ウィスコンシンで会った人々 その23 囲碁と子どもたち 

ウィスコンシン大学の学生会館はMemorial Unionという。宿泊施設、講演や宴会場、会議室、ラウンジ、カフェテリア、キャッシュバー、アイスクリームスタンドなど大抵のものは揃っている。教職員の憩いの場となっている。Lake Mendota湖畔のテラスでは、のんびりと日光浴をしながら本を読んだり、子どもを遊ばせている。

久しぶりでMemorial Unionに出掛けワインを飲みながらボーッと湖を眺めていると口元が綻ぶ。ジョギングをする者、ウィンドサーフィンをするものもいる。大学は夏休みに入り静けさが戻っている。ラウンジに戻り誰か囲碁を打っている人がいないかと探す。かつては必ず碁盤を囲む中国人や韓国人の留学生がいた。だが誰も囲碁をする者はいない。

囲碁の話題である。毎週木曜日の放課後、近くの小学校で囲碁の手ほどきをしている。小学一年から四年までの生徒が三々五々集まってくる。「放課後子ども育成事業」という活動の一環だ。囲碁を教えるというよりは、碁盤で石取りや陣取りのゲームをしているようなものだ。少し黒石や白石の置き方や石の取り方などに慣れてきた子どもには、囲碁のルールを教えることにしている。だが、こちらが工夫したりしないと「面白くない、、、」といって立ち去っていく。塾があるとか外で遊びたいという。

市ヶ谷に日本棋院がある。そこに学校普及事業というのがあって、青少年の健全育成として囲碁を学校教育に取り入れるよう自治体の教育委員会に働きかけている。そのために学校囲碁指導員を育成している。筆者もその講習会に参加し資格を得た。だが、いざ子どもを前にして囲碁を教えようとすると、一筋縄ではいかないことを体験している。子どもは、黒石と白石を前にすると、大変な創造性が働く存在であることを感じている。とんでもない遊びを始める。オセロに似たようなゲームである。囲碁はそっちのけで、つきあうようにしている。そして囲碁に仕向ける。

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ウィスコンシンで会った人々 その22 「ペアハラ」と看護師辞職の事態

鳥取の県立養護学校で2015年5月、看護師6人全員が一斉に辞め、ケアが必要な児童・生徒に支障が出たというのは、異常事態としか思われない。一部の保護者からは、痰の吸引時間の遅れや点滴の仕方などに関し批判の声が寄せられていたという。看護師不足で時間通りに対応しきれない事情、さらには学校側の保護者対応の拙さもあるようだ。鳥取県の看護師にとっては、時間給が1,180〜1,460円というのだから、アホらしくてやっていられないという気分になったのだろう。同情したくなる。ちなみに、東京都は時給1,800円、大阪府は1,890円である。

看護師が全員辞めた理由だが、ある保護者による暴言に近い対応への反発だそうだ。そこで報道ではいわゆる、「モンスター・ペアレンツ」が盛んに話題とされた。これを「モンペ」というそうだ。もし保護者が「怒ったことは事実だ」とすれば、それは「ペアハラ」といわれるかもしれない。ペアレンツによるいやがらせ、ハラスメント(harassment)である。6人が一斉に辞めたという実態の背景には、保護者の言動、看護師の身分の不安定さといった問題性が考えられる。

子どもの対応が、少ない看護師に任され担任教師や学年主任などとの連携が不十分だったのではないか。看護師は威圧的な保護者を前にして孤立していたのではないか。子どもの対応については保護者を交えて個別の指導計画などを皆で話し合い、役割を分担することを確認していなかったのではないか。さらに看護師は指導計画すら知らなかったのではないかと危惧する。加えて看護師は、保護者からのクレームや要望に対応するためのマニュアルも知らされていなかったのかもしれない。

そこで、今回のような事態を回避するにはどうしたらよいかである。第一に保護者と教職員が遵守すべき行動の規範(Due Process)のようなものを作ることである。保護者には不満や不服の申し立てができる手順を明確にしておくこと、言動はどうあるべきかを伝えることである。学校側も保護者の言動が不適切な場合を想定して弁護士や最悪の場合、訴える権利を留保することを保護者にきちんと文書で伝えておくことである。

第二は、看護師を常勤とし個別の指導計画づくりや、その他学校業務において教師と対等に役割を分担することである。学校は、教師だけの単一集団では保護者の期待や不満に対応できない。看護師を孤立させないためにも看護師の常勤化は必須の措置である。現在の時間給は医療的ケアという仕事にしてはあまりに酷い。

第三は、第一で提案した行動規範を保護者と学校、地域社会に公開し、学校の姿をより可視化することである。毎月学校は「学校だより」とか「学校ニュース」を町内会組織などをとおして配布している。その中に、教師や保護者のハラスメントを防ぐためのお互いの了解事項など、行動規範を地域でも知って貰うことである。

第四は、看護師には男性も採用すべきである。全員が女性看護師であるために母親との対応がこじれたふしもある。本来、全面的な介護が必要な男子生徒には男性看護師が対応し、女子生徒には女性看護師が対応すべきなのである。生徒への導尿などの措置など,生徒の人権を今一度再点検すべきなのだ。「看護婦」の世界は過去のものとなったはずだが。

もしこのような対応を教育委員会も学校もとれないとすれば、「ペアハラ」はこれからも発生するかもしれない。そして学校は頑なに内部のハラスメントを隠そうとするに違いない。

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ウィスコンシンで会った人々 その21 集団的自衛権行使の事例

集団的自衛権の行使と称して大国はどのように振る舞ったのかを次の五つの事例を振り返りその特徴を考える。紹介するのは、いずれも1950年代から1970年代の内戦である。

1. ハンガリー動乱
1956年10月にハンガリー(Hungary)で発生した大規模反政府デモに対し、ソ連が「ハンガリー政府の要請に基づき、ワルシャワ条約(Warsaw Pact)に従って」デモを鎮圧した事件だ。ワルシャワ条約機構はソ連を中心とする東ヨーロッパ諸国が結成した軍事機構である。北大西洋条約機構 (NATO)に対抗する。ワルシャワ条約は1955年につくられ集団的自衛権に基づく加盟国間の相互軍事援助を主な目的としている。だがハンガリーの内政に関与したとして、ソ連は国際的な非難を受けた。

2. チェコスロバキア動乱
1968年8月に、チェコスロバキア(Czechoslovakia)で起こった自由化運動の影響拡大を恐れたソ連および東欧諸国によるワルシャワ条約機構軍が改革運動を鎮圧した事例である。この変革運動は「プラハの春」とも呼ばれ女子体操の花と呼ばれたベラ・チャスラフスカ(Vera Caslavska)、人間機関車と呼ばれたエミール・ザトペック(Emil Ztopek)らによる改革への支持・期待の表明、「二千語宣言」に署名し運動は盛り上がる。鎮圧されたが民主化を取り戻したのは1989年である。

3. ヴェトナム戦争(Vietnam War)
南ヴェトナム解放民族戦線(ベトコン)がヴェトナム共和国政府軍に対する武力攻撃を開始した1960年12月が戦争の始まりといわれる。南北に分裂したヴェトナムで発生した戦争である。米ソの代理戦争ともいわれる。合衆国議会は国連憲章、及び東南アジア集団防衛条約(SEATO)に基づく義務に従い派兵することを承認した。SEATOの主要構成国である大韓民国、タイ、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランドも南ヴェトナムに派兵した。他方、ソビエト連邦や中華人民共和国は北ヴェトナムに対して軍事物資支援を行い多数の軍事顧問団を派遣した。

4. コントラ戦争
1981年、米国のレーガン政権(Regan)がニカラグア(Nicaragua)の反政府勢力であり親米反政府民兵組織であるコントラ(Nicaraguan Contras)を支援したことである。ニカラグア政府によるエルサルバドル(El Salvado)、ホンジュラス(Honduras)、コスタリカ(Costa Rica)への武力攻撃に対する集団的自衛権を行使した事案である。ニカラグアの民主化はそれ以降長い年月を要する。

5. アフガニスタン紛争
2001年の9・11テロを受けてタリバン(Taliban)政権下のアフガニスタン(Afganistan)に対する米軍の攻撃とそれに伴うNATO加盟のヨーロッパ諸国のとった軍事行動である。

9・11のテロ攻撃などについては集団的自衛権は発動できないという法学者もいる。事実、アフガニスタン紛争は国連決議を必要としない集団的自衛権の発動という論理をアメリカなどは採用している。

以上の動乱や紛争は、内戦状態の国に対する大国の干渉が特徴である。集団的自衛権の行使はいかようにも理由づけられるという危険性を示す事例といえよう。2003年3月に始まったイラク戦争は米国とイギリスなどが「イラクの自由作戦」として始まる。日本は航空自衛隊を派遣し、後方支援と称して兵員の輸送にあたった。名古屋高等裁判所は2008年4月に「自衛隊イラク派兵差止訴訟」において憲法違反であるとする判決を出す。

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o0290043011721085892   Vera Caslavska

ウィスコンシンで会った人々 その20 集団的自衛権の復習

これまで歴代の政府は、憲法第九条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであること、そして集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないとしてきた。

ここでのキーワードは「わが国を防衛する」と「必要最小限度」というフレーズだと思われる。集団的自衛権とは、政府の解釈によれば「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」となっている。

現行憲法には自衛隊という言葉はない。だが、「独立国である以上は当然に自衛権を持っていて、それを行使するために必要最小限度の実力は憲法で否定されていない」という論拠が自衛隊の存在となっていて、自衛隊の合憲性を支える「つっかえ棒」となってきた。さらに自衛権を発動する要件の一つに、「わが国に対する急迫不正な侵害があること」が挙げられてきた。個別の自衛権で対処できるのではないか、という議論が交わされている。集団的自衛権を持ち出す必要はあるのか、ということである。

もし集団的自衛権を行使できるとなれば、それは実は自衛隊の合憲性を支える「つっかえ棒」を外そうとすることなのだ。「わが国を防衛する」と「必要最小限度」を再解釈して集団的自衛権の行使を容認しようとするのが現政府の方針のようだが、どうも納得するのが困難である。

集団的自衛権の行使と称して大国はどのように振る舞ったのかを考える。いずれも1950年代から1970年代の冷戦時代に起こった内戦に端を発するという特徴がある。この事実は看過できないと考えられる。

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ウィスコンシンで会った人々 その19  憲法と宮沢俊義

活字文化で育った筆者ら、といっても1960年代に人文科学系の学生だった者には、いくつかの出版社に随分お世話になった時代がある。例えば、辞書といえば岩波書店や研究社、法律であれば有斐閣、心理学であれば平凡社や誠心書房。貧乏ながら教科書に参考書に、こうした出版社から沢山購入したものだ。

中でも思い出に残るのが「憲法」という法律書である。もちろん著者は宮沢俊義。出版社は有斐閣である。この書店は「六法全書」の刊行で知られている。1957年の創業80周年には、「法律全集」を出しているいるから、今年で138年の歴史を有する文字通り出版業界の老舗である。

宮沢俊義のこの本だが、法学部の学生はこぞって読んだはずだ。特に憲法の制定について「八月革命」という画期的な理論を発表する。これは1945年八月にポツダム宣言(Potsdam)を受諾することによって主権が天皇から国民に移譲したというのである。これが「八月革命」である。それゆえ、日本国憲法は国民が制定したのだという立場である。

今や日本国憲法は揺れている。その最たる議論は「現行憲法は押しつけられたものだ」という論題である。自主憲法をという声は根強い。現在の内閣もこうした立場をとっていると考えられる。しかし、自主憲法の制定は以下の述べるが法理上の大きな課題がある。そのためか部分的な改訂で対応しようとしている。もっと云うならば現行憲法条項の解釈を広げて国の平和と安全を保つことに腐心している。その最たる条項が憲法第九条の二項である。

ポツダム宣言の第十項には、民主主義、言論・宗教・思想の自由、基本的人権の尊重がうたわれている。これは従来の「国体」から180度の転換であり、「革命」であると宮沢は説いた。玉音放送と呼ばれた終戦の詔勅は天皇による国民への主権の同意であり承認である。この時点で大日本帝国憲法は国民主権と矛盾する。よって帝国憲法は効力を失ったという論理である。

そこで自主憲法の制定だが、かつてのポツダム宣言の受諾とそれによる帝国憲法の失効というような事態は当面起こりえない状況である。現行憲法の廃止と自主憲法の制定には、なにか革命的な出来事が必要なのである。ここに憲法制定の法理的な困難が立ちはだかるのである。

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ウィスコンシンで会った人々 その18 TEDと教育の改革

毎日のようにTED(Technology, Entertainment and Design)というサイトで教育講演を聞いている。「Ideas worth spreading」(拡がって欲しいアイディア)というキャッチコピーで視聴者を惹きつけている。 講演者はノーベル賞受賞者のような人ではない。だが専門性の豊かな若者、クリティカルシンキングに長けた女性、脱北してきた女性、鯨の資源保護活動にあたる人、数学はいかに面白いかを説く教師、など講師陣は幅広い分野にわたっている。筆者もこの講演に共鳴する一人。なにせ飽きさせない内容でしかも味わいがある。

TEDが組織されたのは1996年。Sapling Foundationという非営利団体が運営している。この団体を創設したのは、Chris Andersonという出版社の起業家である。1,658以上の講演がネット上で無料で視聴することができる。TEDでは教育問題に関する講演が多い。それだけに世界的に教育への関心、教育の問題が深刻であることを物語る。特に教育問題ではケン・ロビンソン(Sir Ken Robinson)という教育評論家の講演が目立つ。子どもは創造性(human creativity)や知的好奇心(curiosity for learning)が旺盛であり、それを引き出すのが学校や教師の仕事だ。だが今の学校制度は子どもの創造性を殺してしまっていると主張する。

ロビンソンの講演だが、学校という土壌には子どもが学べる適切な条件が必要であること、特に教師に裁量を与え子ども可能性や創造性をひきのばす土壌を学校に育てることを強調する。そのためには教育委員会が管理統制をしてはいけない。教育は人間的な仕組みであり、機械的な組織(mechanical system)であってはならないという。

ロビンソンはさらに云う。科学や数学の重要性はいうまでもないが、人文(humanities)、芸術(arts)、体育(physical education)の教育も欠かせない分野である。演劇などを取り入れた斬新な教育方法を実施し、子どもにはできるだけ多様なカリキュラムを用意し個別的な対応をすることだという。

是が非でも次の講演を聴いて欲しい。
●「学校教育は創造性を殺している」

●「教育の死の谷を脱するには」
http://digitalcast.jp/v/17388/

●「学習することに革新を」

ユーモアに溢れ、エスプリがきいて深い洞察に富む。講演でロビンソンが語るのは、我々が直面している教育の危機をいかに脱することができるかということだ。

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ウィスコンシンで会った人々 その17 成年後見制度と人権

今新宿区で、発達障害者の人権活動について母親の学びの集まりに参加している。そこでの話題となっているのが「Where human rights begin」(人権とはどこから出発するのか)という冊子である。これは、第三回世界成年後見制度大会(The 3rd World Congress on Adult Guardianship)での基調報告である。編集したのは、The Guardianship Association of New Jersey, Inc. (GANJI)という団体である。

障害者の親は、障がいというハンディキャップを負って生を享けた子を残して先に死ねない、という思いを誰もが持つ。だがそうは言え、親が先に死ぬことのほうが多い。「願わくば親亡き後、グリーン車に乗せて天国まで行かせたい」と云う親もいる。そのためには、まずは親が法定後見人になることが多いようである。

しかし、「人権とはどこから出発するのか」という成年後見制度の冊子を読むと、人権の大切さや重要さが溢れんばかりにわかりやすい表現(plain text)で強調されている。ちなみに法務省の「成年後見制度」を読むと、不動産や預貯金などの財産を管理したり,身のまわりの世話のために介護などのサービスや施設への入所に関する契約を結んだり,遺産分割の協議など、判断能力の不十分な方々を保護し,支援するのが成年後見制度とある。障害者の人権などは一言も触れていない。

人権は、1215年のイングランドの自由の大憲章(Magna Carta or Great Charter of the Liberties of England)に始まる。その後1948年に国連本部で世界人権宣言が採択された。我が国は当時、国連に加盟していなかったので批准していなかった。この宣言を起草した一人がエルノア・ルーズベルト(Eleanor Roosevelt)である。彼女は、合衆国第32代大統領のフランクリン・ルーズベルト(Franklin D. Roosevelt)の妻であった。彼女は合衆国国連代表、婦人運動家、文筆家として知られている。

エルノア・ルーズベルトは次のように訴える。
結局のところ人権はどこから始まるのでだろうか?それは、家庭に近い小さな場所から始まる。その場所は、家庭にとても近くにあり、あまりにも小さいので世界地図上で見ることはできない。地図に載っていなくとも人々にはそれぞれの世界がある。それは、住んでいる自宅周辺、通学する学校や大学、働いている工場や農場、あるいは事務所である。そのような場所で、男性、女性、子供の誰もが差別されずに同等の正義、機会、平等を求めている。これらの権利は、地図に載っていないような小さな場所で守られなければ意味がない。家庭の近くで人権が守られるよう市民が共に活動しなくては、人権が守られている場所をあてもなく広いこの地球上で探すことになる。

人権は誰にとっても共通なもの。人権は発達障害のある人が被後見人であってもなくても適用される。人権と義務は教えられ、サービス計画と日常生活での様々な機会や実践で個人が学びとるものだ。世界人権宣言は、普遍的な人権についての素晴らしい考え方とそれに基づく宣言である。このようなことを学んだのが母親の学びの集まりであった。

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ウィスコンシンで会った人々 その16 「東京圏の高齢者は地方へ移住を」

このようなかけ声は欧米諸国ではきいたことがない。それは何故かを考えている。合衆国の地方とか田舎の規模は日本の比ではない。人口200人という町もあちこちにある。こうした町の行政だが、近辺の町と一緒になって学校を運営し、ゴミを処理し、図書館を運営し、病院を経営している。それでいて独立した自治体なのは不思議だ。

日本は小さな国土なのだが、どうして過疎化とか人口減少が起こるのかである。それは地場産業を振興してこなかったことのツケが回っているからだ。農業や林業、酪農、漁業などに対する政策が貧困だったというしかない。ひたすら輸入に頼り地元で獲れる作物や魚に関心を向けてこなかったのだ。

民間有識者でつくる日本創成会議というのがある。座長は元総務相である増田寛也氏である。この会議が6月1日に「東京圏高齢化危機回避戦略」と題する提言をまとめた。この会議は、東京など1都3県で高齢化が進行し介護施設が2025年に13万人分不足するとの推計結果をまとめた。

この推計に基づく戦略では、施設や人材面で医療や介護の受け入れ機能が整っている全国41地域を高齢者の移住先の候補地として示していることである。大都市に住む高齢者が元気なうちに地方に移住することを促す専用施設がいろいろな県や市にあると指摘している。政府はこうした施設を市町村が整備することを資金、税制面で支援することを今後検討するのだとか。

東京への一極集中をもたらしたのは誰なのか。このような状況に至っては歯止めをかけるのは至難の業である。高齢者が持つ知識や技術を地方での仕事やボランティア活動に役立て、地方活性化に貢献してもらうというのだ。だが、高齢者は地方の活性化に役立ちたいなどとは考えない。快適な終の棲家を探しているのである。果たしてどのくらいの人が地方に移住するだろうか。その地方はどんな魅力があるのかである。

筆者なら次のような地方に住みたい。若い農家がいて新鮮な作物を作り子どもを育ている町や村である。そこにある学校は毎日ボランティアを歓迎する。そして自分もまだ役立つという実感を得ることができる町である。スポーツや文化活動も活発なのがいい。

次に病院や店舗や図書館がバスや車で30分くらいのところにある町だ。病気は避けることができないので、それくらいの距離ならなんとか通える。こうした施設はWiFiなどで繋がっていることも必須の条件だ。メディカルソーシャルワーカーが常駐していればもっとよい。このような投資なら行政はすぐできるだろう。人がいてインターネットがあれば快適な田舎暮らしができる。

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ウィスコンシンで会った人々 その15 ワシントンD.C.詣り

孫達は、この夏は親の支援でワシントンD.C.(Washington District of Columbia)旅行を計画している。上の孫息子Andersは既にD.C.旅行を楽しんだようだ。ウィスコンシンといういわば田舎にいると、D.C.とかニューヨーク(New York)は眩しいような都会である。Andersらはボストン(Boston)の近くに住むので首都詣ではさほどの感激はないかもしれない。ボストンはアメリカ建国の歴史を刻む町ではある。

D.C.の中心にあるナショナル・モール(National Mall)にはスミソニアン博物館(Smithsonian Museums) をはじめ、国立アメリカ歴史博物館(National Museum of American History), 国立自然博物館(National Museum of Natural History), 国立航空宇宙博物館(National Air and Space Museum)、その他リンカーン・メモリアル(Lincoln Memorial)、ワシントン記念塔(Washington Monument), マーチン・ルーサー・キング・メモリアル(Martin Luther King, Jr. Memorial)などなど、とてもとても一週間でも回りきれない。

夏になると多くの子ども達がバスを連ねてD.C.にやってくる。こうした旅行は、学校の主催ではない。教師に負担をかけることはない。旅行会社が企画し、交通、宿、食事、保険などを扱う。孫娘はこの旅行に参加するようだ。ウィスコンシンからD.C.まではバスで片道一泊二日、そしてD.C.に五日間滞在し、費用は一人1,000ドルくらいだそうだ。親に経済的なゆとりがないと子どもを参加させることは困難である。

アメリカに修学旅行という学校行事はない。その功罪はあるだろうが、教師はこうした団体旅行にはそもそも賛成しない。子どもの行動に責任をもちたくないというのが本音だろう。恵まれない家庭も多い。修学旅行はそうした家庭の子どもが参加する貴重な機会とはなる。だがそうした習慣がないのがアメリカ。我が子の教育は家庭に責任がある。学校ではない。「Our culture holds the values of individualism, self-reliance, and cooperation.」というフレーズを思い出している。

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ウィスコンシンで会った人々 その14 日本の教員と「イクボス」

6月2日、滋賀県内の中学校、高校、特別支援学校の校長を集めた研修会が大津市内であったと報道された。研修の話題は「イクボス」。NPO法人代表理事の講演を聞き、出席者全員が「教職員の仕事と家庭の両立を応援しながら自らも仕事と私生活を楽しむ「イクボス」となる」などと書かれた宣言書にサインしたというのだ。笑いを堪えられなかった。

「イクボス」という造語を知ったのは最近のことである。「男性の従業員や部下の育児参加に理解のある経営者や上司のこと」とある。新語や造語には弱い。この造語にあたる英語は知らない。そもそもないはずである。なぜなら、父親も母親も働くのが当たり前。両方が育児をしないと仕事は成り立たない。皆が「イクボス」なのだ。

わが国で「イクボス」が話題になる要因には、女性の職場での地位が不安定なこと、男性の就業時間が長いこと、就業開始や終了時間、職場が均一であることによるものと思われる。

第一の女性の職場での地位だが、昔からその地位は不安定であった。妊娠、出産、子育てに対する配慮が誠に不十分だったこと、それによる男性に比べての昇任や待遇での差別がはっきりしていた。

第二の男性の就業時間である。教員を引き合いにしてみる。2012〜2013年の経済協力開発機構(OECD)の調査では、日本の中学校教員の一週間の仕事時間は53.9時間で、参加34カ国や地域で最も長かったというのである。

第三の就業開始や終了時間、職場が均一ということとである。誰もが同じ就業時間であっては子育ては難しい。例えば保育所に誰が送り迎えするかである。職場についても、自宅やサテライトオフィスでの仕事が可能であれば子育てはかなり改善される。

学校の教員であるが、授業の開始や終了時間はどの学校も同じであるからこれを変えることはできない。だが4時半とか5時半に帰宅できることは可能なはずだ。OECDによる調査で、一週間の仕事時間は53.9時間というのは異常な事態なのである。むしろ労働協約や契約によって下校時間をきちんと守ることが大事だ。公立学校の教員には特例法で時間外手当を支給する必要がない。従って残業は駄目だということである。

そこで提案だが、教職員は5時帰宅を遵守することだ。校長や教頭は「イクボス」になる必要は全くない。むしろ教職員組合との協約を学校内で履行するように気を配ることだ。教職員は、時間外手当がでないのだから残業をする必要がないと決めてかかることだ。

まぜっ返すようだが、どうしても残業をしなければならないときは、管理職に時間外手当を要求すべきなのである。協約や契約を遵守すること、授業以外の校務などで仕事量を減らすこと、不毛な会議を減らすことを実行することが必要だ。

「イクボス」よりも就業規則にうるさい管理職にならなければならない。「イクボス宣言書」に署名したという校長は、なんとアホなのかとさえ思えてくる。労働協約や契約のことを知らないことを露呈している。教員の「働き過ぎ」という実態に一刻も早くメスをいれなければならない。そのためには先進国の教職員の働き方を参考にすべきだ。

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