ユダヤ人と日本人 その28 ローゼンバーグ事件 その2 マッカーシズム

1950年代半ば、アメリカでは激しい反共産主義者運動が起こる。これは「マッカーシズム(McCarthyism)」と呼ばれた。合衆国政府や娯楽、メディア産業における共産党員と共産党員と疑われた者への攻撃的非難行動のことである。この先導者はウィスコンシン州選出の共和党上院議員のジョセフ・マッカーシー(Joseph McCarthy)であった。

以来、国内の様々な組織において共産主義者の摘発が行われた。この行動は後日「魔女狩り」とされ、1954年12月の上院におけるマッカーシーの譴責決議で幕を閉じる。ローゼンバーグ夫妻が関わったとされるソ連への原爆製造に関する資料の漏洩は、アメリカ国内におけるこうした極端な共産主義運動や非米活動の排斥の中で起こったことに注目すべきである。

ローゼンバーグ夫妻への死刑判決に対して、国内外から「冤罪である」とか「法的なリンチである」との声があがる。原子物理学者であるアルバート・アインシュタイン(Albert Einstein)やロバート・オッペンハイマー(Robert Oppenheimer)、哲学者のポール・サルトル(Jean Paul Sartre)や小説家のジャン・コクトー(Jean Cocteau)、さらにはローマ法王ピオ12世(Pople Pius XII)、パブロ・ピカソ(Pablo Piccaso)らが嘆願書に名を連ねる。だが、アメリカ国内では判決に対する批判は少なく、ユダヤ系団体からも特に支援はなかった。

マッカーシズムが吹き荒れるアメリカではローゼンバーグ夫妻の処刑を中止させることは困難であったようである。1950年6月には朝鮮戦争も勃発し、共産主義への脅威を国民は抱いていた。大統領であったアイゼンハワー(Dwight Eisenhower)も国内外からの死刑中止の嘆願を受け付けなかった。アメリカにおける反共産主義思想も反ユダヤ主義思想も極端に教条的な偏りと心情的な不合理性を有していたことでは共通している。ローゼンバーグ事件は冷戦の申し子のようなものだったと思うのである。

日本では、ローゼンバーグ裁判の様子がしばしば報道されていた。残される二人の息子に対する同情や共感も話題となった。1995年に、アメリカによるソ連暗号解読プロジェクト「VENONA」が機密扱いを外され、ソ連の暗号通信の内容が明らかになり、その中で原爆製造に関わる諜報活動が紹介される。ローゼンバーグ夫妻の行動が白か黒かははっきりしないが、部分的に関わっていたことが伺われる。

rosenbergs 290px-McCarthy_Cohn Joseph McCarthy, left