル、珈琲栽培のためです。琉球からの移民が目立ちました。今も琉球の名前を持つ人々が大勢住んでいます。

マウイ島

 先住のハワイ人やポリネシア系が約10%なのに比べ、日系人は17%を占めます。政治、経済、社会における活躍は目覚ましいものがあります。日系人の活躍としては、戦時中の志願兵の活躍が特筆されます。ハワイで生まれの若い日系アメリカ人の多くは、志願兵として祖国に対する忠誠心を示し陸軍の大隊に入ります。この部隊は日系人だけで組織されていたようです。やがてアメリカ本土の日系人部隊と合流し442連隊 (442nd Regimental Combat Team) となりヨーロッパ戦線にて戦果を上げます。オアフ島の真珠湾に浮かぶ戦艦アリゾナ記念館や戦艦ミズリー号などを訪れると太平洋戦争の歴史が身近なものとなります。

 ハワイ州は、大小100位の島々から成ります。これらは海底火山によってつくられました。州都ホノルルのあるオアフ島は最も知られていますが、是非訪ねたいのはハワイ島やカウアイ島(Kauai Island)、モロカイ島(Molokai Island) などです。ハワイ島には日系移民によって開発された一番大きな町、ヒロ(Hilo)があります。そこに日系移民博物館があります。驚くことに、館内の展示物には代々の天皇の「写真」が飾ってあります。驚くなかれ神武天皇の写真もあります。日本に対する深い想いがこめられているのを感じます。

 ハワイ島のマウナケア(Mauna Kea)山頂付近は、国立天文台が設置したすばる望遠鏡があります。周りには世界各国の天文台も並んでいます。ここに兵教大の院生とで天文台内部を見学する許可を得て訪ねました。ついでに山頂へも登ったのですが、酸素が薄くて息が苦しかったのを覚えています。一行にいた理科の教師にはたまらない見学ツアーとなったようです。ハワイ島のキラウエア(Kilauea)火山からの熔岩流は今も蒸気を上げています。そして虹が地平線から地平線まで見事なアーチを描きます。

 ハワイの高校には二つの有名な私立学校があります。カメハメハ・スクール(Kamehameha Schools)とプナホウ・スクール(Punahou School)です。バラク・オバマ大統領が卒業したプナホウは人気が高くなりました。マウイ島にあるハレアカラ火山の標高は3,000メートルを超え、世界一大きな火口を持つことでも有名です。「2001年宇宙の旅」の火星モデルにもなったようで、荒涼、索漠たる光景がひろがります。この世ではない遠い世界のような感じがします。ほとんど頂上近くまで車であがることができます。

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ナンバープレートを通してのアメリカの州 その三十二 ヴァジニア州–Mother of Presidents

ワシントンDC(Washington D.C.)からポトマック川(Potomac RIver)を越えたところに位置するアーリントン郡(Arlington)、そこからヴァジニア州(Virginia)は南西に広がります。イギリスから最初に独立した13州のうちの一つ。南北戦争では南部連合(Confederacy)に属して合衆国軍(Union)と戦いました。州都はリッチモンド(Richmond)となっています。チェスピーク湾は大西洋に面し、あちこちに独立戦争の戦跡が国立公園として保存されています。

ヴァジニア州のエンブレム

 ヴァジニア州は正式にはThe Commonwealth of Virginiaと呼ばれます。植民地時代から地域がそれぞれに共通した目標である独立に向けて共に発展する意思を表しています。この州からは、歴代8名の大統領を送り出しています。George Washington, Thomas Jeffersonらです。そのために、「アメリカ大統領の母なる地」(Mother of Presidents)とも言われるほどです。DCの対岸の州内にはアメリカ国防総省(Pentagon)やCIA本部もあります。アレクサンドリア(Alexandria)という歴史的旧市街も綺麗です。独立戦争以前の街です。全米で最も古いとされるファーマーズマーケットも知られています。

 ウイリアムスバーグ(Williamsburg)は是非訪れたいところです。1690年代には植民地時代の首都でありました。1.5km x 1.5 kmのスペースに入植当時の建物はすっかり復元されて、植民地の面影を感じることができます。その近くに1693年に設立されたWilliam & Mary大学があります。アメリカで最も由緒のある、また優れた学部教育のカレッジとして知られています。

 研究機関の中心はなんといってもヴァジニア大学 (University of Virginia)です。創立は1819年、Thomas Jeffersonによって創建されました。学内のすべての建物がコロニアルスタイルで統一され、全米で最も美しいキャンパスと称されています。

 ヴァジニア州のナンバープレートはいろいろなデザインがあります。うっそうとした豊かな森や清流の自然や生態系を反映してデザインには野鳥などを配置しています。ヴァジニアは「Mother of Presidents」の名にふさわしい風格のある州です。

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ナンバープレートを通してのアメリカの州  その三十一 ネブラスカ州–Cornhusker

ネブラスカ州(Nebraska)は合衆国のほぼ真ん中に位置しています。丁度合衆国のおへそのような所にあります。北はサウスダコタに、東はアイオワ州とミズーリ州に、西はワイオミング州とコロラド州に、南はカンザス州に囲まれています。オマハ(Omaha)で最も人口の多い街です。ミズーリ川(Missouri River)沿岸のオールドマーケット(Old Market)地区と呼ばれ、古き良き時代を感じさせるこの地域は、現在はエンターテインメントやショッピングの人気エリアです。ニックネームは「Cornhusker 」。Cornhuskerとはネブラスカ州人の俗称でトウモロコシの皮をむく人を意味します。

Map of Nebraska

 州都はリンカーン(Lincoln)でネブラスカ大学の本拠地です。ネブラスカ大学(University of Nebraska-Lincoln) は同州の研究や教育をリードする基幹大学です。特に農学部と経営学部が高く評価され、大学スポーツの強豪校としても有名です。特にカレッジフットボールや女子バレーボールでは複数回全米チャンピオンとなっています。

 ネブラスカ州立博物館(Nebraska State Museum)は、大学のメモリアルホールに位置しています。この博物館には、最も人気のあるアトラクションであるマンモスの化石のセットなど、自然史を紹介するコレクションや展示があります。大学附属のシェルドン美術館(Sheldon Museum of Art)があります。大学附属の美術館としては全米最大級で、その規模は12,000点を超える北アメリカ美術のコレクションを有していることです。

ネブラスカ州のエンブレム

 州の大部分は平坦な大平原が広がります。そこは肥沃なプレーリー土(Prairie)に恵まれ、牛肉・豚肉・トウモロコシ・大豆の生産で、国内のトップとなっています。ネブラスカ州はのモットーはThe Good Lifeとあります。「楽しく住むところ」といった感じですね。車のナンバープレートには、大平原と煙突のような岩山が描かれていてすてきなデザインです。

ナンバープレートを通してのアメリカの州  その三十 ニューヨーク州–The Empire State

ニューヨーク州(Newyork)の紹介です。なにを取り上げても話題の尽きない州です。最大の都市はニューヨーク、州都はニューヨークから300キロも離れた人口10万人足らずのアルバニー(Albany)。州の西端にはナイアガラ瀑布(Niagara Falls)があるのをご存じですか。

 ニューヨーク州は正三角形に近い形をしています。ニューヨーク州の境界には五大湖のうちの2つのエリー湖(Lake Erie)とオンタリオ湖(Lake Ontario)があります。カナダのオンタリオ州とケベック州と国境を接し、コネチカット州、バーモント州、マサチューセッツ州、ニュージャージー州、そしてとペンシルベニア州と隣接しています。

ニューヨーク市(Wikipediaより)

 誰でもご存じのニューヨークは世界経済、商業、コミュニケーションの中心地です。多くの企業の本社がここにあります。またショービジネスなど娯楽産業の中心でもあります。年間4,700万人の観光客が訪れます。国際連合はじめ公共機関も沢山あります。9・11の影響がいまだに続いてはいますが、急速な回復はニューヨークのバイタリティを感じます。公共交通網も張り巡らされ、多くの地下鉄は24時間運行となっています。

 ニックネームはBig Apple。その由来は、大恐慌時代に失業者が市内ででリンゴ売りをしていたとか、ジャズマンが使い出したとか、1800年代に街には一番いい「リンゴ」があったという(隠語で売春婦)説などです。

 ニューヨークの由緒のある所の紹介です。エリス島(Ellis Island)は忘れることができません。ニューヨーク湾内にあって、19世紀にヨーロッパからの移民が到着したのがこの島です。かつての移民管理局は今は博物館となっています。1800年頃から1954年まで使われていたとあります。その近くには自由の女神(The Statue of Liberty)が建っています。合衆国の独立100周年を記念してフランスより贈呈され、1886年に造られました。ヨーロッパからやってきた人々が船上からこの像を眺めて、新天地への憧れを抱いたところといわれています。自由の象徴ともなっています。


 ニューヨーク州のナンバープレートには「The Empire State」と印字されています。戦後しばらく、世界一高い建物といわれたEmpire State Buildingの影響があるようです。なんでも世界一が好きなアメリカのことです。ニューヨークは確かにそのような風格と内容を備えてはいるようですが、モットーからは少々いかつい印象もぬぐえません。