アメリカの州鳥 その34 ネブラスカ州の鳥: ニシマキバドリ

Western Meadowlark

ネブラスカ州(Nebraska)は合衆国のほぼ真ん中に位置しています。北はサウスダコタ(South Dakota)に、東はアイオワ(Iowa)とミズーリ(Missouri)に、西はワイオミング(Wyoming)とコロラド(Colorado)に、南はカンザス州(Kansas)に囲まれています。州都はオマハ(Omaha)。州の大部分は平坦な大平原が広がり、そこは肥沃なプレーリー(prairei)土に恵まれ、牛肉・豚肉・トウモロコシ・大豆の生産で、国内のトップとなっています。

ネブラスカの西部にはチムニー・ロック(Chimney Rock)など巨大な岩で知られています。このあたりはでは沢山の恐竜が発掘されています。きわめて保存状態が良く恐竜の骨格がはっきりしています。それを展示しているのがネブラスカ大学リンカーン校(University of Nebraska- Lincoln)です。院生を引率してリンカーン市内の小学校を視察し、大学の恐竜博物館へ行きました。圧巻そのものです。

University of Nebraska- Lincoln

州の鳥はニシマキバドリ(Western Meadowlark)といいます。全長は約23cm。腹と喉にかけては黄色で、胸には地褐色と黒い帯状の縞が入ります。上面は黒と薄褐色の縞模様をしています。嘴は長く、鳴き声はチュチュ、チュチュというヒバリに似ています。巣は草地に作ります。ほとんどは昆虫を主食としています。ニシマキバドリはモンタナ(Montana), カンザス(Kansas), ノースダコタ(North Dakota), オレゴン(Oregon)、ワイオミング(Wyoming)の州鳥ともなっています。

アメリカの州鳥 その32 ニューヨークの州鳥: ルリツグミ

Central Park, New York

誰でもが名前をご存じのニューヨーク(New York)は金融センター、国連本部など世界の政治、経済、文化、ファッション、エンターテインメントの中心地です。ショービジネスなど娯楽産業の中心でもあります。年間4,700万人の観光客が訪れます。国際連合はじめ公共機関も沢山あります。9・11の影響がいまだに続いてはいますが、急速な回復はニューヨークのバイタリティを感じます。公共交通網も張り巡らされ、多くの交通機関は24時間運行となっています。ニックネームはBig Apple。その由来は、大恐慌時代に失業者が市内ででリンゴ売りをしていたとか、ジャズマンが使い出したとか。1800年代に街には一番いい「リンゴ」があったという(隠語で売春婦)説などがあります。

bluebird

歴史的に由緒のある所といえば、エリス島(Ellis Island)でしょう。ニューヨーク湾内にあって、19世紀にヨーロッパからの移民が到着したのがこの島です。かつての移民管理局は今は博物館となっています。1800年頃から1954年まで使われていたとあります。その近くには自由の女神(The Statue of Liberty)が建っています。合衆国の独立100周年を記念してフランスより贈呈され、1886年に造られました。ヨーロッパからやってきた人々が船上からこの像を眺めて、新天地への憧れを抱いたところといわれています。自由の象徴ともなっています。

ニューヨークではBBQを賞味したいものです。シシカバブ(shish kebab)です。もともとはトルコからの移民がもたらした料理ですが、たくさんのBBQレストランがあります。私にとってのニューヨークですが、一度セントラルパーク(Central Park)をジョギングし、家内はメトロポリタン美術館へ、院生はミュージカルを楽しみました。友人の教員がBBQレストランに連れて行ってくれたのが思い出です。

ニューヨークの州鳥はルリツグミ(bluebird)でミズリー州の鳥ともなっている美しい鳥です。色鮮やかなルリツグミ属の仲間は3種に分類されています。ルリツグミの成鳥は腹が白いのが共通しています。オスの成鳥は上部が鮮やかな青色、喉と胸は赤茶色です。メスの成鳥は灰色がかった青の翼と尾、茶色っぽい喉と胸、灰色の頭と背を持っています。幼鳥は灰茶色で赤みがなく、胸はまだらで、翼と尾は青みがかっています。その美しい羽の色と、多くの人の耳には「チャー・リー、チャー・リー」と聞こえる独特なさえずりを特徴としていて、人々に広く愛されている鳥です。木のある開けた土地、畑地、果樹園などを好みます。

アメリカの州鳥 その31 ニューメキシコの州鳥: オオミチバシリ

ニューメキシコ(New Mexico)の州鳥の紹介です。州都は、かってメキシコの総督府が置かれていたサンタ・フェ(Santa Fe)です。観光はサンタ・フェの経済を支えています。歴史・芸術・文化の豊かな州都でもあります。ジョージア・オキーフ美術館(Georgia O’Keeffe Museum)はその中心といえましょう。オキーフは特にアメリカ人に人気のある女性画家です。自然の景観や動植物などの自然を題材としています。オキーフはウィスコンシン州の農家に生まれ、マディソン(Madison)で高校時代を過ごしたこともあります。

Georgia O’Keeffe

サンタ・フェのダウンタウンにある歴史地区、特に総督府に隣接するプラザ(Plaza)にはメキシカンフードの人気レストランが立ち並んでいます。街並みは日干しの土で作られた建築物アドービ(Adobe)です。砂、砂質粘土とわらなどの素材でつくられる建材です。熱を吸収してもゆっくりと放出するので建物の中は涼しく、ニューメキシコのような暑くて乾いた地に適しているといわれています。

Greater Roadrunner

この州の最大の都市はアルバカーキー(Alburquerque)です。今では伝説的となりましたが、かってビル・ゲイツ(Bill Gates)がパソコンのOSを開発した町です。もともと大部分がネイティブ・アメリカン(インディアン)の居留地で、今もナバホ(Navajo)、プエブロ(Pueblo)、アッパチ(Apache)インディアンが住む居留地があります。そこで作られる民芸作品、各地にある大小の博物館の展示物、そして大自然が観光客を魅了しています。ネイティブ・アメリカンとメキシコの文化と芸術を最も身近に接することができる州といえましょう。

州鳥はオオミチバシリ(Greater Roadrunner)。その名の通りもの凄いスピードで地上を走ります。体長は50-60cmほどで、腹は白いですが、背中は黒褐色の地に白いまだらもようがあります。頭には黒く短い冠羽があります。足とくちばしはがっしりとしています。目の横に赤と白の縞はついています。尾羽が長いのも特徴です。砂漠地帯に生息し、地上で生活しており、飛ぶことはできますがあまり上手ではありません。鳴き声は鳩に似ています。食性は、小動物から木の実まで食べる雑食性で、狩りの腕も良く猛毒を持つ小さなガラガラヘビやトカゲ、サソリまでも捕食します。厳しい環境の砂漠で生き抜くために適応しているといえます。

アメリカの州鳥 その30 ニューハンプシャーの州鳥: ムラサキマシコ

ニューハンプシャー州(New Hampshier)の紹介です。南は(Massachusetts)、西はバーモント州(Vermont)、東はメイン州(Maine)と大西洋に接し、また北はカナダのケベック州(Quebec)と国境を接しています。ニューハンプシャーの州都はコンコード(Concord)という小さな街です。コロニアルスタイルといわれる町並です。植民地時代の木造家屋のデザインを示します。

Portsmouth

この州で忘れられないところがポーツマス(Portsmouth)という街です。1800年設立のアメリカ初の海軍工廠であるポーツマス海軍造船所があります。日露戦争が終わり、当時の大統領ルーズベルト(Theodore Roosevelt)の仲介で講和条約が軍工廠内で締結されたところ、それがポーツマスです。実に小さな港町です。こんなところでポーツマス条約が結ばれたのか、と頭をかしげたくなるようなのんびりとした所です。

講話会議における日本の代表は外務大臣の小村寿太郎、ロシアは元大蔵大臣のセルゲイ・ウイッテ(Sergei Witte)です。日本は、ロシアのバルチック艦隊(Baltic Fleet)を撃破したとはいえ、すでに戦費が尽きてアメリカに講和の仲介を依頼したのです。ロシアも革命の機運が起こり、講和を望んだようです。ポーツマスの博物館に当時の交渉の様子を報道した写真や新聞記事が飾られています。大男のウイッテが小男の小村を威圧するイラストがあります。当時ロシアはヨーロッパの大国、日本はアジアの小国でした。アメリカは太平洋の利権があって日本に同情的な姿勢であったことを伺わせます。

ニューハンプシャーのナンバープレートには「Live Free or Die」と描かれています。「自由を与えよ、さらば死を」という意味です。ニューハンプシャーは最初にイギリスの統治を離脱し独立への歩みを踏み出した州です。

Purple Finch

州鳥はムラサキマシコ(Purple Finch)です。体長は15センチくらい。名前は紫ですが、オスの顔から胸にかけて濃い赤色の羽があります。腰も赤色です。胸から下は灰白色に薄赤茶色の斑模様があります。翼は茶褐色で縁には白い部分があります。尾も茶褐色で、先が少し分かれていて燕尾状になっています。メスは派手な赤色がなくて全体に地味な色です。常緑樹に巣を作ります。パートナー探しでオスはメスに餌を与えるのです。

アメリカの州鳥 その29 ニュージャージーの州鳥: オウゴンヒワ

ニュージャージー州(New Jersey)は、ニューヨーク(New York)のハドソン川(Hudson River)の対岸、そしてデラウエア(Delaware)の北東、西はペンシルバニア(Pennsylvania)に接しています。州都はトレントン(Trenton)となっています。ニューヨークの隣なので、多くの人が電車で通勤しています。フィラデルフィア(Philadelphia)へもそうです。最大都市はニューアーク(New Ark)です。

American Godldfinch

イギリスから最初に独立した13州のうちの一つでもあり、その歴史は古いです。ニュージャージーに最初にやってきた人々はオランダ人、そしてスエーデン人です。やがてイギリスからの移民が増加し、1649年に名前がNew Jerseyとなります。そこから長らくイギリスの植民地となります。独立戦争の頃、ニュージャージーは依然としてイギリスの支配下にありました。植民地軍とイギリス軍がこの州をまたいで大きな戦いが繰り広げられます。そのため、州のニックネームはやがて「革命への交差路」(Crossroads of the Revolution)と呼ばれます。

アイオワの州鳥と同じオウゴンヒワ(American Godldfinch)です。黄金ヒワの名前が指すとおり、オスはとても鮮やかなレモンイエローです。オスの頭部に黒いキャップがみられます。他方、メスはやや褐色がかり、頭部の黒いキャップがありません。簡単にオスとメスとを見分けることができます。鳴き声は高くチッチッチッととても心地よいです。オウゴンヒワの若鳥の羽色はグレーで地味です。

17世紀の後半にオランダ(Netherlands)やスエーデン(Sweden)から移民がやってきます。その後イギリスが支配するようになり、当時覇権を握っていたイギリス王が、フランスの沖にあるチャネル島(Channel Islands)の”Jersey”の名をとってNew Jerseyと名付けます。現在、ニュージャージーの住民は、合衆国で最も裕福な暮らしをしているといわれます。子どもの学力も最も高い州ともいわれています。

アメリカの州鳥 その28 デラウェアの州鳥: ブルーヘンチキン

デラウェア州(Delaware)です。17世紀初頭からスウェーデン(Sweeden)やオランダ(Netherland)からの移民が東海岸に入植します。デラウェアの東はニュージャージー州(New Jersey)、北はペンシルバニア州(Pennsylvania)、西はメリーランド州(Maryland)と接しています。

Blue Hen Chicken

合衆国の建国に関わった13植民地のうちで最初に憲法を批准したのがデラウェア州です。1787年のことです。車のナーンバープレートには「First State」と誇るように記されています。東海岸のチェサピーク湾(Chesapeake Bay)とデラウェア湾に面し、ロードアイランド州(Rhode Island)に次いで全米で2番目に面積が小さい州です。州都はドーバー(Dover)です。

Delaware

デラウェア州で有名なのは、大財閥企業デュポン・ド・ヌムール社(DuPont de Nemours, Inc)です。フランスの貴族ピエール・デュポン(Pierre Dupont)が州最大の都市ウィルミントン(Wilmington)に火薬工場を作り、やがてアメリカ有数の化学企業となります。この州には多くの法人が登録されています。法人税が安いため籍だけを置く会社が多いのです。アメリカならではの話です。

州の鳥はブルーヘンチキン(Blue Hen Chicken) で、文字通り青い雌鶏です。独立戦争当時、デラウェアからの民兵は勇敢であることから「青い雌鶏の兵士」と呼ばれました。デラウェアは闘鶏が盛んなところで、闘いに強いシャモが使われ、庶民の間でも娯楽として広まっていたのです。体の色は腹が青く背中は黒い羽で覆われています。鶏冠は赤く闘争心が旺盛な鳥です。雄は成熟すると他の雄を寄せ付けません。

アメリカの州鳥 その27 テネシーの州鳥: マネシツグミ

70代以上の方にはラジオから流れていたテネシー・ワルツ(Tennessee Wartz)という甘い曲が懐かしでしよう。歌っていたのはPatty Pageという当時大変人気のある歌手でした。テネシー州は州境でケンタッキー州(Kentucky)、ミズーリ州(Missourie)、ヴァージニア州(Virginia)など8つの州と接しています。最大の都市はメンフィス(Menphis)ですが、州都はナッシュビル(Nashville)となっています。「チュチュトレイン(Choo Choo Train) 」のチャタヌガ(Chattanooga)もこの州にあります。アパラチア山脈(Appalachian Mountains)を中心とするグレート・スモーキー山脈(Great Smoky Mountains)国立公園はハイカーが押し寄せるところです。産業では、タバコ、綿花、そして大豆などの農産物が有名です。

1933年に当時の大統領ルーズベルト(Franklin Roosebelt)が世界恐慌の対策としてニューディール(New Deal)政策を進めます。テネシー川(Tennessee River)やカンバーランド川(Cumberland River)流域の総合開発です。このプロジェクトを管轄したのがテネシー渓谷開発公社(Tennessee Valley Authority: TVA)です。30余りの多目的ダムを建設し失業者を雇用するのです。

テネシーはカントリーウエスタン(Country Western)の発祥の地です。エルヴィス・プレスリー(Elvis Pressley)もここの出身。彼が主に音楽活動を行ったのがメンフィスです。ナッシュビルにも沢山の南部のライブを楽しめるところがあります。その響きはBluegrassと呼ばれるアコースティック音楽のジャンルです。演奏にはギター、マンドリン、フィドル(ヴァイオリン)、ギターなどの楽器が使われます。アパラチア南部に入植したスコッチ・アイリッシュ(Scotch Irish)といわれる北アイルランドやスコットランドから移住した人たちの伝承音楽をベースにしているようです。

州鳥のマネシツグミ(Mocking bird) は、真似ツグミとも呼ばれます。「mocking」とはああざけるとか、ふざけていらいらさせるという意味です。Mockingの名の通り、他の鳥の鳴き声を真似るのが上手です。全長は23~28cm位。頭部と背中が淡い灰色、腹部が白か灰色を帯びた白の羽毛で覆われています。翼の色は体と比べて濃く、全体的に黒色で初列風切羽の根元に白い部分があります。尾は長くて黒く外側が白い羽となっています。くちばしは細くて短く、顔はくちばしから目に向かって黒の筋が横切ったような模様をしています。尾羽が長いのも特徴です。実に端正な姿をした鳥です。テキサス(Texas)、フロリダ(Florida)、ミシシッピー(Mississippi)の州鳥にもなっています。

アメリカの州鳥 その26 テキサスの州鳥 マネシツグミ

テキサス(Texas)はアメリカでは第二の面積を占める南部の大きな州です。1836年にテキサス共和国として一方的にメキシコから独立を宣言しますが、同年メキシコ軍の攻撃により敗れます。入植者がたてこもって抵抗した拠点がサンアントニオ(San Antonio)にあるアラモ砦(The Alamo)。デビー・クロケット(Davy Crockett)、ウイリアム・トラビス( William Travis)など指導者の名前が浮かんできます。映画も作られました。リオグランデ川(Rio Grande River)を挟んでメキシコと接しています。1900年代に油田が発見され、以来多くのハイテク企業が集まります。

The Alamo

最大の都市はヒューストン(Houston)で有名な航空宇宙センター(Space Center Houston)があります。現在の州都はオースチン(Austin)ですが、近年特に人気が高い町がリバー・ウォーク(River Walk)のあるサンアントニオです。リバー・ウォークは小さな河の両岸にレストランが並んでいます。散歩、船下りにも楽しいところです。今や年間1,000万人以上が訪れる全米有数の観光都市としても知られています。

Northern Mockingbird

ブッシュ(George Busch) 大統領親子はテキサスの出身です。メキシコ湾や内陸部に油田が多く、エクソンモービルなどの石油会社の本社があります。カウボーイ文化に象徴される放牧業や畜産業でも知られています。アメリカン航空、コンチネンタル航空、AT&Aなど多くの企業の本拠地となっています。カリフォルニア、ニューヨークと並ぶ商業や経済の中心の州です。

州鳥はマネシツグミ(Northern Mockingbird)です。農地や公園などの住宅があるところや草木の生い茂った草原や砂漠の低木林など木が生えている場所に生息します。食性は雑食でバッタ、アリ、クモ、甲虫などの無脊椎動物やトカゲなどの小型の脊椎動物といった動物性のものと果実やベリー系の植物性のものを食べます。鳴き声を発するのは主にオスのマネシツグミで他のオスから自分の縄張りを守るための警告や繁殖期に交尾相手を誘うために鳴ます。数百の鳥の鳴き声を真似することができ、鳴きまねは犬の鳴き声、ピアノの音や車のクラクションまでまねることができる器用な鳥です。

アメリカの州鳥 その25 ジョージアの州鳥 チャイロツグミモドキ

大西洋に面したジョージア州(Georgia)。南はフロリダ州(Florida)、東は大西洋とサウスカロライナ州(South Carolina)、北はノースカロライナ州(North Carolina)とテネシー州(Tennessee)、西はアラバマ州(Alabama)に接しています。州都で最大の都市はアトランタ(Atlanta)です。コカコーラやCNN、デルタ航空(Delta Air Lines)、保険会社アフラック(Aflac)の本社などがあります。

私がアメリカ留学のために家族と一緒に出かけ、英語の研修を2か月受けたのがジョージア州のステイトボロ(Sateboro)という小さな街です。そのせいもあってか、私の英語には南部訛りがあるといわれます。ジョージア訛りというのは、母音を引っ張っり鼻にかかった感じでやわらかく発音するのです。この発音は「draw」と呼ばれます。

「風と共に去りぬ」(Gone with the Wind)を書いたマーガレット・ミッチェル(Margaret Mitchell)の博物館(The Margaret Mitchell House)がアトランタのダウンタウンにあります。マーチン・ルーサー・キング牧師が説教していたエベネゼル・バプティスト教会(Ebenethel Baptist Churchi)、そして氏の功績を称えるThe King Center博物館は必ず立ち寄るべきところです。マスターズ・トーナメントのゴルフ大会が開かれるのがオーガスタ(Augusta)です。スイカ、メロンなどの果物が多いのです。特に桃やは有名なので「桃の州」(Peach State)と呼ばれています。西瓜はラクビーボールのような形をしていて、トラックで売りにきます。

Brown Thrasher

州の鳥はチャイロツグミモドキ(Brown Thrasher)となっています。体全体が茶褐色で目の周りは黄色です。さえずりが得意です。庭の餌箱にやってくる人なつっこいところがあります。嘴は少し丸まっています。春や夏になると、オスはしばしば高い木にとまり、さえずりを始めます。鳴き声の種類は1100にも及ぶとのこと、メスを呼ぶのです。自分の巣を守るために、ときに人や犬を襲うこともあります。オスとメスとで交互に抱卵し、雛に餌を与えます。

アメリカの州鳥 その24 サウスダコタの州鳥: コウライキジ

Ring-Necked Pheasant

サウスダコタ州(South Dakota)の州都はピーア(Pierre)。州で最も大きな都市はスーフォールズ(Sioux Falls)となっています。サウスダコタ州は農業と畜産が主要な産業です。五大品目として牛、トウモロコシ、大豆、小麦、そして豚が有名です。州名のダコタはスー族(Sioux )の言葉(仲間)から由来します。

州の南部にBlack Hillsという丘陵地帯があります。背丈の低い松で覆われています。スー族の領土であり儀式の聖地として崇められている地域です。そこは国立公園となっています。この丘陵地帯にあるのがマウント・ラッシュモア(Mount Rushmore)で、多くの観光客がやってきます。山の岩盤に歴代4人の大統領の顔が彫られています。左からジョージ・ワシントン(George Washington)、トマス・ジェファソン(Thomas Jefferson)、セオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt)、アブラハム・リンカン(Abraham Lincoln)です。

Mount Rushmore

州鳥のコウライキジ(Ring-Necked Pheasant)のオスは、青緑の頭、顔の赤い肉垂(にくだれ)、独特の白い首まわりの輪などで鮮やかな色合いの鳥です。他方、メスはかなり地味な黄色がかった茶色で、長く尖った尾を持っています。コウライキジのオスは10羽程度のメスとのハーレム(Halem)を作り、秋に群れをつくり翌年の春まで群れで生活します。

コウライキジは低木の多い野原や農地を好みますが、森林地の藪や湿地にも生息します。メスは野原や生息地の縁に巣を作り、12個以上の卵を産み、オスの助けなしで卵を孵化させます。穀物や種子、昆虫、小動物といったエサがあるのが地面なので、地上で生活します。

アメリカの州鳥 その23 サウスカロライナ州の鳥: チャバラマユミソサザイ

Carolina Wren

サウスカロライナ州(South Carolina)は、北部でノースカロライナ州(North Carolina)、南部と西部でサバンナ川(Savannah River)を境に位置するジョージア州(Georgia)、及び東部で大西洋と接しています。ローカントリー(Lowcountry)と呼ばれる海岸線地帯の土地の肥沃さとチャールストン(Charleston)など良港があることで繁栄します。西のブルーリッジ山脈(Blue Ridge Mountains)から東の大西洋まで、さまざまな地形が見られます。州都は最大の都市であるコロンビア(Columbia)となっています。一年中温暖な気候が続くことで知られています。

Charleston

1629年にイングランド王チャールズ一世(King Charles I)がカロライナを植民地とします。1729年にはノースカロライナとサウスカロライナが分離します。独立戦争を経て他の州と共に独立し、奴隷制による綿花のプランテーション(Plantation)によって大いに繁栄します。やがて、1860年に奴隷制廃止論者であったリンカーン(Abraham Lincoln)が大統領になるとサウスカロライナは合衆国から離脱し、1861年には脱退した他の南部諸州と共にアメリカ南部連合(Confederate States of America)を結成します。そしてアメリカ南北戦争(Civil War) の発端となったのが、北軍の駐屯するチャールストン港のサムター要塞(Fort Sumter)への南軍の砲撃です。

1865年にシャーマン将軍(William Sherman)率いる北軍の侵攻により、ジョージア州アトランタ(Atlanta)が焼き払われ、南部経済は壊滅して南北戦争の終結が早まります。マーガレット・ミッチェル(Margaret M. Mitchelll)の小説「風と共に去りぬ」(Gone with the Wind)はこの南北戦争が舞台です。サウスカロライナ州は長い植民地時代を残す歴史があります。例えば、チャールストンは「聖なる市」(The Holy City)ともいわれます。高い尖塔を有する教会が街の景観を形成しています。13の植民地の中で、カトリック、プロテスタントを問わずユダヤ教を認めるという信教に対する寛容さを示した都市の一つがチャールストンです。

州の鳥はチャバラマユミソサザイ(Carolina Wren)といいます。順応性の高い鳥で、森林や沼地、農地、木々に囲まれた住宅地などに生息します。体は小さいのですがとても大きな声でさえずり、鳥類の中で最も声の大きい鳥の一種となっています。チャバラマユミソサザイは、通常つがいで暮らしており、年間を通じて縄張りから離れることはありません。この鳥は寒い冬の気候には耐えられないので、サウスカロライナやジョージアの温暖な地域に生息しています。昆虫や幼虫やクモを主食としますが、ベリー類や果実も食べます。

アメリカの州鳥 その22 コロラド州の鳥: カタジロクロシトド

Lark Bunting

小さいとき、「コロラドの月(Moonlight on the Colorado)」というアメリカの歌曲をしばしば聞いたことがあります。進駐軍の放送から聞こえたきたものです。コロラド(Colorado)は山岳地帯の州です。南北にロッキー山脈(Rokkie Mountains)が貫き、州全体の平均標高が合衆国で一番高いところです。州の東側は大平原(Great Plaines)が広がります。州都であり最大の都市はデンバー(Denver)です。

デンバーは標高が約1マイル(約1,600m)なので、マイル・ハイ・シティー(Mile High City)の愛称で呼ばれています。 デンバー市内には多くの日系人が住んでいます。その数、約1万4千人。 「ロッキーマウンテン時報」という日本語の新聞が2007年まで発行されていたのもうなずけます。

合衆国の中で、この州は大変住み心地が良いとされています。国防総省の巨大な軍事施設や関連産業によってもたらされる経済効果です。空軍士官学校 (Air Force Academy)や共同防衛組織があります。ロッキーの山中には、北アメリカ航空宇宙防衛司令部(North American Aerospace Defense Command: NORAD)や軍事衛星による監視や弾道ミサイル防衛を担う戦略基地が掘られています。

州鳥はカタジロクロシトド(Lark Bunting)といいます。カタジロクロシトドの特徴ですが、繁殖期のオスの羽衣は主に黒色で翼には白班があります。メスは褐色の縦縞模様があって、翼には薄い箇所があります。地上で採食し、夏には昆虫を採食し、冬になると種子を食べます。繁殖期以外には群れを作ります。カタジロクロシトドは集団で繁殖し、メスは巣作りや抱卵をします。カタジロクロシトドの繁殖・子育ては,オスがメスを誘うための縄張りを草原につくるところから始まります。オスは縄張りを訪れたメスとつがいとなって繁殖します。

アメリカの州鳥 その21 コネチカット州の鳥: コマツグミ

Robin

私はかつて、コネチカット(Conecticut)の州都ハートフォード(Hartford)で開かれた教育とテクノロジーの学会で研究発表したことがあります。コネチカットとはなんともいえない響きの州名です。この州の車のナンバープレートには「Constitution State」とあります。最初の憲法の基となった宣言文を作った州の歴史に由来します。合衆国の北東部、北大西洋岸は、以前紹介しましたが、ニュー・イングランド(New England)と呼ばれています。このあたりには小さな州がいくつかあります。その内の一つがコネチカット州です。東にはロードアイランド州(Rhode Island)、北にはマサチューセッツ州(Massachusette)、西にはニューヨーク州(New York)と隣接しています。

面積としては小さな州ですが、農業はもとより酪農、漁業、製造業も盛んな州です。ロブスターや貝も知られています。ジェット機エンジン、ヘリコプターや航空機の部品、素材産業、原子力潜水艦の建造と関連の軍事産業、精密機械、化学薬品の製造が盛んです。企業ではスポーツ放送のESPN、ボーイング(Boeing)とエアバス(Airbus)のエンジンを開発するゼネラル・エレクトリック(GE)、ゼロックス(Xerox)、シコルスキーヘリコプター(Sikorsky)の本社などがあります。

Robin Hood

州鳥はコマツグミ(Robin)です。コマツグミの卵は美しい青色で、トルコ石にも例えられています。コマツグミは胸部が鮮やかなオレンジ色で、頭部から翼にかけては灰色~黒色をしています。くちばしが黄色で眼の上下に白い縁取りがあるのも特徴です。オスは頭部がはっきりと黒く、のどまで黒くなっています。なんとなく強そうな印象を受けます。メスは頭部の色がオスに比べやや薄く、のどが白っぽいです。主食はミミズで、よく芝生の上などの地面を歩いてこれを狙っています。つぶらなひとみと丸っこいオレンジ色のボディで見間違えることはありません。

アメリカの州鳥 その20 ケンタッキー州の鳥: ショウジョウコウカンチョウ

ケンタッキー州(Kentucky)はイリノイ(Illinois)、インディアナ(Indiana)、オハイオ(Ohio)、ミズリー州(Missouri)に囲まれ、オハイオ川(Ohio River)とミシシッピー川(Mississippi River)で州境をなしています。東側にはアパラチア山脈(Appaachian Mountains) がそびえ、豊かな自然に恵まれています。この州は「ブルーグラスの州(Bluegrass State)」と呼ばれ、肥沃な土壌からの多くの農産物がとれます。州都はフランクフォート(Frankfort)。最大の都市はルイビル(Louisville)となっています。

ケンタッキー州といえば、スティブン・フォスター(Stephen Foster)が作詞作曲した「ケンタッキーの我が家」(My Old Ketucky Home)を想い出します。50代以上の人なら誰もが聞き口ずさんだことのある哀愁味漂う曲です。ケンタッキーは馬の生産地でも知られています。ケンタッキー・ダービー(Kentucky Derby)が開かれるのがこの地です。バーボン・ウィスキー(bourbon whisky)の一大生産地でもあります。「バーボン」であるという条件はトウモロコシから作られていること、ケンタッキー州で作られていることなんだそうです。日本で同じようなウィスキーを作ってもバーボンと銘打ってはいけないのです。その他タバコの生産も盛んです。ケンタッキーには自動車産業も盛んです。フォード(Ford)、GM、トヨタの工場があります。トヨタはアメリカで最もポピュラーな車「カムリ(Camry)」をここで組み立てています。

ケンタッキーの州鳥はショウジョウコウカンチョウ(Cardinal)です。オスもメスとも特徴的なとがった冠羽があります。オスの頭と下面は深い朱色です。背はにぷい朱色で羽縁がオリーブ色がかった灰色です。尾が長く、嘴の付け根付近が黒色です。実に美しい姿の鳥です。留鳥なので一年中見られます。インディアナ、イリノイ、オハイオ、ウエストバージニア各州の州鳥であることは既に紹介しています。

ケンタッキー州の車のナンバープレートには「Bluegrass State」とあります。草原を遠くから眺めると青紫色の草のつぼみが一面広がり、「青い草」に見えたので名付けられたとあります。この草は競走馬の餌となるようです。ブルーグラス・ミュージック(Bluegrass Music)の由来ともなっています。ケンタッキー州やテネシー州を通るときは是非Bluegrassのライブを楽しんで欲しいです。

アメリカの州鳥 その19 カンザス州の鳥: ニシマキバドリ

  Western Meadowlark

合衆国の車のナンバープレートのデザインはその州を表します。州によってデザインが違い、カラフルなのがいいところです。私も蒐集の趣味で60枚以上のナンバープレートを持っています。カンザス州(Kansas) のは小麦の穂が配置されています。カンザス州は地図を見ますと合衆国の「へそ」にあります。北側はネブラスカ州(Nebraska) 、東側はミズーリ州(Missouri)、南側はオクラホマ州(Oklahoma)、そして西側はコロラド州(Colorado)となっています。州都はトピカ市 (Topeka)、州最大の町はウィチタ市 (Wichita)です。カンザス・シティ (Kansas City)もミズリー川沿いにある活気のある町です。

アメリカの「大平原」(great plains) というのは、この州がもっとも当てはまるのではないかと思えるくらいの景色が広がります。平原をさす単語に「prairies」というのもあります。大平原はまさに一大穀倉地帯です。平坦でときになだらかに起伏しているのですが、農業生産品は牛、豚や羊、小麦、トウモロコシ、ひまわり種、大豆、綿、及び塩となっています。カンザスに行ったらステーキ(Steak)やシシカバー(Shish Kebab)を忘れずに、といわれます。分厚い肉はまさに草履のように大きいです。

カンザス州の鳥の話題です。ニシマキバドリ(Western Meadowlark)が州鳥となっています。Meadowとは平原、Larkとはヒバリの意味です。下腹部は黄色で、胸には黒のV字形の模様が入っています。背中は褐色で同じく黒い縞がついています。嘴は長めで、昆虫や種、ベリー類を食しています。托卵の習性をもつニシマキバドリもいます。

アメリカの州鳥 その18 カリフォルニア州の鳥:カンムリウズラ

 California Quail

日本人に最も馴染みのあるカリフォルニア州(California)は南北に長い形をしていて、北はオレゴン州(Oregon)に東はネバダ州(Nevada)とアリゾナ州(Arizona)に、最南端のサンディエゴ(SanDiego)からはメキシコ(Mexico)と国境を接しています。長い海岸線や高低差によって、海岸と内陸ではかなり気温や気候が異なります。この気候は地中海性気候といわれています。降雨量が少ないのと急激に人口が増えたために水資源の不足がしばしば取り上げられています。

州都はサクラメント(Sacramento)です。ブドウ畑が広がるナパ・バレー(Napa Valley)から東へ向かうとサクラメントに着きます。西部開拓時代の街角のOld Townは保存されていて当時の開拓時代の気分を味わえます。カリフォルニアの車のプレートには「The Golden State」とあります。西部開拓時代のゴールド・ラッシュに由来しているようです。スタンフォード大学(Stanford University)、カリフォルニア工科大学( California Institute of Technology)など世界のトップをいく研究中心の大学は知られるところです。産業や経済、科学技術などなんでも全米一、世界一を誇りたくなるような雰囲気がこの州にはあります。

州鳥のカンムリウズラ(California Quail)は、キジの仲間で、頭に美しい冠羽(plume)が特徴です。羽毛の色は黒から灰色です。頭部に飾り羽があります。メスは飾り羽が小さく、顔が淡褐色をしてます。森林や草地、乾燥した荒地などに生息し、小規模の群れ (covey)で生活します。人をあまり恐れないのでしばしば見かけるといわれます。普段は歩いたり走ったりしています。毎日の活動は砂浴び(dust bath)で柔らかい土を下腹をゆすって砂かけをします。低い枝上にねぐらをとり、種子・緑色植物・昆虫などを地上でとります。

アメリカの州鳥 その17 オレゴン州の鳥:ニシマキバドリ

オレゴン州(Oregon)は大西洋岸北西部に位置し、森林、山々、農場が広がる州です。州都はセーラム(Salem)で最大の都市はポートランド(Portland)となっています。ポートランドは札幌市とほぼ同じ緯度にあり、姉妹都市関係を結んでいます。肥沃な農地を抱え、周辺の農産物が集まるところでもあります。明治から大正時代に多くの日本人が移民として移住した州でもあります。移民した日本人は過酷な林業や漁業に従事します。

Western Meadowlark

ポートランドのダウンタウンですが、コロンビア川(Columbia River)の支流ウィラメット川 (Willamette River) の川岸は公園となっています。その一角に日本人移民の歴史公園があります。そこに移民の足跡を記すレリーフが立っています。レリーフには、農業と漁業で生計をたてながら子どもを教育する姿、アメリカに同化しようとした努力、大戦中の収容所での苦しい生活、そしてアメリカ人の差別に対する謝罪の言葉などが彫られています。ある学会でポートランドへ出かけたとき、家庭内暴力(DV)で苦しむ子どもが学ぶ学校へ案内されました。

オレゴント街道(Oregon Trail)は、開拓者が通った主要道の一つで、幌馬車に乗っって街道を経て東部から多くの入植者がやってきました。1980年のセント・ヘレナ山(Mt. St. Helena)の噴火も知られています。

州の鳥はニシマキバドリ(Western Meadowlark)といいます。Meadowとは牧草地のことで、Larkとはヒバリのことです。Meadowlarkは牧草地などでみられるヒバリの様な鳥を指しています。背面の模様はヒバリに似ています。胸部は鮮やかな黄色をしているので他の鳥と見間違うことは少ないようです。体長は20cm位で、草原に巣を作ります。昆虫の他に植物の種やベリー類も食べます。

アメリカの州鳥 その16 オハイオ州の鳥:ショウジョウコウカンチョウ

合衆国中西部の州の一つオハイオ州(Ohio)は、北はミシガン州(Michigan)とエリー湖(Lake Erie)、東はペンシルベニア州(Pensilvania)、南はケンタッキー州(Kentucky)とウェストバージニア州(West Virginia)、西はインディアナ州(Indiana)に接しています。州都で最大都市はコロンバス(Columbus)です。3 大都市のクリーブランド(Cleveland)、シンシナティ(Cincinnati)、コロンバスは芸術、文化、教育、音楽、スポーツなどの中心都市です。

Northern Cardinal

オハイオ州は「大統領の母」(Mother State of Presidents)というニックネームがあり、州内で生まれた7人の大統領を送り出してきました。7人共に共和党員(Republican)です。合衆国内で最大のアーミッシュ(Amish)の共同体があることでも知られています。オハイオ州は別名「バッカイヤ州」(Buckeye)と呼ばれています。Buckeyeとは州の木のことです。針葉樹の一種で、なんとなく木の形といい大きさといい、北海道に多いカシワに似たところがあります。ドングリも秋になると沢山落ちます。

オハイオ州の鳥、ショウジョウコウカンチョウ(Northern Cardinal)は通称「カーディナル」(Cardinal)と呼ばれています。この鳥になんども紹介してきました。一生を同じペアで過ごすようなので、渡り鳥ではありませんが、寒くなるともっと雪が少なくて餌がある地域に移動するようです。鮮やかな赤のショウジョウコウカンチョウはバードウォッチング初心者でも簡単に見分けられ、人家の裏庭やエサ箱にもよくやってくる鳥です。さえずりが得意な鳥には珍しく、オスとメスのどちらもよく鳴きます。深紅の羽毛を持つオスはメスにとって魅力的です。ショウジョウコウカンチョウはかなり社交的な鳥で、ほかの種類の鳥がいる群れにも参加することがあるといわれます。

アメリカの州鳥 その15 オクラホマ州の鳥:エンビタイランチョウ

オクラホマ州(Oklahoma)アメリカのほぼ中央に位置しているというだけでなく、西部開拓時代の歴史、アメリカ先住民文化、真の南部の魅力が見事に融合しているところです。州の北はコロラド州(Colorado)とカンザス州(Kansas)に接し、東はミズーリ州(Missouri)とアーカンソー州(Arkansas)、西はニューメキシコ州(New Mexico)、南はテキサス州(Texas)に接しています。州都および最大都市はオクラホマ市です。

オクラホマ州はアメリカでアメリカ先住民の人口が最も多い州で、39の部族がこの州に本部を置いています。オクラホマ州は天然ガス、石油および農業の生産高が高く、また航空機、エネルギー、通信およびバイオテクノロジーに経済の基盤があります。天然ガスの生産では国内第2位、50州の中で農業生産では第27位、コムギに限っては第5位となっています。

Close up of a Scissor-tail Flycatcher bird.

観光ですが、西部開拓時代の博物館とカントリー音楽で知られています。南部のビーガン(Vegan)であるコンフォートフード(Comfort food)とルート66 (Route 66)の名残が共存するオクラホマ州には複数の文化が混ざり合っており、その姿は実にアメリカ的です。

Tyrant Flycatchers

オクラホマ州の鳥です。エンビタイランチョウ(Tyrant Flycatchers)は、北中南米に生息するタイランチョウの仲間です。タイランチョウの仲間は、旧大陸のヒタキ科に近い習性や食性のグループです。エンビタイランチョウですが、和名の通り、「燕尾」のように長い尾が特徴です。尾を二つに広げて飛びます。嘴は短くて幅が広く,先端が鋭く曲がっています。多くの種は昆虫食で,留まった枝などから空中に豪快に飛び出して昆虫類を捕え,元の枝に戻って食べます。それ故、「Tyrant Flycatchers」と呼ばれています。育雛はオスとメスがともに行います。

アメリカの州鳥 その14 ウェストバージニア州の鳥:ショウジョウコウカンチョウ

Cardinal

ウェストバージニア州(West Virginia)は合衆国東部、首都ワシントンDC(Washington DC)から内陸に入ったところに位置します。州都および最大都市はチャールストン(Charleston)です。北はペンシルバニア州(Pensilvania)、北東はメリーランド州(Maryland)、東南がバージニア州(Virginia)、北西にオハイオ州(Ohio)、西部にケンタッキー州(Kentucky)の5つの異なる州と接しています。産業としては石炭、硝酸、石灰、岩塩などが採掘されています。

Cardinal on a branch in a snow storm

ウェストバージニア州は、残念ながら日本ではあまり知られていない州ですが、雄大な自然と治安のよさは知られています。アパラチア山脈(Appalachian Mountains)に位置し、国内で最も荒涼としているといわれる地形が広がっています。州内全域に広がる起伏の多い山々と、丘や渓谷に囲まれていることから、「山岳の州」(Mountain State)という愛称がついています。

絵画のような美しさで人気のあるシェナンドー国立公園(Shenandoah National Park)は、アメリカ南東部で初めて設立された国立公園です。ブルーリッジ山脈(Blue Ridge Mountains)やシェナンドーバレー(Shenandoah Valley)を見渡せる絶景ポイントが 沢山あります。ハイキングコースも豊富で、難易度や地勢がさまざまに異なるコースですが、600 キロメートル以上の鉄道の線路が、ウォーキング、ハイキング、サイクリング、乗馬のためのトレイルに生まれ変わりました。

州の鳥は、ショウジョウコウカンチョウ(Northern Cardinal)です。公園や郊外の庭園でも見られ、餌台にもよく集まります。種子、果実、花、植物の芽、昆虫等を食べますが、ヒマワリやベニバナの種子をよく食べます。オストメスとも特徴的なとがった冠羽があります。オスの頭と下面は深い朱色です。背はにぷい朱色で羽縁がオリーブ色がかった灰色です。尾と翼はにぷい赤色であごと嘴の付け根付近が黒色です。ローマカトリック教会の枢機卿はCardinalと呼ばれます。枢機卿の法衣と帽子が深紅であることからこの鳥に名付けられています。

アメリカの州鳥 その13 ウィスコンシン州の鳥:コマツグミ 

    Robin

私と家族にとっての故郷、ウィスコンシン州(Wisconsin)は、東側はミシガン湖(Lake Michigan)に、北東はミシガン州に、西側はミネソタ州(Minnesota)とアイオワ州(Iowa)に、南側はイリノイ州(illinois)に、北側はスペリオル湖(Lake Superior)に接しています。州都はマディソン(Madison)で人口最大の都市はミルウォーキー(Milwaukee)です。愛称は「America’s Dairy Country(酪農の国)」または「The Badger State(バジャー:あなぐま州)」と呼ばれています。バジャーは州のシンボルとなっています

ウィスコンシン州の主要産業は製造業、農業であり、製造業は農業よりはるかに生産高が大きいのですが、ここは農業の州とか酪農の州と見なされています。ウィスコンシンと言えば乳牛の牧畜で有名で酪農祭り等の催しものが多いのが特徴です。チーズやミルク等の酪農製品が名産で、チーズの生産高では国内の約4分の1を生産しており、全米第1位となっています。

ウィスコンシン州にもいろいろな観光地があります。ヨーロッパからの移民が多く、そうした人々が移住して開拓した町がいくつかあります。マディソンの近くのニューグレラス(New Glarus)にはスイス村(Little Switzerland)、ブルーマウンズ(Blue Mounds)という村はにはリトルノルウェー(Little Norway)という記念館があります。ストートン(Stoughton)はノルウェー系の人々の街となっています。五月の第二日曜日はノルウェーの独立記念日となっていて街中が祝います。

コマツグミの英名は「Robin」といういい響きです。 市街地周辺から山岳地まで広く生息し、ミミズや昆虫、カタツムリなどを捕食します。 樹上、地上、建物などに小枝や草を用いて椀型の巣を作ります。 澄んだ高い声で鳴きます。 胸から体下面全体が赤橙色で、下から見上げると真っ赤な色に見えることがあります。頭部から翼にかけては灰色~黒色をしています。くちばしが黄色で眼の上下に白い縁取りがあります。オスは頭部がはっきりと黒く、のどまで黒くなっています。メスは頭部の色がオスに比べやや薄く、のど元が白っぽい特徴を持っています。

アメリカの州鳥 その12 インディアナ州の鳥 ショウジョウコウカンチョウ

インディアナ州の州都はインディアナポリス(Indianapolis)です。インディアナ州はミシガン湖(Lake Michigan)とオハイオ川(Ohio River)の間に南北に延びる州です。この州の人々の呼び名はフージャー(Hoosier)といいます。イングランドのカンバーランド(Cumberland)地方の方言で高地人を指すHoozerが語源といわれます。「開拓民」とか「奥地の人」という意味だそうです。恐らくカンバーランドから入植した人々が自分たちをHoosierと呼んでいたから、この名がついたのでしょう。

Cardinal

インディアナはCorn Beltと呼ばれるウモロコシの農場が広がります。トウモロコシは養鶏や養豚の飼料となります。飼料は世界中に輸出されています。アメリカは穀物市場を押さえています。その中心がインディアナということです。大豆、鶏卵、メロン、トマト、ブドウ、タバコ、ハッカの生産も盛んです。インディ500(Indy500)はご存知でしょうか。5月末の戦没将兵追悼記念日であるメモリアルデー(Memorial Day)の前日の日曜日に開かれれるモーターショーです。スピードウエイを805kmを時速360Kで走るのです。

州鳥ですが、前回のイリノイ州と同じショウジョウコウカンチョウ(Cardinal)です。別名はカーディナルといいます。Cardinalは、カトリックの最高聖職者である枢機卿Cardinalis)に由来し、枢機卿は真紅の衣をまといます。「カーディナル(枢機卿)」は「赤」の代名詞となっているのです。合衆国では冬期には、都市公園などでも見られます。アメリカ国民に最も愛されている野鳥の一つで、全長約20㎝。体重は約50g位です。 オスは光沢のある赤色、メスは体が褐色で、冠羽と翼、尾羽は赤みがかっています。 オスは成熟すると共に赤みが増していく実に綺麗な鳥です。

アメリカの州鳥 その11 イリノイ州の鳥 ショウジョウコウカンチョウ

イリノイ州(Illinois)の州都はスプリングフィールド(Springfield)。金融の世界的な中心シカゴ(Chicago)もイリノイ州に位置しています。東はインディアナ州(Indiana)、南東はケンタッキー州(Kentucky)、西はミズリー州(Missouri)とアイオワ州(Iowa)、北はウィスコンシン州(Wisconsin)、北東にミシガン湖(Lake Michigan)があります。

Cardinal

ミシガン湖とミシシッピー川(Mississippi Rive)を結ぶ運河により水運が効率になります。陸上では合衆国の交通の要所で鉄道網が発達しています。空運の大中心地がシカゴのオヘア空港(O’ Hare)、工業、農業、金融業、運輸、サービス業などの多様性は合衆国経済の縮図となっています。イリノイには「リンカーンの地 (Land of Lincoln)」という州の公式スローガンがあります。イリノイからは、共和党員のアブラハム・リンカーンの他に民主党員のバラク・オバマ(Barack Obama)が合衆国大統領となっています。シカゴのダウンタウンにシカゴ美術館 (Art Institute of Chicago)があります。是非立ち寄りたいところです。

イリノイ州の土壌は分厚い黒土層でおおわれ、農業に適した肥沃な州で知られています。世界有数の穀倉地帯でもあります。農地は州面積の80%を占め、大豆は全米第一位、トウモロコシはアイオワと同じ一、二位を争っています。

イリノイ州の鳥はショウジョウコウカンチョウ(Cardinal)です。アメリカの東部から中部、南部それにメキシコが原産です。カリフォルニア州にも広がり、その分布域を広げています。林縁や低木帯、人家の周りの茂みなどに生息します。体長は20センチ前後でオスは黒い顔をのぞいて全体が赤色で、メスは淡褐色から淡い緑褐色をしています。頭部に尖った冠毛があり、くちばしは円錐形で橙赤色です。いろいろな種類があり18亜種が確認されています。主にメスのフェースマスクの色で区別するそうです。植物の種子や穀物、果実、昆虫などを餌にしています。一年中さえずりますので人々に親しまれている鳥です。

アメリカの州鳥 その10 アリゾナ州の鳥:サボテンミソサザイ

      Sedona

アリゾナ州(Arizona)は北をユタ州(Utah)、東をニューメキシコ州(New Mexico)、南をメキシコ、西をカリフォルニア州(California)とネバダ州(Nevada)に接しています。もともとはメキシコの一部でしたが、アメリカ・メキシコ戦争の結果、1863年にアリゾナ準州として分離され、後の1912年に48番目の州となります。首都はフェニックス(Phoenix)で、その他にツーソン(Tucson)といった都市もあります。

フェニックスは、20世紀前半からニューディール(New Deal)政策によるコロラド川(Colorado River)の電源開発、多目的ダムであるフーバーダム(Hoover Dam)の開発によって、無尽蔵の電力を供給、軍事産業に関わる航空機産業や電器機械工業が発展し、また観光都市としても発達しています。フェニックスは砂漠のど真ん中に都市が形成されているため、夏の暑さは厳しいこの地ですが、冬は避寒地として人気で多くの人々がやってきます。郊外にあるサンシティ(Sun City)は、退職後の人々が暮らす地域で有名なリタイアメント・コミュニティー(Retirement Community)があります。

    Cactus Wren

アリゾナといえばグランド・キャニオン(Grand Canyon)の右に出るものはありません。コロラド川による浸食作用で削り出された大渓谷です。州のニックネームは”Grand Canyon State”となっています。フェニックスより車で2時間のところにセドナ(Sedona)という観光地があります。グランド・キャニオンに次ぐ観光地で、個性的な形をした赤い砂岩の岩山で知られ、霊性溢れるパワースポットといわれます。兵庫教育大学の院生8名とで学校訪問のついでにセドナを楽しみました。

州鳥のサボテンミソサザイ(Cactus Wren)のことです。羽の色は褐色で黒と白の斑点があります。目の周りが白く、胸も白いのが特徴です。オスとメスは同じ形をしています。。サボテンの生息している乾燥地帯で生活する鳥で、サボテンに留まっても平気です。長くて鋭いクチバシはサボテンに住む昆虫を突いて食べることができます。 また捕食者に襲われたらサボテンに避難したり、巣をサボテンの隙間に作って卵を守ったりします。つがいは生涯寄り添います。早春に繁殖期を迎え、サボテンの隙間に営巣します。 これにより捕食動物は卵を狙って巣に近づくことはできません。

アメリカの州鳥 その9 アラバマ州の鳥:ハシボソキツツキ

Northern Flicker

アラバマ州(Alabama)は、合衆国の黒人と白人の間の平等を実現する闘いにおいて、大きな役割を果たしたことでも知られています。マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師(Rev Martin Luther King, Jr)が説教をし、行進をし、歴史を変えたのは他でもないこのアラバマ州です。州都はモンゴメリー市(Montgomery)は、ローザ・パークス(Rosa Parks)という女性が白人男性にバスの座席を譲ることを拒み、人種隔離政策に異議を申し立てことで有名です。

1955年に起こったパークス逮捕事件がバス乗車拒否などの運動に広がり、公民権運動が高まります。この動きでアメリカ合衆国議会により、1964年の公民権法と1965年の選挙権法成立に繋がります。その後も長い間、公民権運動は続きます。人種差別というのは法律とか規制によっては、なかなか払拭できないのです。歴史とか時間というものは、そう容易く作りかえることは難しいのです。2020年も黒人射殺とか逮捕事件が続いています。

アラバマ州のハンツビル(Huntsville)には、宇宙ロケットセンター(U.S. Space & Rocket Center)のあります。アラバマ州の南端は、モービル湾(Mobile Bay)とガルフコースト(Gulf Coast)のビーチがあることでよく知られています。モービルは、アメリカのマーディグラ(Mardi Gras)発祥の地です。マーディグラとはカーニバルのことです。アラバマ州はディープサウス(Deep South)とも呼ばれ、合衆国南部の地理的、文化的な中心州となっています。

州鳥のことです。ハシボソキツツキ(Northern Flicker) は、キツツキ科の鳥で、耕地や市街地の公園などにも生息します。主食はアリで粘りけのある舌を使ってアリを引き出します。嘴は長くとんがり、草木の実や甲虫・コオロギなども食べ、ときには空中捕食も行います。巣は枯れ木に穴をあけて作り、白色卵を1-2個産みます。上面は褐色で黒っぼい横縞模様があります。オスの口許には赤い縞が走っています。襟元には黒い三日月の縞がついています。下腹には黒い斑点がある優雅な姿をしています。

アメリカの州鳥 その8 アラスカ州の鳥:カラフトライチョウ

アリューシャン列島 (Aleutian Islands) を含む北アメリカ大陸北西の端にあり、面積としては合衆国では最大の州です。合衆国本土とはカナダを挟んで飛地になっています。東はカナダ、北は北極海、西と南は太平洋と接し、西のベーリング海 (Bering Sea) を隔ててロシアと海上の国境を有しています。

アメリカ合衆国の一部としてのアラスカ(Alaska) の歴史は1867年に始まります。この年4月、アメリカ国務長官のウィリアム・スワード (William H. Seward) が720万ドルでロシアより購入します。「巨大な冷蔵庫を買った男」などと非難されたのですが、その後豊富な資源が見つかったり、冷戦中はラスカが国防上重要な役割を果たすことになり、現在ではスワードの手腕は高く評価されています。

        Willow ptarmigan

野生生物の宝庫がアラスカといわれます。ハクトウワシ (Bald eagle)が何百羽も集まり、ムース(moos) が交通渋滞を引き起こし、数百万匹のサケが川で産卵します。1958年7月7日、大統領ドワイト・アイゼンハワー(Dwight D. Eisenhower)はアラスカを連邦に加えることを認めるアラスカ州法にサインし、1959年1月、アラスカは連邦の49番目の州となりました。州の愛称は”The Last Frontier”(最後のフロンティア)となっています。

カラフトライチョウ (Willow ptarmigan)がアラスカの州鳥となっています。キジ科の鳥です。体長15–17 インチ のライチョウであり、ヤナギの間やツンドラと湿地で生活します。夏は褐色・冬は純白と季節によって羽毛の色が変化するのが特徴です。冬は羽毛の中に空気をたっぷり蓄えて体温を逃さないようにしています。春は黒い羽毛が混じりはじめ、オス個体では目の上には赤色の肉冠が見えます。メスには肉冠はありません。羽毛は軸が2つに分かれその軸に突いた細かい羽毛の密度が高いため、空気をたくさん含むことができるのです。縄張りを大事にする鳥です。

アメリカの州鳥 その7 アーカンソー州の鳥:マネシツグミ

Mockingbird

アーカンソー州 (Arkansas)は大陸の合衆国中西部に広がる堆積平野のグレートプレーンズ(Great Plains)とメキシコ湾岸(Gulf of Mexico)の間にあります。雄大な山の景色と澄みデルタ地域は、アフリカ系アメリカ人からもたらされた楽曲、ブルース(Blues)が生まれ、ジョニー・キャッシュ(Johnny”Cash)のジャズやフォークの発祥の地です。同じくアーカンソー州出身のビル・クリントン(Bill Clinton)元大統領もこの州の出身です。キャッシュとクリントンの功績を称えるスポットは今でも見て回ることができます。アーカンソー州は世界有数の米作地帯でもあります。

Gal‡pagos Mockingbird, Mimus parvulus, on Santa Cruz Island, Galapagos Islands, Ecuador

アーカンソー州で有名なのは、緑豊かなオザーク山地(Ozarks)と断崖絶壁の間を流れる広大な川です。異常気象でも知られていて。通常年には雷雨、竜巻、雹、雪、氷雨がみられるようです。雷雨は年間60日ほど記録されています。1957年にアーカンソー州のリトルロック(Little Rock)で起こった人種差別騒動が有名で、アメリカ公民権運動における重大事件の一つとなっています。

アーカンソー州の鳥はマネシツグミ(mockingbirds)です。他の鳥類や哺乳類、物音などを声真似することから「マネシツグミ」と呼ばれます。面白いことです。世界中に広く分布しています。アメリカ大陸では見られるのは「northern mockingbird」です。色は比較的地味でムクドリに似ています。「mocking」とは、「ふざける」、「いらいらさせる」、「あざける」という意味です。

アメリカの州鳥 その6 アイダホ州の鳥: ムジルリツグミ

Mountain Bluebird

アイダホ州(Idaho)は、アメリカ合衆国北西部のロッキー山脈(Rocky Mountains)にある州です。州の北はカナダ国境のブリティッシュコロンビア州(British Columbia)に接し、東はモンタナ州(Montana)とワイオミング州(Wyoming)に、西はワシントン州(Washington) とオレゴン州(Oregon)に、南はネバダ州(Nevada)とユタ州(Utah)に接している内陸の州です。

州の大部分が山岳地帯の州であり、面積では全米50州の中で14位。アメリカ北東部のニューイングランド(New England)地方の面積よりも広く、農業と共に林業、鉱業が盛んな州です。近年は自然を活かした観光業なども州の大きな収入源になっています。州都および最大都市はボイシ(Boise)です。

かつて琉球の那覇市で幼児教育をしていたとき、公設市場で巨大なジャガイモを見ました。袋には
“Idaho Potato”とありました。私がアイダホを知ったきっかけです。ジャガイモは、もともとは南アメリカのアンデス山脈あたりが原産です。コロッケやポテトチップスなどの加工食品にもされ、ビタミンCやカリウムなどの豊富な栄養を含む特徴があります。メークイン、男爵、農林一号などのジャガイモも北海道で栽培されています。

アイダホ州の鳥は「ムジルリツグミ」(Mountain Bluebird)です。ツグミの仲間です。全長約18cm、翼開長約36cm、体重約29gくらいです。オスは目の覚めるようなうす青い羽根ですが、メスは灰青色の少し地味な姿です。春頃から彼らは求愛活動を始めますが、メスがオスを選ぶ基準は羽根の色でも鳴き声の美しさでもなく、しっかりした巣を持っているかだそうです。ナバホ族(Navajo)の伝説では、朝日をつかさどる妖精の化身とされています。

アメリカの州鳥 その5 アイオワ州の鳥:オウゴンヒワ

American Goldfinch

前置きが長くなりました。いよいよ50州の鳥の紹介です。州名はあいうえお順に紹介することにします。最初はアイオワ州(Iowa) の鳥です。アイオワ州はアメリカ大陸、中西部(Midwest)に位置し、「アメリカのハートランド(Heartland–中心地)」と呼ばれています。その州都で人口最大の都市はデモイン(Des Moines)です。「アイオワ」という名前はヨーロッパ人がこの地域を探検した時代に、数多く住んでいたインディアン部族の中のアイオワ族からとられました。

Iowa and corn field

アイオワ州法によって、アメリカ合衆国大統領選挙の前哨戦である大統領候補指名党員選挙(caucus)を全国に先駆けて行うことが定められています。したがって、アイオワ州党員選挙は大統領選挙の初戦として位置付けされ、大統領選挙の際には大きく注目されています。なお、アイオワ州党員選挙にて敗北した候補者が大統領に就任した例は少なく、「アイオワを制する者が大統領選挙を制する」とも言われています。

アイオワ州の北側はミネソタ州(Minnesota)、東側はミシシッピー川(Mississippi River)を挟んでウィスコンシン州(Wisconsin)です。南はミズリー州(Missouri)、西側はネブラスカ州(Nebraska)です。アイオワを探検し開拓を始めたのは1673年にミシシッピ川の探検をしていたケベック出身のフランス人ルイ・ジョリエ(Louis Jolliet)と、彼と行動を共にしたフランス人宣教師ジャック・マーケット(Jacques Marquette)です。アイオワ州は平原が広がり「コーンベルト(corn belt)」と呼ばれてもいます。トウモロコシの生産で全米一なのです。ということは世界一かもしれません。そのような訳で、「世界の食糧の州」とも呼ばれます。

アイオワ州の鳥の代表、オウゴンヒワ(American Goldfinch)は、米国中西部、東海岸のニューイングランド(New England)、カナダでみられるスズメ目アトリ科の鳥で、体長は約14cmです。藪、草原、二次林などに生息します。雑草の種子や芽、昆虫などを食べます。枯草などを集めて椀型の巣を造ります。名前が示すとおり、オウゴンヒワオスはとても鮮やかなレモンイエローで美しい。繁殖期のオスの黄色は輝くような黄金色です。この際だった色がこの鳥の英名・和名の由来です。他方、メスは、羽色が全体に茶色、上面はオリーブ褐色で、頭頂の黒色部分がありません。鳴き声は高くチッチッチッととても心地よく響きます。

オウゴンヒワの巣はオーソドックスな形である浅いカップ型の巣を木の又の部分などに作ります。冬になると大きな群れを作り、群れで生活するようになります。生息地域によっては冬になると渡り鳥のように南の地域へと移動するという特徴があります。

アメリカの州鳥 その4 アメリカの自然保護とパークレンジャー

Gracier National Park, Montata

1872 年に世界ではじめて国立公園制度を成立させます。世界最初の国立公園は、1872 年に第18代合衆国大統領 ユリシーズ・グラント(Ulysses S. Grant)によって指定されたイエローストーン国立公園(Yellowstone National Park)です。1916 年に「風景、自然、史跡、野生動物の保存」を目的として、内務省(Department of the Interior)に国立公園局(National Park Service)が設置されます。アメリカは世界で初めて国立公園制度を取り入れ、有料制で世界最高水準の自然保護システムを確立しているといわれます。大自然はアメリカの財産という考え方があるからでしょう。

Park Rangers

国立公園局は 59あるすべての国立公園と399 のエリアを管轄し、多くの国定記念物、さまざまな保護物と歴史的な特徴を管理する責任を持っています。総面積は 34 万k㎡。これは九州を除いた日本の面積に匹敵します。その96%が国有地で、敷地内にある道路、レストランから教会などの建造物に至るまで、当局の厳重な管理下にあります。

国立公園には必ずビジターセンター(visiter center)があります。パークレンジャー(park ranger)が常駐し自然環境の展示やジオラマ、映像上映があり、来場者の知識を深めるのに役立っています。生息する動植物のリストや天気予報など、公園のあらゆる情報を得ることができます。パークレンジャーによるレンジャープログラムのほとんどは無料で実施されており、予約なしで誰でも参加できます。パークレンジャーは、人々を連れてトレイル(trail)を歩きながら、その風景が生まれた経緯や生息動植物、絶滅の危機に瀕している動植物、先住民の言い伝えなどを聞かせてくれる親切さです。パークレンジャーには、常勤職員と臨時職員(seasonal)がいて、特に夏季にビジターセンターに配置される多くの若手職員は学生または大学卒業直後の臨時職員です。どの公園も芝が刈られ、木々は剪定されていて清潔です。

The Narita Family, Yosemite National Park

マイカーやレンタカーは駐車場に停めバスを利用します。バスは低公害の液化天然ガス車でCO2 削減、大気汚染などの環境汚染と交通渋滞を減らす施策を展開しています。バスには自転車ラックがあり、車いすや身体の不自由な人も乗降しやすい低床型となっています。自然保護のため国立公園内の宿は数が限られており、部屋は慢性的に不足しています。ヨセミテ(Yosemite)など人気が高い公園は、トップシーズンのキャビンやペンションの客室は1年前に予約で埋まります。

アメリカの州鳥 その3 アメリカの50州と連邦政府

連邦最高裁判所

アメリカ独立宣言当時はデラウェア (Delaware)を初めとして13州でありました。独立戦争後はスペインやフランスなどと領土を割譲、買収、併合を経て、現在は50州となっています。州は連邦と主権を共有しながらも独立した主体となっています。独立宣言に加わった13植民地を起源として各州は連邦を構成していて自律性が非常に高いのが特徴です。日本ような県の国への従属的な関係とは違います。

合衆国の三権分立

合衆国憲法においては、連邦政府に授権された権限として、軍事、外交、通貨、通商以外は州および人民に留保されています。教育・福祉・治安(警察)はもちろん、民法・刑法も原則としては州法の管轄となっています。我が国のような地方交付税などはありません。消費税も州によって異なります。州には固有の憲法や州最高裁判所もあり、三権分立が確立されています。各州の行政や基礎自治体の体系もそれぞれ異なり、首長たる知事、議会はもちろんのこと共和制国家としての体裁を持っています。軍隊である州兵を有しています。

White House

連邦政府には運輸省とか教育省があります。学校の運営は州や自治体に責任があります。国立大学はありません。共通の道路交通法規というものもなく、連邦捜査局にも交通取締りの権限はありません。歴史的には連邦政府の権限が強化され相対的に州の地位が低下する傾向があるように感じます。
特に、連邦政府は共同の防衛および一般の福祉に備えるために、租税、関税、輸入税および消費税を賦課し、徴収する権限を有しています。そして、すべての関税、輸入税お よび消費税は、合衆国全土で均一でなければならないことが合衆国憲法第1条8節に定められています。

アメリカの州鳥 その2 アメリカの独立

Battle of Lexington and Concord

アメリカの独立戦争(American War of Independence) は、アメリカ東部沿岸のイギリス領の13植民地と植民地を支配していたイギリスとの戦いです。砂糖、綿花などへの高い関税に反対したり、東インド会社から持ち込まれる安いお茶への植民地商人の怒りが、1773年にボストン港を襲撃しボストン茶会(Boston Tea Party)事件となっていきます。

Battle of Bunker Hill

茶会事件に衝撃を受けたイギリスはボストン港を閉鎖、住民に対して強硬な姿勢を示していきます。ここにおいてアメリカ大陸13州の住民代表者はフィラデルフィア(Philadelphia)で史上初めての大陸会議を開き、植民地の自治権を求めてイギリスに対して反抗します。1775年4月、イギリスの駐屯兵と住民有志による民兵が衝突がレキシントン・コンコードの戦い(Lexington and Concord)となります。

minute man

1775年6月に起こったのがバンカーヒル(Battle of Bunker Hill) の戦いです。訓練も経験も乏しい植民地軍の民兵1,500名がバンカーヒルに砦を築き、白兵戦を展開し敗北します。このような民兵はミニットマン(minute man)と呼ばれました。しかし、イギリスの正規軍に大損害を与えます。結果としてアメリカ側の士気を高める結果となった戦です。バンカーヒルはボストン対岸の丘の名前です。

住民代表者は第2次大陸会議を開催、ジョージ・ワシントン(George Washington) を総司令官に任命して大陸軍を結成し、1776年7月4日の大陸会議においてトマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson) が起草し、プロテスタント的思想(protestantism)を盛り込んで近代民主主義の原点となったアメリカ独立宣言 (Declaration of Independence) を発表します。

プロテスタント的思想とは、神の前での人間の平等を強調する考えです。万人は平等につくられ、また、生命、自由および幸福追求を含む譲ることのできない権利を創造主から与えられているという考えです。

アメリカの州鳥 その1 アメリカの州の歴史

Cardinal

今回から50回にわたって「アメリカの州鳥」という話題を取り上げることにします。私もウィスコンシンなどで色々な鳥を見てきました。四季とりどりの鳥がいて、それが毎日のように本当に身近で見られることです。日本で見かけたことがない鳥も見ました。アメリカ大陸は広いので珍しい鳥がいます。雪解けになると南から北へむかって大群で雁(geese)が飛翔していきます。秋になるとその反対に大群が南に向かいます。群れが毎日何度も何度も上空を飛んでいくのです。季節を感じる風物詩です。

州鳥に触れていく前にアメリカの州の特徴を述べておきます。現在のアメリカは50の州から成ります。それで合衆国と呼ばれています。州はそれぞれの憲法を有していて、自治を有しいわば小さな国家のような形態をとっています。子ども達はアメリカの独立にいたる歴史を必ず学校で習います。そこで学ぶ大事なことは、アメリカの特徴の一つが多民族国家ということです。なぜ多民族国家となっていったかは、植民地時代の「開拓」によって、ヨーロッパ諸国からいろいろな人々が移民してきたこと、黒人奴隷が連れてこられたこと、アジアの国々から移民がやってきたこと、そして原住民(native american)から構成されているからです。

連邦議事堂 Capitol

まずヴァージニア(Virginia)やカロライナ(Carolina)にはイギリス人(England)が、ルイジアナ(Lousiana)にはフランス人が(French-Lousiana)植民地を築くなど、この開拓は主にイギリス人とフランス人2つの民族によって行われます。大西洋東海岸のニューヨーク(New York)やニュージャージー(New Jersey)にはオランダ人(Netherland) が、デラウェア(Delaware)にはスウェーデン人(New Sweden)が、フロリダ(Florida)にはスペイン人(Spanish) が、それぞれにアメリカ大陸に植民地を築いていきます。こうして、アメリカ東部には、すでに17世紀半ばに現在のアメリカ文化となっていく欧米文化が移植されていたのです。

アメリカの歴史における宗教の多様性に関する簡単な歴史です。当初の移民はフランスやスペインなどからのカトリック(Catholic)教徒でありましたが、16世紀にヨーロッパでプロテスタント(新教徒)が勃興し、カトリック教会に対する抵抗の宗教改革運動へ発展していきます。続いて宗教戦争が起こり、カトリック教会からの迫害がおこると、清教徒(Puritan)による1620年のメイフラワー号(Mayflower) のマサチューセッツ(Massachusetts)のプリマス(Plymouth)への移民をきっかけとして、新天地を求めた新教徒が相次いで入植します。こうしてカトリックとプロテスタントが共存していくのです。

日本にやって来て活躍した外国人 その五十一 ラフガディオ・ハーン その2

Patrick Lafcadio Hearn

「日本にやって来て活躍した外国人」のシリーズはこの稿で終わりとなります。
ハーンは1890年8月に島根県松江にやってきます。なぜ松江を選んだのかはわかりません。松江尋常中学校及び師範学校の英語教師となります。その後は熊本第五高等学校をはじめ神戸など、日本の各地の学校や新聞社で働き、1896年には東京帝国大学の講師になっています。退職後の後任は夏目漱石となり、ハーンは早稲田大学に移り教鞭を執ります。

熊本第五高等学校

彼の著作には『知られざる日本の面影』 Glimpses of Unfamiliar Japan (1894) ,『心』 Kokoro (96) ,『仏の畑の落穂』 Gleanings in Buddha-Fieldsなどがあります。中でも、日本の伝説に取材した『怪談』 Kwaidan (1904) は最も読まれた作品といえましょう。『怪談』のなかに「耳なし芳一」とか「雪女」、「のっぺらぼう」、「ろくろ首」などがあります。

William B. Yeats

ハーンの父親はアイルランド出身でした。いわゆるアイリッシュ(Irish)です。アイルランドといえば妖精のイメージが強いところです。アイルランドの詩人で神秘主義的思想家、イエイツ(William B. Yeats)が編纂した「ケルト幻想物語集」(Legends of the Celts) というシリーズには、幽霊、魔女、巨人、取り換え子…など怪談のような話から、日本の妖怪に近いようなお話まで網羅されています。ハーンも小さい時は、こうした物語を聞かされたり、読んだりしていたはずです。「ケルト人(Celt)」とは、ケルト語派の言語が話される国であるアイルランド、スコットランド、マン島(Mann)に住む人々を指します。

アイルランドのウオータフォード(Waterford)という街に「The Lafcadio Hearn Japanese Gardens」というのがあるそうです。以下のURLで調べましたが、気持ちよく散策できるような雰囲気を感じます。アイリッシュの人々も小説家ハーンには、思い入れがあるのでしょう。
https://www.lafcadiohearngardens.com/ 

日本にやって来て活躍した外国人 その五十 ラフガディオ・ハーン その1

八雲とセツ

山陰へ行かれたときは、松江市にある小泉八雲記念館を是非訪ねて欲しいものです。記念館には第1と第2展示室があり、第1展示室では「その眼が見たもの」「その耳が聞いたもの」「その心に響いたもの」というコンセプトで紹介し、第2展示室では八雲の事績や思考の特色を「再話」「ジャーナリズム」「教育」「いのち」「八雲から広がる世界」などが紹介されています。小泉八雲という名前ですが、「小泉」は妻・セツの姓で、「八雲」は、出雲の国の枕詞が「八雲立つ」なので、そこから拝借したといわれます。

ラフガディオ・ハーン( Patrick Lafcadio Hearn)、1850年6月にギリシャ西部のレフカダ島(Lefkada)で生まれます。父チャールズ(Charles)はアイルランド(Ireland)出身の軍医、母ローザ(Rosa)はギリシャ人でした。アイルランドは当時まだ独立国ではなかったので、ハーンはイギリス国籍でありました。2歳の時にアイルランドに移り、その後イギリスとフランスでカトリックの教育を受けます。16歳の時、遊戯中に左目を失明します。

小泉八雲記念館

19歳でアメリカに単独で移民し、シンシナティ(Cincinnati)でジャーナリストとして文筆が認められようになります。その後、ルイジアナ州(Louisian)ニューオーリンズ(New Orleans)などで旺盛な取材や執筆活動をします。ニューオーリンズ時代に万博で出会った日本文化、ニューヨークで読んだ英訳『古事記』などの影響で来日を決意し、1890年4月に日本の土を踏みます。その時ハーンは39歳でした。

まもなく島根県尋常中学校及び師範学校の英語教師となります。その後は熊本第五高等学校をはじめ神戸など、日本の各地の学校や新聞社で働き、1896年には東京帝国大学の講師になっています。

日本の各地を渡り歩いて,『知られざる日本の面影』(Glimpses of Unfamiliar Japan),『心』 (Kokoro) ,『仏の畑の落穂』 (Gleanings in Buddha-Fields) などで日本の風土と心を紹介していきます。

日本にやって来て活躍した外国人 その四十九 アリス・ベーコン

Alice M. Bacon

アメリカの女子教育者にアリス・ベーコン(Alice M. Bacon) がいます。日本の初めての女子留学生大山捨松、津田梅子の親友で、彼女らの要請で1884年、華族女学校、後の学習院女学校の英語教師として来日します。

捨松はコネチカット州(Connecticut)のニューヘイブン(New Heaven)のベーコン牧師(Rev. Bacon)の家族のもとでホームステイし、ベーコン家の末娘アリス・ベーコンと出会います。捨松は高校卒業後、東部の名門女子大学であるヴァッサーカレッジ (Vassar College)に入学します。捨松は成績優秀で学級委員長を務めるなどして大学生活を送ります。捨松は帰国までに時間があったので、アリスの兄が開いた看護婦養成学校で3ヶ月の訓練を受け看護婦資格も得ました。スイス留学から帰国した大山巌と結婚し積極的な活動を開始しました。世は鹿鳴館時代です。大山巌夫人として捨松は「鹿鳴館の華」と謳われます。

日本の女子教育に強い関心を持っていた捨松は、華族女学校の設立に参加し、津田梅子も華族女学校で教授補として教壇に立ちます。そして、二人の要請に答え、アリス・ベーコンが1888年に華族女学校英語教師として来日します。捨松、梅子、アリスの3人の再会です。

梅子は高校卒業後1889年に再度渡米し、ペンシルベニア州(Pennsylvania)フィラデルフィア(Philadelphia)にあるブリンマーカレッジ(Bryn Mawr College)に入学します。大学を卒業し帰国した梅子は、1900年に女性英語教師育成のための「女子英学塾」を開校します。現在の「津田塾大学」です。捨松は顧問に就任して梅子を支えます。そしてアリスが再来日して「女子英学塾」で教えます。

津田梅子

ベーコンは帰国後はハンプトンHunpton)師範学校校長となりますが、1900年、大山と津田の再度の招聘により東京女子師範学校で後のお茶の水女子大学と女子英学塾、後の津田塾大学の英語教師として赴任します。1902年4月に任期満了で帰国するまで明治期の女子教育に貢献します。彼女の著作は後にルース・ベネディクト(Ruth Benedict)の『菊と刀』(Chrysanthemum and the Sword: Patterns of Japanese Culture) の重要な参考資料になります。

日本にやって来て活躍した外国人 その四十八 ピエール・ロチ

Pierre Loti

南フランスはロッシュフォール(Rochefort)出身であるピエール・ロチ(Pierre Loti)を紹介します。海軍大佐で世界中を旅し、1885年、修理のため長崎に停泊した巡洋艦ル・トリオンファント(La Triomphante)号の乗員として来日します。中国に発つまでの約2ヶ月間長崎に滞在し、周旋人を通して17歳のおかねという少女と愛人関係を結びます。十人町の家を借りて1ヵ月ほど共に暮らしその経験を後に「お菊さん(Madame Chrysantheme)」という小説に書き、1887年にフランス国内では最も古い歴史を持つフィガロ紙(Le Figaro)に発表します。

お菊さん

日本の自然や生活様式などを異国情緒たっぷりにリアルに描いたこの作品は、また従順で大人しい日本女性のイメージが強く印象づけられています。日本および日本文化に対する強烈な好奇心をかき立てられたようです。フランスのジャポニズムにも大きな影響を与えます。アメリカのジョン・ロング(John L. Long)はこの日本人女性の話を長崎にいた妹、コレル(Correll)から聞き、短編小説にします。これらがプッチーニ(Giacomo Antonio Puccini)のオペラ『蝶々夫人』の原型になります。

鹿鳴館の時代の真っ只,「お菊さん」の他に「秋の日本」,「ニッポン日記」,「日本の婦人たち」 などの作品を発表します。長期間にわたって日本で暮らした経験のある“親日家”(例えば,ラフカディオ・ハーン)の著作とは大きく異なり,フランス人のロチがはじめて目にする日本の印象が冷えた眼差しで鋭く克明に綴られています。フランス人のエスプリ(esprit)でしょうか、ロチの描く日本人女性の姿はひどく、「意思も感情も表情もない」などと描写しています。また日本を「遅れた野蛮な国」のように書いているのが気になります。

日本の婦人たち」 には,ロチは鹿鳴館についての印象を次のように記しています。
『東京のど真ん中で催された最初のヨーロッパ式舞踏会は,まったくの猿真似であった。そこでは白いモスリンの服を着て,肘の上までの手袋をつけた若い娘たちが,象牙のように白い手帳を指先につまんで椅子の上で作り笑いをし,ついで,未知のわれわれのリズムは,彼女たちの耳にはひどく難しかろうが,オペレッタの曲に合わせて,ほぼ正確な拍子でポルカやワルツを踊るのが見られた。』

『この卑しい物真似は通りがかりの外国人には確かに面白いが,根本的には,この国民には趣味がないこと,国民的誇りが全く欠けていることまで示しているのである。ヨーロッパのいかなる民族も,たとえ天皇の絶対的命令に従うためとはいえ,こんなふうに今日から明日へと,伝統や習慣や衣服を投げ捨てることには肯(がえ)んじないだろう。』

日本にやって来て活躍した外国人 その四十七 テオドール・フォン・レルヒ

Theodor von Lerch

日本にスキーを伝えたのは、オーストリア(Austria)の将校、テオドール・フォン・レルヒ少佐(Theodor von Lerch)です。わが国の軍事視察と軍事教練を目的として来日します。その背景には、1902年1月に起こった八甲田雪中行軍遭難事件があります。陸軍第8師団の歩兵第5連隊が青森市街から八甲田山の田代新湯に向かう雪中行軍の途中で遭難した事件です。訓練に参加した210名中199名が死亡するという史上最悪の遭難事件です。この遭難を教訓に、寒冷地での軍事教練を強化し指導するためにレルヒは招聘されます。

1911年1月にレルヒは高田、現在の上越市の陸軍第13師団の歩兵58連隊に送られます。彼はさっそく雪の中を進む軍事訓練として、兵士たちにスキーを紹介します。彼はオーストリアから持ってきた1組のスキー(Ski)を見本をもとに、訓練用のスキーを製造し、数名の青年将校にスキーの練習を命令します。レルヒがその講師です。

レルヒは1年余りを高田で過ごします。この間、陸軍第13師団において良き理解者に恵まれ、スキーの指導にも熱心に力を注ぎました。訓練用のスキーは一本のステッキを使って操作するものでした。レルヒは、スキーを学んだ将校たちに、越後地方の学校でスキーを教えるように促します。レルヒも民間人にスキーを教えることには大いに乗り気で、特にジャーナリストと教師にスキーを教えます。

日本にやって来て活躍した外国人 その四十六 ルーサー・メイソン

Luther W. Mason

日本の音楽教育・西洋式音楽の輸入などで基礎を築いた功労者ルーサー・メイソン(Luther W. Mason)を紹介することにします。アメリカ各地で長年音楽の教師を勤め、主に初等音楽教育分野で第一人者となった教育者です。

アメリカに留学した人に伊沢修二がいます。伊沢は幕末の混乱期に、主に理系の洋学を中心にして学を修め、明治政府の文部省に出仕し、愛知師範学校校長となったのちの1875年に24歳で政府から米国留学を命じられます。留学した彼は、主にマサチューセッツ州(Massachusetts)のブリッジウオーター大学(Bridgewater State University)で、アメリカにおける師範教育の在り方を中心に学び、この時、ボストンで音楽教育家として名を成していたメイソンの教えを受けます。

伊沢修二

帰国後、伊沢は文部省に進言して「音楽取調掛」の設立を準備し、メイソンを日本に呼び寄せて事業に協力してもらう手はずを整えます。1880年に伊沢を長として音楽取調掛はスタートします。そして、翌年の1881年にメイソンが来日し、足掛け2年間、メイソンは日本における音楽教育の基礎固めに関わることになります。音楽取調掛というのは、後の東京音楽学校=東京芸大音楽学部の担当官のことです。

東京音楽学校の講義風景

音楽教員の育成方法や教育プログラムの開発を行い、伊沢とともに『小学唱歌集』の作成にも関わります。また、ピアノとバイエル(Bayer)の『ピアノ奏法入門書』を持ち込み、ピアノ演奏教育の基本も築きます。東京芸術大学には、メイソンがアメリカから持ち込んだピアノが今も記念に残されています。

日本にやって来て活躍した外国人 その四十五 イザベラ・バード

Isabella L. Bird

イギリスの女流作家にイザベラ・バード(Isabella L. Bird)がいます。当時の女性としては珍しい「旅行家」として、世界中を旅した女性でもあります。バードは1831年、イングランド北部ヨークシャー(Yorkshire)で牧師の2人娘の長女として生まれます。1878年、47歳で来日し東京を起点に日光から新潟へ抜け、日本海側から北海道に至る北日本を旅します。このときヘボン博士の紹介で伊藤鶴吉という従者兼通訳の日本人男性一人が同伴します。伊藤には英語能力のほか、英国人で植物学者であったチャールズ・マリーズ(Charles Maries)の植物採集に従事した経験があったからです。

国内旅行にはさまざまな制約がありました。イギリス公使であったハリー・パークス(Harry S. Parkes)の尽力で「外国人内地旅行免状」をもらい旅します。そのような時代にバードはアイヌの一拠点集落である平取をめざして北海道へ、そして関西・伊勢神宮へと旅します。彼女は日本滞在の7カ月で4,500キロ以上を旅したようです。その目的は当時の日本を記録すること、そしてキリスト教伝播の可能性を探ることでありました。

北海道平取町ペンリウク長

これらの記録を全2巻800ページを超える大著『日本の未踏の地:蝦夷の先住民と日光東照宮・伊勢神宮訪問を含む内地旅行の報告』(Unbeaten Tracks in Japan)として残しています。北海道の旅の目的地を平取に定め、アイヌの長ペンリウク宅で3泊4日滞在し、アイヌの生活や文化を学び知ろうと全力を注ぎ、濃密な記録を書き残します。実はアイヌへのキリスト教伝道とも結びついていたようです。彼女の記録は、まだアイヌ文化の研究が本格化する前の明治時代初期の状況を詳しく紹介したほぼ唯一の貴重な文献となります。彼女の報告の原題は「Unbeaten Tracks in Japan: An Account of Travels in the Interior Including Visits to the Aborigines of Yezo and the Shrines of Nikkō and Ise」とあります。アイヌのことをアボリジニ(Aborigines)と呼んでいるのは興味あります。

バードの旅は時に地元紙にも紹介され、視察の旅であることが読者に伝えられていたといわれます。旅は用意周到に準備・計画され、ルートは目的に従い事前に設定されていました。例えば、日光から会津を抜け、津川から阿賀野川を舟で下って日本海側の新潟に出たのは、開港場であるが故にそこに宣教師がおり、その活動を学び知り新潟のさまざまな実態を明らかにするためだったようです