音楽の楽しみ その36 合唱曲の数々 The King’s Singers

六名の絶妙の和音と旋律、そしてリズム、清冽なカウンターテナーの響きで知られるア・カペラ(a cappella) グループに「キングズ・シンガーズ (King’s Singers)」がいます。1968年にケンブリッジ大学 (University of Cambridge)のキングズ・カレッジ (King’s College) の学生により結成されます。国内はもちろん、ヨーロッパや南北アメリカ、オーストラリア、日本などで公演を行なうほか、公開レッスンなどのワークショップを主宰して合唱団の育成にも努めています。レコーディングも精力的に行い、多くのCDを制作しています。

そのレパートリーは宗教曲、モテット (mottetto) 、マドリガル (madrigal)、民謡、ポップス、ジャズなど幅広く、現代作品にも意欲的に手がけています。例えば武満徹の「芝生」や男声六重唱の「手作り諺」、イタリアの作曲家ベリオ (Luciano Berio)の「Sequenza」などです。

「ア・カペラ」とは、平易化された教会音楽の様式のことといわれます。教会音楽に限らず無伴奏で合唱や重唱でも歌われ、歌詞が会衆に伝わるような楽曲のことです。「モテット」は、声楽曲のジャンルのひとつ。一般的に中世末期からルネサンス音楽にかけて発達した、ミサ曲以外のポリフォニーによる宗教曲を指します。ルネサンス時代にミサや通常の式文以外の宗教曲全体を指すようになります。ドイツのプロテスタント教会では、コラールを利用したモテットが作られるようになります。「マドリガル」は、中世イタリアで生まれた5声部の無伴奏による合唱曲、あるいは世俗声楽曲のことです。

キングズ・シンガーズの活動は多彩です。自ら基金を作り「Carol for Christmas」という作曲コンペも主催し、若い作曲家の作品をキングズ・カレッジ教会堂 (King’s College Chapel ) で演奏できるように支援しています。ア・カペラグループとしては草分け的な存在です。今も世界で最も優れたア・カペラ合唱団の一つといえましょう。

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音楽の楽しみ その35  合唱曲の数々 「Waltzing Matilda」

主要七カ国 (G7) の外務大臣が始めて広島平和記念公園を訪れました。とりわけアメリカのケリー国務長官 (John Kerry) が原爆資料館を視察した後の言葉が話題となっています。それは5月の首脳会談にやってくるオバマ大統領(Barack Obama) に広島訪問を促すというコメントです。

広島と長崎を「甚大な壊滅と非人間的な苦難という結末」と訴えた今回の広島宣言は、国際協調主義の重要性を訴えるオバマ 大統領に広島訪問を決意させるかです。大統領個人の感情と大統領という職責や立場、原爆投下をなおも正当化するアメリカの多数派の世論や大統領選挙を考慮すれば、大統領の広島訪問はたやすくはなさそうです。

広島宣言では「非人道的 (inhuman)」という言葉を使わないで「非人間的 (non human)」としたところがみそです。“Inhuman”とは “cruel”, “brutal”という残虐性を意味する単語です。国際法上の人道の罪に相当することを恐れる核保有国が「非人道的」として非難されることを避けるために、”non human”を使ったと報道されています。それに対して”non human”は「人間以外の」とか「人間ではない」という意味です。このような修辞に核保有国のエゴイズムのようなものを感じます。

1959年制作の映画「渚にて (On the Beach)」を想い出します。この作品は戦争の悲劇を描く作品です。それも核戦争です。1964年、第三次世界大戦が勃発したという想定です。この映画にも合唱曲が登場します。

映画の荒筋です。地球上は核兵器の放射能に汚染されてしまいます。北半球はすでに死の灰で人々は絶えます。南半球オーストラリアにも死の灰が迫ってきます。メルボルン (Melbourne) に1隻のアメリカの原子力潜水艦が入港します。艦長タワーズ(Dwight Towers)はメルボルンで迫り来る死を覚悟します。ですが放射能ですっかり汚染されたサンディエゴ (San Diego)の町からモールス信号を受信しそれを調べに向かいます。恋人モイラ・ダビッドソン(Moira Davidson)が渚にて出航を見送るのです。この情景が映画のタイトルとなっています。

この映画で艦長を演じるのはグレゴリー・ペック (Gregory Peck)。その恋人はエヴァ・ガードナー (Ava Gardner)でした。製作者で監督のスタンリー・クレイマー (Stanley Kramer) は、「手錠のままの脱獄 (The Defiant Ones)」とか「ニュールンベルグ裁判 (Nuremberg Military Tribunals)」などで知られています。いわゆる社会派の映画の監督です。映画では核戦争のシーンなどは一切ありません。

音楽にはオーストラリアを象徴する歌「ワルチング・マチルダ」が全編に使用されています。映画の最後では、大群集が大合唱する感動的なシーンがあります。この曲はワルツ特有の三拍子ではありません。オーストラリアの音楽といえば「ワルチング・マチルダ (Waltzing Matilda)」。世界的に広く知られています。この曲を国歌にしようとした運動もあったようです。蛇足ですが、マチルダとは女性の名前ではありません。

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音楽の楽しみ その34  合唱曲の数々  「菩提樹と野薔薇」

高校時代に歌った曲の一つに「菩提樹 (Lindenbaum)」があります。野薔薇 (Heidenroeslein) と並んで教科書にもでてきました。シューベルト (Franz Schubert) が作った歌曲集「冬の旅 (Winterreise)」の第五番目が「菩提樹」です。

「菩提樹」というと、音楽よりは映画を想い浮かべるかたも多いかもしれません。同名の映画が1956年に作られました。西ドイツ映画です。この映画の主題は、トラップ・ファミリー合唱団 (Trapp Family Singers) の物語です。前編はトラップ一家がアメリカに亡命するまでの苦悩、続編は亡命後の苦労や成功が描かれています。二つの映画の原名は、ドイツ語でそれぞれ「Die Trapp-Familie」、「Die Trapp-Familie in Amerika」となっています。マリアを演じていたのは、ルース・ロイヴェリク (Ruth Leuwerik) という見事な女優さんで、名バリトン歌手、ディートリッヒ・フィシャディスカウ (Dietrich Fischer-Dieskau)と結婚したこともあります。

「なんだ、、サウンド・オブ・ミュージック (Sound of Music) と同じではないか、、、」という反応が聞こえそうです。そのとおりなのですが、「菩提樹」という映画はサウンド・オブ・ミュージックの前身となった作品なのです。サウンド・オブ・ミュージックはその後ブロードウェイでも東京でもミュージカルでも取り上げられた作品です。

「菩提樹」は、トラップ一家が戦前のナチスの統治下にあったオーストリア(Austria) 時代からアメリカへ渡ったあとの生活を描いています。「サウンド・オブ・ミュージック」は、トラップ一家がナチス党政権下オーストリア での生活、そしてスイス (Swiss) に亡命するまでの苦労を描いています。

二つの映画のテーマは、音楽を通した家族の生き方とその絆の強さです。音楽は、「日常の会話では表現しえないような思考や情動の表現を可能にする」といわれています。「菩提樹」と「サウンド・オブ・ミュージック」はまさにこのことを示す作品です。

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音楽の楽しみ その33  合唱曲の数々 「ティファニーで朝食を」 

今回は軽音楽の話題です。一般に映画音楽にはメインテーマがあって、それを軸としていろいろにアレンジされて画面に流れてきます。登場する背景、人物、感情などによって監督と作曲家が相談してどのような音楽を流すかが決められるようです。音楽に関心のある者の一人として、素人ながら映画の中で統一感のある情景を盛り上げるための選曲という作業は難しいことだろうと察します。

「ティファニーで朝食を」という1961年制作の映画は、女優オードリー・ヘップバーン (Audrey Hepburn) のために作られたようなものです。これは私のまことにうがった意見なのですが、、、、共演していた男優のジョージ・ペパード (George Peppard) というのは、「つま」のような存在でした。こうした助演者の演技がヘップバーンの演技を引き立てていたという見方もできますが。

原題は「Breakfast at Tiffany’s」といいます。この主題歌が「ムーン・リバー(Moon River)」です。わけがわからない題名ですが、そんな野暮なことは問わないことにしましょう。自由で気ままに振る舞い、奔放な生き方を追求するホリー・ゴライトリー (Holly Golightly) と彼女を取り巻く男たちを描いた映画です。ホリーは「ティファニーで朝食を食べるご身分」なのです。

ムーン・リバーを作曲したのはヘンリー・マンシーニ (Henri Mancini)。名前からするとイタリア系ですね。ピッツバーグの貧しい工員の家庭で育ったようです。ジュリアード音楽院で作曲を学びます。グレン・ミラー (Alton Glenn Miller)楽団のピアニストにもなります。

ムーン・リバーはオースケトラと合唱が交互に演奏され、ヘップバーンの魅力をいっそう引き立てるようです。マンシーニが作った主題曲には「シャレード (Charade)」、「ピンク・パンサー (Pink Panther)」、「ひまわり(Girasoli )」、「ハタリ (Hatari!)」、そして「刑事コロンボ(Columbo)」もあります。アンディ・ウイリアムズ (Andy Williams) が歌うムーン・リバーもしびれるほどです。

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Luciano Pavarotti and Henry Mancini rehearse for the recording of "Mamma" photo: Decca/© Mike Evans

Luciano Pavarotti and Henry Mancini rehearse for the recording of “Mamma”
photo: Decca/© Mike Evans

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音楽の楽しみ その32  合唱曲の数々 「ヴォルガの舟歌」とシャリアピン

この民謡が生まれるロシアの状況です。ロマノフ朝 (Romanov)のピョートルI世 (Pyotr I ) は、ツァーリ (Tsar) という「祖国の父」とか「大帝」という称号を与えられています。この帝政ロシアは、農業改革の失敗とか相次ぐ敗戦で国民は貧窮し、農民らは人頭税の財源として、世襲的に土地に束縛されていきます。しかし、労働力が兵役に徴集され、農業生産が低下して国全体が食糧難に見舞われます。

王朝の圧政に抗いヴォルガ川 (Volga)を越え、あるいはまたウラル山脈 (Ural Mountains)、さらにはシベリア(Siberia)までおよぶ農民の「大量逃亡」が各地で起こります。そのような状況で、ドン川 (Donu)のコサック (Cossack) の首領といわれたステンカ・ラージン (Stenka Razin) は農民を組織した反政府の武装蜂起を公然と開始していきます。

時代は経て、1917年の「二月革命」と「十月革命」によって退位を余儀なくされ、やがて処刑されたニコライII世 (Nicholai Romanov)が最後のツァーリとなります。

「ヴォルガの舟歌」は、本来は農民たちの歌です。「綱を引け」とか「川岸に沿って歩こう」、「白樺を倒そう、うっそうと茂ったやつを」といった言葉が出てきます。当時、ヴォルガ川沿岸では、物資や人の輸送を担う川船の接岸を補助するための舟曳き人夫たちが多数働いており、その多くは貧農小作人でした。こうした下層民たちが働きながら唄う労働歌がこの歌です。ヴォルガ川を仕事と生活を支える「母なる河」として称えていたようです。

「ヴォルガの舟歌」は20世紀前半期の偉大なバス歌手 (Bass)でありオペラ歌手のフョードル・シャリアピン (Fyodor Chaliapin) が愛唱しました。その声域は力強く堂々としています。バス歌手の登竜門として歌われたのが「ヴォルガの舟歌」ともいわれます。その後、赤軍合唱団である「アレクサンドロフ・アンサンブル」が行進曲風の力強い編曲として、広く演奏されるようになります。

「ヴォルガの舟歌」
えーこら! えーこら!
   もひとつ えーこら!
    えーこら! えーこら!
     もひとつ えーこら!

  それ曳け 舟を
   それ巻け 綱を
    アィダダアィダ  アィダダアィダ
     樺の木に 巻いた!

既に述べた「ステンカ・ラージン」という民謡にも「久遠にとどろくヴォルガの流れ、生みの母なるヴォルガよ!」という歌詞があります。ロシア人にとって河は特別な想いがあるようです。
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音楽の楽しみ その31  合唱曲の数々 「国民音楽派」

なぜか我が国でもロシア民謡はしばしば歌われます。ロシア民謡とは、もともとロシアの民俗や伝承に基づく叙情歌を指すとされます。これが日本人の感覚の琴線に触れるのかもしれません。北大大合唱団もロシア民謡を何度も歌ってきました。

フォークロア (Folklore) は、風習や伝承などを対象とした人々の日常生活文化の歴史をとらえる学問領域です。特定の国や地域や民族における、民俗音楽 (Folk music)もそれに含まれます。フォークロアとしてのロシア民謡を中心的に担ってきたのは農民といわれますが、やがて職人など農民以外の社会層によっても歌われてきたのがロシア民謡といわれます。

「ロシアを知る辞典 (平凡社) 」によると、ロマノフ王朝時代は、近代化を促進し西洋の古典音楽をロシアに定着させることを目指したとあります。やがて「国民音楽派」と呼ばれる人々は、音楽芸術の民衆化を図ろうとします。その創作の源泉は、ロシア民衆のなかに音楽の原点を求めることでした。彼らの作品の題材をロシアの歴史、民衆生活、叙事詩、民話、信仰、農耕儀式などに求め、民族的過去を美化したり、農奴的な現実を批判していきます。そうした人々の中心が作曲家のグリンカ (Mikhail Glinka)です。

グリンカは西洋音楽の手法に異国情緒を取り入れる作曲手法などによって、五人組といわれるバラキレフ (Mily Balakirev) 、キュイ(Cqsar Cui) 、リムスキー・コルサコフ (Nikolai Rimsky-Korsakov) 、ムソルグスキー (Modest Mussorgsky) 、ボロディン( Alexander Borodin) らの作曲家に大きな影響を与えます。

現在、ロシア民謡として知られている曲は、近代になってからグリンカの流れをくむ国民音楽派の作曲家たちが取材して採譜し編曲しています。それを演奏者を含む音楽家たちが、メロディーや歌詞に手を加えてアレンジしています。既に取り上げた「カチューシャ」「カリンカ」、そして次回で取り上げる代表的なロシア民謡の一つ「ヴォルガの舟歌」もそうです。

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Alexander Borodin

音楽の楽しみ その30  合唱曲の数々 「カリンカ」

旧ソ連、いまのロシア連邦には有名な合唱団があります。ロシア赤軍合唱団 (Red Army Choir) です。旧赤軍・旧ソビエト連邦軍の軍人で構成される合唱団の総称とされます。正式には、「アレクサンドロフ・アンサンブル」 (Alexandrov Russian Army Twice red-bannered Academic Song and Dance Ensemble) と呼ばれるようです。旧ソビエト連邦の作曲家で陸軍軍人であったアレクサンドル・アレクサンドロフ (Alexander Alexandrov) が創設した合唱団です。

アンサンブルですが、合奏や重奏、合唱、重唱の呼び名です。「アレクサンドロフ・アンサンブル」は大勢の合唱に加え、バラライカ (Balalaika) やバヤン (Bayan) などの伝統民族楽器を取り入れたオーケストラと踊り子で編成されます。大祖国戦争と呼ばれる独ソ戦から、戦後のソ連軍、現在のロシア連邦軍時代と伝統を受け継ぎ存続しています。赤軍合唱団の中でも圧倒的な声量とハーモニーで世界的な名声を博している合唱団が「アレクサンドロフ・アンサンブル」です。

定番であるロシア民謡、革命歌、軍歌、その他オペラの楽曲なども得意としており、ソリストや団員の多くは音楽アカデミーなどで教育を受けた声楽家出身者といわれます。独唱や合唱だけでなく、コサック・ダンスやタップ・ダンスといった演舞も見物です。サーベルを持つコサック騎兵や兵士や水兵に扮したダンサー達は聴衆を楽しませるエンターテイナーです。

カリンカ (Kalinka) とは、落葉低木で主に山地や丘陵地の明るい林や草原に生える木です。筆者は北海道でこの花と実を見ていましたが、「ガマズミ」という名前までは知りませんでした。若く美しい娘をガマズミにたとえ、どうか自分を好きになってくれ、という恋歌です。「カリンカ」は、アップテンポな4拍子のロシアの伝統曲。テノールの独唱とそれに続く合唱が響きます。

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音楽の楽しみ その29 合唱曲の数々 「カチューシャ」

長女の旦那はロシア系アメリカ人。1990年代後半にモスクワからアメリカに移住したようです。モスクワ時代はソビィエト陸軍で兵役に就き、大陸間弾道弾の発射基地にいたことがあります。1976年9月に起こったMiG-25 (ミグ25) の函館空港着陸、ベレンコ中尉亡命事件も良く覚えているといっています。

時々会ってパーティをしたりして酔ってくると一緒に歌うのが「カチューシャ (Katyusha)」や「カリンカ (Kalinka)」です。この2曲も北大合唱団で歌いました。実はこの歌は、私の父親も酔うと良く歌っていました。1945年9月に樺太で2年間の抑留生活をおくります。そのとき、兵隊と一緒にウオッカを飲んでは歌ったのがこの曲だったようです。父は、ロシア語で簡単な会話ができたようで、兵隊は彼を「ケンゾー」と呼んでいたとか。発音しやすかったのでしょう。その当時、日本人はロシアの兵隊を「ロスケ」とか「露助」と呼んでいました。

「カチューシャ」とはエカテリーナ(Ekaterina)の愛称形だそうです。エカチェリーナとも表記されるエカテリーナという名前は、ロマノフ朝 (Romanov) 第2代の皇帝ロシアエカチェリーナ1世が有名です。ピョートル1世の后だったですが、夫の死後女帝になります。ロマノフ朝第8代ロシア皇帝エカチェリーナ2世もまた政治的にも私的生活においても話題の多かった女性といわれます。彼ら二人がカチューシャと呼ばれたかどうかは定かではありません。

さて、「カチューシャ」という曲は、娘が川岸で恋人を思慕する姿を描いた1938年頃の歌曲とされます。当初の歌詞は2番までしかなく、カチューシャの恋人が兵士として徴用されていることを示唆する内容となります。1938年10月にナチスがチェコスロバキア (Cesko-Slovensko)からズデーテン (Sudeten) 地方を割譲したり、日本軍による広東が占領され、ナチスのユダヤ人迫害が始まった年です。こうして不穏な世界情勢を反映して、国境の警備に当たる兵士が故郷の恋人を想うという設定で3番と4番の歌詞が書き足されたようです。

やがて1941年6月に独ソ戦といわれる大祖国戦争が始まります。それとともに戦場の兵士に広く愛されて歌われるようになり、代表的な戦時流行歌となったといわれます。戦後になっていわゆるロシア民謡を代表する一曲として、我が国でも「ともしび」などとともに、うたごえ運動で盛んにうたわれた曲です。

リンゴの花ほころび
 川面に霞たち
  君無き里にも
   春は忍びよりぬ

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音楽の楽しみ その28  合唱曲の数々 「ねんねこ しゃっしゃりませ」 中国地方の子守唄

子守唄はララバイ (Lullaby) といいます。子供をあやしたり寝かしつける時の歌です。ゆったりとしたテンポで長調の響きです。そのため揺籃歌ともいわれます。この響きは西洋音楽の特徴です。シューベルト (Franz  Schubert)、ブラームス (Johannes Brahms)、ショパン(Frederic Chopin) などの子守唄を聴くとそう思います。

他方、日本の子守唄はララバイ とはほど遠いほど寂しく悲しさが漂います。かつて貧しい農家の娘は7歳から8歳になると奉公に出され、主人の家で赤ん坊の世話をします。おんぶして子守をしたり寝かしつけるのです。

Wikipediaによれば、中国地方の子守唄「ねんねこ しゃっしゃりませ」は、岡山県の井原市高屋町が発祥の地とされます。この付近に伝わる古い子守歌を採譜し紹介して、1928年頃に広がり始めたということです。

ねんねこ しゃっしゃりませ
  寝た子の かわいさ
   起きて 泣く子の
    ねんころろ つらにくさ
     ねんころろん ねんころろ

  ねんねこしゃっしゃりませ
   今日は二十五日さ
    明日はこの子の ねんころろ 宮詣り
     ねんころろん ねんころろん

  宮へ詣ったとき
   なんというて拝むさ
    一生この子の ねんころろ まめなよに
     ねんころろん ねんころろん

「しゃっしゃりませ」は「なさいますように」というように解釈されます。早く寝付いてちょうだい、といった感じでしょうか。奉公する娘が赤ん坊に「つらにくさ」というこみ上げてくる憎らしさを表現しています。「宮へ詣ったとき、なんというて拝むさ」という歌詞には、詣でをしてもなんの役に立つのか、という皮肉るような心情をうたう箇所もあります。

日本の伝統的な子守歌は、「ララバイ」 とは発生の背景や思想が全然違うのです。

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音楽の楽しみ その27  合唱曲の数々 「竹田の子守唄」

子守唄のルーツや背景を調べるといろいろなことが分かります。この「竹田の子守唄」もそうです。子守の仕事を歌う「守り子唄」です。なぜこの名前がついたかです。Wikipediaによりますと京都市の伏見区に竹田という地区があります。この曲は、この地区に伝わる守り子歌といわれます。

1964年に作曲家の尾上和彦が竹田地区で収集した民謡を編曲しこの子守唄が生まれます。尾上は芸術座公演「橋のない川」の音楽担当でした。「取材した部落の地名を名付けて舞台で発表したのがこの歌が広まる契機となった」といわれます。それゆえ「被差別部落の子守唄」とも呼ばれたこともあるようです。

なぜこのような呼称がついたのかですが、歌詞に出てくる「在所」という言葉が一つの誤解を生んだ理由といわれます。「在所」という用語は、広辞苑によると、「田舎、在郷、都会を離れた地方」とあり、「部落」とか「被差別部落」などは一言もありません。京都でも大阪においても「在所」は必ずしも被差別部落だけを指すものではないといわれます。

1971年2月にフォークグループの「赤い鳥」はこの曲を3年間でミリオンセラーとします。ですが何か腫れ物にでも触るような守り子唄という噂、被差別部落絡みという噂が流れて、各地の放送局はこの曲を放送しなくなります。いわゆる「放送自粛歌」として長い間封印されます。音楽は時に偏った思想に翻弄されます。

仮に「在所」が被差別部落であったとしても、この素晴らしい歌を積極的に紹介し、部落の人たちの苦しみを訴えかけること、人権を尊重するのがメディアの役割であるべきです。時代と社会とメディアの中で生まれ、なぜか沈んでいったこうした歌を考えると、社会とメディアの不気味な本質を垣間見ることができます。民衆の歌であり搾取されていた人々に生まれた子守唄を「放送自粛歌」にしたとは誠に恥ずべき措置だったといわなければなりません。幸い1990年代に放送禁止の封印は緩和されます。

アメリカの音楽であるジャズやブルースの歴史に奴隷制度という文化があるように、守子唄にも苦難に生きてきた女性の文化があるということでしょう。

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