ウィスコンシンで会った人々 その23 囲碁と子どもたち 

ウィスコンシン大学の学生会館はMemorial Unionという。宿泊施設、講演や宴会場、会議室、ラウンジ、カフェテリア、キャッシュバー、アイスクリームスタンドなど大抵のものは揃っている。教職員の憩いの場となっている。Lake Mendota湖畔のテラスでは、のんびりと日光浴をしながら本を読んだり、子どもを遊ばせている。

久しぶりでMemorial Unionに出掛けワインを飲みながらボーッと湖を眺めていると口元が綻ぶ。ジョギングをする者、ウィンドサーフィンをするものもいる。大学は夏休みに入り静けさが戻っている。ラウンジに戻り誰か囲碁を打っている人がいないかと探す。かつては必ず碁盤を囲む中国人や韓国人の留学生がいた。だが誰も囲碁をする者はいない。

囲碁の話題である。毎週木曜日の放課後、近くの小学校で囲碁の手ほどきをしている。小学一年から四年までの生徒が三々五々集まってくる。「放課後子ども育成事業」という活動の一環だ。囲碁を教えるというよりは、碁盤で石取りや陣取りのゲームをしているようなものだ。少し黒石や白石の置き方や石の取り方などに慣れてきた子どもには、囲碁のルールを教えることにしている。だが、こちらが工夫したりしないと「面白くない、、、」といって立ち去っていく。塾があるとか外で遊びたいという。

市ヶ谷に日本棋院がある。そこに学校普及事業というのがあって、青少年の健全育成として囲碁を学校教育に取り入れるよう自治体の教育委員会に働きかけている。そのために学校囲碁指導員を育成している。筆者もその講習会に参加し資格を得た。だが、いざ子どもを前にして囲碁を教えようとすると、一筋縄ではいかないことを体験している。子どもは、黒石と白石を前にすると、大変な創造性が働く存在であることを感じている。とんでもない遊びを始める。オセロに似たようなゲームである。囲碁はそっちのけで、つきあうようにしている。そして囲碁に仕向ける。

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ウィスコンシンで会った人々 その22 「ペアハラ」と看護師辞職の事態

鳥取の県立養護学校で2015年5月、看護師6人全員が一斉に辞め、ケアが必要な児童・生徒に支障が出たというのは、異常事態としか思われない。一部の保護者からは、痰の吸引時間の遅れや点滴の仕方などに関し批判の声が寄せられていたという。看護師不足で時間通りに対応しきれない事情、さらには学校側の保護者対応の拙さもあるようだ。鳥取県の看護師にとっては、時間給が1,180〜1,460円というのだから、アホらしくてやっていられないという気分になったのだろう。同情したくなる。ちなみに、東京都は時給1,800円、大阪府は1,890円である。

看護師が全員辞めた理由だが、ある保護者による暴言に近い対応への反発だそうだ。そこで報道ではいわゆる、「モンスター・ペアレンツ」が盛んに話題とされた。これを「モンペ」というそうだ。もし保護者が「怒ったことは事実だ」とすれば、それは「ペアハラ」といわれるかもしれない。ペアレンツによるいやがらせ、ハラスメント(harassment)である。6人が一斉に辞めたという実態の背景には、保護者の言動、看護師の身分の不安定さといった問題性が考えられる。

子どもの対応が、少ない看護師に任され担任教師や学年主任などとの連携が不十分だったのではないか。看護師は威圧的な保護者を前にして孤立していたのではないか。子どもの対応については保護者を交えて個別の指導計画などを皆で話し合い、役割を分担することを確認していなかったのではないか。さらに看護師は指導計画すら知らなかったのではないかと危惧する。加えて看護師は、保護者からのクレームや要望に対応するためのマニュアルも知らされていなかったのかもしれない。

そこで、今回のような事態を回避するにはどうしたらよいかである。第一に保護者と教職員が遵守すべき行動の規範(Due Process)のようなものを作ることである。保護者には不満や不服の申し立てができる手順を明確にしておくこと、言動はどうあるべきかを伝えることである。学校側も保護者の言動が不適切な場合を想定して弁護士や最悪の場合、訴える権利を留保することを保護者にきちんと文書で伝えておくことである。

第二は、看護師を常勤とし個別の指導計画づくりや、その他学校業務において教師と対等に役割を分担することである。学校は、教師だけの単一集団では保護者の期待や不満に対応できない。看護師を孤立させないためにも看護師の常勤化は必須の措置である。現在の時間給は医療的ケアという仕事にしてはあまりに酷い。

第三は、第一で提案した行動規範を保護者と学校、地域社会に公開し、学校の姿をより可視化することである。毎月学校は「学校だより」とか「学校ニュース」を町内会組織などをとおして配布している。その中に、教師や保護者のハラスメントを防ぐためのお互いの了解事項など、行動規範を地域でも知って貰うことである。

第四は、看護師には男性も採用すべきである。全員が女性看護師であるために母親との対応がこじれたふしもある。本来、全面的な介護が必要な男子生徒には男性看護師が対応し、女子生徒には女性看護師が対応すべきなのである。生徒への導尿などの措置など,生徒の人権を今一度再点検すべきなのだ。「看護婦」の世界は過去のものとなったはずだが。

もしこのような対応を教育委員会も学校もとれないとすれば、「ペアハラ」はこれからも発生するかもしれない。そして学校は頑なに内部のハラスメントを隠そうとするに違いない。

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ウィスコンシンで会った人々 その21 集団的自衛権行使の事例

集団的自衛権の行使と称して大国はどのように振る舞ったのかを次の五つの事例を振り返りその特徴を考える。紹介するのは、いずれも1950年代から1970年代の内戦である。

1. ハンガリー動乱
1956年10月にハンガリー(Hungary)で発生した大規模反政府デモに対し、ソ連が「ハンガリー政府の要請に基づき、ワルシャワ条約(Warsaw Pact)に従って」デモを鎮圧した事件だ。ワルシャワ条約機構はソ連を中心とする東ヨーロッパ諸国が結成した軍事機構である。北大西洋条約機構 (NATO)に対抗する。ワルシャワ条約は1955年につくられ集団的自衛権に基づく加盟国間の相互軍事援助を主な目的としている。だがハンガリーの内政に関与したとして、ソ連は国際的な非難を受けた。

2. チェコスロバキア動乱
1968年8月に、チェコスロバキア(Czechoslovakia)で起こった自由化運動の影響拡大を恐れたソ連および東欧諸国によるワルシャワ条約機構軍が改革運動を鎮圧した事例である。この変革運動は「プラハの春」とも呼ばれ女子体操の花と呼ばれたベラ・チャスラフスカ(Vera Caslavska)、人間機関車と呼ばれたエミール・ザトペック(Emil Ztopek)らによる改革への支持・期待の表明、「二千語宣言」に署名し運動は盛り上がる。鎮圧されたが民主化を取り戻したのは1989年である。

3. ヴェトナム戦争(Vietnam War)
南ヴェトナム解放民族戦線(ベトコン)がヴェトナム共和国政府軍に対する武力攻撃を開始した1960年12月が戦争の始まりといわれる。南北に分裂したヴェトナムで発生した戦争である。米ソの代理戦争ともいわれる。合衆国議会は国連憲章、及び東南アジア集団防衛条約(SEATO)に基づく義務に従い派兵することを承認した。SEATOの主要構成国である大韓民国、タイ、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランドも南ヴェトナムに派兵した。他方、ソビエト連邦や中華人民共和国は北ヴェトナムに対して軍事物資支援を行い多数の軍事顧問団を派遣した。

4. コントラ戦争
1981年、米国のレーガン政権(Regan)がニカラグア(Nicaragua)の反政府勢力であり親米反政府民兵組織であるコントラ(Nicaraguan Contras)を支援したことである。ニカラグア政府によるエルサルバドル(El Salvado)、ホンジュラス(Honduras)、コスタリカ(Costa Rica)への武力攻撃に対する集団的自衛権を行使した事案である。ニカラグアの民主化はそれ以降長い年月を要する。

5. アフガニスタン紛争
2001年の9・11テロを受けてタリバン(Taliban)政権下のアフガニスタン(Afganistan)に対する米軍の攻撃とそれに伴うNATO加盟のヨーロッパ諸国のとった軍事行動である。

9・11のテロ攻撃などについては集団的自衛権は発動できないという法学者もいる。事実、アフガニスタン紛争は国連決議を必要としない集団的自衛権の発動という論理をアメリカなどは採用している。

以上の動乱や紛争は、内戦状態の国に対する大国の干渉が特徴である。集団的自衛権の行使はいかようにも理由づけられるという危険性を示す事例といえよう。2003年3月に始まったイラク戦争は米国とイギリスなどが「イラクの自由作戦」として始まる。日本は航空自衛隊を派遣し、後方支援と称して兵員の輸送にあたった。名古屋高等裁判所は2008年4月に「自衛隊イラク派兵差止訴訟」において憲法違反であるとする判決を出す。

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ウィスコンシンで会った人々 その20 集団的自衛権の復習

これまで歴代の政府は、憲法第九条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであること、そして集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないとしてきた。

ここでのキーワードは「わが国を防衛する」と「必要最小限度」というフレーズだと思われる。集団的自衛権とは、政府の解釈によれば「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」となっている。

現行憲法には自衛隊という言葉はない。だが、「独立国である以上は当然に自衛権を持っていて、それを行使するために必要最小限度の実力は憲法で否定されていない」という論拠が自衛隊の存在となっていて、自衛隊の合憲性を支える「つっかえ棒」となってきた。さらに自衛権を発動する要件の一つに、「わが国に対する急迫不正な侵害があること」が挙げられてきた。個別の自衛権で対処できるのではないか、という議論が交わされている。集団的自衛権を持ち出す必要はあるのか、ということである。

もし集団的自衛権を行使できるとなれば、それは実は自衛隊の合憲性を支える「つっかえ棒」を外そうとすることなのだ。「わが国を防衛する」と「必要最小限度」を再解釈して集団的自衛権の行使を容認しようとするのが現政府の方針のようだが、どうも納得するのが困難である。

集団的自衛権の行使と称して大国はどのように振る舞ったのかを考える。いずれも1950年代から1970年代の冷戦時代に起こった内戦に端を発するという特徴がある。この事実は看過できないと考えられる。

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ウィスコンシンで会った人々 その19  憲法と宮沢俊義

活字文化で育った筆者ら、といっても1960年代に人文科学系の学生だった者には、いくつかの出版社に随分お世話になった時代がある。例えば、辞書といえば岩波書店や研究社、法律であれば有斐閣、心理学であれば平凡社や誠心書房。貧乏ながら教科書に参考書に、こうした出版社から沢山購入したものだ。

中でも思い出に残るのが「憲法」という法律書である。もちろん著者は宮沢俊義。出版社は有斐閣である。この書店は「六法全書」の刊行で知られている。1957年の創業80周年には、「法律全集」を出しているいるから、今年で138年の歴史を有する文字通り出版業界の老舗である。

宮沢俊義のこの本だが、法学部の学生はこぞって読んだはずだ。特に憲法の制定について「八月革命」という画期的な理論を発表する。これは1945年八月にポツダム宣言(Potsdam)を受諾することによって主権が天皇から国民に移譲したというのである。これが「八月革命」である。それゆえ、日本国憲法は国民が制定したのだという立場である。

今や日本国憲法は揺れている。その最たる議論は「現行憲法は押しつけられたものだ」という論題である。自主憲法をという声は根強い。現在の内閣もこうした立場をとっていると考えられる。しかし、自主憲法の制定は以下の述べるが法理上の大きな課題がある。そのためか部分的な改訂で対応しようとしている。もっと云うならば現行憲法条項の解釈を広げて国の平和と安全を保つことに腐心している。その最たる条項が憲法第九条の二項である。

ポツダム宣言の第十項には、民主主義、言論・宗教・思想の自由、基本的人権の尊重がうたわれている。これは従来の「国体」から180度の転換であり、「革命」であると宮沢は説いた。玉音放送と呼ばれた終戦の詔勅は天皇による国民への主権の同意であり承認である。この時点で大日本帝国憲法は国民主権と矛盾する。よって帝国憲法は効力を失ったという論理である。

そこで自主憲法の制定だが、かつてのポツダム宣言の受諾とそれによる帝国憲法の失効というような事態は当面起こりえない状況である。現行憲法の廃止と自主憲法の制定には、なにか革命的な出来事が必要なのである。ここに憲法制定の法理的な困難が立ちはだかるのである。

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ウィスコンシンで会った人々 その18 TEDと教育の改革

毎日のようにTED(Technology, Entertainment and Design)というサイトで教育講演を聞いている。「Ideas worth spreading」(拡がって欲しいアイディア)というキャッチコピーで視聴者を惹きつけている。 講演者はノーベル賞受賞者のような人ではない。だが専門性の豊かな若者、クリティカルシンキングに長けた女性、脱北してきた女性、鯨の資源保護活動にあたる人、数学はいかに面白いかを説く教師、など講師陣は幅広い分野にわたっている。筆者もこの講演に共鳴する一人。なにせ飽きさせない内容でしかも味わいがある。

TEDが組織されたのは1996年。Sapling Foundationという非営利団体が運営している。この団体を創設したのは、Chris Andersonという出版社の起業家である。1,658以上の講演がネット上で無料で視聴することができる。TEDでは教育問題に関する講演が多い。それだけに世界的に教育への関心、教育の問題が深刻であることを物語る。特に教育問題ではケン・ロビンソン(Sir Ken Robinson)という教育評論家の講演が目立つ。子どもは創造性(human creativity)や知的好奇心(curiosity for learning)が旺盛であり、それを引き出すのが学校や教師の仕事だ。だが今の学校制度は子どもの創造性を殺してしまっていると主張する。

ロビンソンの講演だが、学校という土壌には子どもが学べる適切な条件が必要であること、特に教師に裁量を与え子ども可能性や創造性をひきのばす土壌を学校に育てることを強調する。そのためには教育委員会が管理統制をしてはいけない。教育は人間的な仕組みであり、機械的な組織(mechanical system)であってはならないという。

ロビンソンはさらに云う。科学や数学の重要性はいうまでもないが、人文(humanities)、芸術(arts)、体育(physical education)の教育も欠かせない分野である。演劇などを取り入れた斬新な教育方法を実施し、子どもにはできるだけ多様なカリキュラムを用意し個別的な対応をすることだという。

是が非でも次の講演を聴いて欲しい。
●「学校教育は創造性を殺している」

●「教育の死の谷を脱するには」
http://digitalcast.jp/v/17388/

●「学習することに革新を」

ユーモアに溢れ、エスプリがきいて深い洞察に富む。講演でロビンソンが語るのは、我々が直面している教育の危機をいかに脱することができるかということだ。

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ウィスコンシンで会った人々 その17 成年後見制度と人権

今新宿区で、発達障害者の人権活動について母親の学びの集まりに参加している。そこでの話題となっているのが「Where human rights begin」(人権とはどこから出発するのか)という冊子である。これは、第三回世界成年後見制度大会(The 3rd World Congress on Adult Guardianship)での基調報告である。編集したのは、The Guardianship Association of New Jersey, Inc. (GANJI)という団体である。

障害者の親は、障がいというハンディキャップを負って生を享けた子を残して先に死ねない、という思いを誰もが持つ。だがそうは言え、親が先に死ぬことのほうが多い。「願わくば親亡き後、グリーン車に乗せて天国まで行かせたい」と云う親もいる。そのためには、まずは親が法定後見人になることが多いようである。

しかし、「人権とはどこから出発するのか」という成年後見制度の冊子を読むと、人権の大切さや重要さが溢れんばかりにわかりやすい表現(plain text)で強調されている。ちなみに法務省の「成年後見制度」を読むと、不動産や預貯金などの財産を管理したり,身のまわりの世話のために介護などのサービスや施設への入所に関する契約を結んだり,遺産分割の協議など、判断能力の不十分な方々を保護し,支援するのが成年後見制度とある。障害者の人権などは一言も触れていない。

人権は、1215年のイングランドの自由の大憲章(Magna Carta or Great Charter of the Liberties of England)に始まる。その後1948年に国連本部で世界人権宣言が採択された。我が国は当時、国連に加盟していなかったので批准していなかった。この宣言を起草した一人がエルノア・ルーズベルト(Eleanor Roosevelt)である。彼女は、合衆国第32代大統領のフランクリン・ルーズベルト(Franklin D. Roosevelt)の妻であった。彼女は合衆国国連代表、婦人運動家、文筆家として知られている。

エルノア・ルーズベルトは次のように訴える。
結局のところ人権はどこから始まるのでだろうか?それは、家庭に近い小さな場所から始まる。その場所は、家庭にとても近くにあり、あまりにも小さいので世界地図上で見ることはできない。地図に載っていなくとも人々にはそれぞれの世界がある。それは、住んでいる自宅周辺、通学する学校や大学、働いている工場や農場、あるいは事務所である。そのような場所で、男性、女性、子供の誰もが差別されずに同等の正義、機会、平等を求めている。これらの権利は、地図に載っていないような小さな場所で守られなければ意味がない。家庭の近くで人権が守られるよう市民が共に活動しなくては、人権が守られている場所をあてもなく広いこの地球上で探すことになる。

人権は誰にとっても共通なもの。人権は発達障害のある人が被後見人であってもなくても適用される。人権と義務は教えられ、サービス計画と日常生活での様々な機会や実践で個人が学びとるものだ。世界人権宣言は、普遍的な人権についての素晴らしい考え方とそれに基づく宣言である。このようなことを学んだのが母親の学びの集まりであった。

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ウィスコンシンで会った人々 その16 「東京圏の高齢者は地方へ移住を」

このようなかけ声は欧米諸国ではきいたことがない。それは何故かを考えている。合衆国の地方とか田舎の規模は日本の比ではない。人口200人という町もあちこちにある。こうした町の行政だが、近辺の町と一緒になって学校を運営し、ゴミを処理し、図書館を運営し、病院を経営している。それでいて独立した自治体なのは不思議だ。

日本は小さな国土なのだが、どうして過疎化とか人口減少が起こるのかである。それは地場産業を振興してこなかったことのツケが回っているからだ。農業や林業、酪農、漁業などに対する政策が貧困だったというしかない。ひたすら輸入に頼り地元で獲れる作物や魚に関心を向けてこなかったのだ。

民間有識者でつくる日本創成会議というのがある。座長は元総務相である増田寛也氏である。この会議が6月1日に「東京圏高齢化危機回避戦略」と題する提言をまとめた。この会議は、東京など1都3県で高齢化が進行し介護施設が2025年に13万人分不足するとの推計結果をまとめた。

この推計に基づく戦略では、施設や人材面で医療や介護の受け入れ機能が整っている全国41地域を高齢者の移住先の候補地として示していることである。大都市に住む高齢者が元気なうちに地方に移住することを促す専用施設がいろいろな県や市にあると指摘している。政府はこうした施設を市町村が整備することを資金、税制面で支援することを今後検討するのだとか。

東京への一極集中をもたらしたのは誰なのか。このような状況に至っては歯止めをかけるのは至難の業である。高齢者が持つ知識や技術を地方での仕事やボランティア活動に役立て、地方活性化に貢献してもらうというのだ。だが、高齢者は地方の活性化に役立ちたいなどとは考えない。快適な終の棲家を探しているのである。果たしてどのくらいの人が地方に移住するだろうか。その地方はどんな魅力があるのかである。

筆者なら次のような地方に住みたい。若い農家がいて新鮮な作物を作り子どもを育ている町や村である。そこにある学校は毎日ボランティアを歓迎する。そして自分もまだ役立つという実感を得ることができる町である。スポーツや文化活動も活発なのがいい。

次に病院や店舗や図書館がバスや車で30分くらいのところにある町だ。病気は避けることができないので、それくらいの距離ならなんとか通える。こうした施設はWiFiなどで繋がっていることも必須の条件だ。メディカルソーシャルワーカーが常駐していればもっとよい。このような投資なら行政はすぐできるだろう。人がいてインターネットがあれば快適な田舎暮らしができる。

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ウィスコンシンで会った人々 その15 ワシントンD.C.詣り

孫達は、この夏は親の支援でワシントンD.C.(Washington District of Columbia)旅行を計画している。上の孫息子Andersは既にD.C.旅行を楽しんだようだ。ウィスコンシンといういわば田舎にいると、D.C.とかニューヨーク(New York)は眩しいような都会である。Andersらはボストン(Boston)の近くに住むので首都詣ではさほどの感激はないかもしれない。ボストンはアメリカ建国の歴史を刻む町ではある。

D.C.の中心にあるナショナル・モール(National Mall)にはスミソニアン博物館(Smithsonian Museums) をはじめ、国立アメリカ歴史博物館(National Museum of American History), 国立自然博物館(National Museum of Natural History), 国立航空宇宙博物館(National Air and Space Museum)、その他リンカーン・メモリアル(Lincoln Memorial)、ワシントン記念塔(Washington Monument), マーチン・ルーサー・キング・メモリアル(Martin Luther King, Jr. Memorial)などなど、とてもとても一週間でも回りきれない。

夏になると多くの子ども達がバスを連ねてD.C.にやってくる。こうした旅行は、学校の主催ではない。教師に負担をかけることはない。旅行会社が企画し、交通、宿、食事、保険などを扱う。孫娘はこの旅行に参加するようだ。ウィスコンシンからD.C.まではバスで片道一泊二日、そしてD.C.に五日間滞在し、費用は一人1,000ドルくらいだそうだ。親に経済的なゆとりがないと子どもを参加させることは困難である。

アメリカに修学旅行という学校行事はない。その功罪はあるだろうが、教師はこうした団体旅行にはそもそも賛成しない。子どもの行動に責任をもちたくないというのが本音だろう。恵まれない家庭も多い。修学旅行はそうした家庭の子どもが参加する貴重な機会とはなる。だがそうした習慣がないのがアメリカ。我が子の教育は家庭に責任がある。学校ではない。「Our culture holds the values of individualism, self-reliance, and cooperation.」というフレーズを思い出している。

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ウィスコンシンで会った人々 その14 日本の教員と「イクボス」

6月2日、滋賀県内の中学校、高校、特別支援学校の校長を集めた研修会が大津市内であったと報道された。研修の話題は「イクボス」。NPO法人代表理事の講演を聞き、出席者全員が「教職員の仕事と家庭の両立を応援しながら自らも仕事と私生活を楽しむ「イクボス」となる」などと書かれた宣言書にサインしたというのだ。笑いを堪えられなかった。

「イクボス」という造語を知ったのは最近のことである。「男性の従業員や部下の育児参加に理解のある経営者や上司のこと」とある。新語や造語には弱い。この造語にあたる英語は知らない。そもそもないはずである。なぜなら、父親も母親も働くのが当たり前。両方が育児をしないと仕事は成り立たない。皆が「イクボス」なのだ。

わが国で「イクボス」が話題になる要因には、女性の職場での地位が不安定なこと、男性の就業時間が長いこと、就業開始や終了時間、職場が均一であることによるものと思われる。

第一の女性の職場での地位だが、昔からその地位は不安定であった。妊娠、出産、子育てに対する配慮が誠に不十分だったこと、それによる男性に比べての昇任や待遇での差別がはっきりしていた。

第二の男性の就業時間である。教員を引き合いにしてみる。2012〜2013年の経済協力開発機構(OECD)の調査では、日本の中学校教員の一週間の仕事時間は53.9時間で、参加34カ国や地域で最も長かったというのである。

第三の就業開始や終了時間、職場が均一ということとである。誰もが同じ就業時間であっては子育ては難しい。例えば保育所に誰が送り迎えするかである。職場についても、自宅やサテライトオフィスでの仕事が可能であれば子育てはかなり改善される。

学校の教員であるが、授業の開始や終了時間はどの学校も同じであるからこれを変えることはできない。だが4時半とか5時半に帰宅できることは可能なはずだ。OECDによる調査で、一週間の仕事時間は53.9時間というのは異常な事態なのである。むしろ労働協約や契約によって下校時間をきちんと守ることが大事だ。公立学校の教員には特例法で時間外手当を支給する必要がない。従って残業は駄目だということである。

そこで提案だが、教職員は5時帰宅を遵守することだ。校長や教頭は「イクボス」になる必要は全くない。むしろ教職員組合との協約を学校内で履行するように気を配ることだ。教職員は、時間外手当がでないのだから残業をする必要がないと決めてかかることだ。

まぜっ返すようだが、どうしても残業をしなければならないときは、管理職に時間外手当を要求すべきなのである。協約や契約を遵守すること、授業以外の校務などで仕事量を減らすこと、不毛な会議を減らすことを実行することが必要だ。

「イクボス」よりも就業規則にうるさい管理職にならなければならない。「イクボス宣言書」に署名したという校長は、なんとアホなのかとさえ思えてくる。労働協約や契約のことを知らないことを露呈している。教員の「働き過ぎ」という実態に一刻も早くメスをいれなければならない。そのためには先進国の教職員の働き方を参考にすべきだ。

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ウィスコンシンで会った人々 その13 マディソンの学校で

マディソン(Madison, Wisconsin)の学校の話題である。孫娘二人は近所の小学校と中学校に通っている。上の娘は自転車通学である。ヘルメットは必携となっている。教室を覗くと多種多様な髪と皮膚の色の生徒がいる。二人の校長はアフリカ系アメリカ人である。マディソン教育委員会は長年、少数民族出身の子どもの教育にも力を入れてきた。こうした子どもが増えたのはヴェトナム戦争以降である。

異なった言語や文化を背負った子どもたちは、英語を習得して同化しようとしている。そこに流れる精神は自由と平等を自覚する善良な市民になろうとすることである。アメリカというところは、長く住めば住むほど永住したくなるような不思議な魅力を持っている。それを海外からやってくる者は一種の幻覚のように感じるのだ。幸せを実現してくれるといった目眩のようなものである。

アメリカという磁石に惹きつけられて人々が集まり多民族国家を形成している。学校だけでなく大学や企業も多くの人種が学び働いている。誰もが永住権(Green Card)を取得しようと努力している。高等教育を受けた優秀な人々は安定した暮らしをしていることが伺える。先日パーティであったカンボジア系アメリカ人もウィスコンシン大学で会計学を学び、大手保険会社に勤めているということだった。

話題は少し変わる。2015年の春、大阪市内の小学校に入学しようとしたダウン症の子どもの両親に対して、教育委員会は門前払いにしようとしたことが報道された。父親はニュージーランド人、母親は日本人。両親は子どもを地域の学校で学ばせようとした。学校がどような支援をしてくれるのかを相談した。だが学校側の対応は冷淡であったようである。

特別な支援はなく受け入れには消極的な態度だったという。そして特別支援学校を紹介したのだ。父親はニュージーランドの学校を引き合いに出し、地元の学校に入れることを強く主張した。「可能な限り障害のない子どもとともに教育を受けられるように配慮する」ということを聞いていたからである。この両親の主張が功を奏したのか、後日校長と教頭が謝罪の申し入れをしてきた。大阪は「障害の有無に関わらず地域の学校で学ぶことが基本である」というフライヤーを作っている。

いわゆる先進国の教育事情が系統的に日本に紹介されて60年以上が経つ。ようやく、子どもが地域の学校へランドセルを背負って通う姿が当たり前のようになってきた。だが筆者が住む八王子市内で、いまだに多くの子どもが特別支援学校のバスに乗って通学している。果たして地域に友達がいるのだろうかとバスを眺めながら考えるのである。

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ウィスコンシンで会った人々 その12  2016年の大統領選挙とウィスコンシン

このところウィスコンシン州はいろいろと話題に上っている。その一つが2016年の大統領選挙の共和党候補者の一人として、現在の知事スコット・ウォーカ(Scott Walker)が噂されるからだ。だが彼は現在、ウィスコンシン州検察当局から2011年のウィスコンシン州上院選挙、および2012年の知事解任選挙の期間に選挙資金集めによる不法調整が行われたとして調べを受けている。

検察官の調査報告は、ウォーカが保守派の複数のグループと資金集めを調整し、その犯罪行為の中心人物であるととしている。犯罪行為の一つは、虚偽のキャンペーン財務報告をしたとされる。この不法資金集めと調整には、ブッシュ政権下で次席補佐官、大統領政策・戦略担当上級顧問を務めたカール・ローブ(Karl Rove)が関与したとされる。彼は「影の大統領」ともいわれたことがある。しかし、どの程度まで関与したのか詳細は不明のようだ。

知事のスコット・ウォーカだが、2011年1月ウィスコンシン州知事として就任する。早々に労働組合の団体交渉権や賃金交渉権を制限するなど、対立勢力に対する強硬な手法で注目されるようになる。反対派から解職請求が行われた結果、2012年にリコールが成立した。その後、再選挙では全米の保守派の富裕層からの支持で再選された。この選挙は「ウィスコンシンでのカネの力対市民の力の戦い」 (Money Power or Citizen Power)といわれ全米の注目を集めた。

2012年における大統領選挙では、ウィスコンシン州選出の下院議員であるポール・ライアン(Paul Ryan)が共和党の副大統領候補としてミット・ロムニー(Mitt Romney)大統領候補から指名された経緯がある。ロムニーはマサチューセッツ(Massachusetts)州知事をつとめ、オバマ政権の医療保険制度導入を批判してきた。これがオバマケアである。

ウィスコンシンは伝統的に民主党と共和党が拮抗する州である。南北戦争の頃のウィスコンシン州は共和党を支持する州だった。もっとも、共和党が生まれたのはウィスコンシン州である。1945年以後は共和党と民主党がしのぎを削っている。2008年の大統領選挙では州民はイリノイ州(Illinois)選出の民主党候補のバラク・オバマ(Barack Obama)を支持した。

また長い大統領選挙運動が始まり、市民の会話にのぼってきた。「暑くて長い夏」がやってくる。

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UNITED STATES - OCTOBER 19:  Sen. John F. Kennedy and his wife, Jackie, wave to crowds as they proceed up lower Broadway in a parade.  (Photo by Frank Hurley/NY Daily News Archive via Getty Images)

UNITED STATES – OCTOBER 19: Sen. John F. Kennedy and his wife, Jackie, wave to crowds as they proceed up lower Broadway in a parade. (Photo by Frank Hurley/NY Daily News Archive via Getty Images)

 

ウィスコンシンで会った人々 その11 自家製造の葡萄酒と麦酒

娘の旦那は連邦政府の研究機関で働いている。材木やチップの研究をしているようだが、詳細な研究内容は聞いたことがない。研究施設はウィスコンシン大学に隣接している。

彼は自宅で赤葡萄酒と麦酒を作っている。それがまた香りといいコクといい素晴らしい出来なのである。特に葡萄酒は自分でラベルを作りそれを瓶に貼り付けている。「Reiner Brewery Co」などと茶目っ気のある会社名としている。Reinerは彼の姓。葡萄酒は隣近所や友達に進呈している。もちろん値段を付けているわけでない。

ウィスコンシンでは自分で飲む分の葡萄酒と麦酒を作ってよいことになっている。自宅での作り方は本やネット上で沢山紹介されている。旦那は、自宅の地下で作業している。いろいろなキットを購入し、注意深く醸造している。特に温度管理は大事だという。そのために、温度センサーも買い自動で温度と湿度を管理している。

麦酒の苦味、香り、泡を出すホップはウィスコンシン州でも沢山獲れる。それもあって、ウィスコンシンでは多くの麦酒が作られ販売されている。葡萄酒だが、主として黒ブドウや赤ブドウを原料とする。その成分が販売されている。葡萄酒渋みの成分であるタンニンを多く含み長期保存が可能である。「Reiner Wine」は実に濃厚な風味のものに仕上がっている。

英語の表現で「Do It Yourself Fan」というのがある。「自分で出来ることは自分でする」という意味だが、自宅の改装工事、電気、水道などの工事、車のメインテナンスも自分でやることが多い。そのために道具も揃えている。長男の家のガレージも道具が揃っていて多くのことを自分でやっている。葡萄酒と麦酒も自分で作り楽しむのは面白い文化である。

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ウィスコンシンで会った人々 その10 国旗掲揚と国歌斉唱と大学

国立大学法人化の大学は、今入学式とか卒業式で国旗掲揚と国歌斉唱を文科省から奨励されている。決して強制ではなく要請という内容と伺う。国からの依頼であるから、無視するわけにもいかないようだ。それにはいろいろと理由がある。

第一は、運営交付金を国から受けていることだ。大学の予算の大半はこの交付金で賄われている。大学がいかに学問の自由とか大学の自治をうたっても、首の根っこを交付金によって抑えられている以上、国の要請を蹴るわけにはいかないのである。

第二は、大学の改革が進んでいることである。学部の統廃合も行われている。こうした動きはすべて大学の自主的な判断でなされているのではなく、国の方針で進められている。こうした方針に沿わない大学はないといってもよい。国立大学の法人化以来、大学改革はどんどん進んでいる。教授会は経営とは切り離され、もはや腑抜けのようなありさまである。学長の権限は一段と強まった。

第三は、第一の事由と重なるのだが、大学の自治とは国から独立した財政があってはじめて成り立つのである。従って大学は、独自のルールによって入学金や授業を決め、民間や個人からの寄付を仰ぎ、産学協同研究を進めて、財源を確保することが必要なのである。だが、大学法人の大学に経営能力があるとは思えない。

しかして、今の大学はグローバルな環境で立ち向かえる一握りの大学を除き、ほとんどは運営交付金に頼らざるをえない。憲法第23条にある「学問の自由は、これを保障する」をいかにかざしても、それは犬の遠吠えなのだ。

文系学部の統廃合が盛んに云われ、危機感が漂っている。教員養成の学部も危ういといわれる。大学運営の危機に輪をかけているのが入学者の減少だ。どの大学も生き残りをかけていて、束になって国とやり合う力はない。自立の精神が欠けている。これが今の大学危機の最大の姿だ。

8323_l IMG_0761 Bascom Hall, University of Wisconsin

ウィスコンシンで会った人々 その9 フリースクールが義務教育の場に

かつて通信制高校で働いたことがある。そこで学ぶ生徒だが、過去にいろいろな苦労をしたか、今も苦労している者であった。中には非行によって高校を退学させられた者、保護観察処分の生徒もいた。また、長年不登校になっている生徒もいた。そしてフリースクールに通う生徒もいた。こうした生徒に共通することは、まだどこかに学びたという動機があることである。高校卒の認定を受けたいというのが通信制高校を選んだのである。

ようやくフリースクールなど、小中学校以外にも義務教育の場としようとする法案が、7月中の国会提出を目指して動き出した。超党派の議員連盟が5月27日、総会を開いて概要を了承し6月中に条文としてまとめることを決めた。今国会で成立させ、施行を2017年4月としようとしている。この法案だが「多様な教育機会確保法」となるようである。

現在は、公的にはフリースクールに通わせても就学義務を果たしたとみなされていない。その一方で1992年には不登校の増加を受け文部省が、フリースクールで勉強した場合も在籍先の校長の判断で出席と扱えるよう通知した。あけすけな言い方だが、学校に来ていなくても出席扱いにして卒業させている。制度と実態は矛盾しているのである。このズレを解消するのが今回の提案といえる。

義務教育の歴史であるが、1886年の小学校令では尋常小学校修了までの4年間を義務教育期間とした。1941年初等教育と前期中等教育を行う国民学校令が定められ8年間の義務教育となった。現在の義務教育はそれ以来続いる。それ故、フリースクールなど学校以外での学習の機会を制度化するという新しい段階に入るといえる。

アメリカやカナダで盛んに行われるホームスクール(home school)は、フリースクールの一形態とも考えられる。ホームスクールでは「個別の指導計画」をつくり、市町村の教育委員会に提出することになっている。また、学びの成果を確認するために、学力テストも受けるように指導される。このようにして、保護者が子供に教育を受けさせる就学義務を果たすことが科せられている。

フリースクールの授業料を賄うために、国からの支援としてバウチャー制も取り入れられるだろうと察する。フリースクールの経営者や保護者には、学校に代わって子供に「多様な教育の機会」を提供する特徴ある学習メニューを用意する責任がかかってくる。

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ウィスコンシンで会った人々 その8 仕事探しと交渉

娘は念願の看護師として本日6月1日より働く。どのようにして職を探したのかを訊いたのだが、面白い話をしてくれた。仕事を探す過程でいろいろと周到に準備してきたこと、交渉術のようなことである。以下は娘が語ってくれたことである。

就職活動にあたっては、まず指導教官に相談して、レジュメ(resume)、レファレンス(references)を作ることから始めた。レジュメはいわば履歴書のようなものである。彼女は、既にウィスコンシン大学で生物学で学士号をとり、ジョージ・ワシントン大学(George Washington University)で公衆衛生学の修士号を取得している。そうした教育歴の他に、教会での活動歴、NPOでのボランティア、また大統領選挙のボランティア活動なども事細かに記入した。

レファレンスは身元保証人とか指導教官などの氏名や役職、連絡先などを記したものである。所属する牧師やボランティアをしている学校の校長などを加えた。雇用しようする者が、本人の能力や資格、リーダーシップなどを確認するために問い合わせるのである。雇う側にとってレファレンスは大事な情報だ。

娘は、指導教官から面接の仕方を学んだ。特に待遇面での交渉に必要な知識である。「看護師の初任給は通常、自給24ドルくらいだが、あなたは28ドルを貰える」と云われた。面接では、最初に24ドルを提示されたという。しかし、自分の教育歴や諸経歴をもとに娘は28ドルを要求した。交渉の末に27ドル50セントで折り合いをつけた。医療保険や有給休暇も双方が了承して決まった。

彼女は働くところは、マディソンの東隣にあるジェファソン・カウンティ(Jefferson County)という人口84,000の小さな自治体である。ウィスコンシン大学ホワイトウォーター校(UW-Whitewater)がある。主に貧しい人々やお年寄りなどの家庭を回り、健康上の相談に乗る。当然、ソーシャルワーカーや理学療法士、医師などと連携して仕事をするという。

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ウィスコンシンで会った人々 その7 卒業パーティ

娘の卒業式とパーティに出掛けてきた。パーティの案内状はもちろんRSVP(request for response)となっていて「お返事をお待ちしています」とある。案内状には小さく「No Gift」とも印字されている。50名の出席予定となった。ところが当日は60名を越える人が集まった。出席と答えた友人が別な友人や家族などを誘ったらしい。途中で急ぎ料理を追加注文することになった。

パーティといっても司会者がいて、いろいろな挨拶があるわけでない。乾杯の音頭もない。立食であり三々五々集まり、食べて飲んで会話して、疲れたら座り、好きなときに帰っていく。服装もまったく自由。結婚式のパーティとは違い、個人のパーティとはそんなものだ。

話の中心は当の娘と家族である。彼女たちを囲んで他愛もないことを会話している。彼女は一通りすべての参会者と会話したらしい。小生も50年振りと20年振りの友人夫妻を招いた。いずれも我が家にとって留学の際に大いにお世話になった方々である。もう一組の友人も参加してくれた。家内の終末を看取ってくれた方である。

パーティには親子連れが目立った。娘は小さい子供たちのためのコーナーをつくり、そこにおもちゃ、折り紙、絵本などを用意していた。皆勝手に遊んでいた。孫娘は折り紙で周りの子供にツルの作り方を教えていた。作ったものはもちろん持ち帰える。

日頃のお付き合いに感謝するのがこうしたパーティである。これも「おもてなし」のアメリカ版といえようか。

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ウィスコンシンで会った人々 その6 病院や学校や図書館を明るく

最近、「ポルトガル、ポルトの訪ね歩き」という番組で子供病院のことが紹介された。そこに病院の廊下や待合室、病室にタイルを貼ってきたという職工が登場した。タイルを組み合わせて動物園、植物園、公園などが描いてきたのだという。この職工は修理にやってきたようだ。

タイル画についてインタビューに答える患者の付き添いらしき人が、こぞって「病院内が明るく楽しい雰囲気となった」という。大人だけでなく、子供の情動をも高揚させるようでだ。むべなるかなと思うのである。真っ白な壁で囲まれ清潔な内部に接すると、「果たしてこの病院では病気は治るだろうか」と自問する患者が多いのではないか。病気は体や心、感情が一体となっている。不安を持たせてはいけない配慮が大事だと思うのである。

わが国の学校のことだ。冬は寒く夏は暑い。廊下には雑巾がづらりと並び、弁当箱の袋などがぶらさがっている。まるで刑務所かどこかのような雰囲気がある。画一的な造りで、子どもをワクワクさせるような設計とはなっていない。トイレも相変わらず和式で薄暗く匂いが漂う。もう少し明るく楽しさを醸し出すような雰囲気を出せないものか。もっとも大分改善はされ明るくはなってきている。

図書館もそうである。時々親子連れがやってくる。背負った乳飲み子が泣きじゃくり館内に響く。母親はいそいそと閲覧室からでて赤ん坊をなだめている。どうして公共の図書館には授乳室や遊戯室がないのか。親子連れには不親切で配慮が足りない。幼い子供を連れた母親や父親は、図書館で育児をしばらく離れてゆっくり、読書をしたいのではないか。若い親と小さな子供の図書館離れは不幸なことだ。図書館は本を借りる場所だけではない。子供を育てるところなのだ。

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ウィスコンシンで会った人々 その5 母親も父親も教育で忙しい

日本でもアメリカでも子供の教育に熱心である。だがその違いは面白い。日本では、子供達は夕方から夜にかけて塾通いするのが多い。アメリカでは夜は子供を学ばせない。都内では「働くママの教育塾過剰」という現象が生まれている。「幼児教室はアフター6」というのが流行りつつあるようだ。

フルタイムで働く母親は午後5時から6時にかけて仕事を終え、その足で保育所や託児所に子供を迎えに行き教室にくる。子供は8時まで学ぶ。その間、夕食の買い物、準備、洗濯や掃除をするので、この時間は貴重だ。送り迎えや食事の支度に関しては、夫の存在は全く影が薄い。

ウィスコンシン(Wisconsin)のマディソン(Madison)では音楽やスポーツをやらせる家庭が目立つ。小生の長男には16歳と14歳の息子がいる。その長男はヴァイオリン、そして陸上競技をやっている。特に中距離で州の大会にでるくらい頑張っている。ヴァイオリンは、ボストン交響楽団の少年オーケストラクラブで弾いている。次男はもっぱらサッカークラブで活躍している。その間、ピアノの個人レッスンを受けている。

土曜日はボストン(Boston)での少年オーケストラの練習がある。長男が送り迎えしている。大学で教えているので朝食作りは長男の仕事となっている。妻は小学校の教師をしているが、5時には帰宅できる。残業などは全くない。

次に娘達である。次女の長女にはピアノとヴァイオリンを、その妹には体操とサッカーをやらせている。特に次女の体操は週2回、1回2時間という長さだ。学習のことは、長男も次女も気にしていない。もっとも、マディソンには教育塾はない。長女の一人っ子はまだ2歳半なのでもっぱら一緒に遊ぶことに専念している。旦那の出勤は朝6時、そして2時に帰宅する。それを待って長女は経営する洋裁店で7時まで働く。息子の朝食と昼食は長女が、夕食は旦那というように役割が決まっている。

次女の家庭に戻る。朝娘二人に朝食を食べさせ弁当を作り学校に送りだす。次女は6月よりフルタイムでの看護婦業であるが、夕方5時には家に帰り夕食を作る。彼女の旦那は朝6時に自転車かバスで職場へ行き、帰宅は3時である。従って二人の娘の音楽や体操の送り迎えを担当する。

妻と夫はこのように出勤時間をずらすことができるので、どちらかが放課後の活動に子供の送り迎えや買い物や食事の準備ができる。マディソンやその他の都市でも早朝出勤は当たり前なので、夫婦が育児を心配なく一緒にできるのである。

IMG_0843  右から二人目が孫娘のLilianIMG_0852  左側が孫娘のSophia

ウィスコンシンで会った人々 その4 大学選び

5月の卒業式も終わり、アメリカの大学構内はしばし静かな時が漂っている。ツタの枝葉が建物をはい、芝生の木々の緑が眩しい。構内をグループで歩いているのは、周辺からやってきた高校生。院生に引率されて9月からの入学に備えて建物やその歴史の説明を受けている。看護学部をでた娘も6月よりフルタイムの仕事が待っている。

アメリカ留学とか大学選びについてはごまんと紹介本がある。体験談に基づく本の中には、自分の子供がいかに猛勉強したか、優秀な成績で卒業したとか、親として相当投資したといった自画自賛のような内容で溢れ、途中で閉じたくなる。留学とは、学位を取得するのが目的の学びのことである。「語学留学」というのは「語学遊学」のこと。短期間の遊学は語学を磨く上で全く効果がない。

アメリカの大学はピンからキリまである。なにもハーヴァード大学(Harvard)やエール大学(Yale)のようなアイヴィーリーグ(Ivy league)だけが優秀なのではない。こうした大学は研究中心の大学で秀でている。学部から行くのはあまり推薦しない。日本の4年制の大学でみっちり勉強してから出掛ける。

4年制大学の学部選びは、懇切丁寧な指導を受けることができるか、という物差しで考えることだ。多くの大規模な州立大学や私立大学では劣等感や疎外感をもつ。なぜなら留学生は大勢の新入生の一人でしかなく、孤立することなる。相談する人がいないとストレスがたまり、勉強が遅れていく。こうした孤立感を避けるには、小規模の大学を選ぶことである。友達もできやすい。学業の合間に文化系の部活をやることによって、より語学を磨くこともできる。

もしアメリカの大学で学士号を取得したら大学院へ行きたくなる。その理由は、アメリカの大学はそういう磁石のような力を持っているからだ。当然大学院での学びに自信がついたからである。もちろん就職のためにも修士号は有利である。給料が当然違う。日本において修士号や博士号は一般にはあまり尊重されないのとは対照的である。

アメリカの生活には相当の資力が必要だ。大学の寮に入るとしても授業を含めて年間4万ドル、500万円位必要となる。奨学金を得ることは至難の業であるからはじめから諦めることだ。大学院では奨学金の途は拓けてくる。大学院を志望する場合は、日本で相当の預貯金を用意してから出掛けるのが賢明である。アメリカへ行けば何とかなる、などという見通しは全くの幻想である。

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