クリスマス・アドベント その16 グレゴリオ聖歌(Gregorian Chants)

グレゴリオ聖歌は、主に9世紀から10世紀にかけて、西ヨーロッパから東ヨーロッパで発展し、受け継がれてきた宗教音楽である。ローマ教皇グレゴリウス1世(Gregorius I)が編さんしたことからグレゴリオ聖歌といわれる。

もともと西方教会における単旋律聖歌(plain chants)を軸とする無伴奏の宗教音楽である。聖歌は伝統的には男声に限られ、元来はミサや聖書日課の祈りにおいては、
僧侶など聖職者によって歌われていた。

歴史的には修道会では修道僧や修道女によってグレゴリオ聖歌は唱えられてきた。ローマカトリック教会の公式な聖歌として、典礼(litergy)に基づくミサや会堂(カテドラル)の中で録画されたグレゴリオ聖歌がよく知られている。

聖歌は通常、斉唱(unison)で歌われたが、やがて聖歌に歌詞や音を追加したり即興的にオクターブである8度音程、5度、4度、3度の和声を重ねる技法が使われるようになった。メロディの中心は朗誦音(リサイティング・トーン: reciting tone)と呼ばれる。

通常、ミサでは次の6つの聖歌が歌われる。キリエ(Kyrie)、グロリア(Gloria)、クレド(Credo)、サンクトゥス(Sanctus)、ベネディクトゥス(Benedictus)、およびアニュス・デイ(Agnus Dei)はどのミサでも同じテキストを使用する。

キリエ(憐れみの賛歌)は「キリエ・エレイソン」(主よ、憐れみたまえ)の三唱、「クリステ・エレイソン」(キリストよ、憐れみたまえ)の三唱、再度「キリエ・エレイソン」の三唱からなる。グロリア(栄光の賛歌)は大栄頌を唱えるもので、クレド(信条告白)はニケア信条(Nicene Creed)を唱える。これらの典礼文は長い。そのため聖歌では歌詞の切れ目に対応した構造をもっている。

サンクトゥス(聖なるかな)とアニュス・デイ(神の子羊)は、キリエと同様、典礼文に繰り返しが多く、音楽的にも繰り返し構造をとるものとなっている。
https://www.youtube.com/watch?v=Lljfmr8pHpE

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クリスマス・アドベント その15 ”O come, O come, Emmanuel”

紀元前586年頃、古代イスラエルの民にバビロン(Babylon)幽囚が始やってくる。首都エルサレム(Jerusalem)がネブカドネザル(Nebuchadnezzar)によって占領されたためである。バビロンはメソポタミア(Mesopotamia)地方の古代都市であった。やがて故国に帰れるというユダヤ人の希望は幻となり、50年に渡ってバビロニアに居住する苦しみを強いられた。それゆえに「救い主(メサイア)Messiah」待望の信仰が生まれた。旧約聖書のイザヤ書第7章14節には次のような預言がある。

“見よ、おとめがみごもって男の子を産み、その名はインマヌエルと呼ぶ。”
Behold, the virgin shall conceive and bear a son, and shall call his name Immanuel.
Immanuelとは「主がともにいる」という意味である。”bear a son” は”give birth to a son”ともいえる。

この讃美歌は、「久しく待ちにし主よとく来たりて」として訳されている。元々8世紀のラテン語聖歌である。7つの詩から成っていた。夕礼拝や祈り会のときに交互に歌うしきたりであった。その後13世紀になると5つの詩が加えられた。1851年に讃美歌の作詞者であるジョン・ニール(John M. Neale)がラテン語歌詞を英訳した。

捕囚の中に光を求める讃美歌であり、救い主を待ち望む歌でもある。このように原曲が中世のグレゴリオ聖歌(Gregorian chant)であるためか、旋律も和声も静かで厳かな雰囲気を醸し出している。単旋律でも、編曲されて合唱としても歌われている。
https://www.youtube.com/watch?v=7xtpJ4Q_Q-4

O come, O come, Emmanuel
And ransom captive Israel
That mourns in lonely exile here
Until the Son of God appear
Rejoice! Rejoice! Emmanuel
Shall come to thee, O Israel.

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アドベント・クリスマス その14 ”Lo, How a Rose E’er Blooming”

日本語題名は「エッサイの根より」と付けられている賛美歌である。古くからカトリック教会で歌われた。詩も曲も15世紀頃からドイツのライン(Rhine)地方に伝わるキャロルがもとになっている。もともとは、23節から成るマリア賛歌であった。 待降節の期間に歌われる。

古代イスラエル(Ancient Israel)王国第2代王ダビデ(David)の父がエッサイ(Jesse)とわれる。その出典箇所は有名な預言書イザヤ書である。この11章1節には、「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ」とある。ユダ族のダビデの子孫からキリストが出ることを教えている。そのことはマタイによる福音書(Gospel of Matthew)の冒頭には「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図」が書かれてある。キリストの系図がダビデを通じエッサイに由来することを語っている。

時代は下り19世紀以降、プロテスタントの歌集に収録されるようになった。二番目の歌詞ではマリヤから幼児イエスが生まれることに置き換えられている。ドイツから英米にも伝わり世界的なアドベントの歌になった。

歌詞の冒頭にある”Lo”は古英語で「見よ」といった驚きを表す単語である。”Behold”という単語にあたる。
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エッサイの根より 生いいでたる、
預言によりて 伝えられし
薔薇は咲きぬ。
静かに寒き 冬の夜に。

Lo, how a Rose e’er blooming from tender stem hath sprung!
Of Jesse’s lineage coming, as men of old have sung.
It came, a floweret bright, amid the cold of winter,
When half spent was the night.

Isaiah ‘twas foretold it, the Rose I have in mind;
Mary we behold it, the Virgin Mother kind.
To show God’s love aright, she bore to us a Savior,
When half spent was the night.

アドベント・クリスマス その13 ”O Tannenbaum”

アドベントリース(Advent wreath)には樅の木の枝が使われることを既に述べてきた。樅の木は冬のさなかでも緑色を保つマツ科。それ故”Christmas Tree”とも呼ばれる。だが樅の木はドイツ語での響きがもっとよいような心持ちがする。”Tannenbaum”がそうである。

クリスマス・キャロルの一つで世界中で歌われる曲にO Tannenbaumがある。現在の歌詞はライプチッヒ(Leipzig)のオルガン奏者で教師、そして作曲家であったアーネスト・アンシュッツ(Ernest Anschutz)が1824年に付けたといわれる。

この歌詞をみると曲は必ずしも来る済ますや飾りがつけられたクリスマスの木のことを歌っているのではないことがわかる。だがマツ科の常緑樹は不偏さとか信仰ということのシンボルと謂われている。

アンシュッツが書き下ろした歌詞は16世紀のシレジア(Silesian)民謡からの哀しい恋の曲が元となっている。シレジアとは今のドイツ、ポーランド、チェコのあたりを指す地域である。メルクワイア・フランク(Melchoir Frank)という人が歌った”Ach Tannenbaum”という曲に依拠している。ヤヒム・ザーナック(Joachim Zarnack)が1819年に、信仰心に欠けた恋人と信仰に溢れるような常緑樹と対比させた。

19世紀になると待降節にはクリスマスの木が飾られるようになる。そしてクリスマス・キャロルも作曲され歌われていく。アンシュッツの歌詞にある”treu”とは信仰深いという意味である。歌詞の二番目は “treu” が “grun”(緑)となっている。20世紀になってこの歌がクリスマス・キャロルとして歌われるとともに変わっていったようである。

O Tannenbaum, o Tannenbaum,
wie treu sind deine Bl?tter!
Du gr?nst nicht nur
zur Sommerzeit,
Nein auch im Winter, wenn es schneit.
O Tannenbaum, o Tannenbaum,
wie treu sind deine Bl?tter!
https://www.youtube.com/watch?v=IrFqDzPPGE8

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クリスマス・アドベント その12 ”O Holy Night”

作曲者はアドルフ・アダン(Adolphe C. Adam)というフランス人である。1800年の中盤に活躍し多くの曲を作ったといわれる。中でもこの”O Holy Night” (Cantique de Noel–クリスマス賛歌)というクリスマス・キャロルは特に知られている。当時、この曲はラジオで放送され広く人々に口ずさまれるようになったという。アダンはバレー音楽(ballet)であるジゼル(Giselle)をはじめ39ものオペラも作曲した。

“O Holy Night”であるが、作曲は1847年。フランス南部の街、Roquemaureにある教会のオルガンが修復され、その祝いとして教区の司祭が詩人プラシド・カポー(Placide Cappeau)にクリスマスの詩を依頼した。カポーは”Midnight, Christians”という題を付け、それにアダンが旋律をつけたのである。

その後、”O Holy Night”はソプラノやテノールで歌われることが多くなった。それは当時、ユニテリアン教会の牧師であったジョン・ドワイト(John S. Dwight)がカポーの原詩”Cantique de Noel”をもとにして、フランス語と英語でイエスの誕生と救いについて親しみのある歌詞をつけたからだといわれる。

曲は静かな音程で始まり、やがて次第に興奮が高まるような音階となり、最後は極めて高い音階で歌われ誕生劇が”聖なる夜かな”という歌詞と共に最高潮に達する。荘厳な曲でもある。”Divine”とは厳粛な、厳かな、神々しい、という意味で使われる。

この曲は多くの人気歌手によって歌われている。例えばマライア・キャリ(Mariah Carey)、ビング・クロスビ(Bing Crosby)、ホットニ・ヒューストン(Whitney Houston)、マハリア・ジャクソン(Mahalia Jackson)である。

O holy night! The stars are brightly shining,
It is the night of our dear Saviour’s birth.
Long lay the world in sin and error pining,
‘Til He appear’d and the soul felt its worth.
A thrill of hope the weary world rejoices,
For yonder breaks a new and glorious morn.
Fall on your knees! O hear the angel voices!
O night divine, O night when Christ was born;
O night divine, O night, O night Divine.

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クリススマス・アドベント その11  “Little Drummer Boy”

「誕生」はすべての人にとって喜ばしい時。老いも若きもその時を祝う。数あるクリスマスの歌には古く伝統的なものから現代的(contempolary)なものまでいろいろとある。今回、紹介するのは一人の少年が太鼓を叩きながら、イエスの誕生の喜びに加わるという曲である。「The Little Drummer Boy」という。別名は「Carol of the Drum」。

作曲したのはキャサリン・デーヴィス(Katherine Davis)。作曲家であり教師であった。作られたのは1941年。曲の由来はチェコスロバキア(Czechoslovakia)に伝わる古い民謡である。1950年代、この曲を収録したレコードはアメリカで大ヒットしたそうだ。歌詞の内容は次のようなものだ。

”さあ行こう。一人の王様が生まれたぞ”と大人が僕に声をかけた。
”大切な贈り物をこの王様のところに届けよう。”

だが、僕はお金がないので、なにも持っていくものがない。

”マリアさん、お祝いとしてこの太鼓を叩いていいですか。”

マリアさんは優しく頷いてくださった。牛や羊はじっとしていた。
僕は一生懸命、赤ちゃんのために太鼓を叩いた。
タタタッタ、タタタッタ、、、、
赤ちゃんは僕と太鼓に微笑んでくれた。

Little Drummer Boy

Come they told me pa ra pa pam pam
a newborn King to see pa ra” pa pam pam
Our finest gifts we bring pa ra pa pam pam
to lay before the King pa ra pa pam pam
Ra pa pam pam ra pa pam pam
So to honor him pa ra pa pam pam when we come
Little baby pa ra pa pam pam
I am a poor boy too pa ra pa pam pam
I have no gift to bring pa ra pa pam pam
that’s fit to give our King pa ra pa pam pam
Ra pa pam pam ra pa pam pam
Shall I play for you pa ra pa pam pam on my drum
Marry nodded pa ra pa pam pam
the ox and lamb kept time pa ra pa pam pam
I played my drum for him pa ra pa pam pam
I played my best for him ra pa pam pam
Then he smiled at me pa ra pa pam pam me and my drum

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クリスマス・アドベント その10 ”Jesu, Joy of Man’s Desiring”

前回紹介したカンタータ第147番のことである。我が国では、「主よ、人の望みの喜びよ」”Jesu, joy of man’s desiring”として知られている。バッハ(Johann Sebastian Bach)がオーケストラを伴った合唱楽章、いわゆるカンタータ(Cantata, Kantate)として作曲したものである。Cantataとは「歌われるもの」ということのようだ。バッハは、教会の毎週の礼拝のために通奏低音による声楽作品を作曲していた。通奏低音は、バロック音楽において行われる伴奏の形式で、楽譜上では低音部の旋律のみが示され、奏者はそれに適切な和音を付けて演奏する。オルガン、チェンバロなどの鍵盤楽器やチェロ、コントラバスの弦楽器が使われる。

“Jesu, joy of man’s desiring”は1723年7月の礼拝のために作られたという。いわゆるコラール(Choral)である。その後、このコラールは同じく第147番の「心と口と行いと生きざまもて」の中で取り入れられる。18世紀前半のドイツでは、コラールを取り入れたものが、一般に「教会カンタータ」と呼ばれる。その後は、小編成の器楽で演奏される「世俗カンタータ」が数多く作曲されている。例えばカンタータ第211番の「珈琲カンタータ」(BWV 211)もそうだ。

ルカによる福音書1章26節〜38節に処女懐胎の記述がある。懐妊を告げられたマリア(Mary)が親戚のエリサベト(Elisabeth)を訪ねたことを記念する「マリア訪問の日」といわれる喜ばしい雰囲気に満ちた祝日がある。そのとき、ルカによるとマリアが「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」と訊くマリアに対して、天使が「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子ととなえられるでしょう」と言って去って行く。これがマリアの讃歌、マニフィカト(Magnificat)である。

この教会カンタータ第147番は全部で10曲から成り、その6番目の曲のコラール(合唱)が”Jesu, joy of man’s desiring”である。誠にもって心に染み入るメロディである。

Jesu, joy of man’s desiring,
Holy Wisdom, Love most bright;
Drawn by Thee, our souls aspiring
Soar to uncreated light.
Word of God, our flesh that fashioned,
With the fire of life impassioned,
Striving still to truth unknown,
Soaring, dying round Thy throne.

074644829624_300 maxresdefault Jesu, joy of man’s desiring

クリスマス・アドベント その9 カンタータ第147番

カンタータ(Cantata)第147番はバッハの作品でBWV147という目録番号がつけられている。「心と口と行いと生きざまもて(Herz und Mund und Tat und Leben)」と訳されている。前回の第140番と並んで人々に知られる教会カンタータである。この曲を広く知らしめているのが「主よ、人の望みの喜びよ」の名で親しまれているコラール(Coral)で、ドイツ語では”Jesus bleibet meine Freude”という曲名となっている。

カンタータ第147番は、新約聖書ルカによる福音書(Gospel of Luke) 1章46〜55節に依拠している。礼拝での聖書日課は「マリアのエリザベート訪問の祝日」となっていて、マリアが神を賛美した詩「マニフィカト(Magnificat)」が朗読される。マニフィカトとは、聖歌の一つ、「わたしの魂は主を崇め、わたしの霊は救い主なる神を讃える」という詩である。全部で10曲から構成されるカンタータ第147番の一部を紹介する。

冒頭の合唱は、”Herz und Mund und Tat und Leben”というトランペットが吹かれる快活な曲で気持ちの良い合唱フーガ(Fuga)である。フーガとは対立法という手法を中心とする楽曲である。同じ旋律(主唱)が複数の声部によって順々に現れる。この時、5度下げたり、4度上げて歌う。これを応唱ともいう。少し遅れて応唱と共に別の旋律が演奏される。これを対唱と呼ぶ。

次のレシタティーヴォも、オーボエなど弦楽合奏を伴うしみじみした響きで演奏される。第3曲のアリアは、オーボエ・ダモーレ(oboe d’amore)というオーボエとイングリッシュホルンに似た楽器の伴奏がつく。少々暗い響きだが雰囲気が醸し出される。これにバスのレシタティーヴォが続く。第5曲のアリアは、独奏ヴァイオリンの美しさが際立つ。ソプラノの響きも美しい。

そして第6曲がご存知、「主よ、人の望みの喜びよ」のコラール。英語では「Jesus, Joy of Man’s Desiring」。いつ何度聞いても慰められる名高い曲である。今、ウィスコンシンの北部の街Stevens Pointで、脳腫瘍を煩い化学療法を受けている親友である牧師にこの曲を捧げつつ、快復を祈っている。

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クリスマス・アドベント その8 カンタータ第140番

カンタータ(Cantata)第140番は「コラール・カンタータ」(BWV140)と呼ばれる楽曲によっている。カンタータの基礎となっているのは合唱、コラール(Choral)である。教会暦によると、聖霊降臨の1週間後は三位一体節と呼ばれる。教会では、全ての日曜日礼拝には拝読される福音書の章句が決められている。三位一体節から数えて第27日曜日の福音書聖句が、マタイによる福音書(Gospel of Matthew)25章1節から13節となっている。この箇所では、花婿の到着を待つ花嫁の譬えを用いて、神の国の到来への備えを説く。それをふまえ真夜中に物見らの声に先導されたイエスの到着、待ちこがれる魂との喜ばしい婚姻へと至る情景を描いている。

カンタータ140番は「目覚めよと呼ぶ声あり」英語では”Wake, Arise,” ドイツ語では”Wachet auf, ruft uns die Stimme”として知られる名高い曲である。カンタータに配置される独唱はレシタティーヴォ(recitative)といわれる。レシタティーヴォは前回少し説明したが、概して大規模な組曲形式の作品の中に現れる歌唱様式である。叙唱、朗唱とも呼ばれる。楽器はホルンの他、木管と弦楽器、そしてチェンバロが使われる。

バッハは三位一体節後第27主日の礼拝に合わせてカンタータ140番を作曲したといわる。カンタータ140番は次の7曲から構成されている。

・第1曲 コラール  目覚めよと呼ぶ声あり
弦楽器とオーボエが付点リズムでもって演奏され、それに行進曲風の合唱が続く。晴れやかな喜びに満ちた曲である。
・第2曲 レチタティーヴォ 彼は来る、まことに来る
イエスの姿を伝えるテノールの語りかける場面となっている。
・第3曲 二重唱  いつ来ますや
わが救いの魂(ソプラノ)とイエス(バス)の間で交わされる愛の二重唱。
・第4曲 コラール  シオンは物見らの歌うの聞けり
テノールの歌うコラールは、ユニゾンの弦が晴れやかな落ち着きのある有名な曲である。物見の呼び声が夜のしじまを破って響く冒頭の合唱曲とシオンの娘の喜びを歌うテノールのこの曲は特に名高い。
・第5曲 レチタティーヴォ
さらばわがもとへ入れといって花嫁が登場する。
・第6曲 二重唱  わが愛するものはわが属となれり
再び魂とイエスとの二重唱となる。
・第7曲 コラール  グローリアの頌め歌、汝に上がれ
簡潔ながら力強い4声部によるコラールで終わる。

筆者がカンタータ140番を歌ったのはマディソンにいた頃のルーテル教会である。聖歌隊員はみな音感も良く声量があった。オルガンの音も会堂に響き心地よい時であった。バッハの音楽は世界の宝だと思えるのである。

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クリスマス・アドベント その7 クリスマス・オラトリオ

古今、幾多の曲が作られてきた。特にクリスマスは宗教的でも世俗的でも目出度い出来事なので曲の種類も多い。これから数回にわたりアドベントやクリスマスを祝う音楽を紹介する。

「クリスマス・オラトリオ(Christmas Oratorio)」は特に演奏される曲である。この作品はヨハン・セバスチャン・バッハ(Johann Sebastian Bach)が作曲したものだ。ルカによる福音書2章10節〜11節、マタイによる福音書2章1節〜2節にある聖句を基としている。あまりにも有名な曲である。

オラトリオとは、17世紀にイタリアで起こった楽曲といわれる。バロック(baroque)音楽を代表するものである。バロックとはイタリアで起こった芸術文化といわれる。バロック音楽もその一環であり、ローマカトリック教会の音楽といわれる。

オラトリオはオペラ(opera)と較べると分かりやすい。演技を伴うことはなく、また台詞もない。大きな装置も使わない。独唱、合唱、そしてオーケストラによる演奏である。新約聖書を台本としているので、歌詞は聖句が使われる。オラトリオは大規模なミュージカルのような楽曲ともいえる。叙唱とか重唱はレシタティーヴォ(recitatives)と呼ばれる。個人的な感情とか状況を描写する歌唱様式といわれる。レシタティーヴォだが、通奏低音という伴奏では、オルガン、リュート、チェンバロ、オーボエ、チェロなどが使われる。オラトリオは礼拝や典礼では使われるのではなく、教会堂やコンサートホールでの演奏が普通である。

クリスマス・オラトリオは全部で64曲からなるカンタータ集(cantate)である。17世紀後半にイタリアで作曲された「レシタティーヴォと詠唱アリア(aria)からなる通奏低音のための歌曲」がカンタータといわれる。18世紀になると、主にドイツではコラール(choral)を取り入れた「教会カンタータ」とか器楽を伴った世俗的なカンターが作られるようになる。

バッハはオラトリオを3曲作っている。その1つはがクリスマス・オラトリオである。12月25日のクリスマスから1月6日の顕現節(Epiphany)までの祝日のために作曲したといわれる。64曲の最初の曲は「歓びの声をあげよ」という合唱付きのオーケストラである。

バッハの作品には番号がつけられている。クリスマス・オラトリオは 「BWV(Bach Werke Verzeichnis)248」となっている。残る2つは復活祭のための「復活祭オラトリオ(Easter Oratorio)」BWV249と昇天祭のための「昇天祭オラトリオ(Ascension Oratorio)」BWV11である。ついでだがモーツァルト(Wolfgang A. Mozart)の作品番号にはKoechelが使われている。

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クリスマス・アドベント その6 Intermission  ロゴスと言葉

いくら世界中の人々がクリスマスを祝うといえど、聖霊によるマリアへの受胎告知やイエスの誕生に納得できない人々がいるはずである。その後のキリストの受難と昇天、そして復活もそうであろう。キリスト教徒でない人々の中には聖書の中味を、「作り話」、「ファンタジ」、「空想」として捉えるから、受胎告知や復活といった奇跡にさしたる抵抗は感じない。だからクリスマスも、わだかまりもなく子供や家族と楽しむことができる。今回はその先のことを考えたいのである。

復活とか蘇りという出来事は、考えてみれば宗教の世界で通用する現象である。キリスト教徒は、そうした「出来事」にかつては困惑したり懐疑したことはあったにせよ、それを「吹っ切って」洗礼を受け信徒になったのである。こうした転機は奇跡といえることかもしれない。

「人知では到底計り知れない」ことは世の中にはいくらでもある。高い教育を受け、自然科学に触れ、進化論を知ったにせよ、こうした宗教上の現象は、この世界とは次元の越えた現象として受け容れるのである。そこには吹っ切れたという個人的な省察のような体験があったからだろうと察するほかはないのである。恐らく当人もこの内的な決断を言葉では説明できないだろう。理性には限界があるということでもある。

人の使う言葉には限界がある。愛するものの死に接したとき、哀しみを表現する言葉が浮かばない。どんな慰めの言葉も癒しにならない時がある。人間の言葉とはそいうものなのだ。語いが足りないではすまない。あまりにも表層過ぎるのである。

ヨハネによる福音書1章1節に「始めにことばありき」という章句がある。ここでの言葉は神のことばーロゴス(logos)ということである。この世界の根源として神が存在するという意味とされる。「ロゴスは世界の根幹となる概念であり、世界を定める理」とEncyclopaedia Britannicaにある。

幸いにして我々は死の哀しみの淵から立ち上がることができる。「世界を定める理」にある与えられた命を感じ、支えられていることを経験し、生きることの価値を「我と汝」との関係に見いだすことができる存在だからである。

Martin20Buber205B15D  Martin Buber

クリスマス・アドベント その5 クリスマスの謂われ

クリスマス(Christmas)は、ChristとMassの連語である。「キリストの誕生を祝うミサ礼拝」ということである。クリスマスの歴史は比較的新しい。

さてクリスマスの謂われであるが、もともと”Yule time”と呼ばれ、特にゲルマン(Germanic)の”jul”やアングロサクソン(Anglo Saxson)の”geol”からきたのだという。YuleとかYuletide(Yule time)というのは冬至の日を意味した。最も昼の時間が短い冬至。昔、冬至がくると人々はその日を祝うのが習慣だったようである。ヨーロッパの人にとっては日がだんだん長くなることを待望して祝ったのである。Encyclopaedia Britannicaによれば、Yuleは非宗教的な祭りだったのがいつのまにかChristmasに吸収されていったとある。

北欧のスウェーデン、デンマーク、ノールウエイでいまもクリスマスをYuleと呼ぶ。フィンランドはJouluと呼ぶ。クリスマスを意味するYuletideという英単語のことである。”tide”とは期間とか時間という意味である。Yuletideは12月24日から1月6日までの期間を指す。クリスマスの期間ということを指す。だがこのYuleは今は古英語になってしまった。冬至は英語でWinter Solsticeと呼ばれる。

ラテン語で誕生は”natalis”である。クリスマスを意味する言葉だが、このラテン語からクリスマスの言葉が生まれた。イタリア語はNatale、スペイン語はNavidad、フランス語はノエル(Noel)である。そしてドイツ語はWeihnachtenである。Weihは”聖なるかな”、そしてnachtenは”夜”という意味である。”Heilige Nacht”も同じ意味である。

クリスマスとは世俗的な祝いや祭りから発生したことをいいたかった。
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クリスマス・アドベント その4 イザヤ書とイマヌエル

さてイザヤ書(The Book of Isaiah)は、預言者イザヤ(Isaiah)の名によって残される旧約聖書中最大の書である。その成立は複数の者によるとされ,内容からみて2部に分けられる。

第1部1〜39章は、紀元前8世紀頃おもに預言者イザヤによって書かれたとされる。主の懲らしめと裁きが中心に描かれている。40章で「慰めよ。慰めよ」という言葉がある。40章から66章は、慰めと回復のメッセージといわれる。具体的には、ユダ(Judea)とエルサレム(Jerusalem)に対するメッセージとなる。ユダが主から離れているので懲らしめられるが、最後には赦され救われるという展開になっている。

北イスラエル王国(Northeran Israel)はアッシリア(Assyria)の攻撃を目前に控えていただけでなく、南ユダ王国(South Judea)も崩壊するのは時間の問題だった。そうした緊迫した情勢を背景に、イスラエル(Israel)の民の多くは一国も早く国大へ脱出することを望んでいた。アッシリア帝国による侵略の脅威に曝される中、神のみ告を信じていた。

イザヤは「神が我らとともにおられる」を意味するイマヌエル(Emmanuel)という言葉で語る。イマヌエルとは驚くべき指導者、力ある神の象徴でありイスラエルが救われて平和の道を歩むことができると説かれる。

イザヤは、「救いは主のもの」、あるいは「ヤハウェ(Yahweh、Jehovah)は救いなり」という意味とされる。人間が救われるのは、人からでも行いからでも富からでもなく、主からなのだ、ということを最初から最後に至るまで一貫して教えている。イザヤ書は読み応えのある重たい内容である。

isaia1  預言者イザヤGiovanni Battista Tiepolo - The Prophet Isaiah

クリスマス・アドベント その3 ユダヤ教とタルムード

筆者のロータリークラブ(Rotary International Club)奨学金のスポンサーにロバート・ジェイコブ(Dr. Robert Jacob)という医師がいる。日本語読みではさしずめヤコブ氏となろう。今もミルウオーキーの郊外で開業している。専門は脚の整形外科。熱心なユダヤ教徒でもある。いつも住まいの側にある会堂シナゴーグ(synagogue)で長老として活躍されている。

これまでご子息らの成人の儀式、バー・ミツヴァ(Bar Mitzvah)の案内、9月には新年ロシュ・ハシャナ(Rosh Hashana)の祝いを頂戴している。一度、ジェイコブ氏に連れられてシナゴーグを見学させていただいたことがある。シナゴーグとはユダヤ教の聖堂のことである。キリスト教の教会の前身といえる。礼拝はもちろん祈りの場であり、結婚や教育の場、さらに文化行事などを行うユダヤ人コミュニティの中心的存在である。もともとは聖書の朗読と解説を行う集会所であった。会堂に入るときは、男子はキッパ(kippa)とかヤマカ(yarmulke)と呼ばれる帽子を頭に載せる。

ユダヤ教徒はタルムード(Talmud)と呼ばれる教典を学び行動するように教えられる。タルムードは生活や信仰の基となっている。家庭では父親の存在が重要とされる。率先して子供に勉強させタルムードなどを教える。子供を立派なユダヤ人に育てたものは永遠の魂を得ると信じられている。筆者がシナゴーグに案内されていたとき、成人のタルムード勉強会が開かれていた。

ユダヤ教では、イエスキリストや聖霊に神性を認めない。であるからイエスは信仰対象ではない。クリスマスという概念もない。ユダヤ教でいう聖書は旧約聖書のことである。キリスト教では人類の救いを告げる聖書は旧約と新約聖書となる。


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クリスマス・アドベント その2 樅の木

アドベントリース(Advent wreath)には樅の木の枝が使われる。しなやかなので丸いリースを作りやすい。樅の木は、「Christmas Tree」とも呼ばれる。クリスマスのデコレーションに使う木である。有名なのは、ニューヨーク市のロックフェラーセンター(Rockefeller Center)前に立てられものだ。毎年その点火がニュースとなる。今年は本日12月3日に点火式が開かれるという。このセンター前の広場ではさまざまな催し物が演じれる。

樅の木に戻る。この常緑樹は強い生命力の象徴とされる。また「知恵の樹」とも呼ばれる。沢山の種類の飾り物がとりつけられる。子供たちの楽しみでもある。もともとはリンゴとかナッツなどの食べ物が枝にくくられたそうだ。そしてろうそくとなり今は豆電球で飾られる。ベツレヘムの星(Bethlehem)やガブリエルの天使(Gabriel)の飾りも目立つ。

樅の木がクリスマスの木として使われるようになったのは15世紀頃といわれる。ドイツ、Selestatにある St. George’s Churchがその起源とか。ブリタニカ百科事典(Encyclopedia Britannica)によると, 樅の木は常緑樹(evergreen trees)として、エジプト人や中国人、ヘブル人などが永遠の命を象徴する木として崇めていた。こうした信仰はヨーロッパの非キリスト教徒(pagan)らにも広まり、やがてスカンジナビアや西ヨーロッパに広まり、家々や納屋に立てられた樅の木は魔除けとしても、また鳥の止まり木としても飾られるようになったという。

樅の木の代わりに”Paradise Tree”という常緑樹もクリスマスでは飾られたといわれる。中世のミステリ劇に登場する。それによると12月24日はアダムとイブ(Adam & Eva)と命名された日として祝われる。そこに飾られる木には禁断の実とされたリンゴが供えられた。さらに、種なしの薄焼きパンーワッフル(wafer)も付けられた。ワッフルには聖餐(Eucharist)とか贖罪、救済(Redemption)の意味があった。

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クリスマス・アドベント その1 クリスマスリース

この季節になると、ところどころの玄関にリース(wreath)とかクランツ(cranz)と呼ばれる飾り物をつけているのを見かける。こうした家はクリスチャンの家族なのだろうと察する。

このリースは常緑樹である樅の木の枝を丸めて作る。祭壇に置くときは、柊の葉があしらわれてそこにろうそくを立てるのである。柊は季節にふさわしい漢字であり、緑々しい木である。柊が玄関の側に植えられるのは邪鬼を払うという言い伝えがある。教会で飾られるリースは特別な意味がある。リースにある先の尖った柊の葉であるが、柊は十字架上で処刑されたキリストの冠の棘を表す。ついでだが柊は英語で”holly tree”。

リースは、クリスマス・リース(Christmas wreath)とも呼ばれ11月最終日曜日からキリスト教会で飾られる。燭台となるリースの上には4本のろうそくが立てられる。この日からキリストの誕生を待ち望む期間、待降節といわれるアドベント(Advent)が始まる。アドベントはキリストの誕生までの4週間を指す。

アドベント期間の礼拝に出席すると目に飛び込んでくるのが色。例えば、ろうそくの色は悔い改めや望みを表す紫とか青である。聖職者の祭服や祭壇布、礼拝堂のタペストリーなどにも用いられる。典礼色に倣い、第三週のみピンクやローズカラーのろうそくを用いる場合が多い。ルーテル教会やメソジスト教会、聖公会などはそうである。

アドベントの礼拝や祈祷での賛美歌は、救世主メシア(Messiah)の到来を待ち望むものが歌われる。

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