留学を考える その69—Pennsylvania Avenue

ワシントンD.C.には、建設以来大量の黒人が住むようになりました。今も全米の都市でも最もその割合が高い街となっています。そのようなわけで、ワシントンD.C.はアフリカ文化の普及や公民権運動の中心となりりました。市内の東側を流れるアナコスティア川(Anacostia River)付近には黒人をはじめとする低所得者が多く住んでいます。

第二次大戦後、白人はこの地区から大挙して郊外へと移住します。高速道路ができて通勤が便利になったこともその一因です。白人が居住し始めた地区は、コロンビア特別区とジョージタウン(George Town)に囲まれたあたりです。この辺りは、合衆国でも最も裕福な人々が住むところとなっています。

ランファンの都市計画によって造られた現在のペンシルヴァニア通り(Pennsylvania Avenue)は、幅が122mで大統領府と議事堂を1.9 kmで結んでいます。そのためアメリカのメインストリート(America’s Main Street)と呼ばれるようになりました。この通りで大統領就任式のパレードが行われます。ペンシルヴァニア通りは、メリーランド州(Maryland)のプリンスジョージ郡(Prince George’s County)まで続き、その長さは56.5 kmとなっています。

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591_1051925147 Pierre L’EnfantL'Enfant_plan  District of Columbia

留学を考える その68—Pierre L’Enfant

ワシントンD.C.の三回目です。合衆国の首都は、1776年の英国からの独立後、第一回と第二回の連邦議会の始まりとともにペンシルヴァニア州(Pennsylvania)のフィラデルフィア(Philadelphia)に置かれました。フィラデルフィアでは、独立戦争時、議事堂で大陸会議が開かれ独立宣言が起草されます。現在独立記念館となっている建物でです。ですがこの街の首都は10年あまりで移ることになります。

1783年6月、独立戦争で闘ったかつての兵士が大挙して議会ホールに集まり、兵役に対する報酬を要求して決起します。それを押さえようとして連邦議会は、ペンシルヴァニア州知事のディキンソン(John Dickinson)に対して軍を出動させて鎮圧するように要請します。しかしディキンソンは兵士らの要求を正当と考え議会の要請を拒否します。その結果、ニュージャージ州のプリンストンに首都が移ることになります。

大統領のワシントンは、ランファン(Pierre L’Enfant)という都市計画家を新しい連邦首都の意匠を担うように指名します。ランファンは後にコロンビア特別区(District of Columbia)となる10平方マイルの連邦地域の計画立案と土地開発を監督します。そして1791年にランファンはポトマック川の北岸から東岸にかけて長方形の区画を首都として設計します。それが現在の首都ワシントンD.C.の基礎となります。

コロンビア特別区のあたりは、もともとアルゴンクイン族(Algonquian)というネイティブアメリカンが住んでいたところです。彼らはナコッチタンク(Nacotchtank)という名前で呼ばれていました。1812年に米英戦争というのが起こります。英国及びその植民地であるカナダ及びイギリスと同盟を結んだアルゴンクイン族ら諸部族とアメリカ合衆国との間の植民地戦争のことです。米英戦争終盤の1814年8月、イギリス軍がアメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.を攻撃し、市内を占領しホワイトハウスや議会議事堂など多くの政府関係の建造物に放火します。これが「ワシントン焼き討ち」(Burning of Washington)と呼ばれる事件です。

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2006-07 Tuition and Fees: $37,820 2007-08 Tuition and Fees: $39,210

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留学を考える その67 ワシントンD.C. –Holocaust Memorial Museum

スミソニアンの博物館の中でも最も来場者が多いのが国立自然史博物館(National Museum of Natural History)といわれます。子ども達に人気なのが国立航空宇宙博物館(National Air and Space Museum)でしょう。いつも家族連れや団体で一杯です。このほかに国立アメリカ歴史博物館(National Museum of American History)、国立アメリカ・インディアン博物館(National Museum of the American Indian)、国立アフリカ美術館(National Museum of African Art)、ハーシュホーン博物館と彫刻の庭(Hirshhorn Museum and Sculpture Garden)、芸術産業館(Arts and Industries Building)などです。

是非訪ねていただきたいのはユダヤ人の虐待とその歴史を遺品や写真などで紹介するホロコースト記念博物館(Holocaust Memorial Museum)です。イスラエルの歴史やユダヤ人の離散や迫害の歴史を辿ることができます。どの館も安い入場料あるいは無料で見学できます。モールを午前と午後に一つずつ見学してもゆうに一週間はかかります。

モールのすぐ南にタイダル・ベイスン(Tidal Basin)という池があります。ここにはかつて日本から贈られた約1,700本の桜の並木があります。1912年3月、尾崎行雄が東京市長在任中に高峰譲吉などと協力してソメイヨシノ2,000本を贈り、ポトマック河畔に植樹されます。しかし、虫害によって焼却されますが、後に3,100本の桜が新たに植樹されました。その返礼としてアメリカよりハナミズキ(Cornus florida)が贈られます。3月末は花見客で一杯となる合衆国で有数の桜の名所となっています。日本とアメリカの友好の歴史を物語る場所でもあります。尾崎行雄は後に憲政の神様といわれます。
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留学を考える その66 ワシントンD.C. –Taxation without Representation

アメリカ合衆国のいろいろな話題や特徴を通して、各州の大学を紹介をしています。今回は合衆国の首都ワシントンD.C. (District of Columbia)です。ワシントンD.Cは州ではありません。特別区というか準州のような扱いです。

ワシントンD.C. を紹介するには多くのページを必要とします。なにから始めたらよいか迷うほどです。まずはワシントンD.C.のライセンスプレートからいきましょう。プレートには「Taxation without Representation」とあります。このフレーズですが、D.C.は他の州とは違って、上院や下院への議員を選ぶ権利が住民にはないのです。にも関わらず高い住民税を払っています。これまで何度も議会に抗議したり訴訟を起こして、選挙権の獲得運動がありました。しかしいまだに実現していません。そこでD.C.はナンバープレートに抗議のフレーズを入れているのです。「税金払えど選挙権なし」という意味が込められています。他の州には、このような主張を込めたものは見当たりません。大抵は、産物とか自然を誇るフレーズです。その点でD.C.のは興味あるナンバープレートです。

ヴァジニア州(Virginia)やメリーランド州(Maryland)などと隣接するこの街は、世界の政治や経済の中心です。国権の最高機関である大統領府(White House)、連邦議会議事堂(Capitol)、議会図書館(Library of Congress)、連邦最高裁判所(Supreme Court)や中央官庁などの行政機関が集まるほか、国立公文書館、日本銀行にあたる連邦準備制度(Federal Reserve System:FRB)、世界銀行(World Bank)や国際通貨基金(IMF)の本部、各国大使館などが置かれています。

街の中心はナショナル・モール(National Mall)と呼ばれています。モールの中心にはワシントン記念塔(Washington Monument)があります。モールの両端にはリンカーン記念館(Lincoln Memorial)と連邦議会議事堂が鎮座しています。スミソニアン協会(Smithsonian Institution)が運営する多くの博物館や美術館がモール内にあります。どれをとっても質・量ともに世界でもトップクラスであります。加えて、多くの国立記念建造物や碑が建てられています。例えば、第二次世界大戦記念碑、朝鮮戦争戦没者慰霊碑、硫黄島記念碑、ベトナム戦争戦没者慰霊碑、アルバート・アインシュタイン記念碑など数えられないほどです。

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留学を考える その65 ワイオミング州–Equal Rights

ワイオミング州(Wyoming)は北にモンタナ州(Montana)、東にサウスダコタ州(South Dakota)とネブラスカ州(Nebraska)、南にコロラド州(Colorado)、西にユタ州(Utah)とアイダホ州(Idaho)と境をなしています。州都はシャイアン市(Cheyenne)です。人口は56万人。全米50州の中で最も少ないのですが、面積は二番目の大きいという特徴もあります。

Wyomingとはインディアンの言葉で「大平原」を意味するそうです。州の東側3分の1はグレートプレイン(Great Plains)、西側3分の2はロッキー山脈(Rocky Mountains)、といったように東部の山岳地帯と丘陵の牧草地帯が広がります。ライセンスプレートには、馬に乗るカウボーイがイメージされています。

州の主要な産業は鉱業と農業。鉱業ではウラニウム、天然ガス、メタンガス、農業では小麦や大麦、馬草、サトウキビが主たるものです。イエローストーン国立公園(Yellowstone National Park)がこの州の北西部に広がります。年間600万人が訪れます。全米最古の国立公園で、シンボルになっている間欠泉(geyser)や温泉の見所で有名です。バッファロー(buffalo)、グリズリー(grizzly)、ムース(moose)、狼(wolf)などが生息し大切に保護されています。「Equal Rights」とか「Cowboy State」というの州のモットーとなっています。少々地味な印象ではあります。

ララミー市(Laramie)にあるのがワイオミング大学(University Of Wyoming)。農業、エネルギー、地質学などの研究が強いといわれています。当然ながら水資源とかの環境、天然資源の研究も盛んです。その他、キャスパーカレッジCasper College)、セントラル・ワイオミングカレッジ (Central Wyoming College)、イースタン・ワイオミングカレッジ (Eastern Wyoming College)などのリベラルアーツ教育も充実しています。

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留学を考える その64 ウィスコンシン州—American Robin

今ウィスコンシンはすっかり冬に突入しています。動物は冬眠しています。前回紹介したアナグマ(badger)も狸も深い穴の中で暖かくして眠っているでしょう。

多くの鳥も南のフロリダやメキシコ湾あたりに渡りました。ウィスコンシン州の鳥はロビン(American Robin)となっています。コネチカット州(Connecticut)とミシガン州(Michigan)もロビンを州鳥に指定しています。日本ではコマツグミと呼ばれていますが、American Robinの雄は色彩に富んでいます。雌は少々地味な色です。

この鳥は、厳しい冬に終わりを告げる二月末から三月にかけて戻ってきます。人々の待ち焦がれていた春がロビンで運ばれてくるかのようです。それでロビンは「春を告げる鳥」、「春の使者」(spring heralder)といわれるほど愛されています。鳴き声も綺麗なのです。頭と羽を除き、お腹は赤く実に姿勢が良いのです。

北米大陸に渡ってきた人々によってRobinという名前がつけられました。ヨーロッパにいた胸の赤い鳥(red-breast)に極めて似ていたからだといわれます。ロビンは北米大陸に広く生息しています。渡り鳥なのですが、大陸の南部と北部を行き来する渡り鳥です。夏はカナダにも飛来していきます。

ウィスコンシンが州鳥とした経緯です。1926年から1927年にかけて小学生が投票で決めたという記録が残っています。 子供に州鳥を決めさせるという発想がいいですね。

餌ですが、芝をつっついて虫やミミズを引っ張りだすのが観察されます。庭のどこでも見かけられるので「backyard bird」ともいわれるほどです。ロビンに似た鳥にフィンチ(finch)がいます。こちらは色とりどりで華やかな姿をしています。カーディナル(cardinal)もトサカがぴんと立って体全体が赤く実に綺麗な鳥です。ウィスコンシンでもなじみ深い鳥ですが、私は日本ではこの三羽をまだ見たことがありません。

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留学を考える その63 ウィスコンシン州—Badger State

どの州にも愛称があります。ウィスコンシン州には、アナグマであるバジャー(Badger)という少々平たい顔の動物が州のマスコット(mascot)となっています。それで「Badger State」と呼ばれるのです。アナグマの顔には白の縦縞の模様が入っています。昼間はめったに見られません。狸やスカンクが住宅地域に住み着くのは珍しくありませんが、アナグマは人里の近くには生息しません。

アナグマの分布です。北米大陸、アイルランド、英国やスカンディナビアの国にいます。絶滅危機の動物リストに入っていませんが、ウィスコンシン州の法律では狩猟は禁止されています。州自然局が動植物を管理しています。自然保護はどの州も厳しいのが合衆国に共通することです。

アナグマの棲み家の穴はセット(sett)といわれます。雄は”boar”、雌は”sow”、子供は”cub”と呼ばれます。アナグマは普段は柔和な性格ですが、追い詰められると闘うモードに入ります。大人の体重は18キロ前後で、長いしっぽを持っています。足は短く、穴掘りに適しています。昆虫、鳥、蛙、果実や根を食料としています。他の熊と同様に雑食動物です。

アナグマは”ウィスコンシン大学のマスコットにもなっていて、バッキーバジャー(Bucky Badger)の名で親しまれています。あらゆるスポーツ大会で登場し会場と観客を沸かせます。その他、子供のイベント、学校訪問などで活躍します。Bucky Badgerの誕生日は1940年10月2日として、ワシントンD.C.にあるアメリカ議会図書館(Library of Congress)に登録されています。なぜこの日なのかはもう少し調べる必要があります。著作権はもちろん設定されています。”Bucky”は雄なので、一時、 雌のマスコット名前として”Betty”とか”Becky”という名前が候補として挙がりました。ですが未だに実現していません。マスコットの誕生日や名前の登録とか、アメリカ人は可笑しいことを考えるものです。

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留学を考える その62 ウィスコンシン州–America’s Dairy Land

ウィスコンシン州の気候は内陸のために寒暖がはっきりして、夏は30度以上になることもしばしばです。冬の寒さといえば筆舌に尽くしがたいような日が何日も続きます。雪はそんなに深くは積もりません。風で吹き飛ばされます。
ライセンスプレートには「アメリカの酪農の地」(America’s Dairy Land)と記されています。そして納屋とサイロが描かれています。乳製品で有名な州です。2010年度の第45回スーパーボウル(Super Bowl)を制したグリーンベイパッカーズ(Greenbay Packers)の本拠はウイスコンシン。そのときファンがかぶったのがチーズヘッド(cheese head)というチーズをかたどった帽子でした。

沢山の種類のチーズが楽しめます。ワイン、麦酒に欠かせないおつまみです。酪農の地ですから、ステーキもまた格別です。分厚いフィレミヨン(filet mignon)はいいです。肉をグリルで「焼いて」ステーキソースをかけるのが一般的な食べ方です。どの家庭にも野外で肉を焼くグリルがあります。

ウィスコンシンは北欧やドイツの移民が多い州です。そのためソーセージ類もまた沢山の種類がつくられています。スパイスをきかせた肉がたっぷりな巨大なソーセージ(brats)は、「アメリカの酪農の地」の名に恥じないものです。ポーランドかドイツからの移民が持ち込んだのでしょう。スポーツといえばアイスホッケーが盛んで、どの高校にもホッケー部があります。氷上の格闘技です。

ウィスコンシンは私の研究の基礎をつくり、3人の子どもに教育を授けた忘れられない州です。今も娘二人がマディソンで子どもと生活しています。私と長男の嫁を含めると全部で学士から博士まで10の学位を頂戴しています。大分投資もしましたがそのリターンは計り知れません。

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留学を考える その61 ウィスコンシン州–French and Indian War

アルファベット順にアラバマ州(Alabama)から始まった高等教育機関の紹介もようやくウィスコンシン州(Wisconsin)にやってきました。アメリカ合衆国の大陸を東から西へ、北から南へと通ってきました。アラスカやハワイをいれると合衆国はとてつもなく広大な国です。人種も誠に地理、自然、気候、歴史など多士済々です。人種、文化、言語、宗教などの多様性を特徴とする国がアメリカです。まさにモザイックなのです。

ウィスコンシン州は北はカナダと国境を接し、東はミシガン湖が広がり、南はイリノイ州に囲まれ、西はミネソタ州とアイオワ州と隣り合っています。大昔、氷河が覆い、そのため土をけずって大小の湖ができました。氷河は石や岩を運びながらなだらかな丘陵もつくってきました。氷河がモレーン(moraine)と呼ばれる氷堆石を残したので、農場に岩や石があります。そのために平たい農場は少なく、酪農が盛んになりました。北海道に似た景色が広がります。愛称は「The やが State(あなぐま州)または「Dairy Land(酪農の地)」といいます。

場所は違いますが、モレーンの影響は今もブータンやネパールで見られます。それは洪水です。氷河の後退によってモレーンとの間に氷河湖ができます。ですが、温暖化の影響でしょうか、氷河の溶け具合が早く、モレーンの崩壊によって決壊し洪水を起こし、下流にあった村々に死者を出してきました。

ウィスコンシンにはもともとオジブワ族(Ojibwa)、ソーク族(Sauk)、チペワ族(Chippewa)、フォックス族(Fox)、キカプー族(Kickapoo)が住んでいました。ヨーロッパから多くの移民がやってきました。最初の白人は、フランス人探検家のニコレ(Jean Nicolet)です。1634年、カナダのジョージア湾(Georgian Bay)からヒューロン湖(Lake Huron)を経てカヌーでやってきたという記録があります。南からウィスコンシンにやってきたのはマーケット(Jacques Marquette)とジョリエ(Louis Jolliet)です。ミッシッピー川を遡って今のプレーリーヅシン(Prairie du Chien)というところに上陸します。1673年頃のことです。フランスが北米大陸を植民地化する政策の一環だったようです。フランス人はネイティブアメリカン部族を相手にした毛皮貿易商でもありました。やがて白人植民者によって部族は各地や追い遣られます。

時代は下り、1754年から1763年にわたり続いた植民地を巡るフランスーインディアン戦争(French and Indian War)の結果、イギリスが支援していた側が勝つとフランスが後退し、イギリスの統治が広がっていきます。とわいえ、フランス人が開拓してきたウィスコンシンには、今も多くのフランス語の地名や人名が数多く残っています。

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留学を考える その60 ウェストヴァジニア州—Mountain State

ウェストヴァジニア州(West Virginia)は、合衆国東部の州でアパラチア山脈(Appalachian Mountains)中に位置し、山の州(The Mountain State)という愛称で知られています。ライセンスプレートにこのフレーズが見えます。すべての地域が山岳内にあります。州都で最大の町はチャールストン(Charleston)となっています。北部はペンシルベニア州(Pennsylvania)、北部及び西部はオハイオ州(Ohio)、西部はケンタッキー州(Kentucky)、北部及び東部はメリーランド州(Maryland)、東部及び南部はヴァジニア州(Virginia)と隣りあっています。ウエストヴァジニア州は南北戦争時の境界州の1つといわれます。州は北軍か南軍につくかで激しく分かれた経緯があります。

ウエストヴァジニア州は景観の良い渓谷うあ豊富な自然資源に恵まれています。にも関わらず合衆国の州の中で経済的に最も恵まれない州の一つです。アーカンソー州及びミシシッピ州に次いで、1人当たりの収入が3番目に低い州といわれています。さらに平均世帯収入は最低という数字となっています。国勢調査局のデータがそれを伝えています。ウェストヴァジニア州の4年制大学卒の人口の割合は15%であり、合衆国内で最低となっています。貧しい人口が多いことを示しています。

この州経済の主要な資源のひとつは石炭です。中小規模の石油及び天然ガスも開発されています。農業は狭い平野に限定されています。山岳地帯のウェストヴァジニアはヨーロッパからの移民が入ってくる前は、ネイティブアメリカンの狩猟の場だったようです。自然とは対照的に貧しさのアメリカを感じるところです。

グレート・スモーキー山脈国立公園(Great Smoky Mountains National Park)は多くのハイカーを引きつける場所です。1971年にジョン・デンバーの「Take Me Home, Country Roads」(故郷への道)という歌が大流行しました。この歌詞は、デンバーがこの州をドライブしたときのことをモチーフにしています。

Country Roads take me home
To the place I belong
West Virginia mountain momma
Take me home Country Roads

田舎道が俺を故郷へ連れて行く
俺が育ったところ
ウエストヴァジニアは母なる山
田舎道が俺を故郷へ連れて行く

私のウェストヴァジニア州ですが、家族とジョージアからウィスコンシンへU-Hallを引っ張って引っ越しするとき、Interstate 79を通り、モーガンタウン(Morgantown)という町を通りかかりました。工業地帯の寂れた町並みを思いだします。

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