心に残る名曲 その百六十九  ジョン・バリーと007

ジョン・バリー(ohn Barry)はイングランドのヨーク市(York)で生まれた映画音楽の作曲家です。100本以上の映画やテレビ劇などの曲を作っています。

特にイアン・フレミング(Ian Fleming)のスパイ映画、ジェームス・ボンド(James Bond)作品と音楽は知られています。ジェームス・ボンドはイギリス秘密情報部(MI6) の工作員。超人的なスパイです。「ロシアから愛をこめて」(From Russia with Love)、「ドクター・ノオ」(Doctor No)、 「007ゴールドフィンガー」(Goldfinger)、「007サンダーボール作戦」(Thunderball)、「女王陛下の007」(On Her Majesty’s Secret Service)、「007は二度死ぬ」(You Only Live Twice)などの名作のサンドラトラックを作ります。

ジョン・バリーの作風を評して「神の手を持つ」などとも云われることがあります。豪華なオーケストレーションで知られ、旋律も親しみやすいのが特徴です。スクリーン上で興奮を高めるようなメロディで007を音で描いています。

心に残る名曲 その百六十八 ヘンリー・マンシーニ 「Exodus」

ヘンリー・マンシーニ(Henry Mancini)のもともとの名は「Enrico Mancini」。名前のとおりイタリア系アメリカ人です。1924年にオハイオ州のクリーブランド(Cleveland)で生まれます。高校を卒業後、スウィング・ジャズの代名詞といわれたベニー・グッドマン(Benny Goodman)の勧めでニューヨークへ行き、ジュリアード音楽院(Juilliard School) に進学します。「ジュリアード」といえば全米屈指の音楽大学です。

「ひまわり」から

第二次世界大戦では空軍に所属し、マーチングバンドでも活躍します。グレン・ミラー(Glenn Miller)の誘いでミラーのバンドに入り、ピアニストと編曲者として活躍します。マンシーニの楽想のスタイルは、ジャズの要素を交えながらも、オーケストラによる抒情や哀愁に満ちたメロディで知られています。

「ロベレ将軍」から

1954年の映画「The Glenn Miller Story 」のテーマ曲から1961年の映画「 Breakfast at Tiffany’s 」の主題曲「Moon River」、1962年の「Days of Wine and Roses」、イスラエル建国の歴史映画「Exodus」、 1963年の「Charade」、20世紀後半を代表するコメディ映画の大ヒット「Pink Panther」、そして、少し毛色が変わりますが、サスペンス・テレビ映画「刑事コロンボ」(Columbo)のテーマ曲も作ります。

刑事コロンボ

心に残る名曲 その百六十七 モーリス・ジャール 「Lara’s Theme」

古今の映画には必ずテーマとなる音楽ーサウンドトラックがついています。それが映画の一つの楽しみとなります。モーリス・ジャール(Maurice Jarre)という作曲家もいろいろの作品を残しています。

1924年、フランスのリオン (Lyon)で生まれます。ジャールが注目されたのは、1962年のイギリスの歴史映画「アラビアのロレンス」(Lawrence of Arabia)の音楽を担当したときです。デヴィッド・リーン(David Lean)が監督をつとめました。初期のジャールの映画音楽は、映画作家であった同じくフランス人のジョルジュ・フランジュ(Georges Franju)とのコラボレーションとなったことで知られています。

その後、「史上最大の作戦」(The Longest Day)、 1965年の「ドクトル・ジバゴ」(Doctor Zhivago)の「ララのテーマ」(Lara’s Theme)、1984年の「インドへの道」(A Passage to India)をはじめ、150余りの映画音楽を作曲していきます。アカデミー賞作曲賞には9回ノミネートされ、3回受賞しています。2005年のヨーロッパ映画賞で、音楽家として初となる世界的貢献賞を授与される有名な作曲家です。

心に残る名曲 その百六十六  ディミトリー・ティオムキン 「High Noon」

作曲家、ディミトリー・ティオムキン(Dimitri Tiomkin)は、ハリウッド映画音楽に偉大な功績を残した人です。マックス・スタイナー(Max Steiner)、ミクロス・ロージャ(Miklos Rozsa)とならぶ作曲家でもあります。

ロシア帝国領ウクライナ(Ukraine)のクレメンチューク(Kremenchuk)で生まれ、サンクトペテルブルク音楽院(St. Petersburg Conservatory)で教育を受けます。音楽院では、ピアノをブルメンフェルド(Felix Blumenfeld)やヴェンゲロヴァ(Isabelle Vengerova) という教師から、作曲はグラズノフ(Alexander Glazunov)から学びます。やがてロシア革命によって音楽人生が脅かされると判断し、両親とともにドイツに移ります。1921年から1923年までベルリン(Berlin)に、そして1924年から1925年までパリ(Paris)に滞在します。1925年にアメリカに移住し1937年に市民権を取得します。

彼は育ちから東欧の音楽の影響を受けますが、フランク・キャプラ監督(Frank Capra)の「失はれた地平線」(Lost Horizon)(1937年)、「我が家の楽園」(You Can’t Take It with You)(1938年)、「スミス都へ行く」(Mr. Smith Goes to Washington)(1939年)、「素晴らしき哉、人生!」(t’s a Wonderful Life)(1946年)のような典型的なアメリカ映画の音楽を作曲していきます。キャプラ監督の作品は、風刺的な喜劇が多いのですが、それ以後はヒューマニズムに満ちた作風で一時代を画します。

代表作にアカデミー作曲賞・アカデミー歌曲賞を受賞したフレッド・ジンネマン監督(Fred Zinneman)の「真昼の決闘」(High Noon)(1952年)があります。ジョン・ウェイン主演の「紅の翼」(The High And The Mighty)(1954年)でも再びアカデミー作曲賞を受賞します。その後もクラシック音楽に基づいた映画音楽を作曲していきます。「ジャイアンツ」(Giant)(1956年)、「友情ある説得」(Friendly Persuasion)(1956年)、「OK牧場の決斗」(Gunfight at the OK Corral )(1957年)、「老人と海」(The Old Man and Sea)(1958年)、「リオ・ブラボー」(Rio Bravo)(1959年)、「アラモ」(The Alamo)(1960年)、「北京の55日」(55 Days at Peking)(1963年)、「ローマ帝国の滅亡」(The Fall of the Roman Empire)(1964年)などです。どれも懐かしい、もう一度観たいものばかりです。

心に残る名曲 その百六十五 リチャード・ロジャーズ 「The King and I」

映画音楽の世界で活躍した作曲家と歌の数々を紹介します。リチャード・ロジャーズ(Richard Rogers)はアメリカの映画音楽家です。ドイツ系のユダヤ人で、父親はニューヨークで内科の医師をしていたようです。元の姓はAbrahams。それをRogersと改姓します。同じユダヤ系であった脚本家で作詞家のオスカー・ハマーシュタイン(Oscar Hammerstein)とコンビで多くのミュージカル音楽を作曲していきます。

コロンビア大学(Columbia University)で学んでからジュリアード音楽院(Juilliard School)で作曲法などを学びます。1943年に最初のミュージカル、オクラホマ(Oklahoma!)を作曲します。この曲は南部の人種差別を取り上げた作品です。それからもハマーシュタインと一緒に数々の作品を作ります。

1945年のブロードウエイ・ミュージカルの回転木馬(carousel) 、1956年の王様と私(The King and I)、1958年の南太平洋(South Pacific)、そして1965年のサウンド・オブ・ミュージック(The Sound of Music)などです。その音楽に対して、ピューリッツアー賞(Pulitzer Prize)、エミー賞(Emmy Awards)、グラミー賞(Grammy Awards)、アカデミー賞(Academy Awards)など50以上の賞を受けます。

心に残る名曲 その百六十四  バート・バカラック 「That’s What Friends Are For」

バート・バカラック(Burt Bacharach) は米国の音楽家、作曲家、編曲家、ピアニスト、音楽プロデューサーです。1928年5月にミズーリ州(Missouri)カンザスシティ(Kansas City)に生まれ、ニューヨーク市クイーンズ区(Queens)で育ちます。ドイツ系ユダヤ人の血をひきます。モントリオール(Montreal)にあるマギル大学(McGill University)のシュリッヒ音楽学部(Shulich School of Music)、ニューヨークのマネス音楽院(Mannes School of Music)、サンタバーバラ(Santa Barbara)のMusic Academy of the Westで学びます。

1957年に作詞家のハル・デヴィッド(Hal David)という作詞家と出会い、由来二人のコンビで多くのヒット曲を発表していきます。 2006年の時点において、米国で70曲のトップ40、英国で52曲のトップ40という実績があります。バカラックのアカデミックな作曲技法は、ダリウス・ミヨー(Darius Milhaud)、ヘンリー・カウエル(Henry Cowell)といったクラシック音楽の作曲家に師事したことにあるようです。

バカラックは稀代のメロディー・メーカーといわれます。映画音楽でも数々の楽曲を作っています。特にジョージ・ロイヒル (George Roy Hill) 監督の映画「明日に向って撃て」(Butch Cassidy and the Sundance Kid) の主題歌「雨にぬれても 」(Raindrops Keep fallin’ On My Head) はアカデミー主題歌賞を受賞しています。編曲においては、ジャズを出発点としてボサノヴァ(Bossa Nova)の影響が曲風に反映しているようです。「雨にぬれても 」を聴くとそう感じます。モダンな和声と複雑なリズムパターンはバカラックスタイルといわれます。親しみやすいメロディーが随所に感じられます。バカラックの音楽が大衆から人気を得ている由縁です。「That’s What Friends Are For」ではエルトン・ジョンやスティビー・ワンダー(Stevie Wonder)らも歌っています。

明日に向って撃て:ロバートレッドフォードと ポール・ニューマン

That’s What Friends Are For

Keep smiling, keep shining
Knowing you can always count on me, for sure
That’s what friends are for
For good times and bad times
I’ll be on your side forever more
That’s what friends are for

心に残る名曲 その百六十三  エルトン・ジョン 「Your Song」

出生名はレジナルド・ドワイト(Reginald Kenneth Dwight)。エルトン・ジョン(Elton John)は4歳の頃からピアノを弾き始めたようです。その頃から彼は聴いたどんなメロディーも演奏することができたといわれます。彼のピアノ教師によると聴いただけのヘンデルの楽曲を完璧に弾くことができたということです。彼が影響を受けた人物にバッハ(Johann S. Bach)やショパン(Frederic Chopin)がいます。ソングライターでギタリストであったジム・リーブス(Jim Reeves)などがいます。ゴスペル音楽からも影響を受けたといわれます。

ダイアナ妃とジョン・トラボルタ

エルトン・ジョンの1990年代は非常に苦難の時期だったようです、薬物とアルコール依存症、過食症の治療のため入院し矯正施設への入居を経て復帰します。1992年に発表されたアルバム「ザ・ワン」(The One)は、彼のドラッグや酒への依存を克服して復活を告げる作品といわれています。その間、1980年代から1990年代初めにかけて多くの友人や知人などをエイズで亡くします。1992年以降、シングルの収益で設立したエイズ患者救援者団体、「エルトン・ジョン・エイズ基金」(Elton John AIDS Foundation)に寄付していきます。この団体の本部はアトランタ市(Atlanta)にあります。

アンゴラのルアンダにて

1994年には、作詞家、ティム・ライス(Time Rice)と共にディズニー映画「ライオン・キング」(Lion King)の音楽を担当します。このアニメ映画の中で、世界で最も売れたサウンドトラックとなっているのが「愛を感じて」(Can You Feel the Love Tonight)です。この曲はグラミー賞(Grammy Awards)最優秀ポップ男性ボーカル賞とアカデミー歌曲賞を受賞するなど高い評価を受けます。19 98年にはナイトの爵位を授与されます。2000年にはミュージカル「アイーダ」の作曲でトニー賞作曲賞も受けます。

数々の曲を作っては歌っています。「Your Song」、「Goodbye Yellow Brick Road Lyrics」、「Don’t Go Breaking My Heart 」などクラッシックのバラードをして稀代の歌手、作曲家としての評価を樹立していきます。とりわけ、1997年9月のダイアナ元妃 (Diana, Princess of Wales)の葬儀では追悼歌「Goodbye England’s rose」を歌い、そのCD「Candle in the Wind」は全米、全英で3,300万枚の史上最高の売り上げとなった曲です。

ダイアナ元妃 の葬儀で

心に残る名曲 その百六十二 ジェイムズ・ポール・マッカートニ 「Hey Jude」

ポール・マッカートニ(James Paul McCartney)は、いうまでもなくビートルズ(The Beatles)の一員。中心的な歌手であり作曲家です。沢山の曲を作ります。作品では、名義はジョン・レノンとポール・マッカートニとなっていますが、マッカートニがほぼ単独で作詞作曲し、レノンは作詞の一部を手伝ったといわれます。「Hey Jude」もそうです。リード・ボーカルおよびピアノ、後半のリフレイン部分のオーケストラの指揮もマッカートニが担当したようです。

ギネス世界記録(Guinness World Records)によれば、「ポピュラー音楽史上最も成功した作曲家」として掲載されています。ところでギネス世界記録と認証されるためには、六つの基準を満たす必要があります。その第一は「客観的に計測可能であること」とあります。はたして、マッカートニは「史上最も成功した作曲家」ということのために、どのようにして計測されたのでしょうか。多分、レコードやCDの売れ上げではないでしょうか。世界一の売り上げ、130億円を稼いだ最も富裕な作曲家ということでしょう。まあ、、そんなことは蛇足でありますが、、、他方で、マッカートニは国際的な慈善事業にも関わっています。動物愛護、アザラシ狩禁止、地雷除去、貧困絶滅、菜食主義(vegitarianism)運動などです。

1970年にビートルズは解散します。その後ソリストとして活動し何度も来日しては演奏会を開いています。彼の名前は、James Paul McCartneyですから、ジェイムズ・マッカートニと呼ぶべきなのでしょうが、なぜか洗礼名のポール(Paul)を使って呼ばれています。それから、作品である「Hey Jude」の”Jude”は男性名です。女性名のJudice の愛称ではないか、という人もいますが、歌詞を調べると男性のJudeに対して「Judeよ、彼女を受け入れてやれば良い関係ができるよ、」と諭す歌となっています。1965年の「Yesterday」、1970年リリースの「Let It Be」、「Blackbird/We Can Work It Out」、「Lady Madonna」、「Back in the USSR」、「Michelle」など懐かしい曲です。

心に残る名曲 その百六十一 ジョン・レノン 「Imagine」

現代のイギリスの作曲家や歌手のことです。ジョン・レノン(John Ono Lennon)は1940年、リバプール(Liverpool)生まれのイギリスの歌手、シンガーソングライターです。平和運動家でもありました。十代のときは、スキッフル(skiffle)というジャズやブルース、カントリーミュージックの影響を受けた歌を歌います。やがてビートルズ(The Beatles)を結成し、1960年代の世界的なバンドとして活躍したことは良く知られています。商業的にも史上最も成功したバンドでした。レノンはポール・マッカートニー(Paul McCartney) と一緒に作曲したことでも有名です。

ビートルズにはジョージ・ハリスン(George Harrison)、リンゴ−・スター(Ringo Starr)もいました。1970年に解散されるまで各地でその活動は絶大な人気を博しました。解散後、レノンはソリストとして独立し、ヨーコオノと共にPlastic Ono Bandを結成します。1980年12月のニューヨークはマンハッタン(Manhattan)のアパートで殺されます。

1960年代、ビートルズは音楽と若者文化の発展に大きく貢献したグループといえます。ポップ・カルチャーを広め、ロック・ミュージック、ロックを目指す人々を多大な影響をもたらします。独立した後、レノンの曲は、シンプルな和声の進行と個性的な歌詞に特徴づけられていきます。退廃的であり反戦的なところも歌詞からうかがえます。その他、「Give Peace a Chance」、「Working Class Hero」、「Stand By Me」、「Love」、「Watching The Wheels」など沢山の歌を作曲しています。以下は「Imagine」の歌詞です。

Imagine there’s no Heaven
 It’s easy if you try
  No Hell below us
   Above us only sky
  Imagine all the people
   Living for today…

心に残る名曲 その百六十 アンドルー・ウェバー 「Evita」

これまではクラッシック音楽を主としてとり上げて紹介してきました。趣向をかえて、現代の作曲家、シンガーソングライターなどを紹介していきます。「オペラ座の怪人」(The Phantom of the Opera)、「キャッツ」(Cats)、「エビータ」(Evita)、「Jesus Christ Superstar 」などのミュージカル作品で知られるイングランドの作曲家アンドルー・ウェバー(Andrew Lloyd Webber)のことです。

1948年にロンドンで生まれの作曲家で劇場演出家です。エレキギターを使ったロック調の音楽は、20世紀のイギリスとアメリカのミュージカルを再興させた音楽家といわれます。ウェバーはオックスフォードあるマグダレーンカレッジ(Magdalen College)で学びます。そこでライス(Tim Rice)という作詞家と出会い音楽を作っていきます。

1971年に有名なロックオペラである「Jesus Christ Superstar」を作ります。古典音楽とロック音楽と融合の作品ですが、大きな論争を巻き起こします。それだけ画期的な作品であったということです。次ぎに1978年に作った「Evita」のことです。アルゼンチン(Argentina)のエヴァ・ペロン(Eva Peron)は私生児として生まれながら女優となり、フアン・ ペロン(Juan Peron)大統領と結婚し、ファーストレディとなった後は政治にも介入するようになります。

「Evita」はロンドンにて最も選れた音楽賞としてオリバー賞(Olivier Award)やニューヨークにおいて七つの部門でトニー賞(Tony Awards)を受けます。“You Must Love Me”がアカデミー歌曲賞を受賞します。“Don’t Cry For Me Argentina“とともに マドンナ(Madonna Louise Ciccone)が歌っています。